日本人は何を求めどこへ 10
最強の店名か? 料理名ほか変幻版
追加05月31日・追加08月05日・追加9月23日・
訂正2020年5月31日・追加2021年10月16日
料理関係てアップした後からも増え続ける店名。
わかりやすく、外国人観光客にアピールすることも意識しているシンプルな店名。
料理名から材料名、調味料名、器名、調理器具まで様々。
新しいものが外国からもどんどん攻めてくる時代、アメリカ、アジア、オセアニア圏と多方面からやってきます。
今はもう、割烹や蕎麦、鮨の伝統的分野は店主の姓名付きがほとんど。店のある住所も含め、想いのこもったの形容詞つき、イタリアン、フレンチの有名シェフ店も増えています。これに対抗するのが料理名等の最強の店名には店側の由来の説明も込められた想いも必要はなく、正真正銘のお客用の店名であり、真向勝負の店名かも。
ただ、長く成長し、愛され続ける店になるかどうかは疑問です。フードビジネス用の世界だと考えますが・・・。 カフェ以後の流行でも『ワンテーマフード』という流行もありました。今と違い「U~O(ウーオ)」「See(シー)」(両店とも魚料理)「RIZ!(リ)」(米料理)、際コーポレーションの「葱や平吉」(葱料理)「とんとコリン」(豚肉)と工夫していますね。
もちろん日本の各地方からもB級グルメを含め東京に進出しています、焼きそば、餃子、あんかけスパ、ご当地カレーなど。
江戸時代から引き札、今の宣伝チラシの元祖にも真ん中に大きく書かれているのは名代という評判の料理名。
今も昔も変わらず名物には弱い日本人。意図的に作ったものもあれば、自然に評判になっていったものもあり、店名を名物に変更する例は多々あります。
長命寺桜餅 1717年
言問団子 1868年
特に和菓子屋さんが多くみられます。東京では「羽二重団子(もと「藤の木茶屋」絹織物の羽二重のようだと称賛されそれが今の店名) 日暮里 1819年」「言問団子」「長命寺桜餅(尻尾の位置に少し小さい字で山本やとあります。)」「追分だんご」それぞれ最初は別の店名でした。
この項目は一番最初にアップした『和食』『洋食』『カフェ』項目ともダブルところも出てきますが、御承知おきください。
和食
■ 魚貝いろいろ
当りまえですが、一番古く数も種類も多彩。今も昔もご馳走は蛋白質なので、肉がない(表立っては)時代は魚名が多いです。大昔菜と呼ばれたおかず、魚や肉は真菜、主菜のおかず。
「なまづや 浅草 600年前」が資料では一番古いです。ただ、資料では割烹になっていました。
ネットでみると2008年閉店したなまず料理専門店「なまづ家魚福 新大久保」がありました。いまは鰻屋さんがなまづ料理を出しています。
「駒形どぜう 浅草 1801年」最初の店名は「越後屋」四文字のどじょうではなく、縁起の良いとして三文字のどぜうとしました。
今はあんこう鍋の「いせ源 淡路町 1830年」もかつてはどじょう屋でした。
鍋料理様々、アンコウ、ふぐ、かに、そしてすっぽん、スッポンが古いですね。京都の「大市 元禄年間(340年前)」が有名。でも残念ながら江戸ではすっぽんは下卑な食い物として広がらなかったそうです。
■ 鯛いろいろ
店名として人気なのは「鯛屋」「海老屋」、必ずしも食材からではなく、ともに慶事、めでたいから付けられている例も多いです。
『東京うまい店200店 1963』に載っている鯛料理の「たい家 人形町 1958年」、「たい家 赤坂 1951年」は名古屋の本店の鯛めしのお店は既に閉めているようですが。
同じく名古屋の「たい家」で長く花板だった方の鯛料理専門の「鯛ふじ 日本橋箱崎町 1967年、既に閉店」ふじは姓の一字から。
名古屋でかつて「たい家」と並んであった「鯛めし楼 名古屋 1870年」がネットでは挙がっています。
流通の発達で鯛が気軽に手に入ると「かぶと家(鯛の頭) 西麻布 1989年」「鯛や 浅草 1991年」「桜鯛 新橋 2006年」「ゑびす鯛家 恵比寿 1997年」「鯛の鯛 下目黒 1999年」と次々と鯛専門店がオープンしています。
近頃は鯛茶漬けと高級ラーメンの出汁として店名にあります。食べログの近々オープン「鯛茶STANDO 仲御徒町 2018年」「真鯛らーめん 麺魚 錦糸町 2016年」「鯛塩そば 灯花 とうか)(ラーメンに鯛茶漬け、鯛めしもメニューにあります。)曙橋 2015年」
江戸時代同様に賀字として鮨店「鯛良 六本木 2010年、白金台もあり」ブログ記事では元「平良」だったそうです。
■ 鰻いろいろ
築地宮川 1893年
新橋大和田 1893年
鰻は江戸時代からの老舗が蕎麦と同様に多くあり、老舗の暖簾分けの多い「大和田」と「宮川」、現在営業中のお店も暖簾分け店。
「大和田(お店のHPでは千葉県の大和田出身者の創業ではないかとあります。) 新橋 1893年、最初有楽町で尾張町大和田から暖簾分け」、「宮川 築地 1893年、深川宮川から本店の名跡も引き継ぐ」の店名で多くあります。
それ以外に江戸時代に創業した200年を超える鰻屋もゴロゴロ、「大江戸」「阿づ満家」「明神下神田川」「やっ古」等。300年を超える「伊豆栄 上野 1730年代頃」も。あまり店名に鰻のつく店名の出番は少ない時代が続きます。
鰻を含め川魚をいろいろ扱っていた名残で鮒がつく店名が『江戸買物独案内』に「鮒屋幾三郎 坂本三丁目」他のガイドにも「ふな亀 神田 1845年」「鮒與 湯島 1910年」「鮒儀 山谷町」」「鮒治 千住」「鮒善 浅草橋」も鰻屋として案内に載っていました。
「鮒忠 浅草 1946年」も現在は焼鳥屋ですが、当初は川魚専門店でした。
戦後になって庶民的価格の鰻屋「うなぎ登亭 日本橋室町 1955年」は100円どんぶりで評判になりました。
鰻の串焼をメインに大きさにこだわらない安価な串焼鰻料理店。有名店「かぶと(ウナギの頭の呼び名) 池袋」その修行先「カブト 新宿 1948年」からうなが付く店名「元祖うな鐡 渋谷 1957年」「うなちゃん 国立 1964年」「うな辰 両国 1968年」「鰻家 豊島区南長崎 1969年」「うな将 新宿 1971年」「うな正 神田 1983年」「うな勇 田町」「うな太郎 国分寺」皆わかりやすくうなを付けています。
「うな鐡」は「元祖うな鐡 渋谷」が食べログ上では古いのですか、都内にはチェーン店ではないが、「うな鐡池袋本店 1954年」「うな鐡 新宿 1962年」「浅草うな鐡」神田、大塚、高田馬場、吉祥寺もガイドにはありました。写真は新宿の支店「うな鐡 恵比寿 2016年」。そのものの店名「うなくし 立川 2016年」立川中心のフードビジネス系。
比較的新しい店では人気の「鰻禅 吾妻橋 1980年」、養殖場が経営するオーガニック鰻の読みはウナギじゃない「鰻善(マンゼン) 六本木 2017年」。フードビジネス系「宇奈とと 神田店 2003年会社創業」安い・早い・旨い』をモットーに鰻を提供するこだわり。宇奈は鰻、ととは幼児語の魚でしょうか。
■ 鰻屋プラスー(訂正・追加2020.11.23)
ほか鰻丼専門の「うなどん丼 末広町 2017年」
ヤツメウナギは鰻とは違う種類で、薬効を期待して「八ツ目鰻本舗 浅草 昭和初期開店」は親会社は八ツ目製薬。でも鰻専門店として「八つ目食堂 浅草 昭和初期のガイド掲載」「八ツ目やにしむら 巣鴨 大正年間開店」「やつめや 麻布十番 昭和初期開店、既に閉店」
今、鰻は絶滅危惧種としてさらに高価になりめったには食べられません。店名のこれからが心配です。
つい最近は際コーポレーションの「にょろ助 銀座2020年、赤坂見附店は「瓢六」の改名」は関西風の蒸しなしの焼だけの鰻料理店。うなぎの町長野県岡谷からの「うなぎの館天龍 三軒茶屋 2019年」など。
東京でも「うなぎ時任 麻布十番 2018年」は鰻のフレンチ懐石を出しています。鰻が減っていく中の頑張り。共に鰻を扱う会社の、希少での意味?「金のうなぎ 上野毛 2016年」高知県の思いっきり振り切った「UNAGI DININGという、選択。 BY KOCHI PROJECT 高知市 2017-2020年」は鰻の和とフレンチのお店。
関西ではアナゴ飯、アナゴ料理の穴子専門店も近頃は東京でもそこそこみかけます。天ぷらや寿司ダネとして江戸中期頃から人気でした。
東京の専門店は「玉ゐ 日本橋室町 2006年」「はかりめ(千葉県冨津市(フッツシ)のアナゴの別称) 銀座 2005年」、「玉ゐ」出身の店主の苗字の「あなご屋銀座ひらい 東銀座 2013年」等。新店は「玉ゐ」同様のビジネス系「穴子や 神谷町 2020年」
■ ふぐほか
下関「春帆楼 下関市 1881~1882年頃創業」で伊藤博文が食し、気に入っての解徐令以降、明治以降博多、小倉、関西方面から進出してきました。
「魚昇 浅草 1904年」「天竹 築地 1921年」「鳴門 銀座 1933年」「さんとも 上野 1931年」「春帆楼」も東京にあります。下町でも安く食べることができる店は多くあり、「にびき 鶯谷 1848年」「ひょうたん 両国 1926年」「かねまん 人形町 1880年」
ただ、名店、老舗は多くありますが、フグが獲れる時期が限定されることもあり、その閒店を閉める老舗あり、一年中ぶく料理を出せないこともあり、店名にフグとあるのは少ないです。
「ふぐ福治(フクジ) 銀座 1976年浅草、1991年移転」も店主の姓名ではないようなので同様にふぐの意味でしょうか。こちらも時期以外はスッポン、鰻、蟹料理を提供。
フグの時期しか開店しないのは「めうが(ミョウガ)(家紋の茗荷から古名のめがの読みを付けているーお客のブログからー) 赤坂から2009年白金台に移転」「味満ん(味を豊かに満たす意味) 六本木」なども
1991年養殖の体制が整った後、フードビジネスの東京一番フーズの「とらふぐ亭 新宿1号店 1996年」同社の「ふぐよし総本店 2009年桜木町リニューアルオープン、東京は2016年亀戸」、大阪から「玄品ふぐ 新橋 1999年に下関ふぐとして、2002年に玄品ふぐ(優れた品)に改名」「ふく太郎 銀座(本社北九州市1958年創業) 2012年」あたりからです。
他の高級魚は和ビストロの「ぶり中野 東中野 2016年」能登名産のどぐろ(アカムツ)の「のどぐろ 四ツ谷 2014年」や頭につく「のどぐろ屋・・・」「のどぐろ専門・・・」と新しい人気魚登場。
高級な魚だけでなく、下魚とされている「いわしや 銀座 1939年」(以前アップ)。
近年は鯖が凄い勢いで席巻中ですね。大阪発のとろ鯖専門「SABAR(サバール) 2014年」は「SABAR(サバール) 恵比寿 2015年」があります。そして変わった店名鯖定食「鯖なのに。 大森町 2017年」
■ 海老・蟹いろいろ
人気の海老・蟹料理、蟹が売り物のお店は『大東京うまいもの食べある記 1935』から載っていました。
「海老屋 王子」は玉子焼きの「扇屋」と並ぶ江戸屈指の料亭。店名は鯛と同様にめでたい賀字としてつけられていると推測します。今はない洋食「海老亭 郡部」、老舗の蕎麦屋「海老民 目黒区不動前 1928年」も不明です。
『大東京うまいもの食べある記1935』には「海老松 銀座」「ゑび屋 本郷」掲載。
日本人は世界で一番海老を食べているといわれる今はいろいろな店があります。「maddame shrimp(マダムシュリンプ) 銀座 2004年」「海老ダイニングPreeeat(エビのプリプリの感覚とeat) 青山 2008年」「えびキング 大手町 2012年」「えびかに家 北千住 2010年」「エビーノ 吉祥寺 2012年」「海麦酒(エビアーー海老とビールが看板商品) 茅場町 2013年」「シュリンプバンク 北千住 2013年」「エビ殻荘 神楽坂 2014-2017」「シモキタシュリンプ 下北沢 2014年」
写真の「Eni(エニ) 中目黒 2012年」単純に海老のエ、蟹のニを繋いだ店名。分かりにくいと感じているのか、頭に「クラブ(英語のcrab蟹)ハウス」2店目には「魚卵ハウスエニ 飯田橋 2013年」「パスタハウスエニ 五反田 2017年」外見も赤い伊勢エビがいます。「和えに 中目黒 2016年」だけは地味ですが・・・
海老バルと付く「yaesu 海老バル 八重洲 2014年」新しめの店は頭にShrimp Diningがつく「EVIZO(エビゾー) 北千住 2016年」
ラーメン店はスープ使うことが多く「二代目海老そばけいすけ 高田馬場 2006年」「イッシシュリンプ 神楽坂 2012年」食べログの新店「海老丸ラーメン 2017年 神保町」「海老麺総本家ジモトヤ 麻布十番 2018年」等
イタリアンは「リストランテアラゴスタ(伊語伊勢海老の意味) 四ツ谷 1988年」「IL Scampi(イルスカンピ 赤座海老の意味) 飯田橋 2010年」「ロブス 上野 2012年」「RーSHRIMP(アールシュリンブ) 西新宿 2016年」
車海老専門のフライ店、天丼・天ぷら専門店もありますね。
「かに道楽 大阪 1962年」が全国では大きな動く蟹の模型が評判で有名。
「フッシヤーマンズ・クラブ・ハウス 麻布十番 1991年」タイ料理の「蝦蟹市場 池袋 1992年」「蟹漁師の家 北青山 1998年頃、2013年に移転時にひらかなのかに漁師の家」
食べログ上では「たらば屋 吉祥寺 1978年」「蟹工船 日比谷 2000年」「鳥取境のかに港 2016年 大手町」「カニのくに 東新宿 2017年」ほかのネット記事では「かに福 日本橋 1970年」、御かに飯が名物「居酒屋蟹喰楽舞(カニクイクラブ) 新橋」「かに地獄 新橋」。「蟹みつ 銀座 2015年」「crab dining 蟹の店 池袋 2016年」
■ 貝ほかいろいろ ⓢー(追加2022.2.21)
貝料理専門店は結構多くあります。「貝作 八重洲 1967年、赤坂店1975年」静岡の1931年創業の貝卸問屋の出店。
「はまぐり 新宿 1972年」ここで修行の「海作 吾妻橋 1989年」「蛤や 築地 1994年」「やき蛤 住吉」「あわび亭 練馬区 1994年」「あわびの源太 銀座 2007年、札幌より移転」「焼貝あこや 新宿 2013年」「シェルマン shellman 月島 2015年」
フードビジネス系ナイツカンパニーは焼はまぐりで「焼はまぐり 青山一丁目 2002年」を展開。イタリアン「焼ハマグリル 青山 2009年」、バーベキュー、居酒屋「焼はまぐりる 大門 2008年」と微妙な店名
バル、ビストロの急増で「貝殻荘 2010年1号店」「魚貝センター」「貝呑 神田 2016年」のようなチェーン店も多くなっています。写真をアップした今風に和洋料理の「築地の貝 東銀座 2015年」「貝せん 高円寺 2016年」のような専門店も食べログにアップされています。
ヨーロッパ系のムール貝の「PINZE LOCA(ピンゼロカ、貝に夢中の意味) 三軒茶屋 2015年」2017年オープンの頭に付く「ムール&ビストロmassa(マッサ) 中目黒」ヨーロッパ風にバケツ一杯のムール貝!。
和洋中で多い牡蠣料理店。『増加するパルの変化』で多数アップ、欧米でも人気なので、アメリカ本店から出店もありました。
1999年の「東京オイスターバー」からアップしてますので、それ以前を挙げていくと「かき政(名前の政一から) 浅草 1924年」大阪発今も同名の店(1920年開店)がある「蠣廣 (カキヒロ) 人形町 東京行脚1925年に掲載」
調べると相当古く1660年代からあり発祥は広島の養殖牡蛎を船で大阪に運び、屋形船のように調理してたべてもらうのが、昭和初期まで大阪の淀川に150隻あったそうです。
本家広島からは養殖業(1867年創業)からの「かなわ 銀座 1966年」があります。『増加するパルの変化』なかに書いた「かき小屋」はネットによると佐賀県太良町が発祥で産直の牡蛎をその場で焼いて食べられる味見的な店が始まりとか。(2022.2.22)
うに飯、うに丼が地方でも人気ですが、東京では2010年代からウニの店名が目立ちます。
ウニはイガイカの殻付は海胆・海栗、加工した食料品は雲丹、と字が違います。
イタリアンのウニパスタ、ウニコロッケ、和食のウニシャブ、ウニの肉巻き、ウニの土鍋炊きご飯と評判の料理も多く生み出され、幅を広げたことも一因。
直の「海胆屋 銀座 1991年」から始まり、「海鮮うにくら 三崎町 2013年」(フードダイニングデザイン経営)「うに屋のあまごころ 丸の内 2015年」(長崎県壱岐のあまごころ本舗経営)「海栗屋 下北沢 2014年、新宿店もあり」「うに酒場 下北沢 2016年」「利尻うに小屋 高田馬場」
海鮮問屋、フードビジネス系が多いようです。築地には虎杖グループの「うに虎喰 築地 2004年」「うに虎 築地」秀徳グループの「海栗BAR Kai一章(カイシッショウ) 築地 2015年頃」があります。
洋系も一気に増加中「unico-co (ウニココ) 荒木町」イタリアン「トラットリアリッチューョディマーレ(伊語のウニ) 西麻布 2010年」「ボガマリ・クチーナ・マリナーラ (Bogamari Cucina Marinaraーサルディーニャ地方の方言でBogamariはウニ、でもウニ料理だけではないとHPでは言っています。) 千駄ヶ谷 2013年」「UNIHOLIC (ウニホリック) 六本木 2017年」。上の写真の「ウニシーフード 六本木 2017年」 ★TOP頁へ★ ☆和食TOPへ☆ ☆洋食 ☆中華 ☆ 食材の千変万化 ☆香辛料・調味料 ☆軽食 ☆喫茶・カフェ
■ 豆腐いろいろ ⓢー(追加2020.12.10)
蛋白質としては豆腐料理(以前アップ「「笹の雪」、豆腐を揚げた「揚げ出し 上野 食行脚1925年に掲載」の店名もありました。
江戸時代に『豆腐百珍 1782年(天明2年)』が江戸のベストセラーになり、『豆腐百珍続編』、『豆腐百珍余録』も出版されていた、豆腐は変わらず食されてきましたね。
70年代のガイドブックには「五右ヱ門 白山」「豆腐屋 赤坂(フレンチの重鎮秋山徳蔵氏の名づけ)」
豆腐屋さんが経営の「二葉 人形町 1907年」「豆腐room Dy's(ダイズ) 千駄木 2003年」
デザイナーズレストラン流行時にはなぜか豆腐料理店が多く、「大豆家 吉祥寺 1998年」「Tofu's(トーフズ) 麻布十番 ガイド2003年掲載、2004年渋谷移転後閉店」「荳庵(マメアン) 銀座 2003年」「豆納戸(マメナンド) 目黒 2003年」「豆吉 霞町 2002」「豆腐ボウル 経堂 2015年」豆乳の滴のイメージからの「月の雫 赤坂見附 2000年1号店」
豆腐料理店は高級店「とうふ屋うかい 八王子 1993年、銀座店2003年開店」チェーン店「梅の花 福岡県久留米市 1986年1号店、東京多摩市1997年」と湯葉を含むコースが人気になっているように、何時の時代にも人気の店。
水が良いこともあって豆腐、湯葉の名称が京都に多く、必然的に京イコール湯葉で東京にも「京都銀ゆば」のチェーン店が5店あります。
「湯葉半老舗 京都 1716年」のような300年越えの店が普通に、とてもかないません。ほか「ゆば庄 1885年」
必ずしも豆腐料理屋ではありませんが、おからの別名、卯の花 雪花菜(キラズ)の店名もあります。「卯の花 中野区若宮三」は豆腐を手作りする店
「雪花菜 八王子 1981年」は頭に豆腐割烹が付いている店ですね。花が字があるためか以外と関係なくても付けている店があります。
ダイエットや食物アレルギーの問題もあり、スイーツ系も多くなっています。豆腐ドーナッツ、プリンなど。「SOYS CAFE(ソイズカフェ) 麻布十番 2009年、既に閉店」はドーナツからソフトクリームまで豆腐と豆乳素材。
台湾からのスイーツ豆花(トウファ)のお店もあります。「東京豆花工房 神田須田町 2015年」「浅草豆花大王 浅草 2016年」、台湾本店から出店「騒豆花(サオドウファ) 新宿 2018年」。一店だけですが、これも台湾からの豆乳スープの朝食店「東京豆漿生活(トウキョウトウジャンセイカツー豆漿は日本語の豆乳) 五反田 2019年」
江戸の『豆腐百珍』の世界がさらに広がってきていますね。
洋風もありますが、店名の意味が不明のカフェ「Balloom(バルーム) 恵比寿 2017年」、ドーナツ、スムージー、ラザニアほか。(2020.12.10)
🔲 肉いろいろ
そして江戸時代、薬食いとして食べられていた、今はジビエと呼ばれるの猪を含む獣肉、別名山鯨。これを食べさせる店の名は「山奥屋」、『奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の・・・」からの店名。
以前アップの「ももんじや 両国」がいまも営業中。
今は居酒屋の印の縄のれんは獣肉の匂い防止の役目があったそうです。
老舗もあるさくら肉(馬肉)、牡丹肉(猪肉)、紅葉(鹿肉)。多いのはかしわと呼ばれた鳥料理、焼き鳥ではなく鍋料理。鶏も軍鶏が使われていました。ハレの日の御馳走だったとか。
明治以降、牛と豚が中心になり、肉料理といえば鍋料理だったのが、焼く肉のステーキ、戦後の焼肉系列、揚げる肉のカツレツ、煮る肉のシチュー、すき焼きと様変わりしていきました。
■ 鳥料理いろいろ
コラムでアップの「両国ぼうずしゃも」が一番の老舗。同じく軍鶏の「玉ひで、人形町 1760年」、あい鴨の「鳥安 両国 1872年」、「ぼたん 神田 1894年」、「かど家 1両国 862年」、軍鶏スープ鍋で『東京いい店美味しい店 文藝春秋』にずっと載っていた人気の「鳥栄 湯島 1909年」。
今はもうない直の店名「鳥鍋本店 上野 1912年」等(『洋食』項目でアップした「黒船亭 上野 1902年)は最初は料亭「鳥鍋」として創業。もしかすると開店年誤りでこちらの店として続いているかも)
小説の舞台にもなっていた「雁鍋 上野山下 1897年」明治の文豪にとても人気の店
焼き鳥は屋台で江戸末からあったそうですが、中身はジビエの内臓、豚や牛のホルモン、野鳥類で賄われていて、明治末大正以後鶏肉の供給体制ができて、名の通りの焼鳥屋になりました。
戦後もいっきに「鳥」がつく店名は多く出ていました。
「鳥政 銀座 1946年」「鳥晴 荻窪 1961年」「鳥茂 新宿 1949年」「鳥竹総本店 渋谷 1963年」「鳥升 渋谷道玄坂 1963年」「鳥長 六本木 1964年」 今も人気の店としてが頑張っています。
