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バンド名 3-burst(サンバーストと読みます)
結成 2002年3月
音楽性

「3-burstは音質重視のFusionバンドです。」という紹介文を作りましたが、もう少し加えますと、大人が楽しめる音楽を作っていきたいと考えています。また、インストもののみという意識はあまりありません。歌えるメンバーが参加すれば歌物もやりたいし、ゲストミュージシャンもいれて「いいモノ」を作っていきたいと考えています。


Guitar ヨシダ ツカサ:このHPの管理人
使用楽器

Gibson ES-335 1978, ValleyArts standard pro, Sho-Bud Volum, JuggBox

プロフィール

1958年5月生まれ、盛岡市出身。AB型のふたご座で4重人格かもしれない。14才の時より独学でギターをはじめる。同時期に中学の同級生らと「こえだめ」というハードロックバンドを結成。グランドファンクやブラックサバスのコピーやオリジナル曲を演奏していた。この時期ボーカルも担当(汗)。高校時代にピンクフロイドのエコーズをやったのをきっかけにテクニック志向が強くなりプログレッシブなインストものを演りだす、高校3年の時に開催された第1回東北ROCKJAMで岩手県代表となりオリジナル曲でグランプリを獲得。しかし高校卒業と同時に「こえだめ」は解散。大学時代は東京にて新たなバンド「ライムハウス」を結成しオリジナルフュージョンバンドとしてプロを目指し積極的にライブ活動を行ったが24歳でバンドは解散し、プロへの道を断念。その後「アガサ」というバンド結成したが1年で解散。この時点でを音楽活動を中止した。ギターを弾かなくなった代わりにビリヤードに狂い始め、ビリヤード店で羽間、野島らと出会い「3-burst」を結成。20年ぶりのバンドである。大学時代に「セイシェルズ」という学園祭の為に結成したバンドがありました。

photo 使用楽器や若かりし日〜現在など
movie 03.11に撮影したmovieで3.19Mあります。再生するにはQuickTimePlayerが必要です。

Bass 羽間 孝(ハザマ タカシ)
使用楽器

Fender Jazz Base 1970s, Musicman StingRay

プロフィール 1963年10月生まれ、5才の時よりピアノを習う(山本正三氏に師事)。 14才でポピュラーミュージックに目覚めアコースティックギターを始める。 高校卒業後にコピーバンドに誘われ初めてキーボーディストとしてバンドに参加し、 その5年後にはプロとして初めての仕事、コルグのデモンストレーターに選ばれる。 同じ頃大阪で人気No,1だったポップスバンド「FANCY TRAIN」のキーボードとして 引き抜きにあう。 ローソン、サンチェーンが企画するコンテスト「SMB89’」で、FANCY TRAINの 「星降るパークステージ」が全国2000バンド参加の中の頂点、グランプリを獲得して それをきっかけに上京する。 上京後はバンド活動以外にもコルグのデモンストレーターとして全国を回るほか、 デパート系のBGMや幕張のトイショーに参加するメーカーのテーマ、店頭ポップ用 音楽などの産業ミュージック界の作曲家として、またちょうどその頃に始まった通信 カラオケのプログラマーの仕事なども含め、どっぷり音楽に浸かった生活をたてるよ うになる。 20歳の頃に趣味で始めたベースをデモンストレーターの仕事で活かせているうちに キーボードの演奏よりも面白く感じるようになり、今に至る。
photo 使用楽器や若かりし日〜現在など
movie 04.05.02に撮影したmovieで3.19Mあります。再生するにはQuickTimePlayerが必要です。

