海のむこうから 2
カフェ・喫茶店
2021年08月19日・2022年01月18日・2022年05月29日
改定2022年05月02日・追加2023年07月17日・追加2023年10月30日
追加2024年06月06日
カフェは中東からイギリス、フランスと渡たった飲み物の名であり、それを飲ませる店の名でもあります。
当初はコーヒーは西洋料理店のコースで飲むだけ、一般庶民にはほとんど目にすることがなかった飲物。明治時代にはほとんどなく、開店したが早すぎたため1886年の洗愁亭や1888年の「可比茶館(喫茶・カフェ掲載)」もすぐ閉店しています。
カフェとして1910年代、コーヒー専門店ではないが食事とお酒とコーヒーを提供した「メーゾン鴻ノ巣 日本橋 1910年」「カフェ・プランタン」、上の写真の珈琲専門「カフェパウリスタ 銀座(サンパウロッ子) 1911年開店」を初めてにして、コーヒーの味を楽しむ店が次々オープンしていきます。
カフェは交流の場の提供が目的で純粋な食べ物屋とは少し違う。カフエの資料の中で東孝光氏の文章で「都市に住むたいていの人は住居と仕事場の途中のどこかに自分なりの好みで行きつけの場所を持っている(『都市と喫茶店』より)」と書かれいてる。他の食べ物屋より広い範囲から店名がつけることができる。
大正時代のカフエは花盛りで色々な文学者たちとの交流が文章として残っている。
庶民的に飲料中心の店は1901年頃からのミルクホール、体力向上のため国が推進した牛乳普及が実を結び牛乳、清涼飲料を出す店。大正後期からコーヒーの普及で喫茶店に代わっていきました。「千里軒 銀座 1888年」「桃牧舎 神田 開店年不明」写真現在洋食店「桃乳舎 茅場町 1889年」「高田牧舎(地名高田町) 早稲田 1905年」
戦後一気に店数増加、「ミロンガ(アルゼンチンタンゴのリズムの一種) 神保町 1953年」ジャズ喫茶「いーぐる 四ツ谷 1967年」等。
1960年代から1970代がピーク。1980年代になるとアメリカからのカフェバー全盛、1990年代はコーヒーを飲む以外の要素を様々に詰め込んだカフェの時代になります。
現在まであらゆる種類のカフェ、喫茶店が登場してきた。女性との交流の場といえば一番新しいのはメイド喫茶。流行が激しく常に時代の波と風のなかにあって店名としてはブランド名は成立しにくい。
地名系
コーヒーの産地、ブラジルは当然で、ブラジルコーヒーの普及を目的として開店はーした一番上の写真「「カフェパウリスタ 銀座 1911年開店」」はポルトガル語のサンパウロっ子の意味です。
大正末には「ブラジル(『ブラジルコーヒー』参照)」「ブラジレイロ 大阪市 1930年」ともに東京銀座にも進出。
戦後もブラジル産コーヒーを出すことで「サンパウロ 浅草 1961-2022年」、サンパウロの港の名「サントス 八王子 1974年」。更なる老舗は神戸市の「元町サントス 1960年」になります。
ブラジルのかつての首都リオデジャネイロの「Rio(リオ)」も。カフェの一角「ドトールコーヒー」もサンパウロの通り名。
「カフェー・ユーロツパ 銀座 1920年」ガイド『大東京うまいもの食べある記 1933・1935』に載っている「喫茶パリス 小川町」「フランス茶房 上野」「ラインランド 銀座」。戦後は大量オープン、「フロリダ 蒲田 1950年」「喫茶モンブラン 浅草 1950年」「あるぷす 浅草 1955年」「スカラ座 新宿 1955-2015年」「パレルモ 新富町 1960年」
日本の地名は少なく、この点はある場所の地名を付ける洋食とは違うところです。
文学芸術のインテリの方々が訪れたので有名なのは「武蔵野茶廊 新宿 1931-2004年(再掲)」、同じく「茶房早稲田文庫 高田馬場 1947-1984年」、引き継ぐ「茶房武蔵野文庫 1985年 吉祥寺(再掲)」。今店数があるのはビジネス系「武蔵野茶房 田無 1989年1号店」。
山好きで北アルプス穂高連峰から「穂高 神田 1955年」出身地「但馬屋珈琲店 新宿 1964年、最初の店名エデン、1987年に改名」
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名前系
フランスの画家名から「画廊喫茶ルオー 本郷 1953年(再掲)」「ルノアール 東中野 1947年、公式は日本橋開店1号1964年」「画廊喫茶ミロ 駿河台 1955年(再掲)」、京都の老舗喫茶店で有名なのは「フランソワ(フランソワ・ミレーから) 1934年(再掲)」。(『絵画』掲載)
文学系は「「らんぼお 神保町 1947年」「ダンテ 西荻窪 1970年(再掲)」作品の主人公名で「茶房りりおむ 谷中 1931年」「バンビ 本郷 1965年(再掲)」作品名は多くのオマージュ店を持つ「邪宗門」人気の宮沢賢治の作品名からも多いです。音楽は上記以外は店主がJ.S.バッハが好きで作品『 コーヒーカンタータ』もある「カフェバッハ 南千住 1968年」「ベルク(音楽家シェーンベルク) 新宿 1970年」、両店とも有名店。ジャズの曲名からの「テンダリー 葛飾区金町 1970年頃」(ほかは『音楽的には』を見てください)
リノベーションで有名な「カヤバ珈琲(『 継ぐ名前 Ⅱ』再掲)」「ピーター(松竹歌劇団にいたオーナーの妹の愛称) 田原町 1964年」。姓名をフランス語に変えている「トロワパグ(神保町)(再掲)」名前をもじった銀座にも姉妹店がある「壹眞珈琲店 神保町 1982年」
自然系
和食のように伝統的な松竹梅・鶴亀ではなく凝ったものもはなく単純にすずらん、ポプラ、ゆり、薔薇、など。動物はライオン、白鳥と英語スワン、鷲、英語でイーグル、白馬、小型の馬ポニー、猫。昭和初期のガイドにあるのは「梅屋 芝区愛宕 『東京市商工名鑑1933』」「すずらん 赤坂区田町 『東京市商工名鑑1933』」「喫茶シラユリ 上野 『大東京うまいもの食べある記1935』」戦後は外国名の植物名が多数付いていました。
写真は古めの喫茶店2店「梅の木 赤羽 1946年」「ピーコック(孔雀、庇もピーコックブルー) 亀戸 1960年代」
純喫茶系
昭和の初めの純喫茶と音楽喫茶現存の最古の「 名曲喫茶ライオン」は、個人名も多いが、そのほか、ジャマイカ、コロンビア、リオ、アラビカ等。コーヒーの色や種類から、カリスマ店主の喫茶店「カフェドランブル 銀座 1948年開店」、琥珀は人気店名(『琥珀・アンバー・ランブル』参照)
余談ですが、カフェドランブルの店主関口さんは多数の著作があり、その中で琥珀と珈琲の字で四つも王という字が入っていると書いています。彼は美味しいコーヒーは清澄な琥珀色をしていると断じ濁ってはいけないそうです。
珈琲の樹の原種の名で東京の以前アップの「Coffee Arabica(コヒアアラビカ) 赤坂 1958年頃(再掲)」「アラビカ 日本橋 1962年(再掲)」、だけ?、全国にはまだ多いようですが、ネットでは既に閉店した「カフェ・ド・アラビカ 新中野 2019年に閉店」「珈琲処アラビカ 台東区台東」
モカマタリで知られるモカは人気でイエメンのコーヒー積出港の地名からです。
有名な「もか 吉祥寺 1963-1991年(再掲)」(『コーヒーに憑かれた男たち』の三大御大レジェンドのひとりで上の「銀座ランブル」「南千住バッハ」)。
「喫茶モカ 北千住 1961年」「カフェモカ 板橋 1974年」「モカ 江古田 1975年」。
二字で寂しいのか全国では漢字にした「萌香」「木香」「萌華」「萌可」「百珈」。
写真は正真正銘のイエメン出身の方の平成開店「Mocha Coffee(モカカフェ) 代官山 2011年」。
ただ、道具系は少なくカフェの時代になって増えていきました。出身地瀬戸産の陶磁器カップの「古瀬戸(『時が創る』掲載)」 ★TOP頁へ★ ☆平成のカフェTOP頁へ ☆カフェのいまー2000年以後TOP頁へ ☆様々なカタチへTOP頁へ ☆カフェバーからカフェとダイニングTOP頁へ ☆甘味処と新しい世界TOP頁へ ☆番外編ーお菓子とスイーツの名前TOP頁へ
平成のカフェ
90代後半からレストランほどではないが軽めの食事メニューがカフェめしともてはやされるカフェが登場します。ちょっと変わった丼めしとか、ワンプレートメニューが評判になりました。
大正期に出できたカフェとは違い、個人が始めるものが多い。個人の部屋へ招待された感覚の店が次々と開店します。
ユーズドの家具、自分の趣味の世界の展示。本や盆栽、絵画、陶器類。
マスコミ的にも『東京カフェスタイル77 講談社』『東京カフェ案内2002』ネットのカフェマニア『カフェマニア』後の2冊は女性の手に寄るもの。雑誌Hanakoの『東京カフェブック2000』も出版。昭和の喫茶店が男性の書き手が中心でしたが、カフェは女性目線から始まっていました。10年後にはカフェ関係の雑誌を出版していたグラフィスからエリア別のカフェ案内本が5年間30冊以上出ていました。
空間の雰囲気で括っている資料も、個人のリビング風、コンテンポラリ(現代風)、アジアン、アンティーク、コンプレックス(服、雑貨店等と併設)
業態的にはヨーロッパ的なオープンエアカフェ、昼夜食事可能なアメリカンな食堂ダイナーカフェ、おしゃれなアパレル系複合カフェ、最後に個人開業の癒し系なごみ系カフェだそうです。
店名としてはとても難しい括りが多種多様で、どこの国の言葉?、読み方は?、意味は?とクエスチョンマークばかりの世界。
地名や姓名や賀字からの分け方は無理なので業種から見ていきました。写真は30年以上頑張っている平成の初期にオープン「カフェアンジェリーナ 世田谷 1990年」伊語で天使の女の子の名前。(パートナーの方の妹的カフェ「カフェロッタ 松陰神社 2001-2021年」と20年間を綴った『カフェロッタのことと、わたしのこと』も出版)。
もう一つの写真は天使繋がりで「アンヂェラス」は60年以上、平成の最後のほうに店を閉じました、両店にオマージュを込めて。
オープンエアカフェ
ホントの最初は昭和初めの洋菓子「コロンバン(『テラス』掲載)」が銀座三丁目角に開いた喫茶店、パリの本店のコロンバンを模したモノでした。ただ当時の道路の舗装環境が悪くて、馬糞や砂埃が舞って気分は快適ではなかたそうです。
バブル期の終わりころ、フランスパリ直輸入の「ドゥ・マゴ・パリ 渋谷 1988年」「カフェ・デ・フロール 青山 1995年」の2店。両店ともパリのサンジェルマン・デ・プレにある老舗カフェ。
「オーバカナル(再掲)」もパリと同じ本場仕様のカフェは最初のカフェはビルの立て直しで閉店したけど、別会社に移行して紀尾井町、高輪、銀座等にあります。
結婚場の企業が経営の「アニヴェルセルカフェ 表参道 1998年((再掲)」も20年以上になります。テラス付が影響して『テラス』にあるように多くの地名+テラスがオープンしていきました。
複合カフェ
PAPASブランドの会社横にある「Papas CAFE(ハパスカフェ) 広尾 1991年」はじめとしてHAKKA(ハッカ)の「CAFEMADU(カフェ・マディ) 表参道 1994年」同じ会社の「LASCHCAS(ラスチカスー少女たちのラテン語) 原宿 1994-2018年 」同じく「TeTeS(テテスー雫) 西麻布 2010-2016年」。「MADU」の意味は不明で、お客のブログでは2番めの女性、若くもなく年配でもない大人の女のインドネシア語だとか。
家具雑貨店のFrancfranc(フランフラン)カフェ「MUG CAFE(マグカップ) 南青山 2012年」
社名そのままのコムサグループ「Café comme ca(カフェコムサ) 1号店千葉県柏市 1996年、路面店の2号店青山2003年」、「INDIVI cafe(インディヴィ) 西新宿 1997年」「MARGARET HOWELL CAFÉ(マーガレットハウルカフェ) 渋谷 1999年」無印良品の「Café&MealMUJI(ムジ) 有楽町 2001年、日比谷に併設ではない単独店2007年(再掲)」ジャーナルスタンダード「standard deli(スタンダードデリ) 新宿 2000年、今はJ.S. BURGERS CAFE 」「UA(ユーエーユナイテッドアローズ)カフェ 原宿 2003年」「RH(ロンハーマン)カフェ 千駄ヶ谷 2011年」
ダイナーカフェ
アメリカンな簡易食堂のダイナーカフェは空間プロデューサー山本宇一氏の関わった「バワリーキッチン 駒沢 1997年」「ロータス 神宮前 2000年(再掲)」(『ロータス掲載)が有名。バワリーはニューヨークのバワリーストリートという日本では合羽橋のような場所で、そこでいろいろなものを調達したことから。
かつて暮らした「ニューベリーカフェ 西荻窪 2000年」はボストンの流行のショップやカフェが並ぶストリート名。
ビジネス系ニューヨークのブックカフェからの発想「Dexee Diner(ディキシーダイナーージャズの発祥地名) 恵比寿 2000年」、これらはアメリカの地名が付いています。
本と雑貨の名古屋からの進出Village Vanguardのダイナー「VILLAGE VANGUARD DINER (ヴィレッジヴァンガードダイナー) 吉祥寺 2003年、東京最初」は基本はハンバーガー店ですが、由来は上と同じジャズ、創業者の夢だったのはジャズのライブをやることで、ニューヨークの同名ジャズクラブから。
何度か登場したビジネス系「WIRED CAFE(ワイヤードカフェ)・」もキッチン、ダイナーと展開。 ★TOP頁へ★ ☆平成のカフェTOP頁へ ☆カフェのいまー2000年以後TOP頁へ ☆様々なカタチへTOP頁へ ☆カフェバーからカフェとダイニングTOP頁へ ☆甘味処と新しい世界TOP頁へ ☆番外編ーお菓子とスイーツの名前TOP頁へ
癒しのカフェ
癒し系のカフェ個人がはじめることが多いようです。最初は場所に関わる店名。多くの店名はアップ済でそれ以外。「La cour café(ラ・クールカフェー中庭の意味) 吉祥寺 1994年」「Cafe CABANON(キャバノンー仏語リゾートの小さな家の意味) 自由が丘 1997年」「LITTLE HEAVEN(リトルヘブン) 大塚 1999年、京都へ」。
多く開店したのがお部屋カフェと呼ぶマンションやビルの一室をリノベーションした友人の部屋のようなカフェ、家具は中古中心。
「neivel(ネイヴェルー臍の意味、建物の真ん中にある) 恵比寿 2001-2005年」「3/5(五階建ての3階にある) 恵比寿 2002年」「「202Market (2階にある) 笹塚 2004年」
この店名に続き今までと違うもの、お客のイメージを排除して雰囲気を感じてもらうカフェ。キラキラした雰囲気の全くない普通の日常言葉。単に場所やインテリアの名前の登場です。「café Bed(ベッド) 代官山 2001年」「カーテン 目黒 2002年」「Rooms(ルームス) 下北沢 2008年」「ie いえ 中目黒 2009年」「una camera livera(ウナカメラリーブルー伊語解き放たれた自由な部屋) 中野 2009年」は日替わりで店主が入れ替わるシェアカフェ
アップ済「chano-ma(チャノマ) 中目黒 2001年」(現在DDダイニング傘下で全国展開していて18店舗)「ima(イマ)」。
ほとんどビルの中に隠れているカフェ達、隠れ家の意味の「conceal cafe MYMASUZAKA(コンシールカフェミヤマスザカ) 渋谷 2005年、桜丘2010-2018年もありました」、多くの同じようなカフェ専門の会社リノベーションプランニングに寄るもの。(他目印なしー隠れ家?掲載)
多くの雑誌のあげられていた「FLOOR!(フロア!) 吉祥寺 2000-2006年」英語の床、驚きマーク付きの由来は不明、此のころには珍しいコーヒーなしの日本・中国茶を提供とオーナーの気に入った年代を経た家具や雑貨の数々。個人によるネットの情報の増加も店名に凝らない要因ですね。(他も掲載『いつもの家と隣近所』)
上の写真は「フレイム 中目黒 2006年(グローバルハーツの経営)」額縁の意味で書いたカテゴリーには入らないのですが、長く『YOUR OASIS IN LIFE』のテーマで都会のオアシス、生活のオアシスとして癒しのカフェ。静かさはないけど幅広い利用に応えています。
外国語だけでなく沖縄語の安らぐの意味の「UMU YAS-YAH(ウムヤスヤー) 吉祥寺 2005年」
当然和風もありました。「yusoshi(ユーソーシー) 渋谷 2000年」は造語の愉・想・使、楽しいことを想像しそれを表現して発信していきたい想いを店名に。和風の店名は有名料亭の「茶酒(サーシューお茶を洒脱に楽しむ意味) 白金台、現在は表参道店2013年」。
日本茶をメインにするカフェも開店。日本茶ソムリエが経営する「茶茶の間(茶の間は台所の意味とか) 表参道 2005年」、茶筅で抹茶を点ててくれる「chanomi(チャノミ) 白金 2007年」「茶の楡 吉祥寺 2008年」では茶の湯からのお茶を愉しむゆとりの気持ちを込めて。内装が畳・ちゃぶ台・座布団の「ANTENNA(アンテナ) 渋谷 2001-2013年」。
それまであまり知られていなかった国々。以前書いた『旅する心を詰め込んで-地名の流行Ⅱ』のような北欧カフェも多く登場、地名ではなく日常言葉が多いです。
「Café ORIENTAL WAVE(オリエンタルウェーブ) 新宿 1993年」「BOMBAY BAZAR(ボンベイバザー) 中目黒 1993年」「PARADISE MACAU(パラダイスマカオ) 渋谷 2002年」
東南アジアに自生する『木に登る』意味の美しい蘭の名からの「café Banda(カフェバンダ) 代々木公園 2002年」「Rat ngon store(ラット・ゴン・ストアーベトナム語おいしい) 神宮前 1999-2003年」「CANTIK(チャンテックーインドネシア語の美しい) 渋谷 2003年」「ディーチャイ(タイ語でうれしい) 三軒茶屋 2006年」「サジロカフェ」と同じオーナーの「Shiva Café(シヴァカフェーネパールでは馴染みのシバ神) 吉祥寺 2009年」。
日本人大好きな癒しのハワイの言葉のカフェも増えています。「Ohana(オハナーハワイ語家族) 銀座 2006年」「ohanaya(オハナヤ) 自由が丘 2008年、鎌倉に移転」「NALU cafe(=76Cafe、ナルカフェーハワイ語の波) 神宮前 2003年」「MUU MUU DINER(ムウムウダイナーーハワイのゆったりしたワンピース服) 御茶ノ水 2006年」「Punahele(プナハレーお気に入りの意味) 池上 2010年」(『別世界・ハワイ』にも)
雑誌掲載多い「Cafe Apres midi(カフェ・アプレミディー仏語の午後、大人のパリのカフェの空気感に憧れて?) 高円寺 1999-2014年」「cafe ordinaire(オーディネールー普通の日常) 下北沢 2000-2011年」
フードカフェ
食べ物関係のの名前のカフェ、飲み物中心の今までの喫茶店・カフェには珍しいタイプ。カフェブームの時はワンプレートで提供するカフェ飯が注目の的。特にガパオライスのようなアジアン系が人気でした。『最強の店名か? 料理名ほか変幻版』の中の『軽食』で多く上げていました。
以後の人気デリカフェの先駆けデリカッセンカフェ「news DELI(ニューズデリ) 1998年 表参道」北の食材、東の器、西の調理法、南の調理法で、英語の東西南北の頭文字を組み合わせたものです。ほか『パンケーキ』クレープ、キッシュやサンドイッチの『軽食』に掲載。
「YAFFA ORGANIC CAFE(ヤッファオーガニックカフェー由来は不明、ネットではヤッファはヘブライ語の美しいを意味する女性名) 六本木 2000-2005年、原宿、最後渋谷2008-2020」「GIO ORGANIC CAFE(ジオオーガニックカフェ) 品川 2003年」「Organica(オーガニカ) 飯田橋 2009年」。
写真、体験する、繋がる農と食のコンセプト「農民カフェ 下北沢 2009-2022年」、同じコンセプト「HATAKE CAFE 新宿三丁目 2012年、青山で野菜レストランHATAKE AOYAMA2010年」
より厳しいビーガンフードの「Pure Cafe(ピュアカフェー?純粋、きれい) 表参道 2003-2016年」マクロビオテック料理教室等のオーガニックベース運営の「base café(ベースカフェ) 吉祥寺 2004年」はベーシックな基本となるものを大切にしたい想い。会社名そのままの「チャヤマクロビカフェ 新宿三丁目 2009年(再掲)、現在はイタリアン」、アップ済み「eau cafe(オウカフェ)」。
野菜の『野菜料理』、野菜は緑、グリーンがイメージなのでコラム『【色ーみどり】』にも掲載。
体の健康のために増えた食品、豆製品(『豆腐いろいろ』掲載)や乾物の料理カフェ、「カフェマメヒコ(小豆や大豆料理) 三軒茶屋 2005年(再掲)」「BEANUS CAFE(ビーナスカフェーbean豆とus自分たちからの造語) 新宿 2007年」「SOYS CAFE(ソイズカフェー大豆料理、豆腐・湯葉) 麻布十番 2009年(再掲)」「Kanbutsu Café(乾物カフェ) 代々木上原 2007-2016年」
スイーツ系「DESSERT COMPANY(デザートカンパニー) 原宿 1998-2001年」はアジアンデザートカフェ。作家村上春樹氏の命名「a Piece of Cake(アピースオブケイクーケーキ一片のほかに朝飯前、超簡単の意味) 青山 1998年」、これを略して姉妹店パンケーキ「APOC(アポック) 南青山 2011年」「 Acot(アコットーa cup of tea の頭文字から) 代々木八幡 2009年」汁菓子専門の「siruka(シルカ) 西麻布 2000年(再掲)」
美人の看板猫がよく雑誌に登場していたマンヂウカフェ「mugimaru2(ムギマルツーー小麦饅頭、一度根岸の場所で開店したので2度目の開店) 神楽坂 2004-2021年」「歩粉(hokoーほこ) 恵比寿 2006-2015年、現在京都へ」は短いけど想いは強い(詳しくはお店のHP)要約すると美味しいものに形を変えた"粉"の焼き菓子で皆気持ちをまあるくして"歩"いてほしい。
短期間で閉店した「LIKE LIKE KITCHEN(ライクライクキッチン) 富ヶ谷 2010-2012年」料理も食べるのも好きーLIKE!。現在人気の料理教室を主宰。
今多いのは食品関係のアンテナカフェ、自然食品、オーガニック、ビーガンが平成の中心でした。野菜ドーナツの「SOAKS(ソークス) 中目黒 2011-2018年」は野菜パウダーのアンテナショップで野菜の栄養が染み込むようにと英語の染み込む意味のsoak。有機食材販売の大地の会「ツチオーネ(土大根、土付き大根の意味) 九品仏 2009-2011年」
高級チョコレート店の外国からの出店と『「Bean to Bar』ブームが2000年頃からチョコレート関係も多く「chocoholic café(チョコホリックカフェ) 代官山 2003年(再掲)」「100% Chocolate Cafe. 京橋 2004-2017年」は明治製菓。
「スターバックス 1996年」「タリーズ 1998年」名古屋の「コメダ珈琲 東京2007年」の進出、海外からのスコーンやパンケーキを売りにするカフェの影響が徐々にでてきていました。
2000年代途中から本来の飲料への注目が高まり始めます。2010年代後半からはお芋や栗、ミルク、バター、抹茶スイーツ、高価なフルーツパフェ等の絞り込んだ専門カフェのフード系が大量にオープンしていきます。
シンプル?ワンダー?な店名のカフェ
自作したデータリストでも平成の時代の20年分のカフェは全体の65%に当たり、広い世界から付いています。情報発信の力もネットが加わり膨大にアップしていきました。
『カフェノナマエ』では9種類の分け方になっています。店名史上もっとも大きな範囲になって絞りにくい世界。
上のアップから漏れる店名は多数。平成の空気はバブルで浮かれた後の後始末の疲れが蔓延して癒し、落ち着き、は地名や名前が前面に下記の様に+珈琲があらわれる流れになっていきます。
旧世代シンプル店名のカフェ
このエリアで別会社の「神南サロン 渋谷 2002年」「 JINANAN CAFÉ(ジンナンカフェ) 渋谷 2011年」 今はビストロの「139(サントラントヌフ)カフェ 渋谷 2006年」。
少し外れた「松濤カフェ 渋谷 2006年」「神泉パーラー 神泉 2000年」
他エリアでは「谷中カフェ 谷中 2002年」「弦巻茶屋 世田谷区弦巻 2004-2014年」「麹町カフェ 麹町 2006-2020年」「中目黒LOUNGE 中目黒 2009年」「三軒茶屋カフェ 三軒茶屋 2009年」、このカフェについてネットでは『地名をそのまま付けるなんて強気』という意見が載っていました。
次が名前下記(『プレミアムな喫茶の世界、』)のようなそのままの姓や名を付けるのは少なく色々変えて名前感なしになっていました。
「CICOUTE CAFÉ(チクテカフェー店主のニックネーム) 下北沢 2000-2012年」「A.B. Café(エービーカフェーオーナーの一字蛯から) 吉祥寺 2001-2017年」「SODA Café(ソーダカフェー苗字曽田さん) 自由が丘 2001年、葉山に2015年移転」「eri café(エリカフェ) 下北沢 2003-2012年(再掲)」「まやんち 蒲田 2005年」「Kahemi Cafe(カヘミカフェーオーナーの二人のイニシャルと健康のkeのアナグラム) 渋谷 2006-2014年」「shima(シマー苗字一字島から) 元代々木 2007-2017年、2018荻窪へ」、女性が多いので可愛い店名多い。アップ済「カフェ634(ムサシ)」「青家」
新世代シンプル?ワンダー?な店名のカフェ
美を演出する会社の「ukafe(ウカフェ) 六本木 2010年」は蝶がう化する、蝶が蛹から羽化する意味。「Cafe58(ゴッパーあらゆる音を拾うマイクのこと、お客のニーズをキャッチしたい。) 代官山 1994年」。短くても思いは濃い店名。ほかにローマ字「♯A(ナンバーA)」「and C(アンドシー)」
ほかに造語と長い店名は『覚えにくい!店名』に多くアップ済、それ以外、少し変わった店名を同じように箇条書きにしました。
様々な世界を発見して見せてくれますが、なかなか物理学や人類学、宗教学は馴染みがないアカデミックエリア。オンリーワールドな店名ですね。
- CAFÉ Red Book(レッドブック) 中目黒 1999年」…百科事典や聖書のような皮装丁の本のようにクラシックでありながら日常的な場所でありたい
- 「cafe MURIWUI(ムリウィ) 祖師谷大蔵 2002年」…アマゾン生育の猿 ムリウイらしく つまり人間らしくありたい、お店HPにはムリウィの事が詳しい。
- 「TOUMAI(トゥーマイ) 八王子 2006年」…アフリカ東部エリアのチャド語、アフリカで発見の人類の始祖のニックネームで生命の希望の意味
- 「didean(ディデアン) 富岡 2000年、2008年移転」…中国語地点の発音と英語アイデアの一体化の造語で素晴らしい発想が生まれる場
- 「holon(ホロン) 西荻窪 2007-2013年」…ギリシア語hol holo全体完全 onは粒子性 どんな小さなものでも宇宙の全体性を宿している
- 「torse(トルス) 世田谷区下馬 2008年、最初鷹番」…仏語上半身 お店半人前 お客が入って一人前
- 「café salongo 365(サロンゴ) 人形町 2010年」…サロンゴ(Salongo)は、アフリカのザイール(現コンゴ民主共和国)の言葉で、『無から愛の力を以て創造する』だそうです。
雑誌によく載っていますが、ただ由来は不明なのは「珈琲花歩 谷中 2003年」「カフェ花鳥風月 高円寺 2005-2011年(再掲『芸術・文芸関連の周りから』にも)」蕎麦とコーヒーのカフェ「長屋茶房天真庵 墨田区文花 2007年」
ビジネス系「フクモリ(『福を盛る』という意味) 馬喰町 2009年」。アップ済の「ももちどり」「itonowa(イトノワ)」
多くのカフェは建物のリノベーションが多いこともあり閉店も多いです。プロデューサー山本宇一氏が雑誌の記事で『カフェは自分達の時代の東京の食堂』としていました。確かに現在も頑張っているカフェは地域の人々の飯処になっていました。
ちょっと変わった継ぎ方をしたのは「komagura cafe(コマグラカフェ) 吉祥寺 2016年」はもと「kibi cafe(キビカフェー出身地の吉備、きび砂糖、人情の機微) 2008年」の店主が引き継いでいます。ダイニングバー「こまぐらー福岡県の杜の蔵の日本酒銘柄の独楽蔵から」閉店後カフェに(『カフエノナマエ』より)。なお独楽は江戸時代から続く博多独楽という独楽を操る伝統芸能。カフェはメニューもインテリアも新旧ごちゃまぜとか。 ★TOP頁へ★ ☆平成のカフェTOP頁へ ☆カフェのいまー2000年以後TOP頁へ ☆様々なカタチへTOP頁へ ☆カフェバーからカフェとダイニングTOP頁へ ☆甘味処と新しい世界TOP頁へ ☆番外編ーお菓子とスイーツの名前TOP頁へ
カフェのいまー2000年以後
街の喫茶店は消えて、ドトール、サンマルク、ヴェローチェ、タリーズ、がとこにでもあるようになりました。これ等が安く、均一の味を提供する多数のお客を相手にする店です。
プレミアムな喫茶の世界
ハンバーガーの世界ではマックが1人勝ですが、プレミアムハンバーガー、一個1000円以上のもので勝負するハンバーガー店が出てきています。店名はまだアメリカンな店名が中心です。
同様に、カフェは趣味+飲み物、食べ物なんですが、飲み物である珈琲に豆、炒り方、淹れ方へ徹底して、こだわった店が2006年から急上昇で増えてきました。
昔から純喫茶よりさらに淹れ方にこだわっています。イタリアからカフェラテをいれる専門家パリスタが知られるようになり、大会の上位入賞者が六本木にバールを開店し、雑誌で名前が知られはじめます。
つい最近のカフェマニアの川口葉子さんの著作もそういうバリスタの行き方を選んだ人たちにスポットを当てた「カフェピープル」を書いています。
最近、大手の珈琲自信ありの店がこの名前のチェーン店を増やしています。ルノアールののような大手が社長の姓から「ミヤマ珈琲店 1号店埼玉県朝霞市」を、UCCの「上島珈琲店 神保町 1号店2003年」、姓名っぽい「星乃珈琲(日本レストランシステムズ)など。
京都の大きなコーヒー店は個人名が多く、イノダ、前田、小川が有名。京都は個人の家が以外に狭く、家は作業所と生活場が一緒なので、応接間がない。そのため喫茶店が応接間の代わりで利用され、狭い範囲のお客を集めることができるので、名前が多いのでしょう。信頼度が高いのは何よりも名前ですから・・・。
個人の店も東京で増えていくのでしょうか。「堀口珈琲(千歳烏山)-堀口俊英さん 1990年開業」、「NOZY COFFEE(ノージーコーヒーー能城(ノウジョウ)さんのお店) 三宿 2010-2019年」など、頑張り始めていますが。
まだ、中心は地名、最近オープンでも「日本橋カフェ」「カヤバ珈琲」「猿田彦珈琲(恵比寿の別称)恵比寿 2011年開店」「白金珈琲」「合羽橋珈琲」等、高級風「椿屋珈琲 1996年開店」は最初の銀座七丁目の銀座椿通りにあったことからの店名ですが、こちらもチェーン店が増えています。
喫茶・カフェの次世代
一時期、カフェ飯なるものが本も出版されるほど盛況でしたが、現在は珈琲に比重がかかる第三世代(サードウェーブ)だそうです。雑誌によれば日本のドリップ式珈琲の入れ方がアメリカへ行き、豆選択、焙煎、珈琲入れまでこだわり、ブレンドではなくシングルオリジンなる豆をつかう。本や雑誌が多数、豆の姿、農場の名まで載せています。
パンの資料を読んでいた時、全国のパン屋を取材していた池田さんの雑誌の記事によると、個人的実感として「パンは日常食なので、素直な性格の職人が多く、珈琲は嗜好品なので捻くれた性格の店主が多い」とのべていました。確かに、1960年代開店の方は脱サラとか、何をやってもうまくいかず、喫茶店でもとか、辛苦の時代を過ごしている方が多いようです。
アメリカから直輸入の店「アイランド・ヴィンテージ・コーヒー」や「アースカフェ」大阪の「ブルックリンロースティングカンパニー」があります。前の2店はオーガニックの匂いがする店名。
ヨーロッパからは「フレグレン」「クチューム」がオープン。
スタンドやロースターの言葉が頭や尻尾に付いていることが多いです。店名も英語中心、アメリカからのウェーブですから当然の結果ではあります。
長く滞在する喫茶店ではないので、珈琲をより強調する店名と喫茶店では少な目の地名が多いです。
「やなか珈琲」「白金珈琲」。「OMOTESANDO KOFFEE(オモテサンドウーコーヒー) 表参道 2011-2015年開店」の系列の2014年虎ノ門ヒルズ内の「虎ノ門コーヒー」もオープンしました。
英語で長くて覚えにくいのですが、「ビーアグッドネイバーコーヒーキオスク 千駄ヶ谷 2010年」、'良き隣人'になりたい想いの店名、築地の名物ターレット、荷物を運ぶ三輪トラックの名で「ターレット 築地 2013年開店」
カリスマの氏名の「コーヒーハウスニシヤ 渋谷 2013年開店」「トリバコーヒー 銀座 2014年開店」も。先の「ストリマーコーヒー」のもオーナーの澤田氏の沢の意味もあるそうです。「オモテサンドーコーヒー」の英語綴りのコーヒーのC はバリスタの頭文字KでKOFFEEと表記しています。南青山のカリスマの「大坊珈琲店」が2013年に閉じてしまいましたので、皆さんには頑張ってほしいです。 ★TOP頁へ★ ☆平成のカフェTOP頁へ ☆カフェのいまー2000年以後TOP頁へ ☆様々なカタチへTOP頁へ ☆カフェバーからカフェとダイニングTOP頁へ ☆甘味処と新しい世界TOP頁へ ☆番外編ーお菓子とスイーツの名前TOP頁へ
様々なカタチへーレトロ喫茶店からコーヒースタンド
追加2012年07月08日2021年09月19日・
2022年01月18日・追加2024年06月06日
でも今はカフェが以前の趣味が同じとは違うコンセプトカフェと呼ぶタイプが多くなっています。
喫茶店カフェは昔から、手に入れることができにくいもので飾られていました。今は決してあこがれるものではなく、普段の生活の中にあるものの情報発信タイプです。とてもニッチ、狭い分野のテーマが多いです。
味にこだわる職人魂の喫茶の世界はサードフェーブのバリスタ達の頑張りもあり、カフェより気軽に寄れるコーヒー豆の販売も兼ねたロースタリー(ROASTERYー焙煎所)のコーヒースタンドが急増中。
ビジネス系の複合カフェ(インターネット)・男女交流のコンカフェ、動物、漫画等カフェは少し違うのでここでは扱いません。
コンセプトカフェ
「はんだづけカフェ」「金魚カフェ 代々木 2002年(再掲)」「ダーウィンルーム(博物の標本) 下北沢」「足湯カフェ」「らくごカフェ 神保町 2008年」「トラムカフェ(北欧の路面電車) 池袋 2010年」「ぽたかふぇ(陶器の絵付けの意味) 高円寺 2012年」「寺カフェ(お坊様が居ます) 代官山 2013年」「手芸カフェまにあーな(スペイン語明日、朝の意味) 武蔵小金井 2016年」「Lulu Lapin Café(ルル ラパン カフェー兎雑貨を販売) 新大塚 2018年」と物販の宣伝、啓蒙(広く知ってもらう)を兼ねています。
「istut(イストゥット) 荻窪 2012年」はフィンランド雑貨も売っていますが、店名のフィンランド語は『あなたが座る』意味でゆっくり座ってほしいということで北欧のヴィンテージの色々な椅子を用意しているようです。
週末楽しむコンセプト「WEEKEND GARAGE(ウィークエンドガレージ) 代官山 2013-2020年」、ビジネス系の複合カフェに近い同じ会社の町名カフェ「宇田川カフェ」「桜丘カフェ」の新店「道玄坂カフェ 渋谷 2021年」はアルコールも出す夜カフェのコンセプト。
多くはそのテーマ通りの店名てすが、凝ったものも。元給食員の給食カフェ「Cafe OGU1(カフェオグイチー住所?) 荒川区尾久一丁目 開店年不明」ハンモックカフェ「マヒナマノ(魔法の手の意味) 吉祥寺 2008-2020年」
「Fab Cafe(ファブカフェ) 渋谷 2012年」ワーキングスペースとしてデジタルものづくりカフェで、Fabrication(ものづくり)とFabuious(愉快な、素晴らしい)の言葉から。 えっ何を売りにという「コンセプトカフェ 内幸町 2015年閉店」
本のカフェ
店名は本に関係するものと凝った雰囲気の店名の2系列。作家に関するもの、サリンジャー連作作品のの主人公名「シーモアグラス 原宿 1996年」「books&cafe BOUSINGOT(ブーザンゴー) 千駄木 2006年」は1930年代の急進的芸術家の若者の呼び名。「気流舎 下北沢 2007年」、真木悠介の比較社会学の著作名『気流の鳴る音』から、以前アップ覚えにくい店名に掲載の「フォスフォレッセンス(Phoshorescence)」。
日本近代文学館内「BUNDAN(ブンダンカフェー文壇?) 駒場東大前 2012年」漱石山房記念館内「カフェソウセキ 早稲田 2017年」。
本を読む場のイメージから「 fuzkue (フヅクエー文机) 初台 2014年」「本棚珈琲 立川 2015年」「BOOKSHELF CAFE(ブックフェルカフェー電子書籍中心) 人形町 2011年」
近年はカフェより本に力を注ぐカフェというより本屋さんにカフェのタイプが多くなっています。東京堂の「ペーパーバックカフェ 神保町 2012年」小田急有隣堂の「ストーリーストーリー 新宿 2015年」ジュンク堂「MJ(エムジェイブックカフェ) 池袋 2015年」会員制『つくる人を応援する』コンセプト「BOOK LAB TOKYO(ブックラボトーキョー) 渋谷 2016-2020年」「本屋Title 荻窪 2016年」
本は知恵の宝庫、知性・学芸の神は女神ミネルバ、その女神の肩に載せている鳥フクロウ。『ミネルバのフクロウは黄昏(たそがれ)に飛び立つ』というヘーゲルの言葉もありますね。 ★TOP頁へ★ ☆平成のカフェTOP頁へ ☆カフェのいまー2000年以後TOP頁へ ☆様々なカタチへTOP頁へ ☆カフェバーからカフェとダイニングTOP頁へ ☆甘味処と新しい世界TOP頁へ ☆番外編ーお菓子とスイーツの名前TOP頁へ
リノベーションカフェ
リノベーション、古民家カフェはマスコミの取材対象(NHKの番組にも)なりやすいので、それらをもとにこの記事を書いているので既に多くアップしています。再掲の「イリヤプラス」「139カフェ(サントラントヌフ)」「キアズマ珈琲」「スパイスカフェ」「こぐま」「蓮月庵(池上)」「カヤバ珈琲(2度アップ)」
「キアズマ」「こぐま」のように全く変えてしまうカフェ、こちらが当然一番多い店名。既に閉店しているカフェもあります。「花想容(漢詩から、花を見て女性を想う意味) 高田馬場 2006年、既に閉店」「レインインザルーフ(カントリーミュージックの曲名、店の雰囲気にあうので) 三軒茶屋 2006年」
確認できるなかで一番古いのは「七つ森 新高円寺 1978年」、元お薬屋さんの一角をリノベーションカフェに。店名は宮沢賢治の詩集の作品に出てくる地名。架空の地名ではなく岩手県にある七つある森の総称で、賢治の他の作品にも出で来る心のふるさとのような場所とか。
個人名は会社名が2店、「Re:gendo(りげんどう) 西荻窪 2011年、2021年より「石見銀山 群言堂 西荻窪(暮らしの研究室)に改名」「喫茶村田商會 西荻窪 2018年」。今年改名した「Re:gendo(りげんどう」は本店群言堂(gungendo)の後半にRe、り、コンセプト『田舎暮らしの文化、美しさ」を再発信して行こうと考え・・・(お店のブログより)』、再生、再発信をプラスした意味だと思います。
「ネオ喫茶キング 有楽町 2019-2021年」「不純喫茶ドープ 中野 2020年」はメニューが喫茶店のクラシック系再現。元喫茶店のリニューアル「不純喫茶ドープ」は不純の方がキッチなコピーとして紹介していて大正時代のカフエの始まりの女給さんいたころの時代の喫茶店をイメージ。ドープdopeは調べるといろいろな意味がありスポーツのドーピング(禁止薬物)もひとつ。プロデュースの方はその中のでも"不純"の意味(元の店名はじゅんじゅん)もひとつと上げていました。表面はクラシックでも支払いは電子マネーのみ。
究極・至高の一杯の主張
アメリカ発のコーヒーのサードウェーブ(第三の波)、1990年代から、豆の条件(ダイレクトトレード、)シングルオリジン)、淹れ方(浅煎り、ハンドドリップ|の条件があります。
日本では2000年代から「ブルーボトル 清澄白河 2015年」から広がっていきます。青い瓶が象徴するのは1600年代、トルコ人が置き忘れた袋入りコーヒー豆、それを使い開店したヨーロッパ初のにコーヒー店名、これが欧州に広まるきっかれ。
小さなカフェ喫茶店の入る隙間がドンドンなくなる流れの中、街のお茶する場所がスタンドタイプの飲み物と軽食でちょっと一服する場所へ。
一杯のコーヒー、ラテの味にこだわったスタンド、テイクアウトのコーヒー専門店が増加中。ライバルは英語圏だけでなく、ノルウェー(写真「Fuglen Tokyo(フグレンー鳥の意味) 2012年」)やイタリア系のチェーン店、コーヒー発祥地エチオピアからも増えています。
店名は英語の言葉が多く、わかりやすいもの、わかりにくいものいろいろです。
他の店名はスイッチの仕事のオン/オフの切り替え、気分のスイッチを入れる等イメージは各々あります。「Café OSHIAGE SWITCH(カフェオシアゲスイッチ) 押上 2012-2018年」もこの場所で日常の切り替えをしてほしいとありました。
「スイッチコーヒー」のロゴは○にSCの真ん中に/が入り、形はスイッチ。ちょっとした時間で気軽に切り替えボタンを押してほしい意味でしょうか?
