ついにここまでたどり着いた。今回の『青葉屋の決闘』で『キル・ビル vol.1』の批評は終わりである。この後度々タランティーノ、または『キル・ビル』関連のコラムを掲載するだろうが、一旦ここで終了することにする。とにかく、書き始めると止まらない愛すべき『キル・ビル』だが、年が明けてから早速日本の配給元であるGAGAが新たな広告展開を始めたので、まずは『キル・ビル vol.2』のチラシを紹介しよう。前回の記述の通り、今度のテーマは『ラブ・ストーリー』である。GAGAの宣伝担当がラッシュフィルムを観たかどうかは分からないが、本国よりも先に『予告篇』やTV CFを作成しているにも関わらず、世界でもほぼ最後に上映する予定になっているのだから泣きたくなる。本国およびイギリスでは2月20日が公開予定なので、残す所あと一か月と少しなのに(1月8日現在)未だに日本版の予告篇しか楽しめない。まあ、後は二月〜四月にかけていかに我慢して海外サイトを見ない様にするかの勝負である。または、やはりハワイにでも飛んで先に観てこようか。
さて、『青葉屋の決闘』の後篇である。驚愕の長廻しカットのシーンの続きからの解説を早速始める事にする。座敷ではすっかり宴たけなわのクレイジー88であるが、そこにブライドの恐ろしい日本語が聞こえてくるのだ。ちなみにこんな感じ。「オ〜レンイ〜〜シ〜〜〜〜イ〜〜〜!ショォブハ、マダ〜!ツイチャ〜、イナイヨォ!」分かりにくいので翻訳すると「オーレン石井!勝負はまだついちゃいないよ!」…というわけで、勢いの良いの啖呵を切ったわけである。ここで、流れる曲が『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』という1967年のマカロニウエスタンのテーマ曲(サントラ未収録)である。作曲は昨年の大河ドラマでもお馴染みのエンニオ・モリコーネである。まるで、祭りの曲のような煽り感たっぷりの音楽、決闘前にはこれほどマッチした曲はないだろう。障子を思いきり開けると怯えるソフィの後ろからゆっくりと姿を見せるブライドとオーレンのついに対面が果たされるのだ。

キル・ビル Kill Bill vol.2
2004年作品 MIRAMAX シネマスコープ 
製作 ローレンス・ベンダー
監督 クエンティン・タランティーノ
出演 ユマ・サーマン ダリル・ハンナ デヴィッド・キャラダイン マイケル・マドセン サミュエル・L・ジャクソン ect.

たった一人で乗り込んだブライドに対してオーレンサイドはゴーゴー夕張を入れて全部で7人。一番子分のジョニー・モーはいないがそれなりの手下達が彼女を固めているのだ。さて、勝ち気なブライドはまず非情にもソフィーの左腕を刀で斬る。「ブシューッ」と威勢よく飛び散る血飛沫は彼女の黄色のトラックスーツにもかかり、更にカメラにもしぶきが飛んでゆく。この辺りの描写は間違いなく、深作欣二監督が確立させた『仁義なき戦い』の実録ヤクザ映画の演出法を参考にしている。ある本にタランティーノはわざとらしいCGIを使う殺陣よりも、昔ながらの方法で流血シーンを撮影することにこだわったそうなので、当然片腕になったソフィ役のジュリー・ドレフュスは片手を後ろに縛って熱演しているのだ。それにして生々しいシーンである。この映画に嫌悪感を持った人はこのシーンから始まる血みどろの演出が一番応えたのでないだろうか。さて、映画らしさの流血シーンとも言えるこれらの演出へのタランティーノのこだわりは、血の色そのものにもあるようだ。さすがに70年代の東映の血糊の色(少しオレンジがかっている)ほど嘘っぽい色にはしなかったが、『青葉屋』のセットが組まれた北京のスタジオでは、極力日本製の血糊を使用したということだ。