コラム 店名の裏側・外側 4
こちらは店名からではなく、基になった植物、動物、自然現象などからみてみたいとおもいます。
神様・仏さまに結びつくもの ≪器物 No.2≫
・追加08月05日>・追加2019年2月2日
・追加訂正2020年9月27日・追加2020年10月25日
神社、寺に多くみられる、儀式で使われる道具類、一番有名なのは天皇家の三種の神器です。草薙の剣、八咫の鏡、八尺ニノ勾玉。また、神紋、寺紋といわれる紋も同様の力を持っています。七福神も大黒は打ち出の小槌、恵比寿のの鯛、布袋の袋と杖など。中国も八仙、八人の仙人、張果老は桃、漢鐘離は扇子、韓湘子は横笛など。
西洋ではアトリビュートという学問にもなっています。日本より厳格に神の象徴の世界が細かく、決められ絵画にも表現されています。よく知られているのは聖ペトロで天国の鍵を持っています。
店名仲間
扇 瓢箪 巴 柏 月桂樹 蓮 狐 鈴 曼陀羅 天使 羽衣
扇、扇子、末広(写真王子扇屋)ー2017年12月17日追加
扇屋・末広屋で一度掲載した道具。
あおぎの言葉があるように基本、涼をとる、女性は顔を隠す道具、男性は備忘録替わりの道具です。でもこの道具は儀式の場、神社の奉納品、藝術分野の歌舞伎舞踊り、能舞台で使われ、価値が幾多にも渡り上昇します。
神楽舞、神に捧げる踊り、手に杖、的矢、桃の枝、そして扇を持つ舞うもの
ひな祭りお内裏様がもつと芍と桧扇は儀式の利用。戦いの場では軍扇が使われていました。
江戸時代からずっとガイドに載り続けているのは「扇屋 王子 1648年」。北江戸エリアの行楽地、王子稲荷、8代将軍徳川吉宗が造らせた飛鳥山の桜の名所に、料亭として長くあり、今は料亭の名物であった玉子焼きをビルとなった1階で土産物としてひっそりと商っています。
扇はセンと読むほうが利用価値が高いようです、千、鮮、泉、仙、川と音が同じ、末の字にンを入れることも賀字とされる点も。
再掲もありますが、「扇芳亭 新橋 東京飲食店独案内1890掲載」「金扇 築地 1912年」喫茶店「銀扇堂 新橋 大東京うまいもの食べある記1935掲載」、蕎麦屋、苗字にプラスの「松扇」賀字+「吉扇」鮨屋『希扇 赤坂 1965年頃」「喜扇」「紫扇 渋谷 2015年」食材+「鳥扇」「魚扇」「天扇 西池袋」は銀座天一で修行した方の天麩羅屋。
蕎麦屋「舞扇 小石川 2008年」(左写真)は苗字の橋本がありきたりで、蕎麦屋っぽく関係ないマイセンと命名
店名の由来がわかるのは高級焼鳥屋「門扇 麻布十番 1973-2001年」。
門出を祝う意味で、門を出ていく人を扇子を振って送り出すことを『門扇を祝う』という言葉からの店名。
鳥を扱うけど料理屋として店をやっていきたかったので、「鳥○○」は避けたかったとオーナーの自著『門扇、一代限り』でいっていました。
全国でも洋系は希少で、前にアップした苗字のフランス語読み「エヴァンタイユ 内神田 1973年」、京都に「エヴァンタイユ 京都 1984年」マンダリンオリエンタルホテル東京の地中海料理店はイタリア語「ヴァンタリオ 日本橋室町 2005年」
新しい和食店「扇子 恵比寿 2016年」のようにとても扇は日本趣味が強いイメージのようです。
今もつけられている扇、バル「扇や 中野区中央 2018年」は2代目が継ぐとき移転もしながら割烹「扇や 1966年」をそのままの店名にしています。
末広(写真四ツ谷末廣鮨) ー2017年12月17日追加 ーⓢ(追 加2020.8.28)
扇の別称のスエヒロ、末広はとても縁起が良いとして鮨屋がとても多い店名
『江戸買物独案内 1819』には「末広すし 両国」大正時代の『東京食通番付1917』には鮨屋6店が掲載、昭和初のガイドには「末廣寿司 日本橋通三」鳥料理の「末廣 日本橋」(大東京うまいもの食べある記 1935掲載)」は「末源 新橋 1909年」や「末初 神田 既に閉店」の修行先でした。
鳥料理の「末廣本店」は明治や大正の料理番付に横綱、大関に位置する有名店だったようです。
現在食べログで出てくるのは「末廣寿司 清澄白河 1912年」「末廣鮨 四ツ谷 大正時代」「末廣鮨 南大塚 1929年」天麩羅屋「末廣 有楽町 1957年」が古い処。ガイド本掲載の3代70年以上の「末廣鮨 荻窪 1941-2019年」は既に閉店していました。
そして有名なのはステーキの「スエヒロ」全国にあり、本店は「ビステキのスエヒロ 大阪市堂島 1920年」(洋食屋弘得社 1910年を上島歳末が創業とお店のHPにありますが、その前に肉屋弘得社に勤めていて、そこで西洋料理で修行後、独立と1936年の雑誌に。)。東京では修行した石原仁太郎氏が銀座にのれん分けで進出「銀座スエヒロ 1933年ー2014年」
上島歳末氏は焼き方を工夫し、ビーフステーキのビフテキをビステキに呼び名を変えてビステキ専門店にしています。店名は名前の末、スエと関係する弘得社の弘、ヒロを組み合わせたもの。
この時代にはよくあるタイプの店名ですが、堂島のお店が間口が広く奥が狭い扇のような形をしていることもスエヒロにした理由だそうです。
銀座はなくなってしまいましたが、全国には洋食、ステーキ、しゃぶしゃぶでこの名の店は多いです。
ほかには古さでは敵わない京都の和菓子屋「亀末廣 京都 1804年」、亀屋源助が創業した末廣、以前はかめや末ひろの店名で現在も白暖簾には寿恵飛呂(スエヒロ)の当て字の店名がかかっています。
ほか「末廣 京都 天保年間(1831-1845)」は蒸し寿司、鯖寿司のお店もあります。
宝亭(御徒町)ー2017年12月17日追加
貴重なもの、得難いもの。最初に挙げた三種の神器をようなものも含めた金銀財宝、海のサンゴ、真珠や宝石類。山上憶良のように金銀玉より我が子を宝とすることも。
七宝は実物の金、銀、瑠璃、玻璃、瑪瑙等の宝石貴石類、仏教の象徴の八宝として、法輪、蓮華、宝瓶、法螺等。
文様の宝尽しには珠、銭、祥雲、犀角杯、雙葉、霊芝、鼎等。江戸時代の宝尽しは隠れ蓑、隠れ笠、宝袋、打ち出の小槌、如意、宝珠、羽根、鍵、分銅、巻物、熨斗などありがたいものは何でも入っています。
新しいところでは『ハリーポッターシリーズ』死の秘宝のニワトコの杖・甦りの石・消えるマントが物語の重要なアイテムでした。
宝屋は江戸時代にはあまり見かけません。明治時代になって西洋料理の「寶亭 平河町 1870年」『東京食べある記 松崎天民』のなかで歴史的価値ありの評価のレストラン。「寶亭 神田 1918年」和食「寶亭 日本橋 1916年」「多賀羅亭 淡路町 1870年」「多嘉良亭 荒木町 1924年」「寶家 木挽町 1924年」
「はげ天 銀座 1928年」の元の店名はタカラ
現在は写真の洋食「宝亭 御徒町 1951年」、ほかに「天麩羅多から家 浅草 1920年代」。全国では「宝家 千葉県木更津市 1897年」は郷土料理店
寶來屋(九段下) ー2017年12月17日追加
宝の字が使われているのが宝来、こちらの方が宝屋より古いようです。
宝来はお正月のめでたい飾り蓬莱から、蓬莱屋
で挙げたように仙人の住む不老長寿の島の名。
工芸品にはよく題材として松の木のうえで鶴が舞い、水中に亀が泳ぐ図。今様の『蓬莱山は千歳ふる万歳千秋重ね松の枝には鶴巣くひ巌の上には亀遊ぶ』を図化して描かれています。
それに分かりやすい宝がやって来るの漢字を当てたのが「寶來」「宝来」。
江戸時代終わりころの案内にに「宝来寿し 外神田明神前」茶漬け「寳來屋 浅草区須賀町」「宝来鮨 浅草 1895年開店」「寳來鮨 日本橋区室町三」
写真は和菓子屋「寳來屋本店 九段下 1868年」。和菓子はほかに「宝来屋 荻窪 1919年」。
全国ではこれも和菓子屋の12代を数えるとても古い元禄元年「宝来屋 長野県木曽市 1688年」
鈴そして鳴り響く(写真は上野天寿々)ー2017年12月17日追加
音の出るものは神への願いを乞う時に必要なもの。神社の鈴を鳴らす時は一番多い例。
持ち物、杖や衣服につけお守りにして災いを避けるように。
音の世界で鈴は取り上げています。
日本で2番目二多い苗字の鈴木氏がもともと神社の宮司の家系ですから、鈴は切っても切れないもの。苗字の店名がもっとも多いです。
天麩羅「天寿々 上野 1928年」「すずや 新宿 1954年」和食「京寿々 青山 1996年」が姓名からの代表的。
トンカツ茶漬けで名を知られた「すずや」は創業当時は民藝茶房としてガイドに多く載っていました。
当時の民芸運動の方々とも交流があり、HPには棟方志功、柳宗悦、芹沢圭介、バナード・リーチの名前を載せています。今はとんかつ専門店、ビルになった5階に継続しています。
蕎麦屋、鰻屋にも多く、賀字の組み合わせ「寿々喜」が蕎麦屋では錦糸町、八丁堀、中落合、久が原。鰻屋は『江戸買物独案内1819』には「鈴木源助 尾張町」「すずき安五郎 四ツ谷」「寿々喜家 青梅市 1901年」「「寿々喜 神田小川町 1909年」「寿々喜蒲焼店 蒲田 1935年、最初神田明神下」が有名処
木を省略して「鈴」のみ、間にノを入れて「鈴の木」も多いようです。鈴のイメージがよりはっきり涼やかな感じになります。
鰻屋「すず金 早稲田 1877年」主人夫婦の各々の名前を組み合わせています。
和食「三鈴軒 溜池 1922年」洋食「グリルスズコウ 蒲田 1964年」(食べログでは「ぐりるスズコウ 蒲田 1955年」)和食「鈴傳 新橋 1956年」鮨屋「すゞ正 西麻布 2012年」
意味でそのものの「鈴音」の店名で蕎麦屋、和食店もあります。
神社の巫女さんが七五三鈴を振りながら舞う姿を見たことがあると思います
この鈴から果物が実っている様子が描かれ、鈴なりという言葉が生まれました。
物や人が集まり群がる様子もこの鈴なりで表すようになりました。
写真の「鈴なり 荒木町 2005年」は子供の名前の組み合わせで、我が子同様に店を愛する気持ちを込めたそうです。
「すずしろ 三軒茶屋 2014年」は鈴なりと大根の異名すずしろからの造語。
お寺の鐘も鈴から派生していて、銅鐸を祖としていろいろ変化していきます。
洋系は意外と少なく音の世界で取り上げているので、省略します。
1店だけ、西洋のキリスト教でも教会の鐘は重要なアイテム。「アンヂェラス 浅草 1946ー2019年」聖なる鐘の響きのこと。イタリア語の小さな鐘の意味、ウエディングやクリスマスのような祝い事で見かける三つの鐘、ベルのロゴの「Campanella(カンパネッラ) 武蔵小金井 2007年」
そしてなんとか調べてもわからない「SUZU CAFE(スズカフェ) 広島市1号店 渋谷に2004年開店」フードビジネス系コンプリートサークルの店。
広島と東京に合わせて9店あります。確認は出来ないのですが、常連さんのプログには店名の由来は『鈴がチリーンとなって何かが始まる、ここから始まる』とありました。
写真は東京での5店目の新店「SUZU CAFE(スズカフェ) 六本木 2017年 」です。
採物(トリモノ)・縁起物(写真は銀座吉兆) ーⓢ(追 加2020.9.26)
採物(トリモノ)は神事、神楽に使われる手に持つ数々のもの、前で取り上げた扇、鈴も今も使われる採物。神が下りてくる依り代となる物、5種。8種、9種と数は違うようですが、榊、笹、葛、弓、杓、御幣、杖、剣、鉾など。ただ、これらは宮中の公式採物、民間の神楽では扇、鈴、湯桶、盆、笹、花笠など。芸術系の能や歌舞伎舞では狂笹(クルイササ)、持枝、打杖(モチヅエ)が加わります。神社寺で授けられるいろいろな縁起物(これらを買うとは言わないそうです)、工夫を凝らしキャラクター化もしています。
動物のタイプは十二支の項目で書きましたので、それ以外を見てみましょう。
今宮戎神社が授ける吉兆笹(福笹とも)は以前も書いた「吉兆 大阪 1930年開店、銀座1961年」の店名に(最初の読みはキッキョウから皆に読みにくいのかキッチョウに)。『商売繁盛で笹もってこい』の掛け声で知られている十日戎に神社から授けられる吉兆と呼ばれる、子宝の数々。銭袋、末広、小判、丁銀、小槌、米俵ほか海と山の聖なる贈り物を生命力、神霊が宿る福笹に付けて家に御神徳がこもるものを持ち帰るもの。
破魔矢、弓矢は武道、弓道、西洋のアーチュリーとしてスポーツ競技に使われる古いもの。新年の流鏑馬や矢を射る行事が多くあり、家紋にもあります。ただ、店名につけるには使いにくいようです。アロー、アローズの英語の方が多いです。一店戦前の「当り矢ずし 大塚 1920年」もと洋弓屋で縁起が良いので。
食べログには「アローズクラブ 新宿御苑 1990年」「アローズダイナー 祐天寺 2012年」「Three Arrows(スリーアローズ) 西新宿 2012年」。他に的と矢で肉バルの「MATOYA(マトヤ) 表参道 2014年」「まとや 恵比寿」
相方の弓は全くなくて、一店、姓名からではないようですが、由来がわからないうどん店「弓 荻窪 2013-2018年、2020年に練馬区で再オープン」
打ちでの小槌の「こづち 恵比寿 1950年」は長く恵比寿で頑張るめし処です。由来はもちろん、一寸法師の宝物、打ちでの小槌。他に『東京諸営業員録1894』に載っていた鳥料理「福槌 両国橋」、同名の茶巾寿司「有職 赤坂 1933年」が一時期店名に使っていた「福槌 1997-2004年」
巷ではゲーム『刀剣乱舞』の刀剣男子が流行っていますが、武器系の剣、つるぎは少なめです。このタイプはラーメン店に多く見かけます。「つるぎ屋 赤羽 2013年」等。カタナのよみでお好み焼き屋「KATANA 丸の内 2010年」最後は写真のビストロ「エペ 吉祥寺 2013年」フランス語剣、もっとうはパンと料理で販売とサービスでお客のハートを一撃!。(2020.9.26)
ひょうたん(浅草)
瓢箪は縄文時代に中国から渡ってきて、お椀や柄杓等の日常道具として長く、使われているもの。
中国では福禄に音も似ていることもあり、蔦や蘭やバラと組み合わせ、吉祥図として、子孫万代、万代常春を表します。
呼び名も古名は「比左古」、ひさご、瓢箪、瓢(ふくべ)、神具として火の神を抑えたり、水神を鎮めたりする呪具の役割が当てられています。
九州大宰府天満宮で授けられるのは無病息災の瓢箪。無病を『六瓢』として際コーポレーション経営の「瓢六」の店名もあります。
植物のひようたんがあり、それを二つ割にして水を汲むひさご、柄杓の語源でもあるそう。ふくべはひょうたんのくびれがなだらかな形のもの、縁起が良いので珍重されています。
店名としても江戸時代中頃蕎麦屋「ひょうたん屋 麹町 1715年代」、以前アップした今もあるふぐ「ひょうたん 両国 1926年」鰻「ひょうたん屋 銀座 1945年」
上の写真は江戸もんじゃの「ひょうたん 浅草 開店年不明」、看板に大小六つの瓢箪が飾られています。
元々水の入れ物として、また水薬にも利用していたものですから、不思議な力あるもの、『養老の瀧伝説』のように酒のイメージで居酒屋も多いです。
和食の世界では、なんといっても超老舗の茶懐石料理店、写真京都「瓢亭 1873年、元禄中頃から南禅寺門前の腰掛茶屋として営業」。近江屋商人の9代目嘉兵衛が茶店と門番を務めたのが始まり。名所図会に「松林茶屋」として描かれているそう。瓢箪型木製看板からの通称でそのブランド力も後押ししているように思います。
狭い京都では「瓢亭」の出で、店名を受け継ぐのは「瓢樹 1921年」のみ。瓢を名乗るのは意外と少ない。
大阪では瓢箪の別称、豊臣秀吉の馬印「千成」ただ歴史的史実ではなく、江戸時代中頃に『絵本太閤記』等が評判となり広まったもの。
瓢箪好きは多く、店名に瓢箪が付いてなくても、店内に瓢箪があるおでん屋「こなから(お酒の一番少量、一升の四分の一、二合半のこと) 湯島 1992年」もあります。おでん鍋が瓢箪型、暖簾にも店名に瓢箪の一筆書き。おでんの大根もひょうたん型抜き。豊臣秀吉のようの馬印のひょうたんでおでんで天下を取るべくの心意気とか。
以外に多いのはNHKの人形劇1964年から1969年まで放映の『ひょっこりひょうたん島』からの店名。作家井上ひさし氏の脚本、ドン・ガバチョやトラヒゲ等のキャラクターも人気です。
写真は「Cheval de Hyotan(シュヴァル・ド・ヒョータン) 池袋 2012年」フレンチ店。珍しいフランス語と日本語の組み合わせでことわざの『瓢箪から駒』。何が出てくるかわからない、わくわく感を大切にしたい、地元民は長いから店名はヒョータンと呼ぶそう。英語も1店、アフリカ料理店「 Calabash(カラバッシュ) 浜松町 2005年」。アフリカでも瓢箪はあらゆる日常雑器として活躍、生活に欠かせない道具、楽器にも使われます。
赤・白・金、そして紫の印(写真京都智積院の五色)
色のコラムでも取り上げた赤は色の中で彩度が一番高く、目立つ色です。
目立つ赤色は神社関係に、鳥居、祝い事のため塗られる赤。神事に使う赤飯、赤丸神事として、幼児が無時育つように額に赤色を塗ってのお参りなどよく使われています。魔力に対抗する色なのだそうです。
稲荷神社の朱色はお稲荷様の豊穣の力を表わすもの(京都稲荷神社HP)
しかし、赤は神仏の色ではなく、祝い事の赤は紅の紅白であって、アカではなく、赤は赤貧、赤字、血の赤にあるように祝いの意味から遠い場合もあります。
白が神の吉兆のしるしとして動物に現れるとされ、カラス、雉、白狐、白鹿、白蛇、白馬。
京都の古社、上賀茂神社には『白馬奏覧神事』が1月にあるそうです。白馬を見ると一年の邪気が祓われる儀式。
白は真に神の色、神社の神主は白装束です。紅白の幕自体も新しい時代から使われ始めているようです。
お寺の祝い事は五色、青黄赤白黒(ショウオウシャクビャクコク)でお釈迦様の御体を表すそうです。
大元は中国の五行思想でこの世の成り立ちを表す木火土金水にイメージの色を当てたもの。
金、黄金は世界中で太陽に関連づけられ、不変のイメージで神仏の色です。
エジプトの黄金のファラオ像、キリストの金色の光の後輪、黄金の仏像、現在のエンケージリングにもつながる輝ける神の象徴です。
日本でも祝儀のとき金の屏風、金扇、金の水引きが登場します。
店としては中華は看板が黄色(金の変わり)に赤字がおおいです。
中国では黄色は中央に座する皇帝の神聖な色、赤は太陽、鳳凰、朱雀の色、この二つの色の組み合わせだけで中華のお店とわかる色。現代では赤が吉事、誕生や結婚に多く使われ。黄色は金色として富貴、財力の景気の良い色
ラーメン屋、横浜家系(1974年開店の横浜市の吉村家発祥)や京都の魁力屋は遠くから見ても分かりやすい。
日本の食べ物屋は外装の色で表すのは少しにがてのようで、日本語だけで色だけの店名は少ないです。
日本語と英語、金、ゴールドはあまりに、お金、金銭に結び付く言葉なので、昔は金太郎、金次郎と名前にもありましたが、今は避けられています。
最も多いのはプレミアム、最高の形容、金メダル、金星の連想から金の〇〇がおおいです。どうやら、神の色からは遠くなっています。
目立つ金を店名にしたい場合は欧州系の言葉から「オステリアオロ(Osteria Oro) 銀座 2008年」のような感じ。
記録・記憶の中の食べ物屋のドールと繰り返しになりますが、神話の世界からギリシア神話の金の羊「ブフドール 高輪 1991年」「ラノードール 四谷 2005年」金の輪、天子の頭上にある。「ラ・フェドール(金の妖精) 西麻布 1995年」
中国の歴史の後半に出てきたのが紫。最初の黄色を押しのけ、皇帝の色になりました。
唐代には中国の天子の住む城は紫宮、紫極、その正殿を紫宸殿、皇后は紫房と呼んだそうです。今も有名な紫禁城が残っています。
日本もその影響から高貴な色として認識されていました。天皇の住居紫宸殿、高僧の袈裟の色、江戸時代にはその名の付いた紫衣事件がありました。
そして釈迦が来迎するめでたい紫雲、彩雲ともよばれる吉兆の起こる前触れの雲。
漢字の紫は居酒屋チェーン「むらさ来」と醤油のラーメンの意味でのむらさきが多く、中華以外、色の紫はすくないです。
柏屋(北千住)
柏は炊葉(カシキ)や食敷葉(カシワ)、神様のお供えのための食器の役割を担っていたことに由来。五月ノ子供ノ日のお祝いの餅菓子、柏餅に名残があるそうです。
お供えに使われたことから、家紋は神社関係の家系に多いです。伊勢皇大神宮、尾張熱田神宮、吉田神社に仕える家系の紋が各々柏紋です。
武家の家紋も多く使われています。柏の葉が古い葉が次の春の葉がでるまで、木に残ることもあり葉(覇)を譲る木、家系が続いていく縁起が良く、また堅い樹木なので火事にも強いため好かれています。
家紋の有名人は山内一豊が有名。
蕎麦屋の蕎麦がきは柏の葉の形に作る店もあります。砂場の家紋をかたどったものとさせているようです。