多い灯系、照らすの意味でコーヒーで人々の生活を豊かに照らしたい想いを込めての「ライトアップコーヒー 吉祥寺 2014年」、「サニーコーヒー(街を太陽のように明るくする珈琲屋) 人形町 2014年」他に「ハーツライトコーヒー (心を少しでも明るくしたいから) 神泉 2017年(再掲)」「ディムライトコーヒー(仄暗い意味、癒しの明るさ?) 代々木 2019年」
場所のイメージアップの店名から『葉が次々生まれ変わるようにいろいろな人が集まってほしいから』で「LEAVES COFFEE APARTMENT(リーブスコーヒー) 蔵前 2016年」。
お店からの願いの「CHILL OUT COFFEE(チルアウトコーヒーー落ち着いて和んでくださいの意味) 両国 2017年」「ユアデイリーコーヒー(日常の特別なコーヒーを、あなたにーお店のHPコンセプト) 世田谷 2017年」。
英語以外の店名。珍しいドイツ語の「カフェライゼ(ドイツ語旅、ホッとするボーとする場所に) 浅草 2015年」、同じく「フェルドコーヒー 練馬区谷原 2019年」、ドイツ語の馬、馬が草原で草をはむようにゆっくり落ち着いた時間を過ごしてほしいそうです。
西荻窪ティピカ 2020年開店
阿佐ヶ谷カフェ・ド・ヴァリエテ
2017年開店
コーヒーそのものの主張も多くなっています。「パッセージコーヒー(再掲)」「Typica(ティピカ) 西荻窪 2020年開店」淺煎りコーヒーとワインも出すお店、ティピカはコーヒーの原種に近い品種名で、普遍的な価値を守り提供する姿勢の店名。
「カフェ・ド・ヴァリエテ 阿佐ヶ谷 2017年開店」は仏語の多様性の意味。生産国・焙煎深度・抽出方法で何万とある組み合わせを楽しんでほしいそう(お店のHP)。
「コーヒーロースターズ二足歩行 三軒茶屋 2020年」は毎日の歩みと共にあるコーヒーという想いとコーヒーの始まりと人類発祥の地であるオチオピアへの想いと。
ここ十年の喫茶店 (追加2022年01月18日) ⓢー (追加2022.11.3)
昭和初期に女性の給仕さん目当てのカフエーから区別するため純喫茶、中心はそのころ普及したレコードと蓄音機を置く名曲喫茶店。東京の店数は1981年頃がもっとも多かったそうです。
平成に店数60%も減ってしまった中、ネットで目立つのはそのころ開店の昭和の雰囲気の喫茶店巡りやその雰囲気を愛し復活したネオ喫茶店の記事です。昔から続くのがレトロ喫茶店、その店の雰囲気を再現し、自分好みのインテリアを配して少し入りにくい雰囲気を醸し出すのが、カフェとは異なるようです。
上の写真の「紅鶴 浅草 2017年(『 継ぐ名前 Ⅱ』再掲)」のように喫茶店(『外国からやってきた鳥』フラミンゴ=日本語紅鶴)からパンケーキ専門へ変更して成功の事例は珍しいです。店主が高齢化して継いでいくのは一番難しい業種、単純にコーヒーを入れる技は結構、人に左右されます。またその店主のキャラクターも大事。
カフェはパン屋、ビストロ、イタリアンにも併設していますが、喫茶店はそれがあまりありません。画廊喫茶、音楽喫茶、各種趣味の喫茶は今はカフェに譲っています。カフェは解放された空間。
自ら喫茶人と名乗る沼田元気氏の『喫茶店百科大図鑑 2002』のなかで『喫茶店は時間を買うところです。ですから場所代を払います。・・・』その存在理由として『都会の心の居場所(オアシス)、そこで落ち着けること』と書いていました。
喫茶店としての圧倒的店数を誇るのは大手ビジネス系の「喫茶室ルノアール」「珈琲館」「椿屋珈琲店」「上島珈琲店」「コメダ珈琲店」「星乃珈琲店」でここ10年開店数の半分近く。
これらは都心中心ですが、個人店はその周辺エリア、中央沿線の八王子や三鷹、落合、世田谷エリアです。地代やスタバ、タリーズ、ドトール、プロント、サンマルク等のカフェ業態の競争相手の多さからでしょうね。喫茶店じゃないサンマルクのコーヒー専門店「倉式珈琲店」すかいらーくグループのカフェレストラン「むさしの森珈琲」と大手はいろいろな方向から攻めています。
世田谷区時にかさ 2020年開店
大門乙女喫茶店 2015年
昭和のように外国語の多用は少なく、喫茶店らしい店名としてはなかなかまとめにくいです。昭和のオマージュ、昭和に憧れのようなネオ喫茶「珈琲杖(直感で若い女性が杖をつく人にささえられいてるのを見て) 杉並区松庵 2016年」「乙女喫茶店(母親の名前) 大門 2015年」スナックも兼ねる「思い出 渋谷 2020年」「喫茶たからぱこ(宝物が生まれたり見つかったりする場) 三鷹 2021年」。
なんとなく森進一の演歌『おふくろさん』を思い出す「時にかさ 世田谷区 2020年」。由来は不明ですが、「時にかさ」の店名が不思議で魅力的の評が載っています。併記の「tokinicasa」の店名から「香咲」と同じ思いを感じてしまいます。時々カサ(家)、時々雨を凌ぐ傘・・・になる喫茶店。
名前は大手がほとんど名前なので少ないです。上のアップにプラスして、大手の「神乃珈琲」「宮越屋珈琲」もあります。豆販売促進のコーヒー専門店「堀口珈琲」鳥取県から「澤井珈琲」のようにコーヒーの味にこだわっていてかつ凌げる空間を整えメニューもそろえての喫茶店として「310コーヒー(さとうコーヒー) 東銀座 2011年(再掲)」「喫茶さかもと 上板橋 2013年」「刈谷珈琲店 三鷹 2014年」「大櫃(オビツ)珈琲店 阿佐ヶ谷 2016年」「蕪木 浅草橋 2016年」。姓名の店名はコーヒー専門店の色合いが濃いのですが、雑誌の情報では「蕪木」は1人利用客が居やすい閉じ気味の空間を作っています。以前上げた「mammal(マンマル)」も一人客専用。
継続を目指す喫茶店も、「青山茶館 1963年」から「喫茶サテラ 渋谷 2021年」日本橋(1950年開店)から上野広小路に移転しての「ボナール 2014年」(綴りが不明でbonheur (幸福)か印象派画家Pierre Bonnardかわかりません。)「ばらーど(京橋にて1989年開店) 中野区野方 2015年」「センリ軒(大正年間の開店) 築地 2018年」
コラボするビジネス系「旬゛喫茶パンエス 原宿 2021年」「喫茶パステト 新宿 2021年」は今風華やかなメニュー揃いです。「旬゛喫茶パンエス」は「ジュンキッサハントエスプレッソ(『料理名』掲載「パンとエスプレッソ」)」で大阪のパフェ店と。
今の店名はストレートにはイメージわかない言葉です。コーヒー専門店のアメリカンな店名は少なく、店主の想いそのまま、でもカフェ店名よりは凝らずこだわらずの言葉から。カフェかコーヒー専門店か喫茶店かは店主のイメージする世界がどうあるかに寄るようです。
個人的に惑わされ困ってしまったのは写真を撮るために行っても5店ほど一回では見つけられなかったこと、つまりひっそりと隠れていて街に溶け込み看板もなしか、目立たないつくり。写メールは取りにくい、これが喫茶店の新しいタイプ?でしょうか。
令和のカフェ・喫茶店 (追加2024年06月06日)
まだ6年目ですが、食べ物屋の令和はとても厳しい風が吹きまくりの時代です。
カフェ・喫茶店もコロナ過に円高によるコーヒー、小麦粉等の材料費の激高騰と人員不足。どこから燃えあがるかわからないSNSの炎上も怖い世界。情報的に隠れている最低限のローマ字一字のUcafe、Cstsnd、N、M、F等の店名も見かけます。
しかしながら一番の力はインスタ映え、プラスにもマイナスにもなツール。コーヒーだけでは地味になるので華やかなスイーツが目立つようになりました。
以前に比べ喫茶店のケーキやパンケーキも高価になり、コーヒーと合わせると2千円を超えてしまいます。
アシェットデセールのように数種類のコーヒーを味わえるコースを提供するカフェ、自分好みに仕上げるコーヒーのオーダーメイドカフェも出ています。内装はネットの写真を見る限りですが、よりコーヒーに浸れるコーヒーのための空間づくりが中心。
予約が必要なカフェや喫茶店も増えています。Web予約が気軽にできるようになりましたが、ただ道すがら気軽にちょこっと入れる場ではなくなりつつあります。
料理関係の店名「the BAKE HOUSE(ザ ベイクハウス) 永福町 2021年」店名が仏語おやつの「gouter(グテ) 奥沢 2022年」「小麦と手のひら 西池袋 2022年」焼き菓子名の「Brownies Café(ブラウニーズカフェ) 江古田 2022年」韓国語の焼き菓子の意味の「cafe guum(カフェグウム) 新宿御苑 2022年」
以前上げた時点で「JOE TALK COFFEE(ジョトークコーヒー)」スイーツはカヌレと書きましたが、今はフィナンシェ、定番の形ではなく丸いタイプが加わっていました。インスタには季節のピスタチオのフィナンシェ、コーヒーソフトも載せていました。
ビジネス系「KITASANDO COFFEE(キタサンドウコーヒー) 北参道 2019年」はスイーツの種類を店ごとに替え人気の出たクロワッサンスイーツ専門店「pleine (プレーヌー仏語満月、普通の三日月形ではなく円型クロワッサン) 有楽町 2023年」も開店。
老舗の「椿屋珈琲店・椿屋珈琲店2・椿屋珈琲店3」も銀座スイーツの定番をメインにした「TSUBAKIYA Jiyugaoka 自由が丘 2023年」
今必要なのは普段使いしやすさとネットで検索が容易になる唯一無二の言葉で店名創ること。
都会に住む人は家と職場とその間の第三の場が必要とは昔から言われいいます。そのままの「CAFÉ SUNS 333s(カフェサンズ) 中目黒 2011年」、地名の"三"も含む「THREE(スリー) 三軒茶屋 2023年」「3rd cafe(サードカフェ) 三軒茶屋 2023年」もあります。
都会の居場所を含めた店名はネットでは探しにくい日常語と真逆の言葉の多様性、英語やフランス語だけでなく北欧の国々、インド、東欧から上げてみます。
ウェールズ語「cafe Cwtch(カフェ クチューウェールズ語で人に寄り添う、ハグ、隠れ家等) 西荻窪 2021年」、ポ―ランド語のツバメでいつでも戻ってきたくなる居心地の良い店にしたい「cafe_jaskolka(ヤスクーカ) 上町 2021年」。
「Arbor Coffee(アーバーコーヒーーラテン語の木の意味、英語のあずまやで憩いの場) 神楽坂 2022年」「HauS Bake&Cafe(ハウス) 広尾 2022年」「Pati coffee&plants(パティー英語の公共空間) 下北沢 2022年」「safn゜(サフンーアイスランド語の美術館) 本所 2022年」。
再掲の日常語からお店のHPに『体をぐだっとさせて心をハレノヒに』で「GDATCOFFEE(グダットコーヒー)」「iri coffee roastery(イリーコーヒーの入り口、きっかけ+焙煎の煎り) 松陰神社 2023年」、少し笑ってしまう二度寝の「喫茶ニドネ 西国分寺 2023年」「cyodo(ちょうど) 代々木公園 2020年」、HPは長いので略しますが言葉と言葉のコトコト楽しいコトほか「BOOK CAFE+BARCOTOCOTO(コトコト) 荻窪 2023年」。
多分ネットで探しにくいタイプを少しだけ「Cafe 2u(トゥーユーー『to you 』 "あなたに") 東中野 2020年」「and C(アンドシーーコンセプトの頭文字) 千駄ヶ谷 2020年」
昭和レトロで仏語やいろいろな国から花の名前、自然系の名、使い古されたイメージだけど好まれている言葉からも復活が見えます。「bouquet(ブーケ) 東日本橋 2022年」「Pissenlit Cafe(ピサンリカフェー仏語たんぽぽ) 練馬区桜台 2023年」「KOIVE CAFÉ(コイブカフェーフィンランド語Koivu(白樺)とlove(愛)、life(生活)を掛け合わせ) 銀座 2020年」「ミモザカフェ 千駄木 2023年」。同じくフィンランド語「puukuu 食堂(プークー食堂ー puuは木、kuuは月) 東神田 2020年」
「LEGAL COFFEE(レガールコーヒーーポルトガル語いいね、かつて同音で贈り物の意味で) 幡ヶ谷 2023年」「小春日和 TOKYO 代々木公園 2021年」。ビジネス系「ピノキオ 池袋 2023年」、以前多く付いていた童話の主人公名ですが『大人が子供に帰って旅する』コンセプトに。
インスタ映えの世界はもう一つ、こちらも以前も上げたレトロ喫茶店です。上野の「丘」神保町「さぼうる」は10人以上の行列は日常茶飯事の光景。
こうした歴史あるタイプだけでなくメニューやインテリアを取り入れたネオ喫茶も増えています。
令和で見かけるのは店主の高齢化で閉店する喫茶店を若い方が引き継ぐ店。こちらは内装も店名も変えますが、メニューは変えません。コーヒーにもマシンではなくドリップ方式でいれたりする店。
以前アップの「喫茶サテラ」の他に以前アップのクリームソーダメニュー「宝石箱」「喫茶ネグラ」はインスタ映え中心。
現在は老舗の喫茶店チェーン「銀座ルノアール 1964年」はターゲットをかえいくつかのカフェをオープンしていますが、最新は「Aline café et sucreries(アリーヌ、画家ルノアールの妻の名) 府中市 2024年」開店。café et sucreriesが示すように従来の男性向けではなく女性をターゲットとしたカフェと甘いものの店になります。
この業種の店名は一番多様性の世界、壁がなく楽しいエリア、専門的な知識のある挑戦者もいるけどカフェ・喫茶店でもの軽いノリの参加者もいる、これからも幅広い想いを込めた店名が溢れるように願っています。
喫茶店・カフェの参考文献ー2022.1.18追加
◎話題の喫茶店・Coffee Shop(商店建築デザイン選書1) 商店建築社 1970
◎コーヒー専門店 柴田書店(月刊喫茶店別冊) 1977
◎コーヒー専門店 柴田書店(月刊喫茶店別冊) 1978
◎ブレンド no.2 柴田書店 1983
◎東京・横浜いってみたい喫茶 スコラ 1987
◎紅茶の文化史 春山行夫 平凡社 1991
◎カフェと喫茶店 初田亨 INAX 1993
◎東京の小さな喫茶店 常盤新平 世界文化社 1994
◎東京の小さな喫茶店再訪 常盤新平 リブロアルテ 2008
◎私の愛する喫茶店 関東篇 カタログハウス 1995
◎東京カフェマニア 川口葉子 情報センター出版局 2001
◎東京の喫茶店 川口葉子 実業之日本社 2011
◎東京カフェ散歩 川口葉子 祥伝社 2012
◎東京古民家カフェ日和 川口葉子 世界文化社 2019
◎琥珀色の記憶 奥原哲志 河出書房 2002
◎喫茶店の時代 林哲夫 編集工房ノア 2002
◎東京おさぼり喫茶 交通新聞社 2002
◎喫茶店百科大図鑑 沼田元気 ギャップ出版 2002
◎日本カフェ興亡記 高井尚之 日本経済新聞社 2009
◎東京ノスタルジック喫茶店 塩沢槙 茉莉花社 2009
◎東京ふつうの喫茶店 泉麻人 平凡社 2010
◎東京いつもの喫茶店 泉麻人 平凡社 2013
◎東京ノスタルジー喫茶 エンターブレイン 2011
◎銀座の喫茶店ものがたり 村松友視 白水社 2011
◎心地よきブックカフェ 寺グラフィス 2012
◎TOKYOブックカフェ紀行 玄光社 2012年
◎東京喫茶名店案内 ぴあ 2013
◎喫茶店の本 ぴあ 2020
◎47都道府県の純喫茶 山之口遼 実業之日本社 2013
◎純喫茶・あの味 難波里奈 イーストプレス 2016
◎純喫茶とあまいもの 難波里奈 誠文堂新光社 2015
◎cafe sweeta163号 2014.10 コーヒーの新基準 柴田書店 2014
◎食堂2014.9月741号カフェ&コーヒースタンド 商店建築社 2014
◎散歩の達人2018年11月号(純TOKYO喫茶) 交通新聞社
◎東京人(純喫茶宣言) 2019.6月号 都市出版
カフェバーからカフェとダイニング
改定2023年6月03日
だだ、飽きられるのも早く、数年で料理を和食にしたり、中華にしたりして業態をかえていく。
メインが食べ物ではなく、インテリアへ興味を持つようにデザインされた空間が中心の店が90年代当たりから出現するそこで現れた空間デザイナーという人々がレストランをデザインしていく方向が出てくる。
コマーシャルのようにコピーライターが店名のネーミングする。フードビジネスというビジネスのため店名としては古今東西なんでもありの自由なダイニングの世界に突入です。
カフェ・バー・カフェ✙系
店の命は短く5年位、1988年頃ブームが終焉。写真は後期の「サニーサイド 新宿 1987年」。マスコミ人気は「レッドシューズ 西麻布 1981年」「キーウェストクラブ 神宮前 1983年」「チャールストンカフェ 六本木 1981年」後ろの二店はアメリカの地名。
最初のカフェバーとされる「レッドシューズ」は横浜にあった店のの名を継いでいるそうなのでおそらく童謡『赤い靴』?
