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日本人は何を求めどこへ? 7

モットウ、CI(コーポレイトアイデンティ)

もう30年以上前でしょうか、儲けすぎの企業の中で社会貢献を目指すCIが流行しました。コーポレイトアイデンティティ、企業理念と訳されています。企業が社会の中でのこうしていく、ああしていく公にした約束のようなもの。
それをキャッチコピー風にコーポレートスローガン、コーポレートメッセージ、コーポレートステートメントと呼び、店名につけます。
これで食べ物店で有名なのはモスバーガー。山のM、海のO、太陽のSで自然の恵みの肉と野菜の材料を使うの意味とか。
大手のカフェ、プロント、ヴェローチェはともに速くの意味で、コーヒーを手早く提供できることをお客に謳っています。「フレッシュネス・バーガー」手づくりで、新鮮なバーガーの提供を約束しています。焼肉の「安楽亭」も安心、安く、楽しくをもっとうにしているそうです。広く店を展開する場合は誰にでもわかりやすい物が良いですね。
フードビジネスの世界では『コンセプト』からの店名もよく使われますが、ウイキペディアで読んでもコンセプトの意味が今一つ、分かりません。
フードビジネス系の日経レストランの記事では店名はコンセプトからとのべています。企業はコンセプト、個人は自分の名前が一番、おおいのでしょう。

お客へ  ⓢー( 追 加2016.11.11 )

■ 正直に・・・

江戸の初めに「正直そば 浅草 1600代後半頃開店」という蕎麦屋があったそうです。この場合は屋号は「伊勢屋」だそうですから、お客が名づけたもの。数年前に閉じてしまった御徒町にあった「万盛庵」も江戸時代にそう呼ばれたとありました。
正直に商売をしているとアピールする店名ですが、このままつけるのははばかられて六本木の「正直家」、「肉屋の正直な食堂」くらいでしょうか。
『食べログ』の記事で投稿者が浅草の「正直ビアホール」を表して『昭和レトロの香りの店名』としていますから、この言葉はて店名としては古いのでしょう。
でも、食べ物屋だけでなく、商売の基が誠実に正直にが最大のモットウですので、形を変えてこの想いを表しています。

ボンシュマン
学芸大学ボンシュマン 2002年
和食の世界は漢字で正、真、誠、音で清や晴あたりで、名前にも多く使われるので、見分けるのは難しいですね。洋食ではまっとう、正道の意味で「ボノミー 五反田 2010年開店」「デイリットDiRiTTO 幡ヶ谷 2005年開店」「ボンシュマン 学芸大学 2002年開店」など。

♥ 心を込めて

正直、誠実の大もとにあるのが"こころ"。漢字の心(シンと読む)、スピリットやハートはありましたが、そのまま、こころと読むのは新しい傾向ですね。人の名前にも使われ始め、心音ちゃん、心美ちゃんをテレビでみかけます。
こころ、心、kokoro、cocoroと表記され、店もカフェからラーメン、居酒屋、洋食、中華、ダイニング系まで幅広いです。比較的、簡単に軽くつけられている印象です。東京の店では付けた理由は有名な北海道スープカレー「心 札幌 2001年 下北沢支店」のホームページを見てもわかりませんでした。

こころ庭
表参道こころ庭
全国に広げて探すと箱根カレー心が一番はっきり書いているようです。「心からのおもてなし、心のこもったサービス、心からの感動、心を大切にしたお店」
近々の開店の「麺屋こころ 大岡山 2014年開店」のホームページ上では『心を込めて調理、心を込めて提供』と掲示しています。
お客も真心とか心尽しの言葉にはそれこそ心を動かされるのでしょう。
雑誌でよく掲載されているのは「心米(こころまい) 白金 2003年開店」形容詞として使われている感じで、心を注いで作られたお米専門のお店です。もうひとつ隠れているように想像できるのですが、音読みして「心米(新米)」の意味にも。どうでしょうか。
珍しくしっかりわかる日本料理、すき焼の「有心 渋谷 1993年開店」、"心のこもった料理を"もあります。
同種の語でソウル、魂も使われています。心をより強調する強さが表れています。
当然のことながら、洋食系もあります。洋の系統のハート、ハーツの方がこころより早くから付けられていたので、形容詞扱いが多いです。
コルテージア
表参道コルテージア 2003年
仏語クゥは音が弱く印象が薄いので、あまり普及せず、伊語、スペイン語のクオーレが頑張っています。
別言葉でも、心を尽くしての「コルテージア 南青山 2003年」、心を込めての「ダ・コール 池尻 2010年開店」、「アニモフェリーチェ(真こころ(アニモ)をこめた料理とサービスで幸せ(フェリーチェ)になってほしい願い) 目黒 2010年」。やはりイタリアンが多いです。

◎ こういう性格で

主にラーメン屋さんが多い印象なのは性格表現の言葉で、武骨、一本気、一途、我武者羅、愚直など。もちろん先に書きました「がんこ」も含めて、料理への姿勢、向き合う姿を想像させる店名です。
そして、供する物のメッセージ、今はインターネットの普及もあり、具体的な食べ物の名、それがいかに美味いのを宣伝するは前回(リアルにタベル)書きました。
一番有名なのはカレーのチェーン店、「COCO壱番屋 1982年一号店」。ココイチの愛称で親しまれるこちらは、オーナーがあちこちのカレーを食べ歩き、結論として自分の店のカレーが一番美味いと(ここ、自分のところがいちばんや)自信をもって付けた店の名です。

( 追 加2016.11.11 )大坂の豚まんで有名な「551蓬莱 1945年」も味もサービスも55(ここ)が1(いちばん)を目指そうの意味を込めています。
好きな煙草の飯柄のファイブスターからと電話番号も64-551だったことも思いついたもとにあるとHPに書かれていました。( 追 加2016.11.11 )

一新亭
浅草橋一新亭 1906年
そのほかに、西荻窪の「ヴィアヌーボ(既に閉店)」、新しい道、新しい味を追求していく意味。同じ姿勢で古くは洋食「一新亭 浅草橋 1906年開店」、必ず新しい料理を一つは出すとのこと(『東京味な老舗』の記事では『洋食が一番新しい食べ物だったから一新亭』となっています。)。動物に寄せて、こちらもすでに閉店しましたが、イタリアンの「カメレオン 東麻布 2001年開店既に閉店」、臨機応変にに変化する料理を出すイメージです。
同様に既に閉店しました銀座のビストロ「アドリブ 2003年~2008年」、こちらも毎日材料を買付し、お客にその日の気分で利用してほしかったそうです。(アドリブは音楽用語ですが、即興的に自由にの意味)
「wa no fu (ワノフー) 東銀座 1998年開店」表記は英語ですが和食に新しい風を吹かすの意味です。
同様の意味で魚料理専門の築地三代目青空がやっている「hafu(ハフ) 築地」破風料理として自由をテーマにした創作料理)の店
風はラーメンの「博多一風堂」や「風雲児 西新宿」も同様で、業界に一風吹かせたい気持ちを表現することが多い字です。
最近、本を出版したテレビ出演の多い和食の笠原将弘さんの「賛否両論 恵比寿 2004年開店」は本の中で自分の料理は9割批判する人がいても1割熱狂的ファンかいる料理ということでこの店名にしています。

〇 お寛ぎを

後はサービスと雰囲気ですね。
洋食はお客側のなれない場面も多いので「ごゆっくりどうぞ」的な店名がおおいです。
フレンチは特に堅苦しいイメージがあるのか「おんぼらぁと 渋谷 1990年開店」金沢弁でのんびり、「サン・ファソン 神楽坂 1993年開店」は気軽に。
三笠会館系の多店化しているマーケットレストランの位置づけで、イタリアン「AGIO(アジオ) 千葉県市川市 1988年1号店開店、新宿に1989年」イタリア語の古語で気軽に気さくにです。

俺のイタリアン
銀座俺のイタリアン 2011年開店
2011年から展開する「俺の○○」のフードビジネス系のレストラン、こちらもイタリアやフレンチ、和食の敷居を低くしたかったための店名。気軽に来てもらうため最初のイタリアン「俺のイタリアン本店 新橋 2011年開店」から店名にシェフ達が付けたがったイタリア色、敷居の高さ、雰囲気を排除する姿勢でした。
選んだ社長の願は店側の俺流のイタリアンの表現ではなく、お客の俺の気に入りのイタリアンとして会話に出できてほしいとのこと。
最後は2013年の流行語大賞のおもてなしです。おもてなし、サービスの強調の店名。ただ、こちらは日本語ではっきり表すのは難しいようで、チェーン店の「おもてなしや」、饗のの字をおもてなしと頭につけてる例くらい。
アーキューブ
西太子堂アーキューブ 2009年
2014年閉店現在は「ビオテカ」
外国語ではあります。「オーボナクイユ 駒沢 2007年開店」「フェテカフェ 自由が丘 2012年開店」「アーキューブ(A-cube) 世田谷区若林 2009年開店」。アーキューブは仏語のAの三乗、心を込めてもてなしの意味の語の頭文字です。もっとも新しいのはフレンチ「プレヴナンス 外苑前 2013年開店」心遣いの意味
和食系はわかりにくく「ぐるり 赤坂 2012年開店」は店全体を見回しツー質の高いサービスを。「基 代々木 2004年開店」はサービスの基本を大切に、鮨屋に珍しい「来主(クルス) 西麻布 2010年開店」はやってくるお客が主役のコンセプトの店名です。
フードビジネス系では大阪発の「鳥貴族 1985年1号店」、280円均一を売りにしていますので、メニューの豪華さではなく『お客を貴族のように大切にすること(鳥貴族「280円」の経営哲学 大倉忠司 東洋経済新報社)』からです。 

