洋食・各国料理ー海の向うから
外国から来た食べ物の情報は長崎から少しづつ入り、それに関わった人物のレストランが江戸末期(1860年代)から長崎で開店していた。料理はオランダ料理だったようです。
洋食屋
長崎には安政年間に外国人用として先得楼、迎陽亭、福屋、吉田屋が兼業では占めたそうです。文久年間に開港した函館や横浜ではパン屋や牛鍋屋、長崎から来た「開陽亭(または崎陽亭)」を開業。
政府と財界が支援して開店した1872年の精養軒辺りから多くなる。これらの店はもちろん、庶民には縁のない高級なコース料理が中心でした。
単なる日本の和食と海の向こうの洋食から、日本人の好みに合うように工夫した洋食屋としての1900年代にはいってご飯のおかずとして一品料理として、コロッケ、カツレツ、カレーライスが姿を現しました。
庶民派洋食店1924年の須田町食堂(秋葉原に復活『心のなかのもの』掲載)を皮切りに、小春軒や福壽軒のような日本的な店名が出で来る。1910年代の後半になるとカフェが出現していたが、震災後女給中心から料理中心に変えてきて、店名はカフェの影響もあって、カタカナ名のヨーロッパ軒、キフェブラジルと西洋料理店名らしくなってくる。
フランス料理という看板を掲げる店も現れるが、中味はホテルは外国に修行にいったコック、料理人がいるとこるは別として、洋食と同じものでした。
戦後になり、一品からの町の洋食屋から、洋食のコースはハレの日のご馳走として、専門西洋料理店としてロシア料理、ドイツ料理、イタリア料理、正餐としてのフランス料理が分化していきます。
これらはガイド本では1960年代前半では西洋料理に1960年後半から洋食の業態の区分が出てきました。洋食の区分が出てくる1960年代までは伊仏西洋料理店も含めてここでは扱います。
ちなみに『東京いい店うまい店 文藝春秋1967年』は洋食5店、『東京うまい店 柴田書店1969年』には洋食の店14店、細かく見ると7店がホントの洋食店、後はステーキ店等。ついでに西洋料理の店の欄に載せていたのはフランス料理とホテルのレストラン。
これ以降に外食元年のとされ、ライバルの欧風スタイルで洋食メニュー、ファミリーレストラン続々開店、アメリカ発なので英語の「スカイラーク 1970年1号店」「ロイヤル フレンチ1953、1971年ロイヤルホスト1号店」「デニーズ 1974年」「ジョナサン 1980年」
造語系
何も歴史がない食べ物屋であったたから、店名で強調するのは西洋と文明開化の新しさ。
外国人接遇用としての「精養軒」でさえ西洋の字替えの転換。同様に「青陽楼 京橋 1882年、支店もあった」、「養遊軒 神田錦町 1976年」、「開盛楼 本郷 1884年」
新しさのイメージの「清新軒 京橋 1879年」、千新軒、「青真亭 日本橋 1882年」「新撰亭 四ツ谷 1903年」、他の快々亭、陽揮亭。
戦争勝利の気分の日進軒、日進亭、「万勝軒 芝 1883年」、「日勝亭 日本橋蛎殻町 1925年」「好成軒 日本橋室町 1919年」横浜は海陽亭、西洋亭、開化亭が当初の店名。が盛衰が激しく30年位で地名に座を譲っていきました。
地名系
造語系が一段落ついた時(1880年代以降)、「富士見軒 麴町区富士見 1876年」「吾妻亭 小網町 1879年」「富士見亭 本郷 1881年」、「三縁亭(増上寺近く、寺の山号三縁山) 芝公園 1887年」「三橋亭(サンキョウテイ) 上野三橋町 1904年」、「有楽軒 新橋 『東京飲食店独案内1890』掲載」、「紀尾井町亭 紀尾井町 1884年」「麻布軒 麻布 1889年」「泰明軒 銀座 1904年」。
明治屋が関わった「中央亭」も。 現在はちょっと変わってしまったのは「烏亭 芝烏森 1908年」は社紋が烏の烏森神社の地名ですが、修行した方のひらがなの「からす亭 赤坂 1931年」は移転して麹町「からす亭」のHPは熊野神社の社紋三本足のヤタガラスが由来になっています。縁起が良いサッカーの守り神(勝利に導く神様として1987年日本チームのシンホルマーク)で今風です。
出身地も少なくはなっていましたが、戦前までは店数が67店と多かった「気賀亭 浅草 1918年」は出身地静岡県浜松市の地名です。十円カレーで今も現役の「松本楼」は創業者出身地。
現在いろいろ展開している「三笠会館(創業者出身地奈良、三笠山) 銀座 1925年、最初食堂三笠、三笠グリル」今は洋食の定番メニューにもなっている中華の唐揚げから発想の鶏唐揚げ発祥店。2007年に「銀座洋食三笠会館 池袋1号店」を展開開始。
既に閉店していますが「大坂屋 浅草 1913-2010年」「浪花亭 新宿 『東京市商工名鑑1933』掲載、未確認ですが門前仲町に移転?」。
そしてもちろん、洋系の「米国亭 神田 1889年」、「欧米亭」、造語が入っている「東陽軒 麴町 1886年」「精養軒」と並ぶとされた多くの有名料理人を育てた「東洋軒 三田 1906年(コラム再掲)」もある。
戦後は洋食・西洋料理イコール外国の流れで外国の地名と場所名を多くつけていきました。有名店は「グリル銀座スイス」、写真は洋食店らしかった「バー&グリル 銀座スイス 築地店 既に閉店」以前は「キッチンスイス」。
少し変わった由来は「せいとう 日本橋 1947年」、最初日常品の青島商店、珈琲店「せいとう」。かつて住んでいた青島(チンタオ)を日本語漢字の音読みした店名、戦中に離れ離れになった知り合いに合えるようにと願って。(お店HP)
外国の地名は90年代当りから店数は少ないですが「バルセロナ 西五反田 1995年」「レストランベルラン(ドイツベルリン市) 永田町 1998年」、2000年代は激減していきました。
現在は東京の地名のブランド化も進み、ビジネス系統ゼットンが経営している神南軒、チェーン店の浅草軒、東京洋食店神田グリル(本店は本厚木)、東京厨房モダン食堂、「tsukiji kitchen(ツキジキッチン) 築地 2004年」、「66(ロクロク)ダイニング(六本六丁目食堂)」他に「麻布笄軒(アザブコウガイケンー麻布の旧地名) 西麻布 2015年、中目黒2020年」 ★TOP頁へ(洋食のTOP頁)★ ☆フランス料理店のTOP頁へ☆ ☆イタリア料理店のTOP頁へ☆
賀字系
地名がでそろった後、造語系と同列ではあるがその後ろに伝統的な吉祥の願いがあるこの名づけ方出でくる。「寶亭 麴町 1870年」、「相生亭 京橋 1875年」「長栄亭 芝 1889年」「多加羅亭 淡路町 『東京名物誌1901』掲載」(『宝亭(御徒町)』)、「巴亭 日本橋通4 1887年」「三楽軒 京橋 1887年」「三福亭 馬喰町 1895年」「芳梅亭 日本橋 1889年」「来福亭 人形町 1904年」、「だるま 新宿 1922年」和洋折衷の料亭料理としても出されるようになってくる。由来がはっきりしている「一新亭」も同じ頃。「梅香亭 赤坂 1910年」。
戦後は少なく「芳松 渋谷 1958年、1997年以前に閉店」名前の当て字「吉む良(ヨシムラ) 新橋 『食べ歩き地図1975』掲載」「七福(清澄白河)」「大吉 柳橋 1970年」「喜楽亭(再掲)」。和名月弥生3月の生物芽吹く意味『いやおい』からの復活した「彌生軒 日本橋 1886年」からのファミリーレストラン「やよい軒 四ツ谷 2004年1号店」
名前系
地名と名前を組み合わせたものは日本料理店と同様にあったと思うが、資料からは不明。はっきりしてるのは1905年開店の小川軒。現在の汐留あたりに小川鉄五郎が始めていました。今は代官山、ケーキ専門「巴裡 小川軒 新橋」、2代目の三男の方の「御茶ノ水小川軒 1993年」、代官山から独立した「鎌倉小川軒 1988年」があります。
カツカレーの元祖のひとつの店として屋台洋食から始めた「河金(創業者河野金太郎) 浅草 1918年(再掲)」、今は「とんかつ河金」。
1912年の小春軒、ご主人と奥さんの名前の組み合わせ。1925年の香味屋、最初は造語かとみていましたが、森まゆみさんの本から、電気ブランで有名な神谷バーから。どうやら店主の恩人とのこと。
姓名だけではアピール度が低いので頭や尻尾に頼ることが多いようです。「グリルタカセ 池袋 1921年」「レストランヤマガタ(初代山形祐吉氏) 銀座 1924年」「レストラン早川 東銀座 1936年」ほか。少し長め「にっぽんの洋食 津々井 赤坂 1950年」「西洋料理RESTARANT七條 小川町 1976年」
