コラム 店名の裏側・外側 3
こちらは店名からではなく、基になった植物、動物、自然現象などからみてみたいとおもいます。
目印・目立つもの 《自然 No.4》
2019年5月11日追加・2019年5月11日追加・2020年8月30日追加・
2021年1月25日追加・2023年12月30日追加
広く考えると、政治的に奈良時代より祥瑞として、佳き事のしるし、大中小の祥瑞が決められていました。ここでは実際に見えるものを挙げていきます。
『日本のしるし 岩崎美術社(復刻図書センター)』をみると平安の公家の時代から、着る物、持ち物(提灯、運搬用の箱、扇など)、家に至るまで色々な印がつけられていました。所有を表す意味もありますが、護符の役目も務めていました。
外国だと、塔、日本では櫓、海の目印の灯台、夜空の目印、北極星もあります。
曲がり角の門、真っ暗な中の灯もそうです。
江戸時代は髪形、顔の化粧、着る物、刀を差しているかどうかで、昭和前期までは人の身分を見分ける目印は着る物でした。
身分の差が歴然と衣装でわかる時代から、今は普通の人から、大金持ちの人まで、ユニクロ、無印用品を着る世紀。服は字の如く無印時代です。
店名仲間
道の印
道に迷わないよう、角に標識、案内板、昔は距離を表す一里塚なども立っていました。以前取り上げた角にあるかどやはもちろん、杉並木や大きな銀杏や楠など樹木。庚申塚というのもありました。高速道路では道の駅が有名になり、マスコミでよく取り上げていますね。
家の印
武家や寺、神社の紋を守りが元して付けることがあります。酒造りの醸造家のこも俵にはこの神社門、寺紋がお守りのようにつけられていました。剣菱、梅紋等。
商いの印
赤提灯、暖簾が使われますね。江戸時代には工夫を凝らした絵解き看板があったそうです。イギリスのパプの看板はよく写真集や資料に載っています。今もみかけるのは酒屋が店先に飾っていた杉玉。
かどや(写真向島カド)
曲がり角、記念物は店名になりやすいです。東京にも多くの角屋があります。
なぜか、京都は辻が多い気がします。日本茶屋の辻利、五辻の昆布が有名です。
ただ、現在残る帷子の辻と六道の辻は決して明るい地名ではなく、死体が捨てられている辻、あの世とこの世の境の辻をいうそうです。
千年以上の時の中で繰り返された生と死、何処の地でも辻でなくても、何かはありそうです。気のせいか、交番も辻にたっている事が多いようにみえます。
同様の分岐点の意味の追分、民謡の追分節とそこの地名に由来する、団子(追分だんご本舗 新宿 1945年)と羊羹(追分羊かん 静岡市 1695年)に残っているだけのようです
全国のかどやの地図をみると、微妙な位置もありますが、だいたい角に位置していますね。以前見えない場所でアップした「かど家 1862年」写真のジュースで有名「カド 向島 1958年」和食「かど 神楽坂 2002年」
蕎麦屋は店数も多く「角屋 神田駿河台 1884年」を始め角が付く賀字、名前を+した、本郷三丁目や向島「角萬」「角八」「角壱」「角よし」「かど新」「角千」等も。写真は老舗蕎麦屋界の二郎、大盛、太い蕎麦でネットで上がっている「角萬、 押上 開店年不明」、一番新しい「角萬 入谷 2015年」は四谷にあった時も現在も角にあります。
蕎麦屋の少ない横浜の老舗「角平 横浜市 1950年」はHPで平沼町の角にあるから「角平」実に単純で店主の竹を割ったような性分の店名と書かれています。
同じカドでもフランス菓子店「カド 駒込 1960年」は川端康成氏が名付けた仏語、お菓子gadotからと修行先「CADOT(カド)」から。場所も四つ角にありますけどね。
コーナー(写真は銀座コージコーナー)
かどやは店数が多いので、必然的に外国語もあります。使われすぎて、角の意味か?、と思うコーナー。
英語の角の意味ですが、「コージーコーナー(憩う場所-会社のHPより) 銀座 1945年」のように場所の意味を持つ店名もでています。
スーパーの特設コーナー、イートインコーナー等多数に拡散。
昭和30年代では結構活躍していました。1958年のガイドにイタリアン「コーナーハウス 銀座」サントリー経営の「ワインコーナー 有楽町」(食べログでは「ヘルメスワインコーナー 池袋 1958年」がサントリー経営とあるので同じ系列でしょう)紅茶の日東紅茶とは関係がない「日東コーナー 東銀座 1958年」。日東紅茶はかつて日本最初の庭園式ティールームとして「日東コーナーハウス 日比谷 1938年既に閉店」を紅茶のPRのためひらいていました。戦後占領軍に接収され、図書館になっていたこともあるガラス張りの雰囲気の良いティールーム、閉店時は日比谷三井ビルの2階にありました。
喫茶店「オンザコーナー 江戸川橋 1973年」は四つ角に頑張っています。同名の「オンザコーナー 渋谷 2010年」も渋谷の角に大きな店名を掲げて目立っています。
よく使われてはします。コーナーは軽く食べるには便利な尻尾使いでカレーコーナー、ソバコーナー、ベーカリーコーナー、ホテルの喫茶コーナーと
見えない場所と繰り返しですが、コアン、フランス語、アンゴロ、イタリア語でもそれぞれに食べ物屋の名前に登場しています。
隣は何(写真京都は鳥居本)
店の前や横に立っているものが、目立つものであれは、それを店名にしないわけがありません。
フランスの有名なレストラン「ピラミッド」は前にピラミッドのオブジェがあったそうです。
京都の料理屋「鳥居本 京都 享保年間」は八阪神社大鳥居近くに初代田畑與兵衛店を最初構え、その後現在の祇園に移りました。「佐野屋」の屋号から鳥居のそばということでこの店名。
蕎麦屋の老舗の2店「砂場」「藪」もそうです。「砂場」は大坂城築城の際に砂場置き場の近くにあった蕎麦屋の通称から。甘味屋の「梅園 浅草」も同様。
美容院、花屋、服飾、雑貨店と併設するカフェ等も多いので、隣に連なる店名は確実に増えています。
観光地の食べ物屋は典型的なこの付け方の店名が山ほどあります。
川甚(柴又)
隣にあるで古くは川です。英語で言うならリバーサイド。川魚を調理する料理屋さんは川端に並んでいました。冷蔵庫のない時代ですから、新鮮な川魚料理のためには必然のことでした。老舗の鰻屋さんには川が付く店名がとてもおおいですね。「川千屋 柴又 1770年代」「川亀 亀有 1945年」「川松 1873年 浅草」「川栄 赤羽 1946年」。他に尻尾に付く「前川 駒形 文化・文政年間」「神田川 神田明神下 1805年」」「喜代川 日本橋 1874年」「宮川 築地 1893年」「喜川 神田明神下 1894年」「色川 浅草 1861年」「初小川 浅草 1907年」など。写真の「川甚 柴又 寛政年間(1790年代)」はかつて江戸川の畔にて甚左エ門が創業し、建物、場所を移りながら、現在は柴又の地に、『フーテンの寅さん』の舞台にも使われている川魚料理屋。(お店のHP)
パーク・パルク
渋谷の公園通りは1970年からで、代々木公園に面していることから、でこの通りにある渋谷パルコが伊語の公園のパルコ。雑誌やテレビで最先端の流行を謳歌していました。
「ルパルク 恵比寿 開店年不明」現在は中華、売りがパリの下町のチャイニーズ店、1990初年代からですが、その前は同名のフレンチでした。もちろん、公園に面しています。近くにはカフェ「カフェパーク 恵比寿 2010年」向かい側にあります。
帝国ホテルのアメリカンカフェ「パークサイドダイナー 2007年」は日比谷公園、「ル・パルク 駒沢 2000年」は駒沢公園。そのままの「KOMAZAWA PARK CAFE(コマザワ パーク カフェ) 駒沢大学 2015年」「パークカフェ 新宿御苑 HANAKO東京カフェブック2000年に掲載、既に閉店」は目の前が御苑でした。
上野公園の中にあるのは「パークサイドカフェ 上野 2012年」、公園は近くにないですが、アメリカンを強調した「ウエストパークカフェ 代々木上原(こちらは閉店、丸の内、羽田店) 1996年」
人のしるし(写真は両国ぼうずしゃも)
先に書きましたが、今は無印時代。衣装を見ただけではその人の情報がない時代。
ロゴTシャツやロゴ付きスニーカー、ジーンズはそれを作った会社のしるし。その会社に所属しているわけではありません。
しかし、以前はブランドの紙袋を持つことが一時期はやりました。同じものを買って身につけている、あるグループに属すしるしだったようです。
専門職といわれる医者、看護婦。警察官、消防士、駅員、神主、僧侶などは制服という印を持ってはいますが・・・。レストランでは一店だけコックさんの印のコック帽子で「レ・トック 八重洲 1983年」はフレンチ。
身体の特徴を呼ぶことは江戸時代から存在します。喧嘩の仲裁で坊主になった店主から「ぼうずしゃも 両国 1681年」天麩羅の「ハゲ天 1928年」「ひげの天平 1904年」(3店とも『名前は王道?真打?』の『バリエーション』掲載)、頭の鉢巻から「鉢巻岡田 銀座 1916年」。新しいのはワインバー「アヒルストア 富ヶ谷 2008年」(『アヒルストア』も掲載)はオーナーの顔がアヒルに似ているから。
店主の黒ひげから、、ドイツ語のschnurrbart(ヒゲ)とschwarz(黒)から作った黒ヒゲを意味するドイツ語を造語した「Cafe SchnurrWarz(カフェシュヌルバルツ) 三鷹 2015年」はマグカップにもいわゆるドイツ皇帝ヴィルヘルム2世からのカイゼル髭が描かれています。
ローマ字「LeBonze (ルボーズ) 銀座 2012年」は音の通りシェフの坊主頭から。時代の流れもあり身体や顔からのは少なくなっています。
纏壽司(六本木) ー(追 加2020.8.4)
時代劇の火事の場面で火消したちが屋根の上で勢いよく回していたのが纏。纏、まといは火事のひろまった境界線で回していたとか。
昔は簡単に火事を消せなかったので、延焼を防ぐため家を壊すのが普通でした。
1970年代のガイドに「纏寿司 四谷 1972年頃、既に閉店」がよく載せられていました。浅草の美家古寿司の出身であることも書かれていました。
同じく「纏 六本木 1970年代中頃」こちらは「鮨長』出身。江戸の華とされる町火消しの纏に由来と『東京のすし通になれる本 2006』に載っていました。
流石に古い火消し道具ですから、数は多くありません。「火事と喧嘩は江戸の華」といわれ、火消しの纏を回す姿は江戸の町民の憧れでした。
江戸の粋を大切にする鮨屋が全国的にも多いです。老舗は意外に東京にはなく、「まとゐ鮨 京都 1927年」、京都の町火消し、西日本方面は纏は使わないとかいてあるHPもあるので、纏は江戸前寿司の象徴でしょうか。
他の業種では焼き鳥居酒屋「まとい 蒲田 2011年」、浅草の甘味処「纏 1885年」は何回も店名を替えての現在の店名だそうです。
フラッグス(新宿)ー追加書直し2020.9.25 ー(追 加2020.8.5)
旗の最初は鉾と呼ぶ古代の武器、、両刃の付いた長い柄の武器で、平安時代から神の依り代となり、呪器として使われ始めます。
この鉾に布で神の名、守護神・軍神名を記して神社で多くたてられ、神の加護祈願します。1000年以上前、室町時代からは武士たちのしるし、戦国の世では馬印に。
有名なのは豊臣秀吉の千成瓢箪、武田信玄の風林火山、今年の大河ドラマ『真田丸』の六文銭等。他に振る物は旗がありますが、纏はこの旗指物が替わったものされています。
西洋でも騎兵隊、軍隊の勝利を呼ぶ守護の呪物、神々の持ち物(トリビュート)として9世紀あたりからひらめいていました。キリスト教の図像にも悪魔に勝利した大天使ミカエル、龍を退治した騎士ゲオルギウスらが旗とともに描かれていました。紋章が描かれる軍旗がフラッグですが、個人を示す旗はbanner(バナー)と呼ばれいてます。
お隣の中国でも戦時に紅巾の乱、黄巾の乱、チンギスハーンは白い旗、と色つきの旗が使われていました。時代を下るとこれに事象、月や太陽がが描きくわえられます。
ネットの『のぼりドットコム』の記事では今は二種名の旗に分かれているそうです。アピールして告知する役割の幟(のぼり)と所属のシンボルの旗。幟は最初は流れ旗、細長い耳付き旗となり、戦国時代からの呼び名がのぼり、昇旗とも呼ばれるが、語源は不明、。
平和の時代には武家の子供の成長祈願に掲げられたものが、庶民にも行き渡ります。今はお店の看板として、お相撲の興行のぼりとして活躍。(左の写真は京都のお土産子育て飴等ののぼり)
子供の日に揚げる鯉のぼりものぼりの一つですが、この店名も少ないけどあります。成長を願うのは子供もお店も同じ気持ち。
大本の旗は今は外で振ることがあまりないように見受けます。
国旗は昔はロイヤルな催物、外国人の国賓とかでよく道で日の丸を振っていました。
そして、スポーツ競技は多くの国旗が登場、万国旗(日本では明治中頃の万博から)、野球、FIのチェッカーフラッグ、箱根駅伝も多くの旗が振られていますね。
店名はそれぞれの千成瓢箪や六文銭等はそこそこ、店名にありますが、ただ、フラッグ、旗だけはすくないです。
会社で有名なのはジャム会社「アヲハタ」です。創業者が大正期にイギリスで観戦した大学対抗のボートレースで旗めいていた"BlueFlag"の印象から青旗=アヲハタの命名でした。
1970年台に文字通の一世を風靡した南欧料理(地中海料理の表示もある)系の「フラッグス(Flags) 1982年 代官山」が唯一。こちらは地中海料理で名をはせた「ド・マーニ 池尻」の出、世田谷(上馬)の5坪の店から、代官山の10坪店へ口コミで名を広めていました。(『都市ごころを読め 桑原才介 TBSブリタニカ 1987年』より)
由来は書かれていませんが、ブログ検索で『西浜物語』の中でサーフィン仲間が集まって作ったTシャツにデザインした文字から、Flagsを「オーナーシェフが商標登録したことに始まるとか。真偽は確認できていません。
個人的推測ですが、その後いくつも店(上海クラブ 和食店玉井)を増やしていますので、フラッグを複数形のフラッグスにして振る旗を増やす、仲間を増やす、意味を含んでいたのではと考えています
店名はフラッグスですが、ある意味隠れていて、続けて作った店も店の看板はつけない、大きな宣伝もしない、仲間内の口コミだけでお客を増やしていました。
多数の影響を受けたシェフたちもいた店、現代はアクセサリー店の4℃が引き継いでいます。写真は「フラッグス 新宿 1999年」。元フラグッスのオーナーシェフは「バルタパス 虎ノ門 2009年」で腕を振るっていました7。
ネットではカメラが一般的ではない時代の写真代わりの役割を担ったとありました。店名は今の時代にあうように言葉を入れ替えたと思います。
イタリアンでも旗の意味の「bandiera(バンディエラ) 江戸川橋 2012年」を見つけましたが、もちろん三色旗の旗がお店には掲げてありますが、今風でサッカーの注目の選手チームリーダー、旗頭をそう呼ぶのでこちらが由来です。時代を導く旗を振る意味も持っているとのこと。(2020.8.5)
写真はとても読めない難読店名「蕎麦切り旗幟(キシ) 上北沢 2010年」由来はわからないのですが、訓読みはのハタノボリ、態度、姿勢、主義をはっきりしてる意味の旗幟鮮明の四字熟語があります。音はイ行並びの地味なんですが、意味は強そうです。(2020.9.25)
暖簾(写真西麻布赤のれん)ー追 加2020.8.30
お店にとって大切な暖簾、看板と同じように大切な道具です。旗や登旗から発展したともいわれています。
歴史も古く暖簾という名称ではないが、奈良飛鳥時代から日除け、砂・風よけとして使われていました。店の印として定着したのは安土桃山時代だそうです。
江戸時代には暖簾分けのシステムも確立。暖簾を守る、暖簾に傷をつける、暖簾を下す等の言葉通りお店そのものの扱いでした。
そのため店名にはほとんど使われていません。戦後直ぐの開店の有名な博多ラーメン店「赤のれん 博多市 1946年、最初は別名」屋台時代にアセチレンガスの煤で汚れるから赤に染めた、お客の学生たちが電球で透けた暖簾が赤くなっていたのをみて通名で呼び始めたと二つの由来がネットにはありました。
