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日本の店名全般

地名

日本の中心になっている店名である。食べ物屋だけでなく、全ての店で使用されている伝統的な店名です。
奈良時代の今で言う一村一品のような制度があり、朝廷に対して地方が決められた品物を献上することが法律で規定されていました。物品と地名がイコールの関係にあり、最初の頃の店名も地名がほとんど。
平和になり安定した時代江戸期に全国から、色々なものが人々共に売られるためにやってきて、江戸の町は全国の地名であふれてしました。

和泉屋

大和朝廷の御料地、和泉。地名ではあるのですが、その語源である出水、泉そのものの意味を含む店名です。
人名にもなっているため、地名なのか判別がつきにくい名です。外国でも泉の湧き出る地は聖地にもなっていることが多く、生命の水の扱いもされています。

伊勢屋

日本橋伊勢重
日本橋伊勢重 1869年開店

江戸で最も多かった店名です。商売上手の伊勢出身の商人と近江出身の商人がいましたが、伊勢商人が江戸を中心に活躍していました。川柳にも揶揄されるほどの隆盛で、あらとあらゆる食べ物屋、鮨屋、蕎麦屋、料理屋に見られます。
日本橋伊勢重(1869年、すき焼き)、土手の伊勢屋(天ぷら 1889年開業)、伊勢廣(焼鳥、1921年開店)、いせや総本店(吉祥寺、1928年)と今も現役で人気の店がたんさん。
現代ではお菓子屋の店名として多く残っています。最初、大坂屋という和菓子屋がふるくから、あり伊勢大椽という名目上の地方の受領の地位を得ていたため、これにあやかって、この地名が多いのかと考えました。が、和菓子が最も長く経営母体として続いている店が多く、結果として残った数が多かったと考えています。

★ 伊勢屋
深川伊勢屋
深川伊勢屋 1907年開店

散歩の達人2010年4月号に埼玉県出身の鷺谷米蔵さんが1887年に四谷箪笥町に開業したのが和菓子「伊勢屋」と載っていました。3年後にのれん会が始まり100軒以上になったとか。写真は現存の一番古いこの系統のマルヨネ「伊勢屋 門前仲町」。喫茶店併設で、ここから東京都下15店以上が独立分離の形で伊勢屋をオープンしているようです。ほか品川伊勢屋から独立の「伊勢屋 三軒茶屋 1932年」も頑張っています。(2011/12/25)

吾妻屋

江戸の旧呼び名で、当初は江戸っ子ではなく、東っ子と呼んでいたそうです。
東は地理的には時代により変わっていて、平安時代は京都より東の地方、鎌倉以降は関東地方、江戸後期になって江戸周辺地域。

吉野屋

平安の時代から桜の名所として和歌に歌われた吉野山。熊野権現の聖地でもあり、天皇の行幸も多い地。江戸時代、歌舞伎の影響で釣瓶鮨が有名になり、その鮨屋がある吉野の地名が鮨屋にでてきます。
芳野、与志乃、美称の御吉野からの三好、美好、美吉等があります。
今は牛丼の吉野家が有名で、イメージも定着してしまったまで、商標の関係もあり、増えるのでしょうか。

大和屋

数は店名として多いわけではないのですが、他の店名と比べて減っていくことがない店名。奈良県の天理市周辺の地名ですが、大和朝廷の発祥の地であり、日本の古名、倭、大倭からの大和であるため、店名だけでなく、他のものにも名づけられる。

三河屋

銀座みかわや
銀座みかわや 1948年開店

サザエさんの世界でしられている酒屋さんの三河屋。実際、酒屋の店名が一番多い。
食べ物屋では洋食の元祖三河屋、三河屋久兵衛が神田に開店。1867年(慶応3年)に創業し、横浜から1871年(日本の食文化史年表 吉川弘文館では1872年)に進出しています。何度か移転し、三河町に落ち着いたとき、正式に「三河屋」になりました。大正期に閉店し、現在はこの店本体はありませんが、青山とか、西麻布に関連は不明ですが、洋食屋の三河屋があります。
青山の「三河屋」は創業年は不明ですが、1980年代のガイドブックには4代目とありました。既に閉店し、今は貸しビルになっています。青学の御用達ランチ店だったようで、卒業生の思い出の記事上に昭和のカレー店として、今は見かけるのみ。
西麻布の「三河屋」は1930年創業の精肉店が1990年頃開店した、今も行列の絶えない洋食店です。他に「三河屋食堂 白金高輪 1935年」
銀座のみかわやは別系統で、戦後の創業。ホームページには創業1887年、三河出身の一族のひとり、保坂芳次郎が、三河屋食料品店を、戦後サリー・ワイルの味を継ぐシェフが再興し、オープンしたそうです。ま、なんといっても、食べ物の世界では洋食は三河屋です。
今はそれほどではありませんが、以前はあらゆるてんぷら屋のガイドのトップを飾っていた「てんぷらみかわ 茅場町 1976年開店」、店主の書いた本の中に父親の店の屋号が三河屋とありますので、おさらくそれを継いだのでしょう。(2014.8.17記事内容追加)

★ 三河屋 

東京で現存の一番古い天ぷら屋さんの「三定 浅草 1837開店」は三河屋定吉がフルネームです。(2011/12/25)
カレー南蛮、カツ丼の最初の店として『あのメニューが生まれた店 菊池武顕 平凡社』に載っている「三朝庵 早稲田」は元の店名は三河屋。カレー南蛮を生んだ時に「三朝庵」に店名を変えたそうです。三河屋の加藤朝治郎から、庵は大隈重信の助言からとのこと。(2015.1.15追加)

青山「三河屋」について『東京食べ歩き 講談社 1982』に創業1904年(明治37年)に喫茶店兼パン屋として、カレーは1923年(大正12年)から出し始め、1974年(昭和49年)にカレーととんかつを売りにする洋食店となったそうです。(2015.6.3)

上の「三河屋」はもしかすると明治期に活躍したパン屋「三河屋総本店  日本橋稲崎 1886年」の支店かも。
『東京名物志 公益社 1901年』の菓子之部の載っていますが、都下分支店58店舗を有し、業務の隆昌を見るとありました。
創業者の小林織江氏は明治初頭創業の「文明軒 蔵前 1869年」で修行し、独立。
『日本のパン四百年史』の著者の推測では文明軒の得意先が西洋料理の元祖「三河屋」で、パンを納入していた関係からではとしています。(2017.6.20追加)

▼三河屋プラス・三州家

図書、雑誌ではめったに載っていない料亭。ネット上で見つけたのが割烹「三河家 赤坂 1955年(食べログ1956年)」。
仕出し屋としては江戸末期1846年から続いています。由来は書かれていないので、地名なのかどうかは不明。

三河家
赤坂三河家 1969年開店
1989年にたてなおした三河家ビルには、2階は「シェ・ミカワ 1987年」、めずらしいベルギー料理にレストラン。最初は「スタンド三河家 1969年」として洋食屋でした。三河はオーナーシェフの姓名ではないです。
ちなみに3階は「ざくろホールディング 1955年創立」というフードビジネスの草分けの会社があり、「ざくろ」「グラナータ」「トップス」を経営。
うっかり、読み飛ばして三州が三河の地名の別称であることに気が付きませんでした。他の地を表す場合もありますが、ほとんどがこの地のこととか。
三州家
本所吾妻橋三州家 
1889年開店
「割烹三州家 本所吾妻橋 1889年」は創業者が三河国から明治中ごろ上京し、屋台から起こした店。4代目を数えるこの店は下町の懐石料理店として愛されているとのこと。
他に三州屋は都内に10以上ある酒飲みには避けて通れない居酒屋「三州屋 蒲田 1964年に本店創業」。銀座、神田、飯田橋、新橋、六本木、日本橋とあり、少しづづ違うメニューを楽しんでいるそうです。
三州屋は食べログでは首都圏と本拠地の愛知、隣の県の静岡県しかみつけられません。 (2016.9.10)

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地名の流行

地名は変わらぬもの、と考えられてきました。でも、近年の政情の変化はソビエト連坊やチェコスロバキアの政情の例だけでなく、民族運動のうねりもあり、変わっていく時代です。
日本でも平成の大合併は多くの市町村の名を地図上から消し去りました。

海の向こうの地名の有為転変

洋ものがどんどん入ってきたときは地名は店名の王者でした。そして今、店名がありとあらゆる国の言葉が氾濫する状況で、また力をつけているように思います。
ただし、グローバル化によりEUから製品へのヨーロッパ各国の地名を使うのに制限する圧力がかかっているそうです。テレビ番組ではナポリタンがなくなる!と危ぶんでいましたね。

▼ 北の地より

スンガリー
新宿スンガリー 
1966年開店(東口本店1957年)
店名ももちろん、流行があります。1960年代社会主義が理想の世界としてソビエト連邦、現ロシアの地名(ヴォルガ、シベリア、バイカル)と料理がけっこうな数ありました。
それにかかわる物や人名(トロイカ、ペチカ、バラライカ、サラファンなど)も。戦後はロシア料理にはもちろんですが、それ以外の喫茶もロシア関連の店名をつけていました。
残念なことに、この間、老舗の「ロゴスキー 渋谷 1951年頃」の東急プラザ店の閉店がニュースになっていました。(2015年9月に銀座で再開、店名の由来(ハルピンのタイヤスカヤ街のレストラン「ロゴジンスキー」から)、歴史はHPに詳しくあります。)
写真はロゴスキーが閉店中のため、新宿の「スンガリー 1957年」。かつて経営者夫妻が住んでいたハルピンに流れる河のロシア語名から。中国名松花江で最終的にアムール河に合流する河、中国領でしたが、多くのロシア人が住んでいて、ノスタルジーからの命名。