アメリカのイメージですから英語がいっぱい!一世風靡したビジネス系「SOHO's LOFT(ソーホーズロフトーNYのソーホー地区のロフト) 渋谷 1979年、最初イタリアン」、「OLD NEW 池袋 1983年(再掲)」から「サムシング 渋谷 1982年」「スターダスト 原宿 1982年頃」「キーウエストクラブ(フロリダの島名) 神宮前 1983年」「オフオフ 大森 1984年」昭和初期のカフエや喫茶店のような解りやすい店名の付け方です。
開店年が不明ですが『angle別冊NO.12東京のカフェ 1984』には「ミルキーウェイ」「パークアヴェニュー」「リバティハウス」「サンバレー」「King Kong」「YOU」など多数掲載。
バブル景気の絶頂と終焉の頃(1985-1995年)に開店したのはビジネス系カフェとカフェバーチェーン。
「カフェベローチェ(伊語迅速に) 代々木 1986年1号店」、 サントリー系「PRONTO(プロントー伊語用意ができている) 銀座 1988年1号店」はイタリアンのカフェバー(バル)(写真1号店以外に0号店も西新宿に存在するとネットにはあります。)。
続くのは多数の雑誌を賑わしたパリの老舗カフェ2店進出とパリ風の「Cafe des pres(カフェ・デ・プレ) 広尾 1993-2012年(再掲)」。すこし遅れた「カフェドクリエ(仏語 crié創造するの造語) 市ヶ谷 1995年1号店」。
最初のヨーロッパ風スタイルの「ドトールコーヒーショップチェーン(『ドトールコーヒー』) 原宿 1980年1号店」オープンから5,6年後の大変革の波を予測した創業者の思いがドトールのHP(『ドトール誕生秘話』より)にあります。
ビジネス的にも1995年からが『カフェ元年』としてコンセプトの個性的なカフェの時代となっていきました。類型的なチェーン店に対抗する形のあらゆるカフェと下記の食事中心のダイニングの混沌の時代の始まりでした。
以後のカフェバーと付いていますが、カジュアルイタリアンの業態も多い、他スポーツバー、ビア、ワイン、シャンパンと飲物系も多数。
その後の2000年以降、カフェと名乗っていますが、ビジネス系エンターテーメント系は夜の営業のみの店も多くこの時代は混沌な世界。
大きな仕掛けのエンタメビジネス系の「エレファントカフェ 原宿 1999年(再掲)」「キリストンカフェ 新宿 2000年」「VAMPIRE CAFÉ(ヴァンパイアカフェ) 銀座 2001年」とオープン。
後半は食事を補完するようにカフェレストラン、別名『夜カフェ』、「Fireking cafe(ファイヤーキングカフェ)」「cafe amber(アンバーー琥珀色) 渋谷 2002-2019年(再掲)」「montoak(モントーク) 表参道 2002-2022年(再掲)」「宇田川カフェ 渋谷 2001年(再掲)」等や『ダイナーカフェ』を名乗る店も同時に現れます。
カフェ・ビストロは最初はカフェに分類することが多かったようで、「un cafe(アンカフェ) 表参道 1996年」当りが最初の頃の店微増している状況、写真は「mimet(ミメ) 代々木公園 2015年(再掲)」カフェビストロ、フランスのアルル地方の小さな村名、ミメットと読まずミメと名前風の近づきやすさでたくさんの方に呼んでもらえる店にの願い(オーナーはビストロaruruと逆つづりururaを営む)。
ダイニング
とにかく、多種多様で分類しにくい時代の店、参考の写真のビジネス系『MYU(ミュー)』(『DEN(鶯谷デン)』掲載)は店名を替えない、業態は変える会社の店。
以前に少し離れた場所に同名カフェバー「DEN(デンー?英語書斎) 神宮前 『angle別冊NO.12東京のカフェ 1984』掲載」がありました。
同名の現在この近くには写真ワイン食堂(WINE DINIG)「DEN 表参道 2011年、最初1991年は頭がジャパニーズトラットリア」と地下のダイニングバー「DEN 表参道 1996年、モルトバーとも付いています」。
このように内装にスポッライトを当てる時代のレストラン、ずっと読んでいた『東京カレンダー』の記事でも2000年代当初はインテリアの写真や空間デザイナーの記事が多かったのですが2010年を超えると料理の皿の写真や食材の写真が中心で料理人へのインタビュー記事がどっと増えていきました。
業界専門雑誌『Dining1-8 柴田書店 2002-2005』1から8をめくっても、やはりダイニングの形ははっきりはしませんでした。読む対象が働いている方々か、経営者なのか絞り切れていません。最後の8号はその頃勢いのあった経営者を取り上げていましたが、既にM&Aで現在はない会社もありました。外食産業の激しい淘汰の波がやってくる直前の時代でした。
雑誌の写真が内装中心だった時代、女性向の『Hanakoトウキョウ大満足の店2002』の記事で『ネオ和食』『空間デザイナー系』複合スタイル『コンプレックスレストラン』あたりがこの時分のダイニング系かと思います。
雑誌のブルータスでは2000年ダイニング花盛りとなっています。始まりは90年代からでしょうか。カフェバーで上げたようにピークは2002年前後で終焉は2008年頃。
この項目では新料亭とでもいうものでしょうか、1995-2005年の10年刊位にオープンした店中心に書いてみます。料理ではなく内装から店名が決まったレストランを選んでみました。写真は今も営業の店で、40年近くの月日で業態は居酒屋やイタリアンに多くの変わってダイニングではなくなっています。
現在も営業中の「DEN」と同じ会社のダイニング「NOS(ノスーnature of stage、自由な感覚でくつろげる空間の意味) 恵比寿 2004年、最初の1号店表参道?2001年」はこの『『カフェ以上。レストラン未満』コンセプト。
なだ萬が経営する和食「スーパーダイニングZIPANGU(ジパング) 赤坂 2000年」は閉店した日本料理「なだ万賓館 西新宿 1993-2021年」よりさらに拡大店、HPでは新業態としてより範囲の広い(スーパーー極上な・並外れた)な日本料理の分野をがカバーしていました。
「WIRED CAFÉ(ワイヤードカフェ)2」は「WIRED CAFE Dining Lounge 高輪 2007年」から大人向けあらゆるシーンに対応するダイニングへ。
創作和食ダイニング
料理人も多い和食の世界ですので、店名も従来の名前のような2字や平仮名で3文字ではなく、珍しい漢字の一字の店名。大皿居酒屋「楽 下北沢 1981年(再掲)」が若者に人気があったのでその影響もあるのでしょう。
この中の「櫂」は料理人がイタリアン経験者で京都で一年修行はしたのですが和食料理人はいなかったそうです。「成ル」は「巌 渋谷 2000年」という姉妹店を開店。
写真はビジネス系の「響 渋谷 1998年」の、今は"ダイナミックキッチン"とつく居酒屋・ダイニングバーチェーン店(会社名ダイナック)で空間デザイナーが日本美をモダンにアレンジした内装デザイン。
由来は関連するサントリーのウィスキーの銘柄名で、企業理念『人と自然が響き合う』から。ネットで見つけたこの会社の幹部の方の2002年記事内で『新業態のダイニングレストラン』と言っていました。 ★TOP頁へ★ ☆平成のカフェTOP頁へ ☆カフェのいまー2000年以後TOP頁へ ☆様々なカタチへTOP頁へ ☆カフェバーからカフェとダイニングTOP頁へ ☆番外編ーお菓子とスイーツの名前TOP頁へ
空間系ダイニング
アミューズメント系というか、空間が非現実のものでそれにふさわしいデザインされた食事が出されます。もっともダイニング中のダイニング、インテリア・内装=店名でした。
食べものガイド出版の世界では見事に線引きされていて、雑誌には載るが図書(建築関係を除く)には載らない店になっています。唯一ギリギリのラインのデート指南書『東京いい店やれる店1994』にデザイン重視の『デザイナーズバー』掲載、料理関係のヒトよりよりも建築家・インテリアデザイナー・空間プロデューサーの名が並んだ時代でした。
日経の「デザイナーズレストラン」によれば、空間は下方指向、水平指向、上方指向があり流行は入り乱れて、いるようです。
下方は体内回帰、家族指向で、洞窟やリビングダイニング。水平は等身大の日常で、屋台村やナチュラル系。上方は宇宙、天空との一体感からウォーターフロント、空中庭園等。
店名は仕掛けに費用がかかるので企業の力が必要なため、同じものはなく、コンセプトが似たものが多いです。当然店名も空間デザインから。
エンターテイメントカフェから続くエイチワイジャパンの「アルカトラズB.C.(監獄) 六本木 1998年」「アルカトラズE.R.(刑務所付属病院) 渋谷 2001年」、地名のサンフランシスコのアルカトラズ刑務所から。別会社の「ARABIAN ROCK(アラビアンロック) 新宿 2002年」は魔法のランプのアラビアンナイトの王宮世界から。
物語を参考に空間デザインのダイヤモンドダイニング(DD)最初の上に上げた「VAMPIRE CAFÉ」に続き「迷宮の国のアリス 銀座 2003年」「竹取百物語 銀座 2004年」
異空間創作系デザイン性が高い異世界の店たち、「AZOOL(アズールーナチュラルとバイオがテーマ、動物のヒョウ柄麒麟柄) 麻布台 2001年」「萬葉庭(万葉集、古代色の部屋名) 代官山 2001年」「川のほとりで(川が流れる川床の店) 表参道 2002年(再掲)」「銀兎(銀色の珠簾の幻想的な真っ白の空間) 池袋 2002年」。
「ミステリアス(宇宙がテーマ、20XX年の宇宙ステーションのレストラン) 新宿 2002年(再掲)」、「PAGE(ページー本の頁、蔵書と隠し書斎のイメージ) 代官山 2002年」
癒し系はアジアリゾート地の雰囲気を作り出す方向が多く、異国のムード「オリオンタル・スーク(東洋風市場ーマハラジャの宮殿のイメージ) 渋谷 2000年(再掲)」「CURTAIN(ロングカーテンで仕切られたアジアンリゾートホテル風) 六本木 2002年」、「Toraja(トラジャーインドネシアの地方名、南国の王宮リゾートの雰囲気) 渋谷 2002年(再掲)」、「CELEB(セレブが憩うマイアミやバリ島のリゾート地のイメージ、プールサイドベッドある) 渋谷 2002年」「Slow Dining Asli(スローダイニングアスリーーインドネシア語本物) 丸の内 2003年」「Bersurga(ベルスーガーゆりかご) 六本木 2004年(再掲)」 等。料理は幅広くアジアンエスニックからヨーロピアンまで。
水のイメージも多く「水の賦(ミズノウタ、枯山水の庭園) 高輪 1997年(再掲)」「水色(スイショク) 麻布 2000年」「砂漠楼(水場オアシスのイメージ) 西麻布 2002年(再掲)」。「水色(スイショク)」は海で魚が群れている水の光の輝きを放つ場所の名で、和と水の調和がテーマから水滴がイメージの階や湧き水の洞窟のイメージの階等。
燈・灯系は以後多くの店名に活躍中で、「雅灯 表参道 2004-2021年」和食店ですがシーズナブルダイニングとなっているガイドもあり空間のイメージではなく『日本文化の雅な心を表現し感動をゲストの心に灯す』造語の店名。
新料亭として隠れ家・個室がメインダイニングで、おこもり系の多くの個室がある料理は伊仏中のアレイジの「忍庭 恵比寿 2000年、2002年に新宿、渋谷+泉」「さいぞう(霧隠れ才蔵からの着想で隠れ家ダイニング) 渋谷 2001年」「かまくら(鎌倉の食材と雪のかまくらから) 渋谷 2002年」、「七色てまりうた(華麗なてまり型個室) 新宿 2006年」等。
地方からやってくる店も多かった時代です。大阪は上の「庵」や「オリオンタル・スーク」、「橙家 新宿三丁目 1998年、daidaiya銀座2000も」、インターナショナルアジアンテイストの「Ken's Dining(ケンズダイニングーオーナーの名前の一字) 新宿 1999年」、後から1号店本店の「Chanto(チャント)」をプラス。
京都の監獄をテーマに「ロックアップ 渋谷 2001年」広島からおばんざい和ダイニング「茶茶(お茶と茶茶姫から) 白金台 2000年、+花新宿、+白雨(ユウダチ)西新宿もあり」、そして先にアップの「舌呑(ゼットン)」は名古屋。
流行ったのは視線の方向のコンセプトで、「Ken's Dining(ケンズダイニング)」がそれにあたるのですが、西洋から見た東洋の内装を創作。「Dharma(ダルマー日本をしらない異国の芸術家の想像の日本) 銀座 1998年」「T・A・M・A(タマ)(ニューヨークの和処のイメージ) 外苑前 2000年」「TAKEMARU kappo cuisine(タケマルーニューヨークの割烹) 銀座 2002年」「綺座(キザー?カッコつける、西洋から見た日本のコンセプト) 有楽町 2004年」。京都から進出京キュイジーヌ「Theみます屋 代官山 2002年」、京の味に伊、仏の要素の創作料理で内装がアメリカン人から見た東洋のイメージ。
視線が今までと逆の西洋人の憧れの東洋になっています。初期は店名由来不明の「無名狼 広尾 1997年(再掲)」、外国人が見たジパングのイメージに一軒家を改装して水槽にアロアナが泳ぐ雰囲気では多くの雑誌が取り上げていました。
カフエの影響もあるのでしょうか、古民家のリノペーションや古材ダイニングも多いです。アメリカ人のオーナーのアジアンダイニングで古民家改装の「FUJIMAMAS(フジママズー富士山とママのおふくろの味) 原宿 『グルマン温故知新1999』掲載」
2008年頃にはブームは飽きられて、終わったようで、ビジネス系は食べ物メインに移行していきます。
後半は店名も唯一無二のイメージな稀な言葉へ、「ELEMENTS(エレメンツー火光水人木石空気音という8つの地球にある要素、和仏伊の薪による料理) 虎ノ門 2007年」「プラナバルカ(サンスクリット語エネルギーの源プラナ伊語の帆船のバルカ) 日本橋蛎殻町 2007年」。
昔の店名では喫茶店以外には唯一使われなかった自然物の鉱物名も、「Ag(エージー、銀の元素記号) 銀座 2007年」は宝飾店スワロスキーのビル内にあり内装はそのビーズで銀色。次の年には更に豪華な金とクリスタルの内装「AURUM(オーラムーラテン語の金) 銀座 2008年、2度改名で今は「boB the garden Ginza(ボブ・ザ・ガーデン・ギンザ)」」。ダイニングではなく料理としてはインターナショナルKAISEKI、インターナショナルレストランとなっていました。今は両店イタリアン。
他に「RUBY(ルビーー内装豪華な宝石の女王のルビー色) 六本木 2006年」はイタリアンと和食、ダイニングに色々入っているマルチダイニングラウンジバーの「砂漠の薔薇(サハラ砂漠で採れる薔薇のような石のこと) 銀座 2007-2016年」はオリエンタルイタリアン。
写真はこの頃は少ない名前の「Furutoshi(フルトシーオーナーの苗字) 西麻布 1999年、今は銀座のホテル内のイタリアンダイニング2011年より」はそれを目指したように思います。当初カリフォルニアキュイジーヌ、家具を世界中から選びヨーロッパの邸宅のような空間。食材も全国から直接仕入れていたそうです。 ★TOP頁へ★ ☆平成のカフェTOP頁へ ☆カフェのいまー2000年以後TOP頁へ ☆様々なカタチへTOP頁へ ☆カフェバーからカフェとダイニングTOP頁へ ☆甘味処と新しい世界TOP頁へ ☆番外編ーお菓子とスイーツの名前TOP頁へ
料理系ダイニング
雑誌記事上で食のプロの言葉として『前期は空間だが本来の料理を見直す食材回帰の後期、空間と料理がマッチングが絶対条件』として店名としては誰でもわかるハッキリ明確タイプ。
料理調理名厨器の以後同名の店を開店する『インカス』の炙り料理「炙家 代官山 1996年」、有名空間デザイナーによる四角・スクエアがテーマ、近未来の和食レストランがイメージ「dish(ディッシュー四角の食器・料理の意味) 恵比寿 2002年」「火の音水の音(ヒノネミズノネー料理する音) 原宿 2002年」「箸家 新宿 2002年」「aux charcoal(オーチャコールー炭焼き) 渋谷 2003年」「ROLL's(メインの料理が様々な一口大ロール鮨) 銀座 2003年」。
以前あげたワンテーマレストランでこの頃のオープンの食材名、葱料理は『日本の薬味から、+少々の洋系』にのっていますがこの時代は「葱や平吉 渋谷 2002年(再掲)」がオープン、とても多かったのは『豆腐いろいろ』掲載の豆腐料理専門店。
豚料理の「とことんとん(上州豚の最高級銘柄) 六本木 2002年」、くだけた擬態語っぽい店名ですが、内装は御影石の石とガラスの空間の個室仕様の高級ムード。フレンチとアジアンのインテリアも魚介類料理も融合の「フィッシュバンク(魚の貯蔵庫) 西麻布 2002年」蟹のグローバル料理の「crab dining Kaniza(クラブダイニングカニザースタイリッシュなサロン、和モダン) 銀座 2003-2009年」。オイスターバー「ジャックポット」系列の「ビストロごまや 新宿 2002年」は美容や健康に良い胡麻料理専門。写真はデザートまでトマトメイン「セレブドトマト 青山 2005年、2号店代官山」
典型的な企業はフードスコープという会社。「MAYMON(米門) 新宿・恵比寿 2002年」では日本中からあらゆるうまいもんを集め、客のお望みの料理をしてくれる。
以後店名の頭だけ上げると「オリーブダイニング」「海老ダイニング」「ソバダイニング」「しゃぶしゃぶダイニング」「Chanko Dijnig(ちゃんこ)」「アンチエイジングダイニング」「北海道ダイニング」。欲張って内装と食材を両方詰め込んだ店名「北街洞 麻布十番 2000年」は北海道の食材で洞窟のような内装です。
同じ店はないというコンセプトでしたが、こちらも2008年頃から徐々に変更していき、2015年に「ザ・ステーキ 六本木 2015-2020年」から食事メインの業態にすると宣言記事にはなっていました。多くのM&Mを経て最大では150ブランド(業種)450店舗。
言葉の"ダイニング"は今もダイヤモンドやグローバルのようにフードビジネスの会社名には活躍中です。
+ダイニング・ダイニング+
カフェダイニング、こちらは数が少ないですが「indigo(インディゴー外観が藍色、インド藍) 外苑前 1998年(再掲)」地名+の「四ツ谷ダイニングカフェ(内装は宇宙船) 四ツ谷 2001年」「cafe carat(カフェキャラット?宝石の質量の単位) 中目黒 2004年、ワイン食堂にも」。上記の「CELEB(セレブ)」もカフェダイニング。
ダイニング「Sigh(サイン) 霞が関 2009年」はオープン時はカフェ(サイン(北青山、2017年閉店))でしたが代官山や五反田店もカフェダイニング仕様に。
カフェダイニングバーと三つ合体のタイプはさらに少なくダイニング業態全盛の2002年前後に「re cue(リキュー) 渋谷 2001年」「東京アパートメントカフェ(外国人が住むアパートメントのイメージ) 原宿 2001年」「Y's dining(ワイズダイニングー?推測でオーナーの名前のイニシャル) 北青山 2002年」「re cue(リキュー)」音韻は懐石の祖の利休と想像しますが、それぞれ"re"は再び、"cue"はきっかけの意味。『両方合わせて和の心を思いだすきっかけの場所に』(『グルメぴあ秋2002』より)
ダイニングバー、はっきり言えば夜のみの営業洋風居酒屋です。女性をターゲットとして、これが一番多いようです。
ワインダイニング「寓 恵比寿 2000年」、ホテルオークラ「バロン 虎ノ門 2004年」はワインを選んでからメニューを選ぶいう相当なプロ級食べ手向き。
そのままの「アジアンダイニングカフェ 早稲田 2002年」、イクドネシアから中華まで網羅。最新写真のアジアンダイニング「 PRIMO(プリモー?伊語最初) 渋谷 2021年」のようにアジア料理に今も付いています。レストランというほど堅苦しくなく、家庭の食堂に近い雰囲気を求めているからです。
ホテルではオールデーダイニングの名で朝から夜中までなんでもありのレストランとして付いています。
写真近年開店のはイタリアン「KABEAT(カビート) 兜町 2021年」、"フードダイニング"を名乗っています。『兜町ーKABUTO』と『食ーEAT』からの造語、それに株の街と『BEAT=鼓動』で料理人と生産者の熱意で活性化するイメージ。
カフェ・ダイニング参考文献
☆angle別冊NO.東京のカフェ 主婦の友社 1984
☆都市ごころを掴め 桑原才介 TBSブリタニカ 1987
☆飲食トレンド最前線 桑原才介 商店建築社 1999
☆カフェレストランバー(別冊商店建築シリーズ28) 商店建築 1986
☆ちびHanako GOLD マガジンハウス 1996~
☆21世紀スタイル東京レストラン Hanako編 マガジンハウス 2002
☆ベスト・オブ・ポタ ポタTOKYO編集 小学館 1999
☆いまいちばん美味しい店'99 OZ magazine編集 扶桑社 1999
☆OZ magazine no.304号(2002.12/23号) OZ magazine編集 扶桑社 2002
☆Cazなごみダイニングバー357 扶桑社 2000
☆ARIgATT(アリガット)vol.3カジュアルダイニング ゼン・コポーレーション 2000
☆グルメぴあ秋首都圏版2002 ぴあ 2002
☆グルメぴあ文庫 銀座・渋谷・新宿 ぴあ 2001
☆東京デザイナーズレストラン1~6 日経BP社 1995~2001
☆Tokyo Walker増刊号 2001.11/29 2003.12/7 2005.1/16 2001-2005 角川書店
☆グルマン温故知新 BRUTUS編集 マガジンハウス 1999・2003
☆エム・グルメTOKYO勝負レストラン&バー ベルシステム24 2002
☆東京情緒食堂(東京カレンダーMOOKS) アクセス・パブリッシング 2004~
☆ファションフード、あります 畑中三応子 紀伊國屋書店 2013
☆外食100年史 阿古真理 亜紀書房 2021
甘味処と新しい世界
明治維新の混乱期に武士の商売として人気でした歴史の中の転換期の商売として、あまり技術を必要としない商売として必要な業種。甘味処は明治時代から、特にその頃は喫茶店には入れなかった女性の憩いの場。
ただ時代と共に減少し芥川龍之介の文のなかに震災後「梅園 日本橋」「松村 浅草」「常盤 上野広小路」「大和 柳橋」しかまっとうな汁粉屋がなくなったそう。専門ではなく色々出す甘味処にかわっていく様子がうかがえました。カフエ・喫茶店の時代も始まっていました。
地域性があり浅草や人形町、谷根千(谷中・千駄木・根津)の寺社密集地や観光地、銀座のような人気エリアに多くあります。各デパートや商業施設への出店も多数。
茶屋と名物から
池上本門寺「浅野屋本舗 池上 1752年」も参拝土産くずもち販売からの甘味処へ。亀戸天神の境内でのくず餅「船橋屋(初代出身地下総の国船橋) 亀戸 1805年」神田明神参拝の甘酒屋「天野屋 お茶の水 1846年」王子稲荷神社近く同じくくずもちの「石鍋商店 王子 1887年」
「花園饅頭(近くの花園神社から) 新宿 1906年、1930年よりこの店名、元は石川県から「石川屋本舗」」もカフェをひらいていたようですが今はありません。
最初は茶屋(駿河屋)だったのですが名物あべ川餅専門の「餅甚(甚三郎) 大森東 1715年、明治後期から」。変わったものでは台湾の寒天菓子「愛玉子(オーギョーチィ) 上野桜木 1933年」
和菓子屋・それの関係店から
最初は屋台そばのような屋台汁粉屋から。江戸末期あたりから現れたそう。店舗では餅屋が雑煮や汁粉を提供。
和食の項目(『和食全般』中の『歴史系』)にあげた本所の料亭「小倉庵」は『当時流行しるこ屋名寄』に行司役で別格扱いになる汁粉が名物だったようです。
店名は自然系「時雨庵」「氷月」「東月」「梅月庵」「竹の家」。中でも多くの記録に残っているのは「十二ヶ月 銀座 1865年頃」国会の『レファレンス事例詳細』では「時雨庵」が元の店名。名物が12種類の汁粉で、12杯食べたらただになることで有名だったとか。
虎屋『虎屋文庫』の資料紹介で『滝沢馬琴と汁粉』に手紙文(天保6年(1835)の長い手紙文)に浅草の十二か月で十二種類の汁粉屋が流行とあるそうです。両店の関係は不明です。
明治の文学者は居酒屋代わりに愛用していたようで「達磨 上野山下 『東京諸営業員録1890』掲載」和菓子店「岡野栄泉」の別荘で営業の「をか野 下谷根岸 『東京諸営業員録1890』掲載」で鮨や酒を味わっていたようです。上にあげた「言問団子」「梅園(この頃は木原店-日本橋通一丁目-が有名)」も汁粉屋として使っていました。
神田エリアに甘いもの屋なくて、汁粉屋らしい汁粉屋作りをめざして開業した店「竹むら 神田須田町 1930年」、苗字ではなく由来は不明、推測でしかないのですが、明治時代の有名店「松村」「梅村」、職人修行先か和菓子屋「藤むら」なので影響もあるのかも。
和菓子の中心は小豆、餡もので、それを使ったメニュー」小豆などの雑穀を商うことから「西山(初代越後の庄屋西山武兵衛) 浅草 1852年、2009年西山に」和菓子店「よしだや本店 江東区白河 1915年」
「花家 日暮里 1945年」は中華軽食の甘味処で元は生花屋で、甘味処の花家として1950年頃から。
鹿の子とその背中の模様の意味と店の名物和菓子"かのこ"からではない「鹿乃子本店 銀座 1946年」、実家の和紙問屋「鹿嶋」の四男だった創業者が鹿嶋の子と呼ばれていたことからの店名だそうです。
地名も増えています。「下総屋本店 浅草 1897年」「埼玉屋小梅(出身地埼玉と創業地の旧地名向島小梅町から) 浅草 1897年」。
以前書いた多くの暖簾分け店がある「伊勢屋」、創業時は汁粉屋の「三好野 神田須田町 1909年、浅草1910年、上野広小路1916年他多数(『みよしや』掲載)」。
京都と同名のあんみつや「月ヶ瀬 銀座 1937年」は洋食コックドールの前身。京都の店は奈良の梅で有名な景勝地の地名。
現在のビジネス系チェーン店2店「麻布茶房 南麻布 1979年1号店」「神楽坂茶寮 神楽坂 2003年」、両店とも1号店の地名。
日本でも超老舗東京へきてからの「虎屋菓寮 赤坂 1895年、京都から1869年進出、喫茶室1964年から、虎屋菓寮1号は銀座1973年から」。
昭和初期からの蒟蒻・寒天製造業からの「いり江 門前仲町 1970年」は苗字ではなく場所名系。沖に出た船が入江に戻ってきてホッと一息つけるそんな店に(お店のHPより)
今はなつかしさがある縁起物系「おかめ 有楽町 1946年、前身深川の二川屋」今はかき氷が評判の「だるま餅菓子店 十条 1947年」。
逆にかつて甘味処が今は和菓子専門の「清月堂」、どら焼き専門「清寿軒(名前一字+寿) 人形町 1861年」と店も様々に。
鯛焼き屋で甘味処のある「浪花家総本店 麻布十番 1909年」元氷業の名物小倉アイス「みつばち 湯島 1909年、店名大戦後の改名(再掲)」。
芋羊羹「舟和 浅草 1902年」はともに芋羊羹を創作した新潟出身のいも問屋の小林和助さんと船橋から出張っていた和菓子職人小林定吉さんの屋号「舟定」からそれぞれの一字を採って「舟和」、元祖みつ豆としてみつ豆ホールを1903年開店しました。
豆かんてん発祥の「梅むら 浅草 1968年」、1914年創業ほうじ茶専門店の「森乃園 人形町 2004年」
和菓子の系統なのか、正当な地名や姓名、自然系が多い店名ですが、甘いものイメージで汁粉屋「甘泉堂 日本橋区住吉 『東京諸営業員録1894』掲載」は全国に今も和菓子屋として多くあり「甘泉堂 京都市 1884年」が老舗。由来は不明。かつてあったのは「甘泉堂 立川 1960年頃」「甘泉庵 新江古田 2014年閉店」
ほかは『材料・調理名さまざま』に下記の「siruka(シルカ」を含め掲載、餡子関連を載せましたが、それ以外にまん丸い白玉の「白玉工房円満堂(マルマンドウ) 浅草 2012年」生寒天と豆ガテーマの「天まめ 築地 2013年」自家製蜜にこだわりの「甘味みつや 浅草 2018年」。
最初に抹茶のお店を目指したけど類似店が多くなり甘味処開店の「あんみつの深緑堂 向島 2014年」、庇から暖簾まで深い緑色、おそらく抹茶の色のイメージからだと推測。
新しい感覚のスイーツも取り入れた「siruka(シルカ、汁菓子の意味) 西麻布 2000年(再掲)」飲み物は日本茶の「蒼庵(ソウアンー?干した草の色なので日本茶葉の色か・・) 広尾 2001年」のような和カフェが注目されて行きます。「茶茶工房 早稲田 2003年」『カフェの『癒しのカフェ』で書いた「茶茶の間 原宿 2005年」など。
「虎屋」も和カフェ「TORAYA CAFE 六本木 2003年」をオープン。芋羊羹舟和は「ふなわかふぇ 自由が丘 2010年、2012年高田馬場、浅草」
京都の老舗和菓子店「笹屋伊織 1716年」が京都御苑に続き開いた「SASAYAIORI+ 新宿御苑 2022年」もプラスに新たな試みを行う姿勢を込めています。
ナタデココのようなアジアン系スイーツの流行もあり専門カフェ「DESSERT COMPANY(デザートカンパニー) 神宮前 1998-2001年」、香港から「糖朝 青山 2002-2014年」も進出。
ダイニング系で活躍の『ちゃんと』経営「DUCAFE(デュカフェー?英語のザ・カフェと同じか) 表参道 2001-2005年」は甘味処とケーキ屋の両方のフュージョンデザートを提供していました。
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フルーツパフェと世界からやってきた新名物
英語parlorの応接室の意味で寛ぐ場所のイメージからアメリカでは食堂の意味もありましたが、日本ではアイスを含めたフルーツパーラーが主流になりました。歴史は『パーラー』に掲載。
フルーツパフェとアイス
パーラーのメインのメニューはフルーツパフェで「銀座千疋屋」が1938年に初めて提供したとある。もともとは仏語の完璧、完全な意味ですが、パルフェでアイスクリームのこととか。パフェのパーラー
1990年代にパティシエによるバフェ(パティスリィ ドゥ・ボン・クーフゥ、ピエール・エルメ)とショコラティエ(ティオブロマ、ピエールマルコリーニ等)と京都の抹茶の和パフェ(京はやしや、都路里ほか)のよるパフェ人気が開花。
2010年代から同じ流れではフランス語の店名の「L'atelier à ma façon(ラトリエ・マファソン) 上野毛 2019年」
地方で開店して東京にきたのは北海道のシメパフェ、夜パフェからの影響で専門店増加。「Parfaiteria beL(ベルー仏語きれいな女性) 渋谷 2017年」同じグループ「モモブクロ(エゾモモンガと池袋の合体店名) 池袋 2019年」。
フルーツパーラーの最新は東京では2020年から駅ナカのケーキ店だけですが、カフェの「フルーツピークス 横浜 2023年」開店。1924年の福島県郡山市フルーツショップ青木の店で、店名の通り『選び抜かれた極上フルーツの一番美味しい時にーお店のHP』
フルーツはこれ以外にフルーツサンドやイチゴ大福から広がったフルーツ大福の世界も流行の波真っ最中てす。
かき氷屋
かき氷は「氷水屋 横浜市 1869年」、外国人向けの氷に製造がはじまると氷屋が販売するようになっていきます。この店は同時のアイスクリームも販売。
明治中頃にかき氷機が発明され、昭和初期に一般に普及しました。戦前は砂糖水を掛けていましたが、戦後にかき氷専用シロップでみぞれ、金時、いちごミルク、ブルーハワイなど増えていきます。
店名は解りやすいものが多いよう、「あずきとこおり 代々木 2010年」「雪うさぎ 駒沢 2014年」「かき氷工房雪菓(セッカ) 巣鴨 2014年」
今は台湾からのかき氷「ICE MONSTER(アイスモンスター) 表参道 2015-2019年、1997年台湾1号店」韓国からのかき氷「ソルビン(雪氷) 原宿 2016年、2013年釜山1号店」
お茶葉屋さんですが「しもきた茶苑大山 下北沢 1970年」は閉店したかき氷屋さんから引き継いで2006年から抹茶やほうじ茶に特化したかき氷が人気になっていました。
つい最近のオープン「茶寮オクシブヤ(このエリアの通称奥渋谷) 代々木公園 2023年」は「セバスチャン」の跡地で有名和菓子職人の2店舗目、お客殺到だそうです。高級ホテルやショコラトリーでも夏にはかき氷メニューが登場、かき氷の世界は奥も幅もとても広い創造性の高い分野ですね。
ソフト・アイスクリーム屋
日本でも「SWENSEN'S(スエンソンズ) 渋谷 1982年」、最初イタリアンバルからの「Donatellos(ドナテロウズ) 恵比寿 1986年」。両店とも名前らしいけど由来不明。
日本語の特に意味はないそうですが牛乳のイメージからの「白一 Shiroichi 渋谷 2007」、京都からの「櫻花 恵比寿 2007年」はジャパニーズアイス
フランス系の専門店はすくなく、フレンチパティスリーに併設が多いです(ピエールマルコリーニ、アラン・デュカス)。店名では造語の「GLACIEL(グラッシェル) 原宿 2013-2023年」、アイスクリーム職人の意味仏語グラシエと空のシエルの合体。フランスではパティシエとグラシエの両方の資格を持つ職人が多く上のマルコリーニさんもグラシエでもあるそう。
今はイタリア直のイタリアンジェラート全盛、本家からの進出店多数。「GROM(グロムー創業者の苗字) 新宿 2009年」「ジェラテリアマルゲラ 麻布十番 2013ー2023年、ミラノ本店1979年」。
『ローマの休日』で登場のアイスクリーム店「Giolitti(ジョリッティー創業者ジュゼッペ・ジョリッティ氏) 新宿 2021年」もやってきました。1900年創業だそうです。
先の「ジェラテリア シンチェリー」のように中心地ではなく自由ケ丘や代官山、三軒茶屋のちょっと都心から離れた場所にオープン。
変幻自由の甘味デザート
現在の流行は高価だけど華やかな仏語の皿盛デザートの意味のアシェットデセール。カウンターでのコースデザートレストランです。
走りはデザート専門店「ぶどうの木 銀座 1979年(再掲)」とデザートコースを提供の「ターブルドゥカフェ 吉祥寺 1986年頃」。
高級割烹「くろぎ 大門 2010年、最初湯島」の締めデザートをコースにした「厨くろぎ 本郷 2014-2021年」、東大中の隈研吾氏の設計の店で、猿田彦コーヒーとコラボした甘味コースが斬新でした。写真の2店目ではコースではなくかき氷がメイン。3店目は福寿園の抹茶と鯛茶漬のコラボ「くろぎ茶々 銀座 2017年」(本店の近くに「くろぎ甘味研究所」 芝公園 2024年」という和風のかき氷専門店をオープンしました。)。
「チカリシャス・ニューヨーク・アマリージュ 原宿 2011年、神楽坂に移転」、ニューヨークの姉妹店チカ・ティルマンさんの『チカ+デリシャス=チカリシャス』、後ろに追加の『アマリージュ』は甘いもの、スイーツ+マリアージューぴったり合うものを融合する精錬したデザートの追求のコンセプト。シンガポールからの「JANICE WONG(シェ・ジャニス・ウォン) 新宿 2016年」「Patissiere MAYO(パティシエールマヨ) 六本木 2021年」のように氏名が多いです。
他は「un plato(アンプラトースペイン語の一皿) 蔵前 2022年」、「As(アス 恵比寿 2022年」ーオーナー氏名のイニシャルかと想ったら明日の意味で、『スイーツを食べて明日も頑張ろう』のエールを込めてだそう。
初期は解りやすい「アントルメ(デザートのこと) 代田 2011ー2014年」、「Dessert Le Comptoir(デセール ルコントワールーデザートのカウンター) 等々力 2010年」。
近々では仏語の店名が高級感を演出する「MAISON DU CREER(メゾンドクリエー仏語創造する) 白金台 2021年」「relevé(ルルベ) 赤羽橋 2022年」はバレエのポーズの呼び名、フランスで受け継がれてきた伝統にリスペクト、それに日本の旬を加えたいそう。
「vert(ヴェールー仏語緑、緑茶) 神楽坂 2022年」のように開店早々に値段は高価ながら予約困難店も現れています。
最後の「vert」が究極、店名が示すように日本茶をテーマに日本茶をデザートコースの中に織り交ぜて作り上げているけど、完全予約制でフレンチのコースと同価格帯!。甘い世界の最高峰です。
新しいのは名前の「パティスリアサコイワヤナギ 等々力 2021年、ケーキ店は2015年」、植物名「Patisserie Lotus(パティスリーロータスー英語蓮) 西荻窪 2017年」、オーナーの大好きな花で西荻の地でパティシエとして綺麗な花を咲かし続けたい願を込めての命名。
予約困難なパティスリー時代から広くして喫茶エリア分離した「BIEN-ETRE MAISON(ビアンネートルー仏語充実感や幸福感のある家) 代々木上原 2010年、移転2022年」。
他国からも多くの甘いものが来ていて、1970年代のドーナツ・クレープ ・チーズケーキ(『チーズ』)から間が空いて1990年代ティラミス、ナタデココ、クイニーアマン、エッグタルト、カヌレ(1990年代から、2020年代アラモード化して再ブレイク)、2022年にはワッフルとクロワッサンの合体クロッフルなども。
多くはケーキ屋・パン屋のメニューですが、喫茶店のメニューが専門店化する「アメリカンなパンケーキ「パンケーキ好き増殖中」やベルギーワッフル、フレンチトースト等。
食材の芋・栗専門店も増えています。上にあげた焼き芋から芋羊羹や大学芋、海の向こうはスイーツポテト、芋モンブラン専門店も。
三軒茶屋オイモ 2020年開店
三軒茶屋栗歩 2020年
浅草に芋スイーツが多いのは産地の川越や千葉に近いことが理由となっていますが、ビジネスネット記事『DIAMOND online』によれば江戸時代から現在まで何度もさつまいもブームが起きてていて、今回も2000年から第4次焼き芋ブーム真っ最中とか。新しい品種開発と焼き方の進歩が人気の火付け役です。「oimo lab(オイモラボ) 清澄白河 2018年」「いもこ 自由が丘 2020年」「OIMO(オイモ) 三軒茶屋 2020年」「& OIMO TOKYO(アンド オイモ トウキョウ) 有楽町 2020年」
栗は縄文時代から食べてきた主食、『桃栗三年柿八年』の言葉のように成長が早い堅く木材で使われていた樹木。
江戸時代の実の大きな丹波栗が広がり長野や岐阜には江戸時代後期にかけて多くの和菓子店が栗を使って栗きんとん、栗の落雁、栗羊羹とあります。今は生産地一位は茨木県。
明治の終わりの中国産の栗の甘栗専門店「金升屋 浅草 1910年」が開店。
洋系はイタリアのピエモンテ地方のお菓子『モンテブランコ(白い山)』とフランスサヴォア地方の家庭菓子が元になっているというパリのカフェ「アンジェリーナ」から発して自由が丘「MONT-BLANC」のケーキの定番『モンブラン(仏語の白い山)』を1933年に販売。モンブランは絞りたて・作りたてを謳う今多くのヴァリエーションを生み出しています。
京都の高級焼栗「比沙家」のカフェ「HISAYA CAFE 麻布十番 2021年」「栗の絲 千石 2023年」
「ふわり 人形町 2021年」のようにモンブランをふんわり載せたかき氷がメニューの和栗モンブラン&かき氷カフェもオープン。
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焼き菓子と・・・
最初のこの項目のタイトルは『コーヒーとベイク』だったのですが、まだまだこれからで、由来もわからないものが多いので、少しだけ上げます。
新しいタイプとして飲み物とお菓子が2等分の店も増えています。喫茶店は飲み物に比重が高く、甘味処はデザート中心ですが、パン屋のベイカリーではなく、ベイクと名乗ってコーヒーにマッチングする焼き菓子を提供する店。
ただ選ばれる焼き菓子が紅茶の国のイギリス系のお菓子なのが不思議、マフィン、スコーン、ショートブレッド、パウンドケーキ、キャロットケーキなど。ブラウニー、バナナブレッドはアメリカのようですが・・・。
始まりはお菓子店からの合うコーヒーを選び「Sunday Bake Shop(サンデーベイクショップ) 幡ヶ谷 2014年、最初初台」「MERCI BAKE(メルシーベイク) 松陰神社 2014年(再掲)」で時々コーヒーを提供。最初の頃の焼菓子専門店「ルスルス 東麻布 2007年」も浅草にカフェとして2012年にオープン。
カフェの頭や尻尾に「BAKE(ベイク)」とつく店もでてきます。「オクサワファクトリー 奥沢 2016年」「Gratbrown Roast and Bake(グラットブラウン ローストアンドベイクー灰褐色の意味) 駒場 2017年」 飲物に寄ったり焼菓子に寄ったりですが、基本はカフェで自由な店名が付いています。
「Chilling Coffee&Bake(チリングー落ち着く、くつろぐ) 旗の台 2021年」は兄が菓子修行をフランスで弟がコーヒーショップで勉強を。もっともピッタリなこのタイプ
フランスの焼菓子カヌレ(正式名カヌレ・ド・ボルドー(cannele de bordeaux))、16世紀ボルドーの修道院で創られた郷土菓子。
1990年代に日本で流行、再び2020年再燃。長期保存が可能なので始まりのパン屋、ケーキ店から現在は進化系カヌレとして専門店も出現。ホテル、コンビニへ拡大、カフェとのペアリングも増えつつあります。
「BGM Coffee&Vibes(ビージーエム) 広尾 2020年」、メインじゃなく地域の暮らしに寄り添い彩りを与え、憩いの場のBGMような心地よいカフェはフレンチ系イノベーティブ「Ode(オード)」経営。ほかには「butter(バター) 中野 2021年」
行列が原因で残念ながら渋谷から浅草へ移転のカフェ「コーヒーハウスニシヤ 浅草 2013年、最初渋谷、一度閉じて2022年再開(再掲)」。苗字を冠する店名有名バリスタのでのコーヒーが売りでしたが、インスタ映えするプリンなどの甘味物でコーヒー好き以外のお客が殺到。今は立飲み専門のカフェバーとしています。喫茶店の時代からコーヒー以外に呼び込むアイテムは大切ではあるのですが・・・。
「ONIBUS COFFEE(オニバスコーヒー)」はバリバリノスペシャルティコーヒー店でしたが、いくつかの店を立ち上げる中、2018年に焼き菓子工房「myown(マイオウン)」からビスケットやバナナブレッド等各店に提供。2022年の新しい自由が丘店は独自に生菓子やアシェットデセール、ハンバーガーもある幅広いスイーツの提供可能な店。
軽井沢の丸山珈琲のオーナーの言葉がネットに多くあり、スペシャルティコーヒーの流れの新規客の頭打ちとか。新しい顧客獲得のため栗菓子の小布施堂、かりんとうの榮太樓總本鋪のコラボでのフードペアリングを打ち出してました。「丸山珈琲 西麻布 2013年、リニューアル2023年」ではコーヒーに合うスイーツ・フードメニューをそろえたとのこと。
日本茶と・・・
茶道の世界の抹茶、京都からやってきた多くの抹茶スイーツカフェは多くが老舗のお茶葉屋による店がほとんど。茶道の茶席を経験するように模した店もありました。残念ながらほとんど開店年も由来もわからないのですが「樹庵 東銀座」「茶席万亭 吉祥寺」「山本亭(山本栄之助氏宅) 柴又 1991年」「寿月堂 築地 2003年、東銀座歌舞伎座内2013年」新しめの「伍(イツ) 表参道 2018年」、伍は五人一組の意味がありますが、席数が5席からでしょうか?