東京の暖簾分け店の「赤のれん 西麻布 1978年」のオーナーがチェーン展開したのが「福のれん 日本橋1号店 1994年」。
同様に暖簾がつく店名は熊本ラーメンの「肥後のれん 新宿 1974年」もあります。こちらもネット記事によると元祖熊本ラーメンの「赤のれん 熊本市 1971年」と関係があるそうです。、3店ともラーメン店「赤のれん」関係。
暖簾の地色は派手な色は嫌われていて、紺藍、赤茶色。白色と限られ業種によって異なる色でした。その点でも「赤のれん」は異色の店名だったのです。ちなみに文字の色は黒字、お店の経営が黒字になるように、赤字はあり得ない色です。
あとはビジネス系列「ゆれ暖簾 南青山 1999年」王将グループ「花のれん 上野1号店 1993年」とビジネス系列くらいですね。
縄暖簾は江戸時代後期に鰻屋、蕎麦屋、汁粉屋にも掛けられていましたが、店数が多い居酒屋の印になっていったようです。
現在もある横浜の牛鍋の老舗「大田なわのれん 横浜市 1868年」も最初の地名からの太田屋に掛けられていた縄暖簾、以前書いたように肉の臭いでよって来る蝿を防ぐために掛けられていたそうです。こちらも赤のれんと同じく「大田の牛や」から通名が店名となり大田なわのれんと呼名になりました。
全国的にも多いのは「赤のれん」のような色名グレープのれんと「花のれん」、屋・家・亭等のようにしっぽにつけるタイプが多いです。
お店にとって、暖簾は身近なとても大切な道具のためなかなか店名にはなりにくいようです。
にびき(下谷)
家紋はよく店名になります。食べ物関連では醤油のキッコーマン、亀甲形に萬の字、ヤマサは山の形にサの字。
鰹節のにんべんは江戸期1704年に創業時伊勢屋伊兵衛なので、イの字金にんべんの商標を使っていたら、江戸町民が「にんべん」と呼ぶようになり、この社名になりました。
写真はふぐ料理の「にびき 下谷 1848年」、暖簾に丸に二の字を紋に使っていたら、通り名がにびきになり、内田屋から店名に変わりました。
2回取り上げているラーメン店「Japanese Soba Noodies蔦 巣鴨 2012年」は実家の家紋から。
蛇の市本店(日本橋)
蛇の目は鮨屋に多く、加藤清正の紋。シンプルで力のある見た目なので、江戸時代後期から多い店名。
川柳にも加藤清正の絡めたもの、助六の芝居を推測させる句が天保年間からあります。嘉永年間(1848年~)の『江戸流行細見』に2店本所二つ目(江東区高橋二丁目)と瓦町(浅草橋三丁目)、慶応版にも2店東両国と常磐町にもあったそうです。
以前和食の項目(歌舞伎からの家紋名系)でアップした「新富町蛇の目鮨 1865年」ほかに、文春の掲載の『屋号の探検』もう一つ本店、「蛇の目鮨本店 神田」があり、かつてあった「蛇の目鮨 日本橋 1924年」の流れ。
記事の頃は小田原の洋食「ビストロ・ジャノメ 1996年-2012年」が引き継いでいたとか。相当、大きな鮨屋で多くの弟子がいて、店名は日本橋の屋台時代蛇の目傘をさして、営業していたからではと記事にありました。
同じ由来で、今はもう閉店していますが「蛇の目すし 渋谷 (雑誌『食堂1968.1』掲載)」は浅草の屋台時代に日傘をのかわりの蛇の目傘から蛇の目の店名にしたとあります。系統は不明ですが主なものは「蛇の目寿司 銀座 1899年」「蛇の目すし 両国 1860年代」「蛇の目寿司 西新宿 1927年」「蛇の目鮨本店 神田 1955年」「「蛇の目鮨 巣鴨 1971年」
写真は老舗「蛇の市本店 日本橋 1889年」、最初は日本橋河岸の屋台の「蛇の目鮨」から始まり関東大震災の後は築地に移転、その後日本橋にもどり営業。上の「蛇の目鮨」もありましたので「蛇の目の市太郎」だったのを作家志賀直哉が「蛇の市」と名付けたと記事にありました。
蛇の目は利き酒に使うお猪口のなかに描かれていることが多く居酒屋の店名にもありますね。「麻布羊屋」がやっている居酒屋日本酒バー「銀座じゃのめ 銀座 2013年」はそうかなと思いますが・・・。
かつては「蛇の目 板橋区大和町町 1960年代後半」という鰻屋さん、近所の「蛇の目鮨」から別れた店。鮨屋がダントツに多いのですが、横浜市の「じゃのめ 横浜市 1893年」のような牛鍋・しゃぶしゃぶのような肉系のお店、ラーメン店も全国にはあります。
老舗の横浜市の「じゃのめ」の由来は上の鮨店と同じく目印の蛇の目傘が置いてある店、開店したのが巳年等の説があるとHPには書かれていました。
同じく巴は八幡神社の神社紋で、武士が信仰する方が多く、商売替えのときこの紋の店名にすることがあったそうです。(『巴屋』参照)
モッコ(自由が丘)ー追加2023年12月30日
十大家紋の中にありながら、家紋も人気のあるもの人気のないものがあります。
江戸時代豊臣家が天皇より賜った桐紋は葵紋のように禁忌になっていなかったので100近くの店名に付いていました。桐の箱に入った製品が高級品のイメージ。
食べ物屋ではけんどん屋(蕎麦屋)の「桐屋」が資料に載っています。サンドイッチ屋「きりや 神田佐久間町 1948年」はHPに詳しく天保年1837年創業の油屋から始まり小間物雑貨店、終戦後パン屋に。家紋の桐からの店名を使い続けています。
中国とは木の種類が違うようで、鳳凰の棲む木は梧桐、アオギリのこと。こちらも少なく和食「梧洋 銀座 2016年」居酒屋「アオギリ 学芸大学 2012年」
木瓜はキュウリの切り口模様図案化と言われています。中国では地上に巣をつくる鳥の上から見た図。
今年映画やテレビで織田信長が評判になっていましたが、『織田木瓜』が家紋。写真「PIzza HOUSE MOCCO(モッコ) 自由が丘 1970年」、スペインバル「marunimocco(マルニモッコ) 千歳船橋 2012年」はオーナーの実家の家紋『丸に木瓜』から
カタバミは野草の名でハート三つの葉の形をデザインしています。子孫繁栄するとして武将に信仰され、130家以上の家紋。田にはえる生命力のある雑草の繁殖力の強さが好まれています。
同じ理由の古代からみられる沢潟(オモダカ)、毛利氏の家紋で矢じりの形が勝軍草(カチイクサクサ)で武士に人気。120数家の旗本の家紋。歌舞伎市川猿之助の掛け声で有名。
店名としては少なく家紋と分かるのは和食「おもだか 本郷 1971年」古民家カフェでNHKの番組にも紹介の「茶寮おもだか 多摩川霊園 2010年」「飯家カタバミ 森下 2018年」
葵(写真赤坂鮨葵)ー追加2023年12月30日
江戸時代は徳川家の紋章としてガッチリ縛られていた三つ葉葵、此の植物は存在せず、京都の最も古い下賀茂神社の社紋からウマノスズクサ科の二葉葵が元となっているそう。源氏の時代からの武士の守り神八幡神社の社紋三つ巴紋からの二つから成の立つという説があります。
家紋の由来のは以前アップ天婦羅屋「葵丸進」くらいでしょうか。古い店はなく鮨屋には「葵すし 石神井公園 1965年」「葵鮨 新小岩 1972年」立ち食い鮨屋でよく雑誌に紹介の「立葵鮨 有楽町 開店年不明」。写真は葵鮨の暖簾分けではない「鮨葵 赤坂 2017年」
他の漢字の組み合わせは植物の向日葵、食材の山葵があるのでよく出てきます。
梅雨の頃から咲くタチアオイ科のハナアオイ、こちらは女の子の名前として今の人気絶頂、豊かな実り、大望の花言葉を持ついろいろな色の真っ直ぐな茎に爽快感があります。鰻屋「花葵 三軒茶屋 『東京味覚地図1958』掲載」
今の店名を見ると音が同じ蒼、あおい、AOIと色の名をイメージが強いです。喫茶店、焼鳥、ラーメンと幅広い。
ローブリュー(南青山)
外国では本文の再掲「ローブリュー 南青山 2002年」はバスクの十字架と称される四枚の羽根のマーク、バスク語では四つの頭の意味のシンボルマークです。少し卍に似ています。フランスのブルターニュ地方、シチリアやマン島のシンボルマーク三脚巴紋(トリスケル)と関連するといわれています。
三脚巴紋は古代ギリシアから使われているマーク。人気のイタリアンの「Giglio(ジリオ) 汐留 2008年」は百合の花ですが、フィレンツェの市標だそうです
イギリスのパブの店名としてよくある「The King's Arms キングスアームス」、王家の紋章はさすが食べログで一店のみ。
門洋菓子店(日本橋)
家の守り。外国では街の守りとして門、ゲイト、ポルト、ポルタががっちり守っています。日本でも京都の街では御所、寺院、神社に多くの門が構えています。ある意味治外法権、悪霊から守る結界の印のイメージが強いです。
門前というと寺や神社の門を想像しますし、仏門にはいるというと、僧侶となることをいいます。
我が国の門は実際の見える門の他に、門出、一門のように家族と家自体を表すこともあります。
歴史上では平安京では羅生門の名前を、ヨーロッパではパリのエトワール凱旋門、ベルリンのブランデンブルク門、コンスタンティヌスの凱旋門が有名。
三和興業の喫茶店「凱旋門 京都 1958年」のチェーン店がありました。(ネット検索では「凱旋門 姫路市 1987年」が多量ヒット)。1952年にインク゜リット・バーグマンがヒロインを演じた『凱旋門』が日本で公開(1948年公開)していますが、とても暗い印象の映画でしたから、影響は疑問形。同じく1950年公開『羅生門』も、黒澤監督を世界のクロサワにした名作ではありますが・・・。
『洋風喫茶店 1954年』は写真だけですが、「門(モン) 西銀座」「もん 歌舞伎町」が掲載。西銀座の門は『失われた帝都東京』、大正・昭和の建物写真集にも載っていて、昭和初期の建物、イギリスの15-17世紀頃の建物を模したもの、看板表示にはシャレた『Mason Mon Salon de the』となっています。
「カフェMON}を経営する西洋菓子の「門洋菓子店 日本橋 1964年」はトレードマークに凱旋門が使われています。
ヨーロッパの凱旋門は古代ローマ帝国時代から、記念碑的なモニュメント、特に戦争に勝った記念に建てているので、守りのしるしではなく、時の皇帝なり王様の業績のしるしです。
中華が尻尾に楼、飯店、門をつけるのが多く、門は前の二つよりは比較的、少なく、新しいです。
中華街がかならず牌楼門(パイロウモン)と呼ばれる四神をイメージした四つの門で東西南北を守っています。
樓や飯店より大きな店のイメージでしょうか。「龍天門」「龍門」「黒龍門」「福臨門」「招福門」「登龍門」等。
「福臨門酒家 銀座 1989年」が香港からやってきてから、門の尻尾を見かけるように。
カフェダイニング系ソーホーズ(既に倒産)がオープンさせた「青龍門 渋谷 1990年」はコンセプトテーマレストランとなっていました。
MAYMON(銀座米門)
新和食「MAYMON(米門) 新宿 2002年」(写真銀座店)こちらも既にM&Aで経営は最初の会社ではありませんが、美味いもんの意味の他に、アメリカ進出への足かがりとしてアメリカへの門を掲げていました。
東京にもかつて江戸城の門があり、門前町もありで、地名の門(虎ノ門、半蔵門、黒門など)もあります。
鉄板焼き「赤門 渋谷 1971年」はオーナーが金沢出身だったので、かつて加賀藩の御門だった東大の赤門から。同じレストランかは不明ですが、千葉県で展開する焼肉店「株式会社赤門」は「赤門」のほかに「凱旋門」のブランドも。「モンズカフェ(MONZ CAFE)門前仲町 2013年」スペイン料理「モン(MON) 大門 2008年」近々の店名では、和食店「肴や」から改名の「門 恵比寿 2016年」
笑う門に福来るから「笑門」の店名「遊門」「楽門」も。門がない蕎麦酒房「無門 四谷三丁目 2003年」の店名もあります。
東京にもかつてあった「和田門 福岡市 1970年」伊勢の項目でアップした「伊勢門」「鰤門(シモン) 銀座 2003年」はビジネス系で鰤(ブリ)が出世魚にちなみ、登竜門の意味での命名になっています。音を借りる借音の使い方でも「志門(シモン)」「犀門(サイモン)」等。
門(渋谷)
食べ物屋の範疇から外れますが、バー「門 渋谷 1949年」は資料が見つかりませんが、お客のブログの記事で入口出口が門た゜からつけたとありました。確かに漢字は元々、戸が左右に二つ、出入り口の意味です。聖書でも『狭き門より入れ』の有名な語句があります。門(カド、モン)には時代の流れの中で色々な意味を含むようになっていったようです。門の漢字そのままの意味のは店名には多くないのですが、漢字そのものはよく出てきます。百官といわれる、御所勤めの武士たちの身分、左門、右門、左衛門。右衛門、後で名前に付くようになり、食材や料理名に付ける例が多いです。また、ダジャレ系ですが、come onの意味の花門、嘉門もあります。 外国語の方は建物名にこのゲイト、ポルタが多いためか、意外と多くありませんね。現在休業中の東京プリンスホテル内のビュッフェ「ポルト 芝公園」は御成門近くなので、門゜かも?。伊語ポルトには港の発音(有名店アルポルトが一例)もあります。造語でポルトを使って港と大地の「ポルテラ 神田司町 2016年」雷門をイタリア語(ラ・ポルタディツォーノ)から造語しているのが「trattoria e pizzeria Portuono(トラットリア・ピッツェリア・イル・ポルトーノ) 浅草 2012年」
空と海の目印(写真は北極星) ー(追加2020.8.7)・(追加2020.11.20)
砂漠の遊牧民、船が北を目指す時の目標点、北極星 ポールスター。世界中で普遍的、絶対的な中心として宇宙の中心点となっています。西洋の占星術では黄道12宮星座が中心になっていますので、北極星は動かない恒常星として夜の門、天の扉、天のへその位置づけ。
占いでは中国の方が重要視していました。北極星は4星または5星で構成され、星官として占術で活躍。中央の星が皇帝を、右が太子、左が庶子。光の様子で占うことが清朝まで続いていました。
色々資料を呼んでいくと北極星は徐々に変わっていくようで、今のこぐま座のアルファ星は1000年くらい、のちに琴座のベガ(織姫星)が北極星に交替していくそうです。
全国に有名なのはオムライス「北極星 大阪 1925年(創業時パン屋の食堂、1936年より)」元衆議院議員の永井柳太郎の命名で『生活の道しるべにせよ北極の天に輝く明星の如く』という言葉から。(お店のHPより)
日本郵船時代の欧州航路の客船から引き継いだドライカレーで知られている「ポールスター 丸の内 1952年」洋食から欧風ダイニングからイタリアンと親会社と業態を変えて継続しています。
イタリアン新店「La Stella Polare(ラ・ステッラ・ポラーレ) 代々木上原 2019年」は北極星のイタリア語で旅人を新たに送り出し、向かうべき場所として見つめ直し、疲れを癒しの場所としたいことを願う場所とお店のHP。
ラテン語の別名ポラリスもありますが、あまり知られていないせいか、ここ十年で東京では増えていますが。耳に入ってきたのがおそらくアメリカの最初の開発のミサイルの名称だからかも。(2020.11.20)
関連して挙げられる北斗七星、北斗星、ななつぼし、北辰も使われています。北極星を探す目印の星座。
陰陽道では重要な役割の星座で、天下の興亡を司る北極星と人の運命をを司る北斗七星を使って祈祷していました。
北斗は人気アニメの『北斗の拳』の影響もあります。ラーメン店が多いです。
写真は複数店ありの「ラーメン北斗 新橋 最初原宿店を父親から1983年頃引き継ぐ、中華「北斗 北青山 1995年」等」
コメータ(麻布十番)
悪いことの凶星として彗星がメディアでよく取り上げられます。現在は天体ショーとして楽しみのひとつが彗星、コメットも少ないですがあります。
同じ意味のほうきぼし、流れ星、流星(リュウセイ)にはなぜかこちらもラーメン店が多いような・・・。
古いものと新しいものは偶然、麻布十番にあり、イタリアン「コメータ 1983年」とブランジェリー「コメット 2016年」
