コラム 店名の裏側・外側 2
こちらは店名からではなく、基になった植物、動物、自然現象などからみてみたいとおもいます。
菊 《植物No.6》
菊はなによりも美しい。バラが西洋の影響で広まる前は天下一の美人でした。彼女自身も中国からやってきた美形。菊の名前も中国の読みだそう。
なぜか、美人の表現「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」には外れているのですが、これよりもさらに上にある俗を超えた美しさ。仙界の花で、その雫を飲むと不老長寿になるという中国の伝説。天皇家に愛され、重陽の節句に「菊の宴」が開催されていました。
後鳥羽上皇が特に自分の持ち物に菊の紋をつけ。それ以後天皇家の紋章と位置づけられます。明治以後は菊の御紋として、ロイヤルブランドになり、あこがれの対象です。
江戸時代後期の菊作りの隆盛とともに日本人の好きなはなになりましたが、戦後葬式にキリスト式の献花の模倣、菊の花が飾られ、比較的作りやすく花の長持ちで街場の供花として頻繁に仏前にも供えられたことで、葬式花のイメージがついてしまい、インターネット上の意見でも菊の花は縁起が悪いとの書き込みがあります。
店名仲間
きく・KIKUYA・菊水・菊寿
菊は音読みがキクなので音としてのバリエーションがありません。外国語への転換も一番ない植物。
同じ国花 (公的に決まった花はありませんが)と呼ばれながら、桜には及びません。また、桜のように次々と新しい店の名につけられるよりも、継いでいく店名です。菊屋の由来につしてわかるのはとても少ないです。全国津々浦々、いろいろな業種にわたって多いのにかかわらず・・・。
地名や苗字まで由来を調べてみましたが、堂々巡りに陥ることが多い事例でギブアップ。
たとえば、合羽橋の喜久鮨さん、鰻の喜久さん、以前菊屋橋の地名があり、地名かとかんがえたら、菊屋橋の由来ひとつに和菓子の菊屋があったからとか。全国を検索しても、同じようなことばかりでした。
菊屋(奈良市)
一番古そうなのはやはり、ここでも和菓子店。奈良の「本家菊屋 1585創業」、豊臣秀次がでできます。東京にも「菊家 青山 1935年」「菊廼舎 銀座 1890年」。
写真は奈良の本店の写真がなくて、奈良駅前の支店です。大阪市には昭和時代に分家した「菊屋高麗橋本店(お店のHPでは豊臣家の御用菓子司をつとめ「屋号並びに菊花をその象徴せよ」の仰せによりとあります。)があります。
菊屋の和菓子店は古都京都には非常に少なく、他の地域では多いようです。「菊屋政房 神奈川県厚木市 1781年」「菊屋 あきる野市 1862年」「菊屋 久留米市 1882年」「菊屋 福島市 1897年」「菊屋本店 三重県四日市市 1918年」「菊屋 名古屋市 1934年」など、戦後はさらに多いです。
成田山新勝寺寺紋が由来の由緒正しく看板を掲げているのは鰻の「菊屋 成田市 1700年代」。新勝寺が天皇家所縁の寺ゆえ、菊紋を下賜され、寺から拝領して店名に使用しています。
明治期はこのような例で寺や神社に菊紋が掲げられていた事例が多く、護り、権威の象徴として力がありました。鎌倉時代から皇室の刀鍛冶である菊一文字のように初代の一文字則宗の苗字に後鳥羽上皇より皇室の紋の16弁の菊紋を付けることを許され、現代まで続いています。菊紋は天皇家の一門に属する象徴。
長く都であった京都に老舗の和菓子屋の菊屋がすくないのは菊紋の威光が強いこともあるのでしょうね。
きく家(人形町)
こちらが現在一番名が知られている人形町の料「きく家 1975年開店」。はなれ(別邸)もあり、何年か前『人形町酒亭きく家繁盛記 志賀キヱ 草思社 2001』を出版したこともあり、雑誌にも登場しています、ただ、本には店名の由来は何となくとあいまいで、不明です。
同じ人形町で老舗「きくの家 1905年」はビルになり、和食ダイニングと銘打っているので、こちらの方が新しく見えてしまします。
隣の神奈川県の横浜市には「蒲焼割烹菊家 1890年頃」が老舗として続いています。
菊亭(八重洲)
古くからのガイド(1935年発行)に載っているのはスッポン料理の「菊亭 銀座」、店主の名前菊雄氏の一字でしょう。戦後も70年代までは載っていましたが、閉店。
今も有名なのは「菊亭 1951年 八重洲」、最初は丸の内、大企業御用達のてんぷら屋。現在は2005年にトキアの中に移転しています。元総理大臣の名付けだそうですが、由来はわかりません。
喜久鮨(西浅草)
江戸末期のガイドに「菊寿司 芝三田三丁目」「菊寿司 牛込神楽坂」や明治初期のガイド「菊すし 楽屋新道(人形町と芳町の間当り)」が載っています。大正6年の鮨屋番付には「菊鮨 芝区三田三丁目」があります。
以後、菊寿司、菊鮨も多数はありますが、由来が分かりません。
出版されているもの情報では「菊壽司総本店 北品川 2011年に閉店」や「菊鮨 銀座」天皇陛下へ初めて鮨を握った鮨屋として載っていて、家族で3店ほど経営していましたが、今は移転(1984年)して、銀座に戻って常連さんメインで続けているとのこと。
今も普通に頑張っているのは「菊寿司 阿佐ヶ谷 1933年」「菊寿司 高輪台 1950年代」、「菊寿司 新橋」、「菊寿司 茅場町 1956年」「菊鮨 中野新橋 1955年」街場には一軒はありそうな・・・。新しい処では「きく鮨 北千住 2016年」全国的にはネットでは「菊鮨 札幌市 1923年」「菊鮨 福岡県春日市 1980年」が多数アップになっています。
写真は菊の字を変えたお店「喜久鮨 西浅草 1936年」。こちらの店名の方が今は多いようです。他に「喜久鮨 平井 1960年代」「喜久寿司 吉祥寺 1960年代」「喜久鮨 花小金井 1973年」「喜久寿し(喜の字は略字) 神楽坂 1980年代」
キクヤレストラン(日の出町)
人気の店名でしたから、洋食にもあります。店名をかえている店も多いと思います。
以前取り上げた洋食「黒船亭 上野 1902年」はカフェ菊屋(1917~)からレストランキクヤ(間に中華店開店、1969年~)と店名(黒船亭1986年~)を変えて続けています。
洋食はローマ字表記か片仮名で、写真は「キクヤレストラン 日の出町 1946年頃」
菊水(京都市)
菊と他の字の組み合わせは人気の桜に比べてもとても少ないです。
一つだけ、家紋の菊水だけはつけられています。水の項に入れるべきかと考えましたが、やはり菊のイメージが強いです。
伝説では南朝に組した楠木正成の家紋で、天皇から菊紋を下賜されたが、お恐れ多いの気持ちのため、返上したことから、菊に水紋を加えたものになったとのこと。
東京では意外と少なく、全国では料亭につけられているようですね。
「菊水 愛知県一宮市 大正期創業」「菊水楼 奈良市 1891年」「菊水 京都市 1955年」「菊水 香川県さぬき市 1987年」、ほかの業種でもステーキ屋「菊水 神戸市 1953年」レストランは写真の「菊水(3代目からの店名) 京都 1916年」「菊水 軽井沢 1936年」、鮨屋「菊水鮓 明石市 1897年」。
東京では和食中心、「きくすい 人形町 2013年」は一番あたらしい割烹。
菊乃井(京都市)
京都の有名料亭「菊乃井 1912年創業」、東京にも支店「赤坂菊乃井 2004年」がありますが、もともと祖先は茶坊主。東山の『菊水の井』を管理していた役職を務めていて、1912年(大正元年)よりこの水を使った料理を作るようになりこの店名になったとあります。(お店のHPより)
京都には菊のみの店名は少ないですが、先の料亭「菊水」の他に、四条大橋には他に洋食の老舗レストラン「菊水 1916年」も今年で100年と頑張っています。ほか「菊しん」「ふじ菊」「菊寿」「松菊園」とあり花に寄るようにしています。
きくまさ(南青山)
日本酒菊正宗(1886年ブランド登録)が有名です。この名を冠する店もあるとは思います。看板に菊正宗も掲げいてる和食店があります。
1921年新宿で開店した和食店「菊正」、現在は「きくまさ」として南青山にあります。経営者二人の名前をつけたとのこと。既に閉店しましたが「四谷菊正」も有名。
ブログ記事では親戚筋にあたる割烹「菊正 銀座 1965年」も頑張っています。ブログ記事ではかつて、3階建ての大衆割烹だったこちらが本家筋とのこと
きくの花(写真は喜久や)
戦後のすぐにベストセラーになった『菊と刀』が示すように、世界的にも日本の象徴的存在菊。
広尾の外国人専用の「キクヤ」、上に掲げたてんぷら「菊亭」は企業の接待に海外の方もいたと想像できますね。
『菊は付く言葉が少ないということは日常ではなく、鑑賞用の域にあり、その美姿を愛することから始まったようです』(出典を忘れました)の文のように、愛好者が多い日本。事実、酒の銘もおおいです。
一番多いのはこの菊花を愛する心からの店名が一番おおいのでしょう。
新し目の店ではカフェ「KIKU 西荻窪 2005年」「KIKUYA 東向島 2010年」蕎麦屋「麹也(キクヤ) 新宿 2004年」
写真は立ち飲み屋「喜久や 恵比寿 2015年」、フードビジネス系で、立ち飲みと天ぷらをメインに日本文化として紹介するコンセプト。日本文化イコール菊の花?でしょうか。
参考資料
☆花の民俗学 桜井満 おうふう 2000
☆歳時の文化事典 五十嵐謙吉 八坂書房 2006
☆家紋の文化史 講談社 1999
☆日本史大事典 平凡社 1992
☆歴史学事典 3 かたちとくらし 弘文堂 1995
街路樹 《植物No.7》
神様関係で柏や榊、杉の樹木がありますが、街に住む人々にとっては街路樹のなじみのある木々が店名になりやすい。
三蹟の一人、小野道風が柳に飛びつくカエルを見て、努力の大切さを知り、さらに書道の道に精進した逸話、河と岸の間に植えられているため、イメージとして彼岸の場所として幽霊も現れる柳の下。
現在は有名な銀座の柳も少なくなりましたが、京都の川沿いにはまだ多く残っています、護岸用として、よく、植えられています。
柳は正月の行事を含め、大切な木として扱われ、生活用具として楊枝や柳行李にも使われていました。
イチョウや杉は長生きで神社やお寺に植えられていました、長命を願う家紋に使われていました。
有名な日光杉並木は徳川家三代に仕えた家臣が長い年月をかけて、植樹し、日光東照宮の参道として、寄進されたもの。今も名を残す並木道です。
ただ、銀杏と同様山中、街道筋にありましたから。店名になるほどではなかったようです。
他の街路樹は明治以降アメリカなどから贈り物、文化交流の象徴として、震災以降は火事の延焼を防ぐためにうえられています。
もちろん、植物ですから、地方性が現れ、アカシアやポプラは北海道の大地に合います。桜並木は各地にあります。
東京府中市では天然記念物の馬場大門欅並木が古代からあったとして有名です。元は大國神社の参道でした。欅は神社や寺社の大黒柱として使うため、植えられていました。
店名仲間
柳・銀杏・アカシア・ミモザ・花ミズキ
街路樹、並木の始まりは柳が最初ですね。銀座のロオジエは銀座の柳から、蕎麦屋の銀杏(大島)も同様に銀杏並木が由来です。駒場東大のダイニング銀杏、喫茶銀杏も同様だと思います。二子玉川にはハナミズキの通りがあります。「ドッグウッドプラザ」という建物がありますが、こちらは英語名のハナミズキ。
二子玉川駅周辺にはビル名に「マロニエコート」「ケヤキコート」「花みずきコート」「アイビーズプレイス」もそろっています。
開発して造成された、新興住宅街は通り名も含め、街の名前も樹の名前が多いようです。
やなぎや(二子玉川)
他の街路時はまだ好まれているの域ですが、柳、しだれ柳は長く、奈良時代から人々共にありましたので、イメージが多数生まれていました。
川岸に植えられていましたので、この世とあの世の境のイメージで、幽霊が住み着く(?)場所になっていました。
柳・楊の字がありますが、日本では柳の漢字が使われ、中華に多い楊の字、楊貴妃につけられている漢字は楊枝に使われるだけです。柳は枝垂れ柳、楊は葉が硬いヤナギのこととか。
食べ物屋ではないのですが、江戸時代より続く日本橋の化粧品の老舗「柳屋」の歴史の本『日本橋の近江商人 蝦名賢造 新評論 2001』のなかに由来が書かれています。
こちらの柳屋は資生堂と同じように昭和の初め頃、柳屋ソーダファンテンという店を開いていたので、まったく食べ物屋に縁がないわけではあのませんね。
鮨屋の記事で江戸宝暦の頃からの「御満がずし」を取り上げていますが、女房の名前とか、童が歌ったざれ歌『京ばし・中ばし・おまんが紅』からとったとか諸説ある中、川柳で化粧品の紅を売っていた「柳屋」が商売替えで売り出したという説もあります。この日本橋の柳屋ではないでょうね。
1615年創業で、最初から柳屋ではなかったようで、1822年から柳屋五郎と称したとあります。
『商人は柳のごとく常に頭を低くして幾多の苦行も樹折れず』のモットウ。ただ、由来はこれ一つだけではありません。二つ目がヒットして商品名の髪つけ油『柳清香』、三つめが店の横に柳の大木が植えてあったからの説も書かれています。
東京以外ですが、一つ目のモットウと似た『柳に雪折れなし』を揚げている店もあります。
現在は名物の名前「追分だんご 新宿三丁目 1945年」ですが、かつて友高井戸宿で「柳茶屋」として、団子の売っていました。伝馬の宿が新宿に移転、共に移り、やなぎ家としてあったそうです。由来はしなやかだけど強い柳木にあやかって。
写真は「玉川やなぎや 二子玉川 1850年代」、店名の由来は不明ですが、将軍に鮎を献上したり、大屋形船を浮かべての大宴会を催したりと鮎の名店。最初の店名「玉川柳屋」から「懐石やなぎや」と替わり、2011年から現在の店名になっています。
柳庵(大田区)
柳のつく店名はは古くからの店名ですから、和菓子屋、鮨屋、蕎麦屋、鰻屋、中華など、現在も幅広く付いています。「柳鮨 銀座 1970年頃ー2012年閉店」は銀座にしては安いとガイド本等によく書かれていましたし、「柳鮨 秋葉原 1952年」鯨を出す鮨屋としてやっています。
食べログ上、新しいのは蕎麦屋「柳庵 大田区 2015年開店」、40年間、営業した浜松町から移転に伴い、この店名に。名前に柳の字があるので、一字を取ったのでしょう。
「霞町柳鮨 西麻布 2015年開店」は25年間務めた世田谷区の「青柳」の一字を取っのでは思います。
やはり、古のは和菓子屋、三重県松坂に「柳屋奉善」、銘品のお菓子老伴(オイノトモ)は1575年(天正3年)、発売だとか。東京では鯛焼きの「柳屋 人形町 1916年」が有名です。
レストランヤナギ(新富町)
洋系のレイトランではかつての有名店、よく資料に登場した洋食「キッチン柳 茅場町 開店年不明(銀座店は1960年代)」がありましたが、銀座の支店も含め、店主の高齢化により店を2007-2008年頃閉じています。記事では個性的な店主として有名だったようです。
洋食は「やなぎ 門前仲町 1980年頃」「定食ハウスやなぎや 高円寺 1985年」「レストランヤナギ 新富町 1960年代後半」。最後のレストランヤナギは表札に柳の字があるので氏名からでしょう。
ロオジエ(銀座)
外国語の例は意外に少ないです、何度も登場しますが、資生堂経営の「ロオジエ 銀座 1973年」、銀座のシンボルツリーの柳並木に資生堂創業地への想いを込めて(お店のHP)。しかし、この名、実際は銀座の枝垂れ柳の仏語ではなく、古くから使われている籠をつくる行李柳の仏語。「ロジェドール(金の柳) 銀座 1991年、既に閉店」も同様。
食べログでは3店の同音のロジエが検索できますが、皆仏語rosierの薔薇の意味でした。
英語のウイローもウ行弱い音の響きからか、極々すくない店名。最近、見つけたのはラーメン屋「ウィロー 柳橋 2015年」、おそらく柳橋の地名からだと思いますが・・・。
イタリアンは多い方です。再度(『名前は王道?真打?』のなかのバリエーション)の登場ですが「ピノサリーチェ 渋谷 2004年」「ダ・サリーチェ 荒木町 2009年」「トラッテリアサリーチェ 赤羽岩淵 2014年」姓名から(と推測します。)
青柳(高田馬場)
春に芽でる柳の若葉を意味する青柳。万葉集にも『青柳の・・・千年寿ぐとそ』と歌われるように、若さを象徴する樹。邪を遠ざけるとして、正月の繭玉飾りの樹としても使われます。
徳島の料亭「青柳 富田町 1910年、東京虎ノ門1996年進出、麻布台に移転」と名古屋の名物外郎の和菓子屋「青柳総本家 1879年創業」が全国的には有名です。「青柳総本家」は徳川家の城主から拝命した店名、後付けか?外郎(ういろう)からの柳の英語ウイロー、蛙のキャラクターは上に書いた小野道風の逸話から作画は柳が蛙を丸く囲んでいます。柳尽くしになっています。
古い資料『江戸買物独案内』には「青柳安兵衛 東両国」と他の資料には本所の支店が、『東京名物志 1901』には卓子料理(和洋中折衷料理)の「青柳樓 京橋区新富町」を発見。
明治の『著名菓子舖見立表』の新橋と三田が載っている和菓子屋の「青柳」が多くあることは以前アップしていました。ネット記事で「青柳 高田馬場 1925年創業」が載っていて、由来について語っています。
名古屋の「青柳(写真左)」が全国的に有名になり、それに習って東京にも明治時代に銀座、三田、青山に3店が開店。東京の多くの店舗はこの3店からの暖簾分けだそうです。高田馬場店は青山の「青柳」から出たとのこと。
一番古いのは「入船青柳 八丁堀 1893年」は新橋青柳本店から暖簾分け店、最初は「南八丁堀仲ノ橋青柳」として創業。
比較的新しい「青柳正家 向島 1948年」は「正家」は一條実孝公によって命名。色名が付くのはほかに割烹「金柳 門前仲町 1921年」
銀杏並木(青山外苑前)
イチョウ並木、全国首位の並木。街路樹管理上、丈夫で現代の環境変化にも負けない木。太古の昔から堂々としていて、長寿の樹木。でも、街路樹として、街に植えられてのは、明治時代以降、文学作品にも明治以降の登場。
近年はギンナンを嫌って雄株のみ植えるとか、経済効率だけを考えていると、どの街もイチョウとケヤキ並木の面白み、違いのない街並みになる嘆く声が本には載っています。
数が多いのに、イチョウの発音の地味さからなのか、店名は意外に少な目です。食べログで古のは「銀杏メトロ食堂 東大前 1946年」、甘味処「いちょうの木 北品川 1979年」。先頭に書いた「蕎麦屋銀杏 大島 2004年」も銀杏並木が近くにあるので。同じように文京グリーコートの2階にある「銀杏 千石」。
かつて一世を風靡した新和食「だいこんや 代官山 1982年開店、既に閉店」は日本橋茅場町の天ぷら「稲ぎく」の系列店で、支店がありました。
それが、有名ホテルの料理長齋藤章雄氏(現在は2011年開店のしち十二候経営)の最初の勤め先が「公孫樹庵(イチョウアン) 四谷 既に閉店」でした。こちらは四ツ谷にある迎賓館の銀杏並木からでしょうか。
ICHOと表わす店もあります。ただ「ICHO 南青山 2008年」、ショップ併設のカフェはショップのデザイナーの苗字です。銀杏の木がシンボルだけどちょっとひねって「ギンナン 新宿 1981年」も。
「いちょう鮨 浅草橋 開店年不明」は隣が銀杏岡八幡宮なので地名系。
洋系の店名は柳と同じように少ない傾向。写真はフレンチの「GINGO(ギンギョウ) 目白 2002年開店、2019年東北沢移転平仮名でぎんきょう、ビストロに」、仏語のジャンゴの綴りをあえて、日本語読みで発音の店名。お店の前にかつて樹齢150年の銀杏の樹がありました。
残念ながら一年も経たず閉店した「Le Ginkgo(ル・ジャンコ ) 外苑前 2014年」。窓から見える銀杏並木の四季の緑から金色に映りゆく姿から季節を生かす料理をとのコンセプト。
ケヤキ並木(東京都府中市) ーⓢ(追加2020.6.29)
欅並木があるところに当然この店名はあります。
街の並木として最初に植えられたのは1921年、明治神宮の参道、表参道の並木です。
ただ、細かくみていくと、桜も同じ傾向なんですが、役所の食堂、図書館のカフェ、公共の建物民間の組織関係(東海大学校友会館のレストランけやきの例)のレストランがよく欅の店名をつけています。
市の樹がケヤキの府中市は特に多いです。ほかに「世田谷区、渋谷区、葛飾区も区の樹がケヤキに指定それています。
府中市近くの西国分寺、「ロイヤルけやき 西国分寺 2010年」は洋食店。目黒の坂道の欅からの「KEYAKI café 中目黒 2011年」
赤坂のホテルのレストラン「ケヤキグリル 1963年」は並木ではなく、内装に古木の欅を使っていることから。ドイツレストラン「けやき 神田 1962年頃」和食「欅亭 表参道 1996年-2009年頃(店名変更「美の福」に)」
今は鎌倉の蕎麦屋支店「松原庵欅 2010年」が表参道欅並木沿いにあります。ほかカフェ、レストラン等、新しいオープン店にも付いています。
写真は府中のケヤキ通りにある「ケヤキ茶屋 開店年不明」です。新しい分野では「ジンギスカンけやき屋 飯田橋 2018年」。アイルランドのラム肉の焼肉とイタリアンのレストラン、業態がわけにくい店は神楽坂の欅並木(比較時新しい1980年からの石畳みと欅並木)からと推測するこのような店名が付けやすいです。
日比谷バーのダイニング「欅KEYAKI 銀座 2011年」日比谷バーの20年(1990開店)と銀座の欅の10年の想いにが一つに、だそうです。
開店年が不明ですが、日本レストランエンタプライズが経営する和食店「けやき 東京駅一番街」「天ぷらけやき 東京駅キッチンストリート」もあります。
欅の語源がけやけき木(際立った木)、強き木、目立つ顕著な木なので大手のフードビジネス系には好まれる樹ですね。
洋系はこれまた少なく、発音のせいか、ゼルコバは「ゼルコーバ 銀座一丁目 1995年」、府中、立川周辺にはケヤキの店名が多いための変更か「パン屋ゼルコバ 立川 (2016年山梨移転)」があります。
イタリア語も一店、珍しい北イタリア、トレンティーノ・アルトアディジェ州の料理を出す「da olmo(ダ オルモ) 神谷町 2012年」、窓の外に欅があり、ケヤキのように力強く根をはり四季を映しながら人々が集う店でありたい想いを込めて。
アカシア(岩本町)
アカシアを含め、北海道にある並木、ポプラ、白樺の並木道。歌謡曲や同様に歌われ親しまれています。
本当のアカシアではなくニセアカシアと呼ばれるハリエンジュが原産国北アメリカからやってきたのは1877年(明治10年)、街路樹としては他の街路樹とおなじように明治時代に最初に北海道にアカシアの並木登場。北原白秋の『この道』、唱歌にもなっているアカシアは北海道の並木道が舞台。
ホントのアカシアは亜熱帯でしか育ちません。古代エジプト王朝時代から家具材だったそうだす。キリスト教では大切な木です。(契約の箱、失われた聖櫃の材料)
小説『アカシアの大連』に書かれたようにかつて、戦前日本人が住んでいたので、ノスタルジーの気分でアカシアの店名をつける場合もあったようです。
写真は「アカシア 岩本町 1973-2019年」古くからの喫茶店流行でよく雑誌にも取り上げられ、頑張っています。店名は明石屋も掲げられていて、どちらでも良いそうで、義父が王子駅前でやっていた喫茶店の名を継いでいます。
そのほかロールキャベツの名店「アカシア 新宿 1963年」叔母の店名を引継いだ「音楽喫茶アカシア 練馬区 2006年開店」、この店名、かつて相当数あったのでしょうが、減っています。
ミモザ(新富町) ーⓢ(追 加2017.2.13)
もう一つのアカシアの一種ミモザ、フサアカシア、またはハナアカシア(別名銀葉アカシア)も店名としてあります。
黄色の鮮やかな花は日本の桜のように春の先駆けの花、南ヨーロッパ、イタリア、フランスのプロヴァンス地方のミモザ祭りが有名。コートダジュールの海岸沿いはミモザ街道だそう。
戦後すぐ、東中野駅周辺に喫茶店「ミモザ」があったそうです。
古い喫茶店では「ミモザ 新富町 1964年」、2015年で五十周年。
同じく「銀座ミモザ館 東銀座 1984年」、一度閉じて、2015年再開していますが、HPにはおじぎをしたような満開の花が頭を垂れている姿をお客一人一人に感謝して、接客したい想いに重ねているようです。
フレンチ店「レストランミモザ 葛飾区金町 2004年」は南フランス旅行のミモザ祭りに魅せられ命名。
「カフェテラスMIMOSA(ミモザ) 不動前 2014年開店」はHP上でヨーロッパ春を告げる花のミモザに人々が集まるような新しい出会いの場所でありたいと幸せの花ミモザとつけたありました。
イタリアンの「Le Acacie(アカーチェ) 南青山 1996年」はアカシアの樹の意味なのですが、シェフが開店前にイタリアのピエモンテに滞在してあちらこちらに勉強にまわっていたようです。ピエモンテは春先にミモザが咲き誇る街。
フランス映画の『ミモザ館』や英語でもミモザとなるのでイタリアのイメージがその頃はなかったので、あえて分類の上位概念のアカシアをえらんだのでしょうか。
ハリエンジュのアカシアが時代を去りゆく中、ミモザは増えつつあるようです。イタリアでは3月8日がミモザの日、女性の日でもあります。
行かれたお客のブログ上で、ただ、ミモザがすき、その花の色の黄色も好きとわかりました。店名としてはとてもシンプルな理由。他に祖母が花屋で花が好きであること、中華らしくない店名を探していたこと、店のロゴも中国で縁起の良い菱形にミモザの花をデザインあしらっているそうです。(2017.2.13追加)
花みずき(祐天寺)
ハナミズキも以前に記事にしましたが、平成27年の統計報告では、東京の街路樹でイチョウを抑えてのナンバーワンの位置にいます。
悲しいことに経済効率のせいで増加しました。最初の頃の運命も結構悲劇的。
もともと、日本とアメリカの国際親善のため、1912年にワシントンの桜の交換としてやってきました。
戦争で敵国の樹として、一部切り倒されることもあり、戦後直ぐは統治者のマッカーサー元帥の故郷の樹がハナミズキ、そのご機嫌取りのためアメリカ大使館付近の街路樹になります。
2000年代から一気に増えた花水木の店名、2004年に流行った『ハナミズキ』の歌と関連する映画の力もありました。
赤と白の可憐な花を好む方もいて、1996年がガイドには今はなきデザイナー森英恵さんの大好きな花の名として「花水木 表参道」というカフェがありました。
カフェや和食、蕎麦屋、居酒屋、ラーメン屋と幅広くつけられています。
つけた由来がはっきりしているのはつくば市の紅茶専門店「花水木 1991年」、バームクーヘン専門店も高円寺(2012年開店、2015年にHANAMIZUKIハナミズキに改名)に工房もあります。
HPによると親会社がアメリカのワシントン州エバレットに工場を建てた、まわりの森に野生の花水木があり、その思い出としてつけたとのこと。花言葉も掲げられていて、返礼、永続性、私の想いを受けてくださいの言葉。
何処の街でも、見かけることが多い花水木、ハナミズキ、花見季、花満月、花未月、写真は「花みずき 祐天寺 1991年」食べログで出てくる一番ふるそうな割烹店
マロニエ(国立、駅前店)その他
世界の4大街路樹はプラタナス、ニレ、菩提樹、マロニエ
特にマロニエは日本名、セイヨウトチノキは1576年にウィーンの並木となり、ヨーロッパ全土に植樹されました。
日本人にはパリのシャンゼリゼ通の街路樹として広く知らて、パリへのあこがれから、銀座を題材の歌謡曲にマロニエ並木があってほしい願望の元に作詞作曲。、実際はマロニエの木はないのに、イメージ並木が出来上がっていました。
昭和初めのころは「マロニエ」の名の喫茶店が存在していました。
実際マロニエが植えられたのは1991年、二丁目目と三丁目の間の通がマロニエ通りとなり、入口付近に建物マロニエゲートも建てられました。
東京のカルチェラタンというパリの学生街に例えられる御茶ノ水周辺地区にとちのき通、通称マロニエ通にも喫茶店の「ティールームマロニエ 1960年」があったと思いでブログに書かれています。
今もあるのはグリル・中華「マロニエ 霞が関 ネット記事では半世紀前から、渋谷洋食「二葉」の流れをくむ。」、桜田門の近くにあり国道1号線の起点。東京の最も古いとちのき通(明治45年)の通り名。
余談ですが、今年(2016年)で10回目の浅草橋のマロニエ紅白まつり、5月の中頃に開催します。
街の活性化のため道路に植えられて紅白のマロニエの花見を兼ねた祭。紅白のマロニエの花が上へ上へと伸びていくのが縁起が良いとしています。
少なくなりつつあるマロニエ、写真は国立周辺を拠点に頑張っている「マロニエ 国立 1950年」。ほかには東京プリンスホテルの中華、開店年は不明「満楼日園(マロニエ) 芝公園」、いかにも中華らしい漢字を当てていますが、すぐには読めませんね。お客のブログではショップカードに漢字各々の由来意味を書いているそう、マロニエとは無関係ですね。
新しいイタリアン「Le Marronnier(ル・マロニエ) 銀座八丁目 2016年」は最初に上げた銀座のマロニエ通りに由来します。
明治時代に日比谷公園から植樹され始めたプラタナス。ギリシアの哲学者達がこの木の下で議論を交わしたということで、学び舎に相応しい樹として、慕われていました。