ビジネス系「nana's green tea(ナナズグリーンティ) 自由が丘 2001年」は現代の茶室のコンセプト、「やなぎ茶屋 浅草 2018年」は「カフェ・ド・クリエ」と同じ会社。
煎茶・ほうじ茶も最初は築地のお茶葉屋の「つきまさ 下北沢 1978年」のように緑茶の普及宣伝を兼ねたもので、和菓子が一緒に出てくるタイプでした。
『紅茶・ティー』に載せたように日本茶だけのスタンドやカフェが2010年代中頃より増えました。
紅茶や抹茶をお店で飲むことがあっても、自宅で簡単に急須でいれることができる緑茶は注目されませんでしたが、近年ペットボトル入りが当たり前になり、更に茶葉生産業への危機感もあり、お店がオープン。
それ以外にも苗字の「櫻井焙茶研究所 表参道 2016年」「幻幻庵」
目立つのは唱歌の茶摘の『夏も近づく八十八夜・・・』の八。『8・八・ハチ』に「八屋 千駄ヶ谷1号店 2017年」ありますが、これ以外にも「日本茶屋ハトハ(ー八十八夜の意味のほかに"葉と葉"も) 人形町 2019年」
「一〇八抹茶茶寮(イチマルハチマッチャサリョウ) 御茶ノ水 2020年」は少し複雑、茶の漢字を数字に分解、草冠を十と十で20、ツクりが八十八として足して一〇八。京都の2号店「八十八(ハトヤ) 浅草 2023年」。
少し方向が変わる日本茶バリスタのプラントミルクティ専門「And Tei(アンドテイ) 錦糸町 2023年」、造語安堵すると仏語茶te同じく私のmoiから。安らぎのお茶の時間をスコーンやキャロットケーキ等とともに心地よく過ごす。
アシェットデセールのようにコースになった日本茶カフェというよりメディテーション(瞑想)もするティーサロン「瀧爪(タキヅメ) 品川 2021年」も開店。店名は苗字からですが、瀧の流れが体の中の浄化を、爪に枝に留まり羽を休める鳥のイメージでゆっくり寛ぐ願のメッセージ(『CASAブルータスHP』から)。
甘味処参考文献
◆東京五つ星の甘味処 岸朝子 東京書籍
◆お江戸東京極上スイーツ散歩 岸朝子・逢坂剛共著 PHP研究所 2011
◆東京味な老舗 東京新聞編集局編 2004
◆たべもの起源事典 岡田哲 東京堂出版 2003
◆東京スイーツブック Hanako編集 マガジンハウス 2003
◆東京いとしの和菓子 高由美子 ソニーマガジンズ 2008
番外編ーお菓子とスイーツの名前
追加2024年01月31日・2024年03月03日
・追加2024年06月06日・2024年06月30日
毎日買うパンと違い、趣味趣向性の強い楽しみのお菓子・スイーツ世界。甘いものの世界は華やか、アイデアも豊かな世界。他の料理とは違うのは遊びの要素が入りやすい、ある意味ふざけた名前もOK。
もちろん高級和菓子のなかにはお茶席オンリーのお茶の宗匠が格調高く名付けたものもあるでしょうが・・・。手に入りやすい庶民系の定番の和菓子を選びましたが・・・。
西洋菓子店・ケーキ屋はフランスの影響が大きくて店名も多くはいまだにその傘の中にあります。今回甘味処をみていく途中その商品の菓子・スイーツの命名にに興味がわきましたので少し書いてみます。
載せたお店の写真は参考程度のもの。ホントは大きな影響を与えた「エスワイル」も載せたかったです。若いころはそんなことも知らず神田巡りの際寄ってました。
"風"ではなく"凮"にしたのはいくつもの理由があるようです。そのままの使用は恐れ多い、屋号の揮亳を書いた市川米庵が虫の字を嫌った、勢い誤った、虫食いは縁起が良くなく、百の字が多くのお客が訪れる縁起をかついだとかだそうです。
高級和菓子から1872年洋菓子製造開始。ここからの暖簾分け「米津凮月堂(番頭格の米津松蔵に暖簾分け) 両国 1872年、株式会社となり1966年東京凮月堂に改称、銀座に1972年移転、1983年東京凮月堂銀座本店となる」。「米津凮月堂」の名物として『東京名物志 公益社 1901』には和菓子【春日野饅頭】【栗饅頭】洋菓子【英国名菓ウェファース】【佛國名菓サブレー】【胡麻マカロン】を載せていました。
ここから枝分けし「長野凮月堂 1886年」「甲府凮月堂 1894年」「神戸凮月堂 1897年」、今は別個の店として江戸から令和まで激動を生き抜いています。
和菓子
餅・団子菓子
餅も団子も餅米から作ります。古代から食べられ、神饌として供物にも、お正月の鏡餅、ひな祭りの菱餅,お彼岸のぼた餅とおはぎ、端午の節句の柏餅、月見のお供え団子のように。
違いは米粒から餅、米粉から団子と、小振りの丸い形が団子とか、米以外の材料を使うこともあるのが団子(キビ、粟、芋)、でもラインは曖昧です。
《餅菓子》
中でも落語にも登場の【いくよ餅】は両国の「小松屋吉兵衛」の引き札で有名。奥さんの吉原の遊女であった幾代さんの名前。浅草「藤屋」吉川町「若松屋」も【いくよ餅】を売っていました。
17世紀には塩味、みそ味の柏餅も登場。小豆餡の代表大福餅、小石川御箪笥町のおたよさんが1771年に【大腹餅】売り出しました。大福餅は最初の塩餡の鶉餅(鶉のかたち)から腹持ちが良いので【腹太餅】、少し小型化して小豆餡の【大腹餅】から腹の字を福に変わっていったそう。
今の人気は【豆大福】、生地にエンドウ豆や黒豆が入っています。大福の変化形で江戸時代後期からあったたそう。大正時代、1900年代から多くの店で作り出しました。(現在の3大豆大福店「松島屋」「瑞穂」「群林堂」は皆大正時代開店)
大福は今も【いちご豆大福】から【フルーツ大福】へ変化中。
柏の葉に包んだ柏餅のように桜の葉に包んだ桜餅は関東風【長命寺桜餅】は小麦粉を焼い皮にあんこをくるんだもの、1717年に向島長命寺の茶店にに始まり全国に広がりました。
関西風は糯米由来の道明寺粉を蒸した【道明寺桜餅】。1830年頃の大阪の藤井寺市にある尼寺の道明寺で作られていた道明寺糒(ホシイ)を砕いたツブツブの粉から作られています。
現在の人気は関東でも桜餅=【道明寺桜餅】に軍配が上がります。和菓子職の修行先が京都が多いこともあり、2種類作っている店では【長命寺桜餅】は【長命寺】になっているところもあります。ブランド力のパワーもありですね。
他に多くはないですが春のお彼岸の【牡丹餅(ぼた餅)】秋の彼岸の【萩餅(おはぎ)】の名は平安時代からあるそうです。
江戸時代からの先祖への供物で庶民の食べ物、同じ餅でも季節によって呼び名の変わる餅です。
いろいろな川柳・狂歌にあるのは「お鉄ぼた餅 麹町 天保年間(1830-44)」の【三色ぼた餅ー胡麻・飴・黄粉の三色】が美味しいと江戸の評判だったそうです。
季節ごとに各和菓子屋が出しています。老舗は【七色おはぎ】✖「宝来屋 九段下 1868年」。
最近なぜか、季節には関係なく、ぼた餅より響のイメージが良い【おはぎ】の名がネオ和菓子として人気急上昇です。
花のかたちのような可愛いビジュアル、スタイルリッシュな、小豆餡だけでなく、くるみ、ごま、くり、いも、と種類も増え、中味も糯米だけじゃない洋風のもの、専門店も増えています。
《団子》
縄文弥生時代からクヌギ、どんぐりの実を粉にして丸くすると食べやすく運びやすい主食のもと、汁と一緒に煮込む粉だんご汁として料理にも。
菓子としての団子は江戸中期から、以前アップの茶屋からの名物系列【羽二重団子】【言問団子】、プラスして材料のヨモギを練りこんだ【草だんご】✖「高木屋老舗 柴又 1868年」【槍かけだんごー店の近くの水戸黄門の家来が槍を掛けた言い伝えの松の木に由来】✖「かどや 北千住 1952年」。柴又はとらさん映画もあって草団子屋が多く、江戸から葛西米と荒川土手のヨモギが多く採れたから。
創業者名前の【茂助だんご】【桃太郎だんご】×「桃六」、新しめは命名者の古賀正雄氏【古賀音だんご】×「ふるや古賀音庵 幡ヶ谷 1983年、最初1936年富留屋」。
今も最古の京都の2店の【あぶり餅(『京の名物から』)】、文字通りの火であぶった串差し餅。京都には500年は超える老舗がありも餅菓子も粟や葛やわらび餅専門店多数。
特に【みたらし団子】は東京にも多くありますが,串4個の団子。
醤油のみから甘い醤油だれに工夫したのは「加茂みたらし茶屋 1922年」。
関東の串団子4個は意外とはっきりしていて1760年頃小銭の4文銭が普及して、せっかちな江戸っ子が数えやすく団子4個で4文となりました。
『茶屋と名物から』で書いた東京の【追分団子(『かどや掲載』)】【小梅だんご(『埼玉屋小梅』)】も地名。地方の団子岡山県の【きびだんご】✖「吉備子屋 東向島 1983年」『花より団子』の三色3個の【花見だんご】、豊臣秀吉の醍醐の花見の宴で振舞われたとありますが、少し疑問?、庶民的な団子ではなく一個一個に意味がある生和菓子に入るのではと思います。京都発は確かなようで春に出で来る季節菓子です。
今の多くは餅に練りこむより載せる餡団子、青のり団子、胡麻団子など。
蒸し菓子
《饅頭》
筆頭は饅頭です。饅頭は中国から伝来の小麦粉の塩味、野菜入の点心の一つ、コンビニの冬の楽しみ中華まんですね。中国の元の時代の方、林浄因が饅頭の製法を伝えたそうです。奈良で創業した時は【奈良饅頭】の名で、室町時代の戦火を避け疎開した三河塩瀬村から「塩瀬総本家」となり現在は生地に山芋を加えた【薯蕷饅頭】の【志ほせ饅頭】販売。
後村上天皇の時代に店主と宮中の女官の結婚祝いに【紅白饅頭】を宮中にくばったことが祝い事=紅白饅頭のお菓子を送る文化ができたとお店のHPに書いています。
別の由来は禅僧円爾(エンニ、勅諡号 聖一国師)が伝えた【酒饅頭】、博多に滞在のおり屋号は虎屋茶屋の栗波吉右衛門に宋の時代の製法を伝授。
現在の「とらや」とは関係不明ですが【虎屋饅頭】の看板が『菓子資料室虎屋文庫』HPはに載せています。ひらべったい形ではなく丸い球形「とらや(旧虎屋)」が継いでいます。
さらに戦国時代山城国伏見の「総本家駿河屋 1461年、元鶴屋」が【酒饅頭】を考案説もネットにあります。
饅頭はお土産物として東京を含め全国に有名まんじゅうが存在します。全国多様な生地や中身を変え見た目の【蕎麦饅頭】【薄皮饅頭】【栗饅頭】【茶饅頭ー別名利休饅頭】【おぼろ饅頭】
三大まんじゅうと上げられているのは先の【志ほせ饅頭】【大手まんぢゅうー岡山城の大手門近くなので】✖「大手饅頭伊部屋 岡山市 1837年」【薄皮饅頭】✖「柏屋 福島県郡山市 1852年、東京の直営店大塚柏屋1955年」
東京では【千鳥饅頭】✖「千鳥屋(駒込)」【うさぎ饅頭】✖「うさぎや 上野 1913年」【織部饅頭ー古田織部の織部焼の色】✖「秋色大坂家 三田 元禄年間」『甘味処と新しい世界』アップの地名【花園饅頭(『茶屋と名物から』)】は女性が食べやすい工夫で俵形
変わり種『和菓子屋・それの関係店から』に載せた「竹むら」の【揚げまんじゅう】、その頃流行の屋台フードから仕立て直したとかで、創業から2.3年後の発売となっていますから1932~1933年頃から。
「金龍山浅草餅本舗(最初桔梗屋、かつて浅草餅を販売) 浅草 1675-2022年」✖【揚げまんじゅうー1958年から販売】。浅草のは天婦羅の衣をつけてあげますが、「御門屋 目黒区目黒本町 1952年」は素揚げで、新規開店のため1995年頃の発案です。
同様に黒砂糖まんじゅうを素揚げした福島県の「あくつ屋」✖【かりんとう饅頭】は2001年販売、商標登録をしなかったので今は全国に広がっています。東京は「福丸饅頭 千駄木 1955年」が販売。
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《蒸し菓子その他》
もうひとつ饅頭菓子は時雨饅頭、棹菓子の【村雨羹】の村雨と呼ぶ和菓子(【村雨】は菓子銘で「塩五 大阪府貝塚市 1854年」が1905年商標登録、『和泉八景』のひとつ『貝浦村雨』から命名)。
個人的にはこれが大元と考えるのが九州の郷土菓子【高麗餅(これもち)】、鹿児島に高麗(昔の韓国朝鮮)から連れてこられた陶工とともに伝来した蒸し菓子。(同名の【高麗餅】✖「菊寿堂 大阪市 天保年間(1830~1844)」は別物)
小豆餡と餅粉と砂糖をこねて蒸すと亀裂が入り、時雨が降る空模様を表し割れ目が青空の部分。黄色い【黄身時雨】が有名。
ネットの調べでは【黄身時雨】は安土桃山時代、【時雨】は江戸時代に伝わったとなっていて先に【黄身時雨】が知られていたようです。
四角い餡入り「榮太樓本舗 日本橋 1857年」✖【楼(タカドノ)ー建物の基礎土台礎石でこれから良い関係を築きましょう】。季節の春の和菓子となっているのは菜の花のような【菜の花しぐれ】✖「菓匠清閑院 京都 1988年、銀座2010年開店」
新しい和菓子店ではさらホロホロこぼれる黄身羽二重時雨餡を使った京都【雅車(ミヤビグルマー御所車の車輪の模様を写した)】✖「菓匠清閑院」【爾比久良(ニイクラー店のあるエリアの地の古名)】✖「大吾 練馬区 1978年」
棹菓子のタイプでは全国にも多くの銘菓があり、名古屋「両口屋是清(リョウグチヤコレキヨ) 1634年」✖【をちこちー古文遠い近いの意味、遠い近い山々の風情】大阪「むか新 1892年」✖【むらしぐれ】。
戦前の政府の指導で餅とついた【時雨餅】✖「竹利商店 岸和田市 江戸末期」【玉時雨】✖「岸和田風月堂 岸和田市 1902年」もあります。
藩主岡部長慎公が280年以上前に名付けた茶菓子銘。
秋にパラパラと降る時雨のごとく菓子の感触のはらはらこぼれる様を表した名づけだそう。
愛知県の【志ぐれ】✖「富永松栄堂 愛知県大洲市 1875年」は下記の外郎と時雨が合体したような蒸し菓子。こちらも藩の屋敷内で精製してた200年前から和菓子で、由来は【時雨】と同じ小豆のみためが晩秋から初冬にぱらぱら降る時雨からです。(2024.5.9)
時雨餡を巻いたのは1920年(大正9年)創案【京観世ー近くの観世稲荷社に観世井(かんぜい)と呼ばれる井戸、能楽観世流所縁】✖「鶴屋吉信 1803年開店」、京都「俵屋𠮷冨 1755年」の【雲龍】は1920年に7代目が相国寺の『雲竜図』から想起し作り上げ、命名は相国寺官長。同じ渦巻き形の「宝来屋 九段下 1868年」✖【むらくも】
ういろうは名古屋郷土菓子として最初に販売したのは【外良(ういろ)】✖「餅文総本店 1659年」ではありますが、東京には「青柳総本家(1931年より名古屋駅で売り出す)」の【青柳ういろう】や山口「御堀堂 1937年」徳島県・宮崎県から出店のアンテナショップで見かけます。
産経新聞ニュースのHPからですが、由来はとてもはっきりしていて中国の元(末期混乱の時代、日本では室町時代足利義満の代)から陳延祐が博多に亡命、その元の官職が医薬の『礼部院外郎』。
その長男が大陸から万能薬を取り寄せ『外郎薬』の名前で売り出し、あまりに苦い薬だったため口直しの米粉のお菓子を添えて出したのが、その菓子を【ういろう】と呼ぶようになりました。また薬そのものの色に似ているからということもあるようです。
子孫は博多から京都、応仁の乱の戦火を避け小田原市に居を移したのが「小田原ういろう本店」。地方菓子ですが言葉として歌舞伎十八番の1718年初演『外郎売ー小田原のういろう屋の宣伝文句の説も』、こちらは薬の方で江戸では有名になりました。
2番目の地京都にも「五建外良屋 1855年」✖【五建外良(ウイロ)】。
この店にもある三角のういろうに小豆をのせた【水無月(ミナヅキー6月30日に食べる)】。京都の六月のお菓子で、室町時代から宮中の『氷の節句』で氷を食す暑気払いの風習から氷の代わりに食べる六月の意味の和菓子。
餅とつくけど小麦粉を蒸して発酵させたくずもち、関東近隣の郷土菓子扱いになっていたとのガイドもありました。
関西ではマメ科のつる草から採る葛粉から【葛餅】、山菜の蕨の根からの蕨粉からの【わらび餅】で煮ながら練っていく作り方の餅菓子で蒸し菓子ではないです。全国的には【わらび餅】の名では甘味処で出すところが多いです。
ほかに京都甘味処の名物【葛きり】【葛焼き】【葛練り】等。【葛練り】を有名にしたのは「銀座かずや 有楽町 2000年」✖【かずやの煉(レン)ー胡麻豆腐を元に抹茶と葛で】。少ないですが蓮根からの【蓮根餅】、料亭「和久傳」のおもたせとして有名【西湖(セイコ)】があります。
東京は多くはないのですが、名前が【久寿もち】✖「長門 日本橋 享保年間(1716-1745年)」のようなわらびもちの和菓子もあります。同様に他【わらび餅】✖「雅庵 目黒区東山 2004年」。
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焼き菓子
餅も団子も焼くものもありますが、ポルトガル発のまるぼうろ(丸房露)、カステラ(長崎市)は高級菓子、明治以降知られるようになりました。
《煎餅》
庶民派、最初中国からの奈良時代の小麦粉の焼き物だった煎餅類、和訓で"いりもちい"と読みます。
由来は弘法大師空海(亀の甲煎餅ー京都の和菓子屋和二郎へ伝授されたのは葛根と米粉に糖蜜を混ぜ焼く)のから、千利休関係(千兵衛ー小麦粉と砂糖)とか少しこじつけ風?の俗説お仙婆さんが残り物団子を平らにして焼いたとか(草加せんべい振興協議会HPでは俗説として)、色いろあります。
ネットでは『亀田製菓』のHPが一番まとまっているようです。さすがの京都で嵐山和菓子店「老松」の前に『煎餅発祥の地』の立て札があるとか。
今の製法と名前が一致してのは文化文政以降で、それまで餅の保存食として乾餅(ホシモチ)、堅餅(カタモチ)と変遷がありました。室町時代から、菓子扱いになったそうです。
超老舗の今もあるのは当然ながら京都、【唐板煎餅(カライタセンベイ)】✖「水田玉雲堂 1477年」。もともと上御霊神社の茶店で、厄払いの神撰菓の長方形の小麦粉煎餅。ネットでは日本最古のクッキーと呼んでいますね。
本家八ツ橋西尾 1689年開店
聖護院八ツ橋総本店
1689年開店
同じように長方形で楽器琴のような曲がりを付けたのが【八ッ橋】✖「聖護院八ツ橋総本店ー筝曲の名手八橋検校の名 1689年」・「本家八ツ橋西尾ー伊勢物語の三河の地名の八ツ橋村から 1689年」、堅焼き煎餅でニッキの香辛料風味。
関西は小麦粉煎餅の瓦煎餅が中心(糯米煎餅はちょっと前まで"おかき"と呼んでいたそうです)、関東は粳米煎餅で今もこの人気エリアは変わりません。東京の老舗も最初の頃は小麦粉系で【三味胴ーシャミドウ、瓦煎餅、形が似ている三味線の胴部分のこと】✖「松崎煎餅 銀座 1804年」
粳米煎餅はもともと関東周辺の農家の余った米を団子にして乾燥した保存食、塩味のもの。文化文政年間(1804-1830)日光街道の草加宿の茶屋で売り、そのうち徐々に醤油を塗った煎餅に。四角い形から丸の形になったのも草加煎餅からとか。大正時代に大正天皇に献上したことで草加煎餅は有名になりました。
【菊見せんべい】は『円は天、方は地』の言葉から、地に住む人々に愛されるように形があえての四角粳米煎餅、今は人形焼の「重盛永信堂」は最初卵と砂糖を贅沢に使っての【ゼイタク煎餅】と切磋琢磨の時代。
各地は土産物のお菓子を多く打ち出している時代、冷蔵なんかない時代に日持ちが良いせんべいは扱いやすいお菓子。
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《京都の煎餅菓子》
古都京都も郷土菓子【麩焼せんべい】がいろいろ姿のものが登場しています。お麩ではなく、糯米粉からつくるうす甘い軽めの煎餅。ふのやきは千利休の茶席出ていたお菓子の名ですが、形は麩のクレープ状に味噌を巻き込む全く違うタイプ。江戸の麹町【助惣焼】がこの菓子に当たるそうです。
再度の"さすがの京都"で他のお店も菓銘付き、長い由来があるのが山のようで書ききれません!