自分へ

《初め、始め》の項目と繰り返しになる部分もありますが、店主が自分のもっとう、座右の銘を宣言しているような店名です。

⦿ 一歩一歩を

パッソアパッソ
門前仲町パッソアパッソ 
2002年開店
地道にやっていく意味で一歩は意外に多い店名。全国で検索すると40年前からの和食店が「一歩」があります。東京でも居酒屋、焼鳥屋、ラーメン屋、ビストロと広い業種にわたっています。
イタリアンは繰り返しになってしまいますが、選ぶ範囲が狭く、このタイプか゛多い。
人に関連して』で書きましたが「パッソアパッソ  門前仲町 2002年」ような店名、一歩一歩やっていくの意味。「ウンパッソ 蒲田 2003年開店」や「イルパッソ」「トラットリアパッソ」
同じ意味ではフレンチは「パザパ 四谷 1983年開店」だけ。コツコツやっていくの意味で「プティタプティ 大井町 2011年開店」があります。
鉄板焼きの「ブロックス 中野 2012年開店」はブロックを一個、一個、積み上げるイメージで確実にひとつひとつこなしていくこと。
関西ミシュラン本(2010年版)でトップを飾った大阪のフレンチ「アキュイール」迎える、おもてなしを大切にとお客に向けたものでしたが、閉店後再会した店名は「ポアン 2013年開店」、『少しずつでも着実に点と点をつないで実現(オールアバウトより)』自分への方向に変えていました。

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■ スタートの場所

0からスタートの意味での初心を忘れないも多いです。出発点の地名も多かったりするのですが、(有名なのがドトールコーヒー)
ラ・ブラッシュ 渋谷 」は仏語の白の意味に初心の真っ白な気持ちを重ねてとのこと。同じく「サン・ル・スー 西荻窪 1996年開店」一文無しの意味。文無し状態ででフランスから帰国した事を店名にしたそうです。
同じくフレンチ、「リュドコマンセ 吉祥寺 2011年開店」は始まりの場所。

カフェ・トゥジュール・デビュテ
五反田カフェ・トゥジュール
・デビュテ 1986年開店
カフェ・トゥジュール・デビュテ 五反田 1986年開店」はまさにいつも初めて、初心を忘れずの意味のフランス語。
フードビジネスの世界の始まりは個人の店からが多いのですが、居酒屋チェーン「つぼ八」、わずか8坪の狭い店から出発したことから。アメリカに初期の進出で有名なロッキー青木氏の「紅花 日本橋 1948年開店」は戦後すぐ東京の焼野原に咲いた赤い花からで、赤はきついので、紅になっています
最初の風景、想い、出来事は日本人にとって大切なのですね。
和の世界では漢字が頻繁なのではっきりしにくいのですが、いっているのは「鮨一新 浅草 1997年頃?」、事故に遭い心機一転、新たな気持ちで頑張るの意味、《お客》へで揚げた浅草橋の一新亭とはまた違う意味で使われています。
わかりにくいものも。「モノリス 青山 2010年開店」フレンチで『一歩づつ、店を進化させたい』の想いを込めている店名。SF映画『2001年宇宙への旅』に出てくる猿を人間に進化を促す黒い板のこと。

▲ 頂点へ

始めの反対の終着目句的を表すもの、自己変革の研修のような居酒屋「テッペン 渋谷 2006年開店」がその典型です。
食べログ等を見ると、はっきり謳っているのはフードビジネス系のお店が多く、個人店はイメージによるものが多いように思います。「天下鶏」「天下一」「一番どり」「いちばんや」などのチェーン店。
たこ焼きの「銀たこ」と同様に店を開きたい最終地の名を掲げているのか「米門 新宿 1号店2002年開店」。今はM&Mで別のフードビジネス会社になっていますが、開店当初は音は"美味いもんです"が、漢字には最終目的がアメリカでレストラン開業の想いをこめていたそうです。

ラス
表参道ラス  2012年開店
ル・ベルクレイ 白金 2010年開店」もフレンチですが、いつかカリフォルニアのこの名の町に開業したい夢で付けました。
ミシュランで有名なフレンチの「カンテサンス 御殿山、最初白金台 2006年開店」物事の本質、神髄エッセンスの意味ですが、それを追及するということでしょう。同じく「ラス 表参道 2012年」も第一人者の意味で、これもそれを目指す姿勢のを表す店名です。
自分を奮起させるだるまに象徴する「八起」。『七転び八起き』から、ヤオキ、ハッキの二つの読みをしているようです。
「ナルカミ 銀座 2003年開店」はフレンチレストランからビストロに転換するにあたり店名が「ベビーマンモス 西麻布 2013年開店」として、珍しいですが、オーナーシェフの名前から変えました。イギリス海峡の別名だそうですが、この海峡を何度も越えようとした逸話から大きな波に何度もチャレンジする意味とか(お店のHP)。社会状況が変転する世紀、名前だけでは一定以上のお客の幅しか広がらない、ホントに挑戦する感じです。→2014年に名前に変えてオープン(2014.8.11)

どちら? メッセージを込めて

お客にも店にも同様の両面タイプもあります。古いものは「喜楽」、賀字が当てられていますが、意味は気楽にやろう、お客にお気楽に過ごしてくださいでしょうね。
同じ意味で自由、フリー、リベルテ、漢字一字では遊ですね。
新しいところでは「いいかげん 目黒 」。お蕎麦屋さんですが、居酒屋も兼ねていて、お客には良い加減、自分には気楽にゆるくに、です。
モットウの欠点は広がりがないこと。個人的想いが強すぎるのは重いと感じる雰囲気があります。多種多様、意味は同じでも違う言葉を選ぶ傾向があります。
一つだけ、いろいろ変化した姿を見るのは「一期一会」。有名な割烹から、居酒屋、ダイニングまで見ることができます。

一期
麻布十番一期 2004年
和食に多い茶室の掛け軸にも多いこの言葉は千利休の弟子山上宗二の『一生に一度だけの機会、どの茶会でも一生に一度のものとしての心得で主客をもてなす』の意味です。
ふぐ店「一会 練馬 1974年」水戸市の老舗料亭の出店の割烹「一会 目白 ガイド本1978年掲載」大きな料亭の敷地内にあった「一期一会夜ばなし 荒木町 1978年」「一会 広尾 2008年」、会を笑に変えて「一笑」「151A(イチゴイチエと読む) 大井町 2004年」等の変化形もあります。
★1510★

2014年8月の『ガッチリマンデー』の放送で愛知県の鮨屋「1510 2011年開店」が紹介、これでイチゴイチエと読むそうです。お鮨の値段が150円均一であることで付けた店名です。
中延の洋食ダイニング「15(ICHIGO) 2011年開店」も一期一会からの名付け。数字は急激に増加中です。ラーメン屋「麺や一期一会 小川町 2012年」ダイニングバー「Carpediem(カルぺディエム) 新宿 ガイド本2006年掲載」はラテン語の一期一会の意味。 (2014.9.3)

最近多いのは、共生関係の強調、メッセージ系、自分にもお客にもそして食材を提供する生産者にも向けたものです。
先に掲載した「ルメルシマンオカモト」が典型的タイプ。感謝の意味の仏語で、お客と食材を作る生産者へのこころです。
「グラース 外苑前 2010年開店、既に閉店」も仏語感謝で同じ気持ちの表れ。
イルプレージョ 代々木上原 2012年開店」伊語の誇り、食材生産者への敬意を払い、料理にかとして誇りを持つの想い。同じく「La Pioche(ラピヨッシュ) 水天宮 2013年開店」意味は農耕道具の鍬、ロゴに鶴嘴で自然派ワインにこだわり、荒地から耕し葡萄を植える生産者の苦労をと想いを忘れないようにとして。 
最近、柴田書店から出版の『フランス料理を描くフロリレージュ 川手寛康著』、以前書いたように詩華集、美しい詩文をあつめたもの、稀な言葉で高い精神性の現れとしましたが、オーナーシェフは『先輩や仲間になった人々の心を集めて、料理を作っていく』メッセージとのこと。
和食では珍しく真剣な生産者の食材のおいしさを"伝える"として、「傳 神保町 2008年開店」は食べログ上位にあります。
これらは店名の意味がわかりにくく、フォーマルな高級店が多いのですが、自分の力だけでなく、繋がり、縁の力を大切にする最近の世相を表しているものです。
現在は方向性がみえるものとみえないものがあります。店側と親しくなればわかってくる隠れたもっとう、お店のあり方を知ることができる
ただ、お客側には反発もあるようで和食「未能一 銀座 2007年開店」」に対して、お客が知るべき情報ではないとの批判もあるようです。『いまだ、一になっていない、未完成の意』なのですが・・・。

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名前は王道?真打?

江戸時代は屋号に××屋○○兵衛などという屋号が多かったのです。屋号と名前の一字をとり、今も残る「三定(三河屋定吉)」「亀清楼(亀屋清右衛門)」日本料理でも何度も書いている八百善、出身地と名前からの「江知勝(越後出身の勝治郎)」「伊勢重(伊勢出身重兵衛)」「よし梅(芳町の梅さん)」等。いつごろからでしょうか、本名をつけるのは避けられるような心理が働くようになったのは?