以前は多く植えられていたのですが、近年の温暖化に伴う強風に弱いため、コスト高もあって減少中。
少ない中でも、プラタナスより日本語のスズカケの店名が多いです。音の響きが良いからでしょう。有名店は和菓子の福岡市に本店のある「鈴懸 1923年創業」
同様に少ない店名のニレ(エルム、北海道大学の並木)、菩提樹(リンデンバウム、銀座並木通の並木がプラタナスから替えられて)も並木としては日本では少なく、海の向こうへのあこがれの気持ちから店名が多いです
菩提樹はモーツァルトの歌曲、またドイツの西洋菩提樹と種類の違う仏教関係の菩提樹の店名もありなのか。
道・ロード・アベニョー(写真は東海道の起点の碑)ー2017.2.12追加
街路樹が囲んでいる場所、道路。広い高速道路から、散歩道のような小路など道路にもいろいろあります。
明治から並木は地名や名前にもあり、全国でも相当数あり、「桜並木」「いちょう並木」のように実際の並木通りにある店名、字を替える「奈美喜」もあり使い尽されているよう。
居酒屋などは江戸時代の街道の店名があります。北大路、石塀小路、大和路、山陽道、「熊野古道熊野路 築地 既に閉店」。居酒屋チェーン「木曽路 名古屋 1950年1号、池袋店1960年」、蕎麦チェーン「信濃路 蒲田 1972年」、「信濃路 小石川 1953年」郷土料理店「甲斐路 新宿 1965年」うどん店「伊予路 新大久保 1971年」居酒屋「出羽路 中野 1982年」など。
地名の後ろに屋、家の代わりについているようです。歴史的に有名なシルクロード(絲綢路)も人気。昔は中華、現在はインド料理店に多い。
いろいろに明治初期の文明開化の始まりが集まる横浜市馬車道から。牛めしや「馬車道や 日本橋 1967年」、本店は埼玉県、都内は武蔵野周辺に展開のファミリーレストラン「馬車道 埼玉県熊谷市 1972年」は焼肉店から始まって本店は明治時代の洋館のようなたたずまいとか。
1970年代後半から1980年代は洋系が席巻して、あまりないです。
1990年代にはいって荻窪のすずらん通りからフレンチ「ブラン・ド・ミュゲ 荻窪 1998年」定食店「すずらん 荻窪 2012年」。
少しアレンジしてイタリアン「S2(エストゥー) 六本木 2002年」はお店のある星条旗通りから、星条旗の星と縞模様のスターとストライプの頭文字。同じくある場所の言問い通りから「COTOTOI(コトトワ) 春日 2008年」、フランス語読みしています。
鹿児島郷土料理の「遊植豚彩いちにいさん 日比谷 1995年」は食材を国道1号2号3号を通って運ぶのでこの店名(右の写真)。
チェーン店「椿屋珈琲店 銀座 1996年1号店」は資生堂のロゴにもなっている椿、かつて昭和初期に出雲椿を街路樹として植えた花椿通りから。
「カフェ246 青山一丁目 2004-2014年」は国道246号の出発点、通称青山通り沿いのカフェ。1960年代、旅のロマンを感じ、クルマを止めてホッとする空間を作り出していたそうです。
「ROUTE(ルートーブログによると1かつて5号線沿いにかつてふりロート15の店名だった) 泉岳寺 1963年」も昭和時代の喫茶店にはまだ残っています。
茶房「はけの道 小金井」は珍しいはけという地名が由来のようです。小路、西東京こみちの森の正門の「森のこみち ひばりヶ丘」
近頃バルとか小規模な店が多いので、路地のような狭い道沿いにも開店して、路地、路地裏、rojiとなる店も多いです。
ブールミッシュ(銀座)ー2017.2.12追加
フランスには大通りのアベニュー、ブルヴァール、普通の通りのリュー、抜け道パサージュ、アレ、袋小路、アンパス、あぜ道シャマン。仏語の各種道路はよく使われます。
もうレストランはありませんが、「プロムナード 有楽町 1979年」「ルエル・ドゥ・ドゥリエール 西麻布 1978年」「リュードパリ 目黒 1981年」
地名の道路名も和名と同じく「シャンゼリーゼ 池袋 1967年」。パン屋「サンジェルマン 1970年 渋谷1号店」フランス菓子屋の草分け「ブールミッシュ 渋谷 1973年」はパリの有名通り。「ラ・クロワゼット 西麻布 1989年、すでに閉店」「ル・カフェペルトレ 南青山 2002年」「ヴィヴィエンヌ 銀座 2008年」カフェ「リュー・ファヴァー 恵比寿 1996年」等。
アメリカは「フィフスアヴェニュー」、アメリカポピュラーソングにもある「ルート66」、金融街の「ウォールストリート」「ヴィアクアドローノ 原宿 2004年頃」「iving place(アーヴィングプレイス) 白金台 2010-2018年」「クリストファーストリートカフェ 新宿 2015年」など。
写真は大人気のニューヨークの2001年開店パンケーキ店で、最初のお店があった通り名から「クリントン・ストリート・ベイキング・カンパニー 表参道 2013年」
商店街に多く道路の洋系が使用例が多数、ミロード、サンロード、△△ストリート、○○プロムナード等。店の店名としては既に使い古されています。
伊語はストラーダ、ヴィアーレ、ヴィア(via)、ヴィーコロ、少数ですがスペイン語のカミーノ
「ヴィアアクアサンタ 広尾 1999年-2010年以前に閉店」「ヴィアポカポカ(お店が恵比寿のぽかぽか通りに面している) 恵比寿 2011年」「ヴィアエミリア(エミリア街道ー美食街道の呼び名から) 六本木 2014年」「ピッツォランテスパッカナポリ(ナポリのスパッカ通名) 西新宿 2004年」
イタリア語の道路、ストラーダが頑張っています。『すべての道はローマに通ず(Tutte le strade portano a Roma)の諺が店名には+になっています。
イタリアの古い映画、フェデリコ・フェリーニ監督『道(原題ラ・ストラーダ)』はあまり影響がなさそうです。とても悲しい物語ですしね。
新しい店が多いようです。若干古そうなのは「ストラーダ 新橋 既に閉店?1999年ガイド本掲載」「ラ・ストラーダ 駒沢 1999-2011年閉店」「カフェストラーダ 荻窪 2002年」、写真の「ピッツァストラーダ 麻布十番 2011年」以前に取り上げた蕎麦屋「ら すとらあだ 中野坂上 2012年(『蕎麦職人』)」「ラストラーダ 大塚 2012年」「ラ・ストラーダ 北品川 2013年」等。当然イタリアンが多め。「エル・カミーノ 飯田橋 1994年」はスペインバル。アジア系は一店「ジゴルギル 世田谷区烏山 2011年」、韓国料理店で田舎道の意味。
ビアヌォーボロンド(銀座一丁目)ー2017.2.12追加 ーⓢ(追 加2020.6.25)
道は通、路、径の漢字もあり、人生の航路にも例えらて、詩や歌にも頻繁に出てくる言葉です。蕎麦道、ラーメン道、鮨道、塩の道、豚の道と一筋頑張るイメージ。
イタリアン「ビアヌォーボ(新しい道、常に新しい味を追求) 西荻窪(現在は閉店し銀座店ビアヌォーボロンドのみ) 1989年、既に閉店」フレンチ「Chemins(シュマン) 赤坂 2000年」以前アップした「ボンシュマン 学芸大学 2002年」はそのタイプ。
色の項目ヴェルデ・ベール中でアップした「ブリアンツァ」の移転にともない元の場所の麻布十番店名が「ヴィア・ブリアンツァ」になっていました。本店(六本木店オーナーシェフ在)と共に新たな道を歩むの想いでしょうか。
今は平河町のみのようですが、「可否道(カヒードウ) 柳橋 1980年、既に閉店」の店名もあります。獅子文六の恋愛小説から採っている店名ですが・・・。
「珈琲道 大阪市 1973年」も同じ由来ですが、繋がりは不明です。ブログではこの店名に一本筋の通った気概をみているよう。
「茶房珈路 石神井 1976年」コノミチの読みで、一杯出しコーヒー専門店を謳っていますので、豆を一粒一粒を選別する一杯一杯のコーヒーへのこだわりを感じますね。
ラーメン店の「天の道 上井草 2006年」「獣道(ケモノミチ) 下石神井 2014年」も同様に思えます。
唱歌の題名のような古い佇まいの写真の「この路 北品川 1966年」、オーナーが勤めていた歌舞伎町にあった喫茶店の店名を使っているそうです。
バリバリの新人、「パス(PATH) 代々木公園 2015年」は初見の英語の小道、散歩道の意味。パソコン用語としてはよく聞きますが、店名としては初めてです。情報は多いのですが、由来は解りません。朝から夜までやっているカフェ&ビストロ、食材にもこだわるカジュアル系です。
オーナーが最初の「Bistro Rojiura(ビストロ ロジウラ)」の店名を付けているので道にこだわりがあると考えています。(2020.6.25)
道・路・通・途いろいろ(写真中野路傍) 2017.9.30追加
広いメインストリートもあれば、脇道、小道もいろいろです。
ヨーロッパ程ではないけど、小道、脇道、そして懐かしい道草、より道。子供の頃の思い出のページ、でも危険な時代になった今はそれもままなりません。
人生一路はもう古い言葉でしょうね。変化についていくのが現代社会の生き方、乗り遅れは厳しい逆風。
まわり道もできない、人生の花道を歩くためには自分だけでなく親と共に走り続けるなんて・・・。
寄り道、散歩は今は年配の方々の愉しみかも。喫茶店が多く「より道」「散歩」「みちくさ」など。
特に寄り道は使い勝手が良いようで、喫茶店はもちろん居酒屋、カフェ、割烹、うどん蕎麦屋、バルなど幅広く食べログ上にあります。
蕎麦屋「よりみち 大岡山 1985年以前から、HP『メシ通』米次郎とも」居酒屋「よりみち 赤坂 2011年」
写真のカフェ「yorimichi café(ヨリミチ カフェ) 千駄木 2010年」。お疲れの方に一息『ちょっと寄り道しない』『寄り道してくださいよ』とか店にもお客にも気軽に誘える店名。
新しくは人気和食店賛否両論が「寄り道 広尾 2017-2018年」という甘味処、和カフェをオープン。カフェのコーヒーのように出汁を楽しむため毎日のあらゆる時間に寄り道したい場所
古い年代には懐かしい教条小説山本有三『路傍の石』を思い出す「路傍 中野 1961年」写真)は居酒屋。
ラーメン屋は路、道が多いです。流行変化が一年と持たない厳しい業界ですから、志強くでしょうか。
既に閉店もありますが、ざっと並べると「醤道 馬込 2006年」「とんこつ麺道 北千住 2004年」「花道 野方 2008年」「つけ麺道 亀有 2009年」「一歩道 中野 2011年」「我道 東中野 2012年」
もちろん、道以外もあります。「ラーメン一途 錦糸町 2012年」「一途 武蔵小山 2014年」最初の店はHPに『ただただ直向きに美味しい一杯を届けたい・・』とあり、2番目はテレビで元フレンチシェフの店で〆にラーメンのでるフレンチのフルコースもあるそうです(こちらはどうやらシェフ名前の一途からでした。2017.1020)。
「真実一路 西日暮里 2015年」中華の麻婆豆腐専門店で、五味の麻・辣・香・熱・色にこだわる五味一体の麻婆豆腐。真心をもって一路進―邁の心意気、でも横に笑の文字一字がついているそう。
道は重なる部分が人生と多いのは海の向こうも同じ、シナトラの大ヒット曲『マイウェイ』のように。
伝統芸能、茶道、華道、芸道、武道など、道を極める世界が続いていますので、まだまだ、「麺道・・」「肉道・・・」として活躍するでしょう。
コーヒースタンドも腕一本で頑張る姿勢があり、「サイドウォークスタンド 中目黒 2015年(井の頭公園2017年)」「オンザウェイ 下北沢 2017年」「パッセージコーヒー 田町 2017年」。でも意味合いは「オンザウェイ」は家に帰る途中や友達の家に行く途中に寄ってほしい。上の「寄り道」同じ想いですね。「サイドウォークスタンド」は歩道の意味、目黒川の歩道側を向いているからでしょうか。
写真の「パッセージコーヒー 」はコーヒー豆が関わる多くの人の想いが道や通過点を通ってくることへの理解を込めての、両店ともメッセージを道言葉で発信しています。
参考資料
🍁日本の樹木 辻井達一 中央公論新社 1995
🍁花の民俗学 桜井満 おうふう 2000
🍁街路樹 山本紀久 技法堂出版 1998
🍁図説花と樹の大事典 柏書房
🍁道 Ⅰ(ものと人間の文化史) 武部健一 法政大学出版会
🍁世界と日本の街路樹 日本交通公社出版事業部 1992
🍁花と日本人 桜井満 雄山閣出版 1994
🍁柳(ものと人間の文化史 ) 有岡利幸 法政大学出版会 2013
🍁イチョウの自然誌と文化史 長田敏行 掌華房 2014
🍁欅(日本の原点シリーズ木の文化4) 新建新聞社出版部 2005
色 《自然No.3 》
・追加2021年2月25日・2021年9月19日
先に色あり、で自然を彩るすべてにある色。国民性を裏付けるように、日本は草木の名からの色名がおおいです。
色はとても扱いが難しい世界です。個人的な好き嫌いが激しく、民族的に差別用語になったり、日本のなかでも政治的に利用されたりします。
本によってはオリンピックの五輪旗の色は青のヨーロッパ、黒のアフリカ、赤のアメリカ等、西洋思想からの差別意識があらわれているとか。
もっとも、国ごとまとめられた好みの色が、国旗です。日本は白と赤、中国は赤と黄色、ロシアは赤に黄から変わって、今は白・赤・青、フランスはトロコロールと言われる青・白・赤、アメリカの星条旗も赤・青・白です。イスラム教国は予言者ムハンーマドの色、緑が多いです。アフリカの各国は緑と黄色です。
子供の時描く太陽の色、日本は赤系、ヨーロッパ系は黄色、白の国もあるそうです。
数えきれない色の数の中で、白、黒、赤、青、黄色が古代から、日本も含め何かの力を認められている色です。いわゆる五色、中国思想の陰陽五行説からです。現代でも、ケータイの新機種を発売するときも、この五色は必ず用意するそうです。
赤は火、南、護りは朱雀、火の鳥。青は木、東の青龍、白は金、西方の白虎が守護、黒は水、北の玄武、亀が護り、最後の黄色は土で、中央の位置になります。
日本史で色が注目されたのは聖徳太子の時代の『冠位十二階』。階級を被り物の色で表していますが、色の変遷は時の変遷と相まって激しいものでした。
100年ほどの間に最初にあった白と黄色は最後の頃には消えて、変わらなく一位(30年ほど朱華が一位)は高貴な色の紫、赤は真緋、深緋となり、青は消えたり復活したり。最初にはなかったが、変わらず下位の位置に居た緑系。
時代により、政治家の好みが現れるのでしょうね
現在は差異はなくなったとはいえ、以前はブルーカラー、ホワイトカラーという労働者階級の区分もありましたね。
日本では赤飯で紅白幕を張り祝う赤と、でも逆に赤い血は忌み嫌われ、穢れとされ、危険を表すマークにも多く称されます。
ヨーロッパでは祝い事に青を付ける。ロイヤルブルーとして高貴な青が珍重され、貴族の血は青いという言葉もあります。が、青は青髭の伝説のように悪魔の色でもあり、黙示録の四騎士の青騎士は"死"を運ぶ。
色はこのとおり、矛盾の固まりです。
店名仲間
錦・彩・茜・藍・紅・ルージュ・ブラン・ヴェルディ・琥珀色・セピア
彩はいろいろな色、彩りです。連想で絵を描くとき使うパレットもあります。
彩の音が野菜の菜にも意味して利用されています。「四季彩」のような店名が典型的。
フードビジネスでは色を店名に積極的に付けている会社があります。際コーボレーションは最初の紅虎からかなりの店舗に色名を使い、あまり見られない黒の色も取り入れて、使っています。
ビッツアのイゾラも現在は青、ブル、緑、スメラルダのみですが、当初は赤、ロサがありました。
ラーメン屋も赤や白、黒を使っています。牛丼の吉野家も蕎麦の青吉野家、黒吉野家は吉呑み、居酒屋が+されています。吉野家がそう名付けたのではなく、看板の地の色からお客が名付けています。白吉野家も存在するとのこと。
錦(月島)
錦を色か問われると、違うという答えになりますが、秋の紅葉が水辺に映える風景は色鮮やかで他の言葉では表せません。
少なくても、錦と聞けばきらびやかな色が浮かびます。錦鯉という鯉もいます。郷土に錦を飾る、錦の御旗なんて言葉は今は死語でしょうか。
錦は金銀糸、色鮮やかな糸を織り込んだ綾織物の名前。〈水の項目〉では錦水を取り上げていますが、錦一字のみも多い店名ただ、老舗が東京では見つけられません。
江戸時代末のガイドに一店「錦すし」がありますが、名代(名物)で店名ではありません。
例によって、老舗の多い和菓子店、山形県の和菓子屋「錦屋 1790年」、小倉羊羹が名物ですが、HPはお休み中。
東京で有名なのはもんじゃ焼き「錦 月島 1977年」2号店も1978年オープンです。ユニークな変わりもんじゃで評判なので、文字通り錦に見えるのかも?
決して廃れた店名ではないようで、新しい店もあります。和食店、中華、鮨屋もそこそこ。
東京にもきているお好み焼き「錦わらい 1999年」わらい焼きをメニューにしていますが、頭の錦は本店のある錦市場。町名に錦がはいっているところは多いので、ここから付ける店も多いはず。
東京では錦糸町、神田錦町あたりでしょう。小料理屋「錦彩 錦糸町 2007年」。
学士会館の中にある寿司割烹「二色(ニシキ) 神田錦町 2004年」は地名と推測しているのですが、錦町の由来をみると元々、江戸時代一色という武家が二軒あり、二色小路と呼ばれていて、それが錦小路に。店名は最初の地名からでしょうか。既に閉店した和食屋「にしき家 1976年」は千代田区錦町にありました。
錦に刺繍を施したさらに豪華な織物錦繍新しい蕎麦屋「雨後晴 錦繍 乃木坂 2016年」もあります。
彩(中目黒)
みやげ品以外、日常的にみることのない錦が後退気味の中、勢力を増しているのが色彩の彩。旬彩の項目でも掲げましてが・・。
漢字の人気ランキングてよく例にひかれる子供の名付け、彩は女の子の名前としてベストテンに1986年に2位(明治生命調べ)になってから、上下はしますが、1997年まで入り、その後一字では力不足を感じたのか彩香、彩花、彩乃へベストテンの地位を譲ります。。
食べもの的には少し、?、ですが、 SNS、フェイスブック上で色彩が豊かだと、写真が映えます。作り手的にも色彩にこだわる時代でもあります。
おそらく、品数の多い中華の食べ物屋が最初に付けたのでしょう。
今ある店名への頻度高く、登場し、サイだけでなく、イロ、カラーと読ませる店もあります。
1990年代頃から増え始めています。新懐石料理の「あじさい宿 新宿 1981年、既に閉店」平仮名表記ですが、意味は味と色彩の彩、新宿の宿の組み合わせの「味彩宿」の店名。
こちらの店はニュー富士ビルの7階にあり、9,8階は「パステル亭 竹芝(1988年開店新宿から移転)」というフレンチ。パステルもパステルカラーといわれるように淡い色彩の意味。和洋折衷、洋和折衷で日本料理に洋風、フレンチに和風が売りでした。
味彩、あじ彩は今も使われ、その後「彩菜」「和彩」「四季彩」「季彩」、大人気の「旬彩」「食彩」のショルダー店名や当て字に多用されています。料理がバラエティ豊富なダイニングバー系の御用達。
彩の一字では「スシバー彩 渋谷 1982年、既に閉店」、後、このスタイル「ソバール(蕎麦のバー)」「リ(米のバー)」と続きました。
今流行の料理名バルの先駆けのような、「スシバー彩」は東京で初めてのこのスタイルをつくったそうです。
今ある店はチェーン店(エイペックス)「ダイニング彩 新宿2001年・渋谷2003年」しゃぶしゃぶの「彩(イロドリ) 青山 2010年」鍋料理「彩庵(サイアン) 神田 2005年」タイ料理「彩(アヤ) 錦糸町 2014年」和食「彩(カラー) 新橋 2014年」「彩(イロドリ) 新宿2014年・銀座2015年」と、とても多種多彩・・・です。写真は「彩(サイ)中目黒 2004年(流から改名)
トリコロール
「トリコロール 銀座 1936年」三つの色の意味、この場合は赤、白、青のフランス国旗(イタリアも仏国に習い三色)のことです。キーコーヒー(木村コーヒー)の創業者がカフェの本場のパリ風を盛り込んだ喫茶店。今は全国にチェーン店があります。
色は一色では印象が弱いのかも、二色以上組み合わせて、店名には使われます。
日本では祝い事に使われる色、紅白が誰もが知っている組み合わせ。紅白の幕、饅頭、祝い事に渡される引き出物の紅白の水引きなど。
紅白は平家物語の源平合戦に源氏赤、平家白で出てきます。
赤・白ワインの種類でフランス料理の「「Blanc Rouge(ブランルージュー東京ステーションホテルのレストランばらのリニューアル、薔薇のイメージも) 丸の内 2012年」「ルージュウブラン 恵比寿」、伊語は「ロッソビアンコ 北千住 2002年」写真の「ロッソエビアンコ 赤坂 2013年」
白黒、「ブランノワール 白金 2013年」、「カフェブランエノワール 池尻大橋 開店年不明」はアレンジコーヒーのブランノワールという珈琲とミルクが二層になった、別名琥珀の女王をだしているそう。
赤黒「ロッソエネロ 笹塚 2015年」印象がはっきりするための組み合わせです。
ほか不明の青白の「ブルーブラッシュ 二子玉川 1993年」緑白「ヴェールエブラン 池上 2009年」はフレンチ系です。推測ですが、最初は会社のロゴが青白、後の店は看板緑、店の色白ではあるのでテーマカラーから?
変わったもので、イタリアン「朱白(スハク) 飯田橋 2015年」もコンピ色。紅白とおなじ意味でめでたい人生、素晴らしい人生に。
トリットリア「ドゥエコローリ(2 color's) 外苑前 2012年」二つの色、二人の色が1店目。2店目が「エビイロ +ebi-ro 三宿 2014年」は葡萄酒色のワイン酒場で赤繋がりの肉料理を、 3店目「ルリイロ+ruli-ro 外苑前 2016年」は内装や器に瑠璃色を取り入れて、大皿料理が中心。色名を使った印象的な造りです。
色数が多いのは最初に記したも多くはないが五色として店名にあります。他に七色、自然の虹の色。店名としては英語のレインボーカラーを使うのが多いです。今なぜか「十色」が人気。十人十色から、人さまざま、人それぞれの意味です。「めしと汁といろ 中目黒 2012-2019年」は有名割烹のカジュアル御飯店、白飯に好きな惣菜、メインを組み合わせることができるので、まさに十人十色。
【色ーあか】
赤は一語では強すぎ、形容詞的につかわれます。
古くは赤行灯、赤瓢箪から赤レンガ、赤トンボまで。東大ではなりけど「赤門 渋谷 1971年」「赤い三角定規 代々木 1978年」
古代から使われている代表的な色の朱、丹(ニとも読む)神社の赤いの鳥居の色、日本では珍しく鉱物の硫化水銀を材料とする色も店名には多くありません。
中国の火の鳥の意味の朱雀ははありますが。丹の方は不老長寿も意味して、仙薬、薬の金丹とか呼ばれます。
朱は歴史上では良く出てきます。御朱印状、御朱印船、印象の色の朱印は武士専用で、いろいろ認可につかわれていたそうです。
実際、現在は体に悪い影響があるので、古代からの材料の朱色(丹)は生産されていません。
レッドペッパー(表参道)
食べものの色で、赤は一番おいしく感じます。今多いの食材系。果物やトマトの熟れた色、肉のレアな色など美味な色、でも辛いものの色が一番多いです。
辛さの焼けつくような味覚が火のような色をおもわせるからです。
写真は「レッドペッバー 表参道 1993年」は赤胡椒、伊語ペペロッソ、「ペペロッソ 三軒茶屋 1984年」。
おなじように「赤から」「赤茄子」「赤ちり亭」「赤鶏」など。英語のレッドから「レッドロブスター」「レッドピーマン」「レッドマンゴー」。
神戸からやってきた赤い岩がそそり立つ様な赤身のローストビーフ丼の「レッドロック」2014年高田馬場、2015年原宿進出」。店名からして、チャレンジ精神をそそる、まさに赤い布ひらひらさせて突進する闘牛の気分を盛り上げています。
単純に地名をイタリア語にした「ペンナロッソ 赤羽 1993年」は2代続いています。
紅谷・紅屋(写真は青山紅谷、1階は蕎麦屋、9階)
赤の仲間は染料系の紅、茜が多いですね。紅花をあつかう紅屋が江戸時代におおくありました。
明治から和菓子屋が多かったので単純にあんこの小豆の色で紅谷や紅屋と思ったら、大間違いでした。
諸説ある練り羊羹の発案者のひとり「紅谷志津摩」、徳川家御用達の菓子司の名前でした。
本家は明治維新時に消滅し、ネット記事中で資料が見つからないので、推測として書かれいてる嘉永年間(1850年頃)創業「小石川安藤坂紅谷」がこの流れではないかとしています。
ここから「神楽坂紅谷 1897年、既に閉店」「青山紅谷 1923年」、雑司ヶ谷にもかつてありました。(ネットで「御菓子司紅谷 雑司が谷 1924年」がこちらかも。)
全国に広がっている店名で、小石川系列は和菓子のみ、神楽坂系列は風月堂に修行した店主により和洋両方を扱うそうです。
特に神楽坂紅谷は歌謡曲にも美人の娘を題材にした『紅谷の娘』があり、喫茶店も併設して昭和初期には相当の人気店だったようですね。
現在のの紅屋と紅谷は日本中では半々位の数、ケーキの「モンサンクレール」系列の「和楽紅屋」、パティシエの実家の店名の復活したもの。
鎌倉の「紅谷 1954年」は最初の店名紅屋。「紅屋重正 新潟県長岡市 1806年」は飴屋の店名を明治になった1887年(明治20)に変えています。
1970年代のガイドにある「ベニヤ 門前仲町 1950年代」イタリアンとありましたが、今は洋風食堂。看板のベニヤの字は紅色ですね。
紅が付く有名店はこちらも以前書きました洋食店「紅花 日本橋 1948年」。アメリカでの鉄板焼き店「BENIHANA」のロッキー青木氏の成功談は1970年代の雑誌に多く載せられていました。
フードビジネス系際コーポレーションはいわずと知れた「紅虎餃子房」「紅虎軒」「紅虎厨房」ついでに赤系を挙げると「レッドドラゴン(紅龍)」、「ドラゴンレッドリバー(龍之紅河)」、「赤クマ食堂」、「ダリヤロッソ」。
紅の別称、くれないも、府中市のラーメン屋「紅 2010年」麺創研奏グループ、国分寺店もある真紅色の辛いラーメン店。(写真)
同じように「紅 浅草 2013年」はトマトラーメン。京都「KURENAI 京都市」は紅茶ラーメンだそうです。同じく辛い系「真紅 大岡山 2015年」真っ赤なラー油入りラーメン。
いろいろなカフェ本に載っていた「cafe紅(モミ) 小伝馬町 2004-2015」名前のともみさんのモミでした。
茜屋珈琲店(東銀座)
茜も紅と同じ植物系の染料名です。自然の空の茜空、茜雲、夕焼けの表現に使われています。もちろん、女性名も多数。絵本にも登場しています。女性の店主がこのむ店名です。
全国的に有名なのは高級珈琲店「茜屋珈琲店 神戸、移転軽井沢 1966年」、その頃は3倍はする値段の珈琲が評判で、店主の船越敬四郎氏のマーケティングが旨いやりかたでした。店名はコーヒーノキが属するアカネ科の科目名から(『カフェノナマエ 川口葉子』より)、コーヒーノキは常緑樹。いまは「「茜屋珈琲店 東銀座」もあります。以前は「茜屋珈琲店 駒沢 1980年」もありましたが、2009年に閉店しています。
茜は夕焼けの茜色をイメージさせるので、里心を想わせ、喫茶店も多いですが、居酒屋も同じくらいおおいです。「喫茶あかね 浅草 1978年」和カフェ「茜茶寮 2015年 浅草」や居酒屋チェーン店「茜」「茜の庭」など
オレンジ(写真神谷町オレンジコーヒー)ー追加2016.9.10
「オレンジ 西池袋 2004年」」部屋がオレンジ色。柑橘系の個有色は人気で、みかん色、橙色は特に好かれています。
服飾のVANの関連雑貨店「オレンジハウス」、青山三丁目に1973年に1号店がオープンしています。今は中心地に店はありませんが、同名のレストランがありますね。
ネット記事では一般家庭の台所に意識革命を起こすコンセプト。オレンジ色はいろいろなネット記事から拾うと、『元気の象徴、ビタミンカラー、陽気、活力の元、ポジティブのイメージ』とありましたから、食べ物屋には良い効果の色です。フランス語の「オランジュ 六本木 2007年」イタリア語は太陽を表すイメージ「オランチャートカフェ 奥沢 2012年」「オランチャ 祐天寺」
一番新しい「オレンジコーヒー 神谷町 2016年」は小山薫堂氏が代表を務める会社の受付兼カフェ。会社名から付けていますが、会社のオレンジに寄せたコンセプトが載っています。『世界じゅうで愛され、飽きない、人を元気に(要略)・・・が手本』となっていました。
赤系の色いろいろ(写真麹町ロッシ)ー追加2016.9.10
赤は食べ物では人気の色、目立つ色なので、弁柄色、えんじ色、緋色、鴇色など。弁柄色は赤茶色の日本家屋に弁柄格子戸に塗られています。
内装、インテリアを元とする店名がおおいです。和バル「えんじ 高田馬場 2014年」はえんじ色の幕に店名を書いています。えんじは語源が紅が採れる中国の地名。
「とき彩 銀座 2015年」和食店はシンボルカラーを日本の伝統色鴇色としています。
デザイナーズ全盛の頃「真朱(マソホ) 青山 2002年、既に閉店」という店名もありました。
日本語で赤のみの店名は見かけませんが、洋食系はレッド、ルージュ、ロッソと多くあります。
飲み物ではワインの色仏語ルージュ、伊語ロッソがよく出てきます。
赤色が好きな色?、オーガニックレストランカフェ「ハナダロッソ 原宿 2005年」イタリアン「ロッシ 麹町 2011年、六本木1997年頃開店、その後復活」