▼ 東西の地より

リスボン
浅草リスボン 
1932年開店(リニューアル前)
同じく60年代、70年代にかけてとブランドの国(新しい世界)としてのスイスの地名。地名と料理が一致しない事例。
アメリカは一貫して多く、コロラド、アリゾナ、テキサスの州名、都市名のボストン、ニューヨーク、エリア名のマンハッタン、五番街、カフェバーが流行りだした1970年代後半はソーホー地区の地名、今はブルックリンです。この時代は店内のインテリアが想いっきり、アメリカン、それもアメリカン製品で飾られていました。
ルーブル
東中野ルーブル 1949年開店
フランスはパリ、ロワール、セーヌ、シャンゼリーゼ、ブローニュ、エトワール トリアノン、ルーブル、アルル、ニース、マルセイユ。イタリアはローマ、フィレンツェ、ミラノ、トスカーナ。スペインはマドリード、セルビア、最近はバスク地方関連。この3国は料理も人気なので当然の結果です。
写真は古めの2店洋食「リスボン 浅草 1932年開店」喫茶店「ルーブル  東中野 1949年開店」リスボンは日本とは付き合いの長いポルトガルの首都、ルーブルはルーブル宮殿だと思います。リスボンはかつてヒットしたアメリカ映画『懐かしのリスボン 1956年初演』とそのテーマ曲で大阪の「リスボン喫茶店 大阪市淀屋橋 1959年」はこちらの由来、東京には他に喫茶店「LISBON(リスボン) 三鷹市 1958年」。
北欧家具、雑貨店など北欧ライフスタイル、カフェも流行していますが、ドイツ語系の原語は発音が日本人には難しく、少ない場合もあります。
最近の流行、クラフトビールの店はベルギー、ドイツ系で男性客が多いこともあり、比較的付けられますが・・・。一例は「ツークシュピッツェ 銀座 2011年開店」、ドイツとオーストリアの国境にあるドイツ最高峰の山の名。富士山のような山で、ここで出されているビール銘柄の名前でもありますが。 エスニック系、中華、インドも同じく地名が多いです。
世代によって国のイメージが変わっていく地名もあります。ブラジルはずっと明治の時代から、珈琲のイメージで喫茶店中心。でも現在は、シュラスコという肉料理を出す肉食系のレストランが肉食世代のイメージ(『ブラジルコーヒー』参照)。「リオグランデ 六本木 2014年」「カリオカ 外苑前」など。かつて、銀座に喫茶店の「カリオカ」がありました。今は横浜駅圏内に2,3店残っています。明治時代、東京に拡散した「パウリスタ」のサンパウロッ子と同じで、こちらはリオデジャネイロっ子の意味とか。

▼ アルプスのチロルより

チロル
京都チロル 1968年開店
スイスと同様の扱いだったチロル、アルプス麓の自然が美しい理想郷、オーストリアとイタリアのふたつの国にまたがる地方です。
大きく知られたのは駄菓子屋の人気者『チロルチョコ』、ブランド名は1962年に世に出ています。スイスでのチョコレートの視察先で、このチロル地方を知って、風光明媚、素朴さ、さわやかなシメージから命名をしたとHPとあります。
レストランは「チロル 渋谷 1962年」でチロル地方の料理を出すお店でした。チロルフーズという会社が展開しているレストラン(チロルチョコの松尾製菓との関係は不明)でしたが、1975年のガイドではイタリアンになっていました。
『月刊食堂1972.3月号』では36店舗あり、全国展開(1971年チロル札幌、大阪に1971年に2店舗)を開始したとありました。
食べログで検束すると、大きな都市に散らばっているのは、その名残でしょうか。喫茶店が多いですが、「喫茶チロル(最近出版のガイドにご主人が山が好きだったので、内装も山小屋風にしてこの店名のしたとのこと 2015.11追加) 京都 1968年」「チロル 多治見市 1967年」「チロルカフェ 福岡 1979年」イタリアンの「チロル 仙台(系列2店あり) 1974頃」、ファミレスの「チロル 岩手県北上市 1981年」がありました。
現在もチロルの自然の素晴らしさにこの地名をつける例が「カフェチロル 札幌 2014年開店」です。ただ同じく2014年オープンの「ラーメンチロル 門司」に付いて、食べログの投稿にはなんでお菓子屋みたいな名? 疑問符つきな意見もありましたね。
地名には関係ないのですが、チロル地方の料理専門で「三輪亭 豪徳寺 2007年開店」があります。店名はシェフの姓からですが、最初の店名として浮かんだのは「チロル」だとお店のHPに書かれています。頭に「クチーナチロレーゼ」とつくイタリアンとは一味違うお店に、ぜひ、どうぞ。
◆チロルー千鳥屋(もうひとつのチロル)
千鳥屋
駒込千鳥屋 
1630年開店(東京1964年)

チロルの地名が広がる元をチロルチョコとしましたが、もうひとつ千鳥屋のチロリアンがありましたね。
1630年、「松月堂」の店名で佐賀県に創業し、福岡県に支店として1927年のできた「千鳥屋」が1949年に福岡市に本店をかまえています。東京には「千鳥屋総本店 駒込 1964年」として出店しています。
この千鳥屋がチロル地方の伝統的お菓子のレシピで1962年、発売したのがチロリアン。
本店もチロル風に改装して、ドイツ菓子専門店も開店しました。チロル高原で撮影したCM放送も同時期に開始。女性の声で『チロリアーン』というフレーズが記憶に残っている方も多いと思います。
現在の福岡市の本店は2004年に「千鳥饅頭総本舗」に改称、1927年に売り出した最初の饅頭ブランドの名前になっています。東京は別会社として、そのままのです。 (2015.11.30)

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▼ オーソレミオ♪♪♪の地より

ナポリハウス
自由が丘ナポリハウス 1987頃年開店
イタリアのことわざの『ナポリを見て死ね」のナポリ、イタリアの南の地方の景勝地は1935年の食べ物屋ガイドにも「カフエナポリ」が載っている知られた地名。
1953年創業の「ナポリアイスクリーム 青山」、今は株式会社です。「ナポリハウス 自由が丘 1987年頃」当りが頑張っています。
ただ、現在は東京に限るとナポリ=ピッツアになっています。全国では定食屋、洋食、居酒屋、喫茶店とあるのですが、ナポリ好きの店主のおでん屋「ナポリ 人形町」
ナポリ出身のサルヴァトーレ・クオモが広めたとされるナポリピッツア。『真のナポリピッツア協会」認定とかピッツアオーロの世界選手権優勝などの日本人大好きのブランド化もあり東京はナポリピッツアだらけ。
店名もナポリを追い払うことは難しく、フードビジネス系も遠藤商事の「ナポリ」「ナポリス」宅配の「ナポリの窯」「マルデナポリ」。個人店ては「フォルツァナポリ(FORZA!!NAPOLIー頑張れナポリ) 池尻 2001年」「ベッラナポリ 清澄白河 2001年」「ナポリスタカ(これぞナポリ、ここがナポリだ!) 神谷町 2011年(駒沢店2015年)」
バリエーションタイプで、古代ギリシャの頃の植民地のナポリ呼称「バルテノペ 広尾、恵比寿 2001年」、カンパーニュ地方のナポリの呼称を、方言からの「ナプレ」など。
シシリア
六本木シシリア(SICILIA) 1954年開店
シシリアとシチリア、発音は違いますが同じイタリアの地名。シシリアは英語の発音、現地発音はシチリア。
1954年の開店の「シシリア(SICILIA) 六本木」は本牧の「イタリアンガーデン」もと潜水艦乗組員のイタリア人コックから習った四角いピザが大人気の今でいうピッツェリア。ただ、味はアメリカン経由のピザとか(『料理王国2012.11月号』)。
その後、1971年に銀座に2店目ができましたが、店名としてはあまり広がらなかったようです。
映画の『シシリアン』『ゴッドファーザー』からシチリアマフィア、暗黒街のイメージが今も浮かぶ方が多いのと、ローマ、ミラノ、サンレモ、ヴェネッツイア(ベニス)、トレドなどの地名も知られてきたこともあります。
現在はシチリア料理ですね。石川勉シェフの「ベンズィーナ 1994年」「トラットリア ダ・トンマズィーノ 2000年」を経て「トラットリア シチリアーナ・ドン・チッチョ 渋谷 2006年開店」と3店目で頭にシチリア料理とわかる頭と自分の愛称を店名にしました。
2000年以降、一気に増えたイタリアンの差別化を図るため、イタリアの地方料理を看板にする店が増えます。「ドン・チッチョ」にもシチリア産のインテリア品が飾られているそうです。
ロッツォシチリア
白金高輪ロッツォシチリア 
2011年開店
ここで修行されたシェフが「ロッツォシチリア 白金高輪 2011年開店」をオープンしています。シチリアの地名に荒削りという形容詞付き、『荒削りでも良いから一生懸命頑張る』の想いとか。
シチリア料理を謳うレストランは増えていますが、地名を付けたのは「シチリア屋 白山 2013年」「カンティーナ シチリアーナ 銀座 2013年」。後の「シチリアーナ」は2店目「カンティーナ シチリアーナ トゥット イル マーレ(海の恵み) 東銀座 2013年」3店目「バール・デ・シチリア ラ・ブッチリア(シチリアにある市場の名前から) 門前仲町 2014年」と福岡市にも出店。