東京は蕎麦屋多いようです。『酒飯手引草』には「柏屋久次郎 浅草駒形町」写真で載せたのは東京では老舗「柏屋 北千住 1904年」店も店名も新しい雰囲気ですが「季寄せ蕎麦柏や 三鷹 1930年」。和食では「柏屋 向島 東京案内1881年掲載」「柏屋 神田 東京諸営業員録1894掲載」「柏木 日本橋 1894年」。
現在ネットで出てくるのは「柏屋 池之端」「柏庵 深大寺 1964年」
京都の和菓子店「柏屋光貞 1806年」薄皮饅頭で有名「柏屋 郡山市 1852年(大塚・秋葉原に支店)、東京の和菓子屋は「柏屋 東銀座 1890年」です。
ひとつ、違うかしわやは桜肉や牡丹と同じように、鶏肉もカシワの別名(西日本中心)があるので、今はほとんどこちらの食材系。
アムリタ食堂(吉祥寺)
外国でも神の食べ物、マナ(聖書の中の神からの食べ物)、アムリタ(インド神話の不老長寿の飲料、甘露)、アンブローシア(ギリシャ神話の神々の食べ物)など、それぞれ店名に使われています。
虫の項で書いた蜂の蜂蜜も古代神話の世界では神の食べ物、キリスト教でも約束の地は『乳と蜜の流れる地」となっています。
蜜酒はワインより古い、一万年以上昔からの酒、ケルト民族では神の飲み物、不死の食べ物です。
「アンブローシア 西新宿 1971-2011年」有名な京王プラザホテルのフランス料理店。「グリルアンブローシア 恵比寿 2010年」「アンブロシア(AMBROSIA ) 外苑前」
仏教では甘露、天から降ってくる天の恵みですが、飴のブランドがあるのでとて少ないです。
食べ物屋ではないのですが、ヒンドゥー教の同じ意味のデザイナーズバー「アムリタ 西麻布 1984-2011」(姉妹店「MIKE AMRTA (ミケ アムリタ) 銀座 2,001年頃」ーこちらは神々の御食(ミケ)とヒンドゥーの聖なる蜜)伝説的バーといろいろなブログにありました。写真ではタイ料理店「アムリタ食堂 吉祥寺 2002年」
1978年のガイド本にはアレルギーの蔓延のためグルテンフリー(小麦粉類の不使用)を売りにするレストランとは今では真逆な菜食の店「マナ 西新宿」、店主は菜食主義で肉を食べない人のためのグルテン料理を出していました。流石にもうありませんが・・。
ほかパティスリー「マナの樹 大久保 既に閉店(暮しの設計188号『桑原清次の洋菓子入門』1989年)」パティシェの桑原清次氏は洋菓子界の重鎮。
写真の看板のみですが、既に閉店しているローフードレストラン「マナ 代官山 2009年」ローは生菜食の意味。こちらも健康を考えてのレストランでした。
長野県松本市の「manaya(マナヤ) 2013年、移転2018年」ヴィーガンカフェが多くの由来を掲げています。『神様の授ける供え、ハワイでは大宇宙の意味、キリスト教の神からの恵み
愛弟子などの愛するという使われ方のマナ』
マナは女性の名前として有名人もいる人気の名。しかし、こちらにはネットで見ていくと、ハワイ語やインドネシア語で神秘の力、奇跡の力など別の意味もあります。名前としてはこちらの方が優勢です。
ネパール料理店の「マナカマナ 板橋区大山 1998年」という同じ店名も食べログで東京で12店発見(写真はインド料理立川マナカマナ)。こちらはネパールのマナカマナ神殿の名前とマナは魂・心、カマナは願をかなえるの意味で大願成就をかなえる女神の名前とか。心の願いの意味も。
古語真菜、まな板についているマナは、魚の菜、おかず、まな板は本来は魚専用。食膳に使われる魚のことを女詞でまな、野菜や豆類等の蔬菜にたいしてマコトのサイの意味でした。
まな板のほかに今は使分けていない真菜箸という魚や鶏肉専用の箸もありました。「鮨真菜 湯島 2013年」は雑誌で取り上げられる回数の多い鮨屋はこちらの意味でしょう。
流石に神饌、御饌、御贄(ニエ)、スケープゴート、神に捧げる犠牲、生贄はありません。
月桂樹・柊(写真は新宿ローレル)
世界では神宿る樹、聖樹がおおくあります、
聖書に出で来る知恵の樹(林檎の樹、無花果の樹)北欧神話のイグドラシル(トネリコ)、ケルト民族の樫、今も残るのはクリスマスツリーのモミの木。
西洋で圧倒的に信じられているのは月桂樹、太陽の神アポロンに属していて、それを冠して、勝者にささげる月桂冠。
スポーツの競技だけでなく、ローマ時代から桂冠詩人として、詩人が月桂冠を授与される名誉職もありました。特にイギリスは国家の制度としてあります。
現在もメダルやカップに彫られていますね。ローリエ、ローレルの元のラテン語では褒め称える意味があるそう。
また、厄除け、福を招く樹として信じられていて、稲妻除けとして戸口に吊るしたりしています。
日本には1905年(明治38年)頃、フランスよりやってきます。他の樹木のように街路樹ではなく、日比谷公園等に勝利を祝って日露戦争の記念樹として植えられました。日本では1905年から販売している勝利と栄光のシンボルの『月桂冠』は日本酒の銘柄として知られています。
そのためこの月桂樹の店名は使われず、洋系が多く存在します。
英語の喫茶店「ローレル 新宿三丁目 1947年」仏語「ローリエ 高田馬場 1968年、既に閉店」イタリア語「アローロ(ALLORO) 麻布十番 1990-2000年」はホール中央に月桂樹が植えられていました。
他にケーキ店「ローリエ 渋谷 1950年、既に閉店」人気の「パーラーローレル 九仏品 1980年」
現在は日常的にこの勝利の樹に触れることはないので料理にカレー等の煮込み料理にも香料として使われることが多い。
洋食系のレストラン、喫茶店に多いです。ロゴが月桂樹の葉の写真のカフェ「ローリエ 入谷 2006年」「Laurier (ローリエ) 日本橋蠣殻町」「アッローロ 北千住 2015年」
月桂樹の葉その名のベイリーフの名でも少ないですがあります。カレー店「ベイリーフ 赤坂 2015年」
ギリシア神話のヒロイン月桂樹に変身したダフネ。この名の喫茶店が「ダフネ本店 名古屋市 1975年(販売は1968年から)」があり同名の喫茶店が名古屋には10店以上。食べログ上で東京は1店舗
柊、ヒイラギ、とげとげの葉の低木。節分に飾られ、鬼、邪鬼を遠ざける力があると信じられています。
ヨーロッパではキリストの処刑時にイバラの冠としてヒイラギ、ホーリー聖なるもの扱いを受けている木。
以外と多い店名の柊 ひいらぎ。由来をはっきりしているのは料理旅館「柊家 京都 1818年」福井から京都に来て商売を始めたおり、下鴨神社内の比良木神社に深く帰依し、この神社に自生する柊の木が邪気を払うとしてその名をつけたそうです(HPより)。多くの店名もこちらと同じだと思います。
『東京いい店うまい店 文藝春秋 1977』には「柊家」が出店した串揚げ屋「柊 銀座」がありました。お客のプログを読み合わせると2006年に京都は退き、そこで働いていた職人夫婦が引き継ぎ、「京の串ひいらぎ 東銀座 2007年」として今も頑張っています。ほか京おでんと創作和食「柊屋 青山 1999年、既に閉店」写真は「和食柊 人形町 2008年」和食の店に似合う気がします。
最近、一気に増えた鯛焼き屋。老舗、新参店、櫻家、銀のあん、鳴門鯛焼舗、神田達磨に交じり姫路から東京で勝負したいと進出した「たいやきひいらぎ 恵比寿・目黒 2006年・2011年」。オーナーは和菓子に合う響きの店名としてこのひいらぎを選んだとか。和菓子店としては京都東山に「柊屋」一店しか発見できない結構稀な店名でした。
樫の木、西洋の樹の王は少ないようです。神の王ゼウス、ジュピターの樹、キリスト教の象徴、オーク。有名ホテルのバーにある店名なのでバー関係にはおおいです。ネット記事によると、もともと誤訳があり、オーク=樫の木ではなく、日本の楢の木が実際はオークに当たるそうです。漢字で木の酋(オサ)の楢の木の方がたしかにふさわしいです。酒類の樽や船の材木に使われる頑丈な木ですが、中国でいわれるように『嵐に抗して折れるオークの強者の弱点より柳の嵐になびいて生き残る弱者の強さ』を日本人も好むようです。古い店で喫茶店「オークドール 吉祥寺 1965年」洋食「樫の木 高輪 1967年」
蓮・ロータス(写真不忍池の蓮)
蓮は古代エジプト、古代インド時代から仏教までと聖なる花として扱われています。西洋でのバラやゆりと同じく重要な植物。
ただし、古代エジプトの場合は壁画から見て、よく間違えられるスイレンのようです(下の写真)。
蓮とスイレンは植物上の分類も違う別の花ですが、ロータスの呼称はもともとスイレンの呼び名で今は蓮の呼び名。
特に最も高貴な花とされるエジプト産のブルーロータスは青い蓮ではなく、青いスイレンの和名です。
蓮はインド産、蓮根や蓮の実は食用となります。
日本では釈迦像の台座、蓮華座や周りの装飾が多い仏花として扱われるので、好まれず、こちらも多くはアジア系、洋系の店名。和食では違う花のスイレンが多いです
以前掲げた「蓮玉庵」「蓮見寿司」の2店、ともに上野の不忍池の蓮から命名しています。新しいのはラーメン店「なな蓮 日本橋 2013年神田店2016年」
でも、別の傾向が最近はあります。子供のの名づけで蓮、レンが人気、1999年に人名に加えられ外国語っぽいことから人気に、2000年代から「蓮」の漢字が上位に選ばれ、2017年の発表でも上位。
店名も和食「蓮 神楽坂 2009年、2018年銀座移転」蕎麦屋「蓮 恵比寿 2010年」「蓮 茅場町 2013年」ラーメン「蓮 蒲田 2016年」(写真は茅場町の「蓮」)「なな蓮(ナナハスーお客のブログでは大切な二人の子供の名前の一字づづ) 日本橋室町 2013年」
中国では天子の花、天上の花、太陽、星に例えられ、幸福な結婚、繁栄する意を持つ。
泥の中からまっすぐ伸びて花を咲かせる姿から、名付けでは人生に重ね合わせて、艱難辛苦をのりこえ、大輪の花を咲かせてほしいと親の願を寄せる例が多数。
東京の食べ物屋さんではありませんが、HPトップに『白蓮 泥中にさく』と掲げているのを発見しました。
ロータス(写真表参道ロータス)
かつて有名だったのは外国系はクイーンアリスの石鍋裕シェフが勤めていた「ビストロロテュース 六本木 1976年、既に閉店」。同じくらいの喫茶店「ロータス 日本橋 1970年代?」
「ビストロロテュース」の記事の中でシェフが言っていたギリシア神話のこの世の憂さを忘れる蓮の実、料理を嫌なことを忘れて楽しんで欲しいとあります。他の店も同様だと思います。
写真はフードビジネス系カフェ「LOTUS(ロータス) 表参道 2000年」、ニューヨークにある和の雰囲気、オープン時はメニューも和風、アジアンテイスト演出の蓮の写真が壁いっぱいに飾られていました。
近々のオープンした店はパティスリー「ロータス 西荻窪 2017年」オーナーパティシエの大好きな花が蓮の花。
京都の人気パティスリー「ロトス 2011年」も蓮の実の意。
ある年代の方々は憧れのスポーツカー、イギリスのメーカー『ロータス』、黄色いABCのエンブレムを思い出す名ですね。
アジア系のレストランは中華「青蓮」「花蓮」珍しかったビルマ(現在はミャンマー)料理「パレドゥローテュス 天王洲 1992年、既に閉店」インド系「ザロータス 高円寺」タイ料理「ロータスラウンジ 青山 2013年」写真の「ロータスガーデン 青山 2015年」「ロータス 箱崎」ベトナム「ロータスパレス 赤坂 2016年」。
これらの国々では蓮は国花であったり、国旗に描かれていたりと日本の桜のように大切にされている花です。日本語の「RENーレン 大森 2010年」中華の「蓮(HACHINOSUーハチノス) 銀座 2011年、既に閉店」もあります。
全国でもアジアン系が多いのですが、ほかに自然派、オーガニック系が東京では食べログ上3店みつけました。「ロータスバゲット 中目黒 2008年代官山2010年」「ロータス&フラワーズワン 東高円寺 2009年」「ロータスカフェ 大崎 2015年」
きつね(京都市伏見稲荷神社の狐)
江戸時代、伊勢屋と並び多いものに稲荷神社があります。
この神社は八幡宮が武士の神社であるのに対し、農業の神、穀物の神、田の神です。倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、五穀豊穣を願う食べ物に関係する祭神で、稲荷は稲の生える地。お稲荷さんと称される身近な神社、眷属が狐で稲荷神は白狐に乗った姿が定番。
江戸時代から農民から商人、武士まで一気に広まり、三井家のように自前の稲荷神社を建立する、そこには必ず赤色前掛けをかけたお稲荷さん、狐様が鎮座しています。
他の動物とは違い、現代でも畏怖されているきつね、神の使いとしての神力を今も持ってます。
狐鰻(写真は野田岩) ーⓢ(追 加2020.9.5)
きつねとつく店名は多くはありません。鰻の蒲焼の番付に世話役として「狐鰻 相模殿橋(現在の港区の広尾の四ツ橋)」店名があります。ネットでも安藤広重の『江戸名所百景』にも描かれていました。『東京案内増補改定 1881年』『東京名物志 1901年』には今の銀座外れ京橋区出雲町の住所で載っていました。
現在の鰻屋の老舗「野田岩 麻布 1789年」の初代の修行先が「狐鰻」。ただ、看板の店名の右上に掲げられている狐うなぎの意味は『生涯うなぎ職人 金本兼次郎 商業界』では鰻の顔が尖った狐顔が天然鰻の証明なので、それで狐うなぎを掲げているそうです。
狐の好物と思われている油揚げを使った料理、稲荷すしときつねうどんは江戸から明治時代に考案。
遅く明治時代になってから稲荷寿司が広まった大阪のほうがオイナリサンを狐の耳の三角にしたり(京都の稲荷山の形でもあるとか)、きつねうどんの元祖「いさみ家松葉 大阪 1893年」の創業最初のうどんは小振りの油揚げ2枚で神社のあうんの狐を表しています。キツネ色強め。
戦前の昭和の案内「東京商工名鑑 1929年」には「きつね本店 築地 1910年」の洋食屋が載っています。
モツ煮込み「きつね 築地 1947年」と居酒屋「きつね 東十条」は築地が波除稲荷、東十条が少し離れていますが、狐の行列の伝説のある王子稲荷、新しい蕎麦屋「玄粋庵KITSUNE 月島 2012年」も入っているビルの南側には森稲荷が近いです。
東京で稲荷ずしで狐の店名ののお店は「呼きつね 西麻布 2012年、移転六本木」、「きつ音忠信(義経千本桜に出てくる忠信ではなく、ご主人の本名) 上野 1970年代後半、2009年に閉店」の近所に下谷神社(シタヤジンジャーかつて下谷稲荷明神社という都内最古の稲荷社)
カフェ「きつねとはちみつ 大田区池上 2014年、最初2008年白金台」「ひなぎくときつね 麻布十番 2002年」はキツネキャラクターが活躍しています。
アパレルメーカーメゾンキツネのカフェ「KITUNE 表参道 2013年」はなぜキツネか不明。ちなみに、民俗学での異類でキツネはヨーロッパの魔女の役割で、女性(?)がほとんどで、タヌキは男性。九尾の狐の玉藻の前、信田の森の伝説はたしかに女性ですが・・・。
最近は食材系、当然油揚げを使っています。京のお揚げさんいっぱいのうどん店「きつね庵 東銀座 2015年」油揚げがのった変わり種ラーメン店「きつね 世田谷区南烏山 2020年」
大阪のゲストハウスが浅草に開いたゲストハウスのカフェ「KITSUNE SHIPPO (キツネシッポ) 浅草 2017年」(左の写真)。七色のオーロラを生み出す尻尾を持つ伝説の聖なる狐からで、世界中の人々が交流できるオーロラのように魅力ある空間造りを目指すそうです。 (2020.9.5)
稲荷屋(写真萬盛総本店)
食べものの名物からの稲荷寿司ときつねうどん
二つとも稲荷神の御使いの狐が好むと信じられていた油揚げ料理。
でも、東京で一番の老舗は「稲荷そば萬盛総本店 小石川 1620年代」
蕎麦の名代ではなく、伝説で狐が化けた澤蔵司(タクゾウス)が修行先の伝通院から近くのこの蕎麦屋に通って贔屓にしていたそうです。
近くに寺だけでなく、彼が住んだ古木の椋の木、澤蔵司稲荷神社があります。この蕎麦屋は今は萬盛ですが、以前から代替わりで別の店名に何度もかわっているそうです。ほかに仙気稲荷神社近くにある「いなりや 南砂町 1949年」新しい苗字稲をとった「蕎麦いなり 北区西ヶ原 2018年」。稲荷町の地名のラーメン店の「稲荷屋 稲荷町 2015年」
一番数が多いのは稲荷寿司。こちらは発祥の地がいくつかあります。名古屋市や豊川稲荷のある豊川市で天保年間に売り出されていたようです。
江戸では文政年間(1818-1820年代頃)、から扇屋庄兵衛の「玉すし 本石町通十軒店(現日本橋室町三丁目)」でいなりすしを売っていたとあります。
『江戸買物独案内』に2軒、先の本石町と浅草の「稲荷ずし」が載っています。別の資料では1820年代頃本石の方は次郎公という人が売っている図があり、白狐の図とほうづき提灯3つ元祖の文字もみえます。
1851年の資料でも十軒店は『恩田鮓(オイナリサン)の元祖』と記されているそうです。
中でも先の次郎公は売り口上が評判で、嘉永6年(1853年)頃が一番の盛況だったそうです。
東京に今も多いの稲荷寿司のお店、老舗は隣の千葉県の鰻屋「稲荷屋 船橋市 1865年」と埼玉県のこれも鰻屋「稲荷家 越谷市 1928年」
志乃多寿司(淡路町)
稲荷ずしとしてはこちらの方が有名な「神田志の多寿司 淡路町 1902年」、ここから人形町、浅草、四谷が暖簾分けしています。
それまでのいなりすしに工夫をこらして、志乃多として売り出しました。志乃多の名は創業者が歌舞伎の『葛の葉子別れ』の場面で狐の化けた葛の葉が子供に残した古歌「恋しけれは訪ねきて・・・信田の森・・・』の信田から付けています。
もう一つが大阪のうどん屋「松葉(現在はうさみや松葉)」発祥のきつねうどんの別称信田うどん。松葉のきつねうどんは修行先の鮨屋「たこ竹」の油揚げの甘辛く煮つけたものをうどん屋始めたときに別添え出したのが始まり。今はきつねうどんより少しお高いしのだうどんのメニューがこの店にはあります。
信太森葛葉稲荷神社(大阪府和泉市葛の葉町にある)に由来する
ただ篠田の名は江戸でも『蕎麦年代記 新島襄 柴田書店』の信田狐の項で大阪の落語『信田狐』の中に吉野のあんかけうどん、信田はきつねうどんとでてくるそうです。
『身振噺寿賀多八景(ミブリバナシスガタハッケイ) 1814』に信田の名の初出とありました。
でも、シノダズシの店名「新橋しのだ寿司 新橋 1949年」位で東京だけのようです。でも不思議なことに『蕎麦事典 東京堂』には関西の駅売りの稲荷寿司はイナリ、キツネとは呼ばず信田すし、篠田すしとなり、近畿地方の年配者は信田鮨、信太鮨と呼ぶことも。
鍵善良房(京都)
「鍵屋」は江戸の花火の掛け声「がぎや~、たまや~」が有名な花火屋。
江戸にきて1659年に鍵屋が商売を始める際に信仰する稲荷神社の2体の狐の咥えていた鍵と玉から鍵の方を付けた由来話から。
稲荷神社の御使い狐が咥えている稲穂、巻物、玉、鍵のうちの鍵屋が御霊を身に付ける願望の象徴または宝蔵の鍵の鍵、暖簾分けした玉屋が神徳を表す宝玉の玉。
老舗はやはり京都の和菓子店、1696年創業「鎰屋延秋(カギヤノブアキ)」から分家した「かぎや政秋 京都 1920年」、葛切りで知られている「鍵善良房 京都 享保年間(1716~1736年)」こちらの鍵屋の由来は不明ですが、最初が「鍵屋義房」、明治時代に代々の名前の善のの字が付くので、通り名の「鍵屋の善さん」から二文字の「鍵善」、また良房を戻して現在の「鍵善良房」に。
東京では居酒屋「鍵屋 根岸 1949年、酒問屋として1856年創業」が有名。
鍵屋はどうやら鍵を作っていたお店ではないようです。他の鍵屋には神社の宝物の鍵を預かっていたことからの屋号もありました。
西洋では聖ペテロが天国への鍵を持つとしています。鍵は権力を握るの手のなかにある。枕の下に置く、鍵穴に差し込んで悪魔の侵入を防ぐお守りにもなっています。
英語の鍵のビジネス系「キーコーヒー 横浜市 1920年」は創業者の木村氏のKと日本の新しい生活・文化を開く鍵となる想い。
イタリアンリストランテ「 La ciau( ラ・チャウー修行先の店名でピエモンテの方言で鍵) 三田 2007年」フレンチ「La Clef(ラクレーHPでは美味しいは心をほぐす秘密の鍵とあります。) 桜新町 2011年」
巴屋(久米川)ー2018年5月31日追加
神社紋、寺紋のなかで一番多いのが巴紋。
起源はいろいろあって中国では蛇の形からの巴の字、日本では『水のチカラ』の項にアップしてたように水紋扱いです。火事や魔除けとして屋根の軒先、太鼓にも描かれています。西洋ではトリスケリオンと呼ばれ先史時代、ケルト美術の中に見つけられる模様。回転して動き続けているイメージ。「 ローブリュー」でもアップしたように3本の脚を組み合わせた三脚巴紋に変化して市や島の紋章になっていきます。