由来は不明の「ロッソ(ROSSO) 新宿 1999年、すでに閉店」もありました。
赤は全ての色の中での最上の鮮やかさを誇り、人を魅了しますから、これからも使われていきます。
【色ーしろ】
しろは漢字一字の店名は少数で、具体的な動植物の名前などと組み合わせ形容詞使用が多数。
白は神に属する色であり、白虎、白熊、白鹿、白鳥、白馬、白兎は神社寺の眷属だったりします。
植物は白薔薇、白蘭、白蓮、白菊、白梅など。
動物界でも白子として珍しい現象なので、大化の改新の頃、白い雉の出現から吉祥事項で元号を白雉とあらためたと歴史書には載っています。元号に色を使用したのはこれと『朱鳥(シュチョウ)』、後私元号という、南北朝の争い中の『白鹿』だけ。
白はインテリアや厨房関連でつけられています。料理を映えさせるため、白い皿を使う洋食系料理人も多いようです。イタリアンの「ビアンコ」もあります。和食の白は赤と同じようにイメージが浮かびやすい色。最初で書いたように赤とペアでつかわれる場面も多い色。
白のイメージは漢字が一番伝えやすく居酒屋の「白木屋」、雑誌の名づけのシロカネーゼの地名の港区白金「白金」からとプラチナの意味の「白金」の店舗数はおおいですね。
ラ・ブラッシュ(渋谷)
何度も取り上げている「ラ・ブラッシュ 渋谷 1986年」フレンチの重鎮、浮静の激しい中、長くがんばっています。
白紙状態の、初心忘れるべからずの精神で、真っ白な最初の心意気を毎日思い出して、努力邁進している店名です。
おなじ思いでは、最近のはやり熟成鮨「鮨心白(シンパク) 広尾 2014年、恵比寿に移転」は心白く、まっすぐにとあります。うどん屋「直白(ヒタシロ) 神保町 2014年」も同じ精神。
最新オープンのブーランジェリー・ビストロ「ブラン(blanc) 虎ノ門 2016年」、もちろんフランス語の白、「ラ・ブラッシュ」と同じで、謙虚で真っ白な気持ちからスタートしたいと雑誌『ELLE』のHPの記事にあります。
カーサビアンカ(学芸大学) ーⓢ(追 加2020.7.7)
外見、内装から付けられる事例は多々あります。中でも白い家の意味のホワイトハウス、カサブランカを多く見つけます。
「イルビアンコ 六本木 1989年、既に閉店」は内装を白で統一したイタリアン。ほかに同じように白で統一した「BIANCA(ビアンカ) 神宮前 2013年」もイタリア語の白。
写真の「カーサビアンカカフェ 学芸大学 2013年」もおなじ。フレンチもあります。「メゾンブラッシュ 芝大門 2002年」同名で「Maison Blanhe(メゾンブラッシュ) 青山 1998年、すでに閉店」もあり。
女性客やウェディング仕様のレストランが多いような・・・。「ビストロシロ 恵比寿 2008年」はお城の意味とともに真っ白な心でお待ちしているメッセージ。外観も白いです。
往年の名作映画「カサブランカ」モロッコの地名で、こちらの意味の店名もあります。
白(ハク)いろいろ (写真は渋谷アイボリッシ)ー追加2016.9.10
食材にはあまり出で来なかったのですが、最近「正しい晩ごはん白(ハク) 池袋 2014年」主食のご飯の色。「らぁめん白(ハク) 三鷹市 2012年」は白醤油を使うからでしょうか
生成りやアイボリーは白の仲間ですが、少し黄みを帯びた未晒しの色。アースカラー、自然色。企業はイメージカラーをよく使っていますが、「ベージュ 銀座 2004年」はシャネルのイメージカラーを店名にしています。
リニューアルとなった都立美術館内のレストラン「アイボリー 上野 2012年」店内のテーマカラーがアイボリーです。
アイポリー、乳白色・象牙色の色をお店の壁や椅子、全体の基調にするレストランはとても、多く食べログで検索すると、かなりの店数。日本人の好きな木目にもデザインとして合うのでしょう。
今雑誌に掲載が多いのは九州福岡からの「アイボリッシュ 福岡 2013年、渋谷に2014年」です。
アイポリーの色は看板メニューのフレンチトーストの色。これにチリッシュ(cherish)、愛情を込めて大切にすると造語したもの(HPより)。
すでに閉店したカフェ「エクリュ(ECRU) 代官山 1998年、既にほ閉店」生成りの意味で当然、オーガニック系です。 同じく「ブランドゥナチュレ 銀座 2000年、既に閉店」自然の白、自然のまんまの意味のフレンチ。
きなりは多い店名ではありません。平仮名できなりなので判断が付きませんがラーメン屋「麺処きなり 駒込 2015年」は上の「白」と同じく白醤油を使ているそうです。
白はバリエーションが少ないのは白が全て。創作料理「ブランドゥブラン 自由が丘 2002年」内装が白ベース,白の中の白(同名のシャルドネだけからのシャンパン銘もあり、シャンパンはブレンドがほとんどの中で単一のものは珍しいそう)、真っ白の意味のように日本人3位の人気を誇る色は真っ白のみ。
【色ーあお】
青は店名としては盛り上がってきたのは最近です。サッカー熱のジャパンブルー人気にあやかる部分が多いです。
古代には地位が高い色だったのですが、庶民の衣装が藍染が普及したため、価値がうすれました。
食べものの青は未成熟なイメージです。青写真、青瓢箪、青二才、青臭い、青春等未熟さを表します。漢字も蒼、碧、藍どれも多く使われます。それぞれ草木の蒼、海空の碧、染料の藍と意味は異なります。
青家(中目黒)
苗字の一字からの店名。和カフェ「青家 中目黒 2005年」店主の青山さんの一字を取っています。ただ、めずらしい事例で青は先に書いたように、食べ物的にはまずいイメージの色。青山、青木、青田、青柳は字は青ですが。緑の意味。地名も少ないです。スペイン料理「モンテアスロ 南青山 2009年」ホルモン焼き「青一 青山一丁目 2015年」、食べもの系?かもしれませんが「やさいや青玉 青山 2002年」
藍・青色いろいろ(写真は紺青)
ジャパンブルーとよばれるように、衣の世界では多くの青があります。青の仲間の紺色は中世より男性の衣装として人気があり、藍染を何回も繰り返し、これ以上染まらないところまで染めて色を出しています。上紺、正紺の呼び名があります。黒代わりとしてネイビーブルーとして海軍の制服、学校の制服にもつながっています。ブルージーンズの青、インディゴはインドの藍のこと。
宝石のラピスラズリは紺碧、瑠璃からのルリ色、群青色と呼ばれ、瑠璃を砕いて色を出す高価なものでしたが、今は科学的に成合できます。マリンブルー、プルシャンブルーと呼ばれます。
一字は少なく、形容詞としての2字が多い中、由来はわからない京都の町家フレンチ「蒼 2002-2015年」と系列の「パティスリーAO(アオ) 2012年」がありました。
東京はカフェ「紺碧 信濃町 1987年以前」。海の色からの連想からか、魚貝系和食「紺青 清澄白河 2015年」「碧(アオ) 銀座 2010年(本店沖縄1999年)」「紺碧の海(下田の海の色を詠った阿久悠氏の詩から) 六本木 2015年」など。基本は自然につながる、若山牧水の和歌『白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ』のように空の蒼、海の碧の色ですね。
藍色は男性好みの色です。推測ですがハンバーガー店「Indigo(インディゴ) 外苑前 1998年」、スパイスカレー店「青藍(セイラン) 高円寺 2017年」の各々のお店に使われている皿や看板、内装の色が店名の色です。青藍も英語のインディゴブルー、オーナーが探し回って巡り合えた美濃焼のカレー用のお皿の色
洋食全盛のなか、スカイラークが「藍屋 与野市1号店 1983年」を開店しました。和食メインなので藍色を?と考えたら違って『出藍の誉れ』のことわざから。スカイラークブランドを超えてこのブランドがさらに大きくなるようにの願を込めている店名。
鮎料理の名店「藍亭(ランテイ) 紀尾井町(最初築地) 1931年」、今は料亭より気楽にということで「藍泉 2010年」に変わっています。こちらの藍は地名、長良川の古名(?藍見川)から採っていて、青く澄み切った川の色をイメージ。「つきぢ田村」創業者の修行先としても知られています。
青(コラム)ー追 加2020.7.9ー2021.1.26
◆追 加(2020.7.9)一字の蒼は最近のオープン(食べログから)フュージョン系「蒼 西麻布 2020」と和食「蒼 四ツ谷 2020年」、由来はやはり不明で西麻布がお店のアクセントカラー、看板に使われていて"アオ"、、四ツ谷が"ソウ"の読み方。(2020.7.9)
◆追 加(2021.1.26)青系はいまだ人気が衰えず、上記以外にもフレンチ「aoni(青丹) 西荻窪 2018年」「AOI COFFEE(アオイコーヒー) 大田区上池台 2020年」「鮨あお 表参道 2020年」。先の2店は不明ですが、「鮨あお」はある場所の青山、魚のいる青い海、青空の青から、面白いのはビルの看板表示が「AO」を「●▲」の図形表示です。
アジアンビストロの発音は伊語の茶色ですが「ブルーノ 亀有 2019年」は造語で海の色青、Blueと仲間の意味があるNumberの略「No.」の組み合わせ。海へいって海の青、空の青に癒される気分を共有したい想いとか。
有名フレンチのセカンド店「Sincere BLUE(シンシアブルー) 原宿 2020年」は本店の「sincere(シンシアー名前真と真摯素直の意味)」に魚のイメージの海の色、現在世界中で広がってきている環境擁護の言葉サステナブル、地球上の資源を枯渇させないために絶滅生物を使わない姿勢のコンセプト(2021.1.26)
ブルー・ブリュ(ブルーポイント(白金台))
日本語と同じく自然の色、自然の青い場所を表しています。ブルースカイ、グランブルー(海の青)、「マリンブルー」「マーレブルー」「ウォーターブルー」「ブルーオーシャン」。写真は「ブルーポイント 白金台 2011-2020年 西麻布で1986年」牡蠣が採れる海の場所のこととか。
他にブルーはこの世界にはありえないものや珍しいものの代名詞。「ローズブルー(青い薔薇)」「ブルーリリー(青い百合)」「ブルーロータス(青い蓮)」「ブルーバード(青い鳥)」同意味の「オワゾーブルー(青い鳥)」「ブルーリボン(祝い事につけますが、本来はガーター勲章のリボンの色)」 「トランブルー(青列車、日本のブルートレインと同じように高級仕様)」
青を貴ぶ外国の影響の店名が多数あります。高貴な王侯の色ロイヤルブルー、貴族の血の青い血、ブルーブラッドなど。
隣国中国でも基本は緑が好みのようですが、青も「青龍」、青雲の志とか仏教の極楽浄土に咲く蓮の花の第一は青い蓮、陶器の青磁、青花、青い玉も珍重されます。
西洋では花嫁の持ち物に幸運をもたらす青いものをつける習わしがあり、これを店名にした「アディング・ブルー 南青山 2001年、既に閉店」ジャズバー「ブルーノート」経営フレンチだが、こだわらない姿勢でした。既に閉店しましたがデザイナーランバンのカフェをパリから持ってきた「カフェブルー 青山・銀座 1999、2000年開店」、ランバンブルーという青のの内装
同名の「カフェブリュ(CAFE BLEU) 神泉 2012年」はドアが青になっているようにテーマカラーが青。でも店名はイギリスのポップロックバンドのザスタイルカウンシルの1984年のファーストアルバム名から。
ジャズ、ロック、ポップと色々な音楽がミックスされた世界観がこのカフェのコンセプトに通じているそうで、業界的に4毛作と呼ばれる朝から昼、夕の一息、夜の憩いの場の通し営業のお店。
アズーロ・アズーラ(写真は外苑前アズーラ)
イタリアの国旗に青はないのですが、サッカースポーツによく使われるのはナショナルカラーと呼ばれる色ではイタリアは青、アズーロになります。(自動車レースは赤)
旧王国、サルデーニャ国の国旗とアドリア海の海の色から選ばれています。
イタリアンの店数は多いのにイタリア文化の浸透か゜いまいちなので、こういうわかりやすいものが選ばれることになります。「タヴェルナ・アズーラ 外苑前 1985年」深い海の色、紺碧とサッカーチーム色から付けられた店名。イタリア人が最も好む色でもあるそうです。「AZZURRO(アズーロ) 北青山 2011年」「クオーレアズーロ 中目黒 2012年」「ジ・アッズーロ 蒲田 2014年」。
フランス語の紺碧色アジュール、「Bistro Azur (ビストロ アジュール) 駒沢 2009年」は不明ですが、お店の看板等がこの色なのでテーマカラーでしょう。既に閉店の「杏樹瑠(アジュール) 石神井公園 開店年不明」。
ほかに仏語の青の「アジュール45(フォーティーファイブ) 六本木」リッツカールトンホテルの45階にあるフレンチ。窓から見える広がろ青いスカイライン、東京湾の青い海の色から
イタリアンだけどの「アジュール 池袋 1982年」は読み方のの違い?
観光名所から「カフェダジュール(コートダジュールから) 自由が丘 既に閉店」「青いナポリ 小石川 2008年」「グロッタアズーラ(青の洞窟) 新橋 2013年」
【色ーみどり】
ただ戦後、大地の荒廃のため、植樹事業がすすめられ『緑の週間』として、昭和天皇の誕生日が『みどりの日』(2007年より五月四日になる)となっていました。新幹線等の昔の一統車両はグリーン車(切符に緑色があったため)と名付けられ、イメージが上がっています。
ヨーロッパでは自然を体現するグリーマン、死者の色、妖精・魔法使いの色、イスラム教の色として不吉な不気味な色扱い。宗教上の対立でそうなりますが、イスラム教では預言者ムハンマドの聖なる色、天国を表すオアシスの樹木をイメージです。クリスマスや顕現日、復活祭の色にもなっているので緑も単純な色ではないです。
今世紀では環境問題の旗手として緑の党の名前もあります。
ケルトの世界では常緑の島テイル・ナ・ノグやアイルランドだけは別で聖パトリックの色で、祝日のこの日はアメリカでは緑の日と呼ばれます。
交通標識の赤黄色青、世界標準では緑です。かつて日本も法律で緑だったのですが、三原色赤青黄色で覚えやすく、赤止まれ黄色注意青進めが普及したため、法律も変更したとのこと。
緑屋(江東区扇橋みどりや)
緑の店名は他のものより早い時期に登場しています。
女性の名前としても新奇な名前として江戸時代末にはつけられていました。明治の小説樋口一葉の『たけくらべ』のヒロイン美登利も登場しています。
店名になぜ緑と付けられるのかは資料がなく不明です。推測では生まれたての赤ちゃん、緑子、新緑の若葉の最初の頃の力からと少し真逆の常緑の変わりない永遠、松の常盤の緑が象徴するもの。
老舗ですと岐阜県の栗きんとん「緑屋老舗 1872年(明治5)」がネットではありますが、由来は不明。
三茶の家具屋さんの緑屋の由来が木々の緑が増すように人々に希望と生気を与えるよう願を込め、草木の萌え出る色の緑にしたとありました。
都内では老舗の緑屋は見つけられませんが、写真は喫茶店「みどりや 江東区扇橋 1958年」です。蕎麦屋「みどりや 浅草」「みどり食堂 武蔵小金井 1964年」「みどりや 神谷町 1949年」「みどり食堂 永田町 2011年」
由来は不明、他の店も看板や外装が緑色の店や、植物の緑が多い店などいろいろ工夫をして緑を演出しています。
なんとなく近所にある地域に馴染んだ食堂風の食べ物屋が多い気がします。
美登利寿司(経堂)
緑は150年以上は店名に出て来ますので、変化系、漢字の当て字は見かけます。
女性の名前のパターンとは思いますが、美ど里、美土里、美登里、平仮名みどりが一番多いようです。
鮨屋が緑の店名が多く、大正6年(1917年)の東京食通番付に「綠鮨 神田猿楽」「「綠寿司 田原町」が載っていました。
昭和のガイド本には「料理屋「美登利 大森海岸」鮨屋「美登里 麹町」を発見。
有名なのは樋口一葉のヒロインの美登利と同じ「美登利寿司 経堂 1927年」とここが修行先だった「梅丘寿司美登利総本店 1977年」最初の頃、同じ店名でしたが、梅ヶ丘の方が商標登録の裁判の結果、今の店名に。現在、会社組織のフードビジネスとして、日本中に有名になりました。食べログで古いのは「みどり寿司 高円寺 1962年」
鰻「美登里 中野 1926-2013年」「うなぎ美登里 武蔵小金井 1926年」(京都にも「美登利 1952年」の鰻屋あり)横浜の料亭「美登里 1917年(大正6)創業」が2001年の火事の後「京やさい美登里 銀座」を開店しています。
グリーンスポット(代々木)
緑は自然の色そのものですから、常緑、エバーグリーンの意味もありますが、自然豊かな場所の意味もあります。場所名との組み合わせがふさわしいです。
「グリーンスポット 代々木 1974年」「グリーンテーブル 巣鴨 1985年」「EVER GREEN(エバーグリーン) 銀座 2003年」「グリーンダイナー 代々木上原」「グリーンガーデン 渋谷 2011年」「グリーンテラス 亀有」「グリーンコート 千石」「Green Cafe(グリーンカフェ) 代官山) 2009年」「みどりと風のシンフォニー 日本橋蛎殻町 2012年」
京都では「喫茶グリーン 開店年不明」が地元民には人気、観光客には京都っぽくないので興味はないでしょうが、一度閉店し、「グリルグリーン 2015年」で復活、食事メニューが充実していたのを引き継いだようです。
都会の街では緑の自然が少なく、あるところで強調するようにグリーンを冠する店(「グリーンスポット」「Green Cafe(グリーンカフェ)」)と、ないところでテーマカラーをグリーンにして、オアシスの役割をする店(「グリーンテラス」)があります。官公庁関連の施設内の食べ物屋(「グリーンコート」)にも多いのは、無難という理由もありますが・・・。
みどり・グリーン 2(写真麻布十番イートモアグリーン)
もう一つのグリーンが食材、野菜が多い店の名「みどりえ 学芸大学 2001年」は緑の恵みの意味、ほか「みどりのキッチン 上野 2010年」オーガニック系「グリーングリル 渋谷 2010年」「グリーンアンドミート 代々木上原 2014年」最近多くなってきた流れです。
写真は「イートモアグリーン 麻布十番 2007年」文字通り緑黄色野菜を食べての意味。
フレンチ「グリーン 代官山 2010年、既に閉店」は野菜が多種のレストランでした。オープンしたばかりサラダ専門店「ウイズグリーン 神楽坂 2016年」もグリーンは野菜です。
「グリーンブラザーズ 恵比寿、西麻布 2016年、写真麻布十番店2017年」も一つのコース、メインデッシュとして満足するサラダ専門店。親会社は大阪焼肉ホルモンふたごで、肉と野菜のふたつの業態で健康のバランスのとれた食事の提案だそうです。
おなじ考えは店名ではありませんが、超人気店フレンチの「オギノ 池尻大橋 2007年」も。頭に「Red&GeeenRestaurant」と付けて月の決めた日に肉の日レッドと野菜の日グリーンとして肉のみ、野菜のみの料理を出しています。
日本茶カフェ「蒼庵(ソウアン) 広尾 2001年、既に閉店」「グリーティカフェ 自由が丘 2001年」日本茶、緑茶の「みどりや 西大島」など日本茶・グリーンティからの店名もあります。
頭やしっぽについた「ナナズ グリーンティ(自由が丘「七葉」発の2000年代からのチェーン店)」「グリーンティレストラン1899 御茶ノ水 2014年」は日本文化を取り込んだ抹茶等日本茶全般の普及がコンセプト。
ベルデ(ヴェルデ)・ベール(ヴェール)(写真有楽町ベルデ)
青のよう西洋の高貴さをイメージするような面は緑にはありません。ただ単純に緑色が好きな色。
他の色の比べ、緑、グリーンとなにも具体的形容詞ではない店名をみかけます。日本人の嗜好に沿った店名。悪く言えば無難、嫌われる点があまりない、邪魔にならない緑。
写真はイタリアンのチェーン店「ラ・ベルデ(全国10店)1号店1997年」こちらは入口に立て掛けたイタリア国旗の緑色からでしょう。
「ル ヴェール(仏語緑色) 銀座 1994年」開店年不明のブラッセリー「ベール 早稲田」「ビストロサン・ヴェール 上荻 1981年、既に閉店」。「ル・ヴァンド・ヴェール 国立 1972年頃ー2018年」は緑の風の意味、昭和初めに建てられた一軒家のレストランで、オーナーが避暑地の一軒家のレストランのイメージで付けた店名です。
新しい店はホテルのダイニング「ヴェルデュール(Verdure) 錦糸町 2011年」、「Verde(ヴェルデ) 目黒区青葉台 2012年」、上に掲げた「美登里寿司」息子さんが開いた「TOSHIYA verde(トシヤヴェルデ)」。
バール「vert(ベール) 浅草 2015年」はおみせのロゴ 緑の四つ葉の意味を掲げていて、幸せを感じてほしいそうです。全国にも相当数のイタリアン、パスタのこの店名が広がっています。
食べ物系はグリーンに比べて少ないですが、「プティ・ベール(冬野菜の名前) 葛飾区 2012年」
喫茶店の緑はコーヒーの焙煎前の豆の色、「緑の豆 神楽坂 2003年」という焙煎所が2店あるように、まだ珈琲になる前の未熟な姿を現した店名。喫茶店「 ヴェルデ(新鮮なコーヒー豆の色) 恵比寿 1981年」
地名の直訳「ボワヴェール 西新橋 2000年」青森の仏語で、食材を青森県から取り寄せています。
「フーヴェール 緑ヶ丘 2008-2014年」はフレンチで、地名の緑ヶ丘からの連想で仏語の緑信号のこと。移転した後はまた地名で「ビストロ武蔵新田」と命名しています。
少し違うのはつい最近六本木に移転した「ブリアンツァ 麻布十番 2003年」イタリアの地方名ですが、新緑の意味もあるそうです。
東京にはみつけられませんが。フランス語ベルデュールも新緑の意味、隣の横浜に「Patisserie La Verdure(パティスリーラ・ベルデュール) 横浜市 1995年」は緑園都市駅にあるので地名の緑からではょうね。かつては東京にもビストロ「ラ ベルデュール(草木の新緑。深緑) 代々木上原 2000年、既に閉店」「ヴェルデュール 渋谷(東武ホテル) 1975年」。
翡翠色(写真は広尾ジェイド)ー2016.9.10追加 ーⓢ(追 加2020.7.11)
緑には宝石の色をイメージできる翡翠色、エメラルドグリーンがあります。エメラルドはホテルオークラ内のレストランだけです。エメラルドの和名翠玉、緑玉です。
翡翠はとても古くから愛用される宝石で、不老不死・長寿の石として中国で珍重され、翠の一字が緑色に仲間になっています。翠の字は意味は鳥のカワセミの羽の色だそうです。
日本では貝塚から翡翠の装身具が見つかったそうです。あまり知られていないのですが、日本の国石(2016年制定)だそうで、真珠とばかりイメージしていましたが・・・。
青緑色の澄んだ緑色で、草木の緑のやや黒っぽい色より、美しいイメージの色です。
当然のことながら、玉として珍重されている、中華に多く店名に出てきます。一字でより、組み合わせの多い色です。「翡翠宮 新宿 1980年」「翠泉宮 千葉舞浜 1988年」「翠鳳 上野 1987年」ほか、食べログでは「翠園」「翠苑」が多いです。
古都京都では緑より、翠が和食店や抹茶のメニューの和カフェにつけられています。京都人の美的感覚ではこの翠の色のより陰翳の深味のある点が好まれるのでしょう。
東京の和菓子店「翠江堂 中央区新川 1943年」ある場所名から、隅田川のほとりの店の意味の、翠(みどり)の江(かわ)のほとりの和菓子店
東京では英語のカフェがあります。写真の「ジェイドファイブ 広尾 2013年」壁かジェイド、翡翠色。ファイブは住所の広尾五丁目?
地味色好みいろいろ(写真ロバット)ー2021.2.25追加 ⓢー(追加2021.4.10)・(2021.10.10)
ほとんど知られていない色から、写真のイタリアン「LOVAT(ロバット) 恵比寿 2015年」はひさしの色がロバットと呼ばれる色、草木の自然色。牧歌的で温かみのある空間づくりだそうです。
「cachou(カシュー) 銀座 2005年頃」中華でフランスのアカシアの樹液から採れるフランスの伝統色。中国では阿仙薬として知られ、食で身体と心を癒したい願で。色味はネットで見るとオークより濃い目の色。
「Ivoire(イヴォワール) 銀座 2016年」、ビストロで、上品で柔らかで落ち着いた優しい癒しのイメージで仏語の象牙、象牙色。英語でアイボリー色の空間でくつろいでほしい想い(お店のHP)で店名にしたそうです。
残念ながら既に閉店した人気蕎麦屋、写真の「AMECOYA(あめこや) 豪徳寺 2006-2019年」、飴色の意味で家具が使い込まれて飴色になるように味わい深い店になるように願っての命名。黄褐色、琥珀色と同系色。
琥珀・アンバー・ランブル(写真は珈琲らんぶる(新宿))
食べ物屋独特の店名です。琥珀は宝石の仲間、だだ鉱物ではなく樹木脂が固まったもの。虫が這っているのは高価だそうです。
下のセピア色とともに光輝く黄金色、西洋人が古代から珍重する黄金の蜂蜜色で、茶系統の珈琲の色に通じ、中でも、日本全国にその名が知られた琥珀の仏語「カフェドランブル 銀座 1948年」この店名を広めています。(『純喫茶』掲載「 カフェドランブル」と同文)
まったく同名店は遠い大分県「佐伯カフェドランブル 大分県佐伯市」、記事を読むと銀座の支店だそうです。平仮名らんぶる、漢字に字替えした店名は多く喫茶店にあります。オールドビーンズを使う個性あるコーヒーの淹れ方、この店名はカリスマ性が高く全国に知り渡り、唯一無二の王者の店名。オーナーは琥珀と珈琲ともに篇に王篇が入っているのが気に入っているそうです。
「名曲らんぶる 渋谷 1950年」
写真は「らんぶる 新宿 1950年」同じく宝石の琥珀 珈琲の色からのレトロな名曲喫茶、広い席数とで銀座の「カフェドランブル」とは両極です。く
琥珀、アンバーは多種多様、和食からレストラン、居酒屋、ラーメン屋まで、字も「こはく」「虎白」「弧珀」等。透明感のある茶系の色を表す言葉は少ないので特に琥珀の店名が多いです。洋系は「cafe amber(カフェアンバー) 渋谷 2002ー2019年、ジャズバー琥珀へ業態変更」「Winbar Ambra(アンブラー自然派の白ワイン、樽熟成のグラッバの琥珀色から) 飯田橋 2009年」。
中国の古い言い伝えでは虎魂と書くそうで、虎が死後、変身したのが琥珀石。虎のイメージは龍虎が示すように中国最強の動物なので、琥珀は少々弱く、中華は比較的新しいオープン2店が食べログに掲載。
フランス語ランブルが銀座の強さに喫茶店「琥珀 新宿 1954年」「琥珀亭 銀座 1973年」昭和の香の喫茶店2店開店年不明写真の「琥珀茶房 阿佐ヶ谷」と「琥珀 向島」、新しい「珈琲館琥珀 新宿三丁目 2017年」。
汁物の色としても出汁や日本酒、ビールの色としてもイメージが良いので店名になりやすいようです。「琥珀ブルワリー 飯田橋 2015年」「宍道湖しじみ中華蕎麦 琥珀 大田区西六郷 2019年」のお客のブログには貝出汁のコハク酸の言葉も載っています。。
セピア(柴又)
セピアはセピアカラーと呼ばれる色名。イカ墨の色で、写真の最初の頃、この色で彩色され、そのためセピアカラーといえば、古い写真の郷愁を感じる色です。。
食べログ検索の全国「セピア」の三分の二程、喫茶店カフェですね。
少し凝った店名「セピアの庭で 渋谷道玄坂 1985頃-2010年」、雑誌のHanakoでまるで小説か映画のタイトルのような店名と書かれていましたが、ネットでも惜しまれながら閉店。少し高いけど、クラシック流れる店内は、渋谷の喧騒から逃れたお客に愛されていました。
新しい「セピアコーヒー 吉祥寺 2011年」珈琲豆に自信ありで、珈琲豆、自慢のブレンドのセピア色でしょうね。
もう一軒は「喫茶セピア 柴又 2013年」はグッズを含めた昭和ノスタルジーが売りなので、セピアカラーのイメージから店名゜だと思います。
セピアは「西琲亜」「西緋亜」があります。店内セピア色の「西琲亜 麻布十番 1980年?」。
ビストロブラウン(宇田川町)
贅沢禁止の江戸幕府のお達しで派手な色は禁止でしたので、、今では地味な色、茶色と灰色は江戸庶民の愛用した流行色でした。
灰色は江戸時代は鼠色と呼んでましたが(火事は江戸の華というくらい多かったので灰は好まれなかっよう。)、四十八茶百鼠の言葉があるように鼠色百色、茶色四十八色と呼ばれるほど色の種類があったそうです。
茶色の語源のお茶の色、世界でテ、ティー、チャイの言葉、すべて中国のチャが元になっています。色で「茶の字」は千歳茶、憲法色、枯茶、媚茶と今とは違う優雅な色名です。ただ茶碗、茶瓶、茶漬け、茶巾寿司、茶懐石、茶道、業態「茶屋」「喫茶店」で大量に出てくるので店名として使われることは稀です。
洋系では茶色、ブラウンは食べものの焼けた、美味しそうな色(以前アップ「ブラウンライスカフェ」「ゴールデンブラウン」)。
食べログ一番古い「confectionary BROWN(コンフェクショナリィ ブラウン) 八丁堀 1960年」はお菓子の焼き色から、毎日おいしい焼色を届けたいと願っての命名(お店のHPから)
また上の琥珀とセピアのように凝らない場合のコーヒーの色、喫茶店「ブルーノ 麻布 2009年」