このアナログな姿勢が、また彼の映画を愛する気持ちと重なって映画の好きな自分の心根に響いてしまった。以前、北野武監督の『座頭市』での流血シーンが嘘っぽいと書いた事があるのだが、その原因がまさにCGIで後処理された血飛沫で、その最新技術に頼り過ぎたため映画らしいダイナミックさが全く消滅した感がしたのだ。そんな事もあり、極力デジタルではなくアナログに徹したタラの姿勢に感服するのである。それでも、さり気なくCGIは使われてはいるのだが、さてそれはどこなのだろう。分からない程度がちょうど良いようだ。話は戻って、断末魔の叫びを上げているソフィーに、店の客も騒然となり逃げ出し、『青葉屋』はいつの間にかブライドとオーレン一味だけになる。小手調べに「ミキ!」と呼ばれた子分が二階からくるりと回転しながら飛び下りてくる。その身のこなしはまるで忍者のようだ。しかし、刀を振り上げた時点で彼はすでに気合い負けをしている。案の定、彼の刀はハットリハンゾウ・スティールにぶった切りにされ、挙げ句の果てに彼は串刺しにされて池にほうりこまれてしまう。さあ、ここで有名なセリフになったオーレンのセリフ、「ヤッチマイナ!」が登場する。このセリフ、英語の字幕だと"Tear the bitch apart."となっている。つまり「あのあばずれを引き裂いちまいな!」のような直訳になるのだがなかなか日本語のニュアンスが良く出ている。もちろん汚い言葉ではあるがアッパレ!タランティーノ流に言えば、"Fuckin` great!"なのである。さて、「ミキ」に続く、BOBAを含む三人は時代劇でよく見る縦斬りをくらい、ブライドが刀をたたくと同時に倒れる芝居をするのだが、この演出はまさにアニメ『ルバン三世』の五右衛門に斬られる悪漢のようなので楽しい。さて、カトーマスクをした手下も残りは2人だけになるのだが、ここでは、クレイジー88に女の手下が混じっている所に注目したい。特にこの二人の子分の一人は、死際がかなり派手である。実はこの役を演じているのが真瀬樹里と言い、千葉真一と野際陽子の娘なのだ。彼女は父親と共にこの映画において殺陣の指導をしていたらしいが、タラの希望で出演する事になったそうである。少し大袈裟な演技であるがなかなか印象的な死に方をする。「グエェー」という声はさながら戦隊モノの怪人の叫びのようだ。かなり笑える。そしてついに、ゴーゴー夕張だけが残された。「もう誰もいないの?」と言うブライドに「ハーイ」とアメリカンな挨拶をするゴーゴー。しかも、怪しげな鉄球のついた鎖を手にしている。「ゴーゴーダネ?」と問いただすブライド。「ビンゴ!そっちはブラックマンバ!」と彼女の殺し屋としての名前を口にするゴーゴーに対して「ウワサガヒトリアルキシテイルミタイダネ」と軽くあしらうブライド。凄い。ウワサガヒトリアルキしているのか。辿々しいながらも難かしい言葉で話すブライドがなんとも哀れ。このまま日本語で通されたらキツイな。と思っていたら、ツラツラと英語で話始めたので一安心である。ともかく、彼女はまだ未成年なので「黙ってここから身を退きなさい。」と親切心で諭すブライドだが、ゴーゴーは「お願いごとのつもり?…もっとましな事言えないの?!」と可愛らしさとスゴミさが一体になった声でいかにも『バトル・ロワイヤル』の栗原千明らしい演技で決めてくる。そして、刀VS鉄球と言う漫画のような二人の戦いは火蓋を切って落とされたのだ。このシーンを撮影するにあたってゴーゴー役の栗原千明は、かなり難かしい殺陣のアクションを憶えたと思う。ほぼスタント無しで繰り広げられる彼女のアクションは少し遅いようにも感じられるがそこは編集の妙でカバーし、見所も満載だ。見えそうで見えないスカート(中身はスパッツだと言う話であるが)をひらりとさせながら鉄球をまるで縄跳びを操るかのように振り回す彼女のアクションに世界中のファンが魅了されたようだ。