しかし、「コメット」の由来は変わっています。オールアバウトHPからの記事ですが、フランス語の『彗星に図面を引く』の言葉から、できもしない絵空事をやろうとすることとか。でもそれをさらに積極的に理解して、それでもとにかく、みんなやってみようの気持ちを表したものだそうです。
女性店主のラーメン店ということでマスコミに登場している「ほうきぼし 赤羽 2011年(神田店2013年ほかにも支店あり)」も知られています
いちばん星(清澄白河)
ほかに、星は金星、全天で一番明るい一番星、宵の明星、明の明星と呼ばれます。残念ながら東京には少なく、夕方から夜のイメージなので当然居酒屋が多く、中華ラーメン店もそこそこの数。写真は少ない洋系の洋風居酒屋「いちばん星 清澄白河 1999年」は意外と老舗、のれん分けの「木場いちばん星 2015年」もあります。ただ、金星(キンセイ)をキンボシと読む店もあり、少し違う意味をイメージする店も、目立つことは変わりありませんが・・・。
ビジネス系で居酒屋「大金星 田町 2009年」は大相撲の金星からでしょうか、HP上には大相撲の錦絵が掲載?。
2007年のミシュランの星採りが外食界の話題に登るようになり星への興味が高くなっています。
こちらも新店の蕎麦屋「夕星(ユウヅツ) 代官山 2019年」は宵の明星のこと。(追加2020.8.7)
ファロ(代々木)
当然ながら、船の安全を守る灯台も目印。ただ灯台そのものは少なく、イタリアン「ポルトファーロ (港と灯台、海のイメージ。西麻布のアルポルトのシェフがプロデュース、前回のアップで資生堂の店と勘違いしてしまいました。訂正します。) 銀座 1995年」「ファロ資生堂 銀座 2001年」(銀座の地から新しい光を放つ)、
「ファロ(FARO) 神楽坂 2014年」(お客にとって灯台のような存在、船が灯台の灯を頼りにやってくるように-お店のHP)。今年オープンのカフェ「FARO(ファロ) 代々木 2016年」(写真)も意味は灯台です。
三ツ星・オリオン(写真めぐろ三ツ星食堂)
冬の大三星オリオン座こちらも店名に見かけます。とても目立つ冬の星座なので、ほかの星座を探す目印として、他の二つの星と共に、冬の大三角と呼ばれています。
家紋ではこのオリオン座の三ツ星からの紋もあり、武将の星として中国では将軍星、左将軍星、右将軍星として崇められ、日本にもそれが伝えられています。
一の字がついた毛利氏の家紋として有名です。
三ツ星は牛肉屋「三ツ星」が赤坂区と麻布区の2店が『東京案内 1907年刊』に載っています。雑誌に載っているのは「めぐろ三ツ星食堂 目黒 2001年」みんなが好きなオムライスとカレーの特集に見かけます。
ミシュランガイド日本版は2007年から一般の方々知られて、この後はこの最高点の三ツ星にあこがれての店名も存在するかも。イタリア語の「TRE STELLA(トレステラー三ツ星) 中野 2010年」
東京會舘の「オリオンルーム(現在はレセプションルーム名) 丸の内 1922年」喫茶店「オリオン 神田 1929年」「オリオン 新宿 建築写真写真文庫1958年掲載」「ニューオリオン 自由が丘 1956年」洋食「ORION 原宿 1978年のガイド本掲載」「燻製バーオリオン 澁谷 2010年」
ラーメン店「オリオン食堂 南長崎 2001年」と支店「オリオン食堂 野方 2019年」の看板三ツ星が店名の上にキラキラ。HPでは三つほど願があります。オリオン座のように外食界を代表する店に、全天で最高の明るい恒星のオリオンのように永遠に輝き続ける店に、オリオン座の三ツ星のように三ツ星を目指す想いの店に、です。
「ブックカフェオリオン 武蔵関 2011年」は椅子の配置もオリオン座に配置するこだわりを持つカフェも。
ナベノーイズムの三ツ星ロゴ(駒形)
2016年の各ガイドで上位を占めるフレンチ「Nabeno-Ism(ナベノーイズム) 駒形 2016年」店名は姓の渡辺のなべシェフの愛称とイズム、特有の主義、流儀、傾向からの造語なんですが(お店のHPから)、注目はお店のロゴ。三ツ星、三団子と呼ばれる三つのオリオン座からの星とその下に一の字。渡辺星と呼ばれるシェフの家紋で、戦いに勝つの意味を持つ紋。
シェフはこの紋を星が三つ皿に盛りつけられたイメージとして、星(ミシュランの三つ星のことでしょうか?)を憧れとして、意識して追い続ける想いをロゴマークに込めたとありました。
沖縄のビール会社、オリオンビールも星座のオリオンから、沖縄を象徴する南の星、神が住む星だからとその頃の統治者のアメリカ軍の司令官わ表すスリースターにも関係しているとHPにはありますね。
「織恩 文京区西片 2010年」も石垣島の塩ラーメンを出しているので沖縄のイメージからでしょうね。
印の樹木(写真は品川いちょうの木)
『街路樹 植物No.7』で多くの樹木を取り上げましたが、よく同じ樹木をしるしとしてフレンチ「楠亭 本郷 1980年、既に閉店」再掲「ダオルモ 神谷町 2012年」写真の甘味処「いちょうの木 北品川」。「ヨックモック(スウェーデンの観光地の小さな村名) 北青山 1978年」は商標マークの印の創業者が愛した花みずきを植えています。かつてあって表参道モリハナエビルのカフェも店名が「花水木」でした。
樹木は命は長く、樹齢六百年のクスノキの脇の「楠亭 本郷 1980年」、あたらしい「ベジーブル 2006年」になっても目印になっています。
おなじ木では「珈琲館くすの樹 西東京市 1979-2019年」は立派な樹齢200年の目印の楠があります。(2021年、楠とともにスターバックスが引き継ぐ)
具体的な木の種類の名前ではない「レ グランザルブル 広尾 2013年」、"大きな木"の横にあるカフェも。
階段ノ上ノ食堂(吉祥寺)
階段を目印にしている食べ物屋があります。階段は昇る、地下に降りる、どちらにしてもお店側にとってはやっかいなしろもの。
でも、建物にある階段、建物の外側にある階段を目印にして、店名にしています。「三十五段屋 渋谷 1994年」あたらしい「階段ノ上ノ食堂 吉祥寺 2015年」
仏語エスカリエ、伊語スカーラは見つかりますが、英語ステアーはあまり見つけられません。
天然現象で雲の絶え間から日がさす現象をエンジェルズステアーズ(天使の階段)と呼ぶそうですが、「エンジェルズステアーズ 自由が丘 2015年」は天国に続く階段を上がって酒を飲みかわし楽しんでほしい店名(お店のHPより)。ビルの4階にあります。
カフェ「レスカール 竹芝 1991年」「レスキャリエ 奥沢 2010年恵比寿から移転」移転前はレストランの2階に上る目立つ大きな階段。割烹前田のワインバー「カグラザカマエダレスキャリエ 神楽坂 2009年」
「ビストロレスカリエ 自由が丘 2008年」階段を上った2階にあるフレンチ、食べログには階段を一歩一歩上るように頑張ると書き込まれています。再掲「スカラ・ディ 西麻布 1997年」
現在は店名を替えているイタリアン「SKALETTA(スカレッタ) 渋谷 2003年別店名に」は意味は伊語梯子、階段ですが、シェフの修行先の名前をもらっています。
岡山市の人気フレンチ店「エスカリエ 2012年」は『階段を一段一段上がっていく気持ちで』ということ、入口には階段はありません。
目印なしー隠れ家?(写真は池袋カクルル)
逆の方向性から目印なし、看板がない一時期、隠れ家の形容詞がつく食べ物屋も増えました。そんな店をまとめたガイドもよくみかけました。
隠家のイメージは以前から食べ物屋にはありました。別荘の意味のヴィラ、山荘の意味のコテージ、ヒュッテ、シャレなど。
具体的には茶漬け「鹿火矢(万葉集の隠れ家の意味鹿火居から) 新橋 1958年」喫茶店「ドゥ(仏語の2番で、家の次の隠れ家の意味) 目黒 1972年」欧風カレーの先駆け「Bondy(ボンディ) 神保町 1973年」は義賊の住処(フランス語?)という変わった名前、神田古書センターの2階奥の場所のこんなところにという印象。
他にエスニック料理屋「ラ・エスコンディーダ(スペイン語隠家) 六本木 1992年、既に閉店」
今はわかりやすく隠れ家、アジト、離れ、別邸、アネックス(別館の意味)の店名が90年台から増え続けています。
ネットの説明を転載すると、世間の目からかくれて住む家,場所。隠れ家と付けて陰翳のある雰囲気、アーティステックな雰囲気、人が知らないことに魅力を感じ、露出しないことに価値を見出す、そういう空気感を出して売りにする飲食店。
江戸時代はよく若手に譲り、隠居という人生を選ぶ方もいました。今年、展覧会があった日本画家若冲もその一人です。
料理人やシェフも弟子や息子に本店を譲り、隠れ家的に常連相手にほんとにひっそりと続けている店もあります。蕎麦屋「みかわ是山居」店主の姓名からのイタリアン「ちいさな台所ひらた」「ヒロソフィー」和食「福笑」の「FUKUSAKO(フクサコ)」はそんなお店。
高級感とか選ばれたプライベート感がたっぷり。それが隠れ家の店名が選ばれる理由ですね。
実際多いのはチェーン系「隠れ屋」「隠れ家」「隠れ房」「隠れん坊」「隠れ野」「カーブ隠れや」、頭や尻尾に付くものもあります。ほとんど頭に付く形容詞化扱いも多々あります。
写真は雰囲気が隠家の様?、覚えにくい!店名に挙げた隠れるの古語からの店名のリノベーションカフェ「KUKULULU(カクルル) 東池袋 2014年」
アジト(駒沢) ー(追 加2020.8.10)
アジト、『アジテーティング・ポイント』の略、労働運動や地下運動の拠点、指令所、隠れ家の意味。子供が内緒のアジトを作ったり、不良仲間、同志と集まる隠れ家のアジトとして今は使われています。
情報誌のなかで最初に見たのは「adito(アヂト) 駒沢 2002年」というカフェ。その頃では数少ない男性向き食事カフェ、看板はなく、角に建っている普通の住宅の一軒なカンジ。カフェとしては隠れています。
その後この狭いけど親密さをイメージする店名はバル、居酒屋系に増えています。
会社名もajitoはイタリアンダイニングバーを「ajito 2006年」渋谷に3店、全ての人に各々の居場所ajito、秘密基地を形成したいそうです。3年後の2009年にぜいたくなの意味を追加して「ajito luxe(アジトリュクス) 渋谷」開店しています。
ラーメン界は「ajito(アジト) 大井町 2007年、2013年ajito ismに改名」が有名、表通りではなく住宅街の中に隠れた店。「ドゥエイタリアン」よりもっとイタリアン寄りの混ぜそば店
同じように隠れ家のような立地を選んでいる「東京バルAjito 六本木1号店 2011-2016年」居酒屋「あじと 麻布 2009年」
イタリアンバル「Agito 赤坂 2010年」、川崎から出店の居酒屋「AJITO 新橋ほか、左写真の2011年開店中目黒店」。
当て字で「味人」もありますが、こちらは意味は別かも。
洋系の他は少なく、「アンカシェット 青山一丁目 2001年」再掲の「メゾンカシュカシュ(かくれんぼの意味もあります。) 四谷 1998年、既に閉店」フレンチバル「ルフージュ 銀座 2011年」イタリアン「セグレイト 西麻布 2003年、既に閉店」肉バルの英語の溜り場の意味の「HANGOUT(ハングアウト) 淡路町 2013年」まんまの日本語で「たまり場 六本木 2004年」
DEN(鶯谷でん)
初期の頃の項目の書き直しを考えていて、調べ直しをしているなか、喫茶店「DEN(でん) 鶯谷 1972年」で、雑誌等で昭和の喫茶店のメニューでグラパンで人気のお店。
デンは姓名によく使われる田の音読みかと思ったら、英語でdenには動物の穴、盗賊の巣、個人的な私室、趣味の部屋、書斎の意味、隠れ家的な言葉でした。
喫茶店にはなかなか似合う言葉。今ある「DEN」はほとんどフードビジネス系ミュープランニングのお店はこの意味だ思います。バー「MALT BAR DEN 表参道 1996年」から始まり「DEN AQUAROOM 青山 1999年、新宿2003年」和風の「でんのしおり 表参道 2001年」ワイン食堂「Den 表参道 2011年」から「チーズとワインのお店 Den 日比谷 2016年」と長期にわたってつけています。
当然最初の予想の苗字の田、伝もあります。日本酒バー、居酒屋「めろう屋DEN 神田 2014年」メロウは英語の"mellow"の熟成の意味を、DENは田んぼの田と苗字の一字。「DEN 墨田区横綱 2012年」両店とも暖簾に"田"の目立つ漢字。
料理のおでんの「den(デン) 四ツ谷 1992年」もあり、なかなか使い勝手が良い店名のようです。ブログでは元おでん屋さんだという「肉和食Den 大森 2019年」、インスタグラムの検索ワードに隠れ家を入れています。看板も小さく陰刻で書いていて分かりにくくなっています。
サイン・めじるしとなりたい(写真は北青山サイン)
上に出できた多くの食べ物屋は、目立つことにより人の目を引き、お客を呼びよせることを目指しています。
お店そのものが街のしるしとなりたいと店名にした「サイン 北青山 2002年」「Briccola(ブリッコラー目印、船の道しるべの水面の杭、食の道しるべを期待して) 新宿 2002年」
フランス語も一店「シグネコーヒー 根津 2017年」も自分らしく自分を表現できる空間と根津のサインになりたいそうです。
英語の印、目印マーク、ラウンドマークはビル名に多く、マークは英語圏の名前も多いので少ないです。新しいところの日本では米印のアスタリスク、ドットの点、心理的にこれらに視線が集中しますね。
以前アップした「アスタリスク1103 渋谷」のアスタリスクは集める、住所1103を付けて人が気軽に立ち寄って集まる処の思いの店名
「アステリスク 代々木上原 2012年」はフランス語の小さな星の意味として、ちいさくても皆でから強く輝き続ける。
記号の目印(恵比寿コンマティ)ー追加2019.5.11
記号は広くは宗教のイメージの自然物から人の関係を表す紋章・家紋等、記号は紀元前まえから発見出来ます。
現代的なしるし、いろいろな文章を作る時の、点『、』、丸『。』黒丸『•』ドットの点もインタールット上のアドレスの区切り点としてよく出できます。これらは実際街中で見つける目印とはなりません。
一番古いのが亜字形と呼ばれる中国の甲骨文字、文字という一番小さい目印、サイン文章の点、丸、ハイホン、チェック文字。中性の錬金術から科学、音楽、情報科学の世界にも独自の記号世界を作っています。
新しいのはネット上のアラユル記号、コンビューター用語やSNSの記号。アイコン、アットマーク、ドット、コンマ、スラッシュ、アスタリスク等。
これらが日常的に手のひらサイズの画面上にあふれて身近な目印となっています。組み合わせて泣く、笑う、怒るの絵文字も多く作っています。
スマホを見ている時間が人生の中で費やす一日2時間から8時間、人生の3分の一と長時間になってきているのでそこに使われる記号に目が行くのは自然です。
当初は記号そのものではなく呼び名が付いています。上の項目での句読点の英語の「ディプント」呼称のままの店名。
両方併記が一番多い、「NIJU MARU(◎、ニジュウマル )」はコロワイド系、美味しさ〇、楽しさ〇、幸せで三十〇にするように。モンテローザの「くろまる(●)」うどんの「はなまる」小学生の時先生から花丸をもらい嬉しかった気持ちから、お客からの花丸を・・・。みな大手のフードビジネス系
ディプント
注目を集める、区切りのイメージ。「D;PuNTO(デプント) 神田 1号店2009年、写真は銀座店2010年開店」はサントリー経営のコンセプトは日常線上の句読点、ダイニングポイントの意味。
日常上の句読点として、特に女性のための小さく可愛らしいダイニングポイント(DiPUNTO)でありたいがコンセプトのワイン酒場。
他は「Pointjour(ポワンジュール) 大門 2001年」仏語の夜明けの意味ですが、あえてポアン(点)ジュール(今日)>。再度の掲載「ポワンエリーニョ 大手町」このブーランジェは点と線の意味で点はどうやら東京の起点の意味、東京から世界という線へ。
一番多いのは英語のポイント。前回、十にアップしたクロスポイント、十字路、ほかにベースポイント、ブルーポイント、ワンポイントなど。