世界でも日本でも木と土の自然色、ナチュラルカラーで「BROWN Tables(ブラウンタブレスー茶色のテーブルの意味) 麹町 2014年」」もそうですが、インテリアが茶色系や木目調の場合の「キッチンブラウン 東小金井 1973年」
看板も茶色の左写真の「ビストロブラウン 宇田川町 2017年」イタリア語トラットリア「イル・ブルーノ 駒込 開店年不明」は褐色を使った店内は落ち着いた雰囲気とか。
ただ見分けがつかない、英語圏の方に多い苗字でもあります。漫画チャーリー・ブラウンのような・・・。
グリージョ(赤坂)
微妙な色グレー、グレーや灰色はイメージがよくない色です。燃え残りの灰や曇天の空の色、灰色の人生とかグレーゾーンとか。陰気で希望のないイメージ、英語では老人世代の呼び名ですが、日本ではシルバーになっていますね。
でも、ファション界では上品な雰囲気も持っています。
写真のイタリアン「grigio la tavola(グリージョ ラターブル) 赤坂 2011年」は写真の通りグレートーンの外観とグレイッシュなテーブルの内装。HPでは落ち着いた大人の雰囲気造りとあります。
既に改名していますが、フレンチ「Gris(グリ) 代々木上原 2012ー2018年」は個性的なオーナーなのでフランス料理のイメージ、色を取り払う店を造ることで白も黒もなくの意味。
「食堂grigio(グリージョ) 代官山 2014年」も「Gris」とおなじように仕上げにこだわらない、白黒つけない料理、食堂もイタリアンやビストロの概念、枠を外した食堂でありたいそうです。
英語のグレイはほとんどないのですが、モダンインディアンキュイジーヌ「スパイスラボTOKYO」併設のカフェバーは「THE GREY ROOM(グレイルーム) 銀座 2019年」、内装がシックなグレートーン、由来は上記同様、白でも黒でもないという意味。
単色の意味モノクローム、グレートーンの美術品、映画作品を呼びますが、この店名も付けています。店の内装が黒とグレートーンがほとんどです。食べログ掲載の居酒屋「白黒(モノクロ)キッチン 戸越 2014年」「MONO9LO(モノクロ) 板橋区大山 2020年」。カフェ「カフェ:モノクローム 渋谷 2016年」はモノクロームメニューと映画にこだわったカフェ。
全国的にも希少で、食べログでも3店、うち2店は上のレストラン。ネットでいろいろ読んでいくと、2019年に閉店した「喫茶ぐり 千葉県銚子市」の記事には仏語の灰色で、白と黒や影と光、過去と未来、その中間の調和のとれたバランス空間、場所、時間の中でくつろぐイメージのようです。
ワインの葡萄の品種ピノ・グリ、伊語ピノ・グリージョがあり、グリを名乗る店は意外とあるので灰色、グレーの由来ももっと多いのかも。
シェフが印象的なめがね男子の「めがね食堂 市ヶ谷 2016年に改名( chef's table banchoから)」の2号店が「めがね食堂 à la gri(アラグリ) 二子玉川 2021年」。店内は仏語grise(グリズ)の灰色をメインの落ち着いた店内で、白にも黒にも偏らない未完成な曖昧さをグレイで表現したとあります。料理もファミレスを目指すジャンルにこだわらない物。(2021.10.10)
黄色・イエロー(山吹の花)ー2021.2.25追加
イメージ重視の色としては黄色、かつては皇太子の色黄丹色、光の色、春の花に多い色、菜の花やタンポポの黄色は明るく温かいイメージで黄金色にも繋がる好まれる色なんですが、発音に難ありで、英語イエローが圧倒的に多いようです。
上に上げた植物以外にも銀杏葉やミモザの花、山吹の花、梔子、レモンと黄色を思い起こす植物が多くあるのであえて黄色を選ばなくてもよいのでしょうね。
多くは内装や看板、ドアが黄色のインテリア関係です。警告の色、黄色信号とかイエローカードとかでマイナスのイメージも付いています。タイヤの会社「イエローハット」は小学生の交通安全の黄色い帽子から。
黄色は中華全般でもお店の看板には多用しますが、店名には何故か少ないです。中国の歴史の伝説の始祖皇帝は黄帝と呼ばれ、黄色は皇帝の色なんですが、地名からの「黄河」「黄鶴楼(コウカクロウ)」位です。
東南アジアのタイもタイ王国の色シンボルカラーが黄色がなので好かれています。ただ店名は見かけません。タイのお坊様の袈裟が黄衣であることも関係しているのでしょうか。畏敬、信仰心は色としては不利になります。
ベトナムも国旗の色の赤と黄色で特に黄色が役所を含めて建物に多いとネットに写真が多く上げられています。ベトナムの民族カラーとか。
ベトナム料理店で日本では珍しい黄色い竹、金明孟宗竹(きんめもうそうちく)に由来する「イエローバンブー 内幸町 2011年」。ベトナムでは縁起の良い竹。
英語のイエローが多く「YELLOW 96cafe 神宮前 2010年」「カフェイエロー 千歳烏山 2018年」等。
写真はイエローがテーマの「YELLOW CAFE(イエローカフェ) 代田 2017年」は『明るい気持ちになれる場所でありたい想い』から黄色いマグカップを使用していて、室内にあるネオンサインの黄色とともにインスタ映えするそうです。※2021年に駒沢公園に「YELLOW KOMAZAWA KOEN(イエロー コマザワコウエン)」をオープン。
ハッピーが付く店名もあり、1977年公開の映画『幸せの黄色いハンカチ』の影響でしょうか。大本は1973年発表アメリカのポップス曲『幸せの黄色いリボン』だそうですが。もともとは戦争中に兵士の無事帰還を祈って木にイエローリボンを結んだ願の印です。
由来がわかるのはダイニング全盛の時代の「yellow g(イエロージー) 銀座 2001年」、東洋風の内装で黄金(イエロー)の国ジパング(ジー)の意味。姉妹店は「Silver.g(シルバージー) 恵比寿」
ヨーロッパ系はカソリック教の方が多いので裏切り者のユダの色の黄色は
好かれていませんが、2店ほど。仏語のジョーヌ、「Goût de Jaune(グードジョーヌ) 赤坂 2017年」はワインバー。黄色の味わいの意味で、フランスのジュラ地方の黄色いワインヴァンドジョーヌの木の実の香ばしい風味だとか。
自転車競技のツールドフランスの広場イメージからのカフェ「CAFE PLACE JAUNE(カフェプラスジョーヌ) 三軒茶屋 2010ー2018年」。黄色は競技で有名なマイヨ・ジョーヌ、黄色いシャツ、その日のトップの競技者に与えられる名誉のシャツの色。
イエローカンパニー(恵比寿)
食材は店名があふれていて、その余波が色にきているように感じます。
ラーメンとカレーのイエロー。「イエローカンパニー 恵比寿 2004年、新宿店2018年」「イエロースパイス 銀座 2012年」。
ラーメン店「ラーメンイエロー 御徒町 2017年、新潟に1号店」は大盛り二郎インスパイアと書かれていて黄色も「ラーメン二郎」の黄色とか。ラーメン店はもともと黄色多用、ラーメンの麺の色も黄色。
流行のレモンサワー中心のメニュー作りでレモンカラーのバル「YELLO(イエロ) 蔵前 2020年」
茶色は先にブラウンで上げたようにパンの焼き色やコーヒーの色、ナチュラルカラーとして玄米の色とか。
追加のコーヒー色「ブラウン1号 高円寺 2007年」「ブラウンチップ 南阿佐ヶ谷 1988年」。
日本語のきつね色はライトブラウン、ゴールデンブラウンとなるので食べログ上ではパン屋、ホットドッグ専門店にもブラウンがありました。
元はイギリスの妖精の名前で、妖精の姿が茶色っぽかったからの命名のチョコレートケーキのブラウニー。
この名を入れたケーキ店があり、カレー店「BROWNIE(ブラウニー元洋菓子屋だったので) 末広町 2000年」や欧風カレーの玉葱をよく炒めた色の「Browny (ブラウニー) 武蔵小山 2009年」洋食のビーフシチューの色や味噌の色からのブラウンも全国にはあります。
最近オープンの和カフェ「茶色 吉祥寺 2020年」は色ではなく日本茶の茶。若い方々への日本文化の啓蒙をコンセプト。なぜか茶色の狐が看板に居ます。
パンとエスプレッソ系列のパン屋「しロといロいロ(SIRO to IROIRO) 自由が丘 2019年」はカラフルな多種多様なパンも白い生地から作られ名付けられることからと、カタカナのロは三つあるのは漢字の口に似たお店の窓から。
焼肉の高級牛黒毛和牛からの黒やブラックがいっぱい。辛い料理の赤も多いです。
ラーメン店動物名ですが「赤い鯨 赤坂 2019年」「赤い虎 飯田橋 2020年」赤は皆辛い意味。つい最近大阪からやってきた「人類みな麺類Red 赤坂 2020年」は辛い系赤いスープの担々麺が売りです。肉や飲み物の色の赤にこだわった鉄板焼き「red(レッド) 蒲田 2020年」、赤ワイン、肉や鮪の赤身等。
金色・銀色(写真奈良興福寺金色堂)ー2021.2.25追加
金色・黄金色は黄色に、銀色は灰色と似ています。光の反射の輝きがあるので華やかな色、元は高価な金属金銀、ゴールドとシルバー、それに白金のプラチナも近頃は使われます。
金と銀はどこに区分するか、ずっと迷っていました。日本では貴金属は店名にはあまり種類がないので、賀字の分野とか?。祝い事によく紅白とともの登場すること、おなじ鉱物系琥珀と翡翠を色に入れていること、で同じ考えでここでまとめて扱います。他の項目でも(『ドール』、『赤・白・金、そして紫の印』)の2項目に上げています。
西洋東洋どの古代文明でも金は色が変わらず光を放つので、太陽の光、神の色、王の色、銀は月の色として扱われていました。
日本では金色堂(コンジキドウ)、黄金の仏像もありながら、金貨、小判等(山吹色とも)お金にも同じ漢字なので聖俗両方の面があるとされています。
金は教会寺院・権力者が独占、京都の室町時代の建物金閣・銀閣が世界遺産として観光名所です。
庶民は銀を愛用していました。銀の装飾品や魔除けとして使用しています。
当然金の方が優位で、金の他に黄金(オウゴン)、黄金色(コガネイロ)、金色(コンジキ)と呼び名も多く、銀は白銀(シロカネ)位でしょうか。ちなみに銅は赤金(アカガネ)、鉄は黒鉄(クロガネ)、鉛は青金(アオカネ)。
寺社の名の読みは呉音のコンがほとんど、金毘羅(コンピラ)、金王(コンノウ)、金剛(コンゴウ)、金蔵(コンゾウ)など。
店名は光り輝く価値の高い金のイメージから、形容詞的に付くのが一般的で、色のイメージとハーフハーフです。
上写真は一番"金"らしくて、「金のイタリアン 池袋 2013年」金の字看板、「俺のイタリアン」のようなシェフが腕組み写真。技も食材も一流のイメージ。ただ経営がカラオケの金嶋観光なので会社の一字も由来かも。
京金(森下)
日本の子供の2大勇士、桃太郎とともに金太郎が有名。戦前までは名前に使われ、今もこの名の店名はあります。(『太郎、次郎その他』)
明治大正昭和前期までは姓名からが多いようです。和食「入金 向島 1897年」洋食「河金 浅草 1918年」は姓名の一字を縮めて。「今金 神田鍛冶町 東京飲食店独案内1890年掲載」場所・地名と推測する和食「大金 大森 1912年」鰻屋「角金 青山 東京諸営業員録1894掲載」修行先と名の蕎麦屋「京金 森下 1873-2018年、自宅で再開(写真は閉店前)」
一字で金は鮨屋の「金寿司」「金鮨」「銀鮨」も。写真100年超えの「金寿し(名前羽島金作氏の一字) 小石川 1920年」「金壽司 浅草 1923年」「金寿司 浅草 1902年」は名前の一字、「金寿司 祖師谷 1950年」
由来が不明な金銀が付く鮨屋は多く今もあるのは「金寿司 小川町 1927年」「金寿司 神保町 1932年」「鮨金 駒込 1966年」「寿司金 日本橋 1902年」から暖簾分けの「日本橋寿司金 荒木町 1971年」「金寿司 荻窪 1970年代」
天ぷら屋「天金 銀座 1864-1970年」はやはり名前の金太郎さんからで、ウィキペディアにはかつて東京一と評されたとありました。
今多業種、居酒屋からバル、ビストロ、イタリアンまでを営業している「魚金 新橋 1995年」は苗字と魚の組み合わせの江戸後半からあるタイプ。
渋好みと思われた京都の「kin-iro(キンイロ) 京都 2018年」は1930年創業蜂蜜の金市商店の経営のクリームパンと蜂蜜専門店、金市の金からでしょう。「kin・iro 金色」と「kuro・iro 黒色」の2種のクリームパンは食用金箔など、京都の素材を用いた地元の味。
江戸銀(築地)
銀の由来がわかっているのは写真の「江戸銀 築地 1924年、最初本所で開業」は名前の銀蔵さんから。「江戸銀」の暖簾分け店は東銀座と奥沢店が食べログにあります。
前身は江戸前料理「新ばし江戸銀 新橋 1908年」の「江戸前ビストロEDOGIN 新橋 2012ー2019年」、創業者の鎌田銀次郎氏は魚屋を開業したのが始まり。
「銀座江戸銀」は息子さんがリニューアルして父親の名前の登美を採って「銀登美 銀座八丁目 2018年」として継いでいます。不明の「銀鮨本店 蒲田 1980年」。
ネットには「銀寿司」「銀鮨」「寿司銀」も多く載っているのですが、開店年や由来は金よりもとても少ないです。
銀シャリなのか、いぶし銀の技なのか?わかりません。
「銀鮨 新川 開店年不明」は店構えが銀色になっています。築地の「江戸銀」とは繋がりのない女性の店主の創業の「神田江戸銀 神田 1959年」と支店1店。
店数多いビジネス系「すしや銀蔵 秋葉原 1号店2001年」、この会社「でん家(DANKE)」は居酒屋「鍛冶屋文蔵 2002年1号店」も展開。
躍金楼(新富町)
自然を金色イメージしたのは多くあります。夕陽や月光に煌めく水の光景の和食「金波楼平吉 浅草今戸朝 江戸買物独案内1819掲載」「金清楼 神田 1890年」「「金泉館 日暮里 1919年」「金月 富岡 1919年」天ぷら「金泉 浅草 1907年」。洋食「カフェ金波 駒込 1913年」和食「カフェ金門 日本橋 1925年」
今もある「躍金楼(テッキンロウ) 新富町 1872年」、金の波が躍る意味、山岡鉄舟の命名で、『岳陽楼記』なる漢詩より、築地の海の光景が詠われた内容に似ていたから(お店のHPから)
賀字と組み合わせの和食「万金楼 小石川 1904年」洋食「金寿楼 新橋 1972年」。朝鮮韓国・中華は苗字も多いので多数の店名があります。「金華」「金龍」「金門」が多いです。
銀も鮨「銀河(現在は改名しています) 東久留米市 2012年」食べログでも和食「銀嶺 青梅市 1949年」「銀波 銀座 2010年」。
ちなみに和食「銀沙灘(ギンシャダン) 銀座 2011年」は銀閣寺の庭につくられる白砂の西湖の波を段々にした模様の作庭、富士山を見立てたとされる向月台とともに作庭しています。
金の蔵(渋谷)
色の呼び名、黄金色(コガネイロ)は和語・金色(コンジキ)は漢語、金色を表現している古いクラシックな呼び名になります。多いのは一字で金属の王、キラキラと目立つ金の字。和食「金扇 築地 1912年」鳥料理「金扇 小石川 1923年」「金の独楽 銀座 2007年」蕎麦屋「金升 飯田橋 2009年」。今だとパチンコ店の店名になりそうな洋食「ゴールデンホール 銀座 東京うまい店200店1963年掲載」エスニック料理店「ゴールデンバーニング(?金色に燃える) 渋谷 1999年」
三光ホールディングの「金の蔵 新宿 2004年1号店」低価格店「金の蔵Jr 池袋 2009年1号店」、先に開店した個室居酒屋「東方見聞録」の流れで「金の蔵」はマルコポーロが日本を呼んだ名称、最初は「金の蔵ジパング」となっていました。
ビジネス系列で博多もつ鍋「黄金(コガネ)屋 恵比寿 2004年」とヒューマックスの金銀ペアのように炭火焼「白銀(しろかね)屋 西新宿 2008年」と魚・肉の炭火焼「こがね屋 西新宿 2009年」も多展開。肉系の業態は金が多いようです。
銀はも金と同じくありますが、多くはまだ実際の色の意味合いがあります。
シルバーシート、シルバー人材センター等の高齢者関連の色です。銀髪や雪の銀世界、銀盤、銀河、銀行と日常にあります。銀色もステンレス、アルミ合金として現代生活にはかかせない金属の色で活躍中。車の色も世界や日本で3位、4位を占めています。
金と同じく形容詞的に喫茶店「銀扇 白金 1941年」和食「銀鈴 浅草区千束 東京市商工名鑑1933掲載」和食「銀の蔵 池袋 2000年」、デザイナーズレストランインテリアの銀色から「銀兎 池袋 2002年」。食べログにはとんかつ「銀扇 大山 1990年」日本料理「銀扇 瑞江 2005年」。90年代のガイドには「ぎんれい 上野 既に閉店」というフレンチが載っていますが、銀玲か銀嶺かは不明。
東京駅には待ち合わせ場所に『銀の鈴』があり、実際に銀の鈴が飾られています。神社のように人を呼ぶ意味とかで、1960年代は好みが金の鈴ではなく、渋い上品な銀で、名が付いたとか。
金は一字は鮨屋以外少ないのですが、銀はそこそこ。最初日本料理店で2005年から甘味屋で今はカフェバー「銀亭 渋谷 1934年」天ぷら屋「銀屋 白金 2012年」定食「銀や 池袋 1998-2020年」。写真の和バル「銀(GIN) 麴町 2014年」、全国展開の豆腐・湯葉料理店「銀ゆば」のセカンド店だそうです。
銀は吟(本来は詩を読み上げる詩吟、ただ日本酒の吟醸酒の吟、選び抜かれた品質の高い日本酒のイメージ)の漢字でも店名があり、ひらがな「ぎん屋」で両方の意味も併せ持つ場合もあります。
金の目(六本木)
金色は洋系は『ドール』で扱ったように形容詞的です。メダルの金銀銅のように金は最上級の意味の形容詞です。
戦前は卵入りの天ぷら屋「金ぷら 深川区 東京市商工名鑑1935」。「金の〇△」は「カサドール(金の家) 人形町 1985年」や『ドール』の中のレストラン等フレンチ等の洋系からの影響があると思います。
今の店名は多くの食べ物名、このHPでも「金のうなぎ」「金の豚」「金舌」をアップしてますが、食材、料理が最高、素晴らしいのイメージを謳っています。特に「金舌」は調理法ごと、業態ごとに見事に「kintan」「Kintsn」「KINTAN」とローマ字表記を変えて個々のお店の個性を出しています。お客の意見ではこのローマ字店名が金の毒気を抜いていると評していました。
2000年代から多いのがビジネス系ジンギスカンの店、「金の羊 葛西 2000年」「金の目 銀座 2000年、写真六本木店2016年」はオリンピックの一番の金メダルの金の目、目は未来をを見通す大切なもの、業界の一番を目指す心ざしでーお店のHP。新しい「金のジンギ 秋葉原 2019年」。
汁なし坦々麺店「金蠍(キンカツ) 虎ノ門 2015年」は金胡麻をつかっているから?。ネットで写真をみると真っ赤な壁に金の文字の看板、ゴールデンスコルピオンの表示もあり、赤が辛さを金が金胡麻の印象を盛り上げています。以前の店名はは黒胡麻で黒くなる「黒蠍」、姉妹店は辛い唐辛子色「紅蠍 虎ノ門 2012年」でしたが・・・。占星術では金蠍宮、さそり座は一等星の赤い星アンタレスを従えています。死と再生、8番目の星座になるので8絡みなのかも。
それ以外には食べログ上には「金の餃子」「金のだし」「金のおこわ」「金タレ」「黄金鍋」「金菜」、後ろに付く「鳥金」「鰻金」「金麦」「金肉。
とんかつ「こがね 目黒 2018年」、由来は不明ですがとんかつの林SPFという高級な豚肉、黄金の揚げ色や、人気の「大宝」の姉妹店であることも含めての命名でしょうか。
英語で「ゴールデン餃子」「ゴールデンミートバル 大崎 1号店大崎 2013年」など。フレンチでは飲み物から黄金色のシャンパンゴールドからの黄金盃の意味の「La Coupe d'Or(ラ・クープ・ドール) 白金高輪 2013年」。
左の写真のイタリア語oroで黄金のピッツアの意味の「ピッツェリアドォーロ 新橋 1996年、都内5店」この系列で黄金の酒蔵、「Enoteca D'oro(エノテカドォーロ) 平河町 2006年」も。金魚のいみではない「AL PESCE D’RO(アルペッシュドーロ) 春日 2002年」は黄金の魚で極上のの魚料理を提供したい。
銀のさらの看板
ギリシア時代から、殺菌、抗菌金属の器として医療にも使われた銀器。食器類も18世紀加工術が発達し、ヨーロッパのお金持ちがステータスとして銀食器19世紀からが使用。
『銀のスプーンを口にして生まれた』は良い家柄に生まれた子供たちを表します。日本では昭和初期のカレーの普及によりスプーンが使われ始めました。
ステンレス製ですが銀の皿と銀のカレーポットはネットでは中村屋は1953年から使っているそうです。
厨房類が店名になり始めたのは1970年代から。ダイニングバー「シルバーマグ 外苑前 1970年代」フレンチ「銀の食卓 西麻布 1995年」かつての洋食の印「ひふみ銀皿食堂 吉祥寺 2001年」再掲の「銀彗富運 (シルバースプーン) 新宿三丁目 2013年」小説の題名にもなっている「銀の匙」は東京には見つけられませんが、全国には洋食系であります。
一番多い店数を全国展開の鮨のテイクアウト専門店「銀のさら 岐阜市1号店 1998年、銀のさらは2000年から」はビジネス系であるので、いろい盛り込んでいます。酢飯の銀シャリ、いぶし銀のプロのにぎり技、入れ物の銀の皿には縁のない全てを容認する、真っ新な気持ち等。
「いぶし銀」も食べログに載っています。長年培った技いぶし銀の技が底にある実力・魅力の意味のオステリア「銀白(ギンパク) 市ヶ谷 2017年」大和言葉「白銀」を入れ替え命名。
食べ物系は銀たら、銀鮭、銀ムツ等のように魚の実際の色から、ラーメン店「銀節や 自由が丘 2002年」居酒屋「さば銀 中野 2012年」「トロ銀 品川 2019年」
銀笹(銀座八丁目)
銀座の地名を付けているのは山ほどあります。その代わり洋系はすくなくなっています。「銀茶寮 銀座 1920年代」「銀食 銀座 大東京うまいもの食べある記1935」「銀園亭 銀座 1995年、胡椒亭から改名」焼き鳥と鳥釜飯で有名な「鳥ぎん 銀座 1951年」、近所には「ニュー鳥ぎん 銀座 1953年」ほか都内には直営店を含め11店舗。ちなみに「とり金 人形町」もありました。既に閉店していますが、鳥卸の「大金(ダイキン)鳥店」の経営とか。渋谷には由来開店年不明の「とりきん 渋谷 1980年代」「鳥金 渋谷区桜ヶ丘 1995年頃」の2店も。
魚介炭火焼「ぎんろく(銀座6丁目が住所) 銀座 2009年」。
写真和食の料理人のラーメン店「銀笹(苗字と銀座名の組み合わせ) 銀座 2010年」。
ビジネス系の店数多の一度アップした「銀たこ」と同じ会社系列鯛焼きの「銀のあん」。
おそらく銀座にあるデザートレストラン「ぶどうの木」から生まれたブランド「銀のぶどう」等。
銀は金の洋系金の〇〇とはならないのは店名が長くなるからでしょう。そのままの銀のの伊語の「アルジェント 銀座 2019年」仏語「L'ARGENT(ラルジャン) 銀座 2020年」銀の原子記号からのダイニング「Ag(エイジー) 銀座 2007年」。
「アルジェント」最初はシェフ苗字が付いていましたが、2019年から外しイタリアンからてフレンチ店に。2005年時には銀がどんな色とも調和し、最上級のランクへ高めてくれる色としています。
モダンフレンチの「ラルジャン」は銀座の銀からで銀座に今までなかった新しい価値を伝えたいそうです。
東京中に銀座があるのでカフェ「prata(プラタ) 中目黒 2004年」は銀座商店街にあるので 銀のポルトガル語です。
地名と関係ない銀の洋系は他にふるくからあるフレンチ写真「アージエント 目黒区中町 1980年」。ガイドで一番古いのは既に閉店した地中海料理店「Dargent(ダルジャン) 吉祥寺 1974年」。開店年不明の「ARGENT(あるじゃん) 三鷹 『珈琲飲みある記1962』掲載」
フランスの一番古いレストラン「トゥールダルジャン(銀の塔の意味)」、今は支店(「ラ・トゥール・ダルジャン 紀尾井町(ホテルニューオータニ内) 1984年」)が東京にある鴨料理の名店からの影響でしょうか。食べログでも現在この店名が一番店数がありました。
金の地名を付けたのは見つけられず、ゴールデン街のようなギラギラした繁華街イメージが強いからでしょう。東京の白金はそこそこありますが、金町、小金井(黄金のような貴重な水が湧き出る井戸とか、かつての領主の苗字等が由来)は見つけることができません。横浜開港時外国人ジョージ氏が開いたレストラン「ゴールデン・ゲート・レストラン 横浜市 1862年」はサンフランシスコの(Golden Gate)金門海峡の意味でしょうか?。
ラーメン店「金字塔 赤羽 2010年」は明治時代に翻訳したピラミッドの意味ですが、頭名「焙煎汐蕎麦処」という独特な名があるので、本来の誰もなしえなかったやり遂げた業績の意味ですね。
讃岐うどん限定で「金毘羅 浜松町 1965年」「こんぴら茶屋 目黒 1983年」ほかあります。四国香川県の金毘羅宮から。地名の代用ですね。
銀座に金春(コンパル)通りがありますが、能楽師金春流の屋敷があった場所で元は家元の童名から。この地名で銀座に喫茶店「銀座コンパル 銀座西七丁目 建築写真類聚1916年(大正昭和の建築写真集)」がありました。同名の名古屋の喫茶店チェーン「コンパル」は戦中に繁盛していた大陸にあった「金春」から。ちなみに屋敷の周りに芸者さんが多く住み、ここからハイカラ色として金春色という緑色かかった青色が流行したそうです。
白金珈琲(三田店)
白金(シロカネ)は今はプラチナですが、古くは白銀(シロカネ)、銀を多く持っていた長者の名前が由来とか。白金台にある都ホテルのビュッフェダイニングは「シルバーヒル 白金台 1979年」でした。今はアメリカン系列なので「カフェカリフォルニア」。食べログ最新のフレンチ「Blanc d" or(ブランドール) 白金台 2021年」は意味は白金。
同様にほとんど地名からの和食「Shirogane(シロガネ) 白金高輪 1993年」「白金亭 白金台 1994年、最初フレンチ、2006年より中華点心、今は周中菜房 白金亭」「白金珈琲 白金高輪 2010年、写真三田店2011年」有名二人のフレンチシェフが関わった「PLATINUM(プラチナ) 白金台 2013年」
地名に関係がないのは洋菓子店「PLATINO(プラチノーイタリア語の白金?) 世田谷区上町 1990年、桜新町店1999年」。
写真の最初割烹「白金や(プラチナヤ) 東銀座 2013年」はテイクアウト専門へ変更の小袖いなり寿司が有名。真偽不明の判定ですがウィキペディア上には不易流行の意味合い、芭蕉風俳諧の言葉とかで、不易、本質は変わらず、流行、時代の変化に対応していくこと。プラチナも金と同じく、形は変わっていっても輝きを失わない性質からの命名だそうです。
判明しないのは「プラチナフィッシュ 新橋 2010年」白金魚と書いてるダイニングバー、今は割烹(KAPPO)、バル、鉄板焼き、焼き肉の業態を展開しています。同じエリアに「魚金」がいくつもあり、ネットでは両店で迷う記事もあるので「魚金」グループを目指して追いつき追い越せの想いでしょうか。居酒屋とはちょっとと思う若い世代のお客、女性客中心。経営のジェイ・ダヴリュウ・エー社は店名色続きで、2011年にはダジャレ風当て字の「魚銅 Sakana dou? 新橋 2011年」もオープン。
ドーロ(都立大学)
追加として『ドール』以外の金は伊語はオロ、オステリア「D’ORO(ドーロ) 都立大学 2013年、初台2号店2016年」は、いつまでも初心を忘れず、輝いていたいから。「Domenica D'oro(ドメニカドーロー黄金の西曜日) 南青山 2013年」『日曜日は家族や友人と囲む、楽しくリラックスした食卓』のような時間を。苗字のイタリア語変換の「Roccia'oro(ロッチャドォーロ) 神楽坂 2015年」、金の岩の意味ですが、シェフとマネージャーの一字づつ採っています。
ラテン語「AURUM(オーラム) 銀座 2008年」は和洋懐石の店が現在は食材のトリュフ専門(オーラムトリュフの店名)が付いています。新店フレンチ「ラブァンドール 白金台 2018年」は、直訳は黄金の渓谷ですが、シェフの苗字金澤氏から。
美と色ー芸術・わびさび・幽玄(写真美の甲骨文字)ー2021.9.19追加
漢字の美の字は甲骨文字の羊の形、神様に捧げものの中でも最上級で美味しいから神に食べてもらいたかったのでしょう。そこから心が動き、感動する美の美しいものを表す意味になります。
美しいの漢字が入った美味しい、美味はオイシイの当て字、江戸時代から明治にかけて使われ始めたそうです。うまい、旨いの方が古い言い方。最初の意味にもどったようです。
目立つ神の色の紅白と金に比べ、自然色の詫び寂び、日本文化の茶道や俳諧の世界の言葉のイメージの色は色が褪せ、古色増した状態、枯淡を愛でる心情。
色でいえば鮮やかさのない無彩、錆の色、褪せた様々な色、古くなり、元の色がわからい色でしょうか。特に銀が、形容詞的ないぶし銀、金閣とは逆に詫びてくる風上の自然色の銀閣(銀箔を張っている造りではなく黒漆り)のように代表例。イノベーティブ「sabi(サビ) 広尾 2016年」は一般的な寂びではなく「然び」の字を使っています。自然に寄り添った料理?