Drums Dios野島(ノジマ) 100%日本人
使用楽器

Yamaha Drums

プロフィール 1973年(昭和48年)6月、工業地帯で有名な神奈川県川崎市内のとっても空気の綺麗な地域に生まれる。O型の双子座 初の音楽との関わりは小学校低学年の時のエレクトーン教室。最初に親父が始め、次ぎに兄貴も参加。それでなんとなく勢いで始めたが、実は鍵盤楽器は女性のやるものとの固定観念もあり、練習日が嫌でイヤでしょうがなかった。今思えばこの時期にしっかりと音楽の勉強をしていけば良かった... ある種のトラウマなのか音符類とは出来るだけ距離を置く生活をしていたが、不思議と音楽を聴くのは非常に好きであった。当時良く聴いていたのはアラジン『完全無欠のロックンローラー』や中島みゆき『悪女』 そして五輪真弓『恋人よ』でした(渋いっ!)(因みに、人生初コンサートはあの『C-C-B』である!) その後1984年のロス五輪公式サントラを兄貴が入手してきた事により洋楽にどっぷり開眼! M.ジャクソン、マドンナ、S.ローパーは言うにあらずで、TOTO、シャカタク、エアサプライ。はたまたバニーマニロウ(!)なんかも聴く生活。ラジオも含めてこの時期はとにかく良く音楽を聴いた。 初めて自身が意識して楽器に触れたのもやはり兄貴の影響が超大で、中学1年の時に始めたドラムがそれである。理由は簡単『兄貴が高校の軽音でドラムを始めたから!』である。今とは違いなんとも主体性の無い時期だ...。 この当時、若い新人バンドマンのヒーローは猫も杓子も『BOφWY』の時代で、御多分にもれずそれに憧れた! 人生初めてのバンドもこの時期で、川崎市立白鳥中学校の同級生と結成したコピーバンド『SALOTTO』である。(因みに、サロットとは大ヒット映画『私をスキーに連れてって』に出てくる架空のスキーブランド名である!) しかし、バンドマンと言う響きだけに憧れていた田舎の中坊バンドは、殆ど活動実態無く約2年をかけて自然消滅!幽霊部員ならぬ幽霊バンドだ...。 ただ、自身は地道にドラムの練習を重ね、なぜか家にあったエレキギターやベースと共にとにかくそれなりに良く練習した。 後々吉田さん&羽間さんとの出会いのキッカケとなるビリヤードを始めたのもこの時期である。 例によって兄貴の影響だったが、実にマセたガキだ...。 『SALOTTO』結成時はステージの後方で満足していたが、白中卒業前には『最前列に出たい!』との勘違いを起こす。その結果、メイン楽器をドラムから『ギターorベースorサックス』への転向を決心し、非常に苦悩したあげくに『演奏しながら歌える&喋れる。しかも目立つ!』との単純理由でギターへ。(因みに、サックスはと言うと、浜辺で夕日に向かってかっこ良く演奏してみたかったから... これまた単純!) 高校は幼少時代に学んだ土との触れ合いを生かして某農業高校へ進学。しかし親と学校側の期待を200%裏切り『スコップよりギターピックを・水よりフィンガーイースを・葉っぱより楽譜を・ミミズより弦を』の生活を選ぶ! 『ビーバップハイスクールよろしく!』な校風の中でタバコも吸わずボンタンも履かなかったが、色んな意味で目立つ異色生徒であった(←自己判断) とにかく明けても暮れてもギターをメインにドラム&ベースをいじる毎日ではあったが、練習と名の付く様な行為はあまり記憶に無い。 高校2年の夏頃からはプロバンドのローディー(演奏機材専任スタッフ)をしながら関東行脚(!) 鍵盤系以外の主要楽器の扱いにそれなりに精通していたので『器用貧乏』の道をまっしぐらだったが、非常に充実した音楽漬けの毎日。プロを強く意識し出したのもこの時期だった。人生最大の誤りの一つである... 高校3年の時に加入したコピーバンドで東京及び近県限定のバンドコンテストに出場。決勝大会にて『準ベストギタリスト』という非常に中途半端な賞を受賞! 全国レベルのコンテストでのグランプリや県の代表を勝ち取った事など一度も無いが、唯一できる小さな自慢だ。(因みに、その時のベストギタリスト賞者は前年度のベストギタリスト者が2年連続で受賞! そんなのって...涙) 作詞&作曲に興味が出始めたのもこの頃で、非常にスローペースではあるが今でも曲は書き溜めている。どうも明るい曲調ばかりが多く、例の兄貴の言葉を借りれば『るんルン路線』だそうだ(言い得て妙!?)。作詞の方は3-burstがインスト(歌無し)なのでバンド結成時辺りから封印している...(汗) 吉田さん&羽間さんに出会ったのもこの時期で、場所は小田急線・鶴川駅周辺のビリヤード場であった。第一印象に関しては、吉田→とっつきにくいおじさん!・羽間→なんかウソっぽい関西人!でした。どちらもある意味では正解で、ある意味では不正解でした(笑) 高校卒業後に左手薬指を剥離骨折するアクシデントに! この頃にはもう『破産寸前に器用貧乏』状態。 どの楽器を取っても美しく中途半端だったので、その怪我を理由付けにしてプロの道を辞退(!?)する。しかし、いま思えば人生最大級の賢明な判断だった... 現在の会社就職後も数年間はライブ等をしていたが、どれも助っ人参加であり例によって演奏楽器もバラバラで次第に楽器から距離を置いてく毎日。 その頃から『実はビリヤードの才能があるのでは!』と性懲りも無くまたまた勘違いを起こし、今度はどっぷりビリヤード漬けの毎日を送る。その結果吉田さん&羽間さんと急速に仲良くなるのだが、二人の輝かしい音楽経歴を前に『一緒にバンドを...』の言葉は出ませんでした!(因みに、3人共ビリヤードに関しては、それなりに上級者! でした...!?) そんな状態も2002年2月、約10年に渡る恋愛を経たわたくしDiosの結婚式から一変し、一気に音質重視(!?)のフュージョンバンド『3-burst』を結成! 気が付けば自身もギターからドラムへあっさり再転向、現在に至る。 しかし、実質ドラムから楽器歴をスタートさせ、色々回り道をしてまたドラムに戻ってくる時間も長かったが、この文章も長かったぁ〜。我ながら少々反省!最後まで読んで頂いた方、苦情や意見等は是非ともBBSへどうぞ...(汗)
photo 最近のphotoです