鳥系は地名にはゆかず長く、この姓名プラスで店名は続いていたのですが、鶏肉の養殖ブロイラーのまずさからブランド名地鶏へ続きます。
名古屋コーチン、南部鶏、比内地鶏と頭にこれにの銘柄鶏名をつける店が現れます。
日本農林規格で決めたのが1999年だそうですから、この前後にあまりに決める前は混乱状態、決めてからは価値上昇の時代。
「地鶏屋 新橋 1993年」「地鶏焼とりや 西新宿 1993年」「南部どり 麹町 1997年」「ぢどり屋 神田 2002年」「比内や本店 新橋 2005年」。
人形町玉秀と同じく、ふるくから軍鶏一本でやっている「しゃも重 西荻窪 1979年」、「軍鶏一 池袋 1996年、四ツ谷店2006年」、「軍鶏匠 西麻布 1996年」新しい焼き鳥フレンチのシェフの「ぎたろう軍鶏炭火焼鳥たかはし 五反田 2005年」など
「萬鳥 丸の内、最初西浅草 2000年」「鶏味座 南青山 2000年」「酉玉 広尾 2000年」「こけこっこ 西新宿 2003年」「東京やきとり亭 銀座 2004年」「庭つ鶏 五反田 2005年」「鶏やせぼん 祐天寺 2010年」
焼き鳥だけではありませんが、焼く熱源の「備長炭」の店名もあります。
がんばっているのは揚げ物の世界のから揚げ。「ケンタッキーフライドチキン」に負けず地方からも進出。
名古屋、大分県中津や北海道からも。ザンギ、チキン南蛮、半羽揚げ、手羽先、チェーン店も多く「がブリチキン 名古屋から」「からあげ縁 浅草総本店2010年」「金のとりから」
高級店は苗字・名前でアップしたように割烹料理屋の道へ。
最後に鍋料理、上に書いたものは必ず鍋料理になっています。江戸時代は身分差で食事をとる時は一人分の御膳で座る席も順列があり、鍋は子鍋仕立て(せいぜい2人分くらい、遊郭が発祥とか)。明治以降大人数で食するスタイルに変わってきたそうです。ドジョウ鍋、牡蠣鍋、ちり鍋、軍鶏鍋、鴨鍋、桜鍋、ぼたん鍋、もみじ鍋、もつ鍋、そして西洋の牛肉料理の初めも牛鍋からスキ焼鍋への道でした。
残念なのは「なべ家 大塚 1935-2016年」の閉店、江戸料理を名乗り、料理本も出版されていました。
2017年に「ねぎま(葱と鮪の鍋) 北池袋」が元従業員の方がオープンしています。長く続いてほしいです。 ★TOP頁へ★ ☆和食TOPへ☆ ☆洋食 ☆中華 ☆ 食材の千変万化 ☆香辛料・調味料 ☆軽食 ☆喫茶・カフェ
■ 鮨屋
鮨と天麩羅のお店は同じような流れを通っています、最初屋台から始まり、徐々に高級化し、今はいろいろなタイプが共存する時代です。
プラス項目で書いたように、今は両方とも名前が主流、特に江戸時代から続く鮨屋の店名は消えていくよう。
変わって多いのは名前、姓名、それに京都の割烹と同様の地名が足されることが多くなってきています。
鮨屋は頭や尻尾に鮨、鮓、寿司とつくので名物料理名で「笹巻毛抜き寿司」(料理名掲載)コラム掲載の「稲荷すし」(稲荷屋)「志乃多寿し」(志乃多寿司(淡路町)))がある位でした。
上の名物鮨以外、鮨屋・天麩羅屋ともに定番の鮨○○、□□寿司、天△△、天ぷら××という頭・尻尾に付くパターンがずっと続いていました。
食材系の店名は人気のまぐろを店名に「まぐろ家 門前仲町 1983年」「ぎんざまぐろや 銀座 2002年」新店は「鮪家(ツナヤ) 恵比寿 2016年」鮪を英語のツナと読んでいます。江戸前の代表の鮨だねから「すし処小鰭 新橋 2012年」、苗字の羽田もかかっているそうです。
鮨屋まんまの直の店名は少ないですが「すし通 西麻布 2008年」「すし家 広尾 開店年不明、東京カレンダー2002年10月号別冊より」「すし家(鮨かねさかの分店) 銀座2012年」「おすしやさん 吉祥寺 1983年」。最後の店以外は超高級店。
あまり多くないですが、食材名で「醤(ヒシオ) 白金 1990年」「赤しゃり 下高井戸 2003年のガイド掲載」「鮓飯屋(スメシヤ) 江戸川橋 2011年」、ワサビは鮨だけではありませんが「鮨わさび 麻布十番 2008年」のように食べログでも6店あります。
回転寿司で握らないすしも多いので香港系の「板前寿司 赤坂 2007年ほか」、握りを店名に「鮨二斬(ニキリ) 恵比寿 2013年」「にぎりの一歩 北千住 2013年」「にぎりて 新宿 2015年」「にぎり屋八べえ 秋葉原 2017年」のような斬新な店名も出ています。
洋系のカリフォルニアロール鮨の「rainbow roll sush(レインボーロールスシ) 麻布十番 2001年」「ROLL’s(ロールズ) 銀座 2003年」メニューが思い切り洋なスシバー「SHARI(シャリ) 銀座 2011年」。
余談ですが外国から逆輸入の鮨屋も。ロブスター鮨が名物とか。
■ 天麩羅屋
屋台から始まったため、頭に天が付く店がとても多いので、食材名は天麩羅屋はとても少ない。学生街の神保町「いもや 神保町 1964-2017年、同名の北千住天麩羅いもやは1967年と食べログに」天丼いもやから改名の「神田天丼屋 九段下 2011年」
「いもや」は古い庶民的天麩羅屋なので、ネット上にはいろいろな情報ネタが載っていて『創業者が自分はいもだからといった』『天麩羅屋の前に大学いもを売っていたから』とありました。
かつてはてんぷら、天丼各4店以上あり「とんかついもや 東神田 既に閉店」も。
フードビジネス系チェーン店は「てんや 1989年、1号店八重洲」銀たこ経営の「からり 日本橋」関西のもう撤退した「天ぷらっと1999-2013年」写真は神戸から進出十割蕎麦と天ぷらの「EBISU FRY BAR(エビスフライバル) 恵比寿 2016年」、店名はfry、油で揚げる、人気者の天ぷらにフォーカスしているニューヨークスタイルバルとか。
🔲 麺類
うどん屋、蕎麦屋は食べ物屋として古く(京都の「尾張屋」1465年創業、最初菓子屋、後蕎麦も売る)、1660年代にはうどん、そばきりの名が資料にあり、吉原でけんどんそばが売りだされているそうです。江戸時代創業の老舗、立ち食いを含めたチェーン店が長く頑張っていました。
店によってはラーメンを含めた麺類全てをメニューに載せている蕎麦屋もあります。蕎麦屋は長い間、丼物も出す街の食堂、ファミレス。
関西ではうどん屋がそばを出し、関東では蕎麦屋が麺類全般、ラーメンも出す蕎麦屋もありズット、麺屋の中心でした。
■ 麺類ー蕎麦屋
藪、更科、砂場の店名だけで蕎麦屋だとわかる江戸時代からの老舗の偉大なる力。明治時代からの暖簾分けチェーン店「満留賀」「朝日屋」「浅野屋」「長寿庵」等も同じく蕎麦屋とわかりやすい店名。食べ物屋としては一番長く続いている店が多いです。
京橋小諸そば 1974年開店
浅草十和田 1970年開店
三軒茶屋安曇野 1986年開店
西荻窪鞍馬 1985年開店
それに加えて名産地の信濃、戸隠、安曇野の店名も立ち食いのチェーン「小諸そば」「箱根そば」も知られています。
上の「十和田 浅草 1970年」は南部蕎麦専門、近くの割烹「十和田 浅草 1924年」の支店。
「安曇野 三軒茶屋 1986年」、安曇野は山葵が名物ですが、水がきれいなので全国に名の轟く「翁」グループの「安曇野翁」があります。「鞍馬 西荻窪 1985年」も京都の鞍馬の水を使う蕎麦屋さん。
地方の美味しい蕎麦の名で出店するラーメン店のような事例もありました。「川上庵(長野県川上村) 南青山 2004年」「九頭龍蕎麦 神楽坂 2010年」「みよた(長野県) 表参道 2015年」
蕎麦銘柄では蕎麦の原型をからの「古式そば 湯島 1986-2016年」九州でかべやの屋号で営業していたのを上京して開業
「出雲そば 神保町 1951年」新潟「へぎそば」など。東京では明治末にすたれた熱いもり蕎麦は京都から「竹邑庵敦盛そば 新橋 1994年、既に閉店」
1890年『東京飲食店独案内』の中に「鴨南蛮 馬喰町」がある。笠屋の屋号があったそうなので名物蕎麦の名かも。明治初期「鴨南蛮 日本橋」が番付にあるそうです。
「鎌倉一茶庵」で修行した「くろ麦 青山一丁目 1978年」、くろ麦は蕎麦の古名、久呂無木から
そば粉10割の意味の「生粉打ち亭 江戸橋 1999-2007年(店名変更2007年から「芳とも庵) 牛込神楽坂)」
十割、二八蕎麦のそば粉の割合は頭に付くことが多いですが、「ここのつ 池袋 既に閉店」は蕎麦粉九割の意味です。「十八割蕎麦 湯島 2012年」は二八蕎麦と10割と両方を出す蕎麦屋」
今は蕎麦バルもあるので当たり前ですが・・・ほか「SOBAKURA(蕎麦蔵) 銀座 2007年既に閉店五反田店」のみ「SOBATERIA(ソバテリア) 代官山 2010年既に閉店浅草店のみ」。
写真の「東京バッソ 馬喰町 2012年」店名はソバを逆にした店名ですが、10割蕎麦の正統派
古文書にでてくる蕎麦の始まりのそば切り、蕎麦の焼餅や蕎麦がきと区別し、包丁で切る蕎麦の意味。この名で「蕎麦切り屋 2011年 最初南長崎、移転新江古田」
居酒屋と蕎麦屋の「手打ちそばバル蕎麦人(ソバット) 神田 2012年」「そば道(ミチーラーメン道楽が経営) 大井町 2012年」
一品のみの「京都鴨そば専門店浹(あまねーお客のブログでは鴨蕎麦が広く世界に知れ渡ってほしい願の店名とか) 小伝馬町 2013年」「鴨蕎麦尖(とつ) 自由が丘 2016年」、尖は尖がって抜きん出るに意味ですが・・。
下記の肉そばとは違う山形県の「肉そば家 笑梟 西新宿 2011年」
蕎麦はこだわればこだわるほどメニューのふり幅が少なくなるので、姓名に頭につく名で表すことがあります。「ソバキリ・・」「手打ち蕎麦○○」「石臼挽・・」「10割蕎麦・・」「江戸蕎麦○○」などです。
蕎麦の関係する漢字で玄ソバ(蕎麦の殻をかぶった収穫したままの蕎麦の実のこと)の玄と喬の一字からの店名も増えています。喬の字は一字でもソバと読むことができます。
最初につけたのは何処なのか、「一茶庵」系の「喬亭大黒屋 浅草 1977年」の『そば打ち一代 上野敏彦 平凡社2017』の中で師匠からもらったとか、同じ系列の「蕎上人(ソバショウニン) 浅草 1989年」は蕎麦教室を1998年に開くとき「浅草一茶庵」から改名したとかありますが、解りません。
「打心蕎庵(だしんそあん)ー打心はよんタテ、通常の挽きたて打ち立て茹でたてプラス採りたて) 下北沢 2006年」わざわざ、この蕎麦屋のように喬の字をソと読ませることも。
「日本橋蕎ノ字(ソノジ) 人形町 2016年」静岡県島田市(2002年開店)から天麩羅と蕎麦で発祥の地で勝負するために開店したとのこと。コンセプト『天ぷら食って蕎麦で〆る』
杵屋のチェーン店「そじぼう 大阪 1991年」は「蕎路房」と書き、蕎麦打ちの路を極めたお坊さんのことだそうです。
元祖は立ち食い蕎麦で取り上げた「港屋 新橋 2002年」ガッツリ肉と辛みラー油のつけ汁。頭に「つけ蕎麦」と付く蕎麦屋が出てきます。これから一気にラーメンのつけ麺ビジュアルの蕎麦が広がります、近頃ではトマト、パクチー、チーズ、ペペロンチーノ風まで。
既にネットには港屋インスペイヤ系の区分けのラーメン記事のような情報があります。「そば俺のだし(俺のそばから改名) 銀座 2014年」「蕎麦切ごうめん 亀有 2013年」「つけ蕎麦安土 高田馬場 2007年」「そばうさ 半蔵門 2015年」「十割つけ蕎麦ムラマサ 根津 2016年」食べログの新店は「神田つけ蕎麦わびすけ 神田 2017年」
同じ蕎麦で肉そばの名で「肉そばごん 西新橋 2014年」 最後に「カレーは飲み物」と同じ系列の長い店名の「なぜ蕎麦にラー油をいれるのか 池袋 1号店2010年」 ★TOP頁へ★ ☆和食TOPへ☆ ☆洋食TOP頁へ ☆中華TOP頁へ ☆ 食材の千変万化TOP頁へ ☆香辛料・調味料TOP頁へ ☆軽食TOP頁へ ☆喫茶・カフェTOP頁へ
■ 麺類ーうどん屋
東京のうどん屋も地方からが多く「讃岐茶屋 日本橋 1959年」「きしめん亭 銀座 1960年」「長崎ちゃんぼん」「博多うどん」など。うどん発祥の地は博多(発祥の碑があります。)、空海が中国から説での故郷である讃岐の地など。名の知れたうどんは地方が多いです。
特に讃岐うどんは1970年から4度のブームがあり、今も人気があります。
写真の「讃岐茶屋」は香川県高松市出身の初代が始めた讃岐うどんチェーン、銀座、京橋、田町店とありましたが、ただ1995年に大庄グループ傘下にはいりました。ほか「手打ちうどんさぬきや 高円寺 1964年」「さぬき屋 大手町 ガイド掲載(1975年東京たべあるき地図(昭文社)」「さぬきのうどんや 新宿区住吉 1997-2016年」
ブームでも讃岐を付ける店は今も多く、同じく産地の地名関連で「金毘羅 浜松町 1965年」「瀬戸内 平河町 1972年」「四国屋 中野区本町 1962年(最初製麺所として)」店主の妹さんの「手打ちうどん 四国屋 中野新橋 2007年」もあります。(オールアバウト記事のもうひとつの四国屋から)「こんぴら 八王子 1980年」「四国 吉祥寺」
東京では蕎麦よりメジャーではないのでガイド本も少ないのですが、ほかには「饂飩の家 下北沢」「うどんの蔵 田端 2010年」「うどんのう 赤坂」「名古屋うどん 日本橋 1896年」きしめんの「尾張屋 飯田橋 1923年」「博多うどん 八重洲」
材料の粉の当て字「古奈屋 巣鴨 1983年」はカレーうどんが有名でチェーン店もあります。
秋田の稲庭うどんは製造会社が銀座に「佐藤養助 銀座 2006年」「寛文五年堂 銀座 1984年、既に閉店」と会社名で。「いなにわ 西麻布 1978年、既に閉店」は「七代佐藤養助舖」の干饂飩を紹介する和食店
東京を圧倒しているのは讃岐うどんであることは間違いないようです。丸亀製麺、はなまるうどんのチェーン店、人気の再掲になる「丸香(香川の名店、山越で修業した店主) 神保町 2003年」「おにやんま 五反田 2010年」「純手打ち讃岐うどん五郎 錦糸町 2013年」など。うどんの大阪でも大阪讃岐うどんを名乗る「釜たけうどん 2003年」が人気
■ 麺類ーラーメン屋 ⓢー(追加2018.5.31)
ラーメン屋に麺類全般が寄っている麺業界の状況の今、ラーメン屋も中華から洋食へシフトしています。
オリーブ油やトマト、フレンチの出汁フォンをメインにするお店も増加。
明治以降居留地に入ってきた中国料理が1899年の居留地廃止に伴い、全国へ、麺料理も含め広がっていきました。
「來々軒」の味としては中華料理店「進來軒 千葉市 1968年」が継いでいるそうです。写真はネットで現存の一番古いラーメン店となっている「大勝軒 茅場町 1914年」今は中華料理店を挙げてみました。
さらに1923年の関東大震災のためラーメン店が東京横浜から全国へ移っていきました。
各地で各々の好みに沿ったラーメンが出来上がっていきました。
戦後マスコミ(1953年週刊朝日のラーメンの街札幌の記事)で取り上げたことで、札幌ラーメンの人気でご当地ラーメンのチェーン店が東京に大量にあふれる時代が長く続いていました。
さらに即席めんの『サッポロ一番みそラーメン』が1968年に発売が北海道ラーメンのイメージを高めていました。
八重洲どさん子 1961年開店
築地ふくちゃん 1984年開店
60年代だけでも、地名の「札幌や 渋谷 1965年」イメージ類語からの「えぞっ子 1966年」「えぞ菊 高田馬場 1968年」
企業系「どさん子 両国 1967年」は同様に「どさん娘 日暮里 1969年」「どさんこ大将 赤羽 1969年」これらを合わせて1200店舗が全盛期あったそうです。
写真の「どさん子」はHPには1961年(昭和36年)となっています。同じ企業何かはわかりません
熊のイメージもあり「熊五郎 大阪 1970年」「熊ぼっこ 稲荷町 1971年1号店」「熊っ子 高井戸 1977年」
九州からは本店の店名のまま「桂花ラーメン 新宿 1968年」「肥後のれん 新宿 1977年進出、2011年閉店」「赤のれん 西麻布 1948年博多開店、1978年進出」「九州じゃんがら 秋葉原 1984年」。以降、喜多方ラーメン、和歌山ラーメン等がブームになります。
横浜ラーメン博物館の『日本のラーメン史』によると、2000年からは『ご当地ラーメン』ではなく、作る人にスポットが当たる『ご当人ラーメン』ブームが始まったとか。
写真はの博多ラーメンの看板の「ふくちゃん 築地 1984年開店」です。博多からの明太子メーカーかねふくの経営の1号店。
ラーメンが一番新しく、最初は支那そばの呼び名で大正昭和前期まで呼ばれていました。
この呼び名は中国側が嫌悪して、その配慮のため、戦後は中華そばとなり、昭和30年代から、中国の呼び名、柳麺、老麺、拉麺からのラーメンが一般的になりました。(『蕎麦辞典』より)
横浜ラーメン博物館の『日本のラーメン史』ではラーメンの呼び名は1958年に発売した『日清チキンラーメン』の登場で全国に広がったとしていました。
荻窪丸福 1951年開店
三田ラーメン二郎 1968年開店
これらは主に頭や尻尾に付くことがほとんどでした。老舗から挙げていくと、以前のアップの「中華そば萬福 銀座 1929年」「中華そば共楽 銀座 1956年」「中華そば福寿 笹塚 1954年」「中華そば春木屋 荻窪 1949年」「丸長中華そば屋 荻窪 1948年」写真の「中華そば丸福 荻窪 1951年」は中華そば。
ラーメンの付く「谷ラーメン(谷は苗字) 有楽町 1967年」「ラーメン二郎 三田 1968年」「ラーメン三吉 銀座 1975年、既に閉店」。
支那そばは「支那そば勝丸 目黒 1971年」「支那そばしる幸 飯田橋 1977年」「支那そば屋こうや 四ツ谷 1983年」「支那そばびぜん亭 飯田橋 1976年」ここと親類の「支那そばきび 小川町 2001年」もあります。
飯田橋びぜん亭
1976年開店
有楽町芳蘭 1974年開店
意外と多い支那そば、字をかえた「志奈そば田なか 東池袋 2013年」は元イタリアンのシェフによるサラダ仕立てとか変わったラーメンです。
ラーメンがあまりに普通になったので、ちょっと戻った中国語の柳麺、拉麺を使う店もありました。柳麺は有名店の「柳麺ちゃぶ屋 新三河島 1996年」「柳麺はな火屋 新宿 1999年」。2000年代からは拉麺が多くなっていました。ほかラーメンの平仮名らあめん、らぁ麺、らー麺、字替えの羅麺等。
写真は60年代のお店が東京にはあまり残っていないので旭川から出店で古典札幌柳麺と付く「芳蘭 有楽町 1974年開店」。
「支那そば 西麻布 1981年」既に閉店していますが、ブログには懐かしい味として語られています。
テレビで知られて「支那そばや 神奈川県藤沢市鵠沼、今は横浜市戸塚 1986年」は東京ではないですが、全国にオーナーの頑固そのものの姿が伝えられています。自分の原体験のラーメンの味から付けた店名。
ほかに直ぐに閉店した「新橋柳麺 2013年」もネット上発見しました。食べログでは「拉麺屋 大泉学園 2012年」が載っています。」
自然派、オーガニックにこだわりの「めんめん 外神田 1993年」麺を特注にするこだわり、後更にオーガニックにこだわりが増し、「ラーメン創房玄 1999年-2005年」でラーメン作りの原点に返るとしています。(元店主のブログより)
「げんこつ屋 1980年 高円寺」。渋谷プライム「げんこつ屋 渋谷 1989年」へ実際に伺ったときはではこだわりのスープの素、豚骨のことをげんこつと呼ぶとありましたが、この伝説の店のいろいろなネット記事を読むと違うようです。『大切なものをげんこつに握りしめる。握りしめたものを次世代に伝える』だそうです。
「光麺 池袋1号店 1995年」は中国広州の言葉で『無、素麺』、余計なものが何もない本物の麺(店のHP)。「ラーメンゼロ 目黒 2008年、表参道にゼロプラス 2016年閉店」も調味料無添加の意味の店名。ネット記事を読むとこれらの店がらラーメン界の激流に抗う姿勢が見えて、感動してしまいました。
中華の領域を変えたのか「麺屋武蔵」。「支那そば」「中華そば」「ラーメン屋」」とか付けず、一気に日本食となり、中華の技を基本に手打麺、バラエティに富んだスープで中華から抜け出していきます。
店名も「麺屋○○」でわかるようになり、鮨、天麩羅と同じように使えるようになります。
「ラーメン 赤青 ムラサキ (RAMEN 赤青 MURASAKI) 小金井 2016年」鮨屋の殷語の醤油のムラサキ。鶏醤油ラーメンが自慢の店名「MURASAKI」が一番大きく看板にあります。
流行が塩ラーメンのせいか、食べログは塩と付くのがおおいですね。「俺流塩ラーメン 神楽坂 2010年」「塩の道 亀有 2012年」「しおまる 新橋 2011年既に閉店、錦糸町店」「鶏そばそると(英語の塩) 下北沢 2013年」
スープからの、上の項目アップので海老や鯛、マグロのほかに「紅葉(出汁につかう鶏の足のこと) 国分寺 2006年」「鮎ラーメン 二子玉川 2006年」「豚と鶏の物語 曙橋 2012年」「昆鰹和ジアン 吉祥寺 2014年」
使う食材の 以前アップのオリーブの木項目での「むぎとオリーブ 東銀座 2014年」新店「らーめん鴨to葱 御徒町 2017年」「らぁ麺レモン&フロマージュ 銀座 2018年」
今のラーメン店の店名は材料から料理法、麺の作り方まで列記される食べ物名のトップにいます。食べログからの「塩SOBA クワトロ・バリエ(Quattro Variationは4種類、の塩ラーメン) 府中本町 2017年」「東京スタイル鶏らーめん ど・みそ鶏 京橋 2018年」
あえ麺の「ヌードルボウルマゼ(NOODLE BOWL MAZE) 町田市 2017年」英語と日本語が文字通り混ざっています
ヌードルは麺類の意味ですが、「NOODLES(ヌードルス) 麻布十番 2000年、既に閉店」という世界各国麺料理専門店、蕎麦からラーメン、バスタまであったカフェ風レストランがありましたが、今は蕎麦職人で書きましたようにラーメンの世界で活躍しています。
新店「Noodle Stand Tokyo(ヌードルスタンドトーキョー)原宿 2017年」は立て看板が無ければ日本人には近寄れません。店名の頭にエシカルラーメンの頭付き?????