菓銘は茶道茶席の釜の湯がたぎる音を大波の意味の濤の字をあてたもの。高松藩松平候筆の扁額『濤々』が武者小路千家官休庵の利休堂に掛けられていました。
香川の銘菓干し柿羊羹を麩焼き煎餅に挟んだ【木守】をアレンジしたい家元の強い願いで2代目と創意工夫を繰り返して誕生した京伝統力の結晶ですね。(京都新聞2022.2.16記事HP参考)
古いのでいろいろの銘の【松風】、大きく分けて、瓦煎餅状のものとカステラ状が全国にはあります。
和風カステラ状の京都の「松屋常盤」「亀屋陸奥」製の【松風】小麦粉、砂糖、白味噌、芥子の実を散らすのが特徴。由来も「亀屋陸奥」は縁が深い戦国時代の京都本願寺顕如上人から歌『わすれては波のおとかとおもうなりまくらにちかき庭の松風』をたまわりその中の一語。
東京の「長門 日本橋 1716-1745年頃」瓦煎餅風。「宝来屋本店 九段下 1868年」の【松風】は1970年からのぼーろ、南蛮菓子風。カステラ風「亀十」
《きんつば》
江戸時代中期京都からきた【きんつば】、刀の鍔から当初は京都では【銀鍔】、江戸で銀より金の方が価値が高いということで【きんつば】、形は最初は鍔形に習い丸型でした。
ここから出た「徳太樓 浅草 1903年」のきんつばは四角になっています。
文化年間(1804-1817年)に歌舞伎役者澤田田之助が懇意の浅草・南馬道和菓子屋からの願いで長唄に『人はみめよりただ心』と四角いきんつば【みめより】の宣伝の語が入っています。
全国展開の神戸市の「本高砂屋 1877年」は四角のきんつばの元祖としていろいろなきんつばがあり卵入りの黄色い【銀つば】の名のお菓子も。
専門店もあるきんつばはイモのきんつば【いもきん】も人気「舟和」や「満願堂 浅草 1886年」、皆四角のきんつば。
《今川焼》
関西の場合は【回転焼き】でしたが、姫路市の【御座候ーゴザソウロウ、丁寧語の・・・ござてます】、お店の屋号で、最初回転焼きだったのが、次第に評判になりが屋号=呼名に、全国展開するとこちらの名が広まっています。
明治以降全国に【今川焼】が評判となり、30種類以上の呼び名、北海道・東北の【おやき】、秋田【あまやき】・【あじまん】、広島【二重焼き】、愛媛【太鼓饅頭】など。
興味を持った方々が各県の認知率を調べています。老舗はないですが、菓子銘がいろいろあって庶民に愛される気軽な焼菓子です。
《どら焼き》
【どら焼】、【人形焼】、【鯛焼き】のように焼くが付く新しめの菓子です。焼き形からの名前が普通です。
今の【どら焼き】は明治時代に「梅花亭 霊岸島 1850年」の3代目が隅田川を行き来する徳川家御用船江戸幕府御座船(ござぶね)のドラから考案、生地も薄く餡を1枚皮の包み込むタイプ。
いろいろなお店で作るようになって皮がだんだん厚いはさむ形に変化したようです。
皮に工夫のものもあります。黒松の幹の感じの【黒松】✖「草月 十条 1930年」、文字通り虎皮模様の【とらがわ焼】✖「小岩岡埜栄泉 1924年」【とらが焼】✖「竹隆庵岡埜」、東京に移転時に虎年の店主から【虎家喜ートラヤキ】✖「玉英堂彦九郎 人形町 1935年、1576年京都創業」。丸くない形の【小判どら焼き(大判は丸い)】✖「清寿軒(『和菓子屋・それの関係店から』)」【はん月】✖「青野総本舗 六本木 1856年」
これと兄弟のようなのが【三笠山】。関西はどら焼きを【みかさ】【三笠焼】と呼ぶようです。東京の場合、青えんどうの餡を使い柳橋の2代目の「梅花亭 1912年」が歌舞伎の九代目市川団十郎『奈良の三笠山の山焼きの姿、緑の餡は若草の芽』言葉から名がついたとのこと。「文明堂 銀座 1939年、長崎市1900年創業、東京進出1922年」の【三笠山】は奈良時代の遣唐留学生阿部仲麻呂の三笠山(現在は若草山のこと)を想った望郷の歌から。
テレビコマーシャルで有名になった東京自由が丘「亀屋万年堂」の1963年販売【ナボナーローマの菓子祭が開かれるナヴォーナ広場から命名】はどら焼きをモデルにしています。
《人形焼》
【人形焼】、【鯛焼き】はそのものの型で焼き上げる。別名焼き饅頭のカステラ生地を焼いた【人形焼】は明治期1907年創業の板倉屋が人形町のなにか名物を・・から考案。
もっと古い店は元はパン屋「木村屋本店 1868年」「元祖木村家人形焼本舗 1868年」浅草に関係する五重の塔、雷様、鳩の4種で観光地仕様の【名所焼】だったようです。
大正時代に人形町から職人が異動して浅草で販売開始、それもあって名前が【人形焼】に変わっていったのかも。
最初は「浪花屋総本店 麻布十番 1909年」では【今川焼】を売っていたのですが売れず、【人形焼】からのヒントで時代の流行の戦車焼き、ドイツの飛行船ツェッペリン焼きなどから【鯛焼き】がお目出度い高級魚なので人気に。「浪花屋総本店」の元祖説はネットではいろいろ異論の調査考察の記事があります。
地方に多い【鮎焼き】、【鯛焼き】と同じように魚の鮎の形の焼菓子で、小豆餡の代わりに求肥入です。
岐阜県「玉井屋本舗 岐阜市 1908年」が【登り鮎】を考案、京都や東京で修行の初代が江戸末期につくられた岡山銘菓【調布ー古代の租税として納められた手織り布の巻布】を参考にしたお菓子。
【あゆ】【若鮎】【若あゆ】など命名で、京都では夏の季節菓子。東京も夏限定で【鮎焼き】✖「青野総本舗」
《桃山》
ラストは少し高級な贈答用にも使う【桃山】黄身餡自体を外皮なしで焼いたお菓子で、京都伏見城、別名桃山御殿の瓦模様から付いたようです。菊や桜や寿の字、十二支の干支模様を上に刻印できる黄金色の華やかさが金運上昇の縁起の良い人気のお菓子。華やかさが絢爛豪華な桃山時代のようだとして名付けられた説もあります。
『東京名物志』には「米津凮月堂」「三河屋総本店 南傳馬町」の名物として載っていました。
形はそら豆形、円型、栗や柚餡入、少し大きくなって中華の月餅サイズも。
贈答用でもあるので菓銘も、御所車の意匠【雲居のみちー1994年から】✖「とらや(旧虎屋)」・【福ハ内ー福を招くお多福豆の形、4代目創案】✖「鶴屋吉信」。
形まんまるの「翠江堂 新川 1946年」、「龍昇亭にしむら 浅草 1854年」のは円型に鯛や壽の漢字を刻印でさらにお目出度い。そのまんま桃の形の【桃の桃山】✖「むさしや 千駄木 1964年」。庶民派はそのまま【桃山】です。
流し菓子
羊羹やういろうのような【棹物菓子ーサオモノガシ】と呼ぶ四角い棒状の流し固める和菓子類。
《蒸し、練り羊羹》
江戸で人気でしたので京都の「とらや(旧虎屋)」も【練り羊羹】の販売は幕末からでした。
老舗「とらや(旧虎屋)」の羊羹のように多くは菓銘付き、それ以外は材料名【栗羊羹】【いも羊羹】【フルーツ羊羹】【チョコレート羊羹】など。
漢字自体の意味は鎌倉~室町時代の禅僧から中国南北朝時代の点心の一種、羊の肉の羹(アツモノー煮凝り、ゼラチン)スープからと重陽の節句の葛や小麦粉で固めた羊の胆の色と形【羊羹餅、または羊肝こう】というお菓子の名から。
福井県や滋賀県ほか関西に多い【でっち羊羹ー奉公に出た丁稚さんたちの奉公先へに土産物だったそう、練り上げるの意味のでっちるから、小豆の出汁からと説多】✖「和た与 近江八幡市 1863年」。
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《寒天菓子》
【金玉糖】は1658年頃に寒天の発案者とされる山城国の美濃屋太郎左衛門がくちなしの実で琥珀色に染めた寒天菓子を作ったことから、呼び名も関東地方【錦玉羹】✖「塩野 赤坂 1947年」、【琥珀糖】は関西地方の呼称。
寒天を使ったものは夏の季節生和菓子が多く、同じく多くは菓銘付ですが金玉糖、錦玉羹、琥珀糖も5~9月の季節菓子。よく金魚がデザインされています。【若葉陰ーワカバカゲ、青葉の陰を泳ぐ金魚、1918年から販売】✖「とらや」、デザインは変えています。
夏の定番は東京は【葛桜(関西では葛まんじゅう)】とまんまの【水羊羹】位でしょうか。
江戸中期【水羊羹】は【蒸し羊羹】に水を多くして日持ちよいようにしたもの、それでも夏はもちが悪く、冬の御菓子としてお正月に食べられていました。明治以降に葛や小麦粉に変え寒天を使うようになりました。
持ち運びの工夫で竹筒を使ったりしてましたが、「榮太樓本舗」が缶入り(イージーオープンというプルトップ)、昭和30年代後半に発売。
京都には竹筒入水羊羹、比較的早い昭和初期には販売していた【甘露竹(カンロタケ)】✖「鍵善良房(京都)」ほかに多数、【竹露(チクロ)】【竹清水】【竹とり】と各銘名付、競争相手が多い京都ならではですね。
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和生菓子・半生菓子
上菓子はもともと献上菓子からの呼び名で、御所や江戸幕府内の各行事ごとに上菓子司から献上された菓子。
特に京菓子は京都に構える各家元たちが後ろ盾となり菓子司に教示したそうです(『カラー京都の菓子』より)。
茶席や贈答にでる上生菓子は何百と菓銘が付いているので、お手上げ状態ーーーで、よくでてくる【きんとん】と半生菓子【求肥餅】・【あんこ玉・石衣】を取り上げます。
《きんとん菓子》
【きんとん】、黄金の団、集まり・塊の意味の【金飩】【金団】の漢字で16世紀には記録にあり中に砂糖入りの、団子状丸い餅だそうです。
茶道の世界でもっとも古いのは【大徳寺きんとん】、記録によると最初は団子のようにとあるそう。。あんこ玉の周りをそぼろ状の餡でまぶして包み込むお菓子は華やかで季節を表す色を様々変えています。
宝暦には梔子で染めた黄金色の金団、文政の頃は【紫きんとん】があったそう。今は【小田巻きんとん】という糸状に絞った餡で包むものも登場しています。
江戸中期の茶人の言葉で【きんとん】について『茶菓子の随一なもの』となっていました。
大徳寺近くの「松屋常盤」は京都でも古くからの【紅白きんとん】等、きんとん菓子製造店。
もう一つが【栗きんとん】で茶巾絞りした栗菓子。岐阜県中津川市発祥の碑もあるそう。「恵那川川上屋」のHPでは【栗金団】は明治時代登場したそうです。
《求肥菓子》
砂糖を混ぜ込んだ求肥は日持ちが長く戦国時代は兵糧として重宝、茶席にも早くから出されていていました。
豊臣秀吉の弟秀長の春の初めの茶会で出された【うぐいす餅】✖「本家菊屋 大和郡山市 1585年」は秀吉が気に入り命名、全国の【鶯餅】の初めとか。この餅の今の菓銘は【御城之口餅(オシロノクチモチ)ーお城の大手門入口にある店から】
求肥餅で有名なのは羽二重織の絹織物のように滑らかな意味の福井県名産【羽二重餅ー1890年代後半に発売】✖「松岡軒 福井市 1897年」。
京都【柚餅ーユウモチ、柚の香の餅菓子、3代目創案、明治初年から販売】✖「鶴屋吉信」、東京では「志むら 目白 1939年」✖【九十九餅ー昭和20年代考案、数えられない数字の意味でいくらでも食べられる美味しいお菓子の意味】「ちもと 目黒区八雲 1965年」✖【八雲もちー開店時よりお店のある地名】
どのお菓子も由来が長くなりました。求肥餅は扱いやすいため【雪見だいふく】のよう菓子メーカーでも使っています。
半生・生和菓子の菓子銘 (追加2024年06月06日)
和菓子の生菓子は茶道の主菓子として季節を表現する大切なアイテム。菓子銘も重要でその菓子のみの命名、重複にならない名を付けています。
偶然見つけた下記の【やまづと】以外、あまりに多いので調べるのは無理だとしてましたが、ただ命名の由来にする古典語句には限りがあり複数の同名菓子銘を発見しました。
【唐衣】【玉すだれ】【唐錦】【万寿菊】【花筏】【常盤木】はネットで複数あります。
美しい、または珠状の簾に形を模した【玉すだれ】✖「森八 金沢市 1625年」夏の生菓子で透明な寒天の簾で餡を包む形です。「甘春堂」「両口屋是清」、新しい感覚を表現する「亀屋良長」はチョコミント味の大暑の菓子銘。
唐(中国)から渡来した紅色が美しい絹織物の名で鮮やかな紅葉の形容の【唐錦】。茶匠ご愛用のきんとんの【唐錦】✖「塩瀬総本店」、金糸銀糸の秋の紅葉の色、赤・黄・緑の三色のこなし「末冨」、紅葉色の栗あん入りの蒸し菓子村雨の「鍵善良房」
花のマリーゴールドの和名、尾形光琳がデザインとた丸い菊『光琳菊』とも呼ぶ【万寿菊】✖「塩芳軒」は白豆の鹿の子の形、薯蕷饅頭の「塩野 赤坂」と「亀屋良永」
散った桜の花弁が一体に連なり川を流れいく季節の情景を写した練り切り(こなし)菓子銘。同様に「鶴屋吉信」と東京「菓匠菊家」。
時雨を巻いた蒸し菓子は「ささま 神保町 2029年」桜の花弁を散らしています。「青山紅谷 南青山 1923年」のは羽二重餅の上に細切りl寒天の川、桜の花弁が載るもの。
松を意味する常緑の意味の常盤木、和菓子屋の店名も多い【ときわ木】✖「かぎや政秋 1920年」は餡子のクッキーとネットにはある和菓子の焼菓子。いまはなき「鎰屋延秋」から継ぐお菓子なのでとても古い和菓子。
同名松の幹を表現した「源水 京都市二條 1825-2018年」のは【松露】の長方形にし、餡ではなく羊羹をすり蜜で包むタイプ。【松の翠】の菓子銘で「柴野源水」が継いでいます。
店名の「本家ときわぎ 熱海市 1918年」を付けて【登きわ木】は羊羹を自然乾燥した菓子。
3店しか見つけられないのですが、【砧・きぬた】✖「長久堂 京都市 1831年」「杵屋 姫路市 1911年」、【羽二重餅】で有名な【羽二重きぬた】✖「錦梅堂 福井市 1847年」。
砧は絹をやわらかく艶を出すため打つ道具・作業の名。1853年に帰郷した「長久堂」初代が故郷の光景から薄赤の羊羹を絹に見立てた白い求肥で巻き和三盆砂糖をまぶした求肥菓子。
日本の古典語句から抜けて「長久堂」で修行した「菓子屋のな 2020年」は西洋の古典『即興詩人』の登場人物名からのキャラメルとキュウイの餡子菓子【アントニオとララ】のような新しい感覚の菓子銘も登場しています。
1960年代から【おたべー1966年発売】(美十から店名「おたべ」に1969年改称)で始まり今は老舗も生菓子のほうも販売。菓子銘は大阪枚方市の【くらわんか餅】の『くらわんかー船頭言葉のたべへんか』を参考に京都弁『おたべやす』からついています。ニッキ味だけでなく多彩な種類を誇ります。
他に「井筒八ツ橋本舗 1805年、最初茶屋から」✖小倉餡いりの元祖【夕霧ー歌舞伎「廓文章」に登場する夕霧太夫の名、1943年発売】・【夕子ー水上勉小説「五番町夕霧楼」の主人公夕子、夕霧から20年後位に発売】。ちょっと高級なのが円形の編み笠模様の【夕霧】、普及版が【夕子】で四角を半分にして粒餡を挟む形、ニッキと抹茶生地。
観光地故、常に新しい形で【去来菓ー三笠山(どら焼き)でつつみ八ッ橋】✖「京栄堂 1952年」は紀貫之の和歌から、【カレドカネールー仏語シナモンの正方形】✖「ニキニキ(聖護院八ツ橋総本店の新ブランド) 2011年」はカップに入れコンフィチュールを包む花びらにみえる生八ッ橋。
《餡玉菓子》
【あんこ玉・石衣】も地方に多い丸い羊羹を寒天や砂糖衣も含むいろいろな衣に包んだあんこ玉。関東は白い衣で包んだ姿で【石衣】、関西は浜辺の白いキノコに似ているので【松露】多くの種類が発案。「舟和」そのまんまの【あんこ玉】から【沖の石】✖「青野総本舗」白色だけしゃない【石衣製 いろどり】✖「萬年堂」
最も古いのが創業時からの【ぬば玉・烏羽玉】✖「亀屋良長 1800年頃」、京都は雅な由来が多く、黒い色の和歌の枕詞のぬば玉。それがみためから段々烏の羽色【烏羽玉】になっていったそうです。
この店は変化に積極的でコラボした【烏羽玉CACAOーチョコレート】【烏羽玉色々ー季節のもの、桜、苺、よもぎ、柚、カボチャ等60種】と多様。
もうひとつの京都の呼び名は形が似ている檜扇の実の呼び名の【老玉(ウバタマ)、季節もので桜の花を載せた桜玉もあり】✖「仙太郎 1886年」、【うば玉】✖「亀廣宗 1953年」、【お茶玉】】✖「鶴屋長生 京都市 1966年」は黒砂糖いり【うば玉】もありますが宇治抹茶餡入りがオリジナル。数々の菓子名ともに全国にあるそうですが、お菓子の形態は少し違うようです。
松露の名では、正統派「二條駿河屋 1934年」、種類がある【小丸松露】・【三色松露】✖「亀屋友永 京都 1934年」は白玉の定番に梅や栗の形、中身の餡を三色に。菓子銘付きは「亀屋良永」✖【松露うららーピンクと白】・【松露かきつばたー白と紫】
「俵屋吉富」が立ち上げた新ブランドからの【露のいろ】✖「といろ(都色) 2018年」、色が白味噌のベージュ、山椒の緑、柚の青と個性的な現代風松露。
中身が青えんどうの埼玉県【白鷺宝】✖「花見菓子舗 さいたま市 1912年」はミルクコーティングで野田の野山にたたずむ白鷺のイメージからの菓銘。
和菓子その他
全国にも多い菊花をかたどった最中、【菊最中ー最初の名は日清日露戦争時勝利最中】✖「入船青柳 1891年」【菊最中】✖「青柳正家 向島 1950年」【菊最中】✖「不朽園 名古屋市 1927年」、店名に菊がつく【菊がさね最中】✖「菊屋高麗橋 大阪市 2022年閉店、本店大和郡山の本家菊屋、昭和20年代暖簾分け」【菊かげ最中】✖「菓匠菊家」。
人の名前の【空也最中ー踊(おどり)念仏を広めた平安時代中期の僧・空也】✖「空也 銀座 1884年」【二十二代庄之助最中ー立行司木村庄之助の軍配うちわの型】✖「庄之助 神田須田町 1949年」
変わった形では【文銭最中ー通貨の寛永通宝型の丸、創業当時から】✖「文銭堂本舗 新橋 1948年」。
【まゆ最中ーかつて日本の特産品だった絹の糸からの絹の国の復興を願って命名】✖「蜂の家 自由が丘 1950年」や幸運の招き猫、達磨、たぬき、兎の動物や鈴、都電をかたどったもの、と楽しい世界です。色が薄茶色中心で地味、形で遊んでいる感じです。
最中の由来は平安時代に開かれた月見の宴で出された白くて丸い煎餅のようなお菓子に公家たちが十五夜の満月の意味『もなかの月』と名付けたのが始まり。江戸時代中頃「竹村伊勢」が商品として【最中の月】を売り出し吉原で大評判。遊女への吉原土産として人気、四角いのは【窓の月】の菓子銘。
干菓子、打菓子と呼ぶ落雁は室町時代に中国の軟落甘(なんらくかん)というお菓子が伝わったもの、【楽甘】と呼び名が変化したとか他にも説はいろいろ。日本三大銘菓にあがったもの、北陸地方都市の落雁が石川県加賀の【長生殿】✖「森八」、新潟県【越乃雪】✖「大和屋」、島根県【山川】✖「風流堂」と有名ですが、東京は少ないです。
山からの送りもの、山から携えてくる土産物の意味。栗の形に仕上げた練り切り、きんとんで包んだタイプとあります。「末富」「二條若狭屋 1917年」「塩芳軒」「鶴屋吉信」で銘が上がっています。
「鍵屋良房」は栗きんとんタイプ。「鶴屋吉信」は練り切り(こなし)「塩芳軒」、東京の「大吾」✖【美山づと(みやまづと)】は共に栗形。ネットで一番多かったのは熱海市の「菓子舗間瀬 1872年」✖【伊豆の山づとー伊豆の山からの美味しい土産】はきんつば仕立てのオリジナル。
はまぐりの貝殻に琥珀羹、真ん中に味噌味の浜納豆の組み合わせ、磯馴籠(そなれかご)に入ったハマグリは潮干狩りのみやげ物にみえるとネットでは書いていますね。(2024.2.14)
ケーキ・スイーツ
それまでは唐菓子(トウガシ)一辺倒の世界から、安土桃山時代から南蛮菓子は交易の始まったスペイン、ポルトガル、オランダ語からの【カステラ】(「福砂屋 長崎市 1624年」、写真「松翁軒 長崎市 1681年」)や【ボーロ・丸房露】砂糖菓子の【金平糖】など。これらはもう和菓子の世界になっています。意外なのが【ビスケット】、【プディング(プリン)】は江戸時代か外国人向けとして知られていました。
項目としてチョコレートやチーズ以外の材料(フランボワーズ、カシス、ビスタチオ等)の菓子名も取り上げようとしたのですが、上級生菓子の菓銘と同じように個々の世界を作り上げているので諦めました。
焼き菓子
《ビスケットと仲間》
【ビスケット】が一般にいきわたったのは販売の最初はいつもの先駆け「米津凮月堂(東京凮月堂)」が横浜の外国人居留地の西洋菓子屋から教わっていたものを1875年に販売開始。この店は【シュークリーム】も1884年販売。
今やレトロ世界に入っている【ロシアケーキ】、大きめのハートや花の形のジャム入り焼菓子。
「新宿中村屋」はいくつかの外国のお菓子を作っていますが1931年にロシア人菓子職人 スタンレー・オホツキーを雇いロシアパンやロシア菓子(ロシアケーキ)を販売開始しています。
見た目は同じ【ドライケーキ】✖「銀座ウエストー1962年から販売」はクッキーより大きくしてナッツやジャムをのせて華やかにデコレーション、「近江屋洋菓子店 淡路町 1884年」もおなじ。
「泉屋 麹町 1927年」はアメリカの宣教師の奥さんから習ったクッキーを最初京都、1937年より東京で販売しています。
多くの西洋菓子店やお菓子メーカーもチョコやレーズン、ピーナッツ、チーズ入りの形も種々なクッキーを発売しています。
後に手作り風アメリカのメーカー【ステラおばさんのクッキー】✖「アントステラ 1982年」も進出、焼きたてを売っています。同じコンセプトで1984年には「不二家」が【カントリーマアム】を発売開始でした。
《フランスの焼菓子》
仏系パティスリーでも焼菓子の意味の【プティフール、プチフール】は小さな竈、竈の隅の方で焼いたもの、窯で焼いた小さな乾菓子の意味【プティフールセック】。【サブレ】はサブレ公爵夫人とサブレ"砂"ようにほろほろとこぼれるお菓子の意味。
アパレル系『無印良品』でも売っている白い丸いアーモンドクッキー【ブールドネージュ】。パティスリー系では「パティシェシマ」・「プラネッツ 大泉学園 2001年」✖【ブールネージュー英語のスノーボールの名もある雪玉状のお菓子】。
新しい店では「アステリスク 代々木上原 2012年」。インスタ映えの菓子缶ブームで人気「西光亭 代々木上原 1982年」✖【くるみのクッキー】も似ているお菓子。
日本の最初の頃はアーモンドではなく馴染みある胡桃がこの菓子には使われていたのでしょうね。
こちらの店は3種の焼菓子のみの店で【雪月花】という菓子は日本の【落雁】とスペインの【ポルボロン】の組み合わせの和洋折衷菓子となっているとのこと。(お店のXエックスより)(2024.2.5)
【ポルボロ】✖「成城アルプス 1965年」【ボロンー1995年発売】✖「銀座ウエスト」もありますが、今は【ポルボロン】が多くなっています。スーパー成城石井、カルディ、お菓子メーカーシャトレーゼなど。わかりやすい【ほろほろクッキー】の呼び名も見受けます。【ほろほろり】✖「テラセゾン 東京駅内 2007年」
3回唱えると幸せを運ぶお菓子として抹茶や和三盆、きな粉、紅茶、レモンのバージョンの拡がりを見せています。
パティスリーではサレ=塩味が人気で【プティフールサレ】✖「オーボンヴュータン 尾山台 1981年開店」【サレフロマージュ】✖「パティシエシマ」【プティ・サレ・アペリティーフー食前酒の意味でつまみのプティサレ】✖「シェリュイ 代官山 1980年開店」【フールセックサレ】✖「アトリエうかい 横浜市 2013年1号店」。
フランス正統パティスリーの「イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ」は命名に飽いてか?【塩味のクッキー】、解りやすい!!
《レーズンとバターのサンド菓子》
「小川軒」で働いていた「欧風菓子クドウ 大和市 1972年、以前銀座、南青山にあり」は一番わかりやすい【レーズンクッキー】です。ほか仏語葡萄の単語【レザン】✖「しろたえ 」
以後菓子メーカーが生地を抹茶入、レーズンをリンゴ、苺、栗、小豆餡など変えて、多くのバリエーションを増やしています。最高級のバターサンドの形容の【エシレバターサブレ】✖「エシレ パティスリー オ ブール」は最高級のバター『エシレバター』を使用。パイ生地にした【シュガーバターの木】✖「グレープストーン」も。
形も長方形から丸形も増え現在瀑上がりのお菓子です。プレス機で押し焼きの正方形のバターサンド専門店「プレスバターサンド 東京駅構内 2017年1号店」駅を拠点に大人気中。
フランス発祥かは不明ですがフランスのチーズ専門店の「ベイユヴェール 麻布十番 2017年」✖【サンドオブールーバターサンドの意味】6種類の丸いタイプ、定番ラムレーズンもありますが、さすがチーズ屋さん、ミモレットというチーズ入りもあります。
いわく、バターを厚めにした切り口のビジュアルの萌え断の華やかさ、バリエーションが豊富でいろいろな好みの対応、生地はビスケット、サブレ、シリアル、パイ、ダックワーズもありのでいろいろな食感。中味は季節の果実の風味の多種。なにより土産物としてそこそこの賞味期限で買いやすく、冷凍庫にいれてアイスケーキ、冷蔵庫でバタークリームのミルキィーさがある等々。
果物店の「千疋屋」✖【プレミアムバターサンド】からもっとも高価なケーキがあるニューオータニ「SATSUKI(サツキ) 紀尾井町 1998年」✖【SATSUKIレーズンサンド】までお土産物として重宝なお菓子でした。
世の中には知り合いにもひとりいますが、干し葡萄、レーズン嫌いの方が少なからずおいでです。
その中の一人が「(NO) RAISIN SANDWICH(ノーレーズンサンドウィッチ)」をネット店舗として立上げていました。有名レストランのシェフとパティシエの監修もあり季節果実の組み合わせがユニークなタイプ。
『レーズンとレーズン以外のものをサンドしたお菓子』のコンセプトでレーズンもありますが、【甘夏カシューナッツサンド】【春いちごティラミスサンド】【くるみコーヒークリームサンド】など珍しいタイプ。
全国でも季節をイメージしたバターサンドがありますが、それより工夫がなされています。 2023.11.25)
◆追 加((2024.8.10)生地の色と中味のバターののバリエーション。紫色の紅イモガレットバターサンド、イスパパンの「ピエール・エルメ」とのコラボの【プレミアム イスパハン サンドイッチ】はバラ色です。
中味も増えたのは季節の果物いちご、レモン、桃をいれたバタークリーム、和の小豆、餅入り入も。
2024年にオープンの「ラバース 代官山 2024年」はショコラティエの手に寄る【カカオバターサンド】はカカオのバターを使ったサンドです。
同じ意味のドイツ語の二度焼く【ラスク】、もともと残り物のパンの再利用商品、それをお菓子にした【グーテデロワー王様のおやつの意味】✖「ガトーフェスタハラダ 高崎市 1901年」は2000年から販売、多くの店が続きパン以外のラスクも作り出しています。
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《ドゥミセックーフランスの半生菓子》
フィナンシェ追 加
120年前のパリの証券取引所近くのサン・ドゥニ通りの店の菓子職人ラヌが手の持って気軽に食べられるお菓子としてフィナンシェ発案。「アンリシャルパティエ」のほかに「エミリーーフローゲ 立川市 1980年、創業時から発売」「ダロワイユ」が作っていましたが、近年焼き立て、高級志向へ。
「エミリーフローゲ」も2022年のリニューアルで時間指定で焼きたて【フィナンシェブール・フィナンシェビスキュイ・フィナンシェコンテ】3種販売中。
焼き立ては残念ながら今年閉店の「パティスリーセレネ 根津 1989-2023年」✖【15分後のフィナンシェ】で発売していました。
最近のは良いバターを使う事をこだわり皆ビジネス系の新ブランド、【バターフィナンシェースイス製バターを使用】✖「バターバトラー 2016年、シュクレイの駅中ブランド、新宿・渋谷店舗2019年」(ここは【メープルフィナンシェ】の「メープルマニア」のブランドも)
フランス語に詳しい記事を読むとホントは【フィナンシエ】と発音とか。
フィナンシェとほとんど違わない【フリアン】(フリアンは四角、溶かしバターを使うなど)は大森由紀子さんのHPによればかつてパリの『サロン』のお茶会に出されたプティフールを形容詞のFriandフリアンー大好きな・素晴らしい味のーで"皆が好きなお菓子"の呼び名になったそう。フランスではフィナンシェをこの名では使わないようです。
『食のフランス事典』は別の説、もとソーセージを詰めたミートパイからfriant美食家を語源として20世紀になって"うまいもの"の意味となる。
それをフィナンシェの生地を四角や船形に焼いた小さなケーキにもこの名がついたとか。
【フリアン】の初見は「先に上げたように「パンドラ」かなと思っていたら、一件お向かいにあった「ルコント」でも作っていた記事を見つけました。こちらは長方形(【フィナンシェ】と同じ)でしたが、「パンドラ」にかつて居た「トワグリュ(苗字三鶴の仏語) 熊本市 1984年」は創業当時から同じ四角。
人気はレストランのお土産にも広がっていてかつては高級風で賞味期限が長い【パウンドケーキ】が多かったのが同じ理由で【ラリアンスフィナンシェ】✖「L'Alliance(ラリアンス)」・【トリフフィナンシェ】✖「クラフタル」・【焦がしフィナンシェ】✖「ドルチェタクボ(イタリアンTACUBOのパティスリー) 代官山 2021年」
当然ながら和菓子屋のフィナンシェも、黒胡麻きな粉と抹茶小豆の【和フィナンシェ】✖「船橋屋(『茶屋と名物から』)掲載」
パティスリーの裏事情としての情報では卵白が製造過程で余り気味でフィナンシェはそれを消費するには役にたつ側面もあるそうです。
ショコラトリー【ティグレ】✖「デリーモ 赤坂 2013年」焼き菓子が充実のパティスリーは【ティグレ】のほかに【ティグレパッション・ティグレフランボワーズ】✖「「アステリスク」。
新店で生地にいろいろ変化させているのは神奈川県のパティスリー「メゾンジプレー 中央林間 2017年」はバナナ、コーヒー、抹茶、きいちご等、真ん中のチョコレートとチョコチップは変わりありません。
もっと古い仲間はフィナンシェのもとになったスイーツがあります。【ヴィジタンディーヌ】、混ぜ方や焼の温度が違うそうです。
ロレーヌ地方の1610年設立の『聖母訪問会』で作られそれを作っていた修道女の呼び名です。古典を得意とする「オーボンヴュータン」はフイナンシェはなくてこちらがあります。
同じく老舗「シェリュイ」も、ただ原型花型を刻印した丸い型ではなく、フィナンシェとおなじ長方形。丸型は先の「「アステリスク」にあります。
ネットでトップに上がってくるのは「シェシバタ 岐阜県多治見市 1995年」スペシャリティとして楕円形【ヴィジタンディーヌ】を自慢の逸品としています。 (2023.11.25)
「小川軒」の【ダコワース】仏語まんまのダコワーズの名のもありますが、ほとんどはダックワーズの菓子名。
恐らく本好きの方は読んだことはないけどガイド文によく出で来るプルースト『失われた時を求めて』の回想の発端になるマドレーヌと紅茶のフレーズで知ったという方は多いと思います。フランスの文化の香は言い過ぎ?。
【マドレーヌ】は菊型で最初販売したのは「米津凮月堂(東京凮月堂)」、吉田菊次郎氏によると参考にしたのが似ている【パンドジェンヌ】というアーモンド菓子だそうです。戦後昭和20年代後半に焼き菓子で人気の「ゴンドラ 九段下 1933年」も独自の円型。
菓子名は変わらない「神田精養軒 1965ー2009年」アルミ製小さいの菊型のマドレーヌが懐かしい。
この項目の中で比較的新しい「リョウラ 用賀 2015年」はあえてこの旧タイプの菊型【マドレーヌオブールーブールはバターの意味】、日本人が親しんだ【パンドジェンヌ】タイプを大事にしているそう。
名前を替えている【ボンフルール】✖「ボンガトウ 駒込 1977年」【コキアージュー貝の意味(普通のマドレーヌもあります)】✖「アステリスク」
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《ワッフル》
同じく「米津凮月堂(東京凮月堂)」からのは【ワッフル】が始まっています。古代ギリシァ時代からのパンの名から起源のとても古いもの。焼き型の見た目で蜂の巣のラテン語由来のwâfelaウェーハからオランダ語wafe・フランス語gaufre・英語waffle。
「米津凮月堂(東京凮月堂)」は1890年に手に入れた型でウエハースをお菓子として発売したのですが、売れず。カステラ生地にして餡子を柏餅のようにして売り出したところヒット。
1904年「新宿中村屋」がカスタードクリームを挟んだワッフルを販売。「コロンバン」もあんずとバニラの2種、1930年発売と続き大人気になりました。2013年に発売中止していたのですが、2021年に果物を挟む【フルーツワッフル】を売り出しています。
若いころ山崎の【まるごとバナナ】に出会いました。とても美味だった記憶が残っています。
【まるごとバナナ】は最初に秋田県のパン屋さんが【バナナボート】で売り出し山崎製パンと提携したものとか(ネット『北の菓子菓風』より)。
今もコンビニスイーツとして同じ形の【バナナオムレット】として売っています。
【オムレット】の元は「レストラントップ 自由が丘 1953年頃」は1960年代に【オムレツケーキ】を発売して、バナナだけでなく他の種類もデパートに売っていた記憶があります。レストラン閉店後東横線のガード下の小さな店で売ってましたが、いつのまにか閉店。
今も仏語オムレツの意味の【オムレット】の名で老舗のメニューにあります。フルーツの「千疋屋」バナナの「マッターホーン」バナナといちごの「ゴンドラ」など。(2024.6.18)
「凮月堂」の定番の仏語の【ゴーフルー1927年発売】はまったく別物のせんべい状焼菓子。
「マネケン」の【ベルギーワッフル】はベルギー製リエージュワッフルの甘い丸型、ドライイーストで膨らます硬めに焼き上げたもの。
ほかにベルギーにはブリュッセルワッフルがあり甘味ひかえめ、長方型は古くから果物やアイスクリームを載せたメニューで喫茶店(「ノアカフェ 原宿 1971年」ほか)で愛用。
アメリカのワッフルはベルギー経由で伝わったようですが、お菓子ではなくパンケーキと同じ朝食食事メニューで塩味系もあるタイプ。カフェやホテルでもメニューに上がっています。
元に半周り戻ったのように日本人に馴染むようにと小さい長方形にあずき、抹茶、チョコ、季節のフルーツを挟んだのは「エールエル 神戸市 1991年、恵比寿1994年」✖【ワッフルケーキ】は異業種から参戦。宝石店のような黒い色の店づくり、店名も有名なガラス工芸家ルネ・ラリックのイニシャルから。
《マカロン》
最後は焼き菓子の花形スター、流行の【マカロン】はイタリア語から、カトリーヌ・メディシェの婚礼とともにフランスにやってきてたお菓子。パスタのマカロニと同一の語源イタリア語で「練った生地を切った」意味。
アーモンド粉のフランスのマカロンは「ルコント 六本木 1968年」が最初に売っていましたが人気は出ず、販売中止。
その後「ダロワイヨ」✖【マカロン・リスーlisseリスはすべすべした意味】を華やかに売り出し、「ピエールエルメ」がパリから、と彼がいた大本家の「ラデュレ 銀座 2008-2023年」進出、【マカロンパリジェンヌ】というもうひとつのマカロン・リスの別名で2000年代から人気に。
ホテル「西洋銀座 1987年」✖【銀座マカロン】はマカロン生地のレーズンバターの中味でした。
かつて『日本の最中のようなケーキ』と表現していたので「六雁 銀座 2004年」✖【白いマカロン】白味噌・黄柚子・抹茶等和風の世界にも進出しています。。
フランスには250種類を超えるマカロンが存在、【マカロンプロヴァンス】【マカロンサンテミリオン】【マカロンドコルネリー】と地名が付く、日本の煎餅のように地方ごとに特色があります。
【マカロンダミアン】✖「メゾンドプティフール」はピカルディ地方アミアンの焼マカロン。(東洋経済オンライン『蘊蓄の箪笥』HP参考)
似ているお菓子はアルザス地方のお菓子をベースにした【ビアリッツ】✖「ピエール 池ノ上 1971年」、お店のHPではオリジナルマカロンの説明があります。
「モロゾフ」が1971年の発売の【アルカディアー古代ギリシア理想郷の意味】はマカロンと同じ生地で焼いたナッツ類トッピングのマカロン風クッキー、同じくリーフパイに似た形のナッツを使った【ファヤージュー仏語の木の葉】も1986年販売。
シュー生地菓子
日本語の造語からの和製英語【シュークリーム】が最初です。【シューアラクレーム】は仏語の形から野菜のキャベツがクリームでできた意味、英語【クリームパフ】。
この菓子も上のマカロンと同じくイタリアから嫁入りしたカトリーヌ・メディシェに同行した料理人が1540年考案、最初はポペリーニというクルトン(スープの実)用パンの一種だったようです。chaud火にかざした熱いpâte生地としてシュ生地の名がついたそう。
お菓子になったのは1798年、パリの「バイリーまたはバイイー」のパティシエのジャン・アヴィス【パートアシューーキャベツに似た丸い生地】を、その弟子のアントン・カレームが【シューアラクレーム】で中味にクリームをいれて、以後数多くのシュー生地由来のメニューを完成。(『フランス食の事典』、シューライフHP参照)
《シュークリーム》
先に書いたように「米津凮月堂(東京凮月堂)」が【シュアラケレーム】を1884年の売り出しています。横浜外国人居留地サミュエルピエールの洋菓子店、幕末からあり日本最初の発売店とも。
「米津凮月堂(東京凮月堂)」の職人が修行した「横浜八十五番館」で同じく修行していた東京の「村上開新堂」も同時期に販売。「自由が丘風月堂 1956頃-2011年閉店」ではかつてこの最初のレシピ(シュ・ア・ラ・ケレーム)の商品名で販売していました。
同じものだけど少ない呼名【シューパリジェンヌ】✖「パティシエシマ 麹町 1998年開店」【シューパリゴーーパリ野郎の意味】✖「オーボンヴュータン」・「レピュキリアン 吉祥寺 1996年開店」三つの味のシュークリームをセットした【トリオシュー】✖「柏水堂」英語の【クレームパフ】✖「神田精養軒」
新しい感覚の【シュークロカンー食感のカリカリした意味】✖「モンサンクレール 自由ヶ丘 1998年」、フルーツがたっぷりのった【キャトルセゾン】✖「マルメゾン 成城 1977年開店」イタリア系の【カーヴォロー伊語キャベツの意味、3種のパイ、サブレー、シュー生地】✖「ラトリエモトゾー」
《シュー生地菓子さまざま》
軽い生地が好まれ多くのバリエーションがフランスで生まれています。シブーストが考案した地名の【サントノーレー菓子職人の守護聖人である聖オノレの名前で通り名】✖「ルコント」・「ラヴィエヨフランス 千歳烏山 2007年」、パイ生地の上にシューを丸く王冠状に並べ真ん中はクリームを絞る形。なぜか新しい店に人気でクリームがピスタシオ、柚、バラ、桜、マロンとバラエティ豊かなシュー菓子。
【パリブレストー1891年にフランスの自転車レース、パリ・ブレスト・パリの開催を記念してパティシエのルイ・デュラン考案】はアントルメ(大きいホール状が多い)が中心。
小さなパリブレスト形の【リングシュー】は1952年から提供の喫茶店「アマンド」が有名、喫茶と甘味のの二本立てのカフェの先駆け。食べやすさを重視してのこの形とか。
形状からの【エクレアー稲妻の意味】は「不二家」が最初に世に出しています。地味な見た目からシュークリームほど日本では人気がありませんでしたが、パリでは手軽に歩きながら食べられるので人気。
エクレア専門店「パティスリーサダハルアオキ 丸の内 2001年」がパリから進出で華やかな豪華に飾ったエクレア(エクレール)を見かけるようになります。
「アンダーズ東京ペストリーショップ」では長さを替えてスモール・ラージ・ロングのエクレア、スタバのコーヒーのような選択技!
