日本人は何を求めどこへ? 6
頭と尻尾のはなし
店名には語尾に江戸時代は屋、堂、一番最近のはダイニングとついています。時代の流れで変化していますが、それだけでなく、メインの店名になってきたものもあります。
あたまとしっぽのはなし
最初の食べ物屋は旅行者のための茶屋。現在も観光地によく見かける茶屋は今で言うならカフェですね。小腹がすいた時、のどが渇いたとき、一息する場所です。今もお寺や神社の参道によくあります。
江戸時代の最初の食べ物屋は文献上は浅草の茶屋、奈良茶飯屋で、1600年代後半に固定の、屋台ではない店として登場します。
京都にはこの茶屋始まりの食べ物屋がまだ続いて居る「山ばな平八茶屋(山はなは山の端、京都の山の端の洛北にある) 1573-1586年(天正年間)開店」、元二軒茶屋の「中村楼、江戸後期から料理屋のに」、「瓢亭 1600年代、料理屋は1837年から」のはあるので本当に凄い。
食べ物屋だけでなく、屋、家は一番古い商店のしるしです。
江戸後半に堂が出てきます。印刷、文房具、薬などを扱う店に付き、神仏ののお堂、集会場所のイメージで、強固な建物になります。
蕎麦屋から出てきた庵。隠遁者すむ草の小屋、庵。うまい蕎麦を打つ庵主にあやかり広がったもの。懐石、会席にも広がり、またANとして洋にも使われます。庵(イオリ)のイメージが狭いところで少人数にご馳走する感じが良いのでしょう。
江戸時代から明治になり、軒、亭がほとんどですが、カフェには会館なんてものも。丸の内の「東京會舘 1922年」、芝の「紅葉館 1881年」のような館は大きいお金持ちの館(やかた)のイメージ。
館だけ現代も珈琲館、味館、中華は菜館が食堂とおなじ意味なのかとても多いです。中国茶の茶館も。
楼、亭、殿も屋より広く、大きく思えますね。楼は江戸時代、遊郭に多い物で、館と同様の広さのイメージがあります。
★須田町食堂★
最初の外食王と呼ばれる加藤清二郎氏が起こした「須田町食堂 一号店1924年開店」。
軒や屋を付けず、あえて大きなビルの広いホールのイメージ、ダイニングルームの呼称の食堂を付けたのは『良いものを安く多量に・・・』の想いがあってのことではと東京人1994年76号の『日本外食産業の革命児』の記事にありました。
(2014.8.11)
(追加2017.11.17) 親会社の「聚楽」が2015年に「須田町食堂 秋葉原UDX内」を復活しました。メニューはもちろん今風、ピザやフレンチトースト、アヒージョもありますよ。
割烹○○、割烹△△等、店名のあたまに置くようになりました。 このカウンター方式が現在洋食の世界にも広がり、「シェフズテーブル」という特等席で人気です。
お客を作る側に招くか、食堂側に招くかで店名も変わってきています。
フランスのカフェはテラス席とカウンター席では値段を替えています。観光客はテラス、常連はカウンターですね。
コーヒーハウスからのハウス、狭いイメージではカフェのルーム(ティールーム)から始まり、サロン、ラウンジこちらはまだお客側。ラボ(ラボラトリーの略、研究室)、アトリエは作る側に招く感じ。
ごちゃ混ぜのイメージは市場、センターです。近くにの項目で書いたように、食材の作る場に近づきつつあるのです。「イカセンター」「カレーセンター」「焼肉市場」「まぐろ市場」など食材、料理名と組み合わせるのが定番です。
狭い場はお客との濃い関係を、広い場は多種多様な料理、材料が自慢というところでしょう。
先に店名ありきのタイプは観光地とか、店の数が多いところ向き。洋食店は外国語の文法上からもカフェ○○、レストラン△△となるので、最初から頭に付いていました。
ダイニングが今の一番人気です、これにカフェを加える店も多い。どんな料理にも対応できて、広い範囲のお客を招くことができる、時間も朝から夜中まで来てもらえることが大切なのです。
現代人のライフスタイルに合わせたお店作りができます。
他の業種に多い初代、本家、元祖、本舗もよく出てきます。元祖、本家、本舗の争いが反映されていて、少し生臭いかな。
検索したら札幌のカレー店がこの三つの語を全てつけて「元祖薬膳カリィ本舗アジャンタ総本店」とありました。本当に大変!
★○代目★
この型でもうひとつありました。数字の項目の調べて○○代目がついたのが多くありました。
本当の「五代目野田岩」や「三代目たいめいけん」もありますが、古さを際だ出せるためと、あえて支店にこれをつける例が見受けられますね。
ラーメン店がおおいです。伝説、異端児の形容がついている「一条流がんこラーメン総本家」が広めたのでしょう。1982年高田馬場で創業しましたが、ある日突然弟子に譲り次の地で開業、現在は四谷です。八代目直系まであります。黒い壁、戸、太い牛骨が看板代りです。
他に四十一代までいっている「哲麺グループ」、ホームページには家系図なるものが載っています。ラーメンの味を変えるたびに開店する「けいすけグループ(9代目まで)」も有名。
老舗の料亭、酒屋、中卸等があたらしく開業するさいも使われます。「まぐろ問屋十代弥佐ヱ門 秋葉原 2005年」「築地青空三代目 2004年会社創業」など
(2013.2.15)
〔2013.3.30追加〕
ストアの日本語「商店」は和歌山ラーメンの「井出商店 1953年」が古くから有名でラーメン屋さんでもシッポにこれを使う店がありました。しかし、今増えているのは居酒屋と肉屋系の食べ物屋さん。
どちらも売ることから始まり、その商品を使って食べることができるコーナーを作ることが多くなって来ました。
元々、居酒屋自体が名の通り、江戸時代末頃から酒を売りながら、軒先で味見を兼ねて、立ち飲みを開いたことが始まりです。
スタンドは立ち飲みでジュースやコーヒー、蕎麦など駅前、駅中で、あとデパ地下もありますが、昨今の立ち飲みの流行でワイバーで増加中です。
こちらもよく雑誌等に取り上げられていた今では都内5軒(2017.9月で20店舗)もある「ビーボ デイリースタンド(最初は中野)2007年」の力も。
雑誌にはほかに空間プロデューサー山本宇一さんの「STANDO」シリーズとして「STANDO G」「STANDO T」「STANDO S」が載っています。
立ち飲みなのでワインバー以外はつけないでしょうと思っていたら、イタリアンのカルミネさんのリニューアル店が「カルミネ表参道スタンド」となっていました。気軽に立ち寄れる雰囲気作りのためです。
頭に付くか、尻尾につくか。イタリアンで西麻布にあった「Ristorante Terauchi」が「イタリア料理テラウチ」となり、2011年に二子玉川で洋食「寺内食堂」となったと思ったら、イタリアンに復帰の2012年TERAUCHI(テラウチ)。➡その後のはこちら『テラウチ変遷』
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まんなか
店名そのものとして、イメージが定着したもの、庵や洋物のブラッスリー、カフェ、ビストロ、オステリアが単独の使われる例が増えています。
反対にパレス、蔵などは独立して使われていたのが後ろに付くようになります。
ビストロは居酒屋の意味ですが、最初は「ビストロ・ド・ラ・シテ」、「ビストロ・ロテュース」のようにビストロじゃないレストランにも使われています。
ビールをメインに扱う居酒屋のブラッスリーも同様です。「ブラッセリー・ド・パリ銀座 1968年頃」「ブラッセリー・オニマ 自由が丘 1978年ガイドに掲載」が、ありましたが、こちらは表参道の「ブラッセリーD 1981年」が最初でしょう。
そしていきなり帝国ホテルで「ラ・ブラッスリー 1983年」としてまんなかに一本立ちでした。