「東風汁麺屋(トウフウシルメンヤ)本店 九段下」、市ヶ谷、四ツ谷、人形町にありましたが、2012年までに閉店したようです。バラエティに富んだ麺系の料理がありました。
洋食
もっとも、単品の店名の多い洋食。最初の頃は西洋料理としてコースでしたが、普及してくると一品料理として完成されていきます。
三大洋食のコロッケ、カレー、トンカツがご飯のおかずとして日本食に取り入れられていきました。
洋食の二つの王者、フレンチとイタリアン、コロッケとトンカツ、オムレツはフレンチから発祥、イタリアンから単品ではアメリカ系譜のイタリアンのピザとパスタを取り込みました。
カレーはイギリスから(導入期カエルを使うフレンチ風のレシピもあり)
写真は「煉瓦亭 銀座 1895年」、ポークカツレツ(後のとんかつ)を1899年に、ライスオムレツ(オムライス)、エビフライは1901年からメニューに載せた、発祥の店
カツレツ、カレー、ステーキ、オムレツと、またそれぞれの変わりバージョンも今は多く存在します。たとえば、カレーのカレー蕎麦、カレーうどん、カツカレー、カレー丼のように。
◎ カレー ⓢー(追加2019.5.10)
真っ先に日本食化しましたが、単品の店名は意外と遅いカレー店。カレー粉、カレーの素、カレールーが多種類、売り出されていたので、家庭で割と簡単に調理出来て、家庭料理の定番。
多くのカレー本、料理本からガイド本まで書いている水野員裕氏の文章で『カレーは家庭料理の味、ラーメンはプロの味、カレーの料理本は多くあるがラーメンはない』とありました。
中村屋のインドカレーは1927年から出され、1958年のガイドにカレー店として紹介されています。
別のガイドではこれに「サンバード 銀座 1956年」が載っています。「サンバード」は1923年最初に発売した『ヒトリ印カレー粉』S&Bカレー系。後にヒトリの英語を会社の名前SUN太陽、BIRD鳥から。
ヱスビー食品はレトルトカレーの「カレーの王様」を1978年に売りだし、銀座の「サンバード」と一緒に並んでてこの名のカレー店もあります。(現在は別会社経営)
「C&Cカレー」はカレーとコーヒーの意味でずっと親会社の京王沿線のみだったのが2015年よりフランチャイズチェーン展開で、JR駅構内でも見かけます。
1960年代のカレーメニューの中身はカレールーよりは肉の中身、ビーフ、ポーク、野菜、魚貝、野菜で変化。(『カレー(儲かるメニュー) 柴田書店 1969』より)
フードビジネス系の「サクソン 赤坂」今はトップスに合体していますが、高級カレーとして名をなしていました。ヨーロッパ風としてロンドン(ビーフカレー)、パリ(チキンカレー)、マルセイユ(魚介カレー)、インド風もありました。
地名「デリー 湯島」「アシャカ 九段下」。唯一食材系は「ムルギー 渋谷 1951年」ムルギーは雛鳥、雛鳥入りのカレーのこと。
70年代に入ると、欧風カレー「ボンディ 1973年」から欧風カレー系列、フードビジネス系辛さの「ボルツ 1973年1号店」と幅が広がり始めます。
このボルツから「夢民(ムーミン) 高田馬場 1975年」」「モーティマハール」からの「夢屋 浅草 1984年」インド系列、エスニックカレーの「メーヤウ 信濃町 1983年」と続きます。
カレー専門のガイド本も80年代からの出版。「カレーライスの本 双葉社 1984年」、カレーマニアの方の本も90年代後半から。このころからカレーメニューが多様化してきたようです。
フレンチ風の店(日経食糧新聞によるとエスビー食品系列)「ブラッセリーデュカレー 銀座 1996年」「メゾンデュカレールー 西新宿」
「印度風カリーライス 日本橋室町 2007年に閉店」、元は喫茶店の店名があった(?)そうなんですが、B級グルメ本『B級グルメのこれが美味しい! 文藝春秋1993』に詳しく載っている一種類のカレーのみの店。ネット記事でも『蔦の絡まる謎のカレー店、通称蔦カレー』と評されていました。
食材系は「じゃがいも 四谷三丁目」「トマト 荻窪 1982年」「GHEE(ギー) 原宿 1982年頃」GHEEはインド系の油脂油名。
エスニック系は辛さのタイカレー「ピキヌー(ちいさな唐辛子) 駒沢大学 1993年頃」「とんがらし 三軒茶屋 1997年」
加える物で「薬膳カレーじねんじょ 根津 1987年」「燻製カレーくんかれ 人形町 2011年」「リゾットカレースタンド(イタリアンバルだけど締めのこのカレーを知ってほしくて店名にーHPより) 渋谷 2011年」
食べログ上ではインドカレーの系列がほとんどですが、北海道のご当地カレー『スーブカレー』は「マジックスパイス 札幌 1993年、下北沢2003年」も有名です。「スバイススマイル 水道橋 2012年」「イエロースパイス 東銀座 2012年」がスープカレー。山岳グッズの『モンベル』併設の「スパイスマジック」もあります。
いくつものスパイスを混合したもの、マサラの名がインド料理系列カレーの店に多くついています。チェーン店もありますね。それ以外に「ガムラマサラ 経堂 1997年」メキシコテイストの「レッドチリ 信濃町」
現在は生菜のタイ語名パクチーが有名ですが、ヨーロッパでは粉末のスパイスの名のコリアンダーの中国名からの「香菜軒 中野区上鷺宮 1994年、2016年鎌倉へ移転、香菜軒寓に」。
「もうやんカレー 西新橋ほか9店 1997年1号店」「カリヒオ(カレー+苗字の一字川をブラジル語リオ、なまってヒオ) 幡ヶ谷 2007年」「吉田カレー(小麦粉を使わず豚のコラーゲン使用のカレー) 荻窪 2011年」野菜いっぱいの「はるかなるカレー 銀座 2016年」オープしたばかりの牛タンカレーが評判の「スパイスカレーとくじろう 千駄木 2017年」
最近の店名は少し変わってきて、「火星カレー 池袋 2014年」、インドにも日本にもない宇宙からやってきたカレーのコンセプト。鹿肉、カンガルー肉もあるジビエカレー屋です。写真で見る限りカレーの色も火星の赤茶色のよう・・・。
新しいビジネス系は「ココイチ」の例に倣って形容詞付きカレー名が多くなっています。「上等カレー」「本気(マジ)カレー」「ヤミツキカレー」、少し違う牛丼松屋の「マイカリー」。
岩本町カレーノトリコ 2014年開店
下北沢カレーの惑星 2016年開店
工夫したカレーだす店名も一工夫のカレー店「カレースーパースター」「カレーの惑星」「カレーノトリコ」「グッドラックカレー」。
本家のインド料理、エスニック系と競争相手が多いカレー店、バリエーションも丼、鍋、蕎麦・うどん、ラーメンもありですが、頑張ってほしいです。
◎ とんかつ
とんかつ専門店は大正時代にはありました。発案者は銀座の洋食「煉瓦亭」のポークカツレツから始まっています。
その後元宮内庁大膳部に奉職していた島田信二郎氏が「ぽん多 上野 1905年」か「ポンチ軒 上野御徒町 1929年」ではじめてとんかつを売り出したそうです。
とんかつの名も彼が名付けたとされ、またもう一つの説はとんかつの看板出したのは「楽天 上野 1931年」「喜多八 浅草 1932年」という話、今もある「王ろじ 新宿 1921年」が最初という説ももあります。
カツレツは仏語コートレット、英語カットレットがカツレツになり、ポークカトレット、コートレットデポーがポークカツに変化していきます。
『とんかつ 儲かるメニューシリーズ6 柴田書店 1967年』ではビーフカツが優勢であったとき、忙しい調理場に通す呼称でビーフカツはカツ、とんかつは豚のカツがとんかつの平仮名で書き表すようになったのではとありました。
とんかつの名前は敵に勝つという縁起担ぎも手伝い、縁起に良い当て字、勝烈、勝列、勝礼津、佳津烈、活烈等が付けられます。横浜の「勝烈庵 1927年」が有名。
ほかに店名にはトンカツをトンとカツのどちらか店名にしているのが多いです。
『大東京うまいもの食べある記1935』には「カフェとんかつ 浅草」「とんかつの家 銀座」掲載。
目黒とんき
1939年開店
御徒町とん八
1947年
久米川かつ一 1966年
横浜勝烈庵 1927年
大御所「とんき(五反田とんきで修行) 目黒 1939年」と「かつ吉(カツキチ、創業者吉田吉之助 名前の一字をいれる) 水道橋 1962年」。この二つの例のように鮨屋と同じく「とん」と「かつ」に姓名や賀字を組む店名がほとんど。
初めてだと思うとんかつ専門本『東京とんかつ会議 山本益博ほか ぴあ 2017年』では「とんき」は「高円寺 1963年」、自由が丘、駒込、三軒茶屋、麹町、店名は違うが「たつみ亭 荻窪 1968年」「すずき 白金」が出身。
「かつ吉」は渋谷店(1988年開店 2016年に分社化、水道橋とは別会社に)、丸の内(2007年開店)、日比谷(2014年開店)、「丸五 秋葉原 1975年」「かつ正 浜松町」「かつ良 下北沢 1974年」「喝(カツ) 金町 1984年」が出ているそうです。
ほかにも古い店は「とん平 巣鴨 1951年」「かつ平 築地 1963年」「とん一 平井 1962年」上の写真「とん八 御徒町 1947年」「とんとん亭 新宿 1953年」「かつ進 湯島 1966年」「かつ銀 銀座 1980頃-2016年」「とん久 高田馬場 1971年」
豚の漢字で「豚珍館 新宿 1977年」ブタの読みで「豚組 乃木坂 2003年」「金の豚 八王子市 2012年」
勝の字の「勝漫 淡路町 1977年」「とことん勝屋 茅場町 2011年」
今も変わらずとんもかつも常用していますね。七つの部位の食べ比べコースで「とんかつひなた 高田馬場 2017年」が人気。
肉を揚げるのは大阪発の串カツもあります。「だるま 大阪新世界 1929年」が元祖とか。
揚げるものがカツと付いていますが、多種類、野菜の蓮根、葱、生姜、魚類、おでん種、一種類を串に刺したてんぷらに通じる揚げ物。
東京の多くの店は大阪からの出店。肉だけじゃなくいろいろ揚げる意味の「五味八珍 大阪 1937年に新宿店、現在は大阪店だけ」「串の坊 大阪法善寺 1950年、1970年年代新宿店、1980年銀座店」
ほか「串乃家 青山 1990」「QSY(クッシー) 原宿 1992年」「串蔵 新宿 2002年」「串音 渋谷 2007年」「九四(クシ) 神谷町」フードビジネス系「串亭 恵比寿 2006年1号店」はシャンパンと料理も女性向にもアレンジ。
2008年に東京発の居酒屋串揚げ店ピザーラ経営「串かつでんがな 渋谷1号店」「串かつ田中 世田谷区1号店」、その後「串だおれ 御徒町 2009年1号店」フジオフードの「串家物語」
一気に東京に増えた店は大阪の雰囲気を店名も持っていますね。
とんかつのチェーン店は「かつや 1998年1号店」。もちろん「さぼてん 新宿 1966年」「とんかつ和幸 1958年」も最初から頑張っています。
鶏と同じようにブランドから「黒ぶた」「平田牧場(酒田市で2002年とんやオープン)」の名も挙がっています。
牛のカツ、ビーフカツは関西では普通にカツの定番、東京ではとんかつに変わってしまいましたが、京都、大阪当たりではビーフカツは揚げてドミグラスソースがつく洋食の定番。
「きらく(2008年そよいち(最初そときちー創業者名)と二つの店に分かれる) 人形町 1951年」や「ステーキみその」がだした専門店「びふかつみその 新橋、後虎ノ門へ 1972-2011年」が東京では名が知られていました。
ネットの記事では岡田氏の「牛かつおか田 1996年 新橋」から始まった牛かつは牛肉はレア、ワサビを付けるタイプ。チェーン店「牛かつもと村 渋谷 2013年」と京都の「勝牛 京都 2014年、新宿2015年」」が店数増加中。ビフカツ・ビーフカツはほとんど店名にはつかないけど、牛かつは付けています。「浅草牛かつ 浅草 2014年」「牛かつはま野 吉祥寺 2015年」「熟成牛かつ銀座ぎゅう道 2016年」等。
2016年ネット記事には既にお客減少の記事もあるのでこれからが流行か定着かの正念場のようです。
◎ 外国の豚料理 (追加2021.10.16)
日本はとんかつ、生姜焼きの豚料理ですが、フランスでは結構な高級食材。
最初のビストロ「PETIT SALE(ビストロブティサレー豚肉塩煮込み) 渋谷 2007年」。
フレンチ店「オ・コション・ローズ 恵比寿 1993ー2007頃年」はフランスにも同名店があります。ガイドの説明は豚料理名となっていましたが、フランス料理事典には載っていません。
再掲の「Mon Petit Cochon Rose(モンプチコションローズ) 千石 2012年」は相当長い店名でブログによれば「プチコション」で最初考えていたそうです。調べると似たような店名が多くこの店名に。
写真の「バルコションローズ 恵比寿 2012年」はウインドウに居るピンクの豚の意味で、豚料理であることと、とんとん拍子他にいく願の意味もあります。他に「Queue de cochon(ビストロクゥドコションー豚の尻尾の煮込み料理) 千歳烏山 2012年」「プティコション 荻窪 2013年、2017年に別名改名」。ジブリアニメ豚に変身した飛行士の物語『紅の豚 1992年』の影響を受けている店名も見かけます。
総菜も扱う「ラブーシュリー グートン 日本梅宮沢町 2015年」。短い店名の「グートン」ですが、フランス語直訳『グートンさんの肉屋』どはなく、オーナーシェフの苗字、郷も掛かり、トンはとんかつのトン、Goûtons(グートン)で゛味、味わいの単語”Goûtの意味にかけている店名。
韓国語の豚はデジ「トォンデジ(豚丸ごとの意味とか) 渋谷 2001年」ビジネス系「韓豚屋(ハンデジヤ) 2006年1号店」「ベジデジや 渋谷 2013年、1号店2006年」、韓国料理サムギョクサル専門店「VEGE-PIG(ベジビッグー野菜と豚) 六本木 2014年」(食材とラッキーアイテムとしての両方の豚は『外国アイテム+(プラス)』へ )
日本語で豚肉のステーキ、略して豚テキの新店ポークステーキ専門店「POKUPOKU(ポクポク) 芝 2019年」「Mallory Pork Steak(マロリーポークステーキ) 自由が丘 2020年」肉の大きさでオリンポス級から富士山、高尾山級と5段階になっています。マロリーはイギリス人登山家名、『(山に登るのは)そこに山があるから』で有名。オーナーの新たなる挑戦の心意気。
スペイン産のブランド豚のイベリコ豚、以前アップの2店「EL CERDO(エルセルド(豚肉のスペイン語)」「イベリコ屋」以外に「PATA NEGRA(パタ・ネグラー脚が黒毛の意味、イベリコ豚の事) 銀座 2018年」イベリコ豚の好物の木の実「どんぐり 自由が丘 2010年」
ついでに牛の最高ステーキの部位牛ロースの仏語「アントルコート 麻布十番 『グルメのメニューブック'90 1989』掲載」は別会社が2021年六本木に『大人のファミレス』を目指してこの名で開店しました。
フランスの肉の惣菜店シャルキュトリー、肉の意味のchairと火を入れる意味cuiteiから。豚肉料理中心にパテから生ハムのプロシェット、パンチェット、サラミを扱う店に習いバル系店があります。「CHARCUT(シャルキュ) 虎ノ門 2013年」、ワインとシャルキュトリーのビストロ「chartro(シャルトロ) 新宿御苑 2016年」は推測でシャルキュトリーとビストロからの造語でしょうか。
プロシュッテリア、日本にはまだ馴染みのない乾きものと呼ばれる上のサラーメとワインを提供する店、「piglet(ピグレットー英語の子豚) 築地 2013年」そのまんまの店名の「La Prosciutteria(ラ・プロシュッテリア) 神楽坂 2014年」同じく「PETALO(ペタロー花弁の意味) 渋谷 2018年」花弁のようにカットされたハムの真ん中から可愛い尻尾の豚のトレードマーク。神楽坂も黄色い看板の豚さんがいます。
◎ ステーキ
肉を焼く料理ステーキは英語、仏語ステーク、語源は金串に刺して炙る料理。
ビフテキの語源はフランス語の説もあります。ビーフステーキ、ビフテキの元祖はコラムでアップした
「大阪スエヒロ」が、「ステーキみその 神戸 1945年、1960年東京へ」は鉄板焼ステーキの元祖高級店として専門店が関西方面の出店。
ほかに「ハテーキハウスハマ 六本木 1964年、大阪1946年」、暖簾分け店も含めて何度かの登場「麤皮 神戸 1956年、1967年西新橋」「オリムピック 赤坂、大阪から」「京都ゆたか 八重洲」姓名では神戸からの出店「ビフテキのカワムラ 銀座 2009年、2017年六本木店」
「ステーキみその」「ステーキハウスハマ」は地名からですが、ほかに60年代のガイドには「イセ 南青山」「コウベ 西新橋」「神戸モトマチ 赤坂、荻窪」「神戸ステーキハウス 福生市 1972年」「ステーキハウスモトマチ 自由が丘 1979年頃」「播磨 溜池山王 1992年」。肉屋卸の「カキヤスステーキ 銀座、松坂牛の三重県の柿安」以前掲載の「三田屋本店(本社兵庫県三田市) 池袋 1977年」松坂、但馬牛、三田牛とブランドの産地の牛肉使用です。他鉄板焼ステーキ「びーふ亭 人形町 1962年、喜扇亭に改名」は人形町今半の経営でした。
ステーキは単純な料理な分、鮨屋、割烹ののように料理人の腕が問われ、カウンターでの対応が多く、外見も「誠 日本橋 戦後すぐ」「入きん 最初浅草、後東銀座1999年より」のように看板が無かったり、紺色暖簾、紹介制等の高級感溢れる様子。ステーキは今や和食の高級割烹でメインの料理としても出てきます。
1960年代後半から1970年代はファミレス系「ステーキのあさくま 1962年」」「ステーキくに 東向島 1970年」「ステーキ宮 1975年」「ステーキてっぺい 1975年渋谷区1号店」「ステーキ亭 田無1号店 1976年」「ステーキのどん 1976年」「ステーキのくいしんぼ 渋谷 1977年、会社はサンチャレンジ1980年」
現社名ペッパーフードの「ステーキくに」は創業時ビフテキが一般的なメニュー名だったのをあえて馴染みのないステーキとしたとありました。(『肉ひと筋で勝つ 2016』) 「ステーキハウスフォルクス 1970年」は以前挙げたように国民・民商の意味でステーキを多くの人へという理念の店名。
1991年からの牛肉自由化、2001年BSEの波を受け超高級ホテルの専門店から、アメリカからの進出、「ペッパーランチ」経営のペッパーフードの店数急増中のの新庶民派「いきなりステーキ」まで細分化。
これに負けじとビジネス系も、クラフトビール店から業態変更のワイズテーブル「 STEAK THE FIRST(ステーキザファースト) 四ツ谷 2015年、2018年日本橋店」ステーキNo.1を謳っています。1俺のシリーズを展開する会社も2018年3月に「ステーキ 俺のグリル 銀座八」をオープン
吉祥寺「ステーキハウスさとう(会社は1948年から、1階売店は1974年から)」のように庶民的価格店と超高級店と同じタイブ「築地さとう 1989年」いっしょに経営、銀座の高級鮨屋の店名のような「銀座いしざき 2016年」ありますが・・・。
六本木には以前勘違いの経験を書いた「ステーキハウスチャコ 1960-2011年」がありました。銀座店も含めてオーナーの死により閉店していますが、ガイドには「ウェスタンチャコ」の店名で載っていました。50年以上たってもステーキはアメリカンなんですね。
ステーキ専門店で仏語は「ル・モンド 新宿 1989年」「とれび庵 上野 2014年」
イタリアンはビステッカの店名、再掲になるステーキの伊語入りの「エルビステッカーロディマニヤッチョーニ 新橋 2015年」頭に付く「ビステッケリア エノチカイルモーロ 銀座 2015年」「ビステッケリア イントルノ 銀座 2016年」皆銀座周辺なのは競争激しいエリアで少しでも違いを強調したいからでしょうね。
写真の店名変更しての直の食材店名「ビステッカ 赤坂 2015年開店」
もう一つの高級肉料理ローストビーフはホテルのビュッフェ中心で、オーブンで焼く肉料理。
ステーキとは違って普通のの家庭では作りにくい料理。1828年創業のイギリスのレストラン「シンプソンズ」はローストビーフの名店ですが、ここから伝えたのが「パレスホテル 1961年」初代田中徳三郎シェフ。
氏の工夫によりローストビーフは改築した「パレスホテル東京」でも受け継がれています。
ほかローストビーフを名物料理とする「シャーウッド 新宿 1972年のガイド掲載、既に閉店」有名フレンチ「ヴァンセーヌ 渋谷 1980年」の姉妹店。
食べ放題のブッフェ以外は目立たなかったローストビーフ。新店が「37 Roast Beef (サーティーセブン ローストビーフ) 表参道 2016年」はステーキの「37ステーキハウス 六本木」の姉妹店。ほか写真をみると赤字に白のローストビ―フの字が目立つ頭に付く「ローストビーフ専門店FUJIYAMA(フジヤマ) 五反田 2016年」キゼンというフートービジネス系、ハンバーグステーキ店の経営が上手くいかず、専門店の少ないローストビーフへ転換。
隣の神奈川県にはローストビーフの名店「鎌倉山 鎌倉 1971年」全国に有名。
今は和食の肉ずし、レッドロック丼の名のように丼の世界へ生き残る道を見つけてようです。写真の「ローストビーフ大野 秋葉原 2015年」も丼専門、でも吉祥寺店は飽きられたのか洋食 として「大野亭 2016年」に業態変更、丼もありますが、ステーキ、ハンバーグ、生姜焼き等があります。
肉フェスも2014年から多くの人が集まり大人気。空前の肉ブームなので、フードビジネス系も進出して来ています。「鬼ビーフ 渋谷1号店 2016年」、2017年にかけて一気に8店舗に増えています。
熟成肉、焼き方等は主役の出番、交代へ。
海の向こうではポピュラーな豚や羊のアバラ骨付肉を焼いたも、のポークチョップゃラムチョップも日本でも少しづつ知られてきています。
その名の付いた「ポークチョップス 赤羽橋 2012年」「ウルトラチュップス 麻布十番 2013年」「ワカヌイラムチョップ 麻布十番 2015年」同じ会社の「ラムダック 神楽坂 2016年」と「ラムミートテンダー 神保町 2015年」
◎ ハンバーグ
庶民的なのはヨーロッパからのハンバーグ、それをパンにはさんでアメリカンなハンバーガー(アメリカがすき?を見てください)。
江戸時代末の長崎にて、1861年(万延2年)のオランダ人医師、日本人医師の宴でハンブルクのステーキに日本人は初めてであったそうです。
生肉のタルタルステーキを起源としてドイツのハンブルグ周辺の家庭料理がヨーロッパにひろまったもの。
ハンバーグステーキは明治30年代には西洋料理店のメニューに仲間入りし、ジャーマン・ステーキ、ジャーマンビーフとなっていました。
コースではなく一品料理の「須田町食堂 1924年」にも13銭でだされていたとのこと。
今は店数が増えている「ゴールドラッシュ 渋谷 1980年」「モンブラン 浅草 1970年代、森下店1979年」
料理名では食べログで古いのは「ニューバーグ 高円寺 1969年」バリエーション豊富なハンバーグ専門店。洋食店の支店として、人手不足でハンバーグのみにして開店した「ハンバーグハウス 中野 1988年」
『東京グルメガイド2000年版』には「ザ・ハンバーグ 御茶ノ水 1983年」が、食べログには同名の「ザ・ハンバーグ 高田馬場 1988年」ありました。ネットでみると洋食「キッチンカロリー 神保町」関係者でつながっているようです。
肉バルだけどハンバーグ専門「バーグマン 銀座 2017年」、喫茶店「コーヒーエノモト」から代替わりで「榎本ハンバーグ研究所 西ヶ原 2015年」ほか
地名の「数寄屋バーグ 銀座 2007年」「新橋バーグ 新橋 2016-2018年」高級志向の黒毛和牛「大人のハンバーグ 田町 2009年、都内4店」
「いしがまやハンバーグ 吉祥寺 2010年、全国30店以上」セブン&アイ「ぐーばーぐ 武蔵小山 2010年、6店あったが既に閉店」コロワイドの「ハンバーグ魔王(アニメハクション大魔王の大好物だから)」柿安の「炭火焼ハンバーグカキヤス」日本レストランシステムズの「陶板焼きハンバーグ俵屋(俵型のハンバーグ)」
居酒屋のワタミも「にくスタ 蒲田 2017年1号店」肉の二大スターの肉塊ステーキとハンバーグにサラダバー付
パン(バウンズ)にはさむパテは同じ『アメリカがすき?』でアップのアメリカ発ハンバーガーはほとんどアメリカンワールドでした。2017年末に「バーグホリック 四谷三丁目 2017年」ハンバーガーとハンバーグの両方楽しめるカフェダイナーがオープンしています。仕事中毒のワークホリックのようにバーグ中毒の意味ですね。 ★TOP頁へ★ ☆和食TOPへ☆ ☆洋食TOP頁へ ☆中華TOP頁へ ☆ 食材の千変万化TOP頁へ ☆香辛料・調味料TOP頁へ ☆軽食TOP頁へ ☆喫茶・カフェTOP頁へ
◎ スパゲッティ・パスタ
フランス料理とイタリア料理ではイタリアが圧倒しています。フランス料理は料理の頂点にあり一品の料理では店は成り立たないようです。フレンチは多種多様で複雑で一品で成立には時間がかかりました。
0ではありませんが、広がりがありません。最初の頃にアップした「ブーシュ」「ポトフ」「ラグー」等。オムレットから転訛したオムレツはオムライス、オム焼きそば、オムスパと変幻。。
イタリアンのスパゲッティ、パスタとピザ、ピッツア。これらはアメリカ経由で先に入ってきました。
戦前は西洋素麺、穴あきうどん、イタリア饂飩と呼ばれたマカロニはマカロニグラタンのように洋食(新橋東洋軒が大正期にイタリアみやげのマカロニを出していた記事もあります。)の中にありましたが、パスタやスパゲッティは戦後に名前が出てきています。スパゲッティが最初ですが、この名はパスタの細めの乾麺の数多くある一種の名前でした。
パスタは和風化の方向に、ピザはピッツアとして本物のイタリアンの方向に続きます。
赤坂洋麺屋五右衛門
1号店1976年開店
中目黒関谷スパゲッティ
2013年
大井町鎌倉パスタ
2014年、1号店2006年開店
茅場町ズッバディパスタ
2016年
戦前にも少量の生産されていたマカロニが1955年に日粉食料が「オーマイカットマカロニ」、日本マカロニが「マ・マーマカロニ」を発売、次の年にはスパゲッティと続きます。
先に日本化したのはスパゲッティ。何度も登場の「壁の穴 渋谷」そしてそこで修行後独立の「ハシヤ 代々木八幡 1972-2018年」ハシヤは姓名橋谷さんから。
ここから通称ハシヤ系が多く店を出しています。「スパゲッティながい 四谷」「スパゲッティセキヤ 本郷三丁目 既に閉店」「スパゴ(スパゲッティの由来の伊語の細い紐状のものの意味) 神宮前 1982年」「スパザウルス 代々木上原 1992年」「すぱ吉 吉祥寺 2004年」
釜茹でを看板にして、チェーン店左上写真「洋麺屋五右衛門 渋谷 1976年」まるでナポリの「すぱじろう 恵比寿 2007年1号店」
ほかに東和フードサービス「スパゲッティ食堂ドナ 1993年1号店、最初1983年1号店が新宿のダッキーダックの店名ー幼児語あひるちゃん」、「スパゲッティファクトリー 新宿 1986年頃」
アメリカ西海岸で1969年オープンの「オールドスパゲッティファクトリー 高田馬場 1986年に上陸2013年閉店 神戸と名古屋にある」
フードビジネス系から山口県徳山市発の「ジョリーパスタ 1971年1号店 東京1号店1983年」「パスタハウス 銀座 1978年ガイド掲載」、三光の「パスタママ 新宿 1996年1号店」今は閉店したかつてし西洋フードシステムと提携していた「パスタベラ 池袋ほか、ジローの「マンマパスタ 2001年1号店」。グレードを上げた生パスタで和空間のサンマルクの「鎌倉パスタ 2006年1号店」新店「Mia PASTA(ミアパスタ) 神保町 2018年」
イタリアのシチリア風のパスタ専門店は地名エトナ火山を冠した「エトナ 銀座 1968-2011年」がネットで出てきます。
パスタが付く個々のお店は「ホームズパスタ 宇田川町 1988年」同名の「IVOホームズパスタ 新宿 1994年」「ビバパスタ 恵比寿 1993年」「ラパスタ 石神井公園 1998年」
今はロメスパと呼ばれる路麺店スパゲッティ屋が人気を集めています。茹で置き、太麺、大盛り等のカテゴリーがあるそうです。
中心はフードビジネス系「スパゲッティのパンチョ 渋谷1号店 2009年」豊創フーズの「葉゜す多家 西池袋 2012年」WDIの「ロメスパバルボア 日本橋室町 2011年」既に店はないですが、三光の「東京スパゲッチ 高田馬場 2011年」
個人店は「カルボ(バスタのカルボナーラから) 浅草 2010年」「スパゲッティキング 新橋 2012年既に閉店」先の「スパゲッティセキヤ」と関係あるのか不明ですが、写真の「関谷スパゲッティ 中目黒 2013年」もあります。
もちろんこの項目には当てはまりませんが、ロメスパの聖地「ジャポネ 銀座西 1980年」は人気。ジャポネももしかすると日本風(ジャポネ)スパゲッティの意味なのかも・・・。