▼ 変わらない憧れの地より

カフェドパリはフランスにも同名のレストランがある老舗な店名。豪華な調度品ありのレストラン、喫茶店、新宿や銀座にありました。
パリ
渋谷Paris COFFEE(パリ) 
1975-2020年開店
『東京味覚地図 新宿篇 創元社 1965』に載っている伊勢丹裏にかつてあった「カフエ・ド・パリ 1962年頃?」はクロークがあり、学生服お断りで、高級そうなカバーの真っ白いテーブルとシャンデリアがあり、メニューはステーキなどの洋食でした。
今はその雰囲気なのは「カフェド巴里 西池袋」。ほかにワシントンホテルの「カフェドパリ」は全国にあります。
ネット検索では日本最古のバーの店名として現在は「パリ」の名ですが、横浜市関内の「カフェドパリ 1923年(大正13年)」があるとのことでした。
巴里、パリの地名はフランス料理を含むフランス文化のゴージヤスな雰囲気の象徴です。
パリのワイン食堂
銀座パリのワイン食堂 
2010年開店
しかし、店が増えてくると方向性をかえ、普段着のフランスの日常を味わうレストランも出てきました。
「東京パリ食堂 飯田橋 1992年」フランス人が作った「オーヴィユパリ 新宿三丁目 2006年」「プチ・パリ 神楽坂 2011年」。
今は「パリワイン食堂 銀座 2010年」「屋根裏のパリ食堂 恵比寿 2012年」など
古い店名はフランス、パリの豪華絢爛さ、今風は時間差なしのパリの大衆食堂とイコールの店をめざしているようです。

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旅する心を詰め込んで-地名の流行Ⅱ

ジャーニー
三軒茶屋ジャーニー 2022年開店
世界中のコロナ禍は旅好きの人にとってはとても残念な時。ネットでリアルさを追求した個人旅行できるHPもあり、お土産も送ってもらえるサービスも付いているとか。
スーパーやデパートには地方の土産品が多く売られ危機に瀕する産業の助けになるように努力しています。
でも旅がもたらすものは見ることと物を手に入れるだけではないのです。料理中心ではなく、その国そのもの文化生活へのあこがれはカフェに多いです。
写真は「ジャニー 三軒茶屋 2022年」、旅の意味の英語で、アレンジなしの多国籍スイーツの西洋菓子店。旅にはお祭りを楽しむときもありますが、世界中のお祭りの場に食べる祝菓子を扱う「ラフェット(仏語のお祭り) 田園調布 2017年」もあります。

 

北欧諸国

デンマークの国旗とノーマの文字
北欧全般の料理のイメージはあまりないです。ただ、この10年でデンマークの「noma(ノーマ) コペンハーゲン  2003年開店」がかつての「エルジブ」に代わって2010年から世界中を席巻していますね。文字通り『noma』とは、デンマーク語の「nordisk(北欧の)」と「mad(食・料理)」を掛け合わせた造語です。
北欧だけでは今はビジネス系のグローバルダイニングの創業者の最初の喫茶店「北欧館(ヨーロッパで放浪していて一番長く滞在したエリア) 高田馬場 1973年」小田急系のパン屋「HOKOO(北欧) 1988年創業」
アクアヴィット
北青山アクアヴィット 
2008-2018年
北欧料理の最初は港町横浜の「Scandia(スカンディアー北欧の半島名) 1963年」になりますが、東京は「リラ・ダーラナ 六本木 1985年、西荻窪1980年頃「ダーラナ」の店名」はスウェーデンの地名で小さなダーラナ、お店のHPではスウェーデン人の心のふるさととなっています。
東京では1980年代を越えたあたりから徐々にレストラン、2000年代に店名に北欧の言葉のカフェが増えていきます。
続いてスウェーデンの首都ストックホルムの発祥地の旧市街地名Gamla Stanから「ガムラスタン 吉祥寺 1990年」。このレストラン長野に移転の後を継ぐ「ALLT GOTT(アルトゴットーすべて良しのスウェーデン語) 吉祥寺 2002年」とスウェーデン語が中心。
写真、北欧の飲物の蒸留酒アクアヴィット(ラテン語の生命の水Aqua-Vitae)からのアメリカ出店でモダンスカンジナビア料理「AQUAVIT(アクアヴィット) 北青山 2008-2018年」
北欧神話の神々の名はオーディンらしき名が食べログにあります。北欧各国の画家や文学者はムンク、イプセンや児童文学のリンダグレーン、トペリウスと知られた方々もいますが、人の名前は店名は極少ないです。

◇ デンマーク

国旗もスカンジアナクロスという十字架を配した北欧の各々の国デンマーク、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン、後少し遠く離れているアイスランドは一店しかないので無理でした。最初はデンマークから。
アンデルセン
茅場町アンデルセン 1960年頃開店
子供時代から馴染んでいるのは童話作家、デンマーク出身のアンデルセンですね。『マッチ売りの少女』『みにくいアヒルの子』、ストリーがかわってはいますがディズニー映画の『人魚姫』『雪の女王』の原作者。
広島発のベーカリー、ディニッシュペストリーを日本に広めた「アンデルセン 1967年」、東京には「青山アンデルセン 1970-2017年」、グループには「リトルマーメイド(小さな人魚姫) 1972年」も開店。
ほかに写真の古い喫茶店「アンデルセン 茅場町 1960年頃」。以前アップのサンドイッチ店「COPEN(コペン(『軽食その他』掲載)」開店した時は珍しかったデンマーク料理店「ストロイエ(コペンハーゲン市の中心地、世界初の歩行者天国の地) 梅が丘 1987年」
ほかにイギリスと同様王国なので1775年、デンマークで王立の磁器製作所からのロイヤルな食器メーカー、「ロイヤルコペンハーゲンティーラウンジ(『紅茶・ティー』掲載)」、王室御用達カフェ「コペンハーゲン・ザ・ロイヤルカフェ 銀座 2010-2015年、京橋店2013-2018」。国花から「カフェディジー 乃木坂 1995-2016年」
輸入家具店併設の「SOHOLM CAFÉ(スーホルムカフェーデザインした椅子で有名なヤコブセンの終の棲家の住宅のある場所) 新宿2丁目 2004年頃」、ですが今は移転の天王洲のレストラン「SOHOLM 2014年開店」はカジュアルフレンチとなり、デーマーク語で『湖のほとりの小さな町』という意味としています。
カフェ「mano cafe yøre(マノカフェヨー) 駒沢 2016年最初蔵前」マノは"手"、ヨーは"昔"のデンマーク語。移転後「mano cafe | yøre」と分割縦線入りになっているのでyøreは雑貨店の店名になりますね。昔の人が大事に使っていたものを永く使い続けてほしいそうです。
短い期間でしたが、デンマーク人オーナーお名前の頭文字のコーヒー店「PNB coffee(ピーエヌビーコーヒーーPeter Ny Buhl氏) 池尻大橋 2015-2018年」
料理がノルディックなのは「aeg(エッグ) 白金台 2016年」は英語の発音と同じ卵から。自分ならでの料理を生み出したいイメージで。上の「nomaノーマ」の修行した「INUA(イヌア) 2018-2021年 飯田橋」は一気に深い神話の意味から。グリーンランドに住むイヌイット神話『生きとし生けるものに内在する精神』。

■ スウェーデン

上記のように人気なのはデザインの優れた家具や雑貨等イケヤで知られるのスウェーデン。
ストックホルム
赤坂ストックホルム 1971年開店
1970年代六本木のスウェーデンセンター内のレストラン「ストックホルム 赤坂 1971年、六本木から移転」、一度も行ったことがないのですが本場のスモーガスボードが憧れでした。六本木周辺には上にあげた「リラ・ダーラナ」。他に「Skane(スコーネースコーネ地方) 谷中 2010年」。
地名以外では「cafe skrata(スクラッター笑う意味) 千歳烏山 2011年」乗り物の「トラムカフェ(『コンセプトカフェ』掲載」
スウェーデンのお菓子を扱う「FIKAFABRIKEN(フィーカファブリケンーお茶の時間工場) 豪徳寺 2016年、無店舗で2013年より」、ネット上の情報てはFIKAフィーカはスウェーデンの人々にとってコーヒーとお菓子をつまみながら人と会話、交流する大切な習慣とか。kaffi(スウェーデン語コーヒー)を逆にした言葉だそうです。看板のおさげの女の子、ちょっとリンダグレーン作『長くつ下のピッピ』似です。
ヒムレン
大井町ヒムレン 2019年開店
自然関係ではカフェの「HIMLEN(ヒムレン) 大井町 2019年」空の意味で、北欧風のインテリアのなか青空のように晴れ晴れした気持ちになってほしいそうです。
「cafe skratta(カフェスカラッター笑う意味) 千歳烏山 2011年」 他に人気の料理はフレンチビストロですが同じ動詞の「Ata(アタ)」はスェーデン語。