このようにぱらぱらと点在しているが、メインの流れではないけど、下記の様に料理名やいろいろな頭を付けて洋食らしさを出しています。
料理名系
1935年のガイド本に載っているカフェとんかつ、とんかつの家、都とんかつ等。今も有名なとんきは1939年開店、豚喜のひらがな表示でしょうか。(『とんかつ』参照)。
写真「かつれつ四谷たけだ」は料理名、地名、苗字と三つ付いていますが、かつれつがが一番字が大きい看板。
「キッチンカロリー 神保町 1953年、周辺に6店舗」は食糧不足の時にカロリー、高栄養のを食べてほしいそう。他も同様でしょう、「カロリー 四ツ谷 『東京いい店うまい店1967』掲載」「カロリーハウス 府中市 1978年」。
自慢の三品の「三品食堂 早稲田 1965年」「さんぴん 大手町 『東京食べあるき地図1975』掲載」最初の店はカレー、とんかつ、牛丼、2番目カレー、シチュー、コロッケでした。
反対にいろいろあるバリエーション変化の富む意味「バリエ 下北沢 1978年」。
その後1970年代にファミリーレストランが大挙してやってきて、洋食の特徴出すの困難になったとき、料理、材料名が多く登場します。「胡椒亭(『【再び最初の香の胡椒へ】』掲載)」、ステーキのドン、すうぷ屋、どみぐら亭、パエリ屋等の材料・料理名を店名とする傾向が現れる。(『最強の店名か? 料理名ほか変幻版』に『洋食』掲載)
オムレツなどは「たまご屋さん 銀座 1992年」、「ロムレット」、ステーキは「ペッパーランチ 大船 1994年1号店」、2回上げている「いきなりステーキ」などチェーン化するものもある。 ★TOP頁(洋食のTOP頁)★ ☆フランス料理店のTOP頁へ☆ ☆イタリア料理店のTOP頁へ☆
ノスタルジーとイメージ系
ひとつの例としても明治35年に鳥鍋の料亭として開店し、大正6年カフェ菊屋、中華、ステーキとフランス料理と業種を変え、1986年の洋食の黒船亭となる。江戸の開国を促した黒船からの店名である。
「西桜亭(セイオウテイ) 銀座 1997年」、多分西欧からで桜に変えたのは現代的。「新橋モダン食堂 新橋 ガイド本1998掲載」「はいから亭 上野 ガイド本1998掲載」。
先に書いたように窯をイメージする店名に移行しましたが、つい最近カレーシチュー「brick(ブリックー英語れんが) 恵比寿 2021年」も外観は赤煉瓦です。
他には「和蘭屋敷 新宿 『東京食べ歩きの絵本1978』掲載」、船のキャビンの雰囲気の「難破船 赤坂 1989年」「快簇船(カイゾクセン) 白金 2008年」 厨房器具も多くあります。フランス料理の丸型小型陶器製鍋「ココット 板橋本町 1974年」「STICK & SPOON(スティックアンドスプーン) 上野 1999年」「ひふみ銀皿食堂 吉祥寺 2001年」「スプーン 目黒不動前 2004年頃」「小さなフライパン 品川区荏原 1992年頃」「フライパン 九品仏 2014年」。
最先端のレストランシェフも「パーラー大箸 渋谷 2019年」ホカホカの白ご飯といっしょに"お箸"で食べる店。
変わらない料理・店名、変えていく店名
洋食店は長く続くようですが、最初から同じ業態ではないこともあります。上に上げた「黒船亭」のように時代にあわせた結果洋食店になったように。
上の「かつれつ四谷たけだ」は喫茶店のようなクラシックの曲名からの「洋食エリーゼ 1970-2011」、失敗したら喫茶店に衣替えする心づもりで付けたそう、その時代はオムライスが人気、よく紹介記事になっていました。
「胡椒亭」は今は「南蛮銀圓亭 銀座 2006年」に改名で英文学者吉田健一氏のエッセイから1995年圓の字を付け銀座で穏やかにの願いで。紆余曲折2006年に舶来、アメリカ・欧州文化の意味の南蛮を追加
『cafe』の項目アップのミルクホールからの変わらない「桃乳舎」「高田牧舎」。中華から最近かわった「福昇亭 浅草 2014年、戦後直ぐ開店」、反対に洋食から、喫茶店へは「紅鹿舎 日比谷 1957年」。ジビエの鹿が漢方で使用の身体によいものなのでそこに華やかさの色の紅色をつけて命名、推測ですが鹿肉は紅葉の別称があるのでそのイメージも付いていると思います。
両店とも苗字ですがレストラン「サカキ 京橋 1951年」は4代目がフレンチ修行、2003年からランチが純洋食メニュー、ディナーがフレンチ。昭和のガイド本に多く載っていた喫茶店のとして「民芸茶房すずや(鈴木喜一郎氏創業) 新宿 1954年」は「レストランすずや 1966年」今は1991年からとんかつ専門店。
高級化したのは「バンビ 吉祥寺 1961年(『童話の世界の住人達』)」から仏語の「シャポールージュ(再掲) 1990-2017年」はお店に飾られた藤田画伯の画題『赤い帽子の少女』からで絵を眺めながらの楽しめるレストラン。
店名の後ろと頭と
西洋料理屋は何々屋ではなく、何々軒が多いです。洋食として日本の食としてなじんくると、軒は和食も洋食もつかわれ、店名では判別がつかないため、店名に元は調理法直火で焼く意味で洋食を現すグリル○○が大正初期から出てくる。
戦後はグリルミカサ(現三笠会館)、銀座グリル、文明堂グリル、山の上グリル、「グリル・シャトー(再掲)」、「グリルF(『一文字』掲載)」等高級な感じの雰囲気の店が多いです。 1919年に創業の「三好弥」は以前書いたように暖簾分け店が多く頭をグリルやレストラン、洋食屋の頭や尻尾に、食材で大きくとんかつと表示も多いです。写真は「グリル三好弥 池尻」
「アリゾナキッチン」、キッチンライオン、フジキッチンは庶民的、池袋の有名店レストランABCも最近キッチンABCへ変更しています。
洋食は少し敷居の高い"レストラン"よりも家庭的な"キッチン"から生まれる日常食なんですね。アメリカ英語が店名に多いのもキッチンが使われだした1950年台から60年代の特徴です。「キッチンぶろどっく(『ブルドック(大井町)』掲載)」「キッチングラン 神保町 1959年」「キッチンウエスト 下北沢 1962年(再掲)」「キッチンパンチ(雑誌平凡パンチから) 中目黒 1966年」「チェックキッチン 池袋 1969年」写真は名前から「キッチンジロー(小林二郎氏創業) 神保町 1964年」。
明治から今も付けている〇〇亭、上にも多く上げていますが、少し高級なイメージ、姓名や料理名にも付いています。「フランス亭 巣鴨 1965年」「杉山亭 西小山 1977年」「どみぐら亭(洋食の要のドミグラスソース) 日本橋 1987年」「関口亭 富ヶ谷 1993年」「はしぐち亭 経堂 2008年」
あまり多くはない植物名「洋食ツバキ亭 荻窪 2015年」は古くから日本人に愛され今も多くの人々に愛される椿の花から、推測ですが洋食の姿が重っているような。
新店「クロモジ亭 浅草 2020年」、お店のマークは実と葉の黒文字とも書く高級楊枝の材料の植物名で和菓子に添えられる、千利休が豊臣秀吉との茶席で黒文字の枝を添えたとネットにありました。花言葉は誠実。ダジャレの「じれっ亭」もありました。 ★TOP頁(洋食のTOP頁)★ ☆フランス料理店のTOP頁へ☆ ☆イタリア料理店のTOP頁へ☆
2000年代以降の洋食
専門西洋料理店が多くオープン、ファミリーレストランも次々と創業、洋食の肩身が狭まってきた時代。ガイドの決まり文句も『昔懐かしい味』『老舗の味・・・』。
昔三代洋食と称されたカレー・コロッケ・とんかつ、今はカレー・ハンバーグ・ピザ。人気の回転寿司屋も鮨以外にラーメン、カレー、焼肉、スイーツを回転する時代。
洋食もいろいろなタイプへの変化は当然の流れ。好む世代が広いのが強みの洋食。洋食そのものをアレンジした「洋食堂葡萄 北中野 2020年」「YOーSHOCK! Grill(ヨーショクグリル) 恵比寿 2008年」数字448に当て字の「448 LIBERMENT(ヨーショクヤリベルマン)」
西麻布TŌYAMA 2020年開店
西荻窪ハイカラ 2021年開店
