日本人は何を求めどこへ? 12
比べてみるー拡がる店名、留まる店名
2022年11月18日・2022年12月31日・
2023年02月11日追加
テーマ設定が難しくなって過去にアップした項目を比較してみることにします。比べるといろいろ消えていきそうな店名やこれからも使われ続ける言葉が新旧に関係なくありますね。
ここからは以前書いたものと被ることもありますので、ご了解ください。
自然
自然と人間、対立する関係性は何時ごろからでしょうか。自然は神の姿をでもあり、人間の力の及ばない圧倒的パワーの持ち主。でありながら、季節の移りゆく姿は人間の疲れた心を癒す力ももっています。
西洋のナチュラムは本姓・本質の意味が当初の意味。
英語はラテン語の生まれるのnatu'ra(ナートゥーラ)から。自然の本質の力から生み出す、生じると対するのが人間が生み出すもの人工物がアート。
中国(漢・唐代から)や日本(12世紀鎌倉・室町時代から)では自然を描く山水画が早くから芸術の世界では描かれていました。
でも西洋では宗教の影響もありずっと神様の想像したものであった自然が17~18世紀から現在の意味の天地山川に変化したそうです。現実の風景、人間が活動する舞台背景扱いから遅まきながら風景画が分野として認知されます。
東洋では神も人間も含めて自然=世界のすべて。インド発祥の輪廻(サンスクリット語のサンサーラ)は霊魂が人間や動物、植物にも転生していく、万物(自然)が絶え間なく変化していく生々流転の中にあると考えています。
日本語は中国の老荘思想の無為自然や仏教用語として使い、あるがままを売れ入れる、おのずからそうあることの副詞・形容詞の意味。
明治以前、現在のの意味に使っていたのは天地、万物、万有、夏目漱石のネイチャーの訳は天地山川
微妙に似ているのは天然の言葉。自然食とは言うけど天然食とは言わない、天然魚と言うけど自然魚とはいわない。自然の方が広く、天然は人の手が加わっていないか、生まれながらの性質の意味。とはいえ、タレントさんに「あなた天然?」尋ねるのと「あなたは自然体ですね」微妙に似ていますけどね・・・。
食材に関係してトロロ汁の原料の芋、自然薯(ジネンジョ)はジネンの読み。こちらは自然の最初の意味から、自然に生えている山芋からの命名。同音ではとんかつ屋「自然坊(ジネンボウ) 1991年」は名前、お店で使っている唐津焼の陶芸家の中川自然坊さん。
最初は自然を取り入れた暮らしを提唱したガーデニング店「Thanks Nature(サンクスネイチヤー) 自由が丘 1995年前後?、2005年閉店、この店名を冠したミニバスは1997年から走っています」に併設のキッチン(マクロビティックチャヤ)。それを引き継ぐ「Thanks Nature Dining Café(サンクスネイチャーダイニングカフェ) 渋谷 2007年」「サンクスネイチャー 代官山 2012年開店」。現在は代官山のみの店の『すてきな自然、すてきな自分、自然にありがとう』はHPの言葉。他にフレンチ「NATUR ON(ネイチャーオン) 恵比寿 2014年」カフェ「リネーチャー 神宮前 2016年」
◎ 自然を食す
『人と自然』で「自然館 渋谷 1983年」食材店「ナチュラルハウス」『健康のために』『食べない、たべる』『野菜料理』でも上げていますが、最初の頃は薬害の危険性が叫ばれて、無農薬を謳っていました。現在はそれを検査できないので公式には使えません。
東京の最初の頃の自然食のレストランは「MOMINOKI HOUSE(モミノキハウス) 原宿 1976年」となっています。もみの木はクリスマスツリーに使われる外国で人気の木で常緑樹なので松と同様に永遠、太陽、高潔の象徴。
店名では洋系が中心、自然と付くのはなくて、今のほとんどの店名では頭に付いて初期は野菜、今はワインが自然を強調していますね。
ナチュール関係は「ドン・ナチューレ(仏語自然の賜物) 銀座 2005年」「ナキューズ(ナチュラルnaとキュウジーヌ調理法) 五反田 2012年」「NaTuLa(ナチュラ) 神田 2011年」「Nafre(ナフレーナチュラルフレンチの略) 神谷町 2012年」「ナチュールバル 三軒茶屋 2015年」ちょっと変わった鮨屋「寿司ナチュール 五反田 2020年」『アルファベットの付け方さまざま』の中の『わかる人にはわかる?』でアップの「NC」はナチュラルカレーの略。
自然、天然、ナチュラルの多くは今は食材や飲料の美味しさと素晴らしさの強調の役割で頭に多くつけています。
二子玉川地区にはかつて,熱心な食育活動を行っていたカフェ「Natural Crew(ナチュラルクルーー自然の乗組員、仲間?) 二子玉川 2009-2020年」がありました。
食べログにはこの業態分野が薬膳とともに載っていました。中華では天然の店名、珍しい台湾自然食「尚天然(ショウテンネン) 大久保 2008年」四川料理「天然居 虎ノ門 2011年」
食材を作り出す大地、地球そのものも店名に付けています。蕎麦屋「地球屋(地球上の生命の恵みを味わう想いから) 三鷹 1998年」。
有名なパティスリー「ラ・テール(お店のHPー自然に生きる、大地の恵みを生かす) 三宿 1998年(再掲)」、新店マクロビオテックハンバーガー店「Terra Burger & Bowl 代官山 2020年」
オーガニックカフェ「GIO(ジオーギリシア語大地) 品川 2003年」自然食品店GAIAのカフェ「GAIA CAFE(ガイアーギリシア神話の大地の女神) 御茶ノ水 2010年、ガイア食堂に改名」。
オーガニック食材に絞ればフランスのBiologique(ビオロジック)の略ビオ、カフェ「BiOcafe(ビオカフェ) 渋谷 2003年(再掲)」。2016年にはフランスのオーガニックスーパーマーケット「Bio c'Bon(ビオセボン)」が麻布十番に1号店を開店しています。
イタリアン「ビオディナミコ 渋谷 2009年(再掲)」「BIODYNAMIE(ビオディナミ) 新宿 2014年(再掲)」。自然の潜在的力を引き出すイタリアのオーガニック農法
◇ 自然を倣う
自然の言葉自体はこちらの分野は低調、具体的な天地山川、風や空が活躍しています。一店カフェ「自然館 武蔵小金井 1990年代」は看板が見えないほど樹木に覆われています。店内も鉱物の標本やビオトークの水槽もあるそう。
食材とイタリアの自然の二つの意味の「OSTERIA Naturale(オステリアナトゥラーレ) 築地 2002年」イタリアン「LUONTO(ルオントーフィンランド語の自然、自然の恵みの意味) 新富町 2020年」
空や山川、風は既に扱っていたので、ここでは大きな意味の自然として丸ごとの地球、アース、大地をあげてみます。最初は蕎麦屋「地久庵 神保町 1871年」音は地球ですが、四字熟語『天長地久』から天地が永遠にかわらないように物事もいつまでも続くこと。カフェ「地球堂 御茶ノ水 2010年」
洋系は意外と古いのはなくカフェ中心に「3rd Stone Cafe(サードストーンカフェ) 下北沢 2000年」「3rd planet(サードプラネットー第三の惑星地球) 渋谷 2001年」
母なる地球の意味でカフェ「マザーアース 西荻窪 1999年」「マザーアースカフェ 代官山 2014-2020年」代官山のカフェは料理もそうですが、店内がボタニカル、植物があふれる店内だったとか。
由来不明の「カフェグローブ 神保町 2018年」、ラーメン店「RAMEN CiQUE(ラーメンチキュウ) 阿佐ヶ谷 2008年」は看板に地球がデザイン。ラーメン店のお客のブログでは店主が自然を愛する方で、無化調ラーメン。同音でgroveの綴りで小さな森の意味も店名にはあります。
アース・テラ、ギリシアのガイアは大地の女神の名。フレンチ「ラテール 麻布台 1982年」「LA TERRE(ラ・テール) 広尾 2014年」アメリカ料理「ZIA(ジアー大地の意味) 渋谷 1991年」ビアホール「Gaia(ガイアー生きている地球の意味) 渋谷 1992年」「EARTH CAFE(アースカフェ) 五反田 2006年」
地球の事だけでなく、環境に良い個人の生活中心のスローライフやロハス(持続可能な健康的な生活様式の略)の言葉も少しだけですが使われています。 ★TOP頁へ★ ☆(比べてみるTOP頁へ)●自然●自由●見上げて富士、留まる伊勢●桜と菊の場合は●八百と萬・万(ヨロズ)●はじめとおわりの場合は●場所の角と十字路●過去と未来●幸せと福と●文字いろいろ●京都の店名いろいろ ☆憧れのフランス語と・・TOP頁へ ☆昭和と平成のスパゲティ店TOP頁へ
自由 ⓢー (追加2021.12.20)
自由の言葉は中国(紀元一世紀の『後漢書』)から、日本書紀にも載っていて、わがまま、思うままの意味で中世の『徒然草』から江戸時代まで少し否定的な感じ、『わがまま、自分勝手』の意味を持っていました。
自然と同じく明治初め『liberty』『freedom』の翻訳語として使われ、J.S.ミルの著作中村正直訳『自由之理』から広く使われだしたそうです。
店名の始まりは西洋料理の最初とされる「良林亭 長崎 1863年(再掲)」が「自遊亭 1863年」改名後、更に佐賀藩士佐野常民の助言で「自由亭 1865ー1877年」が店名として使い始めています。関西方面に進出し、大阪には西洋料理兼ホテル「自由亭ホテル」として1868年に開店、1895年に大阪ホテルに改名しています。
今も大阪にある洋食「自由軒 大阪市 1910年」、自由民権運動が盛んな頃、自由の言葉に新しい風を感じて命名(お店のHP)。
現在はこの老舗の洋食屋(支店は大阪の1店舗のみ)にあやかってか、全国に散らばっていますね。全国に支店のある「せんば自由軒 1970年」はかつて難波本店の支店だったそうですが、今は無関係とか。
東京の戦前の店は「自由軒 大塚 『大東京うまいもの食べある記1935』掲載」。英語では喫茶店「リバテー 京橋 『大東京うまいもの食べある記1935』掲載」
ただ、政治にかかわる言葉でしたので、この言葉関連は戦後でしょう、ひろく使われだしたのは。
東京のカフエの嚆矢「プランタン(再掲)」は自由と付けようとしていましたが、結局断念していました。
1929年に開設した東京沿線の自由が丘駅、そこにあった自由ヶ丘学園に由来する駅名・地名ですが、戦中に改名を求められたことがあるそうです。
フレンチパティスリー&レストラン「Libre(リーブルー仏語自由) 白金高輪 2018-2021年(代官山にて再開予定)」とても凝ったスイーツが評判でしたが、コロナ過のため「麺屋リーブル」というラーメン店になったりして、かなり店名通り自由。シェフの記事から、お店のテーマは自由だ、自由がルールである、自分で考えていく一番大変なのが自由等。
□ お客の自由
今、自由と検索すると多量に出で来るのはネットカフェです。食べるのも寝るのもアミューズメントを楽しむのも自由、こうなると自宅、実際住んでいるような使い方のようです。
好きなだけ自由に飲食できる"放題"、店名にはさすがにない「食べ放題・飲み放題」は宣伝文句として頭にはよく付いています(食べ放題『ガツガツ!』掲載)。宗教による禁忌がない日本だから成立する方式かも。ただ世界的に食料危機か言われ、食品廃棄率の高い日本でいつまで続か?。
関連語ではノマドがよく聞く言葉、2005年頃から英語の遊牧民、放浪者から、住む場所、働く場所にこだわらない人々。昨年のアカデミー賞受賞作品の題名でも有名になりました。「NOMAD(ノマド) 根津 2002年」「nomado(ノマド) 恵比寿 2017年」
食べログの記事では女将に店まかせか貴方まかせか聞かれ?となったが、店のお任せコースか、アラカルトか聞かれたとのだと書いていました。
他に豚料理の一品料理を選べる「alacarton(ア・ラ・カルトン) 銀座 既に閉店」バル「FREE STYLE(フリースタイル) 飯田橋 2019年」
最初ビストロからのバル「LIBERTE(リベルテ) 神保町 1993年」は自分流に楽しむ自由に使える店。
少し変わった言葉「egosine(エゴジーヌ) 西麻布 2014年」、エゴイストは自分中心利己主義者ですが、お客のわがままをかなえる台所、egoist(わがまま)× cuisine(台所)の造語。意外にわがままの店名も食べログにはあります。一番新しいのは「わがまましゃぶしゃぶ 浅草 2019年」。他に深い意味は不明ですが「Up to coffee(アッブトゥコーヒー) 稲荷町 2019年」は意味は『あなた次第、あなたにおまかせ』のコーヒー専門店。
◆ お店の自由
このHPの最初のころに洋食「おまかせ亭(『流行ーしゃべり言葉』)」を上げていますが、これはあいさつ語として扱っていました。唯一無二と思っていたら食べログには鮨屋2店があります。「○makase(オマカセ) 築地 2020年」「鮨大いにおまかせ 有楽町 2020年」。高級鮨店はほとんどお店の方のおまかせコースのみが多いですね。
「金田中草」も新橋の料亭「「金田中」の姉妹店で草は茶道の形式や書道の真・行・草のもっとも簡易で自由度がある草書、くずし字と同じ意味。
最新のくずし割烹のお店のHPには『和の食材にとらわれず、世界の時節食材を独創的な組み合わせで楽しむ(=くずし)』とあります。
ビジネス系「七葉」の同じ意味『格式や型にとらわれず自由に崩したスタイル「草』から(『自由が丘経済新聞』掲載記事より)』「 nanaha 草 自由が丘 2011年、既に閉店」は和食とワインの店。
