こちらは店名からではなく、基になった植物、動物、自然現象などからみてみたいとおもいます。
松 《植物No.1》
2020年07月31日書換え・追加2023年12月30日
松竹梅のトップを飾る松。まつは何よりもその丈夫さ、強さが第一の選ばれる理由です。
江戸城の調査では土台が松の木が使われていることがわかっています。
最近見たテレビのコマーシャルで立替前、戦前のの丸ビル、東京駅の土台が松であったことが放送されていました。また、東北の大震災でただ一本残った松のの樹が心のよりどころとして映し出されていました。残念ながら、本物の樹木は塩害のため長くはもたず、モニュメントとして形だけは残されました。
松はその強さから防風林、防砂林として浜辺に植えられ、人々を守ってきたことが改めて目に残った場面です。
金閣寺陸舟の松
大切な寺や神社を守るため、多く植えられた松、300年以上の長寿のため神木となっています。600年(推定)の松も(東京江戸川区影向の松、京都金閣寺陸舟の松)あり、それが幾多の伝説の松を生み出します。
高砂相生の松、羽衣の松など。
それを題材に能の高砂、老松が創作されています。背景は松が描かれ、新年にその年の平穏無事、豊穣を願って武家で舞われていました。
特に徳川家は松平の姓のため、松を重用したようで、京都二条城を観光したおり、全国の大名の謁見の間にはふすまにも、上席にも巨大な松の絵、狩野探幽作の屏風絵が威圧する風にありました。
権力の象徴としての力と松に寿ぐ神聖な力が加わり、正月の門松となります。新年の神が松に降りるようにとの願いが現在も続いています。
店名仲間
高砂・相生・常盤・松葉・松の実・松栄・松月・松竹、パイン・ピーノ・ピニョン
有名店は江戸時代のにぎり鮨屋松乃鮨(名前から)、蕎麦のまつや、牛丼の松家、松月庵
圧倒的に多いのは牛丼のチェーン店「松屋 1966年 牛丼1号店江古田1968年」。由来はホームぺージを見ても書いてありませんが、他のホームページでは創業者の父親の屋号だったとか。
松屋常盤(京都)
松屋の老舗をネットなどで探すと、和菓子屋が圧倒的に多いです。京都の「松屋常盤」は松屋伝兵衛が1652年~1655年の間の創業とされ、松屋山城として各名簿に載っています。他に「松屋藤兵衛」「松彌 1888年」京都市城陽市長池の「松屋」が古め。
東京にも伊勢出身の松屋伝兵衛が創業した「松屋 神田松永町 1769年」、柴又の飴屋「松屋 1868年」が出てきます。
全国的では福岡の博多の卵麺の「松屋 1673年」、関東でも栃木県の「松屋 下都賀郡壬生町 1673年」があります。
まつや(神田)
あまたの有名人が通った蕎麦屋の名店です。最初の創業時は松屋でした。最初の経営者福島市蔵氏(1884年創業)から現在のオーナー一族(酒屋伊勢政本店)譲り受けた後、1963年に株式会社登録時におそらく、商標の関係か「まつや」になりました。(『蕎麦春秋58号』には戦後復興の願いを平仮名の「まつや」こめいてるそうでする)
江戸時代の後期のガイド本にも「松屋」はのってます。蕎麦屋にはよくある店名でした。
市内どこでもあるのは牛丼「松屋 江古田 1号店、1968年、最初中華店」創業者はホントは姓を店名にしたかったのですが、とても珍しい姓のため馴染みがないとして実家の屋号「松屋」を店名につけたそうです。「まつや」も「松屋」も継いだ店名のため詳しい由来は不明。
京都の「松葉」も有名なにしん蕎麦発祥の蕎麦屋ですが、最初は「松屋」を名乗っていました。
松栄(恵比寿)
松はいろいろな字と組み合わせられます。現在は名前からの店名も多い。一番有名なのは洋食「松栄亭(ショウエイテイー洋食の項目の『賀字系』) 淡路町 1907年」。どの資料を探しても、由来は不明。
写真は新しい店ではピューターズの鮨屋「松栄(マツエイ) 恵比寿 1966年、1992年リニューアル」。鮨屋から始まり、今は松に玄をつけた蕎麦屋「松玄」、バーも経営する。代表の姓名が松下氏、同名のバー「松下」もあり。ただ、ピューターズは松とは関係のない金属の『錫(金属のすず、詳細は会社HPにあります。)』のこと
賀字の組み合わせはその他、松喜、松楽、松壽
松月庵(池之端)
自然物のとの組み合わせも多く、松月、松風、松葉、松竹、磯松。
松の葉模様と月の組み合わせ印、チェーン店のお蕎麦屋さん
お蕎麦の松月庵は今もある池之端の地に松山武助氏が1920年(大正9年)に開店した。苗字の一字に月を付けたもの。店数が多いのは二代目の行った独自の資金貸付制度の功績とか。フェイスブックだと、全国123店の暖簾分け店があるそうです。
1824年刊の『江戸買物独案内』には「松月堂 本町二丁目」、1855年刊の『蕎麦道中記』は「松月庵」が載っていますので、古くからの知られた蕎麦の店名でした。
松竹(写真松竹園カフェ)ー追加2023年12月30日
植物の人気者松竹梅と桜と菊はいろいろな組み合わせをして店名になっています。
竹も梅もあまり賀字を使う例は少なく、同じく花に注目の春の桜、秋の菊は定番はすくなく、多くは形容詞的な組み合わせ
多さは一番の松+ 、苗字10位以内に入ることで、多いこともあり松がやはり一番多いです。
苗字は圧倒的な多さの松、自然物だけでも山、川、田、岡、村、木、等、位置関係の下、本、尾、元、なぜか少ない上。かつては名前、松吉、松太郎、松雄、松子等名前にも見掛けましたが今は少ないです。
昔からの愛用店名、松竹や松竹梅の組み合わせもあります。和食のコース、懐石弁当のランク付けに使うも最近はあまりにあからさまなので減っていますが・・・。
松竹で有名なのは芸能関係で1902年に興した大谷竹次郎氏と白井松次郎氏の兄弟が芸能の合資会社『松竹(マツタケ)』。
後に1920年より『松竹(ショウチク)』となり池袋、新宿、五反田の歓楽街に演芸場松竹館、浅草に松竹少女歌劇団(1928年~、後のSKD)を興していました。
店名の老舗は蕎麦屋「松竹庵ます川 小川町 1830年、1970年代人形町支店松竹庵」和食「松竹 本郷 1925年」和洋中料理「松竹 新宿 『東京市商工名鑑1933』掲載」元松竹会館跡地の「松竹堂café 本郷 2006年」。
新しいのはあまりないのですが、ヴィーガンカフェ「松竹園カフェ 浅草 2019年」。
松風(北品川)ー追加2023年12月30日
自然物の松風、暖簾分けゆえ松月が店名としては多いです。松月は言葉辞典には掲載がない造語ですが、松風は3つの由来がありました。
先に菓子銘由来(『《京都の煎餅菓子》』)に載せた自然描写と芸術以外に茶道用語の『松風』。お茶をたてるお湯の温度が最適な状態の湯加減が松風の吹く音だそうです。ほか禅語『松風颯々声』『閑座聴松風』など。
蕎麦屋が多いです。「松風亭 青山 1905年」「松風 北品川 明治後期」、ほそ川修行の「松風 根津 2013年」は北品川の親戚筋。居酒屋「萬屋松風 池袋 1964年?資料1974年」
松葉(京都)ー追加2023年12月30日
和菓子の焼菓子銘としてありますが店名も多少ありました。和菓子屋「松葉屋 石川県小松市 1852年」等全国に多い店名。蕎麦菓子には松葉の形を模した"松葉ぼうろ"「松琴堂 下関市 慶応年間開店」「鍵善義房」の"松葉"他に洋風に"松葉クッキー"があります。松葉模様は元がしっかり繫がり離れないことで夫婦円満を象徴。
有名なのは江戸期終わり創業蕎麦屋「松葉(初代松野与左衛門) 京都 1861年」は1882年2代目創案にしんそば。同じく麺類のきつねうどん元祖「松葉家(初代宇佐美要太郎、現在は「うさみ亭マツバヤ」) 大阪市 1893年」。
東京も和食、食べログで一番多い鮨屋「松葉鮨 清澄白河 1894年」「松葉寿司 南千住 1951年」、蕎麦屋「松葉茶屋(松の葉がいっぱいある場所からの屋号) 深大寺 戦後」。
和菓子屋が多くあり、最新は「松葉屋茶寮 南青山 2023年」はビジネス系盆栽と和菓子をコンセプトに、盆栽生産者とのコラボレーション。
ピノコーダ(南青山)
洋名はあまり多くはありません。料理に松の実を使うからでしょうか、イタリアンの「ピノーロ 銀座 1997年」があります。ユニマットの経営で、イタリアの風景のなかにイタリア笠松がよく出てくるのでイタリアらしさで親しみがあるのでしょう。
松という姓は10番以内入るほど多いので若松からの店名「オステリアピノ・ジョーヴァネ 池袋 2007年」、松元から「カサデルピノ 目黒 2013年」もあります。写真「Pino Coda(ピノコーダ) 南青山 2013年」はイタリアンで、オーナー松尾氏の伊語
ちなみに、童話の『ピノッキオ』は松の木で造られたのでこの名前。
タカサゴ(竹橋) 2015.11.30追加
松は長く珍重されていましたから、いろいろな言葉で松を形容する言葉があります。高砂の松、相生の松、常盤の松、千歳の松。「千年の常盤木」禅語の『松寿千年翠』がこれらの言葉を後押しします。
相生の松は全国にあり、有名なのが兵庫県高砂神社の相生の松、一本の松が雌雄の松になる様子を夫婦和合を表す。これが謡曲、能の『高砂』として、室町時代から、祝言に舞われる。
地名の高砂は当て字をすることなく、平仮名やこのままの漢字でつけられています。ネット上で東京で一番古そうなのは「蕎麦の膳たかさご 神楽坂 1887年開店」ですが、お店のHPでは別名で最初あり、1949年(昭和24年)にこの店名を引き継いだとあります。
同様に1962年「高砂寿司 大田区雪ヶ谷」も大親方の修行先、現在は交通会館のあった有楽町の「高砂寿司」を引きつでいるとのこと。
高砂は中華、カレー、鰻と東京は種々ありますが、全国的には和菓子の「本高砂屋 神戸市 1877年創業」最初は「紅花堂」1884年に「高砂屋」、1945年に「本高砂屋」となり、全国に数多く展開しています。
写真はカレー屋「タカサゴ 竹橋 1650年(慶安2年)創業」、最初は一膳飯屋高瀬屋、神田三崎町で営業。何時ごろか、老夫婦で働く姿が『高砂』の夫婦のようだとして、語呂よく、縁起も良いので、誰が聞いても覚えやすいこの店名に変えたそうです。その後、ミルクホール、カレー専門店、神田はビルとなり、1971年頃竹橋で開業。
江戸の振袖火事、東京大震災、戦災と焼失の憂き目に遭いながら、現代11代目とネット記事『KANDAアーカイブ百年企業のれん三代記』にあります。
ときわ食堂(巣鴨)
松の頭言葉、常盤、千歳は不変、長寿を表します。
江戸時代からこれらの店名は鮨屋、料亭と使われていましたが、現在はそれを継ぐ形で町の中にどこかにある店名。込められた願が地名にに使われすぎて、あまりに普通に目立たなくなっています。
以前にもアップした「常盤食堂」を一例にすると、1907年の本所小梅本町の「ときわ牛めし店」が始まり。
愛知県出身の上野喜代作氏が修行先上野高級料亭「常盤花壇」から店名を付けました。
さらに翻って。神戸の前田又吉氏が明治元年に「常盤花壇」を開店、親戚と一時は4店舗を経営。東京への出店が何時ごろかは不明です。前田又吉氏は京都のホテル史では「京都オークラホテル」の前身、「常盤ホテル」も創業していました。
他の語より、残した気持ちが強いのか、「登喜和」「常笑」「ときわ」の店名もあります。写真は一番新しい、巣鴨のときわ食堂 (2014年開店)
ミシュラン関西で全国に知られた「松 堺市 2019年閉店」は名前の一字からですが、読み方が「トキワ」と読むそうです。
参考資料
◆松(ものと人間の文化史) 高嶋雄三郎 法政大学出版会 1975
◆日本の文様 14 松 光琳社出版 1971
◆花の民俗学 桜井満 おうふう 2000
◆歳時の文化事典 五十嵐謙吉 八坂書房 2006
◆日・中・英言語文化事典 マクミランランゲージハウス 2000
◆家紋の文化史 講談社 1999
◆歴史学事典 3 かたちとくらし 弘文堂 1995
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竹・笹 《No.2 植物》
2015年06月15日
京都嵯峨野の竹林
他のふたつに比べると、地味め、ありがたさも劣る。ありがちですが真ん中というのはなぜか没個性でつまらない印象があります。竹は日常ではプラスチック製品が今占めている用途にありました。ペットボトルからお弁当箱、箸、籠、笊、笠、筒、笛、竹垣、各種入れ物など。竹かんむりの字がそれを表しています。
日々の生活の中で使うことにより、そのしなやかの中の強さ、茶人が愛した青竹から茶、黒と変化する侘び趣味を確かめることができます。
笹の葉
竹は雨後の筍のようにその生命力が全てです。良寛の逸話が伝えるように、日に日に目に見えて成長する姿は驚異です。竹取物語の竹から生まれたかぐや姫はあっという間に大人になります。
その生命力が邪を退けるとして、地鎮祭や小正月のもちをさしたり、七夕に使われるのです。伝説昔話でも、死者や化け物を退けるために、筍が生え、守ってくれたりします。
それがひとつの結界、別世界が竹薮の向うにあるのではと想像、竹林の七賢人は中国の伝説。
店名仲間
竹林・竹葉・竹園・竹薮・若竹・青竹・笹・小笹
植物学では竹と笹は違うのですが、区分は難しく、一般的には背の高い竹、低い笹でしょうか。竹一字の店名は少なく、区切られた別世界、一つの世界を表す竹園、竹の里、竹林や道具として竹とんぼ、竹馬を付けています。
竹屋、笹屋(写真 銀座竹の庵)
地名や名前から付けられたのは、古いものは判りません。笹が付く老舗は再掲の「「笹の雪」「笹巻き毛抜きすし」は、いろいろなガイドに載っています。
姓から確認できるのは「さかな竹若 築地 1988年開店」現在鮨からスイーツまで手広くやっています。「鮨竹 銀座 2014年開店」、姓の一字を取っていますが、女性であることで雑誌に注目されています。