ワインやビールのバルも洋食と組み合わせたり、ピザ、パスタは外せなくてビストロの呼称も付いてきます。洋食ダイニング「itsumo(イツモーいつものものをいつもの場所で) 新川 2015年」、洋食バル「ハイカラ 西荻窪 2021年」、洋食ビストロ「TŌYAMA(トーヤマ) 西麻布 2020年」は「上野洋食遠山 上野 2017年」の姉妹店
その懐かしむ世代が居なくなった後の居場所をどこにするか。修行先によってフレンチに寄ったりイタリアンに寄っているのが多いのです。
当初店名は仏語や伊語は少なく、上の『キッチン項目』のように英語が多い傾向でした。ただアメリカンな地名はステーキ店と見間違うので少なく「happy(ハッピイー) 鬼子母神 2010年頃」「スマイル 神保町 2010年」「レストランサム 上野 2010年」
地名は多いが他の仏語の店名もフレンチ店が多くなって「キッチンボン」以外は「れすととらんセビアン(それいいね) 南長崎 1980年」「マ・メゾン(私の家) 有楽町 2007、名古屋から進出」「洋食ダイニング c`est Sympa(セ サンパー仏語気さくな) 池袋 2019年、現在はリニューアルでイタリアンへ」と少な目。
ただイタリア料理のメニューは取り入れているようで「Yoshoku E ITALIAN TERZO3(テルツォー3番、姉妹店3番目に当たる) 錦糸町 2006年」「kitchen直樹 蒲田 2013年」「Gatta nero(ガッタネーロー伊語の黒猫) 両国 2020年、以前カフェ」「GINZA BRIO(ギンザブリオー元気,陽気な) 銀座 2021年」「しもきた駅前洋食BONA BONA PETIT(ボナボナペティー伊語は良い良い、ペテイはなし綴りは仏語プチ) 下北沢 2022年」のようにイタリアンのような伊語を店名にしたりもしています。
西洋からやってきた料理を日本人の合うように工夫の結果の洋食。今は時差なしの現地の味をそのままを好む傾向があります。アレンジの時間がなくどんどんやってきます。
残念ながら今は閉じている「えさけ(『いつものの言葉で』掲載)」のニリューアル店「洋食ノスリ(小さな鷹の意味、鷹番から) 鷹番 2021年」のオーナーはコロナ禍の中のテイクアウト需要でフレンチメニューより定番洋食メニューの注文が多く見直したとネットにありました。やはり強い今や日常食の洋食!がんばれ!! ★TOP頁(洋食のTOP頁)★ ☆フランス料理店のTOP頁へ☆ ☆イタリア料理店のTOP頁へ☆
フランス料理店
最近伝記も出版された横浜ホテルニューグランドのスイス人シェフS.ワイル氏からコース料理中心からアラカルト料理が始める。ただ街の店名はどの西洋料理店も洋食屋と変わりなく、戦前までは変化がない。
地名系
今も昔も中心の店名である地名、多くはフランスの名勝地、最初はパリ周辺から。帝国ホテルの「フォンテーヌ・ブロー 日比谷 1970年」、「カフェドパリ 新橋 1961年」「ラ・セーヌ 丸の内 『東京いい店うまい店 1967』掲載」。1970年代の「サントロペ 渋谷 1970年」、「イル・ド・フランス 北青山 1971年」、「ビストロ・サン・マルタン 麻布 1970年」、「ロワール 吉祥寺 1978年」。
国名のフランスと首都パリはイタリアンに比べ少なく「イル・ド・フランス」も中心地の県名。「ベル・フランス 銀座 1978年」「高樹町フランス亭 西麻布 1978年頃ー2008年」「ラ・フランス 赤坂 1998年」
写真ビストロを名乗る最初「ビストロド・ラ・シテ 西麻布 1973年」は『シェフシリーズ』の最初を飾ったシェフの店。店と料理人がマスコミに登場した最初のレストラン。由来は不明ですが、お客の推測通りパリの発祥地シテ島、パリのカタツムリ形の始まりの地だと思います。
1980年代の「ヴァンセーヌ(パリ東部の森林公園) 渋谷 1980年(再掲)」、フランスの景勝地「ロシェル 青山 1980年」、「プラドニース 青山 1982年」、「エクサン・プロヴァンス 南青山 1986年」。「ド・ラ・シテ」と同様不明ですが有名なブルゴーニュワインの産地名か?「コートドール 三田 1986年」
人気の地域のプロヴァンス(『プロヴァンスとトスカーナ』)、ワインの産地のブルゴーニュも多くブルゴーニュ風の意味の「Le Bourguignon(ル・ブルギニオン) 六本木 2000年」もあります。
あまり耳慣れのない地名も、ブルターニュのもっとも美しい「ロナンの修道院」のある村の名「LOCRONAN(ロクロナン) 奥沢 2011年」、ブルターニュ地方のラテン語の語源で終焉の地の意味の地名「La maison finistère(フィニステール) 恵比寿 2017年」フランス人シェフの祖父の別荘地シャンパーニュ地区の「SEZANNE(セザン) 丸の内 2021年」
フランスの有名地のオンパレードです、前回の文で『地名が有力な店名として今後も君臨し続けるだろう。』としましたが、実際は減ってきましたね。
逆に最近は食の原点回帰「PANAME(パナメ) 麻布十番 2016年」はその意味を込めパリの別名に、他モンパルナスがある14区の「Le Quatorze(ルキャトルズ) 恵比寿 2018年」「Le Marais(マレ) 浅草橋 2019年」はパリの市内の店名。
上の「ビストロド・ラ・シテ」の姉妹店「AUX SIX ARBRES(オー・シザーブル) 六本木 1978-2018年」は六本木の仏語。フランス語に訳して店名にする「ブラン・ド・ミュゲ(すずらん通りにある) 荻窪 1998年(再掲2回)」「ブラッスリーサンク(5丁目にある) 銀座 1998年(再掲)」「PLATINUM(プラチナ) 白金 2013年(再掲)」
日本の地名では山梨の勝沼ワインにほれ込んで命名の「勝沼亭 西麻布 1974年、鎌倉に移転」「イイクラショクドウ 飯倉 1985年」「ブラッセリーツキジ 六本木 1985年」
2000年以降カジュアルなビストロには所在地名が増えます。「Bistro YEBISU 恵比寿 2010年」「Bistro Sarugaku 猿楽町 2012年」「ビストロアカサカ 赤坂 2013年」「ラ・メゾン・キオイ 永田町 2016年」「バクロ食堂 馬喰町 2019年」
名前系
1893年開店のパリのグランドメゾン「マキシム・ド・パリ(創業者の一人の名マキシム・ガイヤールから) 銀座 1966年」は業界の事件扱いの大騒ぎでした。
ほかに有名なブランド名(『ブランド名』)から「ピアジェ」「シェ・フィガロ」「ティファニー 原宿 『東京いい店うまい店 1967』掲載(再掲)」
そして、日本人の名前では志度藤雄氏の「メイゾン・シド」が1950年銀座にオープンしている。15年以上過ぎて、1969年の渋谷シェ・ジャニー(再掲)、オーナーの春田氏の愛称です。
1970年頃からホテル系ではなく、街場にフランスで修行したシェフらが次々と店を開店していきます。コラムに掲載の「エヴァンタイユ(オーナーシェフ扇谷正太郎氏の扇の仏語) 大手町 1973年(再掲)」フランス人シェフの「シェ・ピエール 青山 1973年」架空の世界の名前からの「クィーンアリス」
80年代以下の『自分の名前』に多く掲載の中のスターシェフの「シェ・松尾」、「シェ・イノ」、「レストランひらまつ」、「オテル・ド・ミクニ」。
少し変化形の「馮 レストランフウ(FEUーオーナーのニックネーム) 乃木坂 1980年」「シェ・麻里お 蒲田 1986年(再掲)」「カーエム(K.Mはオーナーシェフイニシャル) 銀座 1987年、最初恵比寿(再掲)」
またイタリアン人気でフレンチが低迷の時代で、違いを出す格上げの頭がよく付いていました。「NARISAWA(レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ)」、「レデュタン・ザ・トトキ」、「レスプリ・ド・ミタニ・アゲタリ」。(再掲のほとんど『自分の名前』に多く掲載)
新店は『自分の名前を掲げて出来たて感、世界に誇れる日本の食材と匠をを伝えたい』そうです。(お店のHPから)。「鳴神」と似ている経過をたどっています。
ただかつての地の一角を使い8人のカウンターメインのお店を計画されているそう。同様の道を中華の脇屋氏(自伝『厨房の哲学者 2023年』)「Ginsa脇屋 2023年」も。
