洋食・各国料理ー海の向うから 2
中国・中華料理屋
中国・中華料理はなかなか資料も少なく、手つかず状態でした。やっと出版された『中国料理と近現代日本 岩間一弘ほか著 慶応義塾大学出版会 2019年』で日本の中国・中華の店を俯瞰することができました。
今も昔も本物、中国人のオーナー、料理人の店が多く、日本人の店名を見分けるのがとても難しかったです。知識不足で本国の方のレストランも日本人の店も混在しています。
『最強の店名か? 料理名ほか変幻版』の中の『中華』にも少し歴史を載せています。
長崎に江戸時代中頃から唐人街があり、幕末の開港以降、横浜や神戸は中華街が作られ、料理は多少は日本人向けになっているものもありますが、来日した華人のための本国そのままも。
歴史的にももっとも影響を受け、店数も和食に続く数がある業種。戦前のガイドはは支那料理店、戦後のガイド文芸春秋の『東京いい店うまい店1967年~』柴田書店『東京うまい店1963年~』は両社とも中国料理、中国・台湾料理として載せていて、一般で使われている中華料理とは呼んでいません。ガイドに載せる高級レストランは中国料理店として幅広いメニューがあり、庶民的なラーメン、餃子、炒飯の定食食堂的中華と住みわけがガイドではしていました。
業種の区別が店名から付きにくくなる中、唯一判断ができた中国・中華の世界も今は新しい風が吹き始めています。写真は現存の一番の老舗「聘珍樓 横浜中華街 1887年開店」由来は素晴らしい人々が集まる館という意味。
『中華』に概略ですが、江戸時代までアップしたので、明治時代から。
漢字2文字アラカルトー賀名、地名、名前から
漢文化の膨大な熟語、漢文の世界は江戸時代に深く浸透していて容易に漢字を組み合わせて作ることができました。2文字を基本に尻尾に楼や園、西洋料理も一緒に提供の店もあり軒も付ける形です。
『中華』にもアップした最初の店として記録にあるのは中国の方の「永和斉 築地 1879年」ですが、その後経済人渋沢栄一の発案で「偕楽園 茅場町 1884-1945年」創業、名付けも渋沢氏に寄るのもで中国の古典『孟子』から『古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能く楽しむなり』。
一度コラムでアップの中国の方の「漢陽楼」と「維新号(清代の憂国の志士たちが明治維新に学ぼうとして) 銀座 神保町で1899年開店、1948年に移転」、両店とも母国への愛国の想いの店名。
他に「會芳楼 神田 1898年」、以前もアップ「大勝軒」、「芳明 四ツ谷 1913年」「永利軒 牛込 1922年」「三光楼 下谷 1923年」
東京の震災復興後ぐっと増えていきます。有名店「雅叙園 目黒 1928年、最初芝浦で開店、目黒1931年から」は今も隆盛するホテルになって昭和の竜宮城と呼ばれいてます。中国の言葉『文雅叙情』からで、文化人や教養人が一日居ても飽きない場所の意味。
● 中国らしさ全開の2文字
「珍満 八重洲 大正末」「萬来軒 府中市 1924年」「秀華 銀座 1926年」「彩華 京橋 1926年」「福来軒 稲荷町 1926年」「信華 銀座 『大東京うまいもの食べある記1933年』掲載」「珍樂 日本橋 『大東京うまいもの食べある記1933年』掲載」「珍満茶楼 蔵前 1936年」が戦前。
写真北千住店ですが、日本のラーメンチェーン最古参「珍来総本店 梅島 1946年に浅草、最初製麺所として1928年」となっていますが、実際は店によって中華屋だったりする緩い中華料理チェーン店で、総本店も「中華料理珍来」の看板と暖簾。
天と皇、天帝(天子ともいう)は神の帝、皇帝は地上の帝(秦の始皇帝から名乗り)。古いのは「小洞天 日本橋 1944年」は古来中国で信じられている洞窟の中に広がる楽園の意味、美味しい食事を心地よいサービスの空間の楽園での願。台湾の支店「天厨菜館(テンツウサイカン) 渋谷 1971年」は天子、帝の台所の意味。
「天宝 渋谷 1968年」「天星苑 霞が関 1971年」「天鳳 中野坂上 1974年」「天苑 赤坂 1979年」「天心 清瀬市 1980年」「天厨 六本木 1983年」「天府酒家 池袋 1993年」「天悠 目黒 1995年、最初川崎市」「天天飯店 池袋 1998年」
聞いただけで中国の濃いデーィープワールドな店名もでできます。頭や尻尾が必要ないタイプですが、「天外天 千駄木 1990ー2020年」「壺中天 錦糸町 1997年」
「海皇(ハイファン) 赤坂 1974年、神戸1号店」「龍皇(ロンファン) 町田市 1980年代、リニューアル2012年」「皇庭餃子房(最初皇庭花) 幡ヶ谷 1998年頃」「皇華(ファンファー) 赤坂 1993年」「皇記 四ツ谷 2014年」「皇家飯店 外苑前 開店年不明2008年閉店(再掲)」
▲ クラシック賀字
「幸榮 本郷 1925年」「永新軒 新橋 『大東京うまいもの食べある記1935』掲載」「萬利 市ヶ谷 1948年」写真の「寿福 自由が丘 1958年」「福寿 上野 1978年」「盛運亭(文字通り運が盛り上がる) 南麻布 1983年」「兆徳(名前一字徳の字) 文京区向丘 1995年」「永利 池袋 1999年」「華福寿(ハナフクジュ) 門前仲町 2005-2019年」人が集まる意味の聚と「聚福楼(ジュフクロウ) 池袋 2013年」「福徳 台東区台東 2014年」「豊栄 茗荷谷 2016年」。
福は和食にも多いのですが、ほかにめでたい、よるこび、さいわいの意味の慶、祥、瑞は中国・中華に多いです。
「慶楽 有楽町 1950ー2018年(再掲)」「八慶園 湯島 1979年」「宝祥 六本木 1981年」和食でも人気の喜,嘉,楽も多くあります。『喜楽・きらく・KIRAKU』で3店ほど、「萬楽飯店 神保町 1912年」「喜久亭 上野 『大東京うまいもの食べある記1935』掲載」「永楽 小岩 1938年」食べログには「亀喜 三田 1954年」「榮樂 恵比寿 1960年、最初原宿」「寿楽 大森 1967年」「嘉賓 四ツ谷 1977年頃」「嘉泉 銀座 1995-2009年」食べログ掲載「嘉徳園 神田 2008年」「新広東菜嘉禅 銀座 2017年」
三つ文字の日本でもお馴染みの 福禄寿、七福神一人ですが、中国で天官として福星・禄星・寿星として三神になっています。ただ日本でも多い店名にある字なので現れたのは戦後です。「福禄壽 四ツ谷三丁目 開店年不明」「福禄寿 五反田 2017年」。伝説になっているのは麻布「キャンティ」のようなサロン的なセントラルアパートにあった「福禄寿飯店 原宿 『東京味覚地図1958』掲載」。薬膳中華「星福(シンフウ) 銀座 1988年」は福星の意味かどうか不明?。
□ ニュータイプ賀字
日本のように時間の長さ、永、千代、八千代よりも大きさ、広さの際限ないのがイメージに合うようです。宴会料理「満漢全席」からの全の字も中国らしい。「全紅華 原宿 1997年」「全聚徳 ゼンシュトク 新宿 2014年」「全家福 神保町 2010年」「全満楼 練馬区練馬 2016年」「福全徳 神楽坂 2018年」等。
大は「大雅楼 神保町 『東京味覚地図1958』掲載」「大観苑 永田町 1964年」「大三元 錦糸町 1980年」。大三元は麻雀用語になっていますが、本来は清以前の役人の試験科挙の三つの試験の首席を取ることを言います。
これ以外にタイホウと読む「大寶」「大豊」「大鵬」ビジネス系「大豊記 恵比寿1号店 2006年」
日本の店名でも増えているエンとユウ、リンも。ネットからエンは燕、縁、「燕来香 三軒茶屋 1999年頃」「縁苑 錦糸町 2015年」「縁香園(エンカエン) 神楽坂 2015年」「縁來家 巣鴨 2018年」、ユウは遊、游、「彩遊季 大泉学園 1989年」「旬遊記 目黒 1992年」以前アップ「遊猿(ユウエン)」。
リンは凛、臨、隣、麟「楓凛 国分寺 2017年」「香麟坊 大田区東六郷 2014年」「嘉麟香(キリンシャン) 外苑前 2018年」「瑞麟軒 千歳烏山 2018年」「中華凛凛 志茂 2018年」。
戦後の中国・中華料理の歴史の中では重要な位置にいた「中国料理研究部 湯島 1960年」、漢学者の救済目的で設立の「書物文物流通会(この店名で『東京いい店うまい店1967』掲載)」の食文化研究部。
ここで薫陶を受けたのが千葉県の「知味斎 柏市 1967年」、ここで修行の「知味竹爐山房、2019年閉店」になります。
知味の意味は中国の学者の『人莫不飲食也 鮮能知味也』からで、人は誰でも飲食をするけれど、よく味を知るものは少ないの意味(『料理王国2008.6月号』掲載から)。斎はここでは部屋(書斎のような)、坊、房と同じ意味。「中国料理研究部の支店の形の「知味飯店 御茶ノ水、本郷」「知味菜館 江古田」も開店していました。
ただ店名は多くは広がっていません。ネットでは「知味菜 巣鴨 1982年」「知味斎 江古田 1978-2017年」「知味観 大田区洗足 1964年、都立大学より移転」食べログ掲載「知味菜房 南千住 開店年不明」。柏市の「知味斎」の影響で全国ではまだ活躍しているようです。 ★TOP頁へ(中国・中華料理のTOP頁)★ ☆世界各国料理のTOP頁へ☆
地名
大河、黄河と長江、揚子江の二大河川にかかわる店名はなぜか黄河が極端に少ないです。黄色いイメージが日本ではあまりないのか、中国では皇帝の色で国旗にも使っています。揚子江は他に「麻布長江 西麻布 1997年」「俺の揚子江 銀座 2014-2017年」食べログにも10店近く載っています。河口近くの揚州の地名も使われています。
地名は中国・中華とわかりやすい店名。地名により料理の傾向もわかります。中国の四大料理の北京、上海、広東(香港)、四川。戦前は「浅草上海軒 浅草 1924年」「上海亭 銀座 1929年」「南京亭 小川町 『大東京うまいもの食べある記1933』掲載」「北京摟 神田 『大東京うまいもの食べある記1933』掲載」
地名ではなく本国の有名店にからむ店名も、「銀座アスター 銀座 1926年」「陶陶亭 有楽町 1919年」。アスターは当時、上海市にあったアメリカンのアスター・ハウスホテルから、陶陶亭は推測ですが、「陶陶居酒家」という清代(1880年代)からの老舗がありました。飲茶流行の初期の頃の大人気の「陶陶居 渋谷 1980年、銀座1982年」と同じくこの老舗のあやかっての店名でしょう。
● 1945年~
戦後は仕切り直しのように多数、特に田村町(現在の日比谷、新橋周辺、GHQやアメリカ大使館かあったため)一番最初の「新橋亭(シンキョウテイ) 新橋 1946年」から「中国飯店 西新橋 1955ー1968年」「北京飯店 新橋 『東京たべあるき地図1955』掲載」「四川飯店 田村町(現西新橋) 1958年、六本木1964年、現本店の赤坂1970年」
国名の「中国飯店」はオーナーがニューヨークに渡米後一度閉店。社員が引き継ぎ再出発「中国飯店 六本木 1972年」として他に多くの店と優れた人員を輩出、大きな影響を与えたそうです(『BEST of 東京いい店うまい店』)。
ほか古いのは料理四川と合わない店名とブログにある「香港園 目黒 1955年」。多くは中国人のオーナーです。
以後六本木・赤坂へと移り1979年東京オリンピック前後、ホテルにはフランス料理店とともに高級中国料理店もできてきます。「楼蘭 品川 1971年」、「南園(ナンエン) 西新宿 1971年」は京王プラザホテル内の香港系新中国料理のレストランでやはり多くの有名料理人を輩出。
黄河上流にある峡谷の地名で登竜門(鯉が登り切ると龍になれる伝説地)ともいう地名の「龍門 三田 1976年」、「龍天門 恵比寿 1994年」。河南省にある世界遺産の龍門石窟の西山龍門からの「龍門 西新宿 1967年」
海南島の観光名所「五指山 松陰神社 2007年、神田移転、戻って2011年」、世界遺産の道教の聖地「泰山 阿佐ヶ谷南 2014年」「泰山 恵比寿 2020年」
中国語の読みの店名も出てきます。「王府(ワンフーー北京の繁華街通名) 新橋 1965年」「華都飯店(シャトーハンテン) 三田 1965年、2012年六本木一丁目移転」「済南賓館(チーナンヒンカンー山東省の省都) 四ツ谷 1969ー2008年」、「YAN-XI(ヤンシーーYANは揚州の揚、XIは西安の西) 南池袋 『東京いい店うまい店'89-'90』掲載」、ビジネス系「胡同四合坊(フートンスーゴウファンー北京旧市街地名と四合坊は建築様式名) 広尾 1997年」と続きます。
明代の長編小説の『水滸伝』に出てくる梁山泊は実在の山東省の山の梁山の麓、今は水泊梁山と呼ばれる地、居酒屋やほかの業態に人気、「梁山泊 石神井公園 1976年」と「梁山泊 小岩 1990年」の2店があります。
フレンチやイタリアンでは地名は修行先がより細かい地名、地方の都市名になっていきますが、中国の場合は有名都市名、州名にとどまっていますが、徐々に増えつつあり「尖沙咀(チムサーチョイー香港の中心街の地名) 六本木 2010年」「圳陽(センヨー) 杉並区和田 2011年」は料理長のが修行した深圳(シンヨー)の一字を付けています。
戦後からラーメン・餃子チェーン店に押されて少なめの中華料理チェーン。一店全国300店以上ある「バーミヤン 町田市鶴川 1986年1号店」。中国の地名ではないアフガニスタンの地名になぜと思う方々多数。なぜ?と疑問を持たせるのは作戦のひとつでしょうか。かつてのシルクロードの中継点で東西の文化交流が盛んな地名に中華料理店に重ねて、人と人を結び付ける中継点でありたいとのこと。
▼ ひと味違う四川
違う変化模様なのは後から上陸の人気の四川料理店(『四川料理』)。辛い料理ブームとともに大量増殖中。
国内ではなく四川本場の修行したオーナーの「老四川飄香(ラオシセンビャオ・シャン) 麻布十番 2005、代々木上原から移転」は老、歴史を繋ぐ昔からの四川省(old四川)が漂い香るという意味。
歴史書『三国志』でも有名な四川の古代名から「巴蜀(ハショクー四川の古称)岩本町 2004-2015年 」「蜀郷香(シュウシャンシャン) 四ツ谷 2010年」「蜀彩 經堂 2011年」「天府舫(テンフファンー四川の古い呼び名、神の恵みのある土地の意味) 西新宿 2011年」
四川省省都の成都(セイト、中国語チェンドゥ)から「成都飯店 目黒区鷹番 『東京いい店うまい店1967』掲載」「成都 高円寺 1969年」「蜀食成都 両国 2010年」「リトル成都 飯田橋 2016年」「雲蓉(ユンロンー成都の古称) 吉祥寺 2018年」四川省にある山から「峨眉山 四谷三丁目 2000年」
人気は中国での四川料理店呼称「川菜館(センサイカン) 神田駿河台 2005年頃(写真)」の様に川の字の組み合わせです。「川香苑 センコウエン 新宿 2005年」「川府」「川味園」「川芙蓉」とバリエーション豊富に。
■ 地名ほかの王朝名
中国の王朝名は始祖に関係する地名(国名)がほとんどです、商(殷)、周、秦、漢、隋、蜀、呉、晋、唐、宋も店名に使われます。元は『易経』から、明の字は白蓮教(マニ経の影響を受けた仏教の一派)の明王から。清は明に対抗して火の徳を持つ明に勝てる水徳の清の字。江戸時代まで公文書はすべて漢字で表記の漢文(中国語ではありません)、舶来もの(外国製品)は南蛮渡とか唐物(カラモノ)と呼んでとても高価なブランド品でした。