🔲 ノルウェー

フィヨルド
六本木フィヨルド 1975ー2020年
ノルウェーは日本人だと小説の村上春樹氏の『ノルウェーの森』(ネットではビートルズの楽曲名が由来とか)が浮かびます。もう一つは前菜に欠かせないノルウェー産サーモンでしょうか。
あまり多くはなくてノルウェー語の入り組んだ湾や入り江の地形の名で有名な「フィヨルド 六本木 1975ー2020年」、ビジネス系「星乃珈琲店」を経営、首都名の北欧食材とコーヒーのカフェ「オスロ 五反田 2013年1号店」。
本国からやってきたサードコーヒーのカフェ「フグレン(『究極・至高の一杯の主張』掲載)」 も。

◆ フィンランド

ユハ
西荻窪ユハ 2010年開店
最後はフィンランドです、イッタラ(2021年に表参道に併設カフェ開店)、マリメッコ等デザイン性に優れた食器や雑貨が有名。
人気のキャラクターはトーベ・ヤンソン作の1945年発表『ムーミンシリーズ』のムーミントロール達、テレビアニメで多くの人が愛らしい姿に魅了されました。「HATTIFNATT(ハティフナット)(再掲)」や本家のコラボカフェ「ムーミンベーカリーカフェ 後楽園 2003年」
地名はなぜか見つけられなくて、「Cafe Dining URUSULA(カフェダイニングウルスラーガイド本では地名になっていますがネットでは発見できず) 高田馬場 2011年」が一店
カフェティヴェ
池袋カフェテルヴェ 2009年開店
挨拶語の北欧カフェ「moi(モイーフィンランド語のやあ!) 吉祥寺 2002ー2019年、最初荻窪」が最初の頃の店です。誰でも気軽に訪れる街の気軽な喫茶店を目指していました。「CAFÉ TERVE!(カフェテルヴェーフィンランド語のやあの挨拶語) 池袋 2009年」そして同じく定番のありがとうの意味の「キイトス茶房 神楽坂 2002年」「istut(イストゥット)」「VoiVoi(ヴォイヴォイ)『アメリカがすき?』掲載」「KIELO COFFEE(キエロコーヒー)」。
店名を変更していますが深い森の意味のフィンランド語から「サロカフェ 新宿三丁目 2011年」「unicafe(ウニカフェ) 錦糸町 2018年」は単純に夢の意味ですが、ここで夢心地になって寛ぎ、また夢を語り夢をみつけ叶えるところにの想い。フィンランド観光局経営の「Finland Café 恵比寿 2010年」も。
上写真はカフェ「YUHA(ユハ) 西荻窪 2010年」、アキ・カウリスマキ監督が好きで監督映画白い花の原題。
可愛い発音の「Papu Cafe(パプカフェ) 中板橋 2018年」は豆、小さな豆にオーナーが大きく成長する願いを込めての名付け。
以外に多いフィンランド語、今はやりのサウナ(SAUNA)はサウナの天国、聖地のフィンランドからです。
一番有名なのはビジュアルはアメリカで創作されたサンタクロースですね。フィンランドのラップランドに住んでいるそうです。

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オセアニア諸国

南半球のオーストラリア、ニュージーランド、イギリス連邦に属する英語圏。カンガルーとコアラと羊のイメージでした。これらでは食べログにも数店あります。少ないのは最近知られてきたワラビー、オーストラリアの国鳥エミュウ
カンガルー、ワラビー、エミュウは食肉として近年の羊肉の人気も拍車をかけています。

〇 ワインと肉の国

アロッサ
神泉アロッサ 2000年開店
日本人シェフも活躍のオーストラリア料理店もあり、ワインも人気でポピュラーになってきています。本国からのシェフプロデュース店も増えています。オーストラリアングリルの「OZ cafe(オージーカフェ) 西麻布 1994年」ワインレストラン「ZOOGUNZOO(ズーガンズ) 渋谷 1999年」オーストラリア料理店「Arrosa(アロッサ) 神泉 2000年(銀座店はニュージーランド)」「Arrosa」は醸造地BarrosaバロッサバレーとワインバーBarからの造語。「ZOOGUNZOO」、食材はカンガルーや鰐の肉を使っていますが、まったくオーストラリアとは繋がらないエチオピアの神話から。ズーガンズーは魚の名前で、飢餓に瀕した人々を自分の身を捧げて救ったという伝説から(お店のHPより)。
ニュージーランドの牛肉・ラム料理「WAKANUI(ワカヌイ) 東麻布 2011年、芝公園に移転」「WAKANUI」はニュージーランドのマリオ語の肥沃な土地の意味
オーストラリアからやってきた世界一の朝食の「bills(ビルズー創業者ビル・グレンジャー1993年シドニーで創業) 2008年 七里ガ浜1号店、お台場3号店」「Salt by Luke Mangan(ソルト塩、バイによる、ルークマンガンはシェフの名) 丸の内 2007年(再掲)」イタリアン「CELTO(チェルトーもちろんの伊語) 四ツ谷 2006年、1999年シドニー開店」「SOUTH(サウス)(恵比寿)(再掲)」ギリシア料理店「アポロ 銀座 2016年(再掲)」
シックスティフォー
虎ノ門シックスティフォー 2017年開店
地名は都市の名から「Sydney blue(シドニーブルー) 表参道 2002年」、特に青いシドニーの空の色、もちろんシドニー系オーストラリア料理
オセアニア料理店オーストラリアバース市の通りの地名から「64Brracks(シックスティーフォーバラックストリート) 虎ノ門 2017年」、「Newzea Platform(I(ニュージープラットホームーニュージーランドの高地、台地?) 代々木公園  2011年」パブの「ZEALANDER(ジーランダーーニュージーラン人からの造語) 丸の内 2017年」
カフェはオーストラリアのボンディビーチから「BONDI CAFE(ボンディカフェ) 広尾 2009年」「サンシャインステイツエスプレッソ」、オーストラリア人の方の「MIAMIA(マイアマイア) 東長崎 2020年」は先住民アボリジニのワダウルング語から家族や友人の通行人の集うシェルターとして建てられた小屋(お店のHPより)のことでお客の第二の家でありたいそうです。ほかにニュージーランドのアンテナショップ併設のカフェ「NEWZEALAND CAFE AKASAKA(‎ニュージーランドカフェアカサカ) 赤坂 2017年」
ガムツリー
八丁堀ガムツリー 2012年開店
動物名は一番先に書いたようにコアラとカンガルーの店名がが少しありますが、ワラビーや脱走がニュースになった世界で2番目に大きい鳥エミュー等も知られてきましたが、まだまだ。
東京ではないのですが『フードスタジアム』のHPで最近オープンの千葉県のバル「Quokka(クオッカ) 市川市 2021年」。これはワラビーの仲間で笑い顔になる小型有袋類で、世界一幸せな動物として店も訪れるお客を幸せにできる店にする願い。
植物名となるとさらに少ない状況。写真のコーヒーショップ「ガムツリー 八丁堀 2012年」はオーストラリアを代表する樹木として店名に。ゴムの樹液のような汁がでるための通称で日本ではコアラの常食の樹ユーカリのこと。この樹のように日々の生活に馴染んで日常的に使ってほしい願い。
「アロッサ」を経営するP.J.パートナーズという会社は最近一気にオープン。「Wattle(ワトルーヨーロッパではミモザ、日本ではアカシア) 大手町 2019年」「Banksia(バンクシアーオーストラリアによくある庭木の野生の花の樹) 大手町 2019年」「Ironbank(アイアンバークーユーカリの鉄の様に硬い樹皮の種類) 銀座 2017年
ニュージーランドは「Kiwi Kitchen(キーウィキッチン) 白金台 1998年」と「MANUKA(マヌカ) 蔵前 2019年」キーウィは果物ではなく鳴き声がキーウィの鳥の名、マヌカは蜂蜜のマヌカハニーとして有名な白い花の樹。

〇 コーヒー大好きの国

アメリカ大手「スターバックス」も逃げ出すコーヒー店大国オーストラリア。比較的遅い来日でコーヒーの特徴アップ気味の「MOJO COFFEE(モジョコーヒーーお守り、魔除けの意味) 神楽坂 2012-2019年」「LATTE GRAPHIC(ラテグラフィックーHPから推測ですがコーヒーで時、一日、人生、心を豊かに彩りたい) 町田 2013年、自由が丘2017年」「Single O(シングルオーシングルオリジンの意味、単一産地、農場からのコーヒー) 両国 2014年、日本橋浜町2021年」
バイロンベイコーヒー
大門バイロンベイコーヒー 
2014年開店
「バイロンベイコーヒー(創業地名) 大門 2014年日本橋2017年ほか全6店」
名前関係の愛称からの「バンコーヒー」「Frankie Melbourne Espresso(フランキーメルボルンエスプレッソ) 下北沢 2016-2020年」。「NtS coffee Tokyo(エヌティエスコーヒー)
ニュージーランドから「オールプレスエスプレッソ(創業者名) 清澄白河 2014年」「Coffee Supreme(コーヒースプリームー?最高,最上) 代々木八幡 2017年」、最初はニュージーランドのオークランド、2番目はウェリントンから。

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U.K.(ユナイテッド・キングダム)