蕎麦屋の「竹や 御茶ノ水 1987年開店」は店主の大竹勝也さんの苗字の一字からでしょうね。
ラーメン屋「銀笹 銀座 2010年開店」の笹も店主の姓の笹沼さんの一字と銀座のくみあわせでしょう。
京都には笹屋と付く和菓子屋が多いのですが、東京にも見受けられるます。
京都「笹屋伊織 1716年創業」を修行先としている「笹屋 根津 1955年開店」があります。
写真は竹若から暖簾分けした「竹の庵 銀座 2011年」の3店目2015年開店の「てんぷら竹の庵 東銀座 2015年」です。
竹+・・・(写真 竹爐山房 吉祥寺)
松ほど、多くはありませんね。
竹はエリア囲むイメージで「竹の里」「竹園」「竹の苑」「竹の庵」「竹の郷」「竹苑」「竹邸」「竹林」。笹は「笹陣」くらい。うっそうとした竹林のその奥にある隠家、雀のお宿のような別世界を造りたいからです。
中華料理に多く、読みも「チク」となります。写真は「竹爐山房(チクロサンボウー創業時に中国南部の無錫(ウーシー市)の太湖にあった茶器収蔵庫の蔵の名) 吉祥寺 1987年」竹から造られた「竹とんぼ」「竹馬」、そして「若竹」「竹の子」。竹は一気に成長しますので、囲まれたお店は作りやすいですね。東京都都下にステーキ、豆腐料理の店を増やしている高尾の「うかい竹亭(チクテイ) 1975年」も竹林の中にあります。
京都は竹林だらけなので、京都らしさを漂わせるためか、中華は少なく、京料理、和食がおおいです。
竹葉亭(銀座)
「竹葉亭 銀座 1866年」銀座の鰻屋さん。でも竹の字ですが、由来は笹。お酒の別称ササからです。他に竹が植えられていたとか、店主の雅号だった説もあります。同様の酒の由来は居酒屋「笹吟 代々木上原 1996年」もあります。
小笹寿し(銀座)
神田の「笹鮨 1903年」も老舗で有名ですが、雑誌に多いのはこちら。1950年、銀座に発し、下北沢で絵にかいたような鮨屋の頑固おやじでよく批判もされていました。
いまは若い方が引き継ぎ、銀座(1995年)でも弟子のかたが、やられています。小説家の山口瞳さんの『行きつけの店』でもなかなかの人物として描かれています。
店名の由来は資料が確認できないのですが、銀座に開店したおり、所縁の作家の方が江戸時代を舞台に腰元小笹とお小姓の恋物語をハガキ小説として配布したそのヒロインの名とか。歌舞伎には脇役で数名の小笹が出てくるのですが、わかりません。
強い個性のお鮨屋でしたので、印象が強く、直弟子のみが引き継ぐ店名。神泉の鮨屋「小笹」は修行期間が短かったので寿司をあえてつけないとどこかの記事にありました。
同名の「小笹 吉祥寺 1951年」(『一坪の奇跡 稲垣篤子 ダイヤモンド社』)の朝5時からの羊羹に並ぶ行列が有名な和菓子屋さんは「オザザ」と読み、こちらは母親の出身地の家紋、笹竜胆(ササリンドウ)からです。
並木藪蕎麦(浅草)
蕎麦の老舗、藪蕎麦。もともとは江戸時代、雑司ヶ谷の竹藪の中に美味しい蕎麦屋が2店あり、藪の内の蕎麦の通り名が美味しい蕎麦屋の代名詞となり、広まりました。
資料によると深川にも一軒、藪蕎麦と呼ばれる蕎麦屋が存在したそうです。
創業は江戸時代末といわれる団子坂蔦屋もこの名で呼ばれ、明治から繁盛していましたが、廃業し、それを砂場の系列の「中砂」の堀田家方が継いで「神田藪蕎麦 1880年」として今も、続いています。(2014年火事によりは休業したが、再開)
参考に神田藪蕎麦の小冊子を転載すると『名称の由来 幕末の頃より本郷団子坂にあった「蔦屋」(竹藪が多く、やぶそばの通称を得ていた)の連雀町店を明治十三年(一八八〇年)に堀田七兵衛が譲りうけて、「藪蕎麦」の屋号で営業を開始いたしました。』です。
藪御三家として親戚筋がやっている「並木藪蕎麦 浅草 1913年」「上野藪蕎麦 上野 1892年」があります。同ランクの「浜町藪蕎麦 1904年」「池之端藪蕎麦 1954年(暖簾分け時、藪安 1967年から)」もひかえています。
「池之端藪蕎麦」出身の多数の弟子を輩出している、柏市のカリスマ阿部孝雄氏は「竹やぶ」という店名にしています。
バンブー
竹の英語はバンブー。1977年から原宿のサンドイッチレストランとして、今現在はフレンチのバンプー。オーナーの姓名一字の竹の英語です。
仏、伊語も々発音。結構、音の印象が強いので、よく使われます。
「バンブー・グラッシィー 恵比寿 2003年」は2店目も2015年に作った鉄板焼きのお店は笹の意味。
ニューヨークで最初の鮨屋は日本語で「竹寿司」でしたが。
竹というとアジアでは中国のイメージですが、一店「テナム 六本木 2007年」は韓国家庭料理店で竹の意味。
竹取
竹には他の二つにない、「竹取物語」という物語世界が付随していることがあります。流行の範疇に入りますが。2004年に「竹取百物語 銀座」をフードビジネスのダイヤモンドダイニングが開店していました。今はないようですが、これに続いて「竹取酒物語」「竹取の庭」「竹取桜御殿」「竹取伝説」「竹取の音色」「竹取の花しずく」「竹取桜めぐり」と食べログから拾っただけでもこれだけあります。
ほとんど、竹取の世界のイメージで作られた個室系居酒屋、ダイニングですが、最初のダイヤモンドダイニングのコンセプトは違っていました。
『東京プレミアダイニング ぴあ 2005』の中で代表は竹取物語には成立の説が99あり、100番目はお客がつくってほしいと答えています。サービスする人も内装も料理も竹取物語の影もないと書かれていました。
参考資料
☆竹(ものと人間の文化史) 高嶋雄三郎 法政大学出版会 1973
☆花の民俗学 桜井満 おうふう 2000
☆歳時の文化事典 五十嵐謙吉 八坂書房 2006
☆家紋の文化史 講談社 1999
☆日・中・英言語文化事典 マクミランランゲージハウス 2000
☆日本史大事典 平凡社 1992
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梅 《植物No.3》
2015年06月15日
湯島天神の梅の花
二人の兄と末っ子の美人の誉れ高い妹分ですね。尾形光琳の紅梅白梅図が現すように絵にも美しい姿、梅の模様、家紋も多い。江戸から有名な梅の名園もあります。古木も多く、水戸の階樂園のHPに梅の古木、鉄幹の見れる案内地図の掲載があります。
梅の一番の味方は菅原道真公です。桜人気に負けて右近の橘、左近の梅の位置を譲りましたが、天神様をまつる天満宮は今も梅です。飛梅伝説から、不運の道真公を慕って大宰府まで梅の木が飛んで行ったという伝説。
梅は松竹と違うのはその実が食べられること、またその香。梅香という店名もあるくらい。香道の世界では梅に関係するお香の名前があります。
店名仲間
梅園・梅香・紅梅・塩梅
全国的の展開中なのは豆腐料理を売りとする「梅の花 福岡県久留米市 1986年1号店、東京多摩市1997年」。社長の名前の梅野からででいます。
以前、載せた老舗の甘味処「梅園(人形町)」は梅園の隣に開店したことから
「塩梅(麻布十番)」の塩梅は塩と梅酢のこと、昔はこのふたつの味付けが重要だったことから。
現代では発音が大切になっているので、子供の名づけでも梅の字を使うことは少なく、名前でも店名に増えることはないでしょう。
春の先駆けの梅の花は春のフィナーレを務める桜の華やかさに完敗というところですね。
よし梅(人形町)
上記の「梅の花」も苗字ですが、こちら「よし梅 人形町 1927年」は芳町の梅さんからだそうです。ねぎま鍋で有名。
明治後期の『東京明覧』には「芳梅亭」2店、「芳梅軒」1店があります。「芳梅亭 淡路町」は西洋料理を出していました。
「丸梅 四谷荒木町 戦前」は女主人井上梅さん。『運鈍根 扇谷正造編 産能大学出版部 1971』ではお客は政財界、文壇のお歴々の方が多かった伝説の家庭料理のお店。おでん屋の屋台を始めたとき、丸に梅の提灯をつるしたことが始まり。
その後、一年に一か月、12年かけて、大阪の割烹福丸屋に通い、料理を学んだとのこと。震災の一年前(1922年?)、その時代では珍しい一日一組のお客に料理を出す割烹を開店。
その時の店名には修行先への感謝の念を丸梅にこめていたのでしょう。戦後は四谷本塩町に移転、2代目まで続いていたのですが、閉点年不明。
戦前、関西よりやってきた「梅もと 銀座」、梅元榮吉氏が開き、こちらも2代目まで1963年出版の『東京うまい店200店 柴田書店』、最初の版の1967年出版『東京いい店うまい店 文藝春秋』は2000年版まで載っていました。
現在は梅もとビルも2011年に売られ、そのビルで梅もとで修行したいう「九献(くこんー九献”とは女房詞(古語)で『酒』という意味) 2002年」がやっています。
梅屋(西新宿)
古代、梅が大陸からもたらされたときは、梅の実から造る薬のためでしたから、野生の梅の木はありません。人間が作った梅の名園が多かったのでその近くの「梅園」や「梅林」、そしてもうひとつ、天神様を祭る神社近くに梅がつくお店があります。
湯島天神のお好み焼き「梅園」新宿鳴子天神近くにも割烹「梅屋 西新宿 1966年、戦後直ぐラーメン店として創業」があります。
京都北野天神の北野白梅町には地名からかもしれませんが、「紅梅庵 1989年」。梅の花の器に梅の香りの梅そうめんを出しています。
イタリアンで新しさがあるのは「emu(エム) 世田谷区上町 2013年」、店の目印の梅の木がありローマ字で梅の逆さ読みしているのは"ウ"が言いにくいのでしょう。
天神様の紋、梅鉢は加賀の前田家の家紋にもなっています。向島の野菜菓子店「梅鉢屋 1915」は創業時は「円山商店」、関東大震災のおり亀戸天神に無時を祈願して幸運も訪れたので、あやかってこの紋を店名にしたそうです。
梅(ウメ)+・・・(写真 柳橋梅寿司)
梅だけでお多いのは「梅すし」「梅寿司」です。古そうなところでは、「梅寿司 柳橋 昭和初開店」。銀座の「梅乃寿司 1930年代」。残念ながら、2代目だったそうですが、銀座は2011年に閉店したと、常連さんのブログにありました。開店年が分かっているのは他に「梅寿司 新宿 1948年」。
ウメの発音はインパクトが店名としては役不足ですが、甘味屋の「梅園」「梅むら」、今は立ち食いそばのチェーン店「梅もと 1876年」と漢字にして梅の字で目だたせています。戦後すぐには珈琲ショップ「梅の木 赤羽」「ウメヤ 港区芝田村町」がオープンしていました。
京都にある鰻屋「梅の井 1907年開店」、修行先は新橋の「梅乃井 1892年」。姓名で井は人の住む井戸のあるところ、居の賀字ともされているので、意味としては「梅乃屋」。新橋のほかに「梅の井 神田錦町 1911年」明治大正の商工名鑑で確認できます。
梅(バイ)+・・・梅花亭(柳橋)
音読みでバイとして、多くの店名があります。老舗だとどうしてもお菓子屋になるのですが、写真は「梅花亭 柳橋 1850年」、同じく神楽坂にも1935年創業の「梅花亭」もあります。
濁音で強いので「梅香」「梅紅「「梅好」「「梅幸」「梅光」「紅梅」「香梅」と組み合わせ多数。
長崎市には「梅月堂 」という大きな和菓子、ケーキも扱うお菓子屋が有名です。東京にも同名の「梅月堂 文京区向ヶ丘」があります。
『東京商工名鑑』には「梅香亭 赤坂 1910年開店」が載っています。東京ではないのですが、ハヤシライスの特集だと必ず取り上げられていた「梅香亭 横浜市 1924年」2011年に閉店してしまいましたが、名物おばあさんがいました。
ひと口カツの元祖「梅琳 銀座 1927年開店」、残念ながらHPにも店名の由来はなく、分かりません。
味付けの加減の塩梅(アンバイ)は庄やグループの「酒BAL塩梅」と干物が売りの麻布十番の「あん梅 1996年」が有名です。
蕎麦屋ではもともと少なく、現在はチェーン店「梅もと 創業1876年、東京1号店新宿1966年?」位しか梅の付く店はありませんが、以前は「紅梅庵 神田駿河台 1958年頃」が1967年のガイドにありました。
プラム?(写真 横浜ぷらむ)
外国語の梅は地名の変換以外(大坂の梅田)はとても少ないですね。桜と同じように梅の実の方が注目されるため、プラム、ジャパニーズアプリコットとよばれます。ヨーロッパ系も同様。プラムやアプリコットでは別の果物になります。
写真は横浜のレストラン喫茶「ぷらむ 1960年代中頃」、ネット上では昭和レトロ感満載、ナポリタンの美味しい店として評判です。
梅は松や竹に比べ、洋食系につく店名はとてもすくないです。オーナーが男性がおおく、フェミニンな感じの梅は避けられています。
参考資料
◎梅(ものと人間の文化史) 有岡 利幸 法政大学出版会 1989
◎花の民俗学 桜井満 おうふう 2000
◎家紋の文化史 講談社 1999
◎日・中・英言語文化事典 マクミランランゲージハウス 2000
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桜 《植物 No.4》
2015年06月15日
新宿御苑の桜
春の花の梅のライバル。店名では勝負は桜が今一歩及びませんでしたが、最近は頑張っています。はやりもの、人気者に弱い世の中の流れです。
テレビで言っていましたが、近頃題名に桜を歌った歌がはやりやすい。福山雅浩「桜坂」、森山直太郎「さくら」、いきものがたり「SAKURA」、AKB「さくら咲け」他3曲もありました。なるほどでした。
和歌の世界、万葉集は梅が勝っていましたが、平安時代には桜が抜きました。唐風から和風に文化が転換した時に桜の姿、あり方が日本人の心情に沿っていたといわれています。