ここで、タランティーノはお遊び感覚で昔の仮面ライダーなどに出てきそうな効果音を彼女の投げる鉄球(ゴーゴーボールと命名されているらしい)に充てているのである。このシーンも真剣勝負なのだがしっかりと笑いは散りばめてある。そしてついにゴーゴーの鎖がブライドの首に巻き付き、ブライドの絶体絶命のピンチに陥った時、彼女は手にした釘の刺さった棒切れを思いきりゴーゴーに向けて振り降ろし、ゴーゴーは目から涙ならぬ血を流しながら絶命するのだった。ゆっくりと崩れるゴーゴーを後目に「これで一対一の勝負よ!」と言わんばかり目でオーレンを睨むブライドだが、オーレンはゴーゴーが残したピンクのビーズストラップの付いた短刀を握りしめ、この形見の短刀で勝負してやる!と覚悟を決める。すると…
劇場をゆるがすほどの大音量でバイクの音彼女たちを囲むのである。そう、クレイジー88の残りの手下どもがやってきたのだ。「こんなに簡単に勝負がつくと思ってんの?」と薄ら笑いを浮かべるオーレン。まずはジョニー・モーが「ヤーッ!」と叫ぶのを筆頭に周囲から一斉にクレイジー88のメンツがわらわらと青葉屋のホールに集まってくる。このシーケンスの演出と編集は再び時代劇ではお馴染みの「出合え〜出合え〜!」の声で、襖を開けて庭に集まる手下達のそれと同じである。この辺りが千葉真一などの助力によるものなのか、タランティーノ独自の演出なのかは定かでは無いが、違和感が全く感じられない。すっかり何十人ものメンバーに取り囲まれて絶体絶命のブライドであるが、このクレイジー88の中には割と目立つメンバーがいるので、まず彼等を紹介したいと思う。分かりやすいのが、子供である。中学生らしき年齢の彼は都合2回ブライドに寸止めを食らって最終的に無傷で返される唯一の手下である。復讐の鬼と化したブライドであるが、子供に対しては自分も娘を失ったせいもあり寛容なのだ。次に紹介するのが、『もうひとりのハゲ!』である。皆、同じカトーマスクをしている中で、ジョニー・モーはいわゆるボーズ頭が特徴である。しかし、紛らわしい事にもう一人ボーズ頭の男がいるのである。しかもご丁寧に彼が死ぬアクションは他のメンバーよりも少し長め。おかげでジョニー・モーが二度死んだと勘違いする人が後を絶たないのだが、あくまで途中で死ぬのは『もうひとりのハゲ』なので、間違えない様にお願いしたい。そして、もうひとり紹介したいのが、目玉をくり抜かれてしまう不運な男である。何故、彼に注目したのか?それは彼のありえない死に様(これで死んだとは思わないが)をきっかけに、今までカラーで見せていた映像が前面白黒になってしまうからである。(ちなみに白黒処理がなされているのは、アメリカ版の『キル・ビル』である。詳細は、「検証!日本版とアメリカ版の『キル・ビル』の違い!」に掲載中)。また、この『目玉をくり抜く』男や『口が裂ける』男、『頭からまっぷたつに斬られる』手下などのコミカルかつ、残酷な描写は全て日本映画『子連れ狼 三途の川の乳母車』『殺し屋1』『直撃!地獄拳 』などからの引用である。しかし、タランティーノらしさはこれら日本でお馴染みのチャンバラに付けた音楽である。クレイジー88の半分のメンバーを斬った所で、先述の『もうひとりのハゲ』の腹に刀を刺しながら(笑)ホール中央に移動して再び体勢を取り直したブライドは彼女を囲む残り半分を一気に片付けるために回転斬りをするのだが、ここでなんとも軽快なロックが流れるのだ。タランティーノが選んだその曲は、Human Beinzの"Nobody But Me"。まるで、『レザボア・ドッグス』のラジオ局から流れてきそうなオールディーズだが、今まで以上にエスカレートした手足斬りまくりの残酷シーンが皮肉にも楽しく見えてしまうのだ。まるで漫画の中で『スポッスポッ!』と擬音が聞こえてきそうな程軽いノリなのだが、ここではかなりのメンバーが手足を失う事になる。身動きとれなくなったクレイジー88のメンバーはその場でうずくまり、ただ「うぅー」と悲痛の唸りを上げるだけなのだ。気が付いてみると青葉屋のホールは血だらけである。