大きな組織の顧問やコンサルト業に転身の方も多い中、彼らのように最後まで料理人としての生き方を選んだのはイタリアンの「エル・カンビドイオ(カピトリーノ)」や「てら屋(テラウチ)」(2024.6.20)
歴史的人物から「APICIUS(アピシウス)」、「マリー・アントワネットⅡ世 下北沢 1977年」、「ラブレー(ルネッサンス期の小説家) 恵比寿 1986年」、由来不明ですが、「アンリー 銀座 1986年」、画家や思想家等有名人も多いポピュラーな名前、有名なのはアンリ4世で美食家で料理名にも付いている。
飲料・料理系
有名な産地はボルドーとかブルゴーニュなど。写真老舗「ボルドー 渋谷 1970年開店」現在は移転していますが、写真は最初の店で欧州のワインセラーをイメージ、その頃ワインと言えばボルドーしか知られていなかったので命名。(ガイド本によく載っている銀座ボルドーはバー、2016年閉店)
明治屋が提携したワインメーカー名の「シェ・モルチェ 銀座 1971年現在は広尾店のみ」、「ペリニィヨン 銀座 1984年」「ラ・ターシュ 飯田橋 1994年」「LYNSOLENCE(リンソランス) 銀座 2003年」はワインの銘柄名。
「(AUXAMIS des Vins(オザミ・デ・ヴァンーワインの友) 銀座 1997年」、2016年に移転で10階建てビルへ。カジュアル、高級店に階ごと分け店名も「オザミ・デ・ヴァン本店」のほかに「レストランオザミ」「プティオザミ」としています。
食材と料理に併記する店名も増えてますが、新しいところでは分かりにくいはめ込み「ビストロばんごはん(vinと晩御飯) 茅場町 2013年」「ペコヴァン(お腹ペコペコとvin) 自由が丘 2017年」
材料の葡萄も登場「シャドネーフランス(シャンバンの葡萄) 麻布 1969年(再掲)」「PIONE(ピオーネー黒葡萄) 吉祥寺 1985年」「プロヴィナージュ(伝統的な葡萄の繁殖法) 西麻布 2006年」「ル・テロワール(葡萄の産地) 目白 2010年」。葡萄畑を耕す鍬の仏語の「La Pioche(ラピヨッシュ)」。
ワインにはこだわりのある店が多く店名も意味深に。
フランス料理は多種多様で料理名は最初は余りありませんでしたが、70年代からポツポツと、料理法から「ナージュ(泳ぐ、魚介類をブイヨン煮てソースも煮汁で作る) 銀座 1975年」「ブッシュ(小さなパイ) 池袋 1978年(再掲)」「ポトフ(煮込み鍋料理) 新宿区河田 1983年(再掲)」は人気で何度も付いていました(ほかに「ラグー」、「煮込みや」等『汁物 』参照)。他現在カフェ「ル・スフレ 参宮橋 1984年、最初西麻布」
「ラ・マレ(潮の意味で海の幸の意味も) 南青山 1977年」「クレソン(付け合わせの野菜名) 自由が丘 1983年」、「エスカルゴ 代々木 1992年」「マッシュルーム 恵比寿 1993年」ほか。
2006年にフランス料理の一品料理屋に近い「パテ屋 麻布十番」が開店したときはフランス料理の浸透度もここまで上がったかと感心しました。
その後フレンチらしい高級食材からの「トラッフル(トリュフのこと) 白金 2006年」「テールドトリュフ 六本木 2008年」「銀座フォアグラ 銀座 2012年」、本国からも「Artisan de la Truffe Paris(アルティザン ドゥ ラ トリュフ パリ) 六本木 2017年」進出。
逆にあまり聞いたことのない料理名「LA POULE AU POT(ラ・プール・オ・ポー鶏の鍋煮) 池袋 2005-2010年十条で2017年再開」「tastous(タストゥーー黒トリュフのカナッペ) 麻布十番 2015年」「agrumes(アグリュームー柑橘系の香のメニュー) 下丸子 2017年」。ちよっとひねったパテと鴨の逆さ読みの「TEPATOMOKA(テパトモカ) 立川市 2018年」 ★TOP頁へ(洋食のTOP頁)★ ☆フランス料理店のTOP頁へ☆ ☆イタリア料理店のTOP頁へ☆
フレンチを気楽に
「ボンボアザン(良き隣人) 九段下 1978年」、古典的魚料理名でも付くおふくろの味の意味で発音はボヌファンですが、ボヌママンも同様の「Bonne Femme(ボン・ファムー良き婦人) 溜池 1983年」「Bonne Maman(ボンママンー良いお母さん) 池袋 1994年」ソムリエオーナーの「ボンシャン(良い畑) 銀座 1989年」、「Bon Gout(ボン グゥー美味しい味) 神楽坂 2012年」「Au Bon Coin(オーボンコワンー素敵な場所で) 雑司ヶ谷 2012年」「Bonne qúela(ボンクラ)」
繰り返しが多いのはお気に入りの意で「ChouChou(シュシュ)」と同じ意味「FAVORI(ファヴォリ) 代官山 2012年」から。
軽いイメージの言葉はイタリアンの方が幅広く自由度も高いようです。とはいえ2000年あたりから徐々に増えています。
フレンチの堅苦しい雰囲気を変えたかったのか「サン・ファソン(気取らず) 神楽坂 1989年(再掲)」「モワルーズ(やわらかくまるやかな店に) 麻布十番 2010年」「Quie'tude(キェチュードー心の安らぎ) 上野 2015年」。
自宅のように寛ぐで頭に付けて『Chezー〇〇のお家』『Maison』は多く「シェ・モア・シェ・モア(2)」「コム・シェ・ヴー」のように「COMME A LA MAISON(コムアラメゾン) 赤坂 2001年(再掲)」「Ma Chambre(マシャンブル) 六本木 2007年」
「ラミティエ(仲間・友情) 高田馬場 2000年」は気の合う仲間と料理を楽しんでほしい意味を込めて、友人の家のように「La maison d'ami(ラ メゾン ダミ) 目黒 2010年(再掲)」「Bistro des Amis(ビストロデザミ) 石神井公園 2013年(再掲)」(2店『みんなは誰か』掲載)
挨拶で友達関係の言葉から「サリュー 恵比寿 2002ー2015年」"やあ、元気"位の意味、ビストロ「サヴァサヴァ 荒木町 2016年(『外国語のリフレイン』掲載)」も同じ。
最高の最上の意味は『初め』premierプルミエには最上最高の意味もあり何度も登場してます。もっと強めなのはモダンフレンチ「Sublime(スブリムー崇高、気高い) 麻布十番 2015年、最初新橋」、ネットではグルメ漫画の言葉『究極と至高』の至高がSublimeだそう。
他は目立ってに多いものはなくわかりやすいものを選ぶと「トゥソル(全て、唯一の) 銀座 1998年」同じ意味の「レストランユニック 目黒 2013年」同じくいっぱい「Bistro plein(ビストロプラン)」たんさん、多いの「Beaucoup(ボークープ) 代々木上原 2014年」。
イタリアンのように多く食べる言葉は少なく食を楽しむ美食家で大食いの意味も持つ『ガツガツ!2』にアップしたグルマン系、プラスして「GOURMANDS(グルマンズ) お茶の水 2016年、改名後の店名」、快楽主義のエピキュリアンから正統派ガストロノミーは音がらしくないのか店名より頭や尻尾に付いています。
2010年前後からの以後のフレンチ
今の時代のタイプは単純ではありませんから、いろいろなネット記事にアナウンスはしていますが長文化傾向。「ピルエット(回転する、レストランを軸にお客と生産者のつながり、コミュニケーションを) 虎ノ門 2014年」「ALLIE(アリエー同盟仲間、人とのつながりを大切に) 麻布台 2016年」「umbilical(アンビリカルー英語へその緒、人と人が繋がる場所の意味を込めて) 三軒茶屋 2016年」。
「キャリエ」は付け加えて『お客様』『生産者』『料理人orレストラン』を大切に絆が心を豊かにし 宝物を召し上がってほしい(お店のHPの一部分)
「unis(ユニ) 虎ノ門 2020年」は単体を意味するUni、調和のunisonと複数のものをひとつにするunion、目に見えない「結束」を意味するunityたくさんの幸せが折り重なる場所という意味を込めて「unis」。「Noeud.TOKYO(ヌー.トウキョウ) 平河町 2020年」仏語のつながり 輪になり自然・社会・人のつながりを循環させていく。