肉の意味ではないミートソースパスタ専門「ミート屋 阿佐ヶ谷 2007年(ネット記事ではハシヤ系吉祥寺「スパ吉」2号店だそうです。)」フードビジネス系「MEAT酒場 浅草橋1号店 2014年」はミートソーススパゲティをメインにしています。
幅広パスタにミートソースを載せて焼く「ラザニ屋 高円寺 2013年」はラザニヤ専門店
同じく「俺たちのナポリタン 一番町 2013年」、冗談のような「タラタラタラッコ 代官山 2016年」タラコスパゲッティの専門店。
右下写真の「ズッバディパスタ 茅場町 2016年」はスープパスタで、ファミレスのサイゼリアの系列
麺好きの日本人はいろいろな形の店名を作りだいしています。イタリアンでも「ビノエパスタ 原宿 1983年」再掲の「パスタパスタ 原宿 1985年」「イル・リストパスティフィーチョ・ダ・アッカ(Pastificio パスタ工房 のある Ristorante レストラン。アッカは名前のヒデアキの頭文字) 千駄木 2016年」
まるでラーメン屋のような付け方の「sisi煮干啖(ししにぼたん) 日本橋 2018年」、もちろん煮干しを使ったパスタで、にぼたんというメニューです。音は花札の『唐獅子に牡丹』から。
お客から?のネット記事が多いのは「ぱすたかん 新宿1号店 1983年」フードビジネス系東和フーズのお好み焼きのチェーン店。パスタは粉もの料理の総称のイタリア語なのでつけたそうですが・・・。
◎ ピザ ⓢー追 加(2019.3.12)
ピザはアメリカ風から元軍人のニコラ・ザペッティ氏がはじめた本物のピザを出していた当時人気の「ニコラス 六本木 1954-2018年」「シシリア」六本木 1954年」から、「トニーズピザ(ニューヨークスタイルのタイムズスクエアのピッツア屋TONY'sから)吉祥寺 1968年最初代々木」。六本木の「ニコラス」で働いていた方のピザに使う香料オレガノから「オリガノ 大井町 1974年」。イタリアンチェーンの先駆けジローの「ピサ゜ハウス 渋谷1号店 1970年」
ピザはスパゲティのように和食の味に変化する前に、一気に本場のピッツアとして広がっていきました。
店名としては頭に「ピッツエリア」がつくタイプが多く、スパゲティのように多様な変化はしませんでした。「リストランテ・イタリアーノ・サバティーニ 北青山 1981年」のカジュアル店「ピッツェリアサバティーニ 1983年」が最初の頃の事例でしょう。
チェーン店が多数の中、少ないですが新しい店は「ピッツァオーラ(ピザ職人の意味) 小岩 2013年」「ピッツアダバッボ(ピザを焼く頑固親父のイメージ) 人形町 2006年」直球の「ビザバル 人形町 2012年」
イタリアンのガイド本『食べ歩きイタリアン東京 昭文社 1998』と『東京イタリアン案内 ぴあ 2003』を比べると15年間でパスタからピッツアへと写真や記事の量から人気が移ったのがわかります。
ピザは”本場”の力が強く、地名の本場のナポリの方が前にアップしたように地名ナポリ変化系も含め活躍しています。
本家からの出店「アンティーカ・ピッツェリア・ダ・ミケーレ 恵比寿 2012年」も来ています。
「800°DEGREES(デイグリーズー800℃の薪窯で90秒焼く。2012年LA発のナポリタンピッツア) 新宿 2016年」。
ニューヨークジャズのスタンダードをイメージする「APIZZA(エーピッツァ) 池袋 2012年1号店」のようなチェーン店も展開し始めています。アメリカンの一人前のビザがAの形なのでこう呼ばれているそうです。(お店のHP)
上の「ピッツアマン」の店主は元ジャズマンであることからか、ピッツアはナポリだけど、かつての店名は「サヴォイ」「聖林館」アメリカンでしたね。(アメリカがすき?参照)
2018年オープンの食材系の野菜ピサ゜「VEGE PIZZA 吉祥寺」が食べログにあります。新しい波でしょうかね。ちょっと前に「C’est Moi!(セ・モアー仏語私よ!) 三軒茶屋 2009年」がフリッツァ専門店、フリッツ揚げ物、ピッツアの揚げピザの店がありました。京都にも「フリッツケイ (Fritz K) 2012年」があり、イタリアではポピュラーの揚げピッツアと記事があります。
ピッツェリアやピザが付付かず、窯が付く店名もでて来ています。こだわるピッツア職人はイタリア仕様の石窯(フォルノ)を持ち込んでいます。「イルフォルノ 六本木 1991年」、アメリカ、サンタモニカに本店を持つピラミデビルの中にあったイタリアンレストランが最初のほうでしょう。チェーン店「ナポリの窯 仙台市1号店 2005年」があります。 ★TOP頁へ★ ☆和食TOPへ☆ ☆洋食TOP頁へ ☆中華TOP頁へ ☆ 食材の千変万化TOP頁へ ☆香辛料・調味料TOP頁へ ☆軽食TOP頁へ ☆喫茶・カフェTOP頁へ
中華
洋食より遅れての開店になります。中国が唐と呼ばれていた時代から饅頭、麺類、精進と中国から食材を含めて大量に入ってはいましたが、食べ物屋では中華風に一部取り入れた、卓袱料理として長崎から京都へ「佐野屋嘉兵衛 1719年」が創業。あまり評判は良くなかったそうです。
「佐野屋」は京都鳥居本につながる料亭で、「鳥居本」は卓袱料理をさらに工夫して「祇園料理」として洗練されたものに仕上げていった歴史があります。
もうひとつの禅宗の黄檗宗からの「普茶料理」も中国からで、江戸初期に京都満福寺開祖隠元禅師が伝えています。鎌倉期に入ってきた精進料理より食の愉しみをくわえた中国風精進料理。禅寺では続いていますが、東京は「梵 入谷 1959年」位です。
明治に入り肉食が奨励されると、最初に「永和 築地入舟 1877年」財界人御用達として「偕楽園 八丁堀 1883年」が、「晩翠軒 虎ノ門 1896年」「維新號 神田 1899年」、麵屋として「来々軒 浅草 1911年」と続いていきます。
★ 餃子
テイクアウトでは「中村屋の中華饅頭、月餅」が1927年から、「崎陽軒の焼売」が1928年からは発売。
単品ではラーメン屋の後の餃子店が中心。料理としてはチャオヅとして料理書には載っていました。
長く中国の首都であった西安(かつての長安)発祥の料理。銀貨の形に似ているので祝い物としてに商売繁昌、子孫繁栄を祈る正月料理
蒸したり、茹でたりする調理が中国では主流。
お店は戦後の引き揚げ者から、焼き餃子が宇都宮の軍人から始まったとか。
中華店の一品としては「泰興楼 八重洲 1949年」のジャンボ餃子、食べログ上の「永楽 新小岩 1936年」が古い有名中華店
戦後出てきたのは「餃子荘ムロ(オーナー苗字の一字の室ームロから?) 高田馬場 1954年」、最初は店名が「餃子や」の「餃子の王さま 浅草 1954年」「餃子の末っ子 浅草 1959年」
「スヰートポーズ(包子餃子) 神保町 1936年満州食堂、今の店名は1955年から」『是味多』の読みスィウォートゥをスヰーと美味しい餃子の意味。包子はパオズで中国の饅頭、餃子のあたる言葉。
当時はモダンすぎて客に何を売っているのかわからいと言われていたそうです。
近くの「おけ以 1954年」も餃子で有名でしたが、今は飯田橋に移転。
「みんみん」は唯一の餃子のブランド名になっています。東京の唯一の暖簾分け店「赤坂珉珉 1950年」。渋谷から店名をもらった「大阪珉珉 1953年」渋谷とは関連不明の「みんみん 吉祥寺 1973年(ぐるなびでは1959年)」
「宇都宮みんみん(最初ハウザーの店名、メニューは天津餃子の名) 1958年」はこれらの店とは関係ないとしていますが、どうやら商標権の侵害の訴えで最初の珉珉から平仮名のみんみん(HPには元の珉珉の意味から庶民の宝物としています。)に変更したようです。
「宇都宮みんみん」創業時に渋谷の常連客から餃子なら「珉珉」といわれて付けたそうですが、その頃にはブランド名が出来上がっていたということですね。
ほかサラダ餃子のあった「餃子喰人 東小金井 2000年前半に閉店」100個食べるとただという「ぎょうざ屋 品川区荏原、既に閉店」
食べログで見つけたのは「餃子とビール 大井町 2015年」という身もふたもない店名。多種類の激安餃子を食べれことができます。受けが良かったのか姉妹店「餃子とワイン屋 大森 2017年」も開店しています。
店がある場所の地名でも「亀戸餃子 最初大島店1号店1950年、今は店名に合わせ亀戸本店」「神田餃子屋 1979年、多店展開名は天鴻餃子房の店名」オープン。
「ファイト餃子 1973年 巣鴨、本店千葉県野田市本店(ホワイト餃子ー白さんが生み出した餃子、その本店に発音が似ていて、元気が出そうな雰囲気でファイト)」
本場中国からの出店「老辺(ローベン)餃子館 新宿 1985年」本店は1829年(清王朝末期)に老福老人が生み出した蒸し餃子店。
ラーメンの添え物的扱いの多かった餃子も「ナムコ餃子タウン 池袋 2002年」や宇都宮の餃子で町おこし運動と、話題になり、一本立ち。
はやりのインスタ映えしそうな「線條手打餃子専門店 池袋 2006年」は自然派志向。
最近は地名と料理系の店名オンパレード。地名「世田谷餃子 千歳烏山 2014年」「渋谷餃子 2013年」「赤坂餃子楼 赤坂 2014年」「浅草恵比寿餃子 浅草 2011年」「巣鴨餃子房 巣鴨 2016年」
料理素材系「俺流餃子楼 神泉 2014年」「珍味餃子房 駒込 2012年」「肉汁水餃子餃包(ギョーパオ) 六本木 2012年」「菜香餃子房 北千住 2013年」「むし焼包餃子 渋谷 2014年」「下北グレイヴィ餃子(グレイヴィは肉汁の意味) 下北沢 2016年」
「餃子バル 高円寺 2005年、赤坂へ移転2008年」は餃子バルの先駆けで本にも載っているお店。エスニック、タイ風餃子が売り。
味の素冷凍食品が2017年から2022年の5年間限定の「GYOZA IT(ギョウザイットー餃子しよう) 赤坂」をオープン。世界に餃子の魅力を発信する店がコンセプト。とんかつのかつやも「新橋ぎょうざ 2016年」をオープンしたのですが、すぐ店名が和風餃子を売りだったのに、「台湾ぎょうざ」に変更、一年も経たず閉店。
企業系列は数々の変わり餃子で有名だった「餃子センター 自由ケ丘 1966-2012年」のような店名「日本餃子センター 豪徳寺 2018年」が合うかも。
ラーメンが専門化して以前のように中華レストランを意味しなくなったので、実際「餃子の王将」もそうですが、一押しメニュー、餃子を店名にしてほかの中華料理も出す店がとても多いです。上にあげた「紅虎餃子」「タイガー餃子会館」MPキッチンの「渋谷餃子 2013年」、「江南広場」から改名の2017年の「餃子広場 南品川」も餃子以外の多数のメニューがあります。
トップに挙げた「泰興楼 八重洲」は頭に「餃子老店」を付けたガイド例もあります。
★ 小籠包(ショウロンポウ)
餃子に続く洋食のように次々と続いての一品料理店はなかなか多くは登場してきません。
もう一つの人気者焼売はいまひとつ、横浜には「崎陽軒」「博雅」東京も「焼売太楼 新橋 1948年」専門店はありましたが・・・。
新しい処で増えているのはは小籠包、焼き小籠包、刀削麺など。小籠包は1960年代には中華レストラン(芝大門の「新亜飯店」)でメニューにあったそうです。
台湾からは「鼎泰豐(ディンタイフォン)新宿高島屋 1996年」「京鼎樓 恵比寿本店(ジンディンロウ) 2005年」で人気に火が付いたようです。ほかにサンマルクと同じ会社の「台湾小籠包 池袋 2012年」
焼き小籠包は「小陽生煎饅頭屋 (ショウヨウセンチンマンジュウヤ) 町田 2006年」「大山生煎(タイザンシェンジェンテン) 自由が丘 2009年」「上海 焼き小籠包 吉祥寺 2010年」「永祥生煎館 池袋 2010年」当たりから名が広まっていきました。開店年不明の「上海生煎包 (シャンハイシェンジェン) 新大久保」はメニューもお店も現地度高めとか。
フードビジネス系で「ギョウザマニア 西荻窪 2017年」の同じ会社が同様のコンセプト(肉は挽きたて・皮は打ちたて・餡は包みたて・水餃子は湯でたて・焼餃子は焼きたて」の5つの「たて」ーフードスタジアムより)で皮から伸ばす「小籠包マニア 神田 2018年」をオープンしました。メインは小籠包ですが、いろいろな中華料理も出しています。
★ 刀削麺 ⓢー(追加2018.5.16)
麺料理では大阪で「台湾料理東(1992年に一時閉店、2011年ビストロAz(アズ)/ビーフン東)として再開」1946年の開店した東京進出店「ビーフン東(東はオーナー姉妹の苗字、最初阿津満の店名 かつて台湾で東楼を経営(『変わらない店2018より』)) 新橋 1951年」も米粉の麺ビーフンと中華粽で永く頑張っていますが一品専門店としては普及はしていません。
山西省の麺料理、刀削麺は練った小麦粉の塊を専門のナイフ、刀で鍋に削り入れる、よく日本のすいとんようだといわれる麺。ネットでどこが最初か見ましたが不明。
「晋風樓 自由が丘 1985年頃-2001年」は山西省料理を看板に、現地の店と提携して職人を雇い、ガイド本に刀削麺を削る写真を載せていました。ハシリの店でしょう。
1995年に陳龍湧氏の「陳家私菜 赤坂 1995年」が麻辣刀削麺を初めて出したとHPにはありました。
2005年位から「刀削麺園 東銀座 2005年」「刀削麺酒家 日本橋 2005年、茅場町もあり」「唐朝刀削麺 西新宿 2011年、赤坂店もあり」 フードビジネス豊創グループの「XI´AN シーアン(西安) 神田 1999年」でも刀削麺をメニューに載せています。
古く漢時代から都、西安、日本の平安時代の京都のモデルとなった長安がかつての地名。
シルクロードの到着地で、香料たっぷりの四川料理の影響を受けていて麻辣の味付けの料理。
同じく西安料理の「張家(チョウヤ) 恵比寿 2009年1号店」本場中国の『西安飯荘』の総料理長張利軍氏の店でも刀削麺が看板料理。
旅行会社の経営の「西安刀削麺酒樓 三田1号店 2003年」は全部で11店舗も増えています。
『オールアバウト』の記事ではフードビジネス系の「刀削麺唐屋 秋葉原本店」が刀削麺専門店の最初だとしていました。削るロボットがいる事でも有名な店
これらは中国本土、台湾、横浜。神戸の中華街から出店が多いように見受けます。技量が必要な料理でもあります。でも日本人によるものより本場もんへのあこがれがつよいのかも。 ★TOP頁へ★ ☆和食TOPへ☆ ☆洋食TOP頁へ ☆中華TOP頁へ ☆ 食材の千変万化TOP頁へ ☆香辛料・調味料TOP頁へ ☆軽食TOP頁へ ☆喫茶・カフェTOP頁へ
★ ジンギスカン鍋
もうひとつ古くからあるのはジンギスカン料理。「成吉思荘 高円寺 1935(1936年の説も)-1996年」、元々、北京の名物料理の羊焼羊肉(烤羊肉コーヤンロー)を看板にしたもの。
前記の餃子で有名になった「珉珉羊肉館(ミンミンヨーローカン)」も同じ料理。
ジンギスカンは北海道も戦後始まったとのこと。長く北海道の郷土料理扱いでした。
2006年からの狂牛病ことBSEの影響で羊肉が注目、東京に一気に増加。「中目黒ひつじ本店 2004年」「ラムジンギスカン羊々 三軒茶屋 2004年」「赤丸ジンギス 四谷三丁目 2005年」
でも一過性のブームで2年も経たずに減っていきました。
「ひつじもん 渋谷 2013年」「CoCo Hitsuji(ココヒツジ)大森 2014年」「羊 六本木 2015年」「銀座ひつじ座 2016年」。居酒屋チェーン大庄も頭に羊の付く「羊肉酒場悟大 水道橋 2016年」を展開中。羊が付く店名が増えていました。
火鍋では「火鍋屋 赤坂 2000年」「領頭羊火鍋 (リントォヤンヒナベ、領頭羊の意味はリーダー、群れの頂点に立つ指導者の意味)平井 2005年」「逸品火鍋 池袋 2007年」
モンゴル本店から「小肥羊(シャオヘェイヤン) 大久保 2007年1号店」も店数増加中。
焼肉、串焼でも人気の中華「味坊 神田 2000年」の姉妹店は「味坊鉄鍋荘 湯島 2016年」「羊香(ヤンシャン)味坊 御徒町 2016年」とワインとパクチー、羊肉中心。1995年来日の中国・黒竜江省チチハルの出身の梁宝璋(リョ・ホウショウ)氏の店
中華ではないジンギスカンの「羊SUNRISE(ヒツジサンライズー羊の夜明け、羊に光を。羊の美味しさを伝える役目を想いに) 麻布十番 2016年」も多くの雑誌に出ていました。2018年には「仔羊こだわり屋 麻布十番 2018年」が北の果てのアイスランド産ラムにこだわったお店もオープン。
★ 四川料理
四川料理は有名な「四川飯店 田村町(今の西新橋) 1958年開店、現在は平河町1970年から」のオーナー陳建民氏がひろめました。
中華は日本では地域別に北京料理、上海料理、広東料理。四川料理の四大料理と区分して、一番日本から遠い内陸のエリアなので四川が一番遅く入ってきたそうです。
陳建民氏のキャラクターやNHKの料理番組出演、息子の陳健一氏の『料理の鉄人』出演でネームバリューがあり広く知られています。
また。四川料理は一品料理が発達していて、それが日本人に受けたようです。
辛い系料理系の四川料理、麻婆豆腐、坦々麺とエビチリ、棒棒鶏、よだれ鶏等。
辛いものブーム(1986年以降、激辛が流行語。 2017年は第二次ブームとか)で単品の店が増えています。
ほかにやきとり「すみれ家」のエムリー系列「陳麻家チェーン店 初台店1号店2007年」マスコミ的には「麻辣王豆腐 新宿三丁目 2009年」「東京麻婆食堂(2018年新橋担々麺つるやにリニューアル) 赤坂 2012-2018年」が有名。
担々麺は古いのは「ニュータンタン本舗 川崎市 1963年」ですが、一般的な担々麺とは少し違う独自のタイプです。
もうひとつは「蒙古タンメン中本 上板橋 2000年」、タンメンとありますが、湯麵ではなく。辛いラーメン系列。両店ともチェーン店多数。
ラーメンの一種の扱いなので、同様に「タンタンメンヤ」のような直な店名はすくなく、頭や尻尾に付くことがおおいですね。
「希須林 担々麺屋(キスリン タンタンメンヤ) 赤坂 2005年」 「香氣四川担々麺条(コウキシセンメンジョウ) 学芸大学 2005年」「担々麺辣椒漢(ラショウハン) 神田錦町 2007年」。「175°DENO担々麺(ヒャクナナジュウゴド デノタンタンメンー175℃は辣油つくる調理温度、DENOデノは店主オリジナルの意味) 銀座 2018年、札幌から進出、西新宿店もあり」。
広島発の汁なし担々麺が今の流行です。元々は四川料理の担々麺は汁なしだったそうです。「めだかタンタン 立川 2014年」つけ麺「つじ田」系「成都正宗担々麺 つじ田 (セイトマサムネタンタンメン ツジタ) 小川町 2016年」「汁なし担担麺ピリリ 人形町 2016年」「タンタンタイガー 蔵前 2016年」「たん担めん麺 炎真 (タンタンメンメン エンシン) 亀有 2016年」「SHIBIRE NOODLE 蝋燭屋 (シビレヌードルロウソクヤ) 銀座 2017年」どの店名も辛そう!!!。
「南淡北鹹、東酸西辣」(ナンタン・ペイシェン、トンスアン・シーラー)があります。これは読んで字のごとく、「南はあっさり味で、北は塩気が強く、東はすっぱく、西は辛い」という意味。(HPオールアバウトの記事より) 四川は麻辣が味付けの基本で、辣油のラーの字辣を使った店名、熱い辛さの意味も増えています。「辣辛房 四ツ谷 既に閉店」「栄記香辣房 人形町 2008年」「香辣家 虎ノ門 2013年」
麻の字も本来は香辛料「花椒」の意味。フードビジネス系アトミックハート「円麻堂 赤坂 2004年1号店」があります。
両方の字で「麻辣道場 市ヶ谷 2008年」「麻辣椀 久米川 2016年」「麻辣大学 上野 2017年」「麻辣TAN 新宿」 ★TOP頁へ★> ☆和食TOPへ☆ ☆洋食TOP頁へ ☆中華TOP頁へ ☆ 食材の千変万化TOP頁へ ☆香辛料・調味料TOP頁へ ☆軽食TOP頁へ ☆喫茶・カフェTOP頁へ
食材の千変万化
米と野菜と魚貝類の食事から、中国から豆腐や麺類、饅頭等、ポルトガルからの天麩羅明治以降の肉食料理と一緒に入ってきた西洋料理のいろいろな食材。日本人はそれらと格闘しながら時にはまねをし、時には西洋のものとは全く違う料理に仕上げたりしています。先のカレーやラーメンを見ればその凄まじいバリエーション、千変万化にはもう驚くばかりです。
◆ アジア系肉料理ー焼肉 (追加2018.5.31)
洋食のステーキのほかに焼く肉料理には大きな業態で焼肉屋があります。朝鮮の肉料理、プルコギからの発祥の焼肉料理、プルコギは直訳火の肉。
ホルモン焼き、もつ焼として第二次世界大戦後関西からひろがり、中部、関東と普及していきました。
戦後この「明月館」の店名ががブランドとなり全国に広まっています。在日のオーナーの店が多かったので朝鮮半島の地名が多数ありました。
焼肉の生付けダレのメーカー「モランボン」も牡丹峰の地名。
尻尾に苑・圓・館がつくことも「明月館 新宿 1946年頃」「食道園 大阪千日前 1946年、東京1948年」「太昌園 銀座 戦後すぐ」「清香園 銀座 1951年」「長春館 新宿三丁目 1954年」など。
家庭料理(「草の家 麻布十番 1977年」「鳳仙花 麻布十番 1980年」)、宮廷料理(「南漢亭」「松の実 飯田橋 1998年」)を出す店もできたのですが、韓国朝鮮料理イコール焼肉の時代が出来上がっていきます。ガイドにも韓国朝鮮料理店の中に焼肉が入っている例が多くありました。
韓国朝鮮料理店ではないただの焼肉店もオープン。先の料理関係の中の調理法に取り上げた 叙々苑が焼肉の焼ける音の先駆けの一店。ほかにも多数。
1988年のソウルオリンピック以降、庶民的な安価な豚牛の内臓系の肉料理から現在は超高級料理に変貌しています。
1990年代にはチェーン店も増加します。「牛繁 府中市 1988年1号店」「あみやき亭 1995年愛知県1号店」「牛角 1997年、1996年に焼肉市場七輪として開店」「焼肉トラジ 恵比寿 1996年1号店」「七輪焼肉安安 三軒茶屋 2000年1号店」
国立牛繁 (府中市 1988年1号店)
三軒茶屋牛角 1997年開店
恵比寿チャンピオン 2005年開店
赤坂カルビ道場 2010年開店
ホルモン焼きからのイメージで当初から迫力が溢れる店名多数。「スタミナ苑 月島 1950年」「焼肉ジャンボ 篠崎 1988年」チェーン店「すたみな太郎 1978年1号店」「ギュービック(牛Gyuがビッグbig) 上板橋 1987年」「焼肉チャンピオン(焼肉の街恵比寿のチャンピオンたらんとする心意気ーお店のHP) 恵比寿 2005年」「焼肉グレート 神田 2005年」「焼肉キング 御徒町 2007年、石川県発祥」「焼肉ブラックホール 歌舞伎町 2009年」「新鮮ホルモンランボー 麻布十番 2011年頃」
客が焼く調理法は簡単で肉そのものがもっとも大事な要素。こだわりのタレもありますが、肉の部位種も多くそれを味わう楽しみも焼肉にはあります。カルビ、ハラミ、バラ、ガツ、アカセンマイ、ミノ、タン。
肉のそのものの「ホルモン市場 水道橋 2001年」「なかみ屋本店(中身、内臓のこと) 六本木 1996年」「かるびあーの 新橋 2006年」「カルビ道場 赤坂 2010年」「カルビちゃん 新宿 2011年」「加留美亭 東陽町 2012年」。「さぶとん(最高級の肩ロース部位) 渋谷 2011年」
多いのは地名をプラス、「亀戸ホルモン 亀戸 2000年頃(料理長が独立したときはさらに名前プラス「初代亀戸ホルモン吉田」)」「新宿ホルモン 新宿三丁目 2001年」「恵比寿一丁目ホルモン 2009年」ほか。
牛と肉とつくのも、「焼肉苑」「牛苑」「牛庵」「牛道」「牛玄」「金肉」「肉縁」「肉の楽園」「肉の頂」「肉三昧」と、とても大量にあります。牛の漢字の訓読みウシと音読みギュウではギュウの方が圧倒していますね。チェ―ン店は牛角はギュウカク、牛繁はギュウシゲ。
ただし英語の黒牛の「BLACOWS (ブラッカウズ) 2009年恵比寿西」はハンバーガー店
超高級焼肉店でも「叙々苑」系列の「游玄亭(水のように流れるひと時を楽しく過ごす遊びの達人の集まるところ) 西麻布」ようにいかにもの店名もありますが、「SATOブリアン(最高級の部位シャトーブリアンを掛けて) 阿佐ヶ谷 2011年」「よろにく(よろしいお肉) 表参道 2007年」よろにくの2号店「赤坂みすじ(通名みすじ通りと同じく部位ミスジ) 2010年」「ら・ぼうふ(La Boeufー仏語牛からの造語) 用賀() 1997年」と肉系の店名も。
競争激化の世界、小難しい店名よりは真っすぐ目に入る食材の名が一番、チャンピオン、キングですね。インパクト大が優先する店名の世界。
外国語ビーフ、ミート、カルネ(仏語)よりも最初から使われているホルモンの語が圧倒的に強いです。
肉料理には洋系も競争相手なので、安易に外国語のみの店名も使いにくいです。『ぴあMarグルメ1991』最初から焼肉の項目があるのですが、「サージェントペッパー 代官山、六本木」「オーシャン 銀座 1985年」「ロード 成城」位、その後もあまり増えませんでした。
2000年代から出版しているぴあの『東京最高のレストラン』は焼肉の項目を載せています。
1967年から出版している『東京いい店うまい店 文藝春秋』は最新版でも焼肉屋は韓国朝鮮料理の項目にありますね。
ネットの記事ではグルメ評論家の中には肉を切って客が焼く焼肉屋は料理ととして認めていない考え方もあるようです。
恥ずかしいくらいいろいろ頭に盛り込むタイプも出ています。「和牛一頭流うる寅 大門 2016年」「富士溶岩焼肉・ホルモン富士ロック 板橋区大山」「黒毛和牛一頭買焼肉醍醐 銀座 2007年」「東京Aランク肉の29しま 木場 2016年」「黒毛和牛・溶岩鉄板焼肉・丑処 水道橋 2017年」「炭焼極上ヒレ肉和 中目黒 2017年」
以前も主役の出番、交代の中の「ジ・イノセントカーベリー」のように分かりにくいものも登場し始めています。
一例は「肉焼屋D-29 港区芝 2016年、表参道2017年」29は肉です。
「D」は「Discover」「Design」「Discount」「Delicious」で自分の好み、カット切り分けを発見し、お手軽価格のお肉を美味しく頂ける『お勉強させてもらえる(お客の言葉)』焼肉店だそうです。
◆ しゃぶしゃぶ (追加2018.5.31)
しゃぶしゃぶは肉類に分類できないくらい、現在は食材の幅を広げている調理法です。
大阪の「ビフテキのスエヒロ」が1952年名前を商標登録。調理法は京都の「十二段屋」が『牛肉の水炊き』として1947年に造りだしていました。
大本は羊肉の火鍋、淛羊肉(シュワンヤンロン)という新疆ウィグル自治地区の回教徒のための料理だとか。
東京では「銀座らん月 1947年」「ざくろ 赤坂 1955年」が老舗になります。ほとんどの店はすき焼きメニューに付け加わえられてのメニューであります。
「瀬里奈 六本木 1961年」のように洋風のビフテキと一緒の店は少ないようです。しゃぶしゃぶは和食としての扱いに多くのお店がなっています。「瀬里奈」もかにしゃぶもある日本ん料理店。締めの鍋料理、残りだしの雑炊への流れがあるようです。
上の高級系ではなく安価な食べ放題のお店が1970年代あたりから増え、それらは天麩羅屋とか鮨屋のパターンのようなしゃぶが頭に付くタイプです。
「しゃぶ辰 西巣鴨 1964年」ざくろの「しゃぶせん 銀座 1971年」「しゃぶ玄 赤坂 1973年」パプカーディナル系の「しゃぶ通 新宿 1974年1号店」
80年代以降も多く「しゃぶ禅 六本木 1983年1号店」「紗舞璃(しゃぶりー日本橋はせ甚の姉妹店) 渋谷 1986年」「しゃぶ膳紫波 (しゃぶぜんしわー紫波 町の牛肉使用) 神宮前 1989年」「しゃぶ叙 新宿 1991年」「しゃぶ屋 飯田橋 2003年」
野菜との組み合わせではチェーン店が多く「しゃぶしゃぶ温野菜 八丁堀 2000年1号店」カッパクリエイトの「しゃぶ菜」ニラックスの「しゃぶ葉 横浜市 2007年1号店」写真の新店「しゃぶしゃぶ れたす 中目黒 2017年」スパイスワークス「魚しゃぶり 蒲田 2010年」
肉そのもの名、豚肉が増えましたので「もち豚しゃぶしゃぶ 新宿 2012年」「豚組しゃぶ庵 乃木坂」「豚しゃぶ金豚 赤坂 2016年」「豆乳豚しゃぶ五元豚 銀座」
新食材とその出汁でも多く展開しています。鴨しゃぶ、穴子しゃぶ、蛸しゃぶ、、そして本家中華からの羊のラムシャブ。
つけ汁はウニしゃぶ、出汁しゃぶ。店名の頭に付くことが多いです。
出汁しゃぶは京都が本店、「CHIRIRI(チリリ) 京都四条、2003年、東京虎ノ門2007年」とここからわかれた「瓢斗 東京出店銀座2009年、瓢喜の店名で」有名。
しゃぶしゃぶが擬態語からなので、この料理には店名としては少ないのですが、「CHIRIRI(チリリ)」は豚肉がお湯に浸すとチリチリッと花の咲くように見えることをあらわとしてるそうです。
後、一店だけですが「SHAVUSHAVU(シェイブシェイブ) 六本木 2013年」という洋系の店名。さすが六本木でしょうか、推測ですが振るのシェイクとしゃぶしゃぶの合体した造語?