寂びていく色のコンセプトは写真「アイアンコーヒー 豪徳寺 2016年」や「high-kyo(ハイキョ) 麻布十番 2003-2009年」でも。「アイアンコーヒー」は最初から錆の付いた廃材の鉄材を使っていて、鉄のさび色が深くなっていって街に馴染むことを願っているようです。
「high-kyo(ハイキョ)」は廃墟、古道具のギャラリー併設で、劣化を質感の変化として見て、自然に還っていく過程、姿の小道具から物語と内包する時間を発見してほしいコンセプトでした。
ネット上の詫び寂びのキーワードで出てくるのはアースカラー、グレー、ブラウン系の薄めの色目になります。「アースカラー 赤羽 2015年」「空のいろ」「風の色」「ウォーターカラー 銀座 2013年」「水色」皆、無色透明、澄み切った空や水の形容詞、真澄や水晶、クリスタルも店名にあります。
色の基本三原色、光の三原色もありますが「TRICHROMATIC COFFEE(トリクロマティックコーヒー) 中野区弥生町 2017年」は三原色の意味から。すべての色の基本の三原色が組み合わせで姿を変えていくようにお店も変化し続け、お客の生活の基点となりその日常に少しでも彩を添えられる存在になりたい>。(という長いまるっと中野のHP)
最近オープン「iro(イロ) 早稲田 2020年」、コンセプトカフェの業態、アートペーバーを扱う雑貨店と併設のカフェ。お店のHPでは様々な多様性の文化を色(iro)ととらえて、その文化が交わる空間を提供し体験してほしいそうです。
玄妙(浅草)
日本美を表す幽玄と玄妙の言葉、微妙、趣深くすぐれている意味。
玄の字は色名で染色で赤黒の色。大本の漢字は糸の形、何回も染め汁に付けて黒色に染めていく、黒の一段階前の色。千字文『天地玄黄』、天の形容しがたい深い色合いの玄は道教の象徴する色。
素人と玄人というように玄にはプロの意味もあり、写真のハンバーグ店「玄妙 浅草 2006年」使用している鉄鍋の色か?プロの奥深い素晴らしい味の意味?でしょうか。
濃いと淡いは色の表現と味の表現と似てます。味わい深い、深い味は芸術作の評価にもでてくる言葉。コクは濃厚な味、濃し、酷から。
大阪にはそのものの「幽玄 大阪 2019年」があります。「味吉兆」出身の方の懐石料理店で、奥ゆかしさ、落ち着きのある空間、幽玄の意味の趣深さを表現した店名。
黒い色の食べ物は美味しい印象は少ないのですが、玄の漢字が多いのは蕎麦屋。『玄蕎麦』は黒い殻をかぶった蕎麦の実のこと以前アップした「玄菱(『花菱(渋谷)』掲載)」のこと。
「玄庵 立石 1997年」「滋玄(ジゲン) 恵比寿 1995年」ビジネス系「松玄(マツゲンー松はオーナー姓一字) 麻布十番 1999年」「そばダイニング玄 丸の内 2012年」写真の「玄庵 虎ノ門 2018年」。
玄米からのも、自然食「蒼玄 八王子 1995年」「玄米玄氣堂GENMAI GENKIDO 松濤 2018年(再掲)」
何故か肉系にも多い、「しゃぶ玄 赤坂 1973年」懐石風の「ステーキ玄庵 新宿 1984-2002年」頃から始まりビジネス系叙々苑の高級店「游玄亭 新宿 1988年、本店西麻布1991年」等多数。食べログに載っている「玄 四谷三丁目 2008年」は鉄板焼きで読みは"クロ"。「游玄亭」も玄の意味は『水のように流れるひと時を楽しむ粋な遊びの達人(玄ークロウト?)』が集うところ。
名前からも多い玄、他の意味でも玄は人気で大戸屋から独立した「てしおごはん玄 中野 2009年」は家の玄関の玄、お帰りなさいの気持ちをこめて。同じくビジネス系「玄菜 新宿 1994年」「玄菜壱上 2002年」は大吟醸酒の『玄宰』の宰の字を堅い印象なので菜に替えて店名にしています。
『枯淡閑寂』の『枯淡』はあっさり、しつこくない様。もともとお酒の味の淡麗、すっきりさわやか。和食割烹「淡悦 六本木 2007年」五味の次の6番目の味わい。淡味には素材の持ち味を生かすという意味と共に食べる人に合わせた味付けを、の心がけからお客と作り手の間に喜び"悦"。
「枯淡 自由が丘」の枯淡、あっさりしていながら味わい深い美しさの言葉、反対語が華美。濃いの場合は残念ながらラーメンの世界の独占状態。濃厚つけ麺、濃厚豚骨等。
アートレス(中目黒)
色の世界は芸術、アートの世界へ通じていきます。日本では詫び寂びの世界ですが、世界は多種多様な世界。アートと食を結ぶ店名も多くあります。典型的なのがビジネス系「アートコーヒー 神田 1934年1号店」の由来はトルストイの著作の中の言葉『味覚芸術こそ最高の芸術』から。
ビジネス系の会社名でもあるコーヒーと日本茶の「artless(アートレス) 中目黒 2016年」artlessはアートとは真逆の自然のまま、飾らない、素朴なの意味です。カウンターに炉を切り茶室のイメージ、日本伝統の詫び寂びの美と現代的デザインの融合を試みているとか。
カフェがほとんど「artdish(アートデッシューギャラリー併設、芸術と料理の一皿) 神楽坂 2006年」「Art For Thought(アートフォーソートーアートについて考える意味) 銀座 2011年」「アースアートカフェ 表参道 2010年、2011年改名」。残念ながら直ぐ閉店のリノベーションカフェ「芸術銭湯+cafe宮の湯 根津 2020年」
イタリアン「アルティ 中目黒 1997年」「ART colours Dining(アート カラーダイニング) 汐留 2004年」。
中でも名を成したのが食べることと芸術のコラボ「馬喰町ART+EAT 馬喰町 2007ー2019年」。人と人、人とアートが出会い、結ばれる場所を作りたい思いから。
。新店はフレンチ「ars(アルス) 人形町 2021年」、綴りはラテン語の技術の意味とか。ロゴの字体を一字ごとに変えてaは芸術rは繋がり、sは記憶の仏語の頭を組み合わせ。中のインテリアも含めちぐはぐなイメージを抱くように作っているそうです。
形容詞でフレンチ「アルテ沢藤(ラルテは芸術 料理は紡ぎだされる作品) 南青山 2014年」、食べログには形容詞的につく多くの店名があります
参考資料
★世界宗教大事典 平凡社 1991
★日本民俗大辞典 上・下 吉川弘文館 2000
★歴史学事典 3 かたちとくらし 弘文堂 1995
★日本史大事典 平凡社 1992(色、赤、青、黄、黒、白、紫の項目)
★世界シンボル大事典 大修館書店 1996(色名の各項目)
★図説世界シンボル事典 八阪書房 2000(色名の各項目)
★色と意味の本 ジュード・スチュアート フィルムアート社 2014
★色 民族と色の文化史 アンヌ・ヴェリション マール社 2009
★奇妙な色名事典 福田邦夫 青蛾書房 1994年
★色彩との対話 柳宗玄 岩波書店 2002
★色彩の教科書 芳原信 洋泉社 2011
★歴史にみる日本の色 中江克己 PHP研究所 2007
★色彩の魔力 浜本隆志ほか 明石書店 2005
★日英ことばの文化事典 亀田尚己 丸善出版 2015
色についての本は最近、注目度が高いので多量に出版しています。新しいものを掲げてみました。
鶴亀 《No.1 動物》
上の写真は京都南禅寺内金地院の枯山水の庭、蓬莱の庭です。左の丸い石が亀島、右の細長い四角の石が鶴島を差し、仙人の住む蓬莱島を表しています。
蓬莱島が不老長寿の世界であるように、鶴は千年、亀は万年のように長寿を象徴している動物です。実際はそんなには生きていませんが、亀は結構長生きで、人間よりも長く生きる亀の種類があるそうです。
中国、インドでは亀は神話的動物として、世界の中心で世界を支えている生き物。
中国は5千年以上最古の王国殷時代から漢字を亀の甲羅の裏に書いて。亀占いを行っていました。日本でも古代の同様の亀卜が政治の中で出できます。有名な浦島太郎伝説のなかで海神の住む竜宮の使者として竜宮へ誘います。
京都の松尾神社は神の使いとして、亀が祭られ、水に縁があるため亀の井という醸造家が奉る井戸もあります。京都一古い神社とされ、酒の神様となっています。
現在の中国では鬼(キー悪霊)の音と同じということで、嫌われあまり活躍はしていません。
鶴は西洋では瑞兆、佳き事の兆し、神の使者、中国では仙人の乗り物。
日本でも中国の神仙思想を受け継ぎ、中国の『淮南子』から『鶴千歳』とあることで、長寿のイメージが平安時代から定着しました。けれど、江戸末期には食用として、珍重され、ある意味神通力を失ったそうです。
この二つの動物は人名としてはとても多くつけられ、上は鶴姫、亀姫、下は亀助、鶴太郎。おかめひょっとこにもめでたい名前として登場します。日本酒の世界では鶴が愛されています。
店名仲間
共に歴史の長い店名です。京都には400年越えの店名がゾロゾロでできます。ただ、東京のように略されることなく、亀屋○○、鶴屋△△とそのままで続いています。あまりに多いので「末富 京都 1893年」のように亀屋末富から下の名前だけの和菓子店もあります。
和菓子の亀屋・鶴屋(写真、京都亀屋陸奥)
京都の和菓子店では鶴屋と亀屋は大勢力です。
江戸時代よりの『二鶴五亀』と呼ばれる有名店、鶴屋二店、亀屋五店がありました。現在も続いている亀屋鶴屋はそれらからの暖簾分けが多いそうです。それ以外の亀屋鶴屋ももちろんありますが・・・。
現在も営業していて、古い店は亀屋は「亀屋陸奥 1394-1428創業」、鶴屋は今は「総本家駿河屋 1461年」となっています。御用を務めた先に将軍家の鶴姫がお輿入れになり、御用元の駿河に改名しています。
「亀屋陸奥」もHPによると、1715年からこの店名。秀吉が聚楽第の池に浮かべた檜の亀を手に入れ、名目上のお役目『陸奥大掾』も三条大納言から賜り、改名したとありました。
1600年代には「鶴屋長信(最初猿屋大和) 1558-1570年創業、1693年からこの店名」「亀屋伊織 1600年頃」「亀屋清永 1617年創業」
東京ももちろん和菓子屋が多く、以前取り上げた「亀屋万年堂」もそうですが、江戸期からの菓子屋「亀屋和泉掾藤原美矩 大伝馬町通旅籠町」「亀屋大和掾 元鳥越三筋町通」「亀屋大和掾 本所緑町一丁目」後の方は今も大火事、戦災を乗り越えて、東神田の地で「亀屋大和 馬喰町 1700年代(江戸買物独案内には本所緑町の住所で載っている)」頑張っています。
ほかについ最近閉店してしまった「亀屋近江 浅草橋 1760-2016年」。
この店を筆頭に「亀屋 武蔵小金井 1949年」に『東京亀屋會』の看板が飾ってありました。
12店の東京近郊の亀屋が、先(長く・・・の項目)の自由が丘「亀屋万年堂」の名も含め並んでいます。
かめや(写真柳橋亀清楼)
江戸の食べ物屋の歴史の始まりが「奈良茶飯」を浅草で提供したことであり、その茶飯を出す江戸の隣の宿、川崎宿の「万年屋」または「亀屋」が有名店として名を残しています。
『江戸買物独案内 1819年』に「奈良茶「亀屋宗兵衛 浅草雷神門前角」そば屋「亀屋平兵衛 下谷御成道東叡山新黒門町」「亀屋清右衛門 両国柳橋」。
他に今も営業中の料亭「亀清楼 柳橋 1854年」亀屋清兵衛が「万八楼」を買収して、屋号を自分の名前に変えました。
上野の「亀屋一睡亭 池之端 1951年」は江戸時代に創業した元和菓子屋の材料屋の龜屋、戦後鰻屋に転換しています。(左写真)
和食店「亀屋 小石川 2007年」「カメヤキッチン洋食館 墨田区立花 開店年不明(1952年創業カメヤベカーリー経営)」。定食屋「かめや 根津」は東京都指定の看板印が残っているので1950年代の頃からでしょうか。大衆食堂研究のの遠藤哲夫氏のブログでは暖簾がこの10年で大衆食堂→定食→お食事処と変わっているありました。
かめやは長く続く和菓子屋も多いですが、街場に一軒はある食堂、居酒屋、蕎麦屋のような住民の憩いの食べ物屋も多いようです。立ち食い蕎麦「かめや 新宿 1975年」「亀鮨 末広町 開店年不明、既に閉店」
新しいところは地名があります。亀戸近くの「カメカフェ 2013年」「喫茶かめ 2015年」「C.T.kichen亀 中目黒(通称ナカメからか?) 2016年」
かめ+(写真は亀とみ)
明治以降、亀の一字では物足りないのか、賀字を組み合わせることが多くなってきます。
鰻「亀とみ 日本橋室町 1884年」下田富八さんが創業し、亀屋の富八が現在の店名に
明治に創業した「亀井鮨 青山 1887年」は週間文春『屋号の探検』に詳しく載っています。刀鍛冶息子毛利伊勢松が創業し、取材した「亀井鮨総本店 渋谷 既に閉店」、四谷、新宿と暖簾分けは十数店舖になたとのこと。「亀八寿司」「亀丸」等ここからでた鮨屋も多数。毛利家に養子に入った伊勢松は勘当された刀鍛冶の実家の姓の亀井に愛着があり店名にしたそうです。
亀井、亀の井は菓子屋にも多く、神戸市の発、瓦煎餅の「亀井堂」。
「三亀 銀座 1946年」、三の付く会社が多かったのとめでたい亀を組み合わせた店名です。他和食「亀樂 大森 1909年」
有名な居酒屋「升亀(吉田類氏の記事では付き合いの深い升本酒店の升と店主の好きな亀をを合わせて屋号に) 神田 1965年代-2013年」、2013年の閉店しそれを惜しんで元スタッフが「一亀 岩本町 2014年」として亀の一字をつけた居酒屋をオープン。亀は升亀の亀、一は升亀のお客がいるからゼロからではなく始まったので。
岡崎つるや
亀屋と同じく『江戸買物独案内』上では菓子屋「鶴屋柳袋子 神田新ン橋通」が載っています。
関西の有名な「つるや」、大阪北浜に出崎鶴吉が1908年創業、料亭らしい店は今は京都「岡崎つるや 1928年」にあります。デパート、ホテルを中心に展開しています。本店は現在は阪急うめだデパート内の「つる家」のようです。
東京は「つる壽 虎ノ門 1961年、既に閉店」「つる伊 新橋」も共に修行先はつるや。
出井系などと呼ばれる東京で修行先の多い有名な「出井 銀座 1930-2006年」という割烹もつるやの出。
つるやは関西からの高級料亭(上記の店数が多いつる家、金沢のつる幸、奈良のつる由、鹿児島鶴家)のお店が多いため?イメージが高級感ある「鶴の家西店 銀座 1964年」写真の同名割烹「鶴の家 日本橋 (ブログ上では料亭として100年前からこの地に移って40年とあります)」「割烹つるや 麻布十番」
『大東京うまいもの食べある記1933年』に乗っている「つる家 日本橋」はお座敷洋食店。和食「つるや 木挽町 1925年」「つるや 新橋 1938-2007年」は戦前は合鴨焼き鳥から始めた人気の焼き鳥店。麺類のお店も多く、浅草には蕎麦屋「つるや 浅草 開店年不明(ブログにに100年越え、明治開店とあります)」が観光客ではなく。地元民御用達のお店。同種「つる屋本店 西荻窪 1948年頃」
つるや(浅草)
震災後東京の料理屋が大打撃を受けたため、関西から相当数の流入がありました。反対に逃れていく店もありました。
「つるや 浜松市 1921年」の創業者縣鶴次は最初当代一最高峰といわれていた「浅草つるや 1917年」で修行しました。
最初両国に暖簾分けで開店、関東大震災により浜松で再開店しています。(浜名湖つるやのHPより)
今現在の東京の老舗として鰻屋「つるや 浅草 1931年」は震災後の開店です。他に「つるや 鎌倉市 1929年」は川端康成も通った鰻店。鰻屋で鶴が付くのは千葉県の「鶴長 船橋 1867年」。
鮨屋は少なく「鶴すし 巣鴨 1934年」オーナーの居酒屋店の名から付けた再掲の有名店「鶴八 神保町 1959年」。
つるかめ食堂(新宿区歌舞伎町)
謡曲、能の『鶴亀』の舞、唐の時代に皇帝も舞ったといわれるめでたい鶴亀の舞。歌舞伎などでもセリフでも鶴亀の千年万年が繰り返し出できて、ふたつ並べての世界観が出来上がっています。祝い事には必ず、つるとかめペアの絵、飾り、衣装、文字が登場しています。鶴は千年亀は万年に、鶴のつがいが生涯連れ添う伝説が夫婦のきずなを願うことも付け加えられています。
鶴亀は小さな居酒屋、食堂が多いようなので、由来がはっきりわかる情報は得られませんが、皇帝から人から下の庶民のひとまで鶴亀の長寿、健康で長生きを望むのはかわりありません。
嫌なことを消し去るつるかめ、つるかめの呪文や正月や棟上げ式の破魔矢の鶴亀セットの模様など日常でも現れます。
ちなみに大元の中国では亀鶴となるそうです。全国で食べログで20店そこそこです。
『東京商工名鑑 1929』には「亀鶴庵 浅草 1914年」がありました。今の東京は鮨屋「亀鶴寿司 駒沢 1965年」が古そう。ほか日本料理「亀鶴 人形町 1969年頃」「亀鶴庵 茅場町 2010年」読みはキカクとなり音では少し残念な感じ。br />
神奈川横浜市の「ツルカメ 2012年」はワイン食堂という新しい業態ですが、店主の独りよがりなイタリア風より、地元に末永く愛される食堂でありたいと願いこの店名にしたということです。
写真は「つるかめ食堂 歌舞伎町 1956年」、駅ガード横にも親類の同名店があります。祖父の実家の愛知県の鶴亀酒蔵から名付けていました。
この「つるかめ食堂」の屋号について『ダンチュー 2016.9月号』のエッセイで平松洋子氏がお客側の感じ方として『絶大な訴求力、食べ終わって出で来る時の幸福感をあらかじめ約束してしまうどえらい屋号、日本では最強の店名』と絶賛していました。
鶴・亀さまざま(写真は目黒区東山トラットリアタルトゥーカ ) ーⓢ追 加(2020.7.14)
絵画、インテリア、衣装にありとあらゆる場で見かけますから、他の字との組み合わせは多数。外国で多いのは見かけることが多い断然亀です。最近リバイバルした亀忍者の『タートルズ』イソップ童話『うさぎとかめ』同じイソップの『つるときつね』はありますが、知名度はありません。鶴は、特に丹頂鶴は天然記念物。清酒銘柄になっています。お酒の銘柄は圧倒的に鶴の勝利。
音だけなら、つるはもう単純に麺類のつるつるからの店名が多いです。全国チェーン店大阪発「つるとんたん 宗右衛門町店1号 1989年 六本木店2005年」HPからトントンと打ってたんたんと切ってうどんをつるつると。同じく「つるつる坊主 六本木 2009年」「つるまる饂飩」「めん房つるつる」冷麺の「つるしこ 渋谷 2017年」など
ラーメン店も、博多ラーメン「つる 後楽園 2012年」「つるん 中延 2013年」
新しいタイプの店2店はローマ字表記で苗字の一字亀を入れたフレンチ割烹「kamenote(亀の手?) 八丁堀 2020年」、地名を入れた郷土料理バル「kamenohe(カメノヘー八戸市の食材、亀戸の戸の漢字を"ヘ"と読む) 亀戸 2018年」(2020.7.14)
亀はめでたい吉祥の亀甲模様が知られていますが。店名は少ないです。大手の食品メーカーキッコーマンの影響?でしょうか。「亀甲萬」は千葉県香取神社のその山号亀甲山と萬年の組み合わせです。
洋系は雑誌情報としては亀に軍配があがります。英語のタートルは食べログに3店ほどあります。イタリアンは「ラ・タルタルーガ 芝 1996年」「 トラットリアタルトゥーカ 目黒区東山 2001年」はシエナの方言の亀、亀のように一歩一歩ゆっくりとやろうだそうです、
茅ヶ崎から移転の「タルタルーガ 大門 2011年」も永くお客と付き合いたいから。「タルタルーガ」が全国的にイタリアンだけでなく一番多く付いています。
ほかに「La Tartarughina(タルタルギーナ) 神楽坂 2014年」はブログで小さな亀の意味だそうです。 そして以前にアップしたシェフの名前の一字亀をとって「トラットリアタルタルゴーナ 西麻布 2012年」フレンチ「ラトルチュ 広尾 2011年」は海亀、料理で海亀のスープがありますね。
でも鶴は少数派。ネットで鶴の英語の「カフェ・ド・クレイン 亀有 2012年」、オーナー鶴見シェフの姓の一字を取り「La petite grue(ラ・プティット・グリュ) 春日 2013年」は仏語小さい鶴の意味。古いのは写真の「カフェクレイン 恵比寿 開店年不明」ブログ記事では昭和中頃とか。
参考資料
◎世界宗教大事典 平凡社 1991
◎日本民俗大辞典 上・下 吉川弘文館 2000
◎亀 (人とものの文化史) 法政大学出版会
◎世界シンボル大事典 大修館書店 1996
◎図説世界シンボル事典 八阪書房 2000
◎日本古典博物事典 動物篇 小林祥次郎 勉誠出版 2009
◎京の和菓子(中公新書) 辻ミチ子 中央公論新社 2005
◎動物信仰事典 芦田正次郎 北辰社 1999
◎日本史小百科動物 近藤出版社 1979
◎日本史のなかの動物事典 東京堂出版
十二支の動物 《No.2 動物》
・追加2020.12.14
十二支は中国の紀元前の殷の王国より使われる歴史ある年号。十干十二支として、組み合わせで60年で人巡りして、元にもどります。
皇帝や大臣、えらい方の文書に良く出てくる年号です。本来は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の字です。
一般庶民は解りやすい鼠(ネズミ)・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・猪と、十二支に動物を結び付けています。
日本にも古墳時代より渡来し、時間も方角もこの十二支に当てはめて、呼ばれ言いました。
今でも安産の帯を戌の日に絞めるとか、怖い丑の刻参りとか、土用の丑の日、恵方巻を食べる方向とか、亥の子餅など時々出できます。
店名仲間
虎・龍・兎・駒・鶏・猿・犬・牛・タイガー・ドラゴン・ラビット・ラパン
鶏や牛は食材として、多量にありますので、別格です。男女共に名前に付けられてきたのは強さの象徴、龍虎。共に日本にはいませんが、隣国からの文書や絵画上の情報から
全く、店名の世界では登場が少ないのは蛇とネズミ(アニメのキャラクターは別)。
虎屋(京都)
龍虎は江戸より名前によく選ばれています。女性も明治大正まではトラ タツ、タツコの名前がありました。こどもに強くたくましくは昔も現在も同じ想い、願です。
店名は名前、生年の十二支で付くことが多く、虎、寅両方が使われています。
どこも敵わない歴史長いのが和菓子屋「虎屋 赤坂 京都にて1592年、1869東京へ」。室町時代から、実際はもっと古く奈良時代ともいわれています。店名も変わらずずっと同じ。虎屋の由来は不明となってますが、17代店主が毘沙門天を守護神として、その遣いが虎であったからというひとつの説があります。
寅さん映画の舞台の柴又の「とらや 柴又 1887年」は最初の店名「柴又屋」でした。
とら・゜虎・寅に人気で鰻屋「竹虎 下谷区 東京案内増補1881年掲載」「寿司寅 麹町区富士見町 欺されない東京案内1922年掲載」炭火焼「銀虎 上目黒 1992年」
際コーワポレーションは代表が虎好きなのか、「紅虎」から「虎萬元」「豆寅」「タイガー軒」と多い方ですね。
ちょもらんま等から業態変更の「タイガー餃子会館 2014年~」は7店舗あります。
タイガーは大正時代のカフエ「カフェライオン」と関西からやってきた「カフエタイガー」が銀座で競い合ってました。
虎には関西の野球チーム、タイガーズファンという理由もあります。もちろん、居酒屋の店名の酔っぱらいのトラも。
銀座の「タイガー食堂 1964年」まぎれもなく、創業者が寅年だからでした。割烹「とらたつま 石神井公園(最初荒木町、2011年から) 1993年」は娘さん生まれ年からの店名。
今人気のクラフトビアバー、弐号店もある「うしとら壱号 下北沢 2006年」は二人の店主のそれぞれの生まれ年、丑年、寅年を並べています。
洋系のカフェ「カフェトラ(Cafe Tora )奥沢 2012年」もオーナーが寅年生まれ
中華料理店が白虎という四神の一つなので、寅の字より虎が多数。英語のタイガーも際コーポレーション関連を除いても多いです。中国読みのお店も増えました。「虎穴(フーシュエ) 東日本橋 2009年」「虎(フウ) 門前仲町」
他にチェーン店で店数多いのは「 北青山 2000年(1号店)」。HPではお母さんの寅の名前からと、口癖で『ご飯は幸福の元』で「寅福」
ラーメン店も多く「麺虎屋 中野 2010年」「虎家 大岡山 2011年」「麺やとら 池袋 2012年」「麺虎 下赤塚 2012年」いろいろ組み合わせの2字店名は山ほど見つけられます。「天虎 武蔵小山 1994年」、以前写真もアップ(『強~い<』)の「竹虎 新宿 2009年」「厳虎 秋葉原 2010年」「幸虎 南大井 2013年」など。「竹虎」はHPに『他と違うインパクト、力強さを感じる名前』として選んだとありました
。
アジア中心の虎なので、英語以外の多くない洋系、「ビストロティガ 六本木 1998年」は際コーポレーション、写真の「Tigre(ティグレ) 広尾 2008年」
十二支の動物の中で虎が一番使いやすいようですね。発音も明確、コの当て字にも使い勝手が良いよう。開店したばかり中華「虎峰(コホウ) 六本木 2016年」。虎が才気あふれる若者、才気がまだなくとも才を養い峰(おそらく頂点)をめざそうの想い。既に名の知られた料理人が新たに頑張る気持ちが溢れる店名。
龍寿司(築地)
虎と龍も当たり前の如く、中華が多いのですが、龍の方が架空の動物なのでより神秘性が強いイメージ。
西洋では悪魔の手先、退治される側にいますが、東洋では雨神、雷神の化身。中国では青龍として東の守り神、皇帝の印で、四神の中心に位置する長が黄龍、黄金の色と勘違いしてしまいましたが、黄色は黄河を含めた中国の大地の色の龍。
中国料理にはあまりに多いので、和食の分野で見ていくと、牛肉料理の「臥龍軒 浅草 1916年」「涛龍 烏森」臥龍は現代でも「鮨臥龍 四谷三丁目 2011年」ステーキ「臥龍 神田 2000年」有名シエフ脇屋氏の「トゥーランドット臥龍居 赤坂2011」と人気。文字通りの意味は横たわる龍ですが、中国では街場の隠れた優れた人物、英雄、具体的には三国志の諸葛孔明のことです。
寺の本堂の天上図として雲竜図をよくみます。雲が龍を呼び、天に昇り、恵みの雨をもたらす吉祥の印。こちらからは「龍雲庵 新宿 1993年」「龍吟(龍吟雲起から) 西麻布 2003年」。既に閉店したようですが、ダイニング隆盛の時雑誌に載っていた創作和食系「龍膳 恵比寿 2001年」
和食系は「龍吟」が中華か!!と書かれるようにイメージがあり付けにくいのですが、寺名の「金龍(浅草寺の正式名、金龍山浅草寺)」地名系で。そのままの「金龍山浅草餅本舗 1675年」や喫茶店「金龍 浅草」「金龍茶屋 浅草」。
「赤坂金龍 赤坂 1928年」は料亭からリニューアルして和食店して続いていますが、由来はわかりません。
人気の歴史人物名の「龍馬」が頑張っています。
鮨屋も少なく有名な「龍寿司 築地 1959年頃」初代が鬼の龍の異名で呼ばれていたと書かれています。名前なのかどうかわかりませかん。ほか1975年のガイドには「ステーキハウス竜 六本木」がありました。
龍公亭(神楽坂)
龍の多い中国料理、ラーメン店、龍の種類系「紅龍」「青龍」「黒龍」「金龍」龍の居る場所のイメージの「龍園 自由が丘 1972年」「龍門 大田区西糀谷 1964年」「龍坊」「龍膳」「龍天門」賀字の「登龍」「大龍」「福龍」「昇龍」今風の「遊龍(ユーロン現在はメゾン・ド・ユーロン) 赤坂 1995年」「龍(ロン) 中目黒 1997年」
個々では「あやめ壽司」から業種を変えた「龍公亭 神楽坂 1899年」。関東大震災後(1921年、大正10年から)一階鮨屋、二階を中華料理てして、始めました。戦後からは広東中華専門になりました。(HPしんじゅくくノートから)
「龍(リュウ)の子 原宿 1977年」四川料理の祖陳建民氏と中国料理の鬼才岡野国勝氏に師事した(お店のHP)オーナーシェフ安川哲二氏。
別の方のHPに付く「川菜」が四川料理の中国語で正統四川料理を『正宗川味』ということもあり、「龍の子」の意味は正統四川料理の継承者の意味なのでしょうね。同名の修行した方の店が数件あります。
もう一つの辰は方角の辰巳として出で来ることが多いです。
うさぎカフェ (上野)
龍虎と反対で獲物になる弱い動物ですが、素早く逃げ足がはやいので、ちょっと悪役の役回りです、イソップの兎と亀、かちかち山、因幡の白うさぎ、。日本でも人気のあかちゃん絵本『ミッフィー』
西洋では多産、尻尾が幸運のお守りになっていたりします。
日本は多いのは兎年生まれ。どら焼きの老舗「 兎屋 上野 1913年、ほか2店日本橋、阿佐ヶ谷」は兎年生まれの創業者から。最近、その裏に「うさぎカフェ 上野 2016年」ができました。「うさぎ屋(最初1988年は兎屋) 吉祥寺 1996年」「うさぎや 新橋 1951年」も兎年生まれの創業者の兎年生まれ(開店)のうどん屋。
鮨屋で動物は珍しいのですが、大正6年の番付に「兎鮨 下谷区金杉」がありました。
銀座に「兎屋 2010年頃閉店」といううどん屋がありましたが、既になく小川町に「銀座兎屋」の看板のうどん屋があるそうです。
チェーン店「なか卯 大阪府茨木市 1号店1969年」、丼とうどんの店。なかは創業者の一字、そして卯はうどん屋のうから。卯の漢字が観音様の厨子のような形で、縁起良く、またウサギがぴょんぴょんはねるように会社も大きく飛躍し、繁盛するようにとの選択(なか卯のHPより)。同様の由来で「蕎麦処うさぎや 日本橋浜町 2013年」、火災を避ける獣神であることもあります。
レストラン、カフェ、家庭料理、居酒屋、ダイニングバーと幅広く、カワイイ兎のマスコットきゃらをつけている店もおおいですね。
2000年以降グッと増えたのはペットの兎が増えたためでしょうかね。ほか割烹「うさぎ 根津 1970年頃」「うさぎや 経堂 1994年」「うさぎ 代官山 1996年」居酒屋「うさぎ 白金台 1997年」和食「うさぎ 代官山 2004年」「珈琲屋うさぎ 田原町」写真は「兎屋 笹塚 1996年」テレビにも出たこともある日本酒居酒屋、ウサギの店名の東京どら焼き店の次の次に人気店
洋系はローマ字のUSAGIもあり、女性向傾向が強いよう。ダイニング「卯 USAGI 駒場東大前 2001年、既に閉店」カフェ「USAGIYA 代々木八幡 2012年」「USAGI 幡ヶ谷 2015年」「洋食かつ兎USAGI 門前仲町 2015年」。ラーメン屋もあります。「うさぎ 神泉 2007年」「兎屋 人形町 2017年」
兎は月とのペアが多い動物。「卯月」「月うさぎ」「月とうさぎ」「兎月」「月の兎」「銀兎 池袋 2002年」月のイメージからか、バーも多いです。
ピーター・ラビット(自由が丘)
写真は2015年にオープンした「ピーターラビットガーデンカフェ 自由が丘」正面にピーターがニンジンをかじって、お出迎えしています。
イギリスのビアトリクス・ポターの絵本『ピーターラビット』も人間とのいざこざ(お父さんは人間にバイとして食べられた)が描かれています。
もちろん何度か取り上げたルイス・キャロル『不思議の国のアリス』の中にも有名なチョッキを着て懐中時計を見ながら走るウサギが出てきます。
ほかに1970年代出版リチャード・アダムスの『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』もイギリス発。
イギリス人は兎に特別の感情がと思ったら、いろいろ見ると違うようです。食べる為ではなく、娯楽の狐狩りに夢中になりすぎて、天敵の少なくなって兎が大量増殖。日常的にどこでも出会う動物となり、関わりが増えたためのようです。
「うさぎ 渋谷(最初代官山) 1999年」、ダイニングバーのこの店はイギリス好きのオーナーの内装がイギリス風で、店名もうさぎに。
子供たちに愛される絵本の「うさこちゃん」オランダのディック・ブルーナの絵本で『ミッフィー』は著作権の関係で0。
ラパン(浅草)
上野から浅草にかけて食べログを検索すると、意外と多くの兎店名が出てきます。
うさぎの洋系は上の項目の英語のラビットのほかに仏語、ラパン、野うさぎは別の語リェーヴル。
アメリカのアニメ、バッグス・バーニーのバーニー(元の意味は兎の尻尾)はうさちゃんと訳され、アニメより今は男性雑誌プレイボーイのバーニーガールが有名。食べ物屋には流石にすくないです。
ヴァレンタインやハローウィンの三匹目のドジョウを狙っている西洋の復活祭のイースターバーニーが流行れば別でしょうが・・・。
「ラパン・アジル」はフランスのモンマルトルの有名なシャンソン酒場。壁に画家が描いた兎の絵からの名前とか。同名のレストラン「ラパンアジル 吉祥寺 1998年」、「オーラパンアジル 六本木」。
東京西側をざっと拾うと、「ラパン 四谷 1979年」喫茶店「ラパン 板橋区成増 2013年」「カフェクロミミラパン(Cafe Kuromimi Lapin) 白金台 2013年」「ラパン 町屋」西洋料理「ビストロラパンドール 品川 2007年」「ラパン 浅草橋」「カフェ・ラパン 上野 1991年」「カフェラパン 墨田区墨田」
最後は新しい写真の「びすとろラパン 浅草 2015年」。老舗の洋食屋「ヨシカミ」と並んでいます。
上野や浅草周辺の兎さんたちは下町の鎮守『神田明神』の大国主命の因幡の白兎、おねがい兎守も支えているのでしょう。
ほかに数は少ないですが伊語「レプロット(LEPROTTO、ペットに兎を飼っているそうです) 経堂 2004年」野ウサギのレストラン「リェーベル 浅草 1995-2013年」「カフェドゥリエーベル 吉祥寺 2006年」など。
馬(写真は三田駒八)
日本では牛馬鶏は家畜ですので、あまり名前も見つけられません。馬でも白馬は特別の馬で、アオウマとも呼ばれ神馬として、神社に奉納されていました。次第に本物の馬から絵馬へと変わっています。
人気のあるのが龍馬、本来の意味は優れた馬、駿馬の事を言い、唐時代から龍の血統の馬として、文献から知られています。日本では幕末の英雄坂本龍馬の名前から、チェーン店などは高知の食材の居酒屋が多いです。