さて、10分弱続いた大乱闘も人数が残す所あと数人までせまり、戦いの場は二階の座敷へと移動する。ここで、『青葉屋』オーナー役の風祭ゆきが店内の電源を切り、座敷は真っ暗となるのだが、障子が青く照らされブライドとクレイジーがシルエットで浮かび上がる。この演出は『SF サムライ・フィクション』と言う映画のシーンをそっくり再現している。この『サムライ・フィクション』もネオ・ジャパニーズ・ポップ・カルチャーを代表する作品としてタランティーノにかなりリスペクトされているのだが、ところどころキッチュな映像センスが見られるが、全体を通してはかなり冗長な作品で、映画としての出来は中の下といった所。やはり日本映画は70年代の頃のエネルギッシュさが一番のピークだったようである。再び、電気を付けると最後に残された手下が先述の子供(この俳優は果たして日本人なのだろうか?微妙な顔であるがセリフが無いために確認すら出来ない)で、最後はジョニー・モーだけになる。その彼との死闘もお得意の足斬りを披露し、彼は二階の欄干から一階の池に落ち、絶命する。そして再び静寂が青葉屋を包み込むのだ…
ふと気が付くと、オーレンの姿は二階の座敷にも見えない。「宿敵オーレンはいずこ?!」と中庭の障子を開けると…
なんと、美しい雪景色の日本庭園が目の前に広がっている。「あれ?雪なんて降っていたか?」と無駄な疑問な持たぬ方が良い。ここでは単純に映画的美意識を追求した結果、雪景色の日本庭園になっただけなのだ。白い着物が一見雪景色と一体化しそうであるが、なんとも美しい光景である。このシーンはまるまる「修羅雪姫」という梶芽衣子主演の映画からの頂き物なのだが、ニューヨークで生まれて育ったルーシー・リューがここまで日本の文化を体現したのは素晴らしい。敢えて言えば仮決定であった柴咲コウのオーレン石井も見たかったが、ルーシーの身のこなしは『チャーリーズ・エンジェル』のそれとまた違った趣を感じる。梶芽衣子も認めた彼女の立ち回りはこんなセリフから始まる。「なかなか良い道具を持っているじゃない(英語のセリフ)。どこで作ったんだい(こちらは日本語のセリフ)」英語と日本語が入り交じってのセリフなのだが、どうにもブライドの持つ刀が気になって仕方が無いオーレンなのだった。ブライドはすかさず「OKINAWA」と言う。オーレン「オキナワの誰がその刀を作った?」ブライド「ハットリハンゾウスティール」。これを聞いたオーレン「ウソツケ!」。そう、今や完全に日本の闇社会を制した彼女が唯一手に入れられなかった、服部半蔵製作の刀をブライドが持っている事に彼女の嫉妬心は頂点に達する。それでも、ブライドがハットリハンゾウの刀である『シーサー』の刻印を見せると、納得したように「刀は疲れ知らず。あんたも少し力が残っているといいけどねぇ。…でなきゃ、5分と身が持たないよ。この…としちゃ、悪くないだろ?」と長い日本語のセリフを言う。この優等生女優はこれほどの長いセリフもやってのけたのである。しか〜し、↑の…に注目して欲しい。やはり、たどたどしい日本語の発音のおかげで何度見ても聞き取れない部分もあるのだ。ま、それは彼女のこの後の立ち回りに免じて許そうではないか。さて、これからオーレンはゆっくりと履物を脱ぎ刀を構えるのだが、なんとここでタランティーノが用意したBGMが、Santa Esmeralda(サンタ・エスメラルダ)の大ヒットカバー曲 Don't Let Me Be Misunderstood (悲しき願い~エスメラルダ組曲 )なのだ。