自分の名前

寿司政
九段下寿司政 1861年開店
和食、洋食の項目でも載せましたが、名前は一番店数としては多いです。鮨屋、てんぷらは屋台から始まったので、寿司、鮨、天に名前の一字をつけるのがほとんどです。江戸時代からのすし栄を筆頭に寿司政、寿司仙、寿司幸、寿司清、てん茂、天國いまでも営業しています。写真の「寿司政 九段下 1861年」は最初屋台から初代の戸張好造氏が「寿司好」を銀座に、三代目の政次郎氏が九段下に1913年移転し「寿司政」の替えました。
幕末ごろから現れて、明治中ごろ1890年台に急増した焼鳥屋もこのタイプが多いです。明治時代からの「鳥徳 茅場町」、「鳥繁 銀座 1931年開店」、「鳥勝 渋谷」「鳥昭 入谷」等。
明治は地名だけが多かったようですが、徐々に姓を使う店も増えてきました。
ただいつごろからか名前は鮨屋らしくないとして避けられ、すし匠や小澤の店主の書いたものを読むと、自分の時代は名前はちょっと悩んだことが書かれています。
正統派、名前も変化はしています。

◆ 苗字・名前

現在の和食のカウンター割烹、鮨屋、蕎麦屋は苗字が多いように感じます。あまりに多い苗字だと名前の方の選択もありです(銀座の人気鮨屋「青空(ハルタカ) 2006年」はお名前で苗字は高橋)、少ないですが。
圧倒的に多い苗字の店名ですが、表記で多くなっているのはオール平仮名表記ですね。
はせ川、田むら、はし田、高はし、なか田のような部分的にでなく、苗字全てのタイプ。特に鮨屋が多くなっています。

鮨おのでら
銀座鮨おのでら  2013年
1990年の鮨屋、「鮨たなべ 祐天寺」「鮨たかはし 高輪 1998年」「鮨しみづ 新橋 1999年」「鮨かねさか 銀座 2000年」、最近だと「鮨おのでら 銀座 2013年」等。鮨が国際的になったことも店名を読みやすくするための平仮名になる要因でしょう。
洋食の世界は明治後半あたりからご飯にも合う洋食が造りだされ、以前洋食の項でも書きました「小川軒」を筆頭に「グリルタムラ 本郷 1915年開店」「高柳亭 日比谷 1917年開店」「河金(河野金太郎) 浅草 1919(ネットでは1918)-1987年、暖簾分けの千束、入谷店あり」等が現れてきました。
外国人ではパン屋の「チャリ舎(フランス人チャリヘス) 築地 1874年」は別格としてパン屋の流れと同じでドイツ料理の「ローマイヤ 銀座(閉店後日本橋に2006年復活) 1925年開店」「ケテル 銀座 1929年?既に閉店」。
戦後も外国人シェフのインド料理「ナイルレストラン 銀座 1949年開店」、イタリアン「アントニオ 六本木 1949年開店(最初神戸に1944年開店)」「ニコラス 六本木 1956年開店」、フレンチ「ニコラス 六本木 1973年開店」「ジョエル 南青山、移転六本木店名キュイジーヌ・フランセーズJ.J 1980-2014」と続きます。
志度
南青山志度
日本人のフレンチでは「メイゾン・シド 銀座 1950年開店(再掲)」「レストラン・シド 赤坂(南青山に移転) 1964年開店」とひとり志度藤雄シェフが頑張っていました。
ただ、経営的には上手く行かず、雇われシェフとして「花の木 銀座 1956年開店」腕を振るい、花の木は伝説のフレンチレストランとして名を残しています。
2011年に神楽坂に再出発の「夏目亭 麹町 1971年?、40年前」は夏目安彦シェフはサリー・ワイル繋がり。日比谷の南部亭は1955年の開店と『料理王国2013年8月号』の年表にはありますが、最初は蕎麦屋から、フレンチとしては1984年からです。
1980年代後半になると、フレンチの日本人のシェフ達は独立時に店名は苗字を選択する事例が多くなります。もちろんフレンチのテイストを残してですが。店の形態もカウンター方式が多い。
北島亭
四谷北島亭 1990年開店
「オーベルジュ・ドゥ・スズキ 成城、移転軽井沢 1986年開店」「OZAWA オザワ 白金 1988年開店」「シェ・タニ 下北沢 1989年、店名変更しています。」「北島亭 四谷 1990年開店」「しらとり 世田谷区 1992年開店、2013年閉店」「レストラン・キノシタ 初台、移転参宮橋 1997年開店」。
レデュタン・ザ・トトキ 銀座 2003年開店」。レデュタンは十時シェフの苗字の仏語と日本語名の併記が、2013年の改装時に「GINZA TOTOKI ギンザトトキ」になりました。
名のタイプは「シェ麻里お 蒲田 1986年開店,既に閉店」「カンセイ(坂田幹靖シェフ) 青山、移転銀座 1990年開店」
イタリアンの「クッチーナヒラタ 麻布十番 1988年開店」は日本人として苗字の店のイタリアンの嚆矢。
ただ若い方に店を譲った後は「ちいさな台所ひらた」という、イタリアンの匂いがしない店名。常連専用ですから、もう店名ははなんでも良いのでしょうね。
雑誌『専門料理2014年4月号』でローマのトゥリオで修行し「トゥリオ 渋谷 1986年」を長く頑張ってきた「猪狩守シェフは最後は「居酒屋猪狩」をやりたいと語っています。心理は同じですね。
フレンチより遅くイタリアンは90年代後半から、グッと個人名のレストランが増えます。
リストランテヒロ
南青山リストランテヒロ 1995年開店
「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ(落合食堂の意味) 銀座 1997年開店」「レストラン・アソ 代官山 1997年開店」「リストランテ濱崎 南青山 2001年開店」「「ピアット・スズキ 麻布十番 2002年開店」「リストランテ・ホンダ 北青山 2004年開店」、2000年代後半も続々、オープンしています。
イタリアンは明るさ、軽さを求められるのか、苗字、名前の単独に使ったイタリアアレンジ風が多いです。「リストランテヒロ 南青山 1995年、丸の内店2002年、銀座店2010年開店、ほかに2004年ピロプリモ」とか「マッサ 恵比寿 2000年」「トラットリア・ダ・キヨ 吉祥寺 1990年、移転1995年西荻窪」「ラ・カサ・ナオ 渋谷 2009年」「たまキュアノ 門前仲町」とか。
フルネームは外国人のお店に多く、最近は日本人も少し出てきています。
ポール・ボキューズ
代官山ポール・ボキューズ 1986年開店
一番最初は「ポール・ボキューズ 赤坂(現在は代官山) 1986年開店」
日本人のフレンチでは雑誌の情報だと「タテル・ヨシノ 汐留 2003年開店」、小田原に「ステラマリス」オープンし、フランスへ渡り、同名の店でミシュランの星を獲得した、吉野建シェフが最初の頃でしょう。
この後、「サラマンジェ・ド・イザシ・ワキサカ 銀座 2006年」このホームぺージで既に登場した「エディション・コウジ・シモムラ」「ロトランド・ミノル・ナキジン」、最近では「レストラン・マサ・ウエキ 東銀座 2012年開店、2017年に西麻布へAZUR et MASA UEKI (アズール エ マサ ウエキ)にアズールはアメリカのワイン醸造所名」
ナリタユタカ
中目黒ナリタユタカ  2013年開店
「NARITA YUTAKA ナリタユタカ 中目黒 2013年開店」、成田寛シェフは洋風の名前が先頭ではなく、日本式の苗字が最初です。
イタリアンは「タツヤ・カワゴエ 代官山 2005年開店、2017年3月休業」のみしか見つけられません。川越シェフはテレビによく出演されていますので、これで大丈夫なのでしょうね。
苗字の多い和食の世界でもさすがに外国と比べてもフルネームはまだ少数派。なだ萬からでた「中村孝明 有明 1999年」位でしょうか。『料理の鉄人』の番組で名前が知られていましたから。
神戸から進出してきた「HALYAMASHITA(ハルヤマシタ) 六本木 2007年」は名前が一部分(山下春幸氏 通称HAL)。
2013年開店の和食店「青山力三の店只楽 銀座」店名の頭についています。
無国籍になると「Yamada Chikara(ヤマダ チカラ) 南麻布 2007年開店」とフルネーム。食べログのアップ写真をみると和食に近い創作料理のお店です。
喫茶・カフェの世界も東京の場合は苗字、名前共に少な目。(京都は土地柄多いですが)名前をイタリアンと同じにアレンジタイプで、「マコ 築地 1961年」「eriCafe エリカフェ 下北沢 2003年開店」のように。
ラーメンの世界も名前は少ないです。『食べログ』の2013年の新店ではおよそ一割くらいが名前(らしき)です。
でも、護国寺の「ちゃぶ屋」の方が自分の名をつけた「播磨坂もりずみ 2013年開店」「もりずみキッチン 後楽園 2013年」、「麺処ほん田 東十条 2008年開店」や「しば田 仙川 2013年開店」などが雑誌に取り上げられているのでこれからは増えていくかも。
フルネームも2店ほど確認できます。ひとりはHP上では自分の姓名を付けたことを変な店名と言っていますが・・・。
久兵衛
銀座久兵衛  1935年開店
修業時代の呼び名を店名にする場合もあります。銀座の高級鮨屋「久兵衛 銀座 1935年開店」は初代今田寿治(ヒサジ)氏の呼び名愛称、ヒサの寿が久の字通じキュウから、1度、都内では閉店し先頃復活したフレンチの「マリー・クロード 赤坂、最初六本木 1978開店」、昨年本を出版したピッツェリア「ダ イーサ 中目黒 2010年開店」
ビストロの先駆け時代の「シェ・ジャニー  1969年開店」もオーナーの春田氏のアメリカ風の呼び名から、渋谷から移転し現在は岩手県の安比高原にあります。
最近、支店をだした「トラットリア・トンマズィーナ 渋谷 2000-2006年」も石川勉シェフの愛称。
家族の名前を使う場合も見受けます。洋食の項でも上げた「小春軒 人形町 1912年開店」は主人夫婦の一字を組み合わせたもの麻布十番の「シェ・シュー 1978年」は店主と息子の修の一字から。
最近オープンの天丼専門店「金子半之助 日本橋 2010年開店」ワインビストロ「遠藤利三郎商店 押上 2009年開店」のような祖父の名の復活もあります。
マダムトキ
代官山マダムトキ 1978年開店
女性の名前がすくないこの世界ですがオーナーとしての名前ではあります。八重洲の鮨屋、「おけい寿司 1933年開店 八重洲、最初は銀座」「はん居(舞踏家武原はんさんのお店) 六本木 1967年開店既に閉店」、現在は閉店のイタリアン「マリーエ(オーナーの娘の名前) 広尾 1977年開店」「マダムトキ 代官山 1978年開店」
女性名ではないですが、イタリアンの「りすとらんて・はなだ 銀座 1981年-1990年」はパプ・カーディナルやマキシム・ド・パリに関わった有名女性経営者。「リストランテ山崎 乃木坂 1986年開店」も。
店名に名前をつけることに対してお客側の意見はさまざまです。「信頼できる」、「よほど自分の料理に自信があるに違いない」、「強気な店名」、「自己主張が強くて敬遠」とか。
「レストランこばやし 平井 1993年開店」のオーナーの本の中で、地域性(平井というフランス料理には馴染みがない土地柄)から、名前が一番親しみやすいとして選択したそうです。
キハチ
北青山キハチ 1987年開店
無国籍料理を名乗る「キハチ 北青山 1987年開店」アジアンエスニック系の多いこの分野で洋食によった料理を提供するレストランのオーナーシェフの名前、熊谷喜八さんからです。料理の分野からは無国籍で決められず、店名に迷い、自分の名を付けたが、最初は気恥ずかしかったと告白しています。今では良い名であると感じているそうですが。
「鮨次郎 数寄屋橋 1980年開店」は出版物多数の小野二郎さんのお店、近所に居酒屋の二郎がありこの字に。同じ二郎、「ラーメン二郎 三田(当初目黒区) 1968年開店」はオーナーの名前ではなく1967年に発売されたインスタントラーメン、ラーメン太郎に次は次郎だとして名付け、次郎のつもりが看板の書き間違いでこの字なったとそうです。
与志乃
京橋与志乃 1949年開店
和食は姓名が多いのですが、ただ姓名だけでは心に響く店名、自分以外の力も借りたいと、賀字に変換することが多いです。(漢字の力参照)
「鮨次郎」の修行店として出で来る「京橋与志乃 1949年開店」のように次郎と同じように近所に吉野名の店が多くて、それを嫌い変える場合もありましたが。
名前も悲喜こもごも、運しだい、うまくいけばOK、失敗すると名前に傷がつく恐れ。そのおそれに打つ勝つ精神力が成功の道へ通じる。
1980年代から活躍するフレンチのオーナーシェフ達、イタリアンと違い、支店を増やすのは難しい分野。
店を増やしている「シェ・イノ 京橋 1984年開店」は井上旭シェフの頭字だけで、フランス風にして「イノ系列(他に青山のマノワールディノ、井上の館の意、日本橋のポンドールイノ)」と最初のレストラン、地名の店名の「ドゥロアンヌ」の二種類。
ヒラマツ
広尾レストランヒラマツ 1982開店
最初から苗字の三店。一つは「ひらまつ亭」今は「レストランひらまつ 広尾 1982年」の平松さんは当初からの自分の名はメインのレストラン2店のみで、あとはすべてフランス現地風の店名を採っています。(後ろにしついている2店はあります。キャーブとラ・フェット)。フランスパリにも展開しています。
オテル・ド・ミクニ
四谷オテル・ド・ミクニ 
1985年開店
シェ・松尾 松濤 1980年開店」は自然体の店名、フレンチの定番の家の仏語をシェフの漢字の姓につけたシンブル型、「松尾家」ってことです。都内に5店舗ありますが、こちらもタイプを示すショルダー店名はついていますが、そのままシェ・松尾にしています。とても強い自信を感じます。
3店目は、当初から「オテル・ド・ミクニ 四ツ谷 1985年」と決めている三國シェフのように全国の四店舗フレンチのレストランだけでなく、自らプロデュースした回転寿司(三九二)、カフェ(メゾンミクニ)、自然食(ミクニマンスール)のお店まで「ミクニ」を与えているのは相当の意志力があるのは珍しいです。
店名として最初に名乗っても、最後に名乗っても名前は印象が強いのですが、それでも何かメッセージを付け加える風潮が《プラスのチカラ》項で掲げました。
その反対の思いも雑誌で読みました。イタリアンで有名な「TERAUCHI 二子玉川 2003年開店、最初は西麻布」は移転を機にイタリアンの看板を外したい意志を明らかにしています。メニューを得意なシンプルな炭焼メインにしたことも店名に現れていますが、苗字を前面に付けたのは自分にだけできる料理を提供する想いもあるように感じますが、どうでしょう。
二子玉川TERAUCHI
二子玉川TERAUCHI
最初西麻布2003年開店
◆テラウチ変遷◆