文学の世界では頑張っていたのですが、絵画や家紋の分野では今ひとつ梅を抜くことがありません。絵画的には梅が枝と言われる梅の枝振りの美しさが勝り、桜はちよっと分が悪い。
家紋も一家を守る家印ですから、一瞬で散る桜の花は避けられています。
もうひとつ、桜の校章が海軍兵学校だったため、歌に「俺とおまえは同期の桜・・・見事散りませ国のため」とあるように軍国主義の象徴のように扱われて、しばらく避けられていました。
店名仲間
桜花・チェリー
桜は広い範囲で付けられます。料亭からホテルのレストラン、カフェ、フレンチ、カフェ、居酒屋、現在流行のバルまで。
松や梅、竹、が、和食の範囲に偏り寄り勝ちですが、サクラの人気でなんでも許せてしまう力があります。
ただ、桜は長く続く店名ではないようです。店が上手くいかなくなったとき、桜散るように、潔くということで絞めてしまうのでしょうか。
アレンジもさくら、SAKURA、咲くらと耳に入った時もさくらの音にこだわりバリエーションが少ない。
それだけ唯一無二の花。英語でチェリーが煙草も含めて流行った時もありましたが、こちらは意味は桜桃、サクランボ、西洋では花ではなく実桜が、好まれています。ケーキのクラフティー、キルッシュトルテ、お酒もあります。
サクラカフェ(清澄白河)
写真のカフェ「Sacra Café(さくらカフェ) 清澄白河 2006年」は苗字の桜井さんから。他に由来としてアメリカのサクラメント市ともちろん桜の花から。苗字桜井さんから付けるのは意外に多いかも。
1985年開店、新感覚日本料理店として雑誌に取り上げられた「青山さくら 1984年」のオーナーも桜井夫妻でした。
同じく桜井さんがオーナーの「桜んぼ 新宿区 1964年開店」、ガイドにはビーフシチューの名店と書かれていました。
2012年オープンの和酒とおばんざい「櫻咲 東麻布 2012年」今はもう店主の退職で改名していますが、お名前の一字と櫻の組み合わせ。
さくらバル(自由が丘)
ちかくの桜の名所や桜の樹木がある場所にあるので名付けた一例。
中目黒や九段下、国立付近が桜の名所
都内の北の丸公園と千鳥ヶ淵にかつてあったフェヤーモントホテル(1951-2002)。フレンチの「スリジェ(Serrisiers-仏語のサクランボ)、桜の季節は良い眺めであったそう。(ユーミンの歌詞に桜のホテルとして-ブログの記事)
今は2014年にオープンした「飯田橋サクラテラス」や神楽坂のビストロ「スリジエ 2015年開店」があります。他に2001年開店「さくら本店 飯田橋」という和食屋。
「さくらカフェ 中野坂下 2010年」も2本の桜の木があります。同じく「鉄板焼さくら 早稲田 2010年開店」も神田川の美しい桜からです。写真は「さくらバル 自由が丘 2011年」店の横に桜の木。
さくら家(入船)
焼鳥「さくら家 入船 1917年」こちらは地名、佐倉市に実家の店があったのでその名をそのまま付けた例(食べログて2011年開店の暖簾分け店「うめ家 新橋」をみつけました。)。他に「ルレサクラ 新桜町 2011年」地名からもわかるように桜並木が多く、そこのルレは、お休み処、茶屋のような役割を担いたい店名とか。
最近オープンのパティスリー「ビガロー 桜新町 2014年開店」はサクランボの種類から。
後、これは推測ですが、「メゾン・ド・スリジェ 鉢山 2000年開店」も地名を仏語にしたものだと考えます。2007年の移転前は世田谷区桜3丁目の住所で入居していた建物にも桜の名前が付いていました。
チェリー(蒲田) ーⓢ(追加2017.9.3)
桜の外国語は長くなじみにくいのでも桜の実、桜桃の英語やヨーロッパ系の呼び名が使われます。
お酒やケーキに、チェリーはかつて煙草のなまえでもあったので、おぼえやすかったようです。写真老舗喫茶店「チェリー 蒲田 1954年」。
仏語もサクランボのスリジェ、「レストランスリジェ 調布市 1974年」がガイドによくケーキ屋として載っていました。
外国名はけっして多くはないです。よほどの桜にこだわる想いがある場合に選ばれます。1960年代開店の「モンモランシィ桜」はフランスのサクランボの産地名、珍しいイタリア語の「アマレーナ 中目黒 2012年」もお酒に使うサクランボのシロップ漬け。同じくイタリア語のプリンスホテルのさくらタワーのイタリアン「チリエージュ 高輪 2013年」。
ちなみに、発音はいろいろあるでしょうが、英語「チェリーブロッサム」仏語「フルールドスリジェ」「フィオーレディチリエージョ」は伊語、「独語「キルシュプリューテ」。いかにも外国は『花より団子』で実を好んでいるのかがわかります。スペイン語のみ「セレッソ」でサッカーチームの名前として広く普及。
( 追 加2017.9.3 )1960年代のガイドに「モンモランシー桜 新宿 1966年(開店年はHP)」が載っていました。
サクランボの産地モンモランシー郡の有名な名家モンモランシー家因む命名。
1934年創業のフランス菓子製菓櫻製菓が新宿メトロ街に開いたフランス料理店。シチューやロールキャベツを出したりして後、1983年に和仏折衷のパンも販売する「墨繪(スミノエ)」となりました。(2017.9.3)
SAKURA(写真神保町サクラカフェ)
桜には日本としての象徴、外国人向けにアピールする役目もありました。外国人を迎えるホテルのレストランにはうってつけの店名です。
写真はサクラハウスが経営するサクラホテルの「サクラカフェ 神保町 2010年」。世界中のバックパッカー旅行者のためのホテルのカフェ
お台場のホテル日航「さくら 1996年」、第一ホテル両国「食彩酒房さくら 両国 2000年」、国際文化会館(会館は1952年創立)の「レストランSAKURA 麻布十番 2006年」「THE SAKURA DINING 西新宿 2014年」は新宿アイランドタワーにあり、周辺の外国人をお客とするという。他に大阪のホテルニューオータニのフレンチ「SAKURA 1986年、ホテル開業時より」もありますね。
さくら屋(新橋)
馬肉の別称がさくら肉、食材がメインの店名になるあたらしいタイプ。
明治時代に牛肉の代わりに安い馬肉を使った桜鍋が遊郭吉原近くに二十店ほどあり、ネットでは元祖として中江桾太郎氏の「中江 三ノ輪 1905年開店」が挙がっています。馬肉料理としてほかに「みの家 森下 1897年開店」は美濃出身の初代の店。
今は肉ブームでもあり、馬肉も馬の店名が付く店が増えています。
さらに別名も増えつつあります。馬刺しで有名な熊本の「櫻屋 1955年創業」を意識しての店名が「さくらや 名古屋」「桜家 甲府」「さ蔵家 仙台」「さくらや 弘前市」「桜家 大阪」「さくらや 奈良」とあり、「さくら屋 新橋 2014年開店」もその一軒でしょう。
他に「さくら家 亀有」、店主名前が桜井さんで馬刺しもだす大衆酒場「さくら屋 板橋 2012年」「馬肉屋サクラ 御茶ノ水 2015年」「炭焼さくらや 北千住 2015年」「さくら馬(バ)ール 湯島 2015年」。新しい店はダブルネームで、馬肉料理を表す頭付きです。
桜+・・・(写真 九段下さくらさくら 2002年開店)
桜の花の華やかさは日本人にとって心躍る風景。卒業式から入学式、社会人への門出の時期の桜。NHK調査(1996年調査)ので30パーセント近くが一番好きな花に掲げています。
桜に組み合わせるのはとても少なく、「桜花」「西櫻亭」くらい。六本木に「桜庵(オウアン) 1986年開店」がありました。箱根の旅館「桜庵(古いブログでは日本を代表する旅館を目指し、日本の国花の桜を旅館名にしたとか)」の支店でしてが、閉店した後同じ場所のワインショップ併設の「ぶどう酒食堂SAKURA 2010年(再掲)」がサクラの店名を引き継いだのでしょう。
「桜庵」はほかに「桜庵 三鷹市 1997年」和風フレンチ「桜庵 世田谷区奥沢 1997年、既に閉店」中華広東料理の「櫻花苑 赤坂」、皆オウアンと読みますが、全国ではサクラアンの読みもしています。
多いのは桜の強調の例「さくらさくら」「さくらさく」「「咲くや」「桜の舞」「桜の宴」「桜しずく」、大手の居酒屋チェーン店多数。
写真と同名店「さくらさくら 白金台 2005-2011年」うどんと京料理、古民家のリノベーション、大島桜、ソメイヨシノ、ボタン桜と桜一杯の店づくりをしていました。
最初の項目で出できた「青山さくら」のオーナー桜井夫妻は『ぴあ』の雑誌で「日本人に一番馴染み深い花だから」選んだ店名と答えていました。
桜古今東西
いろいろな資料にあたっていくと、そこそこの数で桜の店名を発見。
昭和初期(1933年)のガイドブック「櫻食堂 日本橋」江戸前料理を安く食わせる店で、浅草の有名な騎西屋の御曹司の店、その日に仕入れた食材をその日に料理して売り切る、今の旬を強調する店と同じですね。
「桜荘 神田 1936年」は最初カフェからスタートして、載っていたガイドブック(1991年出版)ではおでん屋でした。美味しいものが食べられる小さい国を意味する店名だとか。今の食べログでは江戸前寿司の桜荘に変わっていました。
明治初期の創業開花楼が昭和初期に出した「新開花 神田明神下」が気軽にと「割烹さくら」をオープンしていました。
現在(2016.3)は建て替え中で、お客に愛されたお店の前の桜の木は別の場所に移植されています。
「さくら茶屋 吉祥寺 1989-2007年頃」は井の頭公園の桜をテーマにして、メニューに桜のイメージの料理を加えて工夫。ネットをみると今は兵庫県たつの市で再開しているようですね。お客のブログによると『一年中味わえる桜の味』のキャッチコピーだそうです。
左の写真の「スリジエ 神楽坂 2015年」最初ビストロ、今は中華ワインバルに変更。みんなで花見のように楽しくお酒が飲める、お店が桜の木のように皆の大好きになりたいの思いから。
ビストロ「スリジィエ 新橋 2006年頃」カウンター席のだけのフレンチで、店名はフランス語、そのカウンターが桜の木の一枚板からつくられたので。
銀座の創作和食店「櫻 2016年開店」のHPには人々に愛され心和やかな可憐サクラになぞらえて「櫻」と銘打ったとありました・
2016年3月に華々しくオープした東急プラザ銀座。江戸切子のイメージの外壁は建設中の間も目立つ存在でした。
その最上階の「櫻ノ茶屋 銀座」、枝垂桜が植えられて、銀座の癒しの空間を造りだしているとのこと。店名は旧字の櫻を使用して、江戸の雰囲気を出すようにしいてます。
アジアン・エスニック料理店も桜の店名が付けられる例がありますね。韓国、ネパール、インド系が多いです。自国の言葉ではなく、あえて日本人の好きな花の名をつけるのは馴染んでほしいからでしょうか、たとえベタな昭和の店名といわれても・・・。
ちなみに別の項目で見た子供の名づけ年度別で、2000年から2010年の間、女の子の名前に『さくら』の名前が上位にランキングしていました。
春の盛を演出する、短い季節に人々を魅了するサクラの花、写真は京都の桜の名勝地の妙心寺退蔵院の桜
参考資料
◎桜 1 2 ものと人間の文化史) 高嶋雄三郎 法政大学出版会 2007
◎桜 高木きよ子 中央公論社 1996
◎歳時の文化事典 五十嵐謙吉 八坂書房 2006
◎日・中・英言語文化事典 マクミランランゲージハウス 2000
◎日本史大事典 平凡社 1992
◎さくら百科 丸善 2010
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タマ、玉、珠 《器物 No.1》
2015年06月15日
玉は美しい宝石、呪術の世界の数珠、水晶だま、今はパワーストーンが想像できます。昔は日常の中であまり見ることはできません。
玉の字は海の石、真珠玉、サンゴ等を表し、珠の字が山から産出する水晶、金剛石、瑠璃などを言います。
アクセサリーの歴史の中で、奈良時代以前では勾玉を含めた玉類が首や耳をかざっていました。古墳の副葬品としてみつかっています。
神話の世界では不思議な玉として、海幸山幸彦の話に汐満玉と汐干玉が登場します。同様に海神の娘たち、豊玉姫、玉寄姫の玉が付いて名前の姫がいます。
これ等のことは玉は、珠は海からやってくるもの。海の力を秘めたもの。実際翡翠は河原から、真珠はアコヤ貝から発見されます。
日本人は海の向うに異界、神の国があると考え、海からの物を神として、夷、戎、恵比寿として、敬い神として祭りました。その力が邪から守ってくると信じていたようです。
恵比寿様は鯛と釣竿をもつ姿、海からの恵みをもたらす神様、写真では一番右側の神様、宝船に乗った七福神も海からやってきます。
麻布十番稲荷神社の七福神
でも、奈良時代の仏教伝来が、アクセサリーの役目を終わらせたといわれます。
いろいろな説があるのですが、ひとつは法律でアクセサリーを禁じたこと。そのアクセサリーに使う金、銀、翡翠、真珠等を政府が吸い上げ、仏像の飾りとして使った、または中国との貿易の対価として支払うため、お金の代用とした。
和歌の世界の本を紐解くと、万葉集では白玉、真珠のこととして、謡われていますが、古今和歌集では涙のイメージに代わっているそうです。
どちらにしても、民は日常から消え、ありがたいものへ、海神の力は仏教の宝物七宝になります。事実、正倉院の仏舎利(釈迦の骨)は真珠とのこと。
お寺の龍の彫り物で珠を持つ龍がありますが、海に住む龍がもつこの珠は龍の脳から採れる「如意宝珠」と呼ばれ、全ての願い、全ての宝を得ることができる不思議な珠。アニメのドラゴンボールです。
玉、珠はこのようにして、仏具として、その力が集約され、イメージの世界に不思議な神通力を持ったものとして、魂にも通じる神聖なチカラとして存在します。
美称として玉のような、玉座、玉音、玉椿、玉垣となり、ここから店名が付けられていきます。人の名前ももちろん、猫の名も。