仏料理系のビストロやブラッスリーはほかの分野の店にもあるのですが、ライバルの伊料理店の「トラットリア」「オステリア」はなぜかほとんどイタリアンです。
「トラットリアビノエパスタ 原宿 1983年」がトラットリアの日本での最初のレストラン。
タベルナ、クチーナ、ヴィネリアはこれだけで店名であります。
さらにちいさく、「オストゥ」や「メツシータ」などの居酒屋を現すイタリア各地の方言まで使われます。
フランスのように広い多様な分野からの名づけるのができず、食関連の分野にとどまっています。
最近の傾向は規定されるのをきらい、サロンやあえてレストランをはずす店もあります。「レ・クレアション・ド・ナリサワ」は最近料理の枠をはずして・自由に客に利用をと考え「ナリサワ」のみにしました。
また、あたまのはなし
多種多様なたべもの、日本中、世界中からやってきますので、店名をそのものにしてしまう例もありますが、現在はたいていは頭に説明文、キャチフレーズ付、ショルダーネーム(肩先店名)、冠名が多い。
ダイニング系にはインテリアの説明から、料理、飲み物の説明まで全て付いているものも。90年代後半のガイドブックにはこのキャッチフレーズ共に店名として載ることが多くなる。
編集者もはっきりと店名と区別ができなくなったようです。ぴあMAPグルメの1996年版には「美酒と美味=空(新宿)」や「海鮮酒屋ゆう」がそのまま頭の音で配列されています。
雑誌「東京カレンダー」の食べ物屋のムック「東京情緒食堂」は2007年版までは50音順のインデックスを載せていたのですが、2008年からは地区別インデックス、2010年からはなくなっています
これは正しい店名と地区名さえあればインターネットで調べることができる客の行動変化への対応です。
以前はフランス料理の「アラジン(広尾)」のようのわかりやすく、見つけやすく、頭にこだわり、電話帳のア行に載る店名にこだわった時代もあったのですが・・・。
写真の渋谷の「吉田パスタバー(オーナーの名前)」は2009年開店で、最初雑誌の掲載はこの店名でした。ところが2012年掲載では「Osteria Casa Yoshida Pasta Bar 葡萄酒場&tapeo 287st」と長~い店名。最近、偶然にもテレビでこの店のパスタが紹介され、ダウンタウンの浜田さんがこの店名を呼んであまりに長くて途中で「なんじゃこりゃ」と叫んでいました。
頭が居酒屋という業種、店主の苗字、食の種類と飲み物、最後に住所という訳です。
「オレのざっくり料理とカブ飲みワイン俊二」の店名のようにインターネットは全てを説明してしまう、外国の方も見るのでイメージを排除するほうが向いているのです。 ★TOP頁へ★★TOP頁へ★(頭と尻尾のはなし) ☆頭と尻尾のはなし NO.2 ☆流行の先へ ☆日本が好きアメリカが好き ☆力・パワー
プラスのチカラ
ミステリーの結末ががけっぷちであることが多いのはよく言われています。定番化していても、なぜか崖?
心理的に後がない、先には進めない場所、懺悔の場所のシンボライズ。キリスト教の戒告の場も狭い。
屋、軒、亭は一軒家なので、現在はイメージは特にわかないと思います。でも、浅草の有名店、天ぷらの「大黒家」さん、明治終わりに蕎麦屋から天ぷら屋になる時「大黒屋」から「大黒家」にしています。ご近所に大黒屋さんが多かったのでしょうか。お米屋も薬屋も質屋も多い店名でしたから。
★大黒家★
今年の東京テレビの『アド街ック天国』の放送の浅草を取り上げたとき」、大黒屋のご主人が七福神の大黒様のいらっしゃる家、縁起の良い家と答えていました。家でさらにプラスの意味を広げていました。(2014.2.10)
明治40年の「東京案内(掌華房)」の約320軒の飲食店で、家は「濱乃家」一軒でした。
ついでに屋と亭が一番多く30軒前後、軒は以外に少なく7,8軒。楼が以外に多く、20軒程度。半分以上がなにもなしで、限られたお客を相手にする料亭が名前を言うだけで、「新喜楽」「花月」だけで通じてしまうからです。
現在はあらゆる場、空間のイメージを求めて付けられる時代。室内に入ってキッチン、クチーナ、台所、厨房、坊、房は家庭的、仲間のうちのイメージ。
外のガーデン、庭、園、苑、テラス外気に触れる開放感。園、苑は中華や韓国系のおみせに多いので焼肉屋を人によっては思い描くかも。
自由に歩きまわる市場マーケット、センター、ストア、横丁は入りやすくにぎやかなイメージ。新鮮できたてはファーム、ファクトリー、工房。
高い価値を感じるのがアトリエ、ギャラリー、サロン。
さらに狭く暗い蔵、セラー、カーブ、洞はより親密感と温かい雰囲気を持たすことができます。
ガストロノミーは日本には数少ないのですが、ウィキや雑誌2012.11月号の「専門料理」では元の意味は美食術、美食学です。
でも最高級の食材にこだわった高品質のレストラン、レストランの中のレストランの意味でヨーロッパでは使われるとのこと。
ともに増えていますが、「匠」は意味合いが違います。
陣はエリア、陣地の意味で上記とおなじように場の広さをプラスするものですが、匠は人の技術の素晴らしさを強調するものです。実際に使われているのは麺匠。魚匠、鶏匠、肉匠、鮨匠など。
食べ物の世界でメジャーにしたのは四谷の「すし匠 1993年」ですが、この言葉自体はCMでもよく見かけます。さかのぼると内橋克人氏の「匠の時代(1978)」からでしょう。日本の技術者の健闘振りを描いたノンフィクションでした。
後の人気NHK番組「プロジェクトX」にも多大な影響を及ぼしたとのこと。今も各分野で叫ばれている「技術立国日本」大本の言葉が「匠」なのです。
★番長★
「番長」は本来、学校の不良グループのリーダーの呼び名ですが、何時頃からか、マイナスイメージが減り、食べて側のリーダーのような使い方が出てきました。ホームページやブログでもスイーツ番長、カレー番長の名が挙がっています。店名では当然料理食材中心で「匠」とは逆のチェーン化しやすいシッポです。「ホルモン番長」「鳥番長」「豚番長」「串焼番長」「火鍋番長」等。 (2013.4.4)
60年たったら古くなった『軒』が100年たった今では、古さにあこがれ、老舗っぽくするため使われます。「浅草軒 1994年1号店」「やよい軒(2006年)」・「鉄ぱん軒(2009年)・「神南軒 渋谷 2004年」・「ポンチ軒(2012年) 小川町」など。フードビジネス系の店が多いようです。
追加の小川軒の情報ですが、新橋のパティスリー専門の小川軒に古い小川軒の写真が入り口にあり、そのなかで頭に「ステーキハウス」とついていました。
★クラブ★
選ばれた高級感を加味する「サロン」はあまり多くないので、挙げなかったのですが、クラブ、倶楽部が以外に多いのを発見しました。
同好の人の集り、学校の運動クラブ、文学クラブのように使われます。
超高級な「網町三井倶楽部」「Q.E.D.CLUB(キューイーディー・クラブ)(ラテン語でこれ以上のものはない、最高級の意味の略) 恵比寿」から、庶民的な一品自慢のお店、「焼き鳥倶楽部」「バーガー倶楽部」「ステーキ倶楽部」「ワイン倶楽部」「ディープシー倶楽部」、地名の「千駄木倶楽部」「江古田倶楽部」「根岸倶楽部」、形容詞系の「エクセレントクラブ」「セレブリティクラブ」など使える範囲の広いものです。
背景には美食家北大路魯山人の「美食倶楽部 1921年創設」や会員制エグゼクティブクラブ「エスカイヤクラブ 1961年創設」の影響も多少あるのでしょう。(2013.2.20)
★サロン★
上ののプラス項目で書きましたが、サロンは風俗系に多いので、クラブよりは普及度低いですが、徐々に増加中。