◆ 肉料理のさまざまなカタチ (追加2018.5.31)
調べていると、上の料理から外れるものが今は多数あります。料理名でお店を分けていますが、どのお店も複数の肉料理を出しています。
すき焼きとしゃぶしゃぶ、ステーキと焼肉など。多種類にわたる料理を出す店は『バルとは』で取り上げたバルの中の肉バル、そして日本風の懐石の様に料理を出す肉割烹があります。
上記の肉料理を組み込み、工夫された先付、八寸、汁物を肉を材料に調理しています。
焼かない焼肉屋(客が)の名前もあり、ホルモンから最高級の部位を含めて、コースで様々な調理法で食べることができます。
肉好きの方の著作『肉バカ 集英社』では焼肉の世界を第1次のスタミナ苑のような一般的なタイプから、第2次の大阪発「ぱっぷHOUSE 1988年創業 1992年に渋谷本店」を元祖とする希少部位が売り、第3次が「よろにく」のような割烹のような焼肉店となっているそうです。
肉バルは当初のスペイン語からの「エル・ボッカ 吉祥寺 2009年」「エル・ブエイ 神楽坂 2010年」共に若干意味合いの違いのウシの意、仏語の食肉の意味「ヴィアンド 飯田橋 2012年」も。
「グッドミートバル 赤羽 2011年」「東京ブッチャーズ 神田 2012年」
焼肉バルと付いた「NO MEAT, NO LIFE.1st (ノーミート ノーライフ ) 歌舞伎町 2013年、新宿駅周辺4店舗あり 」「ミートバルBON 池袋 2014年」「マルウシミート 銀座 2014年、新橋、銀座に3店」「Best Butchers(ベストブッチャーズ) 東銀座 2015年、既に閉店」
『主役の出番、交代』でアップの熟成肉はステーキ店に多く、焼肉屋は少なかったのですが、「熟成肉専門 但馬屋 虎ノ門 2014年」「熟成焼肉肉源 赤坂 2015年」、バルも「熟成肉バル 肉賊カウぼーず 練馬 2014年」オープン。
凄い頭が付く「暴走熟成肉庫肉アバンギャルド 秋葉原 2014年」お客の意見『インパクトありの店名』『肉の盛り合わせもとんでもなく・・・』だそうです。
肉割烹は「和牛料理さんだ 六本木」「松坂 銀座」「佐賀牛RestaurantSAGAYA 銀座 2016年」「有田牛 銀座 2017年」
肉割烹は他の割烹と区別するため、肉関係言葉の頭付けていて、そのためだけに京都へ行く客が多いの超人気店「三芳」は頭に「にくの匠」が付きます。
「おにく花柳(柳緑花紅真面目から命名ー自然のようにありのままに) 小伝馬町 2006年、最初は和牛和菜然2016年から」「日本焼肉はせ川 銀座 2016年」「江戸肉割烹ささや 新富町 2011年」「板前牛肉店Wa-Gyu 六本木 2013年、既に閉店」と色々な頭付き。
割烹なので個人名も登場、頭につく肉のバリエーション名、「肉匠なか田 乃木坂 2003年」「江戸前肉割烹宮下 銀座 2012年」いかにもの高そうな「肉割烹ゆうざん 銀座 2017年」「肉匠堀越 広尾 2015年」「肉三昧石川竜乃介 北千住 2015年」。大阪からやってきた「大阪焼肉・ホルモンふたご(双子の兄弟のお店)」も「肉亭ふたご 本郷三丁目 2017年」と頭につけて他の割烹と区別していますね。
焼肉屋ですが移転を機に、名前にしてグレードアップとた元の店名「七輪 三ノ輪」から「炭火焼肉なかはら 市ヶ谷 2014年」も人気店。主人は和牛を極めたレストランを目指す姿勢。
肉の食せるバルと肉割烹。肉の牛豚鳥の定番に羊と馬、流行のジビエも加わり一つのお店でメニューに載っている店も登場。
上の焼肉の項目でも上げた数字29、『流行ー2桁以上数字』に載せた「29 神楽坂 2011年」は鹿、うさぎもあり、でも読みは「TWENTY NINE(トゥエンティーナイン)お客はニクと読むでしょうね。
ほか「ROUTE29 (ルートニジュウキュウ) 下北沢」「焼肉バル 29SHOCK(ニクショック) 秋葉原 2015年」「肉バル29 新宿 2017年」 少しアレンジ「焼肉2+9(ニタスキュウ) 浜松町 2016年」「肉バルU29(ユニーク) 錦糸町 2016年」
「29ON(ニクオン) 池袋 2016年、表参道、代官山あり」は店名の軽さに関わらず住所非公開会員完全予約制、店によってコンセプトを変えていて、池袋は魚も組み合わせています。同じく完全会員制肉バル「29おかわり 銀座 2017年」。
上の焼肉店がバージョンアッア店をオープンする例も多数あります。
「うしごろ 西麻布 2011年」はバルと焼肉の「バンビーナ 恵比寿 2012年」日本酒の「うしごろ貫 恵比寿 2013年」完全予約制コース料理「USHIGORO S (ウシゴロ エス) 西麻布 2017年」とヴァリエーション豊なお店がずらりとそろっています。
「USHIGORO S (ウシゴロ エスー「S」には英語セレクト、スペシャル、スタイリッシュ、スマート、スピリットの5つの意味)」の場合もメインが焼しゃぶ、すき焼き、ステーキとあります。
同店はもう一歩上の「肉割烹上(ジョウ) 乃木坂 2017年」もオープン。そのまんまの店名で「上」も『極上の食材、至上の技、上質な空間とおもてなし、最上を目指す心粋『上』の一文字に私たちの志が込められています』(HPからそのまま転載しました。)だそうです。
赤坂金舌 2009年開店
恵比寿kintan 2013年開店
肉割烹「金舌 赤坂 2009年他1店」も焼肉「kintan 恵比寿 2013年他に7店」、しゃぶしゃぶ「KINTAN 代官山 2016年」、ステーキ店「THE KINTAN STEAK (ザキンタンステーキ) 恵比寿 2018年 」等あり、ネットでは検索しやすいよう肉寿司 肉和食がつく「肉割烹 KINTAN 日本橋室町 2017年」も開店しています。
お客的にはゴールデンタン、最上級の牛タンかなと思うでしょうが、お店では金の舌を持つ舌の肥えたお客を唸らせる料理とワインを楽しむ店を目指すそうです。
逆にしゃぶしゃぶ・すき焼きの老舗「らん月」は「RANGETSU of TOKYO(ランゲツ オブ トウキョウ)銀座 2016年」ダイニングバー・フレンチ店を開いています。
ここからは焼肉も含め見ていくと、数字の組み合わせの店名が多く、上の数字の29のほかに89、ヤクの「89バル 恵比寿 2016年開店(2017年リニューアルで頭に和肉をプラス)」(再掲『主役の出番、交代』)。「にくがとう33895 三田 2018年」の89は違うようです。オーナーが最初に買って牛の個別識別番号だそうです。にくがとうは肉に感謝、全ての人に感謝で、ありがとうと肉が合体した言葉。
「2×9=18(ニクジュウハチ) 立川 2015年」「ビストロ2983 麹町 2011年」「肉バル201 秋葉原 2015年」「0831yummy(ヤミー-美味しいという意味) 代官山 2017年」
ビストロ、肉バルはカップリングする飲み物、ワイン、クラフトビール、日本酒で違いを、肉割烹は調理法、半生、焼く、煮る、茹でる、絡めるタレ、一頭買いによる部位の違いを強調。
なかでも焼く焼き方、七輪から鉄板焼、オーブン焼き、薪焼、煉瓦の炉焼き、バナー炙り焼とサマザマな方法が店名についています。
焼き鳥のように串にさす牛串店「牛泥棒 白金 2014年」「牛串千本 豊洲 2017年」も登場。
でも、肉(音読みニク)と牛(音読みギュウ)この二つの漢字は常用漢字の中に同音がありません。
焼肉の項でも挙げた肉、牛付で少し工夫した店名は「にっくん家 大山 2011年」「YAKINIKU9゛(ヤキニクギュウ) 大塚 2011年」店名三つ揃いの「肉人2910(nikunto) 歌舞伎町 2015年」「にくのこころ 人形町 2016年」単純に肉と地名の「NIKU-AZABU(ニクアザブ) 西麻布 2011年、都内4店舗あり」「牛牛(ギュウギュウ) 西麻布 2016年」「犇(ウシミツーヒシメクと本来は読む字、焼肉業界犇めく恵比寿で三種の和牛を出していく) 恵比寿 2017年」。牛と肉から付かず離れずの距離感で・・・。
洋系の言葉はステーキ店とバッティング、間違われてしまう場合も生じますね。だから前後に牛と肉に色々つけて工夫する事例が多いようです。
恵比寿89バル 2016年開店
新富町肉のヒマラヤ
2015年開店
赤坂ブッチャーズ八百八
2015年開店
渋谷NICK STOCK
2017年開店
全部外国語ではステーキ店になるので、肉や牛と外国語の組合わせも多くつくられています。
「BISTRO CarneSio (カルネジーオ) 恵比寿 2011年」はフランス語カルネと塩で、焼く肉を焼き塩で味わう店。「ブッチャーズ八百八 赤坂 2015年」「YAKINIKU Boucherie (ヤキニクブシュリ) 新宿 2015年」「29寿司ロック(ニクスシロック) 高田馬場 2015年」「肉塊UNO 新橋 2016年」
「肉とチーズのお店 王子 2013年」「肉と日本酒 谷中 2016年」生肉をメインの「生粋(ナマイキ) 末広町 2014年」
看板にミート、ベジ、チーズの「肉のヒマラヤ 新富町 2015年」は「焚火家 渋谷」のメニュー名を店名にしたもの。ヒマラヤのが岩塩を使い、肉の盛り上げた形、重量をヒマラヤの標高に合わせて889.8gにするこだわりを見せています。
関西で多店開中の「肉が旨いカフェNICK STOCK 京都市 2016年」(上の写真)も東京へやってきました。4毛作店として朝食・昼食・カフェタイム・夕食、コーヒーと肉の組み合わせ。
女性は正統派焼き肉店で女子会は・・・でバル、ビストロ、イタリアン、野菜との組み合わせが選びやすく、キレイ、オシャレの要素が必要です。「肉菜(ニクサラダ) 麹町 2018、最初旬鮮市場南部とりとして1995年開店」「やさいや 赤坂 2005年」などです。
ネットの記事の中に小倉市の焼肉店主の焼しゃぶ(シャブシャブと焼肉を一緒にした料理)発案理由に肉は飽きやすく残ってしまうことをよくあることして書いていました。
雑誌『専門料理』に老舗料亭料理人オーナーの意見で『普通の店は調味料の味で食わせ、高級店は素材の味で食わせる』の意見を載せていました。肉料理店はまさにこれに当たりますね。
羊はステーキと鍋中心ですが世界上で食されているのでフレンチやイタリアン、アジア系でもOK。
でも馬肉は馬はさくら鍋として昔から食され「みの家 森下 1897年」「中江 三ノ輪 1905年」という老舗も続いています。
保存技術の向上で熊本県の郷土料理の馬刺しや肉ずしとしても和メニューに入ってきています。「馬喰ろう 神田 2007年、4店あり」「跳ね馬 三田 2012年」という馬肉専門バルもオープン。
馬は意外と洋系より、競馬用語も含めた”馬”関係にこだわった店名が多いようです。
大井町肉力屋 2017年開店
三軒茶屋関根精肉店 2007年開店
肉は昔はご馳走、馬肉店も女性と遊ぶ吉原の歓楽街の近くに店をかまえていました。
肉が与える活力、特別感。カツ丼を勝負ごとに食べるゲン担ぎ、すき焼きの祝い膳への登場に現れていました。
高級店は和食の割烹や鮨屋のように頭に工夫をして名前、賀字の店名になるでしょうが、一般的な肉料理屋は肉と活力をイメージの硬派な上の2店「大井町肉力屋 2017年開店」「三軒茶屋関根精肉店 2007年開店」のような店名がふさわしいようです。他に馴染みのない言葉はむずかしい例として「ほおらず 新宿 2014年」。ホルモン、捨てる部位、ほうるもんから俗説の逆の新鮮なホルモンを出すコンセプトからでしたが、今は長い頭付き南九州産黒毛和牛焼肉ホルモン「島津」になっています。
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◆ チーズ (追加2018.5.31)
豆類の加工品豆腐のような位置にあるのがチーズ、最初は給食によくでた棒状のプロセスチーズの味をおもいだします。
チーズの起源はおそろしく古く、古代メソポタミア文明まで遡るそうです。
日本では奈良時代には大陸から、蘇(ソ) 醍醐(ダイゴ)として伝わってはいました。貴族社会では受け入れられていたのですが、武士の時代には食されず消えていきました。明治時代初に北海道で作られ始めてはいましたが、そんなに知られていはいないチーズ。1936年(昭和10年)に明治製菓チーズクラッカーを販売していました。
料理はチーズフォンデュ、ラクレットで「スイスシャレー 麻布十番 1964年、最初四ツ谷」「東京スイスイン 最初六本木、東麻布 1965年」が当初からありました。
ラクレットは大きなラクレットチーズの塊を削り、焼いて溶かしたチーズをパンやジャガイモの載せて食べるもの。ネットではアニメ『ハイジ』で知った、食べたいと思ったと書かれています。
普通に使われていたのは洋食のメニューになっているマカロニグラタン等で、そしてファストフーズアメリカンのチーズバーガーとして。
フレンチの流行時代にはフレンチの食後のワインの友としてのブランド銘柄チーズが雑誌では取り上げていました。ワインの銘柄と同じように店名に付く事例もありました。「ラボンダンス 池袋 2000年」「ポン・レベック(ノルマンディ地方の古いチーズの名称) 祐天寺 2003年」少しチーズ料理もある「アトリエ・ド・フロマージュ(仏語チーズ) 南青山 2009年」
チーズとワインのマリアージュのバル「フロマージュ倶楽部 渋谷 2012年」、姉妹店「Pavillon du fromage(パピヨンデュフロマージュー?チーズの館、展示場) 神泉」も食べログで見つけました。
料理としては大幅に使われだしたのは、イタリアン、粉チーズ、ピザのモッツァレラ、大流行したティラミスのマスカルポーネ。
去年(2017年)は急増「チーズタバーン・カシーナ(Cheese Tavern CASCINA) 恵比寿 2017年」「CHEESE CRAFT WORKS 吉祥寺、2017年、大阪から」「MEAT&CHEESE ARK 新宿歌舞伎町 2017年」「DAIGOMI(ダイゴミー醍醐味) minamiaoyama 南青山 2015年」「チーズチーズカフェ 恵比寿 2017年」
写真の最初に頃の専門店「SHIBUYA CHEESE STAND 渋谷 2012年」はモッツァレラチーズ、マスカルポーネを自店で作っています。
チーズタッカルビを含め新しい組み合わせも、肉とチーズ、つい最近のオープン「和cheese TENSAI(ワチーズテンサイ) 恵比寿 2018年」は天ぷらとチーズの組み合わせです。「テンサイ」は天ぷらのテン、野菜のサイでしょうか。バル「肉とチーズのお店 王子 2013年、大森2015年」の材料のみの店名もあります。日比谷ミッドタウンにも「GOOD CHEESE GOOD PIZZA 2018年」にもピザ・イタリアンのお店。
フードビジネスでも埼玉県大宮ですがイタリアンダイニングバー「東京ミートチーズ工場 2018年、新宿2018年、赤羽2020年」が開店しています。
1969年に神戸の「モロゾフ」がクリームチーズケーキを発売。二代目社長が東ドイツからレシピを持ち帰ったのが開発のきっかけのようです。 チーズケーキにレモン風味を付けたのは「モロゾフ」が最初といわれています。
個人的には「ユーラシアデリカテッセン 六本木 1957年」のレアチーズケーキが初見。
雑誌には「ユーラシアデリカテッセン」が最初に売り出した店と紹介された記事もありました。専門店は「チーズケーキファクトリー 二子玉川 1987年開店、既に閉店」「ヨハン 中目黒 1978年」がよく掲載されていました。
現在は焼チーズタルト店が「PABULO(パブロ) 大阪梅田2011年1号店」「BAKE byきのとや 2014年」行列のできるほど大人気。
食材ー米・野菜ほか (追加2018.5.31)
主食のお米はパンにその座を譲っています。でもご飯もの、丼物は変わらず人気がありますね。お茶漬け、雑炊に始まり、釜飯があり。洋系のチキンライス、ピラフ、スペインのパエリヤ、中華のチャーハン、シンガポールの鶏飯、インドの炊き込みご飯ビリヤニと麺と同じようにバラエティはかわりなく、正統の白飯を土鍋で炊くをメインにするお店も今も人気です。
◆ お茶漬け・粥 (追加2018.5.31) ⓢー(追加2020.4.22)
『東京いい店うまい店』は初版から1985年版まではお茶漬け専門でがありました。「古けし 日本橋」「田岡 西銀座」「しえもあ 青山」「かぶき亭 歌舞伎町」が掲載
他のガイドにも「鹿火矢(カビヤ) 新橋 1956年」が載っていました。現在食べログ上「だし茶漬けえん 渋谷1号店 2003年」「八十八楽(こめらく) 銀座1号店 2001年」のチェーン店、肉系まで乗る「だよね。(『〆はラーメンもいいけどお茶漬けもいいよねーだよね。』の会話から) 六本木 2015年」以外は今は少ししかありません。
かつては天ぷら茶漬け「花月 浅草 1877年」とんかつの「すずや 新宿」のとんかつ茶漬けが評判でした。
今は和食割烹の締めに出される鯛の項で書いた鯛茶漬けは相当数ありますが・・・。
ブブ漬けの古都京都にはまだ多くの有名店があります。「十二段屋 1912年」「近為 1879年」「阿古屋 1995年」
米料理系でお粥の店も、「粥亭 中野 1985年」「粥TASCAL 虎ノ門 2010年」。今は中華が主流、中国では朝ごはんがお粥専門店でとることができるので、専門店が多いようです。「たない(店主は田中氏)粥 新大塚」「ももがゆ家 神保町 2014年」「中華粥香港ロジ 渋谷」「謝朋殿粥餐庁(シャホウデンカユサンチン) 新宿 2001年」中華スイーツの「糖朝」も「粥茶館糖朝(カユサカントウチョウ) 六本木 2013年」
店名的に変わっているのは一店フランス語の「カユデロア(CAYU des ROIS お粥の王様)錦糸町 2015年他一店」ほかに「粥亭 馬喰町 ごはんブックに掲載1988年出版」本格的フランス料理店名のですが、最後にブイヨンスープで焚いたお粥を出していました。
次に開業したのはビジネス系列粥と汁なし坦々麺の「CAYUZO(カユゾー) 池尻大橋 2018年」
ちょっと変化形タイ粥もある「お粥処ウラウラ 中目黒 2020年」、中華系養生粥「寶粥 岩本町 2020年、現在休業中」(2020.4.22追加・2020.11.15追加)
鍋の締めになる雑炊、その専門店「野武士 荒木町、1970年代からの幡ヶ谷は2017年閉店」「そうすいお通 歌舞伎町 2013年、九州博多で1961年創業、六本木店2015年」
雑炊の別名おじや、一説にはじやじや煮える音からのおをつけた女性言葉(御所に仕える女房詞)で、元禄時代から使われている呼び名ですが、この名で「bio ojiyan cafe(ビオオジヤンカフェーピオは仏語で生命の意味) 神宮前 ガイド東京カフェブック2002年掲載、下北沢店あり」1軒はあり。
同じような韓国料理クッパも「クッパや 大久保 2011年」
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◆ 丼物 (追加2018.5.31) ⓢー (追加2021.10.13)
1810年代考案の鰻丼から始まって、江戸末期発祥の天丼(新橋の「橋善」という説もあり)から丼はいわゆるぶっかけ飯、すき焼きの残りを載せたは明治中期(明治20年頃屋台から)から牛めし、鶏鍋料理の残りを卵でとじた明治初期の親子丼のように残りを余すことなく食す日本人の智慧。「三朝庵 早稲田 1906年開店、江戸中期の頃は三河屋」はメニユーとしてカツ丼を出した元祖、大正10年頃(1921年頃)のこと、その前にカレー南蛮も1904年(明治37年)メニューに載せいてるそうです。
なお、カレー丼、蕎麦のカレー南蛮は「朝松庵 中目黒 1910年」が元祖。
『東京B級グルメ 文藝春秋 1986年』には五大丼三大ライスとして和の5種の丼、3種の洋のライス料理が載せられています。天丼・うな丼・カツ丼・親子丼・牛丼とオムライス・カレーライス・ハヤシライスです。
丼ぶりものはうどんとラーメンと同様に郷土色も強い料理です。北海道十勝の豚丼や神奈川県のシラス丼、東京の深川丼、名古屋の味噌カツ丼。
丼のみの本は一冊だけと思うのですが、『ベストオブ丼 文藝春秋 1987』。
『東京B級グルメ 文藝春秋 1986年』にも「丼八 池袋」、中華の丼の「どんぶり飯店 高円寺」が載っています。
フードビジネス系が多く焼肉安安経営「どん亭 大井町 1983年1号店」ダスキンの「ザ・どん 大阪1号店1993年」ブレナス「めしや丼 福岡1号店」「丼ぶり屋幸丼(コウドン、㈱クライチ、ラーメン屋幸龍経営) 大井町1号店 2010年」「どんぶり 吉祥寺1号店 2005年」「すた丼の店(2004年から伝説のすた丼屋改名) 国立 2000年」
写真の「すた丼の店 国分寺 1971年開店」は「伝説のすた丼屋」グループに組み込まれている元祖店。もともとの名は「スタミナ満点のどんぶり」、若者のにお腹いっぱい喰わせてやりたい元祖店主の想いのかたまりです。
牛めしの「かめちゃぼ 新橋 1955年頃、既に閉店」は牛めしの初期の呼び名のかめちゃぼから。語源は今でいやー、ちょっと・・・になり気分ですが、外国人が犬を呼ぶときにカムオン(come onー来い)を犬の事と勘違い、その食事の肉汁かけ飯をチャブでこの名になるとか。
「㈱ササフネ」が始めた不思議なテイクアウトのチェーン店「丼丸 墨田区押上 2007年」暖簾共有制度で、メニューはバラバラ、何でもあり、全国に300店以上。
おもいっきり全国を元気にする幅広店名に感じる焼牛丼チェーン「東京チカラめし 2011年」フードビジネス会社「三光マーケティング」の創業時「三光亭 1975年」に立ち戻った店。でもコンセプトの変更で一気に店数減少、栄枯盛衰の激しい丼業界です。
ここから一部引き取ったフードビジネス系ガーデンの店名的にはある意味凄い「情熱のすためしどんどん 2014年」
恵比寿東京チカラめし
2011年1号店開店
神保町新潟カツ丼タレカツ
2007年開店
神保町豚や 2015年開店
the・肉丼の店 蒲田
2013年1号店開店
揚げたカツレツにソースをかけ載せたソースカツ丼。元祖店「ヨーロッパ軒 1913年」 最初早稲田、震災で1923年福井へ移転、そのためは東京ではメジャーではありません。「奏す庵 早稲田 2016年」はソースの当て字、ワセカツ丼としてヨーロッパ軒にオマージュを捧げています。
似たような丼でタレ丼、新潟のご当地丼、こちら洋風ソースではなく甘辛いしょう油タレをカツにくぐらせてのせた丼です。「新潟カツ丼タレカツ 神保町 2007年」を本店に5店あります。
店名に丼は付かない大阪発「池袋肉劇場 池袋 2017年、道頓堀店2015年」は焼肉丼。
BSE問題で牛丼がピンチのの時のピンチヒッターとして、チェーン店にだされ、その後販売中止。2016年から新しい豚丼店がオープン。北海道の有名店もあります。
北海道帯広のご当地丼の豚丼、牛肉や鰻が高かったため、豚肉に醤油たれ、鰻丼にできるだけ近づけてのタレを絡めた丼。1933年「元祖豚丼のぱんちょう」のメニューでした。
都内五店舗「the・肉丼の店 高田馬場 2013年1号店」は今風に洋風丼中心。ローストビーフ、サーロインステーキ、白いビーフストロガノフ、東洋風カルビ等を丼にしています。
