はじめに

 自分がシネラマという映画方式を知ったのは小学生の頃である。東京銀座にある当時関東で一番大きなスクリーンとキャパシティを誇る映画館『テアトル東京』にて、家族でSF映画を観に行く事になった。映画の名前は『未知との遭遇』である。今と違ってまるで観劇やコンサートを観に行くかのように服を着こなして劇場の入り口をくぐった憶えがあった。記憶の範囲では、2階の指定席(S席で当時の価格は2500円!)で観たと思う。まず、驚いたのがスクリーンの前にあるカーテンが湾曲していることと、映画が始まりカーテンが左右に空くとなんと、スクリーンが床から天井までぎっしり埋め尽くしている事だった。
当時のデータをひも解くと、スクリーンサイズは縦が8.32m横が20.8mあったらしい。とにかく子供の目には正面に映るものがすべてスクリーンの中の世界だった。この、S席という一番高い指定席は、驚いた事にリクライニングシートになっていた。更に、今では当たり前のスタジアム方式(段差のある座席)の為子供でも前の人の頭がスクリーンの邪魔になることは無かった。
 このシネラマ上映方式の映画館は当時日本では、『テアトル東京』の他に名古屋と大阪の3箇所しか無かった。また、スクリーンが湾曲していた映画館としては後に説明するディメンション150方式の『新宿プラザ』と一部の情報から、最近閉館した『渋谷パンテオン』もスクリーンが湾曲していた頃があったという。
とにかく、スクリーンが湾曲しカーテンの後ろに隠れているのが全てスクリーンという巨大さはどんな映画でもゴージャスに魅せる演出としては最高であったと思う。

 テアトル東京は1955年11月にオープンし、初めは新方式ワイドスクリーンであった20世紀フォックス社の『シネマスコープ』方式の上映が出来る映画館であったが、1962年11月に劇映画として初めて作られた『西部開拓史』をなんと66週もロングラン上映していたそうである。歴代上映作品でもトップ10に残る作品はいずれも超ロングランであり、輝く67週公開記録と953334名の動員数を誇ったのが皮肉にも、シネラマ上映方式が完成する前年公開の『ベン・ハー』であた。しかし、この『ベン・ハー』も後に述べる事になる『ウルトラ・パナヴィジョン』で撮影されたスクリーン比率が1対2.75という超横長のサイズで上映されていたからかなりの迫力であったに違いない。1000人以上の映画館も次第に経営難となり、1981年10月31に26年の幕を閉じた。
 とりあえず1978年2月に衝撃的なSF映画と映画館に出会ってから当時予告編で流れた『スター・ウォーズ』のとてつも無い映像に圧倒され、その年の夏休みに生まれて初めて自分一人で映画館で映画を堪能したのである。それが『スター・ウォーズ』との出会いであり、以降自分と切っても切り離せない映画となったのだが、『シネラマ』上映方式により更に映画の魅力に圧倒され続けてしまったのである。1978年6月24日に公開され、10月までのロングラン上映だったという記録から『未知との遭遇』に引き続き大ヒットした之である(当たり前といったら当たり前だが…)
 そんな『テアトル東京』との衝撃的な出会いだが、当時小学生ということもあって、自力で映画館に足を運べる程自由の身では無かった。次にこの映画館の門をくぐったのは、2年後の『スター・ウォーズ・帝国の逆襲』公開週だったのだから。しかし、その頃までには『スター・ウォーズ』好きな仲間も出来た上に、朝一番の上映のみ全席自由席であるという情報も得ていたので、朝に強かった自分は仲間と率先して早朝に銀座に直行したのだ。もちろん、特別鑑賞券も既に購入済みである。当時としてかなり高い指定席であるS席2500円をちびこい中学生は900円で観ようと練りに練ったわけである。そして、お目当ての二階席に駈け昇り、ど真ん中の列の真ん中の席を陣取った。そう、座席ナンバーは忘れたがその席こそ目線の中心がスクリーンの中央と一直線で繋がる究極の良席だったのだ。
 その座席で久しぶりに利用するリクライニングシートはまさに至極快適でこんな未成年でこれほどの贅沢を味わって良いモノか、戸惑いすら憶えたものだ。
 当時よく言われた事だが『シネラマ』上映方式や『ディメンション150』上映方式で映画を観る時は絶対に真ん中で観るべしという鉄則があった。スクリーンが湾曲しているから端から観ると全て歪んで見えるのである。そのかわりに真ん中で観た時は、画面に囲まれ、時には物体が立体に見える時もある。自分は『帝国の逆襲』を鑑賞した際に、スターデストロイヤーが本当にスクリーンから飛び出し自分に向かって飛んでくる錯覚に陥ったものだ。next