店名仲間(写真京都玉家)
玉は先の植物たちのように、生活の中で長く、見ることはないものです。伝説や昔話、または神社やお寺の宝としてしまい込まれた、見えない力を持つこの世ならぬもの。見たことがないほど、輝く、美しく、光輝く不思議な力を秘めた玉。人の名前にも使われ、美称として『珠玉』の言葉通り、たまは和食、TAMAとして洋食に多く、組み合わせは少ないです。老舗が多く、京都の古い旅館(旅籠)から2代目から茶店を併設、その後、料亭として続いている写真「玉家 1615年創業」が一番ふるそうです。壁の上部に稲荷大社のお守り火焔玉、伏見街道沿いに位置しています。
近所の人気者の猫のタマからつけた蕎麦屋さんもあります。
組み合わせが多いのはぎょくと呼んで中華に多いですね。玉龍、玉泉、玉仙、玉蘭
新しい「たま」のつく食べ物屋は姓からと「玉」が精神の魂や御霊に通じていてあちら側のパワーを願うものもありそうです。
西洋系の店名は発見できません。外国語は玉の個々それぞれで、真珠などはあります。
玉ひで(人形町)
あまた、いろいろな本や雑誌の出まくりの鶏料理専門店。親子丼の元祖としてよく紹介されています。
最初は「玉鐡」といい、御鷹匠の家の出身で1760年に軍鶏専門店をひらいた鐡右衛門さんと奥さんの玉さんの一字をとった店名。
五代目の秀吉のとき、客から玉鐡の秀さん、「玉秀」と呼ばれ、この店名になりました。
他に苗字では沖縄中華の「TAMA 渋谷 2007年」、玉代勢氏の一字。「いろり焼玉の屋 五反田 2012年」も苗字は玉腰さん。
築地玉寿司
玉は鮨屋に江戸時代から多い店名です。『寿し物語』には「玉ずし 日本橋本石町」が元祖と書かれています。1848年発行の『酒飯手引草』には10軒も載っています。
写真の築地玉寿司、中野里栄蔵氏が1924年(大正13年)に開店、修行先の麻布の玉寿司の暖簾分けでその店名を付けています。
まる玉(両国)
2001年埼玉県川口市、現在の本店は2002年開店の両国本店。由来はホームページを読んでも記事なしですが、出身の埼玉、鶏からのスープ鶏白湯のみでのラーメン屋さん。
鶏が先か卵が先かと言われる鳥に関連する焼鳥屋、鳥料理のお店の店名も多い。焼鳥の「酉玉 広尾 2000年」親子丼の「たま家 西大島 2014年」「キッチンタマヤ 両国」はオムライス、卵型のお菓子の「銀座たまや 2011年創業」など
tamaya(タマヤ上野)
玉の外国語の店名は全くありません。先の「まる玉」も海外進出が念頭にあり、宗教の禁忌の少ない鶏を選んでのラーメン屋さん。
『掌中の球』のように可愛い、愛すべき存在の対象の玉。猫のタマのように愛される。洋食にはそのまま付けられますね。写真はワインバー「tamaya 上野 2010年」2016年御徒町移転、7店展開中。近々のオープン茗荷谷店は「食堂&デリTAMAYA 2015年開店」
タマヤ、いろいろ ⓢー(追加2022.2.1)
玉屋は本当に人気があり、良くつけられています。先に挙げた「「笹の雪」の始めの店名は玉屋でした。写真蕎麦屋の玉屋も「玉屋 上野 1953年」、「玉屋 両国 1919年」にふるくから、頑張っています。
◆追 加(2022.2.1)写真の「玉屋」とは関係ないのですが、『蕎麦辞典』に載っている蕎麦の名目『花巻そば』が人気だった「玉屋そば 上野山下 江戸後期」。人気の新吉原の遊女屋玉屋をまねて店づくりしていたそう。暖簾も玉に火が燃え上がる文様付の火焔玉を同様に描いて釜前といっていたそうです。玉の由来は火焔玉なのでしょう。
火焔玉は仏教の願い事が全てかなう如意宝珠が神社にも取り込まれ、五穀豊穣の宇迦之御魂神・保食神(うけもちがみ)が手に持つ。御神輿のてっぺんや伏見稲荷大社の主祭神でもあるのでお守りにも描かれてします。
火焔玉といえば江戸の花火屋鍵屋と玉屋も『
鍵善良房』に書いたように稲荷神の狐が咥えている鍵と玉から。
三つの雫の形の玉が重なり、神の霊力を炎の形で表現。玉の水の力と竈の火の霊力を共に持つ陰陽合体の印。
今も世を騒がす火球、流れ星の燃えカスと言われていますが、昔は狐火が世を騒がせていましたが、これも火焔玉に関連しているとか。(2022.2.1)
2000年の雑誌にカジュアメダイニングとして「
T・A・M・A(タマ) 北青山 2000年開店」が載っていました。和食で『talk and meel at』の頭文字をとり、ワイワイ話ながら、食事を楽しむ場所の提供と記事にはありました。現在はパーティ用貸出スペース中心のようです。
立川を中心に三店展開中のやきとり「
玉屋 2010年」は江戸時代の有名に花火屋、玉屋から。『タマヤ〜、カギヤ~』のあの掛け声の店名で、花火のようにお店が上昇し、お客の高揚感を高めたいとのこと。
国立のカフェ「tamacafe 2014年開店」は縁の玉とつながりの輪の玉が広がるような場所になるようにという、すこし凝ったものです。
玉がかすかに触れ合う音、玉響(タマユラ)もそこそこあります。意味は玉揺れ、しばらくの間、一瞬。
写真は以前にもアップした蕎麦屋「
蓮玉庵 上野 1859年」、こちらは不忍の池の蓮の葉に浮かぶ露を玉、比較的新しい本には蓮の花のつぼみのイメージから店主が名付けた、となっています。
参考資料
□真珠の文化史 杉山二郎ほか 学生社 1990
□真珠の世界史 山田篤美 中央公論新社 2013
□日本装身具史 美術出版社
□謎解きアクセサリーが消えた日本史 浜本隆志 祥伝社 2004
□四季の風物誌 五十嵐謙吉 八坂書房
□世界シンボル辞典 三省堂 1992
□日本史大事典 平凡社 1992
□歴史学事典 3 かたちとくらし 弘文堂 1995
□世界宗教大事典 平凡社 1991
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水のチカラ 《自然 No.1》
2015年08月20日・追加2018年5月31日
京都清水寺
水は生命の根源ですから、東西問わず、宗教的にも重要なもの。日本では清めの水とか、体を洗い、ケガレを落とす儀式があります。また、新年の若水汲み、奈良の東大寺のお水取りの儀式など。キリスト教では洗礼の儀式に水が必要不可欠。
西洋、東洋ともに泉は神聖な場所です。初期のキリスト教の考えでは泉を聖地とするのは反対でした。泉の力が俗信を生み出すから、止めさせようとしたようですが、水の力には抗えなかったようです。有名なルルドの泉は現在でも信仰の対象です。
水の流れの水源が泉、仙境からの贈り物。菊水の長寿の水の伝説、桃から生まれた桃太郎も水に流され、桃源郷からやってきた伝説の人物。泉のある場所は神聖な場、神々の神饌や永遠の命を得るで聖地になっている場所が世界中に存在します。
日本の清水寺もそのひとつ。寺名の由来は湧き出る音羽の滝の清水から。
京都松尾神社亀の井
泉より数が多いのが井戸、人が生活のために作った水源。日本全国に井の付く地名、井上を筆頭に多くの井の付く姓名。それは水と人間の生活が切っても切れない関係を表します。
水道完備の現代では想像できないほど、井戸は大切で、村や町の中心地、情報交換の場、市も立つ場所でもあったようです。井戸端会議などといわれますが、
川はさらに地名、姓名が多く、治水は国家的事業でした。古代神話の八つの頭の大蛇の真の正体は八つに分かれた氾濫する川では?という説もあるくらい。
川に灯篭や紙人形を流す風習があるように、川は別世界へつながっています。ちなみに、永遠の永の字は川の流れの象形から造られています。
水はそのものの力は失われ、都市生活では当たり前のもの、それよりも水がある場所、川、湖、井戸の方が信仰的には大切になっていっていました。
京都高野川
それが公害等により大地を含めた自然汚染が日本中に広く広まり、改めて、水の大切さが浮き彫りになります。1985年の『名水百選』出版以来、多数の名水案内本が世に出で読まれます。それ以前は、江戸時代から、お酒造りやお茶に使う水の良質さを求める特定の世界ではありました。伊丹、池田、灘の清酒も水の良さが銘酒とされる理由でした。
一般の世界にも水に価値が出できてしまったのです。水にも上質なのもがあると世にしられることになります。
もう今は水を買うのは当たり前になってしましました。料理屋でもどこどこの水を買っているのが売りになったりしています。
水に棲む妖怪は西洋では女性が多いです。ウンディーヌやローレライ、男性を誘惑して、水の中に引き込みます。海にもセイレーンがいて、有名なアメリカのカフェ、スターバックスのシンボルがこれです。
合羽橋河童の像
水の力を集約したのが竜神。中国の伝説の動物が日本では雨の神。かわいらしい河童も水神です。蛙も両生類で水にすみ、キャラクターが多いので人気があります。
八幡神のの神紋、紋の巴紋は由来は定かではなく、珠の勾玉からともいわれますが、水紋とも呼ばれています。瓦に刻印され、建物にとってもっとも危険な火事を避ける力をもつそうです。他に水文は菊水紋、仙人の住む世界から流れてくる不老長寿の水を表しています。
近年の護岸工事の進展で川は観光化し、時々の巨大台風の襲撃によりその力には脅威を描くも、水への興味の視線は大から少へ。いろいろな工夫を凝らした水族館が続々オープンしてからは、水の世界、深海へも目が向くようになります。
飲み物に注目が集まると、小の世界の露とか雫とかが注目され使われ始めました。人間の視線がケータイの中にある映像に集中する現代社会。大きな自然の水の世界より指一本で拡大できる(限界はありますが・・・)せかいに興味が移っているのでしょう。
店名仲間
泉 井筒 シミズ 水 ウォーター アクア 龍 河童
泉屋、井筒屋は江戸より店名としてあります、名前、地名にも。だだ、新しい地名には水の字より、瑞々しいの瑞が使われることがおおいとか。商標登録の世界でも圧倒的に多いのは瑞の字。
使い勝手の良いのは江戸より漢字の泉、仙、千、扇に音も通じていて、バリエーションが多いです。和菓子の岡埜栄泉や華泉、喜泉、玉泉
泉屋(麹町)
地名からの店名が多いようです。現大阪市和泉市。和は佳字として付けただけなので、本来は泉國の国名平安時代からある地名、出身地からつけた例が多い。泉國出身でなくても苗字も近くに泉があることで成立するので、大元は地名です。
仏語でフォンテーヌ地名の神泉から「フォンテーヌ 神泉 1985年」。こちらはフランスにも同名のレストランがありました。
『大東京うまいもの食べある記に 1935年』には天ぷら屋「泉屋總本店 神田」『東京案内 1907年(明治40年)』に洋食「和泉屋 神田区」掲載。
写真はお菓子の「泉屋 麹町(創業赤坂) 1937年創業」。なかなか、由来がはっきりしている泉屋が見つからないので、こちらは創業者の姓の泉伊助の泉から。
錦水(目白)
江戸より使われるのは風景描写。山水、麗水、錦水など美しい風景に関わる店名。料亭に多いタイプです。
超有名なのは「錦水亭 京都 1881年」、春の筍料理で全国に鳴り響く料亭。山階宮の命名という八条ヶ池を取り入れた大庭園の見事な水に映る四季の景観をあらわします。
大阪のミシュラン星店料亭「錦水 大阪市難波 1930年開店」、写真の目白椿山荘内の和食料亭「錦水」が有名どころ。椿山荘は季節に関係なく咲く椿の庭があります。別の資料によると「築地錦水 大手町 1952年」と同様に以前あった築地の料亭「錦水 築地 1916年開店」の支店に椿山荘のお店はなるそうです。
他、中華「山水楼 麹町 1912年」焼肉の「山水園 大塚 1959年」「映水庵 浜町 1987年開店」は比較的新しいカフェの店名。川沿いにあり水に映る風景がみえます。都会の川の風景ですから、素晴らしいとは言い難いですが・・・。
ウォーター(中目黒)
井戸はかつては何処の街にもあり人の集まる場所でした。平安時代、小野篁が井戸からこの世とあの世を行き来した不思議な場所でもありました。そのためいろいろな言い伝えもありました。
井戸の形が丸い井筒、四角い井桁、家紋にもよく使われ、「井筒屋」が江戸期よりありました。現在は井戸が減少のため、少なくても東京には食べもの屋関連は数店しか検索できません。京都には有名な「イヅツカフェ 2013年」もオープンした「井筒八ッ橋本舗 1805年」がありますが・・・。
苗字の井は水汲みにくる処、佳字として居の字の替え字として松井、桜井、藤井などの例にあるように店名にも「山の井」「山之井」「繁乃井」「松乃井」「亀の井」「香乃井」など。
渋谷の宮益坂のうどん屋「澤乃井 1984年」はご主人の苗字が沢井さんです。修行先は宮崎うどんの名店「重乃井 宮崎県宮崎市 1966年」(お店のHPより)
井戸に助けられたのを感謝した店名が「柏水堂 神保町 1929-2015」。
今年閉店したケーキ店は店主の家紋の柏の木と東京大震災時に井戸に多くの人々が助けられたので、家紋と井戸の水を店名につけていました。長く、残ってほしかった店名です。
新しいビルエリアとして、アクアシティ、アクアガーデン、アクアパーク(旧スタジアム)が水辺を楽しむエリア。同じ水場近くに開店したイタリアン「アクア 上野 2013年」は不忍池の近く、写真の「ウォーター 中目黒 2011年」は目黒川沿いにあります。
井戸の意味の英語ウイル、仏語ピュイは数少なく、水飲み場としての意味、最近クラフトビールの「ウォータリングホール 代々木 2012年」がありました。
日水土(銀座)
水の価値が高まった新しい時代の店名。水だけではありませんが、食べ物が土や水を採り、太陽からの光で野菜、肉もというオーガニック、有機農法がひろく知られてきたため、店名にもつけられています。