「BLUE POINT(ブルーポイント) 西麻布 1986年」(『ブルー・ブリュ』掲載)は牡蠣が集まる場所の意味、十字に交わる点、十字路にある「カフェクロスポイント 高円寺 2011年」とガイドにはすこし凝った点が紹介されていますが、ただのポイントは多いのは喫茶店の「ポイント」で、ちょっと休憩のお休み処のイメージですね。
チェック
記号の始まりはポイント、記号の印の始まり、点、ポイントは幅広い意味に使われネットで調べても句点、ピリオド以外らも30以上の意味を知ることができます。使用頻度の多いのはポイントカードのポイント、得点、加点の意味。
「プント・プンティ 新宿 1990年」はイタリアンで点と線。「PUNTO PUNTA(プントプンタ) 恵比寿 2005年」スペイン語の点と点、「ハイフン 自由ケ丘」はカフェで人と人を繋ぐー、人と音楽も繋ぎます。
両方併記も多いですが、記号そのままに店名に使われ始めてのは最近です。中にはダジャレ風のドットコム(.com、どっと店が混む意味)も登場。
「@ホームカフェ 外神田 2004年」旬彩料理「、(テン) 神泉 2007年」。「・・・(テンテンテン) 中野 2012年」は余韻を残す意味。
「.dot(ドット) 恵比寿 2016年」。写真の「,(コンマティ) 恵比寿 2018年」、流行のタピオカミルクティーの店、あなたの一日に小さなコンマ(息抜き?)を・・・。新しいのはピッツア専門店「チェック 不動前 2018年」お店の壁のよこに大きな✓がロゴマーク、目立ちます。
まる。(荻窪)
何時ごろか不明なのは店名としては読みはないのですが、店名の後に付く「。(マル)」、文章の終わりに付くのでここでお客が留まるようにの〆の願の印でしょうか。
ガイドで最初に見たのは煮込みや居酒屋「まる。 荻窪 2013年」以前(?? いろいろある仮装)にもアップしています。
上の「ディプント」にも「ワインの酒場。DiPUNT」とついています。
長い店名(『長~い店名』)にもよくマルがついています。アップしている「カレーは飲み物。」「なぜ蕎麦にラー油を入れるのか。」以外にも新しく「あいう魚、牡蠣くけこ。 蒲田 2015年」「カレーが食べたくなったら。 牛込神楽坂 2019年」
全国に展開中多くある名古屋からの「ガブリチキン。 名古屋八事2011年1号店、2014年高円寺店」も最後の「。」の意味は不明。
和洋関係なくあり、以前もアップの「鯖なのに。 大森 2017年」「だよね。 六本木 2015年」他にハンバーガー「ハラカラ。 三軒茶屋 2009年」食べログ一番古いのは焼鳥の「串や。葛西 2001年」
ネットの記事で2016年のアニメ映画「君の名は。」のタイトルの〇についてインタビュー記事を発見。昭和のメロドラマ「君の名は」のような疑問符がつくことを避けたかったこと、断定の意味合いと力強く締めくくるタイトル、区切りをはっきりつける気分を出したかったとありました。お店にもここではっきりこの店が最後の〆の店としたい思いなのか?。
少ないですが、「、」もあります。和食店「さとう、 白金台 2005年」「、」は遊び心、少し遊び心を感じてほしいため付けたとHPにあります。「六の、、、(ロクノタラズ) 錦糸町 2016年」
東京ではありませんが、凄いと感じたのは「e.(イーピリオド) 仙台 2015年」。これで和食店、白いドア、壁のロゴも白い壁に「日本料理e.」だけ。店名の由来は古典的なオーナー料理人の息子の名前を当てはめたもの。お客には相当ギャップを与える名は店自体の情報は少なくても、周りが色々発信しているこのネットの時代だからこその店名。
屋根の印・風見・シーサーその他(写真は京都市妙心寺の屋根)ー追 加2021.1.25
日本の城郭には金の鯱、名古屋城が有名、寺にはさらにいろいろのっていて、金閣寺の金色の鳳凰、同じように平等院、平安神宮にも、薬師寺の水煙、屋根の真ん中にある宝珠等。火災からのお守りの鬼瓦がいろいろな屋根にお出でです。
丸い屋根や三角屋根も目立ちます。アーチ型天井の「L'ARCHE(ラルシュ) 虎ノ門 2007-2009年」三角の大きなひさし付きバル「SANKAKUYA 町屋 2017年」ドーム型の天井で有名なパリのブラッセリーと同名の丸屋根の意味の洋食「クーポール 赤坂 1974年1号店」
赤毛のアンのなかに出てくる養父母の家の愛称「グリーゲイブルズ 中目黒 既に閉店」緑色の切り妻屋根の意味、への字型屋根で定番の形の屋根。英語のルーフroofはエリア名によく付いています。ルーフトップガーデン、グランルーフなど、店名もわずかにあります。「The Roof(ザルーフ) 有明」のような単独よりも最上階の意味の「ルーフトップ」のような店名がおおいようです。
カザミドリ(目白)
日本では多くはありませんが、ヨーロッパの屋根にはよく、風見、多くは雄鶏の風見鶏が載っています。9世紀頃から悪魔を払う魔除けのお守り的役割。
全国的にみても多い風見鶏、NHKの浅野テレビドラマからでしょうか。結構取り上げているドイツ系パン屋「フロインドリーブ(『ドイツ料理』)」の創業者の物語でした。
舞台の神戸市には北野町異人館の中の風見鶏の館が観光地になっています。もちろん尖塔に風向きを読む雄鶏がいます。
風見鶏の古いのは「カザミドリ 池袋 1978年、写真の目白店(1981-2019年)は閉店」外国語の店名は稀で、東京ではイタリア語の「banderuola(バンデルオーラ) 恵比寿 2015年」。
東京には多くないのですが、全国には風見、風味、風見鶏、かざみどり、カザミドリ等、喫茶店・カフェ、ラーメン店、洋食、そして鶏関係で焼鳥屋に多いです。
らしいのはカフェ「ガーデン風見鶏 町田 開店年不明」です。洋館で風見鶏が屋根に立っていますね。
オニカワラ(渋谷)
沖縄では家の守護に門、屋根に獅子、シーサーがいます。食べログ4店ほど掲載、当然沖縄料理店。当然ながら沖縄にはシーサーの店名が多くみられます。
シャチホコはやはり名古屋でした。コメダ系の「金しゃち珈琲店 2011年」、東京では古いガイドからの鳥料理店「金鯱 牛込 1924年」
ことわざの『うだつが上がらない』のうだつ、屋根に乗る防火壁のような建築物、ないだろうと思っていたら徳島ラーメン店「うだつ食堂 早稲田 1999年」がありました。お店の一階の屋根の上にうだつがあります。徳島の観光地にうだつの街があるそうですから
鬼瓦からはなぜか新店の日本酒バー「鬼瓦 八丁堀 2020年」辛い系居酒屋「オニカワラ 渋谷 2020年」
現代的な屋根にあるのはアンテナ。東京は地方物産のアンテナショップがほとんどですが、全国にはありました。
カフェ「ANTENNA(アンテナ) 渋谷 2001年」「parabola(パラボラー衛星放送用お椀型アンテナ) 代々木 2013年」渋谷の「ANTENNA」は常におもしろいことに対してアンテナわ張っていたい想いのコンセプト。「アンテナアメリカ 品川 2016年」は店名通りアメリカのクラフトビール輸入会社のショップ兼ビアバー。
高湯(カオタン)ラーメンえんとつ屋(西麻布)
飾りではなく実用の煙突、暖房の煙をだす、部屋の換気の役割の屋根に立つ煙突は都市ではほとんど見かけません。
二酸化炭素削減の叫びの溢れる世、以前は蒸気列車から工場、街の風呂屋さんと目立つ煙突が立ち並んでいました。
店名の「えんとつ屋 西麻布 1983年」は「高湯(カオタン)ラーメン」看板が目立つラーメン店。でも屋根には多くの煙突が立っています。
カフェ「entotsu cafe 下高井戸 2009年」は薪ストーブ専門店のカフェ、同じ会社経営レストラン「Entotsu Kitchen 西新宿 開店年不明、2020年閉店」も。
カフェ「えんとつ 世田谷区世田谷 2014年」はノスタルジー系、インタビュー記事に子供の頃家に帰るとき坂に上ったときに見えた坂の下の我が家から立ち上る煙突の煙。それを見ると家族が待っていてくれる安心感と幸せを感じたように皆にもほっとする気持ちを感じるように、で付けた店名。
メジャーなのは煙突型カップシフォンケーキ店「東京えんとつ 麻布十番 2010年1号店」
目印の橋(写真は吾妻橋)ー追 加2021.1.25
橋は有名ないろいろな橋があります、今だと瀬戸大橋やレインボーブリッジ、アメリカの象徴ゴールデンブリッジ、ロンドンのタワーブリッジ、パリのポンデュガール、ポンヌフ、ミラボー橋。
橋のふもとは待ち合わせの場所、多くの映画やテレビドラマで見たような気がします。哀愁の原題『Waterloo Bridge(ウォーターブリッジ)』『戦場に架ける橋』『マディソン郡の橋』など。一条戻り橋の橋姫伝説、弁慶と牛若丸の出会いの場所も五条橋でしたね。
地名や名前(高橋、三橋、橋本)にも多くあり、区別が難しい店名。東京では日本橋、京橋、水道橋、飯田橋、柳橋、新橋等。
戦国時代は川は結界の守りにもなっていたので、橋を架けることもなく、平和の時代の江戸期になっても大井川は橋が架けられていません。
大阪が『八百八橋』と呼ばれるくらい多かったのですが、江戸の町にも隅田川に架かる橋も年代順に千住大橋、両国橋、新大橋、永代橋、吾妻橋等、江戸時代だけでもこれだけあります。
ブリッジ(日本橋)
橋のふもとや近所に橋がある由来の店名が多くあります。一番古い千住大橋の近くの行列ができている居酒屋は大橋のふもとにあるので「大橋 北千住 1877年」。同様に千住大橋で創業したので「大はし 浅草 1907年」という牛肉料理屋。
既に閉店した老舗の鰻屋「太鼓鰻 下目黒 江戸末期」はかつて近くにあった太鼓橋からの店名です。上で扱った『川甚(柴又)』と同じく冷蔵庫がない時代の鰻屋は橋のふもとが最上の場所。「はし本 江戸川橋 1835年」も江戸川の石切橋のふもとにあったのが由来。同じく橋の付く鰻屋「石橋亭 本郷 1890年」「石ばし 江戸川橋 1910年」。確認はできませんが、「石ばし」のほうは創業者姓名ではなく、かつて江戸川(今の神田川)の中之橋の袂に店があったそうなので、橋関連かも。
一番有名な橋は東京の真ん中、日本橋、麒麟が居る橋、それに係るのは再掲フレンチ「ポンドールイノ 日本橋室町 2010年」「ブリッジ 日本橋 2016年」。他の橋も、ワイン酒場「渋谷橋キッチン(渋谷橋隣接) 恵比寿 2015年」立ち食い蕎麦屋「清水橋 西新宿 2011年」。「猿田彦珈琲」の新店は「猿田彦珈琲 The Bridg 原宿 2020年」は近くの神宮橋と五輪橋から。
ポンデュガール(新富町)
上であげた有名な外国の橋も多く店名に付いています。大盛りスパゲッティで有名な「カフェテラスポンヌフ 新橋(再掲) 1967年」は新橋の仏語かと思いますが・・、同名のセーヌ川の架かる橋名でもあります。かつてはピッツェリアもあった古い橋の意味でフィレンツェにある最古の橋の名から(茨城県大洗町の姉妹店イタリアン古橋亭と伊語で)、イタリアン「ポンテベッキオ 青山 1980年」、本店の名前で「ANTICA OSTERIA DEL PONTE(アンティカオステリアデルポンテ) 丸の内 2003年」は1976年に創業のミラノ橋のふもとの古いオステリア。
ポンテベッキオは「ポンテベッキオ 大阪市 1986年」が有名でこちらは大阪の古い橋『本町橋のたもとのイタリアン』で同様にフィレンツェの橋を連想しての命名です。
右写真のワインレストラン「Vin de Table Pont du Gard(ポンデュガールーフランスのガール橋、お店の横にに新富橋もあります) 新富町 2005年」、オペラシティのイメージで芸術橋の意味のカフェ「PONT DES ARTS(ポンデザール) 初台 2000年」も同名の橋がパリにあります。
日本語からイタリア語に訳した店名は「テル・クアルト・ポンテ(ある場所の四ツ橋から) 白金高輪 2015年」
「APONTE(アポンテ) 恵比寿 2009年」は近くのアメリカ橋のAとイタリア語の橋のポンテを組み合わせています。
英語ブリッジも、閉店していますが、最初はブリッジの店名の「ポンヌフ 飯田橋 2013-2017年」カフェ「ブリッジ 板橋 2019年」
海の橋、桟橋はビジネス系コーヒー店、会社名も同じ「PIER'S CAFE(ピアーズカフェ) 表参道 2012年1号店」。オーナーがかつて訪れた『「ピアーサーティーナイン(39番埠頭)」』の地名から。
アルポンテ(水天宮)
本物の橋だけでなく、二つの世界を結ぶ橋、空の虹もそのイメージですが、天の川にも橋があるそうです。神と人の世界、この世あの世の境の橋、橋のふもとには異界のモノが棲む場所。
橋のイメージをアップしたのは世界的ヒットのアメリカンポピュラー『明日に架ける橋』、1970年リリースのサイモン&ガーファンクルの名曲。、原題には明日の言葉なく歌詞のイメージからの訳。
先(『みんなで繋がる』)にアップした「LE PONT DE CIEL(ルポンドシエル) 大阪 1973年」この意味で老舗で一番有名なフレンチ。
他にオステリア「アルコバレーノ 調布市 西太子堂で2007年開店、移転2012年」は虹、イタリア料理美味しさを皆に伝える虹の架け橋になりたいとの命名。全国でも多く、同名のイタリアン「ARCOBALENO(アルコバレーノ) 高崎市」もおなじそう。
虹やレイボーは架け橋のイメージはなく、多種多様な七色の変化のイメージ、フランス語は少なくて、やや言いにくいラルカンシェル(アルカンシェル)は結婚式場のグループの名が食べログにあり、『虹のように「幸福につながる懸け橋」になりたい願の名』とはあります。
以前多く(『みんなで繋がる』)上げた「ブリッジコーヒー(今は馬喰町に移転)」ほか以外、いろいろありますが、同様に「The Bridge(ザブリッジ) 蔵前 2017年」人と人をつなぐ架け橋になる場所(お店のFB)。
仏語のポンはわかりにくいので、3字のイタリア語ポンテの方がよく付いています。普通名詞の橋の仏語のポンよりポンテの方が三字でわかりやすく多用しています。「イルポンテ 平和島 1974年」「アル・ポンテ 石神井公園 1985年頃」「ponte(ポンテ) 中板橋 2012年」「PONTE(ポンテ) 志村坂下 2020年」。皆さん、人と人の架け橋になりたい願を込めて。
写真は30年越えの同じ由来のイタリアン「AL PONTE(アルポンテ) 水天宮 1990年、移転2013年」、最初は浜町に一軒家風で風格がありましたが、今は時代の流れで大きなビルの2階に移転
これも日本橋、「わたす 日本橋室町 2015年、最初日本橋移転2020年」橋を渡すのワタス、HPには『日本橋から未来へ、世界へ笑顔をわたす』となっています。東北の食材を使ったダイニングバー。
参考資料
★記号学大事典 柏書房
★日本文化のかたち百科 丸善 2008
★世界宗教大事典 平凡社 1991
★日本史大事典 平凡社 1993
★歴史学事典 2
★暖簾 高井潔 淡交社 1997
明かりの目印 《器物 No.3》
目印としての明かり、項目が広くなってしまったので、別項目をたてました。ただ、メインで明かりは以前にも取り上げています。流行ー灯関連と重なる部分もあります。
店名仲間
火・かがり火・蝋燭・提灯・あかり・灯・灯火
焚火家(渋谷)
火、それから発する光は人間を様々な危険から守り、数々の恩恵ももたらしてきました。火種は火山の噴火時や雷の落雷時から採ったとされています。
原始の時から焚火が調理、セキュリティー、そして明かりとしての目印の役割が最初にありました。
世界中の神話、宗教では火の起源の物語が多く伝えられています。世界最古の宗教の拝火教、ゾロアスター教は炎を神の叡智、神の光として崇拝するペルシャ発祥の宗教です。光と闇の対決する二元論的考え方はユダヤ教、キリスト教、イスラム教へとつながる流れ。
英語では明かりも光もlight、ライト、西洋では光が神そのもの。中国の甲骨文字の火は炎の形から変化して、さらの火が照らす光の字は頭に火を載せた人型(火を守る聖職者の姿)からを生み出しています。