もともと、17世紀、フランスの女主人(有名なのはランブイエ夫人、ラ・ファイエット夫人、ポンパドゥール夫人)を中心に主催され、文学、思想、劇作家たちが集まり、議論をたたかわせていた場所、応接室のこと。
時代と共に、これが文学カフェに移行しました。絵画の世界では印象派と対立していたパリの芸術アカデミーの名『サロン・ドゥ・パリ』がしられていますね。
倶楽部は男性中心の集まりで女性は入れませんでした。20世紀初頭にティー・サロン、「サロン・デ・テ」が現れ、こちらは女性が、むしろ今もお客は女性中心です。
1984年にパリからやった来た「サロン・ド・テ・アンジェリーナ(1903年パリで開業) 銀座」、2008年「ラデュレサロン・ド・テ(1862年パリでパン屋として開業、その後1871年にパティスリーに) 銀座」はがそれです。
サロンが付くもの、ネイルサロン、エステサロン、ビューティーサロン、ヘアサロンと女性が集まる場所。
そのため、サロンとつくのは女性が大好きなスイーツと紅茶を出すところががもちろん多いのです。
もう一つのタイプは限られた人々へのレストラン(実際は違う店も)の雰囲気を醸し出すもの。「シェ松尾青山サロン 表参道 1995年」「サロン・ド・シャンパーニュ・ヴィオニス 新橋 2004年」「ル・サロン・ジャック・ボリー 新宿 2012年」以前挙げた三軒茶屋グッチーナ経営「サロン・ド・カッパ 麹町 2010年」1950年からやっていたキャンドルが再開した「サロン(SALON)1950 銀座 2015年」等。
(2015.4.30)
和食がよく使う名前を漢字を字変えすることはローマ字はできないので、自分の想いをプラスして店名に表現しています。
先に書いた(遠くにあこがれて 足元にあり)表現作品として価値を強調するものもありますが、この頃は少し変化が認められます。
イタリアンは店名としては日本化がそこそこ進んでいるので、広く選べますが、逆にイタリアンを濃い想いを現すのは名前では難しくい。フルネームはテレビで有名になった「タツヤカワゴエ 代官山」が目立つくらいです。
以前取り上げた「エルカンピドイオ 経堂」、元西麻布カピトリーノはよく調べると、頭に「ホスタリア」がついています。オステリアの古語だそうです。よりイタリアンの強調は時間を遡ることで現しているようです。
このプラスの力をあえて外すレストランは先の「ナリサワ」以外にも大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」自分色をより強く料理に反映させるために「レストランガストロノミックス」をなくしたとのこと。(『三ツ星レストランの作り方 小学館』より) ★TOP頁へ★(頭と尻尾のはなし) ☆頭と尻尾のはなし NO.2 ☆流行の先へ ☆日本が好きアメリカが好き ☆力・パワー
頭と尻尾のはなし NO.2
店名は商標登録され同じと認識される店名は使えませんが、頭や尻尾につくものは一気に流行します。凄い勢いで店舗数だけでなく、各種の料理店も広げる「俺の・・・」などもほとんど頭化してます。流行元の会社名が「俺の」になっているのは笑えますが・・
近く、近すぎず
〇 おおきな近所
一瞬見ると、会社かと思う水産、問屋、組合、農場、商店がつく店名がグッと増えています。
居酒屋の「さくら水産」「塚田農場」の大手チェーン店も店数がうなぎ上り状態。対抗する居酒屋チェーン店も似たような「山内農場」「大庄水産」「磯丸水産」も同じように増加中。
「塚田農場」経営のAPカンパニー、最初の頃(2006年)は宮崎県産地頭鶏の生産とそれをメインの「じとっこ」の店名から始めています。
今は頭に生産地「宮崎県日南市塚田牧場」として、尻尾変えた「宮崎市日南じとっこ組合」の別の店もあります。
現在は「塚田牧場」の店名で「鹿児島県霧島市塚田農場」「北海道シントク町塚田農場」と続きます。オーナーの著書ではお客にどこで生産したか説明する必要からだそうです。
APカンパニーは直の食材の仕入れ先を店名につけていて、「関根精肉店 2007年」「平澤精肉店」「芝浦食肉 2009年」と続いています。
寿司居酒屋「はなの舞 京橋1号店 1995年」を展開のチムニーは2013年から「龍馬軍鶏農場」「豊丸水産」2014年「魚鮮水産」を開店しています。
食べもの屋の店名らしくないものが増えてきました。センター、商店、精肉店など、実際に魚貝、肉を扱う専門店が経営していることも多いようです。
センターは別として、商店、精肉店は日常に使うもの、プロがいるというイメージです。
精肉店は肉の○○、肉の××、英語のミート○○が、ミートバルも多いです。「ミート矢澤」「肉の中勢以(頭を変えてサカナの中勢以を2014年に開店、魚ではなく肉を使った肴を出す)」が頻繁に雑誌登場しています。
フードビジネス系の「肉屋の台所飯田橋ミート」「肉屋の台所田町ミート」のようにダブってつけている店もあります。
センター街や建物の多摩センター、ショッピングセンター、ゲームセンターに付いているセンターが食べ物屋に付くのは市場とおなじ意味でしょうか。センターは中心、真ん中、中心的施設、機関の意味。以前は公共施設につけられていましたが、現在はなぜか日本語の名前。
個人店はなく、魚や肉を集めた居酒屋系チェーン店がほとんどなので、食材を多種集め、人を集客するイメージからつけられます。
「神保町食肉センター 2010年」「イカセンター(新宿総本店を含め8店)」「三田魚介センター 2012年」ほか。
▼ 小さな近所
小規模な感じなのは工房、尻尾につきます。工場、ファクトリーよりは職人が手間をかけて手作りしている姿が想像できる工房。
同じ意味でアトリエもありますが、最初は店名として、最近は以前の別項目で挙げた「アトリエ・ド・アイ」「ラトリエ・ドゥ・ジョエル.ロブション」、サードウェーブのセカンド店「猿田彦珈琲アトリエ 仙川」「カフェ・ファソンロースターアトリエ 代官山」の本店とは毛色を変えたラインの店につけられています。
ただ、工房に比べると芸術寄り、工房は職人的雰囲気をだせます。応用範囲がとても広いです。
お客が憩う場所より作っている料理人のスペース中に入る感じですね。
以前から多いのはパン工房、お菓子(ケーキ)工房、味工房、麺工房。それに今は単品の料理でお客を呼ぶ食べ物屋が増えているため、食材、料理、飲み物と組み合わせられます。
「蕎麦工房」「カレー工房」「パスタ工房」「餃子工房」「燻製工房」「和食工房」「洋食工房」「串工房」「鶏工房」「豚工房」「ビール(麦酒)工房」など。
他の店名に多い地名や名前の単独で付けるのは他の製造業と間違えられるので、食材等が組み合わせて付いています。
流行の先へ ⓢー(追 加2017.11.25)・(追加2017.11.30)
◆ 増加するパルの変化
洋食系のバルはあっという間にひろがりましたね。バルのバージョンアップの店にはビストロやトラットリアが付くものもあります。
「大衆ビストロジル 目黒 2013年」はその典型、煮込みもの中心の「大衆ビストロ煮ジル」も2014年に2店開店しています。
バルに食材、調理法を加えてあらゆる範囲をへ拡散中です。バルで和食からフレンチ、アジアンまで網羅しています。圧倒的に多い食材ですが、店名が同じに見えるので、工夫が必要。
多くのオイスターバーを経営するヒューマンウェブは最初は食材、料理法で「ウォーターグリル・オイスターバー 赤坂 2001年(既に閉店)、」から「ガンボ&オイスターバー 新宿 2002年」「フィッシュ&オイスターバー 福岡市 2006年渋谷2007年」「シュリンプ&オイスターバー 横浜市2010年同年赤坂サカス店」へ、場所名の「オイスターテーブル 福岡市 2012年同年銀座店」「ザ・カーブ・ド・オイスター 八重洲 2014年」へと数々のバリエーション。