明治時代後半から人気が出てきて、司馬遼太郎の小説『龍馬がゆく』とそれを元にしたNHKの大河ドラマ。1968年『竜馬がゆく』と2010年『龍馬伝』でさらに倍加しました。一店だけ挙げてみました、しやぶしゃぶ「龍馬 赤坂 2010年」
仔馬、若い元気な馬を駒と呼びますが、こちらが多く、たんさんの地名、店名には好かれているようです。
「生駒軒 人形町 1919年」は都内に多い暖簾分け中華店、奈良県の生駒山が古い記紀に出てくるのですが・・・
少しわかりにくいフレンチ「ラ・ターブル・コンマ 駒沢 1988年、2015年大崎移転」駒沢の地名に由来。
鳥駒、とん駒、麺駒、駒安 豊駒 駒忠 いかにも居酒屋を感じる店名達。写真は田町周辺にグループ店が多い居酒屋「駒八 三田 1975年、最初高円寺移転1980年」
駒一字で鮨駒、串駒、鳥駒、麺駒とする店名もありますが、人気は春駒です。日本人大好きな春と仔馬、駒の組み合わせ、春とともに喜び跳ね回る仔馬のイメージは春を迎える心の高ぶりを表しています。
写真の真新しい鮨店「はる駒 神保町 2018年」は長年勤めた店「鶴八」から出で一からの出発、春ではなく平仮名はるはより広い意味、気を張る想いも、ブログでき獅子文六の短編小説の中に出てくる店名とか
馬肉が見直され『肉料理のさまざまなカタチ』コラム桜の項目内の『さくら屋(新橋)』で取り上げたように今増えているのは食材系の馬の店名です。串揚げと馬肉の居酒屋「串駒 大塚 1980年」阪神タイガーズファンの馬肉居酒屋「虎うま 渋谷 2014年」馬の漢字を使ったダジャレ系多数「馬鉄」「三馬力」「馬かばい 有楽町 2010年」「じゃじゃ馬」「酔つ馬(ヨツバ)」、英語のホースも付いています。競馬の関連語も「ダークホース」や「かち馬」。イタリアン「Barcaro Ferro(バーカロフェッロー馬鉄、イタリアでは幸運を呼ぶ)久我山 2011年」乗馬するのラテン語から「エクイート 元麻布 2012年」
神保町イル・カバロビアンコ
ウイスキーの銘柄で有名なホワイトホースがあります。スコットランド旅籠「白馬亭」から名付け。これから付けた「ホワイトホースセラー 四谷 1959年、既に閉店」もありました。
イタリアン「イル・カヴァロ 五反田 1998年」有名なビルで馬のモニュメントが展示してあります。
「カヴァカヴァロ 神宮前 2009年」はシェフの姓、相馬を伊語に訳したもの。
そしてお馴染白馬の意味の「IL CAVALLO BIANCO(イル カバロビアンコ) 北青山 1997年」写真の「イル カバロビアンコ 神保町 2010年(清瀬市で1999-2008年まで営業、閉店)」スペイン語で無国籍料理店「CABALLO(キャバーロ) 渋谷 1992年」
フレンチのフランス語の白馬の意味の「 オーシュヴァルブラン 六本木 1978年?」。本場で学んだシェフの活躍の1980年代の有名シェフのレストラン、シェフが就任したのが1977年。ただ唯一由来が載っているムック本には仏文学者山本直文先生が命名したことと、命名に深い意味はなく午年に開店したことのみとあり、1978年は午年になっていました。此の名では有名なフランスのサンテミリオンのワインの銘柄でもありますが・・・。
代官山でも同名のフレンチ「オーシュヴァルブラン 1997年」がありましたが、六本木と代官山の両店、既に閉店。
他に地名からの「ル・シュヴァール 高田馬場 2003年」カフェ「Cheval Cafe(d(シュヴァルカフェ) 西馬込 2017年」。
フレンチで今は東京にはフランス語では「シュヴァル・ド・ヒョウタン 池袋 2012年」(『ひょうたんに掲載』)、冗談から駒でなくて、『瓢箪から駒』くらい。
神話上の羽の生えた馬、ペガサスは食べログ上では喫茶店をみつけることができます。古いのは「ペガサス 浅草 1956年」日本語の「天馬 船橋市(天馬咖喱) 2013年1号店、2016年北沢に東京1号店」はビジネス系カレーとカレーパンのお店に。新しいの珍しく一店「 PEGASO(リストランテ ペガソ) 南青山 2013年」イタリアン、ペガサスは飛躍、知恵、アイデアの象徴。シェフを含めた全員の知識と経験の融合を昇華してお客をもてなす(お店のHPより)
左馬(立川ひだりうまでん助)
縁起物、熊手や七福神の飾り物の中に将棋に馬の漢字が左右逆に書かれたものもあります。
ネットで見ると将棋駒の産地天童市の縁起の良い飾り将棋だそうです。ご利益はいろいろあって、
「左うま 銀座 2019年」姓名の馬の一字をいれていますね。左馬(ひだりうま) 馬の字が逆に書いてあるところから「うま」の逆は「まう(舞)」であり、 古来、舞はめでたい席で催されることから、縁起が良いとされています。
口が良く締まって、 入った金が散逸しないことから、 また、左馬という字の下の部分が財布のきんちゃくの形をしており、 富のシンボルとしての意味があります。
馬は人が引くものですが、左馬は反対に馬が人を引くので客を招く千客万来、商売繁盛。
左から馬に乗ると馬が倒れない、人生に躓かないとされている。写真は「左馬でん助 立川 2013年」は馬は馬肉も出すので食材も含む店名。もしかすると馬券売り場の近くなので運を招く意味もあるのかも。食材系は「桜ダイニング左馬 目黒 2009年」「左馬 六本木」も。他「ひだり馬 曙橋 2014年」は豚・ハム料理店
ひつじや(代々木)
上の馬もそうですが、食材として牛と鶏、比較的新しいの羊は店名増加中多数。十二支からはまったく感じられません。
最近の肉ブームとともに羊も見直され、羊とつくのはほとんどジンギスカン店(『ジンギスカン鍋』にアップ)です。
西洋では占星術のトップを牡羊座が務めていて、羊は文化的な必要動物(ストレイシープ、迷える子羊)ですが、日本は毛糸の原料としての位置つけでした。
江戸時代に江戸の博学者平賀源内も糸を採るため飼っていたそうです。
洋系はシープ、ムートン(「オーベルジュ・ド・デュ・ムートン・ブラン 市ヶ谷 1986年」)、ペコラ(「トラットリア ペコラ 青山 2001年」)は少なく、肉名子羊肉ラム、マトンはほとんどジンギスカン料理店が、多いです。
1980年代のガイドには「羊舎 南青山 既に閉店」カレー店がありました。
今は「カレーのひつじや」というインド系のカレー屋さんが出てきています。「ひつじや 代々木 1988年」という羊料理専門のアフリカ地中海料理店の」支店多数になっています。
新しいのは肉の呼び名ラムと香料のパクチーとの組み合わせる「パクチーバーラムチョッパ 学芸大学 2015年」「ラム&パクチーサラダデイズ 三軒茶屋 2014年」皆再掲ですが、炭火焼の「ラムミートテンダー 神保町 2015年」同じ系列ラムと鴨の「ラムダック 神楽坂 2016年」。中華では「喜羊門 湯島 2015年」羊と兎の丸焼きが専門中国料理店。写真も再掲の新しい「仔羊こだわり屋 麻布十番 2018年」お店は2階、羊の絵とLAMBの看板が目立ちます。
利用者から馬肉料理なのになぜ「らむ 熊本市 1959年」という店もあります。
ラムは西洋では高級肉なので、こういう店名なのかも。
星座占いの牡羊座・牡牛座は店名には極数店でした。牡牛座はメソポタミア文明から知られていて、ギリシア神話に登場する牡羊・牡牛は西洋文化には欠かせない動物です。
猪・いのしし(ももんじやの猪)
食材豚のご先祖、猪は猪突猛進、勇猛果敢な力を持つ山の神の化身です。西洋では女神の乗り物になっていることが多いようです。京都の護王神社、愛宕神社の使いで、皆奈良時代に活躍した和気清麻呂を祭っています。臨済宗建仁寺の摩利支天も猪に座しています。摩利支天も女神。武士にとっては護身と勝利の女神だそうで、西洋では戦いの神アレス、マルスの持ち物、剛勇な姿からでしょうね。
また、江戸時代薬喰いと珍称された猪別称ぼたん鍋として、今も食されてはいます。山鯨の別称も持ち、前にアップの両国「ももんじや」にはでかい猪の飾りが入口に目立っています。
店名には多くなく、西遊記の猪八戒の名前「猪八戒 千駄ヶ谷 1997年」、シビエエ流行店名「猪鹿鳥 高円寺 2010年」「猪八戒NEO 立石 2012年」「猪鹿酉(イノシカチョウ) 自由が丘 2018年」くらい。
キャラクターとして使われるのは子供の猪の瓜坊、背中の瓜に似た模様がかわいいので店名のロゴによく出ています。
亥の子餅はこの模様を付けた餅で、宮廷行事、江戸幕府で家臣に下賜していました。
ビストロ「Marcassin(マルカッサン) 銀座 2007-2011年」マダムの干支猪のフランス語
写真は同名「ル・マルカッサン 護国寺 2007年」
「 チニャーレエノチカ 学芸大学 2011年、神泉に移転」伊語いのしし 猪のように突っ走ってきたことから。
京都に最近オープンしたどら焼き専門店「亥ノメ 京都市 2018年」は若い方らしく店主の生年干支、亥と奥様の干支、羊の鳴き声メエ<を組み合わせています。
ちんや(浅草)
犬はペットとして大昔から、人間の友人なので、そこに特別な価値や思いは古今東西ないようです。
言葉も犬死、負け犬、犬畜生とかののしるものが多いです。西洋では猫も同じですが、黒い犬は悪魔の化身とか。ギリシア神話では地獄の番人は三つ頭の犬ケロベロスです。
愛犬の名前を店名にすること(有名なのはフェラン・アドリアの世界最高峰レストラン「エルブジ」)はあります。日本でもイタリアン「イル・ジョット 駒沢 2002年」カフェ「ラ・カピ 北品川 2005年」「CAFÉ cane nero(カフェカーネネーロ) 人形町 2009年」「カフェショコラパン 五反田 2015年」フレンチ「モンブスケ 渋谷区東三 2006年」など。
店名から犬をイメージするのは極わずかです。一店ペットの犬種名「Tearoom Beagle(ティールームビーグル) 代々木 2000年」はドッグカフェ。ビーグルは小さいという意味もあるそうで小さいお店に似合うのでつけたそうです。
現在は数店の高級ブーランジュリーのオーナーの最初のフレンチ「Cam Chien Grippe(カム・シャン・グリッペ) 青山 1995ー2004年」直訳で『夢見る気まぐれな犬』
老舗はすき焼き「ちんや 浅草 1880年」元の商売が犬の狆を扱っていたから。
ブルドック(大井町)
1907年三沢商店がソースを製造しますが、これが後のブルドッグソース。1926年にブルドッグソース食品になります。ブルドックはソースの発祥地のイギリスのシンボル犬、またその頃ペットとして人気があったので同様に皆にあいされるようにとブルドッグソースになりました(HPより)
洋食屋をイメージするブルドック、「洋食ブルドック」として戸越銀座(1975-2013年閉店))「グリルブルドック 有楽町 既に閉店」
現在現役なのは「ブルドッグ 大井町 1950年」「キッチンぶるどっく 森下 1972年」でしょうか。「ブルドッグ 新江古田」も喫茶店ですが、メニューは洋食系。
ネットで見つけたのは福島県福島市にはブルブルという店名に由来するメニューを出していた「レストランブルドッグ 既に閉店」。
近年大流行の犬とともに過ごすことができるドッグカフェは増えています。後はメニューがホットドッグ中心の「ドッグ」の店名もあります。
猿カフェ(名古屋市) ーⓢ(追 加2020.7.24)
昔の店名には猿屋がみつかります。日吉神社、日枝神社、山王神社の神様お使いとしいの役割を担っています。
『神猿(マサル)』のお守りも魔除け、摩去るや勝るに通じているそうです。
陰陽師が街場で行う猿回しの曲芸も昔からありました。
猿の繁殖力、子育ての姿、時々テレビで写される猿山のボス争いなど人間が参考にいる事が多ようです。
東京は食べ物屋に関連する楊枝、黒文字楊枝の老舗「さるや 日本橋 1704年」が有名ですね。江戸時代はこの一店だけでなく、猿の看板の店は多かったそうです。(ネット『江戸美学研究会江戸の商標』)由来は猿の歯の白さ、猿を肩先に載せて楊枝を削って売っていたとのふたつ。
苗字から18店舗ある名古屋発の「猿カフェ(苗字猿渡) 1号店2004年」、東京へは2013年に「猿カフェ 新宿 2013年、町田店あり」や「SARU(サル、苗字猿田) 広尾(代々木上原、学芸大学店ほかもあり) 2012年」があります。
京都に最近オープン「さるや 京都 2015年」「サルーコーヒー 京都 2016年」。「さるや」はかつて葵祭の申の日に作られていた申餅を140年ぶりに復活した下鴨神社内の茶店風。「サルーコーヒー」は絵本の『おさるのジョージー』とやあという仏語のサリューのふたつから。
写真の壁に猿が居る和食の「金の猿 吉祥寺 1997年」、お釈迦様が悟りを開く前金の猿に化身した逸話をもとに。インド・東南アジア料理のヒンズー教の金の猿神「ハヌマン 大田区東雪谷(他に6店あり) 2011年」
英語のモンキーは意外に少なく、代官山猿楽町と開店年申年から「Monkey Cafe(モンキーカフェ) 代官山 2014年」よく知られている日本的な三猿の英語、スリーモンキーもチェーン店があるのみ。
猿の種類から「cafe MURIWUI(カフェムリウイ) 祖師ヶ谷大蔵 2002年」は南米アマゾン生育、ムリウイらしく、つまり人間らしくの意味。ほかにチンパンジー、ゴリラも。
辰巳(茅場町)ー2017.2.12追加
龍と蛇、人気の龍、辰と不人気の蛇、辰巳は東西南北の方向の巽、東南の方向。
商売に縁起の良い方角とされ、太陽の昇る東のエネルギー、差し込む南のエネルギーを持つ最高の吉方向。
反対方向は不吉な丑寅の北東の方向鬼門。江戸時代、江戸城から南東の地深川当りが地名にあり、辰巳芸者としてキップの良い男勝りの粋な女性が名を残しています。
写真の店、深川辰巳の出身の祖母の故郷から「辰巳 茅場町 1951年」と店名になっています。
同様に京都の「辰巳 宇治 1840年」も京都御所の巽の方向にあるのでこの店名。
日本食のほとんどを網羅、古手は鰻屋「たつみや 神楽坂 1948年」「鮨辰巳 白山 HPには50余年とあり」食べログ人気の鮨屋「鮨辰巳 新橋 2001年」、うどん蕎麦の「辰巳庵」も多数、食べログでは「辰巳庵 練馬区貫井 1955年」が古い(長野県上田市にも「辰巳庵 1955年」)
タツミ(中目黒)ー2017.2.12追加
替え字も多く、「多津美 浅草 昭和初」のとんかつ屋さん。人気の肉食系フレンチ「タツミ 中目黒 2011年」はお父さんの屋号を継いだ店名。他「たつ味」「達味」「辰三」「龍美」
際コーポレーションが60余年建物を引き継いだ「東南屋(たつみや) 浅草 2006年」なんでもありの鍋物屋です。浅草寺の南東方向にあるからだそうです。
ネットで上位の「たつみ寿司 福岡市 1980年」。魚嫌いにも食べてもらいたい願からの創作鮨が評判の鮨屋さん。
HP上の動画で社長が継いでくれと言われた長浜の「巽寿司」の店名を自分の辰年生まれ、奥様の名前のひろみさんから考え、平仮名にしたといっています。
雄鶏・雌鶏ー追加2020.12.14 ⓢー(追加2021.1.29)
過去何度も取り上げている鶏(ラッキーアイテムの『外国製』ほか)、此処でまとめてみます。
十二支10番目の酉、鶏を当てています。日本語ではほとんど材料と料理名、焼き鳥、鳥鍋、ローストチキンになってしまいますが、英語やラテン系の言葉では別の意味があります。
西洋では鶏は神聖な太陽の鳥と扱われ、夜明けを告げるだけでなく、悪魔を追い払う力の持ち主です。
雄鶏はローマ神話の軍神アレスの持物。一番有名なのはイタリア産ワインのキャンティクラシコのロゴマーク(右の写真)の黒い雄鶏。雌鶏は童話のように金の卵を産む雌鶏、庇護するイメージ。
フランスでは鶏は国鳥となっています。カエサルの著書にある勇猛果敢なガリア人がフランス人の祖先ですが、ガリア人と雄鶏の名はラテン語では同名の『gallus』
マプール(東大前)
雄鶏と雌鶏は別名を各々あります。英語ではコックとハン。もちろんコックがほとんどですが・・・。
コックが最初に付くのは何度も上げた「コックドール(金鶏) 銀座 1965年」「コックドール 小川町 ガイド本1975年掲載」、孔雀の意味のスーパーが有名な洋食「ピーコック」日本橋 1953年ガイド本掲載、銀座もあり」レストラン「ピーコック 武蔵小山 1975年頃」、古ーいとしかブログに載っていない「コーヒーピーコック 亀戸」のように全国的のも洋食、喫茶店に付けています。
日本では店名は雄鶏中心、フレンチ「コック・アジル(アジルは元気、すばしっこい雄鶏の意味) 銀座 1996年」、再掲(ラッキーアイテムの『外国製』)「ルコック 恵比寿 2008年」
食材の項目でアップのローストチキンの「ル・コック 六本木 1999年頃」
「Chaponfin(シャポンファン) 自由が丘 2001年」オーナー修行先店名、繊細な雄鶏 シャボンは去勢して飼育した雄鶏の意味。
雌鶏は写真のフレンチ「Ma Poule(マプール) 東大前 2017年」は私の雌鶏の意味のフランス語ですが、所業先のシェフオーナーが奥さんをそう呼んでいたので、付けたそうです。食材系ローストチキンの「プールドレ(?焼き色か、黄金色の雌鶏) 広尾 2012年」
雄鶏がひよこを引き連れた可愛いイラストのパン屋のカフェ「パパプウル 三軒茶屋 2019年」。直訳はおとうさん雌鶏、過保護パパ、親ばかの意味。
ガルロネロ(二子玉川)
ポルトガル語の店名は喫茶店「ガロ 板橋区大山」は看板に神の加護と奇跡と幸福を呼ぶにわとりの置物の『GALO DE BARCELOS』が居ます。イタリアン「GALLO NERO(ガルロネロ) 二子玉川 1992年(写真)」「T.G. HEARTH(ティジーハース) 恵比寿 2017年」Tはタベルナ、Gはガロ雄鶏、鶏、ハースは囲炉裏
雌鶏は「la gallina(ラ・ガッリーナ) 荻窪 2010年」
英語のチキン(若鶏、ひな鶏の意味)は鶏と同じくほとんど食材系で、アメリカファスト系、韓国朝鮮、アジアンエスニック料理店も多くつけています。ビジネス系「Gallo(ガッロ) 四谷三丁目 2014年」南イタリアの雄鶏、鶏の意味で焼鳥とワインのマリアージュを売りにしたイタリアンも加味した焼鳥屋。
ひよこ(新富町)
鶏の幼児期ひよこは日本語が優位です。ピヨピヨも店名にあります。一番有名なのはもちろん九州土産から何故か東京土産になってしまったかわいい「ひよこ 八重洲1号店 1966年」
既に閉店した昭和喫茶写真の「ひよこ 新富町」。経営会社が由来を公開していないので実際は不明です。英語の意味ではひよこ、スラングでは女の子の意味の「Bistro Chick(ビストロチック) 麻布十番 2015年」。ほか居酒屋「Mr.chicken CHICKS!(ミスターチキンチックス) 北品川 2015年」
食材系ももちろん、釜焼鳥本舗「おやひなや 西新宿 2007年」
他イタリアン「pulcino(プルチーノ) 駒込 1995年」は伊語のひよこ、素朴で可愛いひよこのようにお客に愛されながら大きく育つようにと願っての命名。
東天紅(上野)
中国でも鶏は重要な位置にあり、時を告げる鳥としていろいろな逸話・熟語に登場しています。手広く広げてるのは中華「東天紅 上野 1961年」東の空が赤くなる意味の夜明けを知らせる意味の土佐地方原産の天然記念物長鳴鶏とその鳴き声、長寿と明るい未来を連想するので。
「鶏龍軒 広尾 1950年」は由来不明ですが、ネットでは中国の逸話で、昔、角ののあった鶏から角をだまし取った龍の話が載っています。
神鶏(シンケイ 大門)
食材はやまほど存在(『鳥料理いろいろ』)。皆名物は鶏料理。ちょっとかわっているところでの日本ではフランス料理のコック・オ・ヴァンが有名ですが、「LA POULE AU POT(プール・オ・ポー雌鶏の鍋煮、ポトフ 古い料理) 池袋 2005-2010年、東十条2017年再開」。
パリ一区にも同名のレストランが存在するようですね。
リスト漏れの一店、既に閉店していますが「ブラッスリー プーラルド 豊島区高田 2012-2019年」。雌鶏の意味で。料理がローストチキンとビールが売りのカジュアルフレンチ店です。
「Bar U`Jadde(バール ウギャッデ) 表参道 2015年、豊島園に2018年移転」音も馴染みなく、料理もイタリアプーリア料理、オーナーの修行先の店名で意味はもちろんプーリア地方の方言の雄鶏の意味とか。(2021.1.29)
鳴き声の「こけこっこ 西新橋 2003年」「こけぴよ 代官山 2014年」、ロティサリーチキンが名物なのでおそらく掛け合わせている思うバル「コッコロコ 門前仲町 2014年」炙りと餃子の「こけこっこ 日本橋 2016年」。幼児語の魚や鳥の呼び名ととから「とゝや 築地 1960年代」は焼き鳥丼が名物・
「GOJAMARU(ゴジャマル) 三軒茶屋 2016年」兵庫県の方言ゴジャは凄い、MARU丸鶏とGOODの意味を込めて。
10店以上展開のビジネス系焼鳥と水炊き「神鶏(シンケイ) 荻窪1号店 2014年」伊勢神宮、熱田神宮、石上神社に居る長鳴鶏。神話で天照大御神を岩戸から御出いただくのを手伝う
鶏の種類ちゃぼ、軍鶏(しやも)、闘鶏(しゃも)、雛鶏等の店名はほとんど鶏料理屋
参考資料
▼世界シンボル大事典 大修館書店 1996
▼図説世界シンボル事典 八阪書房 2000
▼日本古典博物事典 動物篇 小林祥次郎 勉誠出版 2009
▼日本文化のかたち百科 丸善 2008
▼世界宗教大事典 平凡社 1991
▼◇動物信仰事典 芦田正次郎 北辰社 1999
▼日本史小百科動物 近藤出版社 1979
▼日本史のなかの動物事典 東京堂出版
▼図説日本鳥名由来辞典 柏書房 2005
十二支の動物以外の動物 《No.3 動物》 ⓢー(追加2023.01.10)
・追加最新2020.12.14
西洋の王様の印、ライオン、国旗、紋章や彫刻に多く表現されています。
日本では獅子として知られてはいましたが、目にするのは寺や神社の護りの阿吽の唐獅子、ペアの狛犬位。
いろいろ悪さをする狐とたぬき。昔話にいろいろ登場しているので、狐付き、狐火、狐の嫁入り、とらぬ狸の皮算用、狸寝入り、狸腹、等々、言葉にも残っています。
両方とも化けるというワザを持っていると信じられていて、人間との騙しあいがいろいろな民話に残っています。
鳥類、春を告げる鶯、不如帰、燕は渡り鳥、秋の雁、白鳥、日常にいるのは雀と烏。そして昔話『桃太郎』の雉は日本の国鳥となっています。
意外と店名に多いのが虫たち、高層階マンション育ちが多い現代社会では大いなる嫌われ者。でも昔は野原に住む数えきれない虫たちが季節を教えていました。
店名仲間
ライオン タヌキ くま パンダ 猫 ふくろう つばめ カエル ミツバチ トンボ てんとう虫 ほたる
ライオン(銀座)
百獣の王ライオンは東洋にはいません、絵の中でたてがみを誇る獅子として、仏教や神社の守り神、唐獅子として知られていました。明治末の頃、店名は食べ物屋ではなく、今でいうキャパクラ、メイドカフェのような男性が女性目当てに伺う店とした「カフエライオン」のちに大阪から対抗して「カフェタイガー」が銀座で競い合っていました。
1931年にビール会社がカフエライオンを引き継ぎ、場所は移りましたが、今もビアホールとして営業中。なお、店のひさしには1899年とあり。こちらは最初のビアホール新橋際の「惠比壽ビアホール」を開店した年ですね。
店名の由来は『サッポロライオン』のHPに詳しくあります。最初のカフェー・ライオンの創業者築地静養軒の経営者が訪れたロンドンのレストラン「ライオン」とイギリスを象徴する王室の紋章に使われていたことに由来するそうです。
老舗で続いているのが「名曲喫茶ライオン 渋谷 1926年」、昭和初めから営業しています。店名はこちらもロンドンのライオンベーカリーから付けています(HPより)>
残念ながら、上のビアホールのライオンが最強すぎて、ほかの店は少数です。
ねこ膳(新宿三丁目)
虎の小型のイメージの猫、ネズミの天敵として、エジプトの古代から飼われていたペット。
兎のように神様の遣いではありません。外国ではかえって、魔女や魔法使いの遣いとして嫌われた時代もあり、日本でも化け猫として妖怪扱いもされています、
でも、江戸時代の招き猫の伝説、黒猫は商売繁盛のお守りとされ、幸運を呼ぶ伝説もあります。
どうしても女性のイメージからでしょうか、メイドカフェの猫もいるように、
古くは和・洋食の「銀猫 渋谷 1920年、四ツ谷1924年」そのまんまの「カフェネコ 原宿 1978年、すでに閉店」
マニアックな猫好きのお店が多いようで、店内やメニューに猫だらけ。以前長い名前のアップ「ねこ膳 新宿三丁目」「押上猫庫(オシアゲニャンコ) 押上 2011年」「ねんねこ家 根津」既に閉店した「ミケネコ舎(飼いネコの三毛猫グレコから) 下北沢 2005年、移転で別名に改名」「猫廼舎(ネコノヤ) 2015年 四谷三丁目」
猫が喉を鳴らす音「 ゴオーロゴオーロ 江戸川区 2014年」も隠れ猫がいるそう。HPでは陽だまりに猫が集まってくるようなカフェにしたいそうですよ。
シャノワール(赤坂)
外国からの猫の店名は「シャノワール」意味は黒猫、一番多い店名。こちらもパリに有名なキャバレー「シャノワール」があり、店名はその時人気のエドガー・アラン・ポーの小説『黒猫』から。大正時代の人気カフエ(女性が相手する)に「くろねこ」の名があります。
関東方面中心のチェーンカフェ店「シャノアール 福生 1965年1号店」があります。関係性が不明ですが大阪のドルチェが展開する「シャノワール 1995年1号店」の方が黒猫を強く押し出しています。黒猫はヨーロッパでは幸福を呼ぶとあり、HPにもお店にもキャラクターの黒猫がいます。関東のシャノアールはこの会社の「カフェベローチェ」がブランドの中心がいるので、いまひとつなのかも。
上記のようにフランス文化の文化人が集ったフランスの同名店を目指して珈琲文化を普及する想いの店名でした。精神はグループの「珈琲館」、黒猫のシンボルは同じく「カフェ・ベローチェ」に引き継いでいくとニュースではありました。
フランス文化への憧れは少し薄れ、コーヒー本体への注目度が増している世間の流れもあるのでしょう。(2023.01.10)
和食割烹の「黒ねこ 吉祥寺 1975、6年頃(東京カレンダー2016.1の記事約40年前)」HPに書かれている『旬はそっと訪れて、そっといなくなる』が猫の行動、性格に似ているからでしょうか。
マニュアック中華でもちろん黒猫が店内にいる「黒猫夜(クロネコヨル) 赤坂(六本木店、銀座店もあり) 2005年」「くろ猫café 初台 2010年」、イタリアン「ガットネロ 六本木 2007年」は黒猫が看板になっています。フレンチの飼いネコが黒猫のビストロ「シャノワール 溜池山王 2009年」、吉祥寺のカレー屋「カフェガネーシャ」が移転してのカフェ「黒猫茶房 阿佐ヶ谷 2012年」、後ろ向きの黒猫看板がお出迎え(左写真)。
ドスガトス(吉祥寺)
黒猫の例にもあるように、文学からの猫名も多いです。「シャボテ(長靴はいた猫) 銀座 1991年(『文芸』でアップ)」「シャスリオン(笑い猫ー不思議の国のアリス?) 銀座 2011年、既に閉店」
以前アップ(『文芸』)の宮澤賢治の「山猫軒」と「山猫珈琲店 明大前 1993年」ポール・ギャリコの小説には猫の小説が多く、『ジェニィ』『猫語の教科書』『トマシーナ』などで、「ギャリコ 千駄木 2011年」カート・ヴォネガットの猫のゆりかごから「キャッツ・クレイド 早稲田 2007年」
バルセロナのカフエ「クワトロガトス(四匹の猫)」からインスペイヤされてのスペイン料理店「ドスガトス(二匹の猫) 吉祥寺 1986年」。「クワトロガトス」は若い頃のピカソ達芸術家が集ったことで有名なカフェ。
他の言葉では、英語のキャット、キャットは猫カフェによくついています。猫カフェでない古いのは「コーヒースタンドキャット(マスター夫婦が猫好き} 亀戸 1969年」英語世界ではトムキャットが有名。オス猫の愛称、ピーターラビットと同じビクトリア・ポターの作品やアメリカアニメ『トムとジェリー』、アメリカの戦闘機愛称でよく知られています。ホテルニューオータニのカフェ「トムCAT 紀尾井町」つい最近(2020.7月)横浜駅前のJP横浜シャルにアメリカ初のパン屋(ニューヨーク1987年創業)「トムキャット」が進出しました。
イタリア語ガット。「カフェガット 東銀座 2014年」看板や内装から皆店主は相当の猫好きとお見受けしますが・・・。写真の「 シャガット(Chat-Gato) 神保町 2016年」は仏語と伊語の猫を並べています。HPからはフレンチとイタリアンの料理人が猫のように自由に料理するコンセプト。
「ガット 神泉 2011年」は食材を新潟から仕入れていて、方言の『威勢がいい』の意味と猫のようにさりげなく日常に寄り添うワイン食堂を目指すそうです。変化形の「ガッターロ(猫おばさんの意味) 阿佐ヶ谷 2011年」
仏語のシャノワール以外では、喫茶店「カフェ・ド・シャ・ペルシャ(ペルシャ猫) 新宿 1987年、既に閉店」「パドゥシャPas de Chat、猫のステップ、忍び足。オーナーは猫を飼っていた) 豪徳寺 2000-2004年」「オーシャキペシェ (釣り猫) 広尾 2010年 」
たぬき(京都のたぬきの置物) ーⓢ(追加2017.7.10)・(追加2020.10.3)
居酒屋さんの定番、信楽のタヌキの置物といっしょにある店名。
長い歴史の中では同じ化ける狐の方が資料も人との関わりが多いのですが、店名はタヌキの勝ち。
狐は稲荷神社とともに現役バリバリの神通力を持つため、恐れられ、触らぬ神にたたりなしの心境が強いのでしょう。
タヌキは頓馬で愛嬌あるキャラクター、神の使いの面はゼロ。昔話や伝説、かちかち山、ぶんぶく茶釜や証城寺の狸囃子(ショウジョウジノタヌキバヤシ)で愛嬌のある動物として愛されています。
セットのたぬきの信楽焼きは昭和天皇の信楽行幸で全国的に広まりました。
元祖の信楽焼き『狸庵』や信楽町のHPではたぬきの姿が八相縁起、8ッ個の縁起の良いもの・姿を現すそうです。徳利の徳、通い帳の信用、笠が災難除けとかです。
狸の陶器の置物は信楽より前からあったそうで、関西地方の伝説で、小僧に化けた狸が酒屋に酒を買いに来て、これに酒を売ると幸運になるという招き猫のような存在。
今のようなユーモアあふれる姿は1935年(昭和10年)以降、信楽仁移って陶器を焼いていた『狸庵』の創業者の作成したもの。
たぬきを付けた店は居酒屋は多く、なかなか由来までは雑誌等に載っていません。『大東京うまいもの食べある記 1935』にもおでん「たぬき 日本橋」和食店「たぬき屋 上野」掲載。
もう閉店しましたが、「割烹つくし」のカジュアル店「たぬき 西麻布 1995年」、いい店だったのですが・・・
麻布十番の煎餅店「たぬき煎餅 1928年」ではたぬきのように皆に愛されるように願い、一方他抜きの意味を持ち合わせ、日本一の煎餅屋をめざしたとありました。この『他より抜きんでる』がつける主な理由でしょうね。
狸の呼び名は比較的新しい呼称、昔はムジナ、貉、「 ラ・ムッジーナカフェ(La Muggina Café) 恵比寿 200-2012年頃?」珍しく古い狸名から。縁起物のタヌキのように皆に愛されるようにの願って。ラーメン店「麺屋貉むじな 上北沢 2008年」も食べログにありました。
メルヘンテックなのは狸の腹鼓の音、ぽんこぽこ。居酒屋や関西の「狸狸亭(ポンポコテイ) 大阪市 1980年」お好み焼鉄板焼きが有名のためか同様のお店もあります。この店名の由来は創業者の母親のイメージから。他に鰻屋「ぽんぽこ亭 川越 1969年」が古いようです。こちらは『うなぎ百撰』のHPに『美味しいものをお腹いっぱい食べてもらい、お腹をぽんぽこにが願』とか。
おそらく名代の名前で屋号は別だと思いますが、タヌキ色の濃い汁で名を知られていたそうです。
また、江戸時代後期狂歌や『江戸切絵図』のも載っていて、悪さをしたタヌキを駆除したあと供養のために名付けたする資料もありました。
港区のHPにはタヌキ橋の地名の由来がこの狸そばから採ったとあります。 麻布十番は狸穴の地名のせいか「たぬ吉 1987年 麻布十番、六本木店1999年」の和食処もありました。看板の商標に狸の顔ともちろん例の置物もいらっしゃいます。(追加2017.7.10)
特別な仕様の高級フレンチ「ラリアンス 神楽坂」の姉妹店「狸Blaireau Japonais(英語の意味日本のアナグマ?狸?) 神楽坂 2016年」は以前のお店が多くの狸の飾り物を置いていたので、それを引き継ぎ同様に店名から料理、狸の置物も多量に配置したタヌキテーマパークのようなカジュアルフレンチ店。(追加2020.10.3)
くま(写真はザスリー ベアーズ 京都)ー2016.12.10追加
最近のカフェには熊が出現、世間でも街に降りてきた熊で大騒ぎの昨今ですが・・・。
熊は北海道ではアイヌ民族の神様、その木彫りの鮭を加えた姿の熊を土産物店でみかけます。
そのため、姓名の熊の一字からつけたもの以外に、北海道ラーメン系列の「熊ぼっこ 稲荷町 1971年」「熊ッ子 会社1974年」「熊五郎 大阪 1970年」が味噌ラーメンイメージでありました。
くまはイギリス童話『三匹のクマ』『クマのプーさん』『パディントン』で幼い頃から馴染がありますね。ディズニーシーのキャラクター、ダッフィーも2005年に登場、手作りのテディベアだそうです。今はご当地キャラクターの熊本県のくまモンでしょう。リラックマ、ポストペットのピンク色のクマ、モモ、ブルボンのプチクマ。文明堂のラインダンスキャラ『三時のおやつ文明堂ー』もクマだったんですね!