移転時は「寺内食堂 2011年」でしたが、今は「TERAUCHI」のみ
再掲になります「NARISAWA ナリサワ」「鳴神 2014年開店」も同様の考えでしたね。
「TERAUCHI」と「NARITA YUTAKA ナリタユタカ」の写真を追加しましたが、両者を見比べるとよくわかると思います。
「NARITA YUTAKA」の店名がドーンと店の真ん中にあるこれから頂点へ進んでいく勢いのレストラン。
一方「TERAUCHI」は小さく右側に近くに寄るとやっとわかる店名の表示。自分のペースで、こじんまりと好きな客を相手に好きな料理を出す方向が見えると思います。
想像するに非日常から日常の生活に使える、構えない店に変わっていったのでしょうね。(2017.7.21、2020.4.19追加)
◆追 加(2020.1.1)「TERAUCHI(テラウチ)」は二子玉川の地が馴染まず2018年に祖師谷大蔵に移転、「てら屋」になりました。業態はイタリアン&和食居酒屋ですが、頭もしっぽもなく「てら屋」のみ。
イタリアンと和食の居酒屋、イタリアンやフレンチの枠をはずしての変更です。 取材記事で寺内オーナーは『イタリアンもフレンチもそろそろ看板から外してもいいか』と考えたの答えが載っています。追 加(20201.1)

多くのフレンチ「オー・バカナル 原宿 1995年」「モレスク 白金台 2000年」「ポブイユ 恵比寿 2004年」をオープンし、なおかつ多くのカフェ、レストランをプロデュースした福島氏の「福しま 白金高輪 2017年」。こちらも名をなしたシェフが落ち着く自分の手の届く和食店、小さな「福島食堂」的造りだそう。(2017.12.22)
ただ、2000年代後半から、若いシェフたちは名前よりもよりフランチらしさの強いイメージを追い求める傾向があります。先の計上の「カンテサンス」を例に「ア・ニュ・ルトゥルヴェ・ヴー 広尾 2009年開店」「ラール・エ・ラ・マニエール 銀座 2009年開店」「レフェルヴェソンス 表参道 2010年開店」「「レカイヨ 銀座 2012年開店」と覚えにくい意味は判りにくい店名ばかりです。
店名の長さはお客との近さが表れています。苗字は堅苦しく、フルネームはさらに。
ラーメンの「さぶちゃん 神保町 1966年開店、2017年閉店」に代表される姓名どちらかの一字に「ちゃん」をつける型は居酒屋や焼肉に多く友達感覚のが来やすい。
食べログで検索すると、「よっちゃん」「のんちゃん」「徳ちゃん」「中ちゃん」「勝ちゃん」てるちゃん」「どいちゃん」山ほど
居酒屋本を多く出版している酒場詩人の吉田類さんは雑誌の中で「店名の○○ちゃんの店は屋台出身で、屋号ないからお客が店主の名前を○○ちゃんと呼んだそのままが店の名前になった」といっています。
短くしたり長くしたり。屋台からの始まりの庶民的な焼鳥屋が鳥○、鳥△から高級になると店名も変化。
今は銀座の阿佐ヶ谷開店(支店になっています)の「バードランド 1987年開店」や「ぎたろう軍鶏炭火焼鳥たかはし 五反田 2005年」のフレンチからの転向組にように高級化志向の広がりました。
最新の『PEN 2014年3月号』に紹介された高級店3店「たて森 東銀座 2012年開店」「中目黒いぐち 2012年開店」「井(イ 井上の一字) 六本木 2013年開店」、焼鳥の匂いがしない苗字店名でした。
前出の「ナリサワ NARISAWA}や「銀座トトキ」、最初、鮨処が頭についていたのに現在は『新橋しみづ」の如く、最終的にお客に訴えるのは料理のジャンルを超えた『自分の料理である』ということが姓名を選択する最大の理由なのですね。。

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★ バリエーション

通称やあだ名、そしてイニシャル、名前を料理の本籍地の外国語へ変換が定番です。
洋食ではフレンチ、イタリアンらしさを求めて名前をその国の言葉に訳すのはよく行われる方法です。古くは「エヴァンタイユ 渋谷 1973年開店」扇谷さんの扇から、イタリアンの「ズッケロ 下高井戸 1992年開店」は佐藤さん、甘い砂糖のこと。