『江戸買物独案内 1819年』に鰻屋「巴屋吉左衛門 元赤坂下」和食「巴屋左衛門 浅草並木町」」「巴屋忠兵衛 御蔵前片町」「巴屋弥七 浅草広小路」
今も店数の多い蕎麦屋は巴屋チェーン、大元は写真の「巴屋 麹町創業 1830年、1945年に東村山の久米川に移転」。創業者山本庄左衛門が出身地に赤穂四十七士ゆかりの関係者が多くいて、忠臣蔵に心酔し、歌舞伎で有名な『忠臣蔵』の大石内蔵助の家紋右二つ巴から店名にしています。古い暖簾分け店は「巴屋 本郷二丁目 1892年」「巴屋 本郷五丁目 1900年」「巴屋 日本橋蛎殻町 1903年」「巴屋 青山 1910年」です。
食べログでも「池之端巴屋」「巴屋 千駄木 1932年」開店年がない店も目黒、恵比寿。広尾。西新宿、代々木ととても多いです。中華も「巴家 小川町 1919年」
巴紋は武士が信仰する八幡神を祭る八幡神社の神紋がポビュラーだったので、武士が商売を始める時につけられる事例も多かったそうです。
そのため庶民の鮨屋は意外に少なく、『酒飯手引草』には一店のみ「巴すし 深川相川町」。同じ家紋発の「蛇の目寿司」は有名店も含め5店あります。巴家から改名した鮨屋「ともえ 三軒茶屋 1922年」「鮨割烹巴 武蔵小山 1932年」西洋料理店「巴亭 日本橋通四 1886年」
老舗の多い和菓子屋を全国で探しても昭和初からのが多いです。「巴屋製菓舖 三重県津市 1902年」「とも栄 滋賀県高島市 1932年」「巴堂 香川県東かがわ市 1928年」
ニューオープンの店も結構あるので、使い続けていく店名ですね。
禅語(写真西麻布龍吟)ー2018年5月31日追加
言葉も道具で料理の世界では禅宗の言葉がよく出てきます。
懐石料理の元になっている茶道の茶掛け、掛け軸に禅僧が言葉をしたためた墨蹟が多いからでしょう。
古くはお寺と関係の深い蕎麦屋。
「無極庵 上野仁王門前町」は『江戸買物独案内1819』にも載り、川柳や大田蜀山人の『江戸名物詩』にも出て来る名店。
禅語の『観無極』を東叡山天海僧正から、大久保彦左衛門筆篇額を掲げていた主人が河内屋小川瀬平 寛永年間より営業だそうです。
明治中ごろの『東京百事便1890』『東京買物独案内1890』くらいまでは有名店として掲載していましたが、明治中頃に廃業になっています。
ほかにも禅語を感じさせる「無識庵越後屋」「無境庵」「無門」「無庵」があります。
喫茶店で知られているのは写真の「喫茶去」お茶でも召し上がってくださいの意味。頭に付いている「喫茶去快生軒 人形町 1919年」がよく雑誌等に掲載。ほか「きっさこ 神保町 2003年、最初漢字喫茶去で2007年から平仮名に」。ワインバー「KISSAKO(キッサコ) 西麻布 2001年」は『よくいらっしゃいました』というおもてなしの心の禅の言葉としています。
皆が知っているのは般若心経の『色即是空』の言葉「是空 南青山」流転をテーマのデザイン「Zeque(ゼクウ) 銀座一丁目 1990年」、以前アップしたラーメン屋『残るのは』で載せた「そらのいろ 麹町 2011年」もありました。
「楽食酒圓(マル) 青山 2002年」麻布十番開店時は禅宗の美学の円からと最初はなっていますが、今お店のHPでは全てがまるく上手におさまった状態としています。
和食の世界は多く、超有名店「龍吟 西麻布 2003年」(再掲「音の世界」龍吟)「一即夛(イッショクタ)(いろいろな意味がある禅語。ひとつのものは多くのものからできている) 西麻布 2002年」
「春草(シュンソウー春来草自生から) 世田谷区野沢 2011年」、『春来草自生ーはるきたらばくさおのずから しょうず』は茶席の掛け軸の禅語で料亭の大女将の言葉からで、春になれば自然に草木が生えてて来るように物事もあせらず真面目に取り組めば自然にうまくいく。
「只今(シコンー禅語 今は今でしかなく自分は自分でしかない) 銀座 2013年」。
長い深い由来のHP・ブログがある「ふしきの 神楽坂 2012年」、不思議の 禅語『不識』にも通じる 意味は思いがけないもの、今までにないもの、千利休にも縁のある言葉等
ミャンマー料理の「ヤッタナー(ミャンマー語で仏教の三徳) 新宿 1992年、既に閉店」左写真の「La Bonne Nouvelle(ラボンヌヌーベル) 京橋 2005年」はフランス語キリスト教の福音、こちらもHP上では皆に良い知らせ(ストーリー)を持ち寄る店にしたいと当てています。同様に旧約聖書言葉から「ブレスミー カフェ 瑞江 2004年」『神様私を祝福してください、神からも豊かな心でお客におもてなしを』の想い。
同じフレンチグリルの「Katsina(カチナ) 外苑前 2007年」はアリゾナ州にすむポピ族が信仰する精神、聖霊の名
ハレノヒ(西麻布)ー2018年5月31日追加
普通の日・特別の日でも取り上げた民俗学者柳田国男氏の論の中であるハレノ日 ケノ日の言葉、店名にはお天気の晴れの日もありますが、こちらの言葉からもあります。
晴れの意味で『太陽の項』に加えようと考えましたが、キリスト教で神を讃える言葉、ハレルヤもあるのでこちらに入れました。
消費社会では意図的に作られた宗教とは関係のない日が多くあります。バレンタインデーやホワイトデー、孫の日、ボスの日。
キリスト教のクリスマス、最近の本「愛と狂瀾のメリークリスマス 堀井嘉一郎 講談社 2017』ではこの祝日が日本人の中でいろいろ変化していく様、結論は借着であってキリストの宗教心は身につかなかったとのこと。
江戸時代に作られた土用の丑の日も夏場に売り上げが落ちる鰻屋のために創案された日です。他にも十日市、縁日
しかし、辞書編集者のフィールドワークの実録本を読んだところ、晴れ着の『よそいき』の言葉がやがて死語になるのではと書いています。
『ふだん使い』という言葉が1990年代以降、雑誌や街に増え、『よそ行き』の領域を侵食しているのだとか。
シャネルやディオールのブランド品のバッグや洋服を昔はこれぞという時に決めていたのが、今は普通の場にも着たり、持ったりする人が多くなって来ています。
レストランも同様の流れの中にあります。昭和40年代頃まで、外食、レストランを行くことがよそ行き、ハレの日の御馳走でした。
今ではないと思いますが、高校卒業時にレストランでのマナー実習があり、ナイフやフォークの使い方を教わった晴の日の、よそ行きマナーの経験があります。
一番上の写真は普通の日・特別の日で取り上げた「(汁)ハレノヒ 西麻布 2010年、既に閉店」
晴れ間(代々木八幡)
ハレ、晴は華やかな、明るいイメージもあり以外あります。「ハレの日食堂 築地」は築地に多くの店を持つ虎杖系列。「ハレノ日 野方 2012年」は日常とちがったゆっくりした気持ちをあじわえるようにとつけた店名。
普通の日と並べた「HARETOKE (ハレトケ) 代々木 2016年」「KETOHARE(ケトハレ) 新宿区原町 2017年」もあるのには少しビックリ。洋食系も「harebare 三軒茶屋 2003年」洋食「キッチンハレヤ 大門」「Hare Gastoronomia(ハレ ガストロノミア) 恵比寿 2018年」、「Hare 」はイノベーティブイタリアンで季節の食材とハレの日をテーマにしています。
はれ、晴の漢字で「晴々 南阿佐ヶ谷 2013年」「晴れ家 日本橋 2012年」「晴レ。 茅場町 2018年」ほとんどの方々が好きな天気の晴れももちろん重ねてイメージしています。写真の「晴れ間 代々木八幡 2013年」も晴という気持ちの良い言葉とハレノヒのハレも掛けている店名になっています。
ハワイ語のハレは家、館の意味ですが、ハワイ島の老舗ホテル「ハレクラニ」は『天国にふさわしい館』の意味でハレのイメージをさらにアップしているようです。
ホテルメトロポリタンエドモントのダイニング「Beltempo(ベルテンポ) 飯田橋 1985年」はイタリア語の晴の日、こちらは華やかな日に相応しい店名。
日産車セレナはスペイン語の晴れ晴れした意味。この名のお店も数店食べログにあります。イタリアンの「トラットリアセレーナ 白金 2000年」「セレニータ 広尾 2007年」も穏やかに晴れた空です。
2018年の冒頭に起きた晴れ着の詐欺事件は本当にこの名を持つ食べ物屋さんには気の毒な事。今はネットでアッという名に拡散しますので、珍しい店名は難しい問題点。
神の数字(写真は馬喰町三福亭)ー2018年5月31日追加
西洋には聖数と呼ばれる神の数字3、5.7。日本ではプラス最大の聖数は8です。
8は出演回数が多くて、ラッキーアイテムと流行ー2桁以上数字、?? いろいろある仮装に載せています。
中国では陰陽五行では奇数は陽数、偶数は陰数。
いろいろな民族によって聖数は様々で、日本では忌み嫌われている4が尊ばれている国もあります。
ざっくり区分すると、3はオールマイティ、料理名でも賀字系でもオーケー、7は多種多様な変化を、一番あたらしく台頭してきた5は食べることに関係する五味、五感を表現するのに選ばれているようです。
三は人間の赤ちゃんからに認識できる数、自分、母とされ以外の第三者(父)でもあるとか。昔話に多い三人、三つの謎、三つの試練、道具等と数々出てきます。キリスト教の重要な言葉、三位一体
江戸・明治には店名には三が多くありますが、ほとんどが三河出身です。
地名の三は大本は神様に関係する御、御園、御宅、御田、美称の美が字を変えたものだそうです。三河も三本の河の意味ではない御川の説もあります。
三は以前「三亀」で書いたように三のつく会社は繁盛しているので縁起が良いとして多くの会社、商店が付けています。三井、三菱、三越、三洋など。三が世界的にも一番活躍している聖数になります。
自然系の漢字と組み合わせ、三光、三洋、三陽、三昂、三晃、三星。賀字と三徳、三榮、三幸、三扇、三信、三盛、三福と数限りなく、名前の一字のもちろんあるのでしょう。写真は由来は不明ですが洋食「三福亭 馬喰町 1895年」
「三縁亭 芝公園 1880年」「三幸本店 銀座 1924年」中華「三光楼 下谷 1923年」「三徳家 品川 1903年」桜鍋「三富 入谷 1930年」洋食「三陽 日本橋室町 1895年」「三養軒 麻布 1889年」「三樂軒 京橋 1887年」
フードビシネス系でも「三光マーケティグフーズ」、最初に定食屋「三光亭 神田 1975年」を創業。由来は実家の乾物屋の屋号からの継ぐことの意志と男三兄弟の三男の光の意味もあるそうです。
三光は太陽、月、星。三陽はめでたい三番目の陽、一陽が冬至の陽、二陽は12月の陽、三陽がお正月の陽。中国からの考え方です。
三徳は仏教、儒教から。写真も由来が分かりませんが、和菓子店「三陽 新富町 1933年」東京では食べログで5店。もちろん中華も、リニューアルの「三陽楼 品川区中延 1931年」が古い。
トロワパグ(神保町)
漢字の三が古くから使われていますが、ほかに数字3、みっつ、san(サン)、洋系のスリー、トワ、トロワも人気です、喫茶店で「トロワボヌール 自由が丘 1977年」「トロワパグ 神保町 1976年」そこから出た「トロワシャンブル 下北沢 1979年」「トロワパグ」は苗字の三輪さんをフランス語にしています。
イタリアンの「トロワフェザン(シェフの修行先の名で三羽の雉) 新宿 1960年代」フレンチの「トロワサージュ(3人の聖者) 水道橋 2002年」「ターブル・オー・トロワ(03) 神泉 2016年」滋賀県近江の食材のレストランなので、オーミを数字化した店名。
3にこだわった「日仏食堂トロワ 三軒茶屋 2009年」はスタッフ3人、3月生まれで3月3日に開店。「TROIS FLECHES(トロワフレーシュ) 銀座 2011年」は三本の矢。三種の肉に二人のシェフと炉窯職人の3人でで3本の矢の如く・・・。
「ビストロトワトワ(33) 東中野 2016-2018年」は3が好きなオーナーの店。「Bistrot33 santrois (ビストロサントロワ) 南阿佐ヶ谷 2018年」は店名は同じ表記ですが、読み方が違うようです。日本語のサンとフランス語トロワで二つを繋ぐ意味。
写真はオイスターバー「トリニティー 銀座 2015年」キリスト教の教義のもっとも重要な三位一体の意味。お店のHPの3はお客、生産者、お店の3者で、お客は生産地にこだわり、生産者はお客の声を聴き、お店はそのつなぎ手になるとあります。同じくギリシア語の三位一体の「トリアス 渋谷 2018年」、コンセプトから推測すると空間デザイン、レストランの食事、音楽ミュージックの三つ一体の創作フレンチビストロ。
五行(西麻布)
五はひとの体五本指、五体、五臓、五感、ほかセット感覚であらわします。ほか五穀、五香、五色、五街道、五大陸など。
聖数のセットは東洋系は5が多く、西洋は7個の組み合わせがおおいようですね。
インドの五大の地水火風空、中国の木火土金水の五行思想の数があるのではとおもいます。
日本人が大好きな桜の花は五弁の花びら、梅もそうです。食器のセットも5客が1セット。かつては自宅で祝い事などの儀式が行われていましたから、割れない奇数が好まれていることも理由でしょう。西洋のセットはメソポタミア文明に起源があるというダース、フランス語ダズンの12個です。12時間、12か月から発してギリシア神話の12神、キリストの12使途など。
一風堂系列のラーメン店「五行 西麻布 2003年」はネットを探しても店名の由来は発見できず。蕎麦ダイニング「五大 桜新町 2002年」も同じく。
「やさい料理正(ゴカク) 表参道 1998年、既に閉店」お名前の一字、正をゴカクGOKAKUと読んでいます。字の画数が五画から。
五明はインドの5つの学問の分類の数ですが、「五明(ゴメイ) 銀座 2005年」は「俳人吉川五明の子孫のお店。ほかに和食店「五明(ゴミョ) 千歳船橋 2010年」は店主の苗字五明田から。
「鮨五徳 神泉 2017年」は火の上に置く鍋を支える道具、古代から鉄輪と呼ばれ、使われていて、五徳になったのは千利休の茶道の始まりからだそうです。「鮨五徳」のロゴは家紋の五徳です。儒教の『仁・義・礼・智・信』の意味を持たせているそうです。
他意味が不明ですが「五楓 銀座 2004年」「五葵(イツキ) 亀有 2013年」「五鐡 木場 2012年」
とんかつ専門店「丸五 秋葉原 1975年」はネットに大量出演の水道橋「かつ吉」出身の人気店、看板に〇で囲んだ五を大きく掲げています。いろいろ読んでも由来は不明。
発酵居酒屋5(表参道)
五はゆいいつ一桁数字では濁音の強いアクセントの数字で、印象の残るもの。ここ最近では一番の人気で増加傾向です。新しいランク付けの五つ星、肉の最高ランクA5も活躍中。
食べ物では五目寿司、五目御飯、五目焼きそばと食べ物では五が人気です。五種類に限った具材が入っている意味ではなく、3種でも7種でもいいそうです。五味とか五色に由来するのかも。
店名は明治頃までは五郎、五平、五兵衛と名前の例がありまた。明治中ごろの案内に天麩羅和食の「五色亭 浅草馬道 東京諸営業員録1894掲載」
大阪の創作串揚げの「五味八珍 大阪 1937年、銀座1966年ほか新宿」。ネット記事を突き合わせるとベレー帽を被った芸術肌主人か゜揚げていた多種類の具材と変化のあるソース。閉店した時の洋館のお店が載せられています。今はネット記事の中心は浜松餃子のファミレス系「五味八珍 1970年」です。
五味は音が捨てるゴミに聞こえるのでマイナスですが、伍、下の『サンクセンス』項目にも出てくる此の字の焼鳥屋「伍味酉 金町 1979年」。六本木「鳥長」出身で日本食の考えの五味・五感・五色・五法から付けた店名。
1980年代から1990年代は洋系の全盛期で、地名以外は見つけられません。ガイド本では5・五が付くのは中華の五十番と五右衛門
2000年代になると、以前書いた金沢カレー、ゴリラの看板「ゴーゴーカレー 金沢 2003年、新宿総本店東京1号店2004年、写真は新宿御苑店2012年」が印象的、一字の5ではないですが、英語のGO、GOの意味、55時間の煮込むカレー、出身の野球選手松井の背番号と、HPには5つの心得が掲載。よくみると開店、閉店時間にも55分の数字が並ぶこだわりがすごいです。
「五穀 赤坂 ぴあマップグルメ1995年掲載」は滋養料理の店、日本からアジアまでの滋味を味わうとあります。
「五穀亭 新宿 2004年」京王プラザホテルのコリアンダイニング、アジア文化の発展の中心となった穀物の総称として、また豊かな食文化を提供したいとして五穀亭に。
全国にあるフードビジネス系店和食「五穀 宮崎県で2005年開店」。もつの「五臓六腑 豊洲 2009年」は分かりやすい店名。
肉バル5店舗ある「Meet Meats 5バル(ミートミーツ・ゴーバル 中野 2013年1号店」も不明、肉に会いに行こうの意味だと思うので5はGOの意味か?焼肉に同様の「555(ゴーゴーファイブ) 千川」があります。
写真の「発酵居酒屋5 表参道 2015年」いろいろな5の意味を含んでいるそうです。上の自然界の五行の考え、5が変化を表現しているいて発酵と重なること、五味、五感、五季、五気、五色等を大切にしていきたい想いが込められています。
先の「丸五」以外にローマ字で「MARUGO」となっている店は東京新宿では3店。ビジネス系で新宿3丁目周辺のワイバー「MARUGOⅤ(マルゴーファイブ) 新宿 2010-2020年、四ツ谷移転」姉妹店数店、肉バル「MARUGO 錦糸町ほか」由来は不明。この会社は店名に数字が多く使われます。
岡山県から進出の「marugo deli(マルゴデリ) 恵比寿 2011年」企業コンセプトが自然をマルゴトいただく、5つの旬の季節、サラダへの五つのこだわりとあります。左の写真。
サンク(銀座) ーⓢ(追 加2020.9.10)
外国語もおおいです。五に対するは西洋での特別のイメージはほとんどないのですが、人体の形を表すとされる五芒星(ペンタグラム)が堕落した人間の形とされています。魔除けの印(日本では安倍晴明)、でも逆さに書くと悪魔の印になります。
五に注目する事例は東洋のほうが圧倒的におおいようです。オカルトの世界の神秘数、六芒星とともに使われています。
イスラム教は信仰の5本柱など重要な要素が5の数字に、ヒンズー教は世界の5つの要因五大、五唯等。
西洋世界では重要な数として扱われていないため、地番や建物の階層を英語のファイブ、なぜか仏語のサンクも人気です。
古いのは由来がわからない「キッチン5(ファイブ) 広尾 1984年」多国籍料理店。
おそらくマンハッタンの五番街からと推測するレストラン「Off 5th Ave(オフフィフスアヴェニュー) 広尾 2004年、既に閉店」
サンクは最初住所の5丁目、五番地からです。フレンチ等によくあります。
住所の銀座5丁目、写真の「CAVE de CINQ / Cafe 5(カーヴ・ド・サンク / カフェ サンク) 銀座 1970年」「ブラッスリーサンク 銀座 1998年、既に閉店」「サロン・ド・サンク 東銀座 1994年頃、既に閉店」も同じ。
フルーツパーラー「万惣」のビルの五階にあったフルーツを使ったフレンチ店「サロン・ド・万惣Ⅴ(サンク) 神田須田町 既に2008年に閉店」
「Cing(サンクー6階にあります。ー洋系の習慣で6階は5階になる) 下北沢 2017年」
パリのミシュラン星の常連のホテル「ジョルジュ・サンク パリ(メインダイニングはル・サンク) 1928年創業」もイメージアップに後押ししているのでしょうか。
「Bistro Cinq5(ビストロサンク) 新宿 四ツ谷で2000年頃開店、移転2016年」はお客のブログでは奥様の誕生5月5日からだそうです。
フランス人パティシェの故郷のパリの近く小さな街の5番地からの「Numéro 5 Paris(ヌメロサンクパリ) 目黒区緑が丘 2018年」。(2020.9.10)
何よりも有名な超ブランド品、香水シャネル№5(ニューメロ・サンク)、ファションデザイナーココ・シャネルが1921年5月5日に発表した香水。
シャネルは自分の人生に関わりのある数字5にこだわっていたそうです。アメリカの女優マリリン・モンローの言葉もインパクトプラスの香水。同名のシャンパンバル「ヌメロサンク 飯田橋 2013年」もあります。
シンガポール料理「五星鶏飯 ファイブスターカフェ 中目黒 2008年」は最高級ランクの五つ星の鶏飯の意味でしょうか。
五をイツツと読む唯一のイツツボシは発音のせいか少ないです。
有名なイツツは京都の和久傳プロデュースの蕎麦屋「五(イツツ) 2014年」HPでは蕎麦の五色から(黄の根・紅の茎・白の花・黒の実・緑の葉)