「隋苑 浜松町 2001年」「唐宮 台場 1996年」香港から進出のスイーツレストラン「糖朝(スイーツなので唐朝をもじった唐の字を糖に店名) 青山 2002年」「唐園 上大崎 2004年」「唐苑 練馬区練馬 2009年」「唐文記 大門 2010年」「芳明 四ツ谷 1913年」「明之花 上野毛 2005-2020、最初原宿1986年頃」「明輝(ミンフィー名前明星の一字) 田町 1999年」「明華楼 八丁堀 2009年」「清華 大塚 1962-1982年、塩原に移転」「清華 末広町 開店年不明」「清龍苑 下北沢 開店年不明」「清緑園 巣鴨 2015年」。明と清の漢字は名前に多くつけているので、この中にはその例も含んでいると思います。
蜀は上の四川関係に、「春秋 広尾 1986年」は古代中国魯の年代記春秋時代 四季の移り変わりを感じてほしいので和食と同じ季節感を出したいコンセプトも含めています。
動植物名
動物では鶴は仙人の乗り物、仙鶴は千年以上生きた瑞兆の鶴。ただ亀は音が鬼、中国では亡者の意味と同じ音なので人気は今ひとつ。鶴亀は日本のイメージが浸透していて少な目です。
中国も日本も人気なのは燕、玄鳥とも呼び、伝説の商王朝(殷)の始祖契(セツ)を産んだのは燕の卵からだそうです。夫婦円満。兄弟の絆の象徴で、アナツバメの巣は言わず知れた高級食材の燕の巣です。
日本では気味悪がられるけど、反対に人気の蝙蝠、中国人がとても大好きな吉祥文様、蝠が福と同音で、五福棒寿、五福和合、万寿五福の絵に必ず五匹の蝙蝠が描いてあります。
欧米で人気の鳩と鷹と鷲は鳳凰の迫力勝ち、フクロウは鳳凰に対峙する不吉な鳥になっています。
〇 動物
火も吐くけど基本は雨と雲を連れてくる東の方向の守護神獣。四龍王の頂点にいるのが黄金の龍。飛龍、臥龍、青龍と組み合わせやすいので新旧にかかわらず圧倒的に多い龍。
龍=皇帝のイメージでは「龍口酒家(リュウコウシュカ) 幡ヶ谷 1993年最初蒲田」。皇帝の口に入る一番、上等な食の店の意味。
古い店から、「龍公亭 神楽坂 1921年、鮨屋として1889年(再掲)」「宝龍 1950年 神楽坂」「昇龍 上野 1957年」「白龍 新宿 1957-2004年」「登龍 麻布十番 1965ー1966年頃開店、麹町店もあり」写真「龍水楼 小川町 1967年」「龍の子(縁起の良い龍の字、店が小さいので子を付けた) 原宿 1977年(再掲)」「華龍本店 京橋 1998年」「XENLON TOKYO(シェンロンー神龍) 西新宿 1998年」「火龍園 豪徳寺 1999年」「龍祥軒 三田 2008年」「紅龍(ホンロン) 飯田橋 2012年」。
賀字との組み合わせがおおく大量にあふれていますが、龍一字の店も。「龍(ロン) 中目黒 1997年(再掲)」「龍坊(ロンファン) 代官山 2000年、最初六本木は改名」「龍(リュウ) 蒲田 2001年」「龍園 自由が丘 1972年」「龍圓 浅草 1993年」。
和食の「龍吟」の由来と同じの『龍吟ずれば雲起こる』や『雲は龍に従い風は虎に従う』のように龍の仲間とされる雲の店名もあります。「摟雲記 南青山 1993-2006年頃」「一片雲 湯島 2000年」「彩雲瑞(サイウンスイ) 經堂 2007年」、「中国家常飯荘瑞雲 大田区雪谷 2019年」。「翠雲 上野 2020年」は重慶市渝北区地名。「浮雲 西麻布 2020年」はコンセプトで『浮く雲のように自由で形にとらわれない料理を』
龍と比べると店名には意外に少ない虎、「虎林(コリン) 荻窪 1988年」ほかネットには「虎(FUUーフー) 門前仲町 開店年不明、かつては深川本店、東陽店あり」。
再掲の2店「虎穴(フーシュエ) 東日本橋 2009年」(再掲)「虎峰(コホウ) 六本木 2016年」(再掲)。店構えは中華にはみえないタイプではあります。
あとは際コーポレーションの独壇場。この会社は中国割烹と名乗って「龍眉虎ノ尾 西麻布 2017年」オープン、龍虎両方入っています。料理に向き合う姿勢、龍の眉のようにまっすぐ前を見据え、虎の尾にように隅々まで神経をいきわたらせること。
▽ 植物ほか
華やかな大柄の花の王様や女王的な雰囲気と香が大切なようです。ただアジアで人気の蓮がそんなに多くないのは不思議。
中国原産の牡丹は3世紀より知られていた冨と名誉の象徴花の王、百花王、不死の薬であり鳳凰とも結びつく。特に店名に多い蘭は厄除け、完成、純粋の象徴、四君子,四愛、四友、香化三元、三香とセットで愛されている花の中心的存在。
牡丹は店名としては少なく、蘭が人気で、「芳蘭亭 築地 1919年」「香蘭亭 日本橋 1924年」、新橋駅周辺に関連する4店もある「蘭苑飯店 新橋 1953年、リニューアル2013年」上海料理店の「蘭蘭酒家 1972年 初台」「翠蘭 吉祥寺 1978年」「蘭華 渋谷 1978年」。英語のレストランは一店「The Orchid (ジ・オーキッド) 丸の内 2004年(再掲)」。とても組み合わせやすいので、賀字や名前、他の花名にも付いています、店名には「芝蘭(チーラン)」「玉蘭」「紫玉蘭」「木蘭(ムーラン)」など
幅広い食にこだわりありの国なので、樹木も実のなる木、梅、李(スモモ)、杏(カラモモ)と桃の仲間が人気です。店名には使わないが、料理・漢方薬に使う枸杞(クコ)や梔子(クチナシ)、ライチ、南天も。
「桃里 西新宿 1978年」、同音の「桃李 台場 2020年」熟語『桃李不言下自成蹊』の桃の木とスモモの木、徳のある人の処には自然に人も集まるの意味、「桃の木」と同じ由来です。
因みに上記の「バーミヤン」の桃の実のロゴも同じ意味とか。写真は「桃源郷 白金高輪 開店年不明、2021年に閉店」
一番多いのは「桃園 吉祥寺 1985年」のようですが、台湾の都市名『桃園(タオユエン)』でもあるので、見分けはできません。「桃園 鶯谷 開店年不明」は台湾料理店なので地名なのかも。古いのは昭和元年創業の京都「桃園亭 京都 1926年」。
地名のほかの桃園の由来は不明ですが、いろいろ調べると他業種から三国志の『桃園の誓い』からのがあります。登場する3人の主人公が桃の花満開の庭園で生死を共にする誓を交わした逸話から。
有名な伝説は名医薫奉が患者へ治療代に杏の木を植えさせるようにしたところ、杏の林が完成した話。
デザートとして有名な杏仁豆腐は杏の種をすり潰して牛乳とともに固めたもの。扁桃(ヘントウ)と呼ばれるアーモンドを代用することが多いので間違えやすいとネットにありました。
食べ物屋全体としては多く付いていますが、中国・中華は少な目で「杏花園 三田 1956年」「杏花村 赤坂 1970年代」「杏華 練馬区早宮 1972年」「杏花楼 千駄木 開店年不明」は同名(シンフアロウの読み)の清代1851年創業店が本国にあります。李は苗字に多いのでこちらが中心。
日本では桂は樹木ですが、中国の桂花は金木犀のこと、とても香りが強い黄色の花です。月に咲く仙人の花であり、仙薬、桂花酒を造り、香りの花として蘭、茉莉花、桂花で香三徳、香花山状元と人気です。桂冠は王冠の意味。
店名は肥後ラーメン「桂花」が古いです。「桂花(ケイファー) 成城学園 1985年」「桂香摟 銀座 1988年」「桂花苑 日本橋蛎殻町 1989年」ビジネス系「桂園 会社1992年創業」
別名九里香(七里香とも)、香は中国・中華の基本です。この店名は見つかりないのですが、沈丁花の別名千里香はあります。「千里香 大久保 2000年、上野店」「千里香 虎ノ門 2018年、飯田橋店」。夜に香が強くなるトンキンカズラからの「夜来香(イエライシャン) 西新宿 1980年代」も1店。
花名は人気で馴染みもありビジネス系際コーポレーション経営も「梅梅(メイメイ) 日比谷 2017年」「雪梅香(シュエメイホワ) 四ツ谷 2011年」。同じく「青蓮 横浜市 2003年」と人気の花二つ「梅蘭(四君子梅蘭竹菊のまえ二語から) 横浜市 1987年」も多く展開中。
自然由来の店名はすくなく、水墨画にも多く描けているように実際ある景勝地名が優先になっています。
ここで少しあげると「晩翠軒(由来は不明、意味は秋になっても緑を保つこと) 虎ノ門 1896ー1972年」「山水摟(由来不明、山水画もあり、文字通り自然の風景) 日比谷 1912ー2001年」。
大阪が本店の「青冥(チンミン) 赤坂 1971年」、作家井上靖氏の名付け、青い空、ブルースカイの意味、他のガイドでは大いなる、限りない宇宙を表すとありました。名勝地は「日月潭 南青山 1960年代」は店主の生まれ故郷、明潭とも呼ぶ台湾の山頂にある湖。
色は緑系の翠、金より貴重とされている翡翠や鳥の翡翠の色で上にも3店、加えて「玉翠亭 1922年 小石川」「翠松園 上野 1929年」「翠園 田村町 1960年代」飲茶の先駆け「翠園酒家(香港が本店) 新橋 1977ー2006年」「翠園 町田 2010-2015年」「翠園 西麻布 開店年不明」、極め付きがホテル内「翡翠宮 新宿 1980年(再掲)」「華翠 西早稲田 1999年」。全国でも「翠園」「翠苑」の店名が多くあります。
国旗の色でもある中国・中華の典型的な色が赤系の色。古代の四神で南の方角の守護神朱雀の火の色です。洋系ではフェニックスのあたり、南を守る火の鳥、太陽、生命、不死のイメージとも。上の鳳凰と同一視されていますが、鳳凰は五色に覆われているそうです。朱と同じ系統の丹(牡丹に使われるので)、両方ともあまり店名には多くないです
もう一つの黄色は四神の中央にいる黄帝の色。千字文で『天地玄黄』と書かれているように大地の色になります。看板や暖簾には多いのですが、店名にはほとんど見かけません。
店名は紅が中国らしく、上の記事に数店上がっています。それ以外にはコラムの「東天紅(上野)」「唐紅花(カラクレナイ) 浅草 1985年」「紅花(ベニハナ) 麹町 2011年」 ★TOP頁へ(中国・中華料理のTOP頁)★ ☆世界各国料理のTOP頁へ☆
苗字名前
そして何よりも大昔4千年以上のなかで身内以外が名前を呼ぶのは禁忌となっている歴史が重要です。皇帝、聖人等は必ず仮の名、成人したら名乗る字(アザナ)の方が知られています。
皇帝の本名は地名や建物の名前、同名の貴族の名まで変更するほどの気の入れ方でした。三国志の項が姓、名が籍、字が羽、諸葛が姓、名が亮で字が孔明、項羽。諸葛孔明としての方がよく出てきます。ただ字は高級官吏、えらい方々のみ名乗って、一般人には関係なかったようです。
詩人姓白、名居易で字が楽天で白楽天が知られています。
中国料理には偉い方々の名はほとんどありません。ただ美人の名は別格のようで「香妃園(清朝時代の3代目皇帝に愛された異国の美人) 六本木 1963年」「楊貴妃 東村山 1984年」「盧妃(ユイフェイー三国志項羽の恋人) 代々木上原 2014ー2021年(恵比寿に改名して「李白」開店)」。最近の「羊貴妃羊湯館(ヨウキヒヤンタンカン) 御徒町 2020年」は楊の字を羊に替えた羊料理店で、羊湯は。羊の骨から使うポピュラーなスープの名。
詩人、作家名も「東坡(トンポーー宋時代の詩人蘇東坡) 神宮前 1983年頃」「老舎(20世紀の小説家劇作家) 麹町 1986年」作品名も「紅楼夢 渋谷 『東京味覚地図1958』掲載」「紅楼夢 神保町 2004年」。西遊記や悟空、猪八戒をもじった店名も多くありました。
四川飯店の陳氏の苗字も息子さんの世代からでした。「陳建一麻婆豆腐店 立川 1989年」「スーツァン・レストラン陳 渋谷 2001年」
陳氏の息子の陳健一氏とともにテレビで活躍の周富徳氏の「広東名菜富徳 青山 1995年」
同様に中国飯店オーナーの「富麗華(フレイカーオーナー名の一字富) 東麻布 2000年」、「中国膳房黎花(ライカーオーナーシェフ黎志健(ライ シケン)氏) 銀座 2001ー2016年」写真の「龍坊」のシェフだった「孫 六本木 2007年」。
遡ってになりますが、更に古い店には名前の一字を付けて「聚寶園(シュウホウエンー郭長聚氏) 白金高輪 1974年、最初白金台」「龍朋(名前の隆明リュウメイの語呂が悪かったのと地名朧坂(オボロザカ)の漢字も入れて) 神楽坂 1978年」「正宗中国四川料理趙楊(チョウヨウー中国人オーナー名) 銀座 1988年、最初八王子2004年移転」来日して1号店から四川料理店チェーン「陳家私菜 赤坂 1995(再掲)」「厲家菜(レイカサイー宮廷料理を継ぐ厲家の料理の意味) 六本木 2003年」。
ただこのころのガイドには載っていないので、食べログから。ただし、業態を変えた場合もあるので最初から中華かは不明。「たか島 千歳船橋 1954年」「みづの家 浅草 1955年」「岡田屋 祖師谷大蔵 1956年」「や志満 方南町 1967年」
中国とは違い、日本人の店はあまり気にしないで陳氏の下で修行した「吉華(キッカー吉は名前の一字) 上野毛 1984ー2016年、最初高円寺1985年移転」。
日本人による「ほりえ 銀座 1972年」「井門 渋谷 1978年」「山之内 神宮前 1985-2020年、渋谷店あり」「浅野 広尾 1993年」。和食のようなフルネーム「中村玄 恵比寿 1997年」こちらもテレビで有名な女性オーナーシェフ「美虎(ミユー五十嵐美幸さん) 西原 2008年」「MASA’S KITCHEN (マサズキッチン) 恵比寿 2008年(再掲)」。
無国籍の「キハチ」の「キハチチャイナ 千駄ヶ谷 1997年」と同じく他業態からも。和食「御蔵」の「京シノワ御蔵 表参道 2001年」、カリフォルニア料理の「CARDENAS CHINOIS(カーディナスシノワ) 広尾 1999-2010年(再掲)」
写真は中華ニューウェーブと称される新しい「サエキ飯店 三田 2019年」店主は佐伯氏、カタカナで軽やかさと、飯店というクラシックさの響きの融合を表す店名だそうです。
中国・中華店名の尻尾の変化
中国でも菜館、楼、居が付けられていました。閣、楼はは見晴らしの良い2階建ての店、最高級店は、餐館、餐庁、日本の屋に当たるのが記になるそうです。居も家の意味で同様。飯店と酒家は中国ではホテルに当たるそうですが、日本ではその区別はありません。
明治時代から日本では軒や楼が付く西洋料理店と中華を両方出していた店もありましたので、亭や軒、楼はは多くみかけました。
近年は中国からの旅行者の増加で現地に近寄った「喜記(ヘイゲイ) 銀座 2017」「富記(フキ) 多摩市 2019年」「逸品居 小平市 2018年」等と増えています。
おなじように増えている"府"、元々は文書を保管する蔵の事でしたが、王族の一族が住む場所、エリアをいい、今は政府や首府に付いています。
四川を表す天府や川府の府の漢字が付いて増加。地名に付くパターンで「重慶府 八重洲 1998年」「上海食府」「四川食府」、食系?「沸騰漁府 新橋 2011年」、ネットで有名なのはリアル中国食品店と書いてある「友誼商店」の「友誼食府 池袋 2019年」
最もポピュラーな菜館は上記以外に古い創業は「新世界菜館 神保町 1946年」古いけど中華は途中からの水菓子屋からの業態替えで「水新菜館(ミズシンサイカン) 浅草橋 1897年」地名の「上海菜館 目黒区鷹番 1959年」「麻布菜館 白金高輪 1973年」賀字の「平安菜館(心安らかに食事を提供する) 四ツ谷 1979年」
菜は麺菜、家常菜(おかず”として定着した家庭料理)、料理系の頭も多くなってきています。
中華名菜、広東名菜、海鮮名菜等。強力な漢字(繫体字(ハンタイジ)も含め)の力を発揮していて店名だけでわかるけど頭に付けている「中国菜源烹輪(ゲンポウリンー様々な困難を力強く打開し続ける料理の源) 中野区富士見台 2000年」、長い頭が付く「創新中華名菜GINZA沁馥園(シンフウエン) 銀座 2017年」沁馥は両方とも香りの関連語、祖父の店の名の一部である沁は香りを含み、馥は香りが漂い遠くまで届く意味。