ルーデメール
神田ルーデメール 2004年開店
「ルーデメール 神田 2004年開店」は魚のスズキから鈴木さん、「ピノサリーチェ 渋谷区鶯谷町 2004年開店」はふたり苗字のの松と柳を組み合わせたもの。神楽坂の「ソプラアクア 2008年開店」は水上シェフの伊語の直訳。中華の「ジーテン 代々木上原 1999年開店」は名前の中国語読み。
大阪のちょっと連想ケームのような「エプパンタイユ」はシャレがきいていて、山田さんというオーナーですが「山田のなーかのいっぽんあしのかかし・・・」の歌のかかしが店名になっています。イタリアンの有名店「アロマ フレスカ 銀座、最初は南麻布  1998年開店」は娘さんのお名前のイタリア語訳。
「ペルグリーノ 西麻布 2009年開店」は高橋隼人シェフの名前の隼のイタリア語
現在は軽井沢にあるイタリアンの「フォリオリーナ・デッラ・ポルタ・フォルトゥーナ恵比寿 2002年開店」はオーナーと奥様の名前から(葉子と幸司)。一日一組、同じ料理は二度とださない方針を貫いてきましたが、自分の名を付けることは緊張感もあり疲労することもあるのでしょう。1度店名を替えています。
現在、三社もあってわかりにくい「とんかつ和幸 新宿一号店 1958年開店」は創業者のペンネームの和夫の和と、当時、共同経営者であった名和幸夫氏の幸を組み合わせた店名です。(とんかつ和幸のホームページより)
イニシャルも利用されます。「ブラッスリーD(オーナー岡田大弐氏の名前のD) 表参道 1981年開店」 フレンチの今は銀座にある「K.M(カーエム シェフ宮代潔) 銀座、最初恵比寿 1987年開店」「A.H(アーアッシュ シェフ赤松英毅) 渋谷」当りが最初の頃。
アッカ
広尾アッカ 1997年-2013年
イタリアンは遅めで「H(アッカ 林一家) 広尾 1997年開店、2014年より「acca(アッカ)」として岡山県瀬戸内市で再開」「Y(イグレック) 学芸大学 2009年開店」、パスタ中心でで店数が多い「AWキッチン 中目黒一号店 2004年開店」。
このイニシャル風の店名は近づきやすいイメージのため、本当はイニシャルでないものも多いですね。
西洋銀座ホテルのイタリアン「アトレ」のシェフだった室井克義氏のお店「エム・ディ・ピュー 銀座 2003-2008」は頭文字のMの後の意味はそれ以上ものの意。現在はご自分の姓名ではないレストランを駒込で始めていました。
「レストランI(アイ) 原宿 2009年開店」はフランスでミシュランの星を取った松嶋啓介シェフの支店ですが、コンセプトの頭文字をつけたものです。
「T's(ティーズ)レストラン 自由が丘 2009年開店」は宝物のT、自然食レストランですので健康に欠かせない宝物、大陸、地球、土等がTの頭文字ではじまる言葉が多いこともホームページ上でいっていました。
名前を逆にする手法もあります。
イタリアンが多いのですが、「ミキータ 南青山 1999面開店、2013年銀座MIKITA既に閉店、2016年にピアットキタミを虎ノ門で再開」、シェフの名、北見の逆、「タニーチャ 西麻布 2004年開店」茶谷シェフの逆。三軒茶屋の「グッチーナ 1991-2015年」
グッチーナは田口シェフのグチに伊語「厨房」の意味のクッチーナと造語されています。HPでは高級ブランドGUCCI好きだからともかかれていますが。
和食でも「晴山(セイザン 姓名は山本晴彦) 三田 2011年開店」
クラッティーニ
銀座クラッティーニ 1991年
「クラッティーニ(倉谷シェフ) 銀座 1991年開店、銀座移転2013年から」のようにイタリア語らしさにアレンジされていますね。「ダルマット 西麻布 2004年開店」も平井正人シェフの名前の強調、イタリア大好き正人の意味
創作料理の「囃shiya 銀座 2010年開店」のように苗字を店名に思いっきり創作している例もありますね。(ハヤシライスもメニューにあります。)2012年に林まさるシェフの名前の方で「マサール MASALLU 東銀座」の開いていますが、意味は仏語の私の部屋でもあるそうです。
和食では「幸せ三昧 恵比寿 2009年開店」中村幸三さんの名前のアレンジ。「さ行 西麻布 2010年開店」は佐藤の姓に父親の名、正行の一字との組み合わせたものです。
漢字の音読み表記や崩ししたもの店名も和食の含めあります。
おでんの「お多幸 日本橋 1923年開店(食べログでは1922、1924年も)」は最初銀座に太田幸さんという女性が創業、名前をあてはめたもの。
井泉
湯島井泉 1930年開店
雅号という自分の別称も使われています。有名なトンカツ屋「井泉 湯島 1930年開店」は絵を描いていた創業者の画号ただ、読みは「セイセン」、お客が「イセン」と読むのでこれになったそうです。同様に最近復活した蕎麦屋「夢保 白金高輪」も。
お好み焼き「染太郎 浅草 1938年開店」本名よりよくしられた芸名を採った例もあります。
髭や顔の特徴からも付けられます。チェーン店では「ハゲ天 銀座 1928年」初代の頭をみて客がはげのてんぷら屋と呼んでいたのが正式の店名にした例です。
江戸時代からある「ぼうず志ゃも 両国 1681-1684頃開店」、」あたらしい店で「ボーズ 銀座 2012年開店」同じく主人の坊主頭からです。 
髭は「ひげの天平 京橋 1904年頃開店」、「ビストロムスタッシュ 六本木 1975年開店」「ビアード BEARD 目黒 2012年開店」など。
ワインバーのストアの先駆け「アヒルストア 代々木 2008年開店」はオーナーの顔がアヒル顔だからだそうです。
体の特徴も少ないながら見かけます。

▼ 継ぐ名前  ⓢー追 加(2017)

和食、洋食とも修行先に感謝の意味を含め使わせてもらう場合や支店になる正式の暖簾分けなど。江戸時代からの定番の店名、暖簾分けのようにそのままではなく、自分の名を加えたものです。京都の和菓子屋さんがとても多く、お客にとってはわかりやすいです。
フランスのレストランでは個人の名前が付いていても、経営者が変わっても、名前は変えず店の顧客ごと引き継いでいきます。日本ではあまりありません。
修行先の一字を継ぐ例の多い東京では古いところで「新開化」「つる壽」「いづ政」「紀文」「万定「末源」、新しい店は「奈加久」「久一」等。

流石
銀座流石  2004年開店
蕎麦屋の「流石 銀座 2004年」は判りにくいですが、修善寺の石井氏のとこで修行したので石井の流れからこの店名です。
鮨屋が多かったのですが、今は珍しくなって、自分の姓名で始める例が主になっています。古いパターンでは「銀座中田」(鮨屋奈可田(銀座)閉店)が一番有名ですが、ずっと新富鮨、新富寿しとして暖簾分けしていたのが、最近「鮨み富 銀座 2018年」がオープン。苗字の三(ミ)を平仮名にして新富の富の字と組み合わせ。算用数字にしなかったのはサントミと読まれるのを避けたのでしょう。
頭飾りのパターンの「すし」匠」であらわす四谷の「すし匠華屋与兵衛」(わたしつくる人、食べる人掲載)の系統は店数を増やし、頑張っています。
◆すし匠を継ぐ◆

村瀬 
六本木鮓村瀬   2014年開店
すし匠を継ぐ最初の頃は「すし匠昂(スイショウコウ) 2002年」「すし匠まさ 西麻布 2004」「すし匠齋藤 2006年」と「すし匠+苗字・名前」でしたが、「匠達広 新宿 2009年リニューアル2012年」「匠進吾 青山一丁目 2013年」「匠村瀬 六本木 2014年」「匠誠 新宿 2017年」と匠の一字をつけるタイプになりました。
今2018年現在匠なしの「鮨あらい 銀座八丁目 2015年」「岩澤 不動前 2018年」、「匠村瀬 六本木 2014年」は頭を変更して「鮓村瀬」になっています。
実際の看板の字は魚篇と乍の造りの間の米の字が入っている造語。鮨の最も古い姿の飯鮓(イズシ)から発想しているようです。
師匠は握り鮨の完成者の名前ですが、それより更に古い発酵鮓名。現在肉と同じく熟成鮨、新鮮なネタではなく、味付けし2日〜1週間近く時間をかけたネタを握る鮨の旗手となった「鮓村瀬」。
なかなか詳しい記事がなかったのですが、HP『ドレッシング』に取材記事が載りました。
シャリに合わせて魚をいかに大事に作っていくか、熟成していくかを頭の字で表現している、頭の字まで作った求道のお鮨屋さんです。
☆現在店主が変わっている「すし匠昂」が読み方が匠がタクミとなっていました。(2017.7.21追加、2019.7.5追加)

蕎麦の藪はもう継いでいるとはいえない数で、美味しいおそばの代名詞、形容詞扱いです。
ラーメンの家系はしっぽに家がつく、横浜市西区発祥の「吉村家」系統のお店、本牧家、六角家と続くラーメンの大勢力です。ほかに「めん徳二代目つじ田」は両方、掲げているタイプ。
ただ、この継ぐ名前は洋食系には向かず和食オンリーです。フランスのプティ、ちいさい、英語のジュニアのような使い方もほとんどないです。
ラ・トゥーエル
神楽坂ラ・トゥーエル 1993年開店
少しわかりにくい例でフランスの超老舗「トゥールダルジャン」東京店からでて「ラ・トゥーエル 神楽坂 1993年」と名乗っているレストラン、銀の塔から出たので小さな塔の意味。
◆追 加(2017)少し調べたら、少ないですがもうすこしありました。有名な和食店「分とく山 西麻布 1988年」、著作多数の野崎さんの修行先とく山からの分店の意味。
銀座の「徳うち山 2011年既に閉店」は「うち山 銀座 2002年」から。(2017)