「日水土 銀座 2007-2020年」は自然食のナチュラルハーモニーが開いたレストラン。
同じ使い方の「木と水と土と 表参道 2014年」、和歌山県の素材を使ったパンケーキカフェです。木には紀の国の意味もあるとおもいます。尻尾に「紀州の恵み」とつけられていますね。
由来は未確認ですが、他に出汁が命の日本料理の「旬水 麻布十番 2012ー2016年」「會水庵 赤坂」「深水庵 調布市 1969年」。蕎麦の「深水庵」は深井戸から汲み上げた天然の水で打つとHPにありました。隣にあるのは息子さんが開いた「湧水 調布市 1996年頃」
2015年8月にオープンした「瓢喜香水亭 京橋」、タプル店名の香水はコウスイではなく、カスイ。香りの水、瓢喜は特別なこだわりのお出汁を使ったしゃぶしゃぶを売りにしていますので、その売りを前面に掲げた店名です。
つい最近の開店、直球な店名で清浄器メーカーのアンテナショップ「MIZU cafe(ミズカフェ) 神宮前 2015年」がこの分野らしい店名です。
アクアリウム(銀座)
アクアリウム、水族館に人が集まり、深海への興味も高まったため、こちらも最近増えた店名です。
最初の頃のデザイナーズレストラン、深海の内装、水槽をイメージされたのは「マンボウズ 表参道 1985ー1993年」から。
映画『グランブルー』(深海が舞台の)のヒットも影響しています。「水の賦(ウタ) 品川 1998年」「水想(大きなアクアリウム、水槽がある) 恵比寿」「水鏡亭 銀座 2005年」。5階もある建物すべて、水の循環装置を付けて壁から水滴が落ちてくる創りの"和みの水"の「水色(スイショク) 西麻布 2000年既に閉店」水と和がテーマの和食店。
頭・尻尾にアクアリウムとつくのはもっとあります。
写真はダンヒル経営の「アクアリウム 銀座 2007年」
アクアヴィーノ(広尾、地下にアクアパッツア)
「アクアパッツア 広尾 1990年」、この店名でイタリアンにこんな料理もあると知った人も多いはず。新鮮な魚を海水で煮るカンパーニア州の郷土料理
併設のカフェ「アクアヴィーノ 広尾 2001年」はHPにアクアは生命の水、活力の源、それにヴィーノのワインをかけた造語とのこと。
「水月 福岡市 1905年」、有名な博多の元祖水炊きのお店ですが、水が料理のことなのかは不明。水月は宗教、哲学的、文学的に愛用される言葉のようです。江戸の料亭の一軒に「水月楼 築地 『近世風俗史 1837-1853に載っている』」がありました。
アクアはバー関連で使用されています。飲み物では「スウィートウォーター 白山 2010年」甘い水、ワインの事を指す、なぜか英語店名のイタリアン店。他に「アクアフレスカ(新鮮な水) 銀座 2000年既に閉店?」
「AQUAVIT(アクアヴィット) 外苑前 2008ー2019年」ニューヨーク発の北欧料理店、『ウイキペディア』の情報ではジャガイモから蒸留する北欧の酒。元の意味は生命の水。同名のバー関係も数店あります。
同様の意味の仏語の「オードヴィー」もありますがeua(オー)の音が使いにくく、バー以外少ないです。
日本ではお正月に汲みに行く若水、食べログで20店位、東京にはみかけない「若水」があります。
アクア(学芸大学)
老荘思想で如水という言葉があります。水の如く、形にこだわらず生きる姿勢。どちらかというとNHK大河ドラマ『黒田半兵衛』の号名で知られています。あまり、商売的には水に運もお客も財産も流れてしまうイメージ、水商売という、収入が不安定な商売の意味が強く、好まれていません。
福岡市の和菓子屋がこの店名を取っていますが、こちらは黒田如水からです。
流れ行くイメージでは「雲水」自由気ままに形にとらわれず、雲水料理と名付けられたものを出すお店もあります。
東京にもかつて向島にあり、喫茶店に変更した「雲水 1990年に変更」。常盤新平氏の『東京小さな喫茶店』に載っていました。明治時代から1975年まで祖父が開いていた精進料理の料亭の名前。現在は「カフェ雲水 荏原町 2012年、2011年向島から移転」として、暖簾に向じま雲水とあるカフェがあるのですが・・・(←お店のFBに開店時のお知らせがあり同じ店と確認しました。)。
帝国ホテルの最上階のラウンジ「アクア 日比谷 2004年」、写真の「アクア 学芸大学 2013年」は自由自在に形をかえる水のようにお客の要望に応えたい、というコンセプトからの命名。
既に閉店してありませんが「eau cafe(オウカフェ) 代官山 2000年」は二つの想いからで、一つが水が器によって形が変わるように世の変化に合わせて変化したい、二つ、水のあるところに人が集り、交流が生まれる場でありたい、でした。
名前からのはなかなか発見出来ないのですが、以前名前の項目でもあげた「ソプラアクア(水上) 神楽坂 2008年開店」「ACQUA VALLE(アクアバーレー料理人水谷建治氏) 代々木 2014年」、まる梅と同じように女性店主が一日一客をもてなす「吉水庵(水本さん) 目白」くらいです。
目黒河童軒
水の神様の最強は龍ですが、こちらは別の項目でアップします。
数が多いのは川の住人河童、キュウリが好きという伝説でカッパ巻の名の鮨もありますね。大きなチェーン店「かっぱ寿司 1973年 長野県1号店」は全国に展開。水流で流す寿司桶が河童の頭のように見えたからだそうです。
日本酒の黄桜のテレビコマーシャル(1959-1980)で最初はカッパ天国を連載していた清水昆の河童の絵柄を、後半は小島功のものを使用。河童が妖怪から愛らしいキャラクターになり人気になりました。
2007年惜しまれて閉店した「河童亭 蒲田 1952年」1960年代のガイドに居酒屋ではなく、民芸に造詣深い主人の民芸風酒亭として載っていて、河童を好きだった主人、店名の由来の牛久保の日本画家、小川芋銭の河童の絵を見せられたエピソードもあったとのこと。
もう一店、早大の学生の思い出の中華屋「河童軒 高田馬場 開店年不明」北区西ヶ原(1982年開店)と名護市に暖簾分けの河童軒があります。由来は交通事故にあって助かったとき友人に言われた『お前は不死身の河童のようだ』の言葉と水商売を始めるのに水に縁のあるカッパは面白い、人にも親しんでもらえるからと命名。
河童が店名になる理由として『カッパは頭の皿が乾くヒマがない』として、食べ物屋の食器が乾く間もなくお客が押し寄せるからとか。食べ物屋にとって縁起の良い、その由来のもつ焼「カッパ 荻窪 1957年」。
写真の河童軒(2015年にニーハオに改名)は2014年オープンしたばかりの目黒の中華店です。高田馬場とは関係ありませんが・・・。
ちなみに鮨の巻物カッパ巻きは「八幡鮨 西早稲田 1968年」
妖精はドイツの水の乙女、ローレライ。『なじかはしらねど こころわびて・・・』ドイツ歌曲で有名。
ドイツ料理で食べログに記載があります。日比谷にありますが、大阪の「ローレライ 大阪市北新地 1974年」の老舗との関連は不明。1991年出版のアングル別冊には「ローレライ 吉祥寺」の欧風レストランが、1971年の電話帳には「ローレライ 銀座5丁目」のドイツレストランが載っています。今、銀座にある「ローレライ」と住所が一致しているので、ビアホールとして継続しているようです。
同種のオンディーヌ(ウンディーヌ)、悲恋の戯曲の女性なのでないだろうと思っていたら。『食べログ』に10軒、東京にもパン屋と喫茶店がありました。
遠い昔、ヒロイン加賀まりこさんの戯曲をテレビで拝見したことがありましたが、この間(2015,4月)のニュースで劇団四季の演出家浅利慶太氏が四季を離れ、この戯曲を再演するとありました。
どこかに日本人のこころの琴線に触れるものがあるのでしょうか。
他は少ないけどネプチューン、ポセイドン、トリトン。海の神様たちです。日本の場合は海坊主ですかね。
しずく(八重洲)ー追加2018年5月31日
川や湖に比べれば小さい、実際は見ることが少ない雫、滴、しずく。テレビのコマーシャルのイメージ、ウィスキー、お茶、コーヒーの一滴がよく画面上で見かけています。濾されて濃縮された一滴のイメージ。ワインをテーマにしたのコミック『神の雫』は2004年からの連載ですが、こちらの影響もある店名。諺の『大河の流れも一滴の雫から』や『一滴の水は石をも砕く(雨垂れ石を穿つ)』も好まれる言葉。
「一滴八銭屋 新宿 1999年」姉妹店「滴屋 三田 2005年」は『一滴のつゆにも八銭のお代を頂戴している』という思いの理念からの店名。同じ意味で「京しずく 恵比寿 2009年」日本料理の基本の出汁のこと、一滴一滴が京のエッセンス。
飲料系の日本酒「ひとしずく 六本木 2014年」ワイン「神楽坂しずく 2012年」イメージの「夢や京町しずく」「柚のしずく」「花しずく」
長ーい店名で既に取り上げた演歌の歌のような店名の居酒屋「酒の一滴は血の一滴涙は心の汗 池袋 2009年」は滴が2つ付。
写真はカフェ「しずく shizuku 429 八重洲 2014年」HP上の案内は『美味しいものの始まりは、すべては一滴のしずくから。』。和カフェだから
平仮名だけでも、と思いますが、平仮名、ローマ字。数字の3文字表記は今風。
レモンドロップ(吉祥寺)ー追加2018年5月31日
今はパソコン用語のドロップ。はるか昔はサクマの缶入りドロップスが浮かびます。アマゾンで復刻版が売られていますので、今も人気なのでょうか。
創業者佐久間惣治郎氏が1908年に完成しています。HPに載っているシンボルマークの船と囲む三本の菱形の線、今までは外国から輸入していた飴を三本の線がイメージする三大港から外国に船で積み出していく気概を表しているとのこと。ドロップ一粒に託された夢の形ですね。
店名はカフェ中心「レモンドロップ 吉祥寺 1980年」「ラストドロップ 都立大学 2014年」全国ではコーヒーの味にこだわるサード系についています。
既に閉店の「OnE drop café(ワンドロップ) 神田 2009ー2016年」はイメージ系、一滴の水が広がるように 1人の行動がやがては大きな波に、共感を呼び大きなムーブメントへなるようにという想いが込められているそうです
ドロップはスポーツ用語や先のパソコンにも使われ、こちらは落とす、落下する意味なのでしずくよりはイメージ固まっていませんね。
フレンチ「LATURE(ラチュレ) 渋谷 2016年」は二つの言葉の造語で自然の雫の意味。自然の朝露から肉汁、葡萄、野菜、果物の果汁等を自然の贈り物として感謝を忘れずおもてなしをする。看板にも雫が描かれています。
イタリアンも一店「La Goccia(ラゴッチャ) 白金台 2014年、左写真」はイタリア語の一滴、料理からワインの最後の一滴まで楽しんでくださいのメッセージです。
参考資料
▼世界宗教大事典 平凡社 1991
▼日本の紋様 8 水 光琳社出版 1972
▼水と文化(人と水 Ⅲ) 勉誠出版 2010
▼日本民俗大辞典 上・下 吉川弘文館 2000
▼世界シンボル大事典 大修館書店 1996
▼図説世界シンボル事典 八坂書房 2000
▼英語イメージ辞典 赤祖父哲二 三省堂 1993
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月 《自然 No.2》
2015年08月20日・追加2016年4月5日
・追加2022年2月24日・追加2022年6月25日
神様としてはアマテラスの弟の月の神ツクヨミは同じ弟神スサノオとて比べると影が薄い存在です。
西洋では月は女性(アルテミス、ディアナ、ダイアナ)の神様、太陽は男性(アポロ)なので、日本とは反対です。
あまり、このまれていないようで、ルナティックといって、精神を狂わせる力が月の光にあると信じられてきました。
これも日本では月見の宴などを開いて、鑑賞する、癒しの面が逆に好まれています
でも庶民として大事なのは、明治以前の人々にとって生活に欠かせない暦、カレンダーでした。現在は西洋からきた太陽暦を使っていますが、月暦信奉家によると、それではお正月、七夕、お盆などの行事は意味をなさないとのこと。
大晦日は月が陰る年最後の日、正月から新月が始まる。満月の夜は小正月と呼ばれる。七夕は収穫を願う祭りで今の太陽暦では織姫彦星ともにみえない梅雨のど真ん中。お盆は満月の夜、盆踊りも満月の下で輪になって先祖のために踊るものなど。
店名仲間
満月・朧月・月光・ムーンライト・花月・花鳥風月・風月花
花月(長崎市)
花鳥風月として、芸術で愛でられている存在の月。観月の風景を描写するように山月、湖月、渡月、老舗料亭に多い、茶道の茶室の建物の名前から続く店名。
観月用の離宮として、桂離宮が有名。桂川自体が名月を鑑賞できる場所として古くから有名でした。月波楼が月を観る用の茶室。
写真は長崎の「花月」、1642年創業の引田屋の庭にあった茶店を今は歴史料亭として続けています。庭園で春の花、秋の月を観る茶店、東屋がかつての花月。
花月は人気のある店名で「新橋の「花月楼 明治初頃」、由来は長崎の「花月」の繁盛を願ってつけたそうです。店主は後に横浜市鶴見に遊園地花月園(既に閉園)を造っています。
湯島のかりんとうで知られいてる「花月堂 湯島 1945年頃」
現在もラーメンチェーン「花月嵐」、替え字の「華月」「香月」「霞月」
ちょっと違う分野の大阪「吉本興業花月」、こちらは春の花(桜)秋の月を愛でてではなく『花と咲くか月と陰るか、全てを賭けて』という勝負の想いからでした。
湖月(表参道)
花月と同様に人気があるのは湖月です。やはり、和菓子屋に多いのですが、HPで詳しいのは「湖月堂 北九州市小倉 1895年開店」。小倉の井上師団長が「湖月抄」という江戸時代の源氏物語注釈書の書名からつけたそうです。