名前を除いて地名も場所名も少なくなっていきます。店名は耳馴染みのない言葉「カンテサンス」「フロリレージュ・Florilege2(フロリレージュ) 南青山 2009年」のような深化した言葉。現在はイノベーティブヘ分類。
「フロリレージュ」とすこし似ている『日本の食材と伝統伎・手仕事をシェフの想いをコラージュのつむぐよう組み合わせてストーリーを紡ぐ(お店のHP)』の「Ode(オードー英仏語の抒情詩) 広尾 2017年」。此処のシェフが監修のラテン語店名「Opuses(オウパセズ) 銀座 2019年」は最高傑作Opusの複数形。
聞いただけでは覚えられない「レフェルヴェソンス 表参道 2010年」シエフの苗字ロジェだけでもと思う「ロジェ エギュスキロール(植物のアザミ) 銀座 2010年」、アザミは本店のあるバスク地方の悪いものを遠ざけるお守りの象徴。
同じく名前プラスの「L'Octave Hayato KOBAYASHI(ロクターヴ ハヤト コバヤシ) 北参道 2015年」は音階を意味するロクターブから音に代わり食材で自分にしかできない゜料理を。店名としてはなかなかの難物がそろいます。
写真は古民家レストランで、百獣王ライオンではなくジャングルの掃除人ハイエナの意味「HYENE(イエン) 原宿 2021年」。あらゆる食材を食べ尽すという意味が込められています。
フレンチからイノベーティブの道 ⓢー (追加2022.9.13)
今一番の先端料理イノベーティブ店の店名がフランス語使われます。かつて憧れのトップとしての店がフレンチだったことは変えられませんね。
他の業種では一品料理の全盛の今、少ないフレンチは不利な点があります。クレープとガルットはありますが、麺料理がないのが中国・イタリアンと比べても不利でした。
ミシュランガイド2013年版から分類されたイノベーティブの分野。欧州の国籍にこだわらないシェフたちがどれにも当てはまらない創作料理を革新的と名付けたそうです。
始まりはスペインの実験的レストラン「エルブジ(2011年閉店)」。ただ一般客にはあまり身近じゃないプロの食べ手、お客のレストラン。
予約のみ、会員制だったりしてこのHPでも扱うかどうか迷うレベル高い食材(価格も)に料理、食べ物屋と呼ぶにも・・・。イノベーティブの線引きもまだ微妙『モダンフレンチ』の呼び名の「カンテサンス」「フロリルージュ」大阪の「フジヤ1935」「ハジメ」は今はイノベーティブの区分けされています。
フランス料理のベテランシェフの店は名前へ移行、何回も上げた「NARISAWA」「鳴神」「TAKAZAWA(タカザワ) 赤坂 2005年(『プラスのチカラ』掲載)、2012年改名」「TSU・SHI・MI(ツシミー都志見シェフ) 駒沢 2011年」はイノベーティブを名乗っています。
短いタイプは「Air(エールー仏語空気、空気のようにお客に寄り添いたい) 銀座 2015年」「Air」と同じように人にはなくてはならない水のように寄り添っての「L'EAU(ロー仏語の水) 外苑前 2018年」
「cocon(ココンー仏語繭) 中目黒 2021年」は繭を守るもの、成長過程の一段階。古今(コキン)古今東西(ココントウザイ)の言葉から世界のあらゆる食材や文化を織り交ぜてジャンルなしの料理を提供。
新しい今の普通ニューノーマル、適正な量を適正な価格で人と環境に寄り添う調和のとれた"普通"に適えていくための「nol(nôlーノル、普通の意味)馬喰町 2021年」。発音と意味は解りやすいタイプ、"寄り添う"の言葉が多い込められたものはシンプルではないようです。
現在はイタリアンや中華、和食のイノベーティブ店も話題になっています。割烹「NUAGE ET VENT(ニュアージュエヴァンー雲と風の意味) 麻布十番 2021年」プロデュースの方はフレンチ出身なので仏語。 ★TOP頁(洋食のTOP頁)★ ☆フランス料理店のTOP頁へ☆ ☆イタリア料理店のTOP頁へ☆
イタリア料理店
パスタ、ピッツアの専門職人の専門店も多数。日本の西洋料理がフランスとイタリアの料理が別物として扱われ始めたのは戦後昭和30年代からだろう。
アメリカ人がはじめた「ニコラス」でピザが意識されだし、高級店として、アントニオとキャンティが長く君臨し、庶民的にはスパゲッティ屋、ピザ屋が多く開店していきます。
店数の増加が著しいので日本語や英語の店名も多い分野です。
名前系
本物のイタリア料理店はイタリア人が始めたため、店名は名前から始まっています。店名は名前から始まっています。1944年に神戸にアントニオ・カンチェーミが「アントニオ」、1952年、ジョゼッペ・ドンナロイヤ「ドンナロイヤ」、宝塚に1946年オラツィオ・アベーラ「アモール・アベーラ」。
共にイタリア人が開店し、アントニオはその後1957年、六本木に移転、現在は1985年からの本店として南青山で続いています。ヨーロッパ系の方は店名に自分の名前を付けるのが一般的なのでそれにしたがって日本で開店でも名前が多いです。
初期の頃『南欧料理店・地中海料理店』になっていた「文流 高田馬場 1973年(再掲)」は団体名『株式会社文流(文化交流の略)』から、創業者はイタリア語を学び辞書の編纂にも係りイタリア書籍専門輸入店を開業。
正真正銘のイタリアンだったようですが、時代が追い付かず『シェフシリーズ』の初代シェフのタイトル『リストランテ文流吉田勝昭の地中海料理 1982年』でした。
1990年後半になるといっきに増加します。「リストランテ・ヒロ 南青山 1995年(再掲)」、「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ 銀座 1997年(再掲『次の・・、また次の次』)」。
他にアップしていない「エノテカノリーオ 丸の内 1995年、最初荻窪」、「クチーナトキオネーゼコジマ 南青山 2001年」「オステリアナカムラ 六本木 2002年」「カシーナカナミッラ(カシーナは農園、オーナー娘さんの名) 中目黒 2005年、最初白金」等。(ほかの有名店は『自分の名前』に載せています)。
『自分の名前』にあげた人気の「H(アッカ)」、「イグレック」「S(エッセ)」のようにイニシャル伊語読みも多くプラスして「enne(エンネー頭文字N) 若林 2011年」。
イタリアンの名前の店名は多様な頭、食堂のベットラから大地のテラとトラットリアの造語テラトリアまで変幻自在に付けています。
少ないですが数字の当て字「110 Chento Dieechi(チェントデッエチ)」「141(イチヨンイチーオーナー石井氏) 広尾 2014年」、同名の2019年開店自由が丘のレストランもあります。
新店ではなかなか発音しにくい「tre Bottiglie(トレボッティーリエー苗字三瓶から) 平井 2016年」音はやさしい「N/enne(エンネ) 神楽坂 2021年」大文字Nは苗字中司さんの頭文字、社名ノスタリアのN、肉のN、好きな数字の9の伊語のNへのこだわりいっぱい。
テレビ番組『料理の鉄人』で活躍のシェフも含めカリスマと言われるスターシエフが次々とオープンしていきます。
頭や尻尾を変えていく「リストランテ・ヒロ」のようにヒロの名は残して「ヒロソフィー」「テストキッチンH」(『次の・・、また次の次』参照)最新店「infinito HIRO(インフィニートヒロー無限大の、イタリアンの枠のない料理を提供したいそう) 赤坂 2020年」と長くやっていく方法です。
フレンチと同様の変化も見受けます。今は「TACUBO(タクボ) 代官山 2016年」、「リストランティーノバルカ」に始まり「Aria(アーリアー音楽の節・旋律の意味、空気のや態度も)」に苗字の「アーリア ディ タクボ 恵比寿 2010年」からバリバリのローマ字表記の苗字のみ。以前アップ「テラウチ(テラウチ変遷)」も同様。
地名系
あまり知られていない時代に日本人にアピールしなければならないのはのはイタリア料理であること。
東京の国名の最初頃、銀座に1953年に開店したのはイタリー亭。文化的なものの浸透もフランスよりは浅かったため、その後もこの国名を店名にの傾向は今でも続いています。