和食で「無垢 広尾 1990年(再掲)」、コンセプトは型にはまらず個性的な料理を目指しいてます。もっとも最新のHP情報からの「MUGE(ムゲ) 代々木八幡 2021年」カウンター割烹の和食店。四字熟語『融通無碍(ユウズウムゲ)』からで、考え方、行動が何物にもとらわれない自由でのびのびした様子。型にはまらない自由闊達な料理を提供するコンセプトです。
どっち側かわからないのですが、食べログには頭にきまま、気まぐれと付く店名そのままも「きままなキッチン 浅草 2009年」「きまま 蔵前 2018年」居酒屋が多い傾向。洋系のバル英語の「Whim(フィム) 恵比寿 2011年」ハンバーガー「Whims(フィムス) 池尻 2017年」バル「Whim SAKE & TAPAS(ウィム サケアンドタパス) 西太子堂 2018年」前の2店が気まぐれの意味、後ろ1店はちょっとした思い付きの意味。新店「SfiZio(スフィヅィオー気まぐれの伊語) 狛江 2020年」
洋はフリーダムは少なくラテン系が多いです。「リベルタ(自由な料理) 山王 2005年」「リベルターブル(自由な発想の料理、デセールを表現) 南青山 2010年」(南青山店閉店)
「リベルテ・ア・ターブル・ド・タケダ 麻布十番 2012-2017年」は経験から生まれた、気取らない、枠にとらわれない上質感フレンチを自分流に自由に料理する『シェフ武田のテーブル』。
イメージでの言葉もイタリア語の自由の手の意味「MANSALVA(マンサルヴァ) 恵比寿 2010年」イタリア郷土料理や古典をベースに、イギリス、スペイン料理の国籍・ジャンルにこだわらない感覚を取り入れた。
「PRISMA(プリズマ) 青山 2011年」科学の用語プリズム、三角柱の形で太陽光線を透して七色の虹を造れる機器名、自由な発想、自分の心のままにの想いをイメージしています。
動物の皮膚の様々色が変わる爬虫類「Cameleon(カメレオン) 六本木 2011年」珍しいイギリス料理で自由に気取らずルール抜きで過ごせる店。自由とは少し違いますが、かつては同名で変幻自在、変化を楽しむイタリアン「Chameleon 東麻布 2001年(再掲)」もあり、今もまったくの別店ですが「CAMELEON 浅草橋 2008年」が同コンセプト・
人関係は蕎麦屋「自游人 中目黒 2013年」は自由でも自遊でもなくサンズイの自游で魚を扱い、従来の蕎麦屋の型を破りたい店名。
フレンチ「Libertin(リベルタンー自由人) 渋谷 2011年」は遊び感覚で自由奔放に楽しめる料理、それを作る二人の型にはまらない姿から作家辻仁成氏が命名。
少し強め?と思うのは「CAFÉ FACON(ファソンー仏語やり方、流儀) 中目黒 2008年」「マ・ファソン 上野毛 2019年」はデザート専門店で私の流儀 自分たちのやり方で創造し続ける場所。
自由とは少し方向が違いますが、ファソンの店名は「ラ・ファソン古賀 代々木上原 2013年」は古賀流、シェフ古賀のやり方 の意味。独立最初の「コム・シェ・ヴー 2001年(再掲)」は『自分の家のようにくつろいでくださいの意味」の店名でしたが、今は20年以上のキャリアで積み上げた自分の料理を真剣勝負のごとく味わってほしい強い想いの店名。1980年代後半から奔ってきた多くのシェフ達は熟練年齢期に自分の好きなやり方の店を指向することが多いように感じます。
ビジネス系のイタリアン、オペラの曲名が由来の「ラ・ボエム 原宿 1981年1号店」『オペラに登場するボヘミアンのように、因習にとらわれない自由な生き方をしようとする意味』
歴史の長い自由の民ジプシー、エジプトから出てきたからエジプシャンが語源ともいわれる、実際はヨーロッパ各地で迫害も受けている放浪の民の英語。少ないのですが、こちらの店名もあります。アメリカからの「gitane(ジタンー仏語のジプシー) 恵比寿 2017年」「ZINGARA(ザンガラーイタリア語とフランス語のジプシー) 荻窪 2017年」。「ZINGARA(ザンガラ)」のコンセプトは放浪の民のように各地の文化・伝統を取り入れて食空間の中で多用な時代と文化を感じてほしいそうです。
お店のHPには詳しく載っていますが、長いので略して、由の字には既成概念にとらわれない発想の自由、鮨文化の進化を日本だけでなく世界に伝えること、古典日本語の"う"には可能性の意味があり、自由で大きな未来の可能性を持った店づくりにつとめる思いの名付け。
お客に自由のイメージは喫茶店「Flumina(フルミナ) 渋谷 2020年」、ラテン語の流れ、水の流れのように自由にゆっくりと心を開放してほしい想い。(2021.12.20)
自然と自由の結びー拡がる店名、留まる店名
このままの言葉では店名には少なく、自由には多少ある字替えも起こりにくい。このまま留まってしまう予想ですね。自然と自由、人間が自由に振舞えば自然は人間に存在を脅かす存在となります。
今猛威を振るうウィルスももっとも微小な自然物。自然は法則で、見えざる手とも言われる力で動いています。
手に届くところに両方ともありながら、イメージが揺れ動く、守ることが大変な大切な言葉ではあります。 ★TOP頁へ★ ☆(比べてみるTOP頁へ)●自然●自由●見上げて富士、留まる伊勢●桜と菊の場合は●八百と萬・万(ヨロズ)●はじめとおわりの場合は●場所の角と十字路●過去と未来●幸せと福と●文字いろいろ●京都の店名いろいろ ☆憧れのフランス語と・・TOP頁へ ☆昭和と平成のスパゲティ店TOP頁へ
比べてみるー見上げて富士、留まる伊勢 (2021年12月20日追加)
富士と伊勢は地名であり、神社を持つ信仰の対象です。共に『長く愛される店名ー王道かベタ店名か?』でアップ済みです。ただ、少しづづ違いが現在は出てきています。
△ フジ
伊勢はあまり変化なく、富士は以前も字を替え字しての不二、フジ、FUJI、プラスしての結構多い初夢の一富士、他「初富士」富士桜、富士喜、富士松、富士鷹、食材プラスの「うな富士」「鶏富士」「フジママ 神宮前」「富士門 渋谷 2017年」コンセプトがはっきりしているのはビジネス系「不二楼 茅場町 2017年開店」は日本の代名詞であり、世に二つとないものの表現、ニッポンを感じる店。
最近創業のもつ焼き居酒屋「ふじ屋 浜松町 2016年1号店」、ふじが日本を代表する富士山で屋が屋台からの商売の原点。原点を忘れず日本を代表するお店にしたい想いです。
店名の富士への願いは以前あげた「名代富士そば」と大きくはかわりないようです。
カレー店「インド富士(改名インド富士子) 水道橋 高円寺2008年、移転2021年」は仏典の『身土不二(身と土、二つにあらず)』の当て字で駄洒落のようだけど地産地消の加味できるとしてつけたそうです。
■ イセ
長く使う店名には変化していく、漢字、ひらがな、ローマ字、当て字と幅広く変わっていきます。業態も様々。それに反して伊勢は変わらない店名であり、ひとつのイメージで続く店名。新店は伊勢出身の洋食「伊勢十 神保町 2021年」「伊勢角屋 八重洲 2018年、新宿2020年」両店とも三重県からの進出店、それと先にアップの『伊勢』中で上げた再掲の継いだ店名フレンチ「伊勢利 人形町 2015年」。もう一つは伊勢神宮名物伊勢うどんの店。「いせ万 目白 2007年」「茶寮伊勢藤次郎(伊勢の和菓子店の出店、甘味処) 渋谷 2012年」「ISE-UDON BAR伊勢物語 銀座 2015ー2019年」
伊勢屋は継いでいく事例が多く、比較して冨士には老舗、暖簾分け店が少なく、和洋中の色々な業種が存在する状態ですね。
比べてみるー桜と菊の場合は (2021年12月20日追加)
🌸 サクラ
桜の付くのは一気に業態を拡大、アジア料理も中華料理も百花繚乱状態です。草木の菊になく木本の花、桜が持つのはお祭り気分、花見の華やかなウキウキとした春の始まりの勢いですね。菊の持つブランド力をものともしない上回るパワー。
写真はカフェ「桜キッチンカフェ 駒込 2017年」ある場所の駒込は全国にあふれるソメイヨシノの発祥の地、壁にもタイルにも桜の花を散りばめています。
業種も中華、東南アジア、ネパール料理等、韓国料理の「桜桜桜(ラララ) 吉祥寺 2018年」のような変わりタイプも見かけますね。桜の種類「たいざん桜 浅草 2018年」「やまざくら 上野 2018年」「八重桜 有楽町 2021年」
皆和食店ですが、漢字プラス「舞桜(女性向でオーナーの銀座で一花咲かせたいの願) 銀座 2007年」「桜季 四ツ谷 2015年」「和桜 神楽坂 2017年」名前の一字プラス「櫻咲 東麻布 2012年」。
変わり種はお客と店側の阿吽の呼吸がとれるようにとの仁王を店名に、硬い印象からわざわざ桜の字を当てた読めない「土桜(ニオウ) 神田駿河台 2017年」、姉妹店が「牡舌亭」で花まとめ?、なぜ付いているか不明のイタリアン発オイル寿し「米菜°sakura 織音寿し(ベイサイドサクラオリオンスシ) 銀座 2020年」。sakuraはお店のあるビル名でもあるのですが・・・。
桜は春の終わりに大騒ぎのお祭りと宴会をもたらす一瞬の華やかさの世界。それをずっと継続したい願いが込められているのでしょう。
★ キク
食べログでは全体の2割は和菓子関係、半分以上は和食関係。店名を変えず業態を変えていくように思います。ふるくからの和菓子屋、桜寿司よりも多い菊の付く鮨屋は全国にも有名店があり、これからも続いていきますね。以前アップ継いでいく店名の「キクヤ KIKUYA 東向島 2010年」「キクヤルネ 三軒茶屋 2017年」、不明の「Meat&Deli Cafe KIKU(デリカフェキク) 西荻窪 2005年」
菊地さん、菊谷さんのような姓名や地名のヴァリエーションは残っていくと思います。定食屋は食べログ「菊屋 押上 1948年」から新店「きくや 新宿 2020年」どうなるのか。写真は新しいイタリアン「キクヤ 浅草 2017年」周辺には菊が付きの店名が多いようで、交差点に名を遺す菊屋橋の地名でしょうか。近くの菊水通りにも甘味茶房「菊丸 西浅草 2007年」もあります。
比べてみるー八百と萬・万(ヨロズ) (2021年12月20日追加)
八百も萬(旧字)・万(ヨロズ)も八百万神と表現する数えられない数の言葉。最初の言葉自体は『古事記』の天の岩戸の逸話の場面に掲載しているとか。
八百が数多くの神々、萬・万はあまねくすべての神々。日本の多神教の考え方であらゆる神がありとあらゆる場所に存在する古代日本の神の考え方になります。
店名は江戸時代から付いています。特に萬屋は江戸の商人一覧の資料『江戸商家・商人名データ総覧 柊風舎2010』にも100頁以上の店名を載せています。
● ヤオ
食べ物屋は東京では閉めましたが、現在も鎌倉で営業中の「八百善 浅草 1717年(『和食の商売系・料理系』・『流行ー八百屋』掲載)」は多くの江戸時代の資料に名の上がる名料亭。『江戸買物独案内1819』にも掲載していますが、他に「八百屋太兵衛 大伝馬町二丁目(再掲)」。
他のガイドでは「水神の森八百松楼(八百善修行の小山松五郎創業) 隅田 1835年」(上の写真「水神の森八百松」)。鰻屋、既に閉店の鰻割烹「八百吉 三田 『東京市商工名鑑1929』掲載」もしかすると支店?「八百吉 内幸町 『大東京うまいもの食べある記1933』掲載」「八百松(上の水神の森の支店) 向島 1870年『東京案内増補改定1881』掲載」料亭「八百勘 赤坂 『酒客必携割烹通誌1885』掲載」。
「八百善」「八百松」「八百勘」は明治時代錦絵の名料亭案内『開化三十六会席 豊原國周 1878年~』にも載せています。どちらかというと美人の芸者さん紹介のような錦絵ではありますが・・・。
京都の八百屋出身の精進料理屋「矢尾治 1868年(上田治助氏)」も修行したそうです。ほかに「矢尾定 1909」京都はなぜか「矢尾○」の店名。
八百屋さんが売っている野菜を使った「八百屋さんの食堂」や「八百屋の2階」等の食堂・弁当屋を見かけました。
カフェ「yao(ヤオ) 原宿 2006-2016年」は八百=800から八の末広がり、永遠∞、無限大の可能性を表しています。ピカピカの新店は「とろ~り豚汁めし八百食堂 新宿区山吹町 2021年」八百食堂より売りの料理名の方がおもいっきりおおきい看板です。
写真は継ぐ店名で父親の八百屋の八百勇の屋号からフレンチ「yaoyu(ヤオユー) 小川町 2017年(『 継ぐ名前 Ⅱ 継ぎ方百選』再掲)」、父親へオマージュの意味を込めて。ビジネス系ただいま改名中、肉バル「ブッチャーズ八百八 三軒茶屋 2016年、飯田橋、赤坂等」もあります。
▲ ヨロズ
萬・万の字は賀字として地名や名前に多く有名店でも「すし萬」「灘萬」「萬安楼」「萬盛庵」「萬福」「万惣」「肉の万世」と数えきれないほど。「萬福」は実家の萬屋に自分の福次郎の福と組み合わせ。フルーツパーラー「万惣」は本店の万屋に創業者青木惣太郎氏の惣の字。そこから修行の「万定 本郷」
そのため「ヨロズ」はマン・バンと読む音読み漢字があふれているため少ないです。ほとんど和食居酒屋ですが、写真は洋食屋「YOROZUYA(ヨロズヤ) 中野 1997年」。古くからの店名なのでプラス店名も多く地名や賀字付もあります。