新しい例では「surer5(シュペールサンク) 青山 2003年」は手作りにこだわり、お店のシンボルは五本指の形のフォーク。「テイクファイブ 日本橋 2013年」はジャズの名曲の名、5分間の休憩の意味。「High FiVE(ハイファイブ) 江戸川橋 2016年」はハイタッチの意味。
フードビジネスはいろいろ盛り込む傾向。JR東のカフェ「5 CROSSTIES COFFEE(ファイブクロスティーズコーヒー) 丸の内 2017年、1号店鎌倉駅2016年」5を世界の基本数字(五感、五大元素等)として、交差するクロスCROS、タイTIE結ぶの造語。鉄道会社ですからクロスティーズCROSSTIESの枕木の意味もあり、床に5本の枕木が東京グランスタ店(2017年)にあるそうです(写真)。
後はなぜファイブなのかわからない「蕎麦カフェ伍(ファイブ) 外苑前」、伍の字は一組、仲間にはいる、肩をならべるの意味ですが・・・。
洋系では英語、仏語以外は珍しいフレンチ「KHANSA(カムサ) 自由が丘 最初中目黒2007年移転2018年」はモロッコの5で幸運の番号。
写真の「サンクセンス 六本木 2016年」五感 全ての感覚を刺激する料理、ただ美味しいだけでなくその先にある感覚を共に感じたいとしています。
ケーキ店「サンクエピス 南品川 2011年」は5つのスパイスを加えているそう、「良質な素材」「職人の情熱」「あたたかい接客」「心地よい雰囲気」「お客様の笑顔」(HPより)になります。
七福(清澄白河)
七は自然の七色、七不思議、七珍万宝、七変化
七色や七つ星、七草のように具体的なモノ、行事のお七夜、初七日、七五三、を表わす七の名が多いです。英語のセブンはラッキーアイテムへ。
日本で多いのは七福神に連なる店名、各々の神様も人気ですが、7人まとめての七福神、初夢や七福神巡りで今も愛されています。
写真の「七福 清澄白河 1967年」は実用洋食、蕎麦屋「七福神環(七福神の絵と二つの輪の印、御縁を結ぶ輪) 赤坂 1974年」中華「七福 練馬区練馬 1987年」が古い処。甘味処からラーメン、餃子、懐石、居酒屋まで和食系に広くついています。
ナナは女性らしくなるのか、店名はシチと読むのが多いようですが、ラーメン店「ななふく 武蔵小金井 2012年」や居酒屋、定食屋があります。
NANACAFE(ナナカフェ)
七色からの、ナナイロ シチサイ。ナナが訓読み、シチが音読みになります。写真は虹の色「NANACAFE(ナナカフェ) 茅場町 2003年」は虹の七色から採っています。
西洋のほうがセット物が多いようです、上のほかに聖書からの神の7日間の天地創造からの七曜、七つの大罪と七つの美徳、人間の七つの年齢、七つの惑星、七つの音階。古代ギリシアの七賢人や可愛い七人の小人など。
そういえば日本映画『七人の侍』がありましたね。
虹の七色に倣い、料理のメニューがいろいろある場合、つけられることがおおいです。ラーメン屋が多いような、「七志(ナナシーHP上には七つの志あり) 横浜市1号店 1997年町田店2000年」「旬菜なないろ 池尻 2017年」「七彩(シチサイ) 八丁堀 2015年、最初家政大学2007年開店」、。中華「七面鳥 高円寺 1960年」ラーメン店「七麺鳥 鶯谷町 2014年」「まぜそば七(シチ) 渋谷 2014年」調味料の焼鳥居酒屋の「七味亭(シチミテイ) 自由ヶ丘 1970年代」「七味や 浅草橋」
新しい業種日本酒バー「日本酒宿七色 北千住 2010年」は漫画の『夏子の酒』の中のセリフ『美酒は七色に光輝く』
インスタブームですのでレインボーカラーに彩られた食べ物のブーム、東京の『食べログ』上ではレインボーが一番人気です。
ナナは女性の名前にも多く女性向和風パスタのから「こなな 新宿 2008年、1号店神戸元町2005年」は粉の意味と7もかけていますね。「七葉(nanaha) 自由が丘1号店 会社2003年」は抹茶・日本茶のカフェ、女性ターゲットのブランド名「甘味茶屋七葉」「nana's green tea」を全国に展開しています。
地名はナナの読みが多く「七ヶ宿 高円寺 ガイド本1975年出版掲載」「七鳥目 南青山 2016年」「七ツ森 高円寺 1978年」
七草(駒場)
正月の七草かゆ、春の七草、秋の七草。行事では行事では正月の七草かゆ、春の七草、秋の七草。子供の七五三お祝い、出産から7日目のお祝いの命名日のお七夜 お葬式の初七日。人生の始まりの一区切りでしょうね。そして以前も挙げた七夕、穀物の五穀豊穣を願う祭りでもあったそうです。
七草は日本のハーブと香辛料の会社の記事の中にありました。この店名は野菜料理屋についています。
有名店は野菜と豆と干物の「七草 駒場 2003年、最初下北沢開店」、魚料理中心の和食にせず、先の三点で構成する料理が人気。修行先は先ごろ閉店してしまった「なべ家 大塚」。ほかに「オーガニック七菜 桜上水 2008年」字替えで「菜菜草 表参道 2004年」「菜々福 日本橋浜町 2011年」「菜々や 月島 2010年」
カフェセブン(秋葉原)
ーⓢ(追 加2020.9.12)セブンは一度ラッキーアイテムの『外国製』で取り上げました。その頃からあまり状況には変化なく、増えてはいないようです。
ラッキアイテムより七色のイメージカフェダイニング「セブンカラーズ 下北沢 2006年」「ピザニスタ7(サイズ7インチ、価格700円) 三軒茶屋 2014年」下北沢のお店のコンセプトはファッション、文化、音楽が交差する街でライフスタイルを彩る存在に。
住所からのイタリアン「ミトシロセブン(住所そのまま美土代7) 神田 2011年、現在はセブンは付いていない」「セットセッテ 銀座 2014年」スペイン料理「Hola! Ginza7 (オラギンザシエテ) 銀座 2012年」はともに銀座7丁目。「セットセッテ」はイタリアンフレンチなので7のフランス語Sept、イタリア語Setteの両方を付けています。住所のほかに携わった6人のお客の+1で7になっています。
「Sette colli(セッテコーリ) 東麻布 2016年」はローマの古名七つの丘、お店に7の数字に縁があることも理由だそうです。
写真の「カフェセブン 秋葉原 2015年」、ほんとは『継ぐ名前Ⅱ』に入れたい店名。京都の「セブン 1963-2012」、店名として良いとされる三文字と同じく最後に"ん"がつくと運の良ことで選ばれた店名を息子さんが東京で開店。看板の7の数字の下に押小路・釜座のローマ字の京都の住所があります。
つな八(新宿)
日本の最大の聖数8は何回(ラッキーアイテム・?? いろいろある仮装・流行ー2桁以上数字)も取り上げていて、商売的にも漢字の八の字が末広がりの点が昔から愛されています。
物の値段も末尾8、198、298、398と多用しています。映像的にも八はぐっと大きく末広がりは力強く見え、算用数字は日本人が大好きな丸がふたつ、左右対称の形でデザインしやすい形。
神話の世界の八尋殿(始祖神の神殿)、八咫烏、八岐大蛇、八衢(ヤチマタ)、大八州(オオヤシマー日本の別名)日本の神様の数を表す八百万の神々といわれています。
永遠の時の八千代、八重のように地名に多用させるのも多いです。数えきれない数、無限、無尽蔵を表す、ホントに無敵の数です。
出雲神社の八雲立つも出雲の枕詞、渋谷の忠犬ハチコウもいましたね。武士層人気だった八幡神も八の字をもっています。
以前にも2桁数字(流行ー2桁以上数)でも取り上げ、店名としても多すぎて手に余ります。名前も大量に、住所からも多くあります。
洋食「八州亭 日本橋 1885年」大阪鮨「八竹(ハチクと読む) 四ツ谷 1924年」「八新亭 日本橋 1926年」おでんの「太古八 目白 1933年」戦後の老舗は名前から「むら八 日本橋 1953年」天麩羅屋「つな八 新宿 1931年」「天八 日本橋 1958年」鮨屋「寛八 御徒町 1936年」「すし屋の勘八 銀座 1954年」「鶴八 神保町 1959年」ラーメン屋「大八 六本木 1970年」
料理関係に+「釜八(釜飯の釜と発展するように願って末広がりの八の組み合わせ) 新橋 1952年」「備長八 吉祥寺 1990年」「八鳥 旗の台 2010年」「鶏八 西麻布 2011年」。食べログからざっと拾っても魚八、うお八、鳥八、鮨八、串八、そば八、と多量にあります。
名前とわかっているのはグローバルダイニングの「権八 お台場1号店 2000年、左の写真西麻布2001年が有名」お店の造りが巨大な蔵のようで、歌舞伎の『御存鈴ヶ森』『お若えのお待ちなせえ』の名台詞の白井権八に由来する店名とか。最初は創作和食、ダイニング系でしたが、鮨屋、天ぷら屋も展開。
8・八・ハチ(写真八丁堀8)
五と同様に一字で八、8での店名も増えています。
一字の八をローマ字で表示する店も出゛ています。最初の例はバル「hachi 人形町 2010年」バルのはしりの頃の開店。本来は数字の8、角のある商売をしたくない想いを8の字へ重ねてさらに横にして無限大の可能性を願っています。
「8(ハチ) 大岡山 2011年」は8人で満員のイタリアン
推測で住所からの「hachi 代々木八幡 2010年」「ゴハン屋サン八 八丁堀 2011年」号店」「麦酒倶楽部Hachi 八丁堀 2013年」「HACHI 八丁堀 2014年」ほか和食のチェ―ん店「米・肴・旬菜八(HACHI) 南青山 2009年ほか」
全国的には北陸で展開中「8番ラーメン(国道8号線沿いにある) 加賀市 1967年1
フードビジネスの新しいカフェ「hachi 日本橋室町 2015年」35歳に3人で始めた時の今を入れたいということで3+5で8として縁起の良い末広がりの意味
同じ考えで「八屋 千駄ヶ谷1号店 2017年」、お茶カフェなので八丈八夜に摘んだ縁起の良い新茶とやはり末広がりとして幸運の数字であることから。
隠れ8の字のフレンチレストラン「B(ビー) 自由が丘 2018年」看板も内装も今はやりミニマム、飾りがほとんどなしコンクリート打ちっぱなし。看板のBの字は8の字に見立て、中抜きなっています。ビーは蜂の英語beeでフランスでは幸運の印
八起(日比谷)
単語として意味があるのは意外と少なく、八珍、八仙、八起。
八寸の大きさから採られた懐石の前菜を意味する料理用語の八寸は意外と店名には少ないです。割烹「八寸 湯島」割烹バル「八寸 銀座 2013年、既に閉店」「八寸 恵比寿 2016年」
八珍は半分近くは中華の店名。中国古代から使われている8種の珍味、豪華なご馳走のこと。東京ではかつて大阪から進出していた「五味八珍」の影響で串揚げのお店がほとんどです。
八起が一番人気で、よく商売を志す方の座右の銘になる七転び八起きからです。ヤオキ、ハチキの両方の読みがあります。写真は「八起(ヤオキ) 日比谷 本店1964年」。つい最近「八起庵 神楽坂 2018年」がオープン。京都の1970年創業の「京の鳥どころ八起庵(ハチキアン) 京都丸太町」の東京初出店で、達磨のロゴマークがデザインされた店名の看板。
八仙は道教の8人の仙人で、ネットでは中国での日本の七福神と同じような神様に当たるそうです。
一番神様に近い八幡は地名や近くに富岡八幡宮のように神社がある場合が多いです。
八は他の数字と違うのは後ろにつく名前タイプが多いこと、食材・料理名でとん八、肉八、鶏八、鮨八、魚八、串八、米八、ととても多いタイプ。
ハチ・八・8は18番や88夜、屋の数字の8、よくある丸八、八郎、八兵衛、八十(ヤソ)、八百(ヤオ)と競合する店名が多いけど、それでも選ばれるチカラは相当に強いです。
エイト・ユイット(中目黒ユイット) ーⓢ(追 加2020.9.24)
西洋よりもアジアの方が宗教に関係するものが多いです。
中国は占いに活躍する八卦が有名。かつ幸運の印として現代でもとても好かれている数字。電話番号、自動車のナンバーは高値で取引されているそうです。
インド仏教でも八弁の蓮は幸運と幸福の印。今現在7店舗「中国茶房8番(エイト) 1号店2001年」、繁華街、100席以上の大箱、24時間営業、北京ダックを気軽に食べることができる店は中国の幸運の印からでしょう。
『流行ー○、まる、マル』に載せた「ナンバーエイト」の店名の由来が共通だと考えます。
エイトは具体的な店名の意味を持つ店は見つけることができませんでした。他の意味は「カフェ8 eight(エイト) 南青山 2000年、池尻に再オープン」は開店当初8人のスタッフで始めたことから。
今はレストラン「8ablish(エイタブリッシュ) 南青山 2015年」開店。ずっとヴィーガン料理と数字8(会社名ダブルオーエイト)へのこだわりがHPに書かれていますね。
「エイトタップ 8Taps 神保町 2015年」はビールの注ぎ口タップが8か所あるクラフトビール店。
既に閉店した昭和テイストの喫茶「エイト 日本橋」(再掲『ラッキーアイテム』)写真の「ビストロエイト 恵比寿 2013年」「ビストロエイト 西荻窪 2018年」
コーヒースタンド「EIGHT COFFEE(エイトコーヒー) 南青山 2014年、写真新宿三丁目店」は単純に朝8時の開店時間から(閉店も午後8時)。
同じく京都の酒八6代目が開いたクラフトビール店「Another8(アナザーエイト) 目黒 2017年」もう一つの八の意味でしょうか。2016年に「Before 9(ビフォア9) 京都」をオープンしていて、8と9の店がお互いに繋がるようにとHP。
「8 bit cafe(エイトビートカフェ ) 新宿 1996年」は80年代のサブカルチャーがコンセプトで流行った8bitファミコンゲーム機。「エイトバーガー 下北沢 2017年、2号店、1号店は代々木」は不明。同じ下北沢にある「E-itou(エイトカレー) 下北沢 2019年」はイトーさんとオーナーの苗字のアレンジ店名。このエリアは若者が多いからか、数字の店名が多い気がします。
写真のビストロ「Huit (ユイット) 中目黒 2005年」は8番目にオープンしたビストロカフェ。この会社は数字を好んで京都のカフェ「cinq(サンク)cafe」も営業中
ちなみにいろいろ字を変えて当てはめるのを好む日本人、八の訓読みやに弥の意味も八に当てている。弥はあまねく、ひろくの意味を持つので・・・。逆からの発想で「8(ユイット) 大井町 2010年」はワインバーは元のみせがやっこ。その一字、"や"に8をあてて、フランス語にしています。
地名の「otto(オットー八丁堀のあるから?) 八丁堀 2013年」 OTTOの表示が大きくて目立つ写真の「OTTO(オット) 八重洲 2011年」は八重洲の8で、お店から八重洲から始まる一日をの願い
「OTTO(オット) 銀座 2018年」は伊語の8 食材の産地八幡浜のハチとその食料の8を横にして無限∞の可能性の意味を込めた店名。「OTTO(オット) 池ノ上 2019年」はオーナーの生年月日1980年8月8日で伊語の8。
一店スペイン料理店「SPAIN Kitchen OCHO (オチョ) 人形町 2018年」は数字の8に無限大の意味を掛け合わせて、無限大の可能性の料理を提供していくお店にしたい想い。(2020.9.24)
和可奈鮨(本郷三丁目)ー2019年2月2日追加
若菜、正月の儀式として平安時代まで行われていた若菜摘みの儀式から。1月7日に食べる七草がゆにつながる儀式でした。邪気を払う神に無病息災、五穀豊穣、を祈るもの。
百人一首の和歌も有名な言葉『君がためは春の野に出でてわかな摘むわが衣手に雪は降りつつ』とロマンチックに登場。
源氏物語にも若菜の巻が、明治時代にも島崎藤村の『若菜集』詩集も出版。これも初恋等を詠った浪漫主義系。今は女性の名前に人気があります。
江戸時代の資料には一店しか見かけない若菜、「若菜屋 ほり江町 1692年の資料掲載」がけんどん屋として載っています。けんどん屋は麺類屋の古称。明治から大正に鮨屋が多くありました。
『東京食通番付1917年』には8店、大関と行事の位置にありました。写真の「和可奈鮨 本郷三丁目 1880年」はその番付に載っている本店「和かな鮨 神田区表神保」からの暖簾分け。老舗は他に「和可奈鮨 学芸大学 1928年」
他に東京では漬物屋が有名。漬物屋はHPでは名古屋からの出店。料亭「得月楼」の漬物部門の「得月」として最初開店、銀座出店で「若菜」として。名付けは作曲家の山田耕作氏。
隣の神奈川の横浜では鰻屋「わかな 横浜市 1872年」が有名。江戸時代からの煎餅屋「若菜屋」の息子が開店。
京都の和菓子屋「若菜屋 千本丸太町 1927年」は創業者の好きな琴の筝曲の曲名、若菜の里から採っているそうです。
ほかには去年ののNHKドラマ『西郷どん』の座右の銘、敬天愛人(ケイテンアイジンー天を尊び人を愛する)からで動物小説作家が名付けた鹿児島市の郷土料理店「愛吾人(ワカナ) 1946年」(左の写真)
若菜は女性の名前にも多い愛されキャラの店名、和食系、小料理屋、懐石、居酒屋等についています。大正の番付でも「和かな」があり、現在は若菜のほかに「和加奈」「和可菜」「和奏」「わか菜」「和華奈」と替え字も。
天使・エンゼル・キューピッド(写真銀座アンジェロ)ー2019年2月2日追加
神様の使い、可愛いキャラのこの子たち、赤ちゃんの形容詞、日本では人形にもよく登場するマヨネーズ会社はキューピッド、お菓子の会社のキャラクターとしても有名な森永のエンゼル。
キューピッドはギリシア・ローマ神話に出てくる愛の女神ヴィーナスの息子。
天使・エンゼルはユダヤ・キリスト教にでてくる神の使い、大天使ミカエルにように美青年(本来は中性)の姿でしたが、近世に子供の姿に変わっていったようです。
店名の天使は形容詞的使用が多く、エンゼルは1980年代までは圧倒的に喫茶店に多く、1982年の電話帳には26店載っていました。今も食べログでは5店位あります。今は発音としてはエンジェルです。
日本では神の使いは動物、烏や狐が居ますが、キューピッド・天使・エンジェルは西洋的なイメージが強いので、1980年代からフレンチやイタリアンへと広がっていきました。「シェ・ランジェ 銀座 1987年」「シェ・ランジュ 南青山 1992年」。有名シェフの「レ・ザンジェ 銀座 1987年」ここで働いていたシェフの「エル・ダンジェ 多摩市」
伊語はアンジェロ、入口に天使のいる「アンジェロ 銀座 1982年」イタリア人のお名前のアンジェロ、アンジェラもあります。「カ・アンジェリ 南青山 1998年」天使の家の意味、天使は人に幸福と力を与える存在 自然から生まれるものをありのままに
「アンジェラ 神楽坂 2000年」は天使の意味(お店のHP天使の名の通りこころとからだにやさしい料理を)パンケーキの有名店「ドゥ・アンジュ(名前の通り二人の天使の飾りもある) 表参道 2011年、既に閉店」「アンジェパティオ 神泉 」
「イル クッキアイオ ディ アンジェロ 高田馬場 2008年」は天使のスプーン「ル・スリール・ダンジェ Le Souriri d'Ange 新橋 2015年」天使のほほえみ お客に笑顔が絶えない雰囲気に
老舗のイタリアン「アンジェロ 用賀 1977年」は残念ながら調べても由来はわかりません。『アモーレ、カンターレ、マンジャーレ(愛、歌、食)』の精神に惹かれてとあるので一番らしい名前からえらんだのでしょうか。
キューピッドはマヨネーズのイメージが強くほとんどありません。左写真のパン屋「アルチザン・ブーランジェCUPIDO!(クピド) 奥沢 2008年」クピドはラテン語のキューピッドで、!はびっくりするほどおいしい意味だとか。既に閉店していますが、イタリアン「ristorante Cupido (リストランテクピド) 広尾 2010年」は一番大切なのは愛情の想いからの店名。
お客のプログからですが、愛のキューピッドが人を結びつけることだというカフェバー「QP’s(キューピーズ) 用賀 2012年」もあります。
もうひとつ、キリスト教徒の方には誕生日ごとに守護聖人がいますが、さすがにこれは英語のセイントを含めて、日本では馴染みがありません。
アメリカの地名のほうがサンフランスコ(聖フランシスコ)、サンタモニカ(聖モニカ)、サンディエゴ(聖ディエゴ)、セントクレア(聖クレア)など、天使たちの意味のロスアンジェルスも知られています。
悪魔・天狗・鬼(京都鞍馬の天狗像)ー2019年2月2日追加
天使の天敵は悪魔、日本でも悪役の化け物たち、鬼と天狗でもこの二人(?)は人間に近い姿でもあり、怖いけど役に立つの心理。鬼は店名だけでなく、動植物の名前、人の関連では、鬼っ子、鬼嫁、鬼才、鬼監督、仕事の鬼、ラーメンの鬼など、四文字熟語も多くあり意外と身近。