イギリス王国紋章
日本の正式名称グレートブリテン及び北アイルランド連合王国、通称イギリス、英国(その頃は連合王国ではなくイングランド王国だけでポルトガル語のイングレスから)は明治時代から交流があり多くの政商界、文学界の有名人が留学による文化関連も多方面に広がっています。
料理では今ひとつなんですが、飲み物中心のパプやティールーム、アイルランドの老舗ギネスからのビアバーの世界では多く登場します。
2017年に三越から撤退した「ハロッズティールーム 日本橋 1982年」の元紅茶商のチャールズ・ヘンリー・ハロッドの起こした百貨店「Harrods(ハロッズ)」。王室御用達のようなハイクラスクラシック級の「Harrods」がイギリスのイメージでもありましたが、少しづつ変化も現れています。

◆ 昔馴染みの地より

上の諸国と比べて交流の長さが断トツに長いので定番の流れ、最初はお馴染みの地名からのスタート。
珈琲貴族エジンバラ
新宿珈琲貴族エジンバラ 1975年開店
最初は漢字がクラシックで似合う、牛肉料理「倫敦 神田区 『東京案内1907』掲載」喫茶店「倫敦屋 日比谷 1958年頃」「ろんどん屋 渋谷 1979年」「フロム・ロンドンカフェ 西小山」ビジネス系大阪発の「英国屋 大阪市 1975年1号店、新宿店不明、東京大丸店2007年」は豪華高級志向の店でした。
地名は多くの喫茶店に愛用されていて「アスコット 芝公園(東京プリンスホテルラウンジ) 1964年」「ウィンザー 銀座 1961年、日本橋1965-2009」「WINDSOR(ウインザー)麻布十番 1975-2015年」「カンタベリ 高田馬場 1973年」、「珈琲貴族エジンバラ 新宿 1975年」は最初は「珈琲貴族」で創業者が訪れた古都スコットランドの首都エジンバラに強い印象を売れて1995年に追加された店名。
ビクトリヤ
根岸ビクトリヤ 1965年開店
ローストビーフの洋食「シャーウッド(イングランドの都市ノッチンガムにある森) 新宿 既に閉店(2回再掲)」、駅名2店ビストロパブ「ウォータールー 銀座 2014年」ビアパブ「Aidgate(オールゲイト) 渋谷 1995年」ロンドンの街中エリア「カムデン 池袋 2007年、3店あり」「St.James(セント・ジェームズー最古の宮殿と公園名) 歌舞伎町 2008年」。写真はビクトリア駅の地名からの洋食「ビクトリヤ 根岸 1965年」。
シャノンズ
大崎シャノンズ 1999年
パブでアイルランドの「THE GRAFTON(ダブリンのグラフトンストリート) 五反田 1998年」最長の川の名の「シャノンズ 大崎 1999年」同く町名の「TULLAMORE(タラモア) 富ヶ谷 2005年」同名のウィスキーの銘柄名でもあります。スコテッシュパブも多くスコットランド北部の漁港の町名「Helmsdale(ヘルムズデール) 南青山 1996-2020年」。変わった店名は「SW11 Kichinn(エスダブリューイレブン キッチン) 神宮前 2011年」はオーナーが住んでいた住所のポストコード。
ブリテン島に移住してイングランド王国を築いた民族のアングロ-サクソン人から命名の欧風カレー店「サクソン 赤坂 1964年」。カレー自体がイギリス経由の料理で高級志向のこの店では今は懐かしいカレーポット(イギリス発祥の肉汁グレービィソースの入れ物だったそう)が付いてきました。レストランカフェ「トップス」に統合する以前のかつての内装もイギリスのパプのような雰囲気。
イギリス人の擬人化のJohnBullジョンブルの呼び名でも喫茶店「ジョンブル 神楽坂 『東京たべあるき地図(昭文社)1975』掲載」フレンチ「ジョンブル 丸の内 2004ー2014年」。この2店は既に閉店していますがステーキ店「JohnBull(ジョンブル) 調布市柴崎 1970年代」は人気を保っています。個人名「JOHN(ジョン) 代々木上原 2011年」はお店の店づくりがロンドンっぽく、誰でも呼びやすいジョンの人名を付けたといいます。
アイルランド民族名はケルト人「CELTS(ケルツ) 大崎 2012年、10店近く展開」、「Celtic Moon(ケルテックムーンーケルト地方の月) 国立 2013年」はアイリッシュパブ

◆ 王国の国の人々

伯爵
池袋伯爵 1976年
イギリス=ロイヤルな国で喫茶店は「キング」「クィーン」「カフエプリンス 浅草 1909年」戦後の有名店「新宿プリンス(『ロイヤルなベタな店名』掲載)」「プリンセス」写真「伯爵 池袋 1976年」「男爵(バロン『ロイヤルなベタな店名』掲載)」もイメージとして多く登場。キングストン(王の町)、キングスロード(王の道)「キングダム(王国)」なども。
「The King's Arms(キングスアームス) 赤坂 1954年」は王の紋章の意味、イギリスにもよくある店名で、この店も最初は英国人オーナーだったそうです。
神戸にはかつてローストビーフで日本中に知られた「The King's Arms 神戸市 1950?1953-1995年」があったそう、大震災で解体されたとネットにはありました。この店のパンフレット所持の方のブログを見るとアジア最初の英国パブ、店名の意味は近衛兵(王族直属の兵隊、armsは一般的には腕の意味なので王様の右腕の意味でしょうか)。
キャプテンクック
広尾キャプテンクック 
2015-2020年
歴史上の人物からはケーキ店「VICTORIA(ヴィクトリア) 銀座 1927年、1964年に12店舗最後の新橋店2015年頃閉店」は看板に国旗のユニオンジャックを掲げてました。「VICTORIA」は1970年代AV(アダルトビデオではありません)の競い合いとしてアマンドとヴィクトリアの銀座の洋菓子系喫茶の二大巨頭でした。(週刊誌の記事掲載)
フレンチ「ジョージアンクラブ(ジョージ国王の治世時代の建築様式) 西麻布 1995-2006年」イギリス料理の「Captain Cook(キャプテンクック) 広尾 2015-2020年」はイギリスの探検家。
上の紋章にもあるライオン、ハロッズにオマージュするデパートの三越の入り口のライオン像はトラガルファー広場に居るライオンと同じもの。同様の由来はコラム「ライオン(銀座)」コラム「名曲喫茶ライオン」もイギリスのパン屋から。同じくイギリスにあるレストラン名の「スコット」も。以前上げた劇場名「グローブコーヒー
クラウン
浅草クラウン 1961年
紋章はバラ(『バラとユリ』)や王冠も「クラウン 浅草 1961年」先頃改名したパレスホテルのフレンチ「クラウン 丸の内 1964-2019年」以前アップの「ROSE&CROWN(ローズアンドクラウン)
アイルランドはほとんどパプですが、最近のオープン「巨人のシチューハウス 戸越 2015年」はオーナーがアイルランド人の方、身長も2メートルもある高身長であることと巨人伝説(ジャイアンツ・コーズウェー、世界遺産巨人が造った石道)から。店名の通りアイルランドの家庭料理シチューのレストラン。
ジャックと豆の木
東中野ジャックと豆の木
続くは童話の世界、子供時代には一つは聞いたことがあると思う喫茶店「ジャックと豆の木 渋谷 1979年ガイド本掲載、写真は開店年不明」「マザーグース 池袋 1978年」カフェ「まざあ・ぐうす 吉祥寺 1982年」「三匹の仔豚」「ピーターパン」「ガリバー旅行記」「ピーター・ラビット(自由が丘)」「くまのプーサン」「メリーポピンズ」「パディントン」。
特に影響が大きいのはルイス・キャロル『不思議の国のアリス(『『【すきな外国人の名前】』)』、笑い猫や三月ウサギやハンプティダンプティとか魅力的なキャラいっぱい、色々なや店名にチョコチョコ使っています。さすがに最近のハリポタはありませんが・・。
クリスティー
原宿クリスティー原宿 1980年開店
大人になったらミステリーとファンタジー、アガサ・クリスティからの紅茶店「CHRISTIE(クリスティー)  原宿 1980年(再掲)」コナン・ドイル作「シャーロック・ホームズ 八王子 2000年」、トールキン『指輪物語』のホビットの世界等。
新しい分野ではブリテッシュロックの世界、ビートルズ、クィーン、ローリングストーン、レッドツェッペリン等とその楽曲名、多数存在すると思いますが、ただ確認できるのは和食の「伊真沁(イマジン) 赤坂 1988年」、ビートルズの楽曲名。音を借りて『伊ただひたすら 真ほんもの 沁は心に沁みる』コンセプトを漢字に込めるタイプの命名。同じく『PENNY LANE(ペニーレイン)』も新旧カフェ店名がありますが未確認。リヴァプールの通りの名で彼らの思い出を歌った曲とか。