「豊島屋本店(地名豊島群から) 千代田区猿楽町 1596年」のように居酒屋の大元締めは酒屋が多かったです。東京の重要文化財のネット情報にももと茶屋が始まりの「萬屋酒店 池上 1875年」をよく見かけます。居酒屋「萬屋松風 池袋 1974年」「萬屋おかげさん 四ツ谷 2002年」。カフェ「花よろず 目白 2007年」蕎麦屋も「萬屋 浅草 1848年」「萬屋遊蕎 五反田 2012年」 もっともあたらしいのは「熟成鮨万 広尾 2018年」、八百と万のは両方の居酒屋「ヤオロズクラフト 五反田 2020年」。鮨屋の万=種類や形様々ある意味として、いろんな形の熟成鮨を楽しんでほしいそう。ビール居酒屋の「ヤオロズクラフト」は八百と万の掛け合わせ、全国の生産者から美味しい食材を取り寄せあらゆるものがある意味、クラフトは手作りビールの職人、手塩に掛けて育てた生産者、お店のスタッフそれぞれのクラフトマンシップに由来。 ★TOP頁へ★ ☆(比べてみるTOP頁へ)●自然●自由●見上げて富士、留まる伊勢●桜と菊の場合は●八百と萬・万(ヨロズ)●はじめとおわりの場合は●場所の角と十字路●過去と未来●幸せと福と●文字いろいろ●京都の店名いろいろ ☆憧れのフランス語と・・TOP頁へ ☆昭和と平成のスパゲティ店TOP頁へ
比べてみるーはじめとおわりの場合は (2021年12月20日追加)
『初心忘れるべからず』『初志貫徹』や『有終の美』『画竜点睛』等何をするにも大切な初めと終わり、店名は最初に付けますが、なにも見えない終わりも無視できない事です。
〇 初め
元祖の元の意味もはじめ、もと、最初の回転寿司屋チェーン「元禄寿司 1958年 東大阪1号店」から緩い繋がりとかで「元祖寿司 亀戸 1981年1号店」「元気寿司 1990年、最初1968年宇都宮市に元禄寿司として」が元の一字を付けています。
イメージが初めの自然や動植物名と様々。漢字は『初音』のように初の字、流行は「初代」。最初にガイドで見たのは「すし初代渡邉淳一 祐天寺 2012年」だったような気がしましたが、実際はもっとふるくからあったようです。ただ店数が増えて後から追加して付けた店もあるようです。
白いカレーうどんで有名な蕎麦屋「初代 恵比寿」も最初の店名は「あらこや 2010年」、ラーメン店も多いです。
紀の字も和食「紀風 恵比寿 2014年」は物事の初めを意味する紀に自分の一字の風
イメージは各種あります。人間の最初の始まり「あかんぼ 三軒茶屋 2018年」は居酒屋、オーナーがこの業界では産声をあげたばかりなのと初心を忘れずの屋号。フレンチの「Bon.nu(ボニュ) 代々木 2015年」は人間が口にする初めてのもの、味覚の原点で母乳の意味。最初ガイドで見たのはこれでしたが、現在お店のHPではBon良いnu裸、飾らないありのままの姿(素材の持ち味や本質)の料理、シンプルを求める姿勢を示しています。
プルミエは喫茶店から洋食まで全国でも多い店名です。古いのは「プルミエ 白山 1994ー2015年」ですが最高の意味になっていました。
イタリア語の一番、最初の意味『primoプリモ』もそこそこの店数。焼肉屋から最近のアジアン系まで。こちらも古いのはトラットリア「IL PRIMO(イルプリモ) 中野 ガイド本1987年に掲載」スペイン語は少なく「カフェ・プリメーラ 桜新町 1976年」
ハジメは多いので日本語も凝っています。「CITAN(シタン) 馬喰町 2017年」漢字『始端』で日本橋の土地柄人も物も集まり訪れた人がなにか新しいものに出会う始まりの場所への想い。
◇ 終わり
終わり、五十音最後では平仮名の"ん"はこの店で終わりとする意味で多く使っています。扇の別称末広、最後に大きく広がるイメージ、末の漢字がよく使っています。替え字で『る』に頻繁に使う『留』も同音が少ないのはもちろんですか、留めることが好まれています。意外とないのは『了』の字、おわるケリがつくなどの意味、終了、完了、了解、了承等、ほんとに終わるのはイメージが悪いのでしょう。多くは末広の暖簾分け。「末吉」「末はつ」「末げん」「末初」「末松」とんかつ「末吉 赤坂 1977年」。「すゑとみ 西麻布 2005-2018年、2021年渋谷末冨で再開店」のように苗字もありますが。全国の和菓子店は多くあります。
同じ意味でバル「π(パイ) 高円寺 2018年」永遠に続く円周率に『割り切れない゜終わりのない』意味で日々現状に満足しないでやっていくこと。
余韻を持ったフィナーレをイメージしたフレンチレストラン「La FinS(ラ・フィネス) 新橋 2012年」終わりの美しさ見事さ 本当に美味しい料理の最後のほめ言葉として、大文字のSはシェフの頭文字。同じイメージと推測のビストロ「エンドロール 千歳船橋 2013年」、映画の最後に映される出演者等名やプラス情報の画面。
シチリア方言で確認できないのですがイタリアンフュージョン「S'ACCAPAU(サッカパウ) 西麻布 2016年 」は仕事の後の終了、完成した、はい、終わりに近い意味合いだそうで、シェフが気に入った言葉とか。エンド、終わりは新しい始まりでもあります。
比べてみるー場所の角と十字路 (2021年12月20日追加)
漢字の十字の道を語源にした言葉で、昔は国字の『辻』、交通の要所を意味したり、細い道・小路、横丁も意味するそうです。四つ辻と四つ角は同じ、曲がり角、追分(街道の分かれ道、分岐点)。
角、十字路は運命の分かれ道のイメージがあり辻占いやいろいろなものが妖怪、悪魔も含め集まる場所であり用心を促す辻神、道祖神も建つ場所。角は今も昔も場所に限定されています。
洋系の十字路は十字架のイメージですが、キリスト教の前から人の運命を選択する場所で、悪いものも集まるので守護の像が立っていました。キリスト教布教以後はマリア像やキリスト像に代わりました。
十字形の数学の+(プラス)の字。一店十字路の意味でカフェ「Tas Yard(タスヤード) 千駄ヶ谷 2004年 」は場所が十字路の一角にあり、タスは+の記号で人が集う場所であること、ヤードは庭はかつて隣に園芸店がありその意味でも+Yard=タスヤード。角にあり四つ角、十字路に面する、願い通り人が絶え間なく集まる人気店。
▼ 角
角はおおよそは角口に店がありますが、十字は人とモノと情報が集まる、出会うイメージが強くなっています。西洋は角のイメージよりも十字路が重要で、十字路はそこで終わりではなく、休止し瞑想し選択して運命を決める場、天界、地界、冥界の曲がり角の場所だそうです。角を「スミヤ」と読む場合もあります。正しくは『隅屋』ですが、外国語では同じ、日本語では外から見ての角、内側から見ての隅だそうです。「角屋(スミヤ) 西新宿 1999年」は炭焼きのメニューメインで炭も掛かっているように推測。
それほど多くない洋の店名、古いものから仏語coinで「ル・コアン 四ツ谷 1995年」、カフェ「Le Café du Coin(カフェデコアン) 小川町 2005年」。
レストラン「LECOIN(ルコワン) 三鷹 2015年」、「Comptoir Coin(コントワールコワン) 蔵前 2015年」は文字通りコントワールがカウンター、コワンが角で『路地の角にあるカウンターだけの店』。
その他カフェ「コワン・ド・スリジェ(場所が桜並木の一角) 南阿佐ヶ谷 2015年」「Le Coin des epices(ル・コワン・デ・ゼピスーエピス、香料の街角) 北参道 2021年」
新店ワインバー「angolo(アンゴロ) 西荻窪 2021年」は微妙な十字路の奥の場所にあります。
❖ 十字路
食べログで一番古い「グリル十字 神戸 1933年」は最初の店が十字路角に開店したのが由来。
現在、店名は英語crossクロスが一番多いです。本来はキリスト教の十字架の意味でcroixクロワ、 croceクローチェも同じですが店名では十字の意味にしています。写真「CROSSING(クロッシング) 自由が丘 2014年」は店名通り東横線の踏切(クロッシング)の真ん前にあります。
フレンチ「bar à vin CROISÉE(クロワゼ) 渋谷 2018年」はバレエ用語のクロワゼ交差。「リストランテ・クロチェッタ 四谷 2013年」もクロスから交わる場所にしたい想いのからの店名ですが、シェフのイタリアの修行先も同名でそれにかつて「アンゴロ(街角の意味ですが、場所は角地) 広尾 2011年」のセカンンドシェフ。
参考文献
✚世界シンボル大辞典 大修館書店(十字路の項目) 1996
✚日本史大辞典4 平凡社(辻の項目)
✚日・中・英言語文化事典 マクミランランゲージハウス 2000
✚ことばコンセプト事典 第一法規 1993
比べてみるー過去と未来 (2022年11月18日追加)
過去の時間が輝いているのか、未来が煌々と光り輝いているのか・・・。店名は過去を指向するものが多いようです。未来は文字通りいまだ来ず・・・
◇ 過去へ
ここでは単純に新しい、旧い・古いで描き始めましたが、途中まで書き始めたらニュー〇〇、オールド△▽は共に旧、過去を求めていることに気が付きました。今回はオールド、ニューよりもっと積極的な姿勢を示す店名を探してみました。
写真は「ニューマルヤ 日暮里 1941年開店(2022.10現在休業中)」、食べログ掲載のニューの付く2番目位に古い洋食店。旧の「マルヤ」はどんな店だったのでしょうか。
以前の『各々の始まりから』では過去の出発点への『初心忘れるべからず』の想いが多いです。また『時が創る』とダブッての記載が多いです。
過去の時代のイメージをモデルにしているのは最初の回転寿司「元禄寿司 大阪市 1958年1号店」は元禄時代の華やかな賑わいを望み命名したもの。
でもホテルの改築で新時代の意味の「Nouvelle Epoque(ヌーヴェル・エポック) 2019年」に、未来へ舵を取り始めたようです。
アメリカの歴史の金発掘に熱狂した Gold Rush(1848年-1855年)からハンバーグ店「GOLD RUSH(ゴールドラッシュ) 渋谷 1981年、写真は新宿店(再掲)」フランス語での「La Ruée vers l'or ("R.V.O."、ルエ ヴェル ロール)2 南麻布 2014年(再掲)」、カリフォルニアワインを中心にフレンチ以外の料理を提供していて、あの時代の様々な人種が集まった熱狂的、独特のエネルギーの再現をしたい願い。
あまり馴染みのない「アスコーナ 市ヶ谷 2016年」、19世紀にスイスにあった自然回帰を目指したユートピアで、都会での再現を目指しています。
大阪の「旧ヤム邸 2011年(『カレー』に下北旧ヤム邸掲載)」も同じく過去へのオマージュ、大阪でインドカレーを広めるため来日したヤム・ナマステオ氏からで、中之島に洋館を建てたのがヤム邸。なぜ新じゃないという意見も見ましたが、彼に敬意を表しての命名。
語り継いでいく伝説、英語レジェンド、が付く店名も少しですがあります。一番有名なのは以前あげたビジネス系「伝説のスタ丼(『丼物』)」。
芸術の世界の古典、クラシック、形容詞的使われ方です。クラシックだけでは閉店した名曲喫茶「クラシック 中野 1930-2005年(再掲)」、そのあとを継ぐ形の「ルネッサンス 高円寺 2007年、ウイキペディアでは1930年最初の開店時の店名とか」
伊語の歴史、物語の劇場併設「ストーリア 池袋 2010年(再掲)」、本屋併設カフェ英語の「STORY STORY(ストリーストーリー) 新宿 2015年」
「ラ・ストーリア 外苑前 2012年(再掲)」歴史物語、ワインや酒の持つ物語店名「ラ・ストーリア」=イタリア語で歴史・物語・ドラマ という意味です 「一杯のワインの紡ぐストーリーに心を躍らせて」 ・・はっきりわかるのはないのですが、の飲物、ワインや酒、コーヒーの持つ出来事、食べ物ののもつ物語を聞きつつ皆で囲んで共有する。
昭和レトロの文字もよくみかけるようになりました。佳き時代として皆が上り坂をひたすら上った時代。『ノスタルジーと子供時代』にプラスのレトロ、ノスタルジアアメリカンな「NOSTALGIA CAFE(ノスタルジアカフェ) 中野区野方 2018年」は佳き時代は1950年代のように。
☆ 未来へ
奈良時代からの元号はもろこの先の佳きこと願望世界の言葉。厄災が有る都度都度に2,3年で飼えた歴史もあります。先の未来にめでたい事、佳きことがやってくるようにと中国からの古典を参考にしてつけることが多く、先にめでたい兆し、前兆を求めて、基本は吉兆、吉祥、嘉瑞、佳瑞、祥瑞などの漢字の言葉。和食、中華店にはよく付いています。
和食店「吉祥 赤坂 1955年、銀座店2009年、吉祥寺2016年」鮨屋「嘉瑞 上野毛 2010年」ビジネス系蕎麦屋「吉祥庵 目白 2002年1号店」。長野県の善光寺には同名「吉祥庵 長野市」、「吉祥庵 木津川市」があります。人気の吉祥寺の地名からの「吉祥」名も多いです。
意味は仏語カケラ、肉の一片でお店からは『未来のカケラのひとつに』となっている「morceau(モルソー) 日比谷 2009年」。
仏語未来、これからの「Petit Maison de L’Avenir (アブニール) 東銀座 2020年」、「Meilleur Avenir a Tokyo(メイユーアヴニールアトウキョ 青山一丁目 2016-2019年」は東京の最良な未来をコンセプトイタリアン。「momento(モメント) 吉祥寺 2021年」はいまこの瞬間を楽しみながら未来の地球のために。
以前アップの「cocon(ココン)」「PLUS ULTRA(プルスウルトラ)」も強い未来志向の想い。
ほか未来とつく食べ物屋、最初に上げた「麺と未来」や「未来食堂 神保町 2015年」はありますが、由来がわからないです。
夢・ドリーム、仏語レーブはついている食べ物屋は多いのですがあまり強く未来への想いはないようです。一店うどん屋「夢吟坊 三宿 1993年」現在はビジネス系で多くありますが、『アメリカンドリーム』と同様に『夢を持ち続ければいつか必ずその夢は実現する』信念を込めた店名とか。