日本最初のイタリア料理として「イタリア軒 新潟市 1879年」がイタリア人が開店。横浜の本牧にはイタリア人による「イタリアンガーデン 1952年」も開業。「イタリアン 銀座 1965年」、「伊太利屋 自由が丘 『東京食べ歩きの絵本1978』掲載」、「リトル・イタリー 青山 1978年」、「イタリア小僧 国立 1978年」、「TTALELY 六本木 1989年」「ヴィノイタリア 渋谷 2011年」「イタリアン食堂 五反田 2016年」。形容詞が付いて「まるでイタリア(店名です!) 下北沢 1991年(再掲)」「DELIZIOSO ITALIA(デリツィオーゾイタリアー美味しいイタリア) 恵比寿 2000年」「かもめのイタリアン 千駄ヶ谷 2014年」。珍しいところで長靴の形の国に因み「LO STIVALE(ロ・スティヴァーレ) 東村山 2012年」長靴の伊語。
最近のはいろいろ付いて長い「アンティカ ブラチェリア ベッリターリア 田町 2012年、最初下目黒」流行の言葉の「イタメシ屋 ヒバリが丘 2012年」というのも。
開店年不明のイタリアーナ、クチーナイタリアーナ、イタリア市場、伊太利庵、イタリアキッチン等多数。
同じ地名を繰り返しつける傾向があります。アップ済の『プロヴァンスとトスカーナ』のトスカーナ『オーソレミオの地より』にナポリとシチリア。
イタリア語で店名に付くのは「マキシム」と同じソニービルに開店したフィレンツェ本店1914年創業の出店「サバティーニ・ディ・フィレンツェ 銀座 1980年」(同名だけど別店のローマ本店の「サバティーニ 青山 1981年(再掲)」も)。「フィレンツェ 豪徳寺 1987年」「フィレンツェ・サンタマリア 外苑前 2007年」写真「フィオレンツァ(古名) 京橋 2007年」と続きます。
水の都ベネッツァ・ベネチア、ローマの次に『ベニスの商人ー英語』で日本人には馴染みがあるのですが、店名は見つからず。全国、他の業態にはあるのですが・・・。
フィレンツェのある北イタリア料理は南のトマト、オリーブ、ピザとは違うタイプ。北イタリア料理の草分け的な「ラ・コロンバ(本国の同名店から、鳩の意味) 九段下 1976年」は「アリタリア(イタリアの航空会社名) 1972年」の姉妹店で現在の代官山「マダムトキ」の前身。
ついでに付け加えるとミラノやフィレンツェからも多いなぜか本国イタリアからの出店、同名店多。高級店「エルトゥーラ 南青山 1985年」、「ラ・ラナリータ 原宿 1988年」「エノテーカ・ピンキオーリ 銀座 1992年」「BiCE(ビーチェ) 目白 1992年」「マキャベリ 新宿 1997年、2022年池袋店」「ロマンツァ 銀座 2011年」。
他の項目にも「アンティーカ・ピッツェリア・ダ・ミケーレ(3回掲載)」「アンティーキ・サポーリ」(『時を愛おしむ』掲載)「アンティカオステリアデルポンテ(コラム掲載)」
修行先の本店名で開店する店も多いです。有名なのは「カノビアーノ 目黒 1999年、最初代官山」「アル・チェッポ 白金高輪 2002年」「ラ・プリムラ 白金 2002年、最初元麻布」
その後90年代にイタリア料理が流行になり、チェーン店も含め大量な店が出てきて、
それまではどこかで聴いたことがある地名中心から今まで聞いたことがない地名へシフトします。「メロスイスキア(ナポリ沖の島名) 六本木 1989年」、トスカーナ地方の地名「モンタルチーノ 日本橋 2005年」と「ラッダ 六本木 2006年」ウンブリア州の古い町「オルビエート 銀座 2007年」ナポリ近郊の街「ヴォメロ 銀座 2012年」。
人気のシチリア、トスカーナ以外にも北イタリアの古都「イザベラ・ディ・フェラーラ 小川町 1992年」で北イタリア料理、美しい港町の「Tharros(タロス) 渋谷 2007年」は、地中海に浮かぶ島名サルデーニャ家庭料理「EMILIA(エミリア) 神宮前 2009年」は文字通りエミリアの郷土料理中心。日本の食材からの「BOSSO(ボッソ)」、北海道からの「EZOTTORIA(エゾットリア) 千駄木 2011年」等
地名の流れはフレンチと同じ様ですが、違うのは場所名、フレンチではキャッスル、トゥール、オランジェリー、シャレ、ヴィラと豪華形です。
対するイタリアンはと少しイメージが狭いような場所。洞窟の「タベルナ・ラ・グロッタ 飯田橋 1987ー2017年(再掲)」「ラ・グロッタ 青山 1996年(再掲)」「ラ グロッタ 東銀座 2018年」同じ意味「LA CAVERNA(ラ・カヴェルナ) 三田 2008年」
囲まれた空間「LA BARACCA(ラ・バラッカーバラック小屋) 都立大学 1993年(再掲)」「ラ・ビスカ(ばくち宿) 赤坂 1996年」「Le Chai(ルシェーワイン蔵) 半蔵門 2016年」「ブカマッシモ」。
海の意味の「トラッテリア・デル・マーレ 人形町 1991年」「bel mare(ベルマーレ) 渋谷 1974年(再掲)」「カサデマーレ 歌舞伎町 2014年」。その関連か亀の店名もあります。(『鶴・亀さまざま』参照) ★TOP頁へ(洋食のTOP頁)★ ☆フランス料理店のTOP頁へ☆ ☆イタリア料理店のTOP頁へ☆
料理系
アメリカ経由の1960年代のビザ屋(『ピザ』)スパゲッティから和風スパゲッティ店が1970年代には開店(『スパゲッティ・パスタ』)。
〇 食材等
食材のイメージはトマトとオリーブ(コラム『オリーブの木』)、オリーブ油の食材だけでなく文化的なイメージも強いイタリアンの大元。
南米のアンデスからイタリアにやってきたトマト、最初のビジネス系「イタリアントマト 渋谷 1978年FC化1982年1号店」も真っ赤なトマトがマーク。実際真っ赤な色がイメージで好まれ洋食が多いようですが「TOMATA(トマト) 大山 1980年」は老舗イタリアン。
魚専門も多く、功労者は「アクアパッツア」カンパーニア州の郷土料理、この料理名はほとんど知られていませんでした。
魚のPesceペッシェの付く「マンジャ・ペッシェ 千駄ヶ谷 1996年(再掲)」「del Pesce(デル ペッシェ) 五反田 1997年」「AL PESCE D' ORO(ペッシェドーロ) 春日 2002年」「PESCHERIA(ペスケリアー伊語魚屋さん) 三軒茶屋 2017年」「ペッシェペッシェペッシェ 西荻窪 2018年(再掲)」
同じく長い!「LA BOTTEGA DEL MARE(ラ・ボッテガデルマーレー海の工房) 東銀座 2016-2020年」本店の店名に海の恵みの意味を後ろに追加した「Cantina Siciliana TUTTO IL MARE(カンティーナ シチリアーナ トゥット イルマーレ) 東銀座 2013年(再掲)」
ピザのつきもののチーズもフレンチより多いようです。『チーズ』にも載せましたが、「Zola(ゾーラーゴルゴンゾーラのこと) 人形町 1999年」「モッツァリアリッコ 中野 2015年」「レッジャーノ 恵比寿 2014年」「自由ヶ丘チーズ亭 自由が丘 2018年」「CHEESE CHEESE & Meat. COMTE(コンテー?フランスのコンテ地方のチーズ) 南池袋 2018年」
特徴を出すためモツ料理専門店も、「トリッペリアトリッパ(内臓料理) 中野坂上 2011年」(「ウネット」「原トリッパ製造所 中目黒 2016年(再掲)」)、と他に鶏、豚、鴨肉系の店名も増えました。
◆ 飲料と道具
飲物のワインの名は急激に増えた2000年代から。銘柄名「Ateo(アテオ) 北青山 2000年」「ヴィーノ・デッラ・パーチェ(平和のワイン) 西麻布 2000年」「オステリアラディーチ(カンパーニア地方の銘柄、根っこの意味) 田町 2016年」「BAROLO(バローロー“イタリアワインの王様”と呼ばれる赤ワイン) 六本木 2021年」
フランス語の樽の「リストランテ・ラ・バリック 護国寺 2007年」栓(ワイン樽)「TAPPO(タッポ) 銀座 2009年」
「ラ・バリック」は本国のトリノの一つ星レストラン名ですが、それに小さな樽の中で年数を経て熟成するワインの深みのように店も円熟していく想いを込めているようです。
料理や食事に使う道具も多いようです。皿のピアットが多く『自分の名前』の「ピアットスズキ(再掲)」のような〇〇屋の代わりによく付いています。同項目の「ミキータ」の北見シェフ新店は「ピアットキタミ 虎ノ門 2016年」