山の上ホテルの「新北京」出身のオーナーの「北京遊膳 荻窪 1989年」「中華年香彩JASMINE(ジャスミン) 広尾 2011年」「くろさわ東京菜 大森 2011年」とちょっと変わった頭・尻尾もあります。
英語も「馨香(シンコウ)チャイニーズダイニング 東神田 2012年」「東京チャイニーズ一凛 新富町 2013年」「 CHINESE CUISINE SON (チャイニーズキュイジーヌソンーオーナー姓) 銀座 2013年」
レストラン、定食食堂中心でしたが、飲みものにも重点を置いた中華ビストロ・中華バルが増えています。「ビストロシノワYASMIN(ヤスミン) 西荻窪 2013年 最初下井草、移転2016年」「chinesebar(チャイニーズバル)ゆずのたね 新中野 2019年」、頭がないと和食居酒屋バルのような・・・。
デザイナーズ系中華の「ル シノワ 神宮前 1984年」はインテリア中心でしたが、写真の「漢」と同じく、中国そのものの、なにも頭なしの仏語中国の意味「ShinoiS(シノワ) 白金台 2019年」。綴りの最後のSは料理人の苗字のイニシャルで、自らの料理である意味を込め、大文字で長く愛され中国料理の発展に寄与する決意を込めて・・(お店のHP)。看板は白の浮き文字で目立ちませんから、SNS時代の情報発信型。
最初は白地に大きな漢字店名のみの「涵梅舫(カンメイホウ) 銀座 1998年赤坂、2014年に銀座で復活」移転して銀座店はチャイニーズレストランの説明がありますが、店名そのものが目立ちます。読み方も漢字自体も難しくてネットで探しにくい、「ShinoiS(シノワ)」とは真逆の店名。お客のブログに一字づつ解説して長い由来が載っています。濃くて長すぎて・・・ギブアップ、賀字合体タイプですけどね。 ★TOP頁へ(中国・中華料理のTOP頁)★ ☆世界各国料理のTOP頁へ☆
1985年以降の変化ー個性の繋がる店
中国・中華は以前はがっちりとしてヒエラルキー(ピラミッド型の階層構造)があり、頂点のホテルの一流店からそこで修行した中流店、品数を絞った街の定食店まで。ホテルの名を言えばどういう料理かわかる状況だったそうです。
後の記事なので、ここからは他の処でもアップした店名が多数再度のアップになります。
◆ ヌーベルシノワ
1980年代最先端とし有名だった「ダイニーズテーブル 表参道 1981年(再掲)」は料理ではなく提供スタイルがフレンチのように一皿づつ。、空間デザイナーの名前で知られた「ル シノワ 原宿 1984年(再掲)」は料理ではないので別格です。
ヌーベルシノワ料理としては同じ料理人の「LINKA(リンカーチベット語の蓮の花) 代官山 1986年」「文琳(丸い意味リンゴのに似た果実名、恐らくオーナーの体型から?) 神泉 1992年」務めていた料理人の「jeeten(ジーテンー中国風名前の呼び名) 代々木上原 1999年(再掲)」
フランス語の店名では「オウ・セ・ボヌール(フランス語の七つの幸、七福の意味) 青山 1992年」からフランス語も目立つようになりました。ここから同じプロデューサーの「メゾン・ド・ユーロン(ユーロンは遊龍) 赤坂 1995年(再掲『中華よおまえもか』)」ここから一時独立後復帰した「A-JUN(エージュン、オーナー姓のイニシャルと名) 西麻布 2001年」、務めていた方の「ロンフウフォン(華南地域の海山の幸がふんだんに入ったスープの名) 白金 2002年」、下記(『食関係のモロモロ』)に上げている姉妹店「老饕檯(ロウホウトイ)」。
他、中国で修行の「隋息居 町田 1997年」出身シエフの名そのままの「直城 高輪 2005年」「epicer(エピセー仏語スパイスわ効かせる) 西麻布 1997年(再掲)」、写真の薬膳の「Essenc(エッセンスー重要な要素、神髄、本質の英語) 表参道 2007年(再掲)」。 店名が中国・中華には見えないバラエティに富む世界に入ってきます。
◎ 自由に変化する中華へ
10年間ほど店名の意味としては中国・中華の系列でしたが、2014年あたりからフランス風からも中国風の意味からも離れてきます。上記の頭や『尻尾の項目』にあるように新創作中華、モダンチャイニーズが目立つようになります。
自ら、中国、台湾で修行したりする料理人の、レストランではなく、ビストロ、バル、割烹等の業態が出てきます。外観も従来の中華ではありません。
フレンチのシェフズテーブルのような高級カウンター中国・中華が多くなって、他の和食割烹鮨屋、イタリアン同じく姓名中心になっています。
「私厨房 勇yung(ユンー名前の一字勇) 白金台 2014年」「Furuta(フルタ) 銀座 2014年」「隼(オーナー名前のToshi/トシーオープン時はFff…TOSHIエフドトシでfが3っつ、フューチャー・ファンシー・ファンタジックのトシ) 六本木 2018年」「02(オーツーー大津シェフの苗字) 江東区三好 2018年」「JOTAKI(ジョタキー上瀧氏) 銀座 2018年」。
姓名以外「La Valse(ラヴァルス) 青山 2014年(再掲『中華よおまえもか』)」、「ENGINE(エンジン) 神楽坂 2015年」はモターエンジンを掛けてさらなる飛躍の意味もありますが、人間になる前の猿人、人と人の縁を大切にして進化していく過程の猿人が新しいガイドでは語っています。 ほとんど店がヌーベルシノワやモダンチャイニーズと呼ばれています。
この店のオーナーシェフ、どちらかというと旧来の、ホテル、高級店、フカヒレ専門店の修行。最初の開店は写真「礼華(ライカ) 新宿御苑 2004年」、儒教の経書、教科書のひとつの礼記(三礼という『周礼(しゅらい)』『儀礼(ぎらい)』『礼記(らいき)』)にあやかる礼と中国料理への感謝・敬意をこめた店名。(お店のHPにはもう少し詳しい説明があります。)
姉妹店「礼華 青鸞居(らいか せいらんきょ 南青山 2009年」「礼華四君子草(しくんしそう) 日比谷 2018年」中国色強めの店名。
まだ呼び名が固まってはいない(マニアック中華、ニューウェイブ中華でネットに上がっています)色濃い地方性もだす店も、「中国郷土料理店Matsushima(マツシマー姓が松島氏) 代々木上原 2016年 」「珞珈壹号(カッカイチゴウー武漢大学のこと) 銀座 2018年」、以前コラムでアップの「南三(ミナミ) 荒木町 2018年」と「サウスラボミナカタ) 錦糸町 2018年(2021年改名「Indochina Quarter(インドシナクオーター)」)」。本国からの人気店も直向こう読み飲茶店「添好運(ティム・ホー・ワン) 日比谷 2018年」
アジアンエスニックも加えた「チャイニーズレストラン方哉(マサヤ) 恵比寿 2016年」「farm studio #203(ニーマルサンー農場の工房?野菜にこだわる、203は部屋番号) 目黒区鷹番 2019年」。
和食方向の「の弥七 荒木町 2014年(再掲)」「やまの辺江戸中華 銀座 2015年」写真の「湯浅 新富町 2019年、東玄京として2016年、改名」「對馬 六本木 2020年」は外観は割烹のよう。 ★TOP頁へ(中国・中華料理のTOP頁)★ ☆世界各国料理のTOP頁へ☆
食関係のモロモロ
味の漢字はラーメン店、餃子店に多く付いています。中華らしいのは「味の一番 田原町 1947頃ー2017年(70年余)」写真「味芳斎 大門 1958年」「広味坊 千歳烏山 1985年」「滋味城(ジーメイセン) 新宿 1993年、最初代々木」。
「菜根香yamashita(ツァイコンシァンヤマシタ) 府中市 2003年」の菜根香の意味は野菜のきれっばしの意味で、中国の格言。野菜のきれっばしでも美味しいと思えれば百のことがかなう、贅沢は長続きしない意味。「」
マンダリン・オリエンタルホテルの中国レストラン「SENSE(センス) 日本橋 2005年(再掲)」は英語の五感で感じる料理の意味。「Sai(サイ) 中野 2013年」中国語の料理の意味菜、料理の彩、他との差異といろいろな意味をこめたサイ。
字からすぐわかる「北京烤鴨(ペキンカオヤー) 御茶ノ水 1980年」は北京ダック専門店。「辣香坊 小岩 2014年」「花椒庭 広尾 リニューアル2018年」、辛い四川料理店。
同じく辛い系アップ済の「味坊」の姉妹店「香辣里(シャンラーリー) 三軒茶屋 2018年」、湖南地方の料理の香菜、ミントの爽快な辛さを表す呼称の香辣(シャンラー)と郷土や古里の意味の里(リー)。
多数の料理系に比べ食材系は少ない傾向、すべての料理の中で食材の範囲がとても広いので店名にはなりにくいようです。以前あげた「海老専科」、既に閉店しましたが高級魚の名の「ナポレオンフッシュ 麻布十番 2012-2017年」来日したばかりの「蟹王府(シェワンフ) 日本橋室町 2020年」ザリガニ専門店の「蝦道(シャドウ) 西早稲田 2020年」
点心、餃子、焼売の諸々の料理で、広東語で飲茶、茶とともに点心を食べる習慣のことです。万博とともにやってきて、中華街で広がっていきました、現在は中国本土・台湾からの出店が多いです。
「点心之家 六本木 1980年前半」「美味飲茶酒摟 代官山 1998年」、そのひとつパオは包む意味で中華饅頭専門(明治屋産業PAOPAO1994年~)のお店に付いていますが、看板メニューとともに店名にしているのは「胡椒饅頭PAOPAO 秋葉原 2000年」。
英語の「スチームDimsum&Wine(ディムサムは英語の飲茶) 六本木 2019年」中国語で鍋の意味、粥ベジ鍋の「Gu-O(グーオ) 渋谷 2019年」。
フレンチと違ってワインと対抗する飲料はとても少ないです。紹興酒と老酒がよく知られています。店名はとても少ない、ほぼ地名的な作家魯迅縁の紹興酒の醸造元名の「咸亨酒店(カンキョウシュテン) 神保町 1992年」紹興酒のブランド銘「石庫門(本来は上海の西洋建築を模した建築様式) 2003年1号店」「味坊」グループの古き酒場「老酒舗 御徒町 2018年」、酒場の意味の「jiubar(ジュウバー) 飯田橋 2017年」。『余談・×(カケル)2』にはお茶のペアリングが売りの「茶禅華(サゼンカ)」も。
漢字以外
今増えているチャイニーズ中華(中国人が作ってお客も中国人)、ネットに上がっている「何鮮菇(ホーシェング) 上野 2018年」「麻哥(マーゴー) 大山 2019年」「楊銘宇黄燜鶏米飯(ヨウメイウホワンメンジー) 高田馬場 2019年」等、これらは読めず意味不明の日本人には太刀打ちできない漢字店名が中心。ほかの国の言葉、ひらがな、ローマ字は少ない状態が続いていました。
流行でフランス語の店名が増えた時もありましたが、上の項目にあげていますが、英語や多言語は多くはないです。力を借りなくてもOKな力があるのが中国・中華の店名。
『地名』でアップのアメリカンスタイルホテルからの命名「銀座アスター(ラテン語の星、これに似た形のエゾ菊)」は除いて、イメージのない言葉「アンカー 本郷 『大東京うまいもの食べある記1935』掲載」「カロリー 南青山 1973-1979年」「レーヌ(仏語女王) 目黒 1978年」「クリケット・チャチャ 西麻布 1984年」「Lip Stick(リップステック) 蒲田 1992年」等がガイド本に散らばっている店名。
多くは頭や尻尾にも付くチャイナ、チャイニーズがつく店名と、解りやすいイメージの動物名が付く、タイガーやドラゴン、1972年の来日から中国・中華店以外も増えているけどパンダ(中国語熊猫)も中国のイメージ。写真は意外と老舗の「パンダレストラン 渋谷 1980年開店」
「CHINA DOLL(チャイナドール) 青山 1975年」「チャイナムーン 赤坂 1989年」食べログには「リトルチャイナ」とあります。
珍しいのは「中国寝台(チャイニーズベッド) 道玄坂 2019年」、お店のHPにはお酒と料理のマッチングを落ち着いてゆっくり愉しむ中華料理(私見、おそらくベッドで佇むように)となっています。
上記の姓名のカンウンター割烹の中国・中華店は高級志向ですが、庶民的な店は『中華』に上げた一品、餃子から火鍋、麻婆と看板メニュー売りで、店数が多いので範囲を広く英語や中国語や他の国の言葉の店名があります。
多くの雑誌や図書やネットでアップした街中華的店名も人気で、クラシック二字の賀字が復活しています。日本人オーナーの苗字の一字と縁起の良い瑞鳥燕の中国読みの「白燕(パイエン) 稲荷町 2019年」
。カフェ「63カフェ(ロクサンは住所) 六本木 2021年」、「虎峰」の姉妹店「series(シリーズ) 麻布台 2020年」は英語の連続、セットの意味で出版物やテレビや映画のシリーズに使う言葉。料理と飲物で表現する料理の連なり=シリーズをコンセプトにペアリングが特徴。
本来は『1985年以降の変化ー個性の繋がる店』で上げるべき『中華よおまえもか』でアップの「トゥーランドット游仙境(Turandot臥龍居に改名)」と「Wakiya-一笑茶樓」はダブル店名でモダンチャイニーズの旗手のシェフオーナー脇屋友詞氏のレストランですが、店名としては区別しにくいタイプ。
このグループが高級料理店ではなく、気軽な町中華をめざした1店「亜細亜家郷菜dots(アジアンジャーシャンツァイドッツ) 渋谷 2021年」をオープン。看板はなくお店の壁には黄色に目立つ黒の点、ドットが多く並んでいます。推測では既存の店の末尾のドットからと思いましたが、ネットには一杯並んだ点の集まりをキーワード、食材の足し算の蒸籠料理、ドットが点心の点を表現とかいろいろありました。
こちらも少し高級な庶民派「Ji- Cube(ジーキューブ) 西麻布 2021年」。住居表示変更以前の地名笄町の中国語読みジーと建物の形状が四角なのでキューブ。二つの看板表記で笄の漢字に3乗で「笄³」となっています。
料理に他国のテイストが入ってきた『余談・×(カケル)2』でアップした店名は少し変化が見られました。
◆ 参考文献
◆中華料理進化論 徐航明 イーストプレス 2018
◆中国料理と近現代日本 岩間一弘ほか著 慶応義塾大学出版会 2019年
◆日本外食全史 阿古真理 亜紀書房 2021
◆料理王国2008年6月号 料理王国社 2008
◆中国シンボル・イメージ図典 2003
◆中国文化事典 丸善 2017
◆夕陽に赤い町中華 北尾トロ 集英社インターナショナル 2019
◆町中華 交通新聞社 2019
◆東京の町中華 ぴあ 2021
◆中華・ラーメンの店 高橋秀夫 柴田書店 1981
◆アジ・ダス便利帳 小学館 1988
◆おいしい中華料理屋さんの本 光文社 1995
◆東京五つ星の中国料理 岸朝子 東京書籍 2009
◆人気の中国料理 旭屋出版 2019
◆東京いい店うまい店 文藝春秋 1967~
◆東京最高のレストラン ぴあ 2001~
◆近代日本食文化年表 小菅桂子 雄山閣 1997
世界各国料理の流れは・・
訂正2020.5.31
ロシア料理(『ロシア料理店ほか』)を調べてみた時、国により店名の変遷は違うことがわかりました。
フレンチとイタリアンはアップ済ですので、今回それ以外を見ます。
東南アジア料理
1950年代から東南アジアの国々の料理店が開店してきました。
意外と早いインドネシア料理店「カフェセントラル 原宿 1961年」セントラルアパートの1階の喫茶店だったのが、戦後の賠償交渉団に頼まれ、料理を作りだしたそうです。
同じく2018年末に再開を誓いながら閉店した「慶楽 有楽町 1950年」もタイ留学生のために大使館からの依頼で広東料理とタイ料理の看板を掲げていました。