以前上げた「來経(キフ)(『過ごす時間と・・・』)」はそこで書いた年月は経過していくの意味のほかにゆっくりと時間を掛けてお客と一緒にお店を育てていきたいという未来への願いも込められているそうです。(市ヶ谷経済新聞より) ★TOP頁へ★ ☆(比べてみるTOP頁へ)●自然●自由●見上げて富士、留まる伊勢●桜と菊の場合は●八百と萬・万(ヨロズ)●はじめとおわりの場合は●場所の角と十字路●過去と未来●幸せと福と●文字いろいろ●京都の店名いろいろ ☆憧れのフランス語と・・TOP頁へ ☆昭和と平成のスパゲティ店TOP頁へ
比べてー幸せと福と (2022年11月18日追加)
漢字の項目でアップしようとしましたが、少し広いエリアへの拡散があります。現在は幸い(サイワイ)の意味ですが、『幸』は幸せ・仕合せで、巡り合わせの意味でした。いわゆるハッピイ、ラッキィーの意味ではありません。『福』の方がちかいようです。
⦿ 幸・しあわせ
微妙にニュアンスが違うようで名前には『幸』が圧倒的、『福』は少な目。『幸』は名前に使うのでユキ、サチとも読ませています。
海の幸山の幸の意味の「二幸 新宿 1927年、食品会社として」は「二幸食堂も」経営。同じ意味「POBATA幸(ロバタサチ) 新宿 2014年」再掲の「和幸」・「とんかつ和幸2」
幸も賀字ですが、他の同様の文字との組み合わせがは焼肉・中華(『中国らしさ全開の2文字』)に多いですね。
「幸楽苑 白山 1972年」「慶幸」「幸来」「龍幸」、焼肉「牛幸本店(ウシコウホンテン) 1968年 新川」「大幸」「幸永」。多いのは「三幸」
変化形の名前からの「幸せ三昧 恵比寿 2009年(再掲)」、土佐郷土料理の「祢保希(ねぼけ) 赤坂 1972年、本店高知市1917年」、サンスクリット語からの幸せの意味の言葉。
▼ 福・ふく
洋食「フクノヤ 巣鴨 1963年」焼鳥屋の『もも肉を食べて幸せに(福島県出身)』の「ももふく 人形町 2019年」「天冨久 大森 1959年」フグの「冨久屋 人形町 1972年」カフェ「フクモリ(福を盛る意味) 馬喰町 2009年(再掲)」。ビジネス系は居酒屋「福の花 四ツ谷 2003年1号店」と鶏料理店「てしごとやふくの鳥 浜松町 2005年1号店」
なんといっても有名なのはビジネス系茶商「福寿園 宇治市 1790年」、サントリーと提携の初代の名前を冠した『伊右衛門』は誰もが知るブランド。この系列の「ふれんち懐石京都 福寿園茶寮 八重洲 2013年」
定番の"喜"は発音しにくいのか少なく現在は大阪が有名な「福喜鮨(フクキスシ) 柳橋 1910年、1916年移転」和食「福喜楼 日本橋浜町 1926年」
『開運招福』は地方からの「招福摟 八日市 1868年、丸の内2002年」「大多福 浅草 1915年(『ラッキーアイテム』再掲)」「来福亭 人形町 1911年(3度再掲)」。民話の『分福茶釜』からカフエの「分福(福をわける) 新高円寺 2011年」。ラーメン中華に多い萬福・万福・満福。東京ではラーメン店、大阪は喫茶店の「丸福珈琲店」
◆ ハッピー・ラッキー
古くは喫茶店「ハッピーホーム 日比谷 『大東京うまいもの食べある記1935』掲載」ラーメン店「ハッピ軒 小石川 1983年」似あわない、以外な店名との意見がネットにある居酒屋「ハッピー 亀有 1984年」
気軽な軽食のカフェが多いです、「Café HAPPY AVENUE(ハッピーアベニュー) 御茶ノ水 2005年」「cafe Stay Happy(ステイハッピーー旅カフェ?幸せであり続ける) 下北沢 2010年」「Tokyo happy Café(トーキョーハッピーカフェ) 青山 2010年」「HAPPY Cafe(ハッピーカフェ) 芝公園 2017年」『ハッピーな気分になってほしい』からの「ハッピー珈琲 下丸子 2019年」。それに洋食写真は「Happiness(ハピネス) 大井町 1971年開店」と「happy(ハッピイ) 鬼子母神 2009年」
30年代の雰囲気で人気だった「ラッキー酒場 麻布十番 1999年頃」、写真はカレー屋「Lucky(ラッキー) 根津 2014年」
同じく挨拶語の幸運を・・の「Good Luck Curry(グッドラックカレー) 恵比寿 2017年」。現在は店数も増え有名なフレンチのカレー店なので由来はよく載っています。『直球過ぎて故に独特』という意見もありますが、店主はとにかくわかりやすい店名にしたい希望から、好きなエルビス・プレスリーの曲名(Good Luck Charm)から。美味しいカレーを食べたお客さんに良いことがありますようにとの想いを込めたそうです。
当て字で「楽喜」で開店年不明ですがラーメン店「楽喜亭(ラッキー) 三田」居酒屋「楽喜居(らっきい) 板橋区志村」
仏語は同じく『珈琲飲みある記1962』には「ラボンヌ 新宿」「ボンヌール 歌舞伎町」。ほか「ボヌール 銀座 1971年」1970年代喫茶店全盛期は長くなる喫茶店も「トロワボヌール(みっつの幸福、つまり三幸?) 自由が丘 1977年」
イタリアンは「Felicita(フェリチタ) 南青山 1999年」から幸せの意味で訪れる全ての方に幸せの時を、「DA FELICE(ダ・フリーチェ) 東銀座 2010年」「Il FELICE(フェリチェ) 江戸川橋 2010年」。
組み合わせの「リストランテ・ボリーチェ(工房ボッテッガと幸せフェリーチェの造語) 南青山 2008年」。アニモの真心を込めた料理とサービスでフェリーチェ幸せになってほしい「Animo ferice(アニモフェリーチェ) 目黒 2010年」「ポストフェリーチェ(幸せな場所) 都立大学 2011年」。
他のことばではスペイン「フェリス 恵比寿 1999年」トラットリア「ベアーレ(伊語の幸せにする) 町田 2012年」「IRIÉ LE JOYEUX(イリエルジョワイユーー入江シェフと仏語の幸せの組み合わせ) 南青山 2013-2014年」ステーキ店「アナンダ(サンスクリット語喜び・至福) 神田 2011年」タイ料理「ANANDA(アナンダータイ語幸せ) 赤坂 2014年」カフェ「BLISS DING(ブリスダイニングー英語の至福) 三軒茶屋 2017年」
★ いろいろな形の幸福
『ラッキーアイテム』項目で幸せと福を呼ぶアイテムを上げました。ものではないこともあります。
和食「笑福亭 上野 1911年(再掲)」。中華に多い「福来」、ネットでは現存最古のラーメン屋として「福来軒 立川 1912年」が上がっています。
居酒屋「笑門 自由が丘 1998年」「福笑(フクワライ) 恵比寿 1999年」洋食の「WARAUKADO(ワラウカド) 品川区荏原 2005-2013年」居酒屋「ふく和らい 吉祥寺 2010年」しゃぶしゃぶ「福笑 三軒茶屋 2016年」そのままの居酒屋「笑う門には福来る 巣鴨 2011年頃」ダジャレ風の鴨料理の居酒屋「藁ウ鴨ニハ福来ル 吉祥寺 2015年」
七福神やお多福さんもアップ済ですが、他に靴下の『福助』の福助人形。実在の人物を写した『福徳招来』の縁起人形。
店主の名前からかは未確認ですが、甘味処「福助 御徒町 1928年」ビジネス系鮨屋「福助 西銀座 1960年」は取引先の「福助寿司」の店名を引き継いだそうです。
食べログには「福介」「Fukusuke」「ふく助」「フクスケ」が掲載。人気のある手打ちうどんの店「福助 小平市 2005年、清瀬市から移転2012年」は看板に福助人形がいまいすね。
全国的に知られているのは伊勢うどんのおかげ横丁の「ふくすけ 伊勢市 1993年」。お店のHPから江戸時代から評判だった伊勢うどん店「豆腐六(どぶろく)」からイメージして『食べると福がある』と言われていたことからの命名。インテリアの年季の入った2体の福助の置物、鬼瓦にも福助があしらわれているそう。
虹は西洋ではラッキー、偶然の賜物でその麓には宝、黄金のカップが埋まっているそう。カレーの「moonbow(ムーンボウ) 南新宿 2000年」は自然現象の月光虹、月の光で夜現れる虹で見た人は幸せななれるとか。こちらもオランダ語の虹「カフェ・レーヘンボーフ 東十条 2008年」虹を見たときに感じるちょっとした幸せを味わって・・・の想い。「Ristrante Sotto l'Arco(リストランテ ソット ラルコ) 銀座 2011年」も虹のアーチのしたをくぐると幸せになる、同名店がブーリア州のあります。
クレープの「Porte Bonheur(ポルトボヌールー幸せをもたらす) 世田谷区九品仏 2010-2017年」「ボルテボヌール 三鷹市 2011年」はカフェで幸運を運ぶ、食と共に幸せを帰った後にも幸運を。
比べてみるー文字いろいろ (2022年12月31日追加)
もちろん『流行ー2桁以上数字』・『流行ー2桁以上数字Ⅱ+度、℃Ⅱ』にあるように2000年代から増え、記号だけも(「ゝや(チョボヤ) 京橋 2010年」「六ゝゝゝ(ロクタラズー前の店六の偶に至っていない想い) 錦糸町 2016年」)あります。写真は以前アップの「鮨〇△(マルサンカク) 神泉 2011年開店、最初〇✖『流行ー度、℃、どうして?・コラムほかの形』」
◎ 和の世界
この間テレビ番組でカタカナは平安時代からの外国語お経の漢文を読むために漢字の一部を採って考えられ、現在のルビにあたる使い方で普及していったようです。外国語用・男性が使っていたとか。それゆえ外国語、一番シンプルなイメージ。
漢字の草書字体からの仮名は紀貫之の文ににもあるように女文字とされ平安時代から。仮名表記は割れない奇数三文字にするため江戸時代より付いていました。柔らかく誰でも読める広く使える字。
業種を問わず多くは二文字の漢字、または1文字かな、カタカナしての3文字が和食パターン。
変化は1990年前後から創作和食がもてはやされ「KISSO(吉左右ー?うれしい知らせ・吉報) 六本木 1982年」「WA・SA・VIE(ワサビ) 青山1986年(再掲)」料理も店名もデザインの一環としてデザイナーズがもてはやされます。
ローマ字表記のはじまりで、外国語で一番和食のイメージから遠い字はギャップの差から外国人や若者のに向けてのアピール。
当初は外国語だからローマ字でしたが、ダイニング流行以後も日本語を表記する事例も益々増えています。 2000年代にはどっと開店とていました。「とりSABIE(トリサビ) 六本木 1991年」以前あっぷの「BASARA(バサラ)」「ICHIZ(イチズー一途の意味) 表参道 1999年」「Cuisine de HARUNO 表参道 2000年」「T・A・M・A(タマートークアンドミールアットの頭文字) 外苑前 2000年」「Un Dining 銀座 2000年(『らしくデザインする』再掲)」「U~O(ウーオ) 西麻布 2002年(『らしくデザインする』再掲)」。
和食クラシックな食材を現代的にアレンジでビジネス系魚のとろ鯖料理の「SABAR(サバー) 恵比寿 2015年」「小豆島島の光」のそうめん「so so so(そそそー平仮名併記) 恵比寿 2018年(再掲)」、胡麻油「かどや」の「gpmato(ゴマト) 自由が丘 2022年」
蕎麦屋と鮨屋は世界から見てもザ・和食なので大きな変化はなく、『フランス語の力そのほか』にあげたように稀にローマ字を当てているのは見ますが大きな流れはないようです。
今やジャパニーズヌードルのラーメン店はもうこれは何でもありの分野で漢字からローマ字全て揃っています。「麺や庄の(オーナー苗字庄野氏) 新宿区市谷左内町 2005年」のように外国進出の逆輸入の店名「MENSHO TOKYO(メンショートーキョー) 春日 2014年」の事例も。
らしくない看板の先駆けとなったのは3度ほどアップの今年店主が残念ながら急逝のため閉店した「Japanese Soba Noodles 蔦 代々木上原 2012-2022年、最初巣鴨」でしょうね。
▽ 洋の世界
業種が文字を選ぶのが普通の流れ。大正に始まったカフエ、文化人たちの交流サロンの目的の「カフェ・プランタン」は金文字で「cafe printenmps」の看板でした。
カフエの流れのままの続きで喫茶店はカタカナ店名とローマ字表記が同時になります。看板は立て看板、壁面看板、縦の突き出し看板とありますが、多くは前面壁面はローマ字、縦の突き出しはカタカナ、入り口ドアはいろいろのパターンがありました。
以前アップの「紅谷・紅屋 神楽坂」は壁に2カ所とも大きく「BENIYA」、写真の「VICTORIA(ヴィクトリア)、全て閉店(『王国の国の人々』掲載)」の当初に載っている写真(『建築写真文庫4 1954』)と変わらず大きくローマ字店名。
喫茶店の多くが二種類の表記。大きな看板はローマ字表記が多いです(建築写真文庫・洋風喫茶店より)。同シリーズの和風喫茶店は漢字と仮名も度なので和洋の棲みわけがされているようです。
戦後になってもあまり変わらず『建築写真文庫4 1954』掲載の一番大きく壁や庇に「WISTARIA(ウィスタリアー藤) 銀座」「FLORIDA KICHIN(フロリダキッチン) 西銀座」「ChaTea(シャトォー城、宮殿) 歌舞伎町」「PRINCE(プリンス) 新宿角筈(『ロイヤルなベタな店名』掲載)」。
「Deux Toits(カフェ・ドゥ・トワー?直訳は二つの屋根) 麻布十番 1972年」「Enseigne d'angle(カフェ・アンセニュダングル) 原宿 1975年(『長~い店名』掲載)」「Café Les Jeux Au Grenier(カフェ・レジェ・グルニエ) 表参道 1976年(『狭い場が好き?』掲載)」「Voleur de Fleur(ヴォルール・ド・フルール) 原宿 1976年(『危ない職業とその道具もろもろ』掲載)」