北村季吟著のこの題名は紫式部が須磨明石の場面を創作したと伝えられる、近江の石山寺の琵琶湖の月影の情景から。東京にも同名の和菓子店が今は多いです。
写真の「湖月 表参道 1967年開店」も最初に店主がお店をもったドイツ、ハンブルグのアルスター湖と出身地の京都近くの琵琶湖の「湖」の字と先代が好んだ「月」からとったそうです。
大阪の料亭「湖月 大阪市心斎橋 1969ー2017年」、ミシュラン二つ星、料理長を務めた「湖月 法善寺横丁」を買取り始めた「本湖月 大阪市道頓 1994年」も有名。心斎橋の「湖月」の紋は大きな月が湖面にうつり浮かんでいる情景を写したもの。
「湖月」は花月と同様ブランド性が高い店名なのかもしれません。検索を色々かけると、彫刻家ロダンのモデル花子が開いたパリ「湖月」や新橋「湖月楼」は日露戦争開戦の歴史に名を残す「湖月会」の名称の由来になっていました。
昭和4年『東京商工名鑑』に「湖月摟 新橋烏森 1874年創業」、別の資料では花月楼の親戚が経営していたとされ、花月楼、新橋瓢とともに明治以降の影の政争の場だった有名料亭です。
同音別字の「古月」「虎月」「鼓月」「胡月」。中華の「古月」は胡の字を分解して店名にしているのかも。胡はえびす、中国の北方民族の呼称です。胡蝶、胡麻、胡弓、胡瓜とか
月と水は情景を描きやすい日本人好みの世界、茶室に月の名称が付けられ、それを引き継ぐ名料亭にも多い、「浮月楼 静岡市 1891年」「待月楼(タイゲツロウ) 静岡市 1919年」「嘯月(ショウゲツ) 山形市」「霞月(カゲツ)楼 土浦市 1889年」「得月楼 高知市 1870年」など。土浦の「霞月楼」はHPでは本家「日新楼」の日に対した月、霞ヶ浦に映る月を表すそう。情景的には湖月に似ていますね。
月光茶房(表参道)
西洋からきたロマンチックな店名、月光・ムーンライト。名曲ベートーベンの『月光』から映画の『ムーンライトセレナーデ』『ムーンリバー』。恋人同士の雰囲気作りにつかわれます。蜜月、ハネームーンという結婚式直後の期間を呼ぶ例もある月
そのロマンチック気分、雰囲気を「月の○○」で表す店名が1990年代「月の庭 西麻布 1996ー2006年」あたりから一気に流行りました。
「月の蔵 新宿 1998年」「月の光 青山 1999年」「月の雫 赤坂 2000年」「月の灯 溜池山王 2002年」「月の輪 池袋 2002年」「月の宴 松戸 2002年」、「月の夢 渋谷 2009年」「月の宮 新宿 2014年」。2015年でも「月の風 蒲田」がオープン。
別世界の仕掛けが必要なので大手のフードビジネス系が参加していました。メニューは創作和食、二人の個室対応
写真は「月光茶房 神宮前 1998年」、和の内装の音楽喫茶、『東京おさぼり喫茶』の中で「グレンミラー楽団のムーンライトセレナーデ、つつましい月の光のような空間でありたい」となっていました。他に仏語のフレンチ「クレール・ド・リュヌ 荻窪 1994年」ケーキ店「クレールドゥリュンヌ 田原町 2013年」イタリア語ワインバー「Vineria LUNA LUCE (ヴィーネリア ルーナルーチェ) 三田 2012年」
明月庵(銀座) ーⓢ(追加2020.510)
月そのものを店名につけるもの。長く生活と共のありましたから、月には多くの呼び名が存在します。満月、望月、半月、三日月、十六夜、有明月、上弦の月、名月、夕月、朧月、寒月、雨月、孤月、残月。
外国語もフルムーン、ブルームーン、ハーフムーン、クレッセント。
月は女性に関わる部分も多いので、好きな方が多く、京都の「エレファント ファクトリー」の姉妹店の女性店主の店は「ムーン ファクトリー 西太子堂 2011年」月の写真を撮るのが好きな女性の「三日月座 人形町 2009年」があります。
形が印象的で若月、初月、眉月等の多く異称を持つ三日月、そば通に人気だった「三日月 八重洲 2000-2004年」老舗旅館「伊奈喜」の経営の「三日月庵 八王子 2010年 九段下2013年」
皆が付きなのはやはりまん丸い月、満月、明月、名月、朗月、佳月、望月、十五夜等の別称も使われます。
写真の「明月庵田中 銀座 1998年」、以前は練馬区豊玉中に1958年に開店し、その後銀座へ。店名は江戸時代1700年代の蕎麦の名店「明月堂 日本橋」にあやかったもの。
十五夜の次の日の月、十六夜。『ダンチュウ』やガイド本に頻度高く取り上げらていた和食「IZAYOI(いざよい) 麻布十番 2002-2010」、満月の次の日の暁月の下で寛いでほしい想いでした。
◆追 加(2022.2.24)
満月は店名としてはとても多いのですが、由来がわからないです。店数の多い蕎麦屋「満月」居酒屋から喫茶店、レストラン、焼肉、お好み焼きまでと、中華「満月盧 新宿三丁目 1997年頃」等や韓国料理店にも幅広く付いています。
古いのは京都のの和菓子店「満月 京都 1856年」。麺類店に多く付いていて、蕎麦屋「まん月 荻窪 1955年」「満月 西鎌田 1968年頃」ラーメン店「満月 蔵前 2010年」酒田市から「ワンタンメンの満月 三鷹 2020年」は1960年創業のラーメン店。写真「満月 神田 1970年代、2016年金町に移転」、もともと「満留賀」グループだったそうなので満の字を引き継いでいるのでしょう。
字を変えて和食店「萬月 自由が丘 2001年」、「満ㇾ月(ミツルツキ) 渋谷 2003年」、蕎麦の収穫月で明月の美しい月の「十月屋(トツキヤ) 神田駿河台 2021年」(2022.2.24)
睦月(神楽坂)
旧歴の漢字の月を使うカレンダー、店名には数字ではなく、暦月の古い呼び名、女性の名前にもある五月、弥生、如月などの名前です。
日本人はやはり始まりの春が大好きなので、如月や弥生に人気があります。
お店に関連する月も多い、オープン日、誕生日、修行時の気になる月とか。写真は「睦月 神楽坂 2015年開店」は開店月。「皐月 浅草 2014年開店」「神菜月 新橋 2005年開店」も同様。
由来ははっきりしないけど、「水無月」「皆月」「如月」「キサラギ」も。春の季節の月、蕎麦屋「春月 新宿 1892年」、冬の月の甘味店「氷月 上野 『東京諸営業員録1894』掲載」
日比谷ルナ
店名の月の神様の名前はあまり、多くはないです。
中ではローマ神話の女神ルナが人気ですね。可愛い女の子の名前のイメージですが・・・。
なぜか日比谷、新橋周辺に多い「喫茶ルナ 有楽町」、有楽町のルナは旧ソ連の人口衛星の名前で、1号から24号が1959年から1976年まで打ち上げられました。アメリカとの宇宙開発競争のニュースが日本でもよくテレビで放映され、世間的にも注目が高かった時代でした。
多分、その頃のオープンでしょうね。写真は有楽町が見つからないので、日比谷のルナです。ほかに「瑠奈 新橋」「ルナ 大手町」「瑠奈 東新宿」など。
月のイタリア語のルーナも同様によく使われています。
同じローマ神話のディアナ(英語読みはダイアナ)、ギリシャ神話のセレネは少ないです。由来の確認は出来ていないですが、パティスリー「セレネ 根岸 1989年」があります。
もう1店、セレネ(Selene)の英語読みはセリーナ(Selina)と発音しますが、しゃぶしゃぶ店「瀬里奈(セリナ) 六本木 1961年」銀座で経営していたナイトクラブの店名(セリーナ)を付けていました。全くの個人的な推測ではありますが、こちらも月の女神からではと考えています。
日本の神様、月読命は月の付く店名が多いためか、最近食べログで2店みつけました。
「月詠珈琲 渋谷 2015ー2020年」は都会の人々が忘れがちな自然のリズムをコーヒーで時間帯、シチュエーションに合わせることを提案する。メニューのコーヒーに、十五夜、月詠、新月と付けていました。
月夕堂 追加2016.4.5
月は新旧、いろいろな字と組み合わせが可能な便利なもの。風景を描くほかに賀字や色を組み合わせています。「らん月」「蘭月」「赤月」「桜月」「春月」紅月
茶室銘と同じように、月にいろいろな思いを載せ、それを店名にしています。
月の一字だけの店名もデザイナーズが流行りだしたあたりから、見受けます。
月に様々な思いをこめて、店名を付けているようです、写真のフレンチ店「月夕堂 恵比寿 1997年」は朝に花を夕暮れには月を眺めのんびりとすごしてほしい想い。
月見(写真京都田毎) 追加2016.4.5
花見ほどは盛んではないですが、平安時代の月見の宴、月が見事に観月できる地からの名勝地の更級、田毎の店名もあります。
文学の世界ではよく和歌、俳諧に詠まれ、『更級日記』、芭蕉の『更科紀行』が作品名に付いています。
。現在の長野県千曲市、姥捨山の伝説が残るさらしなの地の棚田に映る月を田毎の月と呼び、平安の時代からの景勝地。『名月の里さらしな』と、千曲市の観光案内にあります。
更級は更科として蕎麦屋の項目としてアップしたように、最初は蕎麦屋の名店として、今は蕎麦の実の中心部分を使うさらしな粉で打った更科蕎麦として名を残し続けています。
田毎は数は多くありませんが、同じく蕎麦屋が多いようです。京都の「田毎本店 1868年創業」が老舗。
初代徳兵衛さんが江戸よりの月の名所で見た田毎の月の美しさに感銘し、信州が蕎麦の産地であり、蕎麦の味わいを田毎の月に込めて付けたそうです。(お店のHPより)
全国的に多い月見の店名、でも東京はライト、灯の渦の街。つき見ることもなく「月味座(ツキミクラ) 北千住 2002年」等。
月(吉祥寺) 追加2016.4.5
蕎麦好きの小林一茶は蕎麦を読みこんだ俳句が30句以上ありますが、『信濃では月と仏とおらが蕎麦』の俳句は本人作ではなく、明治時代の人の信州の宣伝コピーだそうです。
信州の名物が更科の月と善光寺の阿弥陀仏とおらが(信州の)蕎麦ということ。
月の名所が蕎麦の名産地の信州のためか、月に関連する蕎麦の店名は比較的多いです。1824年刊の『江戸買物独案内』には「松桂庵(桂は中国では月のこと)」「明月堂」「松月堂」、1848年刊『酒飯手引草』にも「増月堂」「花月堂」「春月庵」「昇月庵」「東月庵」
現在の食べログも、江戸時代にあった店名ももちろんまだありますが、それ以外にも「「清月」「久月」「昭月」喜月」「誠月」「兎月「月心」」「夢月」と多彩になっています。
「旧月 新橋 1999年(2010移転)」は新蕎麦の時期には月が美しいからと月を店名に入れ、内装に満月や三日月のモチーフをあしらい、月見の風情で一杯の演出(東京情緒食堂2002より)
同じ頃オープンの「一献多菜 月 代官山 1999年既に閉店」はもう月見で一杯そのままの店名。写真は「晩酌や月 吉祥寺 2015年」
ペーパームーン(南麻布既に閉店) 追加2016.4.5
英語のムーンの付く店名はバーの場合が多く、食べ物屋のエリアからは少しはずれます。
西洋の月はあまり重要な位置をしめてはいないです。神話の世界の女神たちはべつとして、夜の月は魔女やモンスター、狼男、ドラキュラ、夜の恐怖のイメージ。太陽の添え物的、13世紀のキリスト教の覇権争いで『太陽は教皇、月は皇帝』などと演説の中でいわれたりします。
最近、閉店した「ペーパームーン 南麻布 1988-2013年」、今でいう夜カフェとして名物のミルクレープが夜遅くまで、食べられるカフェバー。
店名はアメリカ映画『ペーパームーン』、大元はミュージカルの歌のタイトル、紙の月、まやかしの月だけど、恋すれば紙の月も本物になる意味とか。
映画は本物の俳優親子、ライアン・オニールとテータム・オニールが偽物の親子を演じて、詐欺の旅をつづけていくストーリー。少しヒネリがきいたもの。(そういえば、小説を映画化した2014年の宮沢りえ主演の日本映画、日本語の『紙の月』もありましたね。)
同名の東北沢から池ノ上に移転した「ペーパームーン 1993年頃、2009年移転」も20年以上頑張っていますし、全国でもまだまだあります。
芝クレッセント 追加2016.4.5
西洋人に月は好まれないとはいえ、三日月だけは違うようですね。
聖母マリアの象徴、オーストリアではトルコ(紋章が三日月に星)に勝利した記念にクロワッサン、三日月の形のパンを焼いて祝ったとか、勝利の印です。
フレンチの「クレッセント 芝 1957年」は全盛期の花形マキシム、レカン(2017年再開)の閉店の中、残るフォーマルなグランドメゾンののひとつ。(※残念ながらクレッセントも2020年に閉店、豪華な洋館も取り壊しか存続か未定)
店名は親会社の西洋アンティークの骨董商三日月倶楽部から、1957年に開店、現在の後期ヴイクトリア朝風の建物は1968年に建てられています。
同名のレストランは少なく、喫茶店カフェが中心。かつてここ出身のシェフの「ムーンクレスト(同じ三日月の意味) 恵比寿 1996年開店」はありましたが、このレストランが唯一無二の店名のクレッセント
蓮月庵(池上) 追加2016.4.5
1959年創業のお蕎麦屋さん、でもご主人の高齢のため2014年に閉店をしました。
ただ、建物は東京大震災後、1927年(昭和2年)に宮大工さんが建てた頑丈なもの。お風呂場もあったお寺の宿坊のような役割もかねた立派な造り。
由来は判りませんが近くの池上本門寺は日蓮宗、今は違う院名ですが、駅には残る蓮池院と蓮に関係する事があるので付けたのかも。
この建物の保存を望む人々によって、「古民家カフェ蓮月 2015年」として、新しい業態の再出発をしました。
長く続く食べ物屋さんの店名が、こうして受け続けられるのはとてもうれしいこと。
月観て想う 2(田原町ルネッタ) 追加2022.2.24
洋系で上の記事で洩れたものを少し。少々濃い目の想いのこもった店名たちです。「HALFMOON(ハーフムーン) 吉祥寺 1980年」は人生半ば過ぎに店を持つ想いの店名。