パスタ製造道具も「トルッキオ 九段下 2003年(再掲)」「L'asse(ラッセー手打ちパスタに使う木の板) 目黒 2011年」「キタッラ(ギターのような弦のついたパスタ製造道具) 一之江 2016年」「トラットリアマルーモ(生地を伸ばす大理石板) 台場 1996年」と並びます。
ありそうでなかった洋食には多いフライバンの伊語「Trattoria La Padella(ラ・パデッラ) 駒込 2015年」
ピッツアを焼く竈、フレンチには少ない竈(カマド)と火、炎。アメリカ発の「イルフォルノ 六本木 1996年(再掲)」「ラ・フォルナーチェ 代官山 2006年」「FORNO(フォルノ) 六本木 2018年」日本語の窯が付く「窯蔵 練馬 2012年」のようにピッツアリア中心。
火関係は「fiamma(フィアンマー炎) 恵比寿 1996年(再掲コラム)」「L'IGNIS(リグナスーかがり火) 恵比寿 2016年」「falo(ファロー焚火) 代官山 2016年(コラムと2回再掲)」、薪火料理が売りで、その火の種の大きな薪の意味「ciocco(チョッコ) 三軒茶屋 2020年」
イメージ系
◎ 人関係とあいさつ
スカイラーク系列のイタリアン「グラッチェガーデンズ 大宮1号店 2001年」直訳ありがとうの庭。チャオと同じく軽い感謝の言葉です。このファミレスのためか、イタリアンには少なく「グラッィェ」と言いにくい読み方の店名にしている店が多いようです。
挨拶代わりの抱擁、キス、愛もイタリアンにはあります。会えない時の手紙やメールの最後に書く「BACIONE(バッチョーネー大きなキス) 中目黒 1996年」はシエフが修行時代の大家さんに電話でいつも最後に言われた言葉とか。他に「イル バチェット(小さなキス) 学芸大学 2014年」「プリモ バーチョ(ファーストキス) 西麻布 2002年」「ABBRACCIO(アブラッチョーハグ、抱擁) 芝浦 2017年」
同じ由来の「Tratteria con amere(コンアマーレー愛すること共に) 池袋 2009年」と一番新しい「VINERIA+amore(ヴィネリア・アモーレ) 武蔵小山 2014年」はネットでアモーレの言葉を使用したくて『愛を込めて料理を作っている』となっていました。
また、分かりやすいことでビジネス系に多い家族の呼び名も圧倒的に多いです。逆にロイヤル系はは極端に少ないようです。
ラ・マンマ、パパマンマ、ハンナマンマ、パパトリア、パパミラノ、祖父ノンノ、パピ、祖母ノンナ。婦人を呼ぶ『プリマドンナ』のドンナなど。近しい関係で食事を楽しくの思いでしょうか。
少し硬い呼称パードレ・マードレは少なく、由来はわかるのは「クッチーナパードレ 南大井 1999年」、シェフの父親の洋食店を続けていく大変さを知り『親父に捧げる店』でパードレに。
子供の呼びかけのBambinoバンビーノ。「Bambino(バンビーノ) 中野区野方 2011年」。漫画・テレビドラマ『バンビーノ』のモデルは流山市の「バンビーノ 2014年」で男の子と半人前の意味とか。「il vinvino(イルヴァンヴィーノ) 奥沢 2009年、2号店2013年」はワインと男の子の両方を掛けいてるのでしょうか。
女性の「バンビーナ 吉祥寺 1995年頃」、今は焼肉屋が独占状態ですが・・・。
シェフの愛称も多く「トラットリア シチリアーナ・ドン・チッチョ・Don Ciccio(トラットリアドンチッチョ)2」のように「イルバンビナッチョ(いたずらっ子) 西麻布 2001年」「ビリキーノ(やんちゃ坊主) 北青山 2001年」「SCUGNIZZO!(スクニッツオーいたずら小僧) 飯田橋 2000年」「Trattoria Ciccio(チッチョーコロコロ愛嬌のある男の子) 吉祥寺 2014年」。
家族関係はとても多いのですが、仲間友達は発音のアミーチ・アミカのためかスペイン語系のアミーゴ、仏語のコパンが優っているよう。(『みんなは誰か』参照)
大食い、食いしん坊の伊語も多く登場。80年代の終わりから。映画『ローマの休日』で知られた『Bocca della Veritàー真実の口』のBocca、口の意味の言葉を付けたのはボォナセーラ系と呼ぶ、「イル・ボッカローネ」から始まり、『人に関連して 2』掲載。
大食いは『大食・美食・グルメ』に食いしん坊「ゴローゾ」を上げました。
△ 形容する言葉
イメージがわかりやすくビジネス系向きのようです。最初は「カリーナ(可愛い) 新宿(伊勢丹内) 1962年」「ヴォーノ・ヴォーノ(おいしい、おいしい、三笠会館系列) 銀座 1986年1号店」、同系列「AGIO(アジオ)」
多い意味で「Tanta Roba(タンタローバ) 小石川 1999年」「アッサイ(再掲)」「タンテボーネ(いっぱい良いもの) 神楽坂 2018年」「ilPIENO(イルピエーノーいっぱい) 新富町 2011年」。「PANCIA PIENA(パンチャピエーナ) 田町 2019年」は"お腹いっぱい"。マルケ州の方言から「aniko(アニコ) 赤坂 2019年」はたくさんを少しずつの意味、あれこれ楽しんでほしい店の想い。
全国でも人気の音楽用語でもある生き生きとしたの「ヴィバーチェ 大塚 1996年」「la cucina VIVACE(ビバーチェ) 水道橋 2012年」「VIVACE(ビバーチェ) 浜田山 2012年」「ヴィヴァーチェ 恵比寿 2017年」「RISTORANTE CORAGGIO(コラッジオー元気出して) 渋谷 1997年」「エスタ・ヴィーヴォ(生き生き元気な) 丸の内 2011年」
★ 自然、太陽と海と空と・・・
イタリアの象徴はなんといっても太陽!。「IL SOLE 西麻布 1989年」、イタリアンバル「デル・ソーレ」(全てコラム『ソレイユ・ソル・ソーレ』掲載。
漏れいてた「BelSole(ベルソーレ) 荻窪 1999年」少し凝って「Tutto Sole(トゥット ソーレー太陽がいっぱい) 大井町 2017年(同コラム掲載)」「ブラマソーレ(太陽に焦がれる者) 神宮前 2018年」。
後は太陽のイメージの花、ひまわりのジラソーレ(『強~い』『
夏・秋の花』)。そこにアップ以外「Zira sole 本店(ジラソーレ) 高田馬場 2013年」「リストリアジラソーレ 恵比寿 2016年」
上に上げた海と空のセット月と星の関連「La Luna Ross(ラ ルーナ ロッサー赤い月) 中目黒 2001年」「メッザルーナ(半月ービルの形から) 目黒 1992年」ほかコラムの「ルーナルーチェ(月の光) 三田 2012年(再掲)」「LUNETTA(ルネッタ)」
写真は「ラ・ステラ 馬喰町 1987年頃ー2020年」、開店年はお客のブログからで確かではありません。アパレル会社エトワール海渡の地下にあり、フランス語星の意味で、イタリアンなのでおなじ意味の伊語にしたと推測します。
空、青空の「トラットリア・セレーナ 白金 2000年」「IL CIELO(イルチェーロー空の意味でお子さんの名前に関係するそう)世田谷区松原 2004年」「Cielo(チエロ) 三宿 2008年(再掲)」「il cielo(イルチェロ) 恵比寿 2019年」。海と空の色の青も店名には見かけます。新店「BLU(ブル) 恵比寿 2020年」は晴れた空と海の色アズーロより濃い青。(コラム『アズーロ・アズーラ』国旗の色緑も『ヴェルデ・ベール』) ★TOP頁へ(洋食のTOP頁)★ ☆フランス料理店のTOP頁へ☆ ☆イタリア料理店のTOP頁へ☆
いろいろ、ザックリと
海の向こうの料理の中でイタリアンは中華に次いで店数が多いので店名も定番以外の多岐な分野に広がっています。その中からザックリ拾ってみました。
◇ 文芸の世界
「オステリアヴィンチェロ 新宿御苑 2002年」はVinceroで私は勝利しますの意でオペラ『トゥランドット』のアリアの中の一節。ビジネス系「Cafe RIGOLETTO(カフェリゴレット) 吉祥寺 2006年1号店(再掲)」。
上の形容詞にも上げた活発なのVIVACEも音楽用語でもあり「タヴェルナヴィヴァーチェ 南麻布 2003年」、他に「Grazioso(グラツィオーゾー優雅にの用語)田無 2018年」「AUDACE(アウダチェ)」「SUONO(スウォーノ音、響き、曲) 両国 2019年」など。