洋食系は漢字が中心でした。少しアメリカン風になるとこれも以前上げた「A1 エーワン エイワン 銀座」のように壁に大きくA1を表示するレストラン。日本語の「山和 西銀座 『建築写真文庫4 1958年』掲載」「椿 新宿 『建築写真文庫100 1960年』、共に正面は「SANWA」「TSUBAKI」ローマ字。
戦争と最新のユニバーサル。戦中に洋から和の店名に替えた店も多くあたそうです。「クラシック 中野 1930年(再掲)」は漢字「古典」ローマ字から漢字へ。
洋食も高級フレンチは戦後はフランス語で当然ローマ字のみ、「MAXIM'S DE PARIS(マキシム・ド・パリ)」「COQD'OR(コックドールー金鶏) 銀座 1965年(再掲)」英語だけど「THE CRESCENT(クレッセント(芝))」、当時は一般客相手でない世界でしたから読めなくてもよかったのでしょう。
確認できる限りでは多くフレンチのレストランは同じようでした。日本語の「南部亭 日比谷 1984年」も「NANBUーTEI」。あまりなじみのない言葉の店名はカタカナ表記も、どこかにはローマ字付でしたが。「シャンクレール(CHANT CLAIRー?仏語澄んだ歌声) 八重洲 『写真文庫100 洋食店 1960年』掲載」「イル・ドマーニ(Il Domaniー伊語明日) 麻布 1982年」「ヴァンセーヌ(大きな壁の立て看板、ひさしはVINCENNES)(『フランス料理店内地名系』掲載)」は一番目立つのはカタカナ店名。
「Bistro St.martin(サン・マルタンーパリのサンマルタン運河から) 麻布十番 1970年(『フランス料理店内地名系』掲載)」同名「Saint Martin(サン・マルタン) 神楽坂 2003-2015年」同じ系列「Sans Façon(サンファソンー仏語気取らずに) 神楽坂 1993-2015年」。
ほか同様に「L'ecrin」元シェフの店は「渡辺料理店 門前仲町 2022年」で読み方も「ワタナベリョウリミセ(Watanabe Ryouri-miseの壁付看板もあり)」となっています。
イタリアンは最初の本国そのままの「アントニオ」「キャンティ」は別格として初期の「イタリー亭(『イタリア料理の地名系』掲載)」と
ピザやスパゲッティの専門店も多く、イタリアンの分野自体がまだ出来上がってなかったようです。今は大きなビジネス系GIRAUD(ジロー)の最初は「レストランジロー」「ピザハウスジロー 日比谷 1969年」と片仮名、以後も系列漢字混じりの「東花房」「ナポリの下町食堂」を開業。ほか地名のピエモンテからと推測の「ぴえもん 九段下 1980年」を含めスパゲッテイ・パスタメインのレストランは仮名から漢字名多数。
平仮名では人気イタリアン「ISOLA(イゾラー?伊語の島) 白金台 1999年」からの近年の新味をだすため和風のイメージで「いぞら 銀座 2018ー2020年」。
「たまキャアノ 荻窪 2000年」は名前の珠美さんの一字と(おそらく「カルミネ・エドキャノ(オーナー名と江戸風の意味) 1996-2009年」から見ると)〇〇風のキャアノで『珠美風のイタリアン』?。
著名シェフのラストワークの「ちいさな台所ひらた 広尾 2012-2020年(『苗字・名前』掲載)」はレストランというよりは常連客のための個人の台所でした。
イタリアンへの業態変更も多く店名がそのまま使われていて、フレンチよりゆるく色々な字のパターンが多いです。
英語も含めた馴染みな言葉が多いですが、本格派の始まり、全てイタリア本国の雰囲気で、伊語の今は老舗の風格の有名店「IL BOCCALONE(イル・ボッカローネ)」はオールローマ字、立て看板代わりの酒樽の店名も含めて徹底しています。
その後はイタリア語の店名のみを大きく壁に庇にレタリングしたり、三色国旗も掲揚してイタリアンであることを強調する店が増加。
高級店は2000年代後半からのフレンチと同じくドアやその横に地味に無きにも等しい目立たない伊語店名表示も多くなります。
近頃は難しい店名も、以前のようなカタカナはなしですね。写真の店「Trattoria Evoluzione(エヴォルツィオーネー伊語進化) 恵比寿 2018年、2020年Evo.に」は難しくて長くて2年後に頭三文字になっていました。
◆ 時の流れと軸足の変化
市ヶ谷ラ・タベルナ 1978年
高田馬場タベルナ 1980年開店
浅草汰鐘奈(たべるな)
リニューアル2007年
三鷹タベルネ
2005年開店
イタリアンやスペイン・ギリシア料理店や頭につく「タベルナ(居酒屋の意味)『外国語からの聴くと見るとの差』参照」、写真は今あるの色々なパターン。
カタカナ「ラ・タベルナ 市ヶ谷 1978年」イタリア語「TAVERNA(タベルナ) 高田馬場 1980年開店」漢字「汰鐘奈(たべるな)」もじりのローマ字「TAVERNE(タベルネ) 三鷹 2005年開店、2022年三軒茶屋移転(再掲)」。喫茶店の「たヴぇるな 外苑前 1970年(再掲)」も。
新宿喫茶店「檸檬(新宿)」は時間経過が文字変更へ、「ラウンジLemmon 2017年」。
フレンチやイタリアンも鳴神氏と成澤氏と寺内氏のレストランは何度か取り上げていますが(『フレンチ3店の店名変遷』)、成澤氏は最初に付けていた形容詞の頭店名だけとり「NARISAWA」で、鳴神氏は「NARUKAMI」から割烹風の漢字で「鳴神」。
寺内氏が二転三転、西麻布イタリアンの「TERAUCHI(『テラウチ変遷』)」から二子玉川に移り洋食の漢字で「寺内食堂」となり、土地柄か元のイタリアンを求められたのか何もつかない「TERAUCHI」になり、再び転居して「てら屋」。平仮名はお客にとって敷居が低く入りやすいイメージに。
短期間で変えたのはイタリアン「erba da nakahigash(エルバ ダ ナカヒガシ) 西麻布 2016年」から漢字の「草片(くさびら) 2021年」。看板は草と片の間にイタリア語の同音のcusavilla、安らぎの地、郷、里の意味を入れています。父親の「草喰(ソウジキ)なかひがし 京都」から継いでいるerbaは草、草片も古語(中国語?)でキノコや青物野菜の総称。
懐石料理店「末冨 渋谷 2021年」は再開の前は旧かなを含む仮名「霞町すゑとみ 広尾 2005-2018年」。同じ流れの最近京都の「レストランよねむら」はなにもない京都の和食店のような「新門前米村」へ。本来の自分の苗字へ、等身大の自分へ着地でしょうか。
麩嘉錦店 1975年頃開店
愛麩 2017年
ふふふあん 2022年
シバフ 2022年開店
面白いのは京都の古典的食材"麩"の店。東京には地方からの進出店「加賀麩不室屋」ですが、京都には多くの老舗が存在しています。
「半兵衛麩 1689年、3階ふふふあん2022年」「麩房老舗(フボウロウホ) 天保年間(1831~1845年)」「麩嘉(FUKA) 慶応年間(1865−68)」「京なまふ麩藤(フウトウ) 嘉永6年(1853年) 最初麩利」と老舗が多いです。
京都はアンテナショップが続けてオープン「shibaF(シバフ) 2022年、志場商店江戸時代後期」大阪のビジネス系G-FACTORY経営「愛麩(マナフ) 2017年」。クラシックな食材をアナウンスするため古典の漢字からローマ字までいろいろ工夫を凝らしていますね。
テレビ等では『マジ中華』『ガチ中華』の呼び名、『町中華』のように日本人向きではなく中国本土そのままの味付けの、日本語も通じない中国料理屋屋で看板も読めません。ハングル文字表記の朝鮮韓国料理店も。
1990年代後半から探しにくい、入りにくい隠れ家を売りにする店が出てきました。以後中華も含めた和・仏・伊の有名店の看板はなかったり、どんどん見えにくく小さく隠れてきています。看板があってもネットのチカラ借りないと何?の食べ物屋も存在(『アルファベットの付け方さまざま』)。下記の写真の小さい看板から、何の食べ物屋かわかりますか?。
🔲 参考文献
🔲国語百科大辞典 金田一春彦ほか編 大修館書店 1988
🔲建築写真文庫 レストラン第1~第3 彰国社 1954~1970
🔲建築写真文庫 洋風喫茶店1~5 1954~1959
🔲写真集失われた帝都東京 柏書房 1991(『建築写真類聚 洪洋社 1914-1943』の再版)
🔲Showa Styleー再編・建築写真文庫 都築響一 彰国社
🔲グルメのメニューブック(1991年からダイニングガイド) 飛鳥出版 1977~2006
🔲東京たべあるき地図 永井保 山本紘太郎 昭文社 1975・1984
🔲食堂建築秀作シリーズ1~5 柴田書店 1968-1975
🔲カフェ&レストラン 1・2 商店建築社(別冊商店建築シリーズ) 1990
🔲カフェ・レストラン・バー 商店建築社(別冊商店建築シリーズ) 1989
比べてみるー京都の店名いろいろ (2023年02月12日追加)
昭和の戦後期以降のガイド本から、「京都味覚散歩 1960年」にはほとんど和食、洋食は5店、「京都味覚地図 1964年」洋食7店、「京阪名神いい店うまい店 1967年」4店の圧倒的な和食の、老舗も多い古都京都の世界。写真は老舗中の老舗、京料理の流れのひとつ、宮中の儀式料理ゆかりの生間流式庖丁・有職料理を継ぐ「萬亀楼 1722年(『賀字系』)掲載」
★ 日本料理の場合
出身地名から名の一字の組み合わせから、京都の店名の王道でした。東京都とは違い江戸時代創業は地方の出身と名の組み合わせ、伊勢屋より近江屋がまだ多いです。日本料理「近又(近江屋又八) 1801年」豆腐屋「近喜 1834年」や下記の漬物屋など、その漬物屋「近清」プロデュースの欧風カレー屋「近江屋清右衛門 2010年」は初代の名前を付けています。
いまは所在地名と苗字・名前の組み合わせが定番です。ミシュラン掲載の日本料理の6割態度は苗字か名前のバージョン。ただなかなか大変のようです。何代にも引き継いでいくのは少なく、苗字名前は一代一店が多いです。
苗字の店名が増えていきます。最初は何もつかない「あと村 1978年頃」、「味舌(マシタ) 1979年」、「桜田 1988-2015年」「まる多 1980ー2001年」両店とも多くの修行した方の店が多い懐石料理店。新しめは「飯田 2010年」「前田 2012年」「木山 2017年」
名前からの「梨吉 1983年」「吉泉(祖先がかつての商いの屋号吉仙) 1983年」「修伯 2002年」「佳久 カキュウ 2007年」。新しめ「道人 2018年」、「さとし 2020年」「研野 2021年」
もっとも多い地名が付く「祇園川上 1960年」「貴船右源太 1962年」「祇園割烹なか川 1973年」「祇園丸山 1988年」。現在主流で多くの有名店が揃っています。「祇園さ々木 1998年」「ぎおん阪川 1998年」「祇園おかだ 2004年」「上賀茂秋山 2006年」「東山緒方 2008年」「竹屋町三多 2010年」「京天神野口 2011年」「二條ふじ田 2012年」、特に祇園と付くのはホントに山のように多いです。
「小川珈琲」が多くある「おがわ」も下記の「レストランおがわ」蕎麦屋の「おがわ 2003年」「食堂おがわ 2009年」「おが和 2010年」と住所だけでは難しく、頭を変えて店名を区別しています。常連客は間違えないと思いますが、観光客は迷ってしまいます。
「京料理なかむら 文化文政(1800年代)」初代若狭屋清兵衛から三代目中村庄三郎からの出張料理から「中庄」となり、戦後に「なかむら」、「一子相伝なかむら」の屋号となっています。
他には茶商「中村藤吉 宇治市 1854年」和菓子店「中村軒 1883年」、かな字替え「四季なか村 2015年」、東京六本木の本店の店名のままの「鮨なかむら 2022年」。現在は少ない苗字一字名前一字の組み合わせで中村一臣氏の中臣、「なかじん 1997年」はいろいろ訳アリ、移転もして頭に付く語を替え、今は「いまから なかじん 2020年から、洋食も」。
業態や料理関係のことばが付くには次の段階ですが、さすが和食の天下。なかなか個性的なコンセプトですね。頭に付く言葉が逸材揃い。
老舗「ちもと(『地名系』掲載)」の御向かいカジュアルな姉妹店「彩席ちもと 1994年」「草喰(ソウジキー草を喰う意味)なかひがし 1996年」「直心房さいき 2009年、1934年創業移転により改名」、店主の苗字に和食と日本文化の心で料理に向き合う姿勢の「和ごころ泉 2006年」。「研覃ほりべ 2017年頃改名、以前祇園ほりべ」はHP上に『龍胆鳳舌』の言葉に続いて美味しい料理のために深く探求スル、自分自身を研鑽スル姿勢を掲げています。
京都の歴史的有名人の名前は一休禅師以外は少ない模様。
多くはないけど、ほかに弁慶、牛若丸、太閤、秀吉、光琳(画家尾形光琳)、幾松(桂小五郎の妻)。茶道の始祖千利休は懐石料理の重要人物ですが、料理名には付けても三千家(裏千家・表千家・武者小路千家)が揃うこの地ではありえないようです。
もう一つの方向が読みにくい難字の店名。東京の『江戸の八百八町』と同じく『京都の八百八寺』とあるように寺社が多いですが、意外と寺社関連・禅語は少ないようです。
「未在 2004年」は店主の座右の銘、『未だ此処に在らず』の限りないの意味の禅語で修行には限りがないことを込めている店名。『啐琢同時』の禅語、雛が孵化する時親鳥と雛が同時に殻をつつきあう阿吽の呼吸、タイミングの一致「啐啄つか本 2008年」。