60年代のアニマルズのヒット曲のカバーである『悲しき願い』だが、エスメラルダのバージョンでは、フラメンコギターを前面にフィーチャーさせているのがとても印象的で、子供の頃にディスコを中心に大ヒットしていた憶えがある。また、日本でも尾藤イサオ がこの曲をカバーしてヒットしていたのも記憶に新しい。しかし、『キル・ビル』で、タランティーノが凄いな!と感心したのは、この10分近い曲の中で、イントロと間奏部分のフラメンコギターが盛り上がる部分のみを使用していることなのだ。静寂の中、ただししおどしの音だけが響くという究極の緊迫感の中で流れるラテンの調べ、このセンスは、まさに物事を客観的に見られる西洋人だから出来た発想なのかもしれない。とにかく映画的な効果は抜群である。その曲と『修羅雪姫』の梶芽衣子そのものの演技で観るものを圧倒させるルーシー・リューの立ち回りが見事に溶け込んだ名シーンである。
この曲は、オーレンがブライドの背中を斬ったと同時にカットアウト。再び静寂が戻ってくるのだが、ここまでは完全にオーレンが優位である。勝ち誇ったオーレンは「馬鹿な白人女が刀とたわむれるだけね。サムライように刀を扱える訳はないのに、せめて死に様だけでもサムライのように死になさい。」とキツイ一言。しかし、ブライドは最後の力を振り絞りもう一度オーレンに勝負を挑むのだ。「カカッテキナ!オモイッキリネ。」ブライドの復讐の念は更に燃え上がるのだ。致命的な傷にも関わらず立ち上がるブライドの執念に驚愕するオーレン。再び刀を構えるが、今度は勝手が違い、ここからの勝負はまさに互角となる。そして、ついにブライドの刀がオーレンの足を捉えるのだった。白い着物と雪が次第に流れる血で赤く染まってゆく。さらに決闘は続き、ついにオーレンはブライドの致命的な一振りに倒れる事になる。
と、ここまで大河小説のような描写で書き続けたが、1点だけおかしいと思った事を提示しておこう。日本庭園にはなくてはならない『ししおどし』、この音がかなりまずいのである。文字で音を表現するとこんな感じである。「チョロチョロチョロ…ポンッ」この『ポンッ』が変なのだ。まるで、ゴム製のような情けない音がする。竹が石にあたる音は「カーン!」であろう。もちろん、このししおどしの音はアフレコでアメリカのスタッフが付けたのだろうが、そのスタッフは残念ながら本物の日本庭園を見たことがないようだ。それはタランティーノも同じである。折角の静寂と緊張の中で「ポーンッ」と情けない音を鳴らす、ししおどしに女子高生までもが「あの音って変だよね。」と言わせてしまった。
閑話休題 、ブライドの最後の一振りの直後、空中にオーレンの髪が舞い(!?)、彼女はゆっくりと倒れこむのだが、ここでまたタランティーノのこだわりが冴える。時代劇には定番な、敵が倒れる前にその心境を独白するというまさに映画的な演出を採用したのだ。カメラはオーレンの顔をアップで捉え、「ホントニ、ハットリハンゾウノ…カタナダッタンダ……」と一言漏らして崩れる。そんな彼女の頭は……状態である。このシーンで流れるのが、梶芽衣子の「修羅の雪」。映画「修羅雪姫」のテーマソングである。オリジナルではオープニングと、ラストの敵を主人公が倒した時に流れるのだが、「キル・ビル」では音楽が流れるタイミングと曲の使用部分がオリジナルと全く同じになっている。それにしても、アメリカやイギリスなどで彼女の曲が流れているのには正直驚く。この曲と最後の「怨み節」はどちらも演歌やムード歌謡なので、通常の西洋人が思う東洋系の音楽と、あまりにもかけ離れているからだ。しかし、雪景色の中で無念に絶命するオーレンの横でたたずむブライドにこれほど似合う曲はないであろう。