チェーン店が増えてくると変化系多数。「牡蠣バル」「牡蠣小屋 恵比寿 2009年」「かき殻荘 大井町 2013年」「浜焼センター」「かきの家」「フィッシュハウスオイスターバー」「フレッシュオイスターテーブル」ダジャレ風「牡蠣入レ時 中目黒 2013年」。
ちょっと工夫した「オストレア(オイスター+トラットリア) 赤坂 2007年」はイタリアンでもあります。
2013年オープンの「牡蠣屋バル(表記はkakiya Bar) 飯田橋 2013年」はどっちが店名?ですね。
少々、考えているなと思う店名、「ギガス オイスタースポットバー 高田馬場 2012年」は店名のギガスか牡蠣の学術名(HPより)とか。
フレンチ系のエカイエは少なく、南欧料理からオイスターバー業態変更した「ジャックポットエカイエJP」のみ。
◆ 鶏料理店の頭と尻尾
バル系で大人気なのは鳥を使った料理、江戸時代は鳥鍋を出す鳥○○が、明治30年代中頃に出できた焼鳥を扱う焼鳥屋も鳥△▼という店名が多く付けられ続けてきました。
つい最近出版の『やきとりと日本人 土田美登世 光文社 2015年』には焼鳥屋は鶏肉だけでなく、豚の内臓、うなぎ屋が焼鳥を出すなど高級、庶民派といろいろな変転をしてきているとか。
1970年からチェーン店多数の「ケンタッキー・フライド・チキン」のイメージが強いためか、チキンの店名は少なかったです。
1990年頃、等々力の「チキンズ(CHIKIN'S)」がフランスの鶏肉を扱う料理を提供、野菜にもこだわった店でしたが、乃木坂、飯倉、八丁堀で移転後、閉店。
同じくフレンチ「シェーブル」からの業態変更で、外国の鶏とワインの「萬鳥(萬は仏語のヴァン) 浅草 2000年(現在は店名を元に戻し、2007年開店の丸の内店のみ)」、フレンチの元シェフの「ぎたろう軍鶏炭火焼鳥たかはし 五反田 2005年」も外国名は使いませんでした。
それが近頃、肉系バルは手軽さもあってローストチキンが供されるバルが増えています。料理が単純のためか、多店化が急激に進んでいま「カブリチキン」「チキンレッグ」「ローストチキンハウス 丸の内 2008年」「クィーンオブチキンハウス 新橋 2013年」「ママチキン」「ミスターチキン 駒沢大学 2009年」「チキンマン 六本木 2001年」。アメリカンから中華、韓国料理、イタリアン、フレンチと共に出される料理も多種多様になっています。
焼鳥の高級路線は以前かいたように店主の名が前述の「たかはし」のように多いです。
高級路線の「バードランド 銀座 1987年に阿佐ヶ谷で開業、2001年移転」やここで修行後の開業した「バードコート 北千住 1999年」はあまり広がりませんでした。バードはやはりペットのイメージです。
鶏は宗教的禁忌に触れないことが多いので、いろいろな料理に使われます。
近頃の焼鳥の洋風化がさらに進むと、食材の肉系の頭と尻尾がミートが増えているので、あまり変化のなかった鳥○○の店名がそのうちチキン○○、△△ロティになるかも・・・。
□ 狭い場の頭と尻尾
バルは狭い空間で営業することが多いので、広い場所をイメージさせる店名は?なところがあって、使いにくい。『仮装をまとった言葉』の項で挙げたバル系の店が多い路地からの店名「ROZI」「ROJI」「LOJiCA」、以前流行した隠れ家の代わりに、少しづづですが出できていますね。
東京テレビでも激狭、分かりにくい路地にあるみせがよく取り上げられています。
「路地裏バルO'S 小川町 2014年」「「路地裏の地鶏屋」新橋で多店開中の魚金の「路地裏魚金 新橋 2011年」「路地裏三軒目 神保町 2013年」
地名と組み合わせ「駒露地 駒込」「千駄木露地 千駄木 2007年」など。店名から頭、尻尾化への道を歩み始めています。
● 頭と尻尾へ・旬
『料理関係ーその他』の記事で旬と彩が店名に付く例がおおくなっていると書きましたが、今はそれが頭や尻尾に付くタイプへシフトしていますね。
旬彩と旬菜の付くものが一番多いです。昔は同様の意味で頭に四季の御料理、季節料理という言葉でつけられていました。
店名としては一番最初にガイドで見たのはなぜか「旬采 六本木 1988年」のフランス版炉端焼き店、今はイタリアンとしてあります。采の字はサイと読むサイコロの意味、采配の字ですね。同じ字で「旬采 二子玉川 1995年」が食べログにあります。
今は一番正当な旬菜として頭に付いて「旬菜青山 銀座 2003年」「旬菜あさの 広尾 2005年」「旬菜おぐら家 池尻 2011年」和食に付きます。ステーキを和食にアレンジした「旬菜ステーキ処らいむらいと 市ヶ谷 1986年」も有名ですね。
旬の付くバリエーションが山のようにあります。
ざっと挙げると、「旬菜料理」「旬菜酒肴」「旬菜厨房」「旬菜酒房」「旬菜人」「旬菜旬魚」「風土旬菜」など。大手居酒屋チェーンも新味を出すため「旬鮮酒場天狗」となったりします。
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■ 変わっていく鮨屋の頭と尻尾
鮨屋は頭や尻尾がそんなに変化はないと考えていましたが、近頃はミシュランのような国際化の風に吹かれ、変わってきています。鮨屋の始まりのころは近江屋、駿河屋と普通の店と変わることがなかったのです。
すしは鮓と鮨の二つの漢字が店名の尻尾として江戸時代から使われていました。握り鮨の時代の前は鮓の字が中心。保存食としての漬けた飯鮓、馴れずしを売っていましたのでこの字。鮨の字はシオカラのような魚だけの保存食を呼んでいたようです。
『寿し物語 宮尾しげを 1972年』からの引用ですが、1780年の出版物には「深川鮓 深川富吉町」「笹巻鮓 日本橋品川町」「お満鮓 京橋中橋」が載っています。
1780年代の食べ物屋の本までは鮓の字が中心にあったのですが、早やずしの握りずしが流行して、御膳、鮓所、御鮓所、鮓、鮨が混在していました。
江戸末(江戸名物酒飯手引草1848)には賀字の壽し、寿司がほとんど、どこの鮨屋から始めたのか、残念ながら不明です。
1958年の鮨屋の組合員名簿で調べた1000軒弱のうち、頭と尻尾につくのは鮨と寿司は半々位でした。
食べログ(2015.2.20)の四区(千代田区、中央区、新宿区、港区)のチェーン店を除く1000件弱では鮨228、寿司176、すし98。何もつかない姓、名のみの鮨屋が58軒。
★鮨と寿司の字★
漢字の図書を多く出版されている文学者の笹原宏之氏のエッセイで見つけたものですが、鮨の字は魚篇が付いているので、マグロのような高級ものの感じ。魚篇がつかない寿司はちらしずし、いなりすし、回転寿司が似合うと書いていました。同じ司の付く上菓子を商う御菓子司(オンカシツカサ)は京都の禁裏御用達の和菓子屋。名目上の官位、掾を公家から授けられ、店の看板にしていました。
吉宗の時代に砂糖が量産され、一気に和菓子屋が増え、差を付ける為にも位を得て看板にする店が出てきます。
公家の方もお金を得て、両者の利益が一致した結果です。江戸まで出張して位を授けていました。
有名な虎屋も「虎屋近江大掾」を名乗っていました。
高価な上お菓子はめでたい時に出されるものです。武士が中心で各地でも藩御用達の御菓子司がありました。江戸の庶民には縁がないものでした。
でも『めでたい(寿、ことぶき)ときにも出されるのは鮨も一緒』ということで、料理名の鮨の尻尾をめでたいことを司るもので寿司の当て字にしたのではと、個人的推測なんですが・・・。 (2015.7.20)
★鮨と寿司の字★
( 追 加 )NHKの番組『日本人のおなまえっ』(2018年5月21日放送)で寿司・鮨・鮓の違いを取り上げていました。