お寺関連の用語からの「阿じろ本店(雲水の被る阿じろ笠から) 1962年」、下に上げた「SCALAE(スカーラエ)」と同じホテル内の同じ由来の割烹「キザハシ KIZAHASHI(階段の古語) 2019年」、階段=段階=STEP、食材を3段階の味わい『走り・旬・名残』を楽しんでくださいとの想い。
一文字の「酣(タケナワー?物事の盛り、真っ最中) 2004年」「杦(センー苗字杉澤の杉の字の異体字) 2018年」。
くずしは漢字の草書のくずし文字からの「くずし懐石縁 ネコヤ 今出川 1988年」、暖簾字と読みは「えん」「ネコヤ」は別名となっています。2008年に蛸薬師から「一条虎屋(『虎屋』)」の近所に移転したおりにわかりやすいように付けたようです。市内には縁の店名が多いからでしょう。同音「燕en(つばめの絵看板) 2013年」。
「そ /s/ kawahigashi 2019年」は"そ"と読む漢字の素曾蘇粗礎がもつ根源の意味とs、発音記号と調味料さしすせそ等、多く由来があります。「くずし理(コトワリー北大路魯山人の-料ハカル-理コトワリ-を表す言葉から本質を見極める) 2021年」
▽ 京の食材から
上のアップ「中村楼」の名物は江戸時代から豆腐田楽の祇園豆腐。お寺さんから広がった豆腐、南禅寺奥の茶屋から「奥丹(丹後屋治兵衛) 1635年」「南禅寺順正(医学所順正書院併設) 1839年」は湯豆腐が有名。嵐山の豆腐店「森嘉 1854年」の嵯峨豆腐を使用の「竹むら 1962年」「竹仙(チクセン) 1976年」近衛公麿別邸だった「松籟庵(近衛文麿公の手になる扁額あり) 2005年」。竹林で有名嵐山には他にも多くの豆腐料理店があります。
豆腐屋の店の「とようけ屋 1992年、山本商店1897年」は伊勢神宮の食物穀物の『豊宇気昆売神(トヨウケビノカミ)』由来の五穀の恵みを受け取れる願で豊受と命名。豆腐好きの幕末の歌人大田垣蓮月の名「蓮月茶や 1900年」。
材料の豆が付くのはビジネス系新しい店が多く「豆水楼 木屋町 1990年代」「豆菜(トウサイ) 『オールアバウトHP2003.4.9』掲載」「豆屋源蔵 2010年」「豆生庵(トウセイアン) 『お店のHPは1997年~』」「豆八 先斗町 2011年」。
豆腐ソフトクリーム、きな粉、+わらび餅をつかった甘味処も目立つようになりました。湯葉屋でも作っているもう一つの名物、麩・生麩は前回掲載済(「時の流れと軸足の変化」)
専門店はないけど「いづう」は鱧(ハモ)寿司でも名が上がっています。鱧は専門店ではなく夏だけの店が多く老舗「二傳(二条城に出入りする魚屋だった初代傳七から) 1757年」「大喜久(ダイキク、通称店名) 1933年、移転で元の建物の庵名を足して1998年に改名(叢竹居 悠嵩庵ーそうちっきょ ゆうこうあん)」「堺萬(修行先堺屋) 1863年頃」。閉店している店が多いようです。鱧しゃぶ発祥「祇園割烹なか川 1973年、三条店のみ」他「馳走高月(チソウコウゲツ) 1990年、蕎麦屋に変更」「割烹はも料理三源庵 2008年」
◆ 京の名物から
鶏水炊き「鳥居本 1710年代(再掲)」「鳥弥三 1788年(『商売系・料理系』掲載)」、明治末期に祇園で創業、西陣に移転の「鳥岩楼 1945年」。
昔の多くは魚料理ですが、今は映えるとかで牛肉料理が多数。リブロース丼や肉まぶしは新人。クラシックなすき焼きの「モリタ屋 1869年」「三嶋亭 1873年」「いろは 1911年」も健在です。
甘味処はありすぎて控えますが、昔から載っているのは再掲の葛切り「鍵善良房 『鍵善良房(京都)』掲載」。
◎ 洋の場合ー喫茶店から
喫茶店・カフエから、明治期末(1911年頃)にブラジルからパウリスタの京都支店、梶井基次郎『檸檬』にある和菓子屋の「鎰屋喫茶部 1911年前後」パン屋「進々堂(新約聖書の中の目標を目指してひたすら進みに進むの一節) 1913年」の「進々堂喫茶部 1930年」当りが初めの頃の喫茶店。
戦後は「ナポリ 1947-2020年」「ソワレ(夜会の仏語) 1948年」「ラテン 1952年」「アルペン珈琲店 1959年」「喫茶チロル 1969年(『アルプスのチロルより』)掲載」「喫茶ロアール 1976年」「カフェシャトレ(?パリのシャトレ広場) 1979年」「ドルフ(?ドイツ語の村) 1979年」。
多くのガイドに載っているのが最初フレンチ、タルトタタンが名物、車の仏語、乳母車をイラストやサインにあしらっている「LA VOITURE(ラヴァチュール) 1971年」
それ以外に地名の古いのは「築地(日本最初の劇場、築地小劇場) 1934年」「雲仙(創業者の故郷佐賀県) 1935年」。
京都のカフェは伝統的な喫茶への反動か、言葉の範囲が歴史的なものから革新的なものまで幅広く、観光的な人気の甘味処、抹茶やわらび餅を扱う店も多く資料をまとめきれませんので、ギブアップ。
☆ 洋食とフレンチと
一番古い最初は「東洋亭ホテル」からの「キャピタル東洋亭 1897年」、ここで修行した店も多い「ぎをん萬養軒 1904年、現在の地は2001年より」は創業時、「佛国西洋料理萬養軒」でした。後に近所に開店した「一養軒 1922年」はあちらが"萬"ならこちらは"一"と店名にしたそう。
最初の項で上げたように1970年代前後にはフレンチは少なく、洋食「つぼさか 1948-1989年」「満亭(マンテイ) 1950年」「ブラジル『京都味覚地図1967』掲載」「グリル寿 『京都味覚地図1967』掲載」。お店のHPでは祇園洋食レストランとしている「菊水(『菊水(京都市)』)掲載」はフレンチとして載っていました。
東京も同じですが、高嶺の花のフレンチより庶民的な洋食から昭和初期に増えていきます。洋系の言葉より伝統的な馴染みある店名が多く「グリル富久屋 1907年」「グリル富士屋 1913年」「グリル玉屋 1915年」「本町亭 1927年」「グリルたから船 1927年」「洋食のらくろ(当時人気の漫画) 1934-2020年」苗字の「はせがわ 1930年」「洋食の店みしな 再開1994年、最初1948-1989年つぼさか」「グリルミヤタ 1964年」「にしおか 1968年」
近年オープン「洋食屋さか井 1996年」「プチレストランないとう 2001年」「洋食ひきた 2012年、改名かるみあ」フレンチで修行の「洋食おがた 2015年」「京洋食まつもと 2016年」
少々クラシックな「萬春(元お茶屋の店名) 1977-2014年」、最初に上げた「河久 1967年」出身で洋食も兼ねる「河玄 1984年」「グリル彌兵衛(祖母の代々の屋号) 2000年」は京都らしいです。
◇ フレンチの直な世界へ
フレンチは1980年代からガイド本に。『私の味覚散歩 1980』には1店「リヨン 河原町」掲載。まとめて関西フレンチを掲載した「グルマン1985 1984年」には10店ありました。「萬養軒」、地名の上の「リヨン」の他に皆フランスで修行した「ボルドー 1978年」「アゼ・ル・リドー(修行先ロアール地方の地名・城名)」。場所の「COMME CHEZ SOI(コムシェソワーわが家のように気楽に) 1980年」
これら以外にほか「ル・ベルクール(リヨンのベルクール広場) 1985-2015年」、ホテルのレストラン「Vis-a-Vis(ヴィ・ザ・ヴィ) 1988年」。「Vis-a-Vis」は東京1979年、神戸市2000年に同名店、向かい合っての仏語。
和食から離れるにはイタリアやフランスのイメージが強い方がわかりやすいので、地名、場所名や人関係も多くなります。 観光客には和食との区別がつきにくいのですが、そのためか狭いエリアの京都では新しいフレンチやイタリアンは紛れてしまうためか名前がすくないようです。
フレンチは勢いとしてもイタリアンより劣勢のような気がします。あまから手帖編の『京都うまい店100選』1988年版と2008年を比べてフレンチ8店から10店、イタリアン2店から10店。狭いエリアではフレンチはなかなか厳しい。昔読んだ記事で毎日フレンチを食べる人は東京では300人程度とかで、後はセレモニー的な使い方、記念日や結婚式などが多いとか。ちなみに『ミシュランガイド』では4年間「Vis-a-Vis(ヴィ・ザ・ヴィ)」「レストランよねむら」のみ掲載。
京都フレンチは和食の京懐石、洋食、気軽なビストロ、ワインバー、そして最高級なイノベーティブフュージョンと付加していく傾向がみられます。最初に懐石をいれていわゆるお箸フレンチの世界。
ここと同じくらいの影響を与えた「レストランおがわ 1983年、現在はモダンフレンチ」、ネットのあった修行した方は苗字の店名の3店。「京フレンチ先斗町きしもと 2001年頃」「Restaurnt Nagatake(レストランナガタケ) 2004頃-2017年、わかばとしずくに改名 」「レストラン田むら 2007年」
懐石にプラスして建物が京町屋(なにがしかの商家だった家)のレストラン「大仲(ダイナカー母親のお茶屋の店名を継ぐ) 1979年」のような形も登場。街から移転して古民家(50年以上の一般住宅、町家(町屋)のようなの市街地にある商家ではない)で再オープンのレストランも増えています。
「Eventail(エヴァンタイユー扇の仏語) 1984年」が1986年から始めた京野菜フレンチの新たな魅力を付け加えます。
同じように少ないイタリア語の食堂のオステリア、「Osteria Bastille (バスティーユ) 2003年」はバスティーユはパリの12地区名ですが、イタリアンのオステリアを付して正当フレンチだけどイタリアンもあるカジュアル店。
■ イタリアン変幻自由
最初のイタリアンの名があるのは伊語だけでなく色々あり、「HOUSE YORK(ハウス・ヨーク) 1967年」「マレンゴ(地名) 1969年」「ノアノア(タヒチ語で楽しい) 1970年」最初喫茶店からの「ポポクラブ(汽車ぽっぽ) 1972年」。
らしくなるのはイタリア修行のシェフの苗字からの「フクムラ 1973年」は複数のイタリアンを経営していた京都の草分け的店。
昔からの料理関係店名は豆腐関係(ゆば庄)や麩屋(麩嘉)がつけているので馴染みがあります。料理関係がイタリアンに意外にあります。
ネットにある開店年不明の「トラットリア・ルーコラ(野菜の名)」「Al Fornoアルフォルノ(オーブン焼き)」「トマト&ペペ」「アンチョビ・カフェ」
「cipolla(チポラーたまねぎ) 1969年」「イル・カントゥチョ(トスカーナ地方の伝統菓子名) 1997年」「aglio dinngbar(アーリオーにんにく) 1999年」「ラ・ブラーチェ(炭火焼) 2001年」「Mescita Pane e Vino (メッシタパーネエヴィーノー居酒屋のパンとワイン) 2015年」。
もっとも全国的に有名な京都イタリアンを位置づけた「IL GHIOTTONE(ギオットーネ) 2000年」が最初の勤務店は「 IL PAPPALARDO(イル パッパラルド) 1996年」ともに大食漢、女たらしの意味。「 divo-diva(ディボ・ディバー伊語人気男優・人気女優) 1986年」「IL Baccanale(イル・バッカナーレーー食いしん坊の明るいおじさん) 1998年」イタリア人的の呼称はイメージが浮かびやすい店名。あたらしめは「Birichinata(ビリキナーター伊語いたずら) 2016年」
「くちーな・おるそ(熊の意味) 1991年」「リストランテ・チンギアーレ(猪の意味) 2003年」「TRATTORIA LEONE(レオーネー雄ライオン) 2007年」はシンボルがライオンでガッツリ肉食系。「イタリア食堂コロンボ(森鳩の意味) 2009年」。猪は他に赤ちゃん猪のうりぼうの「cinghialette(チンギアレット、チンギアーレの姉妹店)」ジビエ食材としての猪から「ボタン 2014年」
店数も多く、こだわりの少ないイタリアンは当初と同じく伊語じゃない店名、解りやすいものから少々難解なのもまで。「hikari-yurari(ヒカリユラリ) 2002年」「Bosom(ブズンー英語親しいの俗語) 2003年」「リストランテ美郷(ミサトーFCでは麗しきイタリアの美食とワインの桃源郷) 2006年」「TRATTORIA道月(ドウゲツ) 2010年」は道を照らす月のようありたい想い。「TRATTORIA亜侘庵(アワビアン) 2010年」は造語で亜はアジアで侘び寂を感じてほしい場所。
耳馴染みのない言葉では「Lapintaika(ラピンタイカーフィンランド語でまた戻ってくる) 2017年」「måne(モーネー北欧の言葉の月) 2016年」「熙怡 Kii(きいー空海の著書の縁起の良い古語で和やか・やわらかに楽しむ) 2019年」「To.(トゥー人"と"人が繋がる場所) 2020年」
★ 2010年から(ミシュランガイド以降)
2010年を過ぎると京都らしさとの融合が出てきたと思います。京都でのメインの氏名を伊語や仏語ラシクしてのアレンジ系も多くなってきます。
フレンチ「anpeiji(アンペイジー苗字安平さん) 2016年」「blanc pierre(ブランピエールー苗字白石さん) 2010年」「La Mer giki(ラ・メール・ギキ) 2017年」、南仏の海・故郷の海、海の幸の魅力を引き出す仏語海の意味と苗字。
個人の店は氏名ですが、ビジネス・ホテル系は観光都市京のイメージが必然。解りやすい桜の種類の「いと桜 2017年、リニューアル改名」「コトシエール 2017年」は古都とフランス語の空『Ciel』、最上階に位置するレストラン。「JUGEN(ユーゲンー幽玄) 2017年」「キョウトビストロ 2019年」「水ノ雅 KYOTO FUSHIMI(ミズノミヤビ) 2019年」「都季 TOKI 2020年」