日本神話に出てくるには伽具土命(カグツチノカミ)・火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)、名前は特にない竈の神は火男、ひょっとこに連なっていきます。
日本の数々の儀式では火が汚れをはらい、燃やして次の年を迎えたり、火の粉を浴びて健康を祈ったり、お盆に迎え火・送り火を亡き人のため焚いたりします。
火そのものの店名は少なく、焼肉屋、ステーキ、焼き鳥の多くが使う頭、『炭火焼』に紛れてしまう恐れもあるのでしょう。
同じく中華の火鍋も多く、強い火力を使うこの業種も火の店名があります。同じ傾向は炎字も、焼き肉、中華店に多いです。
一店鮨屋「寿司家神火(ジンカ) 新橋 1999年」があります。由来は不明、鮨屋には珍しく炙りトロステーキを売りにしている火を使うことからでしょうか。
魚関係の居酒屋には「漁火(イサリビ)」、魚をおびき寄せるため漁船が舟の上で焚くかがり火が店名につきます。
外国語はハンバーガー「ファイヤーハウス」カフェ「ファイヤーカフェ」イタリアン「キオラ フォーコ 麻布十番」「マンジェフォーコ 初台 2018年」スペイン「エルフェブデトロ 紀尾井町 2016年」、消防署の意味の「ファイヤーハウス」以外は皆料理に使う窯や炭火焼からの店名。
炎は漢字がほとんど、ビジュアルでは漢字が一番イメージが浮かびます。フランス語の以前書いた「フラムドール(『ドール掲載』)」「フラムセーヌ(意味は炎が躍動する舞台) 西麻布 2014年」、イタリア語「フィアンマ 恵比寿 1996年」
ローマ神話のの火・竈の女神を付けた「ウェスタ 日本橋 2015年」も炉竈焼きステーキ店
インドのヒンドゥー教の火の神アグニの店名もインド料理店に多いのですが、こちらは火の神というよりもインドラ神に継ぐ重要な神様、太陽の神・雨の神と並ぶ三大神だからでしょうね。
時代が過ぎるに従い、調理は竈、セキュリティーは篝火、松明、明かりは行燈、提灯へ分かれています。庶民は囲炉裏ですべてをまかなっていましたが・・・。
家の中の囲炉裏が多くあった時代を模した炉端焼きという業種を生み出してきました。
仙台市や釧路市が発祥地される炉端は多くは頭に付く業態名ですが、大正年間、居酒屋の聖地に「炉端本店 新橋 1910年代」に開店、新橋にはそのままの店名(右の写真「炉ばた 新橋 1970年開店」)があります。
最初の頃は焚火が店名にはなく、今は焼肉店で使われています。上の写真の「焚火家 渋谷 1999年」焚火イタリアンの「Falo(ファロ) 代官山 2016年」
外で警護で庭で焚くかがり火、篝火は古くからあるのに、あまり使われていませんが、なぜか使われる文字はいろいろ。
創作ダイニングの「庭燎(テイリョウーかがり火のこと、照明にこだわった店内) 池袋 2005年」有名な銀座のラーメン店「篝 銀座 2013-2018年、移転し2018年再開」和食「かがり 西新宿 2005年」。
炬燵(コタツ)の炬の字でカガリヤの居酒屋「炬屋 赤坂 2009年」も食べログにあります。炬(キョ)の意味はたいまつ、かがり火の意味。てっぱんやき「燎 三軒茶屋」もかがり火と読んでいます。
外国語も少なく右の写真の「ボンファイヤー 根津 2014年」はかがり火の意味です。カフェとアメリカン料理、キャンプ仕様のお店作り。
オリンピックの聖火は英語ではオリンピックトーチ。ギリシア神話では人間にプロメテウスが火をあたえたことになっています。
HP上ではっきり謳っているのは松明の「トーチドットベーカリー 大田区六郷 2014年」というパン屋さん。たいまつをシンボルとして文化の灯を後世に伝え継いでいくことで生まれる繋がりを大切に、たいまつの灯のように明るい暖かい社会を。
写真はカフェ「torch café(トーチカフェ) 恵比寿 2005年」、心を照らす小さな灯火ようなカフェでありたい店名。
ほかに煙だけの狼煙(ノロシ)はさすがに現代はNG!。戦闘モード系の店名が多いラーメン店に埼玉県「狼煙」北海道函館市からの「のろし」があります。東京では焼鳥の「烽火(ホウカ) 八丁堀」も狼煙の意味
1962年のガイド本『喫茶飲みある記』には銀座6丁目と八重洲にある「ビーコン」が載っていました。Beaconの綴りだと思いますが、のろし、かがり火、灯台の意味。
東京には既にありませんが、ネットでは「ビーコン 埼玉県久喜市 2017年」が検索であがってきました。久喜菖蒲公園内のとても良い雰囲気のカフェで、ビーコンは現在は通信機器の位置関係を示す電波機器名として知られているので、情報発信するカフェとしてつけたそうです。
お店のツイートの最後には本来の意味の目印のかがり火として、『灯台として、このお店が作用していくようになっていく事を願っております。』とあります。
灯のいろいろ(写真は日本橋ANDON)
室町時代から禅宗関係者から持ち込まれて、最初行灯は字のごとく持ち歩く灯だったようです。提灯や蝋燭の普及で室内のあかりとして行灯(アンドン)が使われ始めて、江戸時代には多くの掛行燈、置く看板行燈が店先を飾っていました。
江戸末期「赤あんどん 日本橋 1844年頃」「赤アンドン 浅草 1909年」の店名が『東京市商工名鑑1929』にあります。行燈が読みにくいのか平仮名のあんどん、アンドンが、替え字の安呑 杏呑等を付けています。最新の店、おにぎり屋「ANDON 日本橋 2017年」『道を照らす行燈のようにこの地を照らしたい』心意気。
蝋燭は奈良時代には寺院で儀式に使われていました。とても高価な品でしたから、庶民が使うことは長くありません。安価な製品が江戸時代にでてきて携帯用として使われ始め、今も災害時や仏壇に供えるイメージで店名は少ないです。
写真は珍しい蝋燭の店名、担々麺「SHIBIRE NOODLE蝋燭屋 銀座 2017年」は『店の場所は元ガス灯通りにあり、古いものが好きなので電気、その前のガス灯、蝋燭と移り変わった灯の最も古い蝋燭の時代の雰囲気を再現したくて』としています。
流行ー灯関連では洋系のキャンドルは燭台のキャンドルがロマンチックな雰囲気もあり洋食レストラン、喫茶店の店名になりました。
写真は3度の移転して再開した「茶房きやんどる 神田 1933年」は神田界隈の文化人人気の喫茶店、かつてマントルピースの上に飾られた美術家がこの店の開店時に作成した鉄製の燭台がシンボルマークになっています。食べログ上では「きゃんどる 千束」
レストランでは欧風料理「きゃんどる 三軒茶屋 1951年」「CANDLE(キャンドルー街角にひっそりと灯火を) 渋谷 1984年」
以前に書いた「銀座のキャンドル、自由が丘店もあり」は2015年にビルの立て直しで閉店、店名を替えて再出発したのですが残念ながら閉店しています。➡「銀座キャンドル 麻布十番 2019年」としてバーの間借り開店中。
ガスライト、ライムライトは以前(流行ー灯関連)書いています。両方共の増えることはなく、ガスライトはほとんどバーの店名。
アメリカの会員制クラブから発するレストランバー「ガスライト 飯倉片町 1955年代」がパリ、ニューヨークに続き出店していました。店の前にはロンドンからのガスライトが立っていたとのこと。1988年に閉めた後、別会社が霞が関を本店(支店銀座、日比谷、四ツ谷)として今もバーのみ、店の前のガス灯といっしょに続いているそうです。
カンテラ・ランプ
ランプが普及する前、江戸時代から使われていたポルトガル語の燭台candeiaに由来するカンテラ、携帯用の灯。陶器や金属でできていて、江戸時代は植物油、明治以降は石油、カーバイトのガスを燃やし、縁日や農業の虫を引き寄せる誘が灯などに使っていました。ランプが普及すると、交通系の鉄道、船舶、鉱山の掘削仕事や警察の巡査が使用した外用灯に。
和食店「かんてら庵 池之端 1987年」自然ワインと和食「かんてら 東麻布 2011年、曙橋店2018年」。急に増えたとおもったら自己啓発系の「てっぺん」からでたスペインのサッカーの下位組織の名前。「かんてら 新橋 2018年」「かんてら 三軒茶屋 2018年」明かりとは関係なく立派に育っていつか旅立ってほしい思いの店名。
もう一つは写真のフードビジネス系列マザーズのピッツアリア「CANTERA(カンテラ) 立川 2012年」、原宿、調布にもあります。
名古屋には東京から進出のコーヒーチェーン「かんてら 1976年」6番目の店としてオープンし記事。現在はネット記事には思い出の喫茶店としてビルの建て直しで2008年閉店の記事が載っています。東京にも同名の喫茶店があったということでしょう。
ほかに全国では岡山市に「Cantera(カンテラ) 2013年」喫茶店。お客のブログには灯のカンテラの意味とサッカー選手メッシのいたスペインのクラブチームの寮の名前。オーナーがサッカーファンだから・・・。
英語表記は違う日本語では同じ発音のランプは肉の部位の呼び名が増えてきて、以前アップ(「 lamp(らんぷ) 池袋 2005年」『高い場所ーラウンドマーク』掲載「astral lamp 渋谷 2006年」)してから灯のランプはあまり増えていません。
喫茶店に人気で「らんぷ(ロゴマークはクラックなランプ) 新宿 1957年」「ランプ亭 渋谷 1976年」「らんぷや 神田 1977年」
写真は既に閉店している「らんぷ 銀座一丁目 1988年頃」は前の喫茶店が「アラジン」だったので、連想の流れでアラジン→アラジンの魔法のランプ→らんぷと付けたそうです(『銀座の喫茶店ものがたり』)
新しいのは「らんぷ 国立 2017年」は喫茶室を名乗っています。他の「LAMP COよりFFEE(ランプコーヒー) 八王子 2017年」。
全国的には以前アップ(『流行ー灯関連』)した「神戸ランプ亭」のほかに名古屋のコーヒーチェーン「珈琲屋らんぷ 名古屋 2001年1号店」。煉瓦を使用し、明治時代のイメージを作り出しています。
店名の由来はわかりませんが、ガイド本には創業者が修行した「明良時運(アラジン) 名古屋市 1978年」で銀座の喫茶店と同じくアラジン→魔法のランブからの連想か?とありました。東海地方を中心に50店舗以上あります。
魔法のランプではイタリアン「ランテルナマジカ 上大崎 2005年」も魔法のランプの意味
ほかに居酒屋「はだか電球 笹塚 ほか方南町2011年、幡ヶ谷2014年」
赤ちょうちん(新宿御苑)
江戸時代はお店は白提灯、現在は提灯は居酒屋のしるし、特に赤提灯は大衆居酒屋が目立つために吊るし始め、ザ・イザカヤ、戦後にイメージが定着したようです。
「赤ちょうちん 新宿御苑 1952年」「赤提灯 湯島 現在は上野に移転 1975年」が居酒屋のガイドに掲載。ほかに写真の同名のもつ料理居酒屋「赤ちょうちん 新宿御苑 1948年」もありますが、移転したか?同じお店かも。白地に黒字の提灯が軒先に下がっている、おでんで有名な「ちょうちん 神楽坂 1992年頃」もあります。
中国の旧正月の春節には赤燈籠を繁栄と幸福を願って飾る風習があります。
台湾中華「紅燈籠(アカチョウチン) 銀座 2000年頃リニューアル」もリューアルする前は炉端焼きの居酒屋。
「東天紅」が展開する中華惣菜店は最初は本店の店名のままでしたが、2014年からの惣菜店は「紅燈籠(コウトウロウ) 立川 2014年」「紅燈籠(コウトウロウ) 国立 2018年」も展開しています。
食べログに載っている20店以上はほとんど居酒屋の「ちょうちん」ですが、食べ物屋さんの経営が難しい時代のため昼も夜もオープンしているカフェと居酒屋「CHOCHin(チュウチン) 原宿 2018年」が新しい店。
全国で見ると「紅燈籠(ホントンロン) 佐世保市 2008年」「紅燈籠(ホントンロン) 札幌市」があり、札幌の店主のブログでは赤ちょうちんの意味となっています。日本の居酒屋赤ちょうちんの店と同じように仲間や家族と気軽にかよってほしいとのこと。
Lanterne(代々木上原ランタン)
増えているのはランタン、英語の提灯、携帯灯で仏語のバル「ランタンルージュ 中野 2011年」(赤提灯のフランス語、ちょっと一杯の感覚で来てほしい)がバル最盛期にガイド本がよく紹介していました。
同じ思いのフレンチのシェフがはじめた「Lanterne(ランタン)代々木上原 2014年」支店も池尻大橋に開店しています。
焼肉「Lantarn 神楽坂 2011年」山小屋風、赤提灯的位置づけとなっていましたが、今は2017年リニューアル「ランタンバーガー」へ
「Lantarn・天灯 有楽町 2017年」はアジアンエスニックの店で台湾の春節ランタン祭のようなランタンが多く飾られています。
灯・燈・明かり(写真日本橋小舟町灯り家)
漢字で明かり、灯、燈、後ろのふたつは灯の旧漢字が燈になっていますが、両方使われています。
室町時代に造園技術の発達で庭園には石灯籠がつきものになります。日本の神社・寺院には灯籠が商人が商売繁盛を武士は武運を願って寄進されていました。
これらが一番多く、今一番増えています。最初は灯(ともしび)が多くつけられていました。
昭和1950年代の歌声喫茶ブームで『ロシア料理店ほか』で上げた「灯(今はひらがなで表記) 新宿三丁目 1955年」が歌声喫茶店人気で多く以前はありました。
東京は少ないですが、今は昭和の香りとフレーズが付くレトロ系になっています。新宿の歌声喫茶店は今も現役、食べログ上では和食店、居酒屋、店名も漢字の「灯」「灯火」ローマ字「TOMOSHIBI」若い方には読めない危惧もあり新宿のように平仮名が多いようです。
流行ー灯関連で書いたようにデザイナーズレストランが90年代後半から流行し多くの明かりに関する店名が急に増えていました。これら(再掲・・あかりCafe、燈火、andoon、ほのか、終夜燈(アカリ)、黒門燈)のほかに「燈庵 北青山 2002年」「akari(アカリ) 立川 2003年、現在はダイニングバーからバルへ店名もakariバルに」「bonbori(ぼんぼり) 渋谷 2006年」も同時期。
写真の鳥料理屋「灯り家 日本橋小舟町 2001年」「灯 人形町 2010年」「深夜料亭あかり 神保町 2011年」「AKARI 下北沢 2011年」肉ビストロ「灯・AKARI 西新宿 2016年」鉄板焼「燈(AkaRi あかり) 新橋 2015年」
フレンチ「燈灯(AKARI(あかり) 銀座 2017年」
店名の由来がネット上に多く上がっているのは「アカリベーカリー 国立 2015年」です。ロゴの食卓によく下がっているペンダントランプでわかるように食卓の灯の下、パンを囲んで集う家族の情景を思い描いて付けた店名。
平仮名のあかりが一番多い店名です。「花あかり」「夢あかり」「月のあかり」「くらのあかり」「あかりまど」漢字を組み合わせたのも多いです。「蘭燈(ラントウ)」は美しい燈籠、かがり火の意味、「星の灯」「月灯り」カフェ「三人灯 西荻窪 2005年」「かこい灯 高円寺 2011年」蕎麦屋「龍馬灯 大門 2010年」焼肉屋「燦燈(サント) 立川 2017年」
お店のHPを読むと火と明かりと両方の意味の「灯ノ番(ヒノバン) 『茅場町 2006年」灯を操る極上の料理でテーブル灯を灯す料理人と東京の街を彩り灯す一つの灯りとなる店ー抜粋』
写真は音だけ借音している蕎麦屋「丹凛(アカリ) 麹町 2012年」意味はもっとうの丹精込めた凛とした蕎麦に対する仕事スタイルの漢字2字。
有名なのは「一燈 新小岩 2010年」ラーメン店。由来もHPにはっきりアップしています。『一灯照隅・萬燈照国』から採られています。隅を照らす、自分たちが一つの光となり街の皆の一つの燈(ともしび)となりたいそうです。同様に「とうち房(トーチ) 五反田 2010年」
由来は不明のラーメン店「灯花 曙橋 2012年、2015年再オープン味を塩から煮干し灯花紅猿2017年」姉妹店の「灯花繚乱(こちらはコラムでアップ済の百花繚乱から) 2016年」
同じくラーメン店「燈灯(トウトウテイ) 世田谷上町 2016年」は灯の元に人が集まること、修行先の「たんたん亭」にオーマジュを捧げた店名にしたそうです。