西洋の悪魔、サタン、デビルは少なくアメリカ人3人のビアパブ「デビルクラフト 神田 2011年」が有名。支店もあるロゴマークも悪魔の持つ武器トライデント(食事に使うフォークに似た三又槍)になっています。
スペイン語のディアブロ、フランス語デモンも少ない店名。ドイツの伝説の悪魔メフィストフェレスは食べログ上に一店あります。
英語では料理名に結構使われていて、デビルチキン、デビルサンド、デビルソース、デビルケーキ(チョコレートケーキ)、イタリアの鶏料理ディアボロ(とても辛そう)、ネットでも悪魔のスープ、悪魔ラーメン等怖がらせて目立つ様な名前を見ますね。
悪魔と契約していたといわれる魔法使いや魔女は少数。食べログにはメイドカフェの他に「魔女カレー 千川」、「オズの魔法使い 武蔵境」。ジブリアニメに出てくる可愛い火の悪魔「カルシファーズ 銀座 2007年」はキャラ立ち店名でしょうね。仏語の魔法使い・魔女の「Le sorcier(ル・ソルシエ) 駒沢 2006-2008年」は山口県に移転して続けているようです。
左の写真は小悪魔の意味「ル・リュタン 駒込 2004年」「Le Petit Lutin(ル・プティ・リュタン) 下高井戸 最初世田谷区2003年」、いたずら好きの妖精、小鬼、いたずらっ子の意味もあります。同じ意味の意外と多いゴブリン「goblin NISHIAZABU (ゴブリン) 西麻布 」が東京でもありました。日本では天邪鬼がこれに似ていますね。
幻、幽霊の意味のフランス語ファントム、ミュージカル『オペラ座の怪人』で知られていますが、食べログには意外と古い「ファントム 荒川区町屋 1976年」が載っています。まさか英語の幽霊のゴーストはないだろうと思っていたら、全国ではありました。全国では小人、メデューサ、トロールも。
赤鬼(三軒茶屋)ー2019年2月2日追加
鬼と天狗は顔が赤いので酔っぱらいのイメージで居酒屋。有名なのは居酒屋「赤鬼 三軒茶屋 1983年」「緋鬼 下北沢 2011年」広島カープの赤ヘル軍団の応援団のようなお好み焼き屋「赤鬼 池袋」悪魔とおなじ付け方の同じく赤いイメージ料理の辛い系列で「鬼そば藤谷 渋谷 2012年」「鬼金棒(キカンボウ) 鍛冶町 2009年」「鬼のから揚げ 浅草 2012年」唐辛子のかかった焼き鳥の「鬼亭 渋谷」
以前アップの「鬼ビーフ」は由来不明、他とは違うビジュアル系、鬼盛りを謳っているので、普通のローストビーフに比較してを超えてる形容詞でしょうか。
名前に鬼が付く池波正太郎氏の『鬼平犯科帳』には居酒屋の場面も登場するので、店名にしやすく結構な店が付けています。アニメの鬼太郎もあります。
他に有名な鬼の名前「酒呑童子 東向島 1993年」で一店東京にはありました。鬼の王、地獄の王、閻魔大王、元はヒンズー教の神様ヤム。なぜか江戸時代に閻魔堂が多く創立されて信仰の対象になっていました。地獄の釜の火のイメージで食材の項目で書いた辛い物料理についています。仏教の鬼、阿修羅、夜叉、羅刹、餓鬼は流石にないようです。
多くある天狗はテンアライド経営の居酒屋チェーン「天狗酒場 池袋 1969年」で2003年には「テング酒場」のほかに「旬鮮酒場天狗」となった居酒屋が多くあります。なぜ天狗なのかは不明。この会社はずっと天狗の店名をファミレス「和食レストラン天狗 1990年」「ちょい呑み家酒場天狗 東神田 2005年」テング酒場からの「炭火串焼テング酒場 2007年 神田1号店」と頭を変えて持ち続けています。近々のオープンの肉バル「log50(ログフィフティ) 新宿三丁目 2018年」もログ、記録する、50は創業50年の意味がありますが、隠れ由来としてlog=109(テング)も持たせているそうです。
鮨屋「天狗すし 神田 江戸食物独上戸下戸案内1866年に掲載」甘味「てんぐ 大伝馬町 東京市商工名鑑1939年掲載」「らーめんてんぐや 曙橋 1986年」、食べログにも「テング酒場」が幅をきかせている中、鮨屋、ラーメン屋、居酒屋、焼肉屋に付けられています。全国的にも広くつけられていて、漢字の天狗が多く、「釣天狗」「大天狗」「小天狗」「赤天狗」「豆天狗」食材の名が付いた「鶏天狗」「焼肉天狗」等。 元々人間で修行して人智を超える存在になった仙人、中国の道教の影響が強く衣服なども中国風です。天狗と同じく童話によく登場する不老長寿で雲に乗り、仙術も使う、仙薬も作る不思議な力を持つ人物。漢字の仙の字が店名には多いです。数字の千にも通じるので人気です。
祭りに行こうー2020年10月25日追加
神様や仏様を祝う祭り。以前アップしたみんなで・・・で『みんなが集まる祭』を取り上げています。
祭りは本来は神に五穀豊穣の祈念、感謝を伝える儀式でした。近年はエンターテインメント化して、参加するものではなく鑑賞するものになっていますが・・・。
店名よりも近年はワイン祭、ビール祭り、肉フェスタ、麺フェス等、人を集めるための催し物に祭、フェスタが多く使っています。
そのため店名としては華やかなイメージがあって魅力的ではありますが、新味には欠けています。祭そのものは少なく、一字であるため替え字は少なく平仮名が多いです。祭に登場する御神輿、神楽、太鼓、羽織るはっぴ等と分裂状態。祭そのものが料理系についたり、洋系の方が愛用されてきていました。
祭りをテーマにした店内の造りの「祭 秋葉原 2008年」「祭そば 四谷三丁目 2012年」もんじゃ焼き「祭 御茶ノ水 1993年」
写真はおもいっきり雰囲気を出している「祭り 飯田橋」フードビジネス系ですが・・・。
個々の祭りの名はオランダ語Zondagの休日の意味からの博多どんたく。50年以上前のガイドに載っているのは「どんたく 新橋」という博多料理店、現在もこの店名は人気で博多うどん、博多もつ鍋店についています。新しいのは居酒屋「どんたく 三軒茶屋 2019年」。ほかには青森のねぶた祭から、青森出身のオーナーが多く居酒屋に付けています。「阿波おどり 銀座 2010年」
以前アップしていますが、外国も少し追加、西洋の2大祭りクリスマスと謝肉祭、謝肉祭、カヘニバルは華やかな仮装、パレードが多いです。ステーキ「カルネヴァーレ 下北沢 1973年」フレンチ「ル・カーナヴァル 千駄ヶ谷 1991年」西洋居酒屋「カーニバル 五反田 2019年」
ビアホール「フェストブロイ(オクトバーフェストは10月のビール祭り、ブロイは醸造の意味。恵比寿ビールにあるピール祭の意味?) 恵比寿 1994年」「十月祭(読みはオクトーバーフェスト) 町田 2009年」ワイン祭りの意味の「Fete du Vin (フェット ドゥ ヴァン) 仲御徒町 2019年」
写真の「Cellar Fête (セラフィ) 下目黒 2018年」はフランス語の『祭りだ!』の言葉にセラー酒蔵とフェス祭りを掛け合わせて、日常にちょっとした祭気分を味わってほしい思いの店名。
ビストロ「サラマンジェガラ 渋谷 1994年」、ガラは音楽の催しもののガラコーサートで使われていますが、お店では祭の意味として、サラマンジェは食堂、ダイニングルーム。
ヒンズー教の祭「MELA(メラ) 渋谷 開店年不明」南インド料理店
祭の周りでー2020年10月25日追加
祭りばやし、神楽、太鼓も工夫して多くあります。閉店した老舗天ぷら店「はやし 日本橋 1936-2018年」は神田囃子のはやしと近松門左衛門の雅号巣林子ソウリンシの一字林から。ストレートに「祭ばやし 渋谷 1980年」
林という苗字と料理のハヤシライスとおなじな音なので両方意味づけているものも以前アップ(『バリエーション』)の「ワイン懐石囃shiya 銀座 2010年」。
老舗のジャズ喫茶を受け継いだ「Jazzと喫茶囃子 下北沢 2017年」、両店とも自分の苗字に華やかさを付け加えたイメージです。名前に楽しい気分が加わりますね。開店年由来不明「囃子や 門前仲町」
多いのは神楽。地名の神楽坂関連も多ですが、「つきぢ神楽寿司 築地 2003年頃」ラーメン店「神楽 江古田 2007年」写真の「かぐら 立川 2011年」、店主のラーメンをつくる姿の様子の「MAYKAGURA(マイカグラ) 千歳船橋 2018年」「鶏そばかぐら屋 水道橋 2013年」
ヒジネス系日本酒バル「かぐら(最初は神蔵の店名) 神田 2018年、他2店」肉割烹「かぐら 有楽町 2018-2019年」、既に閉店の居酒屋「 神楽(KAGURA) 赤坂 2008年」など。かぐらは当て字が多く「華蔵」「花蔵」「神蔵」「菓蔵」「我楽」頭につくタイプ「花かぐら」「夢かぐら」など
担ぐ神輿から「神輿バル 門前仲町 2020年」がわかりやすい。ネットの写真だけですが、内装も神輿の壁絵。お店のHP上でも『神輿といえばお祭り。お祭りといえば活気ワッショイ…』と盛り上げています。
掛け声わっしょいは意外とあります。食べログから「わっしょい 高田馬場 1989年」「わっしょい 五反田 2008年頃」、当て字も「和笑囲 門前仲町 2014年」「what show is it? 歌舞伎町 2018年」
楽器系もあります。全て食べログから、個性的なオーナーの居酒屋「たいこ茶屋 馬喰町 1982年」はマグロの解体ショーなどのエンタテイメントごとに太鼓を鳴らしています。
相撲関係か「両国TAIKO 両国」ビジネス系列が多いようで「九州黒太鼓 新橋ほか 2013年、一度に10店舗」は博多祇園山笠の追い山で鳴り響く太鼓のイメージ。他「どん太鼓 上野 2014年、ロッテリアの経営」「薩摩太鼓 五反田 2016年」焼鳥「陣太鼓 下北沢 1979年」。
既に閉店した老舗「太鼓鰻 下目黒 江戸末期開店」は楽器の太鼓ではなく、かつていけすがあった川に架かっていた太鼓橋からの店名。
中華も意外にあり「一番太鼓 稲荷町 2013年」「福満楼鼓楼(フクマンエングーロー) 要町 2018年」和食の「太鼓 北品川」、「鮨太鼓 市ヶ谷」「あづま太鼓 墨田区八広」
祭に付きものの宴、宴会とつくのは祭りと同じく、大手のダイニング系に集中「千年の宴」「四季の宴」「月の宴」「華の宴」等。
方言や外国語はストレートには宴会のイメージにはなりませんが、「おきゃく(土佐弁の宴会の意味) 銀座 2010年」、『日待ち』は仲間と集って酒宴をしながらこも。忌籠りのための日の出を待つ行事からカフェ「
フレンチ「CYMPOSION (シンポジオンー饗宴の意味) 代官山 1998年、現在は別名」「バンボッシュ(仏語の酒宴) 飯田橋 1995年」
イタリアンの「Convivio(コンヴィヴィオー饗宴) 新宿三丁目 2012年、移転北参道」写真の「La BISBOCIA(ラ・ビスボッチャー宴会・大騒ぎ) 広尾 1993年」。
イタリア人はお祭りとおしゃべり大好き、「CHIACCHIERE(キアッケレ) 代官山 ガイド本1998年掲載、既に閉店」はおしゃべりの意味であり、カーニバルに食べるお祭り揚げ菓子の呼び名。
参考資料
▲扇の文化 高橋貴 あるむ 20111
▲扇子 NHK出版 2008
▲歴史学事典 3 かたちとくらし 弘文堂 1995
▲世界宗教大事典 平凡社 1991
▲日本文化のかたち百科 丸善 2008
▲かたちの事典 丸善 2003
▲日本文化事典 丸善 2016
▲世界樹木神話 ジャック・ブロス 八阪書房 2008
▲数の不思議色の謎 北沢方邦 廣済堂出版 1993
▲蕎麦事典 東京堂書店 2002年
▲すし天ぷら蕎麦うなぎ(ちくま学芸文庫) 飯野亮一 筑摩書房 2016
東西南北、理想郷へ ≪自然No.6≫
黒船来航後は東から新しいものがやってくる。ただ、商売の占いの世界では東南東の方向、辰巳の方向が縁起が良い。
風水は江戸幕府が庶民には知らせず、ひっそりと実行していたようで、鬼門にある日光東照宮は守りのために配置されているとか。
別の説は北にある北極星、北天の皇帝の位置に徳川家康を沿えた場所に造ったとも。南に向く陽明門の上に北極星が鎮座している配置になっているそうです。
日本最古の法隆寺も南大門が正門、伊勢神宮、出雲神社(神座は西向き)、東大寺等の奈良の寺は南向きが多いようです。参道が南大門となっています。
浄土宗の西方浄土の思想が広まると西向きの寺院が増えていったようです。その根底には太陽を拝む太陽信仰も存在するそうです。
別世界への憧れの思いは時代と共に新しい世界が広がる、江戸時代は三国、インド、中国、朝鮮。60年代は宇宙開発競争で宇宙へ、なぜか現在は深海へ
店名仲間
竜宮、桃源郷、天国、ユートピア、パラダイス、シャングリ・ラ、ニライカナイ・南国、サウス・イースト・ウェスト
東西
日本人が方向に興味が出てきたのは香港からの風水占い、ドクターコパと共によくマスコミに登場していましてね。そして、大阪商人からの習慣、恵方巻の節分行事はネット情報ではコンビニのセブンイレブンが1998年から売り出したことによる全国拡散の習慣化。
平安時代に源氏物語にもよく出できた『方違え』、陰陽道の考え方で、その日に運が悪い凶方向が決まっていて避けて帰るために違うところで泊まったりしていました。今も占いを信じるひとにはひっそりと生きています。
権力者は上に上げたように、権力維持の装置として使ていたようです。
天皇家の後継者は日嗣の御子として東宮、大名の奥方と世継ぎの住まいは住まいは西の丸
広い範囲を表すのは東西、古今東西 東奔西走の熟語に使われています。
西は仏教の天竺、西方浄土の娯楽、お釈迦様のおいでになる場所。江戸時代末からは西洋、ヨーロッパ諸国への憧れの地のイメージ
キリスト教では東にエデン、西に死者の国があるそうです(go to westは俗語の死ぬの意味)。教会の向きは東向き、権威や厳格さ、それらから逃れかつてヨーロッパの人々は自由の地の西へ、アメリカ大陸へ向かったのが歴史の流れ。
阿づ満や(市ヶ谷)
東(アズマ)は京都から見た東の国の呼び名、今も関西、関東の大きな地名の区分があります。吾妻、我妻、あづま。当然ながら、この店名が多いです。
写真は一番古い「阿づ満や 市ヶ谷 1804年」は鰻屋。洋食の「レストラン吾妻 吾妻橋 1913年」は最初台町食堂から吾妻橋の地名に変更しています。
あづま、あずま、東、吾妻の店名は多いのですが、地名か苗字かはわかりません。つかみ料理「あづま 浅草 1884年」洋食「吾妻亭 小網町 1879年」牛鳥料理「あづま本店 千束 1908年」喫茶店「あづま家 谷中 1946年」洋食「あづま 新宿 1946年、銀座にも姉妹店」鰻屋「東家 荻窪 1946年」とても多く幅広くの店名。ヒガシの読みで東北の意味の「ヒガシノマグロ 小川町 2016年」。トウと読む「一東庵 東十条 2011年」は店主の一月生まれの一と住所東十条の組み合わせです。
名前の苗字ではフレンチ「Chez AZUMA(シェアズマ) 代官山 2004-2014年」実家の苗字の和食「東家 銀座 2011年」最初に台湾で開店した料亭の名を継ぐ中華「ビーフン東 新橋 1951年」
エンジョイイースト(信濃町)
方向は出入り口、道路、ビルの名称によく使われる位置情報が多く、地名の多い東は特にイースト、エストも含め少な目です。日の出の方向なので多いと予想していたのですが、アズマの地名に寄っていました。
戦後間もなくの開店「レバンテ 有楽町 1947年」、スペイン語の東方、日の出る処、大倉財閥の当主が創業したビアレストラン、牡蠣料理でも有名。イタリアンでも東方の意味で「IL LEVANTE(イル レヴァンテ) 祐天寺 2004年」
イースト・エストでは写真の和食ビュッフェスタイル「enjoy!EAST(エンジョイイースト) 信濃町 2008年」アジアンダイニング系「Easstern Savory(イースタンセイヴォリィーー東洋の暖かな香りと味わい) 南青山 2002年、既に閉店」音楽喫茶「イーストサイド 国立 2009頃ー2020年」イタリアン「Cuisine Est(キュイジーヌエスト) 池袋 2007年(ホテルメトロポリタン内にあり、カフェダイニングの西の意味の「Ovest(オーヴェスト)」もあります)」おなじくイタリアン「EST(エスト) 渋谷 2007年」綴りが違うが西口にある「Esto.(エスト) 赤羽 2014年」
アメリカの地名からのハンバーグ店「イーストヴィレッジ 池袋 2008年」「ローワーイーストサイドカフェ 吉祥寺 2011年」「ローワーイースト 目黒 2015年」
鉄板焼東洋(日本橋)
老舗はアジア地方の東洋、ヨーロッパから見た日出の地の意味のオリエント。ちなみに日没の地はオクシダント。
基本はアヅマと同じくアジアエリアの呼称の地名です。全国的にも西洋に比べ替え字が少なく、「東洋軒 三田 1906年(最初は1889年鳥牛肉料理店「今福」)から改名」の影響で洋食が多いです。
三田のレストランは閉店していて東京東洋軒出張所だった「東洋軒 滋賀県津市 1928年」が引き継ぎついで、最近「東洋軒 赤坂 2014年」をオープンしています。
ほか洋食「東洋軒 新宿 1897年」「東洋亭 高輪南 1933年ガイド掲載」和食「東洋軒 水道橋 1890年ガイド掲載」替え字の「東陽亭 麹町 1886年」
最初甘味処からの「鉄板焼東洋 日本橋 1933年」、最初カフェテリアトーヨー(別資料1950年開店)からレストラン喫茶「東洋 TOYO(トーヨー) 日本橋 1966年」。『ぐるなび』では「Brasserie TOYO(ブラッスリー東洋)」になっています。
和菓子店もあります。「東洋庵 新御徒町 1932年」
全国の老舗は京都「キャピタル東洋亭 1897年」大分県別府市「レストラン東洋軒 1926年」
オリエントは大正期の洋食から「カフェーオリエント 浅草 1920年」スバゲッティ「オリエント 中野 1986年」
形容詞的にオリエンタルで「Café ORIENTAL WAVE(カフェオリエンタルウェーブ) 新宿 1993年」大阪から進出の「オリエンタルスーク 渋谷 2000年」「マザーズオリエンタル 立川 2005年」「ORIENTAL Recipe Cafe 千駄ヶ谷 2012年」タイ料理「オリエンタルデリ 駒場 2012年」。
少し造語した「イル・オリタリア 用賀 デザイナーズレストラン5(1995年)に掲載」、オリエントとイタリアの造語です。
現在多いのは頭や尻尾に付く方向がおおいです。オリエンタルバル、オリエンタルテーブル、オリエンタルキッチン、オリエンタルビストロ等。2000年以降はアジアン系エスニック料理に付けています。
西武(新宿)
地名からのは東より少ない西、西がつく場所名や地名が東京はとても多いです。レストランが多い繁華街、西新宿、西新橋、西池袋、西麻布、葛西等。新宿や池袋発の西武鉄道も走っています。パチンコ、麻雀店わ慶する別会社がかつて建てた西武ビルに開店した喫茶店「珈琲西武 新宿 1964年」、2号店、3号店もかつてありました。西武は東京の西側の武藏エリアのこと。
料理関係でも西洋料理、仏蘭西料理と西の字が多く、頭によくついています。明治以降の
セイの音の店名は西洋料理の意味を含む、「精養軒」「精風軒」「清新亭」「青陽亭」「西洋堂 赤坂 1905年」「西洋亭 吉祥寺 1984年」以前あっぷの「西櫻亭 銀座 1997年」「西菜亭 日暮里 1997-2017年」は西が西洋料理の意味。和食にも関西料理の区分けがあり、これも西が少ない一因でしょう。
普通にはウエストコーストと付ける喫茶店「にしかいがん 吉祥寺 1980年」、アメリカの西海岸のシメージ。
苗字は一店だけしか確認できません。カフェ「NISHIAN(ニシアン 最初は西庵の店名) 二子玉川」苗字の西の一字を取っています。
ウエスト(銀座)
英語のウエストが多いです。「ウエスト 銀座 1945年」銀座の西にあるので命名、有名な西洋菓子とカフェ、リーフパイが各デパートで売っています。現在はこの店の支店が多いです。
1971年の電話帳には10店載っていますが、1982年になるとウエストより「ウエストコースト」「ウエストサイド」「ウエストポイント」「ウエスタン」と変化していました。
アメリカの地名も入り混じる「ビッグウエスト 西新宿 1977年」「ウエストコースト 赤坂 1977年、自由ケ丘1979年」「ウエストエンド 飯田橋 1986年」「ウエストウッド(学生時に住んだアメリカの街) 杉並区片南 2001年」
今残る店のお客のブログには昭和の雰囲気を言っている文が上がっています。「キッチンウェスト 下北沢 1962年開店」ネットには昭和の香いっぱいの「West(ウエスト) 渋谷 既に閉店」「West(ウエスト) 稲荷町」
場所名として多くあるので、紛らわしいのか今はあまりありません、西口、ウエストパーク、ウエストロード、建物もよく使われています。