少し複雑な「SCALAE(スカーラエ) 2019年」はホテルのシンボル階段の伊語、神社や仏閣からアイデアを得た大階段を上るレストラン。インテリアも料理も和魂洋才を融合したコンセプトの「Singular 眞蔵(シンギュラー/シングラー英語の唯一の、並外れた) 2020年」は「グリル54 GRILL 54TH(フィフティーフォース ステーション グリル) 2019年」は東海道五十三次の終点の54番目宿場町=京都。
場所名で日本語の「O・mo・ya(オモヤー主屋) 2000年」「Roji-oku(ロジオクー店は路地奥にある) 2020年」「苑 én(エン) 2021年」、苑のつく場所は京都に多く神泉苑、平安神宮神苑、京都御苑、桜の名所原谷苑など。
京都には歴史的建物が多く有りそれが食べ物屋になっている場合も。店名も元の建物名を引き継ぐ和食店も京都らしさの現れです。上に上げた「南禅寺順正」「篩月」「松籟庵」「大喜久 叢竹居 悠嵩庵(そうちっきょ ゆうこうあん)」。
新しい店は普茶料理「閑臥庵(黄檗宗の禅寺名) 2002年」「西源院(l(竜安寺の寺名) 2013年」イタリアン「THE SODOH HIGASHIYAMA KYOTO (ザソウドウ東山京都ー竹内清風のアトリエ東山艸堂) 2003年別名、2020年改名して」「観山(元骨董屋観山堂) 2016年」カフェ「ぎおん楽楽(料理旅館楽楽荘1948年) 2000年」。
東京のフレンチで知られるひらまつグループの和食料亭「高台寺十牛庵 2017年」。明治の両替商の元清水吉次郎邸「十牛庵」の敷地にあった料亭「高台寺土井」が移転し、長く京都で大切にされたものを取り入れていく想いから最初の建物名を引き継いだそうです。ネットでは『十牛図』と言われる逃げ出した牛を探す10枚の絵があり、禅の悟りの境地への道筋を描いたものだそう。
ネットの広まりで2000年代からお客が馴染みの常連だけでなく、ミシュラン星の影響もあり、世界中からやってきて京都の元々の方向、和食店のような氏名そのままも増えていきます。
上にある「ORTO(オルト)」もイタリアンの敷居からリストランテを2016年にはずしてもっと自由に料理イノベーティブフュージョンとなりました。最初の『ミシュラン京都・大阪2010』で洋食は2店、その中の一店がフュージョンの『「レストランよねむら、現在は新門前米村』でした。
氏名の店名は狭い世界では隠しようもない完全形、でも料理はいろいろ取り入れ広く融合して個性的で京都らしさを表現していく。そこにはすべてを熟知した客が不可欠。
高級店は一見さんお断りを掲げていたりします。店と客のコミュニケーションで相手の好みを知りその嗜好に合う料理を提供することで満足感も100%以上になります。一回だけでは美味しいものを得ることは当然無理。ファミレスのようなそこそこでよけれは良いのですが期待度が高い高級店は一期一会では難しい。 ネットの普及は地域性を失わせていきます。京都の店名もどこにでもあるようなものにならないようにと願っています。
◆ 参考文献
◆京都千年9 老舗と味 講談社 1986
◆おいしい京都学 加藤政洋他 ミネルヴァ社 2022
◆京都味覚散歩・新編京都味覚散歩 白井喜之介 白川書院 1960・1970
◆京都味覚地図 創元社 1964・1966
◆京都・大阪・神戸うまい店二〇〇店 大久保恒次 等編 柴田書店 1964
◆京阪名神いい店うまい店 文芸春秋 1967 (文春実用百科)
◆私の味覚散歩 今西玲子 保育社 1980(カラーブックス497)
◆京都食べ歩きブック 山と渓谷社 1980
◆京都うまい店100選 あまから手帖社 1988年・1994(2000版からクリエテ関西出版)
◆たべあるき京都うまいもんの店 渡会恵介 著 昭文社 1988 (味シリーズ)
◆京都うまい店・いきたい店 実業之日本社 1992 (ブルーガイド・グルメ)
◆おいしい日本料理の店 実業之日本社 1994年
◆美味しいごはんの店京都 淡交社編集局 編著 淡交社 1995
◆うまい店ガイド京都 京阪神マガジン社 1996
◆京都カフェ散歩 川口葉子 祥伝社 2009
◆京都喫茶店クロニクル 田中慶一 淡交社 2021
◆京都時代MAP 新創社編 光村推古書院 2007
◆最新京都美味ガイド 関谷江里 淡交社 2011年
◆京都和食100選 クリエテ関西 2021
◆京都老舗名店案内 ぴあ 2013
◆さすがといわせる選抜グルメ京都2014 JTBパブリッシング 2013
◆ミシュランガイド京都・大阪2010~ 日本ミシュランタイヤ 2009~(エリア名を煩雑に変更していますが、2023年版は最初と同じエリア)
憧れのフランス語と昭和の言葉の残り香
記憶からも去り行く昭和の時代、多くの店も引退への道を歩んでいます。(『長く愛される店名ー王道かベタ店名か?』で続いているのと消えていく店名掲載)
当初のプランではオリンピック前から街を巡り、昭和の店名を探すつもりでした。ところがやってきた禍、予想もしないくらい長く自粛生活を皆と同様に強いられてしまいました。考える以上に多くの食べ物屋の閉店。
大きな項目はあきらめ、中途半端は否めませんが、ついでにでフランスの古い店名を知らべていると同様に昭和に流行った店名がまだ頑張っているものをアップしました。
頑張るフランス語
その中でフランス語も頑張っていて、お店はフレンチ以外、過去には喫茶店が多く、今はパン屋と洋菓子店が増えています。新店の店名、横文字で表記がされ、なかなかすぐには読めないのが難点です。
多くは喫茶店から地名・名前から挨拶語のボンジュール(『いつものの言葉で』掲載)から始まっていくフランス語の店名。
今はイタリアンと並んでしまったのですが、洋系のトップに君臨した憧れのレストランが多かったので、店名も多くの業態に広がっていました。なんでもありの英語の区別ない店名と伊語はそれほど他の業態には付いていないのですが、
1960年から1970年まで喫茶店のガイドにあった店名の3割から2割のフランス語、現在の流れをみると、当然ことながら消えたもの、頑張っているもの、広がっているもの様々です。(右写真フランスの国花アイリス*百合場合もあり)
◆ フランス語の地名との場所
喫茶「フランス茶房 上野 『大東京うまいもの食べある記1935』掲載」「仏蘭西屋 大阪 1961年、銀座1981年」「仏蘭西館 代官山 1975年」「仏蘭西亭 大田区 1977年」。
ビジネス系カレーとステーキ店「ふらんす亭(佐世保の修行店から引き継ぐ店名) 下北沢 1979年1号店」息長く頑張っています。
洋菓子店は現存する古いのは「フランスや 大井町 1926年頃」フランス人・語の意味の「FLANCE(フランセ) 渋谷 1957年、1997年横浜に本店移転」。
パリ、ルーブル、カンヌ、リオン、ロア、セーヌ川の地名、場所名はメゾン、シャトー、アヴェニュー。食べログにも今も残っている「ルーブル」「トリアノン」「ブルボン」「パリジェンヌ(写真、生まれも育ちもパリのパリジャン意味で女性形)」
場所名はマルシェ等いくつか好まれてこのHPでもアップしています。フランス語にすることによりイメージのフランス文化を纏うこととなります。
「ボンマルシェ 早稲田 1966年頃」は洋食、以後フレンチ、下記の「プティマルシェ 自由が丘 1981年」「プティマルシェ 荻窪 1994年」「ル・プティ・マルシェ 六本木 2012-2021年改名」は小さな市場の仏語。六本木のHPでは『日常的に使える食堂を目指し美味しい料理等全部楽しめる市場のようなコンセプト』になっていました。
新しめの「Jour de Marche(ジュードゥマルシェー?日々の市場) 曙橋 2015年」は季節、旬の食材を味わえて、気軽に通えるお楽しみに出会う市場のコンセプト。
平成の時代は地名が付いた「マルシェデギンザ 銀座 2010年」「Marche de Jyuban(マルシェデ十番) 麻布十番 2011年」、食材系多数。、カフェも「Café marche 広尾 2009年」
喫茶店「Monde(モンド) 不動前 1960年代初開店」「る・もんど 両国 1974年」「ル・モンド 錦糸町 開店年不明、昭和に開店2015年リニューアル」「モンド 渋谷 『珈琲ものがたり1967』掲載」「ル・モンド 四谷 1980-2021年」「MONDE CAFÉ 新宿 2010年」フルーツパーラー「プチモンド 赤羽 1985年」ステーキ店「Le Monde(ル・モンド) 新宿 1989年」。
当然フレンチ「プチモンド 新宿 1964年」色々追加の「アルトモンド(美の世界) 青山 1998年」「グローブ・デュ・モンド 市ヶ谷 1999年」「Le Monde Gourmand(ルモンドグルマンー食いしん坊の世界) 自由が丘 2015年」
現在はなぜか同音の「イルモンド 四ツ谷 2011年」のようにイタリアンが多いです。
◆ プチのお仕事
小さいの意味のpetitプチ・プティプチ・プティ(男性形)・petiteプテット(女性形)が上記事にも書いたつけている例のように、今も活躍しています。仏語『petit』は単純に小さい意味だけでなく、かわいらしい、愛らしい意味も含むようです。最近の流行語でもプチプラ(プチプライス、安い価格)、プチ整形、プチ贅沢、プチ家出等で女子受けするそう。
日本語の子(小ぶり、小金持ち)や雛の言葉(雛人形)、に似ている言葉。本国の地名、名前、料理名でも『プティトリアノン』『プチブルジュア』『プティ・パレ』『プチフール』など。
以前のアップの喫茶店「プチ 阿佐ヶ谷 1947年、1954年阿佐ヶ谷へ」洋食「プチオール 恵比寿 1970年」からフレンチがいろいろ幅広く開店していた地名の「ル・プティ・シャニー 西麻布 1981年」「オー・プティ・パリ 白金 1983年」「フレンチーズ 門前仲町 2012」に改名した元の店名「Au Petit Nice(プチ・ニース)」ほか「プティット メルヴィーユ(小さな感動) 吉祥寺 1988年」「ラ・プティッドシェーズ(小さな椅子) 代官山 1988年」
西荻窪プティ 2013年開店
巣鴨プティボヌール 2015年
平成になっても形容詞的にバルやフレンチ、パテイスリーに多くつけています。「Le Petit Bedon(ル・プティ・ブドンー小さなお腹) 代官山 1998-2019年頃」シャンソン関係も多くありますが、歌詞の言葉「Petit Bateau(プチバトーー小さな船) 代々木上原 2002年」、子供服ブランド銘にもあるようです。「Petit Debut(プティ・デビューー小さな初め) 下北沢 2010-2018年」上写真の「Petit(プティ) 西荻窪 2013-2022年」。
多いのはささやかな幸せを感じる料理の「プティット・ボヌール 亀戸 2015年」「Le Petit Bonheur(プティボヌール) 日本橋 2018-2022年」カフェの「Petit Bonheur(プティボノ) 飯田橋 2012年」。
珍しい料理名「ブティサレー豚肉塩煮込み) 渋谷 2007年(再掲)」「プチヴェール 錦糸町 2012年(再掲)」フランス語エンドウ豆でバル「プチポワ 巣鴨 2015年」「ぷちぽあ 荻窪 2019年」。
因みに反対語grandグラン、ヨーロッパ系言語grandeグランデ・グランドとぐちゃぐちゃに付いています。形容詞的に肩先店名の頭に多いです。小さいはスモール、リトル、ミニ、ピッコロ、ペケーニョと似ていないのに大きいは区別がつきにくいからでしょうか。
◆ あなたと私の・・・
日本語の店名では私の・・・はそれまであまりなかったタイプでしたが、作家岡本かの子氏が命名していた「モナミ(私の友) 銀座 1929年(再掲)」当りが最初でしょうか。それ以前に今の宝塚歌劇団の前身で1927年、日本最初のレビューダンスの曲『モンパリー私のパリ』が流行してはいました。「モナミ」は東京は少なくなり、全国的には漢字を当てたり、大阪の洋食店「もなみ(下にMon-amiと表示)」のように平仮名表記になっていたりです。他昭和初期のガイドに「モンクール(?Mon Coeur 私の心 私の大切な人) 日本橋 『大東京うまいもの食べある記1933』」あります。
昭和に大活躍、喫茶店「モア(仏語Moiー私の) 日本橋 1953年」、1965年ビジネス系になって東京各施設で同名の洋食レストラン、喫茶店展開。会社のHPで創業者が『私も愛する、お客様からも愛される思いを込めて』の命名となっています。
「SHEZMOI(シェモアーわが家) 吉祥寺 1955-2017年」鉄板焼き「Mon cher ton ton(モンシェルトントンー親愛なるおじさん) 六本木 1965年」
ホントカ?な感じのお茶漬け店「しえもあ 日本橋 『東京いい店うまい店 1967』掲載」フレンチの「ビストロ・ シェ・モア 銀座 1978年」中華もあり「四川MON花(シセンモンファ) 中野 1988年」
平成になるとma(私の女性形)の進出で「マメゾン 町田 1994年、1981年名古屋本店」(『庶民版建物掲載』)「MA VIE(マヴィーー私の人生) 六本木 2000年、札幌に移転」「ア・マ・テラス 神楽坂 2005年」「Ma Chambre(マシャンブル) 六本木 2007年」「Ma Cuisine(マキュイジーヌー私の料理) 西麻布 2019年」と続きました。かわいい造語でマ・メゾンと江戸古語豆蔵、半人前の意味と掛け合わせた居酒屋「まめぞ 江東区鳥越 2009年」。当然monも「mon atelier(モナトリエー私のアトリエ) 渋谷 2016年」英語との造語「FRENCHMONSTAR(モンスターー私の星) 西麻布 2015年」