参考資料
◆日本生活史辞典 吉川弘文館 2016
◆絵引き民具の事典 吉川弘文館 2016
◆日本の生活環境文化大事典 柏書房 2010
◆日本史大事典 平凡社 1992
◆歴史学事典 3.かたちとしるし 弘文堂 1995
◆日・中・英言語文化事典 マクミランランゲージハウス 2000
百花繚乱 ≪植物No.8≫
日本人は植物が大好きです。四季それぞれの花花、既に取り上げた桜、梅、菊だけでなく文字通り百花繚乱です。
年の初めの福寿草から春の水仙、桃の花、タンポポ(季節の始まりからでアップ)、菜の花。五月の頃のツツジ、あやめと続きます。
各地域に一面にチューリップや菜の花、ラベンダー、ヒマワリ(強~いでアップ)を植えて観光に一役買うようにしているようです。
最近は外国生活が当たりまえになり、外国産の花も多種類。フリージア、カトレア、パンジー、ストック、ダリヤなど。
先に取り上げた松竹梅、菊、橘のほかに家紋の花紋は杜若、桔梗、水仙、菫、蘭、竜胆、沢潟、撫子等、この世界でも植物が多数派になっています。
これらの名称は店名以前に煙草の銘柄と化粧品の香水の名になっていました。
『チェリー』『リリー』『白牡丹』『なでしこ』『あやめ』『はぎ』は煙草。香水の銘柄『スイートピー』『ヒヤシンス』『フリーシージア』『ヘリオトロープ』『マグノリヤ』『ロータス』『水仙』『白ひ菫』『白薔薇』『薔薇』は大正時代。大量の外国の花のが入ってきたようです。
これを採った『たのしいネーミング百科 天野祐吉ほか 三省堂』には『名前には根っこがあること』の一文がありました。嫌われることがなく、華やかな花の名前でも同じ、根っこがあるかどうかで残るか消えていくか。
店名仲間
桔梗、薔薇、ユリ、椿、スミレ、バラ、ユリ、あやめ、ひまわり、カトレア、ラン
桔梗家(両国)
江戸時代からあるのは桔梗屋です。家紋、漢方薬、そして秋の七草に数えられる昔からの馴染の花。
色も桔梗色という紫色が美しい草花。樹の花を好む日本人には古くから、珍しく草木の菊と並び愛される花。
ただ万葉集ではアサガオとよばれていたそうです。
桔梗紋は美濃に土着した土岐氏は最初から桔梗紋、戦いのおりに桔梗を挿して臨み、勝利を得たことから使い始めたそうです。
桔梗の紋は運命の紋と呼ばれて、明智光秀、太田道灌、加藤清正、坂本龍馬の家紋。京都の智積院(上の写真)も寺紋が桔梗紋ですが、これは加藤清正が寺の再建に尽力したため彼の紋をつかっているそうです。関東の智積院系の成田山新勝寺、高尾山薬王院、川崎大師はは別の寺紋を使用
桔梗は平将門にまつわる不吉な花ともよばれ、伝説の影響もあり、刑場や戦場に咲き、忌み嫌われてもいました。
一方安倍晴明の紋、晴明桔梗の紋は五芒星を形どり、敵の力を封じ、魔除けのまじないにもなっています。
店名は江戸時代中期のの『蕎麦全書』で「桔梗屋 浅草並木町』『七十五日 1787年刊」では「桔梗屋善兵衛 青山善光寺門前」が載っていました。
全国で古いのは常連の和菓子店です。『江戸買物独案内』にも3件「桔梗屋播磨掾藤原保好 市ヶ谷」「桔梗屋吉久 今川橋通本銀町」「桔梗屋安兵衛 浅草仁王御門前」。
全国の一番の老舗は「桔梗屋 秋田県能代市 1592年(最初宮腰屋、1812年に京都の名門菓子司桔梗屋から全てを譲り受けこの店名に)。
京都の桔梗屋は禁裏(皇室)のや寺社の御用を勤めていました。1701年の禁裏御用商人の名の中の川端道喜、虎屋と共に「桔梗屋土佐」が挙がっています。
同名に京都から江戸へ下った下り菓子屋「桔梗屋土佐」、同系か「桔梗屋河内」「桔梗屋和泉」の名。
「桔梗屋河内」は「紅谷志津摩」の修行先大久保主水とともに幕末まで幕府御用達の菓子屋でした。(『図説和菓子の歴史』より)
もう一軒は信玄餅で有名な「桔梗屋 山梨県笛吹市 1889年」。HPによると創業時は本店を含め、暖簾分けされた店が多くあり、こちらも「桔梗屋東次郎」からの暖簾分け。
不吉な花とされていますが、漢字のツクリから『更によく(吉)なる
』と商売人からは縁起の良い花。
写真は鰌・鰻の老舗のお店「桔梗家 両国 1933年」です。元和菓子屋で明治末に千葉の「桔梗家」から暖簾分けして、営業していましたが、先細りの和菓子店を閉め、廃業した近所のどじょうやを引き受け、1933年(昭和8年)から続けています。
他には「麵屋桔梗 初台 2000年(ネット記事1999年とあり)」系列が5店舗あります。
桔梗は英語はバルーンフラワー、仏語はカンバニュール、伊語カンパヌエラ。つり鐘に似ているので、使われません。
朝鮮の民謡アリランと並ぶよく知られているのが民謡トラジ、桔梗のことを呼ぶ朝鮮語から。
「トラジ 恵比寿 1995年1号店」が店数も多く全国展開の有名焼き肉店。2015年から「トラジ食堂」も展開中。
HPの由来は生薬に使われる桔梗の根から医食同源の心を込めてが由来。タン塩厚切りを売り物に。
もっと開店が古い焼き肉店もありますね。「とらじ亭 御徒町 1945年」はアメ横の闇市5坪の店から始まった店、「とらじの歌」が歌われていたそうです。
「とらじ 中野 1946年」、「トラジ」は虎の仔、虎児がキャラクターになっています。
「トラジ 江東区北砂 1988年」は一番上の「トラジ」より古く、「元祖焼き肉トラジ」とついている記事も。ほか、韓国料理「とらじ館」「桔梗トラジ」韓国料理「とらじ 新小岩 2015年」。
もちろん日本の桜と同じように韓国では愛されている桔梗の店名の「桔梗亭 世田谷区北沢 開店年不明(1996年のガイド本掲載)」「桔梗亭 恵比寿 開店年不明」、共に既にー閉店している韓国料理店ですがありました。
バラとユリ(写真は薔薇亭)
二つとも美しい花の代表ですが、店名はすくないタイプです。
特にバラは愛好家も多く、品評会も開かれるほど、品種も多い花です。
西洋では美と愛の女神ヴィーナス、マリアの花、イギリス王家の紋章の花でもあります。
イギリス王家継承をめぐる有名な薔薇戦争もありました。
同じくユリはフランス王家の紋章『フルール・ドゥ・リス』。結婚の女神ジュノー(ギリシヤ神話ヘラ、ゼウスの妻)の花、神話ではヴィーナスと対立することもあるライバル関係。
バラは濁音が頭にあるので、外国語のrose、ローズ、ロジェの店名の方が多いです。
「ローザー洋菓子店 麹町 1932年」綴りが「ROZA」なので?ですが
包み紙はバラの柄です。
創業時の東京ステーションホテルのフレンチレステラン「ばら 八重洲 1915年頃?<、ブランルージュに改名」
洋食店「薔薇亭(ローズテイ) 高円寺 1974年頃」、「ローズガーデン 中野 1960年」「
薔薇亭」のHPには熟年の御夫婦の写真とバラの花言葉『情熱、親愛、まごころ」を初心にお店を造りたいと願って・・」と掲げています。
店数の多い新しい店は「ROSE&CROWN(ローズ&クラウン)」はイギリス風パプ。ローズが庶民、クラウンが貴族。
ブログ記事の中には「薔薇屋 銀座 2008年以前閉店」はとても高い珈琲の値段に逃げ出したことが書かれています。喫茶店は開店年不明「薔薇 赤坂」「しろばら 有楽町」「カフェレストランBARA 東池袋」「ロゼ(rose') 吉祥寺 1983年」
薔薇の花は女性、神話のヴィーナスの花。「薔薇の館 原宿 1990年頃」洋菓子研究家今田美奈子氏の長年の夢の館。
「カフェデローズ 乃木坂 2017年」ウエディングデザイナー桂由美氏のカフェ。
バラの種類から「エメ・ヴィベール(結婚式に使われるバラの品種) 麹町(銀座移転2014-2016) 2004年」「ラ・ロゼッタ(小さなバラ) 祐天寺(2016年築地移転) 2001年」
なぜか大阪が薔薇の店名が他のところよりおおいです。老舗洋食店「ばらの木 大阪心斎橋 1953年、一時閉店後2016年復活」、高級喫茶店「英國屋」の大和産業が経営するチェーン店「薔薇屋 大阪1号店 1973年」の影響も多少あるのでしょう。
ただ外国では人気の花ですので当然名前に使われることも多く、「ローズベーカリー丸の内 2011年」は創業者ローズ・カラリーニさんの名前です。
薔薇と違いユリは女性名に多く、昭和の小百合、平成のゆりな(女優吉永小百合、このところ毎日もマスコミで聴く小池百合子知事にように)女性らしさが店名としてはあふれているので、男性が多いオーナーには避けられてしまう傾向があるのかも。
「喫茶シラユリ 上野 1935年ガイドに掲載」昭和系で「白ゆり 高田馬場 1968-2006年(姉妹店飯田橋店2007年閉店)」写真は「山ゆり 下落合 1975年」山好きで山ゆりも好きだそうです
際コーポレーションは「ブルーリリー青百合飯荘 六本木 2015年」を展開中です。
イタリアンのトスカーナ地方料理「ジリオ 汐留 2008年」、フィレンツェの印『フィレンツェの百合』赤い百合からでしょうか。他に「Cantinetto Giglio(カンティネットーワイン蔵、ジーリョー百合の花) 世田谷区奥沢 2018年」もろこの名の「ジリオロッソ 調布市 2013年」も。
『日本の文様』の説明文の中で、ユリと牡丹はあまりに個性的で存在感が強く、日本人の感覚では受け入れがたいとありますが、バラと同様なのでしょうね。
牡丹(写真牡舌亭)
こちらは東洋的美の代表の花です。牡丹は中国で百花の王として人気の花、日本では『唐草牡丹』『牡丹と唐獅子』の組み合わせが好まれています。
中国の四川省あたりから奈良時代に入ってきて花王、花神、富貴花と呼ばれていました。しかし、バラやユリにように姿がはっとさせる力があり、異国的雰囲気も加わって、日本の人々には受け入れがたかったようです。江戸時代に流行ったのですが、江戸末には人気が衰えたようです。
1890年のブラント成立花王石鹸は顔石鹸からの香王、花王に決まり、日本一の石鹸から東洋一の石鹸のイメージで牡丹が能書きに描いていました。
中国のイメージが強い花で、国家の候補にもなっているそう。中華、焼肉系が多いです。
猪がシシと呼ばれているので、カラジジからの連想、猪の肉は昔から牡丹と呼ばれているので、肉系には違和感がないようです。
牛タンも牡丹色に近く、で、丹の字が舌の「牡舌亭 小川町」牛タンカレーがよくメディアでみかけます。意味は不明の「たくあん・牡丹亭 西新宿 1999年」料亭「牡丹 三田 1927年頃」古いものに関西料理の「ぼたん 京橋 1923年」
ガイド本の出演が多い鳥料理「ぼたん 神保町 1897年」は創業者の元の商売、洋服の「ボタン」からなので、この仲間にははいらないです。
だいぶ昔に閉店した洋食「牡丹亭 荻窪」1975年のガイドに載っている俳優の金子信夫氏がオーナーでした。獅子文六氏の作品名と号名『牡丹亭』から採っていました。
ほかには門前仲町の牡丹町からのフレンチ「ビヴォワーヌ(仏語) 2007年」日本茶カフェ「庵牡丹(イオリボタン) 門前仲町 2015年」
ツバキ
椿はカメリアジャポニカの名の通り、日本発の花。
万葉の昔からしられてはいる花、ツバキの国字椿は平安時代に成立した漢字です。文様は鎌倉時代から使われています。
ただ椿は聖木に属するのか、あまり主役を務めたことはない花です。椿油を利用するだけで、長く見捨てられていましたが、江戸時代に徳川秀忠が椿を好んだため、人気がでて『百椿集』『百椿図』の花の絵が出版されていました。
古くから人魚の肉を食べたため、八百年の長寿を全うした八百比丘尼の伝説、諸国を放浪しながら白い椿を植え続けたことも伝えられていますね。
奈良時代から習わしで初卯の日の椿卯杖(うづえ)で邪気を払う儀式も残ってます。京都上賀茂神社の縁起物として授与されるそうです。
三重県鈴鹿市の椿大社を本社とする椿神社は椿の木とは直接の関係はないようですね。
武士は椿花が散らず、花弁ごと落ちるのが首が落ちるようで嫌われ、葉が常緑で常盤の長寿、邪気を払うとしてお寺の墓周りに植えられたことで縁起が悪いとされていました。
ただヨーロッパでは海を渡った椿が冬に大きな赤い花を咲かすため、『冬の薔薇』として好まれています。
日本を外国人にイメージさせる故に、ホテルのレストランが先駆けでした。東京ステーションホテルのラウンジ「カフェレストラン椿 丸の内」、1951年年以降はバーカメリア(2012年以降バー&カフェ)
今はありませんが、椿山荘系列ののレストランも「カメリア 本郷三丁目 2012年」長崎のハウステンボスのバイキングレストンも「カメリア」です。
ホテルオークラのコーヒーコーナー「カメリア 虎ノ門 1962年」
あまたのガイドに取り上げられているのが写真のとんかつ屋「椿 成城学園 1962年」店名の由来は載っていません。近くの東宝撮影所の元カメラマンが自宅を改装し、1980年に民芸楓に改造、椿とあけびの二つの種類しかないこだわりの店。
『珈琲飲みある記 寺下辰夫 柴田書店 1962年』には「椿 大田区池上徳持町」池上でもっとも古く英国風茶店でマスターはプロの写真家になっていました。
椿屋珈琲店(銀座 )
銀座の通名で、かつて出雲の国の屋敷があり、出雲から寄与された山雲椿(1934年から)を植えたことで、花椿通りの通名がついています。
資生堂関係の広報誌花椿で知られています。この名で2回(『プレミアムな喫茶の世界、と『道・ロード・アベニョー』』)ほど取り上げている高級珈琲店チェーン「椿屋珈琲店 銀座 1996年」「すし椿 銀座 2005年」があります。
牡丹は組み合わせができない点があるからでしょう、あまり、増えていません聖木としての神力が衰えたのか、椿は1990年代から増えています。
やきとん「椿 下北沢 1985年頃」、和食「椿 青山 1992年」「天ぷら椿 高円寺 2012年」
漢字だけでなく、つばき、ツバキ、TUBAKI、玉椿、ゆき椿、紅椿とバリエーションもいろいろです。
店名の業種もラーメン屋からダイニングバーまで使われる範囲が意外に広いです。
鮨ダイニング「TSUBAKI 青山 2002年」「つばきcafe 新橋 2009年」「つばき食堂 広尾 2011年」「椿ラーメン 赤羽橋 2011年」など
タレント夏川純さんの夫の店として「ツバキ亭 荻窪 2015年」もネット記事の中から見つけました。『古くから日本人に愛され、庶民の間に流行した今も多くの人に愛される花、椿』とHP上の記事。
花椿通以外、店名の由来がはっきりわかるのは見つけられません。
全国では「懐石椿亭 富山市 1916年(創業時は旅館藤乃家)」「海石榴(つばき、椿の古語) 湯河原 1978年」
東京に出店、既に閉店していますが、新潟の郷土料理店「雪椿 中野 1968年」それぞれ市花、町花、県花です。
隠れ由来、ちょっと顔をひそめる人がいるかもの『唾(ツバキ)』、美味しくてよだれがいっぱい出るイメージ。洋系では「ロアラブッシュ」とかジェラート店「アクオリーナ」があるのですが・・・。
椿の種類侘助、利休が愛した少し地味目の一重の椿、茶室に飾る茶花の代表的花だそうです。
これも居酒屋や蕎麦屋、カフェ、焼き鳥のチェーン店と広くついています。珍しい処ではイタリアン「わび助 浅草橋 2008-2016年」がありましたが、閉店。蕎麦居酒屋の「玉椿 浅草橋 2002年」姉妹店
蘭(有楽町)
蘭の花は華やかで、愛好者も多い花です。西洋では18世紀から西インド諸島から持ち込まれたので、歴史は浅くあまり文化的広がりは少ないようです。
東洋の中国では四君子(蘭・竹・菊・梅、草木の君子)の一つですので、馴染があり日本もこの影響を受けています。
書道の世界での聖地、王羲之が活躍した折江省紹興市の蘭亭、周り一帯に蘭が植えられていたされる地名です。
でも多いのは漢字の蘭の多用。仏蘭西(フランス)や和蘭・阿蘭陀(オランダ)、愛蘭土(アイルランド)と国名や都市名に使われています。
店名は中華が圧倒的に多く、地名の楼蘭、蘭州、形容詞プラスの花の梅蘭、玉蘭、香蘭、白蘭、木蘭、芝蘭など。古いガイドから少し拾うと「芳蘭亭 築地 1919年」「香蘭亭 日本橋 1924年」「蘭華 渋谷 1978年」
和食はほんとに蘭の花をイメージした店名は洋名のオーキッドより少ないかも。