「ムーン MOON 参宮橋 2017年」、見慣れたただの月、でも見えない力で静かに影響を与える月のような店、いつもは忘れていてもふと見上げたらそこにある存在でありたい。英語ムーンは月と同じく使い古されているので仏語や伊語がいろいろな想いを表しています。
「La Lune(リューン) 東麻布 2002年」は解りやすく仏語月はお店でお客様は太陽。太陽に照らされてこそ輝く月という意味。インドネシア語から「BULAN SAYA(ブランサヤー私の月) 大森 2006年」。
綺麗な月の仏語でちょっとひねった言葉からの「La Belle Lune(ラベル リュンヌ) 新橋 2017年」。夏目漱石が『アイラブユウ』を『月が綺麗ですね』と訳したのが有名。フレンチ薬膳のレストランで、月は女性、女性に綺麗になってほしい店づくりと女性だけでなく大切な人もてなす想いも込めての命名です。
写真イタリアン「LUNETTA(ルネッタ) 田原町 2018年」は伊語の小さな月の意味から上の仏語と店名と同じ、太陽の光、食材や厨房、そしてお客があってこそ光を放つ月、月のように動かず浅草雷門の地で光の道標となり皆に光を届けたい思いの名付けです。(お店のHP略より)
キプフェル(南阿佐ヶ谷) 追加2022.6.25
家紋の月紋は円形より三日月の形が太陽の家紋との違いを意匠で表現するために多く使われています。
カフェ「キプフェル 南阿佐ヶ谷 2014年」の由来の一つの出身地の千葉氏の家紋は三日月と星の組み合わせですが、星の方に重要度が高いです、北極星、北辰を神格化した妙見菩薩信仰が武士に守り仏として人気のため家紋になっています。
オーナーはずっと見てきた三日月が好きでかつてのバンド名クレッセント、三日月食堂といろいろ考えドイツ語の三日月の形のお菓子から命名したそう。
参考資料
◆月的生活 志賀勝 新曜社 2006
◆月と日本建築 宮元健次 祥伝社 2008
◆日・中・英言語文化事典 マクミランランゲージハウス 2000
◆歳時の文化事典 五十嵐謙吉 八坂書房 2006
◆日本史大事典 平凡社 1992
◆歴史学事典 3 かたちとくらし 弘文堂 1995
◆世界宗教大事典 平凡社 1991
◆世界シンボル大事典 大修館書店 1996
◆図説世界シンボル事典 八坂書房 2000
◆英語イメージ辞典 赤祖父哲二 三省堂 1993
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お日さま 太陽 《自然 No.5》
2017年12月17日
お日さま、太陽は月と違い、店名がわかりにくいもの。日は日本そのものの象徴なので、日の元の国として、日本の国名に入り、国旗も日の丸です。暦の日月もあり毎日出会う字です。
店名としては以前アップした初めの項目の皆の始まりから、朝日、日の出関係が最も多いです。ここではそれ以外をとりあげます。
日本神話にも太陽神として天照大神が登場し、伊勢神宮に祭られています。皇室の紋も菊好きの後醍醐天皇が菊紋を中心にする以前は太陽を表わす丸い金紋。錦の御旗にはこれに銀の月紋と一対になっています。民衆はお日さま、お天道さまと、様付きに呼んでいました。
英語ではSUN、サン、数字の三?、聖人のセントのサン?、ただの〇〇さんの呼びかけなのか、区別が難しいタイプ、みんなまとめて、全てが埋め込まれている店名もありそうです。
店名仲間
太陽 陽だまり 日向 サン ソレイユ ソル
ひなたや(神保町)
強くカンカン照らす夏の太陽より、春の、初冬の日差し、ひなた、ひかり、天気用語の小春日和のようなほんのり暖かい感じが好まれています。
強いイメージよりほんのりしたカフェに似合う店名です。
太陽に関わる店名は自然を愛でる和食系は月の店名が多く(春、秋の季節が好まれる)、蕎麦屋・鮨屋も朝日、旭は重用していますが、日、太陽は少ないのです。
以前よく雑誌に載っていた「川奈の台所ひだまり 青山一丁目 1998年」はずっと頑張っています。伊豆伊東の食材を中心にしているので伊豆のイメージでしょうか。
キッチンバーと名付けた「Hidamari(ヒダマリ) 2000年」も姉妹店としてかつてありました。
食べログには漢字の日向(ヒナタ)の中に地名の宮崎県、日向(ヒュウガ)の国もあり見分けにくい店名もあります。「和食日なた 三鷹 2013年」「日なた 銀座 2012年」はひなたの意味だと思います。
ほか喫茶店「陽だまり 多摩市 1997年」「ひだまり 巣鴨 2017年」。巣鴨のカフェは昭和家屋のリノベーションで雰囲気も温かそうです。「プロント」系列の「カフェソラーレ 中野 2000年1号店」陽だまりの心地良さ、暖かさを感じさせる場所のコンセプト
暖かい感じでは「おひさまごはんカフェ 駒込 2004年」「おひさまピッツァ 中野 2016年」。擬態語「ポカポカ 墨田区八広 2011年」
写真は「Cafe HINATA-YA(カフェヒナタ屋) 神保町 2007年」
「晴」は『ハレノヒ』の項目に回しましたが、同じ意味のヒヨリ、日和、『いい日和ですね』と会話にも出てくる晴れて天気の良い日、『待てば海路の日和あり』のように何かをするにはちょうど良い日の意味。
発音は地味だ思いますが、和食居酒屋、カフェの店名として食べログに、全国ではイタリアンもある新し目の店名、意外とありました。
欧州系では「ル・ボータン 初台 1997年」フランス語から良い天気 いつも太陽が照らす明るい場所であるように。
サン
外国語の太陽の言葉がどちらかというと、多いです。
月とは違い、いろいろつけられて店名になります。英語のサンは音では数字の3、人の名の語尾につく〇〇さん、息子の意味の英語等、見分けのつかないものもあります。
サントリーの鳥居さんか太陽のサン+鳥居かの例、後者が正しいようですが・・。三陸産で「三陸SUN 高円寺 2017年」「なっぱSUN 蒲田 2010年」
写真は上「サン 入谷 1970年代後半?」下の写真は「サニーコーヒー 人形町 2014年」ですが、軽食といわれるジャンルがおおいです。
形容詞のサニー(日の当たる、太陽のような)、サンシャイン(陽の光)を含め新旧含めてもなんとか店名にしたい思いを感じますね。
ハンバーガー「サニーテーブル 北千住 2005年」ダイニングバー「サニーサイド 町田 1982年」イタリアン「サニーサイド 新宿三丁目 1987年」「プレイスインザサン(陽の当たる場所) 芝 リニューアル2009年」「サンシャインステイツエスプレッソ(*こちらは地名でした。オーストラリアのクイーンズランドの愛称) 蔵前 2012年」「ザサンリブズヒア(日だまりのような場所の意味) 三軒茶屋 2012年」「sunnyandcafe(サニーアンドカフェ) 池尻大橋 2013年」「サニー ストアアンドカフェ 明治神宮前 2015年」「サニーズテーブル 日本橋小舟町 2015年」。
サン、いろいろ込めて(代々木八幡サンサン)
擬態語の燦々、サンサン、陽の光が光り輝く様子表す語は英語ではないのでないのですがカフェ「SUNSUN 東新宿 2017年」のような店名もあります。
ラーメン店、焼肉店には燦々が使われていました。徐々苑系列「燦々亭」同じく焼肉「燦sun 大山 2012年」ラーメン店「燦燦 練馬区栄町 2008年」「燦燦斗 東十条 2006年」
ほかに「サンサン≡sun 代々木八幡 2011年」二人とも太陽が好き +33歳のの時開店 ≡は等しいのの意味
「サザン 3×3 祐天寺 2013年」太陽が好き 3人で3倍の効果がでるように頑張って(両店とも再掲、?? いろいろある仮装から)
沖縄料理「33(サンサン) 品川」2008年」「ヴァンサン VAVSAN」祖師ヶ谷大蔵 2015年」晩餐とvinワイン san太陽を掛け合わせ。
英語、欧州語以外では「jua café(ジュアカフェ) 西荻窪 2006年」スワヒリ語で太陽
上で取り上げた沖縄方言から「てぃださんさん 三軒茶屋 2017年」
ソレイユ・ソル・ソーレ
響きが上に比べ、優しい音感のソレイユ、ソル。
それが証拠にイラストレーター中原淳一氏が女性のスタイル雑誌として創った『そけいゆ 1946年創刊』、最近まで広尾のそのグッズショップがありました。
この名からの喫茶店「ソレイユ 西荻窪 1965年」があります。オーナー姉妹がこの雑誌の大ファンだったから。
四文字なので店名にはそのまま付けています、「珈琲屋それいゆ 祖師ヶ谷大蔵 1976年」「南欧料理「ル・ソレイユ 新宿 1987年」「ル・ソレイユ 原宿 1991年ガイド掲載」「コーヒーソレイユ 久が原 2011年」など
喫茶店が多いのですが、正当なフレンチも「ビストロ・ソレイユ 江戸川橋 2005年頃」「ソレイユ 東中野 2009年」再掲の「シャンドソレイユ 小川町 1994年(『月と日』)」
欧風カレー「ソレイユ 麹町 2013年」は由来が生命に無くてはならない存在の太陽 お客にとって欠かすことのできない絶対な存在でありたいとのこと(HPより)
これも多数店数の「アンソレイユターブル」PSスコープ系のフードビジネスカフェ、上のひなたと同じ意味で陽だまり、日の当たる場所の意味。
ソル・ソーレは一番最初の頃のイタリアンの項目イメージ系と、自然造形物の項でも月と日の中で。イタリア料理のイメージとして太陽はピックアップ済です。
「IL SOLE 西麻布 1989年」「デル・ソーレ 六本木 2001年」と同店名はイタリアン、バル、カフェと多く、いろいろ形容詞もついて使われています。なかでも「デル・ソーレ」は会社のHPに朝昼晩の時間の楽しい時間過ごして晴れ渡ったイタリアの青空にのように明るく陽気の前向きな気持ちで満たしてほしい、街の太陽のような存在になりたい想いの店名としています。
オーガニック系イタリアンの同じシェフの店「ALLA CUCINA DEL SOLE 千駄ヶ谷 2001年-2007年」と「ペル グラッツィア デルソーレ 有楽町 2007年」太陽の恵みに感謝から。
「La forza del sole(ラ・フォルツァ・ソーレ) 新宿三丁目 2000年代前半」は太陽の力、「トラットリアトゥットソーレ 大井町 2017年」太陽がいっぱいの意味。
他に写真のスペイン「マリスケリアソル(マリスケリアはシーフード魚介専門店の意味) 六本木一丁目 2013年」、同系列「ソルセビージャ(セビージャはアンダルシア地方のセルビア) 築地」、メキシコ中南米「肉バルソル 岩本町 2016年」「ソル トウキョウ 三ノ輪 2011年、移転2015年」「ソルデオロ 南青山 2013年」
参考資料
〇日本史大事典 平凡社 1992
○歴史学事典 3 かたちとくらし 弘文堂 1995
○世界宗教大事典 平凡社 1991
○世界シンボル大事典 大修館書店 1996
○図説世界シンボル事典 八坂書房 2000
○英語イメージ辞典 赤祖父哲二 三省堂 1993
橘と果物 《植物No.5》
2015年11月30日・追加2016年12月10日・
追加2019年5月11日・追加2020年8月30日
橘の木(大宰府天満宮)
日本原種の柑橘系の橘。食べるのには適さない実、不老長寿の実とされています。この間テレビで、スダチは酸っぱい橘からの名前と知りました。
神話の世界では天皇から命じられて、田道間守(タジマモリ)を常世の国へ非時香菓(トキジクノカクノミ)を採りに遣わしたとあります。
食べられませんが、橘皮(キッピ)を薬用にして身につけていました。いまのアロマ療法ですね。
和歌の世界でもロマンテックに「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」と恋の思い出に浸る場面に出演しています。
平安時代の最初、桓武天皇が紫宸殿の階の左右にサクラと橘を植え、以後右近の橘、左近の桜(最初は梅)と呼ばれています。
橘は天皇家に続く四姓のひとつです。藤原氏、源氏、平氏と同じ地位にあったのですが、政争の果てに政治の舞台からは最初の頃に消えていきました。ただ、藤原家の血筋の中に橘美千代という女傑の血が流れており、藤原家関係の苗字として、つづいていました。しかし、ほかの姓とは異なり、血に見えることなく店名には多いです。学術の世界で活躍、文化勲章は昭和天皇のご意見で橘をかたどっています。
田島の守からもお菓子の店に多いといろいろな資料にはありますが、現在は確認できませんね。ネット検索ではスイーツロード企画が引っかかってきました。
レモンは幕末には既に飲み物(本物のレモンは使われていないようです)として、正式な来日は明治初として明治以降もレモン水がうられていました。
柚子の木
日本ではカリフォルニアのサンキストレモンが印象に残っていますが、ヨーロッパはスペインとイタリア。イタリアのシチリア島が品質良く、レモンチェッロというリキュール酒もつくられています。
ビタミンCが体に良い評判が高まり、不老長寿とは言えませんが、製品として飲み物が多数でています。近頃は料理の調味料、塩レモンが活躍しています。
桃も日本神話の世界から登場します。桃といえば中国の方が神話の世界では蟠桃が活躍しています。桃源郷という理想郷もよく出てきます。
日本のおとぎ話の英雄、桃太郎も桃源郷出身なのでしょうかね。
国によって不老長寿、神が食べる果物はそれぞれ。ギシシヤ神話や北欧神話では黄金の林檎、聖書では知恵しる実、禁断の果実、リンゴの名があります。
英国、アイルランド等では、シードル酒、林檎酒が醸造されていて、食する果物ではなかったです。アメリカではママの味アップルパイ、ジョニー・アップルシードの伝説が有名です。ニューヨークの別名ビッグアップル、毎日テレビCMを見ない日はない会社名『アップル』で印象が増します。