これらの例のように来日して本国の日常に食べる食事とりたい願いから生まれてきたレストラン。そして現在は外国の日常の食べ物を材料ごとから持ち込むレストラン。それらがせめぎ合いながら最新はファストフード系の東南アジア料理店も出てきて今も頑張っています。
▼ ベトナム
◆ 地名
右のの写真の「サイゴン 有楽町 1952年」も古いのですが、資料によっては「喜楽南(ヒーラクナム、ガイド本によってはヒーラツナム、ヒーラツクナム) 大久保 1954-2007年、赤羽に1946年開店、移転」戦後帰国した本国出身の夫人と開いたこの店は長くいろいろなガイド本に掲載。
サイゴンはかつての南ベトナムの首都(現在のホーチミン市)、以後「サイゴンレストラン 池袋 1981年」「ミスサイゴン(1989年初演(日本は1992年)のミュージカル名から) 吉祥寺 1992年」「亜細亜食堂サイゴン 世田谷区上町 1998年」「リトルサイゴン 下北沢 1998年頃-2010年」「オールドサイゴン 御徒町 2017年」。
後半は統一された首都ハノイの方が多くなっています。「ハノイハノイ 北千住 2008年」「リトルハノイ 墨田区菊川 2009年」「ハノイ 西新宿 2012年」「チャオハノイ(こんにちはハノイ) 高田馬場 2013年」
多いのは国名ベトナムですね。「ベトナム 上野 1968年」「ベトナム 蒲田 1986年」本国の方が開いた「フォンベト 中野 1988年、2号店西新宿」「ベトナムアリス(フレンチクイーンアリス系列) 銀座 1999年」「チョウベトナム(ベトナム市場の意味) 東銀座 2002年頃-2010年」「ニャーベトナム(ベトナムの館の意味) 恵比寿 2002年」「ベトナムガーデン 代々木 2004年」「ベトナムちゃん 大久保 2011年」「ベトナミング 新宿御苑 2014年」
◆ 名前・もろもろ
名前を付けたお店もあり、特になぜか女性の名がついています。「ミュン 新宿 1983年」「ミレイ 蒲田 1986年」「ジャンズ 二子玉川 1997年」「ハノイのホイさん 渋谷 2011年」頭文字の「HZ(フォンーHUONG ズンDUAN) 吉祥寺 2019年」
フレンチベトナミーズと呼ばれるフランスのミシュラン一つ星「タンディン」シェフのプロデュース「A・Dコリシアム(A.D.Coliseum) 六本木一丁目 1985年」、以前にコラム(ニライカナイ(大塚))でも取り上げた「デュシットテイエンド(タイ語、ベトナム語の天国の意味) 本郷 1991年」「カサブランカシルク 丸の内 2002年」「ラ・メムパリ(まるでパリのようにの意味) 六本木 1985年」。最新の「デサリータ 吉祥寺 2018年」はなぜかイタリア語の(坂の途中の意味?)でベトナムフレンチを名乗っています。
どちらかというと晴れの日の食事ではなかったのガイドに載りにくかった頃、一店「キッチン 西麻布 2002年」だけはガイド本でよく見かけました。ベトナムに魅了された元フードコーディネーターの女性シェフの野菜中心の料理が人気。ベトナムで家庭の主婦から習ったの家庭料理の味を提供しています。
ホーチミン市本店の古都フエの宮廷料理を出す「 Phu Xuan(フースハンー地名?フースハン橋) 泉岳寺 2001年」もありました。
◆ 食材・料理名
「Phoviet(フォーベトーベトナムの麺料理の意味) 西池袋 2000年頃」「Com Pho(コムフォー) 銀座 2001年」「SAIGON NOODLE PHO(サイゴンヌードルフォー) 自由が丘 2001年」「コムフォー 下北沢 2002年」
フードビジネス系の「COMPHO(コムフォーーフォーのご飯やさんの意味) 丸の内 2004年、1号店2001年」「ベトナム料理「PHO Garden 赤坂 2003年」「PhoNam(フォーナム) 六本木 開店年不明、会社は2006年創業」「PHO HANOI(フォーハノイ) 北千住 2009年」「ベトナムフォー 大久保 2014年」
日本語をアレンジの「Pho Oishii(フォーおいしい) 小岩 2015年」ビジネス系「フォーフォー 六本木 2017年」、ベトナム本国からの出店「PHO THIN TOKYO(フォーティントーキョー) 池袋 2019年」
これらのフォー店の中には中華の餃子関係店名と同じく、フォーをいわゆるシグネチャーメニュー(看板料理、特製料理)として、ベトナム料理も提供しいてるレストランもあります。
『サンドイッチ』でアップのバインミー専門店もベトナム料理もやっている店もあります。「Stand Banh Mi(スタンドバインミー) 学芸大学 2017年」。映画の題名が有名な「青いパパイヤ 十条 1996年」も青いパパイヤのサラダから。
□ タイ
◆ 地名
「バンコック 東銀座 1950年代」が一番古いそうです。バンコクはタイの首都、以後「バンコク 六本木 1982年」「バンコク 渋谷 1993年」「バンコクキッチン 下北沢 2003年」「リトルバンコック 恵比寿 2003年」「バンコクガーデン 南新宿 2013年」「バンコクスパイス 新宿 2013年」と続いていく人気店名。
日本から多くの観光客も行っているので、地名は人気の店名古都「チェンマイ 日比谷 1979-2007年」「PATTAYA(パタヤ) 渋谷 1987年」「メコン 池袋 1988年」「チャオプラヤ(川の名) 福生市 1993年」「クルンスィ アユタヤ(偉大なる都アユタヤ) 東池袋 2001年」「チュングエンダイニング(高原の都市名) 六本木 2004年」
◆ 国名あれこれ
一番多いのは国名タイとその古称英語のサイアム。。
最初は日本の戦前までの呼称「シャム」、直ぐに英語のサイアムが多くなります。音感ではサイアムの方が響きやすい店名。色々アレンジして店名についています
「バンタイ(タイの家の意味) 新宿 1982年」。再開発前の二子玉川に同名の「バンタイ」というタイ料理店があり、建物ごと本国から移築した高床式のタイの家が目を引いていました。
「タイランド 錦糸町 1986年」「ムアンタイ(タイ王国) 神保町 1991年」「ジャイタイ(タイの心) 吉祥寺 1992年」「チャオタイ(タイの人々) 渋谷 1992年」「カオタイ(タイのご飯) 高田馬場 1993年」漢字の「くいもの市場泰 二子玉川 1991年」「プァンタイ(タイの友達) 目白、最初大久保 2011年」
店数が多くなったので形容詞等が追加する店名も増えています。「THAI YUM(タイヤム食堂ーヤムは美味しい意味) 恵比寿 2003年」「ジャスミンタイ(ジャスミンはタイを代表する花) 2004年 六本木1号店」「オールドタイランド 飯田橋 2007年」「ブルースカイタイランド 末広町 2009年」「タイ・サバイ(サバイは気持ちよいの意味と軽い挨拶語) 池袋 2014年」
「クルン・サイアム(クルンは古き都) 自由が丘 2004年」「サイアムオーキッド 八重洲 2005年」「ヌアサヤム(オーナーの故郷の北部のヌア州とタイの古称サヤームの組み合わせた) 新宿 2011年」「サイアム食堂 湯島 2014年」「サイアムロット(タイの味) 高円寺 2018年」
◆ タイ王国繋がりで
熱心で敬虔な仏教徒の国のイメージが在りますが、宗教的な店名は少ないです。関係する動物の象の店名があります。古来王族の乗り物、特に白い像は王のものでした。タイでも信仰のある象の神様ガネーシャ、猿の神様ハヌマーンはインドのカレー店名でしか使われていないようです。
神様が乗っている三頭の象の「エラワン 六本木 1992年5店舗、 新宿店2014-2019年、ともに閉店」普通の象の「チャンパー(野生の象、この店の前の店名はネットではチャンノイ、小象の意味だそうです) 新宿 1992年」。食べログでは直球のタイ料理バル「タイ象 新橋 2017年」が載っています。
日常の屋台料理だけでなく、古い歴史の王国なので宮廷料理の豪華なものも紹介しています。ただ、インドのようの王様や王宮を直に表す言葉はありません。
宮廷料理のお店は豪華な店名、「ペチャラット(宝石、ダイヤモンドの意味) 大崎 1982年」「ゴールドリーフ(タイでは幸福の木の意味) 広尾 1989年」「ペンジャロン(豪華な五彩のベンジャロン焼磁器) 歌舞伎町 1992年」「ゲウチャイ(宝石、澄んだ心の意味) 大崎 1992年」。豪華なタイシルクで飾られたシルクキングのブランド名からの「ジムトンプソンテーブルタイランド 銀座 2007年」
宮廷系ではないのですが。タイの伝統的高級磁器セラドン、サンスクリット語の緑色を語源とする青磁器の意味の「セラドン 幡ヶ谷 2000年」。改名したのチェーン店「ブルーセラドン(サイアムセラドンに改名) 二子玉川 2006年」は系列の「サイアムヘリテイジ(?ヘリテイジは英語の伝統的遺産) 丸の内 2007年」は豪華系。
◆ 食材・料理名
辛い料理のイメージから「プリック 池袋 1997年」「ピッチーファー 西新宿 1999-2010年」「プリックタイ 高田馬場 2002-2012年」香辛料の「レモングラス 銀座 1989年」「パクチービレッジ 新宿 2016年」「バジル 飯田橋 2018年」。
料理に多く使う柑橘系の果物の名前から「カフィア・ライム 原宿 1999年」バンコクに本店のある宮廷料理の「マンゴツリー東京 丸の内 2002年」「パパイヤリーフ 丸の内 2002年」「ソムオー 大久保 2018年」果樹の大樹の意味の「ランブータン 新宿 2014年」
変わり種はオーストラリアからの進出店「Longrain(ロングレイン) 恵比寿 2017年 」。1999年にシドニーでオープンのモダンタイレストランで、ロング長い、グレイン穀物でどの料理にも合う長いフォルムのタイ米を表しています。
少ない料理名店はトムヤムクンスープの「トム・ヤム 吉祥寺 ハナコ1993年掲載9/30号トムヤム2も載っていました」「トムヤムクン 高円寺 2011年、荻窪店もあり」「TOM YUM(トムヤム) 西荻窪 2015年」ご飯ものの「ガパオ食堂 渋谷 2007年」「ガパオ 田原町 2013年」
渋谷ガパオ食堂 2007年開店
代々木ソムタムダー 2017年開店
シンガポールの海南鶏飯のタイ版「東京カオマンガイ 神田 2008年」元バンコク本店の店名から改名「カオマンガイ 渋谷 2014年、最初ガイトーン東京の店名」タイの焼きそば「グリーンパッタイ 神田 2009年」。
食材・料理名にプラスしてのタイプで、タイ、バンコクに本店のあるサラダ名前の「ソムタムダー 代々木 2017年」、ダー(Dar)はこのサラダの元祖のイーサン地方の方言。共感を求める日本語の『美味しいね、楽しいねの、・・ね』と同じ意味だそうです。その材料青パパイヤとタイ名を組み合わせた「ブルーパパイヤタイランド 恵比寿 2012年、他2店あり」
一瞬の流行だったのはタイのすき焼き、タイスキ、本国から「コカレストラン 六本木 1992年」も進出、でも既に六本木店は閉店しています。「マンゴツリー」系列なので有楽町で同じ店舗の中で続けています。ほかに今検索すると「MKレストラン 新宿 2010年、1号店は福岡市1994年開店2019年時点35店舗」があり、こちらも本国で1986年創業したレストランが日本の会社と提携してオープン。どうやらもっと個性的な2000年代中頃から流行のモンゴル鍋や火鍋に押し切られてしまったようです。
◆ その他
名前の店名だけは、0に近いです。タイの国民性として名前をとても大切なモノとする考え方があり、とても長い名前も付ける方も多く、親しい中でも本名を知ることはほとんどないというお国柄。「ポーモンコン 大崎 2010年、移転リニューアル2017年」は日本人シェフが修行した先のモンコン氏から引き継いだバンコク食堂。ポーはタイ語のおとうさんで、モンコン父さんの意味。
人の関係では国名でも上げた友達の意味プアンも人気。「ぷあん 西荻窪 2003年」「プアン 三軒茶屋 2015年、学芸大学店、渋谷店もあり」
タイとベトナムの両方を出すお店も多いのですが、隣国のラオスとタイはよく組み合わせてのレストランを見かけます。「ランサーン(ラオスの王国ランサーン王朝、百万の象を意味する) 吉祥寺 1994年」「サバイディー(タイ語の元気?の意味、シェフがラオス人) 阿佐ヶ谷 2014年」
「AGALICO(アガリコオリエンタルビストロ) 池袋 2012年」はヒンドゥー教の言葉で不変の意味。コラムでアップした「アムリタ食堂」「coci(コチ)」もタイ料理店。 ★TOP頁へ(中国・中華料理のTOP頁)★ ☆世界各国料理のTOP頁へ☆
● インドネシア
最初に書いたようにインドネシアは早く「ブンガワンソロ 六本木 1956年」「インドネシアラヤ 新橋 1957-2008年」は東南アジア系『東京の味どころ続 1959年』『東京うまい店 柴田書店 1963年』掲載、「せでるはな 目黒 1962-2008年」と2店で今も出版継続中の「東京いい店うまい店 文藝春秋 1967年」掲載、開店したのですが、その後は続きません。店名の意味は本国の人々にとってわかりやすい言葉なのでしょう。「ブンガワンソロ」はジャワ島の大河ソロ川、インドネアではポピュラーソングの曲名としても有名。「インドネシアラヤ」は偉大なるインドネシアの意味でこの国の国歌の曲名。「せでるはな」は同国大使館の方が命名で中庸の意味。
目黒せでるはな 1962-2004年
目黒チャベ 2018年開店
ただ、少ないながらこれらのレストラン長く頑張っていて「CABE(チャベ) 武蔵小山 2002年」の店主は「ブンガワンソロ」に勤めていました。店主は閉店したこの店の家具類を同じく2号店を閉店後の「せでるはな」の跡地に開店しています。取材した記事掲載の(『NIKKEI STYLE』)では「インドネシアラヤ」の装飾品を受け継いでいるそう。「チャベ」は看板の絵にあるように唐辛子のこと。
同じく「プトゥリ 六本木 2003年」。人気の通り名「モンキーフォレスト 渋谷 2007年」。
芸術関係の「ジュンバタン メラ 渋谷 1992年」は「ブンガワンソロ」の暖簾分け、と同じく『赤い橋』というポピュラーソング曲名。「ワヤン・バリ 六本木 2006年」はインドネシアの伝統芸能の影絵芝居、または演劇の意味。
◆ フィリピン
フィリピンは多くの方々が来日していますが、風俗店のイメージが強くレストランは全国でも少ない様子。最初の店は「カフェセントラル 原宿 1950年代」。フィリピン料理大好きな方のブログを読むと、地味、カラフルさに欠ける茶色飯、味は美味しいのにと嘆いていました。
ガイド本には「ナミン(タガログ語私たちの意味) 恵比寿 1984年頃」「南味夢(ナミムー意味不明) 広尾 1988年ガイド本掲載」「サンバギータ(国花のアジアンジャスミン) 上野 1992年ガイド本掲載」「アテ(タガログ語お姉さん) 西荻窪 2007年」ガイド本にも掲載が少ないので開店年がわからない店が多いです。
◆ カンボジア・ミャンマー
カンボジアはほとんど地名からです。「アンコールワット 代々木 1982年開店」「メコン川 大崎 1984年」「プノンペン 恵比寿 1984年」「カンボジア 早稲田 1987年」「BAYON(バイヨンーアンコール・トムのある遺跡名) 牛込神楽坂 2012年」
新宿の「ビルマの竪琴」は別名に改名して「びるまの竪琴 恵比寿 2001年」がオープンしています。