「ウラコナ(uraCONA) 渋谷 2010年、2015年ウラッチョへ改称」、イタリアンレストランバーCONAで修行した浦さんの店。(2014.3.29追加)
なかなか、見分けが難しい頭につく新、ニュー、NEWの型。まったく関係がなく昔の店名につけている場合もありますし、代替わりでつけるときもあるこの言葉。
神田明神下「新開化」「新喜楽」はリニューアルタイプで、ついでいるわけではないです。

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▼ 継ぐ名前 Ⅱ 継ぎ方百選ー2018.8.5追加

アイコウシャ
水道橋アイコウシャ  2003年開店

継ぐ名前』でアップしたように以前多かった修行先の名を受け継ぐ店名は少し停滞、以前のアップ例で父親や祖父の名継ぐのは天丼「金子半之助」ワインバー「遠藤利三郎商店」「コントワールミサゴ」など親とは別の業態ですが、そのまま名乗っています。イタリアン「トラットリア・フイッリョハギ 北沢 1995年」、「割烹萩」から引き継ぎ、 Figlioは息子の伊語を追加しています。「遠藤利三郎商店」は「利三郎」で角打ちワインと炭焼き&WINEの2店も2店も開店しています。
最近の開店は「杉浦印房 八丁堀 2018年」、ワインバーでホントにそのままの店名。
今は前の店の名前を受け継ぐ例も、フランスでは多い例でしたが、日本ではめずらしいことでした。リノベーションも増えてきてので、銀座のド真中では店は前の名前で継続している事例があります。「みやざわ 銀座 1983年から」「ニューキャッスル 銀座 2016年から引き継ぐ 1946年移転2012年」(「ニューキャッスル 神田 2017年」立ち食いの昼間のみのヤドカリイタイルもあり)「はまの屋パーラー 有楽町 1966-2011年、2012年から」
ネットのぐるなび関係のサイトで「FISH 新宿 2018年、2017年閉店」がファンが復活させたニュースが載っていました。Fineness・India・Splendid・Hottest(インドは暑くて最高)」の頭文字
老舗居酒屋の「升亀」の2013年閉店に伴い元従業員は「一亀 岩本町 2014年」として開店しました。一の意味は「升亀」のお客を引き継いだので0からではない意味。
ハンバーガー店として食べログ上位の「アイコウシャ 水道橋 2003年」。ブログ情報ですが元牛乳屋愛工舎だったそうです。
ⅠJ(イチジョウ) 銀座 2013年」は今はビストロ居酒屋ですが、70年を越える古民家ではかつて「一乗寺 1994ー2012年に閉店」という有名な和食店がありました。引き継いだオーナーは古民家への敬意を表してこの名を引き継いでいるそうです。
洋系から和名になったのは「紅鶴 田原町 2016年」和カフェですが、パンケーキが大評判のカフェ。コラムで挙げた『外国からやってきた鳥』のなかの「フラミンゴ」をリニューアル、フラミンゴを和名にしています。

キクヤルネ

三軒茶屋キクヤルネ 2017年開店

和食島田洋服店

太子堂和食島田洋服店 2016年

『ハナコ』に載っていますが、ビストロ「kikuya Rene'(キクヤルネ)K 太子堂 2017年」60年ここにあったキクヤ文具店の名と仏語の再生を意味する「rune'」をつけています。
もう一軒は「和食島田洋服店 太子堂 2016年」義理の両親から引き継いだ洋服屋をそのまま開業した。以前の挙げた「伊勢利(イセリ) 人形町 2015年」はもと足袋屋のリノベーションフレンチ。
「yaoyu(ヤオユー) 神田 2017年」は父親の八百屋の店名「八百勇」を使っています。お店には両方の店名を表示されています。

カヤバ珈琲
根津カヤバ珈琲 2009年開店
喫茶店は店名をそのままのリノベーションカフェ「カヤバ珈琲 根津 1938-2006、2009年にリニュアル開店」有名です。同じく建物をそのまま利用はほかに「HAGISO(ハギソウ) 谷中 2013年」「fukadaso café (フカダソウ) 清澄白河 2014年」
「ムーンファクトリー 三軒茶屋 2011年」は京都の「エレファントファクトリー 京都 2007年」のファクトリーを継いでいますが、「ムーンファクトリー」から独立して「ムーン ミカ タカハシ コーヒー サロン (MOON mica takahashi COFFEE SALON) 参宮橋 2016年、2018年に四谷四丁目移転」はムーンを継いでいます。
変わっているのは「メイカセブン 江東区大島 1958年」、修行先の「カトレア 森下」の改名前の「名花堂」と住所の大島7丁目から。もうひとつは「の弥七 荒木町 2014年」は親の「風車」から発想してこの店名に。
わたしつくる人、食べる人』でアップの「すし匠 四ツ谷 19963年」最近この鮨屋の図書も出版しています。
頭にすし匠や匠(タクミ)と付けて弟子は継いでいます。ただ孫弟子は継がない例が多いようです。ネット情報が普及していますので、すし匠巡りのマニアも困らない時代でしょうか。

▼か行さ行の苗字変幻ヴァージョンー2018.12.10追加

満留賀
満留賀(御徒町)
とても多くの人が名乗っている、か行加藤さん、木村さん、さ行の佐藤さんと鈴木さん、鈴木さんはコラム等で取り上げていますね。鈴木さんは鈴への注目度が高く、すずだけの変幻店名もありますが、他は苗字として成り立つように工夫されていることが多いです。
名古屋から全国へ広がっている「コメダ珈琲店 名古屋市 1968年」、米屋の太郎さんからのコメダです。創業者加藤太郎氏。開店した時は「加藤珈琲 名古屋市 1986年」はなかったようですが、・・
蕎麦屋の「満留賀 神田 1907年」は2回ほどアップしている丸に苗字の加藤の加の字を賀字の賀にした店名。写真は神田の最古店(1903年-2016年)が閉店したので近場の「満留賀 御徒町 (プログで100年前後とあるので1900年代開業?)」
今の人気市場かは焼肉屋「加藤牛肉店 銀座 2008年」。山形牛のコンビーフで有名になった1930年創業の横浜出身の文字通りの精肉店の進出店。1号店はそのままでしたが「加藤牛肉店シブツウ 渋谷 2015年」「アツシ(オーナー加藤敦氏) 西麻布 2014年」は看板では後退して小さい字に。
ホテルニューオータニのダイニング「カトーズダイニングバー」はかつての加藤清正の屋敷の庭園に面しているからでしょうか?。
居酒屋「とろわる 江古田 2016年」は名前を分解してカタカナ読み、フレンチ「Catora(カトラ) 入船 2011年」は苗字名前の短縮形です。
銀座木村家
銀座木村家 1870年年開店
木村さんが大きく広がっているのはパン屋「木村屋総本店 銀座1870年、最初1869年文英堂」明治末期には100店を超える支店を広げていた一大勢力です。
銀座の本店「木村家」木村屋の一家の意味とか、ブランドが木村屋総本店。大阪の日本橋に進出したおり、水谷政次郎氏(1909年創業マルキパン、日本のパン王、資料によってはマルキ号)に特別に㋖マルキを授けたそうです。
パラーキムラヤ
新橋パラーキムラヤ 1967年開店
全国に洋食レストラン、パン屋等に多くあります。「パラーキムラヤ 新橋 1967年」は店の主人にビルの持ち主が「キムラヤ」を指定、近所にはその頃30店以上の「キムラヤ」があったにもかかわらず???です。木村屋は長くありますので、支店の各店はパン屋をそのまま続ける「築地木村家ペストリーショツプ 築地」「ファリーヌキムラヤ 飯田橋」
銀座本店が「グリル木村家」フレンチ「Arbre village(アルブルヴィラージュー木村の仏語の直訳)」を開店したように「田村町キムラヤ 西新橋 1900年」はパン屋から喫茶店、洋食屋、ケーキ屋とに変わっていっいます。洋食部門は「キムラヤ三田店」に今は移しています。
現在の大きな勢力は「木村屋本店」の居酒屋グループ、イタリアンも展開中の次の一大勢力。
コーヒーのキーコーヒーは創業は木村商店で「木村コーヒー店 白山 1956年」として残っている店もあります。
浅草の人形焼き「木村屋人形焼本舗」「木村家本店」があります。替え字も「吉む良 新橋」「貴む羅」「すし喜邑(喜は略字) 二子玉川 2005年」
さとう