◆ ティールームとパブの国

ケンジントンティールーム
南池袋ケンジントンティールーム  
1999年開店
パブのウィスキーやビールと並ぶ飲料の分野、紅茶の世界はブランド名オンパレード『紅茶・ティー』。大阪にあるような「ロンドンティールーム 堂島 1983年」がデパートにかつてはあり、今はホテル系が豪華なアフタヌーンティーを提供しています。
英国風では残り少ないデパート内の「ケンジントンティールーム 南池袋 1999年」はケンジントン宮殿ののある高級地エリアの雰囲気のように優雅で高級感を演出、本場のイギリスのような気分に。 以前アップのブランド名ではなく、全部地名のティールーム「セントクリストファーデン 自由が丘 1999年」「モンマスティー(ロンドン市モンマス通り) 千駄ヶ谷 2004年1号店」「メイフィールド 自由が丘 2012年頃」「ベリーズティールーム 浜田山 2013年」。珍しいアイルランド語の木の意味のアイリッシュティー「crann(クラン) 上板橋 2012-2017年」
料理と同じくスイーツも紅茶の友スコーンのように地味目。「Lazy Daisy Bakery(レイジーデイジーベーカリー) 湯島 2016年」はお店のキャラクターのハリネズミの名ディジーで頭のレイジーはネットではのんびり屋。イギリスでは庭にハリネズミが住みつくと幸せを連れてくるという言い伝え。
オーナーの親類のドーセット州のケーキ店の出店「MALBERRY MANOR(マルベリマナー) 三軒茶屋 2018-2020年」。焼き菓子「菓子屋NOOK(ヌック) 金町 2021年」はイギリス菓子ではないようですが、店名はスコットランドの建築用語で隅、部屋の片隅、東京のスミッコでやるのでピッタリと決めたそうです。
パプカーディナル
銀座パプカーディナル 1966年開店
イギリスではユニークな店名が多いので出版物も多いイギリスの食べ物屋の中心はパブリックハウスの略してPubパブ。
日本では1965年頃からでビジネス系の最初は「パプカーディナル 銀座 1966年」、同名店がイギリスにあり教会高位者の枢機卿の意味。
食べログ最古はイギリス人青年のオープンした「The Rising Sun(ザ・ライジング・サン) 四ツ谷 1974年」になるようです。意味は朝日、日出る(日本の別称か?)
上のアップの地名以外にも多くあります。イギリス風かなと思うのは「What the dickens(ワットザディケンズいったい何なんだ?) 恵比寿 1995年」「テップラーズアームズ(酔っ払いの紋章の意味) 麻布十番 2009年」。
ザモンキーチューズキッチン
蒲田ザモンキーチューズキッチン 
2014年開店
両店とも本国にあった店名(映画の題名にもある)からの「ザ・ワールド・エンド 上野 2012年」世界の端、要は行き止まりに位置するパブ?、パプではないのですがイギリスのパプの店名からのビストロの「THE MONKEY CHEWS KITCHEN(ザモンキーチューズキッチン) 蒲田 2014年」、本国のチェーンパプ「HOBGOBLIN(ホブゴブリンーいたずっ子妖精の名) 赤坂 2000年、六本木2010年」。
ビジネス系で多くの店数を誇るのはかつてはダイエーの創業者が英国PUBに感動してオープン、業態内容も含め紆余曲折を経て「かと吉」傘下の若者向け「BRITISH PUB HUB(ハブ最初頭イングリッシュ2009年に変更) 六本木 1981年、1号店三宮1980」と年配者用「82(エイティトゥ)エールハウス 神田 2005年」、店名ではなく各々頭の、尻尾で英国風とわかるタイプ。
ウィスキー銘柄名も、キリンビール経営レストラン「ストラスアイラ(スコットランドの銘柄、醸造所) 銀座 1988-1996年」、「The Royal Scotsman(ロイヤルスコッツマン) 神楽坂 2011年」はスコットランド料理も自慢のガストロノミーパブ。
食べの屋の範疇には微妙なんですが、スポーツパブを増やしたイギリス人愛好者多数のサッカー、サッカーパプの老舗「THE FooTNiK(ザフットニック) 恵比寿2001年、大崎店2007年最初高田馬場1996年」。フットはフットボールのサッカー、ニックはロシア語の行う人、熱心に携わるからの造語、酒を酌み交わし試合を楽しみ交流も楽しむ、サッカーと道連れする者たちの意味でしょう。
シャムロック
六本木シャムロック 2012年開店
アイルランド系のパブもビジネス系中心で多くあります。「ダブリナーズ(タブリン市民) 新宿 1995年」、ウィスキー銘柄名「Abbot's Choice(アボットチョイス) 六本木 2004年」と同じ会社アイリッシュパブ、親しみやすい店名にということで写真の「シャムロック 六本木 2012年開店(『 花も実もあるけど』掲載)」
個人店を3店「Failte(フォルチェーゲール語の歓迎) 渋谷  2007年」「The Cluracan(ザクルーラカーンー酔っ払いの妖精の名) 高円寺 2010年」「An SOLAS(アンソラスーゲール語の光) 代々木 2014年」
華やかな飲物中心パプやティールーム以外の影の薄いイギリス料理専門店は上記「キャプテンクック」「1066」「AL'S CAFE(アルズカフェーオーナーアランさんの愛称?) 高田馬場 2012-2018年」長く続くのが難しいようです。国民食フイッシュ&チップス専門店が一店「MALINS(マリン) 六本木 2014年」、1860年にロンドンにあったフイッシュ&チップスの一番最初の店「ジョセン・マリン」に由来。

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日本地名は・・・四方八方へ

尾張屋
京都本家尾張屋 1465年開店

江戸時代までは店主の出身地、江戸時代末、明治時代にかけて、お店の住所の地名、またはブランド化した、近江屋、尾張屋、大坂屋の地名と変わってきています。
地名は出身地の明治から大正にかけて、親戚一同も同じ店名で暖簾分けのような関係で、同じ店名がわっと増えていました。今は一軒のみの「気賀亭」静岡県の地名です。
都市別に調べていないのですが、東京は他の街にくらべ、日本中の地名が多いのかもしれません。
古都、京都のガイドエッセイを多数書いている柏井壽さんはエッセイの中で尾張屋、近江屋の例を挙げて『真っ当な店のしるし、故郷を忘れることなく誇りを持って地名を店の名前にしている』と安易に京の店名を冠するお店、京ブランドに頼る姿勢を苦言を呈しています。
写真は京都の蕎麦屋の老舗「本家尾張屋 1465年創業」、最初はお菓子屋で始まり、1700年ころ、お寺に蕎麦を収める御用蕎麦司と認められたとHPに書かれています。全国100店以上ある蕎麦店尾張屋の中で一番古い店。

● 店のある地名

日本橋イチノイチノイチ
日本橋イチノイチノイチ
2008年開店
最近のパルやスタンド珈琲店を調べていたら、店の住所の有る地名が多い。地元に馴染み、利用をしてもらうための仲間意識の向上のためですね。
写真の「日本橋イチノイチノイチ 2008年」は所在地であることはもちろん、江戸時代の街道の始点であったことから、ここから文化、伝統の発信をイメージしている店名(経営ゼットン)
もちろん、大阪からやってきた「まいどおおきに食堂」のような食堂のある地名を付ける経営方針のチェーン店もありますが。
『大衆食堂の研究 遠藤哲夫ほか 三一書房』のなかに東京に大衆食堂ができたのは1918年(大正7年)。東京市立の「神田食堂」という簡易食堂(公益食堂)が1号店、2号「神楽坂食堂 1920年」「九段食堂 1921年」「深川食堂 1923年」と16か所造られたそうです。
常盤食堂
笹塚常盤食堂 1918年開店
市が造ったこの食堂は所在地の地名がつくもの。これが「聚楽」の始まりの「須田町食堂」の民間の食堂へ継がれていくようです。食堂の頭は官制の匂いがして、民間ではそれまで「めしや」の看板が主だったとか。
その後は出身地、所在地が交ぜながら1960年代までやった来ます。
写真の「常盤食堂 笹塚 1918年」は『大衆食堂の研究』に取り上げられていたのですが、最初カフェとして開店しました。創業者の故郷の地名からで、以前アップして「とき和食堂」とは系列がちがいます。
所在地名でよくガイドにのっている大衆食堂は「代官山食堂」「森川町食堂(食堂もり川の暖簾) 本郷 1907年頃」『東京・横浜百年食堂』に載っている「入谷食堂 1923年」「銀座ホール(砂町銀座にある) 1938年」「野方食堂 中野区野方 1936年」
開店年は不明で『大衆食堂の研究』の昭和30年代雰囲気の「市ヶ谷食堂」「大坂屋食堂」「大森食堂」「御徒町食堂」「大衆食堂福島屋」「「山形屋食堂」「六本木食堂 1959年」など。

● 遠くの地名

高度成長期に地方、田舎から都会へ多くの若者が集団就職でやってきました。慣れない生活の中で、故郷の思いを汲んで故郷の料理、郷土料理の看板での食べ物屋がでできました。
このころのガイドブックでは『味の東京 1956年』は9店『東京いい店うまい店 1967年』12店、「東京うまい店 1969年」は21店の紹介でした。 遠方の東北、九州、沖縄の料理店中心。
長く刊行してきた文藝春秋のガイドから郷土料理の項目がなくなったのは2000年中頃のものから。代わりに肉料理の項目で素材名、牛肉、豚肉の名が料理の名前の項目、すきやき・ステーキ・たん料理ととんかつ・串揚げ・肉料理のふたつに分かれて載っています。

長崎楼
日本橋長崎楼 
  このガイドに載っていた店は地方の大きな蔵元の店「樽平 新宿 1927年(銀座店既に閉店)」「有薫酒造 銀座」と有名料理研究家の店「北畔 上野」以外は閉店しています。
70年代のガイドの紹介の「長崎楼 日本橋」は2代目の看板で頑張っています。「リンガーハット」の躍進もあって、長崎といえばチャンポンのお店です。東京の長崎の地名の店名ではほとんどチャンポン、皿うどんが中心です。同様に広島といえばお好み焼きになっています。