現在、リトルヤンゴン(旧首都名)と呼ばれる高田馬場にはミャンマー料理店が多いです。日本人の客もいますが、本国の人たちが多く集まっています。ただ開店閉店のリズムがとても目まぐるしいようです。
本国の人向けなのでミャンマー語も多く『ミャンマーの料理店名って憶えられない』というお客の感想もありました。「ミンガラパー(こんにちは、めでたい、幸福が来るの意味) 高田馬場 1997年」「ノングインレイ(故郷のシャン族がすむインレイ湖) 高田馬場 1999年」「ミャミィンモ(M3ー意味わかりませんが、HPによると来店するとわかるそう) 高田馬場 2016年」
◆ マレーシア・シンガポール
池袋マレーチャン 1994年開店
六本木カフェシンガプーラ
2007年開店
マレー半島の2国マレーシアとシンガポール少し遅めの開店。「オンリーマレーシア 渋谷 1989年」「マレーチャン(代表的なマレー料理の魂といわれるソースの名) 池袋 1994年」「ラサシンガプーラ (シンガポールの心の意味) 六本木、1983年ガイド本掲載」
2000年代からマレーシアと国名が前面に付くレストランが、ぽつぽつとオープしていきます。両国の区別が付くように以後は国名が前についている店名が多くなります。
「馬来西亜マレー(マレーシアマレー) 祖師ヶ谷大蔵 2000年」「馬来風光美食(マライフウコウビショク) 荻窪 2000年」「ラサ マレーシアダイニング(ラサはマレー語でらしさを感じるのを楽しむ意味、それにネットではラサ・サヤンという両国でとてもポピュラーな歌謡曲、愛しい思いの意味) 銀座 2002年」「マレーアジアンクイジーン 渋谷 2014年」。
マレーシアの観光地の地名「ペナンレストラン 芝公園 2012年」「マレーカンポン(マレーの田舎・村の意味) 八丁堀 2010年」「 Layang Layang(ラヤンラヤンー島の名) 大塚 2018年」「ラサ マレーシアダイニング」「ラヤンラヤン」は両国の料理を出しています。
多民族国家シンガポール公用語4か国、、教育の中心になっている英語の店名「シンガポール・シーフード・リパブリック(シンガポールの有名4店の魚介料理店が集まったレストランーリパブリックは共同体、共和国?) 品川 2008年」「CLARK JACK PARLOR(クラーク ジャック パーラー) 三軒茶屋 2016年」。
紆余曲折の店「 Singapore Kopi Tiam(シンガポール コピティアム) 八丁堀 2015年」今はマレー語のコーヒーハウスの意味だそうですが、前身は「シンガポール・シーフード・エンポーリアム 2013年」という英語のシーフード、魚貝類の百貨店の意味。
ネット記事ではここに落ち着く前も転々として実際は1996年の開店とか。記事での感想はやっと名は体を表す店名になったとありました。
中華系シェフの方の「楽堂(ラクドウーオーナーの両親のお店の名、1979年の表示がある) 表参道 2017年、既に閉店」
観光地も英語名が多くあまり店名には在りません。一店「新東記(シントンキー) 恵比寿 2005年」はシンガポールのナイトスポットエリアの地名。オーナーが中国系の方なので中国語読みですが、10年を機にFC展開時には「新東記(クラーク・キー) 大手町 2016年」とマレー語読み。
◆ 食材・料理名
最初のレストランが「夢飯(ムーハン) 西荻窪 2000年」とされています。同じ様なレストランは次々とオープン、「海南鶏飯食堂 麻布十番 2003年、恵比寿、表参道姉妹店」「シンガポールハイナンチーハン 赤坂 2004年」フードビジネス会社の「シンガポール海南鶏飯 水道橋 2005年」
日本人オーナーの姓がつく「松記鶏飯(ソンキージーファンーオーナーの松木氏) 小川町 2013年」。本家本元のシンガポールからの国の賓客ももてなすという「威南記海南鶏飯(ウィーナムキーハイナンチキンライス) 田町 2015年、2015年銀座、2016年中野」
今はそれに肉骨茶(バクテー)が、骨付き豚肉の漢方・香辛料とともに煮込んだスープ煮が続きます。マレー系の「肉骨茶(バクテー) 十条 2014年」シンガポールの「新加坡肉骨茶(シンガポールバクテー) 赤坂 2017年」
次はラクサ?、専門店「SINGAPORE HOLIC LAKSA(シンガポールホリックラクサ) 原宿 2015年」がありますが、この一店のみ。さっぱりフォー麺の逆、ココナッツミルクのスパイシーこってり麺料理。 ★TOP頁へ(中国・中華料理のTOP頁)★ ☆世界各国料理のTOP頁へ☆
インド・パキスタン・ネパール料理
◆ 地名
料理としてはカレーが中村屋から印度式のカレーが売り出されていました。中村屋はロシア料理にもかかわっているエスニック系に積極的な料理店。
カレーという日本人三大洋食の人気料理のためインド料理イコールカレーの方程式のためしばらくはカレー店の時代が続きます。
最初はカレー店として名を成す店も多いインド料理。日本化したカレーライスをライバルにしながら、ある意味他の各国料理と同じくインド人のためのインド料理を、世界何処でもインド人がインドレストランを開いているように、日本も同様の姿勢でインド色を強めにして頑張っています。
最初の店のインド料理は名前の項でアップの「ナイル 銀座 1949年」。インド独立の闘士のナイル氏の店。
麹町アジャンタ 2014年
上野デリー 1962年開店
次に続くのやはりインド人オーナーの「アジャンタ 麹町 1961年、最初阿佐ヶ谷1985年移転」そして「アショカ 銀座 1968年」
そして日本人の創業の「デリー 上野 1962年」この三店は多くのカレーレストランに影響をあたえた名店。
「アジャンタ」と「デリー」はインドの地名、「アショカ」はインドを最初に統一した古代の王様の名前です。このの三店は後にインド料理のレストランをオープンしています。
超有名な世界遺産観光地タージマハールから「タージュ 赤坂 1975年」「タージマハール 自由が丘 1993年」
90年代はちょっとマイナーな地名「グルガオン(2016年に地名をグルグラムに変更) 銀座 1994年」「ラージマハール 銀座 1997年」「ムンバイ(元ボンベイ) 九段下 2005年」「カイバル(カイバル峠) 銀座 2006年」「ボンディシェリ(南インドのかつてのフランス領の港町) 青山 2011年」
ネパール(とチベットの間)にあるのでネパール語の「サガルマータ」も店名にはあります。同じくヒマラヤ山脈の中の「アンナプルナ(実際は一つの山ではなく山郡、世界10番目に高い山がある)」もあります。「アンナプルナダイニング 茅場町 2012年」
国の名のインド、インディアは東南アジアに比べると少ないです。カレー専門店につく事例が多いのです。
インド料理店では「ナマステインディア 木場 2002年」「タバインディア(タバは食堂の意味) 八重洲 2003」「ローカルインディア 恵比寿 2003年」「やっぱりインディア 大塚 2017年」「南インドキッチン 月島 2019年」と少々工夫を凝らしています。
◆ ロイヤル系と・・
「イーストラニー(ラニーは姫) 銀座 ガイド本1986年掲載」「サムラート(インドで最高地位の大王、皇帝) 青山 1990年」「RAJA(ラジャ) 参宮橋 1995年」「Sultan(スルターン) 飯田橋 2002年」「マハラニ(王妃) 江東区南砂 2014年」王様の住まい王宮の意味の「RaJ Palace 渋谷 1991年」
日本のフードビジネス系「ディップマハル 四ツ谷 2004年1号店」はインドとパキスタン料理「ディップパレス 四谷三丁目 2007年」インドとタイ料理。デップはろうそくの灯で後ろはどちらも宮殿、多くの人々が集う場所ありたい想いを込めて(会社のHP)
◆ 神様も仏様も・・・
ヒンドゥ―教は神様の名前を使うのは寛容のようで、タイ料理で上げた「ガネーシャ 西大島 2016年」「ハヌマーン 本郷三丁目」ほかに戦いの神「インドラ 北千住 1997年」太陽の神「スーリヤ 東麻布 2002年」火の神の「アグニ」踊るシヴァ神の別称、踊る神の意味「ナラタジ 荻窪 1988年か?1989年」は普通のインド料理とは違うインドのオーガニック系ヴィーガン料理店
いろいろ変身するシヴァ神の第八の変身名の「コンヴィダス 江戸川区船堀 2011年」、シヴァ神の乗り物の牛の名、神様名にもなっている「ナンディニ 虎ノ門 2017年」。シヴァ神と同じく三神体のヴィシヌ神の妃の名「ラクシュミー 目黒 2005年」もあります。
日本人がやっている「shiva curry wara(シバカリーワラ) 三軒茶屋 2013年」カレー中心だけどインド料理も出していて、カリーワラはカレー屋、シバ(shiva)はインドの古い店は神様の名前が多いから一番好きなシバ神にしたそう。
象の頭を持つシヴァ神の息子のガネーシャも全国区に人気です。ガネーシャのバリエーションも「シュリガネーシャ」「ガネーシャガル」「ザイガネーシャ」「ガネー舎」等。
「MANDALA(サンスクリット語の本質を有する) 渋谷 1999年」「ダルマサーガラ(サンスクリット語の仏法の大海) 2003年 新富町」「マントラカフェ(サンスクリット語の言葉、真言と訳されている) 銀座 2011年」ビジネス系「マントラ 上野」「ニルヴァナム(涅槃、心の安らぎ) 神谷町 2005年」「ニルワナム 虎ノ門 2012年」。ニューヨークからのインド料理店「ニルヴァーナニューヨーク(サンスクリット語の地上の楽園) 2007年 六本木」「サンサーラ(輪廻) 小岩 2001年」
◆ 名前
歴史的名前は先の「アショカ」以外にも「アクバル 北青山 開店年不明、横浜市1982年開店」「ムンタージ(タージマハール建設の王の愛妃) 練馬区 2011年」仏教の「ゴータマ 赤坂 2012年」独立の英雄「ガンジー 西新宿 1983年頃、現在は改名カナ」「ガンジー(ガンディ)」名前のカレー屋が多いのはかつて日本人の中で一番有名な人物だったからでしょう。店主の名前は「ナイル」以外はしばらく増えていなかったのですが、「シディーク 1997年1号店」「ヴェヌス 錦糸町 2015年」「バンゲラスキッチン 銀座 2018年、姉妹店バンゲラススパイスラボ」プルジャ氏の「プルジャダイニング 巣鴨 2019年」
「SITAARA(シターラ) 青山 2004年」はインド語(?ヒンドゥー語)星の意味、天空に輝くスターになる思いを込めての命名となっていますが、オーナーの姓名に星の字があるのでこれも重ねていると思いますね。
◆ 食材・料理名
カレー=インド料理の大きなイメージが浸透していますから、店名はインド風であればOKなのでしょう。
日本のビジネス系は「ターリー屋 西新宿 2002年1号店」のように付けています。ターリーはインドの定食の意味。同様に屋台軽食のインドポテトバーガーとある「サモサ 新橋 2004年、他全5店舗あり」。インド料理では実際にはそんなにポピュラーじゃないナンを焼くつぼ焼き専門オーブンのタンドール。「TANDOOR(タンドゥール) 白金台 1986年1号店」
香辛料・スパイスでも書いたように日本人による店が多いです。全国展開の「スパイス王国 1989年1号店」「スパイスガーデン 渋谷 2005年1号店」「スパイスヘブン(マハラジャグープ)」「ザ・スパイス 赤坂 2013年」「スパイスボックス 神田 2016年」
一番名を知られているのは写真の「スパイスカフェ 押上 2003年開店」。最初はよく展示スペースもあるリノベーションカフェの記事に載っていました。現在はワイン、ティーとペアリングを楽しむ七つの皿のスパイス料理が遠方からのお客も呼ぶスパイス料理屋になっています。
2019年に「スパイスラボトーキョー 銀座」がオープン。モダンインディアンキュイジーヌと名乗っていてインド料理というよりスパイスに重きを置いたコース料理。カレー料理より多彩に多種なスパイスを使っているそうです。
カレーライスにかなう料理名は難しいのですが、ここ四、五年間の間に炊き込みご飯ビリヤニが店名についています。インドでもあるケバブと組み合わせての店名が多いのか、「ビリヤニ食堂 北千住 2019年」
◆ ネパール・パキスタン・バングラデシュ・スリランカ
印度系の料理人はネパール人が多いそうです。「クンビラ 恵比寿 1978年」、意外と早くからオープン。クンビラは聖なる神々の住む山の名。上に書いた「MANDALA 渋谷 1999年」「サンサーラ(輪廻) 小岩 2001年」はネパール料理店。
首都カトマンズからの「カンティプール(古名) 渋谷 1989年」「ナマステカトマンズ 吉祥寺 1997年」「カトマンドゥ 用賀 2009年」
ヒマラヤの呼称「アンナプルナ 西馬込 ガイト1987年掲載」ネパール本国からの出店「カトマンズガングリ 目黒 2001年」チベット料理も出しています。
来日するネパール人の方が多いので、あまり馴染みのないネパール語の店名も多いです。「Soaltee Mode(ソルティーモードー友達の集まる場所) 恵比寿 1999年」「レッサムフイリリ(ネパールのポピュラーソング、ラブソングで絹がひらひらはためく) 高輪 2001年」「サイノ(家族の意味) 神谷町 2004年」「バール=タラ(星の意味) 信濃町 2009年」近頃ポピュラーなネパールの餃子からの「モモ(MOMO) 大久保 2010年」
このインド・ネパール2国よりもぐっと少なくなるのですが、パキスタン、バングラデッシュ、スリランカのお店もあります。
パキスタンは「ガンダーラ 銀座 1981年」バングラデッシュ「ロイヤル・ベンガル 人形町 1988年」。多くはインド料理店で両国の料理を出しています。
90年代はなぜか英語「セイロンイン 中目黒 1991年」「パレット 恵比寿 1991-2012」「コートロッジ 中野 1993年」。
2000年代からスリランカに関係する言葉から「タップポーン(スリランカのセイロンの前の国の名) 青山 2011年」「アチャラナータ(梵語動かない神、不動明のこと) 中野 2013年」「KANDY(キャンディーーシンハラ人のキャンディ王国) 日本橋 2015年」スリランカカフェの「Ayubovan!(アユボワン!ーシンハラ語のこんにちは) 西日暮里 2015年」
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ドイツ料理
ロシアと同じく第一次世界戦争によりドイツ人捕虜の方々が来日しパン屋とハム製造ににて強い影響を残しています。
『パン職人』項目で扱った「フロインドリーブ 神戸 1924年」ハイリッヒ・フロインリーブ氏創業。「ローマイヤー 大崎1921年ハム製造、銀座レストラン1925年」アウグスト・ローマイヤー氏、「ケテル 銀座 1929-2004年」カール・ケテル氏、前の2店は残っていますが、「ケテル」は京都の「ケテル」が洋菓子を引き継いでいます。料理は写真の「エリカ 池袋 1961年」が「ケテル」で修行した創業者のもと4代にわたって継いでいます。
上記の「ケテル」がこれのまえに「ラインゴールド 銀座」という酒場を開きました。3年後に隣にレストランを開始。「ラインゴールド」の由来はワーグナーのオペラの「ラインの黄金」なのか、形容詞的に「黄金のライン川」なのかはわかりません。他に来日してドイツ人ウイルヘルム・ミュラーが開店した「ジャーマンベイカリー 銀座 1928年」有楽町、田園調布、横浜元町に支店があったそう。今は地方の暖簾分け、独立を果たした同名店が残っています。
◆ 地名