私たちのnousで山の上ホテルの「CHEZ NOUS(シェヌー) 駿河台 1954-2014年」ブラッセリー「シェ・ヌー(わが家) 尾山台 2004年」「ビストロヌー(共に皆楽しんでほしいので仏語の私たち) 末広町 2011年」
フランス語は旧い喫茶店「トワエモワ 御茶ノ水 1948年」以降平成にフレンチに限られ若干数「エトワ(あなたと) 代官山 1999年」再掲の「コムシェヴ 代々木上原 2001年」。
カフェで綴りは違うけどtoi et moi“きみ と ぼく”の意味「towa mowa café(トワモアカフェ) 錦糸町 2013-2018年」、『皆さんのキミと僕と一緒に来てね』の願いから。ネットで見ると不思議な小さいtoiドア普通の moiドアがあり、是非写真を撮りたかったです。
他の代名詞ではとても少ない彼の意味の「シェ・リュイ(彼の家) 代官山 1980年」、ちょっと難の『彼の家に行こう』の「Qu'il nous tente(キルヌタントゥ) ,中目黒 2012-2021年」はクレップリ.ビストロ。 ★TOP頁へ★ ☆(比べてみるTOP頁へ)●自然●自由●見上げて富士、留まる伊勢●桜と菊の場合は●八百と萬・万(ヨロズ)●はじめとおわりの場合は●場所の角と十字路●過去と未来●幸せと福と●文字いろいろ●京都の店名いろいろ ☆憧れのフランス語と・・TOP頁へ ☆昭和と平成のスパゲティ店TOP頁へ
留まる昭和時代の言葉、超えた言葉
居酒屋が多く「ふるさと 下北沢 1967年」「ふるさと 築地 1972年」「珈琲館ふる里 小川町 1977年」。現在残るのは中華・エスニック系、韓国朝鮮料理店が多いです。かつて喫茶店(1966年開店)だったグルメバーガー「喫茶パーラーふるさと 月島 2009年」のように字はFURUSATOにしても店名を変えない店もあります。
「珈琲亭郷(ゴウー故郷のように居心地の良い場に) 中野区鷺宮 1973年」「珈琲郷 日本橋 開店年不明」から店名の尻尾としても居酒屋「夢の郷 神田 1990年代」ダイニング「郷(故郷のような居心地の良い場) 恵比寿 2001年」「和郷(ワキョウー和の食をひらくコンセプト) 糀谷 2013年、銀座店2020年」。
中国語では郷は古里の意味、中華「桃源郷」「麗郷」「故郷亭 西日暮里本店」のような使い方をしています。プラスして韓国朝鮮料理店やアジア系がつけています。
最近は昭和平成のノスタルジーも売りにする喫茶店が増えていますが「故郷(フルサト) 三鷹市 2022年」、頭に童謡・昭和歌謡喫茶とあります。
ふるさとが遠くにある出生地から過ぎた時間への想いにある今はもっと個人的な場。西洋家庭料理店「jicca(ジッカー友達や家族が集まる実家) 幡ヶ谷 2013年」イタリアン「jikka de dining(ジッカデダイニング) 小金井市 2015年」「gicca(ジッカー実家のように気軽で多様な食) 東五反田 2020年」もあります。
空の「スカイ 巣鴨 開店年不明」(空は『残るのは』掲載)。星・スターは二文字で不足感のあるため、「北極星」「三ツ星」「スターライト」「スターダスト」等具体的にいろいろついての店名が多いです。
営業時間がとても短い喫茶店、漢字三文字にしている「素多亜(スター) 新宿 1964年」が老舗。(『空と海の目印』)。
海のラテン語から派生し、英語の形容詞になった「マリーナ 向島 1973年」「マリン 中葛西 1978年」、なぜかポルトガルの河川のRIOリオ「リオ 本郷三丁目 開店年不明」「RIO(リオ) 国分寺 1977年」、ブラジルのリオデジャネイロ( Rio de Janeiroー1月の川の意味)の略でもあります。
多くの花(『 百花繚乱』)と動物名(『十二支の動物・十二支の動物以外の動物』)。
全国での閉店の記事をネットで見るシャルマン、ほとんど喫茶店ですが、新店1店フレンチに(写真)「シャルマン 日本橋室町 2017年開店」で付いているのはうれしい限りです。
昭和に大活躍の映画やテレビは流石に流行遅れは活躍せず『古き懐かしき匂いの映画』『【すきな外国人の名前】 』に使っていた店名はまだありますが、増えていくことはないと思います。
昭和を越えた言葉
かつては恒久平和の国のイメージからスイス関連も人気でした(『新しい世界』)。
英語の写真「ピース 西新宿 1955年」以外にはあまり多くありません。アジアのふたつの大きな戦争があり、元は勝利を表す指を二本開くVサインが60年代の戦争反対の象徴ピースサイン替えていった平和運動もあり、社会・政治的言葉として店名から避けられた来たのでしょうか。
平成になってからカフェに「Peace cafe(ピースカフエ) 赤羽 1999年」「PEACE(ピースーインスピーレーションで思い付きから命名) 江古田 2006年」「ピースコーヒーロースターズ 西新橋 2013年」。
野菜料理の「PEACE TABLEZ(ピーステーブル) 渋谷 2021年」はお店の公式HPで『国籍も宗教も肌の色も関係なく、美味しいものを食べて、ひとときでも平和になってくれたらという想いで「ピーステーブル」と名付け』と掲げています。
戦前の「カフエー平和 神宮 1923年」韓国料理「平和食 浅草 『東京味覚地図1958』掲載」食べログ掲載の定食「へいわ亭 羽村市 1969年」
同じく平成以降、英語以外は少ないです。フランス語は地名では?(パリオペラ座のラペ通り、同名のカフェも)「Cafè de LaPaix(カフェドラペ) 乃木坂 1981年」、名前の一字『平』と平和の意味からのフレンチ「La Paix(ラペ) 日本橋 2014年」、姉妹店イノベーティブおでんの店として2021年に実家と同名の「平ちゃん」もオープンしています。
最も長かった時代の昭和、3世代にかかわった―時代。昭和には付けなかったけど、レトロ気分を求めてかつてカフェでは縁側やちゃぶ台、こたつがありました。
「chano-ma(茶の間) 渋谷 2001年」イタリアン「Chama Chama(チャマ チャマーお茶の間の茶間) 根津 2015年(再掲)」「ちゃぶっとりあ(ちゃぶ台とトラットリアの造語) 大井町 2009年」カフェ&キッチン「ちゃぶ台 世田谷区赤堤 2009年」「縁側カフェ 松陰神社 2010年」和食「えんがわ 荻窪 2016年」居酒屋に多いようです。同じく「こたつ 田端 開店年不明」。
昭和が終わった後、テクノロジー系アナログ(連続する量・データ)、ラジオ、カセットと昭和に活躍したけど時代遅れになり消えていく途上にあるもの。
ほかハンバーガとコーヒーの「Analog(アナログ) 上町 2013年」ビストロ「アナログ舎 立川 2015年」
「ラジオキッチン 国分寺 2004年」おなじような機器のコーヒー店「カセット 表参道 2016年」。多くはないけどおもちゃ系ブリキ、ビーダマ、竹馬、お手玉など。
テレビの怪獣を倒すウルトラマンが人気ですが、商標権等のためもあって居酒屋「うる虎 自由が丘」「うるとら 末広町 2019年」焼肉「うる寅 芝大門 2016年」と替え字。ウルトラマンの街となっている街の隣、経堂には洋食バル「ウルトラ 経堂 2012年」。
形容詞的にバル「ULTRA CHOPウルトラチョッププリュ 麻布十番 2013年」チョップはラムチョップのこと、最高に美味しいNZ産
さらに強調のもっと、更に向こうの未来を目指すフレンチ「PLUS ULTRA(プルスウルトラ) 大泉学園 2020年」『従来の常識や既成概念にとらわれず、勇気や情熱を持って未知の世界に挑戦する』、お店のHPから。
根性、根性の力込める系は少ないけど英語の『hustle』からのハッスル。野球から始まり、2004年にプロレスラー洋食「ハッスル 府中市 1992年」ラーメン店「ハッスルラーメンホンマ 亀戸 1994年1号店」。ガッツポーズとかボクシングのガッツ石松さんのガッツは根性の英語から(『ガッツ』)。こちらも平成に店名に(『擬態語は美味しい!』) 変遷激しい灯系(『明かりの目印』)も様々ついてます。
参考文献
☆珈琲飲みある記 寺下辰夫 柴田書店 1962
☆珈琲ものがたり 寺下辰夫 ドリーム出版 1967
☆足で集めた喫茶店ガイド 森本一成 文芸出版 1967
☆喫茶店1-4 柴田書店 1982-1983
☆コーヒー・ケーキの店 高橋幹夫 柴田書店 1980
☆フランスことば事典 松原秀一 講談社 1996
☆喫茶店と日本人 赤土亮二 旭屋出版 2019
昭和と平成のスパゲティ店
イタリアンではプリモピアット(最初の皿)で出てくるのが穀物系のパスタやリゾット、それを専門のスパゲッティ専門店が「スパゲッテリア」軽食店扱いの業種になるようです。
料理は洋、でも味付けは和風のこの業態はちょっと面白いかも。これらは鮨屋、蕎麦屋、ラーメン店のように店名では繋がっていません。今の時代の象徴のネットで人が繋げています。
多くの店名は料理食材系の店名に『最強の店名か? 料理名ほか変幻版』の中の『スパゲッティ・パスタ』でアップ済みで、ダブル店名が多いので歴史のながれとしてみてほしいです。
自分も壁の穴やハシヤに並んで食べた経験があります。「ハシヤ 富ヶ谷 1972-2018年(再掲)」の名を継いだのは「ハシヤ 西新宿 1978年」「ハシヤ 立川 1978年、閉店」「ハシヤ 幡ヶ谷 1990年」。写真はイタリアンテイストの最初の立川店を継いだ「ビーノエパスタハシヤ 立川 1984年開店」
店名は揺れていて思いっきり和風にいく店名はなく姓名の「多夢羅 三鷹 1978年」「セキヤ 本郷三丁目 開店年不明」名前かどうかわからない「ダン 目黒 1976年」。
ハシャ系列ではない伊語やのイタリア風〇〇。「アグリパッチョ(伊語のピエロ) 中野 ガイド本1978年掲載」「ミラノ 新宿 『東京たべあるき地図1975』掲載」「いたりあん小僧 国立 1978年」「伊太利亜亭 麻布台 1980年頃」。
店数が多いのはビジネス系「洋麺屋五右衛門 渋谷 1976年(『【すきな日本人の名前】 』再掲)」。同じく30年弱後の平成時代には「すぱじろう 恵比寿 2007年(再掲、以前載せたのは会社の創立年訂正済)」も、どちらも食材系名前風です。イタリアのイメージから「オリーブの木 芝浦 1985年1号店(再掲)」はコーヒーのドトール経営、「ポポラマーマ(伊語poplare一般大衆+mamaママの組み合わせ) 東葛西 1994年1号店」。(ほかは『スパゲッティ・パスタ』に載せてます)
イタリアン直からの「ハングリータイガー 虎ノ門 1967年(再掲)」や「エトナ 銀座 1968-2011年(再掲)」も人気です。
平成になってからになると似てる炒め、焼スパゲティのロメスパ(路麺店スパゲティ)が隆盛に、ほとんどビジネス系ファストフード店。
いわゆるスパゲッティー店は平成になってパスタ店に代わっていきます。イタリアンがどっと増えたのでパスタの呼び名が90年代から定着したからでしょう。
ハシヤ系も地名の「とすかーな 武蔵小山 1992年」名前の「アンクルトム 恵比寿 1993年」「マイヨール(映画監督ジャック・マイヨールから) 八丁堀 1995年」「松下雄二屋 阿佐ヶ谷 1998年」
和風店名「スパゲッティ心 人形町 2007年」「Nokishita(ノキシタ) 新宿三丁目 2007年」は軒下、雨宿りするように気軽に立ち寄ってほしいそう。 ビジネス系は和風を強調する店名も出てきます。京野菜スパゲッティの「先斗入ル(ポントイルー京都先斗町から) 池袋 2003年1号店」和ばすた「こなな 神戸市 2005年1号店」「伊麺処(パスタドコ) 浅草 2020年(再掲)」。デリバリー発の淡路島生パスタ専門店「和太利庵(ワタリアン) 表参道 2021年」はソースにも和の食材を使う季節感を感じるメニュー作り。
料理名が多いですが、未掲載の料理系はイタリアン強めの「PASTAVOLA(パスタヴォラー造語?パスタのテーブル) 大森 2013年」「Da Pasta Mista(ダパスタミスタ) 大門 2015-2022年」はスープパスタの一種ミネストラに使う形大きさが異なるパスタを混ぜ合わせたもの。
それ以外の伊語では具のない手打ちパスタのみの「Base(バーゼー基礎基本の伊語) 茗荷谷 2014年」「Pasta Dining Evoluto(エヴォルートー伊語進化) 新大塚 2020年」。ビジネス系「ボーノボーノ 大手町 2015年」。
蕎麦屋のように個性を打ち出す時代にはいりましたね。令和年代はアメリカンな当初の英語先祖帰り?「スパゲッティマニア 平和島 2021年」ビジネス系2店「パスタオブライフ 新宿 2020年」「焼きスパゲッティストライク 新橋 2021年」。ワインと組み合わせたパスタバルの業種も増えています。
料理・食材系『スパゲッティ・パスタ』に載せたビジネス系「葉゜す多家」はあたらしく「がっつりスパゲッティぱすたや 阿佐ヶ谷・西新橋 2021年」を展開。北海道の小麦・卵を使った北海道生パスタ専門店「麦と卵 吉祥寺 2020年」も店数増加中の模様。超激せまレベル「1品かに専門料理」でかにチャーハンの店が「蟹が得意な洋麺屋PASTA 吉祥寺 2021年」も。 ★TOP頁へ★ ☆(比べてみるTOP頁へ)●自然●自由●見上げて富士、留まる伊勢●桜と菊の場合は●八百と萬・万(ヨロズ)●はじめとおわりの場合は●場所の角と十字路●過去と未来●幸せと福と●文字いろいろ●京都の店名いろいろ ☆憧れのフランス語と・・TOP頁へ ☆昭和と平成のスパゲティ店TOP頁へ