帰りの飛行機の中でノートに復讐する相手5人の名前を書き、一人目のオーレンに斜線を引くブライド。実は、映画の冒頭で死んだバニータは2人目だったという事がここではっきりする。これはタランティーノが得意とする時間軸をバラバラにする構成だ。この後、ロス郊外に住むバニータからテキサス州エルパソに移動し、残りの3人と対決するであろうブライドだが、どうも日本を後にしてから、彼女は中国に渡ったのではないか?その真相はとりあえずvol.2で明らかになろう。片腕を斬られたソフィーは、車のトランクに詰まれそのまま病院の前で放り出されるのだが、彼女を生かす事でブライドは宿敵ビルにメッセージを残すのだ。ソフィーはさらにもう一方の腕も斬られてしまう(アメリカ版にはその描写はない)事で、完全にかたわの体となるのだ。ブライドの復讐の念は消える事はない。まさに怨みだけで生きている『修羅雪姫』の主人公と同じ心境である。そんな彼女の強いメッセージのBGMに流れるのが、TVドラマ「柳生一族の陰謀」のテーマ曲。オリジナル・サウンドトラックが存在しなかったのか、音声はタランティーノのコレクション・ビデオから直接録音されたらしい。このドラマを見た事はないのだが、映画版はあの深作欣二が監督し、千葉真一が『柳生十兵衛』として出演している秀作である。本当にマニアックな選曲なのだが、このくだりは、『キル・ビル』のサウンドトラックに収録されているので確認すると面白いかもしれない。
さて、病院ではビルが変わり果てた姿のソフィーを介抱している。彼は、相変わらず声と手だけの出演である。そして最後にこう言う、「彼女は知っているのか?娘がまだ生きているということを」と。
ここでVolume 1は幕を閉じる。製作途中から2部構成にすると決まった割りには前編らしい終わり方をしている。
と同時に、この批評もpart6を持って終わりとなる。この後は、番外篇のコラムにて「キル・ビル」の話や最新情報を掲載していく予定である。なお、DVDの発売だが、イギリスで4月20日にvolume.1の発売が決定している(2004年1月現在)。日本でも、volume.2の公開直前に発売されると予想している。ただし、今秋か年末にvolume 1と2を繋げた完全版が発売されるかもしれない。その時はディレクターズカットとして追加編集が施されているような気がする。まだまだ今年いっぱいはタランティーノ作品を楽しめそうな予感がするのである。
なお、最後にこのコラムを書くにあたり参考にした文献、および作品を列記しておく。
文献資料
雑誌 BRUTUS 2003 11/1『タランティーノによるタランティーノ特集』
   映画秘宝 2003年11月号〜2004年2月号
別冊映画秘宝 『キル・ビル&タランティーノ・ムービー インサイダー』
『キル・ビル Vol.1』劇場プログラム
キネ旬ムック・フィルムメーカーズ 3 『クエンティン・タランティーノ』
劇場公開作品(順不同)
『キル・ビル vol.1』
『レザボア・ドッグス』
『パルプ・フィクション』
『ジャッキー・ブラウン』
『フォー・ルームス』
『デスペラード』
『レジェンド・オブ・メキシコ デスペラード』
『フロム・ダスク・ティル・ドーン』
『片腕ドラゴン対空飛ぶギロチン』
『燃えよドラゴン』
『ドラゴン怒りの鉄拳』
『死亡遊戯』
『修羅雪姫』
『子連れ狼 三途の川の乳母車』
『柳生一族の陰謀』
『バトル・ロワイヤル 特別篇』
『仁義なき戦い』
『新・仁義なき戦い』
『SF サムライ・フィクション』
『鮫肌男と桃尻女』
『殺し屋1』

 
 
 
 
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