鉄火丼、ちらし鮨が基になっている海鮮丼は地方の方が新鮮な魚介類があるので人気です。生シラス丼、いくら丼、ウニ丼など。東京では鮨屋や魚貝専門居酒屋がメニューにあり人気。ネットも「つじ半 日本橋 2012年」「さいとう 入谷 1995年」に多くの記事写真アップ。
直な食材名ではないのですが、連想ゲーム的店名はサーモン丼専門店「熊だ 原宿 2017年」、熊の大好きな鮭、昔よく流行った木彫りの熊がドーンと入口付近いるとか。ここの姉妹店も「波の 自由が丘 2016年」はイクラ丼で、もしかしてサザエさん一家の苗字磯野から連想の波ののイクラちゃんでしょうか。
カフェでは珍しい丼が売り、「Bouls(ボウルズ) 新宿御苑 2004年」は長く続いています。
中華のチェーン店「陳麻家」系列「 元祖ルーローファン 幡ヶ谷 開店年不明、改名している2010年閉店」「帆帆魯肉飯(ファンファンルーローハンー帆はオーナー名前の一字) 三軒茶屋 2020年」「東京魯肉飯 代官山 2020年」。
店舗を持たないゴーストレストラン「台湾ルーロー飯魯肉飯店 代々木 2021年」。付かない店でも名物料理となっているところが多くなっています。
似ているのが中華料理のトンポーローの日本アレンジ豚の角煮の丼専門店もつい最近オープン「カクニズム 新橋 2021年」(2021.10.13)
◆ 米・めし・ごはん (追加2018.9.23)
今は米は主食から、バリエーションのきく食材に変わってきています。『主役の出番、交代』でも書いたようにイタリア料理のリゾット、スペインのパエリアも専門店ができています。「PAEZO 銀座 2014年」「& ecle (アンド エクレ) 南青山 2015年」オリジナルライス料理クーリシャス、野菜と雑穀の料理、韓国朝鮮料理のクッパ、ヒビンバ、ガパオライス、インド料理の炊き込みご飯ビリヤニ、スペインのオジャOlla「バルデオジャリア 恵比寿 2008年」中華の炒飯は餃子よりは店数は少ないようですが2010年以降専門店(フードビジネス系が多い)も出てきています。
主食だった時代は「一膳めしや」「めしや」「ごはんや」「ライス」のつく店名は白いご飯にいろいろなおかず付く定食屋さんの定番の店名。もちろん中心で活躍したのはは大正末からの〇〇食堂の店名です。
白飯・汁・おかずのこの三セットは意外と新しく昭和初期の始まりとか。それまでは満足に白飯を普通に食べることが出来なかったようですね。写真はその前後大正12年の開店「入谷食堂 入谷 1923年」最初は「弁市(加藤市太郎さんが始めた弁当屋)」というお弁当屋。
都会に住む人々の食堂は人それぞれの居場所。駅前や繁華街にはひっそりと頑張っています。新宿の「つるかめ食堂」六本木の「六本木食堂」「キッチンヌノ 西麻布」渋谷の「八竹亭 1980年頃-2010年(オールアバウトの記事では2011年の一年ほどカフェマメヒコパートスリーでとんかつ部門として営業していたようです。)」恵比寿の「こづち 1945年代」等。
大衆食堂研究の遠藤哲夫氏の本に何度も掲載の「たぬき食堂 駒込 1951-2000年」
秋葉原住民の愛用のつい最近閉店「かんだ食堂 秋葉原 1958-2018年」個人的には上記の「六本木食堂」や「国田屋 学芸大学」にはお世話になりました。写真は10年近く銀座で「銀座ライス 銀座 2016年に閉店、「食堂アサノ 人形町 2016年」が引き継いでいます」
「ライステラス 西麻布 1992-2017年」はタイ料理、特に米料理が中心ではないようで不明。ライステラスをネットで見るとインドネシアのバリ島の棚田の事で世界遺産ではありますが・・・。「ライスカフェ 駒沢 2000年」『ごはんがしっかり食べられるカフェ』を店名に。食材ではなくめしやの意味です。
現在はチェーン店多数あり、最初は普通の定食屋だった「大戸屋 池袋 1958年」チェーン店「やよい軒 改名により2006年〜」「ごはん処おはち フレッシュネスバーガーの会社系2000年1号店、現在1,2店のみ」「おひつ家 2001年新宿1号店、今は吉祥寺店のみ」BYOの「おぼんdeごはん 新宿1号店 2008年」関西方面は「まいどおおきに食堂 1988年大阪森町1号店」「めしや宮本むなし 兵庫県尼崎市 2003年1号店」「ザめしや 1986年 1号店奈良県」「おひつごはん四六時中(スーパーイオン系列)」
食材としての米を取り上げたのはデザイナーレストラン全盛の時代の「RIZ(りー米の意味、後にREに改名) 西麻布 1999年」内装が中心の時代ですが、「ソバール」「ウ〜オ」「くわい家」の店名がありました。
同じ系列の「rip(リップ) 西麻布 2005年、既に閉店」フランス語の米とパプの造語で、ライスパブ。のりごはんと呼ばれるご飯ものがありました。
高級な割烹の世界では美味しい炊きたてのご飯を強調したのは雑誌に幾度となく載せられていた「つくし 西麻布」、このHPでも何度か書いています。
店名に米が付く店、主役が炊きたてご飯の店が出てきます。「心米 白金台 2004年」この姉妹店「米福 恵比寿 2008年」「米花(ヨネカ) 代官山 2010年」。「正しい晩ご飯白(ハク) 池袋 2014年」「米祥(コメショウーKOME-showとなっているので米が主役のショー?) 日本橋 2010年」「RIZO(リゾーイタリア語の米) 三軒茶屋 2013年」「米ル(米と気持ちを込めるとスペイン語comerーコメール、食べるを掛けて) 恵比寿 2017年」「米三(コメサンー米への三つのこだわり) 西麻布 2017年」
食材としての米粉でお米カフェ「ラブこめ 瑞江 2010-2013年」最新店「RESTAURANT GENMAI GENKIDO 松濤 2018年」玄米のパンケーキ、パスタ、リゾット等のメニュー。
ハンバーガーのモスバーガーは1989年にライスバーガーを造りだしています。(*2019年に「おこめどき 原宿」というライスバーガー専門店がオープン)
米関係の人々には危機感があるのか、JA(農協)が関係する「みのりカフェ 銀座 2010年」「みのる食堂 銀座 2010年」、金芽米の会社の「金のダイニング鮪金(ツナキン) 銀座 2016年」、東京ではないのですが、こめ卸の土鍋ごはんとカフェ「GOHANYA’GOHAN(ごはんやごはん) 横浜市 2017年」を開業しています。
『パン』の項でアップした方が良いかとは考えますが、食材続きで米粉パン、研究者が米粉パンの技術を研究し、パン焼き機でも白飯から造れる『GOPAN』発売されました。専門店も2010年頃から「和良自由が丘工房 自由が丘 2010年」「米魂(ベーコン最初の店名Bei’s More) 戸越 2010年」「こめひろ 武蔵境 2012年」。小麦アレルギーの方も増えていますね。ネット販売も充実しているのであえて東京でパン屋を持たなくてもよい時代ですが・・・。 ★TOP頁へ★ ☆和食TOPへ☆ ☆洋食TOP頁へ ☆中華TOP頁へ ☆ 食材の千変万化TOP頁へ ☆香辛料・調味料TOP頁へ ☆軽食TOP頁へ ☆喫茶・カフェTOP頁へ
◆ 野菜料理 (追加2018.5.31)
ただ、野菜にはご馳走感、特別感に乏しく、レストランでわざわざ、そのために行く気はないでしょうね。
嫌いな野菜もあるでしょう。野菜は素材よりも料理法を楽しむ傾向が強しと思います。
写真は「たまな食堂 青山 2010年開店」たまなはキャベツの古名、以前の「アースアートカフェ」はビーガン系の意識高めの店名から親しみやすい方向へ。
明治期に野菜、トマト、レタス、キャベツ、アスパラガス、玉ねぎが入ってきましたが、汁物や漬物になるだけで、特に料理は変化なし。
東洋では生食は漬物中心、肉食の西洋はサラダは薬代わりに食べられていたようです。サラダはラテン語のサレから塩をかけた野菜のこと。メニューには「須田食堂 1924年」から野菜サラダがあったそうです。
サラダのソース、マヨネーズは現キューピーから発売(1925年)。ただ、一般の人に広まったのはのは、アメリカ軍用にサラダ用生野菜の生産が始まった戦後。
最初の頃、サラダレストランの先駆店の神戸三宮「赤ひょうたん」(間借り先のおでん屋赤瓢箪から、戦後復興時ー愛好者のブログから)の進出店「赤ひょうたん 有楽町 1966年、渋谷宮益坂1968年頃」が洋食とサラダ専門店でした。
2008年閉店時はハンバーグが売りの洋食メインだった「マック 下北沢 1975年頃ー2008年」も『ぴあMapグルメ'90』には頭につく「サラダマック」としてサラダと洋食の看板メニュー。
ファミレス系アメリカ発「シズラー 幕張 1980年、西新宿1991年」は本来はグリル&サラダバーのステーキハウスですが、サラダバーのお店として紹介のガイド本もあります。2011年にプレミアムサラダバー&グリルのコンセプトに変更してサラダがグレードアップしました。野菜サラダの地位がグット上がってきた時代を表しています。
健康志向の高まりで、付け合わせではないメインとしてのサラダ専門店も一気に店数が増えています。
アメリカの流行を反映し、90年代のサラダバーの充実、2000年代のサラダのみの専門店の登場、ジャーサラダ、チョップドサラダ、パワーサラダ等の調理法のバリエーション等にプラスインスタ映え化。
アメリカの流行の影響が多い店なので、英語がほとんどの店名。以前のアップ(『主役の出番、交代』)後も「モアサラダ 恵比寿 2016年」「サラダストップ 表参道 2016年、シンガポール発」、「ウイズグリーン 飯田橋 2016年」のようにチキンやポークにグリーン、野菜付のようなものから、メインデッシュサラダとして「GREEN BROTHERS(グリーン ブラザーズ) 恵比寿 2016年1号店」「エブリスイングサラダ 表参道 2017年」等は肉魚、生姜焼きもつく店も出てきました。
店名からはサラダ専門店にはみえない健康賛美のグローバルダイニング系列「GOOD LIFE FACTORY(グッドライフファクトリー) 南青山 2017-2020年」(BARTIZAN BREAD FACTORY(バルティザン ブレッド ファクトリーに改名)
「camp(キャンプーキャンプ場で食べるようなカレー) 代々木 2007年1号店」も多量の野菜を採ることができるので人気になっています。
コロッケが一番最初に庶民に受け入れられ、大正時代には有名な歌謡曲にもなっています。
東京では写真の総菜屋「チョウシヤ 東銀座 1927年」コロッケを最初に売り出し、今もお客がひっきりなしに来店しています。
定食屋、お惣菜屋では人気なのです。でもコロッケ専門のレストランは見たことがなかったのですが、この間雑誌で始めて「All About My Croquette(オール アバウト マイ コロッケ) 世田谷区若林 2016年」が載っていました。
スナック菓子のポテツチップスは1950年から「フラじるし」のポテトチップスが販売していました。今はカルビーやコイケヤですね。
かつては東京にも「じゃがいも 赤坂 1976年」のように千葉県市川市のあるようなポテト料理専門(「じゃがいも」)があったのですが、時の流れのなかで消えていました。ほかに「ザ・バーン 新宿 1978年のガイド本掲載」「ベンチ 池袋 1977年」「マジックポテト 池袋 1980年」など
ポテトフリッツ専門、ポテサラ専門で成り立つ力があります。本場ベルギーからのテイクアウト専門「AND THE FRIET(アンド・ザ・フリット) 広尾 2013年、原宿はカフェ2015年」「POMMEKE(ポムケーオランダ語のジャガイモにKEーかわいらしいの意味との造語) 外苑前 2014年、既に閉店」「100%ダンシャク(100%DANSHAKU) 六本木 2014年」「POMMES PROST 代官山 2013年」はフライドポテト専門店。少し変わったひねったポテトフライ「ツイストポテト 原宿 2012年」はトルネードポテトともよばれ韓国発。
沖縄の郷土料理の田芋の「田んぼのお芋 高田馬場 2010年」は珍しい芋。
野菜メインの店は一度材料名 2と主役の出番、交代でアップ済み。その中にトマト材料名 2と葱も脇役頑張る同様。
あれからトマトは減ってしまい「太陽のトマト麺」とイタリアンの世界。ラーメン店「トマトマン 原宿 2018年」世界中のトマト料理の店「トマトデルーチェ 池袋 2012年」はイタリアン出身のシェフの店。
他には若干アボガドが増えています(「アボカフェ 神田神保町 2007年」)。葱と同じ薬味系の生姜とニンニクはそんなにはかわらず。
◆ 汁物 (追加2018.5.31) ⓢー(追加2020.11.18)
野菜が多いといえば汁物の店、外国からはスープやシチュー類もはいってきますね。以前(『料理名』掲載)「すうぷ屋 渋谷 1985年」も取り上げています。スープというと今はスープカレーとラーメンのスープ
現代人の野菜不足を補う、今は女性客中心のチェーン店の「スープストック 1999年1号店 お台場(図書『スープで、いきます 商社マンがSoup Stock Tokyoを作る』に詳しい) 」が駅にも出店して人気です。
同様に「ディア.スープ 2006年、既に閉店」長野県からの「ベリーベリースープ 2009年」もビジネスフード系
バブル時代だからでしょうか『東京いい店うまい店1989-1990年版』には「季家(トキヤ)恵比寿」が伊勢海老、アワビなどの高級食材の8千円の味噌汁を載せていました。
先に挙げた「誠」もチシューとステーキの店、、姉妹店「シンセリティー(誠の英語) 日本橋 1972年」もカレーとシチューの店となっていました。
昭和の時代には専門店も多く「助六 神田鍛冶町 1950年頃」「スチューケトル(アメリカ本店、ヤナセと提携) 赤坂 1970年」「あきやま 新宿 1971年」「エルベ(ヨーロッパ中央部を流れる川の名) 銀座 1980年代」とガイドによく登場。
フレンチの「ブァンボー(美味しいワインの意味) 神山町 1978年」も記事のなかで『うちの自慢はシチューとスープ』と語るように1980年代までの人気者でした。
今も洋食系のレストランではシチューは人気です。「銀之塔(フランスのレストラン名の和訳) 銀座 1955年」も専門店として続いています。
頭に付いている「ポトフJoie(ジョワー仏語の喜び、ポトフで喜びを感じてほしいとの想いから) 新宿御苑 2015年」は今風。スープも肉も選んで自分好みにアレンジ、パクチー入りのエスニック風もあるそうです。
もう一つのフレンチの汁物。ブイヤベースは港町マルセイユの魚介類のスープ。人気はありますが此れのみの店名は流石に見つけられません。店名が日本風の「鯛乃音TINONE(タイノネ) 梅ヶ丘 2015-2017年」がネット上に残っていて、マルセイユ風、日本風の二つのブイヤベースがあったそうです。
エスニック系は韓国のスープの参鶏湯専門店「グレイス 麻布十番 1985年」「シモン 麻布十番 1996年」「高麗参鶏湯(コウライサムゲタン) 大久保 2005年」。タイ料理トムヤムクンも人気です。
日本食でも今風でおふくろの味の「味噌汁家 秋葉原 2010年」「スープストック」系のの粥と味噌汁の「おだし東京 品川駅 2016年」「吉田とん汁 本郷」。
かつおぶしの「にんべん」が「日本橋だし場 日本橋 2010年ほか2店」でかつお節だしに洋風スープも提供。
写真は少し変わっている根菜煮汁を出す和食店「ニジール 九段下 2017年」
◎ 汁物追加3項目 (追加2018.9.23-2020.4.30)
◆追 加 (2018.9.10)スープそれ以前にどうやらアメリカのシアトルから実沢山スープのチャウダーの店「Chowder's SOUP & DELI(チャウダーズスープアンドデリ) 大手町・汐留 2003年以前から」きていたようです。ほかに「SOUP DELI(スープデリ) 霞が関・田園調布 ガイド東京カフェブック2002掲載」。同名で「スープデリ 神保町 1996年」は最初はスープとデリの店だったようなんですが、今食べログでは欧風カレー、カフェのお店です。(2018.9.10)◆追 加 (2018.6.23) 出汁 出汁の食材の店名は食材名の天国、ラーメン店が使用。豚骨、鶏の白湯のような本流に鰹節、煮干しが現代は多く活躍中です。「ライク(RAIKー英語の好きのlikeもじりだそうです) 永福町 2015年」には頭に「Bonito Soup Noodle」が付いています。ボニートはスペイン語のかつお、直訳カツオ出汁麺。2号店は頭に貝のだしも加えた「貝節麺ライク 方南町 2018年」。煮干し系もほとんど頭へ煮干しがついていますか、「東京煮干屋本舗 中野 2013年」のようにフルに出汁食材のラーメン店もあります。(2018.6.23追加)
◆追 加(2020.4.30) 煮込み 店名ではないが、煮込みの頭が付く店は多いです。和からビストロ、居酒屋まで。閉店したビストロ「煮込みやなりた 代々木 1996年?ー2018年」以前上げた「煮込みまる。 荻窪 2013年」「2538(ニコミヤ) 北千住 2010年、同名でいろいろな業態を開店。」食べログからも、もつ煮込み「煮込蔦八 大森 1970年」は一度閉店しての2015年復活。擬態語の「煮込みやぐっつ 中野 2009年」。日本語の直な店名も「Niru(ニル) 恵比寿 2019年」『ドレッシング』に「にこ 品川区中延 2020年」、煮込みの意味のニル、にこ。京都にはとても長い頭つきのお店「ワインのための煮込み料理研究所 NIKOLABO (ニコラボ)2017年」。(2020.4.30追加)
三河地方の郷土料理店「三河 門前仲町 1972-2016年閉店」、老舗「むぎとろ 浅草 1929年」ここの支店「芋と串むぎとろ 浅草」と「麦とろ茶屋 蒲田 2008年」、ほかに「とろろや 巣鴨 1986年」「自然薯tororo 表参道 2009年」「自然生村(ジネンジョムラ) 内神田 2013年」「ご飯ととろろ とろ麦 浅草 2015年」「山芋の多い料理店 西葛西 2016年」
薬膳でも身体によいということでルウに山芋入りの「薬膳カレー じねんじょ 谷中 1987年」があります。
麦とろとセットで牛たん焼、テールスープがありますが、仙台の「太助 1948年」発祥のセットに倣っているそうです。
東京ではチェーン店「ねぎし 新宿1号店 1980年」 ★TOP頁へ★ ☆和食TOPへ☆ ☆洋食TOP頁へ ☆中華TOP頁へ ☆ 食材の千変万化TOP頁へ ☆香辛料・調味料TOP頁へ ☆軽食TOP頁へ ☆喫茶・カフェTOP頁へ
香辛料・調味料 (追加2018.9.23)
カレー・インド系の料理はスパイスの固まりのような料理。エスニックも同様にいろいろな香料を使います。
スパイスロードと呼ばれるほどの航路があったほどに西洋の肉食料理にも重要なもの。今の冷凍のような保存の手段を持たなかった昔はスパイスがその役割を担っていたのです。
ただ、日本人は基本穀物・魚中心の食事。唐辛子や山葵、葱や生姜、山椒を使ってはいましたが、味を変えるのではなく、付け合わせ的な薬味的役割。
南蛮漬けが葱と唐辛子と酢の香料付け料理としてはあります。鴨南蛮の南蛮は葱の事で、こちらは大阪の難波が葱生産地だったのでついたとされています。
乾燥した香辛料のほかに現在は野菜としての生の香菜、ハーブは古くは紫蘇、生姜、ニンニク、以前取り上げた(脇役頑張る)のチャンツァイ、パクチーもそうです。
▼ 香辛料・スパイス (追加2018.9.23)
【ちょっと前の話】
日本料理の中には辛い料理があまりありませんでした、香辛料、薬味としてワサビ、江戸時代、辛子、七味の唐辛子がありました。
胡椒がうどんのに安土桃山時代から使われていました。うどんに胡椒、蕎麦に七味が江戸時代の使用方法
上の四川料理屋やカレーの辛い香辛料唐辛子はは江戸時代は、薬研堀で七味が作られ、薬研堀の薬屋で漢方薬(1625年に徳川家光公に献上)として売られていましたが、途中から蕎麦の友となりました。
激辛ブームは美味しさを楽しむとは違い、一種のゲーム感覚なので、あまり共感はできませんが、西洋でも勇者への儀式的につかわれていたようです。
写真はその先鞭の「ボルツ 渋谷1号店 1973年」、辛さだけでなくスパイシーさもあったそうです。ビジネス系日本レストランシステムズが50店舗以上を全国に展開。
ボルツの由来はわからないのですが、『安心堂』という通販にインド南部ベンガルール市にある老舗香辛料会社インド・ボルツ社がつくる伝説のボルツの冷凍カレーを載せています。
辛い料理にその後に韓国、エスニック系から近頃はメキシコ料理も参戦しています。
【いろいろな辛味へGOー】
去年宮崎のご当地麺の辛麺、担々麺ではない「辛麺屋一輪 目黒、渋谷 2017年」がオープンしていて、0から25倍まで辛さのレベルがあります。唐辛子の大きな瓶がデスプレイしてあって辛さを増します
危険信号の赤くて辛いけど、味覚では危険信号の毒、でも毒ではないので挑戦意欲をそそるのでしょうね。
韓国朝鮮料理のキムチから辛い料理を知り、1980年代からいろいろなエスニック系の辛さも楽しむように今はなっています。
現在の辛い系列は先に挙げたカレー、四川、、火鍋料理、やはり韓国朝鮮料理でしょうね。「唐がらし 大井町 1998年」「とうがらし 神宮前 2010年」「辛辛屋 大岡山 2014年」
洋系はマスタード「ワイン&マスタードA 新宿三丁目 2015年」と新しい。
調味料の名より味の辛い感覚の方が優勢です。辛子、ワサビ、サルサソース、タバスコ、チリソースの店名より辛、カラカラ、炎、赤、蠍のイメージと様々。上で出てきた四川料理、特に担々麺に使われ、他は火鍋にこれらの言葉独占状態。
それ以外では辛い料理専門の「からからや 下北沢 1986年」「辛辛(シンシン) 新宿 2010年」「赤ちり亭 渋谷 2008年」「赤い壺 表参道 2009年」チェーン店「赤から 名古屋市2003年 渋谷2004年」
イタリアン「ピッカンテウノ 練馬 料 2012年」、 イタリア語の辛さ一、直訳で辛い料理 刺激的でスパイスの利いた料理の店
【辛味からハーブの世界へ】
他は頭や尻尾に付く事例が多数。 ハーブそのものの店名も大きいフードビジネス系イタリアン「トゥザーハーブス 1号店西麻布1998年」名古屋からのスイーツ店「ハーブス 1981年1号店」があり、これ以外は少数で、スパイスと同じく差を付けるために頭や尻尾につける傾向。
「スバイス&ハーブ共和国 国立 1985年」「ハーブアンドスパイス 秋葉原 2011年」「唐辛子バルチレデルナ(CHILE DE LUNA 意味は月の唐辛子?トレードマーク) 吉祥寺 2016年」「スパイスバル317 三軒茶屋 2015」タイ料理「オリエンタルスパイス703 吉祥寺 2011年」「バンコクスパイス 中目黒 2015年」「ハーブ&スパイスバルメヌード(メキシコの煮込み料理の名) 中目黒 2015年」
中目黒メヌード 2015年開店
入谷スパイスジャヤ 2017年
吉祥寺唐辛子バルチレデルナ
2016年(中本左地下)
中目黒バンコクスパイス
2015年開店
写真の東南アジア料理のカフェテリヤ「スパイスジャヤ 入谷 2017年」のジャヤは茶屋の事ではなくjayaはサンスクリット語で勝利、栄光の意味。スバイスで生き生きとして縁起良くだそうです。
カフェで飲み物、スイーツ、料理にスバイスを使う「スパイスサロンボンナボンナ 世田谷区代田 2012年」「cafe spile(カフェ スパイルー英語のスパイスとスマイルからの造語) 阿佐ヶ谷 2012年」。