戦後はしばらく地名の時代でした。イエナというビール輸入会社の「ツークシュピッツェ(ドイツとオーストリアの国境の山) 銀座 2011-2019年」「Bodensee Akasaka(ボーデンゼーアカサカードイツのボーデン湖) 赤坂 2016年」
「ジャーマンベイカリー」のようなドイツの意味の店名「G.G.C(great German Cook) 銀座 1975年のガイド本掲載」同名で「グレート・ジャーマン・クック 蒲田 1981年」「Deutsche2(ドイチェドイチェードイツの中のドイツの意味) 表参道 2011年、既に改名」
◆ 名前
店主の名前は最初の2店以外に「カイテル 新宿 1986年」「アルマン 新宿 1990年」店主の大きな太鼓腹からの愛称から「パウケ 市ヶ谷 1980年前後の開店」。ドイツの有名人の名前はあまり見かけませんね。洋食・喫茶店に音楽家バッハやブラームス、ベートーベン 昔話の収集のグリム兄弟は見受けますが・・・。有名人じゃない通りすがりの人の名、絡まれた叔父さんの名前をつけた「IngoBingo(インゴビンゴ) 経堂 2013年」ちょっと面白い例。最初はドイツ語の地名やかっこいいドイツ語店名と考えたようですが、ドイツ語は覚えにくい、覚えやすくて自分とドイツを繋ぐ意味でつけたそうです。
ドイツビールの輸入会社ZATOザートグループが経営の「Zum Eichen Platz(アイヒュンプラッツ) 赤坂 2005年」「フランツクラブ 丸の内 2007年」「シュタインハウス 銀座 2008年」。「フランツクラブ」と「シュタインハウス」は地名か名前か区別がつきませんが、「アイヒュンプラッツ」は大きな樫(オーク)の下で輪になって集まって飲みましょうの意味だそうです。
ほかに同社は「カイザーホフ(皇帝の宮殿) 有楽町 2010年」「シュペッツレ(柔らかい卵麺の一種 ドイツ、アルザス、スイスのパスタ) 表参道 2011年」。
◆ 飲物名
ドイツ料理店はスペイン料理の様にいくつもの流行の波がなくて、名乗る店が少なめなのはビールを売りとするビアレストランが多いこともあります。流行の手作りビールのクラフトビールやベルギー、イギリスのビールもありますが、本物志向に走ればドイツビールに行きつきます。
ドイツビールの産地名ミュンヘン、ピレゼンの付く店と「ローゼンケラー(直訳薔薇の酒蔵) 銀座 1962年」が1960年代のガイド本掲載の店、。ドイツの地名の付く「ミュンヘン 新橋 1937年」、チェコの地名だけどビールの名産地「ピルゼン 銀座 1951年」、大阪にも老舗の「ニューミュンヘン 1958年」が多く店舗展開しています。
写真の「中目黒シュマッツ 2019年開店、表参道1号店2015年」。若いドイツ人オーナーの方の店、一気に18店に増やしています。意味は『幸せの音、美味しいものに舌を鳴らす、恋人同士のキッスの音など』の意味
もちろんツマミはドイツの名産ソーセージです。「ノイフランク(フランクフルトソーセージの本拠地で修行、ノイは新しいの意味) 国立 1990年」「ソーセージ 湯島 ガイド本1993年掲載」「ディヴルスト(ソーセージのドイツ語) 神谷町 1994年」「シンケンハウス(ハムの館の意味) 広尾 ガイド本1997年掲載」「ヴルストハウス(ソーセージの館) 虎ノ門 2013年」
ドイツ居酒屋として長く知られている「JSレネップ 日比谷 1978年」はJSはジャパンシュタイクハウス社の略、このソーセージ・ハムの会社のある所がレネップという町の名前。
予想外だったのはドイツ語の多い山岳用語が少なかったこと。山小屋を意味するドイツ語のヒュッテは喫茶店や洋食店では在りますが、ドイツ料理店は少ないです。
スペイン料理に比べて、あまり業態の変化はないドイツ料理店ですが、バルのようなタイプが出てきています。「Imbiss hareico(インビスハライコ) 九段下 2015年」、インビスは軽食屋、立ち食いスタンドの意味。「メッツゲライ ササキ 田園調布 開店年不明」メッツゲライは仏語のシャルキュトリー、惣菜屋 ★TOP頁へ(中国・中華料理のTOP頁)★ ☆世界各国料理のTOP頁へ☆
スペイン料理
バルとして隆盛を極めているスペイン系列の料理。魚介類大好きな日本人の嗜好にあっている料理。そして米料理のパエリヤ。料理としては南欧・地中海料理店のなかにスペインの料理を多く見かけました。
スペイン料理はフラメンコ舞踊のタブラオとして東京では「カサアルティスタ 大久保 1962年」「エルフラメンコ 新宿 1967年」「アルハンブラ 日暮里 1971年」「パティオフラメンコ 渋谷 1975年頃」のようにエンターテイメントを組み合わせていました。
今もこのタイプは多くあります。「サラ・アンダルーサ 恵比寿 1999年」「スペインクラブ 月島 1994年」
スペイン料理のみで「カルメン 神戸 1956年」が一番古く、以前upの「ロスプラトス 赤坂 1974-2007年」じゅらくグループ傘下の「びいどろ(ポルトガル語のガラス) 1977年開店六本木、銀座、吉祥寺にも」が初期のレストラン。
◆ 地名
地名は新旧関係なく、多くありスペインの方が長くやっている「EL Castellano(エル・カステリャーノ) 渋谷 1976年」「プエルト デ パロス 銀座 1991年」「パンプローナ 霞が関 1992年」「マドリード 渋谷 2005年」「アンダルシア 江古田 2010年」意外と早くから「メゾン・エル・バスコ 浜松町 1984年頃」があり、流行りだしてからの「アバスク ABASQUE 渋谷 2007年」「バイスバスコ 銀座 2012年」 「スリオラ(バスク地方の海岸の名) 銀座 最初2011年に麻布十番開店」
バスク地方はフランス領にも渡っているので仏料理のバスク料理店「ローブリュー(南青山)(バスクの四つ羽のシンボルマーク) 南青山 2002年」「サンジャンピエドポー(バスク地方の都市名) 渋谷区並木橋 2013年」もあります。
◆ 場所名
民俗的なもの、祭、闘牛、バラエティ豊かな名が多いです。場所名は多くフラメンコを魅せる中庭、城、海岸等。カタルーニャ地方のバレンシア・バルセロナ料理店も地名は少ないのですが、「バラッカ(バレンシア地方の農家の家屋の呼称) 赤坂 1982年」「カサ・カサート 新宿 1989年」「ポケリア(バルセロナの市場名) 中野 2015年」。元はギリシャ語の居酒屋のタベルナ、イタリアンにも使われていますが、「青山タベルナ 表参道 1973年」が一番古いようです。スペインの居酒屋の意味の「ボデゴン 六本木 1970年前後、鎌倉に移転したが閉店」。「カサベリヤ(美しい館) 新宿 1972年」「プエブロ青山(スペイン語の村) 青山 1977年」「エルカミーノ(道のスペイン語) 神楽坂 1994-2017年」「ラ・プラーヤ(渚、ビーチ) 渋谷 1994年」「CASTLLO(カスティージョー城の意味) 銀座 2009年」「プエルタ(入口) 門前仲町 2008年」「El Puente( エル プエンテー橋の意味) 外苑前 2013年 」「LA BPDEGA(ラボデガーワイン蔵) 有楽町 2007年」ビジネス系「ボテガ パリージャ(ワイン酒蔵の意味、この店のみグリルの意味のパリージャ) 池袋 2011年、全国6店舗」
お祭りが多く開かれるお国なので「フィエスタ 原宿 1992年」「カルナバル 赤坂 2006年」闘牛の闘牛士「マタドール 大森 2014年」疲れたら昼寝の「シエスタ 銀座 1974年」
なぜか動詞を付けることも多いです。母音が強い言葉がおおいので響きやすい特徴のためでしょう。「エルチャテオ(バルをはしごする) 銀座 1996年」「エスペロ(待つ、あなたを待っています) 銀座 1992年」「バル デ エスパーニャ ペロ バモス(ペロの姉妹店、バモスは行こう) 銀座 2007-2016年」「カンターラ(歌う) 池袋 2011年」「エル ヴエロ(飛ぶ) 表参道 2012年」「COMER&TOMAR(コメリトマルー食べる 取る、食べる) 六本木 2015年」
スペインからやってきたシェフの名前の「エル・パティ・デ・バラオナ 内幸町 2001年、リニューアルしてピンチョス ベポ」「ミゲルファニ 新宿 2015年」「ラ・コシーナ・ガストン 日本梅牡蠣町 2016年」「エネコ ENEKO Tokyo 六本木 2017年」
カソリックのお国なので聖人の名前もあります。「サンイシドロ 渋谷 2002年」「ロス・レイエス・マーゴス(開店日の1月6日がこの三賢人の日になるそうです) 代々木 1986年」スペイン人に人気の名前、パブロ・ピカソ(チーズケーキPABLOは彼の名から)も有名な「パブロ 中目黒 2018年」。ほかに開店年わからないが、スペインの有名人の店名も、「セルバンテス 麹町」「ガウディ」「ドンファン」はメジャーですが、サッカー選手名が今風なんですね。「PEP(^ペップージョゼップ・グアルディオラの愛称) 吉祥寺 2016年」
変わったところではバスク地方のサンセバスチャンの人々が集まり、料理して食事する美食の会の名前「TXOKO(チョコ) 西麻布 2007年」
◆ 食材名、料理名
「EL CERDO(エルセルドー豚) 宝町 2005年」「エル・プルポ(蛸の意味) 神楽坂 2007年」「イベリコ屋(スペインのブランド豚) 六本木 2008年、大阪1号店」魚を扱う漁師の意味の「エルペスカドール 自由が丘 1997年」、そのままの店名「スペイン魚介バル 新宿 2010年」「ラ・ペスケーラ・マリスケリア(スペイン語のシーフード専門店) 大手町 2013年」、炭火牛焼肉の直訳のような「アサドール・エル・ブエイ 飯田橋 2010年」も。
バルですから飲料の名前もあります。「しぇりークラブ 銀座 1986年」「バニュルス(甘口ワインの名) 銀座 2005年」「サングリア 青山 2013年」「アルドアック(バスク地方の言葉でワイン) 代々木八幡 2012ー2021年」
そして何度も取り上げたパエリアはどのレストランでも中心メニュー、本国からの名前の項のパエリアチャンピオンの「ミゲルファニ」「XIRINGUITO Escribà(チリンギートエクスリバ) 渋谷 2018年」等専門店も来日するほどの人気メニュー。
日本人の専門店「エルトラゴン(大食漢の意味、地元に馴染むように虎ノ門もかけている) 虎ノ門 2017年」でもありますが、料理店名は南欧料理の「パエリ家 六本木 1996年」当りが最初でしょうか。「La Paell屋(ラパエリヤ) 仙川 2013年」「バレ パエージャ(バレValeはOK、良いの意味?) 門前仲町 2013-2016年」「ぱえり屋 渋谷 2015年」「PAEZO(パエゾー) 銀座一丁目 2014年」。ピッツアほどは増えてい無いのは宅配「VIVAパエリア 2008年1号店」が勢力を広げているためかも。 ★TOP頁へ(中国・中華料理のTOP頁)★ ☆世界各国料理のTOP頁へ☆
メキシコ料理・テックスメックス (追加2019.11.24)
こちらもアメリカ経由(テックスメックス)で戦後からありました。
テックスメックスというアメリカ風メキシコ料理から入ってきたことと言語のスペイン語であることから店名は他とは違う流れです。中南米料理と括られている場合もあり、ラテンアメリカ全般の中にメキシコ料理店というはっきりした区切りができない時代が続きます。
1960年代は東京にはデータがなくて、大阪の地名(「エルパソ 1966年」)、横浜では地名(「アカプルコ 1967年」)、人関係の闘牛士(「エルマタドール 横浜市 1966年」)飲料名の仙台(「テキーラ 1967年」)と続きました。
1970年代になってメキシコ好きなオーナーの「ラ・カシータ(かわいい家) 代官山 1976年」「メヒコリンド(小さなメキシコ) 赤坂 1977年」がオープン。その後はフードビジネスのテックスメックス系「ゼスト 六本木 1976年、最初パプ、その後ゼストキャンティーナ(キャンテーヌは酒場の意味)」に今は2店ですが、かつては恵比寿、渋谷等7店舗展開していました。「ゼスト」は生きがい『Zest・for・Life』の言葉から、ゼスト自体の意味は熱意、情熱、変わった風味のフランス語とネットには上がっていました。
◆ 場所名
国名の店名は「メヒコリンド」は小さなメキシコの意味。ほかに「メキシコ 練馬区 日本で味わえる世界の味1969に掲載」「メキシコ 大手町」「メキシコ村 下北沢 1985年頃」「EL QUIXICO(エルキシコ) 西荻窪 1988年頃」。
「墨国回転鶏料理(ボッコクカイテンドリリョウリ)酒場 渋谷 2018年」はメキシコの鶏の丸焼き、国名と料理名の大阪から来たメキシコ居酒屋。美味しい!の意味の「QueRico(ケリコ)」、店名かどうか?が付いています。
◆ 名前
名前はスペイン語母国語の国が多く、ラテン系のイタリアとも似た名前が多いのでつけてもメキシコ感が出にくいようです。マリア、カルメン、アントニオ、ロペス、ゴンザレス、ペドロ、ホセ等。「ドン・ブランコ 新橋 1996年」というメキシコ料理店は英語でミスターホワイトですが、実はビルの名前桃の木ビルからのダジャレ。(川から桃がドンブラコ、ドンブラコ)
新しいオーストラリア発の「Guzman y Gomez(グズマン イー ゴメズ) 原宿 2015年1号店」は通称GYG、二人の名前。
今は隆盛のロメスパチェーン「スパゲッティのパンチョ 渋谷 2009年1号店」のパンチョはフランシスコの愛称。ずんぐり太った男性の意味もある、大阪の老舗メキシコ料理店「エルパンチョ 1979年」をはじめに「ロスパンチョス 亀戸 2003年」「PANCHOS(パンチョス) 渋谷 2016年」
◆ 人間関係
テックスメックスのステーキ屋だけどタコスもありの「エルアミーゴ 上野毛 1966-2014年」、「 SOL AMIGO(ソルアミーゴー太陽の友) 上野 1986年」「アミーゴアミーガメキシカン 麹町 2011年」「アロハアミーゴ 池袋 2014年」「アモーレアミーゴ 外苑前 2017年」これ以外にも食べログ等には多く載っています。
ほかに酔っぱらいの意味の「PATECATL BORRACHO(パテカトル ボラーチョー酒の神様パテカルと酔払いの組み合わせ) 上北沢 2012年」「エルボラーチョ 日本橋 2014年、福岡市1号店」。
ラテン系はお酒好きのイメージか好まれていて、メキシコ料理以外にも他イタリアン等の業種の「ボラーチョ 新橋 2012年」「バーボラッチョ 湯島 2014年」「El Borracho(エルブラッチョ) 六本木 2015年」「ボラッチョ 新宿 2019年」「ボラーチョ 目黒区大橋」「バルボラッチョ 秋葉原 2016年」があります。もちろん複数形、形容詞も「ボラーチョス 三軒茶屋 2014年」
人に関係するのはお礼のあいさつ「グラシアス 渋谷 1987年」。
「ドミンゴ 練馬区 開店年不明、2013年閉店」は日曜日の意味、名前にも使われていて、でメキシカンらしい店名、「カシータ」と同じくメキシコ10年以上在住の日本人によるお店。全国的でもドミンゴは喫茶店や洋食に使われています。
アミーゴ(女性形アミーガ)はラテン系レストランには人気がありイタリアン、スパニッシュ、中南米料理にもあります。
◆ 食材・料理名
食べ物関連は多く上の「タコスデアミーゴ」のタコスがもっとも多い店名です。ファストフードではタコス、ブリトー、トルテージャが多くはアメリカからのチェーン店(『パイ・タルト』2店アップ)が進出しています。