最近このHPでも参考にしている資料の著者、飯野亮一氏が出演され、説明されていました。
鮨、鮓は昔から使われている酸っぱい意味の熟れスシですが、壽司、寿司は徳川吉宗時代、江戸時代後期から使用され始めたそうです。
この時代長寿を祝うの(古稀、米寿)が流行になり賀字文化が起こります。その影響から長寿にあやかり、すしのすの字にめでたい壽、寿を当てるのがブームになったそうです。
江戸末期アッと増えて江戸末期の案内には91店中、60店以上が寿しになっていたようですね。
司の字は100年後の明治16年頃に上方をルーツとして使用が始まっていました。最初の『鮨と寿司の字』で書いたように御菓子司が元になっています。御用菓子屋を意味するこの呼び名が寿司の権威付けのために宮中御用達の意味を付けくわえたそうです。
『東京買物独案内 1890』『東京諸営業員録 1894』には「松壽司 浅草」が掲載。『東京買物独案内 1890』では鮨屋はほかに2店「与兵衛すし 両国元町」「ほかけ寿し 日本橋区通壱丁目」載っています。
手元にある資料の参考資料『明治東京有名食品案内 1905年』では金寿司(神田佐柄木町)安宅松寿司(浅草)いろは寿司(神田小川町)と現在でも名のある鮨屋が紹介されています。(2018.5.31)
このころではもう珍しくなっているどこで修行したかわかるタイプ。以前は相当数ありました。
今の流行は割烹と同じく、看板にも鮨屋の表示がない店が増えています。カリスマと呼ばれる職人による鮨屋が多いです。「さわ田 銀座 2002年最初中野」「あら輝 銀座 2000年に世田谷区で、既に閉店」「ゆう田 西麻布」「ほしな 銀座 既に閉店」。
1970年代のガイドにも「与志乃 京橋」「なか田 銀座」「久兵衛 銀座」「きよ田 銀座」「次郎(現在は支店もあるのですきやばし次郎) 銀座」のカリスマ元祖が「顔をそろえています。すし、sushiと表示しているのは外国人の増加によるものもでしょう。
すし、鮨+姓のパターンの有名店におおいです。「すし浅尾 月島 2007年」「すし岩瀬 新宿 2012年」「鮨松波 駒形 1964年」「鮨青木 銀座 1986年最初麹町」「鮨かねさか 銀座 2000年」「鮨水谷 銀座 2005-2016年」「鮓廣瀬 西麻布」「鮨小野 恵比寿 2007年」「鮨なかむら 六本木」
住所と姓のパターンも多いですね。ワインを出したり、それに合う肴を創作したのする店で、鮨屋の括りには外れる「銀座あらた 2014年」「築地黒瀬」「恵比寿ほし 2011年」「麻布十番おざき 2005年」「西麻布いしい 2009年最初以志井」「白金ふくだ 2007年」
★麵屋と鮨屋の河庄★
蕎麦屋の頭は蕎麦の種類、つけ蕎麦、辛みそばなど料理法が頭につくのが増えていたのですが、逆にラーメンはすっかり「麵屋武蔵」の多大な影響で頭に麵屋がつくラーメン店でいっぱいです。
2015年版のぴあのラーメンガイド本の新店。ラーメンが中華から独立するときの地方名系、「札幌ラーメン」「博多ラーメン」「和歌山ラーメン「「長浜ラーメン」「熊本ラーメン」「喜多方ラーメン」の頭は少なくなりました。
東京の隣の横浜の家系らーめんの呼称も増えています。「麵屋」が増えたのはラーメンの味の独自性を主張しやすいからでしょう。
もう、麵屋は中華の匂いはせず、日本独特のものになりました。
もっとも、全ての食べ物屋にいえることですが、普通の汁ラーメンに、つけ麺、和え麺、担々麺など料理名系も多数ですが・・・。
(2015.1.25)
この間、福岡旅行の際、ここでは鮨屋に庄が付くのが多いのに気が付きました。帰宅して調べたら、福岡市には「河庄 1947年創業」という最初割烹、現在は鮨割烹として、全国に知られている店がありました。
ここからの修行した人、あやかる鮨以外の食べ物屋がつけています。「すし匠」と同じタイプです。
由来はホームページでは歌舞伎の演目『心中天網島 河庄の場』の河庄からとか。(2015.5.25)
☆ 増えていく姉妹店の頭と尻尾
メインの店名をかえることなく、頭としっぽでグレードアップしたり、業態を変えたりするフードビジネス系の店もあります。フェアグランドの「並木橋なかむら」は「分店なかむら食堂 赤坂 2011年開店」「キッチンナカムラ 神宮前 2013年開店」「味のなかむら 広尾 2014年開店」と展開。
女性に人気の「マーサーカフェ 恵比寿 2007年」も「マーサーカフェダンロ 恵比寿 2010年」「マーサーカフェビス 2012年 恵比寿」「マーサーカフェブランチ 六本木 2012年、銀座2014年」「マーサーカフェテラス 表参道 2008年」「マーサーラウンジ 白金台 2011年」多彩ですね。
広島発の商業藝術は2012年に横浜に「24/7(トゥエンティフォー)レストラン」、2013年に広島と渋谷に「24/7(トゥエンティフォー)コーヒー&ロースター」2014年に「24/7(トゥエンティフォー)キオスク 代官山」「24/7(トゥエンティフォー)カフェアパートメント 有楽町」と開いています。
そのなかで、同じ店名を付けながら、少し豪華な頭と尻尾は「はなれ」と「別邸」。以前はガーデン、パレス、キャッスル、ヴィラと洋系ががんばっていました。邸は本物の屋敷「小笠原伯爵邸 新宿区河田町 2002年」が有名。
最初の頃の別館、はなれは混んできたお客への対策のために近くに用意されています。築地喜代村が経営する「築地すしざんまい 1号2001年」築地エリアに「「+別館 2001年」「+本陣 2003年」「+奥の院 2005年」「+新館 2007年」はそんな典型タイプ。
今は多様なニーズにこたえる別タイプの店にすることが多いようです。団体が大騒ぎするタイプの店で、はなれでカップル向きに用意するようなバターン。
現在はワンクラス上のイメージで「別邸」「はなれ」「別館」があります。和食の「車屋 新宿 1963年開店」は「車屋別館」として鉄板焼きを提供しています。(他に「厨車屋」「焼鳥処車屋」西洋割烹車屋 膳所車屋)
雑誌て有名なのは蕎麦の「流石はなれ 新富町 2009年開店、既に閉店」は狭いけど、コースのみの完全予約制でした。
カフェ「モード・カフェ・ギャマン 恵比寿 2014年」今風カフェの意味? スイーツとパン「ラバーズスクレートギャマン 三軒茶屋 2016年」は"ギャマンの秘密基地"と続いています。(2017.11.30)
「椿屋珈琲店」のようにはなれが2号店のような意味でグルードの変更はないものもあります。
年を重ねて、区切りをつけ、天ぷらみかわの主人(みかわ是山居)もクッチーナヒラタのオーナーも隠居のはなれで、限られたお客に料理を出している特別感がありです。
その特別感、セレブ気分が味わえるため、別邸、離れが店名として一本立ちする店も少しづつ、でています。
三元豚で有名な平田牧場は1964年に酒田市で創業し、2002年に東京で直営店を出しています。この、店名の変化が「平田牧場」を頭にして「+遊」「+匠」「+極」と形容詞扱いの展開。すしざんまいも「すしざんまい匠 銀座 2008年開店」があります。
ブランド店名を頭にする方法も変わってくるのですね。
再々度の登場ですが、「麵屋武蔵」が関連二字を、それも難読字をブランド名の後に付ける、味も変える手法は誰にも真似できないと思っていましたが、多種多様な料理、食材を求めるコアなお客の時代にはブランド名を頭と尻尾にする方法はこれから{「俺の・・・」のように変化の時代なんです。 ★TOP頁へ★(頭と尻尾のはなし) ☆頭と尻尾のはなし NO.2 ☆流行の先へ ☆日本が好きアメリカが好き ☆力・パワー
ニホンが好き、アメリカが好き!?