● 食材の地より

単品一本勝負の店の増加は、地方の名産の堀起こしも兼ねて、B級グルメの大会も開かれ、富士宮焼きそば、宇都宮餃子など地名と料理が、またうどん県香川県のように県全体で盛り上げている場合もあります。
最近の地名のそのひとつ前の流行は地産地消の関連で、食の産地名が急増していました。
居酒屋やダイニング系は食材の産地を明らかにする宣伝効果もねらい、九州、四国、北海道、震災後の東北など。特に東北はシェフ達が応援したい心意気で、セカンドラインの店を持ったりしています。「ボッソ(BOSSO) 日本橋 2009年」は房総、「ガンビーノ(岩手県 ガンは岩) 青山 2011年」、「ボアヴェール(青森県、仏語の直訳) 西新橋 2000年」など。食材の店名が大量出現しているので、代替えもあるのでしょう。

● 再び昔の地名へ

越後屋若狭
越後屋若狭 
元文年間(1736-1741年)開店
もう一つが、老舗らしさの強調の江戸時代の藩地名がつけられること。
越後屋は現在、炭火焼干物食堂を数展開しているフードビジネス系食べ物屋「越後屋 新橋 2005年1号」が急増しています。
創業者は居酒屋の「八百八町」オーナーの指南を受け、江戸時代の食堂をつくったとインタビューで回答。屋号プラス名前で名前は個々バラバラの展開。「越後屋竜之介」「越後屋玄白」「越後屋八十吉」「越後屋喜八郎」「越後屋長兵衛」など、店の個性を押し出したかったとのこと。
どの業種にも多い越後屋、伊勢屋、近江屋、三河屋と同じように有名店も多いです。食べもの屋ではへぎ蕎麦関連で蕎麦屋が多かったです。お酒も有名なので居酒屋も兼ねた店もおおいです。
老舗は和菓子の「越後屋若狭 両国 1736-1741年の間の開店」洋食「からす亭 赤坂 1931年」は最初越後屋として開店、「駒形どぜう 駒形 1801年」は最初めし屋の越後屋から

● 東京近郊の地名

武蔵野
巣鴨武蔵野 1952-2016年
近隣はかつて関八州と呼ばれたエリア武蔵、相模、上野(コウズ)、下野(シモツケ)、上総(カズサ)、下総(シモウサ)、安房(アワ)、常陸。神奈川県から茨城県まで、江戸時代までは多くありましたが、東京周辺での地名は「武蔵野」「武蔵屋」がバラエティの富んでいます。他には「上総屋」「下総屋」が若干あります。
武蔵は荒川と多摩川に囲まれた西部地区の地名で、神奈川県、埼玉県のエリアも含みます。
国木田独歩の『武蔵野』、大岡昇平の『武蔵野夫人』で日本中に知られていました。
江戸の向島の料理茶屋「武蔵屋」、『江戸買物独案内』にも記載がある。和菓子屋も多いが、最初和菓子屋の「むさしや 新橋 1885年」で、1971年に洋食へ転向しました。「とんかつ武蔵野 上野御徒町 1948年」「スパゲッティ武蔵野 府中市 2006年」、バリバリの新店「ムサシノバル 三鷹 2015年」
店数が多い横浜家系ラーメンの「武蔵家 吉祥寺 1999年」。蕎麦屋も多く、写真「武蔵野 巣鴨 1952-2016年」が古そうです。ご当地メニューの武蔵野うどんのお店もどっと増えました。
茶房武蔵野文庫
吉祥寺茶房武蔵野文庫 
1985年開店
喫茶店も「武蔵野茶房 新宿 1931年」「武蔵野珈琲店 吉祥寺 1982年」、1984年に閉店した「早稲田文庫」を引き継ぐ「茶房武蔵野文庫 吉祥寺 1985年」新宿とは関係ない武蔵野台地に展開するケーキ店もある「武蔵野茶房 田無 1989年1号店」
東京スカイツリーの高さからの店名「634 MUSASHI(むさし) 2012年」、スカイツリー展望デッキのレストランがテレビでも取り上げられ、さらに武蔵野の名が印象付けられました。
間違えやすいのは「カフェ634(ムサシ) 東銀座 2004年」は名前の方の武蔵。学生時代の愛称で相撲の武蔵丸に似ていたから(『オールアバウトの記事から』)。

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個人名

フランスでは個人名が中心です。大きなアベニューにも建物にも個人名でいっぱい、有名なエッフェル塔も個人名。ブール・ミッシェルも聖人の名前。街角にあふれる銅像、石像、英雄の姿であふれています。
日本の場合は先祖の名前は別ですが、有名な個人の名は避ける傾向にあります。無宗教の国といいながら、根本は祖先信仰があります。鎌倉八幡宮は源頼朝、日光東照宮は徳川家康。明治神宮は明治天皇、少し方法は違いますが荒ぶる魂の鎮魂の天満宮の菅原道真。奉りながら、畏れてもいるのです。亡くなったら仏になる。
源義経や織田信長、豊臣秀吉など人気がありますが、0ではないが、少ないです。

利休

日本橋利久
日本橋利久庵 1952年開店

少ないとは言いながら、茶道の始祖、利休は料理の名前にも名称が使われています。日本橋の蕎麦屋「利久庵 日本橋 1952年開店」は休の字を商売を休むので、語呂が悪いとの考えで、利久と変えて、店名として使われています。(別の資料では修行先の地久庵の一字を使ったとのこと)

一休、一茶

言わずと知れた頓知の一休さんと俳人の一茶。一休は一休納豆にも名を残しています。
利休のように休を変換することなく、使われています。一休み(場所)からの連想からでしょうか。
一茶は「おらがそば」俳句のように蕎麦屋に一茶庵系が多いこともあります。NTTのタウンページを検索すると、一嵯、一心、一季、一菜、一新、一誠らのように似たような店名が出てきます。

太郎、次郎その他

浅草金太楼
浅草金太楼鮨 1924年開店(本店)

誰かの名前のような、誰の名でもないような日本人の典型的な名。
イギリスのジョンとか、フランスのピエールのような国をイメージする太郎という日本人らしい名前。
童話の桃太郎が知られています。やきかつ「桃タロー 浅草 1936年」や「桃太郎すし 高円寺 1980年」、伝説の金太郎もいます。茶漬け屋「魚屋金太郎 四谷通リ淀橋 江戸買物独案内1819掲載」鮨屋の金太郎は創業者本人の名の場合も多いです。「金太楼 牛込神楽坂 東京案内増補改定1881掲載」
「金太楼 浅草 1924年」は今の場所に移るまえの「金多楼 神田須田町 1929年」の主人と父親が親しく店名を字替えをして使わせてもらっているそう(『江戸前ずしに生きる』より)。
金の字だけ本名からとっている事例も多くあります。天ぷら屋「天金 銀座 1864-1970年」洋食の「河金 浅草 1918年」ほか
明治以降の傾向です。居酒屋に多い系列で、甘太郎、魚屋太郎、仙次郎、源次郎。最近の傾向としては食材の名をつけて、豆次郎、まめ多、モツ兵衛、とん兵衛、酔の助ほか。
古さを感じさせ、信頼感を増す店名として付けられるのでしょう。

ナポレオンからマリリンまでー外国の名前

 日本人の有名な名前は避けられますが、外国の名は別のようです、
外国の店名をいち早く取り入れたカフェは「カフェ通 酒井重人」のなかに書かれているように映画に因った名前が最新の流行ということで、マノン、カストロ、クラウス、ルパンが挙がっています。
カフェから分かれた喫茶店はこの傾向を引き継ぎ、音楽喫茶のバッハ、ショパン、モーツァルト。画家のモネ、ルノアール、ルオー、ドガ等。

額縁のイラスト

戦後はアメリカ文化の普及もあり、英語の名前が増えます。
マガジンハウス(元平凡出版)が名前を付けた雑誌を次々と発刊しますが、その影響もあるのでしょう。アンアン(パンダの名前)、ポパイ、オリーブ、ブルータスはスアメリカンカジュアルフッション誌。そしてハナコ(1988年創刊)。

銀座エスコフィエ
銀座エスコフィエ 1950年開店
フランスの英雄ナポレオン、アメリカの女優マリリン・モンローも付けられています。トム、アン、エミー、ロビン、カレンほか。
ファミレスのジョナサンもアメリカでもっとも一般的な名前だから付けたとあります。
ヨーロッパ系は芸術家が多く、アメリカ系は一般的に多い名前が多いです。余談ですが、名前が雑誌に付けられる傾向はここ10年多くなり、レオン、ニキータ、マリソル、ニコラ等。
 フランス料理店はフォーマルな店のため、どこかのビエール、マリーとはいかず、近代フランス料理の名料理人の名前から「エスコフィエ」、「カレーム」、「プチ・ポアン」、美食家の名前、アピシウス、マリー・アントワネット、アンリほか、有名人が多数。
イタリア料理は文化的な浸透が今ひとつのためあまり多くないようですね。