南北(写真は原宿南国酒家) ーⓢ(追 加2020.9.17)・(追 加2020.11.20)
南北は圧倒的に南が有利、楽園、癒しがイメージとして出来上がっています。
北は寒く、暗く、夜、静寂の厳しい世界、時代によっては中国では天帝の星北極星を背負うとして重んじられた時代もあり、同様に以前も挙げた日光東照宮は江戸の北方、北極星を真下に守りにおかれたという説もあります。
神社仏閣は南北の向き、東西の向き様々ですが、立て直し後にはなぜか東西向きが多いそうです。心理的には朝日に向かって正面門、法堂があり建物の後ろに沈むのは納得いくような気がします。
西洋も北に神の国、天上界があったり、反対に死者の国があったり、南が地獄のあるとされる考えもありさまざま。
南国の名称は中華に多く全国に18店舖の「南国酒家 原宿 1961年」「南国飯店 自由が丘 1963年」「南国亭 淡路町 2005年」、「南園 西新宿(京王プラザホテル内) 1971年」
今人気のオーナーシェフの好きな雲南、湘南、台南の3つの中国料理にちなみ「南三(ミナミ) 荒木町 2018年」「図南 蒲田 2013年」は南を覇を成す。
英語読みの頭がつく「SOUTH LAB 南方(サウスラボミナカタ) 錦糸町 2018年」も南方方面の香港料理でも東南アジアから渡ってきた潮州テイストが入っているそう。レモングラス、ガパオ等
苗字のフレンチ「メゾン・ド・ミナミ 荒木町 2015年」焼肉「みなみ 柳橋 2016年」南は字をかえて女性の名前も多いので、もっとあるでしょうね。
今の南国は沖縄、ハワイ、東南アジア。全く南とは関係のない「キッチン南海 神保町 1966-2020年」はかつてあったプロ野球チーム、南海ホークスのファンだったことからの名づけ。
◆追 加(2020.11.20) 最新のフレンチのイノベーティブ+トラディッショナル+ナチュラルの組み合わせ「SUD Restaurant TERAKOYA(スッド) 竹芝 2020年」は「TERAKOYA 寺子屋 武蔵小金井 1954年」の3代目のレストラン。
この本店が新店から南方向3キロメートル先にあること、南のイメージが開放的な暖かさ。明るさを持っているので命名とお店のHPにあります。(2020.11.20)
サウス(恵比寿)
北は北海道までですが、南は南半球の国々まで達しています。
写真の「South(サウス) 恵比寿 2015年」南半球の国オーストラリア、ニュージランドのワイン・食材を使うシーフード店です。
南国リゾートの雰囲気の「サウスカーデンカフェ 二子玉川 2010年、既にほ閉店」
以前の南は南蛮(江戸時代のヨーロッパ、東南アジア)や『南欧料理店・地中海料理店』でアップの南欧料理の南欧が付く南フランス、イタリア料理店が主でした。
多いのは南インド料理が多いので、頭や尻尾にサウス、南インドとつく場合があります。ビジネス系で、最初「エリックカレー」だったのをコンセプト変更で南インド料理を入れた「エリックサウス 八重洲 2011年」が一例。
「DAKSHIN(ダクシン) 八重洲 2010年」サンスクリット語の南の意味で、本格的な南インド料理を提供したいからとの店名(お店のHPから)
南の・・の意味のサザン、有名なサザンオールスターズは南の意味はまったくないそうですが、湘南のイメージは付いています。サザンは位置情報を表す店名が主になっています。「サザンダイニング 用賀 1991年」は用賀駅の南口、沖縄料理の意味もある「サザンウインドウ 下北沢 2005年」「サザンダイニングラウンジ 恵比寿 2008」は住所が恵比寿南。
一番多いのは南太平洋で見ることができる南十字星のサザンクロス。開店年がわかるのは「サザンクロス 自由が丘 1982年、既に閉店」全国各地に存在しています。
他の言語は少なくフレンチ「オストラル 銀座 1996年 既に閉店」南への意味で内装が南フランス風、同じ意味のイタリアン「Merdionale(メリディオナーレ) 麻布十番 2010年」
北の家族(外苑前)
北海道の郷土料理の店名は地名の蝦夷御殿、十勝、石狩やアイヌ語のユック(蝦夷鹿の意味)、古潭(村のこと)等が主でした。
北の・・は今は数多くあります。テレビドラマ「北の家族」(1973年から1974年)、北の国から」(1981年から1982年)の影響が多々あると考えます。
居酒屋「北の家族 新宿 1973年1号店、写真は2000年開店外苑店」は芸能関係の会社の創業。放送と同時でしたね。「北の国バル 新橋 2014年1号店」は放送終了から時間がたってのオープン。
以後、頭につくばあいも在りますが、「北の大地・・」「キタノイチバ」などの店名が増え、北は北海道のイメージが定着ています。
北海道以外で店名に北の字に付くのはコラムで扱った空と海の目印の北極星、北斗。特急の名前、漫画の主人公の名でメジャーな名前。思ったより店名は広がりがなく、ラーメン屋さんに多いのは北海道のイメージか。音の響きがキタよりホクトは大人しい感じがします。
北カレー(小川町)
店名の北海道のイメージはラーメンからエゾ菊や山おやじ(ヒグマのこと)カムイ、ピリカ、どさん子から始まっています。
北海道と沖縄の物産展がデパートでよく開催される人気者。地方振興を目的にしたBー1グランプリが2006年から、政府も同様に2007年に地方の人気料理をリストアップしています。
ラーメンが最初ですが、今は他の地方食材もB級グルメとして、餃子、焼きそば、カレー、ハンバーガー、うどんも定着しています。北海道はラーメン、ジンギスカン、魚貝、スープカレー、豚丼ですね。
フードビジネス系コロワイド経営の「北海道 大森1号店 2014年」高級食材のかにの「きた福 赤坂2012年 銀座2015年」北前という北海道産の意味の「旬鮮にぎり北前 田町 2001年」
イメージでは北は南より不利ですが、食材系では圧倒的に勝っていて「北の台所・・」「北の幸」「北の味」「北の恵み」とあります。
写真は既に閉店のスープカレー「北カレー 小川町 2012-2018年」
山喜多(人形町)
苗字はこれもNHKの例のお名前番組からですが、苗字が多いのは人気の東、南ではなく北村、北山、北川、北山、西村、西山、西川、西山等の北と西になります。
たしかに南川、東村は比較して少な目。これはかつて田畑を耕作していた村々では田畑は日当たりの良い南東に作られ、必然的に家々はその反対側、北や西に位置することとなり、苗字もそれに従った結果だそうです。
北はそのままでは敗北のイメージがマイナス点あり、替え字で対応。喜多、喜太の当て字がおおいです。
残念ながら確認できる店名の資料はありません。写真の「山喜多 人形町 2016年」も不明。
ただ、いま多くでてくる「喜多方ラーメン」の喜多方、は明治8年(1875年y)に北方から佳字(賀字)の喜多方町(現在は喜多方市)に替えています。
鰻屋「喜多川 新橋 1881年ガイド掲載」和食「喜多川 京橋 1890年」とんかつの看板を掲げた最初の頃の店「喜多八 浅草 1933年」同じくとんかつ「喜太八 新橋 1936年」居酒屋「喜多八 十条 1996年」和食「喜多村 人形町 開店年不明」鰻「喜多川 赤羽 開店年不明」
今は北のイメージもかわり北の字そのまま付ける店が増えてていて、喜多は古い感じが漂う店名かも。ただ、平仮名のきたが多いようではあります。
ノースウェーブ(清澄白河) ーⓢ(追 加2020.9.19)
北海道は明治以降の呼称なので、江戸期は蝦夷と呼ばれていて、名前やその他の賀字とも組み合わせにくい地名。
出身地名は付けにくいので、どさん子、どさん娘とつけるラーメン店はあります。
北海道出身の店名は北のイタリア語「nord(ノード) 目黒区五本木」英語の北の人の「ノースマン 六本木 2016年」と少なく、北海道のイメージの動物ヒグマを名付けた「ヒグマドーナッツ 学芸大学 2016年」北海道出身のオーナーの北海道産の材料の店にイメージが浮かびます。食べログにもジンギスカンの「North(ノース) 新宿」「ノースビーフ 乃木坂 2013年」が載っていますね。
写真は珈琲店「The Northwave Coffee(ザ ノースウェーブ コーヒー) 清澄白河 2015年」北海道の地図がウェーブを描いています。
「トラットリアミキータ 南青山 1999-2016年」は北見シェフの苗字を逆さ読みして、イタリアン風にアレンジした店名。2012年に銀座に移転し4年後「ピフットキタミ(PIATTO KITAMI) 虎ノ門 2016年」として再オープンしています。
近頃よく見かけるリュクサックの登山ブランド、アメリカのノースフェイス。意味は北壁、最も厳しい山の困難ルートをいう言葉。果敢にチャレンジしていく精神がこもった会社名。日本でも逆境に負けない北がつく店名はでてくるのでしょうか。
風の方向(写真は三軒茶屋東風)
地域や国により、風の方向は好みがあります。中国では各方向に玄武、朱雀、青龍、白虎の神獣が護っていますが、ギリシア神話には風の神が居ます。東西南北、エウロス・ゼピュロス・ノトス・ポレアス。
日本は菅原道真の和歌の『東風吹かば・・・』の春を運んでくる風。ヨーロッパは西風ゼピュロスが春を呼びます。花の女神フローラの夫で美青年のすがた。
写真の蕎麦屋「東風 三軒茶屋 2005年、創業1951年、リニューアル時に改名」爽やかな春風のイメージで命名、「東風庵 仙川 東銀座で2010年開店後移転」。
少し分かりにくい「coci(コチ) 恵比寿 2005年」、タイ・フュージュン料理店で、菅原道真の和歌の東風のように梅の香りを運ぶ存在になりたいという店名(HP恵比寿新聞から)
フレンチですが仏語の「Vent d’ Est(ヴァンデスト) 南青山 2009年、既に閉店」。
少し意味は違うけど「東風(トンプウ) 六本木 1979年」はYMOの曲からの中華バーで、西洋の風ではなく東洋の風を吹かせたいとのコンセプトでした。ネットで見ると有名ライブハウス「スイートバジル1998-2014年」の場所にあったそうです。
西風はイタリアン「ゼフィーロ 西麻布 2002-2007年」はシェフの苗字の一字、西のバリエーションでしょう。
北風はイソップ童話であるように、好かれてはいないです。冬と共にありイメージからも店名は見つけられません。➡ホテルのカフェダイニングがリニューアルで「喫茶北風 馬喰町 2020年」と改名しましたが由来は不明。
南風は南国のイメージで沖縄料理店「南風(ナンプウ) 歌舞伎町 既に閉店」「夏至南風(ゲシナンプウー梅雨明けに吹く夏を知らせる風) 五反田 2001年」
モンスーンカフェ(恵比寿)
季節風、モンスーンは方向が変化する風。「モンスーンカフェ 西麻布 1993年1号店(写真恵比寿店ー『季節風とともに香る』)」はグローバルダイニング経営、リゾート地バリ島の雰囲気と東南アジアの料理として今も続くカフェとしては珍しい長く続いていて、店数も増やしている。
南東フランスの地方風「Le Mistral(ミストラル) 目白」「MISTRAL(ミストラル) 東中野」食べログにも喫茶店「ミストラル 大久保」、南フランスの風の意味の「Vent du Midi(ヴァンデミディ) 鷹番 2005年」
アフリカの砂漠から南ヨーロッパに吹く南風「SCIROCC(シロッコ) 日本橋 2013年」はスペイン料理店。
別天地さまざま(写真は浅草天国)
だいぶ以前にアップした『場所名』のなかの『心のなかのもの』にもあります、聖書の東のエデン、中国の仙人の島、東海の蓬莱の島、西の極楽浄土、南のパラダイス、楽園、どこかにあるトーマス・モアのユートピア、桃源郷、ジェームズ・ヒルトンのシャングリ・ラ。神話の永遠の命や若さを保つ金の林檎、泉湧く地。
日本もかつてはヨーロッパの人々から黄金の国ジィパングと呼ばれていましたね。中国からみた東海のかなた、太陽の昇る樹、扶桑、または此の樹のある土地、日本の別称位です。
日本自体の楽園は陸地には存在しない、海の彼方、海神の住む海の底竜宮城、山幸彦や浦島太郎がいった国、民俗的な熊野地方を入口とすね南海の孤島にある補陀落(補陀落)
遠い昔のギリシア神話の時代から、イギリスの伝説、ガリヴァー旅行記のお話、児童文学のオズの魔法使いのお話、ナルニア国、最近のアニメのワンピースまで見知らぬ国を探す旅はワクワクします。
最初に注目されたのはキリスト教のエデンや天国、パラダイスですが、広く遊興、今は風俗まで広がっているので少ないです。天国は別世界ですが、死者がいく国でもありますので・・・。
幅広く使われているので、食べ物屋では料理名と一緒の尻尾ににつくやきとり天国、いか天国、肉天国、焼肉天国、スイーツパラダイス等の使い方が中心。
写真は天国ということばがいろいろなイメージがあるからか、この言葉は悪いイメージがなく言葉遊びができるからとつけた「天国 浅草 2005年」
もう一つのヘヴンは音の地味さと場所というより教義上の神の存在するところの意味とかであまり拡散はしていないです。
アメリカンな世界観からか、初期の頃の際コーボレーションの横田基地近くの「アメリカンダイナー 福生 1982年」からの「デモデヘブン(デモデは古めかしい意味) 福生 1993年」やハンバーガー店「ハングリーヘブン 上板橋 2008年、東京には4店舗」「Cafe HEVEN'S(カフェヘブンズ) 恵比寿 2005-2011年」写真はハワイワイキキから進出のオールデイダイニング「(HEAVENLY Island Lifestyle)ヘブンリィー 代官山 2020年」は一般的な楽園的なハワイ感なインテリアではなく、ウッディな茶色です。
同じ様な場所は中国や日本では天が同じような意味です。天と地の様に場所名であり、天上界、神様を含む創造主、神の意志の意味もあります。
中国の万物の担い手の天帝、天命という言葉からもわかります。
食べ物屋の世界では天は天麩羅屋に多くついているので紛らわしい面もありますが、中華では形容詞的グレードアップする店名。天香、天府、天龍、天亀、天凰、天鴻等。
お好み焼き屋「TEN 原宿 1981年」で出発したフードビジネスのテンスターダイニングはほとんどのお店に天を付けています。鉄板焼天、寿司天。神様仏様の名前も天神、天狗、梵天、弁天、韋駄天、天馬もありますが・・・。
天は天然の厳選した食材を使っている場合もつけています。
ガルエデン(外苑)
英語は使わず他の言語での天国、言葉のイメージは魅力的なので仏語「ル・パラディ 下北沢 1981年」「ブラッスリーパラディ 経堂 1996年」「Paradis du vin(パラディ・デュ・ヴァン) 銀座」
イタリア語では「Pradiso(パラディーゾ) 麹町 1980年代」「ピッツェリアパラディーゾ 阿佐ヶ谷」「ローカリタ・イル・パラディーゾ(リゾート地の楽園の意味) 恵比寿」「ロ・スコーリオ」から改名した築地の天国、楽園「築地パラディーゾ 2011年」
聖書の神の都「シオン 目白 2008年」は韓国料理
地上の理想郷はユートピア、ギリシャ語でどこにも存在しない場所、あまり店名では見かけません。
「無可有(ムカウ) 銀座 2009年」日本語訳無何有郷(むかうのさと)のユートピア、食べログでは当て字の「悠杜比庵 代々木」、共に居酒屋です。
ギリシャ語ではユーのどこにももない、トピアが場所ですが、ぴあだけ尻尾につける事例もあります。「ミートピア」「チーズピア」「ベジピア」等。ぴあはpirですが、同じ読みのpier、桟橋の意味の「ピアシス 芝浦 1994年」ピアとオアシスの造語の店名も。そのため全国に多くあるぴあ、ピア、東京にも「喫茶店ぴあ」も含めどちらか不明です。
ピーターパンのディズニーランドでも有名なネバーランドの方がおおいです。
「クーカーニョ 渋谷(セシリアンホテル内) 2001年」はプロヴァンス地方の言葉で楽園。少ないですが、ギリシャの理想郷アルカディア、聖書の理想の国カナンの店名も存在します。聖域と訳される「カフェサンクチュアリ(Cafe Sanctuary) 新井 開店年不明」は喫茶店。写真は「Gar Eden(ガルエデン) 外苑 2013年」ラテン語のGarはガーデン、エデンの園の意味
ニライカナイ(大塚)
東洋の地ではシャングリ・ラ、チベットの地にある永遠に生きることができる国、一年じゅう桃の花が咲く常春の国桃源郷が有名です。シャングリ・ラはホテル関係でつかわれ、チベットに比較的近い国の料理店、インド、中国、タイ等、意外と知名度は低いようです。
桃源郷は当然中華店に多く、同義語で桃花林、桃花源、桃源、桃園、桃仙郷など、桃が西方の崑崙山に住む仙女の西王母の桃、蟠桃からイメージでしょう。食べログには「桃源郷 小川町 2011年」ほか3店掲載。今風の字を当てた京都のカフェ「逃現郷 2010年」の方が時代にはあっているように感じます。
以前数回あげた蓬莱(蓬莱屋・遠くへ・寶來屋(九段下))は東の海の仙人の島。
アジアエリアでは東宝が経営する「DINDON(ディンドン) 丸の内 1964年」「珈琲ディンドン(こちらは未確認、英語の鐘の音ディン、ドン、日本でいうキンコンカンの発音もあります。) 渋谷区東 1976年」「デュシット・ティエンドン 本郷 1991年」タイ・ベトナムの楽園。「Bersuga(ベルスーガ) 六本木 2004年」はゆりかごのような楽園の意味。
童話作家宮沢賢治がつくりだした理想の国はイーハトーボ。沖縄の理想郷東の彼方の海底にあるニライカナイ。竜宮城やハワイ語の島の名ラニカイに発音が似ています。ラニカイの意味は天国の海という意味になります。
イーハトーボは「いーはとーぼ 下北沢 1977年」という音楽喫茶がよく紹介になっています。写真は「ニライカナイ 大塚 2016年」はもちろん沖縄料理、リュウキュウビストロの頭が付きます。
余談ですが、『散歩の達人2018年11月号』で純TOKYO喫茶の記事の中に『ノスタルジーと子供時代』で書いた西荻窪の「どんぐり舎」の店名の意味がありました。
木の実の団栗じゃなくて、時間を忘れてのんびりとコーヒーを飲む理想郷、シャングリ・ラをもじった店名!想像のつかない由来でした。
地上の聖地ー山・森・林(等々力ロアジ)ー2020年7月31日追加
天上の神々の居場所も人気ですが、地上にある現実のの癒しの場所もあります。世界の三大宗教のエルサレムやメッカ、仏陀の生誕の地ネパールのルンビニ、インドのガンジス川、サンチャゴのような巡礼して訪れる場所。
それ以外に1990年代から流行のパワースポット、神社の井戸、森林エリア、水のある場所。砂漠のエリアのオアシスがそれです。アメリカのネイティブアメリカンの聖地のアリゾナの「Cafe SEDONA(カフェセドナ) 早稲田 2008年」の地名もありますが、地名よりも場所名が優勢です。
都会のオアシスという決まり文句がよく使われていますね。
オアシスの語源は古代ギリシア語、西アジアにあった都市名。砂漠の地の水と緑地のある場所、安息の地、癒しの場所、安らぎ場
最初の初見の店名はフランスのガイドの「ロアジス 1954年、すでに閉店」、フランスナプールの星付きレストラン。
同名で東京のオアシス、等々力渓谷にあったのはフレンチ「ロアジス 開店年不明、現在は別名イタリアン(『グルメぴあ'90』にはイタリアンロアジスで掲載)で営業中」、近くにここの元シェフが開いたイタリアントラットリア「ロアジ 等々力 1999年」(右の写真)があります。
他は「ロアジーナ(小さなオアシスの意味) 青山 2008年」カフェ「ロアジス 自由が丘 2011年」佐賀県伊万里市からの出店和食の「魯庵治 銀座 2016年」
一番使いやすい英語のオアシスはカフェ、ホテルラウンジ、居酒屋とあちらこちらで発見。イタリアン「oasis 銀座一丁目 1999年」「OASIS(オアシス) 新橋 2009年」
オアシスの仲間(御茶ノ水サルドルポ)
癒しの場所としては古いのはカフェと洋食の「サルドルポ 御茶ノ水(最初市ヶ谷六番町) 1977年」休息所の意味
安息の場の意味「ワッフルズビウラ 代官山 1996-2017年」、同じ系列なのか不明ですがアジアンカフェ「beulah(ビウラ) 恵比寿 ガイド本1996年出版に掲載」は中世風英語の天国、安息の場所というスラングとありました。
他に「Cierpo(シェルポー仏語空と休息の造語) 神楽坂 2010年」「リボーゾ(休息の場) 銀座 2012年」「ASYLUM(アサイラムー政治的な保護の安全な場所) 恵比寿 2013年」
コラムの水のチカラに載せたイメージでは泉にも癒しの場所の意味があります。昔話の若返りの水のあふれる泉や北欧神話のウルズの泉から続く若さの泉伝説場所。日本の長野県の伝説の養老の滝も酒が流れる滝、居酒屋チェーン店「養老の滝 五反田 1951年1号店」はここから。