日本人は海の向うの国へ憧れがとても強い国民性を持っています。心理的には島国の住民には共通の心性だそうですが。
日本が好き?
今年(2012年)の出版の「日本人の価値観(中央公論新社)」では日本を誇りとするかや、日本のために戦えるかの諮問で百ヶ国近くの中で日本人は90位以下、アメリカもフランスもそれほど上位じゃないけど。日本を良い国と思うかでは5位になっています。愛国者じゃないが、住むには良い国なんですね。
江戸時代までは「日本」の名称は庶民的ではなく、「天下」が普通の感覚の日本でした。「天下一の高さ」「天下を獲った」のように。
明治時代から日本、日本、大日本と政府が連呼し、広まります。
日本の名称自体は大宝律令から記されているのですが、朝廷は倭、中国側からそう呼ばれていて、美称で大倭となります。共に「やまと」と読みます。
その他、大八州、豊葦原、瑞穂、葦原中国とも称していたそうです。
やまと、みずほは店名に普通に付けていますが、日本はとても少ないですね。
明治27年の店名の一覧に「新橋の「日本亭」が載っていますが、日本橋に近いので地名かも。
圧倒的に地名が多く、大きな会社と違い、日本は明治、大正、昭和と食べ物屋にはあまりなじまなかったようです。庶民として怖いお上の匂いが嫌だったのでしょう。
1980年代、アメリカを意識したカフェバーブームが終わったあとに残ったのが空間をプロデュースする空間プロデューサーという仕事。デザイナーズレストランといわれる、非日常空間を作り出す人々により、深海、砂漠、ジャワ島のリゾートの空間がイッパイできました。
お店を作る時、コンセプトというものが資金を出す側に提示する必要があり、雑誌や本にもコンセプトがよく載っていました。
その中で目を引いたのが「日本の骨董好きのアメリカ人が作った日本趣味の家」とか「アメリカ育ちの孫が祖母の家を作り直した家」など不思議な日本的空間がありました。
店名は日本、ジャポン、ハポンではなく例を挙げると「Dharm(ダルマ)」は日本をしらない邦人アーティストからみた現在の日本」、「+81レストラン」は国際電話の国番号だそう、外から見た日本のイメージのレストラン。
洋館をリノベーションした「カサ・デル・ハポン(西麻布)1995年」は洋館のオーナーのスペイン好みに寄るそうです。
今ある「ル・ジャポン 代官山 2011年」は日本人向けのフランス料理の店、「ジャポネ 銀座一丁目 1980年」は和風パスタのお店。ジャパンやジャポネは少ないながら、以前よりありますが、「日本」はほんの少ししか見受けられません。
「日本だいすき」というインターネットで評判になったネパール料理のお店がありますが。
アメリカがすき?
黒船一発鎖国の夢を覚めさせたアメリカ。英語が必修科目になっていますから、付き合いたい外国の地位は昔も今も変わらず。
明治時代の料理も英語のレシピが訳されることが多く、本家のイタリア語やフランス語より英語の店名が多いです。
イタリアンは完全にアメリカ経由でした。60年代のガイドブックには「テキサス」というイタリア料理店が載っています。
当初はですから、英語の店名からアメリカをイメージできず、西洋料理全般を現していました。
欠点は英語圏の料理が美味しいとはいえない評判。アメリカを強調することは料理はちょっとということでした。
戦後、1970年代に一機に外食産業として、広範囲にやってきます。料理というより今で言う「中食」メニュー、ドーナツ、ハンバーガー、フライドチキン、ピザなど。
☆ アメリカから
ファーストフードだけでなく、アメリカの一流ところも70年代以降、日本に進出、開店しているのですが、店名からアメリカをあまり感じませんね。
アメリカは多民族の国、国民食というのは、エスニック料理が一店舗から始まり、チェーン店として店数を増やし、工場で大量生産させて、全土に広まり、アメリカンの食べ物となります。
ドイツ系のフランクフルトをはさんで「ホットドッグ」、同じくハンバーグをはさんで「ハンガーガー」、イタリアのピッツアの「ピザパイ」、メキシコの「チリビーンズ」など多種多様。
1980年代に盛り上がったのがアメリカの文化に触れ、そのあこがれの空間を創ったのがカフェバーブームです。内装や食べ物、音楽を現地に似せて、人気でした。
典型的なのは「ソーホーズロフト 渋谷 1979年(既に閉店)」で、ニューヨークの芸術系のエリアロフトを創っていました。
その頃の一例を挙げると、若者に今も人気の自由が丘にはそのころ「バターフィールド 1980-2017年」、「ハイニアスポート」、「ラズベリーヒルズ」「チョコレート・ブラウニー」「ハックルベリー」「DOG&CAT」、アメリカ発の「アンナミラーズ」。
アメリカンカジュアルの衣服を扱った「ポパイ」「オリーブ」「ホットドッグプレス」などの雑誌に同様な下北沢と共に紹介されて、この二つの街の人気も若者に浸透していきました。
▲ ハンバーガー来た!