ほかに「オータコス 渋谷 2015年」「タコファナティコ 中目黒 2018年」、本国の方が作る生地の青いタコス!の「Los Tacos Azules(ロス・タコス・アスーレス) 三軒茶屋 2019年」
メキシコ産の辛い唐辛子ハバネロ、ハラペーニョも人気。「エル・アルボル(小さくて辛いメキシコ産唐辛子) 四ツ谷 1999年」「Chiles Mexican Grill(チレススメキシカングリルーチレスは唐辛子) 原宿」『香辛料・スパイス』でアップの「唐辛子バルチレデルナ(CHILE DE LUNA) 吉祥寺 2016-2018年」
サルサソースからの「サルサシータ(メキシコのボピュラー曲名でもある) 広尾 2007年、1999年に恵比寿から移転」「サルサカバナ 新橋 2015年」。
他にアボガド専門メキシカンの「アボガド 新宿 2011年」
◆ より深くメキシカンへ
店名は長くわかりにくい言葉が並びます。ヒュージという会社の「ラスドスカラス(二つの顔、HPによると伝統と発見) 原宿 1999年」「MUCHO MODERN MEXICANNO(ムーチョモダンメキシカーノ) 丸の内 2010年」「アシエンダ・デル・シエル(空の家) 代官山 2011年」「El Caliente(エルカリエンテー直訳ホット、スパイシー) 品川 2013年」と続々オープンしています。
メキシコの民族楽器「ラ・マリンバ 六本木 1985年」位でしたが、最近は文化面からのアプローチする店名「Aguila de perro(アギーラデペローメキシコ国旗の鷲と仙台出身楽天イーグルスのイヌワシから) 新橋 2018年」モダンメキシカン「MAYAluz(マヤルスーマヤ文化とluz光) 渋谷 2019年」
メキシコから「TORO TOKYO(トロー雄牛の意味) 銀座 2014年」が進出していますが、こちらは本国のモダンメキシカンの父といわれたリチャード・サンドバル氏の1号店になります。日本人個人の姓名をつけたモダンメキシカン店「KIYAS(キヤスーオーナーの苗字) 恵比寿 2018年」もあります。「CABOS(カボス) 西東京市 2019年」は岬の意味のスペイン語ですが、岬が海と空と陸が交え合う場所として交流の場のイメージ。メキシカンのイメージはない店名です。 ★TOP頁へ(中国・中華料理のTOP頁)★ ☆世界各国料理のTOP頁へ☆
トルコ料理・西アジア料理 (追加2019.11.24)
◆ 地名
西アジアの中では親日といわれているトルコ、世界三大料理の中に数えられる美食の国。前記の国々の中で比較的遅い開店。
日本では1978年に流行った『飛んでイスタンブール』という歌謡曲で知られる、トルコの最大の古都市名イスタンブール(かつては東ローマ帝国首都コスタンティーノーブルだった)から「イスタンブール 銀座 2008年、最初新宿三丁目1989年」
以後地名のオンパレードになります。「カルタゴ 中野 1990年」「カッパドキア 池袋 1991年」「アンカラ 渋谷 1992年」「ボスボラハサン 渋谷 1993年」「トプカピ 日比谷 1993年頃」「マルマラ 高田馬場 2002年」「イズミル 阿佐ヶ谷 2004年」「ブルガスアダ 麻布十番 2008年」「コンヤ 銀座 2009年」「アルミーナ 神田 2010年」「サバラン 自由が丘 2010年」「ドルジャマセラン 練馬 2011年」「アヤソフィヤ 練馬区練馬 2016年」
◆ 名前
古代ローマ時代のパルミア国(現シリア)の女王ゼノビアから「ゼノビア 広尾 2015年」姉妹店「ゼノビアカフェ 麻布十番 2018年」。女王はほかに「クレオパトラケバブ 渋谷 2014年」エジプト料理「ネフェルティティ 六本木 2010年」。
◆ その他
植物は「ザクロレストラン 日暮里 1998年」「ミシュミシュ(杏) 銀座 2014年」「LALE(ラーレーチューリップ、トルコの国花) 高円寺 2014年」ほかに写真の宝石トルコ石の意味の「トルコアズ 池袋 2013年」。
地中海アラブ料理店として、渋谷の新ビルに入ったのは埼玉県からの2店目開店「カールヴァーン 渋谷 2019年、飯能市2017年1号店」はキャラバン、隊商が語源。食を通して文化を伝える思いの店名。
◆ 食材・料理名
トルコ料理店としては最初のレストランは東京の老舗の「ドネル 吉祥寺 1974年」は閉店していますが、トルコで修行もした日本人シェフの店。回して焼く肉料理ドネルケバブからです。料理としてははインド料理にもあるシークカバブ、トルコ料理シシカバブ、羊、牛、鶏の肉の串焼料理が最初は有名でしたが、今は回転して焼いた焼肉ドネルケバブの一品専門料理店が大量発生中。
1990年代から屋台、キャピングカーによるテイクアウト中心に流行が始まりました。
大切だったのはケバブという食べ物の名前だったので店名は「スターケバブ 1999年、秋葉原路上移動車」「ナイスケバブ 池袋 2012年」「キングケバブ 十条 2013年」「ハッピーケバブ 外苑前 開店年不明」「ラッキーケバブ 大山」とトルコとは関係のない馴染みのある当たりの良い店名でした。
名前は「モーゼスさんのケバブ 上野 開店年不明」5店舗あります。
地名と名場所「アジアンケバブ 白金高輪」「アンテップケバブ 原宿」とトルコ、西アジア風になり写真の「ドイドイケバブ(トルコ語おなかいっぱい) 荻窪 2017年」「HEDE KEBAB(ヘデケバブー日本語の"はい"の意味) 練馬区練馬 2017年」と言葉も本国の店名になってきました。
ケバブを挟むパンの名前は少ないですが、前(『サンドイッチ』)に上げた「ピタザグレート」「クンパドゥファラェル 神泉 2009年」、新しい「Falafel Brothers(ファラフェル ブラザーズ) 六本木 2017年、恵比寿店2018年」があります。 ★TOP頁へ(中国・中華料理のTOP頁)★ ☆世界各国料理のTOP頁へ☆
アジアンエスニック料理 (追加2019.11.24)
いくつかの国をまとめたアジアンエスニック料理(民族料理)として知られ始めたのは1986年頃から、本国の方々が日常として利用していた食堂に目が向けられ一気に増えていきます。
興味は辛い料理からはじまり、ナタデココ、エッグタルト、羊料理、辛いの更に上のシビ辛と料理の興味からその国の料理へと広がっていきました。
◆ 日本人が好む店へ
別名トロピカル料理という呼び名もあり『日本で楽しむトロピカル料理 吉田よし子 1989年』にはフィリピン、インドネシア、ベトナム、マレーシア、ラオス、ビルマの国々の料理が載っています。料理本の出版、雑誌記事の掲載は1990年代からよく見かけるようになりまとた。
1980年代後半から20年ちょっとの2007年〜2008年のガイドを今回いろいろ見たのですが、ガイドの限界がみえてしまいました。ガイドはハレの日の食事の案内中心、エスニックは日常食、家庭の味であり、デイト食、接待食にはどうも不向き。
後は国が比較的近いためか、シェフ料理人の出入りが激しく、帰国したり、独立したりで繁昌人気店でも閉店してしまう状況もあります。
地中海料理店として南フランスからギリシャ、トルコまでまとめたように、アジアンエスニック料理店としてエリア括りの店が徐々に増えていきました。
流行のこのタイプは今ほとんどこの時代のは残っていないのですが、写真の90年代の「ヘイマーケット 新橋 1997年開店」はオーストラリアのシドニー市のチャイナタウン街のエリア地名。オーナーがシドニー市で修行していました。最初の頃のチグハグ感はなくいろいろ混じりあった東・東南アジアのイメージ。
◆ アジア・アジア+
「亜州菜家(亜州はアジアの意味) 自由が丘 1991年」「asian kitchen(アジアンキッチン) 新宿 1996年、1号店1993年」「エイジアンテーブル 竹芝 1995-2009年」「club asia(クラブアジア) 渋谷 1996年」「アジアン・ガーデン 渋谷 1997年」「エイジア 恵比寿 1998年」「アジアン ダイニング カフェ 早稲田 2002年」
変化球タイプでほとんど英語ですが、「アジアンビート 新宿 1995年」「アジアンパーム 渋谷 1997年」「ASIAN DINING 汎 ファン 渋谷 1999年」「アジアンヒート 銀座 2000-2008年」「アジアンフォレスト 市ヶ谷 2013年」。「デイトリップエイジアン 神泉 2016年」は美味しい料理で一日アジア旅行気分。
もう一つのエリア名のヨーロッパから見た東洋の呼び名オリエントは意外と少ないです。ネットの記事ではこの言葉が差別を感じる為に使わないようにする流れだそうです。
ビジネス系「オリエンタルスーク(アラビア、トルコの市場) 渋谷 1999年、1号店大阪1989年」「オリエンテルスプーン 渋谷 2001年」。日本語の「イコクヤ 新大久保 2002年」は七つの異国情緒の店
◆ 季節風とともに香る
代官山モンスーンカフェ
1995年開店
表参道モンスーンカフェ
2014年開店
このエリアをイメージする言葉も使われています。もっとも雑誌を賑わしたのは「モンスーンカフェ」高温多湿の気候を表す東南アジア吹く季節風。20年以上の時を経ているので、変わってきていて、今はタイ料理中心のメニュー構成の店も。(一番上の写真「モンスーンカフェ 表参道 2014年」)。当初はタイ料理を本国で習った人はいなかったと「アガリコ」の創業者が書いていました。
フージビジネス系は「ガネーシャ(タイ、インドの象頭の神様) 渋谷 1996年」大阪の会社の出店「Elephant Café(エレファントカフェ) 原宿 1999年」、インテリア会社IDEE経営の「ロジャック 表参道 1998-2005年」はマレー語の混ぜるでマレーシアのサラダ料理名。「ロータスガーデン 表参道 2015年」は仏教国の多い東南アジアのイメージ、蓮の花。
店が多い国の関係する言葉、トップ2(トウ)のインド、タイの言葉も多く付けています。近頃は必ず頭にアジアン・・・、オリエンタル・・・がついています。
「アジアンダイニングアロイ(タイ語美しい) 新宿 2001年」「カポム(タイ語のていねいなハイ、承知しました) 池袋 2001-2014年」「オリエンタルテーブルアマ(ネパール語のお母さん) 代々木 2001年」「コセリ(ネパール語お土産) 東中野 2011年」「アジアンビストロタオ(中国語Taoの道の意味) 池袋 2011年」
地名の「PARADISE MACAU(パラダイスマカオ) 宇田川町 2002年」「プーケットオリエンタル 日比谷 2018年」
飯田橋サパナ 2003年
新宿アガリコ 2016年開店
◆ 業態の拡がり
近年の傾向は最初は一国の料理店が支店、姉妹店をアジアンエスニックとしてオープンする例。タイ料理でアップの「アガリコ」はオリエンタルビストロが尻尾についています。新宿店はアジアンエスニック扱い。インドネパール料理店「サパナ 飯田橋 2003年1号店」もいろいろなアジア系のオープンするグループ。サパナは創業者の方がネパール人なのでネパール語の夢。
「アジアンキュイジーヌA.O.C(エーオーシーの意味は不明) 麻布十番 2017年開店」新しいアジアン料理を目指して、タイ、ベトナム、インドネシア、中国、マレーシアなどのアジア各国の料理の定番料理、ソウルフードにイタリアン、フレンチの西洋料理テイスを加えているそうです。。
辛い系の料理は今も頑張っています。アジアン系を名乗っているのは「赤い壺 表参道 2009年」「ファイヤーガーデン 恵比寿 2018年」辛い料理のイメージの店名
表参道赤い壺 2009年開店
恵比寿ファイヤーガーデン
2018年開店
辛い料理以外に2010年代は新しくはスパイス料理店の区分も出てきています。もちろん圧倒的にインド料理店が多いですが『香辛料・スパイス』でアップしている「バンコクスパイス」「スパイスジャヤ」他に「マジカルスパイス 新宿 2018年」「スパイストゥディ 池袋 2019年」。
先に上げた「ライム」「コリアンダー」のような香料の名も。パクチーに焦点を当てた「パクチーファン 新橋 2014年」
今は個々の国の麺料理が優勢ですが、初期には「ASIAN NOODLES(アジアンヌードル) 渋谷 2001年」というアジアンでまとめた店もありました。
多国籍料理・無国籍料理そして自分の世界へ (追加2019.11.24)
◆ 始まり黎明期
比較的新しい呼び名、多国籍料理・無国籍料理と名付けられたジャンルは何時ごろからは推測してみました。
前にアップした『南欧料理店・地中海料理店』上記の『アジアンエスニック料理店』より前から、ノンジャンル、コンチネンタル、トロピカル、ユーラシア、地球料理というジャンルを使っているお店もあります。ノンジャンルは無国籍、残りは多国籍料理店でしょう。
写真の「新宿中村屋 新宿 1901年」は開店当初から外国の料理をアレンジせず受け入れ、この手のレストランの先駆け。印度式カレー、ボルシチ、ピロシキ等を売り出し、かつ文化人との交流の場でもあった、
おそらくレストラン経営者の憧れの姿でしょう。今は贈答用カレーに名前が残る「民族レストラン 新宿 1969年」はいろいろな国の料理を味わえるレストランでした。
今は2014年の立て直し以後、中村屋関連のレストラン(カレー専門店マンナ、デリカ専門ボンナ)だけではないですが、最上階の「グランナ 2014年」はグローバルフードレストラン、メニューとしては多国籍料理のレストランとなっています。
隣のビルの「フルーツパーラー高野 新宿 1885年」も1969年に立てた新ビルの6階に「ワールドレストラン(後でワールドスナックに改名)」ではヨーロッパ中心ですが各種の国の料理を食べることができました。
帝国ホテルがはじめたバイキングも各国料理が多く登場する多国籍風。
◆ 百国万来
1970年代のホテルのレストランはコンチネンタル(イギリス・アメリカ大陸側からの欧州の呼称)料理に使い、ホテルのコンチネンタルブレイクファースト(大陸風冷たい朝食)として一般には広まっています。名前だけですが「コンチネンタルルーム(ホータルオータニ)」「シェヌー(山の上ホテル)」「バルゴ(ニューオータニ)」「ビクターズ(ウェステンホテル)」等。現在はホテル系のオールディダイニングと呼ばれるレストランはこの多国籍タイプ。
言葉の説明では多国籍と無国籍は、どこの国の料理かはっきりわかるのが多国、あらゆる国の料理に創作のテクニックをくわえて○○風となっているのが無国籍ですが、実際は区別はつきません。ネットでも同じものが検索されてきます。
同様にネット普及以前もいろいろ調べてもガイド本ごとに同じ店が別々のジャンルになっている場合も多数。
始まりはアジアンエスニックと同じ頃と、1980年代ネットや資料では阿古真理氏、大衆食堂分野の遠藤哲夫氏が無国籍料理店について書いています。
かかわったのは今はエッセイも書く料理研究家で、料理学校や修行の経験もないため、かえって自由に料理できたことで、日本人の嗜好に合わせた味付けにしたこと、料理もアジアンエスニックを超えてチュニジアやニューギニアの料理も取り入れたので無国籍と名付けてたのだろうとしていました。
無国籍料理の名づけは日本人によるものとなっていました。
西洋料理系には上記のようなコンチネンタル、各国料理、欧風料理等のエリア名がありましたが中華・韓国朝鮮を除くアジア系の料理店には特にありませんでした。それで無国籍が生まれてきたのでしょう。
店名はカルマはブータンの言葉で星、クークーは造語(本によるとロシア映画から、でもいろいろ書かれています)と分かりやすい店名ではありません。料理メニューとリンクしているのかも。
◆ 多国籍?無国籍?