西アジアだと無花果が古代の時代から食べられています。そのため禁断の果実は無花果の説もあります。
店名仲間
たち花 立花 橙 レモン 桃 りんご アップル ポム
たちばな(銀座)
東京の老舗の和菓子屋を探しましたが、見つかりませんでした。
田道間森は兵庫県豊岡市の中嶋神社、京都の吉田神社内の『菓祖神社』があります。全国のお菓子業者が参るとのこと。
『江戸買物独案内 1819年刊』では2店の和菓子屋、「橘屋河内掾 本町一丁目」「橘屋藤兵衛 両国米沢町」が載っています。資料では江戸末期に和菓子の店名として橘屋が増えたとあるのすが、大元の京都には200年を越えるのは「伊勢源六たちばな 1708年創業」位。印象としてはたちばなは後から付けられたような・・・。井戸水の橘泉水を創業時より使っているとHPにはあります。
『江戸買物独案内 1819年刊』には料理茶屋「橘屋忠兵衛 雑司ヶ谷」も載っています。『すし天ぷら蕎麦うなぎ 飯野亮一 筑摩書房』によれば、1770年代から団子や蕎麦切を商い、成功して紀州藩の本陣まで上り詰めたとのこと。100年以上栄えた料理屋でした。
写真は割と古めの「たちばな 銀座 1909年」、東京では有名なかりんとうを売っています。甘味処「たちばなや 日本橋 1908年」銀座には和食「立花家 銀座 1915年」「たちばな 銀座 1982-2019年」もあります。
東京では現在和食・鮨店が多いです。「たちばな 墨田区京島 1980年」「橘寿司 下北沢 1928年」「橘すし 代々木八幡 1932年」「橘鮨 新橋 1968年頃」「すし処橘 千駄木 1986年」「橘松(キッショウ)茶寮 赤坂 2014年」など
橘花楼(麻布十番)
見える植物の橘より、姓の方が多いようです。橘、立花の姓からの店名。橘の紋を掲げる店もおおいです。
既に閉店しましたが、初めは「露庵たちばな 原宿 1999年」移転し、「橘花楼(キッカロウ) 麻布十番 2003年」は姓に橘があります。実家も橘屋という料亭。
以前は熱川に有名な「橘亭」がガイドに載っていましたが、既にありません。橘は和食、鮨屋が多いですね。
その他、世田谷区中心の和菓子店「菓心たちばな 世田谷区烏山 1959年」も創業者は橘の姓。少しアレンジのラーメン店「立華 人形町 ガイド2007年掲載」苗字の立にプラス華。
他に由来不明の鰻屋「多ち花 神田 1948年」鮨レストラン「たちばな 品川 1991年」
レモン(駿河台)
レモンは幕末から明治初期に名前は入ってきていました。
幕末の長崎のレモン水、明治初頃のレモネード、ラムネ(レモネードの変化形)。1909年のリボンシトロン、1928年のキリンレモンの発売と続きます。
日本の地の栽培にはあまり適さず、ほとんど輸入果物です。扱いも最初の清涼飲料水から後にビタミンCの発見のきっかけになったことで、Cの代名詞になり、新鮮、健康のワードに結びつきます。
喫茶店のメニューのレモンティ、レモンスカッシュからも喫茶店が多い店名。
御茶ノ水の「レモン 1950年頃」、「れもん 田村町 1963年」「喫茶レモン 亀有 1968年」「レモン 日本橋 1973年」「レモン 人形町 1973年」など。「フルテリア檸檬 神田鍛冶町 1977年」
お茶の水の「レモン」は現在は喫茶店からビル立て直しの支店「レモンパートⅡ 駿河台」が「トラットリアレモン」とイタリアンに1987年に変わっています。(詳細はお店のHPレモンの歴史にあり、レモンの店名は新鮮というイメージに由来したものとあり当初はレモン画廊と兼業。)当時はカルチェラタンと呼ばれた駿河台周辺のお洒落な敷居高過ぎの憧れの場所と書かれています。
「檸檬 新宿 1975年、2017年にCOFFEE LOUNGE レモンにリニューアル」のような漢字の檸檬の店名、初代が好きだった梶井基次郎小説の題名と果物屋を営んでしたことに由来するそうです。御茶ノ水の「レモン」も梶井基次郎氏の娘さん夫婦のが開業。
ビストロレモンハウス(外苑前)
2000年代にはいってもフレッシュ、さわやかのイメージに変化はなかったようです。「ビストロレモンハウス 外苑前 2012年」最初は「レモンハウスカフェ」としてカフェ業態として開店。姉妹店にレモンの樹があり、サワヤカフレッシュ、日常からリフレッシュして元気になってほしいコンセプト。既に閉店していますが、レモンを使ったメニューも出していました。
新しい「れもん 六本木 2019年」はしゃぶしゃぶのお店、食材にレモンと思ったらそうではないようです。本社広島市からの出店。レモンがなんにでも合う食材でレモンを嫌う人があまりないように皆に愛されるレストランなりたいコンセプト。
シトロン(外苑前)
喫茶店が多かったレモンも時代が過ぎると、料理にも使われ、付け合わせの位置からアップします。主に「トラットリアレモン」のようにイタリアンの世界です。
「トラットリアレモンガーデン 中野坂上 1999年」イタリア語の「リモネッタ 上野 2007年」「レストランリモーネ 江戸川区南篠崎町 2013年」。
圧倒的な多さはれもん、レモン、檸檬、Lemonのみの店名、好まれる語尾「ん=運」がついていますから。
全国的にもレモンの店名はバラエティーに富んできています。東京でも定食「檸檬の実 千駄木 2011年」他に「グリーンレモン」「サンレモン」お好み焼の「レモン家」「レモンの花」「トゥーレモン」「レモンハート」も。
写真は今年開店したばかりの「CITRON(シトロン) 外苑前 2015年」、仏語のレモン、フレンチ店です。柑橘系で少しレモンより大きいシトロンと呼ばれる種類もあるようですが、日本では爽やかでジューシーな果物のレモンともう一つオーナーの愛犬フレンチドッグレモンの名前の意味でもあるそうです。
レモネードbyレモニカ(下北沢)ー追加2020.6.20
街場に急に増えたレモネードのスタンド店。それとリバイバルスイーツのレモンケーキの流行。レモンも他の食材と同様特化した店が増えています。
「レモネードbyレモニカ 下北沢 2018年」は金沢市1号店、2016年オープン。ソーダ、イチゴ、ハチミツとまるでタピオカティーのようなメニューです。2006年台湾茶の「ハッピーレモン 新宿 2018年」は店名だけ。
レモンケーキは1960年代から1970年代に流行、大手も販売していたそう。2010年代に再燃したそうです。昔のよりより本物のレモンの酸っぱい味に近いケーキが人気とか。
カフェ「Plein de Citron(プランド シトロン) 目黒区碑文谷 2019年」はレモンがテーマでレモンケーキ、ウィークエンドシトロン(レモン風味のパウンドケーキ)等のスイーツ中心。意味は直訳ではレモンがいっぱい。
昔からあるのは「レモンパイ 田原町 1981年」アメリカンタイプのメレンゲ山もりパイです。屋根もレモン色。
辛党にはレモンサワー専門店もオープンしています。店名はそのまま「KUSHI-LEMON」も。一番直球店名は写真の「SETOUCHI 檸檬食堂 神田 2019年」。フードビジネス系居酒屋「福の花」の女性ターゲットの居酒屋。レモンの産地の瀬戸内海食材、レモンの料理多いです。
アオユズ(恵比寿)
説として橙か柚が非時香菓(トキジクノカクノミ)であるいうものもあります。橘の代用として、鏡餅の頭に載っているのが橙です。
事実、橙は緑から黄色、また緑色になり2年以上も木になっていても落ちず、縁起の良い代々の別名も持っています。
柚と共に中国から渡来果実、脇役の役割でしたので、店名にはあまり使われていませんでした。
なぜか、デザイナーズレストランの全盛期に柚、橙が登場。既にありませんが、「ゆず亭 西麻布 1986年」「橙 銀座 1996-2016年」、「ライム 銀座 2002年」蕎麦屋「花ゆず 西日暮里 2012年」
特に「ゆず亭」は和の内装材を使用せず、スタイリッシュな和のテイストを演出した、内田繁氏のデザインが、数々の雑誌を飾っていました。
ほか手軽なふぐ、スッポン料理の「板前割烹橙橙 下北沢」も既に閉店しています。
現在はデザイナーズの後継、個室ダイニング系の「アオユズ 恵比寿 2001年開店」「柚のしずく」「ゆず家」「daidaiya(ダイダイヤ) 銀座 2000年」「橙家 新宿 1998年」等のチェーン化したフードビジネスが多いです。
柚こう(日本橋) ーⓢ(追加2018.8.20)
橙は七味に、柚は柚味噌、柚練り、柚釜、柚餅子、柚胡椒と料理に使われています。日本料理では山椒とともに香りづけの分野を柚は担っています。
地味ではありますが、和食の世界では「ゆず 荻窪 1978年」、うどん屋「ゆず屋製麺所 神田」。2015年開店の「柚こう 日本橋(最初は北浦和で開店)」は柚の香を意味する店名。
材料系?なのは「柚庵(ユウアン 信州上田の東都庵の支店) 内幸町 1992年」は柚きり、居酒屋「柚庵 高田馬場 2013年」はゆず料理の名前が載っています。
全国的にも多いのはフードピジネス系個室ダイニングと上でも書きましたが、音も漢字も女性らしいので、「花ゆず」「ゆずの花」「ゆず小町」「ゆず庵 豊橋1号店 2012年」とかな表記も多くて、女子会向きでしょうか。
◆追 加(2018.8.20)時代の流れでしょうか、食材の店名を調べていたら「ゆずの小町 2010年大阪難波1号店、渋谷にあり」は女子向き個室居酒屋ですが、これが全て柚を使ったメニュー尽くし。柚豆腐、柚蜜漬け、柚肉味噌キャベツ、ステーキも柚風味に柚子胡椒チャーハン。ドリンクも柚の香りに満ちている柚ワールドに浸れます。(2018.8.20)
御田桃の木(三田)
創世記の神話のなかにいろいろな果物が現れます、長寿や不死、精力剤として実際使われたものもあるのでしょう。
桃は中国、西王母の持ち物、蟠桃、若返りの果物です。聖書はイチジク、リンゴがあります。西アジアはザクロです。
桃は当然ながら、中華に多く特に「桃園」「桃里」「桃花林」「桃源郷」「桃源門」「桃苑」のような植えられた場所をイメージした店名が多数。
理想郷の桃源郷のイメージもありますが、桃園が人が集まる場所のイメージが強いためでしょうね。
写真は「御田桃の木 三田 2005年」『桃季成蹊』から、桃や季の香しい香りの元には自然と人が集まり道ができるという意味で、美味しい料理でお客が集まるようにと想いを込めています。
桃だけでは桃の節句のイメージで女性を連想し、風俗の桃色やピーチに行ってしまうので、少な目です。
ただ、ネパール料理のモモ、小籠包ににたものがあるので、この店名の店もあり、料理系に変わっていくかも。
橘香堂(倉敷市)ー追加2016.12.10
岡山旅行の際に、和菓子店「橘香堂 倉敷市 1877年」を見つけました。むらすずめという和菓子が有名な和菓子店。
むらすずめの名づけ親でもある当時の倉敷市長の林孚一(フイチ)氏が命名。
奈良時代菓子といえば果物のこと、橘が栽培された果物始めとし、菓子の祖である橘の香りからこの店名を命名。
都内に3軒ある文銭堂、そのひとつ「橘昌文銭堂 神保町 1949年」の頭についている橘昌の意味はやはり、菓子の祖の田道間守の常世の国に求めた非時香菓の橘に由来します。
昌はHP上では繁昌、昌運、隆昌のさかんになる意味で店の繁盛をねがってものとしています。別の方のHPでは現会長のの名前の一字をつけたそうです。
全国的に見ても和菓子の店と橘はやはり切り離すことができない歴史がありますね。
なつめ(代々木八幡)ー追加2019.5.11
原産はアジア、ヨーロッパ島南部、中国から奈良時代には日本に渡来していたナツメ、難読字棗、和語では夏芽と表記。
中国では五臓に利くスモモ、杏、栗、桃と並ぶ果実として五菓として大切に扱われ、乾燥させて大棗(ダイソウ)という名の漢方薬の原料になっていたようです。
中国や韓国朝鮮では棗の木が占いの星盤、護符になったり、結婚の儀式にも祝物のとして贈られていました。
インドでは釈迦の断食苦行を始める前に最初ナツメ、次に米、最後に胡麻を一粒づつ食したと伝えられています。
今は特に女性に利くオーガニックの健康食。美人の楊貴妃が食べていた不老の効用の美人食です。
料理には韓国朝鮮料理の参鶏湯(サムゲタン)、粥、スープ、中華、杏仁豆腐によく入っています。棗の花言葉は健康です。
同音の名前や苗字もあります。夏目漱石の夏目は地名からてす。名前は女性の名が多いです。
形が似ているので茶道具の棗、薄茶用のお茶入れ器。
比較的新しく、和食、喫茶店、ラーメン・中華にもついています。『読みにくい店名』で取り上げたダイニング「棗 代官山」のように読みにくさと中国由来のの縁起の良い実から命名。
カフェ「棗 西荻窪 2017年」は芽吹くのが遅い棗の芽のようにゆっくり街に馴染んでいきたい願を込めて。
東京に進出の札幌の鮨屋「鮨棗 2010年、2018年新宿高島屋内」は棗の実をおもてなしの実として美味しい料理とおもてなしを提供するとしています。
英語のディーツはナツメヤシのことで、日本の棗はチャイニーズディーツの呼称。ほとんどありません。
写真は由来は不明「なつめ 代々木八幡 2013年」、ドリアとグラタンの店で、ロゴマークは棗の実と葉。
参考資料
●橘 吉武利文 法政大学出版会 1998
●くだものものがたり 廣瀬和栄 健文社
●果実・種実(新食品事典6) 河野友美編 真理書院 1991
●柑橘類(シトラス)の文化史 ピエール・ラスロー 一灯舎 2009
●フルーツひとつばなし 田中修 講談社 2013
●レモンの歴史 イビー・ゾンネマン 原書房 2014
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