ビジネス系老舗「ヒロタ 大阪市 1921年、吉祥寺1969年」はシュークリーム実演販売から1964年販売開始【シューアイス】で有名。
【パイシュークリーム】というシュー生地をパイ皮で包んだ硬めのシュークリームのチェーン店「ビアードババ 1999年1号店」のような駅中心にできていて、日常的に出来立てシュークリームが食べられるようになっています。なお、シュークリームから中村屋がクリームパンを発想したそう。
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スポンジ、バターケーキ
《ショートケーキ》
ケーキの先陣が【ショートケーキ】です。考案したのは「不二家」と「コロンバン」の苺が載ったスポンジケーキです。
「コロンバン」も吉田菊次郎氏によれば昭和初期から1933年頃には販売していたとのこと。
【ショートケーキ】を戦前から販売、戦後もすぐ販売開始した「近江屋洋菓子店」はトルテ型もありますが、ホールケーキの小型【苺サンドショート】が人気。ホテル系列や高野フルーツパラー、資生堂のような老舗はこの【ショートケーキ】の名が定番です。
ホイップクリームの意味で【シャンティー大コンデ公の館の在った町シャンティイ、ここの料理長が発案のクリーム】✖「マルメゾン」からの新しめの【ガトーシャンティーフレーズ】✖「レザネフォール 恵比寿 2012年」・「カーヴァンソン 神楽坂 2006年」【シャンティフレーズ】✖「エーグルドゥース 目白 2004年」の名。
生地の名を付けた【ジェノワーズフレーズ】✖「シャンドン 下北沢 1977年、渋谷から2009年移転」
「クリオロ 小竹向原 2003年」✖【ショートフレーズ】は英語と仏語ミックス
「イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ」✖【苺のショートケーキ】・【オレンジのショートケーキ】があるように、葡萄やメロンやマンゴーのほかのフルーツを使ったショートもあります。
似いてる苺のバタークリームケーキでフランス語のの苺の派生語の【フレジエ】✖「ルコント」・「アポワン 八王子市 1992-2012年」。「パティスリースリール 目黒区五本木 2005年」のようにバタークリーム【フレジェ】と生クリーム【ガトーフレーズ】両方も。「リョウラ」も【シャンティーアラフレーズ】と【フレジエ】新しいのはピスタチエのクリーム、生地【フレジエピスターシュ】✖「エキリーブル 西五反田 2022年」
スポンジ・バターケーキは店の個性を強く出せるため、ショートケーキ以外は独自の菓子名になっています。個性的な仏語の市松模様の意味【ダミエ】✖「マッターホーン」、東京には見つけられないのですが、全国にはネットに上がっています。同じ市松模様の【モザイクケーキ】✖「銀座ウエスト」はここだけのよう。
材料名での味の塩キャラメル、マカロン、クッキー、パウンドケーキにも付けている【キャラメルサレ】✖「リュードパッシー」はこの店人気のバターケーキ。
フランスではサクランボ、スリーズのジャムとピスタチオバタークリームの層になった【スリーズ】✖「モンサンクレール」
木苺のフランボワーズ使用の微妙重なり【ガトーフランボワーズ】✖「ルコント」【フランボワジェ】✖「パティスリースリール」【フランボワジエ】✖「イデミスギノ」、クロスグリのカシスの【デリスカシス】✖「ノリエット」
菓子名の由来は不明で(ハーブのマジョラム、甘いミルキィーな香料の仏語はmarjolaineマルジョレーヌが『食のフランス事典』には載っています)アーモンドとヘーゼルナッツの生地にガナッシュとプラリネクリームと生クリームを5層に重ねたケーキ、閉店に依りレシピのみ、少数のパティスリーの在りました。
【マルジョレーヌー店の店名の由来のヴィエンヌの古代ローマ遺跡ピラミッドをレシピ通り粉砂糖で表面に描いてありました】✖「ノリエット」・「東京洋菓子倶楽部 浜町 1987年」。FR「ロイヤルホスト」のネット販売の【ガトーマルジョレーヌ】にも粉砂糖のピラミッドがついてました。
かつては高級レストランのパティスリー「サロンドテクレッセント」にもありでしたが、老舗にはあまり見かけずで、載せませんでしたが、今回新しい店をみていたら増えていました。理由が2015年NHKの朝ドラ『まれ』のヒロインのパティシエが作っていたケーキとして人気が急上昇。作っていた店でも売れ残りが減ったとのこと。高級ホテル「ラ・パティスリー by アマン東京 大手町 2021年」のようなアフタヌーティーのメニューや最新の新店「Think(シンク) 上野桜木 2023年」にも【マルジョレーヌー記事によりガトーマルジョレーとなっています】があります。(2023.11.25)
《モンブラン》
【モンブラン】は『変幻自由の甘味デザート』(店名は「モンブラン」)であげたとおり日本の命名でこの名が当然多いのですが他も頑張っています。同じ名でも形も味も皆工夫してそれぞれ違う【モンブラン】です。
日本風の土台の下地がスポンジなのをフランスのように土台はメレンゲに、クリームシャンティ、マロンクリームしたのは「ルコント」。何よりマロンクリームの色が日本の甘露煮から作った黄色(親しみやすい栗きんとんのイメージ)からマロングラッセの薄茶色になったのが大きな変化。(それを調べた記事もネットにありました!)
元祖「アンジェリーナ(『変幻自由の甘味デザート』)」のようにコロンとした丸型(ネット記事によるとフランス側からのモンブランの姿とか)で薄茶色がこの店進出以後増えていきます。
新しい店ではアルザス地方の【トルシュオマロンー栗の松明の意味で形が似ている】✖「エーグルドゥース」のように背が高いお山の形も増えています。「ダロワイヨ」は珍しいピラミッド型、ブログ情報ですが2020年から変わったそう。
「マテリエル 大山 2010年」のようにイタリアの栗を使った【モンブランイタリエンヌー栗がイタリア製で鋭角の山形】と【モンブランパリジェンヌーフランス産栗】日本の【和栗モンブラン】と栗の産地でわけている店もあります。
大本家のイタリア名でも【モンテビアンコ】✖「ソルレヴァンテ 青山 2005-2014年、同じパティシエの「ラトリエモトゾー 池尻大橋 2018年より」、白いクリームが鋭角な山に載る形は、イタリア側から見たモンブランの姿だそうです。
色も抹茶やほうじ茶、青く染めたモンブラン!も登場。ほかの味をプラスのアレンジ型もあり、【カシスモンブラン】【ショコラモンブラン】など。
今の流行の作って即食べるモンブランは「エスワイル 神保町 1951-2011年」で既にありました。【モンブランオマロン】・【マロンシャンテイィ】の2種類、専門カフェだけでなく、パティスリーでも「プレジール 代沢 2007年」【搾りたてモンブラン】の名であります。
『変幻自由の甘味デザート』で上げたようにカフェ、専門店、パーラー、レストランの〆のデザートとしての和栗とかイタリア産栗と様々なさつま芋など材料にこだわる方向へ。
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《パウンドケーキ》
焼き方や生地も様々なこの分野、英国【パウンドケーキ】、ドイツの【バウムクーヘンー1919年販売】✖「ユーハイム 神戸市 1909年」アメリカの1927年発案【シフォンケーキ】✖「フレイバー 名古屋市 1976年」、東京は「ルエルドゥドゥリエール 西麻布 1978年」を最初の頃と思います。
後の二種は個性が強いのか専門店が中心で、仏系パティスリーには少なく菓子名の変化もほとんどないです。ホールが大きいのでカットして一人分焼菓子として売っている店も多いです。
古い起源なのはバター生地【パウンドケーキ】。18世紀イギリス発の保存のきく干しプラムが入った材料を1ポンドずつ使うことから。仏語【カトルカール、キャトルキャール】は小麦粉・砂糖・バター・卵4の分の4の材料から。
日本での最初は不明、老舗と新店1店、生地だけの【パウンドケーキ】・【オレンジケーキ】・【ショコラゴンドール】✖「ゴンドラ」【カトルカール】✖「エスワイル」【特選パウンドケーキ國輝ー創業者の名】✖「コロンバン」【パウンドケーキ】✖「エーグルドゥース」。
レモン風味では【シトロネル】✖「ルパティシエタカギ」や他にこの店ではオレンジの【ケークオドランジェ】。フルーツ以外で【ガトーキャラメル】✖「アラボンヌー 赤坂 2000年」、和風の抹茶も。
多くのパティスリーにある仏語【ケークフリュイまたはケークオフリュイ】✖「コロンバン」・「ラヴィエイユフランス」・「リョウラ」、新旧ともに散らばっています。【フリュイロワイヤルーroyaleは王、王室のの仏語】✖「銀座和光」はロワイヤルシリーズのひとつで販売、少々変則のフランス視線の【ケークアングルー仏語イギリス風ケーキ】✖「オーボンヴュータン」。
こちらは英語の洋酒とフルーツがたっぷりはいった【フルーツケーキ】✖「ルコント」は創業時よりのスペシャリテ。
お店のショーウィンドウの位置では二番手に当たる場が多いようで、凝ったプチガトーに比べ解りやすい材料名の菓子名が多いようです。品揃えが多い店から【ケイクオランジュノワゼット】【ケイクオショコラエフィグーフィグはいちじく】✖「「アステリスク」・【キャラメルプリュノーープリュノーは仏語プラム】・【ショコラグランマルニエオランジューグランマルニエはリキュール酒】✖「エリティエ」・【ケークアラトリュフショコラ】・【ケークオーシシリアンーピスタチオの産地】✖「エーグルドゥース」
このタイプも中身が豪華な栗や小豆、芋入りも増加中。日持ちがとても長いので高級ホテルの高価な手土産も多いケーキです。
《ロールケーキ》
人気の【ロールケーキ】の普及は意外と新しいです。【ロールケーキ】の名は1950年頃山崎製パンの【スイスロール】で知られてきました。スイスの【ルーラード】からのスイスロールがヨーロッパの地でロールケーキの一般名称でした。
洋食「小川軒」のレストランで1960年代頃から出していた【ショコラスフレ】・【マロンスフレ】は小麦粉を使わないスフレ生地で生クリームを巻いています。
ロールケーキでの命名は生地と中味のクリームの種類で決まるよう、【スフレオランジュ】✖「トロンコーニ 駒込 1995年」【フレッュロール】✖「パティスリースリール」【ルレ抹茶ールレ仏語ロール、巻いてある】✖「エコールクリオロ」【キャラメルモカ】✖「パティスリープラネッツ 大泉学園 2001年」。
東京で人気なのはモンブランでも有名なイチゴジャムと生クリームの【苺ロール】✖「イナムラショウゾウ」、カットしたプティガトーもありますが、全体はクリスマスの定番の【ブッシュドノエルー仏語の薪の形のクリスマスケーキ】の苺タイプの形。
和風系が多くなり抹茶や小豆、きな粉、胡麻、米粉の生地も出てきました。
次に評判なのはフルーツ入【トライフルロールーイギリスのデザートのトライフルを巻いたもの、1992年の開店時から販売】✖「パティスリーキハチ 1992年」【ルレオフリュイールレは巻いてあるフリュイはフルーツ】✖「パティスリーサロンドゥテアミティエ 神楽坂 2007年」、名前が仏語春の【プランタン】✖「マルメゾン」四季の意味の【ルレセザン】✖「アレグレスヒロオ 広尾 2007年」
最後ラスボスに大阪の「モンシェール 2003年」の地名の【堂嶋ロール】、あまりに売れて手間を省いてクリーム多めの一巻きロールです。
生地からクリームを味わうタイプに替えた今の主流ロールケーキ、地名が多いので上げてみました、【原宿ロール】✖「コロンバン」【自由ケ丘ロール】✖「自由が丘ロール屋 2002年」【東山ロール】✖「パティスリー1904(ディズヌフソンキャトル) 池尻大橋 2005年」【上原ロール】✖「「アステリスク」
タルトはオランダ語のケーキのタルト、またはポルトガル語のトルテに由来する言葉。明治以降一般に和菓子として普及、「一六本舗」以外もいろいろな和菓子店が郷土菓子【愛媛タルト】として販売しています。(2024.2.1)
パイ・タルト菓子
《パイ菓子》
日本では明治時代1907年前後に作っていたお菓子を再現した『日本洋菓子史 日本洋菓子協会 1960』の中に【フレンチパイ】【アマンドパイ】【ウォールナッツパイ】、タルト【タルトアナナス】とあり一個4銭から5銭(今の価値千円位)であったそうです。
「アンナミラーズ」創業者の祖母の家庭料理からで、形容詞にホームメイドがアメリカンタイプにはついてきます。写真は同じコンセプトの【アップルパイ】【チェリーパイ】等ある「バビーズ(グランマ、おばあちゃんの意味、アメリカの地方、家庭料理) 二子玉川 横浜市2009年」
一口パイの「ルポゼ 都立大学 1973年、最初表参道」も食材系【りんごのパイ】【チョコナッツパイ】(「ルポゼ」のメニュー『コーヒー・ケーキの店 1980年』には仏語フィス、フィユ、ベベのメニュー名も)
《タルト・タルトレット》
1990年代から現在は様々な季節の生フルーツを盛り込んだ【フルーツタルト】全盛時代。
老舗「近江洋菓子店」も【モモタルト】【マンゴーのタルト】【イチジクのタルト】季節のフルーツが並ぶのは同じ。フルーツタルト店「ア・ラ・カンパーニュ 神戸市 1991年」「キルフェボン 表参道 1996年」等もアメリカンパイと同じく載せているフルーツ名です。
今はホールをカットして売る時代ですが初期の頃はタルトレットという小さいタルト中心。「ルコント」の【タルトオフレーズー苺のタルト】【タルトシトロンーレモンのタルト】、他の店でも果物以外では【チョコタルト】が定番化しています。老舗では「池ノ上ピエール」✖【生チョコタルト(ショコラ)】
《ミルフィユ》
パティシエが作るフランス系は【ミルフィユ】、カスタードクリームを何層か挟み込むパイ。【ミルフィユ】とは千の葉の仏語、薄いパイ生地の形容で、笑い話で訳し方が不十分な時代は『ミルフィーユ』が定着し『千人の少女』となっていたそう。今もこの呼び名は使われています。
更に小さく一口大のチョコレートをコーティングしたのが【ミルフィユ】✖「ベルン 目黒区鷹番 1948年」、三層のパイ生地にクリームを挟んだ1965年から販売。「フランセ」「メリーチョコレート」も出しています。
昭和中頃まで苺が春のみの果物のため「エスワイル」✖【パリジェンヌ】は春のみ提供した生クリームと苺を層にしたパイ。
《フランスのタルト》
日本では【タルトタタン】は最初が喫茶店(開店時はレストランー『洋の場合ー喫茶店から』の中の京都「LA VOITURE(ラヴァチュール) 1971年」』)の名とともに有名になったのでカフェで名物として、フレンチ系カフェ(「ドゥマゴパリ」「吉祥寺リベルテ」「ブベット」)でよくメニューにあります。
伝統菓子なので菓子名には変化なく、一店、りんご1kgも使う日本語での【かまどのりんご】✖「ルクールピュー 荻窪 2002年」は秋の楽しみ。
りんごは人気で【ショーソンオポムースリッパの形のパイ】✖「ヴィロン 渋谷区宇田川町 2004年」・「オーボンヴュータン」・「オープティグルマン 町田市 2006年」ほかには【ノルマンドーノルマンディー地方のアッブルタルト】【ペイザンヌー田舎風】✖「しろたえ」
フランスのリムーザン地方のタルト生地を使わない物もある家庭で作る【クラフティーーこの地方の方言付け加えるの意味】、卵と牛乳にこの地の名産果物さんらんぼを入れ焼く【クラフティー】✖「ゴンドラ」【さくらんぼのクラフティー】✖「シャンドン」【クラフティ・オ・スリーズ】✖「イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ」・「ラヴィエイユフランス」、とリンゴも定番。
《ちいさなパイ菓子》
人気の栗、もちろん大きなホールのマロンタルトもありますが、【マロンパイ】は栗饅頭のようにパイ皮で栗一個を包んだ形です。
比較的新しいお菓子で多くの店で提供していますが、ネットでは【ダックワーズ】発祥の「16区」が開店時1993年から作っている季節菓子。
同名で「アステリスク」「レザネフォール」マロンフェア開催の焼き立て「銀座和光」の最初は【まんまるマロンパイ】から今は四角の栗2個入りのチェンジしています。
和の世界の【和風マロンパイ 綾】✖「笹屋守栄 京都 1937年」。全国でも多く【栗ぱい】【まろんぱい】の菓子名も。パイではなくアーモンド粉で包んだ【マロンフランセ】✖「小川軒」も、栗饅頭に似てます。
日本で広まっているのは焼いたパイ生地だけの【リーフパイ】【パルミエ】、煎餅感覚なのか共によく見かけます。英語の木の葉形パイの【リーフパイ】は「銀座ウエスト 1947年開店」の定番土産でオープンの次の年1948年よりあるそう。「銀座凮月堂」は1985年より販売、たねや洋菓子ブランド「クラブハリエ 1995年」は創業時から。
手軽な手土産として愛用、【スーパーリーフパイ】✖「帝国ホテル(ガルガンチュワ) 1971年」【リーフパイ】✖「ロクメイカン 銀座 1992年」【原宿表参道けやきパイー4種類、けやき並木の四季のイメージ】✖「千疋屋 1834年果物屋創業」。
木の葉形じゃない長方形でスライスアーモンドが載っているタイプもあり【銀座フレンチパイ】✖「コロンバン」【アマンドリーフー1977年から販売】✖「ロイスダール 1972年会社設立」。
珍しい仏語から【ラフイユ】✖「レザネフォール」、イタリアンレストラン【シャラントゥ・ラ・フィーユーシャラントゥポワトゥ地方のバター使用】✖「銀座ルブラン 1907年から別商売で創業」、木一本全体の木の葉の意味【ファヤージュー1986年発売】✖「モロゾフ」まで、長期保存可能なので、全国的にも更に多種のお仲間が有ります。
皆が思い浮かべるのは菓子メーカーの1967年販売開始【源氏パイー発売の次の年のNHK大河ドラマから】はこの【パルミエ】をモデルにした菓子。
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デザート・アントルメ系(ババロア・ムース類その他)
デザート、アントルメからテイクアウト可能なスイーツへ、多くの料理人が関わっています。20世紀初頭はアントン・カレームの、バタークリーム中心のアントルメ。
それを1947年創業したガストン・ルノートル氏が生クリームと新鮮なフルーツの軽いアントルメへ、それだけでなくそのメソッドを学校を創り公開していきます。
『フランス菓子界の父』ガストン・ルノートル氏の店は1979年に西武百貨店内にオープン。、日本の多くのバティシエが修行したり、関係のエコールで学び、影響恩恵を受けた店です。
1960年代の「ルコント」は多くのフランスのケーキの名前と形、調理法を日本人パティシエが継いでいます。でも1980年代の「ルノートル」はケーキ・スイーツに見える形ではなく、その考え方を吸収、発する応用・進化をそれぞれの形や名前に表現していきました。
写真はここ出身の『パティスリー界のピカソ』『パティスリー界の魔法使い』と呼ばれる「ピエール・エルメ」“食べるアート”を洋服のオートチュクールのように季節ごとにコレクションを発表。
《プリン》
最初はプリン、英国からプディングと仏語プダン等から派生した和製英語だそうです。仏語【クレームラヴェルセー後半はひっくり返すの意味】でフランス生まれのお菓子。
家庭料理書やホテルや船上レストランでのメニュー。1950年ホテルニューグランドメニュー【プリンアラモード】、1962年に「モロゾフ」✖【カスタードプリン】誕生。1972年に菓子メーカー【グリコプリン】発売になっていました。
西洋菓子店では1970年頃固め【プリン】✖「銀座ウエスト」、喫茶室のメニューはプリンアラモード風。【カスタードプリン】✖「小川軒」【プディングロワイヤル】✖「エスワイル」【なめらかプリンー1993年発売】✖イタリアン「パステル 名古屋市 1984年」【こぬれプディング】✖「こぬれ 広尾 1998-2020年」
仏語ほかで【うふプリンー仏語卵、容器も卵の殻】✖「キャトル 目黒区柿の木坂 1982年」
なぜか菓子名は様々あります。プリンは卵と牛乳と砂糖と材料も少なく、菓子メーカー、コンビニスイーツ、喫茶店のレトロプリンとライバルが多いスイーツ。名前で違いを見せているのでしょうか。
卵のカスタード味だけでなく抹茶プリン、胡麻プリン、チョコプリン、マンゴープリンと食材系も多く展開しています
古くは「エスワイル」の白ワインのはいった【クレームドオメール】がありますが、どういうプリンかは不明。
柔らかいお菓子ですから、老舗の「モロゾフ」は入れ物のこだわりの記事では発売当時の厚めの陶器のカップからガラス製の軽量化への努力の跡を綴っています。
今現在はレトロ気分もあり入れ物のがプラスチックではなく、牛乳瓶入りのプリンが多く販売。ネット記事からですが元祖は富良野「菓子工房フラノデリス」が2002年から発売の【ふらの牛乳プリン】になるそうです。
ネットでは地方からご当地プリンがネットに掲載、瓶のデザインも様々。東京ではイタリアンシェフ考案【浅草シルクプリン-2006年より】、横須賀市から進出「マーロウ 1984年、レストラン開店、デザートとして」✖【ビーカー入り手づくり焼きプリン】、現在専門店として10種以上のプリンを売り出しています。
《ババロアと仲間》
かつて冷蔵設備がないころはホテルレストラン独占の高級お菓子ババロア系。かつては多くの店にありましたが、今ネット検索ではなぜか喫茶店やレストランデザートメニューが多いです。パティスリーは現在はより軽いムース系にシフトしています。
【ババロア】✖「エスワイル」・「小川軒」、もう閉店で味わえない【ガティネーロワールの蜂蜜ガティネのババロア】✖「ルコント」和風の閉店を惜しむ甘味処【抹茶ババロア】✖「紀の善」。
ババロアらしい【ババロアナチューレ】✖「プレリアル成城 2003年」懐かしいという形容詞付【ババロアエリート】✖「コロンバン」
ババロアのスターは19世紀アントン・カレームによる洋梨やイチゴやリンゴの甘煮入、華やかなイギリス国王の王妃ソフィア・シャーロットの帽子のイメージからの【シャルロットリュスーロシア風】が有名。
原型でも【シャルロットリュス】✖「エスワイル」、何もつけない【シャルロット】✖「マキシム・ド・パリ」の例もありますが、真ん中に入るフルーツで名前が変わり【シャルロットオマロン】✖「ペルティエ 原宿 1984年」【シャルロットオフレーズ】✖「ノリエット 下高井戸 1993年」、名前変えないの青りんご入【シャルロット】✖「クレモンフェラン」も。
《サバランいろいろ》
【アリババ】ができた経過はネットに多くありますが、簡単に言えば亡命したポーランド王が故郷のブリオッシュを食べたくて取り寄せたけど固くなってしまった。それをパティシェのストレーがマラガワインに漬けお菓子にしたてました。
気に入った王が愛読の千夜一夜物語からアリハバと付けたそう、1725年~30年のこと。
その後改良され【ババ】、【ババオラム】、サントノーレの「シブースト」のパティシェがさらに改良して稀代の美食家のサヴァランの名を冠したそう。
古典菓子ですが、結構新しめの店でも【サヴァランオーロム】「エーグルドゥース」・「 イナムラショウゾウ」、【ババオラム】の名では「アディクトシュクレ」。
全く違う名のサバラン【セアルジャン】✖「柏水堂」・【ポンポネットー水兵さんの帽子の意味】✖「ルコント」
古典にこだわる「オーボンヴュータン」ではラム酒漬け【アリババまたはババオロム】と生クリームを絞ったキルシュ酒漬け【サヴァラン】両方あります。
《ムース系スイーツ》
ムースは料理法、泡の意味。ムース菓子が多く広がっていったのは1970年代の出来事。ヌーベルパティスリーがフランスで新フランス料理と同じく淡く溶けていくお菓子の流行は一気にひろがっていきました。
得意とする新しいパティスリーは種類多く「エムコイデ 自由ヶ丘 2011-2019年」の例、【ムースピスターシュ】【カシスムース】【ムースオランジュ】【ムースバナーヌ】【ムースショコラ】これら以外にも2種類以上の組み合わせも多彩
テイクアウトできないお店でのみ味わえる作って1時間以内のケーキもあったこだわり。まさにデザート菓子同様な世界。
「イデミスギノ」の独自のケーキ名で柴田書店のHP『フードラボ』で『あまり見かけない仏語の命名で???の見慣れぬ菓子ばかり』と言ってました。ただフォルムはシンプル、味は複雑、名は地名系と【アブリコロマランーアプリコット杏とハーブのローズマリーの仏語ロマラン】【マングーキャシスーマンゴーとカシス】のような食材系に分かれていました。
最後に【ティラミス】の次に流行した【クリームブリュレー焦がしたクリーム】は「ジョエル・ロブション」が再発見したスイーツ。
日本では最初いちはやく作った店名と同名の【クレームシマ】✖「パティシエシマ」、同じく【オーボンヴュータン】は洋梨のコンポート入り。
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チョコレート菓子
アオイ科の樹木カカオの実(カカオポッド)から作られるメキシコインディオの苦い水を意味するショコラトール。16世紀初期にスペイン人が持ち込み欧州へ、チョコレートそのものは飲み物として江戸時代に長崎に入ってきました。ヨーロッパでもお菓子になったのは18世紀頃から。
最初はやはり1877年「米津凮月堂(東京凮月堂)」、新聞広告に1878年【新製猪口令糖】【貯古齢糖】、その後に今は大手の菓子メーカーの森永や明治が発売、遅れて1964年ロッテがそれまでのアメリカ風からスイスイメージを強調しました。現在のショコラトリーの多くはヨーロッパに寄っています。
《オーストリア等のチョコレートケーキ》
日本でのこのケーキの最初は不明ですが、知られる最初の方は1980年代からドイツ、スイス、オーストリアで修行の横溝パティシエ。「グリョースゴッド 渋谷 1977年」から「中村屋グロリエッテ 新宿 1977年」を歴任した後、今は独立して川崎市百合ヶ丘の「リリエンベルグ 1988年」で日本中に知られた存在です。
その他オーストリア・ドイツ系レストランや「ゴンドラ」・「小川軒」でも販売。
「ルコント」の仏語読み【サッファー】イタリア系【サケル】以外、「レピドール」の【ガトーザッハ】、ザッハトルテは名前は変わらないです。
一店、工夫して自分の名を付けた【ゴッツェトルテ】✖「ゴッツェ 吉祥寺 1978年」、ここで修行した「スイス・ドイツ菓子こしもと 都立家政 2006年」が継いでいます。
反対に色々な菓子名の同種のドイツで菓子職人であったヨセフ・ケラー1927年考案【シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテー黒い森の桜んぼのケーキ】。長いので頭を省略の材料名のサクランボ酒で【キリッシュトルテ】✖ザッハトルテもある「ツッカベッカライ カヤヌマ 赤坂 1987年」・【キルッシュトルテ】✖「ホテルオークラ」・「多奈加亭 吉祥寺 1977年」。
フランス語ではこのケーキは多く【フォレノワールー黒い森】✖「マプリエール 武蔵野市 2006年」・「リュードパッシー」・「レザネフォール」ショコラトリー「テオブロマ 富ヶ谷 1999年」・「ビガロー」。バリエーションでは【フォレノワールアラピスターシュー上にピスタチオクリーム】✖「エーグルドゥース」
英語の【ブラックフォレストケーキ(ガトーとつく例も)】ありますがとても少ないです。イギリスでは1970年代から人気だそうです。
《フランスのチョコレートケーキ》
この店修行の方も多く「マルメゾン」・「パティシエシマ」・「クレモンフェラン」。
アレンジしたのは「ノリエット」は改革・再構築の仏語を付けた【オペラレヴィジオンーチョコムースとピスタシオクリーム】と【オペラピスターシュ】、同名「リュードパッシー」にも。新規の【バンブーー抹茶とチョコの層竹模様を描いてオペラ】✖「パティスリーサダハルアオキ」、ほとんどの店は定番の名
1950年代にはショートケーキのチョコレートクリームを塗るタイプが登場しました。一番ポピュラーなチョコレートケーキ。
有名になったのはアメリカ料理の「トップス」の1964年販売【チョコレートケーキ】、生地がチョコレートではなくチョコクリームがサンド。今は3種、【ブラックチョコレートケーキ】は濃厚な生地とガナッシュクリームチョコ塗。
こちらも定番が多い中、スポンジ・バターケーキと同様に生地とクリームの、ムース系や果実コンフェチュールを組み合わせた工夫で店独特な菓子名が多いです。自らの店名を冠した自慢のケーキも多数あります。
そのなか、あらゆるチョコレートが使われています。チョコの種類の【カラク】✖「シェリュイ」・「ドンク」はヴァローナ社のクーベルチュールのカラク(西インド諸島のカカオの原産地の地名)、チョコビターテイストの苦味の意味【アメール】✖「カーヴァンソン」【ショコラアメール】✖「フロプレステージュ 日本橋 1990年 レストランとして1987年」
【サンフォアキンドス】✖「テオブロマ」はカオ分70%のベネズエラ産チョコレートで、ドスは改訂版の意味です。【サンフォアキン】✖「サロンドゥシェフタケエ 仙川 2000-2015年」同じく「サロンドゥシェフタケエ」の【アカリグアーフランスヴェイス社産アカリグアを使用】同【アカリグア】✖「アトリエドゥテテ 南池袋 1999年」
《ガトーショコラ》
ただ日本では狭く1980年代から一種類の焼チョコケーキの名。仏語はクラシック・オ・ショコラで【ガトークラシックショコラ】✖「ノリエット」【クラシックショコラ】✖「粉と卵」・「サロンドゥシェフタケエ」【ガトーショコラ(通販名チョコレートケーキ)】✖「ビエールマルコリーニ」。
専門店も今はあります。お酒とのペアリングが売りの「ミニマル 代々木上原 2019年」✖【ガトーショコラベイク】【ガトーショコラソフト】【生ガトーショコラ】3種が定番です。仏語+英語の菓子名になっています・
19世紀末の考案のアメリカの【ブラウニーー色の茶色ブラウンから、又はイギリスの茶色の妖精】は一番手軽なケーキ。
パン屋ゃ菓子メーカー、現在の焼き菓子ブームでよく見かけます。最初の専門店は仏語の庭の意味「コートクール 恵比寿 2006年」は材料が最高級品を使用。
ムースやパイ・タルトにもチョコレートは人気で、特にムースは多くのバリエーションを生み出しています。こちらの名は各店バラバラ、自らの店名を付けている自慢の一品もあります。
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チーズ菓子
《ベイクドチーズケーキ》
今回資料を見ると古くは古代ギリシア発祥、トリヨンというチーズプリンのような料理から中世ポーランド(セルニック)とイギリス(サンボケード)で【ベイクドチーズケーキ】タイプとなり、1800年代アメリカへ移民と共に渡っていったもの。
日本では19世紀には【ライスチーズケーキ】20世紀には【チーズソフレ】【チーズパイ】と料理書にはあったようです。
材料のカッテージチーズは1955年発売、1970年の万博の要請でクリームチーズも生産されて【レアチーズケーキ】の材料が1970年代にそろったことも増えた要因のようです。
欧州でみたチーズからヒントを受けて1963年販売【カッテージチーズケーキ】✖「クローバー 六本木 1936年」。同じくお菓子メーカーでは「モロゾフ」が欧米視察で見たドイツの【ケーゼクーヘンー独語チーズケーキ】を参考に【モロゾフクリームチーズケーキ】を1969年に発売しました。今も一番人気の【ベイクドチーズケーキ】の夜明けですね。
インスタに掲載のチーズケーキ三銃士と名付けた老舗「近江屋洋菓子店」のレアとベイクとただの【チーズケーキ】、スポンジにチーズスフレを挟んだ独自のケーキ。
《レアチーズケーキ》
英語のレアチーズケーキの先駆けのが1960年代から【チーズケーキ】✖「トップス」【レアチーズケーキ】✖「しろたえ」・「マルメゾンー発売時評判だったそうな、他と違いブルーベリーを混ぜ込んだケーキ」。
70年代からフレンチパティスリーの隆盛で仏語フロマージュの名で【タルトフロマージュ】✖「ルコント」【フロマージューベイク系】✖「レピュキリアン」【フロマージュロワイヤル】✖「ルパティシエタカギ」。