泉のほとり、川のほとりのほとりはその周辺、そばの意味で、これもカフェ「ほとり 渋谷 2014年」では心の潤いを取り戻す場としてつけています。ビルエリアの大手町ホトリアは皇居外苑御濠のほとりの豊かな空間の意味。ほとりと場所の語尾「"ia"」の組み合わせ。漢字の辺、畔は海辺、川辺、湖畔に使っていますが、辺は姓名に多いのでほとんど見当たらず、畔は和食の懐石店「畔居(ハンキョ) 日本橋 1955年」
「Cafe Kariz(カフェカレーズ) 麻布十番 2010年」はオアシスをつなぐ地下水の意味のペルシャ語。人々を歓談や閑談で癒す場所で皆を繋ぐ店名(HPより)。地下水を利用したコーヒーがメニューにあります。
オアシスにある大木のイメージの「旅人の木 吉祥寺 2004年」ダジャレ楽だ!の意味もあるカフェ「cafe RAKUDA HOTEL 代官山 2002年」は砂漠を旅する人に水をのコンセプト。言葉的には遠いダイニング「砂漠楼 恵比寿 2001年」砂漠の中のオアシスのイメージ
山(写真は自由が丘モンブラン)
天上の神々の居場所は空のうえのイメージですが、かつては聖なる場所は以前あげた水の湧き出る泉のほかに山と森があります。オリンポスの山、シナイ山、ヒマラヤ山脈のカイラス山など。
山には山の神、天狗や鬼、山姥、大蛇の化け物が棲む。ヨーロッバはそれが森になります。日本では近世まで森のイメージは薄く、山か林でした。
寺は平安後期から都から山寺へ、修行の場として山号が付くことが多くなります。有名なのは比叡山延暦寺と高野山金剛峰寺、最澄と空海の総本山。
中国から影響でその後鎌倉室町の武士の時代の心の支えの禅宗は五山と呼ばれる寺が、鎌倉五山、京都五山として次々建立されていきます。江戸時代からは装飾的な山名をつけています。東京の有名なお寺、浅草寺は金龍山、東叡山寛永寺(比叡山から)、萬松山泉岳寺など。
ギリシアのオリンピア山、チベットのヒマラヤ、中国の五名山、一番有名な泰山等、富士山も含め神の住む聖山。店名の山は実際ある山名が、富士山、白馬、穂高、月山等が、外国からでもアルプス、モンブラン、ヒマラヤの山名がとても多く付いています。写真は最初の頃につけたアルプスのヨーロッパナンバーワンの高さの名峰「モンブラン 自由が丘 1933年」白い山の意味で、そのイメージで同名の名物ケーキ、モンブランで有名です。
普通名詞の山は地名や姓名で溢れているのでとても少ないと推測します(というか調べようがないです)。漢字の組み合わせではコラム『錦水(目白)』のなかで書いた「山水」が多いです。
多くは苗字の山の字を取ってやまや、やま家、やま屋となっているのでしょう。全国的に有名な博多からし明太子のメーガー「やまや」も山本物産から1981年に「やまや」に社名変更しています。
つい最近のオープン「Yama 山 恵比寿 2019年」はパティシエによるフレンチ。平地より常に山頂を目指して行きたい姿勢と故郷の山梨県の人や食材にリスペクトを込めての店名です(お店のHPより)。
英語の「マウンテン 浅草 1958年頃」、仏語はモン、伊語はモンテ。モンテは地名モンテローザ(伊語氷の山または薔薇色の山)、ピエモンテ(山の麓)が多く「ピエモンテ 荻窪 1976年」、喫茶店「モンテ 下北沢 1976年出版のガイド本掲載」地名の青山の伊語「モンテアスル 南青山 2009年」日本語の海山の「モンテ・マーレ 吉祥寺 1996年頃」イメージ系は「トレモンテ 立川 2005年」
森・林(外苑フォレスト、今は自由が丘)
森はオアシスのように森林浴の例にあるようにパワースポット。森林浴は1982年に林野庁名づけの日光浴から和製漢語。
ただ日本は林がすぐ山に続くのでホントの意味の森はありません。神社の鎮守の森、杜の意味も使います。森は自然の森、杜は人の手が加えられた森と書いている資料もあり、仙台市が杜の都と名乗っているのはそういう理由とか。
ヨーロッパでは森が何百年にも渡って樹木が生い茂る場所があり、魔法使いや魔女、妖精の女王、小人や鬼が住む魔界。童話で若者、王子や娘さんが入り込んで幸運を探して迷い込んでいく道なき世界。日本だとあの世の前に広がるのは賽の河原ですが、ダンテの失楽園の世界では深い森を超えてゆかねばならないようです。
店名の森のイメージも外国の地名から始まっています。パリのブローニュの森からの「ボア 吉祥寺」松本楼のレストラン「ブローニュデボア 日比谷」やフレンチの「ヴァンセーヌ 渋谷 1980年」オーストリアの森 大手珈琲メーカーユーシーシーの「ウィーンの森 1997年、1号店、博多」「カフェヴィナーヴァルト 銀座」ドイツの「ヴァルト 上野 2017年」「レーゼンヴァルト 表参道 2011年頃」イギリスの森「シャーウッド 赤坂 1975年ガイド本掲載」等。
食べログにはホントの神社の杜、森から「神々の森神社cafe 高田馬場 2014年」日本酒バー「鎮守の森 四谷三丁目」掲載
今ある森の付く食べ物屋は皆森の近くにあります。代々木エリア、西側の武蔵野エリアに多くあります。「よよぎの森 南新宿」「杜のテラス 原宿 2017年」「森のキッチン 信濃町」「森のこみち 西東京市」「森のカフェ 国立市」「森のブッチャーズ 江古田 2014年」「森の定食屋 江古田 2019年」「もりのなか 立川 2019年」ファミリーレストランスカイラーク系の「むさしの森珈琲 一号店横浜市 2015年、東京は2015年杉並区井草」
フランス語のラフォーレは森ビルが建てた原宿の商業ビル名で有名。会社名からでもありますが、明治神宮の神宮の杜がある表参道近くにビルがあることも由来のひとつ。
そのため他の外国語が使われ、フレンチ「フォレスト 外苑前 2001年、自由が丘へ移転」「pepacafe FOREST(ペパカフェフォレスト) 吉祥寺 2002年」「ボタニカルカフェフォレスト 自由が丘 2009年」「フォレスト 大崎 2012年」、椿山荘のカフェ「フォレスタ 早稲田」イタリアン「Fotesta(フォレスタ) 広尾 2017年」
雰囲気の良いイメージで頭や尻尾に付くことも多いですね。写真の「スイーツフォレスト 自由が丘 2003年」から「ジュースの森」「パンの森」「ワインの森」最近オープンの「ザシュガーホレスト 高円寺 2019年」
フォレストは人間の力及ばずの未知の世界の入り口が森ですが、木の複数ウッズは小さな森の日本語の林です。地名は大量にありますが、ウッズだけは極少数です。別の意味で聖地「ウッドストック」、直訳は木材の貯材置場ですが、アメリカの地名でロックミュージックの聖地と呼ばれています、この種の聖地は映画、テレビ、音楽祭に中で大量に出現しています。
姓名からのイタリア語「BOSCO(ボスコー林さん) 新宿 1986年」「Piccolo Bosco(ピッコロボスコー小林さん?) 駒沢 2007年」「Le Bois(ルボア) 武蔵小山 2013年」
小林さんも多いのですが、中華店は園、苑とおなじ使い方で林があります。「桃林」「竹林」「楓林」「華林」「香林」など。
地名の「Crow FOREST(クローフォレストー烏森) 神田 2010年」「HATONOMORI (鳩の森) 千駄ヶ谷 2015年」再掲の青森の食材を使うことから「ボワ・ヴェール 西新橋 2007年」「夜の森(かつて東北の震災前にあった駅名) 渋谷 2014年」
イメージでの「樹林 西新宿(京王プラザホテル内) 1971年」「ヴィーノアルベロ(ワインの森と以前の店名樹林の組み合わせ) 渋谷 1985年」
参考資料
●世界宗教大事典 平凡社
●歴史学事典 3 かたちとくらし 弘文堂 1995
●世界シンボル大事典 大修館書店 1996
●世界文学にみる架空地名大事典 講談社 1984
●日本民俗大辞典 吉川弘文館
●方位読み解き事典 山田安彦 柏書房 2001
まるとその仲間 ≪自然No.7≫
○、●、花丸、これらは店名として実際にあります。『流行ー○、まる、マル』・『流行ー丸からえんへ』の2つの項目でもアップしていますが、少し歴史を振り返ります。多少タプル処もあります。
漢字の丸と円は元の意味が違います。最初の甲骨文字があるのは丸の字、弓にあてがった弾丸の形で、小さい球形の丸い形の意味。
円は後から篆書から、圓の字は音の員を丸く囲んで作った漢字。鼎(神様に捧げる供物を入れる器)の口の部分の形を表す漢字。
科学的、神話的な分野、世界は円で表され、曼荼羅、ストーンサークルなどのようにで活躍し、どの世界でも太陽と月を象徴しています。
心理学辞典には円で囲むことは限界・境界を示し、内なるもの・外なるものを区別し、丸の中は選ばれたもの、保護されたものの世界になります。
禅画の円を一筆で描く『円相』のように、丸は多少歪んでいても大丈夫ですが、円は完璧な姿を求められています。イメージの資料も圧倒的に円が多いのですが、店名が多いのは狭い分野の丸です。
店名仲間
○ ○丸 まる、マール ラウンド セルクル
囲んで〇(丸福珈琲店)
いわゆる囲み文字、姓名や出身地名をまるで囲み、仲間、繋がりを表す。一字だけを掲げるより囲んだ文字の方が目立つ要因もあります。
アイコンとして家紋や屋号が古くから活躍し、商号へと今も現役のものもありです。
家紋は有名な丸に十(薩摩藩島津家)から、マルに一、マルに三、マルに八(八幡大菩薩の頭文字、末廣がりから)、賀字の吉の字、大丸のように『一番大きく有れ』で〇に大の字、苗字の一字をいれるものも多くあります。
所有の意味合いが強く、商品に目立つように表示できます。
有名企業にも多く、多くは屋号や創業者の名前を丸で囲んで商標にしています。丸紅、マルハ、丸善、丸井、丸美屋等。
食べ物屋で有名なのは写真も含め何回もアップした蕎麦屋の「満留賀」(『か行さ行の苗字変幻ヴァージョン』『流行ー○、まる、マル』)、マルに賀の字を使っています。
これも再掲のパン屋の丸十(『 丸十製パン・丸十ベーカリー』)も丸十パンとして全国にひろがっていました。
いかにもの賀字、吉祥文字を囲む〇、丸福、丸八、丸喜。鮨店「丸八 巣鴨 1948年」お好み焼き屋「MARUYOSHI(丸に吉) 赤坂 2006年」。
東京にも進出の大阪の「丸福珈琲店 大阪市 1934年」が有名です。由来はHPではオーナーの苗字と相性が良いと姓名判断に詳しい知人のアドバイスで丸に福となったとのこと。
丸長(荻窪)
ラーメン店、とんかつ屋に多いです。ラーメン店は荻窪の多くの系列を創った「丸長 荻窪 1948年」は長野県の長、その系列の「丸信 荻窪 1950年」は信州の信。「丸福 荻窪 1951年」と西荻窪の「丸福 1984年」は福島県出身で福。地名では比較的新しいチェーン店「まるきん 白金 1号店2000年頃、会社1994年」は不明ですが、白金の金でしょうか。
洋食系は一店丸に市の字のビストロ「マルイチ 市ヶ谷 2001年、既に閉店」があり、市ヶ谷の地名の市からでしょう。とても目立っていた印象がその頃はありました。
昭和初めの頃は鰻屋が多く「丸万(名前萬吉の一字) 神田区錦町」「丸喜 日本橋室町 東京案内増補改定1881掲載」「まるきん 新橋 大東京うまいもの食べある記1935掲載」「丸井 谷中 ガイド本1958年掲載」「丸富 青物横丁 1968年」等。
写真は古民家なので古そうに見えますが「丸文 馬喰町 2013年」は新しい鰻屋。
「まるます家 赤羽 1950年」は鰻居酒屋で、名前の一字"増"を桝家(ます家)にして付けようとしたのですが、桝は角がたって良くないとして桝紋を丸く囲んだ店名「丸桝家」となったそうです。
コンセプトを入れたビジネス系(2020年会社名もマルシに変更)やきとん「マルシ 木場 2009年(食べログで一番古い)」は『〇(マル)を志す(シ)』、当たり前より、更に上の最高を目指すそうです。
算用数字のマルもあります。〇に1、〇に3、〇に5。「①(マルイチ)ベーグル 白金 2004年」は焼き上がったベーグルの形が①にみえるから。カフェ「②cafe(マルニカフェ) maruni 池袋 2014年」「③(マルサンMarusan Foods) 下北沢 2003年、今は+wacca」はオーナー3番目の店で一目でわかるシンプルロゴ、覚えやすいように。再掲デリカフェ店「⑤deli ebisu(マルゴデリ) 恵比寿 2011年」
数字はローマ字表記もあります、再掲で家庭料理「MARUHACHI(丸八、マルハチ) 渋谷 1978年」、ダイニングバー「MARUICHI 恵比寿」「DINING MARUICHI(住所?、1-11-1) 新橋 2007年」と同系列の「MARUHACHI(マルハチ) 銀座 2009年」。
宇廼丸(岩本町)
鮨屋は現在は後ろに付く多くのビジネス系の丸付きが有名ですが、『みんなが好きな世界からの名前』で書いた「宇廼丸」が最初でしょうか。
江戸末期の『七十五日 1848年刊』には「うのまる寿し(うの字をまるで囲んである店名) 糀町」として、明治の案内は「うの丸寿し 糀町」になり、大正時代穴子専門店「宇の丸 日本橋 大正年間」、今の表記は「宇廼丸寿司」に。写真は「宇廼丸 岩本町 1992年」で日本橋「宇廼丸本店」からの暖簾わけ店。
平仮名は他に蕎麦屋「まるそ 本郷 2009年」、〇の中にその字。
囲んで〇か未確認ですが、庶民的な定食・食堂にも多くありますが、由来がわかりません。「丸見屋食堂 銀座大東京うまいもの食べある記1933年」「まるけん食堂 吉祥寺 1960年」「丸長食堂(ラーメン店とは関係がない) 1971年 高円寺」「丸惣 新木場 19998年頃」「丸富食堂 新橋 2013年」
ほかに写真の老舗蕎麦屋「丸花 浅草 1887年」
今風の居酒屋「マルキュー 永田町 2009年」と〇に道のホルモン「まるみち(父親のラーメン店「道楽」の一字を採っている?) 五反田 2007年」の姉妹店ビストロ「marumiche(マルミチェ) 五反田 2011年」。
「マルキュー」はオーナーの名の久の字を付けているのですが、カタカナにしたのは女子の渋谷マルキュー(商業ビル109)オヤジの永田マルキューだそうです。「marumiche(マルミチェ)」は女子向きホルモンヌのイタリアン風に呼んでいるパターンでしょう。
付いて〇(写真目黒勝丸)
丸は幼児の名、船や刀の銘柄、ペットの名前など子供やペット、自分の所有する船など、大切なもの愛しいものに付けています。
江戸庶民に身近だったのは丸薬。多くの薬剤は丸く造り、最後に丸(ガン)を付けていました。今も『正露丸』に使われていますね。中国語の丸は今もころころした小さい球のの意味。
源義経の幼名牛若丸、信長の小姓蘭丸の店名もあります。最初和食、今は舶来料理「蘭丸亭(くらもちふさこ氏の漫画から) 高円寺 開店年不明」ラーメン店「影丸(漫画忍者影丸?) 銀座 1999年」
焼肉「獅子丸(440とも表記ーテレビの『快傑獅子丸(ライオンマル)』?) 中目黒 2006年」定食「ししまる食堂 押上 2010年」
和食「ヒノマル(言わず知れた日章旗の呼称、室町時代から使われていた) 新橋 2008年」室町の歴史上の人物「茶々丸 代官山 1996年」伝説の平安時代歌人名「猿丸 渋谷 1998年」
食べログでは「餃子や獅丸(シシマル) 中野 2016年」うどんのビジネス系「鶴丸饂飩本舗 大阪市 1996年1号店」。鶴丸はネットでは平安時代から歴史上の有名人に引き継がれてきた銘剣の名として載っています。
上の写真は「勝丸 目黒 1971年」ラーメン店、同じ目黒なので「田丸」で修行かと考えたら、違いました。屋台で初めて、後に目黒に落ち着き、自分の名の勝の字が好きなのと丸は牛若丸の丸とネットにあります。
本丸(西新橋)
お城のエリアを表す本丸、西の丸、北の丸も形からの丸。東京の丸の内は江戸城の堀の内側が語源。大名・武士の屋敷ではこれらがあります。
鰻卸屋「ての字西新橋本丸」経営「本丸 西新橋 1827年」は徳川家二の丸御用商人。"て"は名前の鉄五郎のての字。他は居酒屋「ほんまる 月島 2009年」新しいスデーキ店「本丸 中野区白鷺 2019年」
今の状況は食材に多く、〇△屋の屋の変化形で「海老〇」「軍鶏丸」「にくまる」「肉〇」「牛〇」「鶏丸」「魚丸」など付くことが多数です。
ちょっと変わった饅頭のカフェ「ムギマル2(mugimaru2ー小麦の麦?) 神楽坂 根津から移転2004年」。ピッツア「窯MARU 日暮里 2015年」は目立つ赤い丸い石窯があります。
三崎丸(広尾)
魚系の料理店、鮨屋は漁船と港ののイメージ。八丈島料理の「ゆうきまる 銀座 2008年、本店1983年、東京市ヶ谷が最初」、オーナーの名前と船の友喜丸から、勇気をもってゆうきまる(HPから)。
「三崎丸(三浦半島の三崎港直送の食材を使う) 新小岩 2001年1号店」。「すし銚子丸 浦安 1987年1号店、2001年江戸川区」は銚子港の新鮮な魚介類を売りにしています。同じく「第三新生丸 下北沢 2013年」
居酒屋「たかまる(会社名鷹丸ー家紋の鷹の羽を掲げています。) 西新宿 2009年」(再掲)。"屋"の代わりの「第八たから丸(末広がりの八、人に似ていることからお客のことで宝) 亀有 2012年」
ダイニング全盛時代の創作和食系に多かった丸付き。「吟丸 銀座 1996年」炭焼き「炭丸 六本木 2000年」ダイニング「膳丸 渋谷 1987年」「TAKEMARU 銀座 2002年」
ラーメン店は囲んだ丸も多いけど丸付きも多いです。「丸源(創業者の一字を丸で囲む) 三河安城1号店2001年」「伝丸 渋谷 2002年」はビジネス系、他に「狐狸丸(コリマルー住宅街のキツネやタヌキが居そうな場所の意味) 西蒲田 2017年」。
由来は不明が多いのですが、一店同じブログからの情報が拡散の様子ですが、上記でも出てきたラーメン店「田丸 目黒 1945年」は最初の店主苗字、吉田さんを吉はヨシー、〇なので丸に読み替えたそうです。
丸八(大井町)
とんかつ屋で数字が入る店多数あります。写真「丸八 大井町 1955年」をはじめ「丸一 代々木 1958年」「丸一 大森 1964年」。大森の「丸一」はとんかつ業界で全国に大きな系列になっているとネットにあります。「かつ吉」系は〇囲みの五、「丸五 神保町 1975年」が有名店。
ラーメン屋ももちろんあります。「まるいち 荒木町 1977年」食べログから「丸八製麺所 武蔵野市 1958年」「麺や丸三 大久保 2020年」
ほかに丸は図形の〇を使う新しいタイプもラーメンチェーン「由〇(ヨシマルー由はオーナーの名前一字)製麺所 1996年1号店」「〇八 新蒲田 2011年」「〇心厨房 木場 2006年」は心を〇で囲む、〇心とする二つの看板並列。ビジネス系ダイヤモンドダイニング経営の焼鳥屋「〇金 八重洲 2011年、他3店舗」居酒屋「〇魚(マルットー魚を丸ごと食するコンセプト) 門前仲町 2018年)」。
新宿を中心にワルツが展開しているワインバー「MARUGO(マルゴーー由来は不明、綴りは違いますが、ワインの女王フランスのシャトーマルゴーから?) 新宿三丁目 2006年1号店」は展開する「〇5(マルゴ)」、「〇五(マルゴ)」の店名もあります。親しみやすいように〇と5を当て字をしたように思えます。
ただの〇(両国ぼうず志ゃも)
丸は印、良いもの、試験の答えが合っているものに書き込みます。花丸、二重丸 音楽チャート等『赤丸上昇中』の赤丸もあります。
以前取り上げた写真の「ぼうずしゃも)」はあだ名、通名を名乗る前の店名は「丸屋」でした。江戸時代には食べ物屋以外にも割と多くある店名でしたが、由来が不明です。
古いガイドに載っている牡蛎料理「丸家 浅草 1879年」喫茶店「カフェまるや 新宿 大東京うまいもの食べある記1935年掲載」
今東京にあるのは古いのは蕎麦屋の「丸屋」なんですが、どこが本家、元祖か不明です。更科が頭に付く店もあり、信州からなのかもわかりません。以前『流行ー○、まる、マル』で『蕎麦全書 1751年』に「丸屋 横山町二丁目(現在の日本橋横山町)」が載っているのはアップしました。
ガイドでは「丸屋 浅草仲店(仲見世?) 大東京うまいもの食べある記1933年掲載」。現存店「丸屋 世田谷区喜多見 1964年」が一番古く、此処はブログでは愛宕山の「丸屋」で修行。食べログに20店、全国は30店弱なので、東京発祥の蕎麦の店名なのでしょうか。
マル(八丁堀)
食べログで古いのは洋食「ニューマルヤ 日暮里 1941年」ニューと付いていますから、「マルヤ」としてはもっと古いのでしょうか。
「まるや 神泉 1970年代」はイワシ料理専門店、由来はわからないのですが、住所は円山町なので地名からでしょうか?