ステーキさとう(吉祥寺) 1974年頃

六本木さ行

さ行(六本木) 2010年

310

銀座310コーヒー 2016年

SATOブリアン

阿佐ヶ谷SATOブリアン  2011年

全国苗字の数ナンバーワンの佐藤さんはあまり大きなビジネス系はありません。いろいろな工夫の店名があります。
鰻店「佐阿徳 青山 1887年」は阿波、徳島出身の佐藤さんで、一字づつ採っています。
東京で一番有名なのは「ステーキさとう(会社1948年創業) 吉祥寺(1974年頃)・築地(1989年)・銀座(1997年)・惣菜店銀座(20110年)もあり。」人気の丸いメンチカツの行列は昔から有名。
和食「さ行 六本木 2010年」は兄弟の佐藤の苗字と父親の名前の一字の組み合わせです。居酒屋風ですが、高級鮨の「佐っちゃん 六本木 2011年」
310コーヒー(さとうコーヒー) 銀座 2016年」はオーナーはもちろん佐藤さんですが、サテンとも呼んでほしいそうです。同じ数字で和ダイニング「三十(サトウ) 神保町 2017年」能登の加賀屋で修行した佐藤さんのお店
「SATOブリアン 阿佐ヶ谷 2011年」は食材名の項で挙げましたが、人気なので姉妹店が増え「昼ぶり 2018年」「ヒレ好きSATOさん」「サトブリDA (サトブリディーエー 2017年」
そのためかどうか近所の「SUGAR Sake&Coffee(シュガー サケ アンド コーヒー) 阿佐ヶ谷 2016年」は佐藤さんだけど英語の砂糖のシュガー。
他にはイタリア語のズッケロで「ズッケロ 下高井戸 1992年」「ズッケロ 篠崎 2015年」共に佐藤シェフ
全体では三文字が好まれるので、さとう、サトウが優勢、佐とうも同様の傾向です。

寿々
日本橋寿々 1959年年開店
最近に開店のビジネス系居酒屋「佐藤 恵比寿 2012年」はイーデザインのオーナー名。もっとうは佐藤という名がきっかけづくりとなり、ありふれた名前の共通項でその輪が広がれのの想い。多い苗字を逆手の店名です。日本酒が売りの「ぬる燗佐藤 六本木 2012年1号店」はネットで調べましたが不明でした。
第2位の鈴木さん『鈴そして鳴り響く』で上げています。写真は珍しい、苗字も名前も鈴がつく喫茶店「寿々 日本橋 1959年」
野球選手イチローの兄の鈴木一泰さんのプロデュース店「焼きちすぅーさん 日本橋 2017年」は愛称の店名、意外と居酒屋にも多い鈴木姓バージョン。

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他人の名前

自分と家族の名前以外の名前を選択する時もあります。

■ オマージュ(尊敬)

フレンチに多いです。「エスコフィエ 銀座 1950年開店」「カレーム 松濤 1994年開店」「ヴァンサン 六本木 1992年開店」「Petit Point(プティ・ポワン) 広尾 1977-2011年」」「アピシウス 有楽町 1983年開店」、フランスの有名な料理人、美食家の名前から。

ヴァンサン
六本木ヴァンサン 1992年開店
プティ・ポワン」はフランスの有名店「ピラミッド」のオーナーシェフ、フェルナン・ポワンからで、偉大なポワンから小さなポワンの意味
ヴァンサンはちょうど雑誌『料理王国 2013年3月号』に載っていました。「私の料理哲学は19世紀の料理書、ヴァンサン・シャペルの料理書に表現されている」とオーナーが言っていました。
洋菓子屋「エス・ワイル 神保町」はフランス料理に大きな影響を残した横浜グランドホテルのシェフ、サリー・ワイルの名前からですが、「エスコフィエ」は始め、この店名をつけたかったようですが、先につけられていたので、あきらめたそうです。エスコフィエはフランス料理の基礎を築いた大料理人の名、天皇の料理番といわれた秋山徳三氏の修行先でした。
イタリアンは有名な料理人が知られていないためか、このタイプは少ない。「ファビアーノ(現在の店名トラットりアヨシダ、2017年にオステリア トゥット ソーレへ) 大井町 1997年開店」
修業時代にお世話になった方の名前も多いです。
「カーディナス 広尾 1999年開店既に閉店」「ラ ピッチョリードゥルル 恵比寿 2006年開店」「アルルカン 恵比寿(湯河原へ移転) 1997年開店」。
以前、載せました洋食の「香味屋 根岸」もそうです。恩人の浅草の「神谷バー」の苗字から字替えしています。
ヨシカミ
浅草ヨシカミ 1950年開店
ひとつの名前に見える「ヨシカミ 浅草 1950年開店」二人の恩人の名前、ヨシムラとカミヤマを組み合わせたそうです。
関西からやってきたカウンター割烹の元祖「浜作 銀座 1928年」大阪の北浜の店の師匠の名、作次郎を組み合わせたもの
関西で活躍の大阪の有名店「喜川」はつとめていた主人の名、「川喜」からつけてもらった上野修三氏は「喜びが流れてしまう」と不満、でも人気の割烹として維持し、息子に譲り、60歳からは自分の姓「割烹上野」でがんばっています。
日本料理は茶道の開祖千利休からはいろいろなところでつけられています。利休同様、字替えも多いですが、蕎麦の一茶、禅宗僧侶の一休からも。

青華こばやし
西麻布青華こばやし 2009年
握り寿司の「華屋与兵衛」は2店、与兵衛だけもありますが、ファミリーレストラン「華屋与兵衛 1986年松戸に1号店」が展開していますから、これ以上は増えないですね。食の神様、磐鹿六雁からの「六雁 銀座 2004年開店」も一店。
和食は器とはきっても切れない関係にあるので陶芸家の名前を戴く例もあります。ミシュラン星の割烹として有名の「小十 銀座 2003年開店(2店目は2011年自分の姓の銀座奥田開店)」「栩翁゜S(クオウエス) 広尾」、「青華こばやし(青華が陶芸家名) 西麻布 2009年」。
昔はパトロンが名前を付けることが多かったのですが、今はお菓子専門の「風月堂」は大坂屋からパトロンの松平定信の雅号を付けています。

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◆  みんなが好きな世界からの名前

個々では文化、芸術、スポーツの世界から、好きな方の名前を選べる時代です。特に喫茶店、カフェに多いです。画家名、ジャズ歌手、クラシック音楽家、オペラの主人公。競馬名とかの店名も見かけます。カフェはオーナーの世界のですから、山好き、列車好き、写真好き、なんでもありです。
個々の好きな名前はそれぞれですが、広がりを見せる名前もあります。