チーズの種類が多彩なフランスではただの"フロマージュ"の言葉あまり使わず、ガトー、タルトが必ず付くそうです。日本では【タルトフロマージュ】【ガトーフロマージュ】は大体はベイク系です。
cruクリュは生の意味でレアチーズケーキのこと。いろいろなパティスリーで使っています。「ノリエット」・「モンサンクレール」・「エーケーラボ(A.K.Lab) 武蔵野市 2013年」・「エーグルドゥース」・「アテスウェイ」等。
ベイクチーズケーキの【フロマージュキュイーキュイは焼くの仏語】✖「ノリエット」・「アルカッション」、こちらはあまり多くはありません。
「オーボンヴュータン」の最新は【ルトゥルトフロマージュ】お菓子というより黒焦げのチーズの見た目。郷土菓子でその地方の言葉でトゥルトはタルトとかケーキの意味。
北海道の会社「ルタオ LeTAO」の【ドゥーブルフロマージュ】はベイクとレアの二つの組み合わせは全国にあります。東京は別名を付けているのか【ドゥフロマージューベイクとムースの2種類】✖「コロンバンー2018年より販売」しかみつけられませんでした。
ダブルではハーゲンダッツからコンビニスイーツまで全国的にはどうやらこちらが優勢でしたね。
最初が英語のケーキ名から始まっているのでその流れのままなのですね。(2023.11.25)
人気ナンバーワンのチェーン店「シャトレーゼ」は2022年【トリプルチーズケーキ】を売り出しています。
レア・ベイク・スフレの3種重ねのチーズケーキ。それまでは材料が3種のチーズケーキでトリプルの名が付いていましたが、ケーキそのものは初めてかも。
コンビニスイーツ「ファミリマート」でも【トリプルチーズケーキ】を2024年の発売。(2024.8.25)
「トップス」と同じくレストラン発祥のフレンチ「タントマリー 湯島 1983ー2021年」✖【カマンベールチーズケーキ】・【ゴルゴンゾーラチーズケーキ】は包装も本物のチーズのようにして評判でした。
「ラピュタ 西葛西 1999年」は種類多くスイーツの【東京チーズケーキーベイク系】のほかにワインに合うつまみのベイクチーズケーキ、ゴルゴンゾーラ、カマンベール、リコッタ、パルミジャーノ、グリエール、ゴーダも用意。
由来が?のレアチーズケーキ【ガトー・ブリ】✖「サロンドテスリジェ 調布市 1974-2017年」はレストラン併設で開店時から販売、ガトーブリgateau brieのブリでは白カビチーズの種類カマンベールとおなじBrieブリーはネットにあります。ここ出身の「「アステリスク」がこの チーズケーキを継いで【ネージュー仏語雪、雪玉に粉雪のフォルム、2022年発売】
《チーズケーキのいろいろ》
後発派は【ニューヨークチーズケーキ】と【スフレチーズケーキ】、スフレの方は別名【ジャパニーズケーキ】で日本発祥です。
【ニューヨークチーズケーキ】はアメリカの直火やきではなく、湯煎で時間を掛けて焼くケーキ。地名のニューヨークで1900年代頃ユダヤ人が広がったチーズケーキ。(チーズケーキ専門HP『cheese cakes』に詳しい)
ルコント氏がレシピを日本で最初のチーズケーキを提供した1店の「コーシャ」のユダヤ人マダムから伝授されました。「パティシエシマ」の【スペシャルチーズケーキ】、ルコントの最後弟子「オクトーブル 三軒茶屋 2013年」の【ニューヨークチーズケーキ】に継いでいます。
ビジネス系名古屋の「グラマンシーニューヨーク 2000年」がこのチーズケーキを有名にしたなどの情報が載っています。
【スフレチーズケーキ】はスフレは膨らんだ意味で空気を含んだ軽いチーズケーキ。ネットで博多や大阪(りくろーおじさんのチーズケーキ)で1984年に発売でブレイクの記事があります。発祥は確認ができないのですが、ネットでは大阪ホテルプラザの総料理長が1969年から提供の記事があります(レシピがNHKEテレグレーテルのかまど掲載)。【スフレチーズケーキ】✖「しろたえ」【スフレチーズ】✖「ラヴィドゥース 曙橋 2001年」【フロマージュスフレ】✖「粉と卵、開店時から販売」【スフレフロマージュ】✖「ブールミッシュ(銀座)」
新しくなると流行のヴェリーヌ(パリで1994年から発案のグラスの器入スイーツ)タイプ【クープクレマダンジュ】✖「マテリエル」も登場です。
全国でも【チーズケーキ】の英語名が多数派、最初のアメリカからのイメージがあるからなのか、珍しく仏語は劣勢な分野です。
チーズケーキのエリアではイタリアの【ティラミス】現在増加中スペインの【バスクチーズケーキ】と珍しくフランス以外が人気です。
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ハリブリッドスイーツ (追加2024年06月30日)
二つ以上の既にあるスイーツを組み合わせて創るパターンは日本にはよくあるタイプ。パンでいえば餡パン、カレーパン、クリームパンなど。ケーキも【チーズケーキモンブラン】やクリームブリュレとバウムクーヘン【マダムブリュレ】✖「マダムシンコ 大阪市 2006年」と比較的解りやすい菓子名でした。
特に大人気、ほとんどスイーツ、【シュープリームクロワッサンー究極のクロワッサンの意味】。別名【ニューヨークロール】【ディニッシュロール】【サークローサークル、丸い形のクロワッサン】【クロンポーニーーイタリアの菓子ポンポローニと】といろいろな名で呼ばれ、丸形ロール巻きでいろいろなクリーム(苺、ピスタチオ)、ナッツ、チョコ味。
他に【プリワッサンープリンと】韓国発【クルンジーヌルンジ(おこげ)と、薄く延ばしたクロワッサン】 和風の【鯛焼きクロワッサン】【ういろうクロワッサン】も登場しています。(2024.6.30)
ネット上の意見ですが、【ブリジェラ】は福岡市から広がった【マリトッツォ】に淘汰されたとか。同じくイタリアの地方発でブリオッシュに生クリームを挟む食べるスイーツ系パン。
ネットではもっと多くのハイブリッドスイーツが見つかりますが、流行は長くなく、元のスイーツには及ばないというところでしょうか。
多く組み合わされるドーナツなんかも第三次ブームでより上質にやわらかく高級化。さくさくもちもち感増し「ドーナツもり 神楽坂 2020年」、生地がブリオッシュでふわしゅわ、生ドーナツ、と呼ばれる「I’m donut?(アイムドーナツ) 中目黒 2022年、福岡市から、マリトッツォの発信店」等に注目が行きますね。
ただ流行の中で特徴を出さなければ生き残れないので、2022年頃からの第二次ブームの【カヌレ】(『焼き菓子と・・・』掲載)も生カヌレ、半熟カヌレで伝統的な保存ができるタイプから外れています。
ハイブリッド系では全国からですが、シュークリームと組み合わせ【カヌレドシュー】【シュヌレ】、ティラミスとの【ティヌレ】 ケーキとの【生カヌレケーキ】など。日本人の嗜好に合うどれが残っていくのでしょう。
名前と地名の菓子名+
有名な定番を取り上げてきましたので、ここで店名でも多い書き残した名前と地名をまとめてみます。この記事がもともと地名の【モンブラン(『変幻自由の甘味デザート』)】から思いついた記事ではあります。
菓子名の在り方は以前上げた「パティスリー・デ・ラ・ターブル」はあえての名無しケーキの世界や新しい「アステリスク」のように日本語から英語、仏語とこだわりがないパティスリーもあります。
《個人名のスイーツ》
実際、菓子名はフランス関連語が多く、名前も掲載済みの【シャルロット】【タルトタタン】【マドレーヌ】【サヴァラン】等多数。
長く受け継がれていく菓子名が多く、かつて「イデミスギノ」の杉野英実さんが修行した「ペルティエ」で『自分の名をケーキに冠するならひとつひとつのお菓子に責任を持つ』心構えを教わったそう。
【ナポレオンパイ】のほかにもナポレオンの名で【ボナパルトーコニャックナポレオン使用のチョコレートケーキ】✖「ヴィロン 渋谷 2004年」
【サンマルクー聖マルコ】チェーン展開のカフェと同名菓子はフランスの古典菓子としかネットではわかりません。
アーモンド粉の生地にチョコとバニラクリームの2色を挟むケーキ。個人的に最初に出会ったのは「サンドゥニ 等々力 1977-2020年」の【サンマルク】で冷凍ケーキになっていました。老舗の「コロンバン」「オーボンヴュータン」にあります。
酒のローマの神話の神様もいます。【ラヴィバッカスーチョコムースタルト】✖「ラヴィドゥース」
多いのはシブストクリームにリンゴを入れ込む【シブーストポム】✖「パティシエシマ」・「ラヴィドゥース」、店名を冠した【レピュキュリアン】、こちらをネット『CAKE+TOKYO』記事でシェフの信念を象徴する一品と評しています。他には【シブーストゥピスターシュ】✖「イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ」・【シブーストグリオット】✖「エムコイデ」
英語のサツマイモの意味のスイートポテトは明治の中頃日本人菓子職人が作りだしたサツマイモのスイーツです。
名前がついているスイーツは【松蔵ポテト】✖「ドンク」はドンクの製菓職長の名。芋の形の皮そのまま使った工夫が素晴らしい。100グラム単位の珍しい価格設定も面白いです。
大天使聖ミカエルの【サンミッシェルー生地もクリームもチョコレート入りケーキ】✖「オーボンヴュータン」。菓子職人の守護天使聖ミカエルの『聖名祝日』、9月29日が洋菓子の日。。
フランスの作家から【ジョルジュサンドーチョコレートケーキ】✖「ラヴィエユフランス」。
【ベルエレーヌー洋ナシ形のムース、真ん中チョコレートソース】✖「オーボンヴュータン」・【ベルエレーヌーチョコレートと洋ナシのタルト】✖「パティスリーサロンドゥテアミティエ」・【エレーヌーサンマルクのバージョン】✖「イデミスギノ」
洋梨を追加した【ポワールベルエレーヌ】✖「メゾンドプティフール」グラス入の【ポワールベルエレーヌ】✖「レピュキリアン」・【ガレットベルエレーヌー洋梨、栗、チョコレートクリームをクレープ包み】✖「ラヴィアンレーヴ 梅島 2014年」
いろいろ変わった【ベルエレーヌ】が全国にはあるようですが、一番は西宮市「パティスリー オ ジャポン ジヴェルニー 2013年開店」の【ベルエレーヌ】、マカロンで両側から洋梨とチョコとヴァニラクリームを挟んだタイプ(2023.11.25)
家族の名もあります。「パパダニエル 白山 1985-2011年」✖【ステファニー娘の名】・【パスカルー息子の名】どちらも味は違うチョコレートケーキ。「パティスリーキャロリーヌ 練馬区春日町 2004年」のように女性の名前でまとめている店も。
最近の出版『ピエールエルメ語る』の中でエルメ氏がオマージュした女優の名エルザを菓子名に付けようとしたところ、奥さんに焼きもちを焼かれ変えたエピソードを書いていましたね。ちょっと笑ってしまいました。
パティスリーよりは焼菓子専門店「Sunday Bake Shop(サンデーベイクショップ)」「オクサワファクトリー」(『焼き菓子と・・・』)、英国菓子専門「レイジーデイジーベーカリー 湯島 2016年」✖【ビクトリアスポンジ(ヴィクトリアスポンジ)ー軽いスポンジ生地】で多く売っています。
凝ったケーキではないので喫茶店・カフェやティールームでもあり、ホテルのアフタヌーンティーでは豪華なクリーム、さくらんぼ、苺が載ったショートケーキに近いものも。
追加で「キーズ(Cookiesクッキーから) 西荻窪 2017年」✖【ヴィクトリアケーキ】「ミーガン 渋谷 2018年」✖【ビクトリアケーキ】。もちろん英国から進出の惣菜・デリ店「メルローズ アンド モーガン 吉祥寺 2021年」にも英国旗付で。
これらのスポンジバターケーキ以外にもっとも有名なのは「銀座ウエスト」✖【ヴィクトリアー1982年発売】、真ん中の真っ赤なジャムが印象的なこの店のドライケーキの仲間の焼菓子。由来は真っ赤なルビーがはめ込まれた女王の王冠とその形から(2024.2.29)
《地名のスイーツ》
地名はフランスだけでなく各国に散らばっています。
マドレーヌの記事に名前だけあげた【パン・ド・ジェーヌ】は最初に【アンブロラジー】と「シプースト」の職人が名付けられたのをイタリアの街ジェノヴァの名に。1800年フランス軍に包囲された立てこもって兵士がお米とアーモンドで生き延びたエピソードからこのアーモンドを使ったお菓子に命名。
【ピティピエーガロットデロアに似たパイ菓子】は同名地方のの郷土菓子、古典を追う「オーボンヴュータン」・「レピュキュリアン」・「オープティグルマン」、アーモンドをマロンにして【ピティピエオマロン】✖「成城アルプス」。フランスから引き継いだ菓子名です。
最初は『モンブラン』の【モンブラン】、イタリアとフランスの境の山名で郷土菓子の名でもある日本での地名の菓子名の始まりです。以前は栗の山の形のケーキのイメージでしたが、さつまいも、紫芋、カボチャ、形も栗を使った長方形の形もあり使う範囲が広くなっています。
【ザウツブルガーーホワイトチョコレートケーキ】✖「中村屋グロリエッテ」は映画『サウンドオブミュージック』の舞台。
異国のイメージをお菓子に盛り込んだ命名もあります。
聞いたことがない地名【モガドールーモロッコのエッサラウィアの旧称、フランボワーズと組み合わせのチョコレートケーキ】✖「クレモンフェラン」・「アポワン」、【ルモガドール】✖「アントワーヌカレーヌ 目黒 1987年」、【イスパパンーペルシャの古都、1997年発表】✖「ピエーメエルメ」は薔薇のフレーバーが使われていてこの地原産の薔薇名でもあるそう。
関西では有名な【アルハンブラ】、東京では「帝国ホテル(ガルガンチュワ) 1971年」で出しているチョコレートの生地とクリームが層になったもの。
「ダロワイヨ」でも同名のチョコレートケーキがありますが、チョコレート生地とクリームが層になっている点だけでビジュアルは少し違います。
【アルハンブラ】は「スイス菓子ハイジ 神戸市 1970-2007年、2009年に西宮市で復活」の店主がスペインのアルハンブラ宮殿の幾何学模様の装飾をチョコレートであらわしたスペシャリティ。
ここで修行の関西の有名店、全国にも知られた「エスコヤマ 兵庫県三田市 2003年」でも【奏SOUー層を掛けていて異なる食感のハーモーニーを奏でる】の菓子名でバージョンアップしています。
『デザート菓子』にあげた「イデミスギノ」は地名が多く、【モンテリマー】【アラビック】【オンフルール】【プロヴァンサル】【コートダジュール】【アカプルコ】【エレベスト】
レモンタルトの【プロヴァンサルーフロヴァンス地方の意味】について雑誌記事ではプロヴァンスの真夏のイメージとし、オリーブ油のバジルソースとフルーツトマトのビジュアルの写真はとてもレモンタルトには見えないです。
ムース系の【プレジール】✖「ルノートル 銀座 2019年」は他店でもつけている仏語の喜びの意味ですが、フランスの「ルノートル」のアトリエ工房がある地名でもあります。
「LENÔTREルノートル」のロゴを見るには日本では2度目、池袋西武のブーランジェリーのイメージ1979年から2009年まで展開。ここ2.3年はショコラトリーとして有名になっています。
前店からも継いでいるというチョコレートケーキ【フイユドトンヌー仏語秋の葉】のように和菓子の菓銘のようなケーキにも和名が付くと面白くなるのですが・・・。
食材の産地、チョコレートレーキでも上げたのですが、ほかにピスタチオ、仏語ピスターシュはネット記事どは2018年に流行の盛り上がりの緑の宝石という木の実。非常に多い産地の地名イタリアのシシリア島。
ヘーゼルナッツの産地てイタリア【ラピエモンテーチョコレート菓子】✖「ラブリコチエ」。
再度チョコレート追加のタルト【タルトゥカライブ】✖「イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ」はカライブはカリブの地、南カリブ周辺の国々はカカオの収穫地。クリオ―ロ種カカオ産地のマダガスカルのサンビラーノ渓谷、【サンビラーノーチョコレート菓子】✖「アテスウェイ」、チョコレートのコロンビア産から【コロンビア】✖「パーラーローレル」、この店は他の個性的な形と菓子名が開店時から。
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偉大なる「ルノートル」の見えない力 (追加2024年01月31日)
ルノートルのレシピ本掲載のコンコルド広場の石畳の形状の【コンコルド】は少しあります。古典菓子扱いのチョコレートケーキ。
皆軽い重いの違いはありますが層になったチョコレートケーキで【コンコルド】✖「マルメゾン」・「フラウラ」【コンコルド2019】✖「エリタージュ 白山 2017年」
カジノのルーレットをイメージした【カジノ】、薄く切ったロールケーキを張り付けババロアやムースを流し込んだもの。【カジノ】は形を変えて全国にあります。
古典を得意の【カジノドパリ】✖「オーボンヴュータン」・【カジノ】✖「パティシエシマ」・「プレジール 代沢 2007年」・「オクトーブル」と並びます。「プレジール」のケーキが一番最初の形に近いです、中のムースは2種類になっていましたが。
スペシャリディの記事を書くため「エーグルドゥース」と「パリセヴェイユ」のレシピ本をみたら、二人はルノートルの同期生でしたが、それぞれの継ぎ方は違うようです。
各々のレシピ本から探ると【バガテル】✖「パリセヴェイユ」は「ルノートル」から、マリーアントワネットが愛した有名な薔薇園あるのバガテル公園からの命名。
「ルノートル」のレシピ本ては【フレジエ】の名があり、こちらはイチゴジャムを使った上にメケンゲクリームの載ったもの。『バガテル』は仏語恋愛遊戯の意味で少々呼びずらいかも。
「エーグルドゥース」は【シャルロット】をレシピ通り作りながら、丸ではなく四角の形。【シャンティイフロマージュ】✖「エーグルドゥース」も同じルノートル【シュス】から。
仏語のSchussシュスはスキーの直滑降の意味、フランス開催の冬季オリンピックのときにイメージして作られた真っ白いチーズと真っ赤な木苺の対比が鮮やか。ただこの菓子名【シュス】、ネットでは長野県のパティスリーのみ。既に閉店している「ドゥー・シュークル 平井 1998-2014年」には一口サイズ蒸しチーズケーキの菓子名に付けていました。
本家は【ルノートルシュッス】として【ルノートルシュッスアナナスパッション】【ヴェリーヌ・シュッス・フレーズ】のようにチーズケーキシリーズになっています。
【シュクセー成功の仏語】【プログレー仏語進歩】は卵白とアーモンド粉のメレンゲ、少しづつ配分が違う、【プログレ】はヘーゼルナッツ粉が入る場合も。
『食のフランス事典』には特にルノートルの名はありません。
ネットではルノートル氏が1900年代に考案とありそれぞれ2枚の生地の間にバタークリーム、コーヒークリームを挟みまー、上面は粉砂糖を振っていました。「オーボンヴュータン」の【シュクセ】は【プログレ】も合体したようなアーモンドもヘーゼルナッツを生地にとプラリネのクリームも使ったお菓子。
【プログレ】✖「パリセヴェイユ」サクサクアーモンド生地にプラリネクリーム、上にはスライスアーモンドのキャラメリゼ、菓子名通り、進歩した四角形でスライスアーモンドがお花が開いたようとみえるとお客の意見です。。
メレンゲ菓子は日本人の好みにはあまり合わない流れがありました。
ほか相性抜群のアレンジの【シュクセヌガアブリコー杏のジュレとコンポート入】✖「パリセヴェイユ」
デザート菓子ではなくメレンゲ焼菓子としての【シュクセ】、【ダックワーズ】と区別がしにくいとありますが、多くあります。
【シュクセプラリネ】・【シュクセヴェルベーヌーヴェルベーヌは香料レモンバーベナ】✖「エリティエ 白山 2011年」。この店には形は【シャルロット】、プラリネのムースの【シュクセプラリネジャポネ】もあります。
【ウッフデロワー卵の王様、並みのメレンゲ菓子よりカラフルで丸くて大きい】・【メレンゲフィーヌー薄いメレンゲの意味、バーの形のメレンゲ焼菓子】。
フィナンシェと同じく余る卵白の利用とパリで見たメレンゲ菓子専門店の開きたい思いの実現とか。(2024.3.6)
最後にピエール・エルメもかつていた「ルノートル」に洋梨とマロングラッセのケーキの名前に【オマージュ】としてルノートルへ捧げる記念の一品を作っています。
もろもろありです・・・
【リヴィエラ】について『洋菓子百科事典』では柑橘系テイストのアントルメに多いと書いてありました。
イタリアの地名で、フランスのカンヌやモナコ公国を含む海岸の名、フランス側はコートダジュール(青い海岸)呼ぶ世界的保養地。レモンやオレンジの産地なのでそれらを使ったケーキになります。
ネットで探しても現在はこの菓子名では見つからなかったのですが、また「ピエールエルメ」でのニューオータニ店の2023年リニューアル記事の中に期間限定の初期開店当初のクラシックと名付けた4種ケーキの復活のひとつで【リヴィエラーチョコレート生地にレモンとチョコのクリームのケーキ】が上がっています。
「ルノートル」のチョコレートケーキ【マルキーズ】、【マルキーズショコラ】✖「ガトードパリルショワ和光 銀座 1986年」・「コロンバン」
【マルキーズ】✖「クレモンフェラン」はいろいろなフルーツの入ったヨーグルトババロア。いろいろバージョンアップしている【マルキーズ】✖「リョウラ」は最新はゆで卵のような見た目の桃とライチのムース、バラ色のマカロン形からチェンジ。
ケーキ色いろイロ
色名は食材と同等に使われます。食材は限られているので、似たような菓子名が並んでしまうので、その代わりを使うようです。イチゴやフランボワーズのルージュ、【ルージューチョコレートケーキ】✖「門洋菓子店 日本橋 1964年」、 日本一のショートケーキとネットにはある【ルージュ】・【ブラン】✖「フレンチパウンドハウス 巣鴨 1986年」・【ルージュー木苺のムース】✖「エリタージュ 江戸川橋 2017年」・【ルージュー紅茶とタイベリーのムース】✖「エキリーブル」
緑色はピスタシオのベール【ベールピスタシオ】✖「フレンチパウンドハウス」
サッカーのJリーグチームにもあるポルトガル語の緑色のヴェルデイが知られてきたこともあって新店では【ヴェルディ】✖「アルタナティブ 小金井 2022年」も。
最近はヴェールで抹茶のスイーツ【テヴェール】✖「シェ松尾三宿パティスリー」・【テヴェール】✖「ラヴィドゥース」・【テヴェールー抹茶のパウンドケーキ】✖「帝国ホテル」。
珍しいのは」青りんごのムースの【ベルデ】✖「「アステリスク」象牙色の【イヴォワール】✖「ピエールエルメ」、空色の【セレスト】✖「ローズジャポネ」は天空の神の空の意味もあります。イメージが赤の宝石【ロッソルビーノー伊語ルビーの赤】✖「ロートンヌ」。
今年の「コメダ珈琲」のスイーツはパープルと銘打っての紫芋押しになっています。色はイメージが強くてわかりやすい菓子名ですね。
白の【キャレブラン】✖「ピエールエルメ」・【ブランブランーホワイトチョコレートケーキ】✖「ラブテックドゥジョエルロブション 丸の内 2009年」
チョコレートが多い黒【エピスフィグノワールームース菓子】✖「モンサンクレール」
紅白のように組になったケーキも多いです。【ブランルージュ】✖「パティスリージョコンダ 東向島」・【ルージュエノワール】✖「レサンクエピス 青物横丁 2011年」・【ルージュエノワールーチョコレートケーキ】✖「アテスウェイ」
店名にもあるフランスの国旗の三色旗の三色の【トリコロールーバニラ・チョコ・モカの三層スポンジケーキ】✖「レピドール」。新店は耳慣れない2色の意味の【ピコルーレモンと黒糖のムース】✖「アルタナティブ」
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誇りあるプライドの一品 (追加2024年01月31日)
店名と同名
最近のビジネス系は最初から菓子名イコールのブランド名として立ち上げています、イタリアの婚礼用伝統菓子の焼菓子【チャルダ(Cialda)】は店名「ラ・チャルダ 自由が丘 2017年」のようなレアなお菓子には有効です。
洋菓子での先駆け自慢の逸品「モンブラン」のように店名を冠するのが先にあげている2店【エピキュリアン】【オーボンヴュータン】
他にも多く【ノリエットーチョコレートケーキ】・【フジウーピスタチオ、チェリー入り濃厚チュコレートケーキ】✖「シェフフジウ」・【ダニエルーチョコレートケーキ】・【アンヴデット】✖「アンヴデット 清澄白河 2016年」、チョコレートケーキは新旧関係なく人気。
【シャンドンーラム風味のスフレ】・【ムースマルメゾンーキャラメルムース】・【ポミエー青りんごのムース】はパティシエの出身地がフランスのりんごの産地。
【モンサンクレールーキャラメリゼしたヘーゼルナッツとアーモンドのプラリネで包んだコーヒー味ケーキ】は最初に修行した店「ら・利す帆ん」のケーキを翻案したそうです。【モンテリマールー名物モンテリマールのヌガーイメージのケーキ】✖「モンテリマール 堀之内 2002年、神戸北野1999年」
素晴らしき定番
【シュークリーム】が人気なのは「シュークリー 人形町 2008年」、黒胡麻白ごまが載る個性あるハード系統。
フランスのサントロペの郷土菓子でシューではなくブリオッシュ生地の【トロペジェンヌ】✖「パッションドゥローズ 白金高輪 2013年」シュークリームの豪華版。もちろん店名になっている【パッションーパッションフルーツのムース】【ローズーあざやかな赤のバラのチョコレートケーキ】もスペシャリティの一品です。
多く上がってい有るのは【モンブラン】、形も中身も工夫をした項目でも書いた多くのパティスリーでも一番人気、プライドの品になっていました。
ほか老舗「銀座ウエスト」のロールケーキ状のもの、残念ながら今年閉店の「東京菓子倶楽部」花のつぼみ型や新店の「エリティエ」松ぼっくりのような形、螺旋型、洋服のドレープドレスのひだのようなモンブランなど形が千差万別な世界です。モンブランはそれだけ伸びしろの広い日本人が大好きなスイーツの証明ですね。
『《モンブラン》』の項目に抹茶の緑やカシスの赤のモンブランがあると書きましたが、ビックリなのが新店の炭入り黒いモンブラン。情報が少ないのでまたいつか書きます。
特別の一品
「パリセヴェイユ」の『《個人名のスイーツ》』にあげた師匠の名を冠した【ムッシュアルノー】想いのこもったチョコレートケーキは長い時間の中で関係が親しい友人となり、ムッシュの敬称を取って【アルノー】に替えていました。
メレンゲ菓子は湿気の多い日本では焼菓子以外は今ひとつと上に書いたのですが、ケーキ【ムラングシャンティー焼いたメレンゲに生クリームを挟む】✖「パルタジェ 亀戸 2014年」は作って30分以内に食べるで評判でした。この店は頭に焼き菓子屋とつく全て自家製手作りの曜日によってスフレチーズやパイ・タルトも販売。
定番を調べていた時、喫茶店の名が出てくることがよくありました。「銀座ウエスト」のように喫茶もお菓子も両方で有名な店もありますが。『焼き菓子と・・・』であげているカフェや喫茶店でお菓子の比重が増している時代ですが、老舗も頑張っていました。
老舗「「カフェパウリスタ」✖【貴婦人のチョコレートケーキ】は昔パリで出会った【マルキーズショコラ】を参考に社交界にふさわしい贅沢で上品なチョコレートケーキに仕上げたそう。
「銀座みゆき館 1969年開店」✖【和栗のモンブラン】、「アンジェリーナ」と共に銀座二大モンブランだそうです(なかなかの値段も)。元は「プレシューズ 南麻布 1995年」のモンブランで気に入ったオーナーが依頼して提供を受けたモンブラン。
「茜屋珈琲店(東銀座)」✖【高いが旨い菓子】はチョコレートケーキ。軽井沢の「茜屋珈琲店」『家庭で作れる洋菓子プロの味(暮しの設計142)』の掲載のレシピと写真をみると地味だけどコーヒーにマッチする濃厚さ。
デパートに多く出店の神戸の「アンリシャルパティエ 銀座 2015年」✖【ナポレオンパイ】は銀座メゾン店のみのスペシャリティ。かつて高級フレンチ銀座マキシムで有名なこのパイを引き継いでいるようなイメージ。
喫茶店の看板スイーツの理想的な形は【シロノワール】✖「コメダ珈琲 名古屋市 1977年」です。創業時からあるこのメニュー、白(シロ)のソフトクリームを褐色(黒の仏語ノワール)のデニッシュパンに載せたインパクト抜群の姿。季節でイチゴや抹茶、小倉餡等のバリエーションも豊富です。
新しい店しか情報がありませんが、個々の個性の逸品は想いがこもっています。
【フィーユドトンヌ】は長くありレシピ本には【ムラングドトンヌ】という名の頃から作り方は変わらないそうです。名前の通りチョコメレンゲの軽いチョコレートムースでギャザーの布のようなチョコレートの飾りも変わりありません。【フィーユドトンヌ】は他店には見かけません>
「ピエールエルメ」の『《地名のスイーツ》』に書いた【イスパハン】は「ラデュレ」在職の1997年に完成したもの。元がかつて作った【パラディ】を改訂し、その後彼の『フェティシュー好きでたまらないもの』と名付けたコレクション化の最初。
バラとライチとフランボワーズのケーキの材料は同じながらショートケーキ、チーズケーキ、サントレーノと数々のバリエーション。
【アンブロワジーーチョコレートムース】✖「イデミスギノ」、フレンチにも店名があるギリシア神話の神の食べ物、神への捧げもの意味でパティシエ3人で挑戦した世界コンクール『クープデモンド』で優勝したもの。
雑誌『サライ』でその名にふさわしい高貴な味わいの品格とあります。今はお仲間だったパティシエの「ガトー・ド・ボワ 奈良市 1982年」のスペシャリティ。
『チョコレートケーキ』の項であげた「テオブロマ」の【サンフォアキントレス】として3回目バージョンアップ、少しづづ改良していくタイプですね。
こちらもレストランの店名(C'est la vie、これが人生、こんなもの)にもある【セラヴィー仏語人生、チョコレートムース】✖「モンサンクレール」、レシピ本の最後にあり『六角形はフランス本土と日本人でありフランス菓子を愛するパティシエ、それが僕の人生だ』となっていました。
【トシマンデルクローネ】✖「トシヨロイヅカ」スイスの修行先であみ出したパイ生地にアーモンドクリームを詰めたもの。菓子名は修行先の主人が命名、TOSHIは名前、MANDEL KRONEは訳してみたところアーモンドの王冠の意味のよう、形が王冠の形状。お店のHPではどんなに売れなくてもつくり続けていくとある思い入れの深い逸品。
季節のケーキ・スイーツ
洋菓子店・パティスリーでは定番とその店の看板品、それに季節の商品の三本柱。和菓子は各月に行事菓子とてあります。
洋菓子ではクリスマスケーキ(ブッシュドノエル、シュトーレン、パルトーネ)、ヴァレンタイン、近年新年の【ガレットデロアー仏語王様のお菓子、王冠の形】や復活祭やハローウィンと普及に力を入れてはいますが、まだまだ部分的。
西洋菓子は季節ものは主に春と夏と秋では採れる材料にあり、フルーツを使ったケーキ類が比重を増しています。
ムース系の拡がりで直に風味を味わうことができるようになったからでしょう。それまでは和菓子の生・半生菓子の世界でしたが、形そのままのスイーツも増えています。
個人的に初めて見たのはりんごを丸ごとパイにした【気になるりんご】✖「ラグノオささき 弘前市 1884年」1987年に発売。りんごや苺が季節のケーキになることが当初は多かったです。アップルパイ・タルトは秋に採れる紅玉という品種が一番パイになりやすいので、季節品になってのいる店も。
ショートケーキも苺オンリーでなく季節の果物をいれたもの【マスカットのショートケーキ】・【桃のショートケーキ】✖「ロートンヌ 秋津 1998年」」。
一番高くて垂涎物は2004年発売からスーパー、2014年からエクストラスーパーと付く【あまおうショートケーキ】・【メロンショートケーキ】・【イスパハンショートケーキ】✖「パティスリーサツキ 紀尾井町 1998年」
モンブランも和栗のモンブランは栗の季節9月から11月の限定品が多いようです。モンブランには具体的な品種名の【渋栗のモンブラン】・【茨城産和栗のモンブラン】✖「銀座コージーコーナー」【利平栗のモンブラン】✖「アンテノール」や【利平栗のタルトモンブラン】✖「モンサンクレール」も。和菓子屋も参戦する競争相手急増のエリア。でも食べ歩くマニアもおおいです。