写真のバル「maru(マル) 八丁堀 2003年」(再掲)は父親が始めた酒屋の角打ちを2階(今は3階も)にバルをオープン。まるはその時からの呼び名。丸を〇で囲んで、仕事や人間関係のわずらわしさを肩を寄せ合い誰もかも丸く飲みましょう、そんな意味と息子さんが語っていました。
今は多いのはとんかつ「まるや 新橋 2005年、2006年設立会社」13店舗、こちらも不明。
全国での丸屋、丸家の屋号は老舗八丁味噌屋「まるや八丁味噌 愛知県岡崎市 1337年」、新潟県和菓子店「丸屋本店 1878年」がネットで見つけた老舗。特に八丁味噌の太田弥治右エ門の名の"や"をまるで囲んだ「まるや」と向かいの1645年から早川新六郎勝久の"久"を角(四角)で囲んだカクキューが八丁村で手を携えて頑張っています。
ニジュウマル(麴町)
鮨店には潔く墨字で〇のみの「鮨丸 新宿 1996年」「まる 世田谷区代田 2010年」イタリアンと鮨店「〇 銀座 2018年」。
江戸の鮨番付には「蛇の目鮨」(『歌舞伎からの家紋名系』『にびき掲載』)が黒の太い丸が描かれていました。それの流れが少し感じられます。
蛇の目は元は武士の弓の予備の弦巻きの形が蛇の目に見えたので、そう呼ばれるように。蛇の目が邪気を払う神通力があると家紋として使われています。
蛇の目には数種類の〇があってお酒のお猪口の底に描かれている青の二重丸も蛇の目の呼び名。太い線の「食味所Maru(マル) 吉祥寺 1986年」、写真居酒屋「にじゅうまる 麹町 2003年」の提灯、看板は蛇の目に似ています。
こちらの2店は勢いのある墨字の〇、苗字の一字(代表丸満氏)を付けているのは海鮮居酒屋「MARU(マル) 錦糸町 1993年」と居酒屋「〇(マル) 經堂 2012年」
経堂の店はHPに4項目の由来を載せています。要約しても長いのですが、『角がなくかけることなく、穏やかで調和し、縁に通ずる繋がり、0に通じ何も無い可能性』。おおよそ丸の由来がまとまっているように思います。
食材でまると呼ばれるのは関西の呼び名スッポン、鶏。「まるや 日本橋区上槇町 1918年」「まる一 銀座 2017年」以前コラムでアップの
「GOJAMARU(ゴジャマル)」のマルは鶏とGOODの二つの意味。
魚と鶏白湯ラーメン店「麺屋まる 新馬場町 2012年」はまるの平仮名と鶏のシルエットをさらに勢いのある手書き風〇で囲んでいます。
その他のまるまる(成城まるまーる)
丸の漢字の当て字は少なく(ほとんど満留のみ)、同様に洋食系もローマ字です。居酒屋「MARU 渋谷」ハンバーグダイナー「Hamburg diner maru 大井町」居酒屋「Maru 吉祥寺 1986年」。このパターンが一番人気で居酒屋からカフェ、焼き肉、レイトランまで幅広く付いています。図形がその代わりをしています、〇、●、◎、゜。などありますが、大手居酒屋がほとんどです。「はなまる 2000年1号店」「赤丸 2014年1号店」「NIJYU-MARU 平塚市 2003年1号店」「くろ〇 2003年1号店」
バリエーションは平仮名やローマ字でを重ねてまるまる、まんまる、まるまーるとするのが多いです。
鰻卸鯉平経営の鰻屋「まんまる 池袋 1999年、新橋2017年」はちょっとシビアな業界話、『生産者と鰻屋の仲が悪い業界内で卸問屋の当社が中に入ってまん丸に川上も川下もまん丸になってほしい願いを込めて』の店名(会社のHP)
ラーメン店「まんまる 葛飾区四つ木 2002年」は看板は萬の字を〇囲み、HPでは『味もまんまる・気持ちもまんまる』となっています。
月のイメージの満の字の〇囲みも多いですが、大阪の串揚げ「満まる 大阪市 2010年、蒲田2014年」はすべて満たされて幸を表す満に由来がありまるは言葉の続きで付いたような感じです。関わる全ての人に幸を感じてもらえる店を目指しています。
ほかは由来が不明ですが、写真の洋食「まるまーる 成城」新しいカフェ「mammal(マンマル) 世田谷区世田谷 2019年」
海の向こうの丸
音がマル、海の意味のはスペイン語(mar)ですが、イタリアンにも付けています。ただ『mal』の綴りもありますが、良い意味ではなく「maI de amor(マルデアモール)」は恋の病で大丈夫ですが、元は悪、不良、不の英語の意味。
サークル、セルクル、チェルキオ、シルクロなどの多くはない外国語の丸・丸いの意味ではなく、ほとんどは輪、円の意味で付けています。
サークルは日本では趣味の会のような集まり、外国では円卓のラウンドテーブルに当たる言葉、シルクロはサークルと同様にサーカスの語源になっています。以前アップ(『みんなが集まる場』)の「Trattoria il circolo(トラットリアイルチルコロ) 代官山 2011年」は円、皆の集まるサークル、輪の意味としてる「チェルキオ 中目黒 2007年」、両店ともに閉店しているので写真は由来は不明の「チェルキオ 西荻窪 2015年」
由来がフレンチは東京ではなく「cercle(セルクル) 大阪市 2011年」があります。お菓子に使う調理器具丸い輪のこと。人と人の円を描くこと。東京はケーキ店「セルクル 西馬込 2012年」「カフェセルクル 木場」もあり、全国でもそこそこの店数。
英語ラウンド、仏語ロン、伊語ロトンド等の形容詞は少ないです。苗字の丸からの「ブラチェリーアロトンド 広尾 2013年」
ほかの形(浅草三角)
実は大きなタイトルは『形』の予定が、丸以外はとても少なくて成り立たず、こちら小項目で上げてみます。
日本語の形の形容詞には丸いと四角いはありますが、それ以外はありません。店名としては極小の三角と四角、少ないながら三角の方が多いです。
世界では神話的、宗教的にも三角は重要な形として扱っています。、
西洋では12世紀頃の騎士の紋章をつけた旗が三角形、軍艦の旗にも使われています。今はスポーツイベントやバーティで飾られているガーランドという三角連続旗でお馴染み。
三角は立体としては壊れにくく丈夫だと思ったのですが、三角関係、目を三角に・・等。形としては先端の尖った危ないイメージで好まれていません。
鋭く目立つ、呪術的力、蛇の鱗の邪気を払う。死者の額に四角を織った四半(三角頭巾)を付けて死後も守ってもらう役割です。
歌舞伎『忠臣蔵』で志士たちが着ただんだら模様と呼ばれる三角の山形模様の羽織、新選組も初期に羽織っていました。守護と死を覚悟する意味合いがあったそう。
三角はおにぎりの形のひとつ、山の神にささげる山の形から古墳時代からの形とか。会社名にもあるミツウロコの文様が先に受け入れられたようです。大蛇や龍の鱗、そこから生まれた家紋は鎌倉時代の北条氏の家紋で有名なのですが、それ以上は広がらなかったようです。
店名の古いのは東京ではただ一店、フグ店「三角 浅草 1902年」、由来は解らないのですが。苗字三角?(ミスミ)、縁起良い三の数字?と角地にあるから?。
あとは他にラーメン店「さんかく 目白 1947年、1999年に火事で新宿から移転」こちらも由来はわかりませんが、こだわりを感じる△を看板や室内に掲げています。『時代に迎合しないかざらない味』と表示、お客の意見もある尖った店なのでしょう。
後、文房具の「赤い三角定規 代々木 1978年」は三角を多用した喫茶店。1971年に青い三角定規というフォークグループがデビューしてテレビの青春物の主題歌を歌っていましたので、その流れかも。
洋系は喫茶店「トライアングル 四ツ谷 1976年」建物が角ばっていた、由来不明フレンチ写真の「味館トライアングル 麹町 1984年」、新しいカフェ「トライアングル 二子玉川 2019年」はおそらく三業種がコラボしたカフェだからでしょう。
超有名焼肉店「六花界」が経営していた、今は閉店の「TRYLIUM(トライリウム) 東麻布 2018年」は三角にこだわった店名。この会社は花と数が入る店名で命名するそうですが、三つの『エデュケーション・エクスペリエンス・テクノロジー』花(LIUM)が咲くコンセプト。カウンターは三角設計、外に見える東京タワーのトラス構造の三角多用の姿も命名の理由。
四角は死角と聞こえることもあり、同形の家紋に桝・升紋・目結紋(メユイモンー鹿の子染めから発展した家紋)があり、こちらの方が中心です。
最近オープンのホテル内割烹「SHIKAKU(シカク) 南青山 2020年」四角がテーマでカウンターも四角だそうです。
全国に形がセットになった「まるさんかくしかく」は意外とあり驚き。江戸時代の禅僧が禅の成り立ちを説明にマルサンカクシカクでしています、「まるさんかく」図形の「〇△□」、写真はおでん屋、おでんの具のかたちからの「まるさんかくしかく 浅草橋」
以前書いた鮨屋「〇×(マルバツ) 神泉 2011年」は外国人にもわかりやすい店名を、で付けたのですが、今2020年に「〇△(マルサンカク)」に変更していました。
ピークスピーク(日本橋) 追加2022.6.25
英語tiptopティップトップ、山の頂点の意味で最高峰、ティップは先、先端の尖った意味。
同じ山の三角で英語のpeakピーク、山本山のカフェ「PEAK S PEAK CAFE(ピークスピークカフェ) 日本橋 2018年」「スリーピークスカフェ 神保町 2017年」はロゴは三つの△マーク「Golden Peaks(ゴールデンピークス)」は原産地ニュージーランドの大自然の山々をイメートージしたブランド名だそうです。
単純に頂点の意味の「PEAK(ピーク) 池袋 2018年」は「COFFEE VALLEY(コーヒーバレーー谷あいの意味) 池袋 2014年」の更に厳選グレードの高いコーヒー豆を集めたスペシャリティコーヒー専門店。
日本語は『頂』でこの店名もありますが、英語にはほかにtopとsummitがありますが、三角の尖った山頂の意味はpeakピークだけです。
海近くの川が山の土を運びできる三角州。日本語はないけど洋系のデルタがつけている店名があります。
尖った形から(トンガコーヒー) 追加2022.6.25
童謡『とんがりやまのたぬきさん・・・』にように山も尖った三角のイメージ、北アルプスの槍ヶ岳は見た通りの尖った山頂の形からです。『稜』の字リョウ カドと読む漢字は稜線、山稜。有名なのは函館市の五稜郭です。明治時代の開拓団のシンボルマーク、北辰、北極星からのデザイン。本文の角を調べていてこの字に気が付きました。
五稜郭以外多くはないのですが、尖ったイメージの蕎麦の実から開店年不明「三稜 尾山台」「稜花(花の形の先がとがった角のある器の意味あるそう) 四谷三丁目」。
定食屋「山角(サンカク) 下北沢 2011年」は地図をみると山の頂点の三角の場所にありますね。最初は3人の共同経営だったそうで三人の意味もあったのかと思います。
写真は同じく尖った三角地にあるカフェ「Tonga coffee(トンガコーヒー) 代々木 2009年」、由来はもちろん角度22度の尖った角のみせだから。
英語のedgeエッジにもイメージ的な尖った意味がありますが、残念ながら確認できた店名は見つけられません。
花菱(渋谷)
昔からあるのは菱、ひし形です。食用になる菱の実の形から。平安時代の唐文様からでてきた花菱紋を含め公家の世界の有職文様(衣装や調度品に付けていた儀式ごとの決まりのある優美な文様)として愛用さいます。
家紋のバリエーションとして花や同形重ね、亀の甲羅、巴、丸と同様字も囲んでこちらも重用しています。
家紋として有名なのは四つの菱の割菱紋の武田菱、お酒の銘柄名「剣菱(1502年~、現在は会社名)」、現在最大なのには三菱グループの三菱、スリーダイヤとも呼ばれる社紋。
花菱の店名が一番多く、家紋の情報には江戸時代の商人に多く広まった紋になっています。歌人斎藤茂吉が愛したとある鰻屋「花菱 渋谷 1924年」は看板に花菱の紋がありますが、由来は不明。純和食の料亭に使われ、1971年電話帳には花びし、花菱で10店舗、喫茶店もありました。
全国では老舗は「菱岩 京都市 1830年」、江戸時代から他の業種では「菱屋」も多いですが、賀字との組み合わせ「福菱」「菱富」「華菱」ほか。
古い形ですからも苗字もありアジアン料理「ヒシモ下北沢 2011年」は苗字菱と下北沢の下の組み合わせだそうです。
食べ物系では蕎麦の実の型からの「玄菱(ゲンリョウ) 神楽坂 1999年頃」
五角・六角形・八角もは少ない傾向。六角は亀甲の形は古く奈良時代から文様としてありました。ここから、亀甲紋が作られました。
一番有名なのが出雲大社の二重亀甲に剣花菱の神紋です。
醤油で有名なキッコーマンは香取神社の亀甲紋と創業者の名の萬の字の組み合わせのロゴと社名です。
串揚げ和食「六角亭 代官山 1985年」以外は今食べログ上の「六角」がつく店名には三つの亀甲を並べた三盛亀甲紋を掲げています。
六の形の雪の結晶から異称の六花(リッカ)、北海道では有名なお土産店「六花亭製菓 帯広市 1977年」はこちらが由。、西洋では蜂の巣が六角としています。
全国では京都の地名六角、横浜の家系ラーメン地名からの「六角亭」があるのでそこそこあります。
日本は八角が寺院のお堂にもあり、神聖視していますが、八角ではすくないです。ペンタゴン、ヘキサゴン、オクタゴンの外国語もさらに少ないです。
スパイラルビル(表参道)
日本では文様の渦巻き、縄文式土器にも飾られた文様です。西洋やアジアでは形の螺旋形、スパイラル。世界中の螺旋を取り上げた各種イメージ事典の中で渦も螺旋も同じ形としています。
始めと終わり、上と下、上昇と下降が同じ形の中にあり、古代遺跡等に表されています。現代的にも宇宙の銀河を含めた星雲の形、生命科学では遺伝の二重螺旋と最先端を走っています。
注目されだしたのは1985年に表参道にできたスパイラルビル(写真)、生活とアートの融合のコンセプトで、らせん状に上昇していくイメージ、ビル内にはもちろん「スパイラルカフェ」もあります。
以後多くはないですが、この店名も出てきています。イタリアン「Spiral Kichen(スパイラルキッチン) 渋谷 2012年」「麻布Lasen (室内に螺旋階段があるので、それを店名に) 元麻布 2017年」。
写真は父親の「西洋食堂らせん屋 下井草 1994年」の2階へ上る螺旋階段由来の店名を息子がオープンの「らせん堂 阿佐ヶ谷 2017年」。
ビジネス系オイスターバー『止まることがないイメージからの期待を込めて』の「スパイラル 円山町 2013年」。既に閉店していますが、鈴木光司氏の小説から「カフェらせん 三田 1999年」
渦はネットではちょっと食べ物屋とは外れるライブハウス「UZU CAFE 福生 1975年」、由来がHPに載っていたので参考に。『集う音楽家の小さな輪がやがて大きな渦になるように』
渦巻き模様は中華では雷紋、器に印刷している馴染みのある文様。永遠のパワーをイメージする柄とか。中華「うずまき 赤坂 2007年」は漢字の重量系のなか軽めの店名。
テレビ出演の多いラーメン店「雷文 町田市 1991年」もありますが、由来が上の「UZU CAFE」に似ているのが新しい「和渦(ワカ) 2016年 北品川、大井町より移転」、店のポスターに『小さな渦はやがて大きな渦になる』、東京中華そばのニュースタイルを広げたい想いの店名。
他には由来の不明なダイニングバー「ウずマキ 西中延 2005年」居酒屋「あかうず 赤坂 2019年」、UZUグループが墨田区中心に展開のワインバー「UZU本店 錦糸町 2012年」「うず食堂 墨田区文花 2019年」「burger house UZU 曳舟 2014年」
新人の写真「珈琲屋うず 世田谷区大原 2018年」、これもとても長い濃い想いの由来がHPに・・・、最後の文だけ『世界の隅っこで珈琲を飲みながら渦の隅っこを思う』
結論、日本人は丸が何よりも大好き、それは変わりなく、角の立たない丸く収めるのが民族的特質。丸いが語源の味覚も『まろやかな味』がよく使われていますね。
頑丈な自然の中にはあまりない三角よりも、力を入れるとつぶれそうな、か弱い植物のカタチノ菱型に魔除け、厄除けを祈願する、日本人好みだったのが、食べログには三角、さんかく、SANKAKUが増えています。少しとんがった個性が愛され始めているのでしょうか。
参考資料
⦿日本文化のかたち百科 丸善
⦿にほんのかたちをよむ事典 工作舎 2011
⦿日・中・英言語文化事典 マクミランランゲージハウス 2000
⦿日本文化の基本形〇△□ 篠田知和基 勉誠出版 2007
⦿かたちの謎解き物語 宮崎興二 影国社 2006