「蘭 新宿 1951年既に閉店」『建築写真文庫洋風喫茶店6 1959年』にあるのは「蘭 池之端」
三笠会館の1階、今は「バールラ・ヴィオラ 2005年」ですが、1960年では「蘭」という喫茶室があったと『珈琲ものがたり 寺下辰夫 1967年』に書かれています。
喫茶「蘭 有楽町 1970年代頃」で、看板に蘭の花を見つけることができます。劇場裏にあり、芸能人御用達でなぜか市村正親さんの新聞記事が貼ってあります。
「蘭亭ぽん多 湯島 1946年」は「本家ぽん多」から暖簾分けされたとんかつの店、2代目が蘭の花を品評会に出すほど夢中になり、頭に「蘭亭」をつけました。
洋系はホテル「オーキッドルーム(ホテルオークラ) 赤坂」現在はオールディダイニングとして、1878年創業の箱根富士屋ホテルのティールームラウンジも「オーキッド」中華「ジ・オーキッド 丸の内」
新しい店はタイ料理店。タイの国の人々はお供えの花、日本では菊の花と同じように蘭の花は馴染みのある花です。食べログの古い店はタイ料理店「サイアムオーキッド(サイアムは英語のタイ、タイの蘭) 八重洲 2005年、支店あり」カフェオーキッドになってる「オーキッド 池袋 2007年」。
カトレア(八重洲)
蘭の中で最も華やか、艶やかなのが蘭の女王とされるカトレア(カトレヤ)。ただ知られるようになったのは比較的新しいので、名前もこの花を栽培した園芸家の姓名からで、純粋にその姿から、華麗、高貴の花言葉からの命名でしょう。
『珈琲飲みある記 寺下辰夫 柴田書店 1962年』にはカトレアの喫茶店が3店、新宿東口カワセビル地下、武蔵小山のアーケード内、学芸大学駅前と繁昌しているとなっています。喫茶店「カトレア 新橋 1971年」とんかつ屋「カトレヤ 練馬区豊玉北 1971年」ホテルの喫茶「「カトレア 市ヶ谷」「カトレア 九段下」
一番有名なのはパン屋さん。カレーパン発祥の「カトレア(最初は名花堂3代目になって転居、1952年から) 森下 1877年」
新しいのはリニューアルした上野松坂屋のお好み食堂「お好みダイニングカトレヤ 上野 2014年」。三越とほぼ同時期にお子様ランチを始めていたとされ、その頃の昭和のレトロ雰囲気を出しています
食べログではほかに喫茶店が4件東京にありますが、全国では50店以上まだ営業中。昭和の老舗喫茶店「喫茶カトレヤ 京都 1950年代」「珈琲専科珈豆麗亜 藤沢市 1960年代」味噌カツ発祥と「カインドコックの家カトレア 三重県津市 1965年」。
写真は残念ながら既に閉店している「カトレア 八重洲 1990-2013年」女性オーナーがいて上品な高級コーヒーカップを使った珈琲を提供していたそうです。
あやめ・菖蒲・杜若・アイリス
区別がつきにくい花、三種、アイリスは三つの花の総称の英語。昔はあやめは菖蒲と漢字であやめと読みます。
本当の菖蒲は地味な蒲の穂のような花で、アヤメ科には属していません。強い香気があり、葉は剣の形に似ているので、魔除けとして、邪気を払う役目を担い、民間薬としても使われていました。
武士の台頭により漢字の菖蒲(ショウブ)の名の方が好まれ、あやめは花菖蒲とずっと呼ばれていたこともあり。尚武、勝負にも通じて武士に愛され、端午の節句の菖蒲湯としてつかう風習が定着しています。
地方によっては今も菖蒲をあやめと呼んでいる場合もあります。
現代の全国の公園であやめと紹介されていても、ほとんどは花菖蒲が多いです。あやめや杜若より新しく、花菖蒲は江戸時代末、松平左金吾公が好み、改良を重ねて「江戸はなしょうぶ」といういろいろな品種を作り出して、江戸の街に広まりました。『堀切菖蒲園』がその名残。
他にも明治神宮、水元公園、小岩菖蒲園、小石川後楽園と名勝が多い。
店名はアヤメが一番多くあり、彩芽、文目も、菖蒲の魔除けの力をほかの花も持っていると信じられているのかも。
古い店は以前『龍』の項の「龍公亭」前身「あやめ壽し 神楽坂 1899年」になります。鮨屋には菊を除いて草系の花は付くないので珍しい例。鮨屋「菖蒲すし 金町」は近くに水元公園、鰻屋「あやめ 清澄白河」、近くに清澄庭園があり、花菖蒲も植えられていますが・・・。
杜若も『いづれがあやめか杜若』といわれて、分かりにくい花でした。
ただ家紋、文様の世界では杜若がダントツの人気、なぜか他はとても少。
有名な尾形光琳の『燕子花図(カキツバタズ)』は誰もが知っている教科書的日本画。
杜若には古くから『伊勢物語』の八ッ橋の条のか・き・つ・ば・たを読み込んだ和歌が絵画の題材として使われ、尾形光琳のこの作品にも和歌がある作品。
「杜若 自由が丘」お店の言葉『杜若の花言葉通り皆様に幸福が訪れるように』
西洋ではアイリス、イリスともよばれ、虹の女神、神々の意志を伝える役割。吉報、メッセージの花言葉で、上記の百合と同じくフランスの国花になっています。
アイリスはなぜかホテル系のレストランに多いです。古いホテルでは名古屋のグランドホテル内「アイリス 1967年」ほか東京では銀座キャピタルホテル内「アイリス 1972年」池袋ホテルメトロポリタン「アイリス 1985年」食べログから「アイリス 平河町都市センターホテル内」「イリス 根岸ホテルシャーウッド内」。
イタリアンは言いにくい「ジャッジョーロ 銀座 2007年」ゆりの項で挙げた『フィレンツェの百合』は名はジリオだが、形からあやめ、アイリスだともされています。このレストランに関連するのがハーブを扱う1221年に修道僧が始めた歴史上最古の薬局『サンタマリアノヴェッラ薬局』はフィレンツェにあります。
すみれ
春の花は一般的に店名に多いです。春を待つ気持ちが花の咲く力強さに同調するのでしょう。
すみれはその中では地味な位置にあります。古典の世界でもあまり持ち上げられてはいません。
明治以降、西洋の文学、歴史の中で結構重要な役割を果たしていたので、その位置が上がりました。
今も宝塚の歌劇団に『スミレの花咲く~』の歌に残っています。
古代ギリシャでは甦るの大地のシンボル。ドイツロマン派のハイネ、ゲーテ、ナポレオンの皇妃ジョゼフィーヌが愛し、ナポレオンの『スミレの咲くころに戻ってくる』という支持者のシンボルでもありました。
キリスト教のマリアに捧げられる花、聖書の中ではバラ、ユリ、スミレはセットになって、バラは美、ユリは厳格・純粋、スミレは誠実・ひかえめとなっています。
ただ、ほかの花の絵画の登場数よりは文字如くひかえめでした。
閉店した喫茶店昭和ノスタルジーで女性店主の「すみれ 神保町」「スミレ 新橋」常盤新平氏の『東京の小さな喫茶店』に載っている「すみれ 市ヶ谷 推測で1960代-1980年代」。
現在は喫茶店は少なく、種々雑多に付けられています。
「ハプスブルグ・ファイルヒェン(ハプスブルクの菫) 銀座 2012年」
東京で店数の多いチェーン焼鳥店「すみれ 2013年創業」もHP上ではsmile(スマイル)を強調。看板にも〇で囲んだ笑の漢字が並んでいます。肉系は看板に菫色のスミレが描かれている京都牛焼肉の「すみれ家 千歳烏山(ほかに二子玉川) 1998年」
汐留シティセンター41階、素晴らしい夜景の評判のD4TOKYOの中の4店のなかの和食店「すみれ家 汐留 2003?-2014年、親会社の倒産により閉店」は多くのブログ上に存在します。
「スミレ(sumile) 渋谷 2006年」菫の色と夕日のイメージのインテリア。最初は仏と伊のダイニングですが、今はイタリアンで、ドリームカムトルーのプロデュースで雑誌がわっと取り上げていました。
菫は彼らのファーストアルバムのイメージフラワーだそうです。先の焼鳥屋と同じように人々に笑顔の想いもあるそうです。
明治時代からの女性に寄せるロマッチックなイメージの力が尽きたということでしょう。
現代には女性自身もスミレの誠実・ひかえめを必要としないかも。菫のイタリア語ビオラの店名ワインバー「ビオラ(VioLA) 都立大学 2007年」は女性オーナーが『野に咲くちいさな花のようにたくましく、心休まる存在』とHP<にあります。
ラーメン店は花の名は少ないのですが、札幌ラーメンのイメージからか、「スズラン」「えぞ菊」「まりも」とありますが、有名なのは「純蓮(すみれ) 札幌 1964年」。創業者が女性であったので、この店名になったのでしょうね。
今は純すみ系として「純蓮(じゅんれん)」と「純蓮(すみれ)」の2系統で営業しているそうです。「純蓮(すみれ)」が横浜の新横浜ラーメン博物館に出店して、全国区に知られるようになりました。
写真はなかなかスミレのイメージの店が東京には発見できず、横浜中華街の「カフェスミレ」です。女性向のカフェ、菫色がいっぱい、花の絵も。
つくし・菜の花・チューリップ
春の風物詩のこれら、みんな、唱歌や和歌、俳句の名句も多い子供の頃からの馴染の植物たちですが、
花は咲かないスギナの子、つくし、土筆。種じゃなくキノコと同じ胞子で増えていくシダ植物。土筆と菜の花は料理して食べられます。クックパッドに両方の卵とじが載っています。春の七草。菜の花は油を採るアブラナ。チューリップは江戸時代の後期には入ってきていました。今はオランダ産
土筆は老舗の定番の和菓子屋があります。一番古いのが「つくし 水天宮前 1877年」他に「つくし 上石神井」」「つ久し 都立大学 戦前から(70余年前からとある)」の和菓子店
土筆亭 二子玉川」いろりのある一時代前の料亭、作家がご愛用とガイドにあった。1980年代にはネット記事載っています。同じくその近くにあったもう閉店してしまった和風カフェ「土筆 二子玉川 1996年」多摩川沿いに土筆がいっぱい生えていたのでしょうか。
以前も取り上げた1980年代のガイドに多数乗っていた土鍋ご飯のパイオニア「つくし 西麻布 1973年-1998頃に閉店」。「茶寮つくし 西麻布 既に閉店」「つくしんぼ 広尾」と支店も頻繁に雑誌にとりあげられていました。急逝したオーナー料理人の技を今は多くの弟子が継いでいます、店名は2店ですが・・・。
同じ発音でつくしは店名としては地名の筑紫も、明治時代末のガイドの鳥料理「都久志 日本橋浜町」や食べログから九州居酒屋「都久志 有楽町」は筑紫の古名の都久志の字を使っています。
菜の花はあまり古い店名は見つけられませんが、家庭料理、お惣菜の小料理屋に多いようです。
ネットで名があがっているのは「菜の花 根津 2013年」、新潟県佐渡市で1995年菜の花の咲くころに開店し、移転した創作和食店。
チューリップはとても少ないです。3種の花の洋系名も少ないです。
菜の花はフランス語「コルザ 六本木 1978年のガイド掲載」、ほかに渋谷、銀座店(写真)があり、今は銀座店のみ。
千葉県野田市の醤油会社キッコーマンの経営で、菜の花は千葉県の県花です。
エリカ(西神田)
「エリカ 西神田 1952-2006」が有名、兄弟店「エリカ 神保町」は営業中、勤めていた方が開いた「エリカ 飯田橋 1972年」は閉店しています。
ヨーロッパ系の花で、『嵐が丘』に印象的なヒースの荒野が出てくるのが、ヒースの英語のエリカ
エリカは西神田のエリカを全てデザインした仰木画伯が好きな花、ドイツに永く住み、ドイツ人の奥様と結婚していて、エリカはドイツではとてもポピューラーな女性の名前だそうです。(『東京小さな喫茶店』より、飯田橋のエリカの記事から)。
神田の「エリカ」は『東京ノスタルジック喫茶店』に『永遠に帰らない昭和の夢可憐な白い花』として、神保町「エリカ」は『東京いつもの喫茶店』に『神保町の裏筋の咲く花』と紹介されていました。
ほか演出家宮本亜門氏のご実家も新橋演舞場隣の喫茶店「茶房絵李花(看板の表示Erica)エリカ」を永く続けています。
全国にも多いエリカ、女性の名前も有名な女優もいますね。西田佐知子さんが歌う歌謡曲『エリカの花が咲く頃』が1963年に世に出てヒットしています。
西田さんは『アカシアの雨がやむとき』もありました。
全国でも先の有名喫茶店の影響で半数は喫茶、カフェ。漢字の「絵里花」「絵瑠花」「絵李花」「英梨華」
東京ではドイツ料理店「エリカ 池袋 1961年」
チョコレート専門店「ショコラティエエリカ 白金台 1982年」のHPには『わずかな水、岩場や風の強い場所でも、小さいながら美しい花を咲かす」という植物(エリカ)のようなどんな状況でも美しい花を咲かす会社でありたい』となっていました。
アマポーラ(恵比寿)
日本でこの名が知れ渡ったのはスペイン出身のホセ・ラカジェがつくったポップスを1984年の上映映画『ワンスアポンアタイムインアメリカ』のテーマ曲として『アマポーラ』が日本語でもカバーされて流行ったことです。。
アマポーラはスペイン語、ひなげし、虞美人草、英語名ポピー
フレンチ「アマポーラ 代沢 1989年、既に閉店」、『シェフシリーズ 中央公論社』の一冊わシェフ中嶋寿幸氏、現在は20年以上「ロアラブッシュ」のシェフを勤めている方が「アマポーラ」時代に出版していました。
フランス語のコクリコ、かつて鎌倉の赤いひさしのサンドイッチ屋「コクリコ 鎌倉 1972年」今は行列必死の緑のひさしのクレープ屋として知られています。店名はウィキペディアでは与謝野晶子の和歌『皐月仏蘭西の野は火の色す君もコクリコわれもコクリコ』から
ただネット上ではジブリのアニメの題名『コクリコ坂から』がいっぱい。ネット記事ではアニメの原作の方は音羽の坂にある「コクリコ 護国寺 1977年頃」からではとありました。最初母親が喫茶店として開店、1984年頃からシェフとなったイタリアン出身の息子さんが洋食屋へ。カレーが有名のようです。
英語のポピーは「ポピー 巣鴨 1968年」、昭和の香り漂うと評判。
写真アマポーラは「アマポーラ 恵比寿 1998年(会社は1991年設立、池袋店は1992年)」とその3支店の最初のガイドでは欧風料理、今は堂々スペイン料理を看板にして頑張っています。
百花、咲く、咲き誇る ー(追 加2020.8.29)・(追 加2020.9.6)
一番先にかいたように、好きな花はジャニーズSMAPの歌ではありませんが、人それぞれの花があります。
花は決して長くは咲かず、受け継がれなければ、時のはざまに消えていきます。
タイトルの百花繚乱をもじったラーメン店「京紫灯火繚乱 四谷四丁目 2016年」様々な花が咲き乱れる意味の百花繚乱から
昭和に咲き誇った花々、特に喫茶店が主。「あざみ 中野 1959年」「ネルケン(ドイツ語カーネーション) 高円寺 1955年」「カンナ 大山 1961年」「ひなぎく 荻窪 1970年代」ホテルも花名多数、「ザ・アゼリア(ニューオータニのコーヒーショップ、1998年にサツキSATUKIに) 麹町 1964年」「ローズルーム 赤坂」レストランプルメリア 半蔵門」「さざんか 虎ノ門」
フレンチを中心に少し馴染みのない花名が付けられ、「シェ・パプォ・ブラン(白い芥子) 西麻布 1992年」。
「Hortensia(オルタシア、紫陽花) 麻布十番 2010-2015年」。「オルタシア」は花のイメージ通りの 『シェフ・スタッフの人々の想いが集まり、ひとつの店を作り上げる 小さな花の集まりと常に色を変え続けるように変化し続けたい』とHPに掲げていました。
「芙蓉亭 吉祥寺 1988-2020年」
国花、国のの象徴「カフェ・デイジー(デンマークの国花) 西麻布 1995-2012年」「カフェ・フランジパニ(プルメリアのバリ島の呼び名) 六本木 2000年」スイスとオーストリアの国花「エーデルワイス 高輪 1982年」「プルメリア(南国の花、ハワイ) 三鷹 2008年」つつじヶ丘駅にある西洋つつじの意味の洋食「アゼリア 調布市 2011年」
イタリアンは花名がなぜか少なく、英名マーガレット(日本語名木春菊)のマルゲリータ。「マルゲリータ 渋谷 1966年」イタリアの国花ヒナギク?から命名とありました。
おそらく、ピッツアが自慢とガイドに紹介していましたから、実際は定番ピッツアの名前で、こちらはマルゲリータ王妃がナポリを訪問した時にその名をピッツア職人が付けた名ですが、どちらも大元の語源ははギリシャ語の真珠。