ハーブサロンのイタリアン「HERBA MONDO(ヘルバモンドーハーブの世界) 恵比寿 2016年」農園レストランとして「ハーブ&野菜熟レストラン 板橋区西台 2003年」」のような実際作っているところもあります。
【再び最初の香の胡椒へ】
イタリアンは東京では一店「スペッツィェ 天王洲 1974年、渋谷、銀座一丁目にもありました」エピスは中華も一店「エピセ 広尾(香料を加える意味) 1997年、紀尾井町から2002年移転」
ハーブのパクチーは店名として、料理に使われることが流行、パクチーのほかに、チャンツァイ、香菜、コリアンダーは皆同じ、多用するので「シラントロ 代々木上原 2010年」とスペイン語の呼び名もあります。
「材料名 2」で少しアップの洋食のイメージの胡椒はスパイスの王様。 銀座の洋食店「南蛮銀圓亭 2006年」の前は「胡椒亭 銀座 1972-2006年」、新橋の小川軒の味。
以前アップした以外は多国籍料理「Black Pepper NEO(ブラックペッパーネオ) 銀座 2002年」
「アパッペマヤジフ 麻布十番 2017年」は胡椒料理専門店もオープン。店名はペッパーフジヤマを逆読みしたもの。富士山のロゴがついています。
ペッバーは残念ながら、ステーキチェーン店「ペッパーランチ」に独占状態。時代でしょうか。
フランス語はポアブル、一番最初の頃の『フレンチ』で店名だけアップした「ル・ポアブル 目黒 1977年」が一番最初でした。さらに「ぽわぶる 調布 1999年」「SELPOIVRE(セルポワブルーソルトペッパーの意味) 練馬 2002年」。その後、塩との組み合わせは『脇役頑張る』へ。
唐辛子料理の多いタイ料理では「ブリッキーヌ(世界一辛い唐辛子名) 池袋 1991年、既に閉店」「ピッキーヌ(唐辛子名) 阿佐ヶ谷 1989年」「プリック 池袋 2001年ガイド掲載、ネットでは20年程前1990年代か?」「プリックタイ 高田馬場 2002-2012年」「ブリックタイ 大山 2011年」「ブリックブリックタイ 神田 2016年」。タイ語でプリックは唐辛子、ブリックタイは胡椒になるそう。
ソース料理のお店「スーソマヤジフ 目黒区五本木」もおなじようにフジヤマソースの逆さ読みです。いささか言いにくい店名。
【いろいろな国のいろいろなスバイス】
オレガノはイタリアン、パフリカはハンガリアンペッパーという辛味のある赤い甘唐辛子、ハンガリー料理店「Paprika.hu(パフリカドットフ) 高輪 2009年」があります。野菜のパプリカとは違う品種、野菜の店名は洋食「クインベル 両国 1994年」赤黄色オレンジある中の赤い品種の呼び名。
、サフラン・クミンはインド系、パクチーは東南アジア系についています。
タイ料理「レモングラス 銀座 1989年頃」、高級ダイニング系全盛の時代のモダン・タイ・キュイジーヌ「CORIANDER(コリアンダー-パクチーの粉末香料の呼称) 西麻布 2002年」。アジアとフレンチのコンプレックス料理の「kayumanis(カユニマス) 銀座 2005年、既に閉店」はインドネシア語の香料シナモン
「カフェローズマリー 末広町 2000年、既に閉店」フレンチでシェフが好きな香りを店名に。地中海産の海の露が語源の香料。
バジルはイタリア料理店にもありますが、タイレストラン「BASIL(バジル) 飯田橋 2018年」のようにグリーカレーやガパオライスにも使われていることからのもあります。
先(『新人パクチー、先輩山葵等』)に書いたように日本的な代表山葵、蕎麦、ザワショクとして世界中に知れ渡った鮨に薬味として活躍。チョコレートにも練りこまれる日本のイメージ。
もうひとつジャスミン、茉莉花はお茶のジャスミン茶名が有名ですが、こののお茶が中国ではやすいお茶にジャスミンの香を移した製法のお茶。
元は香料に使われる花として有名、ネットにはクレオパトラも愛用の香料。由来はペルシャ語。神の贈り物の意味で、古くから、中東・欧米の女性の名として使われている。確かデイズニーアニメ『アラジン』のヒロインの名前。
お茶の産地が中国なので食べログ60店弱の半分は中華、東京は「ジャスミン 広尾 2011年多店展開中」が有名。ほかにタイ料理店「ジャスミン・タイ 六本木1号店 2004年都内に6店」
「ジャスミン食堂(夜はジャスミンバル) 最初千駄ヶ谷移転京橋、2010年改名2016年」はロゴマークはジャスミンの花。東南アジアエスニック系はジャスミンライス、タイ産の香り米の高級なお米のイメージでしょう。
▼ 調味料・味いろいろ (追加2018.9.23)
調味料塩、醤油、味噌が代表的なもの。塩は世界共通なので『塩は絶対センター』で和洋取り上げています。
あと二つは日本独自の調味料なので、食材名の宝庫のラーメン店の独断場です。醤油の醤の字を使うお店もありますが、ワサビと同様に日本的なもののイメージ言葉として使われていますね。
京都のおでんをメインの味噌料理専門店「嘗(ショウ)ーmisoー 京都丸太町 2016年」がミシュランに載りました。嘗(ショウ)の字はHPで最後の一滴まで味わう意味だとか。外国人向けかmisoとダブル店名
写真は「ソイビーンファーム 吉祥寺 1985年、今の場所では1986年から」は愛知県の味噌屋の4代目が始めました。洋風の料理、ロールキャベツがよく紹介されています。フードビジネス系は「味噌鐡カギロイ 神保町 ガイド本2008年掲載」。夢屋の経営の味噌ダイニングですが、カギロイはかげろうの意味、味噌料理との関係は不明。
味噌、日本酒の酛の麹からの『発酵』と『材料名 2』に書いた燻製は味付けの変化系から調理法分野に格上げになっています。
燻製はさらに変化が激しく店名に煙が付くのは「煙事 銀座 2011年」からありましたが、ケムリの店名の変化タイプが増えていて、焼き鳥、焼肉にもありますが・・・。「燻煙 新宿三丁目 2013年」「けむり 神田須田町 2004年、人形町 2010年ほか」「スモークビアファクトリー 要町」燻製バル「SMOKE WORKS(スモークワークス) 恵比寿 2018年」「fumo(フーモ) 赤羽 2015年」「MOCMOC(モクモク) 綾瀬 2015年」「MOKU(モク) 大森 2016年」
日本の薬味から、+少々の洋系 (追加2021.10.16)
古い店名はミョウガでどうやら家紋からのようです。語源が冥加、神の加護がある意味で武士が愛用の紋。食べログからの「みょうが屋」「茗荷屋」、ふぐ店として今も「赤坂めうが(古名でミョウガと読む) 白金高輪 開店年不明(再掲)」
◆ 山葵
古いのは写真の由来不明「山葵 人形町 1985年頃」、魚料理屋なので山葵は薬味として外せない物ですね。
はっきり由来が載っていたのは移転を3度ほどしている最初は和ビストロ、現在は九州うまいもんの「わさび 恵比寿 2008年」はオーナーがスパイス大好き、世界に通じるわさびをピリッと心にスパイスの意味と日本のスパイスだから和食にはワサビとして店名にずっと思って命名したそうです。
次は鮨屋に続くのですが、どの店が最初かは不明です。再掲「鮨和さび 四谷三丁目」「鮨山葵 湯島」は開店年不明、わかるのは高級鮨店「鮨わさび 麻布十番 2008年」 徐々に店数が増えてきたの食材に山葵をつかう再掲蕎麦屋の「山葵 銀座 2004年」「わさび庵 銀座 2004年」、再掲「WASABI 浅草」のローマ字表記は和のわさびが海外からのお客にも親しめるように。
店数が増えると差をみせるため、わさび、山葵、WASABIから違う当て字が増えています。「和さび」「和菜美」「和西灯」「和彩美」「和錆」「花わさび」。
「わさびdinigつんと 新橋 2019-2021年」閉店して残念、山葵の鼻にくる辛味の「ツンとくるから」の正真正銘のわさび料理専門店でした。>
◆ 生姜、+葱
以前もかいたように生姜は男性向きの生姜焼き専門店中心でした。洋食「Ginger(ジンジャー) 南池袋 2017年」「極味生姜 六本木 2020年」や再掲の「生姜キング 浅草橋 2017年」「しょうが焼BAKA」が新しい店。カフェ「GINGER.TOKYO(ジンジャードットトーキョー) 清澄白河 2015年」はオーナーが生姜好きなのと猫の名前からジンジャー。
ビジネス系モダンアジアン料理店「モダンタイベトナメーゼジンジャーグラス 代々木 2018年」は由来は不明、刺激的なスパイシーなタイ料理とたっぷりの野菜とハーブのベトナム料理のミックス店なので、推測ですがジンジャーとレモングラスの二つの香菜の造語でしょうか。
女性向には英語店名。仏語は残念ながら少し使いにくいgingembre(ジャンジャンブル)はなし。
なんでもありのラーメン店、店名に生姜と付くのは多くはないのですが、頭に付けて食材として使う店は結構あります。店名は攻めてると書かれいてる「生姜は文化 巣鴨 2018年」「とりジンジャー 御徒町 2020年」
葱と鮪の鍋「ねぎま」はビジネス系?「ねぎま屋武蔵 葛西 2012年」「ねぎま 三ぞう 新橋 2013年」と増えていました。
和食店「ねぎぼうず(葱の花のこと) 原宿 1996年」のように食材でない店名も、フレンチの2店もポワロ、薬味というより普通の野菜。「ポワロー 表参道 1985年」「ビストロ・シブレット(小葱、アサツキのこと) 浅草橋 2005-2010年」。
「 L’allium(ラリューム) 白金 2018年」は葱ぼうずの意味でこちらは花言葉から『繁栄と幸福』、玉葱の花のことで(葱ぼうずは葱全般の花)でフレンチの基礎の食材。
イタリアンはポッロで「ポロポロ (POLLO PORROー鶏と葱) 池袋 2016年」
◆ にんにく・からし・山椒等
写真は長く続いている1店「にんにくや 恵比寿 1983年」「はじめの一っぽ 神楽坂 1995年、開店時は「にんにく」の店名、1999年に改名」ビジネス系「にんにく屋五右衛門 渋谷 1号店1990年」。ついでに洋系を少し、既に閉店したフレンチ「アイオリ(ニンニクalhと油òliを入れたプロヴァンス地方のソース名Aïoli) 原宿 1995年」、同じソースでイタリアンでは「トラットリア・アリオリ 外神田 2006年頃」「Garlic Garlic(ガーリック ガーリック) 松濤 2012年、2018年人形町」大蒜酒場 「OKADA GARIC(オカダガーリック) 池尻 2018年」再掲の無国籍「アホアホ(スペイン語) 代々木上原」。
カレーの薬味らっきょは平安時代に中国から、でも薬効として薬扱い、野菜として食べられたのは江戸時代から。店名は少なく札幌から進出の東京は2号店になる「東京らっきょブラザーズ 早稲田 2007年」。
辛味系は今は外国からのものが中心になっていますが、からしと山椒が古くから食されていました。
菜の花の仲間のカラシナの種から作るからし(芥子)。カラシナは弥生時代からあったそうです。熊本県土産の辛子蓮根400年以上前から製造販売。
店名は1店鉄板焼き「可らし 白金台 1996年」は店内がからし色です。
山椒別名はじかみ、辛い中華の花椒(カショウ、ホワジャオ)とは別植物。日本原産で縄文からの最古の香辛料とか。
ちりめんじゃこと実山椒を炊き込んだ京都土産ちりめん山椒の方が知られているように思います。丸ごと食され、木の芽、花山椒、実山椒、粉山椒は蒲焼きの友。
「うなぎさんしょ 浅草 1985年」は自慢のこだわりの山椒を覚えてもらうために命名とか。他に和食のホテル系「花山椒 汐留 2003年」
スダチ(酢橘ースタチバナ)・カボス(臭橙・香母酢)は『橘と果物』で取れ上げた橘や柚と同じくみかん酢として古くから使われてきたもの。スダチ飛鳥時代から徳島産が中心で1980年代から特産物になり、『香ゆず、酢スダチ』、濃い緑色で他の柑橘系より小粒。カボスは大分県の特産、ヒマラヤ原産中国から江戸時代に入ってきて薬効のため医薬品扱いでした。
他の柑橘系より一般的ではなく、近頃関西から進出の蕎麦屋「土山人 兵庫県芦屋市 1998年、関西中心に8店舗、東京2007年池尻大橋」のはスダチ蕎麦がインスタ映えでよくみかけるようになりましたが、以前はカボスと同じく高級和食店で使われていました。
ミシュラン店の姉妹店「Sudachi(スダチ)(『巣』掲載)」が読みではありますが、こちらは巣立ちの意味。他のは由来が不明ですが、山葵と同じく和のイメージから和食割烹、居酒屋、なぜか焼肉店に付いています。あまり知られていないカボスは大分県料理店ほか3店が食べログにあります。
日本では西洋料理の付け合わせ程度のバセリ、口臭を消し消化促進、殺菌作用があるそうです。
ヨーロッパでは古代からのハーブで、西洋料理ではソースやスープに重用する香料野菜。日本へはオランダから17世紀にやってきてオランダセリと呼んでいたそう。
イタリアンの草分け的レストラン「キャンティ」では『スパゲッテイバジリコ(英語香草バジルの伊語のバジリコの意味)』、本来はバジルを使う『ジェノベーゼーイタリアの都市ジェノバ風の意味』から発想の大葉とパセリのスパゲティが有名。
パセリを使った料理店ではなく西洋のイメージからの店名です。イタリアン「Paseri(パセリ) 上大崎 1997年」フレンチ「Persil(ペルシィ) 銀座 2000年」。食べログにも洋食が多いようです。 ★TOP頁へ★> ☆和食TOPへ☆ ☆洋食TOP頁へ ☆中華TOP頁へ ☆ 食材の千変万化TOP頁へ ☆香辛料・調味料TOP頁へ ☆軽食TOP頁へ ☆喫茶・カフェTOP頁へ
軽食ー世界の粉もの・パン、色とりどり (追加2018.9.23)
以前『パン職人』で取り上げたパン店、変化にとんだ軽食は大阪の粉もの、たこ焼き、お好み焼きから東京ではもんじゃがあります。
各国の粉もの、クレープ、パイ、タルト、キッシュ、マフィン、ワッフル、メキシコのタコス、同じくブリトー、韓国朝鮮のチヂミ、中国のチュンピン(春餅)
■ クレープ (追加2018.9.23)
外国から来たのはクレープ、フランスの粉もの 薄焼のパンケーキです。そしてアメリカンでアップのパンケーキ
『東京食べ歩きの絵本1978年』には「かふえくれーぷ」も一緒に載っていて、竹下通りに二軒が近所の向かい合ってありました。
ネットの『渋谷経済新聞2003.5.23』が取り上げている「原宿カフェ・クレープ」と同じ店かはわかりません。この店は1977年に「ブルーベリーハウス」次に「ストロベリーハウス」「エンジェルスハート」を展開。マリオンとこの店は40年以上原宿でクレープをひろめてきました。
近くには大人のクレープを謳う「PARLA(パーラ) 2014年」お酒の利いた高級クレープ店もオープン
日本風のスイーツのアレンジタイプはミルクレープに始まり、クレープブリュレ(富山県発、2016年原宿1号店)、コロット(北参道本店2011年)と急激に進化増殖中。
名前も日本語名の「casane(カサネオ) 吉祥寺 2018年」。この店を始めたのはネットではミルクレープを発案したシェフとか。重ねるのローマ字のkasaneruとneo、新しいの造語。
日本のクレープはクリームとアイスクリームと果物一杯のスイーツ系ですが、本国ではそんなに派手なデコレーションではありません。フレンチのデザート、クレープシュゼットが華やかなイメージですが・・・。
クレープの一種、蕎麦粉のガレットはハムや卵、ちーず塩系、日本のお好み焼きに味は近い。
その後も2000年代から。「Galettoria(ガレットリア) 神泉 2007年」「ル・ブルターニュ」の元クレーピエ、フランス人のガレット職人がオープンの「メゾン・ブルトン・ヌガレット屋 笹塚 2008年」「ガレットスタンド 神谷町 最初恵比寿2014年開店」蕎麦職人の「galette cafe もが 神楽坂 2017年」フレンチのシェフの店「ラクレープリー 西荻窪 2018年」
■ パイ・タルト (追加2018.9.23)
アメリカンの「アンナミラーズ(創業者の祖母の名前アンナミラーから) 青山1号店 1973年」「パイハウス 下北沢 閉店2000年」『ママは偉大な力』記事でアップの「ママタルト」等。塩味系はアメリカからの「シスレー 原宿 1988年」、現在はなぜか海の向こうからのパイ専門店次々開店「リトルパイファクトリー 広尾 2015年頃、既に閉店」「パイフェイス」「The Pie Hole L.A.(パイホールロサンゼルス) 新宿1号店 2016年」と増加中。
フランスのキッシュ(正規はキッシュロレーヌ)は「キッシュアンドタルト 白金 1996-2007年」が都内では最初の専門店、ほか「キッシュ・シュ 多摩市1992-2003年」「キッシュ&タルトSeki 飯田橋 2011年」つい最近路面店があった「キッシュトシヨロイヅカ 南青山 2016-2018年」、ヒカリエ等にはあります。
キッシュだけではレストランを成り立たせるのは難しいようで先の「シスレー」「キッシュシュ」、テレビで取り上げられた料理名は付かないのですが頭には「手作りパイとキッシュの店」ついている「ブレイクタイム 吉祥寺 2014年」はシチュー、スープと組み合わせています。
■ サンドイッチ (追加2018.9.23)
もう半分以上の朝食はパン食の時代、近頃流行の萌え断、インスタグラムにアップして人気の具が多いサンドイッチ、
サンドイッチパーラーと付く「赤とんぼ 銀座 1950年レストランとして開業、1963年虎ノ門に移転」「まつむら 人形町 1921年、1957年からパーラー」はありました。
テイクアウトのサンドイッチハウス「グルメ 大阪梅田1号店 964年」「メルヘン 西東京市田無町 1982年」もデパ地下に必ずあります。
70年代からは英語圏出身のこともあり、アメリカンな憧れの食べ物としてサンドイッチ店をオープン。「トムス・サンドイッチ 代官山 1973年」「アンクルサムズサンドイッチ 上野毛 1978年」「喫茶アメリカン 東銀座 1982年」。他に「B.L.T.(ビーエルティ) 西麻布 1986年開店」は今は珍しくない朝食レストランで、ササビー(アフタヌーンティー)の経営店名はBはブレックファスト、Lはランチ、Tはティーの略(ベーコンレタストマトサンドの略から2019.11.3訂正、でもこの意味もあると思います。)
2005年にウェディング仕様のフレンチ店、現在はイタリアンになっています。
要望が多かったサンドイッチ店が「トーストサンドイッチバンブー 表参道 2017年」(写真)として開店しています。
1980年代では『サンドイッチ柴田書店1985』に英語名の「オーバースタッフ 北青山 1983年」「サンドイッチテーブル 麻布十番」「グースベリー 南青山 1982年」「ピーウィニーサンドイッチ 下北沢」掲載。
『アメリカがすき?』で1990年代後半から日本人による日本人のための高級ハンバーガー店が続々オープンの記事を書きましたが、そのためサンドイッチは少し停滞気味だったようです。
先の「サブウェイ」も苦戦していたのですが、日本人向きのパンと具材に替えたら右肩上がりになりました。
本家イギリスから「PRET A MANGER(プレタマンジェー仏語出来立ての食事) 浜松町・新宿・品川 2002-2010年」は割と早く撤退、今もイギリス旅行者には便利なサンドイッチ屋のようです。
ガイドに良く載っていたのは「トランスファー 麹町 1993年のガイドに掲載、2006年に銀座プランタンに移転、既に閉店」
「ファンゴー 三宿 1995年」(『アメリカがすき?』でアップ)もサンドイッチとハンバーガーの店ですが、当初はサンドイッチレストランで有名に。
専門店以外に洋食屋の名物のカツサンドの有名なものもあります。フルーツパラーのフルーツサンド、京都の喫茶店の名物の卵サンドから火のついた専門料理店「ウフタマコサンド」もでてきています。
個性をだした「ザサンドイッチハウス55(55種ある) 渋谷 2014-2017年」寿司職人の玉子サンドが人気の「キャメルバックサンド&エイプレッソ(キャメルはラクダ、フタコブラクダがトレードマーク) 渋谷 2014年」「ワズサンドイッチ(和風サンド) 新宿 2016年」
近年店数増加のベトナムのバインミー(「バイミー☆サンドイッチ 高田馬場 2010年」)、スペインのボカディージョ(「フェルミンチョボカ 六本木一丁目 2015年」)、最近オープンのトルデージャのサンド(「ボカタ 祐天寺 2018年」)アルゼンチンのチュリソーのパン(「ミチョリパン 代々木上原」)イタリアミラノからの「パニーニジェスト 吉祥寺 2018年」
「サブウェイ」が進出した頃に出版の『食堂1992.8』の記事はサンドイッチに対してフードビジネスになりにくい店となっていていました。
調理を必要としない誰にもできる、オーソドックスであり、話題性も必要な業態。
フードビジネス系のネット記事を検索すると同感するものがあります。「F.R.Sands(ファンガス・ライス・サンドウィッチーズ) 青山 2014年、既に閉店」、はなまるうどんの店で、ファンガスがラテン語のきのこ(味付けに使用)、ライスはパンの代わりにライスシートを使ったサンド、女性向の低カロリー。
野菜にこだわりの「パシフィック(経営会社名)サンドイッチプレイス 原宿 2010年、既に閉店」。
多くのお店を持つベイクルーズの「ボン・ヴィヴァン(グルメ、美食家の仏語) 渋谷 2016年、既に閉店」、スーパーフードを組み合わせたサンドイッチ専門店。
ほかにベトナムのバインミーの「Viet Banh Mi Court(ビエット(ベトナムの意味) バインミー コート) 外苑前 2015年、既に閉店」
イタリアのパニーニの「PANINO VINO(パニーノビーノ) 表参道 2012年、既に閉店」。
今の流行はグルメハンバーガーと同じくグルメサンドイッチの分野、間食、食事の間でふらつくコンセプトなか、ガッツリとで、値段も飲み物を入れると2千円近くなるアメリカンなサンドイッチ店が評判。
写真の「ザ・アール 赤坂 2005年」アールは伯爵、サンドイッチ伯爵のこと、伯爵にふさわしい高級食材のサンド。「ダブルサンドイッチ 大手町 2015年、神奈川県葉山から進出」アメリカ西海岸風。
サンドイッチの店名ではありませんが、最初はコーヒーショップだった「QINO'S(キノーズー苗字の木下さん) 小石川 2011年」尻尾にマンハッタン・ニューヨークが付く店名です。ガッツリ、コテコテなアメリカンサンドであることを謳っています。
パンが主食の座を奪いつつあるので「ブラン(Blanc) 虎ノ門 2016年」はパンビストロを名乗り、イタリアのパンのフォカッサャの専門店「フォカッチェリアアルタムーラ(アルタムーラはイタリアの地名) 江戸川橋 2013年」も見つけました。
フランスパンも人気なのに仏語の店名は少ない世界。カスケード中心のサンドイッチリー「シャポードパイユ 中目黒 2011-2018年、2010年中野で店名はシャポードパイユの日本語むぎわらぼうし」モッツァレラチーズサンドのみの「Mmmoza(ンーモッツァ) 原宿 2017-2018年」は閉店してしまいました。
とにかく競争の激しいこの業界、サンド・サンドイッチを店名に名乗る限りはオーソドックス、工夫のある最先端の二兎を追う必要がありますね。
■ ベーグル (追加2018.9.23)
もう一つアメリカンのベーグルパン、和ベーグルまで世界が広がっているベーグルパン、宗教の制約の多いユダヤ教のパンでローファット、ローカロリーのうたい文句で、女性に好評で広まっています。