ないのは小劇場の意味の「イルテアトリーノダサローネ 西麻布 2010年開店」、カウンター席で料理とサービスのライブ感からの小劇場とサローネは横浜に本店を持つグループ名
とても少ない宗教・芸術・文学の作家名「ITALIANO per Bacco(ペルバッコー酒のバッカス神) 東中野 2009年」「ヴィーナス(Venusー豊穣の自然の恵みの女神名) 銀座 2012年」
神様じゃないけどギリシア神話の翼を付けたイカロスに苗字「ICARO miyamoto(イカロミヤモト) 中目黒 2008年」は『いつまでも羽ばたき続けられるようにの願い』はお店のHP
ルネッサンスの巨匠「ダ・ヴィンチ 西麻布 ガイド本1999年掲載」「ダヴィンチ 西新宿 2011年」カフェにアップの「カフェ・ミケランジェロ」の姉妹店「トラットリアミケランジェロ 広尾 2019-2021年」、とイタリアンには少なくそれ以外に多い児童書の「ピノキオ」『童話の世界の住人達』とアメリカ大陸発見コロンブス
〇 カジュアルな店の呼び名
日本の居酒屋やフランスのビストロに当たる呼び名も頭や尻尾に付く以外にイタリアンは店名により多くあります。
以前アップ(『外国語からの聴くと見るとの差』)のタベルナの他に『まんなか』に載せた居酒屋に近い「オステリア 六本木 1991年(再掲)」。
オステリアと同じく多く頭や尻尾につくリストランテより大衆的なカジュアル食堂の「ラ・トラットリア 渋谷 1991年」ビストロとトラットリアの造語の「ビストリア 小平市 2018年」宿屋の意味「Locanda MEAT & ITALY(ロカンダ) 日本橋 2018年」
トラットリアの「La Trattoriaccia(ラ トリットリアッチャ) 広尾 2018年」も、トスカーナ方言で馴染みの店を『アッチャ』をつけ親しみを込めるときの呼び名。近所のトラットリアになりたい思いから。
ワインバーに近いワイン蔵の意味のENOTECAエノテーカは単独ではワインショップ(併設バー)の「エノテカ」があるのでありませんが、頭・尻尾に付くのは多く名前に上げた「エノテカノリーオ」「エノテカドォーロ(?金のワイン蔵) 平河町 2006年」
▲ イタリア語じゃない店名
英語や日本語の店名も多いです。イタリアンへの業態変更が多く、フランス語も付いています。多くの有名シェフの居た「ヴィ・ザ・ヴィ(仏語向かい合って) 原宿 1979年」「コクリコ(仏語ひなげし) 大塚 1977年」「まめぞん 恵比寿 2007年(再掲)」「ボン・マルシェ 築地 2009年」
仏語・伊語共に多いラテン語からのワイングラスの店名「bacar(バカール) 松濤 2008ー2015年」「エクイート(ラテン語乗馬) 元麻布 2012年」「aer(アエルーラテン語の空気) 赤羽 2019年」
英語も最初の頃から多いですね。「シャーク 目白 1970年、現在は移転改名(コラム再掲)」から1975年からのガイドには「テキサス」「BABY FACE」「フレイバー」等。
新しめでは「MOTHERS(マザーズ) 東大和市 2000年(再掲)」、本来は伊語ですがアメリカのゲームの名になっている「Bingo(ビンゴー"当り!"の店に) 西麻布 2004年」「Sweet Water(スウィートウォーターーワインの意味) 春日 2010年」「SUPPLY(サプライー供給の意味) 幡ヶ谷 2019年」
写真の少しひねった目黒リヴァー(目黒川)と巡り合う場所の二つ掛け合わせ「Megriva(メグリヴァ)」。祖父の会社名でもありますが「三和 白金台 2021年」には三つの和、食べ手と生産者、料理の作り手の三者をつなぎたい思いを加えているタイプ。
2010年前後からの以後のイタリアン
2000年前後からいろいろ記事を読むとイタリアに滞在した期間も長い方が増え要ることからほぼイタリア的メニューとボーダレスイタリアンの空気もまとっているようです。
短いキャッチフレーズと言われる店名は覚えられない読めないがイタリアンだとしかお客にはわからない長いもの。
「ズッペリア オステリア ピティリアーノ 祖師ヶ谷大蔵 2014年」「PIZZERIA IL SUONO SCORRE 22(ピッツェリア イル スオーノ スコッレ ・ヴェンティ・ドゥエ) 等々力 2017年」「Tavola calda SICILIANA Peri Peri(ターボラ カルダ シチリアーナ ペーリ ペーリ) 五反田 2018年」等。「ピティリアーノ」はトスカーナの村の名「イル スオーノ スコッレ ヴェンティ・ドゥエ」は音の流れや走る音(お店に流れる焼く、燃える、ワインを開ける、そそぐ等のお店にあるすべての音)に22はご夫婦の誕生日。「ペーリ ペーリ」シチリア語のブラブラすること。もっと多くありますがページ数を食うので・・。(『長~い店』に掲載)
造語や選択する言葉もガ行や拗音『chi』チィ『che』チェ、『cho』チョと促音チッの発音が伊語ラシイ言葉を選んでいます。
「Cizia(チッツィア) 西小山 2019年」「Cerdi(チェルディ) 門前仲町 2018年」は繫がりのイメージ。「Cizia(チッツィア)」は深い友情を示すamiciziaアミチーツィアと友達を意味するamiciアミーチ(生産者や全てのお客)の造語、お店で出会い友情が生まれる願い。「Cerdi(チェルディ)」、輪のチェルキオと楽しむディレットの造語。
言葉を入れ替えた「igora(イゴラ) 奥沢 2019年」「Adosi(アドジ) 護国寺 2017年」、先の店名は無知の伊語ignoranzaイニョランツァを5つの文字を抜き取り響と覚えやすい言葉に。「Adosi(アドジ)」も覚えやすいように苗字を逆さにイタリア的発音にさせたそうです。
フレンチに比べイノベーティブフュージョンへの変化を見せる店は少ないなか、今は少しづつ増えてはいるようです。
上にアップ資生堂傘下の「FARO(ファロ)」は2018年からイノベーティブイタリアンに同じく「PRELUDIO(プレルーディオー前奏曲) 神保町 2021年」は即興性のある前奏曲のように型にとらわれず自由に思がままにフュージョンスタイルの創作イタリアンを・・。「H(アッカーシェフの堀江氏の頭文字) 恵比寿 2020年」フルネームの「長谷川稔 広尾 2018年」
両分野の際きわだとしている ミラノ一つ星リストランテ日本人シェフ「TOKUYOSHI」の日本の支店「ALTER EGO(アルテレーゴー分身) 神保町 2019年」イタリアンとは掲げない「笠井 2019年 目黒区八雲」 ★TOP頁(洋食のTOP頁)★ ☆フランス料理店のTOP頁へ☆ ☆イタリア料理店のTOP頁へ☆
★ 参考文献
★にっぽん洋食物語大全 小菅桂子 筑摩書房 2017
★東京のレストラン 賃貸住宅ニュース 2001~
★東京うまい店200店 柴田書店 1963
★東京いい店うまい店 文藝春秋 1967~
★東京飲食店独案内 広瀬光太郎 1890
★洋食の店 高橋幹夫 柴田書店 1981
★洋食天国 京阪神マガジン社 2011
★東京の美しい洋食屋 井川直子 エクスナレッジ 2020
★ル・デジュネ 早川光 鳳山社 1987
★料理王国 2007年7月155号(雑誌記事ー日本のフランス料理の100年史前編)
★料理王国 2007年8月156号(雑誌記事ー日本のフランス料理の100年史後編)
★料理王国 2013年8月228号(雑誌記事ー日本のフランス料理100年を彩った名店・名シェフ総覧)
★甘美なるフレンチ 日経BP社 1999
★レストランをめぐる冒険 小松原はるか 小学館 2004
★東京フレンチ興亡史 宇田川悟 角川書店 2008
★至福のイタリアン 日経BP社 1998
★東京五つ星のイタリア料理 岸朝子 東京書籍 2010
★料理王国 2007年7月142号(雑誌記事ー日本のイタリア料理の100年史)
★料理王国 2012年7月219号(雑誌記事ー日本のイタリア料理の100年史)
★ブルータス 2019年6月1日 893号(雑誌記事ー新日本のイタリアン)
★ベストオブ東京いい店うまい店 文藝春秋 2010