京都旅行で烏丸通に「ザ スリー ベアーズ 京都 2015年」を発見。トップに挙げたイギリス童話から、イングリッシュカフェと名乗っていました。
名前苗字に関連は鰻屋「伊豆熊 浅草 ガイド1881年掲載」カフェ「こぐま 東向島 2006年」「kuma3(クマサン) 銀座 2012年」イタリア語の熊から「オルソ(orso) 麻布十番 2014年」「オルソベルデ 四谷三丁目 2014年」焼肉屋「婁熊(るくまー婁は中国語の宿) 渋谷 2007年」、これらは苗字と愛称から
京都の有名割烹「たん熊北店(栗栖熊三郎の名と修行先店名の組み合わせ)」の支店は「熊はん 浜町 2010年」
写真「くまもり食堂 吉祥寺 2012年」苗字のような雰囲気ですが、モリモリ食べてもらいたい、森の中の熊が営む食堂のイメージからです。
ハワイで1983年開店、「BEAR'S coffee 表参道 2014年」は創業者が大好きなテディベアからです。同じく2009年創業のアメリカからの「ベアバーガー 自由が丘 2015年(2009年アメリカで創業)」は綴りから熊ではありません。
上野の本店を中心に亀戸、錦糸町等に展開する洋食「レストランベア」は熊かは不明。
熊関係の別称は少なく、ヤマオヤジ、ロシア人を表す熊のミーシャもとても少ないです。
しろくま(三軒茶屋シロクマ)ー2016.12.10追加
白熊は日立のクーラーのキャラクターとして1975年からテレビに出演中。シロクマは絵本『しろくまちゃんのほっとけーき 若山憲 コグマ社 1972年』シリーズのように絵本にも多数出てきて、幼い頃から馴染深い動物。おそらく、色彩の表現がくっきりとし易い点が絵本の主人公になりやすいのでしょう。
鹿児島のご当地アイスの白くま(または白熊ーネットでは使用した練乳缶のキャラクターの白熊からの説、盛り付けたかき氷が白熊に見えた説)、チェーンカレー店「しろくまカレー」。「 しろくまカレー 三軒茶屋 1号店2011年」も創業者がシロクマが大好きで、シロクマのように皆に愛されるカレーを作りたいとに書かれいてます。
写真はコーヒーロースター「シロクマトーキョー(Shirokuma Tokyo) 三軒茶屋 2015ー2019年」
英語のホワイトベア、『100円からの東京食べあるき 1960年』に載っている喫茶洋食「ホワイトベア 池袋 既に閉店」が店の目の前にあった池袋西武デパートに総菜やとして続いています。
ぱんだ珈琲店(阿佐ヶ谷南)ー2016.12.10追加
今の熊はたぬきと同じく、かわいいキャラクターで愛されています。その典型がパンダ。1972年に中国から上野動物園にやってきました。それ以来、その愛らしい姿で抜群の人気者です
パンダはキャラクターを生かしたメニューデザイン、グッズ、インテリアを売りにしているようです。熊のキャラクターの最も表現したのがパンダ。
パンダグッズ、バンダメニューがあふれるように飾られている店がおおいようです。
写真の「ぱんだ珈琲店 南阿佐ヶ谷」や「ぱんだカフェ 田原町」はそんなパンダファンが集まる所。
他に原産国中国の中華店にも多くいます。「PANDA(パンダ) 渋谷 1980年」中国茶館「大熊猫屋(パンダヤ) 神宮前 1999年、既に閉店」「本格熊猫(ホンカクパンダ) 高田馬場 2013年」など。
アメリカ(1983年創業)からやって来た中華チェーン「パンタ゜エンスプレス 川崎市1号店 2016年」は少しづつ東京にも店舗を増やしています。
変わったころでは2016年オープン「アグロピッツェリアパンタ゜ 新宿区若松町 2016年」、『パンダの農園のピッツァ屋さん』というパンダの形の窯でピッツァを焼く、この店にもあちこちパンダがいます。そして誰もがわかるパン屋の"パンだ!"から「panda 本郷三丁目 2018年」パンもコーヒーもこだわっているそうです。
鳥たち(西麻布コントワールミサゴ)ー2017.2.12追加
鳥の絶対的王者はライオンと並び称される鷲、西洋の紋章でも多数使われる鳥の王。
ただこちらは西洋のみで、日本ではあまり店名には登場しません。燕や不如帰、雁等、渡り鳥たちが来ると季節の訪れを昔の人々は知りました。
春告鳥の鶯、初夏の燕、秋の雁、白鳥、鮨屋にいるミサゴは夏鳥、英語でオスプレーという物騒な名前を持っています。
鮓の起源の伝説に登場する鳥、鶚。江戸時代の資料に載っている、ミサゴが獲っておいた魚が発酵して馴れずしになったというもの。
ネットでは東京の「みさご鮨 小石川 江戸時代の創業、2013年閉店」の閉店が記事のほか、昭和35年の東京の名簿にも、田町や荏原、金杉のみさご鮨掲載、全国に「みさご鮨 本庄」「みさご寿し 高松市」等。他の業種では字替えの店もあります。
写真は父親の鮨店を継ぐつもりがフランス料理に方向転換、そのため「コントワールミサゴ 西麻布 2010年」、鮨屋のカウンターと父の鮨屋の店名を継いでいるそうです。
白鳥はイメージが良く、パン屋さんの会社、ベーカリーもありますが、店数は意外と少ないようです。亡くなった方の魂が飛び去るイメージが強いのかも(古事記の大和尊の物語)
燕食堂(市谷)ー2017.2.12追加 ーⓢ(追 加2020.7.28)
燕は古代から人気でした。漢字の『燕』の字だけでは西洋料理店「燕楽軒 本郷三丁目 1918年」とんかつの老舗の「燕楽 新橋 1950年」。「燕楽軒」は「精養軒」での権力争いに敗れた西尾増吉氏のレストラン。
ネット検索では作家宇野千代氏が働いたことがあるレストランとのこと。
難しくは燕楽は中国の宮廷の宴饗楽だそうでが、要は宴会を開いて皆で楽しく遊ぶこと。
「 カントニーズ 燕 ケンタカセ 丸の内 2012年」広東料理高瀬健一だけでも良いように思いますが、燕(エン)が真ん中にはいった店名。お店のHPでは燕が中国で人気の女性の名前で、ツバメのように、かわいくて、愛らしくの家族の願を込めいてる名前。
中国の最初の頃の古代国家殷、神話の中でこの始祖を玄鳥(ゲンチョウ)の卵を飲んで、生んだとあり、玄鳥は燕のことです。
中華に人気の燕、日本料理の「帰燕(キエン) 赤坂 2009年」は燕が巣に帰るように羽を休めてほしいとの願から。
「つばめグリル 銀座 1930年」は以前アップした通り、1930年に運航開始した特急列車の名前から。一般公募で決めた列車名。
洋系は最近のオープンが多いようですが「L'hirondelle(リロンデル) 中目黒 2014-2019年(2009年に本郷で一度閉店後再開)」人が集まるように仏語のツバメを店名にしています。
ツバメは天敵から身を護るため人家の軒下に巣をつくることからでしょう。よく駅の軒下にもみかけます。
山梨県のダイニング「リロンデル」てはプラス幸福を呼ぶといわれがあるとのこと。ネットではプッチィーニ作曲のオペラ『La Rondine(ラロンディネ)』も。
他写真「ロンディネ 西荻窪 2014年」イタリアンで、もちろん伊語で入口、ツィッターにも燕が飛んでいます。ほか「Trattoria la rondine(ラロンディネ) 神楽坂 2016年」
写真「燕食堂 市谷 2009年」ほかに「カフェツバメ(改名and tsubame に) 西早稲田 2009年」。カフェはツバメが似合うのか、東京近隣に「燕カフェ 鎌倉市 2016年」「つばめカフェ 相模原市 2016年」がオープンしています。
ハトヤ(向島)ー2017.2.12追加
日本では鳩は西洋のような聖なる力はあまりありませんね。
西洋の宗教画では、三位一体の聖霊を鳩で表現する決まり。
煙草の銘柄の『ピース』の絵は、ノアの箱舟の大洪水の後、飛ばした鳩がオリーブの葉をくわえて戻ってくる逸話を元にしたもの。
神と人間の和解を象徴するイメージを表現しているそう。今では鳩は平和の象徴です。
日本では神社にいるところもあります。鎌倉の八幡宮の近く土産物『ハトサプレー』が有名です。
洋食「鳩家 東向島 1915年」、喫茶店の「ハトヤ 浅草 1910年頃」「HATOTA 浅草 1927年」が老舗。向島の「鳩家」は政治家鳩山一郎氏の料理人か銀座に「ハトヤ」を開店。命名は鳩山氏。
1950年に向島に移転、その時現在の「鳩家」に、ガイド本には家を屋号につけると永く続く縁起が良し、鳩の漢字も人が集まる意味もあるそうです。
他に既に閉店していますが、「れすとらんはと屋 銀座 1962年」「ハトヤ 蔵前 1965年」。食べログでは「ハトヤ 武蔵小山 1970年」「はと屋 新橋 1962年」等
地名からのもありますが、浅草は浅草寺にポッポッポハトポッポのフレーズが有名な童謡『鳩ぽっぽ』(1962年建立)の歌碑があるのも理由のひとつかな。
洋系のビジョン、コロンブ、パローマはとても少ないです。右写真「Dove(ダブ) 虎ノ門 開店年不明」は洋食・ビストロ風、ピジョンは野鳩、聖書や宗教画によく描かれているのがダブ、飼われている伝書鳩。
童謡の鳩ポッポのポッポからと思うのですが「ポッポPOPPO1929 新宿 1929-2011年」ヘルシーハンバーグのお店。閉店していますのでわかりません。新宿駅に近いので汽車ポッポかも。イトーヨーカドー系列の軽食たこ焼き、ソフトクリームを売っている「ぽっぽ 2007年会社設立」お客はヨーカドーのハトマークからと予想していますが(わざわざ電話した方のブログもあり、その通りだと答え)・・・。
新鶯亭(上野)ー2017.2.12追加
日本文学では不如帰と鶯の人気は不如帰に軍配があがるそうです。でも店名の世界では鶯、ウグイス、春告鳥、春の鳥です。不如帰、時鳥は夏の鳥
和菓子の鶯餅、写真の「新鶯亭 上野 1915年」の名物、鶯団子のように食べ物にもついています。
店名で一番多いのは鳴き声の「初音」が多いです。
以前取り上げた「人形町の「初音」浅草の「初音茶屋」のように歌舞伎の演目の鼓の銘『初音』を店名にしている店もありますが、「初音鮨本店 新御徒町 1873年」は鶯の初鳴き。ほかに「初音鮨 京橋 1948年」ミシュラン掲載で名を上げた「初音鮨 蒲田 1893年」もあります。
ラーメン店では「はつね 西荻窪 1963年」
昔から行われていた鶯の鳴き声のうまさの競争『啼き合わせ(啼行会)』、明治時代に開かれたのか料亭「鶯春亭 根岸 安政年間」という記録が残っています。現在あるのは広大な日本庭園を眺めて四季を楽しむ懐石料亭「鶯啼庵(オウテイアン) 八王子」
若い店にもついています。既に閉店してしまった大皿料理の日本料理店「鶯 恵比寿 1988年」。
共にガイドブック等で有名な店、カフェ「ウグイス 三軒茶屋 2005年」、「うぐいすと穀雨 雑司ヶ谷 2015年」は『穀雨』が二十四節気の一つ春の終わりの頃、『ウグイス啼く』が七十二候2月の初めの春の始まり、日々少しづつ変化する景色、空気を大切にパンやご飯をつくっていく気持ちから(HP)の店名。ほか鶯の別称の「ももちどり 参宮橋 2007年」オーナーが4月生まれだからだそうです。
雀(写真はすずめの御宿)ー2017.7.05追加
普段の生活で都会でもよく見る雀と烏、この2種類の鳥。都会に住む方々にとっては珍しくもない鳥たち。
スズメという語自体、小鳥一般の名称と捉えられていました。米を作る農家の天敵ですが、民話の世界では親孝行、人間に富をもたらす鳥となっています。民間薬で夜盲症、百日咳に効果ありとされていました。
雀は過去に焼鳥として食されていたこともあります。今は雀焼としてあるのは魚を開いて焼いた姿が雀に似ているから。
大阪、和歌山方面の鯛の押しずし、雀鮨。老舗の「すし萬 大阪 1781年」のHPからだと、1653年(承応2年)に福島村の河内屋長兵衛が魚屋と雀鮨を営む。ボラという魚の幼魚にすし飯をつめたものスズメの姿ににいいたから。すし萬は石本萬助が雀鮨専門店として創業し。明治時代の看板は「雀鮨」でしたが、1885年(明治18年)に屋号を「すし萬」としたそうです。すし萬は大阪すしの元祖を掲げています。
『東京市商工名鑑(昭和8年12月刊)』には鳥料理「壽すめ 銀座」「雀鮨本店 江戸川橋」『東京たべあるき地図(昭文社) 1975年刊』には同じく焼鳥店「雀の叔父さん 新宿」掲載、もう今は存在しません。
一番多いのは「すずめの御宿」昔話の『舌切り雀』からの連想で、隠れ家的なイメージ。
70年台ガイドには甘味処、女子に人気とありました「すずめの御宿 渋谷 1979年頃」は今はお好み焼き屋、古民家再利用のはしりでしょう。雰囲気も隠れ家的です。雀もあちらこちらにデザインされています。
雰囲気では「雀のお宿 調布市」は深大寺蕎麦の蕎麦店で、一番広く竹藪に囲まれた隠れ家のようになっています。
居酒屋チェーン「すずめのおやど 阿佐ヶ谷 1977年、1984年よりチェーン展開高円寺1号店、すでに閉店」スズメキャラがかわいい、最盛期は10店舗弱、ヘルシー、ナチュラルが売り、今は4店。同種の「すずめのお宿」もあり
全国に多いのはチェーン店を除けば焼鳥屋と鮨屋です。
最後にどら焼き界ナンバーワンの人気の「すずめや 池袋 2001年頃」。店内に雀の絵があり、ショップカードにも雀、でもなぜ雀かはわかりません。不定期オープンの「すずめ茶房 南池袋 2011年」もやってます。
「すずめ食堂 曳舟 2013年」というラーメン店は信州の別名ラーメン店の東京店。信州だから小林一茶の有名俳句の雀でしょうか、不明です。ネットでは信州人の気質を松本スズメ、諏訪のトンビ、上田のカラスというたとえも発見。スズメは百家鳴騒の意味だそうです。
洋系は愛の女神アフロディテの聖鳥で夫婦仲の良い象徴なんですが、ほとんど店名はありません。一店「 モアノ(Café et Galerie Moineau) 上野池之端 2009年」50年以上の建物のリノベーションカフェ&ギャラリー。雀のように身近で親しみのあるカフェにしたい願の店名です。
からす亭(麹町)ー2017.6.30追加 ーⓢ(追 加2020.7.30)
烏のほうはゴミをあさるので、都会の嫌われ者、当然のごとく、店名には極小。
古代に神武天皇の東征の道案内の三本足の八咫烏が知られていて、熊野神社の御使い、サッカーの日本チームのエンブレムにもなっています。
今回調べたら、自衛隊のエンブレムにも使われているんですね。
かつて新橋にあった「カラス亭」の出身の「からす亭 赤坂 1931年」ここから息子に暖簾分けされた「青山からす亭 麹町 1968年、2000年に青山から麹町移転(今の由来はHPでは八咫烏になっています。2022.4.25追加)」があります。
店名はおそらく、新橋の烏森神社でしょう、最初は越後屋の店名<, カラス亭は通名だそうです。古く、平安時代からの稲荷神社で、御使いは八咫烏になっているのでここからの通名の店名。
新橋はカタカナ、暖簾分けをするとき赤坂は平仮名にかえたそうです。
今は麹町しかありません。赤坂から暖簾分けした習志野市に同名店があります。
同じく世田谷の千歳烏山にも烏の店名、コミュニティカフェ「ななつのこ 千歳烏山 2014年」もいます。当然童謡『カラス、なぜなくの、カラスはやまにかわいいななつのこ・・・』でしょう。
びっくり系、力こぶ系の店名の多いラーメン店で去年の開店の「八咫烏 九段下 2016年」がありました。
ほかにネットで発見のアメリカ漫画の主人公のカラスの名前の店名、「ヘッケルン 虎ノ門 1971年」(2020.7.30)
洋系も少なく、東京ではイタリアン「オールドクロウ 吉祥寺 1988年」、吉祥寺のジャズバーで伝説的なオーナーの店です。アメリカの影響からと考えると、アメリカの庶民的バーボンウィスキー『オールドクロウ』からでしょうか?。
政治家や有名作家御用達のこの酒名はもともとは創業者の姓クロウから、でも商標にはカラスが使われています。もちろん、この店のロゴにも。
ほか大鴉の意味のレイヴァンは東京では見かけません。北欧神話のオーディンの両肩に留まっているのが記憶と思考を司る二羽の大鴉。ギリシアやアラブ地方では予兆を告げる鳥になっています。サングラスメーカーと同名で商標関係で少ないのかも。烏の濡れ羽色という言葉あるように西洋では色名にレイヴァンがあります。紫黒色だそうです。
ふくろう(サンシャインシティに行く地下街のふくろう)ー2017.6.30追加
その夜行性の特性によりバーについていることが多い梟。小説・映画のハリポタブームに乗って、ふくろうはカフェができています。人も夜行性の方が増えて、夜ともに遊べるので、買っている人も増えているそう。
キャラクターとして活躍しているのは池袋、イケブクロの地名からの連想であちらこちらに像があります。
池袋では、おでんや「福ふくろう」居酒屋「ふくろう」「FUKUROU}本物の梟がいる「フクロウカフェ」和食の「ふくろうの家」喫茶店「アウル(OWL)」バルの「シュエットルージュ」があります。中華で当て字の「福楼」が多いです。
由来が唯一わかるのはスペイン料理「ふくろう 吉祥寺」、店内にも飾られている梟グッズ、幸せを呼ぶ鳥だからだそうです。古いのは喫茶店「ふくろう 福岡市 1976年」、ラーメン店「梟 銀座 2002年」
シュエット(都立大学)ー2017.6.30追加
西洋、東洋、どちらでも夜の鳥と声の不気味さで悪魔の使い、梟が鳴くと死人がでるという言い伝えもありました。
でも、森の哲学者、知恵者としての風格もあり、ギリシャ神話ではアテネ、ローマ神話のミネルヴァの使いとして、知恵を象徴しています。
アウル、オウル、シュエットの洋系。先の二つは夜のイメージが強くバーにつけられています。
写真は幸せ,素敵、フクロウの「シュエット 都立大学 2005年頃」「セ シュエット 築地 2004年最初はラ・シュエット・ドゥ・ボンヌール」お客のブログではセシュエットが素敵!見事の意味とか。最初の店名は幸せのフクロウ?。
仏語の綴りは同じのシュエットには二つの意味を、フクロウと素晴らしい、素敵の意味をもっています。
ほかにワイン通のなかで知られている「ラ・シュエット 六本木 既に閉店」、紹介制のレストラン、最初白金高輪、銀座、六本木と移転していたようです。
外国からやってきた鳥(写真田原町フラミンゴ)ー2017.6.30追加
動物園でしか見られないフラミンゴ、ペンギン、ペリカン等、植物と同じく店名にはあります。
意外と多いのはフラミンゴ。派手なピンクがいかにもの南国風で「フラミンゴズ 都立大学」のようにハワイに憧れてつけるパターンがありそう。「フラミンゴ 渋谷 2013年」もピンクでオアシスに集うフラミンゴのイメージを描いています。写真はカフェ「フラミンゴ 田原町 1962年」。
同じく昭和にタイムスリップできる喫茶店「フラミンゴ 池袋 1965年頃から」も、フラミンゴの一筆描きのキャラクターがらしくて良いです。
「フラミンゴカフェ 青山 2006年 最初代官山1994年頃」八幡通りの輸入雑貨屋から出発した南イタリア風のカフェ。代官山、原宿とありましたが、今は100席ある一番大きかった青山店のみ。
南イタリアにはフラミンゴが生育していて、よく見かけるネット記事がありました。
イタリアン、サルデーニャ島の料理の渋谷「タロス」のロゴマークがフラミンゴでした。
この島の港町カリヤリにはアフリカからピンクフラミンゴが越冬にやってくるそうです。ナトゥラーレ・モレンタルジュス・サリーネ公園の塩田で見ることができます。
ペンギンはこちらは少ない。映画、アニメ、絵本とキャラクターグッズが多いのですが、どうして?