『焼き菓子と・・・』に書いた「ONIBUS COFFEE(オニバスコーヒー)」は自由が丘店がスイーツを売りとしています。土日限定の季節の【ナポレオンパイ】、苺だけでなくチェリー、マスカットのはいった種類もあり写真アップが多いです。
長く「パリセヴェイユ」にお勤めだった方の店は横浜市ですが秋の【ミルフィユマロンユズ】✖「バスキュール 2022年」のように季節でミルフィーユの中味をかえていくそうです。
新店の「アツシハタエ 代官山・高輪・用賀 2019年」の【イミテーションー英語模倣、まね】は季節の果物そのままの姿のケーキ、中味はその果実だけでなく色々アレンジしいてる何菓子とも言えないスイーツ。
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和と洋のクロスする世界で・・・ (追加2024年03月03日)
1960年代「ルコント」1990年代「ルノートル」のようなフランス系パリ中心から地方のパティスリー、アルザス地方(ヨシノリアサミ)ルクセンブルグ(アトリエドゥテテ)、スイス(トシヨロイヅカ)、のお店での修行でフランスオンリーの流れも少し変わってきています。
もちろん「ピエールエルメ」のような天才の後追いもあるかもですが、彼の世界は誰にもまねできないものです。スイーツの単純な構成は少なく4,5種類以上の食材を使う今の時代、食材名や色名、そして地名だけでは後追いは難しいです。
当然の流れは洋菓子名も和のイメージへ、ただ和菓子店の特に食材ので洋菓子(抹茶ケーキ等)を創る世界が存在します。そう簡単ではありません。
和のケーキ名より世界の英語や伊語、ラテン系の言語で付ける例(「アステリスク」「ロートンヌ」)が多いようです。
和洋のせめぎ合う京都 (追加2024年03月03日)
和菓子はもともと材料が主なものが糯米、小麦粉、小豆、寒天と少なく、洋の要素、特に食材の面で和洋折衷菓子としてチョコレート、マスカルポーネチーズ、バターなど、京都では最近は多く取り入れいく広がる方向へ。
大都市の中でも『食べログ』調べで東京を含め同数の西洋菓子店、ただ京都だけは和菓子屋が西洋菓子店の2倍近く、とても多い都市。京都の一番は和菓子屋、二番手が西洋菓子店なので、和洋の競争が激しいエリア。『日本銘菓事典 2004年』の中の京都エリアには洋菓子の名はありません。
推定ですが、隣接の神戸市は西洋菓子・フランス菓子店、京都は和菓子店中心と棲み分けされていたのかも。
多くのパティスリーがしのぎを削る関東エリアと違う300年以上の伝統のチカラと流行の流れの中で和洋クロスするエリア。外国から東京ではなく京都にやってくる店も近年はあります。
例えば「鼓月 1945年(写真は東京鼓月)」は【チョコまんじゅう】【華ー焼饅頭、バター、ミルク等の洋素材。1961年発売】【千寿せんべいー1963年発売、和ヴァッフル、独語のワッフル】、資料によっては【華】は欧風菓子ともあります。
和洋折衷として「亀屋廣清 1922年」✖【木炭のかけらーチョコレートケーキ】「一条中谷 1935年」✖【絹ごし緑茶てぃらみす】
ビジネス系の始まりは喫茶店から『コーヒーにあう洋菓子』つくりから出発の高級洋菓子店「マールブラッシュ(フランスの思想家ニコラ・ド・マルブラッシュから) 1982年」。
全国に展開していた店を閉店してより強く京都を印象付ける『京都ブランドの洋菓子店』にコンセプトを転換したようです。
『京都クオリティ』を目指す菓子名は仏語は0に近く定番に長ーい形容詞付、【フワッとトロっとシュークリーム】【京の雫いちごタルト】【丹波産ほっこり黒豆きなこショートケーキ】、和菓子のような季節のイメージの菓子名【しゃぼんーチーズムース】【初雪ーチョコレートケーキ】【月あかりーヘーゼルナッツレモンケーキ】など。
1988年「ジュヴァンセル」は京洋菓子司を頭に付けて和洋折衷菓子を発売、京都人から京都らしい"おもたせ"の願いから生まれた高級洋菓子店。
菓子名は日本語の洋菓子【さがの路ー笹葉に包まれたチーズケーキ】【まいびとー苺のショートケーキ】【竹取物語ー栗と黒豆の入った竹の皮に包まれたパウンドケーキ】等。
洋菓子店からの和へのアプローチは少なく、和菓子に継ぐ第二の京菓子を目標としていた「パティシエH(ヒロシ)スミノ 1995-2014年」の【ガトースミノー大徳寺納豆、白味噌など使用】。
大手菓子メーカー森永のアイスの【チョコモナカー今はチョコモナカジャンボの商品名】が一昨年50周年、1972年発売で、長く1強でしたが、近々の開店の「ショコラトリーヒサシ(HISASHI) 2018年」✖【もなショコラーチョコの最中】が人気に。
「バイカル」系列としてネットにあった「古勝院NOBUAKI 2005年、既に閉店」【洛北隠プディング】【高瀬川笹舟チーズ】【嵐山花筏】と京都の地名を付けていました。『京都人のための洋菓子』のコンセプトを掲げてましたが、京都人向けよりはお土産用として見られていたようです。
2010年前後から和菓子屋の洋菓子ブランドの立ち上げ、和菓子の食材のビジネス系他業種からの参入、と主に京土産に寄った和洋折衷菓子が多く発売になっています。
コンフィズリー(砂糖菓子)の世界
ネット記事に載っているフランスの砂糖菓子のコンフィズリーの地方菓子がとても多く、あちらには専門店もあります。フランスの駄菓子との呼び名も。
フランスでコンフィズリーは種類多く、アーモンド菓子の【ドラジェ】【カリソン】【ヌガー】【マロングラッセ】果物の【パートドフリュイー果汁をペクチンで固めたもの、フランス版グミとの呼称も】【コンフェチュールー果物のジャム】【フリュイコンフィー果物のシロップ漬け】、最近見かけるようになった【ギモーブーフランスのマシュマロ】、日本の菓子メーカーの飴玉やキャラメルも仲間。
生姜、黒豆、オリーブオイル、ピスタチオ等の【琥珀糖】の手法【パートドクルスティヤンー仏語のカリカリの意味】表面パリッと中やわらか黒豆や松の実、柚、ラムレーズン等入り、と和洋折衷菓子を発案。
振り返ると京都は仏語砂糖菓子全般の呼び名のコンフィズリーのようなお菓子が多いです。京都土産の定番、唯一無二の「緑寿苑 1847年」、【金平糖(ポルトガル語の砂糖、砂糖菓子の意味コンフェイトから)】が有名です。
同様の16世紀桃山時代から飴菓子【有平糖ーアリヘイトウ】もポルトガル語Alfeloa砂糖の意味から、棒飴をいろいろに加工します。
上菓子と同じく雅な菓子銘が有平糖にも付いていて【笹結び】【あやめ草】【松ヶ枝】等、中には本物のような美しい細工の「柴野源水 1984年」✖【照葉ー秋の日差しに染まる木の葉状】のお茶席に出てくる高級品もネットに出てきます。
京都はほかに"お干菓子"と呼ぶ数々の砂糖菓子、代表的な【落雁ー押物とも】、京都のものは季節の動植物をかたどる小さい可愛い形。
現代風「UCHU wagashi(ウチュウワガシ) 2010年」の【落雁】は【drawingードローイング、積み木のようにピースを組み合わせ絵を描くことができる】・【京都ものがたり】がよく取り上げられています。「甘春堂 1865年」は【落雁】と似た少しづつ材料が違う【生砂糖ーキザト】も販売。
【琥珀糖ー別名干琥珀(カンコハク)、干錦玉】(『《寒天菓子》掲載』)も【パートドフリュイ(パットドフリュイ)】に似てペクチンではなく寒天で固め、表面を乾燥させた『食べる宝石』、こちらもいろいろな可愛い形に仕上げています。
俵屋吉富 1921年開店
柏屋光貞 1806年開店
「柏屋光貞 1806年」✖【おゝきにーすり琥珀(寒氷、かんこおり)とも)、プレーン、梅、柚子、黒糖】、「鶴屋光信 1947年」✖【菓乃菓ーフルーツ琥珀糖】の他にも種類多くワイン、ラムネと柚子、【齢(よわい)】と名付けた白黒の組み合わせもあります。他「甘春堂」✖【干錦玉】「青木光悦堂 1902年」✖【宝石寒天】。
「鶴屋吉信」の新ブランド「IRODORI(イロドリ) 2015年」のステック形状のハーブ、カモミール、ラベンダー等の【琥珀糖】棒飴【有平糖】も扱っています。
同じくビジネス系和洋折衷菓子店「果朋(KAHOU) 2020年」、京都の新店、斬新で華麗なる菓子名とそのビジュアルを誇るなか、地味目な琥珀糖【一遊琥乃音KONONEー和素材の抹茶、赤紫蘇、山椒等】・【果朋琥珀ーフランボワーズ、キウイ等】
"食べる宝石"がインスタ映えするのか、全国でも2種類の系統が出てきています。店種では先の『変幻自由の甘味デザート』の分野になると考えますが、琥珀糖と喫茶も併設「シャララ舎(琥珀糖のキラキラ感を表すしゃるという言葉から) 笹塚 2012年、最初千葉県市川市」。かわいい、キュート、動物やハート等の小物の形、今はもうひとつの系統の鉱物琥珀もあるようです。
隣の大阪市にはビジネス系専門店「琥珀糖Okada(社長の苗字) 2021年」は文字通り【琥珀糖ビジュコレクションー仏語宝石の誕生石12種】を販売、ほかに【琥珀糖フリュイコレクションードライフルーツを閉じ込めた6種】
日本ではお酒を包むボンボンチョコレートが多い、良いの仏語bonを二つ重ねた【ボンボンアラリキュールーお酒入り一口サイズの砂糖菓子】は「ゴンチャロフ 神戸市 1923年」が日本最初の【ウィスキーボンボン】のボンボンを発売していました。
京都のは糖蜜入りこちらも様々な形で「俵屋吉富」✖【京野菜】・【京つれづれ】、ほかにも季節ごとのシリーズ多数。専門店の「ぼんぼん堂」の【ぼんぼん】は抹茶、苺、コーヒー、しそ等。
東京でもフランス菓子の古典を大切にしている「オーボンヴュータン」「レピュキュリアン」「パティスリードゥシェフフジウ」フランス進出「メゾンドジュボー」等が砂糖菓子【パートドフリュイ(パットドフリュイ)】があります。
1874年に「米津凮月堂(東京凮月堂)」が【リキュールボンボンー甘露糖と名付けた】を発売し、今も老舗ではリキュールボンボンを扱う、「コロンバン」✖【ロイヤルボンボン】・「東京會舘」✖【リキュールボンボン】。
またマロングラッセ、マシュマロ(キモーブ)も「米津凮月堂(東京凮月堂)」が【真珠麿】として1892年に発売。
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新人抹茶の世界へ
新素材として入ってきたのはお茶の抹茶、和菓子には江戸時代頃から宇治氷や宇治金時のかき氷、明治大正の茶団子と最初は甘味処の世界へ登場。
戦後からは茶屋商から販路拡大のため、ソフトクリーム、「京はやしや」✖【抹茶パフェー1969年より】【抹茶ゼリー】や抹茶ソーダ、抹茶アイスなど。
スイーツのエリアには宇治の「茶遊堂 2006年、1989年林屋久太郎商店を改名」から【抹茶トリュフチョコー1989年より】【抹茶ロールケーキ】人気になった堂島ロールタイプの【濃茶ロールケーキー2006年発売】『食べるお茶』のコンセプト。
宇治市辻利兵衛本店 1860年創業
京都福寿園本店 1790年創業
2008年開店
隣の宇治市が抹茶、茶葉の産地のため以後多くの茶問屋、茶葉商の進出が多く、全国区の「辻利兵衛本店 1860年」「祇園辻利 1860年」「福寿園 1790年、全国展開の伊右衛門カフェ、サロンの協力店」のほか「丸久小山園 元禄年間」「伊藤久右衛門 1832年」「中村藤吉本店 1854年」「北川半兵衛商店 1861年」元祖の【茶だんご】✖「大茶萬 1919年」等甘味処の営業にプラスして和洋折衷抹茶スイーツも販売しています。
スポンジケーキ【お抹茶ケーキ】は「パウンドハウス京都 1980年」は母親の茶道薮内流から生まれたそうです。アメリカンタイプでホールを三角に切り分けるタイプ。
「マールブラッシュ」は抹茶生地にミルクチョコをサンドの【茶の菓ー2007年から発売】、お濃茶のフランスの焼菓子ラングドシャです。
京洋菓子というコンセプトの「ジュヴァンセル 1988年」は抹茶を使った【京都ごえんー抹茶れケーキ】【翠一福ークグロフ】【京都咲咲ーチョコと抹茶のクッキー】
多くの和菓子店の洋ブランドで毛色が違うイタリアのヴェネト州の架け橋となるようにとの「京都ヴェネト 2018年」。斬新な抹茶スイーツが目立ちます、【ガレッ茶ー抹茶味のホワイトチョコのガレットクッキー】【大福ッ茶ー抹茶餡とチーズの大福】【ジェミニー二層の宇治抹茶のチーズケーキ】ほか。
宇治の店のスイーツは解りやすい菓子名です。【抹茶てぃらみす】・【宇治抹茶デリスフロマージュ】✖「伊藤久右衛門」・【抹茶テリーヌプレミアム】✖「祇園辻利」・【抹茶フィナンシェ】✖「丸久小山園」。
お菓子天国の京都のみやげ物は豆腐屋から漬物屋から扇屋さんまで、宇治と同様甘味処ももちろんあります。
大きなわらびもちが名物「普門庵 2011年」、2018年にフランスのパティシエと宇治の焙煎師のタッグから【京フランス】の菓子名の、抹茶が片方に入っているフィナンシェを作り出しています。
他にも和洋折衷菓子の土産がある『あらゆる人を受け入れる普門の寺』清水寺の門前のビジネス系の店。
東京のパティスリーも抹茶を材料として発売しています。上に書いた緑色の名称以外に【みやび】✖「パティシエシマ」、【古都】✖「ロートンヌ」、【ジパング】✖「エリティエ」と京都と日本らしい抹茶スイーツ名。
さすがに京都名産豆腐やお麩のスイーツは東京ではまだのようです。
京都の洋菓子店少しだけ
変化が出てきたのは2000年以降「オ・グルニエ・ドール」が和の要素がないフランス菓子は売れないといわれながら、全国区で知られてきてからでしょうか。
ホントはヨーロッパタイプが好みだけど暇がないから一台で焼くアメリカンタイプの「童夢(幼いころの心、夢、憧れ) 1980年」もような例も。
京都エキュバランス
2003年開店
京都洛甘舎 2015年開店
店名だけでいうと京都らしい1990年代から「菓子職人 1993年」「一善や 1993年」「菓子工房菓楽里 2002年」「ぎをんさかい(おたべの会社美十の経営) 2010年」「パティスリー洛甘舎 2015年」。
2000年代前後からののフランス菓子店、店名仏語が目立つようになりました。「セラヴィ 1998年」「ラマルティーヌ 1998年」「パティスリータンドレス(元1999年開店ベックルージュ) 2009年」「グランヴァニーユ 2011年」「エキュバランス 2015年」「ラマルク 2019年」等。
今は無き「オ・グルニエ・ドール」出身からも「ロトス洋菓子店 2011年開店、2021年にキムラ(KIMURA)にリニューアル」「ラクラシック 2018年」「レモノワー 2019年」と活躍中。
ネット記事のパティシエの嘆き、新しいものは選ばれず定番ばかり売れる、京都人は保守的な人が多いのでしょう。
「エキュバランス」のパティシエはショートレーキやロールケーキ等定番の『エキュバランスの○○が食べたい』というお客の声に燃えてくるそう。
「一善や」のパティシエの意見はフランス菓子の味は薄味になれた京都人には合わないそう。「「一善や」のケーキ名は【無花果ガナッシュ求肥包み】【干柿と胡桃と無花果のミルフィーユ】【獅子柚子ノミルフィーユ】と材料名でした。
菓子名は「イデミスギノ」より短い単純な名詞や形容詞【リュクス】【ドゥース】【テール】等です。「グランヴァニーユ」のパティシエも師匠は「イデミスギノ」だそうです。
菓子・スイーツ名では色々調べた感想で京都は【アップルパイ】が昔から人気であると思います。
老舗「バイカル」には【祝鯛】というアップルパイが1962年から発売。お祝いのお使い物として大きさの違う【吉祥鯛】【おめで鯛】とそろっています。
ただクラシックな英米の蓋付や網目模様と以前書いたフランス菓子【タルトタタン】の2系。
2000年になって上の「松之助」の【サワークリームアップルパイ】や「オグルニエドール」のフランス風【りんごのタルト】ですが、ポムではなかったですね(2015年発売オーナーパティシエのレシピ集は【タルト・オ・ポンム】でした)。今もこのパイを継がれた息子さんのパティスリー「ナンポルトクワ 2018年」のスペシャリティ
上の「パティスリーS(エス)」の【タルトタタン】は大きなアントルメをカットしたタイプではなくプチガトーの丸いりんごの形
2010年代に東京に次いで多くの焼菓子専門店がオープンしていますが、そこにも「焼菓子工房コレット 2008年」✖【タルトタタン】「ナカムラジェネラルストア 2012年」✖【アップルパイ】、珍しいフランス系の焼菓子店「ミュルミュール 2021年」の黒焦げの焼き色【タルトタタン】はお店を始めろきっかけの季節もの。特に「焼菓子工房コレット」では多い時は6種のタルトタタンの記事にはビックリでした。4層の極圧の「ホテルオークラ」譲りの「ファヴリット(英語お気に入り) 2004年」の【アップルパイ】も驚きビジュアル。なんか京都のアップルパイは凄い!
東京のような【モンブラン】のバリエーションは少なくネットの京都モンブランまとめ記事(当然ながら人気新店多い)ではカフェメニューや栗専門カフェが多く取り上げていて洋菓子店は少ない模様。
古代からの名産品丹波栗を使った【パウンドケーキ】がお土産に重宝されています。京都市内ではないですが「仏蘭西焼菓子足立音衛門 福知山市 1991年」の豪華な【栗のテリーヌ】が有名です。和菓子も栗きんとん、栗甘納豆、栗をかたどった生菓子等多くの銘菓がある競争厳しい京都。
東京でごく最近の「パティスリードゥボンヌオーギュル 湯島 2022年」は近くの湯島天神の縁で梅型の【もなかマシュマロ】や縁起物【ダルマー梅酒ムースケーキ】があります。京都同様その地域に寄り添ったパティスリーです。
閉店した店もありますが先の「シェラメール」「童夢」アメリカンパイ「松之助 2000年」タルト・焼き菓子「プチジャポネ 2003年」マカロン「パティスリーカナエ 2006年」ロールケーキ・タルト「ミディアプレミディ 2007年」と著作本も有り全国に知られていました。
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☆お菓子屋とケーキ店の店名☆ (追加2024年03月03日)
店名の多くは地名と個人名(仏語に変換しいてる事例も)で命名しています。
それも特にケーキのフランス志向もあり仏語がほとんどで拡がりがないので項目を設けて取り上げてこなかったです。
でも2000年代当りから、少し考えられている店名の増加していますので、その由来を追加します。
多くはお店のSNSから採っていますので、詳しいのはそちらをご覧ください。頭に付くパティスリー、パティシエ、菓子屋は省略して(意味が解らなくなるのは付いています。)、地名・名前を除く、50音順です。
心に残ったのはこのHPの中でかつて店名として驚いたと上げた「粉と卵(『材料名 2』掲載)」、今も頑張っています。
- 「アディクトシュクレ 目黒区八雲 2014年」ーAddict au Sucre仏語甘味中毒、解りにくい店名から興味を持ってもらうことと、パティシエ自身も甘いもの大好き、その初心を忘れないように
- 「アヴランシュゲネー 春日 2015年」ー覚えにくい店名に入れたいほど、意味は定番の所業先のノルマンディーの地名と店のオーナーゲネー氏との組み合わせ
- 「アテスウェイ 西荻窪 2001年」ーかつてフレンチの店名にもあったくしゃみをした時に掛ける『願いが叶いますように』の意味
- 「アポワン 八王子 1992-2012年」ー店名の「アポワン」はフランス語で「程よい」という意味
- 「パティスリーサロンドゥテアミティエ 神楽坂 2007年」ー日仏の友情"Amitiéアミティエ"のためフランス菓子を含めたフランス文化届ける
- 「アルタナティブ 小金井 2022年」ー英語Alternatives二者択一の仏語読み、もう一つの選択の音楽用語。70年代に商業ロックと対し新しいロックというジャンルで、そこに新しいことにチャレンジするフランス菓子を作っていく思い。
- 「アンヴデット 清澄白河 2016年」ー仏語EN VEDETTEの主役の意味であり店が街の、お客にとっても主役のお菓子を作ること
- 「エキュバランス 京都市 2003年」ー単語のようでequibalance造語のようです。英語表記でEqui-balanceとなり等しいバランスの意味とか。視覚・聴覚・味覚の三つに訴えかける調和のとられた店。
- 「エキリーブス 品川区五反田 2022年」ー仏語equilibreはバランス、パティシエが大切にしているは食感・香り・酸味・甘味・季節感等のバランスの良い心地よいお菓子。
- 「エーグルドゥース 目白 年2004年」ーAigre-Douce仏語甘さと酸っぱさ、甘酸っぱい意味でだけでなく柔らかい中に刺すような味覚も含む単純ではない
- 「エリタージュ 新宿区山吹町 2017年」ー仏語の継承を意味する言葉、日本とフランスで学んだきたパティシエの思いを注ぐ店名
- 「エリティエ 白山 2011年」ー引き継ぐものという仏語。フランス菓子の伝統と技術を継ぎ磨きをかけて日々精進していく想いを表す。
- 「オッジ 目黒 1978年」ー伊語の『今日』の意味で、一日しかない今日という最高の日に相応しいお菓子を届けたい。
- 「亀屋万年堂 自由ヶ丘 1938年」ー「亀屋近江 浅草橋」から独立、『鶴は千年亀は万年』から亀屋に万年堂をプラスした店名。(『和菓子の亀屋・鶴屋』参照)。もっと古い京都から東京に移転した「亀屋和泉萬年堂」の系統もありますが今はこちら店名「萬年堂 銀座」。
- 「キャトル 目黒区柿の木坂 1982年」ー数字の仏語4、それぞれの四季に合うお菓子を提供したい願の店名。
- 「玉英堂彦九郎 人形町 1935年」ー京都三条で創業。思想家高山彦九郎の名と彼が三条の橋のたもとの茶屋玉英堂に立ち寄っていた逸話から命名。1954年に東京へ移す。
- 「グランヴァニーユ 京都市 2011年」ーgrains de vanille、お菓子の重要な香料バニラの種の仏語。解りやすいお菓子屋らしいイメージの店名にしたかったとか。季節感にこだわる以外はコンセプトはなしだそうです。
- 「グリシーヌ 池尻大橋 2012年」ー実家の藤屋から、店も藤色で仏語グリシーヌは藤の花、で花言葉が"最高のおもてなし"
- 「鼓月 京都 1945年、中西製菓から1957年改称」ー打てば響く鼓、その音が中天、月まで届けと願う想いの屋号、個人名より、より普遍的な店名として妙心寺老師との相談の上に決めたそうです。
- 「こぬれ 広尾 1998-2020年」ー万葉集からの枝先、コズエの古語
- 「塩芳軒 京都 1882年」ー林浄因(りんじょういん)「塩瀬」の流れの「塩路軒」からの分家のかたちで創業し、名前の初代の芳次郎の芳の字と塩の組み合わせの店名
- 「ジュヴァンセル 京都 1988年」ー仏語の古語JOUVENCELLE、乙女を意味する言葉から。京都テイストを追求する姿勢で乙女ごころの琴線に触れる女性の感性で色や形に季節感を表現していきたい。
- 「末富 京都 1893年」ー京都の定番、修行先「亀末廣」と初代名前の富の組み合せ「亀屋末富」から
- 「パティスリースリール 目黒区五本木 2005年」ーお客様に微笑(SOURIRE仏語で微笑む、にっこりする)んでいただけるような菓子、等を届ける想い
- 「セラヴィ 京都市 1998年」ーこちらも店名では仏語のよく出てくるフレーズで『それが人生』ですが、オーナーがフランスで知った何があっても明るく受け取る姿勢とか。
- 「タンドレス 京都市 2009年」ー仏語Tendresseで柔らかい、優しさ、愛情の意味。残念ながらお店からの情報はなく色々なブログからで、以前の「ベックルージュー直訳赤い嘴」は自己主張を曲げない尖った店で知られていたそうです。
- 「壷屋総本店 寛永年間(1624-1645)」ー『江戸買物独案内』に「壼屋播磨大掾藤原武房 元飯田町中坂」として載っている江戸の街当初からの和菓子屋、「江戸根元」が最初の店名とか。江戸時代高級品として扱っていた砂糖を入れる壺からの店名。
- 「パティスリー1904(ディズヌフソンキャトル) 池尻大橋 2005年」ー1904年より工業化の波が起こりアルチザン(職人)、手作りとインダストリアル(工業生産)、シャープな無駄のない様を融合
- 「テオブロマ 富ヶ谷 1999年」ーチョコレートの原料のカカオの木の学名であるテオブロマ カカオ リンネ(Theobroma cacao Linne)から
- 「デリーモ 日比谷 2013年、赤坂開店、日比谷2018年」ー仏語からの造語"Del'immo"、immobilier変わらずdélicieux美味しいの意味を表現しています。
- 「ドンク 南青山 1966年、神戸三宮1951年」ースペインの小説『ドン・キホーテ(Don Quixote)』の主人公の名を縮めて夢を抱きやや猪突猛進気味の創業者の気質を重ね、お客を不特定多数の『Q』と考え末尾につけて「DONQ」としたそう。
- 「長門 日本橋 1716-1745年頃」ー『江戸買物独案内』には「松岡長門掾藤原信吉 神田通新石町」。御用商人としてのこの称号にて長く徳川将軍家の菓子司を務め、現在はかつての称号から「長門」だけの店名
- 「ナンポルトクワ 京都市 2018年」ーなんでもありの仏語。父親の「オ・グルニエ・ドール」にはないもの、和の素材、香のあるスパイスなどを取り入れていく個性が際立つお菓子を作る。
- 「バスキュール 横浜市 2022年」ー遊具のシーソーの仏語、バランス感覚を大切にしていく中良い時悪い時、その場その場を楽しみたい思いを込めています
- 「パリセヴェイユ 自由が丘 2003年」ー仏語パリが目覚める、という直訳では伝わらないそう。同名の歌や映画のタイトルもある広くフランスの景色のそのもののニュアンス
- 「パルタジェ 亀戸 2014年」ー仏語共有するを意味します。美味しいものを共有したい。
- 「ビガロー 桜新町 2014年」ー地名の桜から、仏語BIGARREAUXさくらんぼの一種の名
- 「フラウラ 代々木八幡 2003-2021年」ー苺のように親しみやすく愛されるようにとギリシャ語のイチゴ
- 「プレジール 西太子堂 2007年」ーお菓子名にも全国でも多い店名の喜びの仏語plaisir。個性的だけど不思議な親しみやすいお菓子から心地よさ、微笑み、笑顔をもたらす食べ手作り手共に喜ぶお菓子に・・・
- 「文銭堂本舗 新橋 1948年」ー違う店名から文銭最中が評判で改名。文銭が寛永の頃京都方廣寺大仏様から鋳造、大仏様の化身として無病息災のお守りとして大切にされた逸話から
- 「文明堂 銀座 1939年」ー長崎市で1900年創業(現在の店名文明堂総本店)、創業前から決めていた店名。人間の知恵知力から文化が進歩し世の中が開けていく『文明開化』から。時代の象徴のカステラ、お菓子で開化していく(横浜文明堂のHPより)。「風月堂」と同じく6っつの別会社に今はなっています。
- 「ボンガトウ 駒込 1977年」ーBons Gateaux美味しいお菓子ーを目指して毎日手作り
- 「ボンヌオーギュル 湯島 2022年」ー湯島天神宮近く、道なりに進むと神田明神にたどり着くということで『縁起の良いパティスリー』と命名。縁起の良いこの拠点から贈り物や祝いのお菓子を。
- 「マテリエル 板橋区大山 2010年」ー mate'rielは素材の意味の仏語から、自然から生まれた様々な素材から自由な発想と積み重ねた技術・伝統へのオマージュで無限の味と形を作っていきたい。
- 「マプリエール 武蔵野市 2006年」ー Ma Prière私の願いを意味しており、オーナーパティシエの『日常のふとした瞬間に 感動したり嬉しい気持ちになるような そんなおいしい幸せを 皆様にお届けしたい』と店のしおりに綴っているそうです。
- 「ラヴィアンレーヴ 足立区梅島 2014年l」ー仏語人生の夢、自分の店を持つというパティシエとそのパートナーとの夢、お客に夢のようなひと時を・・・と様々な思いを込めて。
- 「ラヴィドゥース 曙橋 2001年」ー甘い生活の意味の仏語、コンセプト『楽しい日常生活に美味しいケーキを』や名前からと考えあぐねたときに出会ったシャガールの画題『甘い生活』から。
- 「リベルターブル 赤坂 2013年」ーLibertableは造語、仏語のLibre自由とTableテーブルから。料理やお菓子の枠に囚われずテーブル上に自由な発想、表現を繰り広げたい。
- 「龍昇亭にしむら 浅草 1854年」ー苗字西村と金龍山浅草寺の御用を受けていた関係から
- 「両口屋是清(リョウグチヤコレキヨ) 名古屋市 1634年」ー創業時大坂屋から1686年藩主よりの拝領名、両口屋は夫婦仲良く長く続く意味とか
- 「リョウラ 用賀 2015年l」ー名前に仏語の未来形ryo+raにして自信を前身させていく、自分のauraオーラをまとう個性的なお菓子を生み出したい二つの想い
- 「ルクールピュー 荻窪 2002年l」ー仏語純粋な気持ち、混じり気のない心という意味。健康的な野菜スイーツとパンとお惣菜を扱う自然な美味しさを求めて。
- 「レザネフォール 恵比寿 2012年」ーフランスの歴史の1920年代、自由と活気に満ちた狂乱の時代のこと
- 「レモノワー 京都市 2019年」ーLes Moineauxすずめ達の仏語、以前厨房に遊びに来ていた雀をみた思い出エピソードから。壁付看板にも2羽の雀。
- 「ローズジャポネ 亀戸 2012年、最初金町で開店」ーLa Rose des Japonais直訳日本の薔薇はオーナーパティシエの師匠のコンクールに出品し世界から評価を受けたバラの飴細工の名。『初心を忘れない』の思いを込めて
- 「ロートンヌ 秋津 2010年」ー地名の秋の仏語の意味と待ち遠しくなるスイーツ『一日千秋』の思いを感じてもらえるように。
和菓子・スイーツ参考文献
✩和菓子物語 松尾夜城 井上書房 1960
✩和菓子彩彩 仲野欣子 淡交社 1996
✩日本銘菓事典 山本候充著 東京堂書店 2004
✩事典和菓子の世界 中山圭子 岩波書店 2018
✩美しい和菓子の図鑑 青木克己 二見書房 2021
✩日本洋菓子史 日本洋菓子協会 1960
✩コーヒー・ケーキの店 高橋幹人 柴田書店 1980
✩フランスの食の事典 白水社 2000
✩洋菓子はじめて物語 吉田菊次郎著 平凡社 2001
✩おいしいスイーツの事典 成美堂出版 2008年
✩東京定番スイーツ(ぴあMOOK) ぴあ 2010・2011
✩フランス菓子図鑑 大森由紀子 世界文化社 2013
✩フランス伝統菓子図鑑 山本ゆりこ著 誠文堂新光社 2019
✩洋菓子百科事典 吉田菊次郎 白水社 2016
✩1980年から中央公論社の出版の『シェフシリーズ』のケーキ分野を扱うムックから
✩マルメゾンの洋菓子 大山栄蔵 NHK出版 2000
✩弓田亨のフランス菓子 弓田亨 NHK出版 2002
✩次世代に伝えたい定番と創作 島田進 旭屋出版 2005
✩銀座ウエストのひみつ 木村衣有子 京阪神エルマガジン社 2014
✩ケーキこの人この店の定番 柴田書店 2009
✩「イデミ スギノ」進化する菓子 杉野英実 柴田書店 2017
✩料理通信2007.9月 (パティシエ100人) 料理通信社
✩料理通信2009.9月 (ヒットの条件 スイーツ2009) 料理通信社
✩ネット情報からもー『和菓子の季節.com』
2024.1.31追加
✩スイートスイーツコレクション キャップジャパン 2007
✩一度は食べたい裏スペシャリティ 主婦の友インフォス 2016
✩ルノートル新しいフランス菓子 三洋貿易 1978
✩モンサンクレール軽やかさの秘密 辻口博啓 柴田書店 2013
✩パティスリエーグルドゥース味の美学 寺井則彦 柴田書店 2014
✩金子美明の菓子パリセヴェイユ 柴田書店 2016
✩ピエール・エルメ語る 早川書房 2023
2024.3.3後半追加
✩とっておきのケーキ屋さん 京都出版 1987
✩京都の甘いもん 関谷江里 淡交社 2013
✩京都のおいしいケーキ屋さん メイツ出版 2005
✩食べ物の履歴書 吉田宗弘 関西大学出版部 2022
✩カラー京都の菓子 鈴木宗康 淡交社 1972