【すきな日本人の名前】
歌舞伎の虚実入り混じった世界のヒーロー、弁慶、助六、一心太助。三人ともに男気あふれる姿が男性のあこがれ。
麵屋武蔵
新宿麵屋武蔵 1998年開店
剣豪の宮本武蔵の名前も人気ですが、地名の武蔵の国、武蔵野も入り混じっているのでわかりにくいです。人気のスカイツリーの高さも634メートルも634(ムサシ)から、最上階にあるフレンチレストランはこの店名です。
はっきりしているのは何回も書いている「麵屋武蔵」。支店にも武蔵関連の言葉がちりばめられています。
焼肉「炙屋武蔵 銀座 2003年開店」、支店が「武蔵別邸巌流島」となっています。
テレビでの出現率高めの坂本龍馬もある一定数、店名にあります。高知土佐の料理メインの郷土料理を扱う店もおおいです。
流行に乗るダイヤモンドダイニングは2008年に「龍馬の如く」、2010年に「龍馬の空」「龍馬街道」「龍馬道場」を開店しています。
チャンバラ映画や浪曲が流行っていたころは任侠の清水次郎長や森の石松も店名にありました。
大泥棒の石川五右衛門、から命名は1970年代の雑誌に載っている豆腐料理の「五ヱ門 駒込」は店主の名が石川なのでそれの関連つけからとか。チェーン店の「洋麺屋五右衛門 渋谷 1976年」、麺をゆでる五右衛門鍋
子供の頃からアニメのドラえもんに馴染の人は古い感じがないかもです。
権兵衛も五右衛門も店数がそれほどではないのですが、後半部の名前、兵衛と衛門は食材や料理名につけられ、江戸時代の古さを表現するため、人気です。もちろん、呑兵衛もありますが。
今だと(黒田)官兵衛があり、忠臣蔵の(堀部)安兵衛もありますが、食べログ出の串兵衛、モツ兵衛、肉衛門、とり衛門、もつ衛門。賀字の八兵衛、徳兵衛、清兵衛、八衛門、吉右衛門など。
少し、一般人に近づく名前は権兵衛」、名無しの権兵衛とか民話のかもとりごんべえなど農民や田舎者扱いの名ですが、親しみやすさがあります。
もう一つ庶民的なのは○○吉のタイプ、三吉、大吉、健吉。今でも稀に付けられる名前です。漢字の意味で吉はグッド、ボン、イイネの意味があるので好ましい字です。チェーンの葱や平吉とか八吉、食材系の上記の兵衛と同じように、モツ吉、とん吉、かつ吉、魚吉、とり吉。ワインバーのバル吉もあります。
カフェマメヒコ
三軒茶屋カフェマメヒコ 2005年開店
子供の頃からの馴染は彦一、とんちを使って繰り広げる昔話の主人公、神話のの海幸彦山幸彦でもついている彦。漢字の意味は成人した男子を意味するそうです。店名には彦一、彦市、弥彦、とり彦、彦膳など。「カフェマメヒコ 三軒茶屋 2005年開店」はカフェ関連の雑誌によく出ています。珈琲の豆はもちろんですが、大豆、小豆、花豆などを日本の豆を大切にしたいと、ホームページ上で書いています。
一番、このタイプの店名をつける訳が分かりやすいのが、丸が付くもの。丸は昔から、船や刀、犬の名前に日吉丸、鬼丸、天光丸とかのように。
丸は自分を呼ぶ麿に由来するといわれます。武士の幼名に使われ、牛若丸、多聞丸、松寿丸、梵天丸など。自分の大切なもの、愛着のあるもの、長く成長を願うものにつけるとされ、店名にも同様の想いが受け継がれています。
食材につくものが多く、牛丸、鳥丸、とん丸、たらば丸、魚丸など。一番古そうなのは宇の丸。鰻の呼び名の宇治丸からでしょうか、何時ごろからは不明。
1881年の東京案内に小田原町〈今の月島あたり)の鮨屋「宇の丸」が載っています。鮨の歴史本の鮨を2カンから提供した鮨屋として日本橋魚河岸の「うの丸ずし」、大正時代にあなごすしで評判をとった日本橋「宇の丸」が載っています。
現在あるのは赤坂の「宇廼丸」日本橋の「宇廼丸」、いろいろなブログを読むと、両店の鮨屋は両国の宇廼丸」から暖簾分けだそうです。
女性では「おかめ」、お多福と同等の扱いで福の女神。不美人だけど、鮨屋、居酒屋に飾られている縁起物の熊手にいて、人気者です。
【すきな外国人の名前】
外国名だと「アリス」でしょうか。『不思議の国のアリス」のヒロインのです。
女性名ですので、比較的女性客が多い喫茶店、カフェケーキ、パン店中心ですが、マスコミ的に有名なのは「クィーンアリス 西麻布 1982年開店、本店は既に閉店」、初期にゲストとして『料理の鉄人』に出ていた石鍋シェフのレストラン(今は別会社)、ベトナム料理の「ベトナム・アリス 銀座 1992年開店」のお店も展開しています。
2014年出版の『料理人の突破力 宇田川悟 晶文社』でフランス語は覚えにくく、良く知られた物語『不思議の国のアリス』を紹介され、建物の洋館の雰囲気にもあっていたので、選んだそうです。前半クィーンは目標として、クィーンを目指して頑張るため。
現在、一番このアリスを使っているのはダイヤモンドダイニング系。2003年の「迷宮の国のアリス 銀座」から2012年の「舞踏の国のアリス 渋谷」まで五店
店名の入れ替えが頻繁な会社なので、いづれはアリスを変えるでしょう。
アリスは女性客向き、そういえば軽井沢に今は亡き小説家、森村桂さんのカフェも「アリスの丘」でした。
同系のアリサは日本人には多い名前ですが、店名はすくないです。
トム
代々木トム 
そして、日本人の太郎のような英語名トーマスの短縮形「トム」、アメリカンの世界を表現するのにふさわしい店名。古くは歌手のトム・ジョーズ、テレビアニメのトムとジェリー、小説のトム・ソーヤー、有名人トム・クルーズやトム・ハンクス。
愛称のトミーは日本人の愛称にもなりやすく(姓の富山、富夫など)確認できないですが、こちらの方が多いかも。
後はジャック、店名としてはチェーン店「ジャック・ポット」やプールバーの「JACK」がほとんど。「ジャックと豆の木」英語圏のイギリスの昔話の主人公が小さいころからのお馴染ですね
英米、フランス人にもとても多い名前。映画グランブルーの監督もジャック・マイヨール、教科書でお世話になる教育者ジャン・ジャック・ルソーも。ジョンやジェイコブの愛称です。
劇場を経営していた恵通商事(現ヒューマックス)が1970年代に作った喫茶店「ジャック&ベティ」。インターネットで検索すると東京にはありませんが、各地にバーやカフェの名前をみつけます。古くて由来が分かりませんが、60年代の英語の教科書のタイトルがこれでしたから、当時の世代の馴染深い名前でした。
名前の国際化も進んでいるので、アリスやジョーやジョージ、ジャック、カレン、ミレイ等の名前も子供につけられています。けれど、付けにくいものもあり、トムはムの字に当てたい良い字が少ないのであまりありません。今もつけるお店があるはの洋系らしさが強いからです。
英語系が多くなってしまいましたが、フランス系は料理の世界では浸透力があり、一つの名前よりも、文学や歴史、芸術の世界の範囲から選ぶことができます。スペインはドン・キホーテに寄っていますが(パン、カフェのドンクなど)。フランスは歴史のなかのマリー・アントワネット、ポンパドゥール、ナポレオン、カトリーヌ、アンリ。文学の世界はミレイユ、ゴリオ、ジョルジュ・サンド、ルナール、ペペ・ル・モコ、絵画ではルオー、ミレー、パブロ・ピカソ、ロダン、シャンソンのジロー、モンタンなど、単発店。
るぱん
中目黒るぱん
一つだけ、長く付けられるのはルパン。ルブランのピカレスク小説『怪盗アルセーヌ・ルパン』のヒーローで、日本の怪盗二十面相や今人気のアニメ、名探偵コナンにも影響を与えています。
テレビアニメの『ルパン三世』が今も映画化されるほど人気があるので、今後も使われるかも。
最初に名が知られたのはバーの案内本でよく載っている「ルパン 銀座 1928年開店」。文壇バーとして、有名なので、こちらにあやかったお店もあるのでしょう。 
イタリアはマルコ、マルコ・ポーロやテレビアニメの『母をたずねて三千里』の健気なマルコ少年から。でも、地名や苗字、圓子からも有るので判別は難しいだす。
伊も仏もあるのがニコ、聖ニコラウス(サンタクロースのモデルとされる聖人)が西ヨーロッパで今も人気の名前、姓名共に使用されています。
ニコ
祐天寺ニコ 2010年開店
ニコラス、ニコル、ニコラ、ニコ(nicot)の店名もありますが、愛称で、「nico」と表記されることが多い店名です。食べログでも、この2,3年で4店位(インド料理、ラーメン、ビストロ)オープンが確認できます。
各々の由来の確認はできていませんが、京都の「フレンチ食堂nico 2012年開店」はニコニコ顔からで、何時も笑顔でいたいとHPにありました。
同じことが千葉流山市のイタリアン「nico 2013年開店」のHPにもあり、自分の料理を食べてニコニコ顔になり寛げる場所としています。 
和食の音声だけですが「二戀(ニコ)広尾 2009年」は店と客の二つの想い。お客への恋心、お客からの恋心が出合う店。
フードビジネスの世界でも夢屋がビストロの「Nico」をオープンしているのでチェーン店としても増加するでしょうか。
イタリアンは元祖ピッツァリアの六本木のニコラスに影響を受けているかも。
このタイプ以外に、マスコミ的に人気なのは京都の「蕎麦屋にこら」。店主が好きなロシア系フランス人の画家、関西ミシュランで星付きとなり有名に。後はカフェの三軒茶屋「ニコラ 2011年開店」はアメリカのボリス・ヴィアンの小説の中にでで来る料理人の名前 
ニケ
『ヨーロッパ人名語源辞典 梅田修 大修館』によれば大本はギリシャ神話のニケ、ルーブル美術館にある彫刻で有名な勝利の女神です。
先のサンタクロースを含むキリスト教の聖人、皇帝、学者も多いそう。
イタリアで日本人が馴染深い『君主論』マキャベリの名前ニッコロ、北欧童話「ニルスの冒険」のニルス、ヴィクトリア女王の名前もニケのラテン語翻訳名とのことです。縁起の良い名前なんです。
★食べ物屋には関係ないですが、スポーツシューズ『NIKE(ナイキ) 1971年に改名』もニケを英語読みした会社名です。
ニコ・NICOプラス(追加2014.9.10)

増えている店名。ニコニコ動画のカフェも「nico 池袋 2014年」
少し古いカフェ、「NICO 目黒区八雲 2000年前後」はオーナーの新倉さんのニイクラコーヒーの頭文字からのニコ。
おそらく地名の二子玉川(ニコタマと呼ばれる)からの「NICO KICEIN 二子玉川 2013年」
由来不明ですが、ジビエビストロ「NICO 新日本橋 2012年」(2013.1.25)タイ料理「NICO'S 小伝馬町 2014年」ミシンカフェ&ラウンジ「NICO 仙川 2011年」
はっきりしているのは「オールディダイニングニコ(NiKO) 銀座 2014年」。
三井ガーデンホテル東京のダイニングレストランのHPから、『生えたばかりの草や葉や茎のやわらかな部分、にこしさ。にこにこにっこりのの元になった言葉でそれぞれの時間をにっこりしてもらえるレストランを目指す』そうです。

ポパイ
代々木ポパイ 
1960年代前半のテレビ放映アニメのポパイ、『ポパイザーセーラーマン』のだみ声の歌が懐かしいアメリカンな世界、今も東京にも全国的にもあります。東京の傾向はラーメン屋、洋食屋でガッツリ食べる感じがします。
平凡出版(現マガジンハウス)が1976年からポパイとその仲間のオリーブ、ブルータスのアメリカンカジュアル雑誌を出し始めていましたので、この年代の意識はこちらかもしれません。
食べログの記事だけの情報ですが、田原町の「歩盃(ポパイ)1964年頃開店」はアニメのポパイからとのこと。
写真は代々木の定食屋「ポパイ 代々木 1964年頃」、2016年に惜しまれつつ閉店、移転して2017年に復活のよう。
ディズニーアニメの影響はすごく、19501年代のバンビやピノキオがまだ全国的にはありますね。ただ、バンビは伊語の赤ちゃん、バンビーノ発ですので、略して「バンビ(banbi) 富ヶ谷 2006年開店」のようなタイプかな。漫画を原作とするジャニーズ嵐の松本潤主演のテレビドラマもありました。
同様にピーター・パンも東京にはほとんどチェーン店パン屋さんくらいですが、日本中で結構あります。
チャールズ、チャーリーも「チャーリーブラウン」のアメリカ漫画が影響があります。日本製テレビアニメの嚆矢、鉄腕アトムも同様です。
イギリスを除くヨーロッパ圏の名前は文化的背景を考えて、英語圏は普及率高い名前が付けられている傾向があります。
また、拡散していく力は映画やテレビ、雑誌、インターネット等のメディアにかかっているようです。

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