その逆で、1950年から全国で120店ほど展開していた24時間営業の「喫茶マイアミ」は業態変更しました。アメリカのフロリダ州のリゾート地マイアミビーチからの店名でしょう。
イタリア料理のマイアミガーデンとしてのと、地域にあわせて、目黒、赤坂では高級な珈琲茶館「集」、六本木、新宿などは炭火バー「集」となってアメリカ色を薄めています。
ハンバーガー「ハンバーガーイン」とピザ「シシリア」「ニコラス」は1950年代ともに六本木にお店がオープンしました。
その後、「マクドナルド 銀座1号店(1984年閉店) 1971年」、今はマックの愛称が一般的ですが、銀座にオープンしたときはひとつの事件でした。味よりもスタイル、立食スタイル、歩きながら食べることが受けていました。
その後、日本製のロッテリアやファーストキッチンができますが、現在はマックの一人勝ち状態。
その中で隙間をねらって1985年に「ホームワークス 広尾 1988年」が外国人向けにデリバリーもする店を開きます。ここから出た「フィフスフランクリンアヴェニュー 五反田」も同じスタイルで始めますが、ともにアメリカンの雰囲気ではなく、高級なレストラン仕様でした。
特に最初の「FUNGO(ファンゴー)」は社長のメッセージのアメリカンな「going to be fun(楽しくいこう)」という意味の野球のノックの事とか。スポーツと食を連想するのが選んだ理由でもあるそう。その後もアメリカのママの味のアップルバイの「グラニースミス 三宿 2012年」オープンしています。
2011年にハンバーガー界で大騒ぎだったのはアメリカから1980年にやって来て、1度撤退した「ウェンディーズ」の復活。原宿にできた大行列がニュースになりました。
● パンケーキ好き増殖中
ハンバーガーは男性が好みますが、近頃賑やかなパーンケーキは女性好みです。
1923年(大正12年)に三越デパートから「ハットケーキ」と売り出して以来、多くの喫茶店にメニューとして並んでいます。
長い時間がはいってきて経過していますから、自由が丘のパンケーキ専門店「花キャベツ」のようにアメリカカラーはあまり感じませんね。
近頃評判のパンケーキのお店「VoiVoi ヴォイヴォイ(三軒茶屋) 2006年開店)」はフィンランド語の「あらあら」、(ヴォイはバターの意味もあり)。「アクイーユ 恵比寿」は仏語とアメリカンにはこだわりがないようです。
ヴォイヴォイの店主は「パンはフライパン、フライパンで焼く小麦粉で焼いた食べ物。両者(パンケーキとホットケーキ)は同じ。日本ではは家庭用のホットケーキミックスが普及して・・・」と雑誌で述べていました。
家庭で普及しているとはいいながら、「Bills ビルズ」や「エッグスシングス」「バビーズ」「サラベス」など向うのホンマモンを求め、海外からやってきたこれ等の店は行列必須ですが・・・。
★パンケーキ★
パンケーキブームは凄いようです。『パンケーキノート トミヤマユキコ リトルモア』というパーンケーキ店の案内本もでました。
2013年には「スラッピーケークス 新宿」というアメリカオレゴン州の超有名パンケーキ屋さんがやってきました。インテリアもアメリカンダイナー風。このままだとハンバーガーと同じように一機にアメリカ化の道へでしょうか。負けるな日本のホットケーキ!。
(2013.1.25)
2013年にはいっても凄い勢い、アメリカ本土、ハワイからぞくぞくやってきました。「オリジナルパンケーキ 吉祥寺」1953年アメリカ、ポートランド創業、「クリントン・ストリート・ベイキング 表参道」2001年ニューヨーク開店、「カフエクッチーナ&カンパニー 渋谷」ニューヨーク1991年創業、「モケス ブレッドアンドブレックファースト 中目黒」ハワイ1999年開店、「シモンズ 神宮前」ハワイ1985年開店。日本発祥もフードビジネス系で「レインボーカフェ 下北沢」が参入しいてるようですね。(2013.10.20)
パンケーキ繋がりなのか、スイーツの世界にもアメリカンな世界が広まっているようです。今まではフランス菓子一辺倒のこのエリアに最近の雑誌二誌同時に、紹介記事が載る位数が増えています。
あまりに匂いと甘さに日本人の好みには合わず、1度撤退した「シナボン 六本木」も2013年に復活?!
最近オープンのお店はアメリカンいっぱいの店名、「ハドソンマーケットベーカーズ 麻布十番」「グラニースミス 三宿(ファンゴーの経営)」。(2013.2.14)
アメリカンパンケーキ天国の原宿に今度はアメリカのシカゴ市生まれのグルメポップコーンのお店ができました。
映画館で口にほうりこむあれとは違い、チョコレートなどがかかった甘いタイプだそうで「ギャレットポプコーン」といいます(2013.3.24)。
◇ ステーキは絶対アメリカ
ハンバーガーのほかにアメリカ色が多いのはステーキ店です。
フランス人も含め「フリッツ(ポテトフライ)とステークス」は西洋人の日常食ですが、日本では長く高級店が幅をきかせていました。食べログにも個人名の高級店が並んでいます。
でも、1991年の牛肉輸入自由化によりアメリカ系の「シズラー」「ビッグボーイ」「アウトバックス」が増え、チェーン店「ビリーザキッド」「ケネディ」「カウボーイ」「テキサス」なども開店していきました。
その他「アパッチ」「ミスターデンジャー」「バファロー」「ゴッサムグリル」となだれのようにアメリカンが増加しているようです。
ベタな「N9Y(ニクヤ) ブッチヤーズグリルニューヨーク」なんてのも2012年に銀座にオープン。
ハンバーガーと同時に店ができたピザは現在はピッツアになり、イタリア本場ものへ流れています。当初は宅配のアメリカンピザ「シェーキーズ 1973年1号店」、「ドミノピザ1985年1号店、」「ピサ゜ハット 1971年」、日本製の「ピザーラ 1987年」が中心でした。
1995年に「サヴォイ」が中目黒に本格的な石窯焼きピッツァを売り出し、ナポリピッツアが広まります。
大手のフードビジネスも黄金のピザの「ピッツェリアドォーロ 1996年1号店」ローマに本店のある「マレンマ 1号店1997年」、イタリアンのサルヴァトーレ・クオモも2004年に白金台にピッツェリアを開きます。
向うで本格的に修業した方もピッツェリアを掲げる店もぐっと増え、ナポリの超有名老舗「アンティーカピッツェリア ダ ミケーレ」が2012年に恵比寿に開店して、ピッツアの本格化がさらに増しました。
ハンバーガーにしてもピッツァにしても日本人の一途さは本場の味にこだわって、店名も現地に習い、インテリアもそろえ、その国と同じ雰囲気を作ってしまうのですね。
ちなみに「サヴォイ」のオーナーだった方はもとジャズドラマー、アメリカに憧れが強く店名もジャズがらみ、新しい次の店は「聖林館」、ハリウッドの館ですね。
★ 高級アメリカン
業界ではカジュアルリッチを指向しているそうです。成り上がりの自分たちが憩うことができる店作りをめざしたいるとのこと。
2002年のカフェドロペ後にできた「モントーク 原宿」と同じようにアメリカのリゾート地の地名が多いですね。アメリカ人がみても高級感を感じるのではないでしょうか。
店名がアメリカン風「T.Y. HARBOR(ティー・ワイ・ハーバー) 天王洲 1997年」はクラフトビール醸造所を兼ねたアメリカ西海岸にあるブルーパブを目指したアメリカンレストラン。T.Y.はオーナー会社の寺田倉庫の創業者のイニシャル、 HARBORは港の意味。天王洲エリアの運河沿いに面しています。
★アメリカンフレンチ★
フレンチのアメリカンカジュアル化もバルの影響で加速しています。
「プティ・ニース」が「フレンチーズ 人形町 2012年」という英語名に変わり、「ピニョン 神泉 2012年」や「BEARD(英語の髭のこと パンケーキやハンバーガーがあるとのこと) 目黒 2012年開店」
2013年に開店したばかりの「ブルックキッチン 神田」はともにフレンチでニューヨークのブルックリンにあるようなフランス料理屋を念頭においているとのこと。(2013.2.20)
英国統治が長かった香港ではスター達がジャッキー、レオン、ブルース等の英国名と中国名の二つ名を持っていました。日本もそうなるかも・・・。今の六本木も変わらず英語名店が多いです。
別世界・ハワイ
アメリカの50番目の洲に属しますが、日本人にとっては別のあこがれの楽園。最初にいく洋行先でした。今でも、お正月の芸能人の渡航先として、年末年始にテレビで報じられています。