ヨーロッパでは女性名として聖女、王女、王妃に多い人気の名前。昔話の『ヘンゼルとグレーテル』のグレーテルはドイツ語のマーガレット。
ちなみにヨーロッパでも日本でもディジーとマーガレットは間違いやすい花の名。デイジーの方が雛菊、ギリシア神話にも登場する早春に咲く花で、恋占いにも一枚一枚花びらを抜いて占う可憐な花。キリスト教ではマリアの涙から派生してたとある。
マーガレットはカナリア諸島からもたらされた16世紀以降知られた花で、一つの由来は聖女マルガレーテの名から。
その後大輪の花から目立つためマーガレットがヨーロッパでは秋に咲くキク科の代名詞になってしまったようです。
野生では北海道のみに咲く春を告げる花なので、ラーメン店のイメージで「味の鈴蘭 札幌市 1985年」「麺屋すずらん 札幌」、東京には少ないのですが「すずらん 恵比寿 2003年(渋谷から2014年移転)」があります。
古い名簿にはカフェ「すずらん 赤坂区田町 東京市商工名鑑1933掲載」。ヨーロッパでは聖母の涙と呼ばれていて、純粋、幸せを呼ぶ花。5月1日は鈴蘭の日です。 東京に多いすずらん通りの名からの店名もあります。フレンチ「ブラン・ド・ミュゲ 荻窪 1998年既に閉店」一膳飯屋「すずらん 荻窪 2012年」。
「ルリスダンラバレ 文京区西片 1991-2006年」は英語の呼称の直訳で谷間の百合の意味、鈴蘭のこと、それとも文学作品とおもったらブログのオーナーマダムの言葉では『現実の花ではなく、心の中に咲く花』
鈴蘭は和食全般に多いのですが、ただラーメン店「鈴蘭 新宿三丁目 2012年、右写真中野店2015年開店」は不良漫画『クローズ』の鈴蘭高校の名前とラーメンフリークのブログにはあります。この株式会社INGSグループは「はやし田」「春道」という漫画の人物名店もあるそう。
炭火焙煎珈琲店「プリムローズ 渋谷 1970年代」開店は昭和だと思いますが、桜草、ヨーロッパでは「プリムラ」「プリムヴェール」春の最初に咲くばらとして一番咲の薔薇の名。これを日本語では桜草の訳。ラテン系の言葉の春の意味で桜草の意味もある「カフェデプリマベーラ 神保町 1978年」(『季節の始まりから』掲載)
同じく春の花たんぽぽ(『季節の始まりから』掲載)と木蓮(洋系マグノリア)もそこそこの店数があります。ラーメン店、定食、居酒屋、喫茶店と軽食系列で使われています。
アメリカから進出の豆からこだわるBean to Barチョコラトリー「ダンデライオン 蔵前 2016年、左の写真」英語Dandelion はたんぽぽの意味で、地に足の着いた新しい感じのイメージから。
夏・秋の花(写真撫子の花)ー追加2020年11月23日
薔薇(春から初夏・秋)や百合(夏)、菊(秋)は別格として花の咲くのが季節は春が中心、
夏の花ひまわりは『力・パワー』で上げています。ひまわり以外は印象が少ないです。
ひまわり(西早稲田)
ひまわりは大輪の花は太陽、太陽と同じ意味合いで使われています。世界でも花よりも種から油を採取す食糧品。学術名もヘリアンサス、ギリシア語の太陽の花、英語もサンフラワー、日本語も向日葵。太陽の方向を向く葵。
映画やテレビトドラマについては上の項目に書きましたが、後は今年(2020年)来展したロンドンナショナルギャラリーにもあるヴァンゴッホの作品のひまわりの作品群も人気。もうひとつ近頃日気象衛星ひまわりも日常的に聞こえてきますね。保険会社ひまわり生命はひまわりに暖かさ・成功・バイタリティーを象徴。
特別な晴れの日の食ではなく、定食のような普段の食べ物屋に付けています。由来不明の写真の食堂「ひまわり 西早稲田 1970年」和食「向日葵 水道橋 2006年」つけ麺屋「ひまわり 高田馬場 2006年」手打ち蕎麦「ひまわり 江戸川区北葛西 2017年」
鉄板焼き「向日葵 神楽坂 2018年」はHPでは奥様にちなんでいて、向日葵のようにお客の食事シーンを彩るおもてなしをしたい想いから。
右の写真のビストロ「向日葵 新宿 2011年」はオーナーの出身地宮崎県日向からつけた最初の「日向食堂」それを逆にして向かう日で向日葵にしたそうです。
ほかにインド料理店「ひまわり 葛飾区お花茶屋」「向日葵ダイニング 大田区千鳥」。お花茶屋のお客のブログでは日本でもネパールでも(料理人はネパール人)太陽の花のイメージでお店も太陽のように笑顔があふれるようにと付けたそうです。
先に(『力・パワー』)書いたようにイタリアン多数、それにプラスして「ジラソーレ 曙橋 2013年」は笑顔の花の意味。
兵庫県芦屋のイタリアンのHPでは「OSTERIA O' GIRASOLE(オステリア・オ・ジラソーレ) 芦屋 2002年」のオーナーの修行地トスカーナ地方のひまわり畑の思い出から。太陽に一斉に顔を向けて咲く花の姿にイタリアに憧れている自分とを重ねての命名です。
カフェ「Helianthus(ヘリアンタス) 中目黒 2011年」はギリシア語由来の向日葵の学術名
カンナ(浅草)
夏の花としては小学校性の夏休み観察植物、朝顔は見っけられず、華やかなカンナがすこしだけ。
名前にも人気のカンナ、神津カンナさん、今人気の橋本環奈さん。カンナもイメージ型、南国の華やかな色、赤、オレンジ、黄色の花色、ギリシア語の葦の意味とか。
花言葉は情熱、快活・永遠で、元気いっぱいのカンナの花のイメージ、10月の神無月の意味もあるかも。
古いのは別項目でもアップ、再掲「カンナ 大山 1961年」、和食「のり寛」から改名して今はかき氷で有名になった「和Kichinカンナ 三軒茶屋 2013年」
写真のあたらしい「Kanna(カンナ) 浅草 2019年」は五感のカンと和食野菜の菜のナの造語。
同様に華やかなダリアも。ダリアの花の名は発見者の苗字から。カフェ「DALLA食堂 馬喰町 2002年」やはりイタリアン「ラ・ジョルジーナ 代々木上原 2012年」際コーポレーション経営の「ダリアロッソ 二子玉川 別名で2004年開店、2015年に改名」
萩の花
秋の七草、桔梗以外は地味、萩(左の写真)、尾花(ススキ)、葛、撫子、女郎花、藤袴。家紋では萩、以外に多い撫子、尾花、葛。特別の由来があっての家紋ではなく、文様からの家紋の転換が多く、江戸時代以降に家紋になっていました。
皆とても少数派、漢字自体が秋の花として万葉集の和歌に歌われて古歌人気一番のの萩(左の写真)も継ぐ店名で古民家カフェ「HAGISO(バギソウ) 谷中 2013年」はあります。
トラットリア「フイッリョハギ 北沢 1995年」も実家の「割烹萩」からで Figlio(フイッリョ)は息子のイタリア語。新しくはなし。
すすき・尾花では有名なのは老舗鰻屋「尾花 南千住 1868年」ただ、店名は姓名からで、薄の野原にあるからではありません。尾花の姓はネットからでは確認されているのは栃木県小花村の地名が由来です。
花も実もあるけど、(写真クローバー)ー追加2020年11月23日
クローバー、白詰草は花はあるけどどちらかというとというと葉っぱ。日本では荷物が壊れないように箱に詰められた草の意味、ヨーロッパではラッキーアイテムの四葉のクローバー(『季節の始まりから』)。
『7clover(セブンクローバー)』であげたように、数により外国では意味付けしています。
イギリスの紀元前のケルトの時代から神聖なものとして聖なる植物になってました。クローバーは繁殖力が旺盛で、活力のシンボル、再生。熱意、肥沃のイメージ。
先のアップの「六本木クローバー」以外にも、ちょこちょこ出現しています。
「Cafeクローバー 新板橋 2012年」パンケーキの有名店「CLOVERS(クローバーズ) 代官山 2008年」写真のイタリア語からの喫茶店「カフェフォリオ 代官山 1982年」「QUADRFOGLIO(クアドリフォリオ) 京都 2013年」
「CLOVERS(クローバーズ)」や「カフェフォリオ」と同じく食べログに載っている店「ビストロクローバー 新宿御苑 2018年」「カレークローバー 湯島 2016年」「red clover 三軒茶屋 2009年」これらの店の看板にもクローバーのイラストが目印
漢字で「久露葉亭 神楽坂 2002年頃」は最初「京都ぎをん久露葉亭」の支店なのでしょうか、クローバーかどうかはかりません。お料理には四葉のクローバーセットのコース料理がネットには載っています。
シャムロックはアイルランド語の牧草でこちらは三つ葉で国花。聖パトリックのキリスト教布教の三位一体を象徴するとして使われ、彼の持物(アトリビュー)になりました。
「シャムロック 六本木 2012年」はもちろんアイリッシュパプ。
春に咲く山吹、赤みを帯びた黄色の花、江戸時代は金色のお金、小判の隠語の山吹。『七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞ悲しき』の太田道灌の和歌の逸話で有名な花。
花言葉は金運、気品、崇高となかなかイメージが良いのですが、多いのはかの逸話から。実際は実がないのはすべての山吹ではないようです。
やまぶき(池袋)
東京には山吹の里とされるのは新宿区、豊島区、荒川区等があります。池袋にあった山吹の里からの鰻屋「やまぶき 池袋 1958年(右写真)」、新宿区山吹町からの立ち食いそば店「山吹 江戸川橋 2001年」。古い店は山吹の花かも、和食「山吹 浅草 1902年」。
春の山菜、こごみ、蕗、ぜんまい、そしてわらび、わらびはわらび餅の材料なので一番人気です。
実際はとても高価なのでわらび餅はくず粉、片栗粉でつくらりれていますが。花言葉も!あり、不変の愛、真面目だそうです。
春先に芽を出したばかりの蕨、さわらび、早蕨は別称、こちらは平安時代の重ね着色、源氏物語の巻き名。
さわらび(千代田区隼町)
万葉集の和歌の『岩走る垂水の上の左和良妣(サワラビ)のもえ出づる春になりにけるかも』も有名。『藁火(ワラビ)』と掛けて萌えも燃えにする和歌もあるそう。
日当たりのよい場に出てくるので全国的には「わらびの里 京都市 1966年」のようにイメージ良く、似た店名が多いです。
割烹「わらび 自由が丘 1999年」、蕎麦屋「さわらび 千代田区隼町 2004年」。「さわらび」のオーナー夫婦は出身地埼玉県蕨市で、小さな(未熟者)の店として、出たての蕨の芽のさわらびと命名したそう(お店のHP)
サボテンも花は時々咲きますが中心は丸い、細長い茎を中心にトゲトゲの葉(または茎が変化したもの)。16世紀ヨーロッパへ、17世紀には日本でも資料に載っているそう。
さぼてんはビジネス系の独占状態。とんかつ店「さぼてん 新宿 1966年」は創業者夫婦が外国の砂漠で生き抜くのを見たサボテンの姿から、たくましい生命力にあやかり、皆に愛されるようにと命名しています。
そのため英語が他の店にあります。「カクタス 豊島区長崎 2012年」サボテンバーガーもある「カクタスバーガー 調布市 2020年」
愛好鑑賞者は玄人受けと呼ばれる万年青(オモト)。長命を願う、結構古い江戸時代から愛好されている、一応花も実もある。店名は一店北海道からの炉端焼き「万年青 神楽坂 2014年」のみ
東福寺紅葉の風景
日本では秋の象徴紅葉、植物の名前ではなく、古語の葉が色づく姿からの、紅葉する、黄葉するさまの言葉。漢字一字の椛(モミジ)もあり、秋に色づくさまの国字になっています。
万葉集の時代から注目されていて春の象徴の桜とはライバル関係にあり、『春山万花の艶きと秋山千葉の彩れる』とどちらが優れているか描かれています。平安時代には紅葉を愛でる宴も開かれています。
中でも楓(もっとも美しい、いろは楓)の紅葉が美しいので同義語扱いに。ほかに銀杏紅葉、桜紅葉という季節用語もあります。
だだ、店名は全く桜の相手にならず、個人的イメージですが、歌舞伎から続く時代劇の中で桜は姫君の名、楓・紅葉は仕える腰元の名のイメージですね。桜の音の響きから比べて、紅葉は控えめな印象なんです。
紅葉と楓、東京の店名は食べログでは半々位。楓の英語メイプルはほとんど喫茶店・カフェとなっています。
紅葉川(日本橋)
地名のかつてあった会員制の政財界人御用達の芝の紅葉山の料亭「紅葉館 芝(今の東京タワーの場所) 1881-1945年」。初期の頃の中華「もみぢ 赤坂 1900年」てんぷら「もみぢ 日本橋区呉服橋 G東京市商工名鑑1939年掲載」。
日本橋の川名の蕎麦屋「紅葉川 日本橋 1917年、看板には満留賀とあるので途中で改名しているよう」(右の写真)。
広島の名物もみぢまんじゅうとお好み焼きのイメージ?「もみじ屋(最初レモン屋) 飯田橋 1980年」
観光的な場所の店にも。高輪プリンスホテル内ラウンジ「もみじ 高輪 1982年」六義園内「もみじ茶屋 巣鴨」「中華食府楓 駒込(六義園前) 2011年」「紅葉屋本店 高尾」など。
居酒屋、ラーメン店に多いのですが、ラーメンはスープを取る鶏のとさかからのようです。「めん処紅葉 国分寺 2006年」「楓 八王子 2003年」等。
両店とも既に閉店していますが「コーヒーハウス楓 水道橋 2011年、今は改名サラダ・デリ店」、和食「花楓(カエデ) 日本橋 2012年」、HPから『江戸時代、将軍様が政務の後、寛ぐ居室を楓の間といい、お客様にも寛いで食を楽しんでいただきたいという思いを込めて「花楓」と命名』。
紅葉・楓はラーメン等もあるので中華もありますが、洋系は少なく和食、蕎麦、居酒屋が中心です。
中華では音読みで漢字2文字の組み合わせ、ただパターンは少ないですね。「楓林(フウリン) 飯田橋 2012年」「楓凛(フウリン) 板橋区東新町 1975年」「楓凛(フウリン) 国分寺 2017年」
英語のメイプル、カナダの国旗の象徴なんですが・・・少ないですね。写真は楓の目印がかわいい「カフェめいぷる 稲荷町」。
石川県のレストラン「 Maple House(メープルハウス) 野々市 1986年」は店の前に季節を感じる木を植えたいと思い、公園の美しく紅葉するカナディアンメープルの木に魅せられて、ロゴも赤い楓。今は多くのお店を展開していて「カエデ珈琲」「定食楓」「茶房楓」等。
洋系は1店、イタリアン「Trattoria l’acero(トラットリア・ラーチェロ) 日本橋 2008年」。いまは店名に付けているのは食材メイプルシロップを使ったスイーツのオンパレードです。
ロン(四ツ谷)
芝、芝生の草。葦、蘆、芦は夏の暑さをしのぐ葦簀(ヨシズ)の材料、悪しと繋がるのを嫌いヨシと読ませています。地名の葦の原も吉野になっていることが多いそう。
1960年代のアメリカンライフの憧れでベランダとともに芝生の庭もありました。ネットでは手入れに手間と時間がかかる芝生の庭にあんなにこだわるのかわかない意見も多々ありますが・・・。
多分そのの気分の喫茶店「Lawn(ロンー家の裏庭に芝生の庭があったことから) 四ツ谷 1954年(左写真)」「喫茶芝生 駒沢 1968年」、比較的新しいレストランバー「sibafu(シバフ) 目黒 2012年」には店の前に小さな芝生の庭。
東京の芝公園や芝浦周辺には当然芝がつく店名は多いのですが、珍しいフレンチの仏語芝の「Le Gazon(ル ガゾン) 芝公園」も。
ⓢー(追加2020.12.10)
コロナ過の始まりの頃にイノベーティブの「moss(モス) 赤坂 2020年」は和魂洋才の精神でオープン。英語の苔の意味で、HP上に由来を載せていています。長いのでまとめると、盆栽や日本庭園の影の立役者の苔のように花であるお客を引き立て、支え、縁をつなぐ場所としたい願です。(2021.2.15)
参考資料
💮花の民俗学 桜井満 おうふう 2000
💮歳時の文化事典 五十嵐謙吉 八坂書房 2006
💮家紋の文化史 講談社 1999
💮日本史大事典 平凡社 1992
💮歴史学事典 3 かたちとくらし 弘文堂 1995
💮図説花と樹の大事典 柏書房 1996
💮花の文化史 春山行夫 中央公論社 1957
💮椿 有薗利幸 法政大学出版局 2014
💮日本の文様 11巻百合菖蒲 小学館 1988
💮花と緑の事典 六曜社 1996
💮園芸植物名の由来 中村浩 東京書籍 1981
💮図説和菓子の歴史 青木直己 筑摩書房 2017