同様にアメリカペトロスキー社から輸入の「ザ・ベーグルズ 原宿 1993年」、(株)ふじもとが広尾や大森店等でも2008年までか開店していました。
「ベーグル&ベーグル 新宿御苑1号店 1997年」、「BAGEL(ベーグル) 南阿佐ヶ谷 1998年頃-2009年」最初は運営会社名の「マコーズベーグルカフェ 自由が丘 1998年(最初1997年高松市)、2003年にジュノエスクベーグルカフェー神話のジュピターの妻ジュノーのように高貴で美しくーに変更」当りから人気になり、2000年代当りから普通のパン屋、個人店も増加。
カフェの中のも「エスプレッソアンドベーグル 代官山 2002年カフェブック掲載」が開店していました。
2011年から2013年までパン屋188軒を巡った本『サッカマイセスセレビシュ2013』にはベーグル専門店「①(マルイチ)ベーグル 白金」「ケポベーグル 下北沢 2008年」「ベーグルスタンダード(ニューヨークで作られているスタンダードなベーグルの意味) 中目黒 2010年」「テコナベーグルワークス 富ヶ谷」「ポチコロベーグル 西荻窪」「旅ベーグル 谷中」ベーグルがつかないビストロから専門店に鞍替えした「ポムデテール 西荻窪 2003年、2011年頃からテイクアウト専門店に」ほかに横浜市と埼玉県の一軒づつ
ほか直な店名は「ぐるぐるべーぐる 蒲田 2003-2015年」「ベーグルズ 三軒茶屋 2012年」
店名にベーグルが付かない専門店も多くあります。ヘルシーでお洒落でアレンジがきく女性に人気なベーグルですが、ただ小さな店が多く競争も激しいので、閉店、東京以外への移転も多く上の店も半分以上は変わっています。
ニューヨーク発「エッサベーグル 八重洲(東京大丸内) 2012-2014年」は割と早く撤退したけど、本家のアメリカからも今年サンフランシスコ発(2010年創業)のベーグル&デリ「ワイズサンズ 丸の内 2018年」が来襲してます。東京にはまだないですが、シアトル発「Eltana Wood-Fired Bagel Cafe(エルタナ) 大阪 2018年」も。
■ 軽食その他 (追加2018.9.23)
帝国ホテルのヴァイキング料理の元祖スモーガスボードはスウェーデン料理で、オープンサンドの原型。スモーガスがサンドイッチ、ブレッド、ボードは食卓の意味。
『サンドイッチ 柴田書店1978』には大手に交じって「ロイヤルコペンハーゲンティーラウンジ 銀座後に新宿伊勢丹、2014年に閉店」が掲載。食器のアンテナシュップにオープンサンドと紅茶の店を開いていたようです。
『食堂1978.4月号』や同じころのガイドにオープンサンドの店がありました。「COPEN(コペンーオープンサンド発祥のコペンハーゲンから) 原宿 ガイド本1978年掲載」「クロパン(黒パンを使用) 久我山 1975年」「六曜舎(現在は洋食屋) 中野 1975年」。特に「コパン」は鮨屋スタイルの作りで、のり巻きならぬぱん巻サンドも注文できたそうです。
タルティーヌはフランスのオープンサンド。塗るの仏語からで日本では新しい料理なので専門店は「アルディーヌ 渋谷 2016年」一店。古代小麦の特別のパンのアルデネで作ったのでこの店名になっています。
だだメニューとしては多くの店が作っていて、オープンサンドもそうですが、流行の訳は例のインスタ映えです。
大本のスモーガスボードは流石にナシと思ったら大阪に専門店「スモーブローキッチンナカノシマ」がありました。ネット記事ではバル「ウグイス 三軒茶屋」でもスモーブローを出しています。
つい最近では大阪の専門店が東京へ「レブレッソ 武蔵小山 2018年、大阪2014年、ブレッドとエスプレッソからの造語」。
浅草の食パン専門店パンのペリカンのカフェ「ペリカンカフェ 2017年」はメニューの大半がトースト。
スイーツ系フレンチトース店も直の店名の「ザ・フレンチトースト ファクトリー 亀有 2014年」「TOASTY'S(トースティーズ) 二子玉川 2017年」を初め多くの専門店がオープン、出てきています。
昔、給食でお世話になったコッペパンの復活は手を挙げて応援したいです。 ★TOP頁へ★ ☆和食TOPへ☆ ☆洋食TOP頁へ ☆中華TOP頁へ ☆ 食材の千変万化TOP頁へ ☆香辛料・調味料TOP頁へ ☆軽食TOP頁へ ☆喫茶・カフェTOP頁へ
喫茶・カフェ
コーヒーは一番最初の喫茶店。カフェの「可否茶館」から店名に入っています。読みはカヒ カウヒイ、提供するフランスのカフエではないかの説もありますが・・・。
喫茶店は広範囲の店名を食べ物屋の中で自由に選ぶことができる業種ですので、あえて唯一のメニューの名を付けるのはとても少ない時代が続きます。
女性目当てのカフエーも多くあり、西洋料理を出す店も多く昭和初期まで産地の地名が主流でした。
1930年代にカフエーとの違いを出す純喫茶が登場してきます。
▼ 珈琲・コーヒー
戦後しばらくしてから、珈琲の別名から「和蘭豆 蒲田1号店 1972年」「伴茶夢(バンチャム バンがアラビア語の珈琲豆) 目白 1977年」
個人店の「珈琲屋 西新宿 1973年」同名「赤坂 1977年」
「イルカッフェ 吉祥寺 2003年」「かうひい屋 馬喰町 1993年」以前も挙げた「皇琲亭 池袋 1983年」「珈琲亭 板橋 2011年」「ザ・コーヒーショップ 代官山 2011年」
珈琲の後に場所名や人の関係をプラスした再掲「珈琲船団 日本橋 1972年」「珈琲道場侍 亀戸 1976年」「可否道 柳橋 1980年」以外にも多く、「珈琲譚 用賀 1987年」「珈琲野郎 目黒 1972-2015年」「珈琲大使館 新橋 1973年」「珈琲家族 恵比寿 1975年」「珈琲の家その1 小川町 1980年」「珈琲美学 目黒区鷹番 1978年」「私立珈琲小学校 代官山 2016年」
ブランド名は以前アップの「アラビカ 日本橋 1962年、既に閉店赤坂店あり」はアラピカ種というコーヒーの樹の原種。
カリスマ的な「もか 吉祥寺 1963年、既に閉店」、「ミルクホール珈琲モカ 千住 1961年」 「モカ 代官山 2016年」のように自国の珈琲豆の普及のため付けている場合もあります。
▼ 紅茶・ティー
同じく紅茶もコーヒーと同じく「可否茶館」でメニューにあったそうです。
東京には現日東紅茶の「日東コーナーハウス 日比谷 1938年」。ブランド銘柄とメーカー名が多く、「オレンジペコ 駒込」「アッサム 御茶ノ水 1975年」「青山ティーファクトリー 神保町 最初外苑前1996-2015」「チャイブレイク 吉祥寺 2009年」
お茶を運ぶ船名「Tea Clipperティー クリッパー) 吉祥寺 2009年」「サーモピレー 御茶ノ水 1980年」。
メーカーの「ブルックボンド(イギリス) 新宿 1964年」「アシュビィズ オブ ロンドン 赤坂見附 1994年」「フォートナムアンドメイソン(イギリス) 日本橋 2004年」「Benoist(ベノアティールーム) 銀座(ティールーム2013年閉店)」「リプトンティーハウス 銀座 2008-2011年 紅茶教室「リプトン ティースクール ギンザ」はあります。」「ザ・ダージリン 銀座 2007年頃-2015年」同じく「ザ・ダージリン 麻布十番 2007-2015年」
「ルピシア(HPに意味なし、別のHPでは元の店名レピシエの意味は仏語食料品店こと世界中の美味しいものを集めて日本の皆様にお届けする、という思いを込めてとあります。) 会社1994年、最初本店千駄ヶ谷本店、2007年自由が丘本店」
紅茶はイギリスのイメージからの再掲ミステリーの女王アガサ・クリスティの苗字の「クリスティー 原宿 1980年」、綴りは違うけどティーの音が入っていることと小説の場面によく紅茶のシーンが登場することで決定したとのこと。
そしてコラムで書いたライフスタイルカフェの「Afternoon Tea(アフタヌーンティー) 渋谷 1981年」の登場。気持ちいい生活の提案の衣食住まとめてのショップ併設店。
コーヒーと違い、コーヒースタンドのようなカジュアル系は少なく、ティーサロンのイメージのマダムご愛用のイメージがずっと続いていたのですが、それを変えたのが台湾紅茶。
銘柄で選んでいた緑茶・中国茶・紅茶がフルーツやチーズ、クリームがたっぷりはいったインスタ映えする新しい飲み物に変身したのです。
本家に負けじと2018年までに多くのティースタンドがオープン。「Cha Nova(チャノバ) 銀座 2017年」「CHAVATY(チャバティー) 表参道 2018年」「好茶 浅草 2018年」「Hi茶 上野 2017年」とほとんどチャ、茶が付いています。
京都抹茶の「THE MATCHA(ザマッチャ) 表参道 2018年」もできています。日本茶の緑茶も「東京茶寮 三軒茶屋 2017年」「茶論(サロンー奈良からの出店、茶を以て美を論ずから) 日本橋 2018年」茶リスタのいる日本茶スタンド「Sate'n(サテンー喫茶店の略称) 西荻窪 2018年」など。
▼ コーヒー周辺様々
コーヒーの周辺用語から「ブレンド 経堂 1971年」「珈琲アロマ 浅草 1964年」「Esprtsso factory 千駄木 2010年」
コーヒー豆そのものは「カフェブンナ(エチオピア語ブンナは豆の意味) 六本木 1972年」「豆香房(マメコウボウ) 目白 1996年」「ヴェルデカーナ(ポルトガル語の新鮮な緑色の豆) 尾山台 1994年頃」「茶豆珈琲(チャマメー茶色の豆) 大井町 2008年」
サードコーヒーの波から豆にこだわる店は「Mi Cafeto(ミカフェートー私のコーヒー) 元麻布 2008年」「AMAMERIA ESPRESSO(アマメリア エスプレッソ) 武蔵小山 2010年」「beanz depot(ビーンズデポ) 用賀 2012年」「Blackwell(ブラックウェル) コーヒー 吉祥寺 2015年」「マメココロ 北千住 2015年」。
アメリカ、ロサンゼルスからの「コーヒービーン&ティーリーフ 日本橋1号店 2015年」珈琲豆と茶葉というと分かりやすい店名。
神南ローステッド
2016年開店
根津エスプレッソファクトリー
2017年開店
蔵前コフィノワ 2016年開店
銀座アンドコーヒー 2017年開店
サードウェーブの店は焙煎にもこだわりが多いです。コーヒーロースターズ、エスプレッソのついたカフェも増えています。
タイソンズアンドカンパニー経営「THE ROASTERY(ザロースタリーー焙煎所の意味) 神宮前5 2013年 」「エスプレッソディーワークス(ディDは経営会社の頭文字、ワークスは仕事、その場所) 恵比寿」「エスプレッソファクトリー 根津 2017年」
。スターバックスコーヒーも「スターバックス リザーブ ロースタリー 中目黒 2018年」に開業する予定とか。
原点にもどってコーヒーに一工夫の店名もあります。「コフィノワ 蔵前 2016年」はCOFFEE NOVAと表記、コーヒーの新星の意味もありますが、HPではコーヒー生産者と消費者をつなぐ輪の意味と新星の新たなコーヒーの素晴らしさを伝える役割担う意味も。
「Coffee Wrghts(コーヒーライツ) 三軒茶屋 2016」コーヒーを作る人の意味 購入する方もその一人と考え用意して相談に乗るコンセプト。
「アンドコーヒー 銀座 2017年」&の前はメゾンカイザーのパンとがはいります。「ぽんでコーヒー 池袋 2016年」ポルトガルのパンポンデケードョとコーヒーの店。以前取り上げたパンとエスプレッソと同じタイプです。
2018年3月オープンの日比谷ミッドタウンのなかに熊本県発の「AND COFFEE ROASTERS (アンドコーヒーロースターズ) 日比谷 2018年 」が開店しています。こちらは前の言葉はなんなんでょうか。
材料・調理名さまざま (追加2018.8.5)
今は食材が季節に関わらず、入手できてメニューに載せることができます。かつて鰻屋が季節外れに焼き鳥をメニューにしていたようにしなくても良い時代。写真の「鳥竹」も大きくうなぎとやきとりが並んでいます。
一例として、「雁鍋 上野山下 1897年」は牛肉屋に押されて1906年に店を閉めていて後には「世界牛肉店」が建てられたそうです。
麺類も流行が激しく、担々麺の前に流行った台湾の担仔麺(ターミーメン)、担々麺と出自は同じ中華麺。現在は東京にも本店がやってきた台湾ラーメンを名乗る名古屋の「味仙」の方が人気に。
増えつつある米粉のベトナム麺フォーの専門店、フォー麺はタイ料理の米粉麺、ビーフンもあったのですが、タイ語が難しくて(クイテイオほか)、気の毒にトムヤムンフォーなんてタイ料理+ベトナム語麺の即席めんが発売するような状況。
日本は海外から来たものを取り入れ、アレンジしていくのが流れとしてあります。オリジナルが気軽に手に入る前は、もうこれは何のごちゃごちゃなものが多数ありました。
肉サマザマノ続きになりますが頭に「一頭買い・・」とつく焼肉屋も増えています。フレンチやイタリアンは記事から外しましたが、多くの各国ノレストランも肉に特化した数々のお店も。
中東のケバブも焼肉の意味で、トルコのドネルケバブは回転して焼く焼肉。ピタパンと組み合わせています。
ステーキとお好み焼きを出す千葉県船橋市で開業。2017年に錦糸町に2018年に「粉者牛師(コナミノウシシ) 人形町」オープン。粉と牛は食材名ですが、人に関連する「者」「師」を組み合わせています。お客のブログには鉄板の魔術師の言葉もあるので看板に大きくある焼く職人にこだわりがあるのでしょう。
肉以外でも「餃子とワイン屋 大森 2017年」姉妹店「餃子とビール屋」「コックテイルハンバーガーズ 武蔵野市 2015年」。燻製麦芽ピールと燻製料理「スモークビアファクトリー 要町 12015年1号店」中心は飲み物と食べ物のペアの店名。
新しいタイプ「GRIP PROVISION (グリッププロビジョン) 南池袋 2017年」。街の食糧貯蔵庫に意味で食料品も売っています。昼はポークジンジャー専門「Ginger(ジンジャー)」夜おでんとサワー「SOUR HOUSE(サワーハウス)」と二つの店名を名乗っています。流行の風が変わればこの二つの店名は変更していくかもしれませんね。
二つのメニュー名、食材名の組み合わせもあります。焼肉の項目でアップの「ラムダック(子羊肉ラムと鴨のダック) 神楽坂 2016年」、蕎麦とイタリアンの「蕎麦りあん 西太子堂 2018年」ほか店名は苗字のいしはらですが頭に「イタリ庵蕎麦いしはら 世田谷区世田谷 2017年」もありました。
神楽坂ラムダック 2016年開店
西太子堂蕎麦りあん 2018年開店
江戸末から明治大正には汁粉屋、甘味処が男性客も来る店でしたが、老舗の甘味処に今は女性客中心。ここから流行のかき氷屋が全盛期、洋系では以前挙げたパフェの店が甘味処でも大流行です。ほとんど汁粉屋は老舗和菓子店が中心。
甘味処は和菓子の系列で、季節感のある雅な店名が多く、本家の京都でも「京阿月(1840年頃創業元穀物問屋、小豆が主力商品で4代目が和菓子店に)」「祇園きなな(きな粉) 2005年」
料理名はほとんどないのですが、「あんとみつ 根津 2017年」は外国人も多いエリアなので分かりやすい店名が必要なのかも。ほか「chatoan 茶とあん 阿佐ヶ谷 2017年」
神泉スガハラフォー 2017年開店
渋谷山下本気うどん 2018年開店
料理名や食材名は広がりに限界があります。トップを切った店はOKですが、3番手、4番手あたりからそのままの料理名とはいかず、材料や調理法へ変化していきます。
さらに増えていくと他の要素、名前、現地名、原産地名とプラスしていきます。
これはアメリカン的店名のスタイルの在り方です。上の項目でも多く上げていて再掲載になりますが、「タコベル(ベル氏が創業したタコス店)」「ウルフギャングステーキハウス」「ローリーズ(ローレンス・フランク)プライムリブ」「フォレスト・ガンプ(小説。映画の主人公の名)シュリンプ」「ルークロブスター」「Susan's MEAT BALL(スーザンミートボール)」など。
日本人の店でもアメリカン風の「トニーズピサ゜吉祥寺(最初代々木) 1968年」「トムズサンドイッチ 代官山 1974年」、中華で上げた「ビーフン東 新橋」
新しいのはバラエティ豊かで「ルエノ(メキシコ料理、ピーマン、海老を詰めたもの)スガワラ 表参道 2006年、既に閉店」「グリリア(グリル料理)ウエタケ 六本木 2007-2017年」。
なぜか直ぐに改名してましたが「原トリッパ製造所(2017年には中目トリッパ製造所に) 中目黒 2016年」原はシェフの名前にイタリアの郷土料理トリッパの組み合わせ。
ベトナム料理店はフォー麺と名前「スガハラフォー 神泉 2017年」、店数が多いうどんは名前に元芸人のオーナーの心意気をプラスした「山下本気うどん 渋谷 2018年」。
今現在の大成功な店は「串かつ田中 世田谷 2008年」最初は頭に付く串カツが今は一体化した店名で皆に呼ばれている状態。串カツ居酒屋という新しい業態を広めています。
増加中一品店のカレー・餃子・パスター(追加2020.11.23)
以前食材でアップした一品料理の中で急激に増えているのは上の三品。
店名に食材・料理名を付けているところ中心で書いていますので、もっと多くのこの三種の料理店がオープンしています。既に上記に書いたのは『カレー』『スパゲッティ・パスタ』『餃子』に載っています。
■ カレーー(追加2020.11.23)
金沢カレーの老舗つい最近進出オープン「インデアンカレー 東日本橋・中目黒 2019年」が進出。実際は金沢ではない「ゴーゴーカレー」は以前アップしています。この大本がこちら。金沢カレーの系譜についてはこの系列の「チャンピオンカレー」会社のHP(金沢カレーの歴史の項目)に詳しく掲載しています。 同名の「インデアンカレー 丸の内 2005年」は1947年オープンの大阪の老舗カレー店。
沖縄のソーキそばならぬソーキカレーの「カレーの比嘉 神田(昼のみ) 2019年」も。
2015年あたりから間借りカレーという夜営業の店の昼間のスペースを利用した多くのカレー店が出てきています。
雑誌によってはクラフトカレー、手作りカレーと呼び、雑誌にも特集記事が掲載、個性的な人による個性的な独自カレーが注目になっています。店名も独自色強めです。
和風のカレー「和乃香(看板には日高昆布カレーとあります。) 大門 2019年」「ことこと 学芸大学 2020年」「おこしやす 淡路町 2020年」スパイス系「イマサラガラムマサラ(店名に特に意味はないそうですが、ガムラマサラは複数の香料をひとつにしたもの) 西荻窪 2019年」
ビジネス系ベイクルーズ経営の贅沢カレー「咖喱屋 ボングー 新宿 2020年」はフレンチテイストのビーフカレーでフランス語『BON GOUT』美味、美味しいの意味。
カレーを連想しない自由な店名「ポニピリカ(アイヌ語ー若い美しい枝) 下北沢 2014年」「フォレスター(映画名、ショーン・コネリー主演) 中目黒 2015年」「ホンカトリー(和歌の用語の本歌取り) 御茶ノ水 2016年」「べっぴん舎(意味は超美人、特別に質が良い品の意味) 神保町 2016年」「牧谿(もっけいー中国の水墨画人の名) 市ヶ谷 2020年」写真の新店「KERAKU(ケラクー仏教の言葉で煩悩を超越した快楽、スパイスでつかの間のケラクを) 目黒 2020年」
■ パスター(追加2020.11.23)
業態の変化もみられます。イタリアンファミレスのサイゼリア系「伊麺処(パスタドコ) 浅草 2020年」はコンセプト『和とイタリアンな世界観を融合させたファストカジュアルな都市型コンパクトレストラン』
地方性はあまりなく、名古屋のあんかけスパはココイチの「パスタ・デ・ココ 西新橋 本店2003年」位です。六本木に名古屋の元祖の「スパゲッティ・ハウス ヨコイ 2016年」一瞬進出したことはありましたが・・・。
外国からのドイツの伝統料理の生パスタの名前(『ドイツ料理』再掲)「シュペッツレ 青山 2016年」ポルトガルのスープパスタ「チャルメルキッチン 西新宿 2019-2020年」も。
■ 餃子ー(追加2020.11.23)
餃子の料理的変化はなく、中国から日本の地名までの地理的ローカル名中心。博多「テムジン」京都から「餃子歩兵 銀座 2018年」
ここにきて本物志向から中国の地名が多く見受けられます。中国の餃子発祥の大連の「大連餃子基地DALIAN(ダリアンー英語の大連) 麻布十番 2009年」。新橋周辺に店舗が一気に増えた「一味玲玲(イチミリンリン、後半西安出身の店主名前) 新橋 2003年、最初焼きとん屋」、「曾さんの餃子 水道橋 2018年」「張小姐餃子 葛飾区立石 2019年」「LIU'S gyoza(劉さんの水餃子) 外神田 2019年」ビジネス系「西安餃子(シーアン餃子) 新宿 1998年1号店」
それが皮の色、形のヴァリエーション、お肉じゃない中味のあんの多種化。かつて自由ケ丘にあった「餃子センター」は40種以上の餃子があったそうですが、焼き餃子がほとんど。
変わり種系は「七福餃子楼 恵比寿 2014年」中味のあんに凝る「池尻餃子 三軒茶屋 2015年」食べ放題多種多様40種餃子の「和合餃子 岩本町 2010年」「焚き餃子とき屋 学芸大学 2012年」。
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参考文献
◎あのメニューが生まれた店 菊地武顕 平凡社 2013
◎新食品事典1 穀物・豆 真珠書院 1994
◎日本の食文化史年表 筑摩書房 2011
◎近代日本食文化年表 小菅桂子 雄山閣 1997
◎食に歴史あり 産経新聞社 2008
◎にっぽん洋食物語大全 小菅桂子 新潮社 1983(講談社α文庫1994.筑摩文庫2017)
◎ベストオブ東京いい店うまい店 文藝春秋 2010
◎新東京いい店やれる店 ホイチョイ・プロダクションズ 小学館 2012
◎すし天ぷら蕎麦うなぎ 飯野亮一 筑摩書房(ちくま学芸文庫) 2016
◎居酒屋の誕生 飯野亮一 筑摩書房(ちくま学芸文庫) 2014
◎蕎麦年代記 新島繁 柴田書店 2002年
◎蕎麦辞典 東京堂出版 1996
◎東京とんかつ会議 ぴあ株式会社 2017
◎とことんとんかつ道 今柊二 中央公論新社 2014
◎ハンバーグ 柴田書店(儲かるメニュー) 1968
◎とんかつ 柴田書店(儲かるメニュー) 1977
◎カレー 柴田書店(儲かるメニュー) 1969
◎カレーライスの本 双葉社 1984
◎サンドイッチ 柴田書店 1978
◎サンドイッチ 柴田書店(儲かるメニュー) 1996
◎東京カレー食べつくしガイド 小野員裕 講談社 1998
◎日本ラーメン秘史 大崎裕史 日本経済新聞社出版局 2011
◎やきとりと日本人 土田美登世 光文社 2014
◎料理王国 2008年6月『日本の中国料理100年史』
◎餃子の探求 旭屋出版 2016
◎日本焼肉物語 宮塚利雄 太田出版 1999
◎焼肉本(エイムック2229) 枻出版社 2011
◎肉の店BEST ぴあ 2016
◎うまい肉の店 ぴあ 2017
◎おいしいパンの店 ぴあ 2016
◎ベーグルマスターブック 柴田書店 2009
◎西洋たべもの語源辞典 廣済堂 2004