現在受けているのは宣伝文句にもある「リアルハワイ」の「アロハテーブル 横浜市1号店 2006年(ハワイ2005年)」
インテリアとしてはハワイ風の南国ムードは以前から好まれ、いろいろな店が取り入れています。メキシカン、バリ風、サーフィン系など。
1992年に{Roy’s Restaurant」や1996年「サム・チョイズ」、1997年「クアアイナ」、本店がハワイにある店がオープンしはじめ、リアルハワイの世界がやってきます。
ロコモコ、コナコーヒー、ハワイのフラダンスのの流行で店名もハワイ風になっています。
食べログから拾ってみると「マヒマヒ」「オゴノロア」「ポポペク」「「メレマイカ」「ププケア」「モクオラ」「ラウラウ 2012年開店」なんとなく面白みがあって明るい感じの店名達です。
青い海や風やサーフィンのイメージがまたハワイに繋がっているようで、「ロコブルー 2003年開店」「オーシャンズテーブル」「HALE海’(ハレカイズ)六本木・赤坂」、2012年開店の「ブルーテラス 西麻布」などがハワイ料理の店です。
「マハナ」、「ホレホレ」、「Tsunami」のように都内に店数を増やしている店もででいます。
上の写真アロハテーブルの恵比寿店は頭にM&Lが付いていますが、Mがマカニで風、Lがラナイでベランダのハワイ語だそうです。
力・パワー
1998年に「老人力(赤瀬川原平著)」という本が出版されました。ネガティブになる老いるということ、物忘れ、繰り言、溜め息の多くなる等の行為をを明るく捉え、ポジティブ思考に変える事を主張していました。
これ以降、当たり前の言葉に力(りょく)が付く本の名前が増えました。先見力、洞察力、交渉力のようなプロ的なものではなく、今年を例に挙げると、健康力、質問力、孤独力、成功力のような言葉の本が出ています。力(ちから)と読むベストセラー本「悩む力」、「聞く力」の力本もあります。
流行語で「女子力」なんていう言葉も使われています。
強~い
虎と十二支の龍(辰)が力の強い動物として明治頃までは男女問わず名前に使われていました。それにプラス熊でした。医療制度なくも自然の厳しさあり、生き残ってほしいということで強い動物の名に願いを込めたのでしょう。
現在は名前には付けられませんが、店名では虎と龍は人気ですね。
ラーメン屋の武蔵が開店以来、中華から和の麺「麺屋」として、汁から麺へのシフトで、蕎麦化しました。蕎麦化は蕎麦打ち道のような男性の好きなこだわりの世界へ突入のこと。
ただ、ラーメン道は今のところ蕎麦とは異なり、絶え間ない変化への対応の道ですね。ラーメンの味を変えたら、店名も替える世界。
とはいえ、中華風の店名中心からとても、力強い、店名からパワーに満ち溢れるものが増えました。ガイドブックのラーメンの味表現が「ガッツリ系」、ガツンとか、インパクト大とか、濃厚で味が強いとか、旨みが強い、極、超の表現も多いです。
麺屋武蔵の系列をみると強さにあふれていますね。もちろん、武蔵も無敗の剣豪宮本武蔵からです。
「武骨相傳」「武仁厳虎」「虎ショウ」「二天虎洞」「鷹虎」ほか
同様に際コーポレーション系列のお店も。オーナーの趣味が色濃くあらわれています。「紅虎」「酔虎一代」「蒼龍唐玉堂」「虎万元」など。
動物のほかにモンスター系です、古くは鬼、映画のキングコング、ウルトラ等
自然の中では雷、鳴神と呼ばれ神様(竜神)でしたが、これは世界共通。ギリシア神話でもゼウスは雷神、キリスト教の元祖ユダヤ教の神も怒りの神で雷神がイメージされています。
江戸時代の相撲取「雷電」、カミナリとイカヅチ、本当に強かった最強の名前ですね。
ラーメン屋がやはり多く、雷神ラーメン、雷神丸、麺屋雷神、魚雷、など。あと居酒屋の風神雷神など
NHKの朝の連続ドラマ『ひまわり』は昨年再ブレイクした女優松嶋菜々子さんの出世作。ひまわりは弁護士役だったので、弁護士バッヂのひまわりからもイメージしているのでしょうね。
このプラスイメージからかどうか「ひまわり」が店名には多く、同じくイタリアンの「ジラソーレ」も多い。
花はイタリアンに少ない方ですが、多い店名太陽の代わりに使われています。強い花のイメージが一番のひまわり、ジラソーレを太陽の意味にしているレストランも見かけます。
「ジラソーレ 江古田 2000年頃」「オステリアジラソーレ 岩本町 2003年」2008年のタウンページにも「イル・ジラソーレ 新宿、既に閉店」「イル・ジラソーレ 国立市」
食べ物屋以外にも医療関連、介護関連、保育園等の学校関係も多いので、強く、元気にたくましくのイメージがしっかりついた店名です。
東京チカラ飯が店舗を増やしていますが、こちらは食べ物の力を強調したもの。力の店名は力屋が今もありますので、これが一番古いものでしょう。名物で力餅や力饂飩がありますね。本来は人一人の力の意味で、それが十人力、五十人力、千人力と力の単位になっています。
京都発の「魁力屋 2005年開店」は「怪力」の意味にプラス、HPでは「さきがけは新しいものを生み出す、力は大きく、たくましく、力のある」となっていて、後半の文が力をつける共通の理由です。
ガッツ
見た目じゃなく、内側の強さ、なによりも強いのはガッツ、根性ですね。スポーツでは嫌われ始めていますが、日本人は好きですね。以前テレビでだいこんの「ドコンジョウ大ちゃん」が話題になったことがありました。
力強さは最初のインパクトが大切です。外国語は弱いため、「サンダー」とか「タイガー」は日本語ほど多くありません。最初の一撃が全て、『怪獣の名ははなぜガギグゲゴなのか』の本で主張されているように、ガ行の濁音がおおいのもそのためです。
ガッツ、ガンコ、ゲンの音の玄、厳、源、元の漢字、ゲキの激、撃、ゴウの豪、剛、ゴクの極などの漢字が強さを表現しています。また情熱、熱中、熱血、熱烈、熱狂の語もスポコン系で使われます。
大本のココロ、漢字の心は人間の心臓の象形文字です。心(シン)の字をつけて多くの店名がつくられています。
英語ではこころの直訳はなく、スピリット、ハートを使い分けています。アイデア、イデア。イメージ、も含む場合もあります。夏目漱石の小説『こころ』はそのまま日本語でした。
最近の傾向は「こころ」そのままこの読み方でつける店名が増えています。こちらは音声的にも強さは感じられません。『こころの時代』と叫ばれているので、流行の範疇にはいる言葉です。
魂、ソウルの方が力強さを持っています。
日本人の生き方として心技一体、精神面の向上も大切にする姿勢がみえます。武士の武士道からの発想で「道」ドウ、ミチのどちらの読みでも使われていますね。こちらもラーメン屋が多い傾向ではありますが・・・。
食べる事は根源的な欲望、生物の生存の必要不可欠なことなのです。そこに精神論はウザク、重ーいと思われ、お客の腰が引ける点ではあります。お店側は強く訴えたい、温度差がある店名です。
しかし、強烈な信者はいます。以前大阪発の「珈琲道」という喫茶店が柳橋にありました。作家獅子文六の小説からの店名ですが、この言葉でコーヒーの味にこだわる喫茶店をほめる文章が食べログに掲載されています。
力、パワーのある店名は強さを求める向きのラーメン、居酒屋で愛用されていくのでしょう
★ガギグゲゴ★
『怪獣の名ははなぜガギグゲゴなのか』なかで男性が好むのは濁音とされています。ラーメン屋、肉系店などに多いのも作り手も客も圧倒的に男性が多いという状況からですね。
「油そば専門店GACHI 曙橋 2013年開店」「「超ごってり麺ごっつ 秋葉原 2012年」「鉄板焼きごっつい 三軒茶屋1号店(現在15店) 1992年」ステーキ店「ステーキガッツ」「ガッツリステーキ」「ゴッチーズビーフ 池袋 2013年 2015年高田馬場」。
肉バル系は草食男子お断りのガブリの店名が多いです。「石窯バルGaBURi 神泉 2010年」「GABURI 渋谷 2015年」「大衆ビストロGABRI 蒲田 2015年」「ビストロガブリ 五反田 2010年、目黒 2013年 、初台 2015年」「GABURI SHARE(ガブリシェア) 渋谷 2013年」「Gabrin(ガブリン) 柳橋 2014年」「GA-BU-RI 御茶ノ水 2015年」。チェーン店では「ガブリチキン 2011年1号店」が急速に店舗が増殖中です。
もう、店名だけで『ガッツリとギンギンでグイグイ、ゲンキにゴチになります』じゃないでしょうかね。
(2013.2.18、2015.7.1追加)