神様関連

柳橋大黒家
柳橋大黒家

当り前のことですが、多いのは大黒屋と恵比寿屋でしょう。大黒は食の神様、恵比寿は商売の神様、飾り物の七福神によく登場します。
江戸時代後期の登場で、向島の魚料理屋、大黒屋孫四郎。にぎりにまぐろを使用したとしてしられる恵比寿鮨が百科事典に載っています。
両神は現在も鮨屋に多く、また有名な大黒屋という天婦羅屋もあります。七福神の系統では弁天、ほていもみかけます。
稲荷は伊勢屋と同じく狂歌で揶揄されるように江戸に多い神社です。農業の神様ですので、店名も多いのかと思いましたが、まだ神通力があるのか(御使いの狐の怖さ?)実際は稲荷寿司位が有名で少ないです。
直接、神社の神様の名が付けられない時は、護符、お守りの意味で神紋が使われます。
武士の守護神八幡神社の神紋、巴は江戸時代からみかけます。鮨屋、料亭、蕎麦屋、元武士の商売なのか、歌舞伎の影響なのか不明です。
 仏教は葬式に結びつくてためか、あまりみかけません。精進料理の発祥源である禅関連の店名が多いのかと思いましたが、少しだけ禅の店名の和食店をみかけるだけです。
京都の佐阿弥は料亭の発祥ともかかわりがある僧侶名ですが、いまひとつのようです。人気の空海も最近ラーメン屋にあるだけです。
インドの僧、達磨は縁起物になっているので純粋に名前の意識は付けるほうにはないと思います。

溜池山王オーバカナル
溜池山王オーバカナル

外国の神様はさすがにイエス・キリストはありませんが、関連言葉はみかけます。
喫茶店のマドンナ、ロザリオ、アンジェラス、エデン、多いのはエンゼル、仏語でアンジュ、天使のことで、神の使い。日本の狐とかカラスと同じ゛というとお叱りを受けますね。フランス料理にも、イタリア料理にもみかけます。
ギリシア神話関係は外国にもあります。日本の八百万の神に似ているからでしょう。ビーナス、バッカス、ジュピター等、パラパラあります。
特にバッカスは酒の神様なので、バー関連に多いです。戦前から銀座、渋谷、戦後は恵比寿などで確認できます。
1995年開店「AUX BACCHANALES(オーバカナル)」は古代ローマのバッカスの蔡りからの店名、乱痴気騒ぎの意味も。原宿店は2003年に閉店しましたが、赤坂、銀座等各店は今も人気店です。ブラッスリー、カフェ、ブランジェリーの揃った使い勝手の良いカフェが愛される要因です。
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植物名

日本人は無類の植物愛好者。地名、姓名にも植物名が多くつかわれます。
必然的にも最初に地名、次に植物名という順番で出現します。松竹梅はほとんど賀字となっているので、それ以外を考えて見ます。

藤屋

藤は藤色が高貴さを、藤波の房が稲穂の実りの豊穣を、古木が多く長寿の願いをかなえるというイメージの満点の樹のため、江戸時代から店名としてつけられています。
でも、藤は難しいです。なにしろ四姓のうち、一番栄えた一族、藤原氏。この姓からつけられることも多いと考えられます。
この姓に関連する姓名はあ行だけでも、阿藤、安藤、伊藤、江藤、遠藤等。ひらがなのふじ屋になっていると藤か、富士かわかりません。
お菓子屋の不二屋は藤井の名からつけたとか。富士山の意味も含めているそうです。
とにかく、多い店名ですが、外国系は少ないようです。英語でウィスティリア、喫茶店に2件程度。藤は日本独自の植物とか。日本らしいが、外国にはなじみにくいのでしょう。

菊屋

江戸時代の中期から菊ブームで江戸っ子に愛される花となりました。
日本人は植物でも草木のうち、萩や椿や梅等木々の方が優勢で、草系は少なかったのですが奈良時代に中国からはいってきた菊は別格。その香、姿、飲むと長生きできるという長寿の象徴。
何よりも皇室のシンボル、日輪、として君臨する花の中の花。菊花宴、重陽の節句として秋のの行事として開催される華やかさ。紋、文様にも多用されます。
店名は江戸っ子の好きな鮨屋に多い。ただ天皇家への配慮か、喜久への字替えが多く見かけます。菊水という関連の店名もあります。

柳屋

柳は春の使者。枝を地に挿すと樹になるということで再生の力があり、中国では街路樹として、植えられていました。
日本でも銀座の柳が有名。鮨屋、和食に多いです。より、強調する青柳も付けられます。和菓子屋にとても多い店名です。
名古屋の青柳は領主から拝領した店名(江戸時代の栄えた山梨県の青柳地区からかは不明)が有名ですが、系列ではないようです。
洋ものへの広がりは銀座のフランス料理屋、歌に歌われた"銀座の柳・・"のイメーージ「ロジエ」が有名なだけで、洋食関係までは伸びないので、日本関係に留まっている店名です。

賀字名

結婚式に割れる、別れる、切れる等避けなければならないの忌み語ありますが、それと反対に祝い事に登場するのが、賀字です。いわゆる縁起が良いと言われる字からの名づけです。

松竹梅、鶴亀

神田まつや
神田まつや 1884年開店

本来は植物名、動物名ですが、日本では長く吉事に登場するのが、この二つの組み合わせ。
松竹梅は寒い冬に強い姿を見せる歳寒の友として、尊ばれ、鶴亀は鶴は千年、亀は万年として長寿のシンボルとして使われます。
祝い事のお菓子、蒔絵等の箱類、衣服の文様、屏風等のインテリアほかにあふれています。江戸、明治時代には松太郎や竹次郎、お梅、お亀、お鶴など名前に使われています。名前からの庶民的には江戸時代からよく通称店名としてあったと考えます。
資料に残っているのは松すしでしょう。屋号は柏屋でしたが、名前の松五郎から松すしとも呼ばれていたようです。
鮨屋にはとにかくこの松竹梅、鶴亀は多い。さらにイメージを強化するために松栄鮨、紅梅鮨、亀八鮨と賀字を付け加える例も多いです。
洋食系では松がパイン、ピーノとして見かけます。

玉屋

両国玉屋
両国玉屋 1919年開店

これも鮨屋に多い店名です。本来は呪術に利用される鉱物を加工した球形のものを言うのですが、よく見かけるのが占いの水晶球ですね。天皇家の三種の神器のなかのもあります。
太陽や月、店名としては美称から付けられることが多いものです。
御霊にも通じるとして、玉のようあかちゃん、玉の輿、玉椿、玉露、ランク上げに付けられます。人の名前にも多かったと思いますが、今は猫の名前のたまでしょうか。

福禄寿

人形町来福亭
人形町来福亭 1904年開店

中国の方が願う三大願望だそうです。日本では七福人の一人として合体していますが、ひとりひとり別の仙人として描かれています。福が幸運、禄が金運、寿が長生きの願望を(米寿、白寿)表します。
やはり鮨屋に多く、ことぶき寿司、福鮨。富久すしと字替えもあります。
日本人も願いはは同様なのですが、禄以外、造語の組み合わせに寿、福はよく見かけます。
明治後期の洋食、来福亭、福壽軒、現代のダイニング、福はうち、福炎やほか。もちろん中華とその流れのラーメン屋は多いです。
寿はもちろん福と同じようよう、和食、洋食に使われますが、フランス語ジュの当て字として、アン寿、寿アンなどとれ利用されています。福の英語ラッキー(グッドラック)は喫茶店、仏語ボンヌシャンスは時々フランス料理屋であります。
昭40年の喫茶店で、セブンがありますが、こちらはラッキーセブンから付けられ、数字の7が幸運を呼ぶとして尊ばれたようです。
禄はどうしてかわかりませんが、少ないです。

江戸時代の名前の末尾によく出できます。亀吉、三吉とか、良吉とか。辞典ではめでたいことの意。おみくじの大吉、中吉、小吉がわかりやすいですね。
ただ、地名にも、人名にも多用されていますので店名のつけた理由がわかりにくい面が多いです。芳、好へ変換も多いと思います。仏語ボン、伊語ボーノも多くつかわれます。

楽・喜・久

人形町キラク
人形町キラク 1946年開店

純粋な賀字とは違うのですが、准賀字みたいなものですね。鮨屋の気楽からの字換えで、喜楽鮨が多くあります。有名な料亭、新喜楽もあります。
楽は単独でも店名があります。有名な天ぷら屋、楽亭。フーディングの先駆け、下北沢のそうざいや楽はこの字を広く利用される一因です。同じような意味で、楽庵、楽座、楽蔵ほか。既製の言葉の字替え、縁楽、香楽、芝楽、季楽、造語の粋楽、旬楽ほか。
喜の字は組み合わせで多く、先の喜楽のほかに菊の当て字、喜久鮨も多い店名です。喜びが長く続くようにと祈念の想いがこめられたものです。名前にもよく使われるので、人形町の喜寿司や大阪からきた福喜鮨は喜の字は名前から取ったそうです。
漢字字源辞典によれば、喜は飲食のよろこびが大本の意味、もっとも食べ物屋にふさわしい字のようです。この三つの中でも一番使われています。
久の字は個人の名前に多く使われているので、そこからつけられることも多いですね。鮨屋の久兵衛はもちろん、久いち、寿司久、魚久、蕎麦屋のやぶ久、久寿屋、地久庵など。福の字替え、富久も多いです、この字の場合は読みがいくつもできるのが強みです。
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