多国籍も同様にいろいろな国の料理が広がり、出てきたエスニックの新分野としてとらえていました。雑誌『Hanako 1992.6.25号(エスニック特集)』には多国籍料理店として以前タイ料理とした「ラ・メームパリ 渋谷」「ブリッキーヌ(タイの激辛唐辛子プリッキーヌ) 赤坂 1991年」「オリエンタルカフェ 吉祥寺」ホテル内にある「ラバンチュール(仏語冒険) 箱崎 1991年」「クリクリ」を掲載していました。
時々ガイドによって多国籍になる「ビストロKuriKuri(クリクリ) 参宮橋 1965年、最初父親の別名の店」もオーナー夫婦は世界を放浪後、家の店を継いで始めています。「クリクリ」はオーナーがギリシャで見た言葉でも現地では有名な天然記念物の鹿の名前とか、でもはっきりはしないそうです。
料理も西アジア地方の料理からネパール、地中海風料理と時とともに変わっていき、休業後始めたのは茶屋、和カフェ。時間差多国籍料理店ですね。
いろいろなガイドに載っていたバリ島の雰囲気のアジアン系「SUNDA(スンダーフィリピン島群の呼称) 渋谷 1986年頃」西アジア方面の料理もあったので無国籍を名乗ったのでしょう。
多種多様なアジア系無国籍がありました「沙羅沙 渋谷 1990年」「PASHA(パシャーオスマン帝国の偉い人の称号) 池袋 1991年」「Scala Dei(スカラ・デイースペイン語の神の階段、お店の中にシンボリックな階段がある) 麻布十番 1997年」「ユーラシア 神楽坂 1997年」「遊民大食坊PAOPAO(遊牧民の家) 新宿 1997年」
無国籍が現れる以前から欧州エリアは多くの広くとらえる名ががあり、「コンチネンタル」は先のようにホテルがほとんどですが、「松浦亭 南青山 1989-2008年」「伊万里 六本木」多くは欧風と名乗っていた中で、コンチネンタル料理となっているガイド本がありました。欧風より少し高級のイメージ。
現在は「コンチネンタルサファリ 六本木 2015年」、少ないのは全国にあるコンチルンタルホテルとネットで見るとモダンオーストラリア料理がコンチネンタル料理と呼ばれているようです。オーストラリアの多民族の各料理を現代風にした料理とのこと。
似たようなコロニアル(植民地風)も少ないけどあります。すでに閉店している「Aila(アイラーアラビア語の家族) 恵比寿 2003年」、新しい「コロニアルガーデン 吉祥寺 2013年」イタリアンベースの「ワールドテーブル 湯島 2016年」。「Aila(アイラ」はモロッコ出身のオーナーの店でフランスの植民地、北アフリカ、ベトナム、カリブ島等の料理に地中海料理が混ざっていました。
以前『南欧料理店・地中海料理店』でアップの「シカーダ 表参道 2003年」は南麻布から移転時にヨーロピアンコロニアルレストランのコンセプトを掲げています。他にこの店は環地中海料理とも呼ばれています。(お店のHP上)
出版の長く続く文春の『東京いい店おいしい店』では1981年版から「和田門 六本木」、1989-90年版ではプラスして「小川軒 代官山」「胡椒亭 銀座」。講談社の『東京おいしい店ガイド86』は「和田門」に加えて「シャーウッド 西新宿」「じゃるだん 銀座」「大都会本店 高田馬場」と様々なタイプ。98-99版からはこの項目はなく、各国料理にまとめられていました。
◆ 無国・多国籍から様々な店へ ⓢー(追加2019.12.9)
15年ほど継続していた『東京おいしい店ガイド 講談社 1985〜1999年出版』には「キハチ」を92~93年版(1991年出版)から、94~95年版(1993年出版)にはプラスして「ガーデン 竹芝」「Cacio(カッチーオ) 目黒」「ING駒沢(イングコマザワ) 駒沢」ラストの版(1999年出版)では「キハチ」「グレープ・ガンボ(英語のオクラ、ガンボがはいるアメリカのごった煮、料理がケイジャン、エスニック、和洋折衷なので) 銀座 1998年」を無国籍料理として掲載。すべて洋系の無国籍料理店でした。
「キハチ」の姉妹店の「セラン(仏語花束) 外苑前 1999年」もフレンチベース無国籍からスタートして最後はイタリアンになっていました。
キハチ、セランの元シェフのお店は無国籍料理店が多く「食工房ルコラ 西麻布 1999年」、2000年代では「django(ジャンゴ) 赤坂 2007年ガイド掲載」は無国籍になっていましたが、今は洋食・創作料理、フェイスブックではイタリアン、フレンチ、新アメリカの記述でした。無国籍料理店「SIMPLE DISH(シンプルデッシュ) 自由が丘 2009年」、創作料理ですが「百瀬食堂 阿佐ヶ谷 2016年」も出身者。
「レリノス」以外は名前からの店名ですが、レリノスはピーマンの詰め物料理のスペイン語。この料理にこだわりがあるのかオーナー料理人は(メニューにはないそう)次の店でも「RELLENO SUGAWARA(ルエノスガワラ) 表参道 2006年」(再掲『材料・調理名さまざま』)でも今度は同じような料理のルエノ(ピーマンと海老を詰めたメキシコ料理 ぎっしり中身の詰まった料理に充実の想いを込めて relllerno詰め物をする)のメキシコ語を使っています。こちらはインターナショナルキュイジーヌを名乗っていました。
インターナショナルキュイジーヌは国際料理が直訳、先の「トレーダーヴックス」にも当てていますが、アメリカ版多国籍料理でしょうか。アメリカ合衆国の国そのものが多国籍。
食べログではアメリカ料理の「ニューヨークグリル 西新宿 1999年」もガイドブックによってはこの分野名。ネットの『東京フードページ』にはほかに「アイヴィープレスイ」「ステラート」「ボタニカ」「ユニオンスクエア」とアメリカン系列。
はじめ無国籍の「タブローズ(活人画、活きた人間が歴史的人物に扮する芸) 代官山 1992年」は料理人が変わって2019年に国際料理店、モダンアメリカンキュイジーヌ店になっています。
ほとんどこの分野を扱わない文春の『東京いい店うまい店2013-2014』に掲載唯一の無国籍カフェ「IVYPLACE(アイビープレイス) 代官山 2011年」(『アメリカがすき?』掲載)を載せていました。
今はビジネス系「WIRED CAFÉ(ワイヤードカフェ) 原宿 1999年」(『流行ー丸からえんへ』掲載)ニューヨーク風としてオープン、この店以外に多展開する前はフードに重点を置いた「WIRED DINER(ワイヤードダイナー) 渋谷 1999年」、「3rd Stone Cafe(サードプラネット) 阿佐ヶ谷 2001年」いわゆるカフェ飯、アジアンエスニック系無国籍料理(雑誌にはメニューはオリエンタル・ニュー・コンプレックスとあります)のメニュー中心。今も食べログには五反田店には無国籍のメニュー名。
プランナーの方の著作でwiredは一般的にはネットの繋がるの意味ですが、彼の意図は英語のスラング、イライラした、ピリピリした意味を差し、その頃の建物前のキャットストリートが鋭い感受性をもつ雰囲気表現した店名。
オリエンタル・ニュー・コンプレックスという料理分野もその時の最先端だったのでしょう。(2019.12.9)
細かい検索ができるこの時代には多国関、無国籍料理は範囲が広すぎて具体的な用語ではないのでしょう。
業態の末尾にはよく追加されていますが、メインのお店の売りにはなりにくくなっていますね。
2000年代からデザイナーズの店の全盛となってダイニング、ダイニングバーの業態が定着するとその料理の多くはは多国籍・無国籍な創作料理となります。
ダイニングはビジネス系も多く「Ken's Dining(ケンズダイニング) 西麻布 1999年」「すみか 台場 1999年」「yellow g(イエロージーー黄金の国ジパングの意味) 銀座 2001年」とペアの姉妹店「Silver g(シルバージー) 恵比寿 」「Dancing Monkey(ダンシングモンキー) 表参道 2002年」
豆腐料理店の梅の花のオリエンタルダイニング「Umenohana 有楽町 2002年頃」は多国籍料理。
食材系は以前の記事とダブりますが、「NOODLES(ヌードルス『麺類ーラーメン屋』掲載) 麻布 2000年」「フイッシュバンク(魚の貯蔵庫の意味) 西麻布 2002年、汐留2003年」「マゼ(『西洋の仮装』) 麻布十番 2002年」ダイニングの前に業種名をつけて和ダイニング、アジアダイニング、蕎麦ダイニング、串揚げダイニング等へ変化が、名乗る店は少なくしていきます。
無国籍に多く振り分けられていた食材系も食材名が一品専門店(ワンテーマ)の出現で前面に出てきます。
80年台後半から2000年代、20年弱の間を駆け抜けた流行の二つの業種、無国籍料理店などは無コック料理店とネットでは揶揄する記事もあります。新しもの好き、好奇心いっぱいの若い層向けの食べ物屋のスタイルだったようです。
今、劣勢の中それでも無国籍多国籍を冠する店はコンセプトをしっかり掲げて頑張っていますね。
写真の「ライク 白金台 2019年」は英語のlike、"Like a Chinese”“Like a Thai”“Like a Japanese”、中華のようなタイ料理のような日本料理のような。オーナーの言葉で、多国籍料理としていますが、ちょっと創作が入っているようなので、『食べログ』の無国籍の方があっているように思います。
「セルサルサーレ 代官山 2017年」はすべて塩の意味のヨーロッパ言語。イタリアン中心の欧州系無国籍。「夜台所ベーシック 恵比寿 2018年」は英語のBASE(ベース)と仏語のCHIC(シック)の造語、日常的な料理を枠にとらわれない粋でがコンセプト。
看板、室内の猫グッズで猫が好きというコンセプトのみの回文店名の「コノコネコノコ 西荻窪 2017年」も無国籍ビストロ。
珍しいところでは新店のフュージョン・イノベーティブレストラン「ツギヒロ・チャン 六本木 2019年」、ツギヒロ・チャンは架空のシェフ・クリエーター、シンガポール生まれバリ育ち。人物を創造してコンセプトを反映させている手法のようです。
六本木一億 1968年開店
下北沢ビストロジャックポット
1976年開店
麹町ドーカン 1986年開店
八丁堀トランクカフェ
2018年開店
長く店を続けるには時の流れに乗っていく知恵も必要。無・多国籍の区分はガイド側がつけた業態名。
現在は無国籍の「一億(開店当時日本の人口が一億に、彼らが皆店に来てくれるように、他HPより) 六本木 1968年」の始まりは食堂、キッチン(家庭料理?)。豆腐ステーキが有名でしたが、今はアジアンエスニック料理が入っています
昭和の青山遊び人ご用達の24時間営業でファミレスと呼ばれた「ビストロSARA (サラーイタリア語・スペイン語の部屋、リビングルーム?綴りはsala) 青山 1970ー2011年頃」洋食レストラン、インターナショナルカフェとなり、後半は無国籍料理屋でも知られています。
「ビストロジャックポット 下北沢 1976年」は最初はオリジナル、気まま料理(無国籍?)。現在はオイスターバーとなって店数を増やしています。
「墨絵(スミノエ) 新宿 1983年」は創業時は地中海料理、今呼称はレストラン(仏洋、パン屋も)、バル。
「ドーカン 麹町 1986年」はとうきょう料理の名称から始まっています。(現在のガイドでは無国籍・創作)。「ドーカン」は店名にしばられないように意味ない音、言葉を組み合わせてつけたそうです。お客の中には江戸の最初の領主太田道灌からという方もいるそうですが、それも良しとしているそうです。「クリクリ」や「クークー」と同様のつけ方でした。
右下写真の新しい「TRUNK CAFE(トランクカフェ) 八丁堀 2018年開店」は最初から多国籍料理を目指し、オーナーご夫婦とオーナー弟で40ヶ国の料理を提供。店名の意味は資料では見つけられないのですが、でも旅行鞄、トランクとその上に張り付いたホークとスプーンの目印をみれば想像はつきますね。
多国籍料理・無国籍料理の店名の傾向をまとめると、当初は料理のように創作した造語店名、「キハチ」や「フーミーズ」「Ken's Dining(ケンズダイニング) 」のように名前の店名も見かけますが、地名は少なく、和風になったり、英語っぽくなったり、その時の流行語が多く、料理の流行とリンクするように流れているようです。
余談・×(カケル)2ーイノベーティブの一歩後ろから (追加2021.3.24)
開店年がわかっている洋・和の「本郷バー本店 本郷 1908年」や洋・中の「アルプス 神田 1927年」など。
戦後も数か国の料理を出す欧風、地中海、各国料理店となのる店が多く存在。『材料・調理名さまざま』上記の同じ頁『世界各国料理の流れは・・』でも多くアップしました。
写真の「オイテリア割烹りんどう(看板はOsteria Kappo RINDO) 三軒茶屋 2017年」イタリアン(山形県の食材と出汁を使う、竜胆も山形の特産品)のように店名ではなく頭や尻尾にショルダー店名としてつくのが最初は普通でした。
最近はっきりした意図を持った二国間の料理店も出てきています。
店名はどちらかに寄るタイプ、同等にバランスを保つタイプ、全くかけ離れるタイプにわかれます。
アジアでアップした店(『東南アジア料理』『インド・パキスタン。ネパール料理』)は隣国同士の組み合わせは当たり前にあります。タイ・ベトナム、インド・ネパールが多いです。
アジア系や欧州系の店の中には2種類の料理出す、またはハイブリッド料理として組み合わせている食べ物屋が相当数見かけました。
明治の後半にあった和洋は流れでやむを得ずの事例ですが、最近のは意図して行う、主にフードビジネス系に多いようです。
以前アップのデップウェイ「デップパレス」等を経営していてインドとタイ料理店。ディップはヒンデイー語のろうそくの灯火。
2000年代のダイニング優勢の頃の伊・和「綺座(kizaーキザ) 有楽町 2003年、現在はイタリアン」「Alux(アリュックスーall luxuryから造語 すべての贅沢) 南青山 2006年」和・仏「酒房食堂dish(英語の皿) 吉祥寺 2007年、現在は改名」「Ezara(これも絵皿?) 下高井戸 2012年」創作料理と呼んでいるガイド本もありました。このころは店名も創作をしていました。
超有名店「茶禅華(サゼンカ) 広尾 2017年」は和魂漢才のコンセプト。禅が精神的、華が中国の調理法、茶が付くのでお茶もティーペアリングしています。店名は合体をした料理を表す付け方。
「四川大衆ハオワール 神保町 2019年」は大衆酒場で麻辣おでんが名物。ハオワールは楽しい・おもしろいの中国語。
同列に並べた中華とイタリアンとで店名通りの「イタチャイナ 江戸川区一之江 2001年」。離れた国のタイとメキシコはご夫婦の店「ジャイタイ・ナスカ(タイの心とペルーの地ナスカ) 乃木坂 2012年」、最初はピッツア店、後熟成ステーキと懐石「WabiSal(ワビサーレ) 渋谷 2011年、既に閉店」ワビは詫び寂び、サーレは伊語の塩との組み合わせた店名。
銀座ナール 2014-2019年開店
市ヶ谷ドゥイタリアン
2009開店
食材麺類のでは現在は神奈川県茅ケ崎市にある創作そば「なぁる」はその前は「Soba Ristorante na-ru(オーナーの愛娘の名から) 銀座一丁目 2014-2019年」というイタリアン系+蕎麦屋でした。同様の再掲「そばりあん(蕎麦+イタリアン) 三軒茶屋 2018年」。「Grasara(グラサラ) 月島 2019年」はイタリア語の『Granosaraceno グラノサラチェーノ(蕎麦)』から。
麺類繋がりの関係、このコラボはイタリアン系ラーメン「Due Italian(ドゥイタリアン) 市ヶ谷 2009年」もありました。元イタリアンシェフ、ラーメンの鬼と称された佐野実氏の影響からイタリアンとラーメンの二つの顔、第二の人生にイタリア語2、Dueに込められています。以前はフレンチのガレットと蕎麦の組み合わせのカフェがあったのですが、閉店、全国ではあります。
入れ子のような店名「パヴォーネ・インディアーノ(インド孔雀のイタリア語) 幡ヶ谷 2016年」イタリアンをベースにしたインドのスバイス料理店、「 祖師谷大蔵 2020年」ベトナムとフレンチ、ベトナム語の春巻のネムと生のフランス語のクリュの造語で生春巻きの意味。
ヌーベルエスニックと付いているフレンチとアジアン「ATHA(アタ) 恵比寿 2017年」サンスクリット語の物事の始まり。
タイとイタリアン「AMANe(アマン) 自由が丘 2019年」はタイ料理好きのイタリアンのシェフの空想タイ料理バル。アマンは意外にも日本語旬の訓読み『アマネ』、最後の"ネ"を外国語風に"ン"と読んでいます。四季ごとの旬の食材を使って調理しているから。
超高級店「SPICE LAB TOKYO(スパイスラボトーキョー) 銀座 2019年」、スパイスの実験室の意味のまるでカレー店のような店名。モダンインディアンキュイジーヌを名乗っています。イギリス、ギリシャ、アラブ諸国の影響を受けたフレンチエッセンスのスパイシーといいながら辛い料理は少ないそうです。
エッ!ホントニ?と、とても驚いたのはミシュラン星の有名店の店名の組み合わせの「デンクシフロリ 神宮前 2020年」、串料理店ですが、予約困難な超有名店和食「傳」フレンチ「フロリルージュ」をの店名を組み合わせています。
★ 参考文献
★ベストオブ東京いい店うまい店 文藝春秋 2010
★エスニックブック 山と渓谷社 1987
★エスニック料理 同朋舎 1988
★エスニックの評判のいい店おいしい店 長田史子 廣済堂 1994
★エスニックレストランめぐり グリフィス 2011
★東京エスニック料理読本 アルシーブ 1984
★居酒屋礼賛 森下賢一 毎日新聞社 1992年
★アジア食堂 枻出版社 2011年
★日本で楽しむトロピカル料理 1989
★東京おいしい店ガイド 講談社 1984〜1999
★シェフシリーズ エスニック料理東南アジアの味 1986年 中央公論社
★アジダス 小学館 1988
★キングオブグルメ 中国アジア料理 キャリアビジョン 2006
★パクチーとアジア飯 阿古真理 中央公論新社 2018
★西参道びすとろくりくり物語 クロダエリ PHP研究所 1993
★諸国空想料理店 高山みなみ 筑摩書房 1995