吉祥寺にあったペンギングッズとカフェを併設。知り合いにも持ち物をすべてペンギンでそろえている方がいました。
「ペンギンカフェ 阿佐ヶ谷 2015年」のオーナーも相当のペンギン好きの様子。
ペンギンはそのキャラクター好きが高じて店名になっているのでしょう。
ペリカンはパン屋さん、それも業務用パンを下していた特殊なパン屋が有名です。「 パンのペリカン 田原町 1942年(1957年に渡辺パンから改名)」お店のメッセージをよんでも由来は不明。色々なネット記事を読み合わせると、2代目が下唇が出ていたことからついたニックネームが由来とか。他店と競合するのを嫌い少ない種類の普通のパンで勝負してきたそうです。テイクアウト専門でしたが要望にこたえる形でカフェ「ペリカンカフェ 田原町 2017年」をオープン
他に「カポ・ペリカーノ 本郷 1995年」「ぺりかん 広尾 開店年不明」「ペリカンコーヒー 田園調布 2016年」がありますが、カワイイペリカンは看板に皆いますが、由来は不明。
キリスト教ではとても重要な鳥、自分の肉体と血を犠牲にして子を養うとして、イエスキリストの姿を象徴しています。
世界的ブランドの万年筆のペリカンは母子愛と創業者の一人のペリカン親子の家紋だそうです。
日本のペリカン石鹸は家族を大切にする動物だから。日通のキャラクターのペリカンは習性の口に物を入れて運ぶから、安全・確実のイメージ。
昭和の時代には小鳥を買う家庭が多く、カナリア、鸚鵡、コマドリ、十始末、インコ等。今ネットで探してもみなレトロ、昭和の香とか形容されて鄙びた印象です。
フクロウを除く猛禽類は不人気です。日本では山岳地帯に住む鷲、見かけることが全くないので、英語のイーグルのみ頑張っています。
鷲はヨーロッパでは古くから鳥の王、紋章に多く描かれています。神聖ローマ帝国の双頭の鷲が有名。
ただ、イーグルは喫茶店に多く、ロックバンドイーグルズ(1971年結成)の影響でしょうか。
日本に地名で多いのは鷹の付くもの。江戸時代に武士が鷹狩を行った鷹狩り場であったことからついています。
東京は三鷹が鷹狩り場、三鷹のほかに目黒区鷹番
なぜかこの鷹匠の鳥料理「鷹匠壽 浅草 江戸時代創業」蕎麦屋「鷹匠 根津(右写真)」本物の鷹が居る「鷹匠茶屋 三鷹」があります。
初夢の『一冨士二鷹三茄』からの一店目「一冨士」、二店目「二鷹 千駄木 2016年」のもつ屋さんもあります。
鷹と同一視される隼はエジプト神話の中心の神、ホルス神がかたどる鳥、ホルスの目は隼の目を持つと去れています。ツタンカーメンの胸飾りにつけられたハヤブサが有名。
日本では薩摩隼人の呼び名で、強く勇ましい武人のイメージから隼の漢字が男の子の名として多く使われています。店名もほとんど薩摩隼人のイメージでしょう。
食べ物屋以外では、素早く確実に獲物を捕らえる俊敏な鳥のイメージが速さを競う乗り物系に好まれています。
2010年に大騒ぎになったのは小惑星探査機はやぶさの帰還でした。特急列車や新幹線はやぶさ、かつては戦闘機の隼もありました。
食べログ(2017.6.24時点)の東京のハヤブサはラーメン屋、洋食、居酒屋、立ち飲み屋の各一店。
写真は唯一洋系の店名イタリアンで最初の西麻布の写真「ペレグリーノ 恵比寿(2015年移転) 2009年」。シェフの名前の一字隼の伊語から。
巣(写真は表参道ニド) ーⓢ(追 加2020.8.1)
これが意外と店名に多いのです。狭い所にぎちぎちに片間っているイメージ、片寄せ合う仲間感覚が良いのでしょう。
店名の尻尾につく、屋・家よりもワイワイガヤガヤ感があります。「龍の巣」「鳥の巣」「虫の巣」全国では「酒の巣」「魚の巣」と食材系も。
巣一字では流石に店名にはなりにくいですが、洋系はあります。
イタリアン「イル・ニード 自由ケ丘 1988年頃既に閉店」カフェ「Nid CAFE(ニドカフェ) 表参道 2000年」はラテン系のスペイン・イタリア語の巣で場所の雰囲気から守られているようで、『カフェノナマエ 川口葉子 キノブックス』では2度来てねの願いも入っているそうです。「ネスト 麻布十番 2011年」はnestは英語で『お客の帰る場所のよりどころに』の想い。
少し方向を変えて「 Sudachi(スダチ) 恵比寿 2014年」「ラボンバス」の若い料理人の巣立ちの意味ですが、もう一つ素と友達の意味のダチを造語しています。素の自分を楽しんでくださいの想いだとか。
表参道のカフェと同名のビストロがオープン「bistro nid(ビストロニド) 学芸大学 2019年」鳥の巣の意味は同じで、発酵と燻製の変化をテーマした料理、ぐるなび系列のドレッシング記事では"羽を休めたくなる雰囲気"とか。 (2020.8.1)
虫たち(写真は表参道シカダ)ー2017.2.12追加
虫は現代っ子には嫌われ者(ジャポニカ学習帳から追放)ですが、以外と住み着いています。開店年不明ですが、新宿西口の喫茶店「スカラベ(通称糞ころがし)」や夏の終わりの大合唱のセミ、日本で店名には?ですが、プロヴァンス地方では幸運を運ぶとして「シカダ 表参道(最初南麻布) 2003年」。有名なロックグループビートルズ、これと同じ発音のカブトムシのビートル(『ノスタルジーと子供時代』掲載)。蜂、働き蟻、そして古来からロマンチックな対象、螢。以外と秋に鳴く虫のイメージが強い鈴虫、興梠、松虫はすくないです。
とんぼ(吾妻橋)ー2017.2.12追加 ーⓢ(追 加2020.8.1)
トンボは古来から秋津虫の名で日本を表す頭言葉にもなっています。日本ではとんぼは勝ち虫として、戦国大名に好まれました。
社名では鉛筆の会社『トンボ鉛筆』、人気のブランド名から1939年に会社名になりました。ヤン坊マー坊のコマーシャルが知られていた「ヤンマー」もトンボの親玉、オニヤンマからの名づけ(『思わず話したくなる社名&商品名の謎 田中ひろみ 日本文芸社』より)。
食べ物屋では「割烹とんぼ 吾妻橋 1933年」
大阪には江戸末期「とんぼ 大阪 江戸時代創業」が有名な老舗。何の資料か見つけられずいますが、大阪のとんぼの店名は店主が江戸時代の髪形をしていて、その姿が頭にトンボが留まっているいるように見えたための通り名だそうなんですが・・・。
築地市場場外の和食「とんぼ 築地 ガイド本1958年掲載」、ワインとイタリアン「 TOMBO 高円寺 2011年」天ぷら「糸とんぼ 高円寺 2011年」ラーメン店「とんぼ 新宿 2012年、既に閉店」
多いのは「赤とんぼ。童謡にもある郷愁を誘うイメージ。今はサンドイッチ専門のテイクアウト店のみですが、「赤とんぼ 虎門 1951年頃」が有名でした。銀座には同名のサンドイッチパーラー「赤とんぼ 銀座 1950年」
立ち食いうどん店「おにやんま 五反田 2010年1号店」由来は残念ながら未発見、日本とんぼ界最大の大きさで、鬼の名ごとく虎縞パンツ模様のとんぼではありますが・・。左の写真は「おにやんま 中目黒 2016年」、本店は昼間行列で写真が難しいので。どの店にも暖簾のうどんの頭や尻尾に鬼ヤンマが居ますよ。
洋系は見つけられません。「ドランゴンフライ 南青山 2001年既に閉店」はアパレルメーカーズッカの経営でしたが、その後は他店にはみかけません。→アップした時は見なかったのですが、食べログに3店、トンボのロゴの看板クラフトビアホール「Dragonfly (ドラゴンフライ) 清澄白河 2017年」ほか
蜂(写真は湯島みつばち)ー2017.2.12追加 ーⓢ(追 加2020.8.1)
蜂、特に蜜蜂はヨーロッパの方々には薬であり、保存のために必要な蜂蜜を作る虫。エジプト文明の時代から飼われていたそうです。旧約聖書では約束の地カナンは乳と蜜が流れる地と呼ばれています。
ギリシア、ケルト、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教等でも重要なものとして、魂、不死、知性、叡智、勤勉、貞淑とイメージもパーフェクトです。
日本では貴族たちには砂糖と同じように愛用されていましたが、明治以降まで庶民には普及していません。
甘味処イメージが強く「みつばち 湯島 1909年」、和菓子店「蜂の家 自由が丘 1956年」。「 みつばち」は戦後からの店名で、焼け野原の野花に群がるミツバチをみて、こんなふうに甘いものを求めてお客が来てくれることを願って改名したそう。古いガイド本掲載のおでん屋「蜜蜂 日本橋 ガイド本1935年掲載」
健康食品として蜂蜜が見直され、ハニー、アベイユ、フランスからやってきた専門店もあり人気。
蜂蜜専門、「ラベイユ 荻窪 会社設立1983年」フレンチ「L'Abeille(ラベイユ) 市ヶ谷 2005年」古めの洋食屋「蜂の子 新富町 1948年リニューアル2012年」「honey*bee café(ハニービーカフェ) 西荻窪 2011年、既に閉店」。再掲(『8・八・ハチ』)「B(ビー) 自由が丘 2018年」は英語ですがフレンチで蜂が幸運の印で店名になっています。
思い出しましたが、『蜜蜂マーヤの冒険』とか『みなしごハッチ』とか子供時代にキャラがいましたね。ハッチの店名の中にはこちらもあるのでしょう。
フュージョン店は元「minobi(ミノビー『普通の日々』に掲載)」の跡地の店にあったレストランで、残念ですが今年の7月に閉じてしまいました。同じく蜜蜂の意味で、こちらは日本中の食材を集めて皿の上に・・・がコンセプト。
熊の項目に入れた方が良いかも「はちくまカフェ 南池袋 2018年」北欧のハチとクマの秘密の庭の説明通りの熊が大好きなハチミツを使った料理、ハチの巣の六角形のハニートースト等。
働き者のイメージの蟻と蜂の意味でビアホール「 ANT'N BEE(アントンビー) 六本木 2010年」。お店のHPから働きアリ、働きハチと呼ばれる東京の働きマンに巣に戻ったら美味しいビールを飲んでほしい呼びかけです。「ビジービー(働き蜂、いそがしい人の意味) 秋葉原 1996年」同じ意味のカフェ「busy bee(ビジービー) 水天宮」「BUMBLEBEE CAFE(バンブルビーーマルハナバチ) 高輪」
ちなみに蜂関係で、今注目の小型移動式飛行機ドローンですが、雄ハチの意味、イギリスの軍事用飛行機女王バチクイーンビーノ対抗機だったよう。(2020.8.1、2020.10.25)
蜂の巣(北千住)と羽音ー追加2017.6.30・追加訂正2020.10.25 ーⓢ(追 加2020.8.1)
巣は蜂の巣がなぜか一番多いです。たくさんの蜂が寄り集まっている、羽音がブンブンととても賑やか。
有名店は「 ビーハイブ 大阪市 1951年」移転、震災等の幾多の災難を乗り越えてきた洋食店。
懇意にしていたアメリカ人につけてもらった店名。蜜蜂の巣、巣箱の英語で、Bee、蜜蜂が群れ集まる様子が間口が狭く、奥行のあるお店の様子が蜂の巣を想像させたようです。
人が集まる賑やかな場所をイメージを表しています。写真の「蜂の巣 北千住 2004-2018年」も
「BEE HOUSE(ビーハウスー蜂の家、食べログでは蜂蜜とイタリアンの組み合わせとか) 渋谷」オーナーのアベさんの苗字プラスの賑やかな場所の意味の「アンビーハイブ 広尾 2009年」、カフェ「hive café(ハイヴカフェー同じく蜂の巣、忙しい人々が集まる場所) 飯田橋 2009年」。中華も一店町中華HPに載っている「蜂宴(ホウエン) 新宿御苑」、同様に賑やかな食卓がイメージに浮かびますね。
もう閉店したカフェ「hexagon CAFE(ヘキサゴンカフェ) 恵比寿 2001年」、六角形、蜂の巣のこと。メニューに蜂蜜使用のメニューが多いカフェでした。
蜂の羽音のブンブンも店名にありますが、はっきりわかるのは「カフェブンブン 江戸川橋 2015年」蜂のキャラクターが料理にもいます。
「Bum Bun BLau Cafe with BeeHive (ブン ブン ブラウ カフェ ウィズ ビーハイヴ) 旗の台 2014年」
ネットの用語バズるは、英語buzzから、虫の羽音ブーン、ブンブンの意味擬態語ですが、他に人のざわめき、電話、ブサーの音、ネットでは噂話やゴシップで盛り上がる、大騒ぎしている、という意味になります。
この言葉が流行る前から店名には登場していて以前の「 BUZZ CAFÉ(バズカフェ)」をアップ。
大阪(アクアプラネット経営)から来た「カンティネタバズ(カンティネタは小さな蔵) 丸の内 2010年」写真の「Bistro Buzz(ビストロ バズ) 赤坂 2017年」とまだ少ないですが。
てんとう虫(写真は京橋ラ・コクシネル)ー2017.2.12追加
日本から発ではなく、洋系の発祥です。レディバードという優雅な名前の持つ主、幸せの訪れの意味を持つ虫
日本語の語源では太陽に向かって飛ぶことから、天道さま、太陽の意味から。結婚式ソングとして、一世を風靡した『てんとう虫のサンバ』も+要素でしょうね。
「コクシネール 銀座 1993年のガイド本、既に閉店」「ラ・コクシネル 京橋 2013年」「ラ・コッチネッラ 青山 2013年」「 てんとう虫 築地 2014年」。最後の平仮名ですが、「てんとう虫」はイタリアン、古くからヨーロッバでてんとう虫が止まると幸せになる、幸せのシンボルとして親しまれていることで、付けたとあります。
花蝶(銀座)ー2017.6.30追加
つい最近(2017年)オープンのエリア名と店名を兼ねる「新宿サナギ」。
新しく生まれる孵化する力、食、アート、音楽、イベント等のコミュニレーションから生まれる蝶のような存在を意識した命名。
ただ、実際その姿を思い浮かべると、違和感のある名前。蝶は花と蝶と並べられるように美しい存在ですが、その裏に死の存在を感じるもの。
いろいろな伝説、逸話に屍から飛び立つ蝶の群れ、死して魂が蝶となり舞う話があります。
江戸時代の資料には2店お菓子処「蝶屋 三田五丁目」蕎麦屋「蝶屋 本所」がありまた。
ガイド本では料亭「花蝶 新橋 1927年」は一時期、若い人向けの和洋折衷のリニューアル(2004年)が雑誌の誌面を賑わしていました。
蝶よ花よという言葉はあまり良い意味ではないのですが、その姿はやはり魅せられるものが多く花と蝶の組み合わせは絵画、文様ではよく使われるとても魅力あるもの。南国のイメージを盛り上げ目には良いのかも。
お店のロゴマークは蝶になっています。
『胡蝶』は蝶の異称として、店名には使われています。中国の荘子の逸話として夢中で蝶になり、起きているのが幻か現かあいまいになるもの。
ネット検索では『西の吉兆、東の胡蝶』と称した「胡蝶 有楽町 1969年頃既に2004年閉店」
建築では有名だったようで、料理本より詳しく載っています。地下2階から吹き抜けの日本庭園が評判でした。六本木店のガイドには京風茶懐石、美のこころと謳っていました。
ガイド情報には「龍雲庵 新宿 1993年」の店主が若くして料理長を長く務めた店とありました。
胡蝶の店名は全国ではありますが、日本料理では「胡蝶庵 銀座」位。有楽町との繋がりは不明。
こちらはすべて閉店しています。「ル・パピヨン・ド・パリ 青山 オランジェリから改名2001年頃から」オーナーの森英恵さんのデザインシンボルが蝶から。
他、洋食「蝶々亭 千束 1919年」クレープ屋「パパパピョン 赤羽 1975年」カフェダイニング「クプクプ(インドネシア語の蝶) 新宿 1999年」
新しい処で「バタフライカフェ 代々木上原 2011年」「テフテフ 恵比寿 2013年」(左写真)「蝶や 銀座 2014年」ほかに蝶の種類から「あげは 日暮里 2003年」
世界の蝶の呼び名は畳語と呼ばれる同じ音をリピートすることが多く、ちょうちょう、テフテフ(古語)、クプクプ、パロパロ(タガログ語)、ちょっとだけのファルファラ(イタリア語)。『歳時の文化事典 五十嵐健吉 八坂書房』によるとラテン系はラテン語パピリオに由来して原型はパルパル、意味はひらひら、ぱたぱたするものを表すそうです。
カエル食堂(要町)ー2017.2.12追加 ーⓢ(追加2020.8.2)
亀は別格として、あまり、その姿から、好まれない爬虫類・両生類たち。イタリアン「カメレオン 東麻布 2001-2010年」のように強烈な個性のシェフが使う例はありました。他にビストロ「Cameleon(カメレオン) 浅草橋 2008年」もちろん他のペット動物と同じように触れ合いが目的の「はちゅうるいカフェ 吉祥寺」のような店はあります。
その中。一匹(?)頑張るのが、カエルです。だいたいは語呂合わせ、各神社でもカエルがいますが、"無時カエル"、"栄える"、"福に変える"など。食べ物屋は"客カエル"でしょう。
キャラクターも絵本、漫画、アニメーションと多いです。最近の実写版『ど根性ガエル」や『けろけろけろっぴ』、『ケロロ軍曹』、絵本の『バムとケロ』『がまくんとかえるくんシリーズ』等々。
人気カレー店で有名な「かえる食堂 要町 2006年」ラーメン「カエル(Kaeru) 中野 2009年」、両方ともカワイイカエルがいますね。人気のカレー店も「パリの友人からもらった木彫りのカエルからで、特に意味はない」そうです。
ちょっと難しいのは「可邊留庵 (カエルアン) 深大寺」、喫茶店で借音していて漢字の意味中心。深大寺前住職が名付けた『人生の岐路に立った時に、前を見て留まって考える』(調布経済新聞2018.5.23HPより)。無事にカエルの願いもあると付け加えています。
フレンチの料理で食用ガエルを使ったものがありますが、店名には極少数。「グルヌイユ 高尾」はパン屋さん。
「ベトナムフロッグ 新橋 2003年」はベトナム・タイ料理店。フランスと同じようにカエル料理、から揚げや甘酢炒めがあります。多い店少ない店ありますが、どこかにカエルの置物、カフェは焼き菓子があります。
奈良県の「かえる庵」は400匹ほどのカエル(もちろん置物たち)がいて、ギャラリー公開しています。
大きな動物ー象・キリン・ゴリラ・鯨・恐竜ほかー追加2020.12.14
架空、実物を問わず大きい動物にも人気があります。取り上げた龍虎・ライオンのほかにも架空の鳳凰は別格ですが、直の店数は多くなく、色々な店名が数多くあります。
龍以外の想像上のフェニックス、サンダーバード、スフィンクス、ガルーダ、麒麟は意外と少ない状態。最近リメイクされた映画のキングコングが意外とあるので驚きです。店名にはキリン、カバ、象、クジラなど実際に存在する大きい動物の方が多いようです。
麒麟かキリンか不明ですがおでん「きりんや 茅場町 1928年」洋食「きりん食堂 深川区墨江 東京市商工名鑑1933年掲載」。写真は甘味処「きりん 巣鴨 1950年頃」。
きりん(麻布十番) ⓢー(追加2020.12.17)
ガイド本に多く載っているのは写真の麻布十番でテイクアウト専門のカレー店「きりん屋 麻布十番 開店年不明、1982年版東京たべ歩き掲載」
ほかにカフェ「Kirin 三軒茶屋 2011年」ラーメン店「汁やきりん 阿佐ヶ谷 2012年」は居酒屋「希林」の2号店。「きりん堂 国立 2017年」はカレーと喫茶。
三軒茶屋「Kirin(キリン)」の店名由来は函館と人のHP『IN&OUT』に詳しく、表はよくある『首を長くして待っています』ですが、ホントの意味は料理以外担当の奥さんの『覚えやすくてかわいいキリンが好きだから』から。ただ扱うビールはサッポロビールとか。
ビール会社のキリンビールは古代中国の聖獣麒麟(縁起が良い動物)ですが、かつて英語の「ジラフ 新宿 1990年」をオープン。同じく閉店しているフレンチ・イタリアン「ジラフ 田園調布 開店年不明」
今は業態変更している「ask a giraffe(アスクアジラフ) 国立 2001-2020年」はキリンが背高く首も長いので遠くまで見通せるから何でも知っているだろうという意味で店名に命名。
キリンの語源が上野動物園でドイツから購入した時、園長があまりに高価なので説得するため聖獣麒麟が手に入ったと嘘の言い訳をしたことから定着。日本だけの呼び名。由来は麒麟ですが、漢字がほとんどないのは両方の動物のイメージを含めるためでしょうか。
「きりん珈琲 大田区大森西 2019年」は珍しく岐阜県の喫茶店文化を広める目的でオープン。きりんが幅広い年代に覚えてもらえる店名で、きりんの足跡が珈琲豆の形に似ているからだそうです。(2020.12.17)
ダンボ(初台)
南アジアでは神様や乗り物の象、エスニック以外では「象の仔 池袋 1949年」。象の方は少なく、英語のエレファントが店名は多い、ブックカフェの世界で有名な夜遅くまでやっている男性仕様「ELEPHANT FACTORY COFFEE(エレファント ファクトリー コーヒー) 京都 2007年」は村上春樹氏『象工場のハッピーエンド』から(姉妹店東京三軒茶屋)。
鳴き声のパオーンも意外とあります。喫茶「パオーン 千歳烏山 本店愛知県西尾市「ぞうめし屋」2012年から出店」
一番有名な象は映画のディズニーの耳の大きな飛べるダンボ。ただ音だけの場合もあります。「喫茶ダンボ 初台 開店年不明、2019年リニューアルでFIRST HILLS COFFEE DANBOに、写真はリニューアル前」「ダンボ 赤羽岩淵」。
九州ラーメンチェーン店「暖暮 神田(移転池袋2010年) 2003年、2000年福岡市本店」は造語会社のHP『皆さまの日常の暮らしにもホッとできる暖かな一杯を』
同音のDanboではなく、DUMBO、ニューヨークの高架下の名Down Under the Manhattan Bridge Overpassの略からの共に本国からのドーナツ店「DUMBO 麻布十番 2016年」とバーとグリル「DUMBO(ダンボ) 表参道 2017年」。
少しアレンジしたフレンチ食堂「MEAT& BAKERY BURMBO(ミート&ベーカリー バンボ) 都立大学 2016年」はダンボにお店の商品の炙る(BURNING)料理を掛け合わせています。
かばは「バルデカバ(スペイン産シャンパンカヴァの意味も) 飯田橋 2013年」食べログでは2店しか見つけられませんが、英語は「ヒポポタマス 松陰神社 2015年、若林から移転」以下、全国ではあります。
ちょっと変わっているのは「サイのツノ 東小金井 2003年」はカレー屋です。由来はわかりませんが、犀角は漢方の解熱・解毒剤で、魔除けにもなります。
シャーク(八丁堀)
海の大きな動物たち、鯨、鯱、鮫。戦前のガイドには鯨の古名、勇魚(イサナ)で当て字の「伊佐奈 両国 ガイド本食行脚1925年掲載」の鯨料理店があったようです、今は和食系が2店食べログに載っています。東京は鯨料理店一色ですが、くじらは横浜のラーメン店「くじら軒 1996年」が有名で多くの雑誌に見かけました。
「エビスバルクジラ 恵比寿 2010年」パスタ屋「トマトくじら 馬喰町 2012年」ホットドッグ店「くじら荘 三軒茶屋 2019年」(ウエブマガジンではコッペパンが鯨の姿に似ているから?)ラーメン「くじら食堂 小金井市市 2018年」
外国語では仏語の鮫「Squale Bistrot(スクアールビストロ) 千石 1977年」、イタリアンの不思議な店名「一汁三菜イタリア~の shark (シャーク) 八丁堀 1970年、開店時シャーク移転で改名(写真右)」「レストランシャーク 銀座 既に閉店」鉄板焼き「オルカ 新宿三丁目 2011年」は英語の鯱。
ワニバル(神田)
鮫つながりのワニザメは獰猛なサメ、または地方によっては鮫のことをワニと呼ぶそう。その獰猛な怖い鰐、つい最近では『100日後に死ぬワニ』の漫画ブログが盛り上がってたそうです。わに革のバックは高価で人気なんですが、店名では不人気でワニ肉を食べられる「ワニバル 神田 2018年」が目立つくらい。
4種類のアリゲーター、クロコダイル、カヴィアル、カイマンがあるそうですが、わかるのはイタリアン「caiman table(カイマンテーブル) 神田 2015年」は看板に骨格の鰐が居ます。
もう老舗の欧風カレー店扱いのボンディ系の「GAVIAL(ガヴィアル) 神保町 1982年」音はあっていますが、由来はわかりません。インドに生息する鰐ではあるのですが・・・。
各々の動物の東京にある食べ物屋さんでは由来が不明なんですが、先の「くじら軒」は店主が自分はクジラの生まれ変わり、店も鯨のように大きくの願い。
「くじら珈琲 福井県鯖江市 2019年」のHPでは大きな鯨が潮吹くように悩みを吹き飛ばし、皆に幸せになって帰ってもらいたい想いです。
トリケラトプス(祐天寺)
怪獣映画のゴジラは商標で×ですが、恐竜に付く〇〇ザウルス(サウルスでトカゲの意味)、昔はマンモス(マンモス大学、都市)、今はモンスター(モンスター級)は既に巨大なものの形容詞化しています。
川越3店ある「ビアザウルス 池袋 2008年。川越市1号店1995年」のような例。「スパザウルス 代々木上原」。左の写真はメキシコ料理店「トリケラトプス 祐天寺 2006年」草食系三つの角を持つ恐竜の意味、トリー君というキャラクターが居ます。
モンスター系は鉄板焼き「モンスターズテーブル 北千住 2011年」他「モンスターグリル」「チーズモンスター」「ステーキモンスター」の想いは大きくなってほしいでしょうか。
フレンチ「FRENCHMONSTAR(フレンチモンスター) 西麻布 2015年」は造語で仏語のMON=私 英語STAR=星から私の星、音だけ。食材、ワイン生産者、自分も含めて星のように輝かせたい想い。
ラーメン店「マンモス 渋谷 2011年」、「MAMMOTH COFFEE(マンモスコーヒー) 上石神井 2006年頃)」は小さいけどマンモスだぞぉの気合を込め命名
食べログにはほかに焼肉「頂まんもす 大塚 2014年」や中華「ぐうぐうマンモス 飯田橋 2010年」と大食いをさそう感じですね。
キングコング(新宿御苑)
洋画のキングコング、映画監督がゴリラが『野生の森の王』と呼ばれていたことからの造語。ラーメン店「KINGKONG(キングコング) 池袋 2010-2015年」写真の焼肉「きんぐこんぐ 新宿御苑 2017年」ハンバーガー「KINGKONG(キングコング) 大岡山」「バーガーコング 自由が丘 2014年」等、ガッツリ系のお店中心の店名。
大きいものが象徴するのは力、何よりも目立つこと、西洋の伝説の動物たちはほとんどキメラ、グリフォンなどいろいろな力を持つ実際の動物の胴体・手足を組み合わせていますが、イメージがわきにくいのか、少しだけ。
「ブラッセリーグリフォン 赤坂 1985年」ビアホール「ザグリフォン 渋谷 2008年」。
最近ではヒマラヤの雪男、ビッグフット、イエティの方が多いようです。カフェ「イエティヌークス(雪男の隠れ場所) 高円寺 2016年」「イエティロースタリーコーヒー 等々力 2020年、最初間借り2019年下北沢」、こちら両店はかわいい系の雪男が居ます。
ヒマラヤ産(コーヒー産地の北限)スペシュリティコーヒーを広めるための等々力のコーヒー店。『YETI(イエテイ=雪男)』はヒマラヤ山脈の守り神。もちろん全国で多いのはインド・ネパール料理店ですが・・・。
ちいさい動物ー金魚・小鳥(写真きん魚入谷)ー追加2020.12.14
蛙や虫については上げましたが、少し増えてきているのは魚類のさかな。
魚喰いの日本人はほとんど食べるものの魚、同じく鳥、鶏。別格なのは金魚で観賞用・愛玩用としての金魚の魚類最近はメダカも加わりましたが、と小鳥たち。
金魚は中国で突然変異で生まれた赤い鮒が室町時代に日本にやってきた金運をもたらす愛玩魚。江戸時代武士から庶民へひろがった
童謡『金魚のお昼寝』に歌われている最近常設もできた金魚のアートアクアリウムも人気です(館内のカフェは「華魚繚乱 日本橋 2020年」)。
ガイド本で最初に見たのはくいものやバー「金魚 亀戸 1999年」。雑誌に多く掲載の創業350年金魚問屋経営のカフェ「金魚坂(坂にあるのではないそう) 本郷 2000年」はインテリアも食器類も金魚が多く描かれています。
金魚のモチーフ、雑貨が置かれた、もちろん金魚の水槽もあった「金魚カフェ 代々木 2002年、既に閉店」串揚げ「金魚 日本橋 2010年」カフェだけでなく居酒屋、ラーメン店等に広がっています。東京の最新店は「日本パスタきん魚 浅草 2020年」。写真は「茶房きん魚 入谷 開店年不明」
英語日本語は金、フランス語・イタリア語は赤、ポワソンルージュ。きん魚の一番最初と考えるのはアパレル経営の「ル・ポアソン・ルージュ 表参道 1970年代開店」。
個人的に職場の方に誘われて行った思い出の一番最初の本格的フレンチ店。
今は閉店、料理も食器類も女性向のかわいらしい印象でしたね。
今は写真の「ポワソンルージュ 大井町 2005年」はカジュアルビストロと神奈川県相模原市の「Le Poisson Rouge(ル・ポアソン・ルージュ) 1995年」がネット上で上がっています。相模原のレストランは初心を忘れない気持ちを込めての修行先の同名、金魚の意味の、ポアソンルージュと命名。
中華も「ル・ポアソン・ルージュ 吉祥寺 1992年」日本語でも「台湾酒房金魚 銀座一丁目」
イタリアンは「ペッシェロッソ 港区海岸 2008年頃に閉店」レストランチェーンジロー経営の「PESCE D'ORO(ペッシェドーロ) 1998年1号店」は黄金の魚になっています。魚料理中心で、食材系の店名のようです。
金魚の種類では既に閉店の「蘭鋳 渋谷 2004年」戦前の上海のイメージ、ランチュウのアクアリウムがあった大正時代の洋館のダイニング。お客の記事には西洋と東洋が混沌とした雰囲気だったとか。
四川料理のカフェ「蘭鋳 神宮前 リニューアル2007年」もランチュウがいたそうです。食べログに掲載ラーメン店「中華蕎麦蘭鋳 杉並区堀之内 2010年」、お好み焼き屋「出目金 門前仲町 1987年」「でめきん 中野 2003年」、デメキンは全国にもそこそこ。
店名の金魚の由来は金魚をコンセプトテーマにしている「金魚カフェ」「金魚坂」以外はわかりません。中国では金魚は金運を呼ぶ吉祥物として図象、『金玉満堂ー宝が家に満ちる意味』として描かれています。
熱帯魚は趣味としてはお金がかかり、一般的でなくて、知られているのは映画カクレクマノミの『ニモ』ナンヨウハギ『ドリー』から。グッピー、エンゼルフィッシュ等、ほとんど0に近いです。
童謡『メダカの学校』メダカ、食べログに居酒屋「めだか」「めだか珈琲」以前アップ「めだかタンタン」等そこそこ全国ではありました。
愛玩用なので店名の由来はなかなか不明ですが、大阪の自然食カフェ「natural kitchenめだか2号 1997年」のHPではきれいな水でしかいきられないメダカに子供の姿を重ねて安心して住み続ける環境を創っていく姿勢を書いています。
ことり珈琲店(世田谷区深沢)
愛玩鑑賞の小鳥、昔はカナリア、文鳥、じゅうしまつ、いんこ、イギリスの国鳥である駒鳥のロビン等を飼っていましたが、今は犬猫の時代で、ちょっと劣勢。小動物のハムスターやハリネズミもありません。
種類をひとまとめにした小鳥・ことりが多いようです。お店のキャラクターにもなりやすい、かわいい、女性的なイメージです。
ペットの小鳥が居ることに由来するカフェ「ことりや 西荻窪 2012年」、友人の画家さんの名づけの『二羽の小鳥」のようなご夫婦でやっている「カフェドゥワゾー 阿佐ヶ谷 1985年」、女性シェフのフレンチ「le petit oiseau(ル・プチワゾー) 東中野 2013年」。
食べログには「ことり食堂 外苑前 2013年」「ことり珈琲店 世田谷区深沢 2015年」「KOTORI BAKE(コトリベイク) 西巣鴨 2018年」カフェやパン屋に付く例が増えています。
写真の「ことり珈琲店」は全体が白く入り口の木の模型、バードハウスが飾られています。店内には白い和文鳥がいるそう。FB等には小鳥好き北欧好き珈琲好きのオーナーとあります。
漢字の音だけの割烹「古都里 水天宮前 1995年」「琴莉」「木都里亭」
英語はバード、小鳥だけでなく鳥全般の意味ですが、英語の小食は鳥のような食べ方を意味するので小さいイメージもあると思います。カフェ「Cafe & Bar free bird(フリーバード) 下北沢 2008年」「Café Early bird(アーリーバード) 千駄木 2010年」
メーテルリンクの童話『青い鳥』からの喫茶店「Blue Bird 三鷹 2010年」カレー店「Curry&Spice青い鳥 幡ヶ谷 2015年」仏語「ロワゾー・ブルー 西麻布 1994年」「オワゾブルー 四ツ谷 2015年」の『一皿一皿食べることの幸福を』もあります。
もちろん食材系も、ラーメン鶏蕎麦の「小鳥 池上 2013年」多くの焼き鳥店につけています。最近オープン「cotori 祐天寺 2020年」も焼き鳥店
庭の小鳥が水を飲む水場の「cafe Birdbath(バードバス) 東高円寺 2012年」関連するものは小鳥のさえずる緑の空間の意味のフレンチ「ラマージュ 南青山 1994年」。ラマージュは投稿アプリTwitterの名づけ候補に挙がっていたとか。
ロジェカフェ(恵比寿)
小鳥が止まる「止まり木」も居酒屋に多く、ちょっと一杯に似合う店名ですね。洋系はカフェにあります。「loger cafe(ロジェカフェ) 恵比寿 2003年、小さい看板、写真2階」は止まり木でゆっっくり羽をやすめてリラックス場所を目指すカフェ。
比較的新してのは仏語「cafe de Perche(カフェドペルシュ) 御徒町 2013年」「バーチバイウッドベリーコーヒー(ウッドベリーコーヒーロースターズ3店目でPerchが止まり木) 代官山 2016年」も同じ由来。日本語の喫茶店も「とまり木 江東区東砂 2018年」も。
千鳥屋(駒込)
千鳥は『千・万』(写真の千鳥屋は地名の流行でアップした「千鳥屋 駒込 佐賀県1630年創業、千鳥屋としては1927年から、写真駒込総家本店は閉店。)に載せている千鳥饅頭やチロリアンで有名な和菓子店。千鳥の店名はHPに『お客と社会に笑顔をのために縁起の良い千鳥にあやかって』とありますbr />
小鳥と同様水辺に棲む小鳥を大きく囲った名と思ったら、ちゃん水辺にいるチドリ科の鳥という分類で、ほぼ世界中にさまざまな種類と洋系の呼称もありました。
日本には「コチドリ」や「シロチドリ」などが生息しています。万葉集にも和歌にも詠まれ、千鳥文様も奈良時代から愛用しています。ただ今のようにポッコリ体形は江戸時代の文様からのようです。
水鳥なので波と一緒になった文様『浜千鳥』は夫婦円満、家内安全などの縁起、困難な人生の荒波を乗り越えていく願があるそう。
その音、千鳥から『千取り』のごろ合わせで、千の福が手に入るの意味で、勝負運も幸せも得ることができる象徴になっています。
千登利亭(京都)
古くから知られているのに意外と少ない字替えの店名、写真の「千登利亭 京都 1899年」(再掲)「千登里」「千渡里」。
レストラン、ラーメン店、業種の幅は広いのですが、東京は平仮名、漢字が多い傾向。牛鍋「千鳥 神田区 東京案内1907掲載」和食「千鳥本店 牛込区 東京市商工名鑑1933年掲載」「ちどり鮨 国分寺 1954年」
食べログにある新しい店は「ちどり珈琲 押上 2016年」「板蕎麦ちどり 吉祥寺 2020年」。
チドリアシの店名もあるようにほろ酔いでフラフラと居酒屋をはしごしていく、千鳥の店名は縄暖簾とカウンターのある、おでん居酒屋「千鳥屋 西荻窪 1960年中頃」のような店に似合う様に思います。
ハミングバードコーヒー(目黒区鷹番)
うずらは鶏と同じく家禽類かと思ったら、今はペットにもなっているようですね。一般的には食材のウズラ卵の方が知られています。
中国、火の鳥で不死鳥扱い夏をイメージして、勇気、戦意そして貧困。アジア、ヨーロッパでは熱意のシンボル、春に渡来するので太陽の再生のイメージです。聖書にも天からのマナとして出てくるそうです。
ガイド本に載る唯一の「島村 日本橋区通り4丁目 1864年」はうづら料理専門店。(『食行脚1925年』に詳しい)。現在は埼玉県にはうずら養鶏農園経営レストラン「うずら屋 所沢 2008年」を開いています。同じく北海道の生産者が「うずらカフェ 駒沢 2020年」を、ウズラのプリン、カステラ、アイスを販売しています。カフェにはうずら卵かけご飯メニューがあります。
上の2店は食材系ですが、ネットでトップに上がっているのは戸隠の有名蕎麦屋「うずら家 長野市 1967年」、フレンチ風焼き鳥店「うずら屋 大阪市京橋 2002-2013年、京都市四条支店2007年開店あり」は両方とも由来不明。栄養価が高いので、いつごろかウズラの卵がザルそば(大阪美々卯にうずらそばのメニューがあります。)やトロロそばに添えられてはいます。
八芳園のカフェ「Thrush/Cafe(スラッシュカフェ) 白金台 1998年」はツグミ。
世界一小さい鳥のハチドリの意味の「Humingbirds hill(ハミングバーズヒル) 神宮前 2009-2017年」。「ハミングバードコーヒー 目黒区鷹番 2017年」は南米の神話から山火事を消すため嘴に水を貯めて何度も往復したストーリーから、今できることをコツコツと・・・の想い。幸せと癒しを運ぶ鳥でもあるそう。日本語のハチドリもあります。イメージはクローバーと同様外国からのものと推測します。
全国的にも多いモッキンバード、和名物まね鳥、マネシツグミ、なぜか?当たり前か?焼鳥屋の多いですが、由来はわかりません。
ケーキ屋ステーキ店の食べログ記事を読むとアメリカンテイストを言っているのでアメリカンの世界をイメージでしょうか。
アメリカではとてもポビュラーな鳥で、カクテルやポピュラーソング、1962年公開の名作グレゴリー・ペック主演の『モッキンバードをころすこと(日本語題名アラバマ物語)』等に使っています。
参考資料
◇世界シンボル大事典 大修館書店 1996
◇図説世界シンボル事典 八阪書房 2000
◇日本古典博物事典 動物篇 小林祥次郎 勉誠出版 2009
◇日本文化のかたち百科 丸善 2008
◇世界宗教大事典 平凡社 1991
◇日本史大事典 平凡社 1993
◇動物信仰事典 芦田正次郎 北辰社 1999
◇日本史小百科動物 近藤出版社 1979
◇日本史のなかの動物事典 東京堂出版
◇図説日本鳥名由来辞典 柏書房 2005