Keyboards Hide-Key(タケウチ ヒデキ)new!
使用楽器

(for STAGE) KORG X50, M-AUDIO KEYSTATION88es

(for MY PRIVATE STUDIO [PALTHENON]) YAMAHA P-200, YAMAHA SY99, YAMAHA EX5S, YAMAHA KX5, ROLAND A-33, ROLAND XV-5080, ROLAND AXIS-1,ROLAND AX-7, KORG TRITONpro, KORG Z1EX, CASIO CELVIANO AP-30, FERNANDES APG-85S, ROLAND GK-2A&GI-10, BACCHUS BJB5-550, ROLAND SPD-11(with KD-7,FD-7,PD-7*2), YAMAHA AW4416(with WAVES Y56K), ROLAND VS-1824, ROLAND MMP-2, KORG TP-2, BEHRINGER ADA8000,

DOS/V PC(デスクトップ&ラップトップ) EMAGIC LOGIC5, STEINBERG THE GRAND, STEINBERG VIRTUAL GUITARIST, STEINBERG GROOVE AGENT, NATIVE INSTRUMENTS PRO-53, NATIVE INSTRUMENTS FM7, ARTURIA MOOG MODULAR V, ARTURIA MINIMOOG V, ARTURIA CS-80V

その他ソフトシンセ多数。 いっぱいありすぎて書き切れません(汗)。

プロフィール 1970年11月生まれ。千葉県出身。A型Rh+の蠍座。9才の時、自宅にやってきた電子オルガン(YAMAHA FE50)の多彩な音色表現に魅せられ、時々音楽教育者の教えを請いながら独学で音楽を学び始める。ちなみに、時期を同じくして初めて買ったレコードがVANGELISのANTARCTICA(南極物語)であり、この頃からシンセサイザーの音色に興味を持ち始める。高校に入ると、中学時代の友人がバンドを結成するが、周囲で鍵盤楽器を触ったことのある男が他にいなかったからという思わぬ理由でバンド活動を始めることとなる。高校時代はバンドブーム絶頂期で、レベッカやプリンセス・プリンセス、TM NETWORK等のコピーをやっていた。その流れのまま、大学に入ると迷わずに音楽系サークルに入部。「CROSS MIND」を結成するとともに、ハードロック系やプログレッシブロック系、特にVOWWOWやEL&P等の影響を受ける。また、作編曲を行うようになったのもこの頃からで、オリジナル曲を発表するとともに自室に音楽機材が増えていくこととなる。また、某医療系短期大学の大学祭でDIOS野島氏と知り合ったのもこの頃。リズム隊打ち込みによるユニット(Vo&Gt, Vo&Kb)として数年間活動する。大学卒業以降は、音楽サークルOBで先行活動していた「宴(U-TA-GE)」(Vo&Gt, Gt, Ba, Dr)のベース及びドラムスが相次いで脱退したことにより加入。リズム隊を打ち込みとし、更にバンドサウンドにキーボードを加えた新生「宴」として再スタート。積極的にライブ活動を行うが、メンバー間の音楽性・方向性(プロ指向かアマ指向か)の溝を埋めることができずに自然消滅。「宴」以降は、結婚式に招かれる機会が多くなり、「CROSS MIND」時代のメンバーでオリジナル曲を披露する機会が多くなる。その後、「SUCCEED」というバンドも結成したが、本格的な活動には至らず、ここ最近はバンド活動よりもレコーディング、ミキシング等といった分野にのめり込む時間が増えていたが、2006年11月には某音楽教室のピアノ発表会で「人前で初めて」アコースティックピアノを弾き、演奏することの楽しさを再認識する。2006年にDIOS野島氏から3-burstへの加入要請があり、バンド活動を再開。今まで私の音楽活動を支えてくれた仲間達、そして3-burstのメンバーに感謝!
photo 使用楽器など
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